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関高校の場合、入学者のレベルがかなり幅広い。たぶん田舎ってこんなもんなんだろうけど。上は東大京大のような子(数人だけど)から、下は短大にも入れないようなのまで同じ制服を着ているのが田舎の進学校の特長だと思う。うちの塾からもすれすれで入ってるようなのがいるけど、こういう子に部活を勧めるのはぜひやめていただきたい。ぶっちゃけ、一次関数もろくに出来ない子がこれから4STEPやら青チャートやらやらなきゃいけないのに、しかも12月には数2Aに入るペースなのに、部活なんてやってる暇ないでしょ。こっちがさんざん入学前に「きみはね、点数が他の子より下なんだから、部活とかやらないで勉強に集中しないとあっという間についていけなくなるよ?」って話をして、本人も十分にそれを自覚して入学してるのに、なにが「陸上部に入って欲しい」だよ。学校の先生は生徒の進路がどうなろうと知った事じゃないかも知れないが、自分の楽しみ=部活指導のために生徒の将来をねじ曲げるってどうかしてる。
Apr 17, 2010
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テストのあとなんかに保護者面談をするんだけど、最近は極力講師の人にも入ってもらったり、任せてみたりもしている。自分の負担を減らすとかってのはそんなに意図としてはなくって(面談は好きなので)、保護者の方ときちんと話をしてもらいたいってのが一番大きい。良かれ悪しかれ、子どもたちは親の考え方に基づいてずっと育ってきている。それが分かっていないと、こちらの考え方と親との考え方が食い違っていて、こちらがよかれと思ってやったことが裏目に出るようなことになったりするのだ。たとえば端から見れば「何でこの子はすぐ投げ出すんだろう?」という場合、ほとんどの親さんは「だからあと一歩、少し力ずくでもやらせてみる、結果が出て喜べば意欲向上に役立つ」みたいな考え方に賛同してくれる。でも、そうでない親さんもいる。「うちの子は打たれ弱いので・・・」とか。そう言う親さんの考え方がいいのか悪いのかは別として、実際そういう風で育ってきている子に他の子たちと同じ対応をするとうまくいかないのも当然である。普通の子にとって普通のことが、その子にとっては異常なことなのだから。その辺りが分かると、一人一人の「伸ばし方が違う」と言うことが分かってくる。「今のこの子には、これを言ってもダメだな、違ういい方しなきゃ」という感じ。保護者面談にはそう言ったところを親さんとのコミュニケーションのなかできちんと分かっておくという重要な意味がある。あ、でもこれは本題ではなくって。保護者面談というのは、忙しい保護者の方にわざわざ時間と労力をさいていただいて、来ていただいているもの。そのあたりの考え方が、特に業界になれている人には希薄な気がする。慣れているといえば慣れているのかも知れないし、ほとんどの場合、気づかれることはないと思う。特に大手塾から変わってこられた生徒さんの場合、面談を長時間やるだけでも感謝されたりする。こちらからすると、大事なお金を支払っていただいて、大事なお子さんを預けていただいているんだから、話をするのに30分やら1時間やらかかるのは当然なんだけど、それでも「長時間丁寧に話していただいた」などと感謝されたりするから「なんだそれ~」って感じなんだけど。ともかく、そう言うわけで来ていただいただけのことは持って帰っていただかなければ行けない。そんなことは当たり前なんだけど、この当たり前がなかなか難しい。僕自身は普段面談するときに、次のようなことに気をつけている。・お子さんの現状を包み隠さずお話しすること。どのレベルのあるのか、具体的な問題を示したりしながら。『このあたりのページは学校レベルですが、全く問題なくできますね、おそらく学校ではほぼ100点じゃないですか?でも、次のこういった問題、これなんかはレベルの高くない私立中入試くらいの問題ですが、こうなってくると手が出ないですね。でも、先日、こうこうこういった具合に説明したらすぐ理解してくれて、すぐできるようになったので、この付近の問題に関してはどんどん与えていきたいところですね。』・塾として、具体的にこの子に対してこれから何をさせて、どういったレベルまでを考えているのか。『基本的な計算とかのレベルはそんなに力入れなくても良いですので、文章で2~3行くらい書かれている物、私立中入試の簡単なレベルの問題なんかを多めにやらせていこうと思います、公立中に進学したあと、たとえば○○高校の辺りをターゲットに今だと考えていきたいですね。』・塾ができる事をきちんと示した上で、さらに親さんにもどういったことを考えていて欲しいか、何をさせて欲しいか。『塾でも宿題がありますが、たぶんまだ余力があるでしょうから○○社の○○問題集なんかをできたら買って与えてあげてみてください。質問なんかは塾に持ってきていただいてもOKですので、定期的に自習室に来て、○曜日は○○問題集をやる日って感じで決めていただけるとご負担もそれほどなくて、勉強の習慣づけになりますよね』とかなんとか。とにかく具体的かつ詳細に。そして親さんたちは、子どもたちの将来を見ている。僕らはさらにプラスアルファで、親さんの考え方、立ち位置、そう言った現状にまで思いをはせながら、一緒に子どもたちの今と将来を見なければいけない。それができないんだったら、面談をする意味がない。
Jan 16, 2010
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たとえば「こんな塾にしたい」という自分の理想の姿があったとして(これは別に塾という商売に限らないんだけど)、その姿を最初から貫き通す方がかっこいい。のか、どうか。「これが理想だ」と思い込んでひた走り、あるとき世間に認められ(?)、生徒が増えたとすると、「信念の人ですね」とか言われてかっこいーってなるんだけど、それはタダの博打または頑固であって、かっこいいとはちょっと違う気がする。僕がやっているのは塾なので、僕の「塾の理想」という物は当然ある。それが今の開智塾に当てはまっているかというと、そうではない。それは努力とかそう言う次元の話じゃなくて、「今、それをやる時期じゃない」からだ。あるときそんな時代が来たら、そのときにはそれを実行する。その「におい」を常に感じ取れる鼻を持っていられるかが大切なんじゃなかろうか。時代に限らず、かぎ取らなきゃいけない「におい」は他にもあって、それをかぎ取れないと一生浮かばれない類のにおいもある。一瞬で即死ってのはなかなかなりにくい商売ではあるけれど、じわりじわりと迫ってくる「におい」に敏感にならなきゃいけない。でないと、良いにおいも悪いにおいも逃すことになる。かぎ取る鼻は悪くない方だと思うんだけど、時々詰まるんだよな~。
Nov 13, 2009
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塾をやっていると、お客さんである生徒に対して厳しい対応を取ることがある。普通の商売じゃ考えられないけど。大手の塾だとよほどのことがない限り厳しい対応は取らない(だから大手なのかも)。でもうちみたいな小さな塾だと、「生徒を集める」という会社として当たり前の目的達成のためにとる手段が大手と同じではやっていけない。「甘いから」「楽だから」「宿題がないから」という理由で生徒を集めるのとは違うことが当然必要になる。・・・といえば経営者っぽくてかっこいいけど、本質はそうじゃなくって、単に自分の信念がどこにあるか。そこなんだけど。僕は少なくとも生徒の成績を上げること、大学に受からせることがこの仕事をしていく上での信念と考えている。それには僕一人の力じゃ足りないから人を雇うし、塾の授業だけじゃ足りないと思うから宿題も出すし、甘いだけじゃいけないから厳しくもするし。そしてそれをよしとしてくれる方が世の中の多数だと思うから、多数の人に知ってもらうように宣伝広告には力を入れるし、マーケティング的スキルを勉強している。でも先に挙げたような信念を曲げてはいけない。話がそれた。昨日は高校に入ってからダラダラ(を通り越してわがまま放題)の高1を怒った。小学生の時から知っていると、今この瞬間の彼の様子が、彼の本当の姿ではない事が分かってしまう。もし、高校生になってからの彼の姿だけを見ていたのなら、「こんなやつはだめだ」って突き放してしまうことになっただろうし、その方が簡単だと思う。なんと言っても気が楽だし、怒ることで波及する周りへの悪影響もない。他人に迷惑をかけるならそっと退塾してもらうだけで解決しているはずだ。でも、何年も見ていると、やっぱりそうじゃないと思う。基本的に勉強なんてしたくない。嫌い。部活の方が楽しい。表面的な部分をとらえればひょっとして進学校に向いてないんじゃないか?と言った方が早い。でも、育ってきた環境、ご両親の思い、兄弟での関係、高校に入ったときの成績、学校での立ち位置。いろんな事を考えると、「でもやんなきゃいけない、それはわかってる」「でもどーしていいかわからん」という狭間に立たされて苦しんでいることが痛いほど分かる。それは時に他者への粗暴な態度として表れたり、授業中の集中力のなさとなって他の子に話しかけるという行為につながったりもするけど、だからといって彼がこれまで何年もかけて積み上げたことの集大成ではない。波のように、上に行ったり下に行ったり揺れながら成長していくんだけど、今はその「下」の時にあるに過ぎない。ほっとけば、きっといつか波が上に来ることがあるってのも分かる。でも、少なくとも受験に関しては時期が決まっている。そこから逆算して今の成績を考えて、ってやると、今、なんとかしないと間に合わないというのも見えてくる。本当ならそれを「怒る」という手段以外で伝えられるようにしたい。そのスキルが自分にないのがつらい。
Nov 7, 2009
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ほんの一瞬で「お、こいつスゴイ!」って分かるもの。HPとかなんとか、システム?制作の会社に発注したんだけど、スタッフがなかなかスゴイ。ついでに塾のロゴも作ってくれることになったんだけど、最初に出てきたイメージが全然違っていた。もろ、好きじゃないイメージ。これはいかんと思って>ロゴについては、3つから選べと言われればBですが、>デジタルぽいというか修悦体ぽいというか、>ちょっと個性的すぎる気がします。>シンプルで頭が良さそうな雰囲気で押したいと思いますので>そのあたりご考慮いただければ幸いです。これだけの返信メールを送りました。ロゴ制作を担当している方は面識のない方なので、もちろん既に色々お話をしているスタッフのかたの助言があったとは思いますが、たったこれだけの返信メールで出てきたのがその後、ちょいちょい修正を加えて3日程度で完成。たったあれだけの注文から、イメージにフィットする物をスパーンと出してくる能力の高さに脱帽。デザインのセンスが良いなんてのはプロとして当然のことで、いかにお客さんの意向にあう物を、お客さんの期待以上のクオリティで出していけるかってのが価値。そのアタリをきちんと分かった人だな~ってのが感じられる。こういうのって一瞬の勝負なんですよね。
Oct 14, 2009
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経営のこととかは書こうかしらん。今期は忙しい!
