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阿倍野区民ホールの「初夢見たよ聞いたよ浪花節」、たくさんのご来場ありがとうございました。お年玉くださった皆さんもありがとう! 本の即日販売しましたが、30人もの方に買っていただき喜んでます。 終演後は、旧友真鍋先生と四海楼でちょい悪事に励みましたが、こちらは惨敗。あと、浪曲教室の畑野君が故郷の土産にくれた立山の紙パックでヤケ酒?サンケイの山本さんやしげちゃんと大いに飲んで、お決まりの山口タクシーで帰宅して爆睡しました。前日は宵乗りの雲月涼月師弟と諏訪さん、吉田さんらと酔鯨で飲んだので、今年は春から連夜の酔いどれとなった次第。
2013年01月05日
12月27日は、新世界朝日劇場の「特選バラエティー」公演に出演しました。これは、普段大衆演劇がかかっているこの劇場が100周年ということで企画された特別公演で、声をかけていただいたものです。第一部が漫才で暁照夫光男さん、青丸トン子さんら、第二部がショーで、青木美香子さん、吉野悦世さん、市川聖山さん、私、叶麗子さんというメンバーでした。皆さん新世界は地元みたいな方ですが、私は、何年か前に通天閣の歌謡劇場の支配人追善公演にお招きいただいて以来でした。昼夜、「忠臣蔵の抜き読み」で務めましたが、裏の方でちょっと熱くなることもあり、今年最後の舞台でしたので結構気合も入っていたつもりです。終演後、お客さんや手伝ってくれた園田君、畑野君らと、久しぶりにやまと屋で飲んで、メートルをあげました。まあ事実上の忘年会でしたね。
2012年12月27日
10日からの一心寺11月寄席は今日無事終了。若手四人の出演で大いに活気づいて連日大入りでした。特に初日は芸術祭審査もあり、満員札止め。10人以上のお客さんをお断りすることになりました。足が悪くてタクシーで横付された方もあり、四郎若さんもお断りするのが本当につらかったと。出演は真山隼人、春野恵子、菊地まどか、幸いってん。まどかさんに続いて、誰か入賞するといいですね。初日は恒例で、ごあいさつしました。「どんな古い外題でも、今日現在のお客さんに今日現在生きている演者が語る以上、今という時代に訴える何かが盛り込まれているのが、古典芸能と違う浪曲のありようです。浪曲のネタは、それを受け継いで語ってきた人々がその時代、時代の価値観を反映して少しずつ変わってきました。だからこそ、聴く人々に共感され次の時代へと伝えられてきたのです。今回、文字通りフレッシュな四人が語る以上、たとえ100年前の脚本でも、そこに、この人たちの感性が生かされていることを期待します」というのが要点です。お聞きになった方は、いかがだったでしょうか。
2012年11月12日
天中軒雲月45周年祝賀会名古屋駅のマリオットホテルで賑々しく開催されました。200人を超す出席者、浪界関係者は東京から澤孝子会長以下、東家浦太郎、国本武春、玉川ぶん福、浪花亭友歌、大阪から松浦四郎若、三原佐知子、京山小円嬢、真山一郎、真山誠太郎、天光軒新月、真山隼人、中田萬夫、雲月門下の涼月、不二美といった人々が参加しました。一心寺の客さんもたくさん駆けつけ、雲月さんの日ごろのお付き合いの広さを物語っているようです。小生は司会を任され、料理がどうだったのかは知りませんが、皆さんよく飲みよく食べ、最後の郡上踊りでは皆一緒に踊っておましたね。真山一郎さんが、「何にも食べてませんね」というので、「木戸銭を払ってないからしゃあない」というと、「その上ギャラも出てるでしょ」と言われ、ちょっと申し訳ない気になりましたが、まずはめでたしめでたしです。帰りに雲月さんに電話して、「お土産の饅頭もらってない」というと、「なにそれ?」「箱に入って記念品、あれ雲月饅頭やろ」「満月せんべいと違うで。記念品に饅頭なんかしないわ」と。三日後に宅急便で送ってくださいました。会費払ってないのにまた申し訳ない気分に・・。
2012年10月28日
