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天使は、主として、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖典や伝承に登場する神の使い。日本語の聖典中では「み使い」と呼ばれることもあり、日本ハリストス正教会では神使(しんし)とも訳し、また英語「Angel」はギリシャ語のアンゲロス(angelos)に由来しており、原義は「神の使者」を意味します。天使は、主に二つの類に分かれ 第一は、「み(御)使い」と呼ばれる天使。第二は、セラフィム(熾天使)・ケルビム(智天使)・オファニム(座天使)ですが、多数の眼を持ち 多数の翼等を持った姿の天使です。これらは一般的な天使のイメージとは程遠い怪物的なイメージとなっています。使い分けましょう。第一の天使は、「旧約聖書」・「新約聖書」では、翼など持たず普通の人と変わらない、成人男性か、若い男子青年の姿で現れるか または姿が見えないのです。姿が見える場合も男性の姿であると考えられています。(なお、ガブリエルやミカエルは、熾天使や智天使の位階にありますが、これは、キリスト教で天使位階を設定して 彼らを最高位天使としたためなのです。なお、彼らは、怪物のような姿では考えられていません)。初期のキリスト教では、(現在の一般的な天使イメージとは異なり)天使は男子青年の姿であり、しかも翼を持たなかった。なお天使が有翼の姿で考えられるようになるのは、オリエント・ペルシアの天使・精霊のイメージなどが混合されて来たためなのです。中世ヨーロッパでは、絵画から窺える限りでは、天使は有翼で、当時の西欧人の衣装をまとい、「天の聖歌隊」を構成する天使たちは美少年の姿に、大天使ガブリエルは優美な男性の姿に、また、悪と戦う使命を持ったミカエルなどは、鎧をまとい剣を帯びた、雄々しい戦士の姿で描かれていたのですよ。近世以降、無垢な子供の姿や、女性的な姿、やさしい男性の姿を取って表現されるようになった訳です。これはルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの子である愛の神)からイメージを借りたとされています。場合によっては童子の顔と翼だけで身体を持たない姿に描かれることもあります。(大天使ガブリエル)ガブリエルは旧約聖書「ダニエル書」にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられています。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術では、優美な青年で描かれ 時には威厳のある表情で描かれることもあります。聖書ではガブリエルは「神のことばを伝える天使」であり、ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味です。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがあります。ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」の役割を担い、例えば「ルカによる福音書」では祭司ザカリアスのもとに現れて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に「ヨハネの黙示録」に現れて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルなのです。ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわていますね。聖母マリアの純潔を示す 白百合を携えて描かれていることが多いのです。ダ・ヴィンチの「受胎告知」に描かれているのは、このガブリエルだという事を知らない人が多いですね。(熾天使)熾天使(してんし)は、天使の位階のひとつ。単数形はセラフ、複数形はセラフィーヌ。天使の九階級のうち最上とされています。三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれるのです。「民数記」にはネハシム-セラフィム(「燃える蛇たち」)が出てきますが、これは火のごとき空を飛ぶ蛇の姿であるという。「イザヤ書」には、以下のような熾天使の描写があります。「主が王座の上に座って、顔を上げられるのを見た。 彼の上に、セラフィムは立っていた。それぞれには、6つの翼があり、2つの翼で、彼は顔を隠し、2つの翼で足を覆った。そして、2つの翼で飛翔した」。(智天使)智天使は単数形ケルブ、複数形ケルビム 。「天使の階級」では第二位。神はアダムとイヴを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられています。神の姿を見ることができる(=智:ソフィア)ことから「智天使」という訳語をあてられたのです。エゼキエル書によれば、四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。ルネッサンス絵画ではそのまま描写するのではなく、翼を持つ愛らしい赤子の姿で表現されています。「彼はケルブに乗って飛び、」「主はケルビムの上に座せられる。」といった記述があり「神の玉座」「神の乗物」としての一面が見られます。ケルブの起源をアッシリアの有翼人面獣身の守護者「クリーブ」とする説があります。旧約聖書によるとケルビムの姿は「その中には四つの生き物の姿があった。それは人間のようなもので、それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおびていた。