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オレは日本に来てからというもの近所の公園内にある1周1.2キロくらいのコースを何周もジョギングするのを習慣にしている。アイアンマンだとかアコンカグアだとかいった目標もないので、トロトロしたペースのいわゆる健康ジョグである。とはいえ、昨年まではけっこう本気でトレーニングをしていた走歴10年近くになるオレである。トロトロ走っているつもりでも、その辺の“にわかランナー”に追い抜かれることはほとんどない。オレより速いヤツは、しばしば夕方に走りに来る地元の陸上部のランシャツを着た中高生か、週末にグループ走をしている走友会の市民ランナーくらいである。やはり競技志向で本格的に走っている連中には適わない。しかし、それ以外に、若い“にわかランナー”たちに抜かれることがよくある。大抵の場合、10代後半から30代前半くらいの、体力にそこそこ自信のありそうな若い男だ。道の端っこをトロトロと走っている中年オヤジのオレが前を走っているその脇を、いかにも邪魔臭そうに、力強いストライドで自信ありげに颯爽と追い抜いて行く。そんな時オレは、しばしば彼らが5~10mくらい前に出た後で彼らの後方10mくらいピッタリついて走ってしまうことが多い。なんとなく、彼らの若さに由来する傲慢さを挫いてやりたい衝動に駆られるのである。この若造たちは、さぞ優越感を感じて中年オヤジどもを颯爽と追い抜いて走っているつもりかも知れない。しかし、後ろから見る彼らの走るフォームはえてして若い筋力に任せた無理のある走り方で、そのスピードを数キロと維持できないような“若い”走り方であることが多い。2周、3周と走っているうちにすぐに息が切れ(笑)、やがてトロトロ走っていたはずの中年オヤジのオレに追い着かれ、抜き返されてしまうことになるのである。とは言え、これらの若いランナーの多くは、一旦は追い抜いた中年オヤジに抜き返されることをプライドが許さないのであろう(笑)、後方から足音が近づいてくると再びペースを上げて、抜かれまいとするのが常である。そんな時でも、オレは彼らからつかず離れずの距離を維持し、後ろからプレッシャーを掛け続ける(笑)。すると、ほとんど場合、半周から1周の間に彼らはすっかり息が切れ、諦めてペースを落としてオレに抜かれるか、コースアウトして公園から居なくなる。こうして彼らが学ぶのは、自分が体力があるかのように思っていたのは、実は若さに由来する瞬発的な筋力に過ぎなかったということである。本当の体力というのは持久力であり、その強さ・その速さをどれだけ維持できるのかというのが重要なポイントなのである。そして、自分の前をトロトロと走っている鬱陶しい中年オヤジと思っていた男性も、実はフルマラソンやアイアンマンを何度も完走しているベテランが健康維持のためにジョギングをしている“仮の姿”かも知れないのである。ヘンに調子に乗ってこういう人と張り合ったがために、翌日は筋肉痛でまともに歩けなく危険性があることを、若い人たちは知って謙虚に走るべきなのである。
2012.06.02
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お世話になりました、でもみんな明日はゴミです。何年か前にもまとめて棄ててましたね新しいシューズを買うたびに古いのを棄てないからこうなるんですね靴ひもを用いずベルクロで留めるので簡単に履けるナイキのヤツ気に入っていましたが、すぐに売られなくなりましたニューバランスが一時期売ってたフラット着地向けの平らな靴底のシューズサブ4マラソン向けとの触れ込みだったが実際には軽過ぎて衝撃吸収が弱く30km過ぎですぐ脚に来てフルマラソンのワーストタイムでゴールしたこれは初めてのアイアンマンで履いたアシックス・サロマ土踏まずを持ち上げるアーチサポートが中に付いているのでウルトラマラソンにはピッタリ今後はもっぱら健康ジョグになるので、アシックスのゲルカヤノでトロトロ走ります
2012.03.04
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日本の友人から、YouTubeへのリンクが貼られたEメールが送られてきた。先日、イモトとかいうお笑いタレントがアコンカグア登頂に挑戦する企画を「世界の果てイッテQ」とかいう番組でやっていたらしいのだが、そのリンク先はその番組の終盤を録画したものであった。Facebook仲間の書き込みで、このタレントがアコンカグアに挑戦するらしいという話は聞いていたが、その後どのような結果になったのかは知らなかった。ただ、その書き込みを読んだとき、「オレが2度も挑戦して敗退したアコンカグアに、芸人ふぜいに一発で登頂されたら悔しいな」とだけ思っていた。このYouTube動画を見れば、その結果が判るわけだ。友人のメールによれば、このタレントが頂上にアタックしたのは、オレが頂上を目指したほぼ1ヵ月後の、1月8日だったという。オレは昨年12月にアコンカグアから下山して以降、日本への一時帰国準備や結婚の段取りやらに忙殺されることで、アコンカグアのことを思い出さないようにしていた。しかし、このYouTube動画を再生し、そのタレントが頂上まであと数百メートルのあのグランカナレッタを登る姿を見た瞬間、あの時の悔しさが急激に蘇ってきた。オレは、カナレッタの急坂に息を切らすこのタレントに感情移入し始める前に、「この連中はこのまま登頂してしまうのか」「登頂したとしたら、悔しいのう」とか考え始めている自分、すなわち負け犬の心理でこの動画を見ている自分に気づき、少しだけ自己嫌悪した(笑)。あの見慣れた急斜面。左前方の頂上がすぐそこに見える。オレがアタックした12月上旬はまばらにしか残っていなかった雪が、どうやらその後の降雪でかなりの深さになっていたようだ。いずれにしても、ステップを踏むごとに崩れていくあのガレよりも、この程度の雪の方が登りやすいだろう...などと、いざという時の自分に対する言い訳のようなことを考える(笑)。中央左上が頂上。右下の米粒みたいのがオレのチームメートしかし、雪はところによって思いのほか深く、このタレント隊は雪崩の危険を避けるため、オレが辿った頂上直下のルートではなく、いきなりサウス・サミットに近い尾根に向かって登り始めた。サウスサミットそばの尾根は6890m。オレがリーダーから下山を命じられたのとほぼ同じ高度である。しかし、この尾根からは視界をさえぎるものがないので、オレが見れなかった、あの有名なアコンカグア南壁が見えている。...嫉妬心が頭をもたげた。番組はここで急転する。アンデス特有の吹雪、ビエントブランコの予兆となる風が吹き始めたのだ。番組の終盤しか見ていないのでこのタレント一行が何時頃にこの地点に到達したのか知らないが、オレが頂上にアタックした時期は、ビエントブランコを避けるために午後1~2時くらいまでに登頂しなければならなかった。この一行もやはりこの時点で「タイムオーバー」となったらしい。頂上まであと80m足らずのこの地点で、ガイドのオッサンが撤退を決断したようであった。...ここまで見てようやく安堵する自分の心の貧しさを、オレはちょっとだけ恥じた。「ここを「イッテQ」の頂上としよう。」とガイドのオッサンがタレント一行に宣言するのを聞いた時、リーダーの下山命令に「頼む、登らせてくれ」と懇願する自分に対しサブリーダーが叫んだ「This is your summit!」という言葉を思い出したオレは、ふざけた太い眉をマジックで描いたこのお笑いタレントに心底同情した。そして、ガイドのオッサンが言った「恨まれてもいいから、ここで帰る」というセリフに、「頼む、登らせてくれ!」と叫んだオレの懇願にしばらく沈黙していた時のリーダーたちの気持ちを思った。無念の下山の途中でこのお笑いタレントが泣いている姿は、あの時の悔しさを急激に思い出したオレには、とても見ていられなかった。ただ、彼女の1ヵ月前に「残り2名、登頂成功」の無線連絡を聞いてオレがむせび泣いたカナレッタの入り口の休憩地点で、ガイドに感謝の言葉をかけながら泣く動画のイモトに、オレなんかと違って苦労している芸人はエライよな...と思った。このYouTube動画のおかげで、記憶から抑圧していた2ヶ月半前の悔しさに再度直面させられたが(笑)、一方で、解けなかった心の奥底のわだかまりが何となくちょっとだけほぐれたような気がして、見てよかったと思った。ところで、この番組では「6890m、頂上まであと200mで断念」と繰り返し言っているが、アコンカグアは標高6965mなので、ホントは頂上まで80m足らずである。ギリギリで敗退を余儀なくされたオレとイモトのささやかな名誉のためにも、この点に関しては番組内でキチンと訂正しておいて欲しいと思うぞ、オレは。
2012.02.27
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5500mのハイキャンプ2、ニド・デ・コンドレス2月に比べて雪は少ない昨シーズン登頂日の前の晩に泊まったベルリン小屋(5950m)の中は吹き込んだ雪に埋もれていた。昨シーズン登頂を断念して引き返したインデペンデンシア(6400m)付近からの眺め。グラン・カナレタの入り口(6750m)にて休憩登頂断念を宣言した後続のチームメイトのDを見下ろす(6850mくらい)一方で先行のチームメイトAとガイドリーダー(写真右端)は頂上まであと一息下山するDとサブリーダーを追うキャンプ・コレラ(6000m)にて、登頂断念したDのケツと登頂成功したA(青ジャケット)
2011.12.14
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ベースキャンプの前に一泊するアプローチ・キャンプのコンフルエンシア。シーズン初頭なので閑散としている。メディカル・テント。ここで医者から血中酸素飽和度、心拍数、血圧などのチェックを受ける周りを囲む山はどれもかっこいい切り立った南壁から登攀を試みる少数のクライマーのみがベースキャンプに使用するプラザ・フランシアから見たアコンカグア(南側)とそのふもとの氷河。2月に行った時は雲で隠れて何も見えなかった。ベースキャンプのプラザ・デ・ムーラス。やはりまだ閑散としている。夕日に染まるアコンカグア。燃えるような夕焼け。何度見てもいい。Dr. ヴェロニカ。先シーズンから引き続きプラザ・デ・ムーラスのメディカル・チェックを担当。もちろんボクのことを覚えていてくれた。夜間にテント内で排尿するための小便ボトル。これで計1.7リットル。高度順応のために大量に水を飲んだのでいつもは1晩に3リットルくらいは排尿していた。
2011.12.12
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それではみなさんお達者で。 今回は荷物が少なくてだいぶラクやわ。
2011.11.19
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訪問者のみなさんお元気ですか、わたしは元気です、さいきん滅多にブログを更新していないのは、ご賢察のとおり、結婚を前提としてお付き合いしている相手と毎日スカイプばかりしているからですこれまでブログ記事を書くのに費やしていた時間のみならず、毎日誰かと雑談をしていると、何かを書こうという意欲もなくなるようですね...で、この調子でいくと、このままブログを更新することもなくアコンカグア遠征に出発してしまいそうなので、ちょっと忘れる前に今日の時点で記事を書いておこうか、と思ったわけです。アコンカグア行きの荷造りは半分以上進んでいて、まあトレーニングもそこそこ出来ており、体調も悪くないし、心の準備はOKかなあ、という感じです。今回わたしは前回2月のときのように単独ではなく、地元アルゼンチンの会社が組織する登山隊グループに加わるわけですが、来週21日に出発する今シーズン初めてのグループはたった5名しか集まらなかったそうです。1回の登山遠征につき定員12名でグループを組んでいて、われわれ以降は来年2月末のシーズン最後の登山隊までほぼ定員いっぱいだそうなのですが、シーズン最初のグループは人気がなかったようです。それもそのはず、アコンカグアの天候情報を調べてみると、11月はまだ冬なのです。じつを言うと、わたしは前回ロー・シーズンの2月末~3月上旬という南米アコンカグアでいう冬のはじめに遠征していたので、これから夏に入る11月後半があれより寒いことはないだろうとタカをくくっていたところがありました。しかし、この天候情報を見る限り、11月のアコンカグアは3月前半よりも寒い!4300m地点にあるベースキャンプでは今年2月末の時点で氷点下に下がるのは日が照っていないときだけで、日中はジャケットなしでも十分な暖かさでした。しかし、われわれが登山を開始する21日あたりの気温はつねに氷点下5度前後です。4900m地点のハイキャンプ1でマイナス10度前後、さらに、5900m地点のアタックキャンプではマイナス15~20度、6960mの頂上ではマイナス25度前後で、時速50m前後の風速を考慮すると体感温度はつねにマイナス40度といった感じです。登山隊を組織している地元の会社の窓口の女の子によると、今年は乾燥気候のはずのアコンカグアの最寄の町でも1日中雨が降ったりして、異常気象だと言っていました。ちょっとその点が気懸かりです。でも、昨年末にホワイトマウンテンで経験した時速100kmのキチガイじみた爆風が吹いているわけではなさそうなので、寒さ対策だけをしっかりしていけば何とか乗り切れそうな気はします。あ、ところでアコンカグアのベースキャンプにあるウェブカムですが、なにせわれわれがシーズン最初の遠征隊なので、まだ設置されていないようです(笑)予定では、11月25日にベースキャンプに到達し、28日にハイキャンプに移動、12月2~4日の間に頂上にアタックし、12月5日までにベースキャンプまで戻ってきます。まあそれまでにウェブカムが設置されていれば、カメラの前でポーズをとりますんで、ヒマな人は上記の日にこのサイトをチェックしておいてくださいね(ちなみに今日の時点では2月27日の画像のままです)。遠征後もまたヒマがあればふもとの町メンドーサのインターネット・カフェからでもブログを更新します。また日本で大地震とかなければいいんですが。つーか、昨年みたいに南米で大地震が起こるほうを心配しろってか(笑)それではみなさんごきげんよう。
2011.11.15
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トレーニングがてら、また山に行ってきたので写真をごらんください、みなさんMt. Marcyというニューヨーク州でいちばん高い山です、とは言っても高さはせいぜい1630mくらいだそうですアコンカグア遠征まであと2週間を切りました、そこで、近場でできるだけ雪山に近い経験をしたかったので、この山に行くことにしたのです実際に行ってみたら積雪があったのは標高1000mより上で、しかも日の当たらないところに薄っすらと積もっている程度でしたしかし、問題は積雪ではなく、氷でした。岩の上を流れる水がバリバリに凍り、小規模な氷河みたいな状態になっていたのです初日、無謀にもアイゼンを持たずに頂上を目指したワタクシは、氷に何度も足を滑らして転倒し、身の危険を感じて1500m少々で下山、その日は中腹に設営したテントにいったん引き揚げたのでした翌日はちゃんとアコンカグア本番で使うプラスチック・ダブルブーツにアイゼンを装着して臨んだところ、スピードは落ちたものの、氷の上も容易に登れるようになりました2日目は快晴で無風でしたが、この山はしばしば2週間前に登ったMt. Washingtonみたいな暴風雪にさらされるそうです。この木の状態を見ると納得ですようやく岩に覆われた頂上付近が見えてきました別ルートで先に登頂した人たちがいます。ちなみに好天に恵まれたこの日は5~6組のグループと、ぼくみたいな2~3人の単独登山者とすれ違いました絶景です、雲ひとつない青空。南側はこの日差しですっかり雪が解けていますはるかかなたにレイク・プラシッドの集落が見えます。去年出走したアイアンマンの会場になった町ですこんな感じで登頂の自画撮りをしてみましたこれは標高の低い地点であちこちで見られた霜柱です、花が咲いているみたいでキレイでしたとまあ、そんな感じで、片道13キロ弱、標高差1000mちょっとの道のりでしたが、山の中腹で2晩ほど氷点下での野営の訓練をして、下山しましたこの季節は冬眠前に食いだめをしている熊が出没するので、誰もいない山の中でテントを張って寝るのは怖かったです。夜中に風が吹いてガサガサと音がすると、熊が出たかと思って何度も目を覚ましました。アコンカグアは少なくともクマなどの野生動物の心配がない点がよいといえばよいかも知れません。今回は本番で着用するプラスチック・ダブルブーツにアイゼンを付けて登山をするよい訓練ができました。しかし、先々週のホワイトマウンテンも今回のMt Marcyも2000m足らずの山なので、高度順応の訓練がちっとも出来ていないのが心配です。北米では東部に2000m以上の山がないのでそれが残念なところ。その点、日本では富士山なんかでちょっとした高度訓練が出来るから便利ですね。
2011.11.06
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じつはさあ、あと4週間足らずでアコンカグアに戻る予定なんだわ。Mt. Madison 山頂(クリックすると動画)今度は山開き初っ端のロー・シーズン(笑)。Mt. Adams 山頂でもさ、前回の単独の経験で十分懲りたので、今度はちゃんとガイドのついた各国混合遠征チームに高いカネ払って参加することにしたんだけどね。Mt. Washington 山頂最初から遠征チームに加わっていればきっと3月のときにちゃんと登頂できていただろうに、最初にその費用をケチったばっかりにまた高い渡航費や入山料を払って同じ山に戻るハメになったという、「安物買いのゼニ失い」の典型だよなオレって...などと思いながら、またしても貯金を下ろして登山ガイド会社にカネを払ったワタシ。Mt. Washington 山頂の凍結小屋でさ、そろそろマジメに準備しなきゃ今回ガイドつけてもまた失敗しかねないじゃんと思って、この週末に行ってきたんだわ、昨年末に行ったホワイトマウンテンに。これらの写真は全部それ。まだ本格的な冬ではなくって、ふもとでは紅葉が終わって、頂上付近は雪を被ったって感じ?でもさ、一番上の動画にもあるように、やっぱ風が強くて寒いわ(笑)。ワシントン山は好天でたくさんの登山者がいたけど、その前の日は悪天候で、オレ以外に頂上目指してるヤツは1人しか見なかったわ(笑)。タッカーマン・バレーでも、ムースがいたんだわ、標高1500mくらいの山の中に(笑)。こんな高くて寒いところで何やっとんねん(笑)。クリックすると動画まだ若そうなメスでさ。もっと下に行けばまだ雪もなくて食べ物も豊富にあるんだろうに、イジメられたのかね、ムース仲間に。こんな近くで見たの、初めてだったわ。近くで毛並みとか表情とか見たら、素直に「美しい。」と思ったね。...で、結局、去年登頂できなかったワシントン山、マディソン山、アダムズ山のすべてを3日間かけて登頂して、山の中の避難小屋とかでテント泊して帰ってきたわけよ。久々の氷点下での野営は凍えたゼ!(笑)表面に薄氷が張った避難小屋のそばのハーミット(“隠遁者”の意)・レイク体力は何とか保ったけど、脚力不足を感じたねえ。なんせ今年はほとんど自転車トレーニングしなかったしなあ。あと4週間弱で体幹と太ももを鍛えないと今回も登頂に失敗しかねない。あと、どっか寒いところに行って耐寒トレーニングもしておかないとなあ。...とまあ、そんなところ。
2011.10.23
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ところで、夜の間ランナーたちがどこで休息するかというと、偶然にもリレーのコース上にあるコーチの両親の別荘で雑魚寝するのである。自分の担当区間を走り終わったら、2台用意したサポート用のバンの1つに乗り合わせ、別荘に直行して、次の自分の順番が回ってくる直前まで寝袋に入って寝る。深夜2時半頃に別荘の部屋に到着すると、すでに夜間区間を走り終えたチームの仲間が寝息を立てていた(コーチとコーチのハズバンドだけは自分のベッドルームで寝ていた)。半日で2度のランを終えて疲労しているので、人が頻繁に出入りするにもかかわらず安眠している。そういうオレも寝袋に入ったらすぐに眠りに落ちた。4~5時間仮眠し、7時過ぎに目を覚ます。脚にやや疲れはあるが、10キロそこらを走る分には問題なさそうだ。ほかのメンバーとサポート車に乗せてもらって自分の担当区間のスタート地点に向かう。この区間はもともと昨日途中リタイヤした青年が担当することになっていたコースで、最初の半分は下り坂の高速コースらしい。オレはもともとこの10.3kmの区間を5分20秒/kmペースで57分程度で走りきる予定だったのだが、コーチが「前半は下り坂だし、キロ5分で行けるから」と言われ、50分完走に上方修正されてしまっていた。オレの次の走者は最後のアンカーなので、この区間で出来るだけ順位とタイムを稼がなければならない。今朝は曇天で、さっきまで雨が本降りであった。2つ前の区間を走っていたチームの仲間は全身びしょ濡れになったことであろう。オレの1つ前の区間は、もともとわがチームのサポート車のドライバーとして参加していたのが、途中リタイヤした自分の息子に代わって急遽出走することになった例の母親が走っている。ここ数ヶ月ほとんどトレーニングしていなかったと言うが、息子の責任を感じているのだろうか、夜間のコースでは1キロ5分~5分半くらいのなかなかのハイペースで走っていた。オレに交代する前にガス欠にならなければいいのだが。交代地点では、昨日の最初のランで途中リタイヤした青年を追い抜いたあの東洋人青年がウォーミングアップしていた。話を聞くと、どうややこっちに仕事に来ているガールフレンドに会うためにオーストラリアからやって来たらしい。逆三角形の上半身をした筋肉モリモリの男である。一見するとカナダ人と区別がつかないその白人のガールフレンドは、甲斐甲斐しくその青年の面倒を見ている。オレは、自分のチームの仲間が昨日抜かれていることもあり、「コイツには負けられない」と思った。向こうも同じ東洋人のオレを意識していそうな気がする。そうこうしているうちに、オレの前の区間を走る母親ランナーが最後の下り坂を下りてきた。総合順位14~15位といったところだろうか。オレは彼女のタッチを受けて走り始めた。まず最初の数百メートルでベテランっぽい女性ランナーを抜く。さらに次の1キロで、かなり疲労の色が見える女性ランナーに容易に追い着いた。ちょっと先には目立つ黄色いシャツを着た長身のベテランっぽいランナーがなかなかの好ペースで走っている。噂に聞いた長い下り坂に入ると、ギアを入れ替えてすごい長いストライドで走り始めた。彼が1歩走る間にオレが2歩走らねば追い着かないくらいのジャンプ力である。どうやら後ろのオレの足音に気づいていると見えて、呼吸も激しい。それにしても、これだけ一歩一歩の落差が大きいと、脚への衝撃も激しいに違いない。しかも過去12時間やそこらですでに20キロ前後を走っている。この急坂がどれだけ続くのか分からないが、おそらく坂が終わる頃には脚の筋肉が傷んでスパートを掛ける余裕もないだろうとオレは思った。オレは迷わずにペースを上げ、彼を抜いた。彼も1キロやそこらの間はオレを抜き返そうと呼吸も荒く後方に付いてきていたが、坂が終わる頃には彼の激しい息も足音も聞こえなくなった。それよりも、本命のライバルは例のオーストラリア青年である。長い下りが終わると、今度は緩い上り坂が続いた。オレは決して上り坂は苦手ではないが、脚力では太刀打ちできない若い連中にしばしば上り坂で抜かれている。オレはあのオーストリア青年の足音がいつ聞こえてくるかと思いながら、必死で坂を上った。峠を越えるとまた緩い下り。直線のコースは数キロ先まで見通せるが、交代地点らしきものは見当たらない。路傍にほかのチームのサポートメンバーとおぼしき東洋人女性が居たので、「あと何キロ?」と訊くが、「分からない。」と言う。クソー、役に立たないヤツ Useless shitめ。もはや残る距離を推測するために腕時計を見る余裕もない。いずれにしてもこれ以上ペースを上げる体力は残っていない。せいぜいあと1~2キロだろうと言い聞かせて自分を鼓舞する。すると、さきほど残る距離を尋ねた東洋人女性がいつの間にか数十メートル先に立っていて、オレが通過するタイミングで「あと2キロくらいらしい」と教えてくれた。携帯電話か何かで誰かに訊いて調べてくれたのだろう。ありがたい。さっきは「この役立たずめ」と心の中で毒づいたが、前言撤回だ(笑)。やがて数百メートル先に前を走るランナーの姿が迫ってきた。ペースは乱れていないようだが、とてもスパートを駆けられる余裕はなさそう。あと2キロあればこのランナーも射程範囲内だ。オレは後方を走っているであろう例のオーストラリア青年を頭にイメージしながら、ペースを落とさずに地道に前身を続け、次の短い上り坂で前のランナーを抜いた。ガリガリの初老のランナーで、オレを抜き返そうとすることはなかった。もういい加減交代地点だろうと思いつつ曲がり角を曲がると、ほんの200m先に大勢の人が待ち受けていて声援を送っていた。アンカーのRが神妙な顔でオレを待っている。「4人抜いたぞ」と叫んで彼にタッチした。かなりの充実感だった。全身汗びっしょり。炎天下のトライアスロンでもここまで汗をかいたことはないのではないか。タイムも47分少々。下り坂半分とはいえ難易度4の区間でこのタイムは上出来である。コーチが上方修正した予想タイムもクリアできた(笑)。その後クールダウンがてら、コースの最後の数百メートルを歩いて戻ってみたが、例のオーストラリア青年はもちろん、下り坂で抜いた黄色いシャツの長身のオッサンも見当たらなかった。追い着かれるどころか、引き離していたらしい。サポート車に乗り込んで、5キロ先のゴールに先回りする。車窓から見たところ、アンカーのRの後ろ1~2キロの間に3人、前1~2キロの間に3~4人が走っている。まあ1~2人に抜かれたとしても、30数チーム中10数位くらいでゴールできそうか。ゴールにはチームメイトの声援に迎えられながら次々とアンカーが入って来ている。我がチームの仲間たちもゴールのそばで次はRか、その次こそRかと、Rの姿が現れるのを待っている。やがてRの巨体が現れた。しかしすぐ後ろにライバルチームの女性がスパートをかけて彼を追っている。もはやここまで来ると順位などどうでもいいのだが(笑)、Rがオレ同様チームのプレッシャーに弱いのを知っているので、「すぐ後ろに迫ってるぞ、ガンバレ、抜かれるな!」と声を掛けると、彼は最後の踏ん張りを見せてリードを守ってゴールした。ゴール付近で記念写真を撮りながらお互いの努力を労っていると、黄色いシャツを着た長身のオッサンが声を掛けてきた。下り坂のコースで抜かれたのはキミだったよねと確認した上で、オレが何歳か訊いてきた。彼は下りのスペシャリストでこの区間にはよほど自信を持っていたらしい。オレが30代とかだったら「抜かれたのも仕方がない」と自分を納得させられたのだろうが、45歳だと応えると、51歳の彼は来年の雪辱に燃えていた。…でもオレは来年出走したとしてもこの区間は走らないと思うけど…(笑)。ところでRのすぐ後ろのランナーは、昨日の時点では「一般」のグループで1位だったオレらに次いで2位のチームの女性だった。オレが昨日走った時点では15分の差をつけていたのが、最終区間ではほんの数秒差まで迫っていたのだ。危うく「一般」グループ1位の座を奪われるところであった(笑)。エースの青年が故障リタイヤし母親に代わってもらうなど予想外のハプニングはあったものの、みな予想タイムを上回って完走し、準エリートのグループに混じっても平均的なタイムで250kmを完走でき、コーチもご満悦であった。何よりも、チームとして走ることで、日頃出せないような力を発揮できたことにオレを含む誰もが満足している様子であった。