松浦四郎若さんの素浪曲の会、おかげさまで大盛況でした。島之内といっても当今ピンとこない方も多いかもしれませんが、東西横堀川、現在の阪神高速環状線の北行き南行きと南を道頓堀、北を長堀に囲まれた一帯を言います。ミナミとは島之内のことなんですね。もともとは商人の町船場に対して、職人の町として大阪の庶民文化を支えてきた土地です。現在では町名改正で、島之内の町名が残っているのは、堺筋の東側だけになってしまい、最近は「コリアタウン」などと謳う向きもあったりして、由緒ある島之内にも文化浸蝕の波が襲いかかっています。その島之内の一角、旧道仁小学校区の皆さんで作る道仁連合町会が運営する道仁連合会館を拠点に、上方文化の薫り高い地域の再興を図ろうと、島之内西鶴座が生まれたんです。有志の皆さんが集まって、毎月西鶴研究会などを開いておられますが、その中心メンバーの一人山下孝夫さんに一度浪曲の会を開いてもらえませんか、と持ち込んだのが事の始まりでした。それというのも、四郎若後援会の早川國男さんから、「せっかくいいテーブルかけをこしらえたので、大阪でぜひ披露の会をやってもらえないか」と相談を受けていたからです。当初小さな会をつもりしていたんですが、仕掛け人山下さんの熱意あふれる大風呂敷?のおかげで、西鶴研究会の皆さん、会館を世話しておられる川口さんを通じて道仁連合町会会長の飯野さんはじめ町会の皆さんに大いに盛り上がっていただき、当日は、南区長の柏木さん、地元選出の中馬センセも覗いてくださり、地域の皆さんがこぞっておいでくださったんです。飯野会長は「北が繁盛亭で落語をやるのやったら、ミナミは浪曲や!」と、年に四回は島之内で浪花節の会をやる、と宣言してくださいました。周りがこうしてワッサワッサと担いだんですから、四郎若さんも気合が入りました。百人近いお客さんを前に、マイクを使わず、素声で口演。前席は西鶴研究会に敬意を表して「西鶴諸国噺の武士気質」、後席は「義士外伝義商天野屋」、共に大阪を舞台にした二席を虹友美さんの糸で熱演しました。浪花節を聞くのは初めてという方も多い客席は、目を潤ませる方もいて感動の渦というのが大げさでないほど大いに満足していただいたようです。始まらぬ先から「年に四回やるんや」と言っていただいた飯野会長にも何とか面目をほどこすことができ、私もホッとしました。おかげで、打ち上げでは、同郷のご婦人とも話が盛り上がり大いにメートルをあげました。次回以降もこの期待に応えていけるよう、多くの浪曲人に協力を求めていきたいと思います。
2012年10月27日
今年はちゃんと囲うと思いつつ、やっぱり10日目になっていました。 実際この十日間はちょいとバタバタしてたんですよ。 といっても、普通の人には当たり前かも知れませんが、ぼくにとっては、普段が普段だけに結構ハードでした。 というわけで、まとめて記録。 四日は初仕事が、ここのところ恒例のワッハ上方の新春公演。 節劇と浪曲四本。幸枝若さん演出の河内十人斬りは、皆なななか力入ってましたな。 とはいえ、浪曲のお客さんは、面白いもので、企画部の皆さんが、いろいろ工夫して何とかかわった企画をと頭をひねっても、浪曲をちゃんと一席聞かせてくれるが何よりだそうで、事務局には、「浪曲四人だけやったら今回は見送ります」という声もあったそうです。確かに餅は餅屋、浪花節屋には浪花節を期待するのが当たり前ですが、これもまた正月のお楽しみというところで。 終演後、出演者の皆さんと、歌舞伎座裏の同想会を開けてもらって、打ち上げ新年会。ファンの皆さんも交じっての記念撮影がこれです。 翌5日は、拙宅で川本佐江子さんの新作のけいこ始め。岡本貞子さんに来ていただいて、四時間みっちり。僕の今年の怒鳴り始めでした。 そして6日からは一心寺の正月公演。日替わり出演で12人が初春第一声を上げました。例年満員札止めのこの三日間。今年は折悪しく嵐のような天気や寒波襲来で、初日二日目は、若干空席あり。まあ、主催者発表なら満員とするところですが、ここは正直にね。三日目には文字通りの満員となって、事務局の中田さんの恵比須顔が見れました。ここでちょっと内緒話を暴露しますと。 初日、表で幟旗を片付けていますと、一緒に手伝っていた春野恵子さんが突如、ぎゃっと奇声を発しました。びっくりしてみると、犬糞をにちゃっと踏んだんですね。その翌日僕の携帯に八尾のMさんから、「恵子ちゃんをある会合に呼びたいのでよろしく」と連絡がはいりました。恵子さんは犬糞のおかげで運が付いたのかね。 正月早々落咄ですいません。 そして昨日、大阪市役所に呼ばれていきました。用件は、内緒。でもいい話です。 まそんなこんなの正月十日間でした。