その顔は"人間の顔のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔"を持っていた。生き物のかたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた。ケルビムの"全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた「(知の象徴)ケルビムの一対の翼は大空にまっすぐ伸びて互いにふれ合い、他の一対の翼が体をおおっていた(体をもっていないから隠しているという)またケルビムにはその翼の下に、人間の手の手の形がみえていた(神の手だという)」とされています。(座天使)座天使(ざてんし、ソロネまたはオファニム、ガルガリン)は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第三位に数えられる上級天使の総称。 名は「玉座」や「車輪」の意で、唯一神たる主の戦車を運ぶ者とされる。また、「意思の支配者」の異名も持ち 物質の体をもつ天使としては最上級にあたり、主に燃え盛る車輪の姿で描かれます。座天使の指揮官は、ザフキエルまたはラファエルとされています。 (おまけ) ダヴィンチ【受胎告知】
2010.11.07
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蕪島(かぶしま)は、old が育った青森県八戸市の八戸港内にある島。今は地続きですが 昔は橋で渡りましたね。鯨の解体などもやって居りました。ウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定されています。島の頂上に鎮座する蕪嶋神社は社伝によれば1269年に厳島神社を勧進したのがはじめとされています。祭神は多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命で「蕪嶋の弁天様」として信仰を集めてきました。弁財天は商売繁盛や子授けに ご利益があるとされていますが、漁業の守り神でもあるのです。ウミネコは漁場を知らせてくれる鳥であり、弁天様の使いとして大切にされてきました。そのため人家の近くでありながら島全体がウミネコの大繁殖地になっていて、毎年2月下旬から4月中旬にかけて飛来し、ナタネの咲き乱れる5月ごろ営巣・抱卵、6月に孵化したヒナが7月には巣立ち、8月には島を離れていく。その数約4万羽。日本には10か所ほどウミネコの繁殖地がありますが、ウミネコの巣を間近に観察できる唯一の場所であることから、1922年に天然記念物に指定。名前の由来は諸説あって、以下のものが知られています。蕪の花が咲く島神を祭る場所としての「神嶋(かむしま)」、「神場島(かばしま)」地名は蕪島で、神社名は蕪嶋神社と表記。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた津波で壊滅的な被害を受けました。JR八戸線鮫駅下車徒歩15分です。鮫駅近くで中学の旧友が魚介問屋を営んでいましたが全滅。[八戸蕪島を襲った津波(11/3/2011東日本大震災)] http://www.youtube.com/watch?v=dfauTJ7UH4Mhttp://www.youtube.com/watch?v=_495v_d08uk&NR=1かもめはかもめhttp://www.youtube.com/watch?v=tYUCDfCj3c4&feature=relatedこの海を 失くしてでもほしい愛は あるけれどかもめは かもめひとりで 海を行くのが お似合い
2011.09.23
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先日 彼女に関するTV番組を見ましたが さほど目新しい内容では無かったですね。エカチェリーナ2世は ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝。夫はピョートル3世。(肖像画)大公妃時代皇帝時代晩年私の撮影した肖像画 (あまりタイプでは無いですね)プロイセンのフリードリヒ大王やオーストリアのヨーゼフ2世とともに啓蒙専制君主の代表。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し 大帝(ヴェリーカヤ)と称される。日本では 「エカテリーナ」の表記が多いのですが 原音に より忠実な「エカチェリーナ」の表記が正しいのです。●不幸なことに、ピョートルの男性能力の欠陥のため、結婚後も長期間夫婦の関係はなかった。後にピョートルは手術を受け、ようやく夫婦生活が可能になったものの、その頃には既にエカチェリーナはサルトゥイコフらの男性と、半ば公然と関係を持つようになっていた。エリザヴェータ女帝や周囲が世継ぎ確保の大義名分で黙認したとも、むしろ積極的に勧めたとも言われる。ピョートルの方も、有力貴族の娘ヴォロンツォーヴァ嬢を寵愛するようになり、夫婦の関係は完全に破綻する。●1762年にエリザヴェータ女帝が死去すると 夫ピョートルは皇帝に即位、エカチェリーナも皇后となった。ピョートル3世はプロイセン王フリードリヒ2世の信奉者で 皇太子時代からエリザヴェータやロシア貴族と対立していた。七年戦争では ロシア軍がプロイセン領内に侵攻してフリードリヒ2世を追い詰めていたにもかかわらず ピョートル3世が 即位後に いきなり和約を結んだことは ロシアの内外で不評を買った。また 皇后エカチェリーナを廃し 寵姫ヴォロンツォーヴァを皇后に据えようとして 彼女の一族を重用。