2011.08.22
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次のオレの順番は夜の11時スタートであった。ほぼ中間地点となる約120kmの交代地点まで全チームの走者が到達した時点で一旦レースを休止し、後半戦を夜10時に一斉スタートし直す。ただし、オレらのチームは「一般」チームと一緒にスタートするにはあまりにもぶっちぎりのタイムであることが前半戦で明らかになったため、後半戦は「エリート」「準エリート」チームと一緒に11時にスタートすることになったのであった。前半戦の途中でサポート車に乗っていたコーチとすれ違った際、コーチのハズバンドと順番を入れ替えて、もっと距離の短いコースを走ったほうがよいのではないかと言われた。オレが十分に休息もとらないうちに例の青年に代わって4キロ少々の上り坂コースを走ったので、深夜の13kmや朝の難易度4のコースを走るには疲労し過ぎているのではないかと言うのだ。一方、5キロ前後の短めの距離であればコーチと同じくらいのスピードで走れる実力を持つコーチのハズバンドは、今回は距離が比較的短い順番を選んで走ることになっていた。しかしオレは、仕事が忙しくて長距離のトレーニングがほとんど出来ていないコーチのハズバンドよりは好いタイムで走れるからと主張し、当初の順番で走らせてもらうことにしたのであった。今年はアイアンマンに出場しないのでキチガイじみた量のトレーニングこそしていないが、このレースに出ることが決まってから密かにトレイルなどを走って自主トレしていたのである。その成果を確認する機会をみすみす放棄するわけにはいかない。スタート時刻ギリギリに到着した真っ暗な林の中にあるトレイルのスタート地点にはすでに10数人のランナーが並んでいた。深夜のコースはトレイルなど街灯のない場所もあるので、ランナーにはヘッドランプと反射板ベストの着用が義務付けられている。また、トレイルではサポート車が入る余地がないので、多くのランナーは途中給水が不要なようにキャメルバッグを背負っている。こんな格好で深夜に競走をする機会は一生の間にこれが最初で最後かも知れない。こんな感じスタートとともにエリートランナーとおぼしき4~5名が飛び出し、その後に続く4~5名のグループの後尾に付いていく。1キロ4分45秒くらいのペースであろうか。昼過ぎに雨が降ったので、足元は水溜りだらけである。なにせ初めて走るコースであり、あらかじめ地図も確認していなかったため真っ暗な中どっちに走っていいか分からない。道に迷わないようにするためには必死で前の走者についていくしかない。3~4キロのトレイルからやがてコースは車道に出た。いきなり上り坂だ。右手に真っ暗な湖畔が見える。最初の上りで初老のオッサンに、2つ目の長い上りで長身のニーちゃんに抜かれる。やがて住宅街とおぼしき地帯に入る。土曜日とはいえもう11時過ぎなので一帯はシーンとしている。こんな場所をこんな時間にヘッドランプをつけた連中が息を切らせながら走っているというのも異様な光景だ。それでもちゃんと要所要所にランプを灯したパトカーが配置され、ポリスマンが交通整理をしてくれている。オレたちの払う出場料の多くはこれらの交通整理のポリスマンに払われているらしい。そりゃ、こんな酔狂にケーサツが自腹で付き合う義理もあるまい。昼間走るのと違って真っ暗な中を走るのは距離感が乏しいので、どれくらいの距離を走ったのかは時間から推測するほかない。腕時計を見ると早くも50分近く経過していた。10キロくらいは走ったか。疲れはそれほど感じないが、翌朝には難易度4のコースが控えているので自重する。それにしてもアップダウンの激しいコースだ。前のランナーには50mくらい引き離されたが、後続のランナーの足音は聞こえない。このペースを交代地点まで維持すれば、このまま8位くらいの順位で次の走者に引き継げるか。そろそろ交代地点が見えてきてもいい頃だと思いつつ曲がり角を曲がると、前方に緑色のランプが点滅し、反射板ベストを着た複数の人がウロウロしている場所がようやく見えてきた。あれが交代地点に違いない。真っ暗でいったい誰が誰だか判らないので次の走者の名前を呼ぶと、返事が聞こえた。タッチして交代する。1時間3分。キロ当たり4分50秒ペースか。当初の目標が1時間9分、5分20秒ペースだったので、よほど周りのエリートランナーのペースに引っ張られたということか。あとは後続の2人の走者のサポートが終われば、朝は7時過ぎまで仮眠できる。難易度4の最後のコースに備えて出来る限り疲労回復しなければならない。(つづく)
2011.08.21
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地元オンタリオ州では例年この時期に「Shore to Shore(湖岸から湖岸まで)」と通称される、シムコ湖からヒューロン湖北西岸のジョージアン・ベイまでの250kmを昼夜を通し7~8名編成のチームで走破する対抗リレーが開催されているのだが、今年はオレの所属するトライアスロン・クラブが3年ぶりに参加することになった。参加チームのほとんどは州内の走友会で、それにうちのようなトライアスロンクラブや、会社などを中心に組織した混成チームも加わり、30数チームが参加している。250キロを7~8名で割れば1人あたり30~40km程度だし、1つの区間は10キロ前後、しかも次の自分の順番が回ってくるまで5~6時間は休めるので、アイアンマンやマラソンに出走したことのある人であれば何ということはない。…とまあそう考えてチームメンバーの誘いに二言返事で乗って参加してきたのだが、実際に走ってみたらこれが思いのほかキツくて参った。トレイルを含むアップダウンの激しいコースや、昼夜を通して走るのがキツイというのもあるが、いちばんキツイのは「リレーである」というプレッシャーである。トライアスロンにせよマラソンにせよ基本的に個人競技であるから「チームワーク」というのが要求される局面は少ないし、レース中もマイペースで走ることに馴れている。速いヤツらに抜かされようが、個人的なプライドに引っ掛かることはあったとしても、別に平気である。しかしリレーとなると、自分が抜かされたせいで順位が落ちるとか、前の走者たちが作ってくれたせっかくのリードを無駄にしてしまうとか、チームが入賞するかどうかは自分のタイムに掛かっているとか、日頃個人競技では気にせずに済んできたチーム競技のプレッシャーに直面しなければならないのである。もともとそういうプレッシャーが苦手だから個人競技のスポーツをやっているというタイプの人たちにとってはこれが結構な重圧なのである。まあうちのチームはもともと競争志向の強くない中年・熟年中心の健康志向のチームであって、チームメンバーに元オリンピックチーム・メンバーなんかがいそうな本格的な走友会には勝ち目がないし、リレーとは言ってもそこまでのプレッシャーはない。とはいえ、前の走者が必死で走って自分にたすきをつないでくれているのを見ると、さすがに「マイペース」というわけにも行かない(笑)のである。オレが走る順番は8人中5番目であった。サポートを担当しているチームメイトがクルマで先回りして走者交代地点にやってきて、「前の走者は次に500m近い差をつけてトップで入ってくる」と教えてくれた。チームは自己申告予想タイム平均に応じて「エリート」「準エリート」「一般」の3つに分けられ、予想タイムがいちばん遅い「一般」のチームたちがいちばん最初、「準エリート」チームがそれから30分後、最も速い「エリート」チームがさらに30分後にスタートというように、時間差をつけてスタートしている。オレたちのチームは「準エリート」と「一般」の中間にあたる予想タイムであったが、速い連中の尻に付くよりも遅い連中の頭に付くほうがいいので「一般」チームに混じってスタートしていた。オレのチームの前走者がトップを切って入ってくるのも道理であった。交代地点ではオレ以外に「いかにもベテラン市民ランナーです」といったアスリート体型の30代後半~40代前半の女性が手足をブラブラさせてウォームアップしていた。おそらく今2位につけているチームであろう。オレの中で、トップのポジションとこのリードを維持しなければというプレッシャーが一気に高まった(笑)。顔を紅潮させて交代地点に入ってきたチームメートのタッチを受けたオレは、後ろに今にも迫ってきそうな2位走者の足音を気にしながら、ほぼ全力で駆けた。折りしも曇り空の雲が晴れ、強い日が差し掛けている。前日の雨で湿度は非常に高い。コースの難易度が5段階で3に分類されている急な上りの多い10.6kmのコースを、何度か挫けそうになる気持ちと闘いながら、オレは自己申告より数分速い55分程度で走破して次の走者にタッチした。いざ走り終えてみると、2位で入ってきた走者には15分以上の差をつけていた。オレは少し休憩した後で自分のチームのサポート・メンバーが乗るクルマに同乗し、次の走者たちのサポートに回った。6番目の走者もリードを維持し、チーム最年少18歳の7番目の走者も順調にトップで走っていた。ただし数百メートル後には2位のチームの東洋人男性が彼を追い、差をジリジリと詰めていた。ちなみにこの青年は50代の母親と一緒にうちのトライアスロンチームに所属していて、今回サポートメンバーとしてクルマを運転しているのは彼の母親である。走る彼に水を渡しながら調子を尋ねると、ヒザが痛いという。実は、この青年はさいきんヒザを痛め、なるべくヒザへの負担が少ないように下り坂の少ない12キロ弱のコースを割り振っていた。これを聞いて心配したのはドライバー役の母親である。我々は次の交代地点ですぐに彼のひざを冷やせるようスタート地点に戻って氷を入手、走り続ける彼の元にすぐに戻った。彼はよほどヒザが痛むのかすっかりスピードが落ち、すでに何人かの走者に抜かれていた。我々のサポート車が併走しているのに気づくとの上り坂の途中ですぐに止まり、ゼッケンを外した。もう走れないという意思表示である。これは困った。次の走者への交代地点まであと4キロちょっと残っている。サポート車に乗っているのはオレ以外にはドライバーの母親と、青年の前に走り休息していた第6走者の男性だけである。母親が息子に代わって自分が走るから着替えるために数分欲しいと言うが、走者登録していないサポートメンバーが無断で交代したことがバレたらペナルティが課される可能性がある。というか、4位・5位のチームの走者が背後に迫っている状況で着替えに数分掛かった上に、あまりスピードが期待できない母親が残り4キロ強を走るとなると、予定より10分以上の遅れが生じさらに順位が落ちてしまう。オレはそこまで考えて躊躇なく彼の手からゼッケンを奪うと自分が交代すると宣言し、休息着のままで走り出した。上は着替え用の長袖Tシャツ、下はトレパン、靴はトレイル用シューズであった。ナイロン製のトレパンがカシャカシャと擦れる音を立て、長袖Tシャツは汗ですぐに重くなった。難易度3のコースの上り坂は、2時間前に急坂を走り終えたばかりの脚にはキツイ。それでも、背後のランナーにだけは抜かれるまいと懸命に走り、交代地点にたどり着いた。タイムは1時間ちょうど、自己申告の予定時間を4分上回っただけであった。休息のためにサポート車に戻ると、青年の母親に本気で感謝された。冷却剤でヒザを冷やしている青年は特に礼を言うでもなく、不機嫌そうな表情で黙っている。ぶっちぎり1位で交代地点に入って喝采を浴びるはずだったのが、後ろに付けていた東洋人男性たちに抜かれた上に途中交代になったのだから面白くないのであろう。ヒザをかばいながら走ってもまだ母親よりは速いであろうが(笑)、そんな不本意な走りはしたくないだろうから、深夜の9キロと明朝の10キロはほかの誰かに走ってもらうことになるのであろう。オレは次の順番が回ってくる夜11時まで4~5時間は休息できそうである。(書いてるうちにまた長くなってきたので明日に続く)
2011.08.20
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ほうろうさんから「今度日本に来たら一緒に山に行こう」と言われていたので、帰国前に約束どおり山に行った。ほうろうさんの誘いでブログ仲間のたまさんも同行。ほうろうさんの第一希望は富士山の青木が原の樹海であったが、ボクは3週間の地震・津波被災者ボランティア労働で心身ともにやや弱っており、この世に恨みを抱きつつ命を絶った人たちの怨霊に容易に憑依されかねない状態であったためお断りしたところ、第二希望の杓子山に変更。エンジェルフェイスさん・美都さんとのオフ会の後、深夜0時頃にほうろうさんの運転する自動車でたまさんを途中でピックアップして、富士山に近い杓子山の登山口へと向かう。山の中の道は車線も狭くクネクネと曲がりくねっている。ボクはほうろうさんという人間をいろいろな意味で信頼している。とくに自分が同乗する自動車の運転については彼に対し絶大な信頼感を持っている。5年前に燕山に登った時も、登山口からの下りのヘアピンカーブを制限時速40kmのところ80kmで対向車をものともせずスムーズに走り降りていた。ほうろうさんを信用していることは登山に関しても同様だ。深夜2時過ぎに登山口を出発し、熊が出没すると言われている夜の山道を登る時も、ボクたちは少しも恐れることなく彼の後ろをついて行く。途中、ハンググライダーのランチャー地点に利用されている崖のそばで休憩を取る。夜も白み始めている。山の背後に浮かんできた富士山の巨大さに圧倒される。富士山を見るたび、日本に生まれて良かったと思う。午前5時前に1600mの頂上に到着する。彼と深夜登山をすると、どんなにそれまでの予定が狂おうが、まるで狙ったかのように登頂のタイミングで日の出に出くわす。ボクが彼を信用しているもう1つの大きな理由がそれだ。一緒に登山した人は誰もが「シェルパの生まれ変わり」であることを確信するほうろうさんや、いちおうアイアンマンであるボクらのペースにほとんど遅れることなく、登山は久しぶりというたまさんも間もなく頂上に到着する。たまさんは準備よく携帯コンロや、コーヒー・カップラーメンなど、いろいろな行動食をボクたちのために用意している。自分用のスナックや水しか用意していないボクのような独身野郎とは大違いだ。下山の途中、ハンググライダーのランチャー地点でちょっと昼寝というか朝寝。なんていい天気なんだろう。同じ日本なのに、2ヶ月経って未だに大津波の残痕が痛々しい被災地とは正反対の平和さ。カナダでの日常に戻る前に、みんなとここに来れて良かった。
2011.05.23
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聞き手 今回は登頂日以外は高山病の症状が出なかったとのことでしたが、キリマンジャロで経験されたような身体へのダメージは結局何もなしですか。郡山ハルジ まあそうですね、日焼けや皮膚の硬化・乾燥といった些細なものを除くとほとんど何もなかったです。靴擦れやマメさえなかった。聞き手 お金を掛けて揃えた本格的な装備が有効だったんでしょうか。郡山 凍傷や靴擦れなんかに関してはそうですね。高山病に関しては、高度順化のために「登ったり、降りたり」を繰り返したのが効果的だったと思います。 聞き手 出発前のブログ記事にあった上の図ですね。郡山 はい。英語では「Climb high, sleep low」と言いますが、昼間のうちに標高の高いところに登り、寝る時は標高の低いところに戻って来て寝ると、寝ている間にホメオスタシスが働いて赤血球が増加し酸素供給効率がよくなります。聞き手 今回はオキシパルスメーターを持参されましたが、実際に計測した酸素飽和度はいかがでしたか。郡山 登頂日の数日前までマメに毎日数回ずつ計測してましたが、ベースキャンプ(4300m)とニド・デ・コンドレス(5300m)に到着した日に80%を若干切った以外、ほとんど85~90%でしたね。聞き手 たしか(メディカル・チェックで)ドクターから下山宣告を下される基準が70%未満、上のキャンプへの移動を許可される基準が80%以上でしたね。郡山 そうです。聞き手 ほとんど85~90%というのはかなり好調じゃないんですか。郡山 はい。心拍数もハイキャンプでさえ毎分80回に至りませんでした。これで、ローシーズンにしては天候も安定してたわけですから、日を追うごとに登頂への自信を深めていったのも無理ないです。聞き手 それを考えると登頂を逃したのは本当に残念でした。 ドクターが常駐するメディカル・チェック小屋 聞き手 アコンカグアには再挑戦される予定ですか。郡山 はい。来シーズンになるか2~3年後になるか分かりませんが、近い将来に戻って決着をつけたいと思ってます。聞き手 「決着」ですか(笑)。じゃあ、また単独で?郡山 ...いや、単独はもう懲りました(笑)。次回の挑戦までによほど登山技術や体力に自信がついていれば別ですけど。聞き手 ...となると、40万円くらい出してツアー登山に加わるか、パートナーを探して登るか...。郡山 そうですね、予算などの制約を考慮すると後者でしょうか。実は、南米からカナダに戻ってくる飛行機の中で『127 Hours』を見ちゃいましてね。聞き手 それもすごい偶然ですね。山から下りてきて、故郷の大震災のニュースを地球の裏側で見た次は、帰路の機内映画で『127 Hours』ですか(笑)。郡山 岩に挟まった自分の腕を切ってユタの谷底から生還したAron Ralstonの体験記を元にしたあの映画ですけど、単独で冒険を繰り返してきた末に、誰も居ない砂漠の谷底で岩に腕を挟まれて身動きを取れなくなった彼が、『この岩は、これまで(他者を視野にも入れずに)傲慢に単独でやってきた自分を、この谷底で、この瞬間までずっと待っていたのだ。』みたいなことをつぶやくシーンがあって...。ベルリン小屋であんな経験をしたばかりでしたから、すごく身につまされました(笑)。聞き手 まるでこの映画こそが、これまで単独でやってきた郡山さんを、この瞬間までずっと待っていたかのようですね(笑)。郡山 いや、ホントに(笑)。「他人と妥協したり、テントの中で小便や屁の音を聞かされても看過できるくらいの寛容さを身に付けてでも、次回は登山パートナーを見つけて来よう。」と思いました。聞き手 それは郡山さんにとっては結構ハードルの高い課題じゃありませんか(笑)。郡山 はい(失笑)。2011年は登山技術以外に、山で2週間以上も一緒にテント生活できるくらいの他者との妥協や協調性・社交性を身に着けることを目標に、心身のトレーニングに取り組もうと思います(笑)。聞き手 早速次の目標が出来てよかったですね(笑)。心身ともにさらにパワーアップされて、近い将来に登頂に成功されることをお祈りしています。(おわり)
2011.03.23
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聞き手 あとはアコンカグアでどんな人に出会いましたか。郡山ハルジ 昨日の2つの写真に写ってる2人ですが、東京在住のカナダ人と地元アルゼンチン人の2人組で、カナダ人の方は日本に何年も住んでいて日本語ペラペラ。アルゼンチン人の方はかつて沖縄出身のガールフレンドがいたそうで、片言の日本語を話しました。聞き手 登山者が少ないローシーズンのアコンカグアで、カナダ在住の日本人と日本在住のカナダ人が出会うというのも面白いですねえ。郡山 ホントです。カナダ人の方は日本で大学教員をしているそうで、アルゼンチン人は学生で、数年前にアンデスの山を登山している時に知り合って、今回一緒にアコンカグアに挑むことにしたらしいです。聞き手 もしかして、ベースキャンプやハイキャンプでも彼らと一緒に行動されたんですか。郡山 いえいえ、彼らはボクより1週間くらい前にベースキャンプ入りしていたのが、アルゼンチン人の青年の方が高山病でハイキャンプに上がれなくて、1週間もベースキャンプに停滞していたようです。アコンカグアの入山許可期間の上限である20日間に到達してしまい、両者とも5500mあるいは5900mのハイキャンプを最後に下山していました。写真はベースキャンプから一緒に下山した時に撮ったものです。(下は動画) 聞き手 地元アルゼンチン人の登山者はやっぱり多いんでしょうか。郡山 はい。ローシーズンになったからかも知れませんが、たぶん半数かそれ以上はアルゼンチン人じゃなかったかと思います。あと、登山許可証は20日間有効で何万円もしますが、登頂目的でない人のための数日間有効のトレッキング許可証はずっと安価なんで、それで入山してきてる人が多かったですね。聞き手 ベースキャンプまでだけのツアーとかあるんでしょうね、きっと。郡山 そうです。もしかすると、コンフルエンシア(登山口からベースキャンプまでの行程にあるキャンプ)やベースキャンプまで来て戻るトレッキング目的の登山者の方が、登頂目的の登山者より多いかも知れませんね。特に現地人はそうでしょう。聞き手 どうですか、地元アルゼンチン人の登山者とパートナーを組むというのは。郡山 いいですね。性格的に表裏がなくてやり易そうです。地元なので勝手が分かってそうだし、あと、ベースキャンプに常駐しているパーク・レンジャーとか英語があまり喋れないんですけど、そういう人たちから直接情報収集してくれそうですし。今回はハイキャンプで単独行のアルゼンチン人と遭遇したこともあったんですが、あいにく登頂のタイミングが合わなくてパートナーは組めませんでした。聞き手 アルゼンチンって、チェ・ゲバラを生んだ国でもあり、フォークランド戦争とかもあったし、英語圏に対して友好的じゃなさそうですよね。郡山 ほんとにそうですね。英語で話しかけてもポカーンという反応が返ってくることがほとんどです(笑)。英語が喋れないのは日本人並みかそれ以下かも知れません。まあアルゼンチンの場合はそもそも英語教育を推進してないからなんでしょうけど。聞き手 じゃあ、スペイン語の勉強が必要ですね。郡山 はい、もっとスペイン語を勉強してくればよかったと何度思ったことか...。聞き手 女性の登山者は居ましたか?郡山 少なかったですね。2週間のうち、4~5人しか見ませんでした。ツアー参加者かガイドを付けた個人グループ登山者で、さすがに単独行のツワモノは見なかったです。聞き手 じゃあ、アコンカグアでのそういう出会いはあまり期待できないですかね。郡山 期待するも何も、高山では異性に関心を持っているような元気はありませんよ。 聞き手 実は、お伺いしようかどうか迷ったんですけど(笑)、先日のドイモイさんのブログ記事を読んでいて、半月以上も山にいる間の性欲の処理は皆さんどうされているのか、と...。郡山 酸素が下界の半分しかない標高では個体保存に精一杯で、性欲の発生する余地なんかないと思います。寒いのと、血液が回らないのとでチンコなんてこんなに縮こまっていて(笑)、血色も悪いし(笑)、このまま壊死してとれちゃうんじゃないかと心配したくらいです。聞き手 (笑)。じゃあ、半月の間はまったくの禁欲状態ですか。郡山 半月どころか、登山準備に入る頃からそんな心理的余裕はなくなるし、下山後もしばらくはリカバリーのためにそんな元気が出ませんから、数週間は禁欲状態じゃないですか。聞き手 じゃあ、ドイモイさんのいうアディクトな人たちにはアコンカグアは無理ですね(笑)。でも、何で読んだか忘れましたが、植村直己がエベレスト登山の時、サウスコルでマスターべーションしていたという話を聞いたことがあるんですが...。郡山 ボクもその話は聞いたことがあります。同じテントで寝起きしていたパートナーが自分はもうギリギリの状態だというのに、それを見て唖然としたと(笑)。サウスコルというのは標高8000mのデスゾーンにある唯一のキャンプですが、ふつうの人だったら行為の途中で死んでるんじゃないですか(笑)。聞き手 デスゾーンでは皮膚に傷がついても傷口がふさがらないし、爪も伸びなくなるので下山後に段差になるそうですね。郡山 植村師匠にはほかにもハイキャンプでジョギングをしていたという伝説もありますからね(笑)。デスゾーンに居ても種族保存本能がまだピンピンしているような、類まれな生命力の持ち主だったということなんでしょう(笑)。聞き手 じゃあ、郡山さんもアコンカグアに再挑戦されるまでに、植村さん並みの生命力を目指して精力アップに努める必要があるかも知れませんね(笑)(つづく)