2007年01月10日
久しぶりに開いてみたら、なんと一年ぶりの書き込みだったんですね。日記じゃなくて年記にほんまになってしまいました、とわれながらあきれる始末。今年はどうかな・・・。やっぱり自信ないかも。と言うのも、この頃段々ズボラ度が高じてきて、原稿も、催促されなけりゃ書かないし、待合わせも遅れがちなんですよね。年賀状だって、30日まで手付かず、エイとばかり一晩でやっつけちゃいました。元旦に着かなかった皆さんごめんなさい。頼まれていた冊子の編集も、大晦日の夜、10時半に駆け込みでお届けして何とか年内いっぱいのお約束だけは果たしたようなわけで。帰ってくると、もう駅前から、河内音頭のカウントダウンライブのエヤコラセーの声が聞こえていました。情けなくなったけど、上には上があるもんですね。友人のイラストレーターちゅういんがむさん、この年賀状のイラストも彼に描いてもらったものですが、除夜の鐘が鳴り始めたころ、年賀状余ってませんか?といって、取りに来たんですよ。ここまで大物なら、そんなにじたばたすることもなかろうにね。まあ、とにもかくにも、生きて年を越しました。新聞屋さんの暦によれば、今年は年回りが良くないそうで、まあぼちぼちやっていきます。どうぞ本年もよろしくです。
2007年01月01日
昨日はワッハ上方で、新春恒例の浪曲大会でした。恒例と行っても、ここ三年ほどのことですが、今年初めて大入りとなりました。今年は特に変わったことをやったわけでもなかったのですが、昨年末芸術祭新人賞が転がり込んできた菊地まどか君が幸いってん君と掛合いで「一本刀土俵入り」を語りました。精一杯の声を張り上げるというのが若手には何よりでそれはそれでいいのですが、こういう名作を「人がよく知っているから」「ウケる話だから」というだけで新人に安易に語らせてしまうことには、一抹の疑問を感じないわけではありません。その昔、三波先生が、新歌舞伎座初出演の時劇場が一本刀の芝居を企画したのを、原作者の長谷川伸が「三波を潰す気か」といって止めたという有名なエピソードを思いだします。そのおかげで、三波先生はオリジナルの新作を掛け続け堂々二十何年東西の歌舞伎座を一ヶ月満員にし続けたのです。多くの名人が手がけた名作を未だ表現力の未熟な新人にやらせてもそれに伍した物ができようはずはないのですから、余り安易なことはするべきではないと思うのですが。今回は、出演者がずらりと並んで年頭の御挨拶を述べる口上を一幕加えました。なかなか作法に叶ったことはできませんでしたがお客様への我々の気持ちということでお目こぼし願えたのでは。松浦四郎若さんは例によって僕の年賀状をフシをつけてマクラで披露してくれました。終演後は、おいで下さった友人達と浪曲教室の稽古場でもある歌舞伎座裏のスナック同想会を開けてもらって、覆いに呑んで食い歌い、俄の新年会となりました。みなさんありがとうございました。
2006年01月04日
元旦は例によって昼前まで寝ています。起きだして年賀状の整理とお返事を書いていると近くに住む母がやってきてお屠蘇でお祝い。これを盃に二杯飲むと、いつもヘベレケになってまた寝てしまいます。目が覚めると、年賀状をポストに出しに行ってあたりをぶらぶら、ここ数年変わらぬ元日の行動です。今年はいつも以上に年賀状を作るのが遅れ投函したのが30日でした。元旦に届かなかった人御免なさいね。三日のワッハ上方新春浪曲大会出演も三年続けての恒例になってこれが、しごとはじめです。他に台本を頼まれているのが三本あってこれも早く片付けなければなりません。気ばかり焦れど、からだはぐうたらな正月です。でも、元日からブログ書いちゃったもんね。今年もよろしくお引立てのほどを!
