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日比谷公園雲形池と鶴の噴水モミジとイチョウのコラボレーション
2022.12.04
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桜舞うなか西早稲田の戸山公園へ行ってきました。ここは尾張藩の庭園で陸軍戸山学校のあった場所です。箱根山は標高44.6メートル、東京23区内で最も標高が高い山です。ただし人造の山。ちなみに自然の山だと港区芝の愛宕山、25.7メートル。江戸時代に人力だけでこんな巨大な築山を築いた尾張藩の財力はすさまじいです。山頂に登ると360度桜に囲まれます。他ではこんな体験できないよな。
2022.04.02
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靖国神社から千鳥ヶ淵まで花見してきました。月曜とは申せ人が多かった。いつもどおり遊就館でゼロ52を観て付近の桜を楽しんでいたら、遊就館のかたわら、やや引っ込んだところで鮮やかに咲いている桜があります。ソメイヨシノじゃない、河津桜よりピンクが鮮やか。木札に「雨会桜 第六三四海軍航空隊 呉瑞雲隊有志一同」と読める。艦これでお世話になっている瑞雲、しかも634空の献木じゃないですか。靖国には旧軍部隊からの献木が多くありますが今まで気づかなかったな。ボーっと来てんじゃねーよ634空は伊勢・日向搭載を予定されましたが台湾沖航空戦に投入され航空戦艦搭載はかなわず、その後フィリピン、台湾、本土と終戦まで勇戦敢闘しました。関係者の多くはもはや存命ではないかもしれませんが、桜は今年も花を咲かせました。合掌
2022.03.28
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靖国神社の大鳥居ですが、高さ25メートル、幅34メートルで8階建てビルの高さに相当し日本一デカいですね柱は直径2.5メートルの鉄パイプで内部は相当の高さまでコンクリートを充填して補強、技術的計算では千二百年もつって。スゴいぞ日本の技術
2021.12.04
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靖国神社の零戦52型ですがまた見てきました。発見しました。ピトー管の先端に穴がある。そうだな。ここから空気圧を測るんだからな。今まではすべて真鍮線で再現していました。真鍮パイプも考えるべきなんだな。コンマ3ミリの真鍮パイプなら持ってるんで。
2021.12.02
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シートベルトは厚い革製です。穴間隔も密です。右にある細いのは肩ベルトの断片かな。あらためてファインモールドのシートベルトはよく再現しているなと思うのですが、ファインの陸軍機用には肩ベルトがないです。なんで?
2021.11.28
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右翼端灯は見づらいですが青です。緑ではありません。操縦席ガラスの下に機内色が残っています。ドアノブは引っぱって開く。尾灯に電球があるんだけど当時物?
2021.11.27
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リベットは凸です。枕頭鋲ではなかった。スピナーの先端はこんな形状です。起動車がひっかけやすい。機首ドームはテーパー状の短冊を貼り合わせています。これを模型で再現するのはツラい。本日の戦果。トートバッグうれしい。TAKEOFF-SITEは蝋引紙製B4ファイル、立飛グループでつくっているそうです。
2021.11.26
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8の字みたいな操縦桿は陸軍の双発爆撃機と同じですかね。ココラノセルと読めるけどココヲノセルです。赤は多少褪色するのが分かるサワルナピトー管は味方識別帯から出ているので黄橙色
2021.11.25
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平成24年9月に十和田湖で引き揚げられた一式双練が生まれ故郷の立川飛行機に里帰りしています。先日昭和記念公園に行ったばかりですがまた立川駅まで行きました。駅から歩いて15分ほど。人がそこそこいますね。会場は倉庫の中、座って待っている人が100名くらいいるんじゃないか。30分ほど待って入場。実物はスゴい。日の丸もよく残っているけど、黄橙色は全く褪色してないんじゃないか。胴体の中までのぞけるのはオドロキ。小型の旅客機って感じだな。
2021.11.25
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立川の昭和記念公園は旧陸軍飛行場でした。公園内に飛行場の遺構はありませんが、立川駅前に銅像が。1931年に青森県三沢の海岸からワシントン州まで史上初の太平洋無着陸横断に挑み、約5,500マイルを41時間15分で飛行したミス・ビードル号が降り立ったのがここ立川飛行場でした。立川で機体整備を行い青森の海岸から旅立った。ロマンだな。イチョウやカエデの紅葉が進んでいます。
2021.11.18