2011.03.22
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聞き手 ところで、個人的にぜひお聞きしたかったことがあります。今回、来シーズンに見送るようなお話をされていたかと思ったのが、急にアコンカグア行きを決意されました。「山に呼ばれたんじゃないか」とおっしゃっていた友だちがいたとかブログに書かれていたと思いますが、ご自身、この「山に呼ばれた」云々についてはどう思われますか。郡山ハルジ そうですね。とくにアコンカグアに呼ばれたというよりも、地球規模の大きな動きの中に自分も組み込まれていた...という感じがしました。うまく言えませんが。聞き手 ...ああ、地球規模というと、今回の地震の件なんかを含んでの話なんでしょうか。郡山 そうです。アコンカグアというのはご存知のとおり火山なんですが、人間の力をはるかに超えた地球の営みが生んだこの7000m近い山に、小っぽけな自分が抱かれているような感じが、アコンカグアにいる間ずっとしてたんですよ。聞き手 アンデス山脈は日本と同じく太平洋を囲む火山帯にあり、去年の2月下旬にはチリで大地震がありましたものね。郡山 そうなんです。昨年の同じ頃は、アコンカグアに登山した日本人(元・七大陸最高峰登頂最年少記録保持者の山田淳氏とそのクライアント)がチリで起きた地震のために帰国便が飛ばずに、サンチャゴで足止めを食っていました。その1年後に、ボクが下山してサンチャゴから帰国しようというタイミングで、ちょうど地球の反対側の日本で地震が起こった、と。聞き手 地震が起きたときのブログに、「生まれ故郷で未曾有の大震災が起きたという時に、地球のまったく反対側に居るようなヤツ、それが自分」みたいなことを書かれてましたね。郡山 はい(笑)。同じカナダ在住の知人の中には、たまたま日本に帰省している時にこの地震に遭遇した人もいたんですが、同じタイミングでわざわざ地球の反対側に居たボクみたいなヤツもいる。どうもその辺の一連の出来事に、偶然とは思えないものを感じました。聞き手 ...何というんでしょう、地球規模の歴史だとかエネルギーに比して、一時的に発生した寄生物に過ぎない人類の立場を思い知らせるというか、端的に言えば人間の傲慢を戒めるというか、私はそんなメッセージを感じ取ります。郡山 それはボクも同感です。聞き手 そんなタイミングで地球の反対側でアコンカグアに単独で登っていた郡山さんは、そんなメッセージを皆に伝えることを託されたんじゃないですか。郡山 ...ははあ、今回突然アコンカグアに行きたくなったのは、地球にまんまと利用されたということでしょうかね(笑)。なんだかそんな気もしてきました。聞き手 アコンカグアではほかに日本人登山者とは会われませんでしたか。郡山 入山時と下山時に1人ずつ会いました。入山時に会ったのは栃木出身の大学生で、休学して南米を自転車旅行中で、その締めくくりにアコンカグアに来たそうで。5500m付近で断念して下山してきた彼とは入山して2日目にコンフルエンシアで会いました。もう1人はボクがインディペンデンシアで登頂を断念してベースキャンプに下山してきた日に、ちょうどベースキャンプに到着した医学生で。春休みに入ってすぐにアコンカグアに直行してきたらしいんですが、もうオフシーズンに近づき冬色も深まりベースキャンプも閑散とした状況になりつつあるのを見て、登頂は諦めると言ってました。聞き手 どっちも単独なんですね。郡山 ローシーズンで登山ツアーが見つけられないとなると、よっぽど前から一緒に計画を立てていたパートナーでも居なければ単独行にならざるを得ないんでしょうね。聞き手 こうしてみると、日本人のアコンカグア単独行はけっこう多そうですね。郡山 そうですね。無謀というか、根性があるというか(笑)。他人のことは言えませんが(笑)。これで日本人遭難者の話をあまり聞かないのは、ある意味奇跡的かも知れません。聞き手 2月の1ヶ月だけで6人も亡くなったそうですからね。郡山 ボクの聞いた限りだと、遭難者や事故・病気に遭う登山者にはアメリカ人が多いようですね。ボクが入山する前にも、アメリカ人女性としてはエベレストに最年少で登頂したという10代の女の子がアコンカグア登攀途中に気を失って、たまたま通りがかったメキシコ人登山隊に助けられて九死に一生を得たという話も聞きましたね。聞き手 偏見かも知れませんが、アメリカ人というと勢いだけでアコンカグアやエベレストに挑む無謀な人も多そうな気がします。郡山 そういう傲慢さが山の神の反感を買ってるのかも知れません(笑)。聞き手 ...じゃあ、一方で日本人は、地球の裏側から遠路はるばるやって来たその根性を認められて、アコンカグアが手加減してくれているんでしょうかね(笑)。 (つづく)
2011.03.21
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聞き手 それでは引き続き、郡山さんが大好きな糞尿関係の話を聞かせてください。2週間、シャワーを浴びなかったんですよね。郡山ハルジ そうです。個人的には最長不倒記録ですね。聞き手 私は1日シャワーを浴びないともう気分が悪いタイプなんですが、半月も浴びないなんてちょっと考えられないです。郡山 空気が非常に乾いているんで汗をかかないし(...というかすぐに蒸発するし)、この標高だと雑菌も非常に少ないのか、下界で2週間風呂に入らないのとは全然感覚が違いますよ。ベースキャンプに1ヶ月とか2ヶ月住み込みで働いている業者なんかも、おそらく数週間シャワーを浴びていないんでしょうが、浮浪者みたいな格好になっていても不思議と臭くはなかったですし。聞き手 (まだ疑念が消えない表情で)そうですか。着替えが限られているから、洗濯なんかはされるんですよね?郡山 ボクはきれい好きなんで、ベースキャンプで天気のよい日を選んで洗濯しました。…でも、ほかの登山者で洗濯している人はあまり見かけなかったですね。数年前にアコンカグアに登頂された女性登山家のエンジェルフェイスさんでも「洗濯はしなかったけど、気にならなかった」と言ってましたよ。下着の着替えもせいぜい3~4つしか持参しなかったそうなんで、同じものを少なくとも3~4日ずつ着てたんだと思いますけど。聞き手 ...同じパンツを4日は私には無理です(笑)。その時点でアコンカグア登山は厳しいですね(笑)。郡山 うーん、個人的にはパンツだけはマメに替えたいですね(笑)。標高4~5000m級の山の中は寒いしインケイも縮こまっていて、尿の切れが悪くなります。用を足した後で結構な量の残尿がジュっとパンツに染みがちです。それに、高山病の予防に水を大量(1日4リットルが目安)を飲みますから、頻繁(約2時間ごと)に尿意を催しますしね。聞き手 汗はかかなくとも、パンツは尿にまみれがち...と。郡山 そういうことです。パンツを替えて、濡れティッシュとかでマメに陰部を拭いてやらないと、小便をするたびにサキイカそっくりの臭いがしてきて不快ですよ。聞き手 どんな臭いがするかまでは聞いていません(苦笑)。郡山 実はサキイカも持っていったんですけど、あのニオイを連想してしまって、全然食が進みませんでした。聞き手 貴重なお話をありがとうございました(笑)。郡山 ...あと、ハイ・キャンプでは大便をすべて袋に収集して下山しなきゃいけないんですけど、ハイ・キャンプには計1週間は居ますから、ベース・キャンプに下りてくる頃には結構な量になっていて、重かったです(うれしそうに)。聞き手 1回数百グラムとして、1.5~2キロくらいでしょうか。郡山 はい、なかなかいいセンいってますね(笑)。今回は野菜用のビニル袋と、チャック付きのサンドイッチ・バッグの2種類を持参して、二重・三重に密閉したつもりだったんですが、結構ニオイが漏れて辟易しました。聞き手 自分のヤツのニオイにさえ辟易するんですから、同じテントをシェアするパートナーの便のニオイなんか嗅がされたら、さぞかし不快なんでしょうね。郡山 ホントですね。気温が零下だと夜テントの外に出るのも面倒なんで、テントの中で尿用のボトルに排尿するんですが、あの音を毎晩数時間ごとに聞かされるのも不愉快でしょうねえ(笑)。聞き手 よほど気心の知れた人じゃないと、ボトルに排尿する音なんて聞くのも聞かせるのもイヤですよね。郡山 まったくです。その点、ボクは単独行だったんでその辺を気にせずに2週間過ごせたのはラッキーでした。一度なんて外にクソをしに行くのが面倒で、テントの中で排便しましたし。聞き手 …エ、テントに新聞紙か何かを広げて用を足すんですか!?郡山 ボクの場合、鍋(直径15センチくらい)の内側にビニル袋をかぶせて、そこに軽く腰掛けてやりました。前はちゃんとインケイをボトルに入れて尿をキャッチ。後ろも前もカンペキ!って感じでしたね(得意気に)。聞き手 ...どんなに気心の知れたパートナーでも、同じテント内で排便されるのだけは絶対見たくないですね...。 聞き手 しかし、ずいぶん日焼けされましたね。郡山 ...いやいや、これでもずいぶん褪めたんですよ。いちばん上の真っ黒に焼けた層はもう剥がれ落ちた後です。聞き手 上の写真は下界に降りた後のものですね。郡山 はい。下山して、登山口の近くにあるロッジに泊まったときに、ロッジのマネージャーと生還を祝って注文したコカコーラとステーキを前に撮った写真です。カメラに慣れてないロッジのおばちゃんに撮ってもらったんで、日焼けの感じがよく判らないですね。聞き手 鼻と頬がすごい。目の周りが焼けてないのはサングラス、額が白いのは帽子のラインですよね。郡山 これでもちゃんと日焼け止めを塗ってたんですけど、たまたま面倒で塗らなかった日が何日かあって、その数日だけでこんなに焼けたんです。聞き手 標高5000とか6000mの日光はさぞかし強烈なんでしょうねえ。郡山 標高が300m高くなるごとに、紫外線の強度が5%上がるそうです。標高3000mで下界の1.5倍、6000mで2倍の紫外線を浴びていることになります。おまけに雪は日光の90%を反射するそうですから、もう上から下から紫外線攻めって感じですね。聞き手 さらに凍傷もあるんでしょうか。郡山 少しはあるかも知れません。鼻と頬みたいに常に露出しているところはいつも寒風に晒されているので皮膚が荒れて痛いです。唇なんかも表面が敏感なので、粘膜がボロボロになります。朝、目を覚ましたら上下の唇の粘膜が癒着していて、口が開かなくて参ったことがありました(笑)。聞き手 それは酷いですね。でも、日焼け以外は跡形も無く治癒したようで、よかったです。(つづく)
2011.03.20
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聞き手 たしか5年前のキリマンジャロのときも、登頂日の前の晩にほとんど一睡も出来ずに登攀されていますね。郡山ハルジ はい。あの時は、「眠ろう」と努力すればするほど眠れなくなって、半覚醒状態のまま何時間も過ぎて、そのまま出発時間を迎えました。聞き手 その時も、半覚醒状態で、自分の登頂失敗を願っている悪意のある人たちのイメージが浮かんだ、とか書かれてましたね。郡山 そうでした。あの時も結構順調にアタック・キャンプまで到達し、良好な体調で頂上を目指せることをすべてに感謝したい、そんな幸福な気持ちに浸りながら寝袋に入ったんですが、目を閉じてしばらくすると、思いがけず自分のことを快く思っていないらしい知人の姿が瞼の裏に浮かんで、その人たちの悪意が時空を超えてビンビンと感じられるんです。眠れなくなったきっかけの1つはそれでした。 聞き手 でもその時は最終的に登頂を果たされて、下山した時にはすごい謙虚な気持ちになってたと書かれていました。今回のお話を聞いて、なんかその辺りが類似しているような気がしました。郡山 まあ今回は、頂上に登る前に謙虚になってしまいましたが(笑)。...でも、心霊現象だの神秘体験だの、何かヤバイ話みたいですけど(笑)、宇宙飛行士なんかの手記を読んでいると、宇宙空間に出ると意識がすごく明晰になるような感じがしたという記述をしばしば目にします。それと同じなのかどうかは断定できませんが、下界を見渡せる高いところに登ると、普段は使っていないような知覚が鋭敏になるような感じがすることがよくあります。宇宙から帰還した宇宙飛行士のように、そういう場所で経験した神秘的な体験の結果、意識が大きく変わることはありそうな話です。聞き手 実際には下界の半分しか酸素がなくて、酸欠になった脳が幻覚を見せている...という説明の方が一般には理解しやすいとは思います(笑)。郡山 ベースキャンプに下りて、同じ日に頂上を目指していたグループの登山者に前の晩の山小屋での体験をチラっと話したら、まったく同じことを言われましたよ(笑)。聞き手 昨日の風任さんのコメントに、そのまま警告を聞かずに登攀していたら亡くなっていたかも...といった意見もありました。郡山 はい。確かにあの体験のことがなければ、頂上までは行けなかったとしても、もう少し無理してでも上に行こうとしていたと思います。でも、後になって冷静に考えれば考えるほど、あそこで戻っていて無難だったとは思います。 聞き手 悔しさはなかったですか。郡山 ありましたよ。一両日は悔しくて、自分自身にもガッカリして、テントの中でふて腐れてました(笑)。何せ前日まで予想以上に順調に進んでいて、次第に登頂成功の自信を深めているところでしたから、頂上を目指すその当日にすべてが崩れたのは結構大きなショックでした。聞き手 同じ日に登攀されたグループは登頂に成功されていたんでしょうか。郡山 登頂日までに8人中2人がすでに脱落していて、登頂日に1人が脱落し、結局5人くらいが登頂できたと聞きました。聞き手 8人中5人ですか。なかなか高い登頂成功率ですね。郡山 はい。「自分もケチらずにツアーで行っていれば、荷揚げや設営やルートの誤認なんかに使ったエネルギーと時間を節約し、もっとマトモな食事も摂れて、登頂に成功できたかな...」とかクヨクヨ考えてました(笑)。聞き手 やっぱり単独行に伴う荷物の量とか食事の質なんかも、今回の登頂失敗に関連していたんでしょうか。郡山 はい、それはすごく大きいです。まず荷物ですが、標高4~5000mの世界で30kg前後を6~8時間にわたって担いで登るのはスゴく辛かったです。後になってから「あれは失敗だった」と思うのは、標高5000mを超えると、人間の身体ってダメージが修復しないので、筋肉痛を感じないんですよ。だから、重い荷物を背負って筋肉が疲労しているはずなのに、自覚症状がない。 聞き手 むしろ、筋肉痛が出なくて「体調がいいな」とか思っちゃうわけですかね。郡山 そのとおりです。それが、実際に登頂を目指す日になって身体が思ったとおりに動かずに「...そうか、やっぱり筋肉が疲労していたのか...」と気づくわけです。あとの祭りです。聞き手 なるほど。食事のほうはどうですか。郡山 自分で準備して作る料理ですから本来文句は言えないんですが(笑)、やっぱり不味いんですよ(笑)。野菜も果物もない、毎日フリーズドライとインスタント食の繰り返しです。おまけに、ハイ・キャンプの標高になると水が60~70℃で沸騰してしまうので、フリーズドライ食でもパスタでも芯が残るんですよ。これをガマンして食う。 聞き手 本来なら最も栄養を摂らなきゃいけない時に、その食事はツライですね(笑)。郡山 ただでさえ高山病で食欲が落ちてくる時にそれですからね。登山者がベースキャンプで売られているコーラに5ドルも出したり、20ドル出してでもハンバーガーを食べたくなる気持ちも分かります。聞き手 その点、ツアー登山のグループは、比較的マトモな食事を摂っているんでしょうか。郡山 はい。専属のコックがついていて、倉庫テントに保存されている野菜や果物や肉類が出て、デザートもつく。羨ましかったです(笑)。きっと栄養価なんかも計算されているでしょうね。聞き手 そういえば水も、雪を融かして自分で作るんでしたね。郡山 はい。上が雪を融かしている最中に撮った写真です。50リットルくらいの袋いっぱいに集めた雪でだいたい4リットルくらいの水になりました。すごく手間ヒマの掛かる地道な作業です。こんな高山の雪でも結構汚れているんで、融かしてみると底に砂粒が溜まるし、容器に入れて透かして見ると濁っている。聞き手 飲む前にもちろん殺菌消毒とかされるんですよね。郡山 最初は浄水剤を使ってマメに不純物を取り除いていました。でも、これが結構手間が掛かる作業なんで、日が経つに連れて処理が面倒になり、もうそのまま飲むようになりました(笑)。聞き手 下痢なんかしませんでしたか。郡山 驚いたことに、胃腸の弱いボクでも、アコンカグアに入っていた期間中は下痢をしませんでした。緊張感があったからかも知れませんが。聞き手 むしろ下界に下りてからお腹を壊したりしたんでしょうか。郡山 はい。山中に居たときは、ずっとバナナと、あと何故か牛乳が飲みたいと思っていて、下山して街に戻ってから何も考えず1リットルカートン入りの牛乳を買ってがぶ飲みしました。そしたら案の定、牛乳なんて普段飲みなれていないもんだから、すぐに下痢です。聞き手 それは災難でした(笑)。バナナと牛乳以外に食べたかったものは何かありましたか?郡山 山の地層を見るたびに、いつもショート・ケーキが食いたいと思いましたね(笑)。あと、普段から食い慣れているスナック菓子はいつも食べたいと思っていました。寝た後は、ラーメンや寿司のことを想うことがありましたね(笑)。聞き手 こう言ったら何ですが、意外と月並みというか、庶民的ですね。郡山 育ちが分かるというか...(笑)、普段の食生活がそのまま表出してきますね。(つづく)
2011.03.19
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聞き手 すいません、幽霊小屋の話に入る前にひとつ確認したいのですが、ローシーズンとはいえ、ほかの登山者がいたわけですね。郡山ハルジ はい。ボクがベースキャンプに入る前日、今シーズン最後の登山ツアーの混成グループが入山してました。あと、スペインのテレビ局のドキュメンタリー撮影チームなんかもいましたね。聞き手 ほほう。混成チームというのは、いろんな国の登山者の寄せ集めということですか。郡山 そうです。地元アルゼンチン人が半分、欧米人が半分くらいの、8人くらいのチームでした。ボクはもっぱらこのグループの近くにテントを張って、グループの中でも英語を話す欧米の登山者と仲良くなって、天候などの情報収集をしたりしてました。ほかにも、ベースキャンプでは2人組くらいの個人グループが常時4~5グループ(計20人前後)くらいテントを張っていて、それがハイキャンプに上がるにしたがって少なくなっていって、最後のアタックキャンプでは10人くらいになってたでしょうか。 聞き手 高度が上がるにしたがって、脱落していくということですね。郡山 そういうことです。聞き手 まあ、ローシーズンでも、すっかりひとりぼっちというわけではなかったんですね。郡山 それはなかったです。それはボクも安心しました(笑)。ただ、ボクがアタックキャンプに用いたベルリン小屋に泊まっていたのはその日ボクだけで、ほかの登山者は皆そこから20分くらい先のキャンプ・コレラにテントを張っていました。聞き手 …で、その幽霊小屋の話ですけど、やっぱり私なんかは放浪の達人さんの空木平避難小屋の話を思い出すんですが、あんな感じの体験ですか?郡山 うーん、共通点はありますが、質的に違いますね。心霊体験としか言いようがないからそういう言葉を使いましたが、決して幽霊を見たとかいうわけではありません。聞き手 なるほど。では、その共通点というのは?郡山 そうですね、まず相違点から説明すると、ベルリン小屋というのは、山小屋とは言っても日本のと違って小人の家みたいな、入り口が60センチ四方くらいの、四つん這いにならないと入れないような小さな小屋です。内部も高さがせいぜい140センチくらいで、立ち膝でも天井に頭がぶつかりそうな大きさで。これがその写真です。下がその内部を撮ったもので。聞き手 ほんとに小さいですね。いろいろ落書きが彫られていて、結構多くの人が利用してる形跡があります。郡山 はい。日本語の落書きもありました。この小屋を休憩に使う登山者は結構居るのかも知れませんが、宿泊する人は滅多に居ないような種類の小屋です。聞き手 正直、写真を見た限りでは、あんまり幽霊が出そうな感じでもありませんね。郡山 そうです。全然霊的な妙な感じはありませんでした。聞き手 でも、一晩中眠れないような、妙な体験をされたわけですよね。やっぱり放浪の達人さんみたいな、小屋の壁をドンドンと叩いたりとか、屋根の上をパキンパキンと歩いたりとか、そんなラップ音のたぐいですか。郡山 …そうですね、最初は「パキッ」とか「カチッ」とか、まあ小屋の木材の収縮とかで説明がつくような、単純な雑音がしました。でも、そんなちょっとした物音が気になって、ついつい耳を澄ましているうちに、何かが小屋の周りをうろつくようなガサガサという音がしたり、呼吸音のような気配がしてくるんです。標高5900mの、動物はおろか植物さえ生えないような場所で、ボク以外には登山者もいないところでですよ。聞き手 ...で、放浪の達人さんみたいに、驚いて小屋の外に飛び出したりしたんですか。郡山 いいえ、小屋の中でじっと目を閉じて寝袋にくるまって怯えていました(笑)。そもそも外に出るって言っても、小屋の内部がすで氷点下10度を切っていて、外は氷点下15度は行ってたと思いますんで、寝袋から出るのさえ自殺行為って感じでしたし。聞き手 そんな気温だったんですか(笑)。心霊現象の有無に関わらず、眠ってしまうのが怖くなる寒さじゃないんですか(笑)。 郡山 はい。アコンカグアは、午後8時くらいに日が暮れると、急速に冷えてきます。小屋は出入口の折り畳みドアの半分が壊れて無くなっていて、ゴミを収集ししたズダ袋で外から穴を塞ぐのですが、どうしても隙間から冷気が入り込んできます。寝袋の枕元に置いた温度計の数字がみるみるうちに下がっていって、日没から数時間で氷点下10度くらいになるんです。聞き手 山小屋とはいえ屋内で氷点下10度というのは、身の危険を感じる温度ですよね。郡山 はい。液体なんかはあっと言う間にガチンガチンに凍りつきますから、水筒のたぐいはすべて寝袋の中に入れておかないといけません。聞き手 そんな、周りには人間はおろか動植物さえ存在しないような標高5900mの山小屋の中で、氷点下10度までずんずんと下がっていく温度計を見ながら寝袋にくるまって、得体の知れない物音に怯えながら、孤独に夜が更けて行くと(笑)。霊が出なくとも十分に怖ろしいシチュエーションです(笑)。郡山 そうなんです。また、そういうときに思い出すのが、この2月に入ってから登山者が6人も死んだという話で(笑)。滑落死したのか凍死したのか知りませんが、そんな浮かばれない登山者の霊が浮遊しているかと思うと、ちょっとした物音が意味を持って聞こえてきたりするわけです。聞き手 ...とすると、そんな“心霊現象”も、心細さが産んだ錯覚として説明がつきそうですよね。郡山 うーん、まあ、そうなんですけど、…ただ、その後に経験したことは、ボクの心の中では錯覚で済ますにはあまりにリアルだったんです。聞き手 どんな体験ですか。郡山 まず、小屋の周りの物音とか人の気配がしたとき、その主が霊であれ何であれ、悪意はないな、と感じました。放浪の達人さんの経験みたいに、眠るのを妨害するような大きな音を出すわけでもないし、物音といっても合図みたいな音で、気味は悪いですけど実害があるような迷惑な物音じゃないんですよね。聞き手 気味悪さを別にすれば実害のあるような音量じゃないから、相手に悪意はないんだろうと(笑)。郡山 まあ、そういうことです。そこで、それが仮に何らかの霊だと仮定して、合図みたいな物音を立てているのは、オレに何の用があるのだろう…と考えるわけです(笑)。聞き手 それで、自分に何の用があるのか、霊に尋ねてみたわけですか。郡山 そうです(笑)。単独でアコンカグアに入山している自分に、何か伝えたいことでもあるのかと、心の中で訊いてみるわけです。聞き手 それで、答えが返って来たんですか。郡山 うーん、直接的な答が返って来たわけではないんですが、答を待っていると、こう、目をつぶっていて、標高5900mの、周りには誰もいない氷点下10度の真っ暗な山小屋の中で、ひとり寝袋にくるまって、得体の知れない物音に怯えている自分の姿が、小屋の外から俯瞰する感じで目に浮かんでくるんです。 聞き手 ふーん。それはその、霊か何かのビジョンがそのまま伝わってくるような感じなんでしょうか。郡山 わかりません。ただ、こんな雄大で苛酷な山の中で、こんなちっぽけな存在の自分が、いかに無謀なことをしようとしていたのかが、そんなイメージとともにヒシヒシと伝わってくるんです。聞き手 なるほど。郡山 そして、そんな無力で孤独な存在が、過去1ヶ月のうちの亡くなった6人の登山者たちと同じように、この巨大な山の中で命を落とすなんていかに簡単なことなのかを痛切に感じて、途端に死の恐怖がリアルに迫り上がってくるんです。聞き手 分かるような気がします。郡山 で、カッコ悪い話なんですが、登頂を明朝に控えた40歳半ばの中年オヤジが、寝袋の中で目をつぶって「…ああ、死にたくねー!」と真摯に呟いているんです(笑)。 ある程度は覚悟の上で臨んでいたはずなのに。 聞き手 …それは、アコンカグアで亡くなった登山者の霊か何かの、ローシーズンに単独行をしていた郡山さんへのメッセージだったんでしょうかね。郡山 それもわかりません。とにかく、突然、こんな自分の力をはるかに超越した地に単独で入っている無謀さを心から反省しました。すると、その途端、何かが足元の方からスーっと身体に入り込んで来た感じがして、誰かに抱かれているような温もりが広がって、…感動していました(笑)。聞き手 (しばし沈黙)。…うーん、それは心霊体験というより、神秘体験というのが相応しいかも知れませんね。…で、そのまま夜が明けたわけですか。郡山 いいえ。凍死の恐怖が増幅して、眠れなくなりました(笑)。もうその時点で零時を過ぎていて、翌朝は未明の午前5時出発予定だったので、もうそのまま夜を明かすことにしました。(つづく)