ルター派信者のピョートルはロシア正教会にも弾圧を加えた。 ピョートル3世への怨嗟の声は高まり エカチェリーナ待望論が巻き起こるが グリゴリー・オルローフの子を妊娠中だった彼女は すぐには動きがとれなかった。4月に極秘に出産を済ませた後 1762年 エカチェリーナは 近衛連隊やロシア正教会の支持を得てクーデターを敢行。この時 エカチェリーナは軍服の男装で自ら馬上で指揮を取ったとされ その凛々しい姿の肖像画が残されています。オルローフ兄弟やエカテリーナ・ダーシュコワ夫人らの尽力で 近衛連隊を始めとする在ペテルブルグの主要な軍隊・反ピョートル3世派の貴族はエカチェリーナ側に付き ピョートル3世側についた重臣達も多くが咎めなく帰参を許されたこともあり クーデターは ほぼ無血で成功。在位6ヶ月のピョートル3世は廃位・幽閉され 間もなく監視役のアレクセイ・オルローフに暗殺されたのです。公式には「前帝ピョートル3世は持病の痔が悪化して急逝 エカチェリーナ2世は これを深く悼む」と発表され エカチェリーナ2世は自身の関与を否定したが 真相は不明。エカチェリーナが政務を執る事では一致したものの、ロマノフ家の血統でないどころか、ロシア人の血を全く引かない彼女自身の女帝即位には疑問の声もあり、嗣子パーヴェルを即位させてエカチェリーナは摂政に という案もあったが 結局は エカチェリーナ自身が正式に女帝として即位することとなり1762年 モスクワで戴冠式を行ったのです。(玉座のエカチェリーナ)●私生活面では生涯に約10人の公認の愛人を持ち 数百ともいわれる男性愛人を抱え 夜ごと人を変えて寝室をともにしたとする伝説もあります。孫のニコライ1世には「玉座の上の娼婦」とまで酷評される始末。45歳の頃10歳年下のポチョムキン(タヴリチェスキー公爵)と結ばれましたが 家庭に恵まれなかったエカチェリーナの生涯唯一の真実の夫と言うべき男性で 私生活のみならず 政治家・軍人としても女帝の不可欠のパートナーとなったのです。「2人は極秘裏に結婚していた」「エカチェリーナ46歳の時に2人の間には実娘エリザヴェータ・ポチョムキナが産まれた(後にカラゲオルギ将軍と結婚し その末裔は現在も実在する)」などの説があり かなり信憑性のある史料からも そういう事実があったことが窺えるようです。2人に男女の関係がなくなった後も「妻と夫」であり続け エカチェリーナの男性の趣味を知り尽くしたポチョムキンが 選りすぐった愛人を女帝の閨房に送り込んでいたそうです。互いの信頼関係は長く続いたが 1791年ポチョムキンは任地に向かう途中倒れ 女帝に先立って病没。晩年のポチョムキンは女帝から遠ざけられ 失意のうちに死去したとされますが 女帝は「夫」の訃報に「これからは1人でこのロシアを治めなければならないのか」と深く嘆き悲しんだといいます。ポチョムキン以降に女帝が関係を持った寵臣のほとんどは 公的な影響力を持たなかった。例外として アレクサンドル・ランスコイは 美貌だけでなくそれなりの能力もあり女帝を補佐し しかも国家や宮廷の問題には関与せず 女帝の寵愛も深かったのですが 1784年26歳の若さで急逝。また エカチェリーナ最晩年の寵臣プラトン・ズーボフは ポチョムキンの立場をも脅かすほどの影響力を持ち ポチョムキンの死後は 老齢の女帝の寵愛を良い事にかなりの権力を持ったようですが、容姿以外大した能力はなく 女帝の死と共に失脚。(エカチェリーナ宮殿)プーシキンに有ります(作家では無いですよ)。家族写真は削除しました。http://www.youtube.com/watch?v=chjY3UiP8pU
2013.09.22
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「耳なし芳一」は盲の琵琶法師で、平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手だったという伝承が有ります。 ある夜、和尚の留守の時、一人の武士が現われ、芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く。盲目の芳一にはよくわからなかったが、そこには多くの貴人が集っているようであった。壇ノ浦の戦いのくだりをと所望され、芳一が演奏を始めると皆熱心に聴き入り、芳一の芸の巧みさを誉めそやす。が、語りが佳境になるにしたがって皆声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになる。和尚は目の悪い芳一が夜出かけていく事に気付いて不審に思い、寺男たちに後を付けさせた。すると芳一は一人、平家一門の墓地の中におり、平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていた。寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り、和尚に問い詰められた芳一はとうとう事情を打ち明けた。これは危ない、このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと和尚は案じたが、生憎夜は法事で芳一のそばについていてやることが出来ない。そこで法事寺の小僧と共に芳一の全身に般若心経を写し、芳一に今夜は武士が迎えに来ても返事をするな、と堅く言い含めた。その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来た。しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない。芳一が呼ばれても返事をしないでいると、「声も聞こえない、姿も見えない。