Oct 11, 2009
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自分のストレスになるから、というのは大きな理由としてある。成績が悪いにもかかわらずろくに勉強もしない。いや、それはそれでいいんだけど、調子よく点数をとって何とかその場を誤魔化して切り抜けようとするのがイヤだ。勉強しないのが悪ではなく、努力する気もないのに果実だけうまくかすめ取ってやろうという魂胆が悪なのだ。世の中には、そう言う子を叱咤激励して何とかすることが楽しくて仕方ないという塾の人もいるらしいけど、僕は違う。やりますとかがんばりますとか次こそはとか本気で言ってるのかそうでないのか、一目で分かる。つーか、その場にいなくても「あー、いつものあれな」とかまぁわかる。それ以前に、本気になってるヤツは意外にそう言うことを言わない。関高の高1、期末で400点切ってる子とかは、どうかしてる。800点満点でしょ?普段の様子を見てても邪魔しかしてない。そろそろ考え時かも知れない。意外に塾生のお母さんがここを見ているという事を意識して書いてみました。
Oct 6, 2009
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絶対に、周りが見えなくなる。誰かも言ってたけどその通りだと思う。毎日塾のことばかり考えていると、塾の世界だけしか見えなくなって、それが自分の世界全て・・・のうちは良いんだけど、ひどくなると世界が自分の周りにしかないような錯覚を起こす。いつも思うんだけど、「うちは周りでこんな評判です」とか、「こんな塾だと思われてます」というのはほとんど妄想で、実態は「周りの人は何とも思ってない」または「存在すらしらない」というのが正しい。たとえば100均のお店一つ挙げて?って質問すると、世の中の99%以上の人が「ダイソー」と答えるはずだ。残りの1%は、たまたまSHOP99の隣に住んでいる人だけだ。実際の売上は、ダイソーが3000億強、SHOP99が1500億(ざっくり)、2倍の差なんだけど、認知度ではもう99倍違う。塾業界にどっぷりつかってしまうと、「うちは業界では○○と思われている」とか思っちゃいがちなんだけど、それは危険だ。それはそれで正しいのだけれど、一歩外に出るとその認識が通用しなくなってしまう。だから、塾のことばかり考えていてはダメだ!ではない。んなのは遊んでる人の言い訳でしかない。塾のことばかり考えながら、「無意識な一般」の視点を忘れないという事が大事なんだと思う。
Sep 20, 2009
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今回、とある業者さんとおつきあいすることとなった。んが、こっちの雰囲気でそう思ったのか、もんのすごいフレンドリーというか、友達感覚。それがさらに悪い方に進んで、ルーズになりつつある。まだ20代の人だから仕方ない・・・とは思わない。同世代で色々な面の感覚を共有できるひとと仕事をしたいと思うが、だからといって一線を簡単に踏み越えてしまうような人は困るな。長いつきあいになるからちょっと変えてあげないとどっかで失敗するんじゃないかと心配になりつつ、それ以前にうちがダメージを受けるようでは困るので厳しめにしていこう。このあたり、育伸社の近藤さんはさすがだった。あの人はとても良い。←分かる人には分かると思う。
Sep 19, 2009
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かいち塾では、授業の座席を基本的に自由にしている。ま、なんだかんだ言って、あとあとくじ引きで変えちゃったりするんだけど、クラス替えしたときなどは「いいよ好きなところで」って感じになる。そうすると、中2~高1くらいの男子が一番後ろの席に座ったりする。これはダメ。自ら進んで後ろの席に座るのは「前向きに授業を受けません」という態度の表明として受け取る。座席に関しては「うちは指定席だから」という塾も多いと思うけど、他にはこんなのもある。たとえば宿題を多めに出したときに「え~」とか。「うち、馬鹿やでわからんもん」とか。この辺りは多いんじゃないかな?ま、素直な反応と言えばそうなんだけど、実はこんなのを「当たり前」にしてはいけないと思う。素直な、当然の反応だけど、それを認めるわけにはいかない。そしてそう言うことを言う子というのはたいてい決まっていて、全ての場面においてネガティブな発言を繰り返したり、態度が悪かったりするはずだ。塾内の空気をよくしたいなら、こういった子を真っ先に何とかしなきゃいけない。かといって、そのたびごとに怒鳴ったり(昔はそうでした)ってのもアレなので、たとえば座席なんかは「よし、一番後ろに自分から座った○○は、これを期待してたんやろ?よしよし、そのまま一番前においで、よーしよし」まるでムツゴロウ(あっちの)。塾なんて動物園みたいなもん・・・と言った人がいたが、果たしてそうかもしれない笑
Sep 15, 2009
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すったもんだあって(何も解決してないってかこれからが本番だけど)色々止まっていたかに見えた当塾ですが、実は着々と色々な事が進んでいます。脱サラして塾を始めて6年が過ぎ、経営者を意識するようになってから4年が過ぎ、これまでで一番大きな変化がこの半年でありました。この先の半年もまた大きな変化があります。さて、新店舗はどうなるか。楽しみ。今後の展開のための試金石。
Sep 14, 2009
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最近の生徒たちは、ちょっと厳しいことを言うとすぐやめてしまうと言われるんだけど、確かにそう言う面はある。保護者の方との信頼関係がきちんとできていればかなりの部分回避できるけど、それでも「うちの子がどうしても行きたくないって言ってるので・・・」という理由でやめてしまうということはある。そうすると生徒の言い分を聞いて妥協したり、ゆるめたりする部分が出てくるわけだけど、当然のことながら何でも言うとおりにしていれば良いってモンじゃない。塾の存在意義が生徒の安楽にあるならそれも良いけど、少なくともうちみたいに成績で売ってる塾の場合は、「成績のために」生徒に生活指導的なことをしなければいけない部分も出てくる。(あくまでも成績に影響するような部分限定)僕がもっとも注意しているのは、靴をそろえる事、遅刻しないこと。この二つは絶対。他にも気にかけることは山ほどあるんだけど、注意レベルを下げている。とにかくこの二つに関しては注意度MAX。靴をそろえていれば成績が上がるワケじゃない事は分かっている。確かに成績が良い子にきちんとしている子が多いのは事実だけど、それはしつけとか家庭環境の問題であって、塾でしつけをすることが成績の第一歩!という事が言いたいんじゃない。大事なことは、「講師の言うことに、問答無用で言うことを聞かせる場面を作る」と言うことに尽きる。勉強の習慣やら授業態度やらってのは、ある程度その時々の雰囲気や生徒の個性に影響される場面が多い。授業中が賑やかになるけど、勉強にはめちゃくちゃ真剣に取り組んで成績が良いってことは実際にあり得る。こういったときに、「何が何でもうちの塾は授業中の私語は認めない」なんてのはナンセンスだ。ここら辺はクラスの雰囲気を優先して、すなわち、生徒に対して妥協する事もあって良いと思う。ただこうした「妥協」は、講師が複数いて、塾が会社として動き出すと、「個々の判断で」という訳にはいかなくなってくる。講師ごとに判断基準が異なるし、「全く注意ができなくてコントロールを失う」事になってしまうのは火を見るよりも明らかだ。こうした部分については、実は「生徒が暴走するかその一歩手前で止めるか」という視点で見ると、講師の教育をする事以上に対応しやすかったりもする。つまり、講師に対して「私語が多すぎないように微妙なさじ加減を身につけましょう」という指導をするのは困難だけど、「とにかく靴をそろえる事と遅刻しないことに関しては問答無用で言うことを聞かせてください」というのは簡単なのだ。で、この二つを徹底させることで全てが解決するわけではないが、二つの大きな効用が生まれる。一つは、生徒の側に変化が出てきやすいという事。つまり、「問答無用でこの先生の言うことを聞かなければいけない場面」があることにより、「先生に従う」という事が自然とすり込まれるのである。それでも生徒たちはしたたかに講師の個性を見て、怒られないギリギリの線を攻めてくるわけだけど、その「ギリギリの線」のバーが少しずつバーが上がっていくのだ。もう一つは、講師の側に「生徒に言うことを聞かせる訓練」ができるという事。私語の注意などは、気の弱い講師なんかだと、注意できないことを「これくらいはまだ大丈夫」という言い訳にすり替えたりしがちなんだけど、「靴をそろえさせる」と言うことに関してはごまかす余地がない。「そろえさせろ」と言われたら、そろえさせるしかないのだ。何が何でも生徒に言うことを聞かせなければいけない。この二つの相乗効果によって、生徒は「好き放題に暴走する」と言うことがまずなくなってくる。そして自然と講師-生徒両者に、上下関係がすり込まれていく。ポイントは、「それを守らせることに理屈が必要ない」というところだ。こういった場面をいくつか用意しておくことは、集団をコントロールする上では必要なことだと思う。
Sep 10, 2009
