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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属されたが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調であった。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。何とか彼女を誘い赤城山、伊香保温泉の旅にでた。悠介は気になっていた、3人と同時に付き合っていたことを聞く事にした写真はネットより借用================================第204回 2026年5月23日(土)「来週の日曜日ね、大丈夫。アパート探しなんて初めて。楽しそう。」「そうかい。別に何と言う事ないよ。不動産屋に行って、アパートを案内して貰うだけ。気に入らなければ、別のアパートを見せて貰えば良いのさ。」「悠介さんは、色んなアパートに住んだの?」「そうだね。大学の時は、神田川の近くに住んだ。会社に入ってからは独身寮に住んだけど、タイのシラチャへ行った時は、会社の寮を出てアパートに住んだよ。」「ええー、タイ人の女性と住んだのじゃー、ないでしょうね?」「千恵子みたいにもてないから、そんな事はないよ。」「私は男の人と住んだ事なんて一度もないです。」そんな話をしながら運転していたら、鹿沼に着いた。悠介は千恵子を部屋に連れて行くかどうか迷った。まだ時間は十分にある。千恵子もまだ帰りたいそぶりはない。まだ一緒にいるのが当然と思っているようだ。「今日は帰ろうか? バス停まで送るよ。」「まだ、早いよ。時間は沢山ある。一緒に居たくないの?」「そうじゃーないけど、ちょっと疲れてしまった。部屋で休みたい。」「そっか、ごめんね。ずっと運転だものね、疲れるよ。」バス停に着いた。「八丁の湯、ガイドブック買って調べておくからね。」「ありがとう。楽しみだね。身体を鍛えておかないと。」「まだ7月末だから、だいぶ先だよ。」悠介は前も後ろも誰も来ていないことを確認して、千恵子を抱き寄せた。千恵子は身体を悠介に靠れさせてくる。口づけをする。千恵子は静かに吸って来る。拙いなと思いつつ、こうやって吉田や笹川ともキスしたんだな、と思ってしまって嫉妬心が湧いて来るのであった。「じゃ、来週、又ね。社内便でメモを送るから。」「はい、分かりました。来週を楽しみにしています。じゃーね。」悠介は車を出した。良い娘だなー、と思う。美人と言うより可愛いと言った方が適切かも知れない。チャーミングと言ったら良いのか、キュートと言ったら良いのか、その辺りでテレビに出ている歌手よりも可愛いと思う。そんな娘が悠介を選んだと思えば優越感に浸っても良いのであるが、そうは思えない。俺でなくても誰でも良かったのではないかと思ってしまうのである。それで会いたいし、デートもしたいが、心より愛すると言えないのである。部屋に戻って風呂に入った。千恵子に疲れていると言ったが、そんなに疲れている訳ではなかった。千恵子を部屋へ呼べば、又セックスをする事になる。それは気持ち良いので悪くはないが、自分の心が揺れているので、本来の恋人同士のようになれないのであった。小平由樹枝を又思い出した。彼女に対するような気持になれないものか、と自問自答するが、答えが出せない。風呂は気持ち良かった。ゆっくりと温まった。2泊3日の旅に出ていたので、冷蔵庫は空である。自炊は出来ない。買って来て自炊するのも面倒なので、アパートの近くの行きつけの食堂で食べる事にした。風呂上がりでビールも飲みたい。「いらっしゃい!」お店の中から元気な声が聞こえて来た。女将さんである。「こんにちは。久しぶりです。もうこんばんは、ですか?」「どっちでも良いよ、久しぶりね。元気だった?」「はい。まぁまぁです。」「今日は、何にする?」「そうですね、取り合えずビールを下さい。それに冷奴も。」女将さんは、ビールと冷奴をすぐに持って来た。悠介はビールをコップに注いで、グッと一息飲んだ。「う~ん、美味い! こりゃ、最高だ!」「飲みっぷりが良いねー。どこかに行って来たの?」「ええ、群馬県に行って来ました。ずっと運転して来たので少し疲れました。」「群馬県? 隣の県だけど、あんまり行ったことないねー。昔草津温泉に行ったかな? どこへ行って来たの?」「赤城山と伊香保温泉です。」「そっかー、一人じゃーないね? 彼女と行って来たのかい?」「そんなんじゃーないです。」悠介は、言葉を濁した。千恵子との仲は公表したくない。隠して置きたいのだ。それが、完全に恋人と言えない間柄なのだ。悠介からすればである。将来結婚すると思えば、知り合いにもどんどん公表すれば良いのである。それが公表したくない。深い関係になっておきながら、無責任と言われても仕方ないが、悠介の心の中の問題なのである。「すみません、肉野菜炒めをお願いします。」「はいよ、肉野菜炒め一丁!」女将さんが奥に声をかけた。全く迷いや悩みはないような明るい声である。悠介は、悩みのなさそうな女将さんを羨ましいと思った。「女将さんは、悩みは何もないですか?」悠介が聞いた。「悩み? そんなもの、忙しくって考える暇もないよ。」悠介はそんなものかなー、と人生を達観したような女将を見つめた。=================================
2026.05.23
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2026年5月21日(木)2007年12月26日(水) 一路、シバームへパーミットのコピーも、3部持ち、心も軽く、一路、シバームへ向っています。こんな道路を走ります。建物の向こうに見える、丸い、どでかい煙突状のものが、珍しいのか、写真撮れ、写真撮れ、と一緒に乗っている乗客が言います。何の目的の物か分かりません。シバームへ行く途中の街です。ちょっと見にくいですが、カート栽培畑が見えます。これも、写真撮れ、写真撮れ、と皆さん、うるさいほど、親切です。これが、カートの木です。結構、高価ですから、栽培が盛んなようです。カート畑を通り過ぎると、こんな風景となりました。あと、10分も、走れば、シバームに着くらしいです。==============================群馬中央病院に入院して、早11日目です。ほとんど治療はありません。入院時に腫れている左太腿に包帯をまいただけです。整形外科のお医者さん曰く、気休めですけどね、と言っていました。包帯は3日で外しました。それから、血液サラサラの薬を、5日間中止しました。その2点だけです。後は、安静にして様子見です。治療らしい治療はしていませんよね。しかし入院期間は伸びて、25日(月)に退院です。何もしないで、5日間を過ごします。退院日が遅れてイライラしましたが、睡眠は良かったです。7時間半、熟睡でした。朝食です。味噌のリとオムレツ、牛乳です。ブロッコリーとお茶です。ブロッコリーはそんなに好きでないですが、ここの味付けは好みで、とても美味しく頂きました。Facebookで、「1年前」と言う写真が出て来ました。中山道歩きの懐かしい写真の数々です。1年後の今の入院の状況を追加してシェアしようとしましたが、1回見逃したら、その写真が出て来ません。どうしたのでしょう? AIにも聞きましたが分かりません。昼食です。好きな麺です。ちゃんぽん麺ですね。う~ん、美味しかったねー。とっても美味しかったです。麺は袋に入っていて温かったです。それをスープに入れて食べます。工夫していますよ。食事はここの病院が最高位ですね。ブロッコリーにお茶に、パイナップルです。それぞれ美味しかったです。特にパイナップルは、美味かった。世話になっている姪御夫妻が面会に来てくれました。チェンマイの弁護士さんから、写真が送られて来て、プリントアウトして、サインし、返送して下さいと言われていました。USBに移送し、病院に印刷して欲しいと頼んだら断られて困っていた所です。コンビニで印刷してくれるので、頼みました。車で行って印刷してくれました。助かります。ご主人は既に隠居生活に入っていますが、土地持ちの為、草刈りが大変なようです。太陽光発電の問題なども教えて貰いました。コーヒーを買って来てくれました。気が利きますね。15時半からシャワーです。ベッドからシャワー用ストレッチャーに移乗します。4人がかりでの移乗作業ですから大変です。シャワー用ストレッチャーに乗って、シャワー室へ移動します。そして、頭から全身を洗って貰います。頭や、背中、気持ち良いですねー。夕食です。アジのトマト煮、ポテト、そしてご飯です。千切りサラダ、お茶、バナナです。その男性は、26歳の時に、10万人に1人とされる希少がんと向き合い、再発や手術を続けて来たそうです。大学卒業後、仕事と野球を両立していた矢先、病は突然訪れます。2021年11月、急性膵炎で緊急入院となりました一度は手術で腫瘍を取り除いたものの、その後胃に再発。さらに2024年10月にはリンパ節、そして肝臓へと転移が広がります。肝臓に10個近く転移が見つかり、その時点で手術不可。ステージ4と告げられました。その男性は闘病中にある女性と出会い、病気の事を全て説明し交際を始め、2025年12月、入院中の結婚、今奥さんのお腹に新しい命が授かっているそうです。彼は、家族をしっかり支えていきたい。妻と子どもと、少しでも長く楽しい時間を過ごせることが一番の願いです、と話しているとの事です。今この瞬間を大切に、家族との時間を積み重ねるその男性、「最後は勝つ」という決意を持って、病気と闘っているそうです。涙がこぼれる話ですね。この男性に比べれば、私など、大した事はありません。76歳で、人生の黄昏です。いつお迎えが来てもおかしくない年齢です。しかし、まだ生きて歩けるようになれば、やれる事も沢山あります。この男性のように、「最後の勝つ」と言う信念を持ち、病気に立ち向かっていきたいと思います。
2026.05.23
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2026年5月20日(水)2007年12月26日(水) シバーム、コーカバンへ出発さて、パーミットポリスを、足取りも軽く、ピョンピョン後にしました。そして、ダッバーブを乗り継ぎ、そして、満席になるのを待って、出発しました。乗り場にいた、イエメン男性諸氏です。この車で行きました。一人席の助手席に、二人座って行きます。もう慣れました。だ、だれだ? 君は?またもや、出たな、すっきり顔の男め! 化粧男め!化けの皮を剥いでみろ! (本人は、化けの皮は剥がせない、と言っております。)後ろには、この偉そうなイエメン人が、座っています。少し英語が話せるので、彼が通訳となって、皆さんと話が出来ました。りっぱそうな、ジャンビーアを腰に差し、自慢したいようでした。で、写真を撮らせて貰いました。年代物で、貴重な価値があるのかどうかは、分かりませんが、動き回るには、邪魔そうですよね?出発して、話をしている内に、パーミットは持っているか? と聞かれ、持っていると答えると、コピーは持っているか? とさらに、聞かれ、持ってないと答えると、最低、3枚は必要だ、と口を揃えて言います。そんな事言ったって、持ってないものは、持ってないのです。で、しかし、そこは、時刻表もない、ダッバーブの便利なこと。客全員が、コピー屋探しです。「そこで、止まれよ!」、だの、「あの店だ!」、だの、「いや、あそこでは、コピー出来ない!」、だの、皆さん親切で、コピーするために、色々、言ってくれました。途中の、写真屋さんで、無事、3枚のコピーがとれたのでありました。皆さん、満足し、僕も、ほっとして、ぎゅう詰めの車は、さらに走ります。==============================昨夜は久しぶりにドラマを見ました。4人部屋なので、パソコンのボリュームも上げられず、見られなかったのです。ですが、テレビ用のイヤホンを無料で貸してくれました。それでみられるのですね。俺は用心棒 第16話です。いくつか見逃したかも知れません。朝食です。がんもどき、です。美味しかったです。野菜にお茶に牛乳です。ストレッチに乗せて貰って体重測定です。看護師さん4人がかりで、ベッドを廊下へ移動し、ストレッチに移乗です。面倒ですよね。体重は、55.5Kgでした。ここの所、一番低い体重です。自分の作った唄を聞きました。一番好きな唄かな? 「恋するコスメル」です。メキシコのカリブ海に浮かぶ美しい島、コスメル島、ここの日本人宿の管理人を数ヶ月行いました。その時に作った唄で、写真は、コスメルの海で、カラフルな魚やサンゴで、物凄く綺麗なんです。我ながら、良いyoutubeを作ったと思ってます。海からの風に吹かれて座る 椰子の葉陰からbrisaが揺らぐ青い空の下 透き通った海で 色鮮やかなpecesと遊ぶさよならは捨てて来た 地球の裏側に 新しい出会いを求めてカリブまで鳳凰木の炎の花のような 激しい恋を求めてコスメルへ海からの風に吹かれて座る 椰子の葉陰からbrisaが揺らぐ次は、Adios Amigoです。この曲はシンガポールに4年住み、ホテルの大会場で送別会を行ってくれましたが、その時の為に作った、「さよならシンガポール」が原曲です。中国人の女子大生にギターを教えましたが、彼女がこの唄良いね、って覚えたのです。そしてブエノスアイレスへスペイン語留学をして、この曲にスペイン語で詩を付けて、彼女が唄ったものです。写真の向かって左から二人目です。Youtubeの背景の写真は、ほとんどがアルゼンチンの写真です。3曲目は、Lovelornです。恋に悩む、ってなタイトルです。これも自分では好きな曲ですね。良い曲だなー、と思っていましたが、詩が1番しか、出来ていなかったのです。2番が出来ずかなりの期間放っておきました。それが、不倫の彼女が2番を作詞してくれたのです。良い唄になりました。彼女は子供が3人いると聞いた事はありますが、今はどうか、詳細はわかりません。風草の花が 咲きました これから秋です紫色の 緑のような 花穂が見えますゆらりゆらり 歩いてみます 涙はいやだから私にとって これから秋は 嫌いになるでしょう風だって唄ってくれたに 花だって咲いてくれたのに私のどこがわるいのですか あなたは何が嫌なのですかひたすらつくした あなたが去ってから恋を失くした 心のいたみ 初めて知りました少女の声が聞こえてきます すすきの小道から寄せては返す金色の波 あなたのようです瞬く星が好きだから 草の香りの中聴かせてくれる横顔みつめ 永遠を信じましたあの日の切ないくちづけを 変わらないまぶしい眼差しを忘れられると思うのですか 焼き消せるかとおもうのですか季節を 知らせる 秋風のように いつの日からか 恋にかなしむ 女になりました。その後、70年代フォークソングをずっと聞いていました。多少売れた曲は、やはり何か良い物がありますね。昼食です。チキンに大根煮です。和え物にお茶です。15時を過ぎました。熱いコーヒーが飲みたいです。それで看護師さんを呼びました。車椅子に乗る為です。ひじ掛けが外せないので完全補助となります。1階まで車椅子を押して貰ってホットコーヒーを買いに行きました。そして8階のディルームに行きます。テレビを見ながらコーヒーを飲みます。大相撲を見ようと思ったら、国会中継でした。ディルームは患者さんと看護師さんが打ち合わせしているので、テレビの声が聞こえません。まぁ、ゆったりコーヒーを飲むことは出来ました。ディルームからの景色です。利根川は見えるし、榛名山は見えるし良い景色ですね。心が安らぎます。夕食です。メインは魚です。もう1種は、野菜煮ですが、ピーマンのようなのが入っていて食べられませんでした。里芋にお茶にバナナです。このおかずは良いですね。本日は検査もないし診察もないし、何もありません。退院までこんな日々が続くのでしょう。安静の毎日です。まぁ、執筆活動と言う楽しみがあるので、退屈はしません。疲れればベッドに寝て、うたた寝したり、しております。リハビリも出来ないので、どんどん筋力が弱くなっていると思われるので、それが心配です。
2026.05.22
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2026年5月19日(火)2007年12月26日(水) マーリブ断念 シバーム、コーカバンへは行けるか?シバの女王のマーリブへ行くのは断念しました。何故なら、* ツアーへの参加者が、僕一人であり、高額となる。 (残念ながら、安宿の募集広告の成果なし。誰一人参加せず)* ガイドブックを読み直して見たら、マーリブは、当時の面影はほとんど ないとのこと。よって、高いお金を支払い、見てくる価値がなさそうなので止めにしたのです。(ちょっと、自分を納得させる為の、理由付けのように思えますが・・・。)その代わりに、近場の、シバーム、コーカバンへ行けるなら行こうと考えたのであります。前日に引き続き、再び、ツーリスト・ポリスへ。昨日は、4名もいたポリス、本日は、眠そうに目を擦っている一人だけです。シバーム、コーカバンへ行くので、パーミットくれ、と、言った所、 一人では、パーミット発行出来ない。 旅行社が一緒でなければ、ダメじゃ!と、昨日と、同じ事を言われました。しかも、24時間前に来い、今日来て、今日発行なんて、無理! 無理! って言うのです。昨日、来たじゃーないか!と、怒って見ましたが、全く、取り合ってくれません。押し問答の末、聞く耳もたないので、本日も、だんまり作戦に出ました。しかしながら、敵もさるもの、僕を無視して、書類に目を通しています。くっそー! どうしたものか?昨日、1日つぶれて、今日もつぶれたら、明日はサウジへ帰国。このまま、無為に1日過ごすのも、癪だなー、とブスーっとして「押し黙んまり作戦」、を続行です。さらにブス、ブスーっとしていたら、欧州系のブス3名、じゃー、なくて、女性3名と、男性1名の4名がやって来ました。旅行社も一緒に来ていて、すんなりパーミットを貰えそうな雰囲気です。一人の女性に、声を掛けてみました。「ねーねー、どこへ行くの?」、と。シバーム、コーカバンとか、ハッジャとか、そんな方面へ行くらしい。「そんじゃー、一緒に連れてよ! お金は応分に払うからさー。」と言ったら、その人は、乗り気だったのです。しかし、4名で、何語か知りませんが、相談した結果、僕の希望は、却下されてしまいました。理由は、小型車なので、もう一人乗ったら、きついと言うのです。まぁ、彼らの手配車ですから、無理強いは出来ません。止む無く、また、ブスーっと、だんまり作戦に戻りました。そうしたら、ポリスの奴、全く無視していた僕の方を見ました。「なんじゃー、文句あんのか?」、と見返したところ、「パスポート出せ」、と言います。よく、聞いて見ると、この4人についてきた、旅行社と一緒に行くと言うことにして、パーミットを発行してくれると言うのです。やった! やりました!1時間、粘った甲斐がありました。ダンマリ作戦が、成功したとは言い難いですが、欧州系4名が、タイミング良く来てくれたので、何と、奇跡的に、パーミット取得が出来ました。本日は、昨日のトボトボとは、全く異なり、足取りも、ピョンピョンと軽く、ポリスの事務所をあとにしたのであります。==============================本日もぐっすり眠れました。昼間も時間がたっぷりあるので、昼寝したりしています。睡眠は十分ですね。さて、朝食です。食パン1枚に野菜煮、牛乳です。ポテトサラダにお茶です。昼食前に、師長さんがやって来て、退院は来週ですと言って来ました。日程があるので、リハビリも行いますと、勝手な事を言います。猛烈に反発しました。お医者さんが退院許可を出している。今、病院と施設の2重支払いでお金がかかる。リハビリはHakuでも十分出来る。支払いは銀行振り込みで支払える。などなど強硬に説明し、ようやく、師長さんを納得させました。退院日は、明後日(21日)若しくは、その翌日の22日(金)と言う事になりました・。まぁまぁ、希望に沿った退院日となり一安心です。安心して、昼食です。ご飯にチキン、味噌汁です。珍しく味噌汁が付きました。ほうれん草にお茶、フルーツの葡萄です。リハビリホームHakuの看護主任から電話がかかって来ました。退院日についてクレームです。群馬中央病院から、今週退院すると言って来たが、Hakuは受け入れられないと言います。そりゃー、おかしいだろう、お金は不在でも支払っている、いつでも入所可能のはずだ、としつっこく言いました。お金も2重にかかっている。しかし、看護主任は強硬です。28日(木)を希望していたが、そんなに言うなら、25日(月)にしても構わないと言う事になりました。お医者さんが退院許可をだしてから9日目です。遅すぎますが、看護主任に押し切られました。受け入れられないと言うのに強行して帰る訳には行きません。しかし、ほんと困ったものでありますなー。退院日が決まったので、早速ソーシャルワーカーさんが来てくれました。介護タクシーも手配してくれました。病院からHakuまで、7,000円です。結構高いですが止むを得ません。車椅子に乗る練習もせねばならないので、看護師さんを呼んでお願いしました。ひじ掛けが外れないので、ベッドからの移乗は一人で出来ません。看護師さん二人で移乗して貰いました。ホットコーヒーを買いに1階へ行きました。新人の看護師さんが付いて来てくれました。一人でも行けると思いましたが、ホットコーヒーを買って見て看護師さんが来てくれて良かった事を知らされました。熱いコーヒーを持って車椅子を自走出来ないのです。ディルームまで車椅子を押して貰って来ました。十両の相撲をやっていました。やる事ないので30分位見ていました。車椅子からベッドへの移乗は二人で行ってくれましたが、もう少しで倒れそうで、危なかったです。夕食です。メインは焼き魚でした。カボチャにお茶にフルーツの梨です。全く納得は行っていませんが、群馬中央病院からの退院日が決まりました。群馬中央病院は、今週中の退院でOkが出ましたが、リハビリホームHakuの受け入れが出来ないと言う事です。お金を支払っているのに受け入れが出来ないっておかしいと思いませんか?私が一人増えても、夜勤の担当者の一人が二人に増えるでもなく、昼間も同様です。こちらは、群馬中央病院に居る限り、2重支払いなのです。こんな不条理な事ってありませんよね? これはHakuの事情により退院が遅くなるのであり、その間、不在日の費用は返金すると言うならば、問題ありません。リハビリホームHakuは、居心地も良いし、リハビリも長く続ければ、歩けるようになる可能性もあるので、揉めたくありません。ですので、納得は行きませんが、クレームを付けるつもりはありません。本来ならば、明後日、Hakuへ戻れたところ、5月25日(月)になりました。
2026.05.21
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2026年5月18日(月)2007年12月25日(火) サナアのツアー会社と、サナア旧市街トボトボと、歩いても、解決にはならないので、とり合えず、ツーリストポリスで、紹介してくれた、ツアー会社、イエメンホリディツアーへ行って見ました。ポリスから、ガイドの名前は、アミン・ガシムだと聞いていました。タハリール広場から、すぐ近くだと聞いていたのですが、仲々、見つかりません。あっちで聞き、こっちで聞き、ようやく辿り着きました。建物の、3階辺りに、日本語で書かれた看板が出ていました。しかし、入り口がありません。ウロウロしていたら、胡散臭そうに、道を通る人が、僕を見ます。しばらく、ウロウロしていたら、通行人が、親切に声を掛けて来て、くれて、入り口を教えてくれました。看板の下のドアが入り口でなく、横に入った、何にも書かれていないドアでした。分かるはずありません。小さなビルの一画で、オフィスは居間兼用であります。人数が集まれば、120ドルを頭割りで良いと、分かりました。もし、人数が集まれば、100ドルに、ディスカウントすると言いました。「よーし、それでは、勧誘してくる。」、と勇んで出かけようと思いましたが、「まぁまぁ、コーヒーで飲んで行きなはれ!」、ってんで、モカコーヒーをご馳走してくれました。「ふ~む、これは明らかに、モカコーヒーじゃ!」と言いたいところでしたが、モカコーヒーが、どんな味であったか覚えていません。そのモカコーヒーをご馳走になり、その後、安ホテル、3軒へ行って、「26日、マーリブへ行きたい方、募集!」、とメモ書きを置いて、吉報を待つことにしました。時間がたっぷり余ったので、又、サナアの町をブラリ散歩です。旧市街の中にある、タージ・タルハ・ホテルの屋上に登らせて貰ってサナア旧市街を、見渡したのであります。味のある景色、町です。こう言う町は他国でも仲々見られません。やはり、仲々の、雰囲気ある街であります。まともな、世界遺産です。 ずっと眺めていたい町です。==============================夜中に2回体勢を変えて貰いました。本日は膝の辺りが上がる所を上げて寝て見ました。(ベッドです)これが大正解です。足も痛くならず、5時まで熟睡出来ました。最も昨夜が眠れずに2時に起きてしまい、睡眠時間が4時間でしたから、昼寝はしたとはいえ、寝不足だったのでしょう。採血が終わりました。若い5年目の男性の看護師です。3本採りましたが2回刺されました。そんなに痛くはなかったですが、1回で終えて欲しいです。朝食です。本日も食パンです。たった1枚です。でもこの食パン、美味しいですよ。ハムも2枚あります。牛乳にブロッコリーにお茶です。黄山紀行第9回をアップしました。黄山を歩いています。昼食です。豆腐そぼろあんと言うのが出されました。美味しいです。味噌汁はほんの少しです。ほうれん草の煮浸しに、お茶にパイナップルです。パイナップルも美味しいなー!昼食中に担当医の方が来られました。今朝の採血の結果です。悪い所もあるものの、退院には差し支えないので、医師としては退院を許可する事にします。との事です。しかし医師に退院の権限はないので、後は師長が決めるので、そちらの指示に従って下さい、と言って帰りました。シャワーの時間です。昨日予約して貰いました。ストレッチャーに乗り換えて浴室に向かいます。頭や顔、そして上半身は自分で洗いましたが、洗えない背中や足などは、25歳の担当の看護師さんに洗って貰いました。浴槽はないですが、シャワーでも気持ち良いです。シャワーの後、褥瘡防止用のテープを貼ってくれました。今までの施設では、アズノールを塗ってくれましたが、ここはテープです。病院や施設によって違いますね。熱いブラックコーヒーを買って来て貰いました。今いる所は8階ですが、8階の自動販売機にはアイスコーヒーしか売っていません。1階の自動販売機に売っているとの事で、看護師さんがわざわざ、買いに行ってくれました。親切ですね。160円です。熱いコーヒーを飲みたかったので、看護師さんに感謝です。夕食です。ご飯、カレイの味噌粕漬け、大豆野菜コンソメ煮です。それぞれとっても美味しいです。今までの施設で、ここが一番美味しいですね。マカロニサラダも美味しいです。オレンジです。これも美味しい。最高の夕食でした。ここの女性の看護師さんですが、皆さんため口が多いですね。子供に話すような言葉遣いです。私は良いと思いませんね。敬語が話せない訳ではないのです。意識的にそうしています。夕食を過ぎても、退院に関して、話はなかったです。担当医は退院、Okと指示を出したのですが・・・。退院する際に、迷惑をかけるので、親族の姪を呼びたくないのですが、支払いは現金のようで、どうも、呼ばなければならないようです。介護タクシーも、誰が手配してくれるのか? 自分で手配せねばならないのか、確認作業が多いです。支払いをネットで振り込み出来ないか、夜の看護師さんに聞きました。出来るかどうか確認してくれるそうです。
2026.05.20
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2026年5月17日(日)2007年12月25日(火) サナア ツーリストポリスへツーリストポリスは、サナアの町の北方にあります。係官は、机と椅子のセットの、その椅子に座っているのが二人、机はないが、椅子に座っているのが二人、合計4名の係官が部屋にいました。椅子だけの係官が、「パスポートを」、と言うので、「ハイ、どうぞ」、と渡しました。「コピーは?」、と言うので、「そんなもん、持っとらん」、と答えました。パスポートのコピーが必要だったようです。しかし、バスを乗り継いで、ここまで来たし、コピーしに町へ戻るのも面倒なので、黙って座っていました。そうしたら、机を持っている係官が、「しゃーねーなー!」、と言う態度で、パスポート持って、どこやらへ行きました。しめしめ、作戦通りじゃわい、と、僕は、ほくそ笑んだのであります。パスポートのコピーを、無料で、まんまとせしめました。しかし、マーリブへは、一人では行けないと言いだしました。「何でじゃー? どうしてなんじゃー!」と、何度、問うても、旅行社同行でないと、パーミットは発行出来ないと言うのです。パスポートのコピー同様、黙っーていれば、何とかしてくれるだろうと、やはり、だんまりを続けました。しかし、これは、どうも規則か何か知りませんが、一人で行くのでは、許可証は発行しない、と強硬です。それでも、押し黙って座っていると、どこかへ電話しております。そして、電話を差し出し、ここは、ツアー会社で、日本人客をツアーで良く案内するガイドだ、と教えてくれました。電話に出ると、明日、マーリブへ行く人は、まだ誰もいないから、もし一人なら、120ドルであると、言います。ひゃ、ひゃくにじゅーどるー!いくらなんじゃ? イエメンリアルが、頭に入っているので、いきなりドルで言われても、ピンと来ません。120ドルは、えっと、指を使って数え始めましたが、別に指を使うまでもなく、1万と3千円くらいだと言う事に気が付きました。ひ、ひぇー! 1万円と3千円だとー!18日から24日まで、1週間、宿泊、移動、食事、ぜ~んぶ、ひっくるめて2万円だったんだぞー!それが、たった、1日で、1万円と、プラス、3千円だとー!宿泊もなし、食事もなしでかー! ひぇー!別に、この程度の金額は、普通だと思うのですが、この時は、上記のような計算が、頭を掠めて、「か、考えます、出直します。」、と係官に告げて、ツーリストポリスを後にしたのであります。参ったなー! どうしよう・・・、どうしよう・・・、どうしよう・・・、ツーリストポリスの事務所をあとに、トボトボと歩き続けました。==============================昨夜は最悪でした。21時過ぎに寝ましたが眠れずに寝たなー、と時計を見たのが、22時をだいぶ廻っていました。そしたら23時頃男の看護師に起こされて、体勢を変えましょう、と言います。呼んでもいないのに困ったものです。その後眠れなくなりました。右足も痛いです。その後2度体勢を変えて貰いましたが、足の痛みは変わらず、2時に起きだしてしまいました。昨日に引き続き、サウジアラビア生活のブログを読みました。ドバイへの社内旅行の頃です。1泊3万円の豪華ホテルに宿泊し、昼はゴルフ、夜は、豪華な日本レストランで美味しい料理を食べましたな。これらが全て会社持ちの社内旅行なんです。凄い会社でしょう?総勢、16~17名ですから、幾らかかったのか? 飛行機代とかも全て社費ですからね。良い会社でした。なんせ、サウジ政府、日本政府などが出資しているナショナルカンパニーなんです。ここは、中東では唯一、ビキニが見られると言う、超高級ホテル、1泊100万円はすると言う、バージュ・アル・アラブが見えるビーチです。朝食です。2時に起きたので、8時の朝食は腹減ります。ご飯に味噌のリ、豆腐ハンバーグ、豆です。牛乳と麦茶です。午前中は、中山道歩きの製本化作業をしています、もう群馬県に入り、安中を歩いています。昼食です。ご飯にチキンです。ブロッコリーにお茶、そしてバナナです。寺本悠介の場合、第203回を発行しました。千恵子との関係、これからどうなって行くのか? 作者も気になります。車椅子に乗せて貰いました。一人では乗れません。靴も履けません。4人がかりで、ベッドから車椅子に移乗して貰いました。1週間振りに車椅子に乗って廊下を歩きました。足は使いません。手を使いますが、疲れますね。休み休み歩きました。赤城山を見たくて見られる場所を探しましたが、位置的に部屋の中からでないと見えません。しかも、大きなビルが建っていて、赤城山の全貌は見えません。これは、ネットから借りてきた写真です。これは榛名山です。ディルームから全貌が見えます。この写真はネットから借りて来ました。夕食です。メインは魚・ブリです。パンプキンにお茶です。群馬中央病院、7日目が完了しました。本日は検査も何もなくずっと自由時間の日でした。まぁ安静生活と言いましょうか。時間があるので執筆活動は進んでいます。本日も寺本悠介の場合、203回を公開しました。明日は、黄山紀行・第9回を発行する予定でいます。明日の血液検査次第で、退院の日程が決まるかも知れません。ずっと安静でベッドの上に居ましたので、筋力も落ちているし、以前、出来た事が出来なくなっていると思われます。又、一から出直しのつもりで、やり直しましょう。