2011.03.18
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聞き手 こんにちは。郡山ハルジ こんにちは。聞き手 何だか大変なことになってますね、ご実家のほう。大丈夫ですか。郡山 はい。先日ようやく電話で親と話したんですが、近親者はみんな無事だったみたいです。津波の被害を直接受けた地域に住んでる親類も、ほかの家が津波に流されてもその人の家だけが助かったりしたらしいです。聞き手 それはスゴイですね。郡山 母親も奇跡だと言ってました。実家の近所は電気も通っていて、それほど不自由してないみたいです。父親なんかはむしろこの状況をエンジョイしているフシさえあります(笑)。聞き手 さすが鬼畜パパですね(笑)。郡山 仕事を離れてから退屈していたと思うので、こういう修羅場にワクワクしているのかも知れません。聞き手 こんなときに何ですが、そろそろ話をアコンカグア登山に移らせていただいていいですか。郡山 はい。ボクも地震についてはテレビと新聞の情報しかないし、特に北米では地震のニュースといっても福島原発の件が中心なので、あんまり話せることがないですし。聞き手 そうなんですか。ではまず、今回は登頂に失敗されましたが、ズバリ、敗因は何ですか。 郡山 ズバリ、そこから来ましたか(笑)。敗因は、ひと言でいうと準備不足です。聞き手 装備が不十分だったとか、そういうことですか。郡山 いや、ローシーズンに単独でアコンカグアに登るだけのトレーニングや心の準備が出来ていなかったということです。聞き手 ははあ。ピークシーズンに比べて雪が深く、いっそう寒い環境への対応が十分ではなかったと。郡山 そうです。寒さのほうは準備できていましたが、雪の中をアイゼンをつけたプラスチック・ブーツを履いて山を登るという訓練が足りなかったみたいです。ふつうの登山靴というと片方でだいたい700gくらいなんですが、プラスチック・ブーツは1キロちょっとあって、それにアイゼンをつけると1.5kg、ふつうの登山靴の倍くらいの重さになります。これを一歩一歩、雪から引っこ抜きながら歩くのが大変でした。聞き手 ピークシーズンだと頂上の直前まで雪がほとんどなくて、アイゼンなしでも登れると聞いていましたが、やっぱりローシーズンはそこが違うわけですね。郡山 はい。標高5500mにあるハイ・キャンプのニド・デ・コンドレスから上はしっかりと雪が積もっていました。冬山に慣れている人じゃないと、にわかにアイゼンをつけたプラ・ブーツで登るのはキツイですね。聞き手 なるほど。郡山さんがプラ・ブーツとアイゼンを履いたのは、年末のホワイト・マウンテンが初めてでしたもんね。郡山 あと、3月に入ると、午前中は比較的天気がいいんですが、午後になると天気が変わりやすくなります。ハイ・シーズンなら夕方午後5時くらいに登頂した話をよく聞きますが、ローシーズンだと午後3時くらいには下山を始めていないと吹雪に巻き込まれるリスクが高くなります。それを考えると、登頂日、早朝のまだ暗い5~6時くらいに登攀を始めても、登頂まで9時間くらいしか猶予がない。じっくり10時間以上掛けて登っているような余裕がありません。聞き手 郡山さんは標高6400mのインディペンデンシアで登頂を断念されていますね。郡山 はい。インディペンデンシアは、アタック・キャンプと頂上のほぼ中間地点にあるんですが、そこにたどり着くまでにすでに5時間近く掛かっていました。結構ゆっくりしたペースで登っているグループにさえ追い抜かされていました。おまけにインディペンデンシアから先の坂の急なこと!仮にそれまでのペースで登攀を続けられたとしても午後3時までに頂上にたどり着けないのは明らかだった。その時点で「諦めよう」と思いました。これがその時に撮ったビデオです。 聞き手 あの、雪の坂を上っている登山者の一群が写っていますね。郡山 はい。インディペンデンシアの手前でその一群に抜かれました。抜かれた時、最後尾のオッサンに、「ヨタヨタと危なっかしい歩き方で登っているのを後ろからずっと見てたよ。ローシーズンにこんな好天に恵まれることは滅多にないんだから、ムキにならずに風景をエンジョイしたらどうだ。」と言われました。ド素人が登頂目的でにわかにアイゼンなんか履いて登っているのというのがすっかりお見通し、という感じでした(笑)。聞き手 そのオッサンのひと言が、登頂断念の決断に結構結びついてたりするわけですか。郡山 そうですね。それまでは足元を見ながら一人で黙々と…というか朦朧と登っていたんですが、その人に声を掛けられて我に返った…というところはあります。聞き手 あ、朦朧としてたんですか、やっぱり(笑)。郡山 そうなんですよ。前日までまったく高山病の症状も出ず、ほぼ完璧に高度順化が出来ていたのに、前の晩にほぼ一睡も出来なかったんです。テントを張るのが面倒で、ベルリン・ハットという山小屋に泊まったばっかりに。聞き手 もしかして、山小屋で幽霊が出たとか(笑)。郡山 はい。心霊現象としか思えない経験をしました。聞き手 えええ、マジですか?(つづく)
2011.03.17
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登山口(オルコネス)そばのラグーン。後方の白い山がアコンカグア ベースキャンプ(プラサ・デ・ムーラス)までの長いけど風光明媚な道のりようやくベースキャンプ(4300m)に到着ハイキャンプ1(キャンプ・カナダ、5000m)にて。傾きが怖いハイ・キャンプ2、ニド・デ・コンドレス(5500m)の夕焼 日没を背景にセルフポートレート6400m、インディペンデンシアから、キャンプ・コレラ(6000m)を臨む ハイキャンプからの下山時の重い荷物ベースキャンプから登山口への下山時の風景(コンフルエンシア付近)
2011.03.13
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出発が明後日に迫ったので、装備及び食料を確認した。 持参する装備及び食料の一部(衣類を除く) 小学教師をしているトライアスロン・チームの仲間が、遠征から帰ったら今回の登山について子供たちの前で発表して欲しいというので、装備チェックの様子を自分でビデオに撮っている。ちなみにまだ風邪から完全に快復していないようで、ちょっと鼻声である。これで万が一本人が帰れなくなったとしても、ビデオを見せておけば本人不在でもちょっとした発表ができるだろう(笑)。出発前にいちおう保険に入った。インターネットでダウンロードした入山許可申請書に保険に関する情報の記入欄があったので、保険が無かったために現地に着いてから許可証の発行を拒否されたりしてもも困るし、ネットで安そうな保険を探して入っておくことにしたのだ。アコンカグアの登山口に入る日から戻る日までの2週間ちょいの期間で160ドル(1万5000円)。デンマークの保険会社らしいのだが、インターネットでほんの数分で手続きが完了した。あんまり簡単過ぎてふと「これってもしかして保険会社を装った詐欺サイトじゃないか...?」などと疑念が湧いてしまった。まあ実際に保険の世話になる日が来たら判かることだ。アコンカグアの登山記録を読んでいると、遭難死以外にも、健康を害してベースキャンプ常駐のドクターから強制的にヘリで下山させられたとか、凍傷になってやはりヘリで病院に運ばれたとか、足を挫いて歩けなくなりラバの背に乗せられて下山したとか、病院の世話になった話が結構ゴロゴロと出てくる。自分は医者の世話になるくらいまで自分自信を追い詰めるつもりはないが、山に入ってしまえば予想しない事態が発生することもあるだろう。その時の出費の心配をしなくて済むなら1万5000円の安心料というのは吝嗇な自分の金銭感覚からしてもそう高くない。海外在住の日本人の知人が、風邪を引いてベッドの中に横たわりながらアコンカグアのベースキャンプのウェブカム画像を(iPadで)見ているうちに後悔の念が生じてきた話を聞いて、自分の意思とは無関係に「山に呼ばれる」ような時は注意した方がいいとのアドバイスを受けた。ほんの1ヶ月前までは翌シーズンに遠征を延期するような話をしていたので、今回ギリギリになって急遽遠征を決めたのは「山に呼ばれた」のではないか、ということらしい。まあ、写真とYouTube動画でしか見たことがない山でも、そういうことがあるのだろうか。ところで、この荷物の上に現地で調達する食品や燃料が加わるのだが、現時点ですでにこの量である。105リットルのバックパックと約100リットルのミリタリー・ダッフルバッグがパンパンの満杯になり、あふれた分を登頂日用及び機内持ち込み用の小型バックパックに詰めてなんとか収まった。バックパック23kg、ミリタリー・ダッフルバッグ20kg、登攀日用バックパック8kg(機内預かり&持ち込み制限重量ギリギリ) まだ水(1日分4~5リットル)を入れていないので、この大きさでも重量は計50キロ程度に収まっている(自宅の体重計での計量による)。登山口からベースキャンプまでの3日間で使わない荷物は、登山口にあるラバによる輸送業者に任せてベースキャンプまで運んでもらう(最低運賃160ドル!)ので、まあベースキャンプまでは何とかなりそうだ。それより、メキシコなんかと違ってチリもアルゼンチンも英語が滅多に通じないらしいのだが、ちゃんと現地に着いてから両替したりバスのチケット買って移動したり出来るのか(笑)。まあこれまでぺルーやブルガリアみたいな国でも何とかなったから気楽に構えているのだが。そもそも登山開始に漕ぎつけるまでが一番の試練だったりしてなあ。
2011.02.18
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風邪のおかげで遠征前の貴重な1週間を棒に振ってしまった。トレーニングも出来なければ、準備も進まない。病気になると、外国暮らしの身寄りのない立場で独りで寝込んでいたりする場合は特に、簡単に弱気になってしまうもので、あと数日でアコンカグア遠征に出発しなければいけないというこの期に及んで、寝汗に蒸れたベッドの中でアコンカグアのウェブカム画像を見ながら「こんな寒そうな所に2週間も居たくないヨ~」「今回はアコンカグアは止めにして、エンジェルフェイスさんと同じパタゴニアのトレッキングに変更しちゃおうかな~」などと本気で考え始めていたくらいであった。今回の風邪だって、出発の期日が迫り、今回の本格山行の現実感が次第に濃厚になっていくに従い、自分がいかにツラくてキツくてシンドいことをしようとしているのかが切実になってきて、自分の身体が抵抗を示しているような感じもする。そういえばこれまでにも、準備不足のままでの長旅の前に風邪を引いて寝込んだことが何度かあった。大変なイベントを目の前にして自分の身体がシャットダウンし、抵抗力が落ちてしまうのだ。どうにか微熱も引いて寝汗も掻かなくなった。あとは出発までに体調の復帰に努めるしかない。今日のアコンカグア・ベースキャンプのウェブカムを見ると、若干気温が上がり積もっていた雪も一時的に融け、青空が覗いている。おかげで少しモチベーションが上がった(笑)。 来週の今日、登山口を出発して、3日かけてベースキャンプに到着するのが2月25日(金)午後(日本時間の26日(土)午前)。到着したら、このウェブカムにいちばん近い所にテントを張るつもりである。ベースキャンプにいる間(ハイキャンプに移動するまでの数日と、下山後の1日)は、上のニーちゃんたちみたいに毎日ウェブカムの前に立ってポーズをとるから、ヒマな人はリンクをクリックして見てみてくださいね。日本との時差はちょうど12時間のはずなので、オレが昼飯前にポーズをとれば、日本の深夜12時前、日暮れ前(午後8時くらい)にポーズをとれば日本の朝8時くらいに、青いジャケット(寒い日は赤のダウンジャケット)を着た東洋人が左手のアコンカグアを背景に微笑んでいるはずです。その姿をこのウェブカムに発見した人は、幸福な気持ちでその日一日を過ごせることでしょう(笑)。日に日に冬が深まっていくアコンカグアとは逆に、トロント周辺はここ数日気温が上がって、久々に氷点上の最高気温を記録した。暖かくなるカナダを後にして、これから寒さの深まる南米の山に入ろうとしている自分がちょっとだけ恨めしい。一度山に入ったら、次に登山口まで戻って外界と接触が持てるのはもう3月10日前後だ。
2011.02.15
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上の写真はカナダではない。夏の最中のはずの南米アコンカグアのベースキャンプの今日の昼の写真である。標高4200mにあるベースキャンプではすでに冬が到来し、午後2時の気温が摂氏0.4度だそうである。夏(=北半球の冬)の間、毎年ベースキャンプ入りして絵を描いたりして過ごしているアーチストがいて、その人が自分のテントにウェブカメラを設置し3分ごとにキャンプの様子を配信してくれているのが上の画像である(クリックすると最新の画像にジャンプ)。ついに冬が来てしまった...と思う。北半球にある日本が立春を過ぎたのだから、南半球のアコンカグアが秋からさらに冬に入ったのもまあ当然といえば当然なのだ。せめてもの救いは、まだ現時点のカナダに比べれば暖かいということだ(笑)。アコンカグアに入ってこの雪に見舞われても、季節感的なショックはまだ少なくて済みそうである。しかし、だ。登攀前のベースキャンプからしてすでにこの雪なのである。ここから上はどれだけ雪が深いことか。また、登山者のテントのまばらな様子がいかにも寒々しい。シーズン後半とはいえまだミドルシーズンなのにこの状況なのである。オレが到着する2週間後のローシーズンの状況を思うと気力が萎えてしまい、オレは風邪を引いてしまった。アコンカグア登頂から下山までの登攀計画を練った。それが上の図である。まあ図も小さいし見ても分からないと思うが、好調の場合(青線)と不調の場合(赤線)のオプションも考えている。5000mから上は風がすさまじくて、夜はとても眠れたものではないという話なので、ハイ・キャンプへの荷物を複数回に分けて揚げることにし、荷物を揚げたら下山してベース・キャンプで休む...という「登ったり降りたり」を繰り返す計画を立てた。それが黒線のギザギザである。高度順応のためにもそのほうがよい。しかし、ここまで雪が深いと、いったん高いところまでせっかく苦労して登ったのに、いちいちベースキャンプまで降りてくるのがイヤになりそうな気がしてきた(笑)。ベースキャンプに雪がなくて暖かいなら「下に降りて寝よう」というモチベーションも湧きそうだが、どうせ下に降りてもあんまり変わりないじゃん...とか感じちゃうような気がする。ただ、そうなると「不調の場合」の赤線オプションになって、余裕のない登攀になってしまうだろう。それより、この時期に風邪なんか引いちゃって、あと1週間やそこらでほんとに7000mの山なんて登れるのか(笑)?...とまあ、早くも前途多難な感じですワ。
2011.02.09
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いま、アコンカグアに入山してからの食事の計画を練っている。スーパーもコンビニも、冷蔵庫もレンジもなければ、自動車類のアクセスもできない山の中では、食べられるものにたくさんの制約が出てくる。たとえば、こんな制約である。 - 腐らない保存のよい物: 山の中には2週間もいるので、せっかく重いのを持っていっても、肉類はもちろん野菜・果物などはすぐに傷んだり腐ってしまう。せいぜいリンゴやオレンジを数個持っていける程度か。いっぱい持っていっても、テントの中で凍ってしまうし。 - あまり重くない物: 2800m地点の登山口から2~3日くらいで到着する4200mにあるベース・キャンプまでは160ドル出せば荷物の一部をロバに乗せて持っていってもらえるが、それ以降に数箇所あるハイ・キャンプ地までの高度差約2000mの間はすべて自分で荷揚げしなければならない。それを考えると、缶詰やレトルト食品といった重くなる保存食を持参するのは自殺行為になる。そもそもベース・キャンプ以降の寒さでは缶詰もレトルトも凍ってしまうし。 - なるべく栄養価が高いもの: ただでさえ寒くて酸素の薄いところに、重い荷物を背負ってさらに高い標高に登るエネルギーを考えると、いくら軽くて保存が利くからといってウェハースやポテトチップみたいなスナック菓子ばかりを持っていっても栄養にならない。熱及びエネルギー源になる、米やパスタみたいないわゆる「主食」となるものが不可欠である。通常であれば生鮮食料品で摂取しているビタミンの類はサプリメント剤で補うしかないか。...とまあ、そういった観点からいろんな食品を吟味した末、安易に「やっぱり熱湯で戻して15分で出来る、フリーズドライ食品を大量に買っていくしかないかな~」...などと考え始めていたオレであったが、先日ためしに買ってきたフリーズドライ食品の注意書きを読んでいてある重大な盲点に気づいた。そう、標高4000~5000m以上の世界では、フリーズドライ食をお湯で戻すのに必要な気圧が足りないのである。まず、熱湯がそもそも100℃に達しない。日本にある標高2000m台の山でも80℃くらいで沸騰してしまうというではないか。ふつうの標高なら15分で調理できるフリーズドライ食品も、標高が1500m上がるにつき調理時間が倍々になるという。アコンカグアのベース・キャンプ程度の高度でさえ45分~1時間くらい掛けないとフリーズドライ食は調理できないのだ。これでは燃料をいくら持って行っても足りない。きっとイモやニンジンといった保存のよい根菜類を持っていっても、この高度では「半茹で」にしかならないんだろう。要するに、上記の数々の制約に加えて、 - 気圧が低くても調理可能なものという観点も考慮に入れないといけないのだ。アコンカグアに登った人たちの登山記録や山行ブログを見ても、大半は登山ツアーで登っていて現地人シェルパやガイドが調理を担当しているので、食に関する記述は非常に少ない。そのような数少ない東西のアコンカグア登山者の記録を読んだ限りでは、かなり「パスタ」に依存していた様子が大きい。細い・薄いパスタ類を持参し、時間を掛けて煮込んだ末、粉末スープをその煮汁で溶いてパスタ・ソースの代わりにし、茹でたパスタにかけて食べる...という、あまり食欲の湧かない食事の情景が目に付く。日本人登山者の場合は「アルファ米」だ。少なくともベース・キャンプの高度であれば調理できていたようだ。ベース・キャンプで炊いた米でオニギリを作り、さらに標高の高いキャンプに持参したという記述があったが、これはアルファ米でもベース・キャンプの高度が限界ということだろう。...いずれにしても、アルファ米はカナダでも地元アルゼンチンでも手に入らないし、考慮からは外さざるを得ない。あとは「インスタント・ラーメン」を食ったという記述も多いが、オレはよほど体調のよい時でないとインスタント・ラーメンで簡単に下痢をする体質なので、これは最初から却下である。最後の頼みは、ベース・キャンプに常設されている「レストラン・テント」だ。ヘリコプターやラバで運んできた食材で作ったハンバーガーやコーラなどを出してくれるらしい。ただし価格はハンバーガーでも2000円(!)とか。輸送費用が価格のほとんどを占めているということか(笑)。これは最終日などに登頂祝いとして食う分にはいいが、とても毎食ここで食ってたらカネがいくらあっても足りない。...っつーか、オレが下山してくる時期にはこのレストラン・テントもシーズン終了で撤収しているらしい(笑)。簡潔に言えば、アコンカグア入山中の2週間はロクな食い物が食えない、ということだ。ちなみにこの事実を認識したオレはすっかりアスリート・モードというかサバイバル・モードに入り、この2週間はアイアンマン・レースなんかで使用したエネルギー・ジェルやスポーツ飲料などのサプリメントに依存することを覚悟し、それらの粉末剤を大量に手配することにしたのであった。
2011.02.06