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よほどの天才でない限り、好きなことを好きなだけやるってのはなかなか難しい。ココで言う「天才」ってのは、才能云々よりも、「ふつーならそこまで我慢できないだろ」ってところまで信じ切って貫いてやり続ける人。商売なんかでは特にそうだけど、自分で正しいと思っていることが必ずしも世の中に受け入れられるとは限らない。そんなとき、1.世の中に広める努力が足りない2.自分が世の中からずれているどちらかを考えると思う。でも天才は違う。1でも2でもない。かんけーない。自分がやりたいことをひたすらやり続け、それがたまたま受け入れられた時代に「天才」と評価される。それが生きているあいだならピカソだし、死んでからならゴッホ。自分がそんな天才ではないと自覚している僕は、とても天才のような暮らしは出来やしないので、ある程度計算をしなければいけない。自分が正しいと思うことをやり続けるために、他方でうまくお金を稼ぐという事。または、お金を稼ぐ方法を自分のやりたいことへと近づける努力をすると言うこと。たとえばサザンやミスチルは、ヒット曲とそうでない曲を非常にうまく使い分けていると思う。馬鹿売れする曲を作る一方で、アルバムには「そこまで売れないことは分かってるけど是非やってみたい」というのを折り込む、みたいな。(個人の意見)塾の授業内容で自分の人生観を語りたかったら、それを聞いてくれるだけの信頼関係を築いておく必要が有る。きちんと点が取れる、この人の話を聞かなきゃ、と思わせるような。経営も一緒なんだろね。まず土台がないと新しいことは出来ない。
Aug 20, 2009
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公式ブログの方には→目が悪いので見えませんという記事をポストしたんだけど、高校生で出来ない子ってのは、能力ではない部分の弊害があると思う。そこそこの進学校に入ってきた子ってのは中学の時はそこそこ出来ていたわけで、でも高校に入ってから膨大な勉強量をこなせなくて成績が落ちちゃってるパターンがすごく多い。そうなってこりゃ、そりゃヤル気もなくなるわなぁ。ヤル気ないやつはくんな!といって切り捨てるのは簡単だけど、彼はその後どうするのか。きっとヤル気のないまま、親に連れ回されて塾を転々と・・・通信教育にも手を出して・・・なんてのが見えてくるわけだけど、それじゃいかん。なんとかしてやらないと。ビジネスは人と人との関わりで成り立っている。いろんなシステムを作ることは必要だし、やって当然のこと。そこにどれだけ、自分の信念、情熱を組み込んでいけるか。おのおのの講師の熱い部分をどれだけ発揮できるように、生徒たちに伝わるようにしていけるか。それが大切なんじゃないか。器用に作った金を吸い上げるだけの組織じゃあ、お客はだませない。消費者はそこまで馬鹿じゃない。つーか、そんな商売やってて楽しいか?楽しいと思う人はひたすらそれをやればいい。でも、情熱がきちんと形になった人には勝てないよ。情に流されるんじゃない。情を捨てずに、きちんと形にしていく。そしてお金にしていく。笑顔と共に。これでしょ。
Aug 3, 2009
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自分の周りを見れば良い、というのは至言だと思う。自分の周りにはろくなやつがいないと思っている人は、自分のレベルが高く周りが低いと思いがちだけど、実際はそうじゃない。レベルが高い人には高い人が、低い人には低い人が集まるようになっている。当たり前だろ。大人は合理的に生きている。本能的にかどうかは人によるけど。
Jul 30, 2009
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塾では「覚えておいてね」とか「これとこれは絶対に必要だから忘れちゃダメだよ!」という表現がよく出てくる(ような気がする)。これは学校では意外に少ないんじゃなかろうか。理由は二つ。一つは、学校では勉強自体を「覚えてなんとかするもの」という発想ではないということ。もう一つは、そうはいっても、時間が(塾より)潤沢にあり覚えるための時間がある、ということ。塾の場合は、一つの教科に対し週1回とか、結構時間が限られてくる。それだけに、得点アップを目的とした効率の良い指導が必要になるし、生徒や保護者もそれを求めてきている。そうなると、得点アップのために覚えなければいけない部分も出てくる。こうなってくると、「覚えておこうね」という表現を使うような場面が出てくることになる。でも、学校の丁寧な指導や繰り返し練習でも出来るようにならなかったような場合に、果たして塾に来て「覚えておこうね」で覚えてくれるかというと、それは無理。そもそも「覚えておこうね」で覚えてくれるような子たちは、最初から成績が良いに決まっている。それが出来ないから塾に来ている部分も多々ある。そこそこ成績の良い集団となった今でも、やはり「あれ?これ覚えてないの?」という事はよくあるし、一度は覚えたけど忘れちゃったなんてのも仕方ないこと。塾は点数や合格が売りであることを考えれば、「覚えておいてね」というのは塾講師としての敗北である。その先、いかにして覚えさせるか、いかにして出来るようにするか、それが塾講師の仕事なのだ。だから当塾では覚えることも、きちんと授業時間内にとるように講師に指導することにしている。「覚えなければいけないよ」「これから覚えるからね」「覚えるために・・・」「覚えた?確認するからね・・・」この辺りがきちんと出来るようになって初めて、塾での指導に意味が出てくる。乱暴ないい方をすれば、生徒たちは「理解したくて」塾に来ているんじゃない。「点数が取りたくて」塾に来ている。これは成績が良い子も悪い子も同じだ。それぞれのステージに合わせて、「点数を取らせる」指導が出来るというのが塾講師の努めなのだ。・・・理解させることを放棄するという事ではないので念のため。
Jul 30, 2009
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美濃校の高校生は、靴をそろえない。しつけが云々、偏差値が云々言うのは簡単だけれど、そもそも生徒が自主的に靴をそろえてくれることはあまり期待していない。もちろんそうなってくれれば(というか、そう言う子たちが来てくれれば)うれしいんだけど、生徒たちがどんな子たちなのかということと、実態として靴がそろっているかどうかは全く別問題。一言で言ってしまえば、美濃校の高校生担当講師が悪い。そして、靴をそろえる指導をすることをさせていない僕が悪い。それだけ。生徒の生活習慣やら何やらは、そもそも最悪の状態を想定すべきであって、ならばどうするかということを塾の造りとしてきちんとしておかなければいけない。靴をそろえるなんてのは些細な事だけれど、講師一人一人が一見授業には関係ないようなところまで気を配っていけるようでなければいけない。経営者としては・・・靴がそろえられているかどうか、抜き打ちでチェックしつつ、その結果を査定に反映させるということなのかな。
Jul 29, 2009
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チラシを出していません。毎年とりあえず出してはいましたが、集まらないので。夏は大手様が大々的にチラシを打って、無料とか激安講習をするから、そっちへ流れてる・・・と思いきや、別にやめていく人もほとんどいないので、まぁそう言うタイミングなのかもしれません。塾をかえるのはどういうときかって考えれば、まぁ夏は動かないだろうな、と思うので募集はしないことにしました。ただクラスを増やす告知はブログでしたので、数名入ってきている感じです。ありがたいことです。募集コスト0ですから。
Jul 11, 2009
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過去色々な人の授業を見学させてもらって、あー教えるのうまいなー!って思った人は何人かいるけど、そう言う人に限って「うちは教務が売りなんで」と公言しない。自分から言っている人はあまりうまかった記憶がないかな。そもそも、教務ってのが何を指しているのか分からない。授業の時の声の大きさ?板書のうまさ?教えた事によって点数が上がるってこと?なんかどれも合ってるようで合ってないようで。テストの点を取らせるって事で言えば、期末テストでは何が出るかを把握していて、「これがでる」ってのを訓練すれば誰でも点数なんて上げることが出来る。それは言ってみれば生活雑貨を売っているのに近いと思う。生活必需なトイレットペーパーを売るのは当たり前の話であって、それがおいてあることをもって「うちの店はお客さんのニーズをとらえている」とは言い難いと思う。もちろん、「どこの店よりもトイレットペーパーがたくさんそろっていて、こんなのだって当然全部手に入るぜ!」ってくらいなら話は違ってくるかも知れない。または、「トイレットペーパーだけじゃなくてその他色々な生活雑貨は全て取りそろえてます」って事であれば、かなり多くのお客さんを抱え込むことが出来るだろう。でもそれは大手様がやってらっしゃることであって、僕らのような弱小が真っ向勝負することじゃない。量販店には勝てない。思うに、「教務がいい」と言ってるうちの大部分はこの感じなんじゃなかろうか。 いや別に具体的にどこがどうという事ではないです。 スクールマックスの二階堂先生なんかはホント授業う まいですし。1回受けさせてもらっただけなのに未だ に印象が鮮烈に残っています。少なくともかいち塾の場合は生活雑貨を一通りそろえてます、的なお店ではないようにしたい。トイレットペーパーが並んでいる事を持って「どうだ!」と自慢することにはならない。きちんとある意図を持った方々を対象として、その方々をきちんと満足させる事を第一義として(というかそれ以外は排除して)やっていく。それは月謝の設定とか授業時間の設定とか、テスト対策で何をやっているとか、そんな些末な部分だけをまねる人には全く理解出来ない領域だと思う。 料金をうちよりちょっとだけ安くするとか、 授業時間を10分だけ長くするとか、そんな 猿真似ではダメですよ、っと。そんなのは 枝葉なんで。時々生徒伝いに耳に入ってくるけど、「成績がいい子だけを集めて点数を自慢して悦に入ってる」なんて近隣の塾の方に言われているのも知ってるけど、その指摘も当たらない。そう言う話を聞くたびに「ん~、レベルが違うな~」って思ってしまう。というか、ねたむんだったら成績がいい子だけ集めてみればいいのに、と思う。でもきっと、そう言う人のところには成績がいい子は集まらないだろうし、来てもすぐ抜けていくんだろう。抜けなくても、成績をきちんと伸ばしてあげることが出来ずに、大学のランクを上げてあげられないとか、浪人させてしまうとか、そんなオチなんじゃないかな。かいち塾に成績がいい子が集まってると思うのであれば、「なぜ集めることが出来たか」「なぜその子たちがやめずに通ってきてくれているか」をよく考えた方がいいと思う。チラシの書き方やブログの内容ではない、字に現れない本当にたくさんの細かい「何か」がある。そして断言してもいいが、それは授業のうまさではない。どちらかというとそれ以外の比重の方が遙かに大きい。もっと言えば、いわゆる「授業のうまさ」なんてのは、その層には求められていない。と思う。