2026.05.19
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうに寒いオンボロバスで黄山の麓の宿に到着。2日目、帰って来いと強要するガイドを振り切って黄山の頂上を目指して出発した。ロープウェイでは待たされたが頂上へ着いた。しかしガイドが来ない。中年旦那とガイドで一悶着あったが、トレッキングを開始した。遅れて来たのは、うら若き女性を4名連れて来たからであった。写真はネットより借用================================第9回 2026年5月18日(月)そうこうしていると、中年ご夫妻と、うら若き女性4名が集まり、次の目的地へ向かって出発した。目的地とは言っても、どこへ行くか分からない、肖山の旅行社から貰った、スケジュールとは、どうも違う。どうも違うと言うか、まるきり違うようなのだ。大体、始信峰は3日目に行く予定の場所であった。しかし、二日目に行っているのだ。どうも反対周りをしているようであるが、聞くのも面倒なので、皆さんの後について、黙々と歩く。早くホテルについて、荷物を置いて、身軽になって歩きたいなー、と思いつつ暫く歩くと、りっぱなホテルが現れた。北海賓館と書いてあった。五つ星のホテルである。さっきのおばあさん達が泊まっていると言ったホテルである。やれやれ、これで、荷物を置いて歩けるぞ! と喜んだが陽気なガイドは、その前を素通り。おかしいな? 豪華等ホテルに泊まるはずであり、と言えば、五つ星のこの北海賓館ではないのか? と疑問が湧いてくる。勇気を出して、陽気なガイドに聞いてみた。「ここに泊まるのでは、ないの?」、と。 答えは一言、「違う。」その後、何か言っていたが、さっぱり分からない。北海賓館に泊まらない事だけは、分かった。ホテルで一休み出来ると思ったのに、休まないと分かったら、どっと疲れが出てきた。僕が疲れた顔を見せているのが分かったのか、若き女性達の中で、一番美形でないと思われるメガネをかけた人が、黙って、ソーセージをくれた。時計を見れば、11時半を過ぎていたので、お腹もすいて来ていたのだ。「謝謝」、と中国語らしい発音で、お礼を言って、そのソーセージを受け取った。ソーセージと言っても、直径3センチもある大きなものでなく、単3乾電池よりちょっと太め程度のソーセージだ。ソーセージ何て、食べたことないから、その皮を剥くのに一苦労。帯状の細い所を切れば、全体の包装物が取れるとは分かっているのではあるものの、歩きながら、且つ、所帯道具一式入った、黒い安物のバッグを肩に担いでいるし、冷たいから手も悴んでいて、仲々思うように切れないのである。見かねた、中国女性、僕のソーセージを取って、簡単に、包装物の一部を切り取り、にっこり笑いながら、僕に返してくれた。やさしいなー。やさしい人は好きだ。例え美形でなくても。直径、1センチ、長さ、12センチの、小さなソーセージであるが、少しずつ、味わいながら食べた。うまい。やさしさのうまさが味に沁みているような気がした。こう言った、歩いている時など、ちょっとした食べ物を口に入れるだけで、ずいぶん、疲れが変わる事を知った。次の見晴らしの良い場所、確か、獅子峰と言う所だったと思うが、そこで休んだ時、うら若き女性の一人が、英語で話しかけて来た。それも4人の中で、一番美しい人だ。聞けば、英文科で勉強している、女子大生だと言う。そっか! 女子大生か! うん、良い響きだ! 女子大生。それも、杭州大学だと言う。われの住む、肖山と同じだ。奇遇だなー。十数億人いる中国で、しかも誰が一緒になるか分からないツアーに、同じ杭州から来た、人達と一緒になるなんて。しかも、且つ、コミュニケーションの取れる英語の出来る人達と一緒になるなんて。それが又、美しくも若き、女子大生なのだ。ソーセージを食べた時より、さらに疲れが急に取れた気がした。現金なものである。何しろ女子大生だ。うん、そうだ。彼女の話によれば、ご夫婦と思っていた、中年の男性と女性は、夫婦でも何でもなく、ツアーで一緒になっただけであると言う。中年男性は、上海から、中年女性は、台湾の台北からだと言う。ずいぶん、仲が良いなーと、思っていたが、旦那が奥さんの写真は撮らないし、何かおかしい所もある、と感じていたが、これで良く理解出来た。獅子峰から見る景色も美しい。先ほど、歩いてきた、北海賓館も見える。仙人峰や、宝塔峰も見える。これは、地図を見ながらたぶん、そうだろうと思っていただけなので、本当に合っているか分からない。地名は信じないで下さい。ここから見える景色は、先ほどの始信峰と違って、丸い岩石が連なるような所もある。尖がっていない。これも、不思議な風景である。==================================
2026.05.18
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2026年5月16日(土)2007年12月24日(月) パーミットなしで、無事サナアへ戻るイード祝日の為、パーミット(通行許可証)が、貰えないと分かり、さて、どうしようと、迷った末に、一か八か、出発してしまえ!とパーミットなしで、出発したのは、お伝えしました。結果、問題なく、サナアに戻って来られました。サナア →ホデイダ 全く、問題なし。検問で聞かれた事もなかったです。ホデイダ →タイズ ここも全く問題なし。検問で聞かれた事もなかったです。ホデイダ →アデン ここも全く問題なし。検問で聞かれた事もなかったです。アデン →ジブラ →サナア ここからが、問題でした。 6~7回は、検問所で止められ、別の場所まで車を移動させられ、 検問官から、質問を受けました。 しかし、足止めを喰らうことなく、最大5分程度で、解放されました。従いまして、パーミットなしでも、ほぼ、問題なく、通過し、無事、サナアに戻って来たのです。あの時、迷って、パーミットを取得出来るまで、待っていたなら、サナア →ホデイダ →タイズ →アデン →ジブラ →イッブこれらの、街へ全部行けたかも、不明です。結果論ですが、無謀にもパーミットなしで、出発して、大正解でした。しかしながら、全く根拠なしの、無謀でもないのです。何故なら、最高級インド系、タージ・シェバ・ホテルの信頼出来そうなフロントが言っていた、「マーリブ以外は、パーミットなしでも、問題ない」、と言う言葉を聞いていたからです。僕が泊まった、アジア・ツーリスト・ホテルのフロントは、「俺は、ガイドをやっていたから知っている。パーミットなしでは、絶対に通れない。」と、言っていましたが、明らかに、客を引き続き、泊まらせたいって希望がありありで、信頼感が今一つ、不足だったからです。本日は、何度も、検問所で質問を受けましたが、アデンから、ジブラ、イッブ、戻ってジブラ、さらにサナアまで大移動し、サナアのバーバルヤマン近くのダッバーブ乗り場についたのは、夕方の19時を過ぎていました。バーバルヤマン近くの安宿に宿泊し、「さて、これから、どうしよう?」と思案の末、あと2日あるし、シバの女王の町、マーリブへ行こうと思ったのであります。残り2日ある1日をつぶして、ツーリストポリスへ行って、きちんとパーミットを取得する事にしたのであります。さて、無事に、マーリブへ、行けるのでしょうか?==============================群馬中央病院に緊急入院してから、6日目の朝を迎えました。昨夜も夜中に右足が痺れて痛くなり看護師さんを呼びました。足を真っすぐにして貰い、体勢を変えて貰ったら、朝までぐっすり眠れました。8時間睡眠です。今は、右足のみ、足枕を使用しています。毎朝、食事前に紙おしぼりを持って来てくれます。写真より厚いです。熱いおしぼりで、顔や首を拭くと気持ち良いですね。朝食です。タイ味噌ご飯、大根煮、豆腐です。大根煮は美味しかったです。今朝は、牛乳の麦茶です。温かい味噌汁かお茶が欲しいですね~。午前中は、中山道歩きを本にする為の編集を行いました。途中、眠くなり、寝たり起きて作業したりの半日でした。昼食です。ソース焼きそばです。美味しいですねー。キャベツや紅ショウガも美味しかったです。オクラと山芋も美味しかったです。フルーツは、イチゴヨーグルトです。群馬中央病院の食事は美味しいですね。担当医の方から、車椅子の許可が出ていたので、車椅子を持って来て貰いました。乗りたかった、自走式の車椅子は、ひじ掛けが外れません。これだとベッドから乗り移るのが難しいです。止む無く、自走式でない車椅子に乗りました。これだと、自分で動けません。看護師さんに押して貰わねばなりません。水と、コーヒーを自動販売機で買ってベッドに戻りました。1週間ぶりに車椅子に乗りましたが、一人での移乗は難しいです。まず、靴が履けません。弱くなりましたなー。明日は自走式の車椅子に乗って、廊下を動きたいですね。買って来たコーヒーです。アイスコーヒーですが、コーヒーはやはりホットですね。ホットコーヒーに限ります。しかし、アイスコーヒーしかないのです。残念です。昔、アイスコーヒーの事を、アイコとか、レイコとか言っていた事がありましたが、覚えている方はいらっしゃいますか? もう既に何十年前だと思います。今は何と呼んでいるのでしょう?今、イエメンのブログを再掲していますが、サウジアラビアに1年ほど住んだ頃の話です。それで、その頃のサウジのブログを読んでいたら、結構、面白いので、午後はずっと読んでいました。サウジアラビア、仕事は面白くなかったですが、中東のあちこちの国へ行けたので、それは良かったですね。サウジに住まなければ行かなかった国多数です。キムチ貰って大喜びの、サウジ生活でした。夕食です。ご飯に肉団子、里芋の旨煮です。それぞれ美味しいですねー。ご飯が美味しいのですよ。肉団子も里芋も美味しです。今までいくつかの病院、施設へ行きましたが、ここが一番美味しいですね。小松菜ナムル、お茶、フルーツの葡萄です。葡萄も量が多くて良いですね。15粒以上あったと思います。美味しく頂きました。本日は土曜日でしたが、担当医の方は出勤だったようで、朝、部屋に来てくれました。昨日も聞きましたが、本日も退院はいつでしょう? と聞いて見ました。月曜日に採血をして、その結果で決めましょう、と言う事でした。腫れも引けて来たし、あんまり問題ないようなので、水曜日頃には退院出来るでしょうか?この病院も悪くはないですが、リハビリホームHakuは、不在でも基本料金は支払う必要があるので、二重払いとなります。この病院での治療も安静だけで特別な治療はないので、早く退院してHakuに戻った方が良いです。
2026.05.18
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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属されたが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調であった。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。何とか彼女を誘い赤城山、伊香保温泉の旅にでた。悠介は気になっていた、3人と同時に付き合っていたことを聞く事にした写真はネットより借用================================第203回 2026年5月17日(日)その後、暫く経って、同級生と一緒に由樹枝は教室にやって来た。何人もの男から付き合ってくれとしつっこく言われ、ひどいのは校門で待ち伏せまでされた。それで止むを得ず寺本悠介と付き合っていると言ったらしい。それで不良男が教室までやって来たのである。悠介が付き合っていると答えたので、それから誘われることもなくなり平穏な高校生活に戻る事が出来たとお礼にやって来たのであった。由樹枝は手編みのイニシャル入り手袋を持って来てくれたのだ。まさか長野一の美女から自ら編んだ手袋を貰えるなんて有頂天になって喜んだ。そんな経緯があって恋人となった小平由樹枝であった。純真無垢で美しい由樹枝である。男は悠介しか知らない。まだ高校生から大学生であったが由樹枝と結婚したいと願った。心より愛しいと悠介は思っていた。そんな小平由樹枝と橋本千恵子を比べると愛しているとは思うものの、同時期に3人もの男とデートしてキスをしていた千恵子を小平由樹枝と同じように何もかも忘れて愛すると言えないのであった。冷たくなったお茶を悠介は飲んだ。今一つすっきりしない気持ちである。しかしそれではいけないと思い、勤めて明るく言った。「じゃー、行こうか。ソースカツ丼美味しかったね。」千恵子もようやく明るい顔に戻った。元々、彼女は明るい性格なのである。車は一路、鹿沼に向かって走った。悠介は吉田や笹川の事は忘れようと思った。そうでないと普通に千恵子と話せない。吉田や笹川の事や高校時代の彼氏の事を知っても別れようとは思わなかった。わずか2晩前に結ばれて、今朝も交合したばかりである。セックスの相性はとても良いと感じる。彼女の秘部の感触が生々しく思い起される。手放すのは惜しいのであった。「あのさー、俺、アパートを変わろうと思うんだ。」「アパートを?」「うん、今のアパートは会社に近いだろう? まだ車を買う前に会社に近いと思って借りたんだ。でもさー、会社に近いから誰か会社の人に会う可能性が高い。今までも会った事があるし。」「ええ、それで?」「それでって、これから、千恵子もアパートに遊びに来るだろう?」「行って良いんですか?」「勿論、良いよ。いつもモーテルで会うより部屋で会った方が良いだろう?」「いやらしい、その目的なの?」悠介は今までも同棲と言える経験をして来た。始めは小平由樹枝だった。たった1週間だったが夢のような楽しくも嬉しい日々だった。長野と東京の遠距離恋愛だったが、春休みに由樹枝が悠介のアパートにやって来たのである。悠介は毎日でも由樹枝を東京見物に連れて行きたかったが、由樹枝はバイトに行って来て、と悠介を送り出してくれた。そしていそいそと帰って来ると、風呂と夕食の準備が出来ていた。幸せな毎日だった。1週間はあっと言う間に過ぎ去った。今度は連休に来るからね、と笑顔で由樹枝と別れたのであったが、それが永遠の別れとなった。先輩の北村と矢代美枝子に新入生歓迎会で騙されて泥酔させられ、矢代美枝子が悠介のアパートに転がり込んで来たのである。悠介が気が付いたら、美枝子と一緒に寝ていたのである。美枝子は私を抱いたのだから責任を取れの一点張り。悠介は愛する彼女がいると懸命に説明するも美枝子は聞く耳を持たずアパートに居座った。由樹枝からの手紙も勝手に読んで、同棲しているから別れろと、勝手に手紙を出す始末。悠介は懸命に対処しようと頑張ったが、由樹枝の誤解は解けず、振られてしまったのである。思い出すと辛い思いが甦る。結婚したいと強い願望があったのは、これまで小平由樹枝だけである。シラチャのハンサとも半同棲生活であった。結婚しても良いと思ったが、小平由樹枝の時ほど、強いものではなかった。ハンサから家族がいるから日本へは行けないと言われ、悠介も会社を辞めてまでシラチャに留まれない。それで別れる事になったのである。唐橋由美子との関係は最悪だった。始めから結婚はしないと言っていたのに、彼女からは結婚を迫られた。結婚はしないと言っても部屋に来れば濃厚に睦み合っていたのである。それで由美子も勘違いしていたかも知れない。就職して連絡先を教えなかった。しかし自殺未遂をされて悠介は大きな汚点を負ってしまったのであった。そんな経験より、小平由樹枝以外、強い結婚願望はないのである。千恵子とも付き合い始めたばかりであるが、吉田や笹川の事もあり、結婚したいと思う気持ちは薄い。ずるいかも知れないが、ただ付き合って行きたいとは思うのである。「アパートはどの辺が良いかなー?」「そうねー? どこが良いかしら?」「町の中より、景色の良い所が良いなー。」悠介は、産まれ故郷の安曇野に近い池田町を思い浮かべていた。池田町には高瀬川が流れている。そんな川の辺で川が見える所が良いなー、と思った。「鹿沼市にも川があるよね?」「ええ、大芦川と言うのがある。大きい川ですよ。」「その辺りはバスも行く?」「詳しくは知らないけど、バスも通っているはず。」「そうか、そりゃー良い、大芦川の辺のアパートを探そう。来週の日曜日に一緒に行けるかい?」=================================
2026.05.17
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2026年5月15日(金)2007年12月24日(月) イッブからサナアへ すさまじい客取り合戦ジブラの街も、イッブの街も、僕に1泊するような気持ちにさせてくれなかったので、サナアへ移動する事にしました。どこの町でも同じように、市内を走っているダッバーブに乗って、長距離ダッバーブ乗り場へ行きました。10数人乗りの大きめな車の運転手が、サナアと叫んでいるので近寄って行くと、「乗れ、乗れ!」と言う仕草をするので、乗りました。満員にならなければ、出発しない事は、知っています。しかし、この車は、そこでじっと客を待つのではなく、少し走っては止まり客引きをして、又少し走り、Uターンして止まり、別の道路の方まで、走って道路脇に止めます。そして次の客が来たら、僕にそこに座れと運転手の後ろの席を、自分で指示したのに、席を替われと言います。 なんじゃ! このー!何だか、気に入らなんなー! と、別の車を探す為降りました。するとすごい勢いで、何故降りる、などと言っていたようですが、知ったこっちゃありません。どんどん歩きました。それで、今度は、すぐにダッバーブに乗らず、様子を見ていました。このイッブの乗り場は、通常の町と違って、ダッバーブの出発する順番が決まっていないようです。運転手の他にも、客引きが何人もいて、客を運転手に引き渡すと、何割か分かりませんが、客引料を貰えるシステムになっているようです。ですから、一人とか、二人しか乗っていないダッバーブはいつ出発するか分かりません。で、もう満席に近いダッバーブに近づき「サナア?」、と聞いて、乗り込みました。それからが、大変でした。先に乗っていた二人の客を誰が連れて来たかで、運転手と客引が大揉めです。すごい声で言い合っています。「その客は、おれっちが連れて来たんだ! 金よこせ!」「何言ってる! 客が勝手に来たんだから、お前にやる金はねー!」たぶん、そんな事を言い合っているのです。しかも延々と。客は、じっと黙って待ってます。話し合いは着かず、ポリスもやって来ました。しかし、警察が来て、調停しても、ダメなのです、調整が着かずでした。すごいですねー! 警察でも、金の揉め事には権力が及びません。それで、結局、二人の客は、別のダッバーブへ移動しました。そうこう、していると、何でか分かりませんが、又、同じ二人の客が、別の客引に連れられて、戻って来ました。運転手は、客引に金を渡しました。これで、満席になり出発です。道路に出たら、始めの客引が、車の前に仁王立ちになって立ち塞ぎます。それから、又、同じような罵り合いです。いい加減うんざりして、別のダッバーブに変えようか、と思い出した頃、僕の隣の青年が、500リアル、ポイと渡して、早く車を出せ、と言ったようです。運転所も客引も、あれだけ怖い顔で、言い合っていたのに、現金を見ると、ほんとに現金なもので、ぴた!っと言い合いは止めて、客引きは去り、運転手も何事もなかったように、出発しました。運転手の隣の、ひとり席に、僕とぴったりくっついて座っていた、その青年は、まだ学生です。日本人が乗っていて、怒鳴りあっているのを見られて、どうも、イエメンの印象を悪くしたくない、と思ったようです。その学生さんの、落ち着き振りと、金払いの良さに感心しましたが、運転手と客引きの、すさまじい怒鳴りあいには、恐怖を感じました。如何にイエメン人が、良い人ばかりとは言っても、今でも、部族間戦争のような争いがあるようですから、こう言った人たちがいても、不思議ではありませんね。本日は、クリスマスイブ。イケメンの落ち着いた、渋い感じの青年と、ぴったり寄り添って、4時間弱。嬉しいか、とお思いでしょうが、そりゃー、やはり、そのー、イケメンでも、男は男です。こちらは、イケメンではないですが、やっぱり男は男。どうですかねー?ま、楽しかった、クリスマスイブと申し上げておきましょう。==============================群馬中央病院、5日目の朝を迎えました。昨夜は夜中に右足の痙縮があり、痛くて眠れずに看護師さんを呼びました。足を出来るだけなっ直ぐにして貰い、枕を膝下に入れて痛みは治まりました。それから5時までぐっすり眠れました。採血がありました。今回は下手くそではないと思うのですが、結構、痛かったです。採決後の注射部も暫く痛かったです。朝食です。今朝も食パン1枚です。それに野菜煮ですね。ポテトとお茶です。朝は牛乳もあります。担当医のお医者さんが来てくれました。何の診察もしませんが、来週、退院ですね、と言っていました。診断書では、1~2週間と書いてあったが? と聞いた所、あれは、初日の診断なので・・・。と言っていました。来週と言えば、早ければ、3日後、遅ければ、7日後となります。どうなのでしょう? 来週の水曜日頃でしょうか?看護師さんは、群馬中央病院の方が圧倒的に多いですが、Hakuの方が居心地が良いので、問題ないなら早く退院したいです。リハビリホームHakuの4月分の支払いですが、今週中に請求が来ると聞いていました。入院中なので請求書を貰えません。それで、Tktさんにメールを出して、合計金額と振込先の銀行のデータを貰いました。それで振り込みを完了しました。借りているのは嫌なので、早めに払いたいのですね。163,508円でした。あれだけ、リハビリを行っても、この金額ですから安いですね。この他に、リースの設備代があるはずです。昼食です。ハンバーグがメインです。大根おろしも美味しいです。海藻サラダにフルーツのお茶です。フルーツは美味しですね。ここは、毎回メニューが配膳のテーブルに置いてあるのですよ。とても親切ですね。これは何だったけなー? と思ってもすぐに調べる事が出来ます。食事を終えた昼休み、整形外科の先生がやって来ました。ほんのちょっと診るだけで、こりゃーもう大丈夫ですね。腫れも引いているようなので、包帯は取りましょう、と言って自ら、包帯を外しました。血液サラサラの薬は飲み始めて良いでしょうか? と聞くと整形外科からは、飲み始めて全く問題ありません、消化器内科がどう言うかですね、と言う事です。包帯を取って見ますと、月曜日のあのパンパンに膨れた太腿からすれば、かなり腫れは引いています。これならば、もう数日で退院が可能であろうと思われます。15時過ぎからシャワーを予約してくれていました。Hakuで月曜に入って以来ですから、火水木金、と4日振りです。頭が痒くて洗いたかったので、気持ち良いです。看護師さんの頭の洗い方も上手で、自分で洗うより気持ち良かったです。ベッドからストレッチに移る作業も大変で、4人の看護師さんが、行ってくれました。いやー、さっぱりしました。そうそう、左太腿の腫れを、看護師さんに聞いたら、右も左も同じ位と言っていました。やはり腫れは引いているのですね。夕食です。魚にとろろ芋が付いていますぞ。カリフラワーに、お茶にバナナです。とろろ芋飯、美味しいですねー! 味わって食べました。トロロは大好きなんです。バナナもあるし、ここの食生活は満足です。執筆活動もずっと作業していると疲れます。それで、ポツンと一軒家を見ました。都会生活から離れ、山の中に移住した若い夫婦の物語です。家を借り、土地を借りて、1年がかりで雑草を刈り取り、ヤギを飼うのです。ヤギ乳を絞って、ヨーグルトを作って売って生活をするのですね。自分ではやりたいと思わないけど、見ている分には楽しいです。私には、オフィスでパソコン見ながらする仕事が合っていました。本日は、群馬中央病院に来て5日目ですが、進展がありました。車椅子に乗って良い事。(昨日より)、明日から薬を戻す事。太腿の出血なので血液サラサラの薬を中止していました。それを再開すると言う事です。左太腿の腫れも引いて来ました。月曜日に採血を行い退院をいつにするか決めるそうです。来週には退院出来そうです。
2026.05.17
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2026年5月14日(木)2007年12月24日(月) 美しい街 ジブラ?「歩き方」には、美しいジブラの町が見えてくる。アルワ女王が支配していた11世紀の面影がそのまま残っている。まるで、中世に迷い込んだようだ。アルワ女王のモスク。二つのミナレットは、イエメンで最も美しい。このように書かれており、これは行くべき価値ありと思い込んで予定通り、イッブでダッバーブを乗り換え、ジブラまでやって来ました。こう言う街並みです。石畳が敷いてあります。美しいかなー? この景観?どうです? この家モスクです。ミナレット。ここから写真撮れ、とモスクの人が言いました。これは、確かに、フムフムと感じさせるものはありました。モスクの内部です。普通、ムスリム以外は、入れないはず。係員か、伝道者か、僕のカメラを持って、写真を撮って来ました。親切すぎるなー、これは、お金を要求されるなー、と思っていたら、案の定、1000リアルだ、とか言い出しました。「アホか! っざけんな!」とカメラを取り出し、画像を消そうとしたら、慌てて、「お金は要らない」と言い出しました。小銭をチップで上げましたが、この町は、観光客にタカる、他の国と同様な悪い状況です。見所もないし、深い感慨を感じさせる街並みでもありません。これは、僕の感想で、人により感じ方は異なります。そのまま信じず、実際に行って確認して見て下さい。良かったら、泊まろうか? とも思っていましたが、泊まる意欲を掻きたてる何物もなく、そうそうに立ち去ることに致しました。==============================朝は、4時前から、起きようかどうしようかウトウトしながら考えていました。結局、5時に起きました。消灯が21時なので、早すぎますよね。5時起きでも、8時間の睡眠ですから、寝すぎです。朝食です。食パンが2枚から1枚に減っています。これでは足りないよなー、と思いますが、栄養士さんが検討した結果ですから、止むをえませんね。おかずです。ハンバーグにソーセージ野菜です。塩分が1日6gに制限されたので、薄味かと思いましたが、そうでもないです。美味しかったですs。群馬中央病院では、リハビリもないし検査もないし、食事以外の時間は自分の時間です。それで、facebookを読んだりしていますが、それでも時間はあまります。それで、執筆作業に精を出しています。以下の3点を進行中です。1. チェンマイに佇む男達、寺本悠介の場合2. 黄山紀行3. 本に編集する作業:中山道歩き一つだけだと飽きるので、上記3点を気が向いた時に執筆しています。寺本悠介の場合は、考えねばならないので時間がかりますね。考えなしに進められるのが、本に編集する作業です。中山道歩きは、まだ4日目です。昼食です。麻婆豆腐ですね。美味しいですぞ。バナナも1本付いていました。バナナも好きですね。旅に出る時は、なくてはならない非常食になります。長距離バスに乗る時は、必ず買って持ち込みました。部屋を移動させられました。2名部屋から、4名部屋です。理由を聞くと緊急患者が来た時の為に、2名部屋は空けておく必要があるとの事です。2名部屋の相棒は本日午前中退院したので、空き部屋になりました。4名部屋でも自分の居場所の広さは変わらないので、別に問題はありません。写真はネットより借用。午後も相変わらず執筆活動です。寺本悠介の場合を進めたいのですが、横道にそれてしまって仲々、進みませんね。それでもA4で2ページは書きました。夕食です。ここは18時ですから、丁度良い時間ですね。Hakuは17時ですから早すぎます。メインは、魚でした。どでかいパンプキンもあります。お茶と、これは何だったでしょう? 野菜の何かですね。群馬中央病院の4日目が終了しました。検査は何もありません。太腿の包帯を巻きなおしただけです。部屋は、2名部屋から4名部屋に移動しました。部屋が暗いですね。パソコンをずっと行っていると目が悪くなりそうです。診断書を貰いました。入院は1週間から2週間と記載がありました。腫れがひいているのか、そのままなのか、良く分かりません。主治医が総合的に診ているはずですが、1日に1回、様子を見に来るだけで、太腿も診ていませんものね。あれで分かるのでしょうか?状況を見る為に、毎日、左太腿を計って下さいと、申し入れしましたが、却下されました。どうやって腫れの状況を見るのでしょうか?