さて芳一はどこへ行ったのか......」という声が聞こえる。そして怨霊は、耳だけが闇に浮いているのを見つけ、「芳一がいないなら仕方がない。証拠に耳だけでも持って帰ろう」と、芳一の耳をもぎ取って去った。朝になって帰宅した和尚は芳一の様子に驚き、一部始終を聞いた後に芳一に詫びた。芳一の身体に般若心経を写経した際、小僧が耳にだけ書き漏らしてしまった事が原因であった。その後怪我は手厚く治療され、この不思議な事件が世間に広まって彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。琵琶の腕前も評判になり何不自由なく暮らしたという。[赤間神宮内 芳一堂。この左に平家一門の墓がある][平家ゆかりの地、神戸の須磨寺での『耳なし芳一』上演][「耳なし芳一」のクライマックス(神戸・須磨寺)]これが伝承の あらすじですが、芳一のモデルと言われる人が、明石検校です。彼は中年まで播州(兵庫県)書写山の僧であったが、急に失明し琵琶法師となった。彼は自分の屋敷に当道座を設立して、みずから惣検校となり、明石検校とも言われ、江戸時代まで続く検校制度を確立。彼は琵琶の名手で、耳なし芳一のモデルと言われている訳です。一方(いちかた)流の流祖如一の弟子、一方流中興の祖と呼ばれ、天皇・上皇・親王らのための御前演奏をおこなうことが多かったそうです。琵琶以外にも按摩(あんま)・鍼灸(しんきゅう)の達人でもあったと伝えられております。 そもそも、琵琶は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器です。[五絃琵琶「螺鈿紫檀五絃琵琶」(正倉院宝物)][ピーパー]これは4本の金属弦を持ち、31個のフレットで半音階を演奏でき、ギターの奏法が取り入れられ、弾奏には右手の全部の指を使用し、爪か義爪によって音を出すそうです。[日本の琵琶]最近、古典楽器が流行り始め、近代楽器とのコラボ演奏も盛んなので、琵琶に挑戦されては如何でしょうか。「耳なし芳一」の話しと写真は逆効果だったかな。
2009.06.13
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今朝午前中は豪雨。今は曇天の空。そこで せめて「きらきら星」です。これ英語の歌じゃ無くてフランス語の歌なんですよ。しかも 原詩は童謡じゃ無くて恋歌なのです。かのモーツァルトまでが作曲しているのです。あー。疲れた。きらきら星は、18世紀末のフランスで流行したシャンソン"Ah! Vous dirais-je, Maman"(あのね、お母さん)の日本語名。イギリスの詩人、ジェーン・テイラーの1806年の英語詩 "The Star" による替え歌"Twinkle, Twinkle, Little Star"(きらめく小さなお星様)が童謡として世界的に広まり、さまざまな言語に翻訳され、現在では世界中で愛唱されている。また、1778年、パリに滞在していたモーツァルトがこの曲を主題としたピアノのための12の変奏曲「きらきら星変奏曲」を作曲している。(フランス語オリジナル版)Ah! Vous dirai-je, Maman,Ce qui cause mon tourment ?Depuis que j'ai vu Silvandre,Me regarder d'un air tendre ;Mon coeur dit a chaque instant :« Peut-on vivre sans amant ? »L'autre jour, dans un bosquet,De fleurs il fit un bouquet ;Il en para ma houletteMe disant : « Belle brunette,Flore est moins belle que toi ;L'amour moins tendre que moi. »Je rougis et par malheurUn soupir trahit mon coeur.Le cruel avec adresse,Profita de ma faiblesse :Hélas, Maman ! Un faux pasMe fit tomber dans ses bras.Je n'avais pour tout soutienQue ma houlette et mon chien.L'amour, voulant ma defaite,Ecarta chien et houlette ;Ah ! Qu'on goute de douceur,Quand l'amour prend soin d'un coeur !日本語訳ねえ!言わせてお母さん何で私が悩んでいるのかを優しい目をしたシルヴァンドルそんな彼と出会ってから私の心はいつもこう言うの「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」あの日、木立の中で彼は花束を作ってくれた花束で私の仕事の杖を飾ってくれたこんなこと言ったの「きれいな金髪だね君はどんな花よりきれいだよ僕はどんな恋人より優しいよ」私は真っ赤になった、悔しいけどため息ひとつで私の気持ちはばれちゃった抜け目のないつれなさが私の弱みに付け込んだのああ!お母さん、私踏み外しちゃった彼の腕に飛び込んじゃったそれまで私の支えは仕事の杖と犬だけだったのに恋が私をだめにしようと犬も杖もどこかにやったねえ!恋が心をくすぐるとこんなに甘い気持ちがするんだね!