Jun 28, 2009
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たとえば勉強時間。保護者の方に、「中学生で1日3時間くらいは必要ですよね~」という話をすると、当然のように「うんうん」となる方と、「え~!そんなにですか??」という方に分かれる。誤解を恐れず言うなら、「うんうん」タイプの方は、ご自身が高学歴の場合が多い。「え~!」という方はそうでない方が多い。それは良い悪いではなく、知っているか知らないかの違いだから仕方がない。でも、名古屋大学に入りたいということならそれは教えてあげなきゃいけない。塾業界の人から、「長時間勉強するよりは、短時間で集中してやった方がいい」なんて話を聞いたりすると、「あー、この人はそのレベルなんだな~」と思う。それも良い悪いではなく、その人のレベルがそこにあるのだから、そう言った子を相手するのがあってるんだろうな、って思うんだけど、僕には分からない。高校1年生とかに面談したりすると、最初はみんな「名古屋大学に入りたい」って言う。でも中間テスト、実力テスト・・・なんてやっていくと、次第に志望校が下がっていく。色々聞いてみると、「1日の勉強時間は3時間で・・・」なんて。いや、そりゃ足りないよ。全然。それで「僕は馬鹿なんで・・・」って言われても。そこで志望校を下げさせないようにするにはどうしたら良いか、それが大事。どんなすばらしいテキストを持っていたって、どんな有名な問題集をやっていたって、名古屋大学に入るのに1日3時間では足りない(それで十分だという天才は黙るように)。だから今興味あるのは、「1日5時間を一生懸命やる方法」であって、「だらだらの長時間がいいか、短時間の集中がいいか」なんてレベルの低い二者択一はちょっと蒙御免。短時間集中でいける程度の大学を目指すならそれでいいかもしれんけどね。
Jun 22, 2009
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たくさんの方に支えていただき、今回は本当に感謝の言葉もありません。お世話になった方々、ありがとうございます。まだまだお世話になりますのでよろしくお願いします!そう言うわけで、講師の採用をチャキチャキ進めています。今月だけで既に3人内定にしました。まだ欲しいと思う方が2名ほどいらっしゃいます。条件さえ合えば採用するつもりです。今年は色々投資の年です。不況万歳。
Jun 15, 2009
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ご無沙汰です。ビルを買い取る話はいっこうに進みません。というか内容的に書けなくなってきたので放置。まいっか。/////////////講師の採用をすすめています。生徒を集めるのも講師を集めるのも根本は同じ。こんな当たり前のことに何で気づかなかったのか。/////////////塾のお客さんは誰?塾の商品は何?どちらも塾業界では勘違いしやすいテーマだと思う。塾のお客さんはズバリ生徒・・・ではない。親だ。個人事業の時代から、生徒をお客さんと思ったことは一度もない。生徒は、本当のお客さんである親の「分身」だ。塾は親が周りの評判を聞いて、広告を見て、分身(子ども)の意見を聞いて決めるものだ。だから、変に子どもに迎合してばかりとか、逆に親になったつもりで教育的指導をしたりするとうまくいかない。 時々、自分の生徒をまるで「我が子のように」怒鳴りつけました的なブログを 見たりすると、生徒がかわいそうにと思ってしまう。親は自分の子どもをそんな 怒り方しない。いや、親が甘いとかじゃなく。親の怒り方とは視点も仕方も違う のだ。ま、それはともかく。塾のお客さんは親である。特に母親。もう一つ、塾の商品は授業・・・これもよく聞かれるが、ちょっと違うと思う。少なくとも僕は授業が商品だと思ったことはない。授業を商品だと思うと、見た目きれいなパフォーマーが売れる(おもしろい予備校講師とかそんな感じ)のも頷けると思うが、実際はそうではなくて、塾の商品は点数である。お金を出して、次の期末テストの点数を買ってもらっているのだ。(志望校の合格と置き換えてもいい)だから、お金を出したのに思った点数に行かなかったときに退塾が発生する。「買ったはずの点数が手に入らない、こりゃ詐欺だ」となるわけだ。授業が商品なら、別に点数なんてどーでもいいはず。ま、極論だけど。授業がどうでもいいって言いたいワケじゃなく、授業は「点数のための一つのツールに過ぎない」と言うこと。だから、方法は他にもあるわけで、集団塾的な授業でも個別でも家庭教師でも、それこそパソコンソフトでも点数が上がりさえすればいいということになる。その意味に於いて、塾の本当の商品は授業ではない。あくまで点数なのだ。しかし現実には、どんな方法だってどんな塾だって、上がる子もいればそうでない子もいる。上がる子がたくさんいた方がいい塾なのは確かだが、開智塾のように平均点が上がりきってしまうとなかなかこれ以上点数が上がると言うことも難しくなってくる。「点数が上がりました!」というのは裏を返せば「それだけ点数が悪い子がたくさんいました!」ということに他ならないわけで。そうすると、開智塾の場合は何の商品も売っていない、ということになりそうだけど、そうではない。生徒の大半が、きちんと点数を取ってくるようになると、もはや開智塾にいることが安心材料になったりする(逆に言うとやめさせられたりすると不安になる)。もはやア○コの保険に近い。来年はきっと、今の高3から旧帝大以上が複数でるだろう。その翌年も、さらにその翌年も。それはきっと僕によって効果的に宣伝されるだろうし、高校生の入塾希望、伴ってそれ以下の入塾希望もさらに増えることと思う。(実際入塾いただくかどうかは分からないけど。地元進学校の1割以上のシェアを取ってしまっているので、これ以上は冷静に判断しなければいけない)これまで入った生徒の3分の1くらいはその年のうちにやめてもらうというのを繰り返し、塾の品質を維持してきた。だからこそ、この春は60名の入塾になったんだと思う。当地はこれで十分かな。次を考えよう。
Jun 8, 2009
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正社員講師募集中!3名程度の採用を予定しています。我こそは!と思う方は是非どうぞ!!こんなかんじ
May 12, 2009
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この春の募集がどうなるかわからなかったのですが、ようやく少し地域では認知されてきたのかな?という感じです。ということは、逆に言えば他の塾と露骨に比較される対象になっているわけで、「他の塾も見て決めます」と言われまくりました。説明会や体験の際にすぐ決めなかった方で、結局後ほど入塾となった方はほぼすべてこのパターンだと思います。そう考えれば、このパターンは8割程度は取ったと思いますので、まぁ良かったのではないかと。12月 即入塾 1~2名 予約3名1月 入塾数名 予約数名2月 入塾25名 卒業による退塾分補填完了、+α3月 入塾15名 +合格後の入塾数名おおよそこんな感じでした。今年は動きだけが不安だったので細か~い数字はつけていませんが、去年と同様の動きでした。春募集としては最終的に60名~70名の入塾となると思います。200名規模としてはまずまずでしょう。ましかし、当塾の場合は年度途中の入塾がほとんどないどころか、入った結果ついていけないとやめていくのも相当数あります。入った分の4分の1くらいは半年以内に抜けるんじゃないでしょうか?しかし成績の良い生徒が入ってきて、成績が悪い生徒が自然に抜けていく感じのループに入っているのでとてもいい感じだと思います。募集はいいんですけどね、募集は。それ以外がもう悲惨で悲惨で。来年まで存続していればいいのですが。
Mar 18, 2009
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最大のピンチ到来!やばーい
Mar 6, 2009