2026.05.16
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2026年5月13日(水)2007年12月24日(月) アデンからジブラへ 荷物置忘れ事件発生本日は、アデンを出発し、ジブラか、イッブに泊まるか、あまり見るべき箇所もなければ、サナアまで、大移動するか、迷っていましたが、取り合えず、ジブラへ行くことにしました。ここアデンのクレーターと言う中心地から、ジブラまで行くには、何度も、ダッバーブを乗り換えねばなりません。例えば、アデンには、長距離ダッバーブ乗り場が、市内中心から、20分以上離れた場所にあります。そこへ行かねばなりませんが、市内にも、何ヶ所かダッバーブ乗り場があるのです。アデンから、ジブラまでの行き方を書いて見ますと、市内ダッバーブ乗り場→ 長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場→ 長距離ダッバーブ乗り場長距離ダッバーブ乗り場→ イッブダッバーブ乗り場イッブダッバーブ乗り場→ ジブラダッバーブ乗り場なんじゃー! 難しい! ややこしい!これを読んだだけで、全てを理解した人は、相当、頭脳の素晴らしい人です。完璧に理解出来た人は、申し出て下さい。記念品を贈呈致します。(ほんとか?)実際は、取り合えず、市内ダッバーブ乗り場まで、歩いて行きました。そして、例の如く、「ジブラ、ジブラ! イッブ!イッブ!」、と叫びます。そうすると、運ちゃんか、廻りの人が、どれに乗れば良いか、教えてくれるのです。それで、運ちゃんが「乗れ!乗れ!」、と言うので乗り込み、バックパックと、上着やセーターの入っているポリ袋を座席の前に下ろしました。運ちゃんが、ダッバーブを出発させようとした時、客の一人が、「これは行き先がちゃうでー!」 と教えてくれたので、慌てて降りたのです。その時、ポリ袋を置き忘れてしまいました。片手にガイドブックを持っていたし、慌てていたので、すっかり忘れてしまったのであります。(僕は、荷物が二つ以上あると、一つ忘れる習性があります。)すっかり忘れたまま、「長距離ダッバーブ乗り場まで行くダッバーブ乗り場」まで、歩いて行きました。途中、親切な人が乗り場が見える所まで、連れて行ってくれたので、それほど、時間がかからずに行けたのであります。そして、ダッバーブに乗り込みました。そこで、ハタと気がついたのです。「あれー? 上着とかセーターは?」、と。実は、その前に、イエメンでは、大変珍しいのですが、(エジプトなら全く普通)、チェックインの時に、4200リアルの所、4500リアル支払い、お釣りがないので、後で返すとか言われ、そして、チェックアウトの時言ったら、「渡した!」、とか言われて、ひと悶着あったのです。(結局返金はなし。)それで、ムカついてフロントに忘れて来たかなー? 取りに行きたくないなー!あのエジプトに強制移住させたい、イエメン人フロントのいる所は・・・。などと、どこに忘れたか、考えていました。が、「ありゃ! ダッバーブだ! 確か、足元に置いた!」、と気付きました。「おーい、止めてくれー!」、運ちゃんに日本語で言いました。伝わるのですねー、これが、ジェスチャーと日本語で、荷物を忘れたので、取りに戻りたいから、降りると説明。降ろして貰いました。しかしですね、ダッバーブの中に忘れてしまって、そのダッバーブは走り出していたのです。乗り場に戻っても、荷物があるはずがないのです。あれは、市内循環だと思うので、2時間ほどすれば、戻って来るとは、思うけど、困ったなー、ないもの探しに行っても無駄だよ・・・。トホホ。しかし、一応、ダッバーブ降りてしまったので、トボトボと戻りました。トホホ、トボトボ。トホホ、トボトボ。です。何とも情けない。何が入っていたかと申しますと、下記です。 * セーター1枚。 * おっさん風ベスト1枚 * ジャケット1枚 * お菓子3袋(小さい奴) * 現金、100万円 (嘘です) * 打ち出の小槌 (これも嘘です)別になくなっても、サナアで買えば良いのですから、気楽と言えば気楽です。しかし、気分は、トホホに、歩きはトボトボ。そして、そのダッバーブ乗り場に戻りました。すると、乗り場の一番前で、待っていた、ダッバーブの運転手が、「これこれ!」って言うように指差します。な、なんと、わたくしの、ポリ袋です!どうしたのでしょうか? ????? ?????たぶん、このダッバーブは行き先が違う! と教えてくれたお客さんが、ダッバーブを乗り場に戻させ、取りにきたら渡してくれと、後ろのダッバーブに頼んだのでしょう。いやー、驚きました。トルコの時は、小銭30円相当の他、パスポートも現金もカードも、着替えもパンツも、パソコンも、ぜ~んぶ、深夜バスに置いて、トイレに行き、その隙にバスが出発してしまい、顔面マッツァオでした。この時も、奇跡のように、全ての荷物は戻りましたが、今回は、それほど、大事な物はないものの、状況としては、トルコの時よりもっと悪いと思います。なにせ、何百台あるか分からない、ダッバーブです。その車から、戻って来たのです。イエメン人は、やはり良い人が多いです。ホテルの、「エジプトへ強制移住させたいフロント」のイエメン人のような輩は、少ないのでしょう。港町アデンからイッブの道は、険しく、こんな山坂を、行きます。==============================群馬中央病院は、消灯が21時です。そして起床が6時です。9時間も眠れません。4時頃から、目が覚めて悶々としていましたが、5時前には我慢できず、起きだしました。手動のベッドなので、看護師さんを呼んで、ベッドを起こして貰います。暗闇で、パソコンを打ちます。今は5時半、周囲は明るくなりました。群馬中央病院は、朝食前に温かいおしぼりを出してくれます。さっぱりしますね。お茶は1杯しかくれませんが、おしぼりのサービスは、良いですね。朝食です。カニ味噌ご飯、豆腐と肉、そして牛乳です。昨夜はご飯が食べ切れなかったですが、今朝は食べ切りました。180gは多いですね。大根の煮物にお茶です。本日担当の看護師さんが左太腿の包帯を交換してくれました。腫れがどうなのか良く分かりません。昨日とあまり変わっていないようでした。写真はネットより借用。昨日から頼んでいた、手動ベッドを、電動ベッドに換えて貰いました。これで頻繁に、ベッドを倒したり、上げたり出来ます。いちいち、看護師さんを、呼ばねばならないので、落ち着かなかったです。昼食です。スパゲッティですね。美味しかったです。南イタリアで食べたスパゲッティより美味しいです。もう一品のおかずはあんまりなー、って感じです。フルーツのパイナップルは美味しかったです。お茶は一杯だけです少ないですね。午後、ベッドごと移動して体重を計りました。56Kgです。身長は161cm。3cm位縮みましたです。前橋在住のチェンマイ仲間の、Yagさんが突然、病院面会に来てくれました。電話があって、もう下に来ているとの事、驚きました。Yagさんには、チェンマイで懇意にさせて頂いてまして、ご自宅にも招待して貰って、ご馳走になったこともあります。Yagさんは、医療関係の仕事に従事されていたので、医療には詳しいです。色んな方の病気の事や、知人の動向もお話しました。お見舞いまで頂いてしまいました。ほんと申し訳ありません。ありがとうございました。夕食です。午後栄養士さんがやって来て、食事のメニューを持って来てくれました。ご飯は、180gから減じて150g、塩分は1日6gになりました。ご飯は多いな、と思っていたので良いのですが、塩分1日6gと言うのは厳しいですね。味が薄くなります。まぁ今までの施設でも、6g~8gですから、あんまり変わらないですか。シューマイは美味しかったです。減塩醤油を準備してくれました。煮物とお茶とオレンジです。オレンジは多くて良かったです。群馬中央病院入院3日目が終了しました。治療としては、包帯を替えただけです。後は血液サラサラの薬を中止しているだけです。左太腿の腫れも少なくなっているのか、変わっていないのかも、分かりません。包帯を替える時、計ってくれると腫れの状態が分かると思うのですが、明日、言って見るかなー?安静しか方法がないと言われていますが、あまりにも何もしないので、これで良いのかい? と思ってしまいます。ベッドが手動から電動に変わったので、それは良かったです。いちいち看護師さんを呼ぶ必要はなくなりました。車椅子の使用について、午前中、担当医から本日中に使えるようにすると言われましたが、何のアクションもなかったです。
2026.05.15
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2026年5月12日(火)2007年12月23日(日) アデンでの食事は、イタリア料理に中華料理イエメンに来てから、ご飯類はなしで、いつもホブズと1品か2品の肉か、豆、卵のようなものでした。しかし、本日の昼、フラッと入ったレストランに、スパゲッティがあったのです。サラダと共に早速、注文して見ました。味は?麺にコシはなく、スカスカッとした感じでおいしくはありません。でも麺は麺。うまくはないけど、ホブスと肉よりまし。残さず、完食しました。夜は、アデンでも有名だと言う、中華レストランへ行って見ました。街から結構遠いので、ダッバーブを乗り換え、乗り換え、やっと辿り着きました。本日は何回乗ったことか。多分、7回は乗っているでしょうか?メニューには、色々とありましたが、揚州炒飯と、チキン入りトマトスープ、いや、味からすると、トマト入りチキンスープでした。いやー、シンプルな夕食ですが、おいしかったです。日本食がない時でも、中華はどこにでもありますから、嬉しいですねー。ここの経営者兼コックさんは、中国人です。在イエメン50年と言ってました。子供の頃、両親に連れられてやって来たと言いますが、奥様や子供さんは、中国に暮らしているとのことです。何で?と聞いたら、「イエメンで暮らすのは嫌じゃ!」と言われ、単身ですわ、と嘆いた素振りです。このアデンに、中国人は、50名ほどいるとのこと。因みに日本人は? と聞いたところ、ゼロとの回答。観光客がたまに来る程度らしいです。イエメン、いい国だと思うけど、商売にはならないのですかねー?日本車は沢山走ってますがねー。と言うことで、本日の食事は、まぁまぁ、満足でありました。==============================昨日の夕食から何も食べていませんが、あまり腹は減っていません。水で我慢して来ました。昨夜の薬も飲んでいないのです。看護師に何度言っても医者と薬剤師が調整中と言うばかりです。朝早く、担当と言う若い男性の看護師がやって来ました。小さい、4本の採血管に採取しますと言い、それぞれ名前を確認させられました。しかしながら、1回目、採取出来ません。1回抜きます。と言って2回目、針を刺しました。針をぐりぐりして痛いです。かなり時間はかかりましたが、1本は採取出来たようです。しかし、又、針を抜きます。そして3回目、採取出来ません。「もう止めてくれ」と言いました。ほんと下手くそな看護師です。後で時間を置いて来ます、と言って帰りましたが、もうあんたは来るな、と心の中で言いました。1時間後位でしょうか? 女性の看護師がやって来ました。上手い事、痛くないようにやってね、とお願いしました。勿論、針を刺すときは少し痛いですが、その後は、順調、3本を短い時間で採取してくれました。ホッとしました。朝食です。ここは食パンです。過去10ヶ月で食パンは初めてでしょうか?温められており、ジャムを付けて美味しく頂きました。牛乳も付いています。パンに牛乳は合いますね。玉子と野菜とお茶です。Hakuより味が濃いです。その分、美味しいと感じます。看護師さんを呼んで色々と頼みますが、アクションが遅いですねー。返事は良いですが、その後、何の回答もありません。1. テレビは見られるか? →見られる。1000円でカードを買い、 10分間、6円で見られる。8時からなので、その後、来てお金を 貰ってカードを買いに行く。しかし、夕方になっても、何の回答もなし。2. 昨夜から、今朝も薬を飲んでいない。いつ処方してくれるのか?これは時間がかかりました。何度言っても、医者が検討中とか、Hakuからの薬が全部来てないとか、意味不明の釈明ばかり。業を煮やして、Hakuの看護師さんに電話すると言うと、看護師を呼んでくるから待て、と薬剤師は言います。構わず電話して、足りない薬の理由を確認しました。置き場所が違うので忘れたとの事です。ここまで丸1日かかりました。医者もいい加減で、薬手帳にはあるのに、持って来なかったのだから飲まなくても良いと言っていたのです。全くいい加減です。昼食です。メインは魚でした。青菜にお茶に、ブドウも付いていました。飲み物が少ないので、お茶のお替りを頼んだら、1杯だけと言います。いままでの施設はどこも飲み放題でした。ケチですねー、ここは。それで、水分は多く取れと言うのです。姪が、Hakuからパソコンを運んでくれました。これで、ブログも書けます。良かった、よかった。これも朝から、手動ベッドから、電動ベッドに換えて欲しいと依頼していました。3人に頼んでも、3人とも調べますで、何の回答もなし。4人目は、夕方までには必ず回答します、と言っていましたが、やはり何の回答もなしです。手動ですと、自分で倒す事が出来ないので、頻繁に看護師を呼ばねばならないのです。不便ですなー。夕方、左太腿の包帯の交換に来てくれました。本日担当の看護師さんは約束を守る方です。本日中に包帯は交換しますと、言っていましたから。包帯を取った太腿を見ましたが、昨日より腫れは引いているような感じがしました。このまま腫れが引いてくれればいいのですが・・・。写真はネットより借用。群馬中央病院での2日目が終わりました。昨夕から薬の処方がなくて、血圧はかなり高めでした。朝は175まであったのですが、175ですと言うだけで何の処方もなかったです。その他、対処が遅くて、イライラは募ります。まぁでも、ようやく夕食の後の薬が出されましたので、一先ず安心です。食事はまぁまぁで悪くはないです。しかし、味噌汁もお吸い物もなく、且つ、お茶が一杯だけなんです。これでは水分が少ないですよね。何を考えているのか良く分かりません。
2026.05.14
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうに寒いオンボロバスで黄山の麓の宿に到着。酷いホテルの部屋を治して貰ってこれまた寒いレストランで食事。その後マッサージの部屋に行った。1時間たっぷり足を揉んで貰ったが、ここはマッサージ兼置屋のようで早々に立ち去った。2日目、帰って来いと強要するガイドを振り切って黄山の頂上を目指して出発した。ロープウェイでは待たされた。写真はネットより借用================================第8回 2026年 5月 13日(水)第四章 トレッキング開始 中年旦那とガイドの、一悶着が終わったあと、頂上駅の裏の谷間を見ながら、ガイドが声を張り上げて説明をしている。われは何にも分からないので、うろうろするばかり。うら若き4人組みは、ガイドの説明にしきりに頷いている。中年婦人も若者達と一緒になって頷いている。中年旦那は、後ろの方で、ふてくされている。われはと言えば、うろうろしていても、仕方ないので、美しい景色を見ながら、瞑想に耽る。そうこうしていると、ガイドの、なが~い、説明が終わった。防寒具は万全、天気よし、いよいよ黄山のトレッキング開始。まず、北海方面へ向かう途中を右に折れて、始信峰方面へ歩く。元気はつらつ。景色に見とれながらもがんがん歩く。途中、ガイドは、松を説明してくれる。黄山の一つの見所は、奇松であると言う。峰や谷にいっぱいあり、散歩道にも沢山ある、ここの松は、黄山松と呼ばれ植物学的に見ると独立した樹種だそうである。樹齢100年以上の松は、1万株以上もあり、名前を付けられた有名な松は、31本あるとのこと。双子松だったか、姉妹松だったか、兄弟松だったか、忘れたが、二つの松が捻り合って1本の松になっているとか、言われて見れば、命名の由来が分かるような気もするが、何も言われなければ、そのまま通ってしまうような感じである。奇松に対しては、あまり感動を覚えず。しばらく歩くと、ちょっとした広場に出た。ここから見る景色、確かに素晴らしい。天に突き上げるような岩々。切り立った崖、そこにへばりつくように生きている松。それらが、いくつもいくつもあるのだ。中年旦那は、しきりに夫人に写真を撮らせている。不思議な事に婦人を撮らない。うら若き女性4名は、手を取り合って、何か言っている。われは、景色に見とれたあと、広場の右手に下方へ延びている石段を見つけ、そちらへ歩いて行く。同じような険しくも美しい景色が立ち並ぶ。まだ、道は下方へどんどん続いているが、30分後に、広場へ戻れと言われていたので、延々と続き、且つ、その姿を変える奇岩と奇松と切り立った崖に、名残惜しみながら、適当な所で引き返す。するとそこの広場は、品の良いおばあちゃん達に占領されていた。明らかに日本人と分かる。一人ポツンとたたずみ、景色を見ていると、おばあちゃん達も、自由時間になったと見えて、あちこちへ散らばって行った。その中の、一人が、われに声をかけて来た。「日本人の方ですか?」「そうです。」「どこからですか?」「東京です。」「まぁ、東京ですか? 私も東京です。同じツアーではないですね?」「ええ、たぶん。現地のツアーに参加しましたから。」「まぁ、現地の方とですか、お若い方は、さすがに元気があるわね。」お若い、と言われて、ピンと来なかったが、齢、70歳を超えると見受けられるおばあさんから見たら、確かに若いかも知れない。70歳程に見られるおばあちゃん達が、都会の上海や、蘇州と言った観光都市でなく、この険しい黄山へ団体ツアーで来る、そのパワーの方にわれは感心した。もっともケーブルカーで昇り、山頂駅の近くのホテルに宿泊し、そのホテルの近辺をゆっくりと時間かけて散策する程度であるならば、問題ないのであろう。「皆さん、元気ですね?」「ええ、今は、あちこち見て歩くのが楽しみなのです。その内に歩けなくなってしまったら、出かけられませんからねー。」品の良いおばあさんは、口をすぼめて笑いながら言った。昨夜、一緒に泊まり、オンボロバスで、ケーブルカーの駅まで来た人達とは、人種の違いを感じさせるおばあちゃんであった。うら若き女性も良いけど、こう言う、落ち着いて品の良いおばあちゃんとお話しするのも、良いなー、と始めて思った。==================================
2026.05.13
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2026年5月11日(月)2007年12月23日(日) 詩人ランボーと、アデンのビーチアデンとは、何にも見るべきものがない街です。 アデンとしました。(ナンじゃそれ? アゼンだろ?)カート市場を見たら、あとは、ランボー・ハウスしかありません。フランスの天才放浪詩人が、アデンに滞在し、エチオピア女性と暮らしたと言う家です。どんな家か? と聞きまわって探し当てたら、ホテルでした。ランボーホテルとキチンと書いてあり、フロントで確認したら、この2階にランボーは住んでいた、と言っていました。ランボーが2階から、眺めた景色です。因みに、この人、ランボー者だから、ランボーと呼ばれているのではありません。キチンとした名前です。アルチュール・ランボーと言います。え? アルチューのランボー者? 違いますよ! ふざけないで下さいませ。まだ、午後2時。このままホテルに帰っても、何の為にアデンに来たのか、分かりません。これなら、居心地の良い、タイズに帰り、これまた、居心地最高だった、メルヘンチックな、アル・ガナッド・ホテルに戻った方が良い位です。「歩き方」を路上で、再度チェックし、満室であったエレファント・ベイ・ビーチリゾートの隣に、アデンで最も美しいと言う、ゴールド・モア・ベイがあるのを見つけました。イエメン人のビキニが見られるだろうか、とちょっとだけ、スケベーな心がチラッと頭を掠めました。見えて来ました。ゴールド・モア・ベイ。いました、イエメン美人!ん? な、なんじゃー?真っ黒なのが、海の中にいるぞー!おいおい! 水着にならないのかー!そのカラスの着物見たいな下に、ジーンズ穿いてんのかー?(おいおい、全身真っ黒なの着てるのだから、せめて中はスッポンで頼むよ!)皆様の代弁です。こんな黒ずくめで、浜辺を歩いたり、海に入っても楽しいのかなー?アップで撮ってみました。こう言うのは、滅多に撮れませんよ。イエメン人の青年が、僕に話しかけてきて、同じ岩に座り、こう写真を撮るのだ、とか何とか教えながら、隠し撮りです。大っぴらには、ムスリムのアバヤ(真っ黒の服装)姿は写真に撮れません。イエメン青年は、平気で撮っていましたねー。罪があるなら、彼にあり、僕は無実であります。大体、こんなの見たって興奮もしません。カートの葉っぱ5枚ほど噛んだ方が、まだ興奮するでしょう。そうは言っても、ピンボケの濡れたヒップは、何故か艶かしいものがあります。==============================本日は月曜日、1週間が又始まりました。土曜日まで6日間、リハビリが続きます。頑張りますしょう。朝食です。おかず3種に、ネットで買ったプチトマトです。納豆お粥に味噌汁、お茶です。9時20分から、集団体操です。その後、立ち上がり訓練です。26回の立ち上がり、かなりきつかったです。どうしてかなー?この時は、朝、ベッドに座った時、左太腿が太いなー、と思った事を忘れていました。もうこの時、おかしかったのですね。その後、ストレッチと筋トレです。途中、用事もあったので、合計30分位だったでしょうか・本日は月曜日、お風呂の日です。シャワーで全身を洗ってから、湯船に浸ります。気持ち良かったー。裸になって太腿を見ますと、やはり左太腿がかなり腫れています。看護師さんを呼んで見て貰いました。確かに腫れている、しかしおしっこは出ているし、様子を見ましょうと言う事になりました。湯上りのスポーツドリンクです。昼食です。おかず4種です。お粥に味噌汁、お茶です。午後のリハビリです。立ち上がり訓練を行いましたが、どうも普通ではありません。左膝が真っすぐ立たないのです。リハビリさんに話して、もう一度看護師さんに来て貰いました。それで、診療医の先生にHakuに来て貰う事になりました。30分位待ったでしょうか? 診療医の先生が来てくれました。、診断の結果、病院で検査をして貰った方が良いと言う結論です。先生が受け入れてくれる病院を探してくれました。救急車も呼んでくれました。救急車に乗るのは2回目です。チェンマイでバドミントンの支柱が頭に激突して血がだらだら、救急車で病院へ向かいました。日本の救急車の方が安定していて乗り心地は良いです。20分で病院に着きました。病院は、群馬中央病院です。どの辺にあるのかも分かりません。すぐに血液採取、そして点滴を開始です。そして造営CT検査です。太腿の内部がどうなっているか検査を行いました。検査を終えたらすぐに帰れるのかと思っていましたが、緊急入院です。どの位の入院かは教えてくれません。造影CT検査と、血液検査の結果、左太腿の裏側に出血があり、それで腫れていると分かりました。お医者さん、考えられる原因も言わないし、どのような処置をしてくれるかも言いません。止む無く、AIに聞いて見ましたが、頸飾(突っ張り)や、ベッドで足を強く動かしたりしても、血管が破れる事もあると言います。そして対処法は、安静にして、血液の自然吸収を待つ、との事です。姪と甥が病院へ駆けつけてくれました。入院手続や保証人など手続きと色々とあるようです。お世話になりっぱなしです。検査も終えて、病室へ移動しました。個室ではありません。救急車でHakuを出たのが17時20分頃、その後、検査で、夕食を食べる機会を逸しました。腹は減りますが、我慢しかありません。甥に水のみ、3本買って来て貰いました。水で我慢です。全く、驚きの1日です。血液が馴染むまで安静が必要との事ですから、少なくとも数週間は、リハビリが出来ません。困りましたなー。先日は、高熱で1週間は、ほぼ寝たっきりでした。今度はもっと長いです。リハビリで進展どころか、後退しっぱなしです。このような原因が特定出来ない出血があると、リハビリを頑張れば良いとのばかり言えないのが残念です。退院したら、理学療法士の先生に相談しながら、リハビリせねばなりません。しかし何故出血したのか? 思い当たる節はないんです。前日は日曜日で完全休養日でした。リハビリは休みでしたから、無理はしてはいないです。無理やり考えるとすれば、ベッドで寝ていて、車椅子に乗るために起き上がる時でしょうか? かなり足に力を入れないと起き上がれないのです。それかなー?あ、そうだ、自主トレも行いました。川崎・老健では、10数項目を毎日行っていましたが、Hakuでは、リハビリが充実しているので止めていました。それを4項目行ったのです。これは関係ないと思うのですが・・・。
2026.05.13
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2026年5月10日(日)2007年12月23日(日)アデンにやって来ました。旧南イエメンの首都であったとの事で、表敬訪問せずには悪いと思ってやってきたのであります。繁華街は、島の中にあります。長距離ダッバーブは対岸までしか来ません。市内のダッバーブに乗り換えて来ました。島が見えます。この橋を渡って行きます。ダッバーブを降りて、宿を探しましたが、仲々見つかりません。迷子になりそうで、何度も、地元民に聞きながら歩きました。泊まろうとした、アデン・ガルフ・ホテルにやって来ました。設備の割りに4200リアルと高額なホテルです。これらな、ちょっと奮発して、エレファント・ベイ・ビーチ・リゾートに泊まろうかと、電話した所、満室とのこと。そうなんです、今は連休の真っ最中。どこも混むし、普段の2倍くらいの金額になっているのです。日本の正月や、GWのようなものでしょうか?おまけに、お店もほとんど休みだし、観光旅行には適していない時期でしょう。出来れば、わずかでも、時期をずらした方が良いですね。そんな訳で、4200リアルの、アデン・ガルフ・ホテルです。チェックインし、早速街へ繰り出しました。ここがスークの前の中心地です。すごい人だかりなので、スークに入って行きました。この中、全体がカート市場になっています。カートとは、こんな草です。拡大してみましょう。アカネ科の木の葉っぱで、噛んでエキスを飲み下すと、軽い神経興奮作用が得られるらしいです。何度か貰って、何枚か噛んで見ましたが、特に興奮するでもなく、噛みカスを口に溜めておくのも気持ち悪いので、病み付きにはなりそうもありません。しかし、サウジでは、麻薬の一種として禁じられており、カートを噛むのが見つかると、禁固15年が言い渡されると言うので、それなりの効果はあるのでしょう。まぁ、そうでなければ、多くのイエメン人が、ハツカネズミ見たいに、頬を膨らませて、カートを噛んではいないでしょうねー。==============================寿司2人前と共にネットで発注した物が昨日届いていました。水です。500cc、24本です。これで1ヶ月は持つでしょう。かつお梅も買いました。これは朝食時に食べます。そして冷奴です。豆腐も好きなんですよね。でも、施設ではたまに出ますが、調理したものです。冷奴は出された事はありません。冷奴も朝食ですね。お菓子もついでに買いました。朝食です。お粥に味噌汁、お茶です。おかずです。4種に見えるでしょう?しかし、プチトマトが含まれています。これも昨日届いたものです。調理室で預かってくれて、食事時に出してくれます。トマトも世界の旅に出た時は世話になっています。朝食にはバナナにトマト、そしてパンとコーヒーが多かったです。そして、早速、冷奴を食べました。美味しいですねー。若い時から冷奴は大好きでした。食欲のない夏場には、良く買って食べていました。食べたくない時に食欲をそそるのは、冷奴に、キムチでしたね。10時のおやつです。日曜日は、施設は何も出してくれません。それで、自販機で、コーヒーを買って来て、Tkeさんに頂いた、ドーナツを食べます。何もしない、日曜日、心も身体もゆったりしますなー。1週間の1日は完全休養日も良いですね。昼食です。日曜日は早くて11時半に配膳されます。メインはハンバーグでした。お粥にお吸い物、お茶です。午前、午後と完全休養日で時間があります。それでチェンマイに佇む男達、第3章・寺本悠介の場合を執筆しました。シラチャから帰り2年間、彼女もいなかったが、心ときめく女性に出会い、何とか2泊3日の旅に誘い、大沼湖畔で初めて結ばれた。彼女を愛していると思うのであるが、100%彼女を愛する気持ちになれない出来事があるのであった。今後、その辺りの心の葛藤を描く事になります。夕食です。17時からですから早いです。おかず4種です。お粥、味噌汁、お茶です。いつもと同じです。完全休養日の1日が終わりました。ほんの少しだけ自主トレを行いました。川崎・老健では、毎日自主トレを1時間以上行っていました。その中の、4種類をやって見ましたが、老健の時より、足が動きません。進歩していませんねー。ガックリです。今年の正月より、4カ月半、ほとんど進歩していません。これは困りました。脊髄梗塞は、始めの半年が重要でそれを過ぎると、治る確率は少なくなると言われています。治るとしても緩やかであるらしいです。もう緩やか過ぎます。しかしどうしようもありません。Hakuの療法士先生の指導に従って、じっくりリハビリを行うより方法がありません。それが最善と思って、じっくり頑張ります。
2026.05.12
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左太腿が膨れて硬くなり救急車に乗せられ、群馬病院に緊急入院しました。左太腿の裏側から出血しているようです。パソコンも持って来ていないので暫くはキチンとしたブログは書けません。
2026.05.11