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今から7~8年前、誰も訪れないようなユタ州の辺鄙な砂漠地帯の岩場を一人でハイキングしていたアメリカ人青年が岩に腕を挟まれて身動きが取れなくなり、何日待っても救助が来る可能性はほとんどゼロ、食べ物も水も尽きた末に、仕方なく自分の腕を切断して生還した話は日本でもニュースになっていただろうか?本人が自分で撮影した画像「誰にも見取られず山奥でのたれ死ぬか、あるいは自分の腕を自分で切断してでも生きながらえるか」という究極状況を経験したこの青年の話は昨年末に『127 Hours』という映画になったらしく、映画の宣伝も兼ねてであろうか、この青年とのインタビューを中心にしたドキュメンタリーを先日テレビで放映していた。ちなみに 127時間というのはこの青年が岩に腕を挟まれて身動きが取れなくなってから、自らの腕を切断して10数キロのトレイルを遡り、パーク・レンジャーに救助されるまでの時間だそうである。究極の決断をするまで5日間岩場の谷間で一人で葛藤・格闘していたわけだ。この青年はカーネギーメロン大学の工学部を主席で卒業してインテルに就職したような秀才だったのが、登山に集中するためにインテルを辞めて当時は登山用品店に勤めていたそうである。アメリカの登山家の間では、国内に52だか存在する標高4200m(14000フィート)以上ある高峰をすべて制覇するのがステイタスだったりするらしいが、この青年はこれらの山をすべて冬季に単独で制覇したそうである。この秀才肌で「単独」好きな青年は、休日の日帰りハイキングのつもりでこの人里離れた砂漠地帯に一人でやってきたらしい。しかし彼は、この日自分がどこに何しに行くかを誰にも告げずにこんな場所に向かうという大きなミスを犯していた。4200m以上の52の高峰を冬季に単独で制覇するような実力の持ち主にしてみれば、いくら砂漠の僻地とはいえ日帰りハイキングのことなど他人に告げるまでもないと思っていたに違いない。しかし、そんな彼を予期せぬ過酷な運命を待ち受けていた。よりによって外からはまったく見えない高さ30mの岩壁に挟まれた谷底をハイキングしている途中で、経路を阻んでいた重さ400kg近い岩を乗り越えようとした際にその岩がガクっと動き、岩壁との間に腕が挟まれてしまったのだ。トレイルの入口は10数キロも先、舗装された公道となるとさらに20キロ近く離れている。こんな辺鄙なところに平日にハイキングに来る変わり者はまずいない。ましてや彼がどこに行っているか知る者もゼロとなると、彼からの連絡が途絶えたことに気づいた同僚や友人も、どこを捜索したらよいか見当も付かない。彼が誰かに発見される可能性はゼロに限りなく近かった。デイバックに入っていたスナック菓子と1リットルやそこらの水も尽き、なんとか5日目までは生き延びたもののもう翌日には生きていないだろうことを覚悟した彼は、死後に誰かに発見されたときのために片手でデジカメ・ビデオに自分の様子を録画し、遺族へのメッセージを残していたそうである。現場の岩壁にはナイフで自分の名前と「RIP(Rest in peace, ここに安らかに眠る、の意)」の文字が彫られていた。しかし、意外にも生きて目が覚めた6日目の朝、彼はふと意を決して、ポケットナイフで自分の腕を切断するという選択をした。もちろん刃の長さがほんの4~5センチのナイフで腕を切るなど容易ではない。第一、そんなナイフでは骨や腱が切れない。彼は自分の腕に何度も深くナイフを付きたてて皮膚と筋肉をぐるりとカットした上で、全体重を懸けて骨を自ら折ったそうだ。しかし、それよりもいちばん痛かったのは、なかなか切れない神経繊維を切るために何度も刃をスライスさせた上で切断したときだったという。(ヒエ~)彼は手首から下がない状態で6日ぶりに岩から開放され、飢餓&脱水状態でトレイルを遡り、たまたま平日にハイキングしていた外国人旅行者に数時間後に発見され、救助されたそうである。レスキュー隊員にヘリコプターで病院に運ばれた時点で、彼は全身の血液の25%を失血していたそうである。それが6日間ほとんど何も食べていない状態の上でのことだというのだから恐ろしい。この青年は今は結婚して一児の父になっているが、未だに義手でロッククライミングやマウンテンバイクなどの積極的なアウトドア活動を続けている。まあ、そういう自分もまったく土地勘のない冬山に自分ひとりで登ったりしているわけだが、こういう話を聞くとまことに身につまされる。あのとき、誰も通った形跡のない胸元までの深さの雪の中を重いバックパックを背負って夜にヘッドランプの灯りでラッセルしながら進んでいたとき、足を踏み抜いたり転んだりして雪に頭まで埋まっていたら誰にも気づかれずに窒息死していたかも...とか、強風が吹き荒れる足場の悪い岩場を慣れないアイゼンで歩いていて、氷に足を滑らしていたら誰にも気づかれずに谷底まで転落していたかも...とか、あの時のことを振り返ると結構ヤバイ場面がいくつもあった。アコンカグアには(予算の関係上)単独で臨む予定なのだが、こういうドキュメンタリーを見てしまうと、一人で登るのがちょっと怖くなる。一人で登るにしても、周りに誰かがいるだけでかなり心強いのだろうが、何せローシーズンなので登山者は少ないだろうし、自分が登っている時に周囲にどれだけ登山者が居るものか、それがとても気懸かりになってくる(笑)。トレイルも雪に埋まっているだろうから、きっと道に迷う場面も出てくるだろう。仮に誰かが先に歩いて雪上にトレースを付けてくれていたとしても、その人が正しいルートを歩いている保証もないし。自分の腕を切断するような根性がない自分としては、自分が入山するタイミングでどっかのガイド付き登山ツアーが入ってくれていたら、ちゃっかりそのツアーの列をつけて行っちゃおうとか、年末に登ったワシントン山のときみたいにほかに単独で来ている人を見つけて、パートナーを組むよう笑顔で提案しようとか、虫のいいことばかり今から考えている。あとは、とにかくほかの登山者たちに「...あ、こんな変わった東洋人がいる。」と印象付けるために、極力目立つようにしよう。そうすれば、少なくとも自分が居なくなった時に誰か気づいてくれると思うのだ(笑)。
2011.02.05
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容量105リットルのバックパックを中古で買った。水で満たしたら105kgになるわけか。これより大きなバックパックは市販されていないかも知れない。っつーか、これがいっぱいになった状態で実際どこまで歩けるのか(笑)?これまで65リットルのバックパックに荷物を詰めて10数キロ程度の重さでトレーニングしてきたが、これを買ったので16~17kgまで増量して森の中でトレーニングをしている。これで4年半ほど前にキリマンジャロに登った時に背負ったバックパックの重さまでは追いついた感じか。なにせアイアンマンのレースがあった7月末までは莫大な量の激しいトレーニングをしていたのが、レースが終わってからは5ヶ月にわたって「健康ジョグ」以上の運動はしてこなかった。年末年始からにわかにトレーニング量を増やしてどこまで体力が回復するものか疑問だったが、ここ1ヶ月でまあキリマンジャロに登った当時のレベルまでには戻ったろうと思われる。しかし、だ。南米の夏、すなわちアコンカグアの登山シーズンは刻々と終わりに近づきつつある。このところ、今シーズンにアコンカグアに挑戦した人たちの登山記録をインターネットで漁って読んでいるが、今年はことのほか天候が荒れているらしく、登頂できずに下山してきた記録が多い。ただでさえ天候がイマイチなところに、登山時期が遅くなればなるほど冬に近づき、気温は下がり、風は強まり、雪が深くなる。少し出発が遅くなってももうちょっとトレーニングを重ねて身体的コンディションを上げてから臨む方がいいのか、身体的コンディションなんかより天候的コンディションを優先してとっととアコンカグアに遠征すべきなのか、あるいはいっそのこと来シーズンまで延期すべきなのか、ここしばらく迷っていた。いろいろ迷いつつも、思い切ってこの探検用巨大バックパックを買ってしまったその翌日。ネットでアコンカグアに関するリサーチをしていて、もう1つイヤな情報に行き当たった。なんと、今シーズンから入山料が倍に増額されたというのだ。先日の日記にも書いたと思うが、アコンカグアは12月15日から1月いっぱいがピークシーズンで入山料がもっとも高く、12月14日までと2月1~20日までがミドルシーズン、冬が訪れる2月21日以降は登山者も減るので入山料はミドルシーズンの半額程度になる。去年はピークシーズンが450米ドル(約4万円)、ミドルシーズンが300米ドル(約2万5000円)、ローシーズンは150ドル(約13,000円)だった外国人の入山料が、なんと今シーズンからそれぞれ8万円、5万円、2万5000円に昨年比100%の増額。すでに装備だけで30万円以上も投資済みの上、航空券代が最低でも15万円くらいしそうなことが判明しウンザリしていたところに、入山料が一気に倍額になったのは痛い。というか、山に登るだけのために8万円を出すほどオレはアコンカグアに執着はない。5万円でもまだ馬鹿馬鹿しく感じるくらいだ。...となると、もはやオレの選択肢にはローシーズンしか残らない(笑)。2月21日から入山することにして、残りの2週間トレーニングに集中するか(笑)。もともと吝嗇で小心者のオレは「負けるケンカはしない」が信条で、「ダメでもともと」なんていうのは子供を励ますための言葉だと思っている。ところが、今回アコンカグアに遠征するとなると、どうにも「ダメもと」になりそうな公算が高くなってくるのだ(笑)。今回購入した、背負えるのかどうかも怪しい巨大なバックパックが、オレの行く末を象徴しているような気もする。
2011.02.01
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この週末は氷点下2ケタになるとテレビの天気予報で耳にし、このチャンスを逃すまじと慌ててインターネットで冬季も開いていそうな近場のキャンプ場を検索し、1時間くらいで荷物をまとめて自動車で30分のところにある自然保護区域に向かう。南米アコンカグアに登るとすれば2月下旬もしくは11月下旬を予定しているが、いずれにしてもピーク期を外れたロー・シーズンである。この時期にアコンカグアに登った日本人のブログを読むと、山の上の方は雪が膝まで積もり朝方の気温は氷点下20度、山小屋の中でも氷点下10度くらいになっていたという。このくらいの気温の中で野外設営したりテントで寝起きする経験は少しでも多くしておいたほうがいい。荷物を背負って自然保護区域のトレイルに入ると、クロスカントリー・スキーをしているグループが5~6人と、犬を連れて散歩している人が5~6人いたくらいで、キャンプをしているヤツは皆無である。家族と散歩しに来たとおぼしき通り掛かりのおばさんにキャンプ場所について聞いてみたら、ここ20年くらいこのトレイルに通っているが、冬場にキャンプしている人なんて見たことがないという(笑)。とりあえず、トレイルを出来るだけ奥のほうまで進み、すっかり氷結した湖畔に人目に付きそうのない適当な小さな空き地を見つけた。雪をシャベルで平らにならして、テントを張る。テントを広げると、ピンクや黒の色とりどりのカビがテントの表面に生えていてガッカリ。まだ買って1ヶ月しか経ってないのに。先月ホワイトマウンテンから戻ってテント袋に詰めた際、まだ湿り気が残っていたのだろう。雪はせいぜい10~20センチくらいでほとんど無風状態、外気は氷点下10度程度でテント内で氷点下5度程度。先月のホワイトマウンテンの麓でのキャンプに比べたら甘いコンディションである。それでも、夜に羽毛寝袋から露出している自分の眼球がまぶたの中で冷たく感じ、またうっかり寝袋に入れるのを忘れていたコンタクトレンズは朝ケースを開けてみると凍っていた。深夜、動物が息をハアハアさせながらテントの周りをウロウロしているのを耳にして目を覚ました。そういえば、夜間にスノーモビールで走り回る連中のエンジン音に反応して、雄叫びを上げている犬の声があちこちから聞こえていたが、この辺には野犬が生息しているのだろうか。まさかオオカミということはないだろうな、と思いちょっとだけビビる。故・植村直己の著書で、北極圏探検中にシロクマがテントの外に現れテントをこじ開けようと押したり引っ掻いたりシーンがあったのをふと思い出す。さいわい野犬らしき動物はテントに入ろうと試みることもなく、すぐに去って行った。朝。トレイルを散歩している家族連れの賑やかな声で目が覚める。今日も好天らしくテントの外は明るいが、寒くて寝袋から出るのが億劫である。結局二度寝してしまい、目が覚めると11時になっていた。ホントは食事のために雪を集めて水を作る練習もしておきたかったのだが、テントの外に出るが億劫で、携帯ストーブで温めた缶スープとパンだけの安易な食事で済ましてしまった。腹にモノを入れて元気が出たところでテントを出るが、身体を動かすとちょっとフラフラする。思えば、昨晩は大して寒くなかったので油断し、水を入れたボトルを寝袋の中に入れず脇に置いて寝たらすっかり凍り付いてしまい、ずっと水が飲めていなかった。あるいは単に寝すぎたか(笑)。氷を砕いたりボトルを手で温めたりして、融けた水を少しずつすする。せっかくの好天なので、畳む前にテントを凍った湖面で干すことにする。テント生地の両面についた氷を落とし、出入口を開けて微風に晒す。氷点下10度近くとも、直射日光プラス雪面への反射に微風があれば水分は蒸発してくれるようだ。紫外線でカビも殺菌できるかも知れない。結局、重い荷物を背負って片道1時間くらい掛けてトレイルを往復し、簡単なメシを2食ほど作ってテントで10数時間も寝たというだけで、雪上にテントを設営・撤収して乾かした以外にとくに生産的な活動をすることもなく、真冬の野外で24時間過ごして帰宅した。冬山キャンプと違って達成感のようなものも感じないし(笑)、夏場のキャンプと違って娯楽になる野外活動もない。耐寒訓練という目的がなければ、ホントに「何しに行ったの?」って感じ。「どうしてわざわざこんなツライことをしているのか?」というのは、他人はもちろん、登山者や冒険者自身もふと我に返って必ず自問することがあると思うが、この問いにはうまく答えられたためしがない。マゾヒズムの一面や、「こんなツライ状況にも堪えた」という自己満足があるだろうし、あとはそういった苦労の末に「頂上/極地を征服する」とかいった最終目標を達成するための過程といった説明が出来る程度だろうか。アイアンマン完走に向けたトレーニングのときは、一人で延々6時間も自転車で走ったり400mトラックを延々3時間もグルグル周回していても、「どうしてこんなツライことをしているのか」という疑問を撥ね付けるだけの不思議な充実感があった。しかし、このような雪中耐寒キャンプはそういった充実感に乏しい。アコンカグアだのマッキンリー登頂に対する集中力がそれだけ不足しているということか。ローシーズンの登頂成功率は30%に満たないというのに、こんな調子で1ヶ月後にアコンカグアに行ったとしても、失敗に終わりそうな気がしてきた。
2011.01.29
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山から下りてきてから買ったアンクル・ウェイト片足1キロ。寝ている時以外はずっとこれをつけているオキシパルスメーター。アメリカの薬局で5000円で売ってましたアコンカグアでは血液飽和度が70%を下回ると下山させられるそうなので自分で計って把握しておく必要がありますこれが奮発して買った羽毛寝袋。圧縮しないとこんなにデカイ氷点下30度(華氏だと氷点下20度)対応これ以上暖かい手袋はないと言われるTNFのヒマラヤン・ミットこんなにデカイ。これでもSサイズこれは帰りの愛車の中から見た風景のビデオ。BGMが風景にピッタリ
2011.01.10
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朝。昨晩は比較的よく眠れた。単に疲れていたからだろう。これからの試練のことを思い気乗りしないながらも、寝袋から出てテントの撤収に掛かると、驚いたことに青年2人が登山路を上がって来た。しばらく人が通った形跡のないこんな雪深いルートを通るヤツはどうせいないだろうと思って登山路のど真ん中にテントを張っていたオレはちょっぴり慌てた。それにしても、夜が明けてからまだ1時間くらいしか経っていない。何時に登山を開始したのか訊くと、朝6時だと言う。たった2時間でここまで登ってきたということか!?オレが昨日ここまで到達するのに8時間近く掛かったことを彼らに話すと、誰も通っていない雪道にトレースをつけてくれたおかげで助かったと、2人とも本気でオレに感謝していた(笑)。しかしここから先は雪が胸元まで積もっている。彼らは今度は自分たちが先行してオレのためにトレースをつけてくれる番だと言って、オレのテントを避けて先に進んでいった。目の前に立ちはだかる厚い壁のような積雪にさっそく悪戦苦闘している。オレがどうして昨夜ここで断念してテントを張ることにしたか理解してくれたようだ(笑)。それでも日帰りの荷物しか背負っていない若い2人組はこの難所を乗り越え、気がつくと視界から消えていた。オレもテントを撤収し朝の排便その他の準備を済ませると、また重い荷物を背負って彼らの後を追った。一晩のうちに急激に気温が上がったようだ。驚いたことに雪が融け始めていて、あたりには靄が掛かっている。どこが登山路なのか、視界が利かない。雪面に辛うじて残っているあの2人組のアイゼンの跡がなければ、どっちに行ったらいいのか分からずに引き返していたかも知れない。あの2人組が登ってきてくれたのは幸運であった。クリックするとYouTube動画にジャンプついに森林限界線を越えて、岩場に変わった。岩の表面は薄い雪の層と一度融けて凍った雪で覆われている。アイゼンなしだったらすぐにすっ転んで転落しそうな場所だ。それにしても、先日のワシントン山ほどではないが、風が強い。岩場を登っていくと次第に靄が晴れて視界が拓けてきた。下界のハイウェイが見渡せる。いよいよ高所登山らしくなってきた。クリックするとYouTube動画にジャンプ1時間くらいして、ようやく次の標識が出てきた。オレが当初目標にしていた正規のテント張り場への分岐点の矢印だ。ここから先、まだ4~500mあるらしい。しかもここしばらく誰も通った形跡がなく、深い雪に埋もれている。おまけにすごい急な下りの傾斜だ。危なくてとてもこんな重い荷物を背負ってこの先に進む気にはならない。昨日の晩はあと1時間も行けばテント張り場だと自分に言い聞かせて先に進んできたが、実はまだ2時間も先だった上に、実質経路が途中で絶たれていたわけだ。昨晩もしあそこで断念してキャンプせずに先に進んでいたら、もっと途方に暮れるような事態に陥っていたことだろう。ということで、当初目標にしていたテント張り場は断念し、この先に出現するはずの避難小屋を目指すことにする。氷に覆われた岩場が延々と続く。足場は決してよくないし、突風に吹かれたら一気に谷底まで落ちそうな地形だ。2人の先行者の足跡があるので自信を持って進んでいるが、もし先行者の足跡がなかったとしたら、ルートを間違えたかと勘違いしそうなくらい危険な経路だ。風を避けて大きな岩の陰に座って休んでいると、風に吹き上げられて後続の登山者たちの声が下のほうから聞こえてきた。男女数人のグループらしい。おそらく先の2人組より後に出発したのであろうが、いずれにしても相当速いペースだ。クリックするとYouTube動画にジャンプマジソン山頂と思しきピークが見えてくる。さらに進むとその山頂の下方に例の避難小屋がようやく見えてきた。まだまだ1キロ近く先にある!昨晩キャンプした地点でもう残り1キロ足らずと踏んでいたが、軽く2キロ以上はあったということか。オレは平地で歩いたり走ったりしている時、自分の距離感の正確性にかなり自信があったのだが、山になるとオレの主観が倍以上も狂っていることに気づく。いかに荷物を背負った自分のペースが遅いかということだ。結局、昨晩テントを張った地点から4~5時間も掛かって昼過ぎに避難小屋まで到達した。今朝の2人組はあのルートをそのまま継続してアダムズ山頂まで登り、オレよりも先に避難小屋に到達していた(笑)。オレの後に登ってきたグループも同様にアダムズ山頂近くまで登り、オレのすぐ後に避難小屋まで降りて来た。25kgの荷物を背負っているというハンディキャップがあるとは言え、ほかの登山者とは倍くらいのスピード差がありそうだ。「ここから先、登ったら死ぬかも知れんで。それでも行くんか?」という標識 下山に3時間くらいは見ておかねばならないし、そもそもこれから山頂を狙う時間的余裕も体力的余裕もないので、オレはスナック菓子の軽い昼食を済ました後で避難小屋からそのまま下山することにした。オレは下山中も後続の登山者たちに次々と抜かれ、ようやく登山口まで戻ってきた時には日も暮れ、すっかり暗くなった雪道の中を一人でとぼとぼと歩いていた。駐車していた愛車のトランクに2日ぶりに荷物を下ろし、プラスチック・ブーツを脱いでシートに掛けると、ようやく緊張がほぐれた。水分も栄養分も枯渇しつつあったオレは本能に導かれるまま最寄の町まで車を走らせ、バイキング形式のチャイニーズ・レストランに直行した。レストランは年末年始を祝う家族連れや老夫婦で賑わい、にわかに作られたステージではエルビスのコスチュームを着たドサ周りっぽい歌手とギター弾きが古いナンバーを歌っていた。まず温かい卵とじスープを飲むと心底ホッとし、肩の力が抜けた。スープの温みが胃から全身に拡がっていくようだ。久々の下界で経験する他愛のないエルビスの物真似にも妙な親愛の情さえ感じた(笑)。ちょっと無謀で、それでも楽しい冬山の年末年始だったが、今回の4~5倍の日数を山中で過ごすアコンカグアやマッキンリーは自分にとってはまだ先の話だなと独りでコカコーラを飲みながら思った。
2011.01.01
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登山ルートに入って間もなく、こりゃ大変なところに来てしまったと思った。ホワイトマウンテン山系の山々には高い方から順番に歴代アメリカ大統領の名前がついている。いちばん高いのが昨日登ったワシントン山で、次に高いのが今日登るアダムズ山とマジソン山だ。標高は2000m足らずで、ワシントン山のように一年中突風が吹いているようなこともない。登山口から頂上までは直線距離にしてどちらも7km程度か。雪の無い季節であれば余裕で日帰りできるコースのようである。なので、雪のある今の季節であっても、頂上の手前にある避難小屋とそのそばのテント張り場には昼ごろに出発しても日暮れ前には到着するだろうと高を括っていたのであった。しかし、昨日のワシントン山と大きく事情が異なる点が2つある。1つは、今回は山の中でキャンプするために冬山用の重いテントから2日分の食料・水まで背負わなければならない。2点目は、ワシントン山のように登山者の往来も多くなければスノーモビールが行き交うような登山路でもないので、雪が踏み固められていないのだ。容量65リットルのバックパックを用意していたが、登山口の駐車場で冬山テントやら雪かき用のシャベルやらアイゼンやら保温マットレスやら羽毛寝袋といった、夏山であれば不必要な装備をいろいろ詰め込んでいたら、バックパックはすぐにいっぱいになった。なにせ装備を道すがら購入してのぶっつけ本番なので、全装備がどれくらいの量になり荷物の総重量がどれくらいになるかも事前確認せずにここまで来ているのだ。とにかく詰められるだけの装備をバックパックに詰めて(入らないものはただぶら下げて)背負ってみたら、立ち上がれなかった(笑)。キリマンジャロに登った時はポーターが運ぶ食料以外は全部自分で背負って15kgくらいだったが(注.キリマンジャロでは登山者が自分で背負うことが許されている最大重量が15kgである)、この荷物はその倍までは行かなくとも25kgくらいありそうだ(帰宅してから実際に量ってみたらやはりそれくらいあった)。マッキンリーやアコンカグアでは単独で荷物を運ぼうと思ったらさらにこの倍以上の重量を自分で背負うなり引きずらなければならないことを思うと、これくらいの重さで音を上げるわけにはいかない。いったん愛車のトランクに載せた上で背中に乗せたらちゃんと担げた。しかしこの重さは、一歩一歩進むたびにプラスチックブーツを履いた足にずしりと堪える。雪の深さは膝上程度だ。すでに登山路に入った人たちがトレースをつけてくれているが、足跡はまばらなのでしばしば自分で雪道を切り拓かねばならない。まだほとんど傾斜のないところを歩いているのに、あっと言う間に汗だくになる。出発して30分も経たないうちに休憩を入れて、ダウンジャケットを脱いだ。先に進むに従い、いろんな名前の付いたトレイルの標識があちこちに立っているのが目に入る。この山はたくさんのルートが交錯しているのだ。今日はいちばん人通りの多そうなルートを辿るつもりであったが、ふと標識を見たら自分が予定していたのとは違うトレイルに入っていたことに気づいた。大きな荷物を背負っているので前傾姿勢で足元ばかり見ながら歩いているうちに、トレイルが交わるところで別のルートに入り込んでしまったらしい。ガーン。道理で先行者の足跡がまばらになったと思った(笑)。人通りが少ないので雪が踏み固められておらず、たまたま足を置いた場所の雪が予想外に深かったりするとズブリと腰の深さまで雪にはまってよろけたり、雪の下に氷板があったりすると滑って転びそうになったりする。おまけにこのルートは傾斜が急なので、重い荷物を背負って崖みたいなところを登るのは足腰に非常に堪える。そうこうしているうちに、あっと言う間に日が暮れてきた(笑)。いちおう用意していた地図を見るが、もともと予定していたルートではないこともあり、自分がどこまで進んだのかよく判らない。それに、深雪で標識が埋まっていたり、積もった雪の重さで垂れた枝のせいで標識が隠れていたりして、現在位置がなかなか確認できない。それでも木がまばらになってきたところを見ると、そろそろ森林限界線のはずだし、森林限界線を越えればすぐに避難小屋が現れるはずなので、自分を鼓舞して前進する。いよいよ日が落ちて真っ暗になった。バックパックを下ろしてヘッドランプを出す。夜の森の中は不気味だ。雪上にいろいろ動物の足跡が付いているが、この山にはいったいどんな動物がいるのだろう。まさかホワイトマウンテンにマウンテンライオンなんていないよね?雪上の足跡が浅いところを見る限りそんなに体重のある動物だとは思えないので、自分を安心させて暗闇を先に進む。ようやく久々に標識が出てきた。もともとオレが予定していたルートへのバイパス経路の標識である。ここを1マイル(1.6km)進むと人通りの多いあのルートに合流できる。...しかし、一歩踏み出してすぐに断念した。しばらくこのルートを通った人がいなかったらしく、腰までの深さの雪が延々と続いているのだ。こんな深い雪を夜に一人でラッセルして1マイルも進むのは自殺行為だ。オレは諦めてこれまで辿ってきたルートをこのまま先に進むことにした。ここからテント張り場が現れる分岐点までは0.8マイル(1.3km)、1時間もあれば到着するだろう...オレは闇の中ヘッドランプに照らし出される木々に覆われたほの白い登山路にひたすら意識を集中し、ときどき得体の知れない動物の鳴き声にビビリながら、地道に前進した。ほら、木々の背丈も低くなってきた、もうすぐ森林限界線だ。しかし...オレは闇の中の雪の登山路に立ち止まり、「ガーン」と声に出して言った。登山路が途切れているのだ。傾斜が緩くなり木々の背丈が低くなるこの地点から先は遮るものがないので一気に雪が深くなり、木の背丈と同じくらい、すなわち腰の上まで雪が積もっている。先行者の足跡はその手前で途切れているのだ。これまでこのルートを辿った登山者たちは、明らかにこの雪の深さに先に進むことを断念し、ここで踵を返して下山したのだ。オレは途方に暮れた。こんな暗闇の中、こんな重い荷物を背負ってあんな足場の悪い急傾斜を辿って下山するのは自殺行為だ。さっきのバイパスルートに引き返すことも考えたが、いずれにせよそこからは1マイルもラッセルしなければ正規ルートまで辿り着けない。だったら、この深雪をラッセルして先に進む方が、目標地点のテント張り場までいちばんの近道のはずだ。オレは意を決して雪の中に突っ込んでいった。しかし、なにせ雪の深さと木々の背丈が同じくらいなので、どれが登山路でどれが単なる木々の合間なのか区別がつかない(笑)。もうこうなったら野性の勘というか、運に任せて進むしかない。いずれ彼方に避難小屋の灯りも見えてくるに違いない。そうして数百メートルも進んだろうか、オレはついに進むのを断念した。雪の深さがついに胸元まで達したのだ(笑)。このまま先に進んだら、足場の悪い場所にはまったら最期、頭まで雪に埋もれ窒息死しかねない。もう前進も後退もできない。オレはここにテントを張り、キャンプをすることに決めた。バックパックを下ろすと、スノー・シャベルを出し、テントを広げられるだけの空間を選び、雪を掘り始めた。すでに森林限界線に近いところまで来ているので風はそこそこ強い。出来るだけ雪を掘り下げてテントを風から防護したほうがいい。オレは闇夜の雪山の中で、「♪ネーちゃんのためならエ~ンヤコーラ」などと時々ふざけて口ずさみながら雪を掘り下げた(でも内心はけっこう心細かった(笑))。1mくらい掘り下げたところで、傾斜のある雪面を出来るだけ平らに踏み固め、テントを張った。木々の合間にはフライシートをピンと張れるだけの広さもないので、掘って出来た雪壁に2本のストックでフライシートの端を刺して辛うじてテントとの間に隙間を設けた。これでテントが風に飛ばされることも、テント内外の水分が凍りついて凍死することもないだろう。夜のうちに天候がどう変わるか分からないので、オレはいざというときすぐにテントから出れるようにダウンジャケットやシェルパンツを着用しコンタクトレンズも付けたままで寝袋に入った。もうコンロを出して料理する気力もないので、寝袋にくるまったまま行動食用のチーズとライ麦パンにフルーツ缶詰だけの夕食を済ます。明日起きたら、この先のルートをシャベルで掘り進んでみて、なんとかなりそうであればそのまま先に進むし、もう自分ひとりでは太刀打ち出来そうもない雪量であれば諦めて下山するか、少し戻ってバイパス・ルートを試してみるか、どちらかにしようと考えながら眠りに就いた。(つづく)