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動きが遅い気がするようなしないような・・・毎年体制が変わってるから何とも言えないけど、小学生は4,5年生の英語を必須にして週3回体制ってのが障壁になってるとは思います。まぁそれは分かってたことなんだけど・・・やはり、というか。来年は英語は選択制にするかな~。しかしECCを焼き払わねばならんので堪え忍ぶかな~。
Feb 24, 2009
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平気で言ったり書いたりすることがかっこいい、デキルやつ、本質を言っていると勘違いする人は多い。少なくともビジネスにおいて、ココがダメだと思うならそれを改善して収益に結びつけていくのは当然のことであるし、それがデキナイなら経営能力が低いのでは・・・?少なくともお金をいただいているお客さんを馬鹿呼ばわりするのはどうなんだろうね。そう言うことに気づかないんだから色々言っちゃうんだろうな。あーあ。
Feb 21, 2009
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今日は宿題をごまかしている子がいたので、「親を呼べ~」という感じで怒った。開智塾には全マルシステムというのがあって、とにかく期限までにテキストの一定範囲を○にしなければいけないんだけど、当然○付けなんかは講師がやってなかなか大変なシステム。でもやりっ放しにはしたくないし、答えを書き込ませてやった気にさせるなんていう詐欺もしたくないので仕方がない。今回は、講師に○をつけてもらうはずのところを、直してもないのに自分で勝手に○をつけてもってきて、「やりました~」みたいなことを言ってきた子がいた。これに関してはすでに想定していたので、前々からさんざん「これやるとばれるからな!!」と警告していたにも関わらず、です。ちなみに他の宿題もやってません。開智塾的には結構珍しいです。みんなヤルのが当たり前なので・・・で、こういったごまかし方というのは、僕ら大人から見ればすっごい悪いことなんだけど、果たして小中学生くらいの子たちにそこまでの意識があるのか・・・というと、大してないわけで。さしたる悪意もなくやっている。もちろん、先のことを考えたらすごく怒ってあげなくちゃいけない。もう二度とやりたくないってくらいの怒り方をしても良い場面なんだけど(相手にもよるけど)、本当に注意しなければいけないのは、子どもというのはそういうことが常々あるという意識を我々が持つこと。もし見抜けなかったとすると、それは講師失格である。
Feb 8, 2009
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物忘れが激しいです。何年も通ってきてくれている生徒の名前がふっと飛んでしまいます。ヤバイかもしれません。で、いくつかのことはきちんと記録しておかなきゃという気になっています。とりあえず物件に関して。入居時の家賃交渉(50万→25万)、現在の買い取り交渉を書いていきます。良かったら↓ご覧ください。もし読んでくださる方がいらっしゃったら、一番期待するのはサボったときに突っついていただくことです(-_-;)タイトルはわかりやすく露骨に笑Let's Get 自社ビル!
Feb 5, 2009
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関校の物件を買い取りたい。。。オーナーの提示額は4500万。こちらの希望は3000万。さて、これを実現するのはE難度だが可能かどうか。乞うご期待!
Jan 30, 2009
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はじめてやります~大手と同じ日です~(時間は違いますが)入塾時の点数制限のラインを上げます~さてどうなることやら。今年は前半やるべきことが少し先延ばしになっているので、前半のうちは生徒募集に集中しなければいけない・・・昨年と同じような展開になれば良いのだけど。
Jan 23, 2009
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塾内模試は年に3回実施している。一時は毎月にしようかと思ったけど、単純にテスト結果が返却されてくる頃には次のテストになってしまうということと、実施する側テスト受ける側の疲弊が大きいと考えた。まず事務的な負担もさることながら、日曜までレギュラー授業が入っている当塾の場合は時間的な制約が大きい。そしてこれが一番重要なのだが、毎月毎月受けていると、テストに鈍感になってしまう。お互いに。そしてその結果を見る親も。毎月大きく変動する類の物ならともかく、少なくとも1ヶ月単位ではみんながみんな大きく変動するわけではない。成果も見せづらい。(逆に言えば、下がったときの変動率も大きいけど)そういったことも含めて一言で「疲弊」と言ってしまうんだけど、特に小学生にとってはテストは「イベント」であるべきだと思う。ピアノ教室における「発表会」的な要素を残しておかないと、「テストのために準備する」という感覚もなくなってしまうとおもう。テストは「ありふれた日常の一こま」に堕落するのをさけなければならない。ま、もし毎月やるなら「今月は算数、来月は国語」とかかな。
Jan 8, 2009
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こちらは同業の方にむけて・・・今年も1年ありがとうございました。今年もまた色々な方と出会い、たくさんのことを勉強させていただきました。自分ががんばる原動力は人と会ったときにしか生まれませんね。自分一人だと、きっと何も出来ないままに1年が終わっていたと思います。授業研修会など、新しい試みもスタートしました。ご賛同いただいた方のご参加により、大変有意義な会にすることが出来ました。(次は5月半ばくらいの予定です)来年もまたたくさんの方にお世話になりながら、ともに成長していけたらと願っております。僕は来年以降勝負します。来年負けたらわかりませんが笑それでは良いお年を!
Dec 31, 2008
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時間を大切にしましょう!とかじゃなくって。携帯の普及は、いかにしてユーザの時間を奪うかということだったような気がする。奪った時間=金、すなわち通話料、通信料なのだから。そしてそれはビジネスの形としては正しいわけで、いかに中高生の時間を奪うかということを考えて塾を作ってきたのでした。
Dec 26, 2008
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31日大晦日は、毎年恒例?になっている「年末大ピザ大会」の予定だったのが、結局「年末大ケーキバイキング大会」になった。単に、大晦日昼過ぎからみんなでケーキ食べたりしてだらだら遊んだりするだけの日。去年まではピザ10万円くらいかかったから今年はもう少し押さえられるんじゃないかとケーキバイキングにしてみたら結局ケーキの方が高くついたという、そんなイベント。で、せっかくなので何をケーキ屋さんにお願いするかをアンケートにしようと思って、関市内のいくつかの店に電話したところ、なんと!!「あ?今忙しいからンなことやってらんないよ!!」という店が。いくつかのお店に同時に頼むということを明かしているから、職人からしてみれば比較されるようで気分は悪いかもしれないが、それにしてもお客さんに対して今どきこの態度をとる店があるというのはある意味衝撃的だった。しかも複数。中にはろくに内容も聞かないでぞんざいな態度をとる店もあり、なんつーかカルチャーショック。まず第一に、比べられるのがイヤなら店なんか出すな。比べられても堂々と「うちはこうです」と胸張れるような商品をだせ。第二に、それとは別のレベルで不快感を感じて相手にしたくないと思ったとしても、丁寧に断れ。当たり前だろそんなの。こうした「勘違い職人」の店には二度と頼まないのは当たり前だが、こうした店をありがたがる消費者の方も、どうなんだろう?と思う。普通程度のレベルなのになぜかふんぞり返って生き残っている店は、ケーキに限らず当地では時々ある。なぜだろう?まぁ原因は分かるんだけど。//////////////にしても、当初よりお願いしている当塾生徒さんのケーキ屋さんは、最初から堂々とやってくださる。やっぱりおいしいからかなぁ。自信のある、一貫した味だ。でもふんぞり返らず、すばらしい。さすがパリブレストさん。(塾に頼まれたらイヤとはいえないのもあるのかも・・・(-_-;)
Dec 22, 2008
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やはり、この催しは良いですね!中学生や高校生を見ていると、模試の集中力ってすごいんですが、まさにそれ。真剣です。見られる・評価されるということ自体が、頭では分かっていながら普段意識出来ていなかったりするんですが、ああいった場ではいやでも「自分がどう見られるか」「他の人とどう比べられるか」というのがあるので、目の前に生徒はいないとはいえ、そんなこと関係なしに真剣勝負です。今回は想論館・こ~むら先生にもご指導いただき、さらに内容の濃い1日になりました(2次会含め)。こりゃもう継続的にやるしかないです。次は5月の連休明けを予定しております。「ありか!?」と思った方、ご参加お待ちしております!/////////////////今回のキーワードは【体感的に】【人生的に】です笑
Dec 15, 2008
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12月14日(日)の授業研修会ご参加希望の方はご連絡ください~まだ(余裕で)大丈夫です!