(別版)フランス語Ah! vous dirai-je, Maman,Ce qui cause mon tourment.Papa veut que je raisonne,Comme une grande personne.Moi, je dis que les bonbonsValent mieux que la raison.日本語訳ねえ!言わせてお母さん何で私が悩んでいるのかをお父さんは私にまともでいてほしがってるどこかのえらい人みたいにね私に言わせりゃ、飴玉のほうがまともでいるよりすてきなの(替え歌)英語Twinkle, twinkle, little star,How I wonder what you are!Up above the world so high,Like a diamond in the sky.Twinkle, twinkle, little star,How I wonder what you are!日本語訳1.きらめく、きらめく、小さな星よあなたは一体何者なの?世界の上空はるかかなた空のダイアモンドのようにきらめく、きらめく、小さな星よあなたは一体何者なの?日本語訳2.きらきらひかるお空の星よまばたきしてはみんなを見てるきらきらひかるお空の星よきらきらひかるお空の星よみんなの歌が届くといいなきらきらひかるお空の星よ フランス民謡 きらきら星 キラキラ星http://www.youtube.com/watch?v=dXBKpXL7rms&feature=related初音みく「きらきら星」http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=l1WDW-g3c5IMozart, Ah! vous dirai je maman Twinkle Twinkle, Little Star http://www.youtube.com/watch?v=FcGThde7X2I&feature=related
2010.04.28
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ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905年 - 1980年)はフランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家。サルトルの思想は実存主義によるもので 今まさに生きている自分自身の存在である実存を中心とするものです。特にサルトルの実存主義は無神論的実存主義と呼ばれ 自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において 「実存は本質に先立つ」と主張し「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っています。もし すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば 神は神自身が創造するものが何であるかを あらかじめわきまえている筈です。ならば あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているという事になります。(果たして そうでしょうか)。しかし サルトルは「そのような一切を創造する神がいないのだとしたらどうなるのか」と問い、創造の神が存在しないというならば あらゆるものはその本質を(神に)決定される事がないまま、現実に存在してしまうことになります。この場合は 「実存が本質に先だつ」事になり これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張しているのです。「実存は本質に先立つ」という表現は 哲学において 存在には本質がない とする考え方、観念、ものごとの捉え方、を現したものです。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが自身の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」において最初にこの概念が提起され 実存主義における基礎的な観念・概念となっています。サルトルの妻シモーヌ・ド・ボーヴォワールは この考えを基に「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉を残して居ります。「実存は本質に先立つ」。私は共感するところ大で[サルトルの幾つかの言葉」〇過去とは、所有者の賛沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の身体しか持たない。 〇私は孤独で自由だ。だが、自由はどこかしら死に似ている。〇 小説はひとつの鏡である。 〇神々と肩を並べるには、たったひとつのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ。 〇人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。 〇裏切者は罪人の寄生虫だ。〇過ぎ去る時間とは失われた時間であり、怠惰と無気力の時間であり、いくたびも誓いを立てても守らない時間であり、しばしば引越しをし、絶えず金の工面に奔走する時間である。自由と孤独はコインの表と裏みたいなものです。例えば独り旅は自由気ままですが、実は死ぬほど孤独なのです。けれどナーバスになっては いけません。完全な自由は無いのですから。自由も孤独も上手に付き合いましょう。
2013.11.07
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