『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』100万部?日記

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2012.09.09
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カテゴリ: 歴史の話
大河ドラマ『平清盛』第35回 「わが都、福原」の感想です。


ようやく福原(神戸)のターンかと思いきや、 平頼盛のターン でした。


平頼盛は、一門とは最後までゴタゴタある人物なのですが、

その背後で操る人物として 八条院 を出したきたのは面白いですね。


実際は影の権力者だったのですが、これまであまり小説とかでも

取り上げられなかった人物なので(『平家物語』でも出ていた記憶があまりなく…)、

史実に近づけたストーリーだと思います。


源平合戦の陰の首謀者は八条院だと思いますし、結局、八条院の遺産が

南北朝分裂にも関わってくるわけですから、八条院に注目したこのドラマは

かなり画期的なのではないでしょうか。




あと、1180年の福原京遷都は、

「源氏の蜂起で京都が危険になったから慌てて都を移した」 という説と、

「事前から綿密な準備をしていた」 という2説があるのですが、

ドラマでは後者を採りましたね(私もその説を支持しています)。


賀茂川の水と大輪田泊を結びつけるのは、若干ムリクリなような気がしましたが、

(もっと細かいことを言うと、大輪田泊は東か南に面しているので、

 その方角を見ながら「夕陽がキレイ」というのはどうなのでしょう?)

白河院の呪縛を乗り越える鍵として「福原」を使うのは、素晴らしいアイデアですねー。




ちなみに、本作でも活躍し始めた北条政子は、随分と汚らしいですが、

史実に照らし合わせると、 10歳か11歳 の設定です  (@O @)



―――――
第35回 「わが都、福原」あらすじ

 1168(仁安3)年2月。平清盛(松山ケンイチ)は、比叡山延暦寺を収める僧侶・明雲(腹筋善之介)を呼び、明雲の導きで出家したいと依頼する。清盛危篤の知らせを聞いて大宰府からかけつけた頼盛(西島隆弘)も清盛の姿に目を丸くした。清盛は一門の前で、海に近い福原(神戸)に隠居することを表明。六波羅を重盛(窪田正孝)にまかせることとした。

 後白河上皇(松田翔太)は、清盛のこうした動きを警戒、滋子(成海璃子)との子・憲仁親王を高倉天皇として即位させ、自らの威信を示した。滋子の姉・時子の子である宗盛(石黒英雄)が皇太后宮権大夫という要職につく一方で、同職にいた頼盛は辞任を余儀なくされた。さらに、頼盛は滋子への奉仕を怠り、後白河上皇は清盛を呼びつけてそのことを叱責した。

 一方、伊豆では、北条時政(遠藤憲一)の館に、かつて源義朝(玉木宏)の家人であった豪族たちがあつまり、無為な日々を送る源頼朝(岡田将生)の身の上を嘆いていた。そして、時政の娘・政子(杏)の嫁入り話で一同盛り上がると、そこに政子がイノシシを背負って現れ、みんなを驚かす。

 福原に移り住んだ清盛は、兎丸(加藤浩次)らと大輪田泊の改修計画を進める。都を離れて自由を手に入れた清盛は、さらなる日宋貿易拡大の夢へと突き進んでいた。

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次回、第36回「巨人の影」。ついに、重盛のターンか?








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最終更新日  2012.09.09 23:39:09
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