Dec 9, 2008
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去年もそうだったけど、今年もやはりこの時期から小学生の入塾があった。中学生も例外的に1人あったので、合計3人入塾、ご兄弟とか知り合いとかで予約状態になっているのが10人くらい。去年は12月でぽつぽつ、1月以降でどどどーっとなったかんじだったんだけど、今年もそうなるといいな、と。イメージとして敷居が高くなってるのは事実なので、中学生はほとんど入らない。が、小学生の時点であの塾に入れておこうと思ってもらえるのは良いことで、また高校生になったところで「今の俺なら大丈夫かも」という感じで来てくれるのもまたありがたい話。さて来年はどうなるか。
Dec 9, 2008
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冬期講習のチラシを入れるのを1週まちがえた!他塾はみんな冬期講習チラシなのになぜかうちだけふつーのチラシ。とほほだよ。
Nov 30, 2008
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どんな形であれ、塾をやめてもらうのはつらい。全くやる気のない、というより、勉強を拒否する生徒がいた。怒ってもなだめてもすかしても言われた宿題をやってこない。見た目に分かる反抗的な生徒ならまだ対処のしようがあるが、全く喋らない(学校ではよく騒いでいるらしい)、とにかく塾での時間のすべてを否定する生徒だった。要するに、僕のことが嫌いなのだ。まだ中1の内に他へ変わった方がその子のためだと思った判断は間違っていると思わない。しかし、確かにそれをいきなり伝えられた親の気持ちは・・・単純に親を怒らせないためには、今回の面談あるいはもう少し前に状況を伝え、テストの結果をもって「やはり変わられた方が・・・」と勧めるべきだったと思うが、そしてまた無為な3ヶ月を過ごすことが正しいのか?商売人として、どういった形であれお客さんを怒らせるのは良くないのは確かだ。しかし、それがために失ってしまうであろうその子の数ヶ月はどうするのか。「もっと早く対処していれば」「中1の1学期の時点ではそこまで悪くないのだから仕方ないだろ」「もっと円満に退塾を促すことも出来た」「迷いに迷って出した結論だからこれ以上どうしろと?」様々に判断を迷いながら、プライオリティを最高値に引き上げたのは「時間」だった。その子の時間を少しでも無駄にしないために、と。結果としてその子よりも親を傷つけることになった。親は親であって大人ではない。客観的な判断を欠くものだ。だから時間をかけて理解を得なければいけない。でも、子どもの時間は帰ってこない・・・//////////////悪貨は良貨を駆逐する、じゃないけど、勉強しない子が集団の空気を悪化させることはある。そしてそうした子が複数となると、問題は大きい。経営している以上、全体を見る目は持たなければいけない。しかし、子どもは一人一人だ。決して全体の中のポジションで見てはいけない(それは一つの判断要素であって、それがためにその子の扱いを決定づけることがあってはならない、と思う。「こういう子だからこうしとけ」、みたいなのはダメだ)。「全体における悪い部品」と見てはいけない。その子の歴史の中で今、たまたま良くない時間の中にいる、だから良い方向へ向かわせてあげなければ、という視点は重要だ。しかしやはり全体のベクトルも堅持しなければいけない。堂々巡りだ。///////////////塾は学校じゃない。お客さんに通わせる義務はない。僕らにも、「教育」する義理はない。お金をもらわなければ一切の責任から逃れられる。力が及ばないと悟ったなら、またはその可能性が高いのなら、すぐさまお金をいただくことをやめて無理だと伝えなければならない、それが商売人の正しい姿だと思う。「平気な顔して頭を下げてでもお金をもらう」ことは、塾に関しては当てはまらないと思う。特にかいち塾のように相場よりも高くいただいて、成績も上位層に絞っているならなおさらだ。集団のクオリティ維持、塾内の「空気」そのものが商品だからだ。無理なら無理とはっきり伝えることが、やはり正しいと思う。確かに「じゃ、今までお金もらってたのはなんだったの?」という思いもなくはない。が、過去と整合性を持たせる必要があるのかと問うてみると、そんなものはありはしない。気づいたその瞬間に取れる最善の方法を瞬時に選択肢続けるしかない。///////////////////もっとシビアにも考えてみる。やめた子のたてる悪評は一瞬だし、限定的だ。特にやめた子になにがしか弱い点があればなおさらだ。人は表面では話を合わせながらも、心の底では「○○ちゃんじゃやめさせられても仕方ないね」と思ってくれる。もっと好意的に解釈すれば、「○○ちゃんみたいな子をちゃんとやめさせてくれていなくなれば安心」と思ってくれるかもしれない。一方で、現に通ってきている子のたてる悪評は根が深い。話はリアルであり、通い続けている限り悪く言い続ける。こちらの行いすべてがネガティブフィルターにかかり、何をしても悪く言われる。こうした子は親の手前「やめたい」と言い出せないが、学校で友達に悪評をばらまき続ける。/////////////色々な考えがまとまりもなく脳内をぐるぐる巡り続け、整理がつかないまま結論を出さなければいけなくなる。判断を遅らせてしまったり謝ったりすると、どういった言い方であれ、痛みを伴う結論になる。良い話ばかりではない面談は疲れる。それでも立ち止まっていられない。進むしかない。現時点で出来る最良の判断だったと信じるしかない。かいち塾は上位層に特化した塾だ。最も大切にしなければいけないのはそこだ。それを礎にしてすべての判断をしていかなければ軸がぶれる。/////////////////今回の判断を講師に話した時に、「あの子は先日も○○でしたからね・・・まったくやる気が見られないんだから仕方ないでしょうね・・・」と返してくれたのは救いだった。僕が感じているのと同じように感じてくれている。同じものを見てくれている。それが今回の判断が正しかったことの証明だ。
Nov 30, 2008
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異業種の方と話をしていると、やたら「差別化」という言葉が出てくる。塾業界ではそれほど聞かないんだけど、「差別化」という言葉が魔法のように語られていて、まるでそれを見つければ必ず成功するんだけどなぁみたいな発想になっているのがちょと怖い。10年くらい前は「ネット」が魔法の言葉だった。小さな商店でも、HPをもってネットで売れば世界中から注文が舞い込む、早いモン勝ちそれ急げ~のようなイメージがあった。ネット商店に関して言えば、本当に「勝った」のは楽天だった。楽天に参加した商店はみんな、楽天に利益を吸い上げられて、持ちこたえられなくなったところから撤退していった。所場代高すぎでしょ。HPを持てば注文が来るというのは嘘だと分かってしばらく、今はそれが「差別化」という言葉に変わったようだ。「差別化」という言葉には2つのアプローチがあって、一つは「差別化出来るものを探す」という言葉に代表されるような「ベクトルが差別化に向かう」アプローチ(※1)。もう一つは、「売れる原因を考えてみると、他にないものだった」という、結果として差別化されていたというアプローチ(※2)。この2つのアプローチは別のものではなく、コンサルなどの手によって商品化されるプロセスの断片だ。売れている商店を探す→コンサルが分析する→「他と差別化されてる!」※2→売れてない商店に「差別化」という言葉を売る→売れてない商店が信じて差別化しようとがんばる※1こんな流れ。差別化というものは、どこかに埋まっているのを掘り当てるような宝探しではないと思う。特許を取れるような技術はほとんどの場合血のにじむような研究努力を重ねて生み出されるものだ。主婦の思いつきのようなものは、あくまで思いつきであって、継続的に事業継続していく企業ではそれに頼るわけには行かない。メーカーが恒常的に研究開発費を投入し続けるのは、少しずつ商品の開発改良をし続けなければ(そして特許を取り続けなければ)収益を獲得し続けることが難しいことを意味する。メーカーですらそうであるなら、サービス業ではどうやって差別化すれば良いのか。塾のような形のある商品を持つ訳ではない業態も含めて、「差別化できた!」なんて思っていると、結局「売り方がちょっと違う」という程度のものになってしまう。そしてそれは、ほとんど消費者には気づかれていない。本当に「大手が手をつけない」「他の人がやらなかった」ものであったとしても、ただの「ニッチ」だったりする。そういえばニッチって言葉はいつ消えたんだろ?ニッチは悪くない。でも僕は人生のうち1度は大勝負したいと思っているので、ニッチはいらない。隙間ではなく、ど真ん中の大きな市場に行かないと、会社も大きくなれないと思う。大きな市場で勝負するノウハウを積んでいかなければ、いつまでたっても隙間の帝王から脱却できない。ま、とはいっても大手とガチで勝負するほど肝が据わってないので、隙間ではない大きな市場を開拓していこうと思う。
