先日 彼女に関するTV 番組を見ましたが さほど目新しい内容では無かったですね。
エカチェリーナ2 世は ロマノフ朝の第8 代ロシア皇帝。夫はピョートル3 世。
(肖像画)
大公妃時代
皇帝時代
晩年
私の撮影した肖像画 ( あまりタイプでは無いですね)
プロイセンのフリードリヒ大王やオーストリアのヨーゼフ2 世とともに啓蒙専制君主の代表。
ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し 大帝(ヴェリーカヤ)と称される。
日本では 「エカテリーナ」の表記が多いのですが 原音に より忠実な「エカチェリーナ」の表記が正しいのです。
●不幸なことに、ピョートルの男性能力の欠陥のため、結婚後も長期間夫婦の関係はなかった。後にピョートルは手術を受け、ようやく夫婦生活が可能になったものの、その頃には既にエカチェリーナはサルトゥイコフらの男性と、半ば公然と関係を持つようになっていた。エリザヴェータ女帝や周囲が世継ぎ確保の大義名分で黙認したとも、むしろ積極的に勧めたとも言われる。ピョートルの方も、有力貴族の娘ヴォロンツォーヴァ嬢を寵愛するようになり、夫婦の関係は完全に破綻する。
●1762 年にエリザヴェータ女帝が死去すると 夫ピョートルは皇帝に即位、エカチェリーナも皇后となった。
ピョートル3 世はプロイセン王フリードリヒ2 世の信奉者で 皇太子時代からエリザヴェータやロシア貴族と対立していた。
七年戦争では ロシア軍がプロイセン領内に侵攻してフリードリヒ2 世を追い詰めていたにもかかわらず ピョートル3 世が 即位後に いきなり和約を結んだことは ロシアの内外で不評を買った。
また 皇后エカチェリーナを廃し 寵姫ヴォロンツォーヴァを皇后に据えようとして 彼女の一族を重用。
ルター派信者のピョートルはロシア正教会にも弾圧を加えた。
ピョートル3 世への怨嗟の声は高まり エカチェリーナ待望論が巻き起こるが グリゴリー・オルローフの子を妊娠中だった彼女は すぐには動きがとれなかった。
4 月に極秘に出産を済ませた後 1762 年 エカチェリーナは 近衛連隊やロシア正教会の支持を得てクーデターを敢行。
この時 エカチェリーナは軍服の男装で自ら馬上で指揮を取ったとされ その凛々しい姿の肖像画が残されています。
オルローフ兄弟やエカテリーナ・ダーシュコワ夫人らの尽力で 近衛連隊を始めとする在ペテルブルグの主要な軍隊・反ピョートル3 世派の貴族はエカチェリーナ側に付き ピョートル3 世側についた重臣達も多くが咎めなく帰参を許されたこともあり クーデターは ほぼ無血で成功。
在位6 ヶ月のピョートル3 世は廃位・幽閉され 間もなく監視役のアレクセイ・オルローフに暗殺されたのです。
公式には「前帝ピョートル3 世は持病の痔が悪化して急逝 エカチェリーナ2 世は これを深く悼む」と発表され エカチェリーナ2 世は自身の関与を否定したが 真相は不明。エカチェリーナが政務を執る事では一致したものの、ロマノフ家の血統でないどころか、ロシア人の血を全く引かない彼女自身の女帝即位には疑問の声もあり、嗣子パーヴェルを即位させてエカチェリーナは摂政に という案もあったが 結局は エカチェリーナ自身が正式に女帝として即位することとなり1762 年 モスクワで戴冠式を行ったのです。
( 玉座のエカチェリーナ)
●私生活面では生涯に約10 人の公認の愛人を持ち 数百ともいわれる男性愛人を抱え 夜ごと人を変えて寝室をともにしたとする伝説もあります。
孫のニコライ1 世には「玉座の上の娼婦」とまで酷評される始末。
45 歳の頃10 歳年下のポチョムキン(タヴリチェスキー公爵)と結ばれましたが 家庭に恵まれなかったエカチェリーナの生涯唯一の真実の夫と言うべき男性で 私生活のみならず 政治家・軍人としても女帝の不可欠のパートナーとなったのです。
「2 人は極秘裏に結婚していた」「エカチェリーナ46 歳の時に2 人の間には実娘エリザヴェータ・ポチョムキナが産まれた(後にカラゲオルギ将軍と結婚し その末裔は現在も実在する)」などの説があり かなり信憑性のある史料からも そういう事実があったことが窺えるようです。
2 人に男女の関係がなくなった後も「妻と夫」であり続け エカチェリーナの男性の趣味を知り尽くしたポチョムキンが 選りすぐった愛人を女帝の閨房に送り込んでいたそうです。
互いの信頼関係は長く続いたが 1791 年ポチョムキンは任地に向かう途中倒れ 女帝に先立って病没。
晩年のポチョムキンは女帝から遠ざけられ 失意のうちに死去したとされますが 女帝は「夫」の訃報に「これからは1 人でこのロシアを治めなければならないのか」と深く嘆き悲しんだといいます。
ポチョムキン以降に女帝が関係を持った寵臣のほとんどは 公的な影響力を持たなかった。
例外として アレクサンドル・ランスコイは 美貌だけでなくそれなりの能力もあり女帝を補佐し しかも国家や宮廷の問題には関与せず 女帝の寵愛も深かったのですが 1784 年26 歳の若さで急逝。
また エカチェリーナ最晩年の寵臣プラトン・ズーボフは ポチョムキンの立場をも脅かすほどの影響力を持ち ポチョムキンの死後は 老齢の女帝の寵愛を良い事にかなりの権力を持ったようですが、容姿以外大した能力はなく 女帝の死と共に失脚。
( エカチェリーナ宮殿)
プーシキンに有ります(作家では無いですよ)。
家族写真は削除しました。
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alisa.さん
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elsa.さん
曲まめ子さん