2010.12.31
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朝、待ち合わせ場所にした登山口のビジターセンターに行くと、昨日とはうって変わってたくさんの人が登山準備をしていた。きっと昨日の雪崩警報で登攀を断念した人たちが、若干天候の好い本日を狙って来たに違いない。相棒となるLと一緒に入念な準備をした上で、朝8時半くらいに出発する。予定では、避難小屋までが2時間弱、そこから頂上までが2時間強、頂上で少し時間をつぶして下山に3時間弱、途中の休憩を入れて7~8時間(帰着は午後4~5時)といった行程である。晴天で、登山口付近は風も微風。この好天であれば頂上を狙えるかも知れないと2人で幸運を喜ぶ。Lは30歳近いかと思いきやまだ24歳で、ノースキャロライナの出身だという。今回ホワイトマウンテンくんだりまで24時間以上自動車を走らせてやってきたのはやっぱり将来的にマッキンリー登頂を狙っているかららしい。しかし、思えばオレが渡米しノースキャロライナの大学に留学した年齢が彼と同じ24歳だったが、Lはというと40歳過ぎのオレ並みの落ち着きである。オレは自分がノースキャロライナの大学に留学していたことは話したが、チームを組んだことを後悔させないよう、年齢のことは黙っていた(笑)。Lはあとあと汗が冷えて低体温症になるのを怖れて、汗をかかないようオレのペースに合わせてゆっくりと登っている。オレはマイペースのつもりでも結構汗だくになっている。ただ登るだけなら苦にならないのだが、慣れないアイゼンを付けたプラスチックブーツを履いて3リットルの水や緊急時用のいろいろなものを背負っているので、それで傾斜のある雪道を歩くだけで結構な運動である。約2時間で避難小屋に着き、行動食でエネルギー補給した後、ダウンジャケットにゴーグルといった本格装備に替えて、いよいよ険しいトレイルへと入る。ここまではオレの先導であったが、これ以降はピッケルなどの使い方に慣れているLに先行してもらう。何せ若くて長身で足が長いので、雪道にトレースを付けてもらってもオレの歩幅にとても合わない。とくに切り立った崖のようなルートに足場を付けてもらう時、1段1段のステップが高過ぎてオレの脚力ではとても一歩では上がれない(笑)。本人はそれでもオレに合わせて歩幅を狭めにして足場を作っているつもりだというので、そのことは黙っていた。11時過ぎに森林限界線に到着した時点で一度Lが持っていた地図を確認する。オレはてっきりトレイル名の由来になっているライオンヘッド岩群を通り過ぎもう頂上まで4分の3近い行程は消化し、あと1時間少々で頂上に着くものと勝手に思っていたが、ライオンヘッドはまだこれから先で、まだ頂上までの行程の3分の2も来ていないことを知って愕然とした。主観的には2キロくらいは歩いた気でいたが、実際には高度差があったので1キロくらいしか進んでいなかったのである。この後、2つくらいのグループに次々と抜かれた。足取りがしっかりしていて、どうやら今回が初めてといった感じではない。Lは彼らのペースに釣られてどんどんペースが上がって行き、オレは次第に遅れをとり始める(笑)。さらに、さっきまでの好天とはうって変わって、雲の中に入るとともに横殴りの風雪が吹き荒れていて、ゴーグルなしでは目も開けていられない。足場も不安定で、ちょっと気を許すと風に吹き飛ばされそうである。森林限界線から1時間弱でようやくライオンズヘッドと思しき地点に到達し、小休止する。ここでようやく行程の4分の3といったところか。本来の予定であれば頂上に着いていてもいい時刻である。ここまで、互いに抜きつ抜かれつのペースで登攀していたケベック州から来ているというカナダ人4人組がいたのだが、いつのまにか若い男性2人だけになっていた。どうやら4人のうちの女の子2人は登攀を断念して下山したらしい。ここでこの2人のうちの1人に写真を撮ってもらう。下の写真でピッケルを握っているのがLで、リンク先のビデオに映っているのはそのカナダ人男性2人である。 クリックするとYouTube動画にジャンプ ビデオの最後のほうに映っているとおり、ここまでは雲の切れ間からたまに下界が見渡せたのだが、ここから先はホワイトアウト状態でとても内ポケットからカメラを出す余裕はなく、写真もビデオも撮影していない。仮にカメラを回しても白い画像に吹雪のゴーという音が入っているだけだったろう。ホワイトアウトの中、Lをはじめとするほかの登山者たちがしっかりとした足取りで先に進んでいく一方で、オレは風に飛ばされるのを怖れ、ピッケルのブレードを両手で握り、柄の部分を一歩先の雪に突き刺しては一歩進むという、まるで腰が曲がり足腰が弱ったおじいさんのような歩き方で前進するほかなかった。岩登り用語に「三点確保」という言葉があるらしいのだが、うっかり片足と片手(=二点)を両方同時に離したら最期、突風に煽られて山稜から仰向けに転落しそうなくらい猛烈な風なのである。それに、傾斜が急になってくるとアイゼンがうまく利かせられなくなってきた。利き足である右足はそれほどでもないのだが、そうでない左足は足元の雪にアイゼンを刺して安定させるといった動作がスムーズに出来ず、なかなか次の一歩が踏み出せない。安定したペースで思うように前進できないというのはなかなかもどかしいものである。ホワイトアウト状態に加え、高度が上がるに連れてあまりの寒さにゴーグルの内側の結露が氷結し、視力0.05みたいな世界になる。もはや足元が岩場なのか雪なのか判別がつかないのである。気がつくと自分がとんでもない方向に歩いていて、あわてて進路を変更したりすることが何度かあった。ときたま風に飛ばされないよう注意しながらゴーグルを外してレンズの内側の氷を拭うのだが、それでも視界が晴れない。もしかして酸素不足が視覚にきたのかと一瞬思ったが、よくよく見ると、今度は吹き付ける雪粒がレンズの外側に堆積していた。ゴーグルの内も外もこれなのである。これでは夜中にヘッドランプなしで登攀しているのと変わらない(笑)。オレはLを含む登山者たちから決定的に引き離されていった。猛風がゴーゴーと吹き荒ぶ真っ白な視界の中にはもはや誰もいない。昼食抜きで登攀しているので空腹のために次第に無気力になっていく。断熱カバーを付けていたはずのキャメルバッグ(水嚢)もとっくに凍りつき、水分も補給できていない。すると、前方から登山者の集団が引き返してきた。タイムオーバーのために頂上を諦めた連中たちが一気に引き返してきたらしい。その中にLも混じっている。頂上まではあと1キロ程度なのだが、このペースで登り続けたら頂上に着くのは夕刻近くになり、こんな状態で日が暮れた後に下山するのは命懸けになる。午後2時半をタイムリミットに誰もが一斉に踵を返したのだ。これが世界最高峰であれば話は別だが、たかだが標高2000mやそこらのホワイトマウンテンの頂上に命を懸けるのも馬鹿馬鹿しい(笑)。登山者たちは口々に「山はいつでもそこにあるし、また来ようと思ったらいつでも来れる」と言って、頂上を目前にしてさっさと下山していた。ただ、下山した登山者たちの中に例のケベック州の2人の姿はなかった。どうやらリスクを冒してまでも頂上を目指したらしい。Lは山を降りながらしきりに彼ら2人のことを気に掛けていた。いいヤツだ。後日、遭難のニュースがなかったところをみると、2人はきっと無事に下山したのであろう。1時間足らずで中間地点の避難小屋に到着し、オレとLはゴーグルやアイゼンといった重装備を外しに掛かった。Lは一番上に着ていたシェルジャケットを脱ぐと、下に着ていたダウンジャケットはまるで濡れ雑巾のようにグショグショになっていた。まるで水に浸かったかのようだ。オレも汗で上半身や腰周りが湿っていたが、一度脱いだら二度と身に着ける気になれそうもないので脱がずにいた。ピッケルの柄の表面には冷凍庫の内側のように真っ白な霜が堆積している。絶縁手袋を二重にしていてもピッケルが冷たく感じたのも無理ない。オレらは日暮れが迫っていたので下山を急いだ。さらに一時間足らずで、日が落ちてすっかり暗くなった登山口のビジターセンターに到着した。まさに生還したという感じだ(笑)。オレを置いて先にセンターに到着していたLも、足取りが軽く見えたが実際にはかなり疲労していたと見えて、ベンチに腰掛けてぐったりしていた。テーブルに移動して昼食用に用意していたスナックを食べながらお互いに感想を話すと、Lは今日のような経験が3日続くようなマッキンリー登山は自分にはまだ時期尚早だと痛感したと言った。まあ、実際に今日のような状況を経験するのはマッキンリーの登攀当日とその前日の2日程度だとは思うが、時期尚早に感じた点はオレも同感だった。体力的には余裕があったが、スピードが全然足りない。プラブーツとアイゼンを履いた登山にもっと慣れる必要を感じた。こんなペースで登っているようでは、誰ともパートナーを組めない(笑)。いずれにせよ、こんな過酷な条件の冬山を単独で登ろうと思っていたのはかなり危険な発想であったという点でもオレらは意見が一致した。実は、Lのキャメルバッグ(水嚢)は(吹き戻ししたにもかかわらず)登山開始後2時間足らずで氷結してしまい、ずっとオレの持ってきていた予備用の水に頼っていたのだ。そういうオレも、浸み込んだ汗が凍り付き手袋の指先が思うように動かなくなった後、Lにフードのコードの調整を頼んだりしていた。そんなちょっとしたことだけでも、こういう苛酷な環境でパートナーがいるというのは有難い。そういう意味で、昨日Lに声を掛けてもらったのは幸運であった。下山前まではまだ明日再挑戦するようなことをほのめかしていたLも、今となってはホワイトマウンテンの苛酷さを今日一日で十分経験できたので、明日一日を休養に当ててそのまま帰路に着くとのことであった。オレはまだワシントン山以外にも、ホワイトマウンテン山系の北側にあるマジソン山とアダムズ山に登山キャンプする予定が残っている。明日からはいよいよ単独の冬山だ。(つづく)
2010.12.30
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朝、キャンプ場から4~5キロ離れた登山口のビジターセンターに立ち寄って天候その他の情報を確認したら、案の定登山道の雪崩確率は「High」になっていた。あの大雪の後なのだから無理もない。登山者の記名帖を見てもオレの先には1人しか記名がない。今日は頂上は狙わずに、登山路の中間地点にある避難小屋まで行ってみて、時間があればその先の冬場の登山ルートの様子を見てみることにする。冬山に一人でやって来たが、実は冬山用の二重プラスチックブーツを履くのもアイゼンを履くのもピッケルを持つのも生まれて初めての体験である。何せいずれの装備もおととい登山用品の店で買ってきたばかりなのだ。使い方は店員から聞いたりインターネットでいろいろ勉強した程度だ。プラ・ブーツはとにかく重い。普段山ではトレイル・ランニングシューズを履いているオレは普通の革の登山靴でも重く感じるくらいなのだが、プラスチックブーツともなると片方だけで1キロくらいあるのだ(笑)。しかもプラスチック製なのでまったく屈曲せず、まるで足にギブスをはめた状態で歩いている感じだ。一歩一歩持ち上げては地面に下ろすような歩き方をせざるをえない。 風は確かにすごい。登山道の両脇は木々に遮蔽されているというのに風がビュンビュンと吹き交う。風に飛ばされたりへし折られた針葉樹の小枝や葉が雪の上に散っている。まだ避難小屋まではスノーモビールが往来できるようになっているので雪はある程度踏み固められているが、登山道の脇には深雪が積もっている。途中で小川の上に掛かる橋を横切ったが、小川がほとんど雪で覆われて、一部クレバスのようにポッカリと穴が開いて川が姿を覗かせていた。ほぼ予定どおり2時間程度で避難小屋に着いた。オレ以外にも何人か登山者が荷物を整理したりしている。そのうち1人は、昨晩避難小屋のちょっと手前にある屋根つきの休憩所でテント泊しようとしたが、風があまりにスゴイのでテントを放棄して下山し、ふもとのロッジに泊まったそうだ(笑)。今日はそのテントを撤収しに登ってきたそうだが、あまりの寒さと猛風にブルブルと震えている。たしかにこのあたりの風の勢いは下界で言えば台風の真っ最中といった感じだ。しかも気温は氷点下10度台。体感温度はいったい何度になるのだろう。画像をクリックするとYouTubeの動画にジャンプ 避難小屋で軽い昼食を済ました後、頂上へと向かう Lion Head Trail に入ってみる。ここからは登山路が急に狭くなり、傾斜も急になる。途中小規模な氷壁があったりして、アイゼンがないと先には進めない。途中、大学生風情の男女5人くらいのグループとすれ違った。こんな天候の時に頂上まで行って来たのかと聞くと、森林限界線まで行って戻ってきたそうだ。たしかに標高が上がるにつれて木々の背丈が低くなり、傾斜が急なこともあって次第に視界が開けてくる。1時間足らずで森林限界線に到着した。遮る木々がないので風の勢いは一層強烈だ。傾斜も急でちょっとよろけたらすぐに風に吹き飛ばされ転落しそうだ。ここから先は一人で登るのは自殺行為だと思い、ちょっと写真とビデオを撮って引き返すことにする。 画像をクリックするとYouTubeの動画にジャンプ 2時間弱で下山し登山口に戻った頃にはすっかり薄暗くなっていた。登山路は山の東側にあるので日が傾くと暗くなるのはあっと言う間である。再びビジターセンターに立ち寄って係員に明日の天候などを伺っていると、20代後半と思しき背の高い青年が「明日頂上を目指すつもりならば、一緒に登りませんか?」と(英語で)尋ねてきた。オレはまったくの冬山初心者で道具の使い方さえロクに知らないので足手まといになるだけだと言うのだが、彼自身も本格的な冬山登山は初めてなので、オレとレベル的には釣り合うのではないかと言う。見ると、たしかに彼が身につけている装備はオレと一緒で新品っぽいものばかりだ(笑)。たしかに万が一のとき、助け合うまでいかないまでも、救助を呼びに行くくらいのことはお互いに出来そうだと思い、明日一緒に登ることを約束する。天候も今日に比べればほんの少しだけ穏やかになりそうな予報である。明朝7時45分にビジターセンターで待ち合わせることにして、オレはキャンプ場に戻った。(つづく)
2010.12.29
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ビルとビルの間の路地に停めてもこの雪量である。レッカー移動に1万円、パンクしたタイヤを2輪交換してもらって2万5000円。痛い出費である。3万5000円もあったら新品の大容量バックパックが1つ買えたことを思うと悔やまれてならない。雪は止んだが風は強い。除雪作業が追いつかず、ハイウェイ上の自動車もみなノロノロ運転である。本来なら3時間で到着するホワイトマウンテンまで5時間以上を要し、冬場に唯一開いている麓のキャンプ場に着いた頃には日も暮れていた。しかし噂にたがわず、麓とは言えどすごい風である。雪量も膝上から太ももくらいまである。夕方にも関わらず除雪車がキャンプ場で除雪作業中かと思いきや、この深い雪にはまって身動きが取れなくなり、救助を待っているところであった(笑)。作業員たちにキャンプしに来たことを告げると、止めておいたほうがいいと忠告された。たしかに自分以外テントを張っている人はいない(笑)。しかしこの雪量や強風に怯むワタシではない。出来るだけ風から遮断されていそうなサイトを選ぶと、ヘッドランプを取り出し、暗闇の中で昨日買ったばかりの雪山テント(このモデル)を張り始めた。温度計を見ると氷点下15度弱。風量といい気温といい、アコンカグアの最終キャンプ地の状況にかなり近い。風に煽られつつ厚手の手袋を付けての作業は容易ではないが、この程度で参るようではアコンカグアもマッキンリーも覚束ない。シャベルで出来るだけ平らにならした雪上に建てたテントの中に荷物を入れると、これも昨日買ったばかりの携帯コンロをテントの入り口のところに置いて、夕食作りに取り掛かる。出来上がったうどんの入った容器をテントの中に入れると、湯気がすぐに凍りつきテント内がホワイトアウト状態になる。お腹がある程度膨れたところで、あらかじめ湯たんぽ代わりにボトルを入れて暖めていた羽毛寝袋に入る。さすがにジャケット類は脱いだが登山着も靴下も身に着けたままである。テント内の温度は氷点下6~7℃くらい。テントの内側には氷結した水蒸気が白い霜を作っている。外では嵐のような風の音が続き、時折激しくテントを揺らす。呼吸のために唯一寝袋の外に出した口と鼻の周りが冷たい。一昨日のブログにあった「眠ったらそのまま目が覚めずにそのまま逝ってしまいそう」云々というg-3さんのコメントを思い出し、ちょっとだけ不安に思う(笑)。朝、無事目を覚ました(笑)。「ちゃんと生きてたじゃん!」と寝袋の中で独りごつ。夜中に激しい風音や軋む木々の音で2回くらい目を覚ましたものの、比較的よく眠れた。とりあえず雪山の1日目は無事クリアだ。(つづく)
2010.12.28
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この年末年始のオレのバケーション先はここ↓「そうか、地獄か。」と思った人は、当たらずとも遠からずである。というのは、ここは地球上で一番過酷な環境なのだそうだ。オレが住んでいるところから自動車で移動できる範囲内でいちばん高い山を探したところ、ボストンの北に車で3時間、モントリオールからだと南東に3時間くらいのところにあるニューハンプシャー州のホワイトマウンテン山系に「Mt Washington (ワシントン山)」というのがあって、標高は2000m足らずなのだが、ここの山頂は北極や南極並みに寒く、地球上で過去最高の風速370kmを記録したことがあるくらい風が吹き荒れていて、雪が深く、しばしば濃霧が掛かっているらしい。ちなみにそんな記録的に天候の悪いところなので、頂上には測候所があって、どんなにヒドイ環境なのかをご丁寧にウェブカム画像つきで公開している。ちなみに本日の天候をチェックすると、気温が摂氏マイナス11度、風速55キロ、体感温度がマイナス28度という、この地にしては非常に恵まれた天候のようだ。中年オヤジが独りで過ごすバケーションには、ビーチなんかよりもこんな冬山の方がよく似合うよね。それに、一度こういうところに登っておけば、想像を絶する突風や風雪で知られているアコンカグアやマッキンリーにこれから登った時、「...ああ、天気のいい時のワシントン山みたい」と思えるに違いない。ちなみに登山路の入り口にはその日の天候や雪崩の危険度がつねに掲示されているが、仮に最悪のコンディションだったとしても決して「閉鎖」や「進入禁止」にはならないのが自己責任の徹底したアメリカらしいところである。ただしオレもバカではないので、雪崩の危険度が「高」の時にわざわざこの山に登ろうとは思っていない。アコンカグアやマッキンリーでも天候の好い日を選んで頂上アタックするのと同じように、天気が悪い日はもう少しコンディションの緩やかな周辺の別の山(Mt. Adams とかMt. Madisonとか)に登り、天候が回復したらワシントン山に戻ってくる予定である。もちろんこんな冬山に登山&キャンプするためにはそれなりの装備を買う必要があって、冬用のテント(4万円弱)とか冬用の羽毛寝袋(4万円以上)とか、冬山・高山用の二重プラスティックブーツ(4万円)とか苛酷環境用の厚手のダウンジャケット(4万円)とか、あとピッケルにアイゼンなどを買い足すと余裕で20万円以上の出費になってしまう。これだけ出費したら「元を取ろう」という心理が働き、意地でもアコンカグアやマッキンリーに登ってやろうという気になると思う(笑)。かつて独身中年のドイモイ氏がバケーションにハワイに行ってクルーズ船に乗ったらカップルばかりで気まずい思いをしたというエピソードがあったことは訪問者諸兄の記憶にまだ新しいと思う。オレはその際、「中年オヤジが独りで行ったら不審に思われる場所」と「中年オヤジが独りで行ってもごく自然な場所」というのを考察したが、そのとき中年オヤジが独りで行くのに相応しい場所に「山」や「北極・南極」を入れていたことを思い出した。日本では山ガールとか言って若い女性の間で山ブームになっているらしいが、むしろ冬山みたいな環境こそ孤独な中年オヤジの山行の場としてもっともっと流行っていいという気がしてきた。...ということで訪問者のみなさんよいお年を。
2010.12.24