Nov 28, 2008
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塾講師の適正の話題でよく出てくるのが、「高学歴の講師は成績の悪い子の指導がヘタだ」というものがある。こういう話の根拠となるのは大きく二つあって、一つは成績が良かった人に、成績が悪い子の気持ちは分からない、もう一つは成績が良かった人には「何が分からないかが分からない」ということらしい。結論を言えばそれは個人の資質によるもので、学歴云々ではない。さらに、だからといって個人の資質に頼ることなく、誰でも一定のクオリティを維持できるようにすることが塾としての努めだろう。もし前述の2点が真であるとするならば、逆はどうなるのか。「学歴の低い講師に成績のよい子の気持ちは分からない」「学歴の低い講師に成績のよい子の求めるものは分からない」が成立することになってしまう。ところが実際の運営では、学歴が高くない講師を使いつつもそれを隠し、成績のよい子をたくさん集めようとしている塾が多い。一方で成績の悪い子を飼い殺しにしておきながら、成績のよい子を求めるのは、お客さまからお金をいただく商売として正しいのか。それが平気で成立してしまうのがこの業界だと言えばその通りだが、少なくとも僕はそれはしたくないと思っている。僕自身は冒頭の「学歴が高い講師は~」について、それは間違っていると思っている。しかし単なる独善に陥るのもいやなので、長くこの業界で生き抜いてこられた方々の経験知には敬意を表することにしている。従って、成績の悪い子の気持ちも分かるしその子たちの成績を上げることも可能であるが、先輩方がおっしゃるのなら、僕の得意な層は成績上位層であろう、と考えている。かいち塾は受け入れる生徒層を平均点以上と公言しているので、単純にマーケットは半分になる。それでも学区で1~2を争う生徒数にたった5年でなれたのは、これまでの塾がやってきた「成績がよい子で成績の悪い子たちを釣り上げる」ということをしなかったからだと考える。学年トップのような成績の子と、学年最下位のような子を同じ教室で同じように教えるのは不可能だ。個人の力量では可能な方もいらっしゃるだろうが、そういう話ではなく、あくまでシステムとしてそれを維持することが可能かどうか、という点において、不可能だと考えている。それは学校教育を考えれば火を見るよりも明らかだ。それでもいまだそういった「商売」は、厳然として蔓延っている。確かに上場なんてしちゃうと、どうしてもボリュームゾーンを狙って行かざるを得ないし、さりとてその後継続的に入塾を求めるためには「成績が良いふり」をしなければいけないだろう。しかしそれは投資家の欲求であって、生徒たちや親御さんの要請では決してないと思う。一度そこに手を染めてしまうと、抜け出すのは大変だ。塾を単なる投資対象として考えるならそれも良かろうが、少なくとも何をか考えて塾をやっている人間は、自分の理想に正直にあらねばならないと思う。口で言っていることとやっていることは別というのでは、投資家でも塾屋でもない中途半端な代物でしかなく、いずれにも勝てないだろう。(しかし中途半端に饒舌なのでブログなどでは立派な文章を書いていたりする)かいち塾は2年目終了時まで生徒は27名だった。その後3年目65名、4年目130名(次年度予約30名)、5年目160名、6年目200名と順調にがんばってこられた。これは自分が求めるものとお客さんが求めるものとが合致したからに他ならない。面倒見たくない子は見ない。面倒見れない子は見ない。お金がなくったって、出来ないものは出来ませんと、きちんとお断りする。お金をいただく以上、それに見合ったものを提供できなければそれは詐欺だ。お金をもらうということに真摯にならねばならない。
Nov 26, 2008
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12月14日(日)の授業研修会では、12月から着任する新入社員研修もやろうと思う。普段バタバタしていると、なかなかきちんと授業などについて伝える機会が持てず、また、これが一番気になるところだが、模擬授業などをしても、自分としては「これくらいは当たり前でしょ?」というのがどうしても出てしまうということがある。たとえば、かいち塾では授業の最初と終わりに挨拶みたいなのはやっていない。特に今後やるつもりも今のところはないのだけれど、これなんかも「当たり前だから言わなかった」けど、知らない人にとっては「あ、ないんだ」という類のもののような気がする。授業研修会は、他塾と授業を見合うことによって、自塾の授業の特性が際だつというメリットがある。もちろん良いところは取り入れるんだけど、実質ほとんどのものは「うちではいらないかな」というものだったりもする。今度の授業研修会は志向が近い方にも来ていただけるようで、かなり内容の濃い時間になりそうだ。ちなみに参加される方ではないけど、「かいち塾見学はあるの?」という話がありました。ご希望ならご案内いたしますが、見ても特に得るものはないような気が。。。まだ多少空きはありますのでご希望の方はお早めにご連絡くださいな。
Nov 24, 2008
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授業研修会自分が子どもの頃塾に通っていて疑問だったこと。夏期講習とか冬期講習会になると、最後の方がなぜか「次の学期の予習」になること。休み明けに学校では復習テストやら実力テストやら、要するに「前の学期の内容」のテストがあるのに、なぜその直前に塾では次の学期の予習をやるのかというのがとても非合理的に感じられた。また余計なお世話だが、実際に休み明けにまた同じことを塾では平常授業でやるわけで、次の学期になったらやることがなくて困るんじゃないか?と心配したものだが、要するにまた同じことをやるだけなので塾としては困っていないということもなんとなく理解した。ま、いま他の塾はどうかしらないが、テストの直前になって予習分野をやるというのは子どもたちの目線から考えると非常に無駄というか、「ちょっとやめてくれ」状態なわけで、開智塾はそういったことはしないことにした。講習会は前の内容の復習をしっかりする、できればさらにその分野の力を伸ばしてあげるほうに専念した方が良い。というわけで、開智塾はとにかく点数を上げる主義なので、予習はしません。
Nov 19, 2008
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授業研修会をかいち塾でやります。先日とあるセミナーで同様のことがあり参加したのですが、とても良かったです。他塾の講師がどうやって講義をしているか、一気にみることが出来る上、塾長の方々の考え方が分かりました。同じ授業をみても、こういった見方もあるんだなぁというのが強烈でした。対象は生徒数150 人前後の塾の塾長・講師…10 塾程度、各塾講師1~2 名日時は12 月14 日(日) 2:00pm~6:00pm費用は各塾2 万円(塾長1 名+講師1名までの分。講師1名追加につき3000 円)(本気の方だけでやりたいので)おおまかなフローは自塾紹介 … 各講師による(塾長は別室で打ち合わせ)模擬授業 … 決められた内容での模擬授業(各8 分)講評 … 各塾長による総評・挨拶懇親会こんな感じです。各塾の塾長さんが、一人一人の講師を評価します。模擬授業の内容は・3学期で学習する単元を想定(冬期講習での予習分野となる)・完全に新しい分野に入る際の単元紹介から授業内容の最初まで。英語…比較級分野第1 回目、導入部から比較級へ数学…図形の証明問題導入から証明の基礎・各塾での使用テキスト・プリントなどにおける1 ページ目を使用するものとする。(各塾でそのまま実践できるように)参加10塾くらいを想定しています。参加ご希望の方は下記アドまでご連絡ください。折り返しご案内をお送りいたします。master @ kaichijuku.jp
Nov 13, 2008
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ランチェスター戦略に強者の戦略というのがある。市場シェアのン%とったら強者の戦略に切り替えるとか、そんなことを考えた時期もそういえばあったなぁ。というか。鵜呑みにしすぎはやはりよろしくないようで、かいち塾的にはこの「強者の戦略」に切り替えた時の生徒層がヤバイ。マーケットシェアの拡大のために入塾というか退塾というか、バーを下げた時期があった。「ちょっとどうかな?」と思う子の入塾を認めて、そのまま退塾を促せないままにズルズルと来てしまっている学年がある。人数的には一番多いんだけど、やはり質は良くない。この2学期末テストが終わった時点で点数をみて、何人かやめてもらうつもり。幸い経営的には今は余裕があるので、一時的な売上減少は気にならないけど、「そんな子でもちゃんと出来るようなシステムにすべき」という言葉を聞くと気持ちがぐらつかないでもない。確かに時間をかければ塾になじむ子になるかもしれない。実際、かつて塾になじんで勉強をするようになり、成績を上げた子もいた。しかしそこまでの疲弊は結構大きいとも思う。さらに、その子が良くなるかどうかは確率問題だし、少々良くなってもしれていると思う。そのリターンと、その子のためにどれだけの人間が我慢しているかというデメリットを思うと、さっさと切った(あえての表現)方が良いと、やはり思う。一学年何人いようと、空気を壊すのはたった一人で十分だ。特に学年が下に行けば行くほどそういった子がまき散らす害悪の伝播は速い。これは完全にミスだな。今度のタイミングを逃したらヤバイ。今はランチェスターよりもブランド戦略の方が気になっている今日この頃。
