六月号歌評(同人誌「賀茂短歌」より)
後藤瑞義(人徳)
原 明男
若き 女 の未練を断ちて去るらしも沈む夕日に続く風紋
(評)若い女性の後ろ姿を見ている作者なのでしょう。その女性は「未練を断ちて去るらしい」と作者思っているようです。それは、何か根拠があるらしいですが、この作品だけではわかりません。ただ、「沈む夕日」や「風紋」という言葉に余韻があり、「未練を断ちて」と言う言葉に響き合っているようです。今月の五首は連作となっており、一つのドラマのようになっていました。
渡辺つぎ
夢に逢う「まだ生きてたの」と故き友目をまるくする夜の訪れ
(評)「夢に逢う」、誰とでしょうか。「故(ふる)き友」に夢で逢った作者は、百六歳になります。それで、「まだ生きてたの」といわれたのです。もちろんその友は亡くなられているわけです、「旧き友」でなく「故き友」と「故」の文字を用いているところなど工夫されている感じがします。結句の「夜の訪れ」が暗示的です。
朝まだき朝刊待ちて折々のうた楽しみし朝のありしよ
鈴木菊江
(評)朝日新聞の一面に、コラム「折々のうた」が掲載されたのが一九七九年一月でした。それより二○○七年3月まで二十八年余り続いた有名なコラムです。その内容は、短歌はもちろん俳句、詩、川柳など広範囲にわたっていました。その執筆者である大岡信氏が今年の四月七日に亡くなられました。三島市の出身であるのもわれわれ伊豆に住んでいる人間にとっては親しみが湧きます。作者の一日はあるいは早朝の「折々のうた」を読むことから始まったのかも知れません。大岡氏に「ありがとうございました」という感謝の歌として読みました。
栗と柿無花果の苗裏庭に孫のためにと息子植えおり
黒田幸子
(評)「桃栗三年柿八年」といわれます。無花果は三年くらいでしょうか。どちらにしましても、実が成るのは先の話です。息子さんにしても、ましてお孫さんにとっては、これから洋々と開ける未来が待っていることでしょう。作者も多分そのような洋々とした未来を思い浮かべてたかも知れません。息子さんがお孫さんのために果樹の苗を植えいる姿、それを眺めている九十歳に近い作者になんとも言えない思いがしたのでした。
新幹線つまらないと云いし 息子 と二時間で着く京都の駅へ
藤井美智子
(評)「新幹線はつまらない」というのは、作者の言葉ではなく、まだ現役の仕事をなさっているであろう息子さんの言葉であるのが以外でした。それにしましても、京都まで二時間で行ける時代になったのですね。多分作者は早く京都に行きたかったのでしょう。今回の京都行きは京都大学の大学院に入られたお孫さんに会いに行くためだったようです。作者は一刻も早く京都に行きお孫さんに会いたい気持ちがあったのでしょう。それに対して、息子さんの方は、休みでもあるし、ゆっくり外の景色を見ながら鈍行で行きたい気分だったのかも知れません。
花咲けど愛でる 主 なきお向かいは空家となりて三度目の春
小池美恵子
(評)「花咲けど愛でる主なきお向かいは」の「お向かい」という言葉にまず好感を持ちました。最近聞かない言葉だと個人的に思ったのでした。「お向かい」なんともあたたかい感じの言葉です、そういったご近所との交わりが薄れている世相を思ったのです。お一人で住まわれていて亡くなられたのか、何かの事情で引越されたのか分かりませんが、季節が巡ると花が咲きます。花はさくらの花をイメージしました。多分ご近所同士、毎年さくらが咲くとその花を話題にしていっときを過ごしたことがおありだったことでしょう。現在、庭は草で覆われているのではないでしょうか、荒れはてた庭を眺めながらああもう三年になったのだとしみじみお向かいさんの不在を思う作者なのでしょう。
秋に行く天城の山の裾模様芽吹きし 季節 のそれも胸うつ
鈴木きみ
(評)作者はまず、「秋に行く天城の山の紅葉の景色」が頭に浮んだのではないでしょうか。今は、芽吹きの季節、春です。その新緑の景色にもあらためて心を打たれた作者のようです。今回五首のうち四首に「裾模様」という言葉を入れています。着物についての知識が乏しいわたしには、この「裾模様」が何を暗示しているかはっきり分かりません。裾ですから主要な部分ではなさそうな気がしますが、その裾の模様です。そうした主要でない模様に目を向けているところは注目に値するでしょう。また、五首目に、「春蘂(はるしべ)」という言葉を使っています。この言葉にも、何か作者の心を捉えたものがあったようです。辞書にも出ていない言葉ですが、天気予報士が使っていたと言って、大胆に使っています。この大胆さは学ぶべきだと思ったのです。
ほこほこと盛り上がるごと山芽吹く吾もほっこり春野に座せり
土屋文恵
(評)
山の芽吹きを、「ほこほこと盛り上がる」という擬態語を使ったのが印象的でした。そうしたなかで、春の野に「ほっこり」座すというこれも擬態語を使っていて、「ほこほこ」という擬態語と響き合っているように感じました。擬態語をうまく使って、冬山から新緑の春山への移り変わりをうまく歌っていると思います。「ほこほこ」、「ほっこり」といった、ふっくらとした感じがいかにも春らしさを表していると思いました。これからも、擬態語、擬音語を工夫されたらよいかと思いました。
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