社会人大学院生から大学教員になった還暦男の日常

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2016年05月03日
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さて、2011年4月から博士課程の生活がスタートした。
修了目標は6年間。
社会人には、本来の修了年数の倍の年数が認められているので、その一杯の年数を使おうというものである。

大学に行くのは月1回。
この回数はほぼ最後まで変わらなかった。
主査の先生と副査の先生の都合、そして、私の都合でスケジュールが決まっていく。

テーマが決まってから、最初に与えられた論文。
英文で30ページぐらいあった。
正直言って、傲慢に聞こえるかもしれないが、私はそんなに英語では苦労していない。表現の稚拙さは当然あるだろうが、ビジネス・コミュニケーションでは問題ない。もちろん、中身は別。実のところ、そうでなければ、海外の仕事はできない。

しかし、その論文について、読み始めた時、正直、泣きそうになった。何が書いてあるのかさっぱり分からないのである。
たぶん、論文英語とビジネス英語というものは基本的に違うものだと思う。
特に、その時は、最初のころだったので、論文の書き方も分からないし、書かれた論文の読むツボも分からない。

海外子会社が私の研究対象であるが、その論文には全く歯が立たないのである。
仕方がないので、一段落ごとに日本語のサマリーをつけていく。
私はその作業が延々と続くのではないかと正直思い、逃げ出そうとも思ったのである。そのぐらい「論文英語」は私にとっては困難な存在であり、実は今もそうである。
サマリーをした論文が相当たまり、そのような生活が約8ヶ月過ぎようとした時、副査の先生から、「先行研究のサーベイということで論文にしましょうか」という発言。

2ヶ月ぐらいでまとめ、指導教官から強烈な赤が入り、2012年1月に、一冊の論文集が完成し、大学院生が出す論集の一つの論文となった。
もちろん、私の名前が著者名となっている。

これは相当嬉しかった。
これができた時、「自分の名前で世の中に何かを残せた」と思った。
大学院生が出す論集なので、指導教官のハンコが必要である。そのハンコをもらった時、それが実際に印刷物になった時、嬉しさの大きさは、初めてゴルフのバーディを取った時のようなものであった。

(続く)





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最終更新日  2016年05月03日 19時35分10秒
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