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2026年5月07日(木)2007年12月22日(土) タイズ 再びサビル山へ 僕はサビル山に、天空の村に、感動しています。物凄く気に入りました。そして、イエメン人、素晴らしいです。本来なら、アデンへ移動する予定でした。あまりに素晴らしい、天空の村、そしてサビル山。しかし、その頂上へ行かなかったのです。旅は予定より1日早い。キチンと準備して、サビル山へ登りたい。自分の足で、頂上の3000mから、タイズの町1400mまで、降りたい。そう思ったのです。上着も持ち、帽子も持ち、おっさん風のベストも持ち、パンも5個、トマトも購入。ジュースにお菓子に、水も買って、準備万端。ダッバーブ乗り場へ行ったら、おっちゃんが、「こっちや、こっちや」、と手招きしています。登ること、45分、頂上に着きました。ここが終点です。これ以降は、自力で歩きです。ダッバーブとは、この乗り物です。これは、新しい方ですねー。普通に走っているのは、もっと、古っぽいです。ここが頂上です。普通車はここまで登って来れます。僕は、頂上の形の良い岩を見つけ、そこに佇み、天空の村や、空を見たり、雲の流れを見たり、至福の時間を過ごしていました。左手方面の風景です。そして、右手方面の風景です。こう言う所は落ち着きますねー。やはり僕は、遠い星の国から来たのでしょうか? 少しでも、宇宙の故郷に近い場所が、好きなのでしょうか?などと、ロマンティストな僕が、ロマンティックな想いに耽っていると、「ソーラ、ソーラ」、の聞きなれた言葉です。この家族が、写真を撮ってくれ、と言うのであります。イエメン人、写真が好きです。ほんとに好きです。 しかも撮ったあと、見せてくれとは言いますが、写真を送ってくれとか、言われた例がありません。そして、この家族。ジブラから来たそうです。子供さんが8人おり、病院の薬局に勤めているそうです。英語が話せるので、色々と聞くことが出来ました。26歳を頭に、8人の子供です。写真の通り、下の子は、まだ小さいです。20歳の息子は、タイズの大学で勉強中、連休を利用して、息子のいるタイズに来て、この景勝地、サビル山へピクニックに来たのです。僕のいる近くで、シートを敷き、食事を始めました。何度も、こっちで一緒に食べろ、と誘ってくれたのですが、黒ずくめの奥様と、同じく黒ずくめの年頃の娘さんもいるので遠慮しました。そしたら、わざわざ、持って来てくれたのです。これです。ホブスに、卵に、お菓子に、シャイ。トマトは僕が買った奴です。まぁ、ほんと、感心を通り過ぎて、僕は、イエメン人に畏敬の念を覚えましたです。素晴らしい民族ですねー。やさしくて親切で・・・。イエメンは、素晴らしい国です。お父さんと一緒に写真を撮りました。奥様も、娘さんも、食事の時は、顔を出していました。お父さんに確認すると、やはり、女性の写真を撮るのは、いけないようです。注:アラブの星一番、顔の色が変ってますが、陰のつもりです。 (芸が細かいですねー!)住所と名前を聞きました。写真を送りたいと思ったのです。英語が話せるので、時々でも、こう言うご家族と、連絡を取り合い、親交を深められれば、良いなー、と思ったのです。さて、ジブラからのご家族、食事が終わると、帰りました。僕には、何もお返しがなくて残念です。日本から持って来た、飴玉がありましたので、子供さんに、5個あげたのみです。僕も、標高3000mの頂上から、1400mのタイズ市内まで、歩く為に、頂上を出発しました。ヤギさん、頂上で物思いに耽っていましたぞ。何を考えているのでしょうか?下り始めると、雲も出て来ました。今は、雨季でもないので、滅多に雨は降らないと言うことです。ジブラからのお父さん情報では、3月頃より、雨が多くなるらしいです。馬に乗った少年に、又会いました。飲み水を運んでいます。この水汲みは、子供の仕事のようですね。馬もなれたもので、乗り手がいなくても、ポリタンクを背負って、トコトコと家路に向っているのもいます。これは、タイズ市内で聞いた話ですが、政府が水道を引いているそうです。しかし、1軒1軒に配管が繋がっていませんね。でなければ、水汲みは必要ないですから。畑は、このように石垣で仕切られています。道で会う人、会う人、会う人、会う人、会う人が、「ハロー!」「ホワッチュァーネーム?」と、挨拶して、そして何故か、名前を聞いて来ます。右手の指を合わせて、口に入れる真似をします。たぶん、これは、シャイでも飲んでいかないか? 若しくは、カートでも噛まないか? と誘ってくれているのだと思います。この仕草は、どうも、食べ物をくれ、とか、食べ物のお金を頂戴って意味もあるようです。お乞食さんが、そのような仕草もしますので。従いまして、意味を取り違えないようにせねばなりません。因みに、この仕草、口の方へは持って行きませんが、トルコでは、ベリーグッドの意味だったですから、パントマイムでの会話も、その国に慣れないと難しいです。このおじさんも、「ハロー!」「ホワッチュァーネーム?」と聞いて来ました。ジャンビーアを差しています。これに興味があったので、写真を撮らせて貰いました。ジャンビーアも、抜いて見せて貰ったら、ポーズを取ってくれました。刃はなく、実用には無理なようです。11時50分に頂上を出発し、1時間歩いて、10分休み。これを2回繰り返した、14時頃、山の上に、家並みが見えました。どうやって、登っていくのでしょう?そして、もう1時間歩き、15時を廻った頃、もう足はガクガクで、これ以上歩けまへん! 状態になりました。別に、競技している訳でもなく、完全踏破を目指している訳でもないので、市内まで歩くのは、諦めて、ダッバーブに乗りました。もし歩いたならば、あと、どうでしょうか? 1時間半ほどかかったでしょうか?3時間、約2万歩。良く歩きました。気さくなイエメン人達と、沢山会えました。無邪気な子供たちとも、沢山会い、交流も出来ました。天空の村も堪能出来ました。手が届きそうな、空も見られました。いつの間にか忍び寄る、雲とも出会えました。新鮮で、ヒンヤリと気持ちよい、空気に包まれ、気持ちよい時間でした。と言うことで、とても充実した1日を過ごすことが出来たのであります。最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。==============================4時半に起きてしまいました。早いですね。でも7時間は寝ています。早く起きたので、腹減ります。煎餅と麦茶で腹を少し満たします。朝食です。おかず3種です。本日も納豆を食べます。まだ4箱あります。冷奴も梅干しもネットで購入したので、朝食は豪華に楽しめます。9時20分から午前のリハビリです。まずは集団体操です。何故か、眠くなってしまうのですねー。薬の副作用でしょうか? 寝たり起きたりで一生懸命リードしてくれる、療法士さんに申し訳ないです。集団体操後の立ち上がり訓練は、26回全部行いました。26回はかなり疲れます。足が弱いので、手を使うのです。それではダメですね。その後、ストレッチと筋トレです。本日も1時間程行ってくれました。自分では動かせない、足や腰の筋肉を使うので、強くなっているような気がします。少し休んで平行棒を使った歩行訓練です。長下肢装具を付けて歩きます。2mの平行棒を2往復を1セットとして3セット行いました。あんまり調子が良いとは言えませんでした。昼食です。おかず4種類です。お粥にお吸い物、お茶です。いつもと同じです。午後のリハビリです。まずは立ち上がり訓練です。20回、休んで15回、合計35回行いました。皆さんは、50回連続で行っています。次回は、25回と15回に増やしましょうか?集団体操の後、皆さんはリクリエーションを楽しみます。アジアの星一番のみ、平行棒での歩行訓練です。理学療法士さんが3名付きっ切りで行ってくれます。2mの平行棒を2往復、5回行いました。合計10往復です。補助は少しで歩けます。歩く要領も少し分かって来ました。Tkt先生が詳しく歩き方を教えてくれるので、その通りに歩こうとしています。ですが、疲れると仲々、思うように歩けませんね。リハビリ後のおやつです。コーヒー、美味しいですねー。これを飲んでいると、1日が終わったなー、と思います。ネットで注文していた寿司が届きました。本日の担当の方は、食堂で食べて良いと言っていました。しかしながら、主任に確認したら、やはり部屋で食べるようにとの事です。患者間での食べ物のやり取りは止めて欲しいと言うのは継続です。今回は特別の計らいで、隣のお婆さんに寿司一人前を食べて貰いました。但し、食堂でなく、部屋で食べねばなりません。寿司、美味しいですねー! これも10ヶ月ぶり以上で食べます。ワサビの味も久しぶりで、美味しいです。それに生姜も美味しいです。最高の味を楽しみました。たまには寿司を注文しようと思います。本日のハイライトは、寿司ですね。ほんと美味しかったです。寿司9巻で1200円位でした。配達料はかかりますが、この美味さからすれば、安い物でしょう。刺身も凄く美味しかったですが、ビールは飲めないし、本来は刺身を食べたいのですが、施設では寿司の方が良いでしょうか?ネットでいつでも発注出来ます。寿司を食べる楽しみが増えました。
2026.05.11
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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。一方、美枝子は玉の輿と言える結婚する事になった。3月末、悠介は就職したが、実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属され社会人生活が始まったが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調である。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。何とか彼女を誘い赤城山、伊香保温泉の旅にでる。写真はネットより借用================================第202回 2026年5月10日(日)二人で藤屋食堂の暖簾を潜った。店内は大きくはなかった。4人テーブルが4つあった。それにカウンターテーブルである。カウンターには6名ほど座れるであろうか?テーブル席は2つ空いていたので、入口に近い席に座った。「いらっしゃいませ!」愛想の良い小太りのおばさんが注文を取りに来た。メニューを見るまでもなくソースカツ丼に決まっている。しかし一応、お値段も見なければならないので、メニューを見せて貰った。ソースカツ丼定食にした。ちょっきり1000円である。結構高い。暫く待たされたがほどなく湯気が立っているような揚げたてのカツ丼が出された。二人は早速フーフー言いながら食べてみた。「ちょっと甘辛いね。」「そうだね、カツはサクサクしている。柔らかくて美味しい。」紅ショウガ、キューリ、黄色い沢庵の漬物も付いている。それに、わかめと絹豆腐のかつおだしの白みその味噌汁も付いている。「この味噌汁、美味しい!」千恵子が思わず言った。カツ丼も味噌汁も確かに美味しい。桐生市のソウルフードと言われるだけある。二人は黙々と食べた。言葉は要らない。それほど美味しかった。食べ終わって熱いお茶を貰った。悠介はこの前言い出して聞けなかった千恵子の過去の事を聞きたいと思った。悠介ともあまりに簡単にキスをした。きっと経験があるに違いない。現に吉田が訪ねて来てキスしていると言った。笹川とも付き合っていると信じがたい事を言ったのである。その頃、既に悠介ともキスをして一度モーテルまで行き裸になっているのである。「あのさー、千恵子は可愛くて綺麗だからもてるよね? 今まで何人位キスしたの?10人位した?」「そんなにしてない。」「そんなにしてないって、何人位?」「数人よ。」「そうか、俺と、吉田と笹川で3人だよね。高校時代にも付き合っていたのじゃーないの?」千恵子は下を向いていたが、小さく頷いた。悠介はやっぱりそうか、と思った。お茶を味わう余裕はないが、茶碗を持って啜った。ずいぶんキスは上手であった。高校時代から長い期間やっていたに違いない。ずるいと思ったが、どんどん知りたくなった。「始めてキスしたのはいつ?」千恵子は黙って下を向いたままである。「高校1年?」千恵子は小さく首を振った。「じゃー、高校2年?」千恵子はこくんと頷いた。と言う事は2年もずっとキスする関係の男がいたのである。そうなるとキスだけでなく、胸も触っているだろうし、若しかしたら下半身にも手を伸ばして触らせたかも知れない。悠介に猛烈な嫉妬が湧いてきた。「その男とはまだ付き合っているの?」「東京へ行った。専門学校。」「別れてはいないのか?」千恵子は黙っていた。暗い眼差しである。あの快活で弾けるような笑顔はどこにもない。悠介は推測するにはっきり別れていないと思った。別れていないにも関わらず、吉田とも笹川とも付き合い、そして悠介とも付き合っている。どう言う性格をしているのか信じがたい。高校から付き合っている男の話も聞きたいが、吉田や笹川の話にした。「吉田や笹川とは別れてないのか?」千恵子は顔を上げて言った。「この前も言ったけど、もうあの人達とは会わない。」「別れたのか?」「もう会えない、と言ったけど、まだ誘って来る。吉田さんはこの旅行の帰りに鹿沼まで帰ったら迎えに行くと言っていた。」「どうするんだ?」「勿論、行かない。もう勘弁して。誘われても行かないから。わたし、誘われたら仲々、断れなくて・・・。何と言うか・・・。心が弱いのよ。」悠介には、誘われても断りにくく、誘いに乗ってキスをする、それも同時に3人もの男と。それが全く信じられなかった。若しかしたら、それが彼女の素直な良い面かも知れない。しかし恋人としては堪ったものではない。これからも誘われたらのこのこ出かけて行くかも知れない心配もあるのだ。そして悠介が思うのは、俺でなくても良かったのではないか、と言う事である。吉田でも笹川でも、さらに親しくなって恋人になったかも知れない。いや、なったに違いない。たまたま悠介が二人より先行しただけである。悠介は高校時代から付き合った小平由樹枝を思い浮かべた。長野で最も美しいと思われる美少女であるが、悠介一筋であったのだ。まさかあんな美しい彼女が自分を選ぶとは思ってもいなかった。しかし何故か彼女は自分を選んだ。不良っぽい先輩が教室にやって来て、小平と付き合っているのか?と聞かれ、訳が分からなかったが、付き合っていると言った方が良いと一瞬で判断し、付き合っていると答えた。=================================
2026.05.10
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2026年5月06日(水)2007年12月21日(金) タイズの裏山 サビル山 絶景! 3000mですぞ!あぁー、ここへ来ただけで、イエメンに来た価値がありました。すごいです。イエメンに、天空の村あり!マチュピチュが天空都市とか、空中都市とか呼ばれているらしいです。が、彼の地は、既に滅び、観光名所となって、テレビでなら、何度も見られます。しかし、ここサビル山。高度では、マチュピチュ2400mですから、ここサビル山の方が高いです。頂上は3000mあるとのことなのです。そこに、家を建て、畑を田耕し、多くの村人が住んで、暮らしているのです。感動ですねー! 出来れば、1週間でも良いので、滞在してみたい程です。まず、天空の村の畑の写真、4連発を見て頂きましょう!凄いですよねー! こんな山の上を耕し、畑を作っているのです。畑を作るだけでも大変でしょうが、こんな段々畑に作物を作るのも大変でしょう。どうですか、この段々畑。感動ですね、この景色。如何でしょうか? ここは、標高、たぶん2700m位の位置だと思います。実は、サビル山に登ろうと思って来たのではなく、朝食を食べに街へ出て、ホテルを探そうと、ブラついて、アル・ガナッド・ホテルを予約して、さて、イエメン・ツーリズム・ホテルへ戻り、歯磨きして、チェックアウトの準備して・・・、などと考えながら歩いていたのです。そして、ふと左手を見上げると、サビル山です。家々が立ち並び、さらにその上の方へ、ずっーっと高く、高く続きます。雲が遮り、頂上は見えません。それを見ていたら、無性に行きたくなって、「ジェベル・サビール! ジェベル・サビール!」、と叫んでいました。そしたら、近くにいた子供が、ついて来い! って素振りで、僕を呼びます。どうも、ダッバーブ乗り場まで連れて行ってくれるようです。イエメン人は、どうして、このように親切なのでしょうか? 信じがたいです。僕は、要らないと言う、その子供に、小銭を握らせました。本当は、もっと、100でも200リアルでも、上げたい気持ちなのです。ダッバーブ(乗合バス)、200リアル(120円)を支払い、登って行きました。途中の景色が素晴らしいです。言葉で表すのは難しい。しかし、写真は撮れません。右に左に揺れ動きますし、ドアは開けっ放しですから、カメラに夢中になって、下手すると、滑り落ちます。いくつかの小さな、小さな村を過ぎて、頂上付近まで行きました。そして、僕は、どうしても、この山の景色を見ながら歩きたくなっていました。そこで、降ろして貰いましたが、右に左に揺れ動くバスの中で、右側を見たり、左側を見たり、動いたので、尻ポケットに入れた、財布がずり落ちていました。そんな事は知らず、ダッバーブを飛び降り、乗客の皆さんに手を振って歩き始めようとしたら、「待て!待て!」と、僕が乗った席の前の人が、呼び止めます。ダッバーブがバックしながら戻って来ました。これ、これ! と手を上げています。財布です。分厚い財布です。見るからに、現金が沢山入っていると、思えます。あぁ、又もや感動です。イエメン人は正直者です。イエメンの得点ランクは、もう急上昇です。心が、グラッとしないのでしょうか? たぶん、彼らの1ヶ月分の収入に匹敵する現金が、財布には入っていたでしょう。僕は、タイ人でもないのに、手を合わせて、「コップンカップ!」、と言ってました。何とも言えない、清々しい気持ちに、これまた、清々しい青空、ひんやり冷たい風・・・。 幸せとは、こう言う気持ちを言うのでしょうか?山肌に、このように家が建てられています。畑が、山の頂上まで綺麗に整備され、農家でしょう、家々も見えます。黒装束を纏った、お母さんが、洗濯をしていました。そう言えば、こんな所で生活するには、水の調達が大変だろうなー?と思いました。洗濯も、タライのようなものに入れただけですから、すすぐ程度の洗い方でしょう。さらに歩いていたら、馬に乗った少年と出会いました。背中に、ポリタンクが二つ括り付けられています。水です。これで、水を取りに行ってるのですねー。やはり水は重要です。何の準備もなしで、山へ来てしまったので、防寒対策もなく、帽子もありません。山の上で、寒いとは言え、頭を直射する太陽は鋭いです。持参のうちわで、直射日光を避けながら、歩きました。このような光景が続きます。霧が出て来ました。霧の中に、花束を持った少女が佇んでいました。花を買って欲しいようです。僕は、こう言う時、ほとんどの場合、買わないし、お金もあげません。しかし、この子は、単にお金をくれ! と言うのではなく、花を摘んできて、花束にして、それを買って欲しいと言っているのです。健気ですよね。両親の手助けなのでしょう。僕は、自分の主義には合わないのですが、お金をあげました。花は貰っても、使いようがないので、又、他の人に売りなさい。と通じないでしょうけど、日本語と英語で言っときました。そしたら、「ソーラ、ソーラ」、と言います。写真のことです。まだ少女ですが女性です。髪の毛は見せないようのヒジャブを被っています。こんな所で花を売っているのです。買う人がいるのでしょうか?名残おしいのですが、ホテルもチェックアウトしないといけないので、帰り道を急ぎました。その後、ダッバーブに、途中まで乗せて貰い、その後、商用の人が乗せてくれて、麓まで戻りました。何れも、お金は要らないといいます。どんだけ、いい人達なのでしょう、イエメン人は・・・。==============================昨夜は、1週間ぶり位に夜中に介護士さんを読んで、体勢を変えて貰いました。夜中に目が覚めて眠れないのは久しぶりでした。それでも8時間以上寝ました。朝食です。おかず3種です。お粥、味噌汁、お茶です。昨日、Tkeさんから頂いた納豆です。これから暫く毎朝食べられます。お粥にかけて食べます。美味しいです。他のおかずは不要ですね。午前のリハビリです。まずは集団体操です。リーダーは、今年の3月にHakuに来たと言う、Morさんです。益子に行って来た話をしてくれました。集団体操の後、立ち上がり訓練です。26回全部行いました。次はストレッチと筋トレです。1時間近くたっぷり行ってくれました。そしてシャワーと風呂です。風呂にゆったり浸る、気持ち良いですねー。湯上り後のスポーツドリンクです。昼食です。おかず4種です。メインは魚ですね。お粥に味噌汁、お茶です。本日はスポーツ大会とかで午後のリハビリがありません。アジアの星一番はスポーツ大会は不参加で、部屋で待機しました。何故なら、本日はお医者さんの往診で、バルーン交換の日なのです。1ヶ月に1回、交換が必要です。早くカテーテルの取り外しをしたいですが、まだ自力で立てないので難しいのです。蒲田リハビリテーション病院では看護師さんが交換してくれましたが、看護師さんによって技能が異なり、痛くてあんまりこの作業はやりたくなかったです。しかし川崎・老健では、病院に行って交換しました。全く痛くないです。しかも、カテーテルの入っている所が24時間痛くて、困っていたのですが、それも痛くなくなりました。Hakuに来たら往診のお医者さんが交換してくれます。全く痛くないです。普段も痛くないです。有難い事です。おやつの時間まであまり時間がありませんが、Tktさんが、平行棒のリハビリを行ってくれました。2mの平行棒を使います。2往復して休み、それを4回、合計8往復しました。2mをたった2往復ですが、疲れるのか、2往復目の帰りは、足が出ない時もあります。立つ姿勢が悪くなるようです。2往復で疲れるようでは、駄目ですね。リハビリを終えておやつの時間です。コーヒーブラックを止めて、気分を換えてココアにしました。ココアは甘いですね。夕食です。おかずは4種類でした。メインはチキンですね。お粥にお吸い物、お茶です。本日も1日が終わりました。本日は風呂もあり、バルーン交換もあり、忙しかったです。しかし平行棒での歩行訓練は、もう少し歩きたいですね。高熱を出す前は、2mを10往復、6mを6往復していました。本日は2mを8往復だけです。この程度まで戻して、歩行を強くしたいです。明日は、フレッセイから寿司を2人前配達して貰います。隣のお婆さんから海苔を貰ったり、先日はキツネうどんを貰いました。そのお返しと言う意味もあって、寿司を1人前食べて頂こうと思って発注しました。しかしながら、自分で注文したり持って来て貰ったりして自分で食べるなら良いが、患者同士で上げたり貰ったりするのは禁止との事です。食べられない他の患者さんからクレームが出たりするようです。今回は発注してしまったので、部屋で食べるなら特別に許可します、と言う事です。難しいですね。まぁ他の施設では、施設で準備する食糧以外、持ち込みも差し入れも禁止ですから、Hakuは自分で食べる分はOkなのでそれで充分ですね。
2026.05.10
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2026年5月07日(木)10ヶ月振りに、刺身を頂きました。あまりに美味しいので、ブログの冒頭に写真を持って来ました。船の仲間のTkeさんが面会に来て頂き、刺身を買って来てくれたのです。私は世界広しと言えども、刺身が世界中で一番美味しいと思っております。日本へ一時帰国した際には、2~3日に1回は刺身を買って来て、ビールを飲んでいました。チェンマイは最高の住み心地ですが、刺身は少ないのですねー。しかしマクロで、マグロが売っている時があるので、たまに買って来て食べていました。(サーモンは沢山売っています。)イタリアのシチリア島で、マグロの解体を見て、買って来た刺身も美味しかったですなー!同じく、ガラパゴス諸島でもマグロの解体を見て買って食べた事もあります。ちょっと生臭かったですが、美味しかったです。その位、刺身は好きなんです。久しぶりの刺身、最高でした。Tkeさん、ありがとうございました。===============================2007年12月21日(金) タイズの街 中古日本車発見!タイズは、イエメン第2の都市で、1948年からイエメン革命のあった1962年まで、首都で政治の中心地であったとの事です。標高は、1400m。サナアの標高2300mですから、サナアより低い。しかし、サナアとは印象が全く異なり、ここタイズの方が、ずっと山岳都市との印象が強いです。何故か?それは、タイズのすぐ南側に、3000mを超える、サビル山が、そびえ立っているからでしょうし、街自体も、急坂の多い、「坂の街」、だからだと思います。これが、サビル山をちょっと登った所から見た、タイズの街です。まだ、数百メートル登っただけの所での写真ですから、サビル山がどれほど高いかお分かりでしょう。(分かりますよね?)そして、このように、山の中腹や、小山の上に、家が建っています。これが、タイズの街並みですね。着ている服装も中東ですね。スークの写真でも掲載したいと思ったのですが、祝日なので、スークも開けているお店は、まばらで閑散としていました。果物屋さん位でしょうか? 露天で屋台に並べて売っていたのは。果物は、祝日だからと言って、新鮮さを留めてくれませんものね。そして、タイズで日本発見です!「松川運輸」、と書いてありますよねー!間違いありません!「松川運輸株式会社」、の車です。「今日も無事故で!」 って書いてあります。住所も「吹田市」とあります。ミャンマーでは、このような中古日本車を、持って来たまま、全く塗装も、文字も、そのままって車が多く、首都(だった)ヤンゴン市内バスでさえ、「山形交通」などと書いたバスが走ってました。しかし、イエメンまで、日本の中古車が来ているとは、驚きです。「松川運輸」、イエメンで宣伝しても、儲かることはないでしょうが・・・。これは、キチンと取引されて来たのでしょうねー?それとも、盗難車? ここイエメンでは、TOYOTA車が多く、まぁ、日本車は珍しくありませんが、このように、会社名まで記載された日本の中古車は珍しいです。松川運輸の方が、これを知ったら、「な、なんで、わいらの会社のトラックが、そこにあるんや~?」と言うでしょうねー?==============================昨夜は長い時間寝ていましたが、ぐっすりと言う感じではなかったです。でも、介護士さんを呼ぶ事もなく、朝まで横になっていました。さて、朝食です。おかず3種です。お粥にお吸い物、お茶です。そして、今朝は、Akbさんに頂いた、梅干しを冷蔵庫から持って来ました。お粥に乗せます。う~ん、美味しいですねー。梅干しだけでおかずは要りません。有難いですねー。Akbさん、ありがとうございます。まだ3~4個あるので、梅干しを楽しめます。我が友、テラが面会に来てくれました。栃木県から来てくれたのですよ。車で2時間位かかったようです。彼には、チェンマイの部屋の荷物の整理から、バンコク銀行からの送金から、大変世話になっています。今回も後述しますが、色々と持って来てくれました。まずは大金を持参してくれました。私自身忘れていましたが、チェンマイの私の部屋にある重要書類を保管しているバッグの中を調べたら、大量のユーロがあったと言うのです。たぶん、ユーロ圏へでも旅に出る事も考慮して、円が高い時にユーロに両替して保管していたのでしょうね。それを円に換えて持って来てくれたのです。241万円ありました。大きいですねー。有難いです。中国元もあったそうで持って来てくれました。これは、自力で歩けるようにならないと、使う事が出来ません。しかし、両替すれば、使う事も出来ますので、保管しておきます。今、中国工商銀行にある預金を日本へ送金出来ないか、熱血教師さんに交渉を依頼しています。しかしかなり難しそうです。ですので、もし自力で動けるようになれば、中国へ行けますので、その時にこのお金は使う事が出来ますね。ハードディスクやUSBも持って来てくれました。これには、昔からのデータが保管されています。一太郎とか、ロータスで作ったデータも沢山あります。パソコンのメモリーが少なくてデータを保管出来なかった時に、保管したものです。未完の小説なども沢山残っています。思い出が詰まっています。お菓子も持って来てくれました。テラには感謝しかありません。ありがとうございました。面会があったので、立ち上がり訓練や集団体操には参加できなかったですが、ストレッチと筋トレは行ってくれました。これは重要なのです。丁度、時間が合って行って貰って良かったです。船の仲間の、Tkeさんが面会に来てくれました。Tkeさんには船から降りてからも、1年に1回以上、温泉に一緒に連れて行って貰ったり、中山道歩きの時は、ご自宅に泊めて頂いたり、大変世話になっております。先日もご夫妻で面会に来て頂き、納豆やらお菓子など沢山、頂きました。今回も納豆を買って来て頂きました。食べ終わったので、欲しいと思っていたところでした。お菓子や柿の種も頂きました。ドーナツも頂きましたぞ。さらに、冒頭に掲載した刺身を持って来てくれたのです。有難いですねー。ほんとありがとうございます。昼食です。おかずは3種類です。メインは、麺です。蕎麦かなー?やっぱり蕎麦ですよ。良いですねー! 麺は大好きなので、嬉しいです。量も結構多かったです。午後のリハビリです。立ち上がり訓練は、20回プラス15回で、合計35回行いました。その後、行われた集団体操は、何故か眠くて、居眠りしてしまいました。半分位しか出来なかったです。珍しいです。さて、楽しみの夕食です。刺身もお皿に盛ってくれました。Hakuはサービスが良いですねー。今まで、3つの病院、施設に行きましたが、どこも食べ物の差し入れは禁止でした。Hakuは、持ち込み自由なので有難いです。刺身は、本当に美味しかったです。又、たまには食べたいですね。お粥に味噌汁、お茶はいつもの通りです。今朝、床屋さんが来てくれました。2ヶ月に1度来てくれるようです。別にカットしてもしなくても良いのですが、暑くなってくるだろうと、カットして貰いました。1800円です。さっぱりしました。本日は、我が友テラに、船旅の仲間Tkeさんが面会に来られて、お盆と正月が一緒に来たような楽しくも嬉しい日でした。お土産も沢山頂きました。全く持って感謝に堪えません。本当にありがとうございました。お礼は言葉に替えられません。何か、お返しを考えねばなりませんね。気が利かない自分なので、感謝をどう態度で表したら良いか、分かりません。困ったものでありますなー。
