鑑賞:歌集「悲しき玩具」(五十五)下書き
後藤人徳(瑞義)
(
注 )
歌の順序は歌集の順序によります。
いろいろの人の思わく
はかりかねて、
今日もおとなしく暮らしたるかな。
「いろいろの人」、さしずめ会社なら上司、同僚、部下、業者などでしょうか。あるいは売店や食堂のおばさんかもしれません。そのいろいろの人の思わくとは、さてどんな思わくでしょうか。自分のことをどう思っているのだろうか、自分をどのようにしてほしいのだろうか、などなど、啄木でなくとも、「はかりかねて、」となるでしょう。
「思わく」がはっきりするまで、こちらからあれこれと先走るのはやめようと思うのは自然です。「今日もおとなしく暮らしたるかな。」は順当な対し方だと思います。
今、「いろいろの人」を会社関係に限定して、例示しました。しかし、この歌は「暮らしたるかな。」となっているところに注意しなければならないでしょう。
会社でのこと、仕事上のこと、その人間関係は確かに生きてゆくためには、重要なことですし、苦労の絶えない問題のひとつかもしれません。しかし、会社を離れれば、仕事を離れれば、逃げ道はありそうに思えます。もしそうだとすれば、「今日もおとなしく仕事をしたり」といった表現になるでしょう。しかし、この歌は「仕事」ではなく「暮らし」なのです。
「暮らし」とはどういうことでしょう。生活すること、生きてゆくこと、時間が過ぎてゆくこと、もちろん仕事もその一部でしょう。仕事なら逃げ道があるでしょうが、「暮らし」は四六時中のことで逃げ道はないでしょう。ですから、「暮らし」での「いろいろな人」は、両親かもしれないし、妻かも子供かも、親戚縁者、隣人、通行人かもしれません。勿論上記に例示した会社の人間関係も含まれるのです。そうです、誰も彼も含まれるのです。そこに、何か追い詰められたような啄木の思いをわたしは感じるのです。
「今日も」の「も」は、他の作品で言及しましたが、啄木の特徴で、短歌に時間を、期間を入れています。この作品も「も」によって、より重くなっていると思います。「昨日も、今日も、明日も」といった感じの「も」です。
「おとなしく」も意味深いことばです。胸の内を悟られまいとする防御の姿勢、自分のおもわくを悟られまいとすることでしょう。他人の思わくが分からないといいながら、自分の気持ちの方も押し殺しておとなしくして、他人に自分の思わくを悟られまいとしている、この啄木の哀しみを思うのです。
「人のおもわく」を気にする啄木、それは啄木自身がたいへん思わくのある人間であったのではないでしょうか。それが、ブーメランのように自分自身に返ってきて「人のおもわく」を気にするようになっているのではないでしょうか。そこが啄木の悲劇のようにわたしは感じるのです。
いろいろの人の思わく
はかりかねて、
今日もおとなしく暮らしたるかな。
後藤瑞義入選歌(令和2年)(1) 2026.05.29
渡辺順三歌集「日本の地図」1952年(… 2026.05.29
与謝晶子の歌(370)花のある風景――(… 2026.05.29