2006年01月01日
昨日一日はお休みで、二日目の郡山公演。今日は川本佐江子さんが手伝いに来てくれました。音の調整もしっかりやってくれたのはさすがです。今日は浪曲が「壺坂霊験記」これで、3年間二日づつ同じネタを読み返すことなくやって6席目。歌の方も極力違ったもの、かわったものを聞いていただこうと新ネタを仕込みました。日頃えらそうに言ってる手前もあって、上手くもないかわりにせめてこれぐらいの勉強はしなければ、というきもちです。もっとも後でテープを聴くとげんなりするのが本音ですが。川本さんにもいろいろ指摘してもらい、まあ、アカンかったところがいろいろ分かって勉強になりました。写真の着物は、この夏新調した一張羅です。
2005年10月21日
今日は僕の誕生日。この日は大和郡山の老人センター訪問公演。これは浪曲親友協会の会員が入れ替わり立ち代わり40日間にわたって訪問し、一人で浪曲と歌の一時間の慰問公演を行うというもの僕は今年で三回目。浪曲は、岡本貞子さんの三味線で、「英国密航」を35分。あと歌謡曲なんかいろいろとやりました。前日、西大和FMハイホーで川本佐江子さんが番組の中で宣伝してくれたせいか、会場は満員の盛況でした。歌のコーナーでは会場の皆さんに愛を込めてお一人お一人と握手して廻りましたが、これってすごくスタミナいるんですね。息が切れちゃいました。これやらなあかんねん、て川本さんに教えられたんですが、楽じゃありません。写真は付き人に来てくれていたちかちゃんが写してくれたものです。
2005年10月19日
一心寺寄席もそうですが、浪曲のお客さんというのは、一生懸命やっている公演には、本当に親身に応援して下さいます。此処王子町のやわらぎ会館で毎年行われる浪曲サロンは九回目。毎年楽しみにして下さるお客さんで今年もほぼ満席の盛況でした。僕もオフィスQの藤原社長の友情宜しきを得て司会やトークショーやなんやかやと毎年お手伝いさせていただいていますが、今年は、真山一郎、天中軒月子、幸いってんというメンバー。司会の僕まで御祝儀いただいたりして感激でした。終わってから、同じ奈良県でも南へ下がって西吉野村の一ノ木ダムというところのお祭りに最近コンビで仕事させてもらうことが多い川本佐江子さんのお手伝いに廻りました。もうこの時期になると夜は涼しい風も吹いて、逝く夏を惜しむ風情が出てきますね。
2005年08月28日
京都府の山奥にある和知町のふるさとまつりのバラエティショーにトークと司会で行ってきました。 和知には昨年に続いて二年目ですが、なにしろ人口六千人の町にこれだけ人がでるかというほど町民総出のお祭りで、みなさんの年中行事だけに去年も来たことを覚えてきてくださる方もあって、「淳平さんヒゲ剃ったんか、若なったで!」と親しく話しかけていただき、気分屋の僕としては、すっかり故郷に帰ったような上機嫌になってしまいました。 でも、この和知町十月の町村合併を控え、和知という名前は今年限り。兵庫県の豊岡市の敬老会も連続でお邪魔しましたが、合併でなくなってしまいましたし、「折角親しくなれたのに」ちょっとさびしいな。もっとも和知のふるさとまつりは駅の開業に合わせて始まったとかで、来年からも続けたいと、町長さんは言っておられましたが。 皆さんのふるさとへの思いがこもるお祭りにふさわしい何かと思って、四方の山が暮れなずんでシルエットになってゆく姿を見ながら、「変わらないでおくれよ ふるさとさん・・・」という歌「ふるさとさん」や浪花節なんかをやらせていただきました。
2005年08月27日
この間書いたと思ったら、もうお盆。 ここのところ暑さにバテて、トド状態です。 先週末から一心寺寄席、夜のお祭り、加えて遠方からのお客さんもあり月曜日は遂に熱射病で首が回らなくなってダウンしてしまいました。 松浦四郎若さんなんかひどいですよ。「首が回らんのはいまさらのことやおまへんがな」 あたってるだけに、何か言い返す元気もなかったですけど、ここに書いて忘れんようにしておこうと。 それはともかく、用もないのにうろうろで歩くな、ということやと思って家に篭って、貯まっている原稿に手を付けはじめたとこです。 さしあたって書かねばならんのが、浪曲台本三つ、原稿三つですが、みんな今月中とは、ちょっと無理かな。 明日明後日は浪曲教室の合宿ですから、それが明けたら一週間頑張ります。