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代々木公園へ行きました。ここは代々木練兵場だった明治43年、徳川好敏大尉がアンリ・フォルマン式単葉機で日本初の飛行に成功した場所です。天気よかったので家族づれやお母さんグループなど人はそこそこ出ていました。イチョウが見頃になりつつあります。まだ少し碧いかな。
2021.11.15
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市谷といえば防衛省、旧陸軍のあった場所です。陸軍の石柱が残っているので偵察しました。市谷亀ヶ岡八幡宮の立派な石段を登ります。本殿右脇の細道を行きます。あじさいの植え込みの中にありました。風化しているけど陸軍用地と読めます。この少し先、木が道をふさいでいる左にもう1本あります。こちらははっきり陸軍省所管と読めます。そのまま進むと左内坂、右へ下れば外堀通り。陸軍省と八幡宮との境界だったのでしょうが、お宮さんの境内だから残ったのですね。民有地だったら残らなかったろうな。
2021.11.14
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掩体壕の奥側も見られるらしいので路地1本回ってみたらありました。アパートの基礎の部分に出っ張っているのがあります。奥側はガス抜きで開口部があるらしいですがアパートでふさがれて見えません。こんもり盛り上がった掩体壕を組み込んだアパートの内部構造が気になりました。
2021.10.31
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旧陸軍の成増飛行場跡地に掩体壕が残っているというので偵察。場所は練馬区の都立光が丘公園に隣接する住宅地の中。住所でいうと板橋区赤塚新町になります。道路には面していないというので住宅間のスキマをのぞきながら歩きます。するとネット上の写真で見かけた光景が・・・。これは驚くぞ。掩体壕の中は物置だし上にはアパートが建っている。なぜか民有地。検索してみると払い下げを受けた所有者が壕を壊すとアパートを建てる数倍の費用がかかるのでそのまま建ててしまったとか、アンビリーバボー。壕の基部はコンクリ厚30センチ以上あるかな。天井に向かってテーパーして薄くなっている。大きさは10数メートル、疾風か鍾馗1機が入っていたんだな。となりの調布飛行場跡地では史跡として掩体壕が残っていますが、ここはこの1基を除いて全部壊されていしまった。米軍住宅(グラントハイツ)跡地の運動場時代にここでソフトボールやったことがあります。昭和50年代前半だった。そのときは何基か掩体壕が残っていました。歴史の生き証人として残す道はなかったのかなあ。
2021.10.30
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宮崎台駅の南側には陸軍の石柱が残っています。駅から歩いてすぐの宮崎第一公園の南、尻手黒川道路へ下る斜面の石段です。マンションとマンションの間の細道を入るとすぐ下ります。なかなかいい石段です。石段を降りたところの左右にありました。両方とも陸軍と読めます。石柱より上が陸軍で下は民地でしょうね。何で残ったのかはもはや分かりませんが、段のツラに合わせて石柱を埋め込んだのは職人さんのこだわりでしょうか。
2021.10.10
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田園都市線の宮崎台に旧陸軍の遺構があるというので偵察。駅から北東の方角へ歩いて10分くらい、目標は宮崎こうしん坂公園。このすぐ東ですね。歩兵101連隊、通称東部62部隊の被服廠という建物。戸建住宅くらいの大きさ、屋根のトタンが赤さびだらけ、周囲のトタンは補強というより侵入防止のためかな。台風や地震でヤバいんじゃないか。手前が民間駐車場だしこの建物も民間の所有だろうに何で残っているんだろ。土地駐車場付き住宅で売れば数千万円だろうに。残してくれたのはありがたいようなこわいような、所有者に聞いてみたい。
2021.10.09
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砲弾で思い出したのが以前行った神社で見た砲弾。3年ほど前に行った港区虎ノ門の西久保八幡神社です。左の滑車のついた機械ともども意味不明。あのときは気にも止めなかったのですが調べてみました。近所の葺城(ふきしろ)稲荷神社が再開発で建て直されるので砲弾はここに仮移転していたそうです。単に放置されているだけのように見えるが。西久保八幡の方も建て替えになるそうで、この砲弾どうなることやら。
2021.10.03
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近所に砲弾を抱いた狛犬がいるそうな。横浜・川崎・鎌倉凸凹地図 / 昭文社編集部 【本】最近出たこの地図に教わりました。場所は、川崎市中原区下小田中の大戸神社。中原街道沿いです。散歩に行ってみるとホントに砲弾を抱えていました。狛犬ってこわそうな顔しているけどカワイイですね。砲弾に彫ってある文字は日露戦捷紀念と読める。日露戦争のだと大きな石碑とか見たこともあります。大東亜戦争だと残されなかったでしょうね。砲弾のお尻にハメているワッカは錆びてないのでステンレスでしょうか。いつどうやってハメたのか気になる。
2021.10.02
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