2026.05.09
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2026年5月06日(水)2007年12月21日(金) タイズ 本日の食事本日タイズでの、貧しい食事を、お見せしちゃいましょう。朝は、豆の煮物に、パンです。昼は、卵焼きに、ホブスです。新聞の上に、ホブス置くのですよ。清潔好きの僕には、何だかねー・・・。いつも同じような食事ばかりです。肉にするか、卵にするか、豆にするか、オカズを変えて、ホブスです。飽きて来ました。今は、イード祝日なので、レストランも閉まっているお店が多いようです。夜は、あまり食欲もないし、レストランへ行くのも面倒なので、買って来た、パンと、果物で夕食としました。パンは、ホブスでなく、このお店で買いました。ホブスの焼きたては、おいしいですが、冷えると味が落ちるような気がします。海外へ行くと、食事が面倒ですね。食事が楽しみで、旅行をする人も多いと思いますが、僕の場合は、これと言った食べたいものがないので、面倒だなー、と思ってしまいます。一粒、一食、と言った食べ物ないでしょうか?==============================又、朝がやって来ました。昼が来て、夕方が来て、夜が来て、1日が終わります。毎日、同じですね。さて朝食です。3種類のおかずがあります。お粥に味噌汁、お茶です。お吸い物より、やっぱり味噌汁の方が良いですね。午前のリハビリです。何だか久しぶりの感じがします。3日振りですが。まずは集団体操です。体操前のおしゃべりが長いので、体操は20分位だったでしょうか?体操の後は、立ち上がり訓練です。皆さんと同じ26回行いました。その次は、ストレッチと筋トレです。ほぼ1時間近く行ってくれました。この時間が一番、リハビリをやっているような感じがします。足を色々と動かしてくれるので、リハビリになっていると思うのです。そして、久しぶりの風呂です。連休があったもので、6日ぶりの風呂です。シャワーで身体全体を洗い、そして湯船に浸ります。気持ち良いですねー。湯上りのスポーツドリンクです。昼食です。おかずは4種類です。魚がメインですね。お粥にお吸い物、お茶です。午後のリハビリです。まずは立ち上がり訓練です。20回プラス15回で合計35回行いました。仲々、膝が立ちませんね。立ち上がり訓練の後は、集合体操です。腕、上半身、下半身、足と満遍なく行い、たっぷり45分行いました。次は平行棒による歩行訓練です。2mの平行棒を歩きます。2往復づつ4回行いました。合計8往復です。ほとんど介助なしで、スムースに足も出ました。高熱が出る前に戻って来たような感じです。これでもっと距離が伸ばせれば良いですね。リハビリが終了しおやつの時間です。コーヒーにお菓子です。紅茶とかお茶も選べますが、毎回、コーヒーを頼んでいます。夕食です。豆腐に餃子、おかずは多いです。お粥にお吸い物、お茶です。本日も無事1日が完了しました。施設の毎日のルーチンにも慣れて来ました。9時20分から夕方の食事、17時まで、ほとんど時間はありません。リハビリと体操です。ですが、朝起きてから朝食まで、そして夕食後から寝るまで、かなり時間があります。その時間に執筆活動を行なったり、ドラマを見たりしています。リハビリも、立ち上がり訓練、集団体操、ストレッチと筋トレ、平行棒による歩行訓練など、多岐に渡り、これを上手く続けられれば、目標である自力で歩く事も出来るかも知れません。まぁ、期待し過ぎは良くないですが、目標を見つめて頑張って行きたいと思います。
2026.05.08
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうに寒いオンボロバスに乗って杭州から黄山の麓の宿に意識朦朧となりながら到着。酷いホテルの部屋を治して貰ってこれまた寒いレストランで食事、その後マッサージの部屋に行った。1時間たっぷり足を揉んで貰ったが、しかしここはマッサージ兼置屋のようで誘われたが早々に立ち去った。部屋へ帰ると暑い。従業員が30℃に設定して、リモコンは持ち帰ってしまったのだ。凍死よりは良いかと、そのまま寝たのである。2日目、帰って来いと強要するガイドを振り切って黄山の頂上を目指して出発する。写真はネットより借用================================第7回 2026年5月7日(木)そんな事を考えていたら、陽気な30男のガイドが帰って来た。ロープウエーのチケットを買って来たらしい。いくらか忘れたが、結構高かったと思う。こんな高いロープウエーに、低所得の中国人が良く乗れるものだと、思った位であったから、マフラーと毛糸の帽子より高かったのではないか?このロープウエー、時期によっては、大変な混雑で、2時間、3時間待ちの時もあるそうである。この日は、人は沢山いたが、混雑という程の事はない。ガイドが、中年ご夫妻に何か話していた。その後、ガイドと別れて、中年ご夫妻と3人でロープウエーに乗る。ロープウエーは数十人も乗れる大きなものだ。窓からのぞくと、ずっと下の方に見える石段を大きな荷物を背負った人達が歩いている。強力のようだ。荷物を持たない人も歩いているので、ロープウエーのお金を支払いたくない人達は、歩いて登るのであろう。お金に関係なく、体力と時間があれば、歩いて登った方が、感動も大きいのであるが・・・。ロープウエーは、約8分ほどで、頂上駅へ着いた。高低差は、770mだそうである。この頂上駅は既に、1600mの高さである。黄山の頂上へ着いた。駅の裏手へ廻ると、そこには、鋭く切れ込んだ谷が見える。う~ん、仲々の絶景である。規模が大きい。そこで、気付いた。ずっと谷底まで見える、と言う事は、雨ではない。霧でもない。そう! 好天なのである。あれだけ、雨だと騒いでいた今朝までの、ガイドのお姉さんの予想は外れた。いつも清く正しく生きている、われの誠心誠意が、中国の天気にも分かるのであろうか? 兎に角、上を見上げれば、真っ青な空だ。気持ちいい。あれ程、寒かったロープウエーの下の雪谷寺駅よりも、800m弱、高いここの方が寒さは和らいでいる。日当たりの良い、建屋に寄りかかり、空を見上げて、空想に耽っていると、中年旦那の方が、携帯電話で、怒鳴っている。頂上へついてから10分ほど過ぎていた。陽気なガイドが仲々来ない。中年旦那は、10分置き位で、携帯電話を取り出して、怒鳴っている。婦人は苦笑している。どうも、ガイドに電話しているらしい。 「遅い!」、と。かれこれ、6~7回ほど、電話した頃、即ち、頂上駅についてから、1時間以上過ぎた頃、陽気な30男のガイドが、華やいだ声に囲まれて、陽気にやって来た。それを目ざとく見つけた中年旦那、物凄い勢いで、ガイドに何か言っている。ガイドも負けじと何か言っている。怒鳴りあっている。われは、関わりたくないので、関心は持ちつつも相変わらず空を見ていた。一頻り、大きな声で怒鳴りあいをしていたが、殴り合いまで進まず、どっちが折れたのかも不明なまま、その騒動は治まった。横目で眺めていた限り、どちらも謝ったような言動には見えなかった。不思議であるが、結構このような場面を見る事は多い。ガイドがわれを呼ぶ。ガイドの後ろに、うら若き女性、4名がついていた。この若き女性を連れて来る為に、1時間以上、中年ご夫妻と、われは、頂上駅で待たされた模様である。ん? と言う事は、本日と明日、二日間、中年ご夫妻と歩き回るのか、と思っていたのに、うら若き女性、4名と、一緒に歩くことになるのか? 天気晴朗、美しき自然、うら若き女性、それも4人も!こりゃー、天はいつもわれに味方してるわい。「谷の方より、いとうら若き声に、はるかにながめ鳴きたり」、と言う何とか日記の一節を思い出した。蜻蛉日記だったか?==================================
2026.05.07
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2026年5月05日(火)2007年12月21日(金) タイズのホテルアブドラ・アリ。ザビードから、ずっと一緒だった親切な、タイズ人です。しかし、アブドラ・アリ、ありふれた名前ですねー! 日本の山田さんより、多いのではないでしょうか? 彼に乗せて貰って、チェックインした、イエメン・ツーリズム・ホテルです。ピンクの雰囲気で、清潔です。カビール門に近く、旧市街も近くで便利です。湯船はありませんが、お湯も豊富に出て、綺麗さっぱりしました。ここに2泊でも、良かったのですが、3000リアル(1800円)と、歩き方に記載された値段より、ずいぶん値上がりしています。昨日、アブドラ・アリの知り合いのホテルは、ベッドルーム、応接間、バスルーム(湯船あり)の3部屋で、4000リアルでした。ちょっと、街へ歩いて行ける距離でなかったので断念しましたが、いわゆるスィートルームより立派でした。で、安くて良いホテルがないか探しました。そしたら、こんなメルヘンチックな、可愛いらしいホテルがありました。部屋も、どうでしょうか? 二つもベッドは要りませんが、綺麗です。部屋から、街も一望できます。金網越しなので、ちょっとぼやけたように見えます。中庭には、こんな部屋も準備されてます。ここで、シャイでも飲みながら、語るのでしょうか?これで、お値段は、2000リアル(1200円)です。ちょっと街まで、遠くなりましたが、ここに移動したのであります。僕にとっては、ここが一番、過ごし易かったホテルでした。アラブの星一番査定 → ☆☆☆☆☆ ホテルです。==============================2日間完全休養でしたが、良く眠れました。夜中に起きずに朝まで眠れたのは、6夜連続です。良く眠れるようになったのは、痙縮が無くなったせいかと思います。足の突っ張りがほんと減りました。良く眠れると子持ち良いです。昨夜は、正義のミカタを見ました。あんまり面白くなかったです。朝食です。おかず3種です。お粥、お吸い物、お茶です。3日ぶりのリハビリです。まずは集団体操です。そして立ち上がり訓練です。午前は26回ですが、アジアの星一番も、全部、26回行いました。まだ車椅子に座布団を2枚敷いて、リハビリさんに膝を押して貰い、もう一人の方に、お尻を押して貰っています。まずは、座布団を1枚に減らす事が目標ですね。次は、ベッドに寝てストレッチと筋トレです。1時間位行います。これは、効きますね。このお陰で、痙縮が減ったのかも知れません。お尻上げは気持ちだけで、尻が上がりませんね。そして、長下肢装具を付けて平行棒を歩きます。2mの平行棒を、2往復づつ3回、6往復行いました。まだ補助が必要ですね。早めに午前のリハビリが終了しましたが、お茶を準備してくれます。昼食です。子供の日だからか、ちらし寿司です。美味しかったです。午後のリハビリです。50回立ち上がり訓練を行いますが、私は、20回プラス15回で、合計35回でした。16時のおやつです。熱いコーヒーは美味しいですね。お茶より良い。理学療法士のMrtさん、アジアの星一番の本を読んでくれています。軽バンのキャンピングカーによる日本一周、日本二周目は全て読んだそうです。9冊も読んでくれました。それで、次は、四国お遍路を読みたいと言うので贈呈しました。それから、中山道歩きも読みたいとの事でしたが。まだ本にしていないのです。それで次に読みたいと言っていた、エジプト編を贈呈しました。本の出版数は、70冊を超えていますが、出版元のデジタル書房が社員もいないほど販売に力を入れておらず、アジアの星一番の本ももう10年来、売れていません。それで、読んで頂ける方なら、無料で贈呈する事にしています。PDFが読める方ならいつでも送付しますので、声をかけて下さい。夕食です。写真を撮ろうとしたら、スマホのバッテリーがありません。充電してメニューを写真に撮りました。寿司食べたいなー、と思っていました。大好きなんですね。それで、高熱を出す前に、中学の同級生に買って来て欲しいとラインで頼みました。良いですよ! と言う返事を貰ったのですが、熱が出て意識朦朧で寿司は延期になっていました。ネットで調べて見たら、ここHakuの近くのスーパーで、配達してくれるのが分かりました。一番近いのが、スーパー・フレッセイィです。寿司9巻で1200円位、配達料600円です。ベイシアはもっと安くて、寿司9巻で1100円、配達料440円です。隣のいつも何かくれるお婆さんにも買ってあげる事にしました。今週の土曜日、9日に配達して貰います。水やお菓子も発注しました。久しぶりの寿司だなー! 9ヶ月ぶりでしょうか? しかし今は何でもネットで買えますね。とっても便利です。さて美味しいかどうか?友人・知人に買って貰ってもガソリン代、手間代はかかりますから、ネットで購入した方が、友人・知人に迷惑もかけないし、合計では安いですよね。3日ぶりのリハビリでした。立ち上がり訓練も、平行棒での歩きも先週とそう変わらず出来ました。本日は、午後、歩くのは中止しましたが、少しづつ増やして、最終目標の自力で歩く事に近づけたいと思います。
2026.05.07
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2026年5月04日(月)2007年12月20日(木) タイズの民家へご招待されましたザビードで、ダッバーブに乗りましたが、タイズ行きではありませんでした。しかし、道端の暑い日差しの下で待っていますし、ダイズ行きがいつ来るかも分かりません。そのダッバーブに乗っていた客の一人が、タイズまで行くから、一緒に連れて行ってやる、と言ってくれたので、飛び乗ったのでありました。しかし、お互いが、アラビア語分からずと、英語分からずで、どうやってタイズへ行くと分かったのでしょう?僕は、タイズ! タイズ! と繰り返すしか脳がありません。多分、彼が自分を指差し、タイズと言ったのでしょう。それで、僕はタイズへ連れて行ってくれる、と理解したのだと、思います。ですから、何とも頼りない話であります。しかし、結果は、彼に従い、ダッバーブを2台乗り継いで、タイズに着いたのであります。彼は、途中、お菓子は買ってくれるし、おまけに、タイズに着いたら、家に寄って行け、と言うのであります。車があるから、ホテルまで、送ると言うのです。親切ですよねー!もう夕方の5時だったし、ホテルも決めていないし、早くチェックインしたい気持ちですが、それを伝える方法がありません。優柔不断な、僕としては、トコトコと着いていくしかありません。ここが、彼の家へ行く途中です。木の下にアバヤを着た女性と、子供が見えます。あの木に旦那さんが登って、木の実を落としているのです。そしてヤギに食べさせているのです。 のどかです。彼の家に着くと、ある部屋に招かれましたが、4名の男性が、カートを頬一杯に頬張り、雑談していました。僕はシャイをご馳走になり、雑談に加われないので、ボォーっとしていました。え? なぬ? いつもの通りだろ? ですと? 失礼な! でもね、 ボォーっとするのは、普段から得意だから、失礼でもないかな?何せ、子供の頃、言葉を話し始めるのが極端に遅くて、知恵遅れではないかと、両親や姉を心配させたと言う事実もありますので。しかし、退屈ですよ。名前を名乗りあったら、もう話すこと何もなしです。しかも、全員の名前が、アブドラ何とかって言うし、覚えきれません。仕方ないので、パソコン取り出し、サナアや、サウジ、そして時間があったので、トルコや、桂林の写真まで、見せてあげました。喜んでいましたねー。中国なんて、絶対に行くことないと思いますし。時は経ち、夜は、8時を廻りました。腹は減るし、一人でホテルへ向うには、遠すぎるし、何せ、自分がどこにいるのか分かりません。なるようにしかならんな、と心を決め、最悪は、ここに泊まってしまえば良い、と思ったのであります。しかし、その後、ようやく出かけよう、と言ってくれて、ホッとしました。車に、家族が沢山乗ります。ホテルに送る様子もなく、どこへ行くのか心配になりました。まぁ、売り飛ばされても、力仕事は出来ないし、若い女性見たいな使い方も出来ないし、あまり金になりそうもないので、そんな心配もないなー、などと、勝手に思っていました。山の中へ登って行くので、不安は増しましたが、誠実そうな人たちですし、一体、どこへ行くんじゃ? と思うだけであります。そうしたら、分かりました。友人か、親戚か、その家族が遊びに来ていたのです。その家族を送るついでに、僕もホテルへ送ろうと言うことでありました。その友人家族を送ったあと、僕が泊まろうとするホテルへ送ってくれました。値段も交渉してくれました。さらに、明日は、山へドライブに連れて行くと言うのです。僕は、本当にあり難い、お誘いなのでありますが、言葉が通じないのが、何とも歯がゆくて、丁重にお断りしました。と言うことでありまして、親切なイエメン人の、家も訪問できて、シャイも飲まして貰って、有意義な時を過ごしたのでありました。エジプトでは、絶対にありえないことが、イエメンではおきています。追記部屋の写真を撮るのを忘れてしまいました。それから、子供も女の子は、部屋に入って来ません。外人(僕のこと)が珍しいのか、何度も、何度も、部屋を覘きに来ていたのです。しかし、入って来ません。子供の頃から、男性と女性の居間は、別々なんですね。イスラム世界を、ちょっとだけ、垣間見た感じです。==============================今朝も早く起きました。休みだと思うと寝不足でもいいや、と思ってしまうのですね。早起きなので朝食まで時間があります。それで、昨日貰ったおやつを食べます。麦茶も飲みます。朝食の時間になりました。おかず3種です。お粥、味噌汁、お茶です。あんまりにもお粥が少な過ぎるので、次回からもっと量を増やして欲しいと、介護士さんにお願いしました。Akbさんから頂いた、ふりかけです。納豆が終わったので、ふりかけにしました。う~ん、仲々、美味しいですね。施設のおかずが要らない位です。朝食後は、ずっと小説を書いています。チェンマイに佇む男達、寺本悠介の場合、です。もう連載200回を超えました。この小説の主題は、結婚しない男、なのです。コーヒーを飲みながら、書いています。寺本悠介は、背は低いのですが女性にはもてます。しかし何故、結婚しないのか、その辺りをそろそろ書かねばなりません。小説としては、佳境に入る時なので力が入ります。1回分は書き上げて、投稿しました。引き続き書きます。昼食です。おかすは4種です。お粥にお吸い物、お茶です。お粥の量、増えたかなー?午後は、黄山紀行を編集しています。Akbさんから頂いた、焼きチーズを食べながらです。これ美味しいですねー! 最高に美味しいです。これでビールでも飲めれば良いのですが・・・。黄山紀行、1回分は編集完了しました。第7回を投稿しました。夕食です。おかず4種です。ちょっとピンボケですね。お粥、お吸い物、お茶です。お粥はほんの少しだけ多くなりました。昨日、今日と、ディサービスは休みで完全休養日でした。本日は、午前中から午後も含めて執筆活動に精を出しました。寺本悠介の場合も、進みました。新しい彼女とのお付き合いを始めるのですが、100%心から愛せる状況でなく問題があるのです。その辺りの心の動きを書き表せればいいのですが、難しいです。黄山紀行は、書かれた元の資料があるので、見直して編集するだけなので、簡単です。丸2日間、完全休養でした。休養で身体が弱ったのか、強くなったのか分かりません。しかし痙縮(突っ張り)は、かなり減りました。薬のせいかストレッチのせいか分かりません。ですが有難い事です。もう5晩、痙縮で起こされる事なく、夜中の体勢の入れ替えもありません。熟睡とまで言えなくても、朝まで眠れます。
2026.05.06
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2026年5月03日(日)2007年12月20日(木) ザビードからタイズへザビードが良かったら、1泊しても良いかな? と思っていましたが、2時間で、充分でありました。ここから、コーハ、そしてコーヒーで有名なモカへ行くのも、旅程案にありましたが、世界遺産のザビードがこの程度なので、紹介文の少ないコーハ、紹介文が全くないモカへは、行かず、そのままタイズへ行くことにしました。ザビード周辺は、このような景色で、平坦で気温も高いです。しかし、しばらく行くと、道は平坦ですが、左手に山が見えて来ます。何の目的か、道路脇に、草? をこのようにしてありました。途中の小さな町です。ダッバーブは、相変わらずギューギュー詰め。別にこれが普通の状態なので、乗客で文句言う人なんかいません。楽しそうに、写真撮ってくれ、と言います。 どうですか? 嬉しそうでしょう? ぎゅうぎゅう詰めです。でも喜んでいます。皆さん、あっち見て、写真撮れ!そっち見て、写真撮れ! って言いますので、落ち着いて、居眠りも出来ません。まぁ、親切で言ってくれるので、撮らなければ悪いと思って、パチパチと撮りましたが、後で、消去しましたです。言葉も通じないのに、何かと、話かけて来ます。イエメン人は、気さくですよねー。又、小さな町を通過しました。こんな平原の中に、草で作ったテント状のものが作ってあります。そう言うところで、ダッバーブを降りる人もいました。何してんでしょうねー? 言葉が通じないので、確認のしようもありません。これは炭です。薪を、野積みしてあるのを、沢山見ました。何だろうなー? と思っていたら、乗客が指差し、何とか言うので野積みの炭焼きをしているのであると、分かりました。アル・マフラックと言う街を過ぎて、右へ曲がれば、モカです。左へ曲がり、山道となります。今にも止まりそうに、ゼイゼイしながら、車は走ります。もうすぐ、タイズです。==============================今朝も早起きしました。食事のお粥が少ないのでお腹が空きます。朝も早いのに、お菓子を食べます。朝食です。おかず3種です。納豆を食べるのでおかずは不要ですが、お粥を食べた後、全部食べます。お粥に味噌汁、お茶です。隣のおばあさんに海苔を頂いています。納豆を2回上げただけなのに、いつも貰って申し訳ないです。納豆です、Tkeさんから頂いた納豆、これが最後の1箱です。朝食後部屋に戻りゆったりしながらコーヒーを飲んでいます。昨日、五十嵐淳子さんが急死したとのニュースを見て、亡くなった方を思い出します。チェンマイ仲間でよく一緒にゴルフをさせて頂いた方が、2年前でしたか新年のご挨拶を受信しました、毎年送ってくれている方です。Doiさんと言います。そのメールでは、第二の人生について熱く語っていました。しかしその2週間後位でしょうか。脳梗塞により倒れその2日後位に亡くなってしまいました。チェンマイでお葬式に参列しましたが、奥様が挨拶でやりたい事をやって来て、文字通りピンピンころりだったので、人生悔いなしでしょう、と言う言葉が印象的でした。人間の命は儚いなー、と思いましたです。氷川餅も食べました。もうお一人は、チェンマイのタイ語クラスでお会いし、その後、ずっとお付き合いして頂いた方です。Yutakaさんと言います。ご夫妻は仲良くていつも一緒でした。元気で活動していました。それが、2022年1月の夜、腹が痛くて我慢できないと言う事で緊急入院し即日手術しました。退院してからカフェでお会いしたのですが、元気でした。そして、その年の6月、軽バン車泊の旅、日本2周目で、北海道へ行った時、富良野でお会いし、お元気な姿を拝見しました。北海道車泊の旅を完了し、私はチェンマイへ戻りました、Yutakaご夫妻もチェンマイへ来られたので、2022年11月、私の住むベランダキッチンへご招待し、食事をご一緒しました。この時も病気の影すら見えず元気でした。これがベランダキッチンの炊事用具です。もう1年住んでいませんが、今もこのように保管されているはずです。下手くそな料理ですが、8種類位準備したのですよ。煮物などは前日から煮込みました。頑張って食べてくれましたが、ずいぶんと余ってしまいました。それから半年、翌年の5月、胃がんが再発転移したとの事で、余命数ヶ月と診断されてしまいました。そして診断通り、9月に天国へ旅立ちました。Yutakaさんは、山のガイドもやっており、南米へ半年も行っていたとかツワモノなんです。南米なんて一人で旅するにしてもバスの手配や食事など大変なんです。それを10名以上引き連れてのガイドですから凄い事なんですよ。でもYutakaさんか寡黙な方で、そんな自慢話は一切せず、知り合ってからかなり経ってから、奥様に教えて貰いました。奥様の話では、一切悔やんだ話などせず、楽しい人生だったと語って黙して息を引き取ったとの事でした。まだまだ、一緒に食事したり温泉へでも行きたかったのに、残念な方を亡くしてしまいました。昼食です。おかず4種です。お粥、味噌汁、お茶です。作業があるので食堂に来ました。コーヒーも買って来ましたぞ。介護保険の申請書を作成しました。これに医師の診断書が届いたら、介護保険証のコピーを取って、PGF生命へ送り返します。時間がかかりますね。医師の診断書の届くのが、今月中旬なりそうなので、まだ入金まで、1ヶ月以上かかりそうです。日曜日のおやつです。もうコーヒーは飲んだし、お菓子も食べたので、お菓子だけ部屋に持ち帰りました。夕食です。すき焼き、卵焼き、茄子焼き、豆です。お粥にお茶に、う? これは何でしょう? 大きな油揚げが乗っていますぞ?カップうどんですねー! 隣のおばあさんがくれたのです。美味いですなー!こう言ううどんを出して欲しいですよ。こんな美味しいカップ麺は、レバノンで食べたインスタントラーメン以来でしょうか? あの時も美味しくて、2杯も食べて腹壊しました。1杯にしといて丁度良いですね。おばあさん、ありがとう。いつも貰ってばかりです。本日は日曜日、ディサービスも休みで、何にもない1日でした。自主トレもしないで、完全休養日で、人生なんぞを考えていました。近い友人の死を思い起しました。まだまだお付き合いしたい人は多数ですが、限りある人生ですね。「人生、産まれて、生きて、死ぬ。」あと、何年生きられるか分かりませんが、お迎えが来るまで、しっかり生きましょう。あぁ、そうだ、親戚関係の人とライン電話したので、「貴女と結婚出来たのが、一番幸せだった。」と伝えました。そしたら、「そう言う事は、男は黙っているものだ。」と言われました。そんな彼女だったので、自由にあちこち行かせて貰えたのです。感謝ですね「30年も別居生活だったからね。」、とも言われました。面目ない。世界を駆け巡っていたので、一緒に生活する暇がなかったのです。。
2026.05.05
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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。一方、美枝子は玉の輿と言える結婚する事になった。3月末、悠介は就職したが、実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属され社会人生活が始まったが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調である。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。何とか彼女を誘い赤城山、伊香保温泉の旅にでる。写真はネットより借用================================第201回 2026年5月4日(月)松林を歩いているがどこに朔太郎の詩碑があるのか分からない。前方に悠介たちと同じようなカップルが歩いて来た。「すみません、萩原朔太郎の碑があるのはどっちの方ですか?」悠介が聞く。カップルは地元の方らしく、指差しで丁寧に教えてくれた。教えて貰った通りしばらく歩くと、舗装はされていないが、大きな道に出た。その端に石の詩碑があった。悠介と千恵子はそこで足を止めた。悠介は、その文字をゆっくりと読み上げる。「わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けり。ひとり車窓に目醒むれば 汽笛は闇に吠え叫び 火焔は平野を明るくせり。まだ上州の山は見えずや」声は低く、静かに松林の中へ溶けていった。千恵子はその言葉を黙って聞いていた。やがて、ぽつりと言う。「帰る場所があるって、いいね。」「そうかも知れないけど、朔太郎は、色んな問題を抱えて、故郷の前橋へ帰るんだ。故郷への複雑な感情と、敗北感の中の詩らしい。」「ふ~ん、そうなの。」「まぁ、詩人の複雑な心境は良く分からないけどね。」二人はしばらくその場に立ち、やがてまた歩き出す。松林を抜けると、明るい芝生が広がり、子どもたちの声が風に乗って聞こえてきた。芝生の端に腰を下ろす。「ねえ。」千恵子が言う。「ん?」「60時間の旅、その2、決めようよ。」悠介は少し考え、ふっと笑った。「じゃあ……温泉つながりで、もう少し奥に行くか。」「奥?」「日光の山の中に、「八丁の湯」っていう温泉がある。車を途中で置いて、少し歩いて入る秘湯だ。」千恵子の目が少し大きくなる。「歩くの?」「もっと歩くなら、車じゃーなくて汽車で行き、日光駅からバスに乗って金精峠で降りる。そこから山の中を歩いて八丁の湯に行ける。たぶん、6~7時間かかるんじゃーないかな。」「そんなに? 私歩けるかなー?」「まだ若いんだ。少し頑張れば歩けるよ。それに、そんなに大変じゃない。山道だけど、整備されているらしい。宿まで着けば川沿いで、露天風呂がすごくいいって。」「いいねー、なんか、冒険したみたいで、それで温泉って。」「60時間の旅、その2は、少しだけ不便で、少しだけ遠い場所の方がいい気がする。」千恵子は嬉しそうに笑って言った。「じゃあ、八丁の湯に決定。」「良いよ、決まりだな。」風が吹き、芝生がわずかに揺れる。さっき読んだ詩の余韻が、まだどこかに残っている。やがて二人は立ち上がり、公園の出口へと向かって歩き出す。来たときよりも、足取りはどこか軽い。車に戻ると、日差しは少し傾き始めていた。エンジンをかける。「鹿沼に帰るか。」車はゆっくりと敷島公園を後にした。伊香保から続いた時間は、まだ終わっていない。むしろ、新しい約束を得て、静かに広がり始めていた。車は国道をゆっくりと走った。急ぐ旅でもない。「ここって国道?」「あぁ、国道17号線だ。」「ずっと国道を走って行くの?」「そうだね、国道だけど、もうじき国道50号線に入る。」「詳しいのね。」「詳しくはないよ。一応地図で調べているからね。大体頭に入っている。」車は順調に走っているが、もう昼食時間に近い。「佐野ラーメン食べたいけど、佐野はまだ遠い。昼食が遅くなってしまうから桐生で食べて行こうか?」「うん、どこでも良いよ。」悠介は、桐生市の入口付近で、車を止めて道行く人に桐生市で昼食を食べるならばどこが良いか聞いた。4~5人に聞いたであろうか。ソースカツ丼の店を教えて貰った。ソースカツ丼は桐生市のソウルフードらしい。「桐生のソウルフードってソースカツ丼らしい。」「ソウルフードって何?」「う~ん、簡単に言えば郷土料理じゃーないかな。心のよりどころとなる郷土料理って言ったら良いのかな。」「分かりました。ありがとう。そのソウルフードのカツ丼を食べましょう。」教えて貰った道を走った。目印の看板の所を国道から外れて左へ曲がった。そして暫く走ったら、目指すお店が見つかった。藤屋食堂と言うお店である。=================================