2005年08月12日
実は実は、またぞろヒゲを剃ってしまいました。別にたいしたきっかけがあるわけじゃないんですが、川本佐江子さんにお世話いただいて奈良県至誠会の北陸研修旅行の宴会で20日21日の二夜にわたって川本さんとカップルでショーをさせていただきました。美人といっしょに歌謡ショーをやるのにどうもヒゲ面ではうさんくさそうで申し訳ないような気がしたというのもあるんですが、とにかくすっぱり剃り落としてただのあんパン顔になってしまいました。でも面白いのは、日頃会ってる人以外にすぐに気がつかないんですね。なんか感じが違うということは分かるみたいなんですが、太った?とか、すっきりしたとか、若返ったな、とか感じ変わったなとか、いろいろ思うらしいですがヒゲがないということにはスグに気づかないみたい。人間の記憶って面白いもんですね。とにかくヒゲなし顔の写真がこれです。自衛隊の小松基地を至誠会のみなさんとご一緒に見学させていただいた時の写真です。はい。
2005年07月21日
今年で二回目の平和啓発事業浪曲公演。 僕は総合進行と浪曲「英国密航」、歌「高田屋嘉兵衛」と三ポーズの出番でした。何しろ構成を自分でしたんですから、好き放題の出まくりでした。 ご祝儀なんかいただいたりして、あとで見に来て下さっていた高校時代恩師H先生からファクスで「旅役者的大奮闘面白かったです」なんて、講評をいただいたりして。 でも、H先生のもう一つの指摘には思わず襟を正しました。「あなたはスターリンがシベリヤで15万人殺したことを行っていましたが、民間人何人殺すことまで細かに計画して東京空襲を敢行したアメリカの司令官に後の日本政府が勲章を贈ったことも知っておくべきでしょう」以下はこの日の内容についての月刊浪曲の記事です。新鮮さと意欲あふれる熱演と充実の「戦争と平和」浪曲公演 七月八日八尾市文化会館で開かれた八尾市主催の平和啓発イベント「浪曲と唄で綴る戦争と平和」は、いつもの浪曲公演にない演目や出演者が新鮮で、それぞれの意欲的な熱演に観客から高い評価が贈られていた。 この催しは昨年いついで二回目。今年は戦後六十年にあたることから、大東亜戦争の終結とその原点である幕末動乱の二極をテーマに構成された。 まず長崎の原爆投下とその悲劇を綴った永井隆博士の手記を元にした新作「長崎の鐘」を歌手の川本佐江子が澄みきった美声で口演、とても浪曲初舞台とは思えないとおおきな拍手を受けた。次いで幕末維新の群像を生き生きと描いた広澤瓢右衛門の「英国密航」を芦川淳平が再現。さらに歌手の愛平祐子が歌謡浪曲「唐人お吉」を語った。最後は京山倖若が師匠先代幸枝若が三十年前にてがけたままだれも再演していない「玉砕硫黄島」に挑戦。倖若の三十年の浪曲修業の全てをこの一作に注ぎ込む気迫で取り組み、出色の出来栄えとなった。全部で二時間弱。緞帳を下ろさず効果音と照明を駆使してのスピーディーな展開に浪曲に普段なじみの薄い観客も退屈することなく舞台に引き込まれていた。
2005年07月08日
ひとフシ会の定例稽古日です。 難波歌舞伎座裏の同想会の二階を借りてやってますが、未だ冷房がつかなくて昨日の暑さに茹だるようでした。 坂本ママが、冷風機に氷をがんがん入れて冷やしてくれてるんですが、なにしろなにわぶしはそれでなくても熱と力、熱気むんむんでした。参加したのは、春野美恵子さん、鈴木美恵子さん、名前も同じならネタも同じ「天狗の女房」というのは何かのご縁でしょうか。 薩摩琵琶の加藤さんは、澄んだ高音を活かして酒井雲さんの「坂崎出羽守」、もう独演会までやってすっかり自信をつけた龍田虎造さんは次の外題「為五郎の悪事」がもうできあがりました。 そして、川本佐江子さんは「長崎の鐘」の最終調整をたっぷり。 一時から六時近くまで予定を超えてたっぷりやっていただきました。 僕らは適当に下の涼しいところは避難していましたが、ずっとサウナにこもりきりの松浦四郎若さん、岡本貞子さん、ほんとにお疲れさまでした。
