社会人大学院生から大学教員になった還暦男の日常

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2016年05月04日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私はなぜ、博士課程に入学したのか?
それは、入学時も今も同じである。
自分の名前の入った論文を世に出したいのである。
前回書いたように、博士課程の大学院生用の論集には掲載してもらった。しかし、これは紀要と同じかそれ以下の扱いであろう。

論文と言えば、やはり、学会論文である。
私は2つの学会に入っていたので、そこに投稿することにした。

まずA学会。
2012年12月の締め切りで一つ出した。学会論文というのは、査読論文と言っても、研究論文と研究ノートの2種類がある。結論から言えば、私が最初に出した論文は、査読委員の先生から指導があって、研究ノートということになった。もちろん、投稿前には指導教官からは一杯ご指導を受けた。結果は、うれしかったが、悔しかった。何故なら、やはり欲しいのは研究論文であるからである。それは2013年7月に印刷・出版された。

2014年の1月ごろ、あるところで他の院生と話しをしていると、そのA学会の締め切りは本来ならば2013年の年末であるが、2014年2月末になるということが分かった。そこまででしたためていたマテリアルがあったので、提出することを決めた。しかし、指導教官からは、「あまりに拙速。もう少し練らなければいけない。今のままでは、強烈に厳しいコメントがかえってくるだろう。そうなれば、あなた自身が精神的に傷つく可能性が大きい」と言われた。しかし、私は、「今度は私の原稿で提出させて下さい。どのようなコメントが査読者からくるのか、じっくり勉強したいのです」と言って、指導教官からはほとんど指導なく、原稿を提出した。それは上記と同様に研究ノートとして採択された。それは2014年7月に印刷・出版された。

世間的に言えば、査読論文2本ということになる。

実は、もう一つのB学会にも3回提出したが、一度も採択されなかった。これは大変悔しい思いをしたし、ある時は私以上に指導教官の先生は悔しがってくれた。しかし、指導教官は、「あなたの研究は1本の論文で勝負するものではない。1冊の本、つまり書籍にして勝負するもの」と言い続けてくれた。よって、A学会の研究ノートは研究論文ではないが、気にすることはないということなのである。

このところ、このブログには、「なぜ私は博士号を目指したのか?」としたタイトルで過去のことを書いているのであるが、私はとにかく学会論文を書きたいのである。
実際に、博士論文の中心となるパートであるが、それは6つの章からなっている。その基本となるものは、A学会に出したもの2本、B学会でリジェクトされたもの1本、大学院生用紀要で2本と、何等かの形で世の中に出したものを基軸に据えている。

1冊の本にするかどうかは、準備も必要なので、今は少し横においている。
それよりも大事なのが、やはり論文なのである。次の論文である。
締め切りが9月末。

ゴールデン・ウィークで久しぶりにカミさんと京都、嵐山に行ったり、一生懸命に皿洗いもしているが、次の論文のことを考えている。

(続く)





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最終更新日  2016年05月04日 21時19分24秒
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