2026.05.04
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2026年5月2日(土)2007年12月20日(木) 登録抹消せよ? 世界遺産のザビードこの世界遺産も、ほんとかよー! って言いたい遺産でありました。エジプト、アレキサンドリアから行く、世界遺産のアブ・ミーナーは、ほんとに誰もいませんでした。しかし、瓦礫の山の中に、それらしき、遺跡があり、だれ~もいない、世界遺産も良いもんだ、と、お伝えしました。ここザビード。どこが世界遺産なのか、良く分かりません。ダッバーブ(乗合バス)から降りて、聞きながら、歩いて行きますと、こんな門がありました。さらに歩いて、右へ曲がると、街の中心の広場らしき場所に出ました。広場ですが、広場です。単なる広場です。やっぱり広場です。何にもありません。ちっちゃなお店があったので、コーラ1本、20円で買って、飲みながらイスカンダル・モスクと、ナセル城は、どこか訪ねたところ、そっちに見えると指差しました。ありました。この裏に、歴史博物館があります。このモスクや、博物館の反対側(広場方面へ戻る)に街はあります。暫く、迷路のような小路を歩くと、アル・アシャエル・モスクがありました。そして、街の風景です。この建物が、ザビード様式と呼ばれており、独特らしいです。小さなレンガを積み重ねていますが、一つ一つのレンガの形をそのまま見せる外観が、特徴と言いますが、何が独特なのか分かりません。子供は、イエメンらしく、写真に撮られるのが好きです。ザビードは、イスラムの大学都市だったと言うことです。1970年代の初めまで、ラマダン期間は、サナアでなく、ザビードで判断されていたし、カイロのアル・アズハル大学の開設時には、この街から、教授陣が派遣されたほどであるそうです。因みに、カイロの、アル・アズハル大学は、イスラムの一つの宗派の総本山と言う位置にあるらしいです。詳しいことは忘れました。すいません・・・。そう言われても、ピンと来ませんが・・・。と言うことでありまして、ザビードは、残念ながら、世界遺産の中では、エジプトのアブ・ミーナーのその下で、最低ランクとしました。ゴメンなさいね、「ザビード」さん!でも、こうやって、も一回写真でみると、雰囲気はありますよね?アブ・ミーナーは、廃墟でしたが、ここザビードは、今も、以前と同じように、人々が住んでいますので、そのまま維持するのも大変なのでしょう。==============================今朝は3時半に目が覚めて起きてしまいました。朝食前にもう一度寝ようと思っていましたが眠くならなくなり、睡眠時間は6時間です。少し足りないですね。体操の時に居眠りがでそうです。冷えた麦茶を飲みながら、お菓子を食べました。朝食です。おかず3種です。卵焼きに何の野菜か分かりません。お粥、味噌汁、お茶です。納豆です。賞味期限が切れてしまうので、隣のおばあさんに1個、上げました。そしたら海苔をくれました。海苔も美味しいですね。9時20分から午前のリハビリです。まずは全員で集団体操です。本日は、ディサービスの人がたった2名しか来なかったそうで、人数が少ないです。次は立ち上がり訓練です。皆さんは26回行いますが、病後の私は、21回のみ行いました。その後スクラッチと、筋トレでほぼ1時間ですが、体幹が悪くなっています。ベッドに座っていて倒れてしまいました。このストレッチと筋トレは、自分の身体の状況もある程度分かるし毎度ながら、有効であると思います。少し休んで平行棒の歩行訓練を行いました。昨日は2mの平行棒を恐々、5往復しました。本日は、少し安定して6往復でした。2往復づつ3回でしたが、帰りは疲れます。足の動きが悪くなります。しかし、Tktさんからも言われましたが、高熱前には戻っていないが、そんなに悪くないとの事です。自分でもそう思います。昼食です。おかず3種類と、デザートです。お粥、味噌汁、お茶です。午後のリハビリです。14時から立ち上がり訓練です。皆さんは50回連続行いますが、アジアの星一番は、15回やって休み、15回で、合計30回立ち上がりました。次は集合体操です。若いMorさんがリーダーでやってくれました。3月にHakuに来たと言うので、まだ2ヶ月ですね。でも他の施設で経験があるので全くの新人ではありません。30分みっちり行いました。良い運動になります。リハビリ後のおやつです。ですがこれが出されるのは16時過ぎ。皆さんがリクリエーションを行った後なんです。アジアの星一番は、リハビリには参加しますが、リクリエーションには参加しません。それで、15時で一旦、部屋に帰り、16時過ぎに又、降りて行かねばならないのです。ちと面倒ですね。夕食です。おかず4種あります。隣に座る91歳のおばあさん、経験豊富です。ご主人は13年前に亡くなったそうです。農家だったそうですが、野菜を作ったりシイタケを作ったりして、直売所で売っていたそうです。もう人生を達観していて、お迎えが来るまで楽しく暮らしますよ、と言っています。テレビにも出たと言います。毒蝮三太夫が家に来たと言いますから、結構有名なテレビに出たのですね。お粥に味噌汁にお茶です。部屋に帰ってパソコンをやっていると唇が寂しいです。麦茶は飲むのですが、お茶うけに茎わかめを食べながら行っています。Tkeさんから頂いたものです。まだ沢山あります。良い物を頂きました。中村雅俊さんの妻、五十嵐淳子さんが急病で亡くなられたとの事です。73歳だったようですから、私より3歳も若いです。同年代の方が亡くなると死が身近に感じますね。病名は公表されていないようですが、急病と言う事ですから長い期間臥せっていたのではないのでしょう。中村雅俊さんも恋女房を亡くして力を落としている事でしょう。お悔やみ申し上げます。写真はネットより借用。
2026.05.04
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2026年5月月1日(金)2007年12月20日(木) ホデイダから世界遺産の町 ザビードへ やさしい、ダッバーブの運転手兄弟に送って貰い、長距離乗合バスに乗ることが出来ました。10時15分出発です。町並みを抜けると、こんな風景で、サウジとあまり代わり映えしません。長距離ダッバーブは、いつも満席以上です。混み合い率150%です。それだけ、集まらないと、出発しません。道路状況は悪くありません。乗客さん、写真撮ってくれって言うのですよねー。代わりに、たくさん持っていた、カートをくれるって言うのですが。要りませんよ! そんな葉っぱ。ちょっと噛んで見ましたが、うまくも何ともありません。このおじさんも、撮ってくれと、大騒ぎです。そんなに写真撮りたいのですかねー? 因みに、写真は、ソーラってアラビア語で言うようです。始め、日本語知っているのかなー? と、空を見ました。 が、???「ソーラ、ソーラ」ってしつっこいから、「エンヤトット! エンヤトット!」と合いの手を入れて見ましたが、無視されました。(嘘です。)そしたら、ソーラって写真の事なんですねー! こう言う覚え方の単語は、忘れませんよー、きっと。天然健忘症の、わ・た・く・し、でも。そんなことで、飽きもせず、11時55分、1時間40分で、世界遺産の街ザビートに着きました。==============================全く良く眠れました。昨日からその傾向はあり、昼と夜の逆転現象は解消されたようです。8時間近く、介護士さんも呼ばず眠れました。リハビリも再開され、睡眠も通常に戻り、あとは粛々とリハビリを行い出来る事を一つづつ増やして行きたいと願います。朝食です。おかず3種です。お粥、お吸い物、お茶です。納豆です。Tkeさんに頂いた納豆ですが、高熱で食べられなかったもので正味期限が切れそうです。隣のおばあちゃんに1個上げました。明後日には食べ切らないと。9時20分から午前のリハビリです。まずは集団体操です。始めにお話があるのですが、その時に居眠りしてしまいました。その後立ち上がり訓練です。15回プラス6回で、21回行いました。昨日は、10回しか出来なかったので、少し快復しました。その後、ストレッチと筋トレです。ストレッチは片足10分ずつ、合計20分、筋トレは、30分弱でしょう? この時間は重要ですね、あまり動かさない、歩くに必要な部分を鍛えて貰いますので。長下肢装具を付けて、歩行器で歩いて見ました。1週間ぶり以上でしょうか? 何とか立つ事は出来ました。そして補助をして貰いながら、2mの歩行器を歩きました。疲れます。1往復して休み、その後2往復を2回しました。最後の方は足が動きません。それで5往復で中止にしました。急にやり過ぎは良くないでしょう。まだ介助なしでは歩けません。高熱が出る前は、6mの平行棒を介助なしで何往復もしました。いつそこまで回復出来るでしょうか?昼食です。メインは煮魚です。赤飯のお粥、お吸い物、お茶です。味噌汁が出ないですねー。午後のリハビリです。立ち上がり訓練です。皆さんは連続50回の立ち上がりを行います。アジアの星一番は、15回で休み、5回で休みそして5回の合計25回行いました。まだ駄目ですが、よく頑張りました。次は集団体操です。腕、上半身、下半身、足と満遍なく行います。全部で30分位でしょうか。良い運動になります。午前、午後と参加しました。この後、皆さんはリクリエーションで、アジアの星一番のみ、別れて歩きの訓練を行いますが、Tktさんの判断で、本日は中止にしましょうとの事です。勿論、私も同意です。やり過ぎは良くないです。実は、Tktさんはご夫妻で理学療法士さんです。どちらか分からないので、今後、奥様は、Junさんと呼びます。本日は、Junさんが仕切ってくれました。15時で本日のイベントは終了しました。大した事はしていませんが、1日のイベントが終了するとホッとしますね。自販機で、コーヒーを買って来ました。コーヒーを準備してくれるのは16時過ぎなんで、時間があいません。義姉に頂いたケーキがまだ冷蔵庫にありました。美味しく頂きましたぞ。夕食です。メインは野菜炒めでした。美味しかったです。お粥に味噌汁にお茶です。16時過ぎのおやつですが食べに行かなかったので、夕食に付けてくれました。デザートです。美味しかったです。毎回出して欲しいです。今、どこへ行きたい? と聞かれれば、温泉、と答えたい。温泉にゆったり浸り、身体を温めて、ビールを飲みたいです。では、どこの温泉へ行きたいか? と問われれば、かなり迷いますが、チェンマイ郊外のドイサケット温泉でしょうか。サンカンペーン温泉でも良いのですが、個室の湯船が小さいのです。一人でも肩まで何とか浸れる程度です。チェンマイ郊外に沢山温泉はありますが、個室の湯船でゆったり出来るのは、ドイサケット温泉が一番でしょう。個室の湯船には、二人でも入れる広さです。窓の外には牛が草を食んでいます。大浴場は概ね湯音が低いのが多いです。湯音の調整も難しいです。その点、ドイサケット温泉は、自分で湯音を調整出来ます。ですので、最高なんですね。お値段も高くないです。たったの70バーツ=350円です。難点は、チェンマイからの交通手段です。ドイサケット温泉へ直通で行くソンテゥがないのですね。それでいつもFkdさんの車に乗せて行って貰っていました。しかし、Fkdさんはチェンマイを引き払い、完全帰国してしまっています。ですので、歩けるようになってチェンマイへ行っても、ドイサケット温泉へは簡単に行けません。それから、好きで何十回も行ったのが、パーイ温泉です。1回1週間以上滞在し、午前の温泉、午後も温泉、途中で見晴らしの良いカフェでコーヒーを飲んだり、夜は安い食堂でビールを飲みながら食べて、毎日を過ごします。それは良い町だったのです。それが、大量のファラン(白人)が訪れるようになり、レンタルバイクも貸切で借りられなくなり、宿代も2倍以上に値上がりし、ゆったり出来なくなりました。残念ですねー。もう行く気が失せています。ですが、知り合いのクンターさんは、パーイに住んでいます。仲々、行けませんが、世界で一番良いと思う温泉は、ホンジュラスにあります。中米ですね。コパン遺跡と言う世界遺産のある町です。そこからこんな道があるのかと言うデコボコ道を20Km程走った所に突然ある温泉です。定期便などはありません。ツゥクツゥクを探して値段交渉して妥結せねば行けません。尾てい骨が割れはしないかと腰を上げたり下げたりしながら着いたら、入場料を支払い、つり橋のような橋を渡って行くと森の斜面が出て来ます。そこが巨大な温泉群で、露天風呂が多数あるのです。一番上は、温度が100℃に近く白い湯けむりがもうもうとしています。その下流に、湯音の異なる露天風呂が沢山あるのです。そんな田舎ですから客は誰もいません。貸切です。良いですなー!最高の露天風呂です。温泉の滝打ちもあります。こんな温泉は世界広しと言えどもここしかないでしょう。お薦めです。トルコのパムッカレの温泉が良いと聞いて行きましたが、単なる温泉プールのようなもので、全く駄目です。マチュピチュ遺跡の麓のマチュピチュ村にも温泉はありました。しかしここも温泉プールでした。まぁまぁ、良かったのは、ハンガリーの、ブダペストの温泉でしょうか。川の辺のルダッシュ温泉です。ふんどしのようなのは貸してくれます。大きな温泉でゆったり出来ます。ビールを飲んだり食事をしたり、1日ゆったり出来ます。そうそう、忘れていました。ボルネオ島、サバ州にある富士山より高いキナバル山、そこへ登って降りて来たら入りたいのが、ポーリン温泉です。個室浴場があり、ゆったり出来るのです。温泉ではないのですが、ノルウェーの広大なフィヨルドが一望出来る浴槽も良かったです。ゆったりのんびりフィヨルドを見ながら湯船に浸りました。こう書いていると思い出しますなー。トルコのマルマリスから行く泥温泉、ここも面白かったです。泥の温泉なんですよ。日本ならばもう一度行きたいのが、奥鬼怒温泉郷の八丁の湯です。山を登って降りて6~7時間ほど歩くと、温泉郷が出て来るのです。ここの露天風呂も最高ですね。ここは、小説・寺本悠介の場合で、詳しく書こうと思っています。長々と書きましたなー。はてさて、ドイサケット温泉へ行ける時が来るでしょうか? 行きたいですなー! 皆さんは、どんな温泉がお薦めでしょうか? 教えて頂けると有難いです。写真はネットより借用
2026.05.03
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうに寒いオンボロバスに乗って杭州から黄山の麓の宿に意識朦朧となりながら到着。酷いホテルの部屋を治して貰ってこれまた寒いレストランで食事、その後マッサージの部屋に行った。1時間たっぷり足を揉んで貰ったが、しかしここはマッサージ兼置屋のようで誘われたが早々に立ち去った。部屋へ帰ると暑い。従業員が30℃に設定して、リモコンは持ち帰ってしまったのだ。凍死よりは良いかと、そのまま寝たのである。2日目、帰って来いと強要するガイドを振り切って黄山の頂上を目指して出発する。写真はネットより借用================================第6回 2026年5月2日(土)ヨーロッパや、東南アジアの建造物も、少なからず見て来ましたし、感動もしましたが、この万里の長城は、それらと、ちと違うのであります。単純なのです。粗雑でもあります。しかしながら、こんな単純なものを、千年を超える年月をかけて作り続けた、その馬鹿さ加減と言うか、根気強さと言うのか、標準的な日本人の僕には、全く理解を超える代物なのであります。一度、足腰が元気な間に、訪れる事をお勧めします。しかも行くだけでは駄目で、最低、30分は、長城を歩く事をお勧めします。出来れば、半日ほど、歩いて、そして、もう半日で戻って来られたら、いわゆる万里の長城をもっと味わうことが出来るのではないかと思います。と言う事で、万里の長城と並び賞されている、黄山は、中国3大美景に入るところであり、絶対に行くべき場所であろうと思ったのです。富士山の麓に泊まるのと、頂上に泊まるのでは、こりゃー、大差があるのは、誰にでもお分かりと思います。それで、頂上に泊まる事に、仮に大雨であっても、泊まりたいと拘ったのであります。さて、当日の朝、8時集合と言うのに、7時50分になると、呼びに来る。慌てて出て行くと、既に小型オンボロ車は満員。16人乗りに、20人ほど乗っている。われも時間には3分前精神を守り続ける人間であると自負していたが、中国人の10分前には負けた。呼びに来たのが10分前だから、全員が集まったのはもっと前に違いない。20分前には、全員が集合していたのかも。1000年以上の年月をかけて長城を作った中国人と、こんなに慌てて集合する中国人が、同じなのか不思議な気がする。全くの推定、想像なのであるが、どうもこの人達は、太陽と共に生きている方々ではないか、と思った。暗くなれば眠り、明るくなれば起きる、従って、朝は早く起きてしまって、集合時間まで、行なう事もなく、待ちきれずにバスに乗っていた。違うかなー? 遅く行ったガイドと僕の椅子はなし、ガイドは、入口のドアにへばりついている。僕には、昔の日本の風呂で使うような木の椅子をくれた。下駄をでかくしたような、代物である。これを通路に置いて据わるのだ。大人数乗るためには、便利だと感心したが、山道を曲がる度に、右に左に揺れて困った。隣のおじさんと接触すること、多数。隣のおじさん知らん顔、こちらは嫌がる。頬がくっつきそうになった時は、風呂的椅子が倒れても、それだけは避けようとした次第なのであります。もう「これって、本当に豪華等なのかなー?」、と疑心暗鬼。だって、昨日も今日も、オンボロバスだし、乗っている人達もどう見ても、豪華等のツアーに参加したように思えない。そのオンボロバスで、隣のおじさんに接触しないよう、足を踏ん張り、手で、左右の椅子の背もたれを掴んで、耐えること、20分弱、バス停に着いた。沢山の人がいる。ガイドが帽子を配る。同じオンボロバスに乗った人達は別のグループらしい。帽子の色が違うのだ。同じ帽子の色の人は自分を入れてわずか3人。品の良い中年の中国人ご夫妻と、よくしゃべる30歳前後の男性ガイド4名で、ロープウェイ駅に向かって歩く。しばらく歩くと、お店が並んでいる。マフラーとか毛糸の帽子も売っていた。そのお店の前を通り過ぎて左手に曲がると、ロープウェイの駅があった。雪谷寺駅である。そこで、ガイドは待っていろ、と言ってどこかへ行く。寒い、物凄く寒い。寒くて耳が痛くなる。中国婦人は準備良く、マフラーを取り出し、頭から首に巻く。僕は堪え切れず、先ほどのお店通りへ戻り、マフラーと毛糸の帽子を購入。58元也。暫く待ってもガイドが来ない。寒いなー、と思いつつ、前から何の違いがあるのか不思議であった事を思う。ロープウェイと、ケーブルカーの違いだ。調べて見ると、ロープウェーとは、「鋼索で運搬機を吊るし、旅客・貨物・鉱石などを運搬する設備。主に山岳地方で用いる。空中ケーブル。架空索道。」ケーブルカーとは、「軌道に沿って移動する鋼索によって運転する鉄道。鋼索鉄道。俗にロープウェーを含めることがある。」何か良く分からんが、あまり変わりない、ま、どっちでも良いと言うことか、悩んで損した。因みにリフトは、「架空ケーブルに、椅子を吊るした登山用装置」。であるから、こちらは、ちょっと違う。==================================
2026.05.02
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2026年4月30日(木)2007年12月20日(木) ホデイダ ジ~ンと来る良い話しホテルをチェックアウトし、ダッバーブ(乗合バス)に乗って、世界遺産の街ザビードへ行く、長距離バス停まで行きます。このダッバーブは、どこでも止まり、どこでも降ろしてくれるので、慣れれば非常に便利です。価格も20YR(12円程度)です。ホテルの前から、乗りました。ホテルのフロントのおっちゃんに、予め、アラビア語で、行き先と、バス乗り場の住所を書いて貰っております。イエメンは、英語が仲々、通じません。運転手と、助手席で、集金をしている二人は、兄弟のようです。僕の他に、何名か、乗っていましたが、段々と降りて、僕一人になりました。ホデイダのメインストリートを、ザビード方面へ走っていたのですが、途中、Uターンして、戻り始めました。「おいおい、分かっているのか?」、と、又、メモ用紙を見せました。頷いています。すぐに、左へ曲がり、そしてさらに左へ曲がりました。そしたら、バス乗り場に着いたのです。親切ですよねー! わざわざ、メイン道路から外れている、乗り場まで連れて行ってくれるのですから。しかし、驚いたのは、これからなんです。この道、狭いのと、後ろから、車が来るので、お金を支払う時間もなく、慌てて降りました。しかし、この親切な兄弟に、乗り逃げは出来ません。バックパックを背負い、エッチラ、オッチラ、車を追いかけます。兄弟のダッバーブは止まりました。普通、20YRだと聞いていましたが、50YRを渡そうとすると、な、なんと、「要らない!」って素振りなのです。無理に渡そうとしましたが、にっこり笑って、手を振りながら、行ってしまいました。 何ででしょう? どうしてでしょう?分かりません。旅行者に対する、親切なのでしょうか?よっぽど、僕が、貧乏人のフィリピン人にでも、見えたのでしょうか?お金持ちには見えませんよー。彼らも。まぁ、何れに致しましても、感謝せねばなりません。この兄弟、ご家族に、アッラーの、ご加護あれ! と祈りましたです。==============================頭が痒いです。もう1週間も風呂に入っていません。身体中も痒いです。点滴も終了したし、本日風呂に入らせて欲しいとHsk主任にお願いしました。でも入浴日でないので難しそうです。困りました、痒さに耐え切れません。こんなに頭が痒いのは、バドミントンで支柱が頭に激突、救急車で運ばれ、手術して、糸が抜けるまで、かなり長い期間、頭が洗えない時以来です。早く風呂に入ってすっきりしたいです。22時から4時まで6時間ぐっすり眠れました。もう少し眠りたいと思いましたが起きました。Facebookを見ていたら、又、眠くなって来ました。5時から寝て6時半までぐっすり。合計7時間半眠れました。これで昼夜逆転の睡眠が正常に戻るでしょうか?本日より、一から再スタートです。高熱で1週間ベッドの上ですっかり身体も弱りました。リハビリも本日より再開します。足も上半身も弱っています。焦らずじっくり頑張ります。頭は最初から弱っているので高熱のせいとも言い切れません。朝食です。昨夜に引き続き、食堂で食べます。本日より通常の生活に戻りました。お粥に味噌汁にお茶です。納豆です。熱が出て食べられなかった納豆、美味しいです。賞味期限が心配です。調べなければ。Tkeさんに頂いた貴重な納豆です。9時20分から、リハビリです。まずは集団体操です。35分位行います。足はリハビリさん位助けて貰いますが、35分全部行いました。立ち上がり訓練です。身体が弱っているんで、回数は出来ません。高熱の前は、25回+20回で、45回行っていましたが、本日は10回で止めました。それでも疲れます。ストレッチを行ってくれました。これは効く感じがします。このストレッチは必要ですね。待望の風呂です。本当は月水金が風呂の日で、明日が予定日でした。しかしもう7日も入っていません。頭の痒さは限界です。お願いして、1日早くして貰いました。無理を聞いて貰いましたが、ほんと、気持ち良いです。頭も身体も全てすっきりです。湯上りのスポーツドリンクです。美味しいです。昼食です。おかずはあまり美味しくなかったです。でもお粥にして貰ったので、おかずを食べたい物だけ食べました。午後のリハビリです。14時から始まりました。皆さんは立ち上がり訓練を50回行いました。アジアの星一番は、立ち上がりは行わず、プッシュアップを、20回行いました。少しづつ戻して行くリハビリさんの方針に賛成です。集団体操には参加し全て行いました。足は若いMorさんが手助けしてくれました。夕食です。メインは魚でしたが美味しかったです。お粥です。ご飯より食べ易いです。当面お粥にして貰いましょう。現在の写真を撮って置こうと自撮りしたものです。これを、もう終わりに近い「去り行く人生」と、見るか、今後も続く「豊かな老後」と見るかは、心の問題ですな。昨日はチェンマイ仲間の友人ご夫妻が遠い所、1泊で面会に来てくれました。ほんと嬉しかったです。それに比べてはいけないのでしょうが、車で5分程度の所に住む姪は全く連絡すらなく、よって面会に来る様子もありません。その妹の姪も同様です。毎年、日本へ帰国の3月、家族も含めて夕食へ招待していました。もう10年以上続いて来たでしょうか?それなのに、と言いたくはありませんが、何の連絡もないのは、冷たいですよね。元々この二人には何の期待もしていなかったので、Hakuの入所に関しても、相談もしていません。身近な親族より、他人の友人の方が親しいです。それから中学の同級生も面会に来る様子もないですね。すぐ近くに住んでいるらしいですが。
2026.05.02
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2026年4月29日(水)2007年12月20日(木) ホデイダ 朝の散歩 紅海へ爽やかな、ホデイダの朝です。朝食はバッチリ食べたし、元気モリモリなので、散歩に出かけました。ホテル前の、市民公園です。何を意味しているのでしょうか?この白いモニュメント?あれー? サルが木登りしてるのかな?違いました人間です。こちら側に座っている、おじいちゃんが、指差して教えてくれたので、写真撮ったのですが、この木登りしているおっちゃん、「金くれー!」、と、木の上で言っていました。公園を少し歩くと、ダンボール敷いて、毛布に包まって寝ている人多数。夕べ、タハリール広場へ行った時も、沢山の人が寝そべっていました。夕涼み? 浮浪者? どっち? と思ったのですが、お乞食さんほど貧しそうでもないし、何でしょう? 両方かなー?暑いから、家で寝るより、寝心地が良いのでしょうか?写真は、失礼になるので、撮るのはやめました。公園を抜けると、ひっそりとした町並みです。祝日で、お店も、事務所も全部しまっており、歩く人もまばら。車だけ少し通るくらいです。タハリール公園の手前を、右折したら、紅海が見えました。野良猫と、カラスが多いのです。猫に睨まれました。これは、授乳中の猫の親子です。ホデイダの街と、紅海の渚。こう見ると綺麗ですねー。実際も綺麗です。アラビア湾も、紅海も、あまり磯の匂いがしないのですが、ここは上の写真にもありますように、海藻が少しありますので、若干だけ、磯の匂いがしました。==============================まだ寝入りの0時半、目覚めてしまって、ずっと布団を被って寝ようとしていました。2時間頑張ってじっとしていましたが眠れません。2時半に起きて、facebookを見ていたら、1時間が過ぎました。ですがまだ眠くなりません。これは、完全に運動不足で昼と夜の境が分からなくなっていますね。早くリハビリを再開せねばなりません。4時になってベッドに横になりようやく2時間眠れました。6時に起きてペットボトルの水を飲みます。昨日まで上手く飲めずこぼしてしまいましたが、今朝な上手く飲めました。そんな事も、嬉しく思います。良くなっている証拠です。朝食です。相変わらず部屋に持って来て貰っています。久しぶりにコーヒーが飲みたくなりました。Hsk主任に買って来て貰いました。久しぶりのコーヒーは美味しいです。そしてこぼさないで上手く飲めました。健康な人なら、こぼさないで飲めるなんて当たり前ですよね。10時半、待望の面会の時間がやって来ました。遠方から前橋に1泊してわざわざ来てくれたのは、10数年来のお付き合いのチェンマイ仲間のAkbさんです。ご夫妻で来てくれました。チェンマイでは週に2回は一緒にゴルフを楽しみ、食事も何度もご一緒させて頂きました。日本に帰国中は、人形町の高級寿司屋さんで毎年ご馳走になりました。昨年の今頃でしょうか、中山道歩きの壮行会もして貰いました。そんな事で世話になって来たAkbさんご夫妻ですから話も弾みます。面会時間15分なのですが、ディサービスが休みで部屋も空いておりなんと1時間15分も話し込んでしまいました。Akbさん、4月初旬に直腸がんが見つかり、CT検査を行ったところ、肝臓と肺に転移が見つかりステージ4、手術は出来ないと宣告されたそうです。しかし、Akbさんは、至って元気です。人生を達観しており、後2年生きられたら、チェンマイにも行ける、チェンマイで会おう、そして美味しいものを食べよう、とおっしゃいました。私も頑張って自力で歩けるようになり、是非、チェンマイでお会いしたいと、決意を伝えました。まぁ、車椅子に座ったのが1週間ぶりであったので、少々疲れましたが、何とも充実した楽しい時間でありました。これも、Hsk主任の配慮のお陰であります。ありがとうございました。こんなに沢山の土産も頂きました。誠にありがとうございます。有難さが心に染み入ります。昼食です。マグロ丼です。大好きなマグロですが、舌がおかしいのかあまり美味しく感じませんでした。歯磨きです。ずっと部屋にコップで水に入れて持って来て貰い磨いていました。ですが、今から、洗面所で磨けるようになりました。やはり流水で洗った方が気持ち良いですね。一つ一つ出来る事が増えるのは嬉しいです。Akbさんから頂いた、グレープフルーツです。Hsk主任が切ってくれました。美味しいですねー。舌に染み入ります。Akbさん、本当にありがとうございました。本日が、最終の点滴です。これで点滴は終わりなので、風呂にも入れるそうです。頭が痒いです。頭を洗いたいですね。身体は先日、温水タオルで拭いて貰いました。点滴が完了しました。針を抜いた時、多少血が出ましたが、手で暫く押さえたら止まりました。これで楽になりました。夕食です。昼食に引き続き食堂まで出かけました。まだ自分で車椅子に乗れません。寝ているベッドから座る事が出来ないのと、座ってから靴が履けません。食事後帰って来てからは、靴が脱げません。まだまだですなー。食事はお粥のどんぶりにおかずが乗せてあります。食べたい物とあんまり食べたくないのも一緒くたになっています。それで、明日からおかずはお皿に乗せて貰う事にしました。本日はAkbご夫妻が面会にきてくれて充実した時間を持てました。そして人生を考えました。病気になって以来いつも考えていますが。「人生、産まれて、生きて、死ぬ」、これは誰でも同じです。元気でもいずれ死にます。Akbさんは癌を宣告され、後2年生きたいと言っていました。癌を克服してもっと長生きして欲しいです。ステージ4でも、治して元気に活動している人も沢山いますから。私は、もう25年以上前ですが、生涯計画を作成しました。毎年修正はして来ましたが、それによれば、81歳までチェンマイを拠点にして生活し、その後日本へ完全帰国する。そして施設に入る。85歳で天国に旅立つ。こういった生涯計画でした。その為の資金計画も立ててその計画を達成する為の資金も準備出来ました。順調に計画に沿って来たのですが、昨年、突然の悪魔が襲い計画は修正せねばなりません。今は高熱に襲われ、意識朦朧となった後なので、気弱になっています。一つ一つ出来る事が増えれば有難いし、一つ一つ出来なくなって行くこともあるでしょう。しかし、希望は捨てず、理学療法士さんや、看護師さんとも相談しながら、自力で歩ける事を目標にリハビリに取り組みたいと思っています。治るか治らないか、85歳まで生きられるか早く天国に召されるかは神のみぞ知るであります。Akbさんのように達観した心でいたいです。「人生、産まれて、生きて、死ぬ。」ですから。