2005年06月26日
川本佐江子さんとのジョイント慰問二回目は、橿原市金橋公民館のふれあいサロンでした。 都祁村と同じパターンですが、今回は僕が緊張しっぱなし。というのもこちらの地区民生委員でこのサロンを主宰しておられる亀井さんは、関西学院の大先輩とのこと。川本さんのご贔屓で追っかけのたこ焼きチェーンのオーナー小西さんも同じく先輩。お世話下さった竹村さんは、元新日鉄の偉いさんですが、わざわざ東京の御用を切り上げて駆けつけて下さったとか。どうもこういう所は、はったりが利きませんからやりにくいですなあ。 竹村さんの奥様の手作りのマドレーヌをお土産にいただいてほうほうの体で帰りました。
2005年06月25日
今日は奈良県都祁村(今は奈良市都祁になってるそうですが)の老人福祉施設すずらん苑に慰問公演に行ってきました。 これは、この日記でもリンクしている歌手の川本佐江子さんのご贔屓の方が理事長をなさってる施設です。 七月八日プリズムホールで浪曲「長崎の鐘」を口演して浪曲デビューする川本さんが、舞台のリハーサルをかねて慰問させていただくことになったもので、僕はその引き立て役として前座を務めさせていただきました。 途中の音出しがスムーズに行かなかったこともあったのですが、さすが歌手で舞台度胸満点の川本さんだけに、少しも慌てることなくとても初舞台とは思えぬ堂々たる一席でした。 ご本人はとても緊張したそうですが、誰の目から見てもうそ~、よく言うよ、てなもんで、厚かましさだけが取り柄の僕もすっかりのまれてしまいました。 実は明後日25日も橿原市の公民館ふれあいサロンで口演することになっていまして、一つの舞台にかける彼女の熱意あふれる取り組みには本当に敬服します。 万事なりゆきまかせの僕など、反省することしきりです。
2005年06月23日
14,15の両日東京へ行ってきました。 七月八日、八尾プリズムホールで「浪曲で綴る戦争と平和」という催しを開くに当たり、どうしても一度英霊の御霊にご挨拶をしておかねばと迫られる思いで靖国神社にお参りしてきました。 250万の戦死者の御霊に感謝と哀悼の頭を下げていると絶えることなく遺族の方々の参拝が絶え間なく続きます。戦争の犠牲者は決して軍人だけではないんだ、一億の民こぞって国を守るために戦い続けた20世紀だったんだ、との思いを改めて深くし、先人の苦難の日々に敬意を表さずにはいられませんでした。この感慨を舞台の企画に少しでも表現できればと思っています。 また参道には大村益次郎の碑がスックと聳えています。当日僕は長州五傑の英国密航の浪曲をやろうと思っていますのでその感慨もひとしおでした。 それに、14日は月こそ違えど義士討入りの日、これも何かのご縁と日頃お世話になってる赤穂浪士の墓所泉岳寺にもお参りしてきました。仕事以外でゆくことの少ない東京でしたが、久しぶりにすがすがしい気分で帰ってきました。
2005年06月16日
以前から日記ページを作るたびに、ひと月と持たないズボラ癖にあきれられること通り越して、まあ年にいっぺんぐらいは書きや、なんて揶揄されていました。にもかかわらずまたぞろ開店です。これは、わたしどもの浪曲教室「ひとふし会」の仲間で歌手の川本佐江子さんが、「SaechanのRokyokuアラカルト」というブログを開いたというのを見に行って、ごそごそしてるうちに登録してしまったようなわけで全く先の展望があるわけでもありません。せやから、先に断っときます。あんまりあてにせんといてね。とりあえずズンベラボンではカッコつかないので、いきさつだけ。最初から泣き言言うてるようではアカンかな。。
2005年06月13日
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