Nov 12, 2008
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授業をどうやってやろうかと考えると、どうしてもわかりやすい授業をしなきゃ、という思考に行きがち。暴力的に言えば、「わかりやすい授業」ってのは、「点が上がらない授業」だと思う。もちろん、昔の塾のように「分からんこと言いまくって自分で考えさせるんじゃい!」みたいなあほなことを言っているのではない。「わかりやすい授業をしたい」という視点には、「生徒が自分で解く」ということが抜け落ちていることが多いということ。説明を丁寧に丁寧に考えていくと、それはもちろん結構な話なんだけど、「分かった気になって」終わってしまうのだ。点を上げるプロセスは、「理解する」「覚える」「自分で解ける」の3段階がある。「わかりやすさ」を心がけすぎた授業は、この「覚える」「自分で解ける」という視点が欠けてしまい、結局「先週あれだけ説明したのに・・・」という事態になることが多いと思うのだ。このうち、「覚える」というプロセスは、暗記テストやらである程度カバーすることが可能だ。出来なければ追試などして追っかけまくれば、ある程度出来るようになる。ただ気をつけなければいけないのは、塾の場合次に同じ科目をやるのは1週間後ということだ。そうすると、8割以上の子は「次にその科目をさわるのが1週間後」ということになってしまう。あれだけ「その日の内に復習しておけ」と言ったにも関わらず。(言うだけだったら何もしないのと同じなんだけど)そうすると、1週間後に開いてみた子どもたちは「今日テストなんだけど・・・ん~、先週聞いた話なんだけど思い出せないな~」なんてことになり、「しゃーない、丸暗記しよっ」となる(でもこれはまだマシな方ですよね)。暗記テストをその中間地点、たとえば数学のテストを英語の時間でやるなんてのも一つの方法だけど、科目によって先生が違っているような場合はなかなか実施が難しい。(やるだけならいいけど点数の管理とかなんとか)だから授業中に出来るだけ「出来るように」することが大切だと思う。教えて演習教えて演習の細かい繰り返しをして、その場で「出来る」ようにしてしまう。ただ聞いて分かっただけと違って、その場で解いて、しかも自分なりの解き方がそこに残っているというのは、仮に次にさわるのが1週間後だったとしても大きく効果が異なる。結局僕ら塾は、生徒の点数を上げることが商売なので、点数が上がる、すなわちテストで解けるためにはどうしたら良いかということを考えなければいけない。そうすると、単に「わかりやすい」授業をやるだけでは、点数なんて上がるわけがないのだ。もしそれが出来るなら学校の授業でとっくに上がっている。(学校の先生の授業研究は塾よりも遙かに上だと思う)僕らはわかりやすい説明方法とかじゃなく、点数の上がりやすい授業運営、時間の使い方を研究しなければならない。そしてそれが学校よりアドバンテージがある部分だと思う。
Nov 9, 2008
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当たり前っちゃー当たり前だけど、ちょっと管理がゆるむと手を抜くというのは、もちろん塾業界でもあり得る。常に目を光らせて小言を言い続けるのが好きな人はそれでいいんだろうけど、僕は好きじゃないっていうかそんなのは限界が見えているので、やらざるを得ないシステムを構築しなければいけない。コンピュータを使うこともさることながら、いくつかの決まり事をマニュアル化する必要がある。金がかかる。大変だが仕方がない。マニュアルは、縛られると思ってしまえば面倒なものにしか見えないが、それがあることで身を守ることが出来るというのが本来の趣旨ではなかろうか。マニュアルを守っているからこそ、マニュアル外の部分では自由度が高まると考える。もしマニュアルがないと、思った以上に窮屈なんじゃないか。「こういうときはどうしたらいんだろう?」というときに、明確な判断基準なく、「ボスならこうするだろう」という基準で動く必要に迫られる。ボスとツーカーならいいが、そうでない人はどうして良いか分からなくなるだろうし、いざふたを開けてみたらボスは全く違う判断だったなんてこともあって、「なんだよ、こないだこうしろって言ったじゃねーか!」なんて経験をしている人も多いんじゃないだろうか。「これを守ればあなたは責められない」というのがマニュアルであり、そこにいかにして能力を引き出す仕掛けをしていけるかが、マニュアルを作る醍醐味な気がする。ここでマニュアル作りを人に任せると、きっと「非常に安全志向の」マニュアルができあがってしまうんだろうな。ちなみに僕がいた会社のマニュアルは、幅5メートルの棚2段に渡ってマニュアルがぎっしり詰まっていた。業務のすべてが事細かに決められ、あらゆることはマニュアルをひもとくことで解決するべしとされていた。ま、これは特異な例だとおもうけど。大きくするにはやらなきゃいけないことがいっぱい。大きい組織がどうやって回っているかを知っているだけ幸せだと思う。////////////////やんなきゃいけないことをやらなかったらペナルティがあるのは当然。きっちりやっていただきましょう。忘れてました、スミマセンでは済まされない。
Nov 6, 2008
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そういえば去年も早かったな、と。だいたい12月くらいから申し込みが来て、1月2月くらいがピークだったような。今年は過去最速?記録更新。来年に向けて、すでに冬期講習の申し込みが小学5年生で。もちろん来年なんてけちなこと言わず、冬期講習→3学期スタートという話になっていますが。今年度も結構良い感じか??
Nov 5, 2008
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同業種・異業種に関わらず、すごい人もいればすごくない人もいる、という当たり前の事実。ただ異業種の方が新しい出会いが多いのは確か。ただ、単純に商売上のメリットはこちらにはない場合が多い。たまに出る分には良いかもしれない。//////////////////こちらは同業。教室長セミナーっつーことで、各塾の先生方が授業をして、塾長連がコメントをするという企画(?)。(小林先生、河野先生、他みなみなさまありがとうございました。お疲れ様です)短い時間だからこそ、ごまかしなくその人の「思想」が出ていたと思う。塾の授業は、理解させるためのものではない。点を取らせるためのものだ。理解させることで点を取らせるという方法論は間違いで、点を取らせるために理解が必要な場合には理解を求める、ということになる。僕はよく言っているが、板書なんかは学校の先生はとても上手だし、すごく研究されている。本質を理解させようという努力はとても塾人の及ぶところではないと思っている。そこに、真っ向勝負を挑んではいけない。全国に何万人学校の先生がいるのか知らないが、その人たちが毎年毎年、いかにしてうまく授業を展開するか研究し蓄積されているのに対して、そういった意味での授業ノウハウの蓄積の少ない塾業界が勝てるわけがないのだ。(もっというと、そういった学校の授業ですら分からない子たちに、果たしてどういった授業をしたら理解をしてもらえるというのか?)僕らは点を取らせてなんぼの商売。ただ点を取らせるということに対して真摯であらなければならないと思う。点を取らせるということをなめてはいけない。相反するようだが、その「点を取らせる」ということを突き詰めた先に、「点を取らせるための本質理解」というものがある。中学も高校も、内容の本質は見た目よりシンプルだ。点を取らせることを最優先に突き詰めた先には、非常にシンプルな内容理解がある。それを追いかけていったのが、当塾講師の8分間であった。あの8分間は、実はほとんど授業内容を準備していない。僕も事前にはみていない。連絡疎漏で作る必要もないプリントを作らせるという無駄時間を使わせてしまっただけだ。普段言っていることがどれだけこういった場で出てくるかみてみたかったのだ。結果はとてもすばらしかった。開智塾の高い平均点は、日々の「点を取らせるための」授業によって支えられているのだと実感した1日だった。よし。見事な自画自賛だ。
Nov 4, 2008
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