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ところで、エベレストに登頂した人を一番多く出している国はどこであろうか。日本ではない。日本は3位である。アメリカでもない。アメリカでも2番目である。そう、1位はネパールなのである。アメリカの3倍、1000人くらいは登頂に成功しているそうだ。エベレストの登頂回数ではどうであろうか?2年くらい前に三浦雄一郎氏と一緒に登頂した村口 徳行氏は5回で日本人最高。世界最高記録は19回、ネパール人のアパ氏である。そう、いずれもシェルパである。実は、エベレストに初登頂したのはニュージーランドのエドムンド・ヒラリー卿ということになっているが、これもネパール人シェルパのテムジン・ノルゲイの方が先にヒラリー卿より頂上に着いていたのではないかという話もある(笑)。何が言いたいかというと、エベレスト登頂者にせよ七大陸最高峰制覇者にせよ8000m14座を征服した人にせよいかにも超人的な偉業を達成したとしてメディアに取り上げられるわけだが、実はホントにスゴいヤツってのは、黒子役のシェルパの中にいるのではないか?と思うのだ。たとえば、2001年にキリマンジャロに走って登ったイタリア人が居て、普通なら頂上まで3~4日掛けて登るルートをなんと5時間40分で登り切り、通常1~2日掛かる下山ルートを3時間弱でマラング・ゲートに到達、ゲートと頂上を8時間半で往復して世界記録に認定された。しかしオレがキリマンジャロに登った前の年、地元タンザニアのガイドがまったく同じルートを8時間27分で頂上と往復し、あっさり記録を塗り替えてしまった。しかも本人は頂上に着いてから余裕をかまして3分くらいビデオ撮影していたそうである(笑)。要は、彼らシェルパやガイドがこんな先進国の登山客並みに“本気で”トレーニングしたり記録に挑戦していたら、七大陸最高峰登頂だとか8000m級14座制覇の記録も全部塗り替えられているのではないかと思うわけだ(笑)。先進国の登山家がそういった「記録」を自慢していられるのは、シェルパやガイドが仕事(黒子)に徹していてくれるからなのだ。なんつーか、これら地元のシェルパやガイドはあくまで生活のためにエベレストやキリマンジャロに登っているわけで、「エベレスト登頂!」とか「8000m峰制覇!」とかいちいち自慢しないし、ましてや記録を打ち立てるためにトレーニングしたりしない(笑)。つーか、何をあんなムキになって山頂を目指すのか根本的に理解できないだろう。つーか、彼らにそんなカネとヒマとエネルギーがあったら山になんて登っていまい(笑)。そういえば、何年か前に日本のどっかの国際マラソンで、ペースメーカーとして先頭集団を引っ張っていたアフリカ人の雇われランナーが、本当はゴールの何キロか手前でレースを放棄して脱落しなければいけない約束だったところが、何を思ったか先頭集団を抜け出してゴールを目指し始めたのを、関係者たちが慌てて止めているのが報道されていた(笑)。自分の出身国の年収以上の報酬をもらう代わりに出場資格を放棄してペースメーカーなんかさせられているが、実は参加選手たちをぶっち切って優勝する実力の持ち主だったのである。なんだか国際マラソンとやらが茶番に見えてシラケた瞬間であった(笑)。要は、マラソンにせよアイアンマンにせよ登山にせよ冒険にせよ、所詮は金のある国のヒマ人の娯楽やヒマつぶしの類に過ぎないのだ。莫大なカネを払ってまでツライ想いをしたいバカどもの酔狂。彼らシェルパやペースメーカーは、我々のそんなガキみたいな酔狂におカネと引き換えに付き合ってくれているオトナというわけヨネ。
2010.12.12
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先日の日記にセブン・サミッター(世界七大陸最高峰征服者)について書いたのだが、それからいろいろ調べているうちに「さすがにオレもエベレストは無理だわ...」と思った。アコンカグア(6962m)はなんとかなるかも知れない。マッキンリー(6194m)も努力次第でいけるかも知れない。しかし8000m級はシャレにならない。キリマンジャロ級の山とマッキンリーやアコンカグア級の山の間には越え難い壁が存在すると言われるが、そのアコンカグア級の山とエベレストをはじめとする8000m級の山の間に存在する壁というのはさらに高くて厚い。スポーツ選手にたとえれば、キリマンジャロとアコンカグアの違いが筋のいいアマチュアとセミプロ(実業団レベル)の違いだとすると、アコンカグアとエベレストの違いは実業団レベルと第一線のプロの違いと言えそうな気がする。筋のいいアマがメチャメチャ調子のいいときに実業団レベルのヤツに勝てることがあったとしても、実業団レベルのヤツではまず第一線のプロには勝てない、そんな感じ?なんせ、キリマンジャロはよほど準備が出来ていないか無茶なことをしない限り「死ぬ」ことはまずない。アコンカグアやマッキンリーも常識的な判断さえ失わなければ命を落とすほど危険ではない。しかしエベレストは「誰にとっても無茶」なことが前提であって、そもそも生命体の存在が赦されない8000mの境界線を超えた「デス・ゾーン」に踏み入るということがすでに常識を逸している。統計によるとエベレスト登頂者の17%前後が生還していない。5~6人に1人。まさにロシアン・ルーレットと同じ確率である。ふつう山で死ぬというと、風に吹かれて滑落とか雪崩に巻き込まれて窒息とか悪天候で遭難して凍死や餓死というのが死因の定番だが、エベレストはしばらく「そこにいるだけ」で死んでしまう(笑)。空気中の酸素量が3分の1で気温は快晴でも氷点下20度以下、風が吹いていれば体感温度は氷点下40度。別に事故に遭わなくとも、登頂に時間が掛かり過ぎ下山が遅くなって日が暮れたらまず生還できないし、フツウに登ったり降りたりしている最中に力尽きて死んでしまうこともある。悲惨なのは、八ヶ岳や大雪山などと違って「誰かが」救助に来れるような余裕など微塵もない世界なので(笑)、8000m以上のところで誰かの体調が悪化してその場に倒れても、その人をかついで降りてくれる人は(仮にシェルパであっても)誰もいないし、医者を呼ぶにもそんな高度のところに医者を連れてくる手段がそもそも存在しないのだ(笑)。それに、仮に「助けて...」「一緒にいて」なんて消え入る声で懇願されても、1分・1秒長く居るだけで砂時計のように生存可能性が低下していくそんな標高の世界で立ち止まって介護なんてしていたら、いずれ自分が死んでしまう。要するに、そこで「もう歩けない」状態になってしまったら、もう置いていくしか仕方がないのである。だから、エベレスト山頂への経路にはそういう風にして死んでいった登山者たちの死体が普通に転がっていて、またそんな標高では死体は腐敗することがないので、登山者はそんな死体の横をいつも通り抜けて山頂を目指す。下のYouTube動画は、エベレストに2回登頂している山下健夫さんが登頂日に撮影したビデオと写真を組み合わせたものだが、ご本人の淡々とした飾り気の無いナレーションがその殺伐とした「本来、人がいてはいけない世界」を却ってリアルに伝えている。山下さんの前を登攀していた登山者が、いわゆる「第2ステップ」と呼ばれる難所を登り切る手前で力尽き、岩場の上に座り込んでそのまま死んでしまうところの描写が特に強烈だ。また、頂上からほんの200m下で仰向けになって死んでいたまだ新しい死体の描写も、写真や動画がなくてもまるで頭に浮かぶようである。あと、「第1ステップ」の上で横になっている2人の登山者を、誰もが見て見ぬふりをして通り過ぎて行く話もスゴイ。下のYouTubeビデオはまさにそのような「見殺し」にせざるを得ない究極の世界を体験したエベレスト生還者たちにインタビューしたビデオだ。ヒラリー卿も登場して言っているとおり、もし誰かがトラブルに巻き込まれていたら「too bad. (お気の毒に...)」のひと言で通り過ぎるほかないのだ、8000m以上の世界では。あと、大事な点として「頂上がゴールではない」というのも忘れてはならない。マラソンだったらフィニッシュラインを超えたらあとは倒れようが大の字になろうがそこで終わりである。ゴールまでに全力を出し切ればよいのだ。しかし登山では、とくに山頂が“デス・ゾーン”にあるような山では山頂はあくまで「折り返し地点」に過ぎず、下界のベースキャンプ(厳密にはアプローチベースキャンプ(ABC)だが...)がゴールなのである。このYouTubeビデオでインタビューされている生還者も口を揃えて言っているが、エベレストでの死者は登頂で力と時間を使い果たし、下山時に亡くなった人が多い。いくら登頂できる余力があっても、頂上からベースキャンプまで戻って来れる時間や体力が残っていないと判明した時点ですぐに下山しなければエベレスト登山者は生還できないのだ。あとちょっとで到達できそうなところに世界最高峰の山頂があるのに、それを目の前にして、時間が遅いからとか下山時までに天候が悪化しそうだからという理由できびすを返すのには大変な冷静さと根性が要るに違いない。要するに、世界最高峰に「余裕」を残して登れるレベルの人でないと、生きて帰って来れないのだ。オレは日本人にしてはこれまでかなりアブナい道を経てきた方だと思うが、そんなオレでもロシアン・ルーレットをやる根性はない。弾倉が20個もある確率5%のリボルバーだったとしてもイヤだ(笑)。そこまでのリスクを冒してまでエベレストに登りたいとは、全然思わない。オレがもしエベレストに挑戦することがあるとすれば、もうほかのすべての大陸最高峰も登り尽くした上で、かつ「別に死んでもいいかあ。」と思えるくらいあらゆる面で満足した時だけだと思う。そんな日が来る確率はまあ、17%未満だろうなあ。
2010.12.08
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ここ1週間くらい、1日数時間はネットでアコンカグアやマッキンリーをはじめとする山のサイトばかりネットサーフィンしている。とくに寝る前にベッドで横になってiPadで読む他人の登頂記は面白く、気がつくといつも深夜になっている。この種の登頂記録というのは得てして登山を趣味としている人が書いたもので、とうぜん同じ趣味の人であれば理解できるような登山用語も登場するし、何よりも山への敬愛が感じられるものが多い。一方でオレはというと登山が趣味なわけでもなく、山に入るのはもっぱらマラソンやトライアスロンのトレーニングの一環だとか、極端に標高の高い世界を経験してみたいとかいったフトドキな理由であり、足元の草花を愛でるとか素晴らしい風景を記録に収めるといったこともせずにひたすら頂上やトレイルの終結点を目指して走り回っていることが多い。なのでこれらの登頂記を読むたびにほんのちょっとだけ神妙な気持ちになっている(笑)。ただ、登山を趣味としている人の中にも必ずしも純粋に山を愛しているわけではなく、世界七大大陸最高峰への登頂なんかを目標にひたすら世界中の「一番高い山」ばかり選んでを登山をしている「セブン・サミッター Seven Summitter」狙いというのがいるらしい。これは明らかに「一番高い山を征服した」という満足感のために登山しているわけで、景色を十分エンジョイしたからと言って途中で帰ってくることはまずあり得ない(笑)。マラソンの「完走」と同じく「登頂」自体が目的で目標なのである。本当に山を愛する人に言わせればこのような動機での登山は邪道なのかも知れない。ちなみに2010年時点で七大大陸最高峰を征服したセブン・サミッターは250人くらいいるそうで、そのうち野口健さんをはじめとして日本人も6~7人いる(ちなみに植村師匠は南極最高峰までは登っていないのでセブン・サミッターではない)。(注1)世界各国に遠征して1~数週間かけてそれらの山に登るのには毎回(マッターホルンあたりの)数十万から(エベレストの)1000万円くらいは費やしているはずで、それだけの体力や精神力はもとより、それだけのカネを「登山」にポーンと遣ってしまえる感覚がまず常人離れしてるよなあと思う。やっぱ1000万円とかあったら常人であればすぐ新車を買うとかブランド物を買うとか南国のリゾート地に旅行するとかいった発想をするはずで(笑)、わざわざカネを出して生死ギリギリの淵のツライ体験をしに行くところがこれらの人のスゴイところなのだろう(笑)。まあそういうオレも単にシンドイだけのアイアンマン・レースに参加料6万円を2回も払ったことがあり(笑)、これらのレースに出るために何の実用性もないトライアスロン・バイクに40万円以上を費やしたような人間なので、たぶん価値観的にはこれらのセブン・サミッターに近いものがあることは間違いない。ところで昨年アイアンマンを完走した後で旧友から指摘されたとおり、オレはずっと前からタナトスだポトラッチだの自分をギリギリまで追い詰めるだの言ってる割にはなかなか死なず(笑)、それどころかむしろ10年くらい若い頃より健康になっていたりして(笑)、さいきん保身に走り始めた自分に気づき、ちょっとだけ反省している(笑)。「将来どうなるか分からない」とか言ってしっかり貯金をキープしようとしている44歳の自分を30代の自分は決して赦さないだろう(笑)。「どうなるか分からない」ときのためのカネがあったら、それこそエベレストにでも登れや!...と言いたくなるわけである。まだ正確に計算したわけではないが、実のところオレも貯金をぜんぶはたけばもしかしてセブン・サミットに1回ずつくらいは遠征する程度のカネ(≒カナダの田舎に小さな家を立てる程度のカネ)をすでに持っているような気がする。どうだ、カナダに家買って独りで住んでたって何にもならないだろ?思い切って次はドーンと世界七大最高峰でも目指すか(笑)?そんなわけでオレは今、「バカなことは止めとけ」という自分と「どうせ先の短い人生んだろ」という自分との間で、軽く脳内で葛藤しているところなのである。(注1)世界最高峰エベレストだけの登頂者だと日本人だけで141人いるそうである。ちなみに最近で挑戦者が一気に増えてなんと年間400人くらいが登頂してるらしい。さいきんの世界的なアイアンマン人気と一緒か(笑)。
2010.12.06
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先日の日記に書いたとおり、来年の目標を6000m級の山にしようと思いここ数日ネットで調べていたのだが、アコンカグアにせよマッキンリーにせよいろんな意味でハードルが高いことだけはよーく分かった。まず装備だ。もともと登山の基礎知識も訓練の経験もないオレが、体力への自信だけを頼りに4年前キリマンジャロに登ったとき、装備には身の回りにあったキャンプ用品でほぼ間に合わせた。標高は6000m近いものの、技術的には富士山登山に必要なレベルでOKと聞いていたので、新たに買った物といえば40ドルの安物ステッキと1万円足らずの登山ブーツくらいであった。登頂日の氷点下20度以下の環境への装備も、その前の年末にアラスカに行ったときに揃えた防寒用衣類で間に合った。しかし、アコンカグアや、ましてやマッキンリーとなるとさすがに富士山の延長というわけにはいかない。オレはある山岳系旅行会社の装備表を見て困惑した。なんとなく耳にしたことはあるが、何なのか知らない登山用品がいっぱい載っているのだ。アイゼンは何か想像がつくが、カラビナって何?ピッケルもイメージが湧くが、プラブーツって何よ?それより、持ってないと参加を断わられる「二重登山靴」ってどんなの?つーか、アイゼンはいてピッケル持って、身体にロープを巻き付けなきゃ登れないような山だったのかアコンカグアは? 経験者たちの書いた登頂記を読んでも、「トラバース」だの「荷揚げ」だのよく分かんない言葉がいっぱい出てくる。それに、キリマンジャロの時は登山口から5日で登頂し、1日で下山、計6日で帰ってきたが、アコンカグアだと14日前後が標準だという。高度順応のための「停滞」に数日費やしたとしても、正味の登山だけで倍の日数を要するということだ。これがマッキンリーとなると、天候のために足留めを食う予備日の日数を入れて3週間だ。そして当然これらの日数分の食料を持参しなければいけない。装備プラス食料で実に70キロ!自分をもう1人かついで登山するようなものだ。あと、これらの登頂記(あるいは登頂失敗記)を読んで気が滅入るのが、死ぬ話があちこちに出てくる点だ(笑)。途中まで一緒に登っていてベースキャンプで別れた人が、山頂から戻ってテントをのぞいて見たら中で死んでたとか(笑)、知人が何年か前にアタックして滑落死したところを通って下山する話とか、伝聞としてではなく自分が身近に経験したこととして死が語られているのだ。キリマンジャロでも何年か前にどの国から来た人がどこで死んだという話は耳にしたが、どれも伝聞の伝聞だった。やっぱりアコンカグア、ましてや植村直己師匠が命を落としたマッキンリーともなると、死の危険性が一気に現実的になるのだ。現実といえば、装備に数十万円、旅費に数十万円で予算はたぶん5~60万円、旅行期間に3~4週間ってところだろうか。予算的は定職に就かないと厳しいし、逆に旅行期間の方は正社員が休暇を取るには厳しい長さだ。やっぱり定職に就く前に貯金を切り崩してでも実現するほかないか。誰かが、キリマンジャロやモンブラン級の山と、マッキンリーやアコンカグアのようなレベルの山の間には超え難い壁があるといったことを書いていた。そういえば、キリマンジャロの登頂成功率は5~6割だったが、アコンカグアでは3割を切っているらしい。こうして調べていると、ここから先はホントにいろんな意味で難易度が一気に高くなることを痛感する。…でも、マラソンからアイアンマンにアップグレードした時には機材だけに何十万円&トレーニングに数年費やして、おまけに会社も辞めてるし(笑)、今回のアコンカグアにもきっと数十万円費やして来年は南米に遠征してるんだろう。そろそろ厳しい山岳トレーニングも開始かなあ。今年は例年にない厳冬になるそうだし、耐寒訓練にもタイミングかもなあ。
2010.12.03
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先日ぼくは、スウェーデン在住(だけど仙台出身)の自称トレーニング・フリークのフレヤさんから「いくら冒険して帰ってきたところで『嘘だろ。』のひと言で片付けられておしまいなので、早くトレーニングの話題に戻って欲しい」とのコメントをいただいておりました。そういえば、ぼくは2007年にアイアンマン完走を目指してトレーニングを始めてから過去4年間弱、今日は何キロ泳いだとか何時間自転車で走ったとか、大会で何時間何分でゴールしたとかそんな話ばかり日記に書いてきましたが、この7月末にアイアンマンを自己最高記録で完走してからというものたまにジョギングしている以外は過去4ヶ月ほとんどトレーニングらしいトレーニングをしていません。実のところ、来年のアイアンマン・レースには現時点で申し込んでおらず、今年12月のこの時点で申し込みを済ませていないということは、南アフリカとかマレーシアとかいったよほどの僻地まで遠征する気がない限り、北米や欧州で来年開催されるアイアンマンに参加するのはほぼ無理という状況です。だから、2011年はアイアンマンに向けたトレーニングを続けることはほぼなくなりました。ただ、ぼくは8年前にマラソン完走に向けてトレーニングを始めてからというもの自虐的なトレーニングが日常生活の重要な一部になっており(笑)、4ヶ月にわたって怠惰な生活(...とは言っても普通の人よりはまだ運動しているが)をした末にようやく「そろそろまた何かを始めなきゃ...」「次は何を目標にしようかなあ...」とは漠然と感じ始めていたところです。振り返ると、2002~2005年の3年間がマラソン(2003年夏の山岳マラソンを含む)、2005年末に厳冬のアラスカにオーロラ見物兼犬ぞりキャンプをしに行って、2006年の初めに高山に登ることを決めて8月にキリマンジャロに登山、2006年暮れにアイアンマンレースのテレビ番組を見てからトライアスロンを始め、2008年末にインカ・トレイルを辿ってマチュピチュに到達、2009年と10年にアイアンマンを完走...という感じで、2~3年耐久レースのトレーニングに励んではどっかに冒険に行く...というサイクルを繰り返していたことに気づきます。ただ、耐久レースにせよ冒険にせよハードルは徐々に高くなってきているので、アイアンマンやキリマンジャロより高い目標となると、次はたとえば「山岳100マイルレース」とか「5大陸最高峰」とかいったレベルになってきます(笑)。さいきんアドベンチャー・ツアーのガイドの単発仕事を始めたことから、今はなんとなく山に興味が向き始めたところです。これからカナダは厳しい冬を迎え、また長期予報によれば今年の冬は例年になく寒くて雪の多い冬になるということなので、この冬はちょっと雪山のトレーニングでもして、来年のアコンカグア(6950mくらい?)かマッキンリー(6200mくらい?でもルートや気候はアコンカグアより厳しい)あたりを目標にトレーニングでも始めようかと考えていたところです。まあ山のトレーニングなので、久々(15年ぶり!)にジムに通って筋トレなんかも始めることになる予感もします。...つ~か、まだ定職もなく厳しい生活をしてるのに、資金をどうするよ(笑)?今年はついにアメリカの米ドル隠し口座や日本の円口座を取り崩すことになるか?(笑)
2010.11.29
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オレがこの秋から単発でガイド仕事を始めた旅行会社の先週のオフシーズン・ミーティングのときの話なのだが、今月初旬日本滞在のついでに取引先の東京の山岳系旅行会社に挨拶に行ってきたときのことをオレが話していたところ、社長が「先月の紅葉ツアーのとき山の中ですれ違ったアンドーさん」がどうのこうのと言い出したのを聞いて、オレは愕然とした。9月末くらいにオレは社長自らがガイドを務める日本人ツアーのアシスタントでアルゴンキン自然公園に入っていたのだが、たまたま同じ時期にうちの会社の(日本語を話せる)カナダ人ガイドがその東京の旅行会社の日本人客を連れて公園内のトレイルをハイクしていたのとすれ違ったことがあった。そのツアーにはカナダ人ガイドとは別に日本人添乗員が同行していて、うちの社長はその添乗員と懇意らしく立ち止まって親しげに話をしていた。オレは同じ日本人として軽く挨拶を交わした程度で、それ以上の話はしなかった。しかし、日本人にしてはエラく日に焼けた、ズングリした独特の体型の男であった。どこかで見たことがあるような気がしたが、オレは自分がガイドしているツアーのことで忙しく特に気にも留めなかった。ちなみにこれがそのときに社長の要請で撮ったグループ写真である。赤丸で囲んだのがその添乗員(その隣がうちの社長)なのだが、そう、アンドーさんというのは何年か前に自転車による冬季シベリア横断で植村直己賞を受賞した冒険家の安藤浩正さんだったのである。若い頃植村直己に触発されて冒険を始めたオレらにとって、植村直己が神だとすれば「植村直己賞受賞者」といえば神が認めるレベルの超人、口を利くのも畏れ多いような人物である。あれがあの安藤さんだと知っていたらもう、少しいろいろ話をしたかったのに。つーか、そもそもそんな大冒険家がこんなハイキング程度のツアーに添乗してるなんて最初から想像もしないじゃん。そういえば、半年くらい前にエンジェル・フェイスさんのブログで、バリだかどこかに行った時の添乗員がやっぱり安藤さんで、でも旅行中はずっとそんな著名人とは知らずじまいで、帰宅してからそれを知って後悔したというようなことを書いていた。オレはそれを読んで「そんな偉大な冒険家も、日頃は添乗員みたいな仕事をしないと食えないんでしょうか」みたいなコメントをしていたのだが、まさか自分がガイドをしている最中にまさにその添乗員に遭遇するというのは想定外であった(笑)。社長も取引先の専属ガイドである安藤さんとは知己の仲ではあっても、彼がそんなビッグな冒険家であることはオレが教えるまでまったく知らずにいた。植村さんもそうだったが、ビッグな冒険家というのは得てしてすごいシャイで自分の功績をひけらかさないので、オレみたいにたまたまグループの中にそれを知っている人がいなければ、社長やエンジェルフェイスさんみたいにずっと気づかないまま一緒に仕事や旅行をしてたりするわけである。なんつーか、男の大多数は何らかの偉業や功績を成し遂げる上でカネ・オンナ・プライド(名誉)がモチベーションになっているのがフツウだが、冒険家だけは例外なんだよなあ。アイアンマン・トライアスリートにも似たような人が多いけど、彼らも最後の「プライド(名誉)」だけは棄ててないもんね。やっぱり「自分がやりたいことをやれるだけで幸せ」という境地に達すると、カネだの異性だの他人の目(評価)なんてどうでもよくなるんだろう。ま、でもそういう人を世間的にはアッチ側にイッちゃったアブナイ人とか言うんだろうけど(笑)。オレもこの期に及んでまだ多少は冒険に興味が残っているが、誰にも見向かれもせずに黙々と山奥をトレッキングしたり秘境を旅したりというのはちょっとエンジョイできないなあ。せめて現地でキレイな女性と仲良くなるとか(笑)、帰ってきてから話をして誰かにスゴイと言ってもらえるとか(笑)、そういうモチベーションがないとダメだ(笑)。...ま、だから冒険家になれずにハンパなアドベンチャーなんかしてるんだろうけど。
2010.11.26