2026.05.01
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2026年4月26日(日)2007年12月19日(水) ホデイダでの食事 実は、バハレーン空港を出発する時、お店を覘いていて、サウジでは買えない物を買ってしまいました。「イエメンへ持ち込めるのか?」、と聞いたところ、「マーフィ・ムシケラ」、と言ってました。で、買ってしまいました。イエメンもモスリム国ですからアルコールの持ち込みは厳しいと思っていました。別に赤ラベルではなくて、黒ラベルでも良かったのですが、黒だと小銭のお釣りがくるので、安い方にしたのです。これで、夕食前に、チビっとやって、出かけます。ちょい酔いの方が、食欲がわくのですねー。夕食は、ホテルの近すぐそば、市民公園のレストランで食べました。BROAST CHICKEN と言うのを頼みました。これで250円位です。BROAST って単語知らないのですが、どう言う意味でしょう?単なる、ROASTの間違いですかねー?メニューにちゃんと書いてあるのです。ここの店員さん、TOYOTAの社名、マーク入りのシャツを着ていました。何となく、嬉しいもんです。それで、写真を撮らせて貰いました。日本でも着ている人いるのでしょうか?そう言えば、イエメンでは、(まだ、サナアとホデイダだけですが)、TOYOTAの車が多いですねー! 走っている車の内、7~8割がTOYOTAのような気がする位多いです。翌朝も、市民公園脇のレストランです。別のお店に行きました。マトン(230円)と、豆と卵(110円)、二皿も頼みました。コーヒーは、ネスカフェです。60円也。============================昨夜は、体調も良くなり、ブログの下書きも早く終える事が出来たので、漫画を見ました。狸の醬油つくりです。狸の恩返しですね。そう言う物語が田舎に残っているのでしょうか?まだ時間があったので、久しぶりに新・俺は用心棒を見ました。1週間に1回ほどで、どなたかがアップしてくれます。刺客のひそむ夜、でした。峠の甘酒屋の娘と藩の仲間は密かに想いを寄せていたが、藩の争いにより殺されてしまった。浪人達は活躍して藩を政道に戻したが、娘の悲しみは深い。朝食です。あまり食欲はないですが、無理して食べました。体力を付けねばなりません。本日も点滴です。水分補給と抗生物質の点滴です。昼食です。焼うどんでした。これはご飯より食べ易かったです。夕食の写真を撮るのを忘れました。惚けてきていますなー。ずっとベッドにいますから、身体だけでなく思考能力も落ちているようです。困ったものですなー。どこかの写真を借りて来ました。車椅子に乗る練習をしたかったので、見守り補助をして貰ってベッドから乗り換えました。ベッドから起きて座れません、靴が履けません。ベッドから車椅子への移動は辛うじて一人で出来ました。何とも頼りないですなー。大きな後退です。歯磨きはコップを持って来て貰って洗っていましたが、流水で洗いたいので車椅子に乗りたかったのです。そして明日は遠方から面会に来て頂く方がおられます。それで車椅子へ乗る練習もして置きたかったのです。本日の看護師さんは若い男性ですが、気の利く優しい方です。車椅子の見守りとかずっと行ってくれました。それで話が弾み、世界の話になりました。金髪美女が好きらしいです。それなら西欧ですねー、と言う事になり、ウクライナには美女が沢山いますよ、とか、彼の友人がマルタに語学留学していたとか、どんどん話が膨らんで、長話をしてしましました。仲々、良い青年です。彼に世話して貰うのは嬉しいですね。熱も下がり、食欲はないですが、出来るだけ食べ、体調も良くなっています。しかし車いすに5日ぶりに乗って見て、身体の動きが極端に悪くなっている事に気付きました。思考能力も落ちて来ているようなので、点滴が終わったらリハビリが再開されるでしょうから、一から出直しのつもりで、じっくりと頑張りましょう。
2026.04.30
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうな寒いオンボロバスに乗って杭州から黄山の麓の宿に意識朦朧となりながら到着。エアコンは効かないわ、トイレの水は出ないわ、従業員が何人も来て大騒ぎ。ようやくエアコンも治った。そしてこれまた寒いレストランで食べて帰りにマッサージの部屋に入ったマッサージは1時間たっぷり足を揉んでくれた。しかしここはマッサージ兼置屋のようで誘われたが早々に立ち去った。写真はネットより借用================================第5回 2026年4月29日(水)第三章 黄山の頂上へ3月18日(火) 二日目朝、18歳の娘が直接、部屋にやって来てくれるモーニングコール。その前、5時半前位から、隣の部屋はバタバタしていたので、当然起きてはいたが、良いねー、娘さんが直接起こしに来てくれるホテルは。早く寝たので、熟睡。寝起きの気持ちの良さを、生きている喜びを感じる。これは、ラップトップパソコンを持参しなかったお陰か?どこへ行くにも、ラップトップを持って、どこでもメールを送受信出来るようにして、移動している。しかし、今回は迷った末に、持ってくるのを止めた。如何に豪華等ホテルとは言え、山の上のホテルに、インターネット接続可能な設備があるかどうか、疑問があったからだ。パソコンがあれば、きっと仕事をするか、何かを行っていて、寝るのが遅くなってしまうのである。従って、本日の所、正解であった。この最下等ホテルには、当然ながらインターネットなど繋げないからであった。しかし、正解どころか、大正解であったことを、この日、別の事柄で痛切に感じたのである。朝食の時に、昨日のガイドが来たので、ツアーの予定通り、黄山の頂上へ泊まりたいと、要望。ガイドさん、雨だから、絶対に帰ってきた方が良いとしきりに進めるが、黄山の頂上に泊まりたいのだと、それでも要望。ガイドさん、ここに泊まれば夕食も朝食も無料にする、とも言う。それでも、黄山頂上に泊まりたいと要望。すると、今夜、帰って来ないなら、昨夜の夕食代も支払って貰う、とも言う。でも、でも、それでも、僕は、黄山の頂上に泊まりたかった。結構、一途な自分をここで、発見した。外を見れば、雨ではない。霧 程度である。食事のお金は払うから、予定を変更して欲しいと、しつこく、要望した結果、貫禄のあるガイドのお姉さん、「しょうがないなー、ホテルからのキックバックが無くなっちゃうじゃないか!」、と言ったように思えたが、全くの推定。それで、携帯を取り出して、どこやらへ電話を、何度か行った。そして、その結果、昨夜の夕食代と、朝食代を支払って、何とか、黄山へ宿泊可能となったのであります。さて、休みが取れて、何故、黄山へ行こうと思ったのか? 中国に住んでいたら、中国の歌の一つや二つ、歌えないといけないと思い、同居していた20歳の通訳、春ちゃんへ、代表的な中国の唄が入っているCDを買って来てくれと、頼みました。中国は、あの何と言うか、胡弓を使う中国的な歌しかないのかと思っていたが、なんの、なんの、メロディも歌詞も、日本と同様な、最新曲が結構多いのであります。そう言う新しい唄ばかり入っているCDを買って来てきくれたのです。僕は、中国的な歌を覚えたいのであって、日本の歌を、中国語に変えたような歌を覚えたいのではなかったのです。春ちゃんに、その旨、伝えて、又、CDを買って来て貰いました。そのCDの中に、「我的中国心」、と言うのがありました。聞いて見ると、まさしく、こう言うのを覚えたかったのだ、と言うものでありました。この、「我的中国心」と言う曲は、日本で言えば、大晦日恒例の紅白歌合戦のような、中国の番組で歌われて、大ヒットした曲のようです。日本で言えば、「北国の春」みたいなもので、中国大衆歌謡曲なのであります。ですが、中国の若い人は、この歌、今はもう、あまり歌わないようです。日本で言えば、古い演歌なんて好きじゃない! って、言う事か?その「我的中国心」と言う歌詞に、「万里の長城」、「長江」、「黄河」、そして、この「黄山」が、出て来るのです。要するに中国人の心の中に、残る地名の中に、万里の長城や、揚子江と並んで「黄山」があるのです。この4箇所の内、万里の長城へは行きました。ここには、全く持って感動しました。勿論、有名なこの長城は写真でもテレビでも見てはいました。しかしながら、その長城へ行き、登って見て、ハァハァと、疲れたなーなどと言いながら、そしてもう東京から有楽町、いや新橋まで歩いた位だな、などと思いながら、意外と急な坂道を歩いて、気持ちの良い、強めの風を受けながら、立ち止まります。そして振り返って見て、何だ、これしか歩いていないのかと思う。そして、前方を見れば、曲りくねりながらも、さらにさらに延々と続くその長城があるのです。それを見ていると、もうそれは、何物かは分からないものの、何物かに圧倒される感動を受けるのであります。==================================
2026.04.29
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2026年4月25日(土)2007年12月19日(水) サナアからホデイダへダッバーブ(乗合バス)乗り場へ向かいました。エジプトのアレキサンドリアと同じで、どこが乗り場か分かりません。しかしながら、場所も広くなく、台数もそれほど多くないので、すぐにホデイダ行きの車が見つかりました。しかし、代金がなんと、1500YRと、相場の倍以上です。しつっこく交渉するも、全く下がりません。「しゃーねーなー!」、と、取り合えず、車に乗り込みました。普通車です。その後、乗客もあつまり、最終的に、驚きました! 運転手1名と乗客で、全部で、10名も乗り込みました。僕の列は、4人です。どう考えても、定員は3名です。運転手席の横も1名しか乗れないのに、2名乗っています。僕の後ろは、荷物席を改造して椅子があり、3名が乗っています。この車です。これに10人も乗るのです。参ったなー! これで、5時間も行くのかよー!これで、チェックポイントで、降ろされたら、どうしたら良いのか?などと、頭を掠めます。出発前、運転手と乗客が、何やらワイワイガヤガヤやっています。どうも料金交渉をしているようです。アラブ語で分かりませんが、現金片手に何やら、しゃべっていますので、料金交渉なのです。1300YR渡しました。どうも、「これでええやろ!」ってな調子でしたが、運転手、頑として聞き入れず、やはり1500YRでした。あとで、知りましたが、本日は、イード祝日、特別価格のようです。日本で言えば、正月元旦、ご祝儀見たいなものでしょうか?地元民が交渉しても、安くならないのですから、僕では無理でした。さて出発です。こんな風景です。石を利用して、石垣を作っているのが良く分かります。ここで2千数百mの高地なのですねー! そう言えば、サナアで高山病にならないか心配したものですが、動き回っても何ともなかったです。サナアから、さらに登りましたので、高度はもっと高いです。辺りは3000mを超えると言う山、また、山であります。その間を、縫うように走ります。運ちゃん、ビュンビュン飛ばすので、谷底へ落ちはしないか心配で居眠りも出来ません。その内に、下りとなり、畑が現れて来ました。ほ~ら、畑でしょう?例の石垣が、精密に積み上げられております。この畑を見ると、イエメン人って、几帳面なのかなー、とも思いました。この畑、今は何にもありませんが、5月から9月の雨季には、雨が降り、一面が、緑になるそうです。その頃に来て見たいものです。完璧に山の上です。ここで、パンクしている車があり、修理を手伝いました。同乗者に中国人らしき人がいたので、中国語で話しかけて見ました。北京から来ている人で、仕事のようです。家族は北京にいると言ってましたから。最近、こう言う中国人が多くなっているのですよねー。今年、日本から一流企業の社長さんが見えて、会食に誘ってくれた時、「最近、中国人のビジネスマンが中東やアフリカにも来ている」、と言ったら、「昔から、華僑と言って、世界中どこにでも行っているんだよ。」、などと、物知り顔で説明してくれました。面倒臭いので、「あぁ、そおうですかー。」、と聞き流しましたが、僕も華僑の話程度はしっています。彼らは、母国で食い詰め、他の国へ新天地を求めて移住した人たちじゃーないですか? しかも福建とか潮州とか、南の方の人たちが大半ですよね?僕が言いたいのは、最近はそうではなく、家族を中国に置き、自分も永住でなく、中国と外国を行ったり来たりする中国人が増えたと言いたいのです。これは、同じ中国人でも、華僑とは明らかに違うと思いませんか?中国経済の発展によって、こう言う、世界的なビジネスマンが増えて来たのだと思うのであります。華僑と最近の中国ビジネスマンとは全く異なりますよ。さて、こんな山の上にも、家があり、畑もあるんです。そして、ここから、ガンガン下りです。チェックポイントも、既に2回通過しました。特に問題なし。パスポートの提示さえ求められません。走ること、4時間。居眠りから覚めたら、景色が一変してました。ホデイダの街に着きました。やれやれ、です。チェックポイントは、居眠り中にあったのかどうか分かりませんが、知る限り4回ありました。検問官から、ヤーパニーとか言うような単語も聞こえたので、ドキッとしましたが、どこもパスポートの提示指示すらなく、問題なしです。一発勝負は、本日のところ、勝ちました。しかし、まだ、心配解消した訳ではありません。むしろこれからが問題です。本日、検査に引っ掛かれば、サナアに戻るのは簡単です。これからの移動途中でで引っ掛かれば、どうやって帰れば良いのか?全く、無茶するもんですなー! と我ながら、驚きます。==============================朝食です。頑張って少しだけ残して食べました。お粥にして貰ったので食べ易くなりました。点滴は続いています。手を動かすのに多少面倒ですが、どうって事はないです。水と抗生物質を入れています。昼食です。あまり腹は減っていませんが、出来るだけ食べるようにしています。半分以上は食べましたぞ。もう何日も風呂に入ってないので、全身を温水タオルで拭いて貰いました。気持ち良いですが、風呂に比べると勿論風呂が良いですね、だって頭が洗えませんから。でも気持ち良かったです。夕食です。昼食との時間が短いのであまり腹が減りません。まだ、17時まで15分近くあります。これでは夜中に腹減ります。と思うでしょうが、腹は減りませんな。スマホで撮った写真のサイズがおかしくなりました。縦幅が狭くなってしまったのです。何の操作もしていないと思うのですが、手が震えてどこかを触ってしまっているようです。あちこち不具合が出て困っています。しかしAIに聞きながら何とか直す事が出来ました。良かった、よかった。ブログの日程が分からなくなってしまいましたが、本日は4月25日(土)。この日は、まだ意識朦朧として、指関節も痛く指も震えてスマホも打てず、ブログも書くどころではないと言う状況でした。写真のみ撮って、本日28日に記載しております。熱も高く酷い状況でした。このような経験は初めてであります。Hakuに来てから全てが順調に進んできて、リハビリも理学療法士さんから。記念日にしましょうと言う位で、介助なしで平行棒を何往復も歩けたのです。それが、4月22日でした。その翌日、23日から急転直下、熱が上がり、血尿が出て、意識朦朧となってしまったのであります。原因は、尿路感染と言う事で、水と抗生物質の点滴で、血尿は1日で止まりました。しかし熱は高く継続しました。
2026.04.29
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2026年4月26日(日)2007年12月19日(水) サナア旧市街の散策チェックアウトして、歩いてダッバーブ(乗合バス)乗り場へ向かいました。ホデイダへ向かう為です。しかし、何ともアホな事に、本当の乗り場は、あの有名なイエメン門と、別名を持っている、バーバルヤマンなのでした。旧市街の北側に、「バーバルヤマン行きダッバーブ乗り場」って言うのが書いてあって、てっきりそっちだと思ってしまったのです。ホテルから、バーバルヤマンまで1キロちょっと。旧市街の北側まで、2.5キロほど。ずいぶん遠くまで余分な距離を歩いてしまいました。ま、急ぐ旅でもないので、このまま旧市街を見て廻ることにしました。もし時間がかかったならば、パーミットもない事であるし、予定をさらに変更して、ホテルへ戻ればいいのです。気楽な旅です。廻ったコースと逆になりますが、ここがイエメン門(バーバルヤマン)です。何でも、門は5つあったらしいですが、今は、この門のみだそうです。そして、門をくぐった旧市街の中です。昨夜は、この門の外から、中まで夜店が、ドォォォォっと並び、歩くのが大変なほどでした。しかし、本日の昼は、落ちついています。モスクと、一般の建物です。1986年に、この街全体が、世界遺産に指定されたと言うだけあって、雰囲気があります。建物自体の作りも違うし、色も、全く違うのですが、何故か、トルコのサフランボルを思い出させるものがあります。狭い路地が多いのです。ここはメインの通りで広い方です。このような路地が多いのです。そして真っ直ぐな道でないので、分かり難いこと、この上ないです。これでは、この街を攻めようとしても、迷子になってしまいます。この辺りは、水もすくないので水攻めは無理だし、石と干乾し煉瓦で建物は出来ているので、火責めも難しそう。難攻不落の街って印象です。サナアの皆さん、噂通り、結構気さくです。彼ら、まだ青年の部、と言った感じですが、写真撮ってくれと言うので、撮ってあげました。一人前に、ジャンビーア(半月刀)を、腹に差してします。そして、可愛らしい無邪気な子供達です。ちゃんと、ポーズをとって、写真撮ったあと、皆で、見に来ます。そんなことで、道を間違えたお陰で、旧市街は、ほとんど見ることが出来ました。そして、いよいよ、ダッバーブ乗り場から、ホデイダ行きを探します。==============================朝食です。お粥にして貰いました。ゆっくりゆっくり食べました。食事の後の歯磨きです。まだ車椅子に乗せてくれません。ですので、洗面所まで行けません。毎回食事後、持って来てくれます。昼食です。お粥にして貰ったので食べ易いです。全部は食べ切れないですが、かなり食べました。夕食です。何とか食べました。熱は下がって来ましたが、まだ本調子ではありません。点滴は、29日まで続けるそうです。ブログの日にちが分からなくなってしまって、動揺しています。この日程で良いですよね。スマホで撮った写真の高さの幅が狭くなってしまうし、ChatGPTも有料になっていまうし、パソコンも、スマホも病気と共に問題だらけです。
2026.04.28
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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。一方、美枝子は玉の輿と言える結婚する事になった。3月末、悠介は就職したが、実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属され社会人生活が始まったが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調である。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。写真はネットより借用================================第200回 2026年4月27日(月)朝方、もう一度、交わった。まだ3回目であるが、行為は大変スムースである。終わった後、ゆったりと横たわった。「温泉に入って来る?」「うん、せっかく来た温泉だから入りましょう。」その日、伊香保の空はよく晴れていた。「いい天気。」千恵子が窓を開けながら言った。山の空気が部屋に流れ込む。朝食のあと、二人は再び石段街へ向かった。「昨日の続き、上まで行こう。」悠介が言う。石段は朝の光の中で静かだった。観光客はまだ少ない。一段一段ゆっくり登る。途中で振り返ると、温泉街がよく見えた。「昨日より綺麗。」千恵子が言う。朝の光が屋根を照らしている。やがて石段のいちばん上に着いた。そこには小さな神社があった。静かな森の中に建っている。鳥居をくぐると、空気が少し変わる。観光地の賑わいとは違う、落ち着いた空気。二人は手水で手を清め、拝殿の前に立った。鈴を鳴らし、静かに手を合わせる。何を願ったのか、二人とも言葉にはしなかった。参拝を終え、境内の木陰のベンチに座る。風が葉を揺らしている。「静かだね。」千恵子がそう言って、さらに続けて言った。「この旅、終わってほしくない気もする。」悠介は少し笑った。「じゃあまた来ればいい。」「また?」「60時間の旅、第二回。」千恵子は嬉しそうに笑った。「いいね、それ。」二人は境内を後にして、手を繋いで石段を下りて行く。この日は、鹿沼に帰るだけである。ホテルをチェックアウトして帰ったら、昼過ぎに鹿沼に着いてしまう。「今日はどうするかなー? このまま帰ったら、鹿沼に早く着き過ぎる。」「どうしましょう?」「鹿沼に早く帰ってモーテルでも行くかい?」「やだー、そんな事ばかり言って。」「そうだなー? 宿をチェックアウトして帰ると、丁度佐野辺りでお昼時になるんだ。佐野ラーメンでも食べようか? それとも前橋辺りで公園でも散歩する? 前橋公園とか。敷島公園とかあるらしい。」「佐野ラーメンって、鹿沼から近いでしょう? 又、行けるよね? せっかく群馬県まで来たのだから、公園でも散歩したい。」「そうか、それでは、敷島公園と言う所へ行こう。広大な敷地に松林があるらしい。佐野ラーメンは、機会を見つけて食べに行こう。鹿沼から1時間位で行けるから。」「敷島公園って良く知っているね?」千恵子が聞いた。「あぁ、昔、学生の頃読んだ本で、萩原朔太郎の詩集があったんだ。彼は、良く敷島公園を散歩したらしい。それで朔太郎の詩碑も公園内にあると言う事だよ。」「悠介さん、物知りね。私、あまり本を読んでいない。」千恵子は感心したように悠介を見た。悠介は、少し照れたように視線を外した。千恵子はその横顔を見つめ、ふっと柔らかく微笑んだ。「じゃあ、その詩人さんの歩いた道を、私たちも歩くのね。」「まあ、そんな大げさなものじゃないけどな。」二人は笑いながら、宿へと戻っていった。チェックアウトの準備を済ませ、鍵をフロントに預ける。名残惜しさが胸に残るが、不思議と寂しさばかりではなかった。次に続く時間がある、そんな予感があった。車に乗り込むと、伊香保の坂道をゆっくりと下っていく。温泉街の屋根が遠ざかり、やがて山の景色が開けた。空は高く、春の光がやわらかい。「本当にいい天気だな。」「うん、こんな日に公園なんて、きっと気持ちいいよ。」車は前橋へ向かって走る。途中、道の両側に広がる畑や住宅地を眺めながら、二人はときどき言葉を交わし、ときどき黙った。沈黙もまた、心地よかった。やがて市街地に入り、案内標識に従って敷島公園へと向かう。駐車場に車を停める。駐車場から公園まで歩くらしい。10分ほど歩くと、池が見えて来た。そこが公園の入り口のようである。池の辺を通り、広大な松林の中に入っていった。「わぁ、広い。松ばっかり。」千恵子が小さく声を上げる。松林の中の小道と言える道はないが歩いていく。木漏れ日が地面に揺れていた。木の根もあるので注意しながら歩く。風に揺れる枝の音だけが、静かに響いている。「こういう所、久しぶりだな。」悠介が言う。「私も。なんか、落ち着くね。」千恵子が答える。
2026.04.27
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2026年4月23日(木)丸3日間日ほぼ寝ていました。その間に色々とパソコントラブルがありました。一番大きいのは、ChatGPTが無料で使えなくなってしまったことです。これには困りました。今はChatGPTを使わないでやろうとしていますが。それでは不足でしょうね。 いずれ1ヶ月2500円程度支払わねばならないでしょう。その他は、色々とありましたが、本日1日で何とか使えるようになりました。具体的には何が問題だったのか、病気明けの頭が惚けてしまって、忘れてしまいました。話は変わりますが、アップできなかった日々、1日2回ほどアップして日程に合わせます。寝ていた日は、何もないですが・・・。============================2007年12月19日(水) イード祝日 パーミット取得不可 どうする?寒い夜であったが、気が付けば、8時間半も寝ていました。旅に出るって、それだけで、疲れるってことなのでしょうか?いつもは、7時間、眠れて、7時間半が限度です。さて、イエメン独特の、ツーリストパーミットと言う奴の取得手続きに行かねばなりません。宿泊中の、アジア・ツーリスト・ホテルのフロントで聞いて見ました。「ツーリスト・ポリスへは、どう行けば良いの?」、と。そしたら、「今日は、祝日、休み! 休み!」、と、ソファーに寝たまま言いおる。夕べも聞いたのですが、バスで行けば良い、と言っていたのです。「えー! 昨日、バスで行けば良いと、言ったじゃん!」、と叫ぶと、「あぁ、じゃー行って見れば・・・」、と誠意のない回答。「こりゃー、ダメじゃ!」 と、行って見ることにしました。外に出ると、ひえひえ~っと、すごく寒いです。暫く歩きましたが、そのツーリスト・ポリスって、歩いては行けない距離がありそう。諦めて、引き返して来たら、IHIと書かれた、ミニバスがりっぱなホテルの前に止まってました。日本人らしき人も乗っています。IHIって、たぶん、石川島播磨重工って、日本のりっぱな会社では、ないでしょうか?で、そのホテル、タージ・シェバ・ホテルと言って、最高級インド系ホテルのようです。1泊180ドルとか書いてありました。結構なお値段ですな。あっしには頑張っても泊まれません。そこの受付へ行って、ツーリスト・ポリスは、本日開いているか、確認して貰いました。どこやらへ電話してくれて、今日も、明日も、その次も休みだと言うことであります。困ったぞー! 困った!サナアに、3日間も、足止めされたら、何のために、イエメンに来たのか!「そのパーミットって、ないと本当にチェックポイントで、引き返さねばならないのですか?」すがるような気持ちで、フロントに聞いて見ました。そしたら、又、どこかへ電話して聞いています。話の内容より、ダメかも知れないし、大丈夫かも知れない。そんな会話です。電話を切って説明してくれました。やはり、電話の会話と同じです。「観光ではなく、ホデイダに行くと言えば、大丈夫のはず。」、と言うのが答えです。何とも、心もとない確認結果です。それで、パスポートと、ビザの部分のコピーを5部頼みました。コピーすぐしてくれて、いくらか? と聞いても、タダで良いといいます。「あのー、あっしはですねー、宿泊客と違いますねん!」、正直が生きているようなこの僕は、口の先まで、この言葉が出掛かりましたが、「サンキュー!」と、堀内孝雄みたいに、言ってしまいました。図々しい人ですねー!宿泊客でもないのに、パーミットについて確認して貰い、コピーまでして貰って、全く、ありがたいことでございます。さて、どうすっぺ?と、ホテルへの帰り道、数十秒考えましたが、3日も待つ訳には行きません。ここは一発勝負に出ようと、決心したのであります。パーミットなしで移動するのです。ダメだったら、帰って来れば良いじゃないか! ってことです。アジア・ツーリスト・ホテルに帰り、理由を説明し、フロントにチェックアウトする旨伝えます。すると、「明日、ツーリストポリスは正常勤務となる。」「俺は、2年ガイドしていた。パーミットなしでは、絶対に移動出来ない。」と、引き止めようとしています。僕は、ここのフロントより、超高級ホテル、タージ・シェバ・ホテルのフロントを信用したい気持ちでした。で、やっぱりチェックアウトです。2泊分支払いましたが、返金はしないと言います。仕方なく、1泊分は貸しておく、戻って来た時に、1泊フリーと言う事で妥協し、その旨、文書に書かせて、チェックアウトしました。さて、ホデイダに移動出来るのか、否か?結果を、乞う、ご期待!==============================今夜はどうした事か、睡眠は悪かったです。両足が痛くて目が覚めてしまうのです。ベッドの中に横たわっていたのは、7時期間です。ここの所の睡眠状況からすれば、快適な睡眠のはずです。スマートウォッチのデータによれば、夜中に3回起きていて、睡眠時間は、5時間25分です。夜中に1時間35分起きていました。これでは睡眠不足ですなー。起きましたが、今も足が重いです。昨日は体調も悪く負かったので、シャの製本化作業を行ないました北島が終了しました。アテネから、テッサロニキ行きましてそれから、崖の上にお寺があるカランバカへ行き、デルフィへ行気アテネに戻りました。地図表示しました。北ギリシャです。02そしてずっと寝てました、昼食です。腹減っているので全部食べられました。おかず3種です。部屋に持って来てくれました。ベッドから降りようとして仲々、降りられません。朝の三時半頃から3時間以上かかりました、全くオンボロな体になってしまいました。03おやつをもって来てくれました。昼食と一緒です ずっと寝ていたので、食欲がありません。間違えて朝の朝食と一緒に貼り付けてしまいた。朝食ですが、納豆を食べたようです。食べた事も忘れていました。ずっと寝ています。何を食べたかも覚えていません。写真だけ撮っておきました。昼食です。食べたくないですが、無理に食べました。体力温存の為です。魚に、豆などです。07混ぜご飯にお茶です、これも無理やり食べました。点滴をするので、看護師さんがやって来ました。ですが、2回試したものの、上手く行かず。もう一回やって駄目だったら止めましょうと言ったら、それでは、明日の看護師さんに任せましょうと、言う事になりました、腕が悪い看護師さんですね。午後のおやつを持って来てくれました。頭が朦朧として食べたくありません。これは何時に食べたのかなー? 記憶にありません。夕食です。これは半分くらい食べられました。遺憾、どうも食べたか分からなくなりました。夕食ではないですが、間違いなく食べました。これがこれが本物の夕食です。夕食ですが、日曜日17時、前に出されます、早いですね。本日のぶログは大変時間がかかりましたが、日付の確認や、時間の確認でずいぶん時間がかかりました。多少間違っているかも知れませんが、食事だけだから良いでしょう。