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―完走おめでとうございました。まずは一言ご感想を。ありがとうございます。まあ、満足です。―「満足」の前に「まあ」が付きましたが、100%満足とまでは行きませんでしたか(笑)。欲を言えば、12時間を切れていたならば100%満足でした。レースに集中しようと思って、バイクの1周目のラップをチェックした時点以降、時計を見るのを止めたので、最後のゴール前の電光表示板を見るまでどのくらいのタイムで走れているのか分からなかったんですよ。結構調子よく走れて「もしかして11時間台で完走できてるかな…」という淡い期待を抱いていたもので、表示板のタイムが12時間台になっていたのを見てちょっとだけガッカリしたもんで(笑)。―昨年初完走したアイアンマン・ケンタッキーでの“不完全燃焼”感が、今回のアイアンマン・レイクプラシッドへの挑戦の動機だったと記憶していますが、今回も“完全燃焼”までは至らなかったんでしょうか。…いや、今年は不完全燃焼感はないです。悪天候やパンクなどといった予定外の出来事に見舞われることもなく、ほぼ目論見どおりのレース展開ができました。トレーニング期間中も、計画したメニューをほぼ消化できて、しかも今回、全世界20箇所くらいで開催されているアイアンマンの中でも1、2を争う難コースとして知られているレイクプラシッドでその成果を出せたので、充実感は高いです。練習試合で打てていたホームランを決勝でも打てた時の満足感に近いかも知れません(笑)。―タイムも30分近く更新されたんですよね。はい。でも、さきほどちょっと触れたとおり、一口にアイアンマンと言っても、アイアンマン・フロリダみたいな平坦なコースのもあれば、レイクプラシッドみたいな難コースもあって、当然難コースの方が完走に時間が掛かりますから異なる場所でのアイアンマンのタイムは本来比較できません。また同じアイアンマンでも、去年は悪天候だったのに今年は絶好のコンディションだったりもするわけで、同じ場所でのアイアンマンでさえ単純に比較はできません。そういう意味で、タイムより順位で比較するのが指標として適切かも知れません。―順位でいうと。今回は総合で870位でしたっけ。最新の記録を確認したら869位になってました。ぼくの前に1人失格者でも出たのかも知れませんね。2611人が出場して、時間内完走者が2500人くらいですね。40-44歳男子の年代別では、463人中168位です。―上位3分の1といったところですね。はい。去年のアイアンマン・ケンタッキーでのぼくの順位はたしか上位45%くらいだったと思いますが、平均的なタイムでデビューしてから、1年で上位3分の1まで前進できたと思うと、なかなか満足感があります(笑)。―もう満足したからアイアンマンはもう卒業してもいいと(笑)。う~ん、まあ少なくとも「来年もやらねば。」という理由はこれでなくなりましたねえ。なにせ、アイアンマンをマトモに完走しようと思ったら、プライベートな時間のほとんどをトレーニングに割くくらいの決意が必要じゃないですか。それを思うと、毎日ヒマさえあれば自転車に乗り、走り、泳ぐという異常な生活をまた1年繰り返す必然性はもう自分の中にないな、と思います。―え、「卒業」というのは冗談のつもりで言ってみたんですけど、ほんとだったんですか(笑)?はっきり言って、ぼくの年代でアイアンマンに参加している人たちは、職場では比較的安定した中堅的な地位について、家庭では子供たちが手の掛からない年齢に成長して、このまま惰性で日々を重ねて老化していく前に何か大きなことに挑戦したい…といった動機で挑戦している人が多いと思うんですよ。なんか、そういう同世代の参加者を見ていると、仕事は契約社員で家庭も持たないという制約のない気楽な立場でアイアンマンに向けてトレーニングできるぼくの身分というのは、なんだかズルをしてるような気になるんですよね(笑)。―そういえば、先日のつぶやき日記で、子供が応援している連中には敵わないとか書いてましたね。まあ、子供でも妻でもいいんですけど、自分のためだけにやってるぼくみたいな独り者に比べて、「愛する者」のためにやってる連中は強いですよね。たとえばぼくだったら、仕事がイヤになったら辞めればいいわけですが、「愛する者」がいる人は同じ立場になっても妻子のことを思って踏ん張るわけですよねきっと。同じことです。妻子の側は実は内心「バカみたい」と思いつつ熱血オヤジに付き合ってるのかも知れませんけど(笑)、オヤジの側は「愛する者のために命を賭ける」くらいのつもりでやってますから(笑)。―(笑)。ということは、次は自分もまず愛する家族を持つところから始めようと考えているとか?…いや、そこまでは考えてません。ぼくが言いたいのは、何をするにせよ、自分だけのためにやってても、つまらなくなってすぐに飽きるということです。登場人物が自分しかいない物語みたいなもんですから。何か、「ほかの誰かのためになる」ことをするところから始めたいなと。―そういえば去年は「ボランティア活動とか農業でも始めようか」とか言ってませんでしたっけ(笑)?はい、去年すでにそんなこと言ってましたね(笑)。なんというか、アイアンマンに掛けるくらいの時間とエネルギーを、中年オヤジらしくまずは「仕事」に掛けたいかなと。ぼくがプロ並みの潜在能力を持っているならアイアンマンのトレーニングに賭けるのも悪くないのかも知れませんが、自分が能力のないことがはっきりしている分野に時間と労力を費やしているのは、すごく非効率的なことをしている感が抜けません(笑)。もう寿命も限られているわけですから、どうせなら同じ努力を自分が多少なりとも能力を持っている分野に費やすべきかと。―なるほど。いよいよアイアンマンを卒業して、本業に労力を注ぎたいということでしょうか。まあ、肝心の「本業」がはっきりしていないのが問題ですけど(笑)。でも、アイアンマンも決して卒業というわけではなく、今後も水泳・自転車・ランニングは続けるつもりですし、そう遠くない将来にまたアイアンマンに復帰すると思います。このまま「本業」が決まらなければ、来年も引き続きアイアンマンやってる可能性もありますし(笑)。
2010.07.29
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デカいケーキを買ってきて自宅で一人で食ってる now。なにが「なう。」だバーカ。ツイッターって文字数が140だかに制限されてるんだっけ?オレの場合つぶやきがすでに原稿用紙1枚分くらいあって(笑)、ぜんぜんツィッター風にならへんっつーの。----レース翌日から目がヒリヒリするんだけど、たぶん大量の発汗で水分が枯渇してるからだろうなあ。軽い頭痛も同様。アイアンマンで1時間あたりの発汗はオレくらいの体格で1リットル前後だそうだから、汗だけで12リットル、小便がたしか7~8回くらいで、1回あたり500ccとして4リットル、全部で16リットルくらいがオレの身体から失われてるわけだもんなあ。一方で給水はバイク6時間で6リットル、ラン4時間ちょいで1回につき120~150ccの給水を計20回くらいで3リットル、トランジションで500ccを摂取したとして、差し引き6リットル分は減ってる計算になるもんなあ。----レースの最中、何の脈略もなしに、死んだ人たちのことをよく思い出すんだよねえ。泳いでる最中に思い出す、小学1年のときに川で水死した同級生のこと。20歳で自殺した学生時代の親友のこと。昨年天寿をまっとうした祖母のこと。数ヶ月前にアイアンマンに向けて自転車トレーニングの最中に、自動車にはねられて亡くなったカナダ人グループのこと。そして、レース前日にネットのニュースで知った、村崎百郎センセイの滅多刺しの死のこと。延々と続く激しい運動に心身が追い詰められていくうちに、意識が現実世界を離れて、あの世と一瞬シンクロしてるのかも(笑)。----ベリーサンのコメントへのレスにも書いたけど、参加者の3分の1近くは初参加で、アイアンマン・ケンタッキーの場合もそうだったところをみると、きっと生涯に一度の経験のつもりで参加してる人が3分の1を占めてるってことだよね。「エベレストに登頂した」ってのといっしょで、アイアンマンをいちど完走すればそれで一生自慢できて(笑)、一生のプライドにもなるんだろうし、2度3度と繰り返すヤツは何か妙なこだわりの持ち主なんだろう。----でもさ、個人的にはやっぱり、制限時間である17時間ギリギリで完走するのと、12時間で完走したというのを同列に扱うのは公正じゃないと思うんだなあ。アイアンマン完走者の多くはアイアンマンのシンボルマークの入れ墨をふくらはぎだの肩に入れるんだけど、最後の42.2キロのランをほとんど歩いて完走したヤツがあのマークの入れ墨を見せて「自分は完走した」とか言ってるのを見ても、「それって完走に入らないじゃん」と思うんだよなあ。ま、12時間程度で完走して満足してるオレなんかを、10時間で完走したエリートは「それって走ったスピードに入らないじゃん」とか思うのかもしれないけどさ。----そうそう、オレのチームのコーチ、11時間切って、40-44歳女子のエイジグループ2位で完走して、10月のハワイでのチャンピォンシップ出場権を獲得したよ。初出場で11時間切りだもん、もともと能力があるとはいえ、脱帽です。40-44歳男子の場合、10時間15分以内くらいで完走できないと出場権の獲得は難しい。ちなみにオレのタイムでチャンピォンシップ出場権を獲得するとなると、60歳にならないとダメだ(笑)。このタイムをあと16年維持できるかっつーと、まあ、かなり厳しいだろうなあ。
2010.07.28
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出走者2600人中、460人以上がオレの属する40-44歳男子なんだわ。全参加者の5人に1人がこのエイジグループだっての、すごくない?やっぱ、ミドルエイジ・クライシスでキチガイじみたことをしてみたくなる年頃なんだよねきっと。----レース中、ずっと思ってたんだけど、オレってホント、ラッキーだなって。いや、毎回アイアンマンのレースで好条件に恵まれたってだけの話じゃなく、振り返ると人生全般こんな感じだったよな、と(笑)。きっと、オレの倍もトレーニング積んで、最後の最後でパンクに見舞われて1年棒に振ったとか、オレの倍も才能があるのに、偶発的な条件でオレの後塵を拝するハメになった連中が山ほどいるわけじゃん。むかし学生時代の友達に、実はオレの周りにはオレのことを忌み嫌っている人が自分の想像を絶するほどいるんだということを真顔で聞かされたことがあるんだけど、こんなところにも理由があるんだろうなあ(笑)。って笑っちゃだめか(笑)。----レース中、「こりゃ、こいつらには敵わないわ。」と思ったのは、幼い子供たちに応援させてる連中!(笑)急坂のいちばんキツイ地点で「ダディー!Keep on hanging!!」なんてカワイイ娘に叫ばれたら、そりゃ底力も湧いてくるわな。ま、でも逆にそこで甘え心が出て歩き始めるヤツもいるだろけど(笑)----急坂で思い出したけど、オレ、どんな急傾斜でも一度も歩かなかったよ。今回も、「オレに追いつかれると必ず抜き返すネーちゃん」がいて(笑)、オレは他人と競走する気なんてないのに、ランの終盤このネーちゃんと15キロくらい抜きつ抜かれつを繰り返したんだけど、ゴール前3.5km地点のいちばんツライところにある誰もが歩いて登っている急坂で、やっぱり歩いて登っていたネーちゃんの横を時速5キロくらいのスピードでちょこちょこ走って追い越したら、もうそれ以降は追って来なかった。ゴール後にすれ違ったけど、こっちは微笑んでいるのに向こうは怖い顔してたよ。----…ああ、小便の話?うん、生まれて初めて自転車に乗りながらパンツの中に垂れたよ今回。プロやエリートの間では常識だって聞いたからさ、絶好の場所があったんで「やってみようかな。」と。時速80キロに達するすごい急で長い下り坂の前に給水地点があったんで、ボトルを受け取る前にトライアスロン・ショーツの中に垂れるわけよ。「垂れる」というのは正確じゃないか、サドルに尿道が圧迫されてるんで、ウンコみたいに気張らないと出ない。生暖かい小便がジュワーっとショーツの股間に染みわたり、足元に雫が垂れてくる。そのタイミングで給水地点でボトルを受け取り、すぐに股間と足元に振り掛けて洗う。とうぜんビショビショになるけど、すぐに急な下り坂に入って、時速70~80キロで飛ばしているうちに水分が飛んじゃって、坂を下り終わる頃には小便の跡形もないように乾いていた。「…してやったり。」と独りでほくそ笑んだよ。----…エ、クソの話?ああ、そういえば今回は12時間のうち一度もクソをしなかったな。走りながらプープー屁はこいだけど、さいわい腹の調子が良かったんで激しい便意に見舞われることもなく、「そろそろいっぺんやっとくかな…」と思ってるうちにゴールしちゃったって感じ?レース後はしばしば消化器が弱って下痢が続くんだけど、今回はずっとカンペキな粘度のが出てて、絶好調さ!----あ、忘れてたけど、今回、日本を代表するアイアンマンのプロ・トライアスリート、谷新吾さんだけじゃなくって、カナダが誇る女子プロ・トライアスリート、 Tara Nortonとも握手してもらっちゃった。レース前々日にアイアンマン友達のRとレイクプラシッドの街中を歩いてたら、すれ違った女性にRが「ヘイ、Tara!」と声を掛けるんで誰かと思ったらタラ・ノートン。Rが属するスポーツクラブでコーチをしてるんだって。オレみたいな得体の知れない東洋人オヤジにも笑顔で握手してくれる腰の低い上品な女性だったよ。一方、谷さんは、スイムのスタート直前、10mくらい先の水の中にそれらしき東洋人オヤジがいて、試しに「タニサン!」と声を出したらこっちを振り向いたんでホンモノだと安心して近づき(笑)、向こうも同じ東洋人オヤジの顔を見て安心してこちらに歩み寄ってきたので(笑)、お互い手を取って励まし合ったよ。谷さんは2003年くらいにアイアンマン・レイクプラシッドで2位だか3位に入賞してるけど、今年は90位くらいだったかな。オレとほぼ同い年だし、中年日本男児の星として今後も頑張って欲しい。
2010.07.26
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無事完走しました SWIM 1:16:46 BIKE 6:15:39 RUN 4:23:17 (Transition T1 6:34 T2 6:08)OVERALL 12:08:24 総合順位 約2600人中 870位昨年に比べると難コースであるにもかかわらず、スイム、バイク、ランのいずれでもタイムを向上、総合で30分近くタイムを上げました。日本からはプロの谷新吾さんが参加していて、スタート前に握手してもらいました。詳細はまた後日
2010.07.25
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今年のアイアンマンもあと3日と12時間でスタートである。去年の反省などを踏まえ、今年は去年と若干ちがうスタイルでレースに臨むことにした。以下はその新兵器である。Xterraウェットスーツの上位モデル、Vector Pro2。定価6万円をメーカー直販で4万円くらいで購入。高いけど伸縮性が気にいっているので許す。去年はオハイオ川の水温が高くてウェットスーツ禁止だったが、今年はミラーレイクの水温が20度以下との予測のため、このウェットスーツで3.8キロ1時間20分完泳を目指す。 CW-Xのトライアスロン・ショーツ。前回のハーフアイアンマンで水着の重ね履きに懲りて、今回はスイムからランまでこれ一丁で挑む。日本でもカナダでも入手困難なものを裏ルートにて購入。約5000円。安い。 CEPのカーフ・スリーブ。ドイツ製。ここ数年、ふくらはぎのサポーターがアイアンマンでは必須アイテムになりつつあり、かくいうワタシも日本やアメリカのメーカーの製品を3種類ほど試したが、CEPが今のところ一番信頼感がある。関税込みで6000円くらい。コンチネンタルのタイヤ、Gran Prix 4000s。去年からこのモデルのタイヤを履いているが、今年はモデル名の最後に「s」が付いた、トウガラシ抽出化合物入りのスペシャルバージョンをアメリカから個人輸入。何度かこれを履いて試走したが、路面への食い付きの良さは格別。アップダウンの激しいレイクプラシッドのコースをこれで走るのが今から楽しみ。ちなみに関税込み、両輪で1万数千円。サプリメント・ドリンク、Perpetuem。これ1つで、カロリー源として必要な量の炭水化物、汗で失われる電解質(塩分とか)、ダメージをうけた筋肉を修復するタンパク質、乳酸の発生を抑えるリン酸ナトリウム、そして水分と、必要なものがすべて摂取できる。あいにくカフェイン入りのヤツしか売ってなかったので、前半から突っ走ってしまわないよう、バイクの後半から使用予定。16回(1回分 500-700cc) 分 4000円弱。 シューズは去年と同じ、ウルトラマラソン用に設計されたアシックスのサロマLSDの色違い。今年はバイクもランもアップダウンの激しい過酷なコースだが、まあ体調もいいし、大雨に降られるとか、パンクや落車といった自転車のトラブルに見舞われない限り、去年よりはいいタイム(去年は12時間35分)で完走できると踏んでいる。エイジグループ入賞を狙うコーチがゴールしてから1時間半以内には完走したいところ。時間があればまた会場のレイクプラシッドから更新します
2010.07.21
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10日ほど前だったか、体重を量ったら72~3キロもあって焦った。オレの通常時の体重は67キロ程度である。72~3キロといったらオレがマラソンやトライアスロンを始める前、成人病検診で引っ掛かっていた頃の体重ではないか。?普段は体重など量らないのでバスルームの体重計はいつも埃をかぶっている。しかし本命レースの直前はテーパーといってトレーニング量を減らすので、カロリー消費量の減少にともない体重が増加しないよう、体重管理には注意が必要である。何んせ体重1キロ増加ごとに、フルマラソン換算で3分も遅くなるといわれている。体重が増えても水泳にはあまり影響はないだろうが、自転車でもマラソンと同じかそれ以上の影響があるに違いない。仮に自転車180kmのタイムへの影響がフルマラソン42.2kmと同等と仮定すれば、体重5キロはアイアンマン換算で30分に相当する。?きっとあれだ、2週間前のハーフアイアンマンの前に、カーボローディングで炭水化物を大量摂取したのだが、摂取量がレースでの消費量を上回っていたに違いない。レースが終わった後も、ついレース前の調子でバクバク食ってたしなあ。?しかし、数日前に体重を量ったら、体重は通常時の67~8キロに戻っていた。その前の週末に、レース前の最後のロングライドということで160km(約6時間)ほど自転車で走ったのが効いたのかも知れない。?それにしても1週間足らずで5キロ減ってしまうとは我ながら驚いた。考えてみると、オレのスピードでも自転車1時間につき600カロリーくらいは消費する。6時間も自転車に乗っていれば3600カロリーだ。そういえばあの日は自転車160kmから帰ってから6kmほど走っているので、あの日のトレーニングだけで4000カロリーくらいは消費しているはずだ。要するに、一気に4~5キロ体重が減ってもおかしくないくらいの莫大な量のトレーニングをしていたということだ。?さっきも体重を量ったら67.5キロであった。昨年8月のアイアンマンではレース前日に、出場者全員がスポンサーであるタニタの体重計で体重や体脂肪・体水分量を量らせられたが、あのときの体重が150ポンドちょっとだったから、昨年のレース時とほぼ同じ体重ということだ。たぶん去年より太ももの筋肉と腕や胸の筋肉が若干発達しているし、この体重は悪くない。?トライアスロンなどやっていると、毎日莫大な量の運動をするので太ることがまずないため、食いたいものを食いたいだけ食う習慣がついてしまう。というか、いつも食いたいものを食いたいだけ食って、ようやくカロリー消費量に摂取量が追いついている感じだ。だから、カーボローディングで炭水化物を馬鹿食いしたり、テーパーでとつぜん運動量を減らしたりすると、思わぬ体重増加に驚いてしまう。?マラソンをやっていた当時は通常時の体重が64キロで、レース直前には62キロくらいに落ちていたものだが、あの当時はマラソンではあまり使わない上半身がガリガリになっていた。おかげでマラソンを始める前に作ったスーツが着れなくなったくらいである。今は、体重はマラソンを始める前よりずっと軽いものの、水泳のトレーニングで上半身が発達したので当時のスーツもほぼ着れるようになってきた。ただスラックスの胴回りは相変わらずユルユルで、ベルトで縛ってもすぐズリ下がってくるのが難点ではある。?まあ、もうレース本番まであと5日しかないし、今より極端に体重が増減する余裕はもうあるまい。あとは、食べるものの内容に注意するだけだ。
2010.07.18
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先日の日記には書かなかったが、今回のハーフアイアンマンでは野グソのためにバイクの途中で一度ストップしている。 トライアスリートの多くはトライショーツといって、自転車のサドルに当たる尻の部分に薄手のパッドがついた短パンを履いている。着替えている暇がないので、泳いでいるときから走っているときまでこのショーツで通すわけである。 オレは、マラソンをやっていた頃から、長距離を走るときにはコンプレッション・タイツを履いているが、あいにくこの手のタイツには尻の部分にパッドがついていないので、トライアスロンのレース時にはいつもパッドのついた水着を中に重ね履きしている。今回は、アイアンマンに備えて購入した厚手のパッドのついた水着を重ね履きして臨んだ。 しかし、である。2キロも泳げば当然水着のパッドは水をたっぷりと吸収しているわけでが、これがなかなか乾かない。厚手のパッドはクッションが効くので長時間自転車に乗っても快適であるが、厚い分、吸収する水分も多いわけである。しかも今回重ね履きしたタイツの生地は水分の蒸発効率がよくないらしい。これまでの薄手パッドの水着と速乾タイツの組み合わせであれば自転車で飛ばしている間に速攻で乾燥したものが、今回はいつまで経ってもパンツの中はグジュグジュしたままなのである。 結果、濡れパンのせいで腹が冷え、オレは急坂を自転車で登っているうちに便意と尿意を同時に催し、自転車を脇に寄せて草葉の陰に隠れて排泄するハメになったわけである。外気温が摂氏30度を超えている中、腹を冷やすような目に遭うとは想像もしなかった。 また、ランのコースの途中では何箇所か近隣の住人が走り行くランナーたちにホースで水シャワーのサービスをしているのだが、これもまたオレにはありがた迷惑なのである。パンツがグショグショなだけでなく、この段階ではトライ・シャツが吸収した汗が蒸発量を上回りすでにビショビショに重くなっている。走りながら裾を手で絞ると汗がジャーっと流れ落ちるほどである。もちろん、炎天下を走っているので、シャワーを浴びる瞬間はそれは気持ちいいのであるが、走っている間に湿った腹回りが冷えてくるのは実に不快なものである。 オレは走りながら、このおもらしパッドのような厚手パッドの水着は本番のアイアンマンではゼッタイ使用不可だと決意した。また、トライ・シャツもバイクからランへのトランジション時に、速乾生地のランシャツに着替える必要性を痛感した。
2010.07.08
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スイム 2km:40分 (440人中278位)バイク 90km:3時間1分 (440人中272位)ラン 21.1km:1時間55分 (440人中137位)(第1トランジション:2分、第2トランジション:2分)計: 5時間40分 完走者440人中195位 40代前半男子60人中27位3週間後にせまった本番のアイアンマンの予行練習として、今年もハーフアイアンマンに出場。本番に疲れを残さないよう、全力時の7~8割程度しか力を出していない割には、おととし同じレースに出たときより5分、去年8月に出た別のハーフアイアンマンより30分も早くゴールした。もしかしたらハーフアイアンマンの自己ベストかも。最高気温31℃、体感温度ほぼ40℃の炎天下のレースにしてはなかなかのタイムだと思ったのだが、順位を見たら大したことないなあ(笑)。スイムは100mを2分のペースで泳いで、バイクは平均時速30kmで走ったのに、どちらも下位40%というのは納得いかないなあ。結局最後のランだけで順位を稼いでいたことになるのか。たしかにランではみんな暑さに負けてバテて最後の3~4kmは歩いてたもんなあ。坂道の連続だし。こちとら過去に大雨や炎天下で倍の距離を走った経験があるので、ハーフマラソンの距離はカワイイものであった。この調子で行けば、3週間後のアイアンマンは難コースとは言え、当日の天候しだいでは去年よりもいいタイムで完走できるかも。まあでも、フルのアイアンマンの長い道のりでは何が起こるか分からないから、楽観はできないけど。
2010.07.04
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(パソコンが不調なので写真のみ)
2010.06.22
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