2026.04.27
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4月22日より熱が出て、血尿もでて完全にダウン。ずっと寝っぱなしでした。朝か夜かも分からず、意識朦朧で寝たり起きたりです。何故か、手も震えてパソコンのタッチパネルを触って別に文字を打ったりで、ブログを書くことが出来ませんでした。点滴もして貰って、本日4月26日ようやく、熱も下がり、パソコンを打つことが出来るようになりまそた。まだ、新しいブログを書くのは出来ませんので、下書きに書いて置いた4月22日分をアップ致します。==================================2026年4月22日(水)2007年12月18日(火) イエメンのネットカフェ安いです。サナア、旧市街、新市街とも、ネットカフェがあるか、キョロキョロしながら、夜歩きをしていました。インタナショナル電話屋さんは、沢山あるのですが、ネットカフェは見当たりません。諦めて、ホテルの戻る途中、1軒見つけました。値段を聞くと、1時間60YR。まだ、イエメンに着いたばかりで、換算がすんなり行きません。(え? 生まれつきだろ? って? えー、はい、そ、その傾向はありますが。)うー、うー、と唸りながら、ない知恵絞って、計算していると、「高すぎるか?」、と店員さんが言いました。調度、その頃、計算が終わって、1時間35円であると分かりました。「いやいや、それで結構。」、と何だか、金持ちになったような気分で、パソコンに向ったのです。高いって言ったら、マケてくれたのかなー? と後で考えましたが、1時間35円では、マケようがないでしょう。日本語入力も、簡単に設定できて、早いし、環境も問題ありません。イエメンのランク、又上がりました。==============================先日、チェンマイ仲間の友人が、ベトナムのハノイでアジアの星一番と間違えたと言う写真を送ってくれました。確かに似ています。あっしも、こんな爺さんになってしまったか、とがっくりしておりました。見れば見るほど似ていますぞ。髭の生え方も同じです、少し猫背も似ていますな~。かなりがっくりして、もっと良い写真はないか、パソコンの中を調べました。若い時の写真がありましたぞ。これは26歳頃でしょうか? どうですか? 結構イケメンだったじゃー、ないですか。そう思いません?思いませんか? え? ハンサムじゃーない、あっちゃー、これまた、失礼致しました。え? 隣の女性は誰か? ですと? う~ん、誰でしょうねー?可愛くも美しい方ですなー。こんな彼女がいたら最高ですよね。今朝は、4時半に起きてしまいました。朝食は7時50分頃です。時間があります。そして小腹が空いて来ます。世話になっている姪から貰った煎餅がありました。これを頂きました。煎餅美味しいですね。朝食です。おかず3種です。ご飯に味噌汁、お茶です。納豆かけご飯です。これが好きなんですねー。隣の91歳のお婆ちゃん、いつも元気に挨拶をしてくれます。それで雑談しますが、前向きで良い考えの方なんですね。悪い方の考えはしません。例えば面会時間が15分は短すぎますよね? そうすると、施設も大変だから仕方ないですよ。15分でも会えるだけで幸せです。とこう要った考えなんです。見習わねばなりません。ディサービスに来ている方が、大きな美しい牡丹を持って来てくれました。庭で育てたそうです。女性の方は花の好きな人が多いですね。9時20分からリハビリです。まずは集団体操を行いました。30分以上おこないました。結構疲れます。次に立ち上がり訓練です。午前は26回ですが、立ち上がった時に出来るだけ、足に重力をかけて立つようにしています。腕で体重を支えたのでは、訓練になりませんからね。ストレッチを行ってくれました。風呂の時間が迫っていたので、筋トレはお休みです。風呂の時間です。介護士の皆さん、手慣れたもので簡単に車椅子から風呂用の介護椅子に移してくれます。老健の千の風は担当者によってスキルがことなっていました。風呂は気持ち良いですねー!少し休んで、2mの平行棒で歩行訓練です。始めの2往復は、介助で歩きましたが、その後の2往復は、介助なしで歩きました。長下肢装具を付けていますが、Hakuに来てから、初めて介助なしで一人で歩けました。大きな進歩でしょうか?Tktさん(女性)療法士さんに、今日は記念日ですねー、と言われました。一人で歩けた記念日と言う事らしいです。4月22日、覚えておきましょう。昼食です。おかず3種、デザート1種です。ご飯、味噌汁、お茶です。本日のご飯は不味かったです、日によって違いますねー。14時から午後のリハビリです。立ち上がり訓練を45回行い、その後集団体操、そして平行棒で歩行訓練です。2mの平行棒を使って、補助なしで歩きました。2往復2回、3往復1回、その後、2往復を3回か4回歩きました。ですので、12往復はしたでしょうか?長下肢装具を付けていますが、補助なしで、これだけ一人で歩いたのは初めてです。進歩ですねー。多分、暫くはこれで自主トレを行うのでしょう。その後、長下肢装具から短下肢装具にして歩ければ本物です。リハビリ後のおやつです。コーヒーにお菓子です。夕食です。おかず4種です。ご飯、お吸い物、お茶です。PGF生命から介護保険の申請書が届きました。ここも医者の診断書が必要です。面倒ですねー。止む無く蒲田リハビリテーション病院へ診断書を送り、必要事項を記載し医者のサインをして貰って返送して貰います。又、7,700円取られます。本日のハイライトは、平行棒を補助なく自分で歩けた事でしょうか。まだ、両足とも長下肢装具を付けていますので、あんまり威張れた進歩ではないですが、理学療法士さんの補助なしで歩けなかったのですから、進歩は進歩です。Hakuへ移ってから、体調も良いし、良く眠れるので、それらも良い方向に向けてくれていると思われます。医者の薬の処方や、理学療法士のTktさんが、色々と試して、リハビリを行ってくれているので、それも大きいのでしょう。老健・千の風では、かなり焦っていました。2ヶ月間、後退していたでしょう。Hakuに来て良かったです。このまま少しづつでも良いので回復して欲しいです。そして、時間がかかっても、最終目標の、自力で歩けるようになりたいです。
2026.04.26
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2026年4月21日(火)2007年12月18日(火) サナアの夜 寒いー!ホテルも決まり、旧市街、新市街の夜の散歩も楽しみ、そしてホテルに帰りました。夜は冷えます。ベッドに毛布1枚だったので、受付で、もう1枚毛布を貰いました。2枚の毛布で、寒さも大丈夫じゃろ、と安心して、持参のパジャマに着替えて、ベッドに潜り込みます。しかし、仲々、暖まりません。上にかけた毛布を半割りにして、かけ直し、これで毛布3枚分。少し温くなり、うとうととし始めたのです。しかしながら、半暖かい、半寒いって感じで、熟睡まで行かず、夜中までこれまた、半眠り状態です。2時頃、起き出して、ベストにセーターを着こんで、又、ベッドへ。これで、完璧、気がついたら、朝の6時半でした。良く眠れましたです。でも、今夜は、もう一枚、毛布追加で貸して貰わねば・・・。==============================昨夜、下記の資料を中国へメールの添付で送付しました。我が友人で、四川外国語大学で長年教鞭をとっておられる熱血教師さん宛です。中国工商銀行に預金してある私の口座から、日本の私の口座へ送金する為の資料です。中国にある元を、日本の口座に円で入金したい為です。下半身麻痺になって中国へ行けない為、私自身が中国へ行って預金を降ろせません。代理人にお願いして、手続きを行って貰わねばなりません。上手く行けば良いのですが・・・。資料は、日本語と中国語を併記して作りました。① パスポートの写真② キャッシュカードの写真③ 委任状④ 個人所得の証明書⑤ みずほ銀行 口座情報昨夜も熟睡出来ました。22時前に寝て3時まで熟睡、体勢を変えて貰ってまた熟睡、合計7時間眠れました。良く眠れると気分が良いです。夜中に足も痛くありません。昨夜は久しぶりにドラマを見ました。時間があったのですね。どなたかがアップしてくれる、新・俺は用心棒です。第12話となりました。主演の栗塚旭です。ある農村で水不足、水争いに巻き込まれた用心棒達が活躍します。娯楽映画ですな。朝食です。おかず3種です。ご飯に味噌汁、お茶です。今朝はこれだけではないんですよ。日曜日にTkeさんから頂いた、納豆があるのです。たれを入れて掻き混ぜて、辛子も入れて掻き混ぜて、ご飯にかけました。食べました。う~ん、旨い! 9ヶ月ぶり位ですよ。納豆は毎日、食べていましたからね。久しぶりです。まだ8個ありますから、8日間食べられます。9時20分から、リハビリです。以下の通り行いました。1. 集団体操2. 立ち上がり訓練 26回3. ストレッチ4. 筋トレ5. 平行棒での歩行訓練 2m×10往復いつもと同じですが、平行棒は、一人介助で行ってくれました。2mの短い平行棒ですが、10往復したので、結構腕がつかれました。昼食です。おかず4種でした。ご飯、お吸い物、お茶です。午後のリハビリです。1. 立ち上がり訓練 30回2. 集団体操3. 平行棒で歩行訓練 6m×6往復集団体操は、立居を半分位行われました。アジアの星一番は立てないので座ったまま、介助して貰って足の運動を行いました。手間のかかる患者ですな。その後、平行棒で歩行訓練です。今までは、1往復毎に休憩していました。ですが、本日は、2往復して休憩にしました。足が上手く出ないと手と腕に負担がかかるので疲れます。しかしながら、足に体重がかけられて、上手く歩ければ疲れは少ないです。足への体重移動が重要ですね。リハビリの後のおやつです。この時間になると、1日が終わったなー、とホッとします。リハビリも充実していますし、療法士の皆さん、親切なので、気分良く1日が過ごせます。夕食です。おかず3品、デザート1品です。ご飯、味噌汁、お茶です。Facebookを見ていたら、ChatGPTの広告があり、写真の人物を削除出来ると出ていました。AIは色んな事が出来ると聞いていましたが、試しにやって見ました。これが、元の写真です。アジアの星一番以外は消して貰いました。「菅笠を被っている人物以外は削除して下さい。」とお願いしました。そしたら、この通り、全く一人で撮った写真です。驚きますねー。さらに、この人物にパンダを抱かせて下さい、とお願いしたら、この写真になりました。全く本物のようですよね。AI恐るべしです。試しに、もう1枚、子パンダを肩に乗せて下さいと、言いました。その写真がこれです。驚きを越して脅威です。元の写真があればどんな合成写真も出来ます。どうして顔写真をブログやfacebookに載せたらいけないのかが、分かりました。ぼやかして載せている人が多いですよね。そのまま載せたら、どんな合成写真を作られるか分かりません。私のような爺さんはどのように加工されても構いませんが、子供や若い女性は気を付けた方が良いですね。私も顔写真は了解を得た写真以外は載せないようにしています。しかしこんな風に加工出来るとは知りませんでした。ほんと、驚きました。本日は、たぶん、9カ月ぶりに納豆を食べました。Tkeさんに持って来て頂いたものです。美味しかったです。まだ8個あるので、8日間食べられます。食べたい物と言ったら、刺身に寿司です。刺身にをつまみにビールが飲めたら最高ですが、それは歩けるようにならないとダメですね。寿司は差し入れして貰って、部屋で食べれば良いと聞きました。リハビリホームHakuの近くに住む中学の同級生がいるので、持って来て貰うよう頼むかなー? 食べたいです。
2026.04.23
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2026年4月20日(月)2007年12月 イエメン サナアに到着 早いですねー! 朝は、サウジにいたのに、バハレーン経由、もうイエメンの首都サナアに到着しました。空港で、5500YR(約3500円)支払って、簡単にビザ取得。パスポートコントロールも、すんなり。タクシー乗り場が、どこか分からなかったのですが、駐車場をウロウロしていたら、運ちゃんに声をかけられ、2000YRと言うのを、1000YRに値切って、これもすんなり新市街へ着きました。歩き方には、空港から、1000~1200YRと記載あり、ガソリンの値上げ激しい昨今、1000YRなら充分、真っ当な価格でしょう。(1000YRは、およそ600円位。)アル・ナスル・ホテルがお奨めとどなたかのブログで見たので、タハリール広場へ行って部屋を見ました。値段1500YRの割りに、部屋も清潔でなく、断念しました。数件見ましたが、似たりよったり。そして、アジア・ツーリスト・ホテルにやって来ました。部屋も広く、清潔。大通りに面しているのに、部屋を選べば静か。で、ここに決めました。僕の部屋の前にも、応接セットなどがあります。2泊すると決めたら、調度、お祈りが終わった夕食時で、カプサをご馳走になりました。親切ですねー!イエメンの1日目の印象は、かなり上にランクされます。エジプトに比べると、大違いです。このままの印象で、旅できれば、言う事なし、良いですねー!その後、旧市街を、夜の散歩と洒落こみました。ウォー! 大混雑。露天商の多さ! 人の大波!旧市街に入っていったら、迷路みたいで、どっちに向いて歩いているやらわからなくなってしまいました。こんなこと、どっかであったなー?どこだったっけなー? 仲々、思い出せないなー!で、思い出しました。スペインのトレドって言う街です。丘の上にある、小さい街なのに、迷路なんです。ガキの案内で、ようやく新市街方面へ出てくることが出来ました。10YRあげたら、不満そうでした。6円位だから、チップとしては十分と思うのですが・・・。また、明日、ゆっくり散策します。===========================今朝は3時に目が覚めてしまいその後眠れなくなりました。それで3時半には起きて作業を行いました。ここの所、睡眠はとっても良かったのに、珍しいです。しかし5時から2度寝で6時半まで寝て、合計睡眠時間は、7時間近くになりました。昨日は楽天ブログのアクセス数が激増しました。普段は1500から1700位ですが、それが、な、なんと、4500に増えたのです。どうした事でしょう? 3000人も急に読者が増えるなんて事は、あり得ません。AIに聞いて見ました。検索エンジンの巡回や楽天ブログ側の集計の変動である可能性が高いです。と言う事です。AIも急に読者が3倍になる事はないだろうとの事でした。朝食です。おかず3種です。失敗しました。昨日、持って来て頂いた納豆を持って行くのを忘れました。遺憾なー、毎日食べないと。ご飯に味噌汁とお茶です。昨日の夕食のご飯は美味しかったですが、今朝は、元に戻りました。不味くはないですが、昨夜のご飯に比べると味は落ちますね。9時20分から、リハビリです。前説で、東海道を江戸時代は2週間で歩いたと説明してくれました。そうすると1日20Kmも歩かねばならない。とてもそんな距離は歩けない、と言います。しかし、現代でも1日20Kmは普通ですよ。私が四国お遍路や、中山道を歩いた時も、概ね1日20Km近いです。リハビリさん、計算を間違っているので、滅多に発言はしませんが、1日40Km位歩かねば、2週間では、京都に着かないですよ、と発言しました。リハビリさん、「40Km?」 と言って、何やら考えていましたが、「30Km位かな?」、と発言を撤回しました。正確にはもっと多い距離ですが、もう黙っていました。東海道53次は492Kmですから、2週間で歩いたら、1日、35Km歩かねばなりません。江戸時代の人たちは健脚ですね。その後、集団体操を20分行って、立ち上がり訓練でした。26回行いました。次は、お風呂の時間です。本日は早いです。担当はHgwさんです。ようやくマスクをしていても、分かるようになりました。Hgwさんは、元バスケットの選手だったそうで、今でもBリーグの試合を見に行くそうです。シャワーで身体を洗って、その後ゆったりと湯船に浸ります。気持ち良いですねー! 最高です。湯上りにスポーツドリンクを出してくれます。少し休んで、ベッドに移動、ストレッチと、筋トレを行ってくれました。これが結構、重要な運動になってるようです。これで昼食か、と思いましたが、平行棒で歩くと言います。望むところです。2mを1往復、4mにして2往復歩きました。昼食です。本日は、ちらし寿司です。やった! 良いなー! ちらし寿司大好きです。ほら刺身が乗っているでしょう? 海老も見えますね。 いやー、とっても美味しかったです。もっと頻繁に出して欲しいですねー。午後のリハビリが14時から始まりました。立ち上がり訓練は、通常50回ですが、この後の集団体操が、立居で行うので、30回との事でした。アジアの星一番も30回連続で行いました。その次は、立居で色んな運動を行います。アジアの星一番は立てないので、座ったまま理学療法士さんの手助けにより足を動かしました。その後、平行棒での歩行訓練です。女性の療法士さんが3名で補助してくれて歩きました。1回毎に休み、6mを6往復しました。合計で72m歩きました。3名がかりで1時間ほどかかって歩きましたが、これでは理学療法士さんに迷惑をかけます。早く一人で平行棒で歩けるようになり、立ち上がりのみ補助して貰い、後は見守りで歩けるようになりたいですね。そうすれば、理学療法士さん一人で済みます。リハビリ後のおやつです。コーヒーの量が少ないですね。夕食がすぐですから、量を減らしているのでしょう。おかず4種です。一口大に切ってくれるように頼んでありますが、切ってありません。歯が頑丈でないので、このまま食べるには難があります。切って貰いました。ご飯に味噌汁にお茶です。悪い情報が届きました。直腸癌が見つかり、CT検査なども行った結果、肝臓と肺にも転移があり、ステージ4,手術は不可で、抗癌剤治療しかないと言う連絡です。この方は、Akbさんと言い、チェンマイ仲間で長年のお付き合いです。ゴルフ仲間でもありチェンマイに来られた時は、週に2回は一緒にプレーしていました。美食家で、美味しくて高級なレストランにも連れて行って貰いました。チェンマイだけでなく、日本へ帰国時は、人形町や、秋葉原などで美味しい寿司屋さんや、歴史ある焼き鳥屋などで、ご馳走して頂いた方です。5月の連休には、面会に行くよ、と言うラインを貰っていたのです。急転直下、状況が変わりました。何と言う事でしょう。ステージ4と言えば、昨年は元気に活動していた緑さんと言う方ですが、お会いした事はありません。ですが、facebookで繋がっていて、いつも励ましてくれていたのです。それが、今年の始めでしたか、肺癌のステージ4で入院したと言う連絡を受けました。しかしながら、絶対に治ると言う信念を持ち、お互いに頑張ろうと、と言ってくれていたのです。それが、3月ですが、体調が急変し、逝去されてしまったのです。病室から小説を書くのだ、と言うメッセージも貰っていました。呆然としました。残念でなりません。ですが、ステージ4でも、治療で治って元気に活動している方々も沢山おられます。Facebookでそう言う記事を沢山見ています。Akbさんも、治療で何とか癌を克服して、復帰して欲しいです。チェンマイで会おう、と言うラインも受信しています。私も頑張ります。是非、チェンマイで、一緒にビールを飲みたいです。もう一人の方からの連絡は、下記です。「自宅の庭で倒れ起きることが出来ないことと、言葉は大丈夫でしたが手の痺れのため、入院しました。CT検査結果、頚椎が狭まったためとのこと。」この方ともチェンマイ仲間で長年のお付き合いです。ウラジオストクからシベリア鉄道に乗ってモスクワへ行き、フィンランド、ベラルーシ、今は戦争中のウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリアなどを一緒に旅した方です。T萩さんと言います。頚椎が狭まったとの事ですから、安静にして必要ならば手術を行えば、正常に戻るでしょう。T萩さんからもお互いに頑張ろうと言うメッセージを頂いています。Akbさんも、T萩さんも、病に負けず頑張って下さい。私も頑張ります。
2026.04.22
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2026年4月19日(日)本日より、アフリカ縦断の旅の掲載が完了したので、今、戦争で話題の中東の国々を載せて行きたいと思います。まずは、あまり日本人は旅しないであろうイエメンにします。アラビア半島の先っぽ、紅海の反対側はアフリカであります。この国の成人男子は必ずジャンビーヤと言う刀を挿しています。そんな国は、世界広しと言えども、イエメンだけではないでしょうか?10日間だけですので、すぐ掲載は終了します。その後は、ヨルダン、シリア、レバノン、オマーン、クェート、カタールドバイ、アブダビなど、アラビア半島の国々を掲載したいと思います。=============================2007年12月イエメン10日間一人旅 スケジュール作成 気が付いてみたら、イエメンへ出発まで、1週間となってしまいました。行き当たりばったりの旅とはいえ、ある程度、スケジュールを考えて置かねばなりません。2ヶ月も3ヶ月も滞在するならば、適当でいいのですが、限られた期間で、出来るだけ見たいと思いますので。本当は、16日間行きたかったのですが、何せ、有給休暇ゼロ。来年分の前借で、何とか2日の休暇を貰って行くのです。10日間で、ブーたれて、文句言っていられません。たった10日でも贅沢なのであります。さて、ざっと立ててみた、予定です。12月18日(火) サウジ→ バハレーン→ イエメン(サナア) サナア泊12月19日(水) サナア市内見物 サナア泊 翌日移動のバスなど確認 パーミットの取得と、コピーの準備など12月20日(木) サナア→ ホデイダ ホデイダ泊 マナハ、ハジャラに寄ってからホデイダへ行きたい。12月21日(金) ホデイダ→ タイズ タイズ泊 コーハ、モカに寄って、タイズへ行きたい。12月22日(土) タイズ市内見物 タイズ泊12月23日(日) タイズ→ アデン アデン泊12月24日(月) アデン→ サナア サナア泊 ジブラ、イッブに寄って、サナアへ移動したい。12月25日(火) サナア→ マーリブ→ サナア サナア泊 シバ王国の首都、マーリブへ日帰りで見学12月26日(水) サナア→ ハッジャ→ サナア サナア泊 ハッジャへ日帰りで見学12月27日(木) 午前中、ゆったり市内を歩き、午後移動 サナア→ バハレーン→ サウジイエメンの地図ですが、このように廻る予定です。これで、もう日程は、一杯です。アデン湾の、ムカッラや、アル・ガイダ、内陸のサユーンや、シバームへ行く余裕はありません。このルートの、逆廻りでもよさそうですが、どっちが良いのでしょうねー?途中の町へ寄って移動したいので、そのような移動手段があるのかないのか、それも心配です。「歩き方」には、そこまで載っていません。まぁ、行けば何とかなるでしょう。==============================チェンマイ仲間の友人が、ベトナムを旅していました、ハノイです。散歩していたら、アジアの星一番に偶然出会ったと言います。それで撮ったのが下記の写真と言うのですねー。私、ホーチミンに似ていると言われたことは何度かありますが、病気入院中でハノイには行っていません。全くの別人ですが、似ていると言われれば似ていますか? こんな爺さんになっているとは思いませんでした。まぁ後期高齢者ですから、且つ、半身不随者ですから、よれよれの爺さんでも仕方ありませんね。本日も良く眠れました。22時前に寝て気が付いたら4時です。全く起きもせず6時間熟睡です。体勢を変えて貰ってまた寝て、5時まで寝ました。7時間10分です。本日も良い日になりそうです。朝食です。おかず3種です。ご飯に味噌汁、お茶です。今朝は味噌汁でした。さて、10時です。日曜日ですから、お茶などの準備はありません。食堂に行って自動販売機でコーヒーを買いました。温かいのが好きですが、冷えたコーヒーしかありません。おやつは、先日義姉がお見舞いに持って来てくれた上毛三山と言うバームクーヘンです。冷蔵庫に保管して置いたものです。一人でテレビを見ながらゆっくりと飲みました。11時に世界一周船の旅で知り合った、Tkeご夫妻が面会に来てくれました。大変世話になっている方で、蒲田リハビリテーション病院にも、群馬県から、お見舞いに来てくれたのです。船を降りてからも1年に1回は温泉に一緒に行っていました。連載中の寺本悠介は彼女と一緒に伊香保温泉に行きましたが、皆さんと一緒に伊香保温泉にも行き、小説の下見にもなっています。昨年は、中山道歩きの時、ご自宅に泊めて頂き、美味しい料理で歓待して頂きました。お世話になりっぱなしなんですよ。奥様は、最近、スペインへ一週間ほど行って来たようです。そしてご主人は韓国に嵌っており、頻繁に行っているとの事、お二人とも、人生を楽しんでおられます。納豆を買って来て貰いました。隣のお婆さんが食べていたので、持ち込みOKと言うのを知りました。病気の前は毎日食べていましたからね。たまには食べたいです。9個あるので暫く食べられます。有難いです。お菓子も買って来てくれました。ほんと申し訳ないほど、気を使って頂いています。ありがとうございます。こんなに頂いた上に、見舞金まで頂きました。蒲田でも頂いているのです。そのお礼もしていないのに、本当に申し訳ありません。このお返しは、足が治ってからになります。お待ち下さい。昼食です。おかず4種です。ご飯にお吸い物、お茶です。午後は時間があるので、中国工商銀行から日本へ送金して貰う為に必要な資料を作成しました。これらを見て貰って、問題がなければ、提出用の本資料を作成します。以下を作成しました。① パスポート (取り合えず写真)② キャッシュカード (取り合えず写真)③ 委任状 (中国から送って貰った資料)④ 個人所得の証明書④ みずほ銀行 口座情報添付の資料は、中国語で書いた委任状です。これで問題なければ、パスポートも含めて、中国へ国際郵便で送付します。まだ、中国側が元で送った場合、日本側で元を受領し円に換えてくれるのか分かりません。みずほ銀行へ問合せ中です。これがOkとなれば、重慶の友人にメールで送付し、中国工商銀行に聞いて貰います。今パスポート原本は、チェンマイにあります。チェンマイからの送金が完了すれば、日本へ送り返して貰わねばなりません。おやつの時間です。希望としては、15時頃にして欲しいのですが、何故か16時です。これだともう夕食に近いのですよね。お茶を出して貰いました。もう16時を過ぎました。ゆったり出来て、心身共に休める日曜日ももうわずかで終わります。中国の資料を作成していたので、小説を書く時間が無くなってしましました。ですが、黄山紀行は第4回を投稿しましたぞ。段々と面白くなって行くと思います。上海ラーメン男や、へらへら男、1番美人や、2番美人も出て来ますからね。おやつです。一番下の茎わかめは、Tkeさんから頂いたものです。夕食です。量も多くて美味しいです。ご飯に味噌汁、お茶です。今夜のご飯は美味しかったです。これで3度目の美味しいご飯です。その旨、看護主任に話したら、同じように炊いている、どうしてかなー? と言っていました。しかし、確かに味が違うのですよ。今夜のご飯、味噌汁、おかずならば、最高なんですけどね。本日は、日曜日、ゆったりしました。1週間に1度は完全休養も良いですね。完全休養と言いながら、パソコンに向かって作業はしていますよ。1. ブログを書く2. 中国からお金の送金に係わる資料の作成3. 黄山紀行の作成と投稿これらを行いました。小説・寺本悠介、ギリシャの本の編集には、手が出ませんでした。まだ、19時前なので、これから、少しやろうかな?まぁ、良い日でした。
2026.04.21
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2026年4月18日(土)アフリカ縦断の旅 総括アフリカ縦断の旅、思わぬ展開で旅を中止し日本へ帰国しましたが、予定した国々は、マダガスカルを除き。ほぼ廻りました。忘れないうちに、アフリカ縦断の旅を纏めておきたいと思います。A.期間 94日間 出発 2012年6月27日(水) 帰着 2012年9月28日(金)B.訪ねた国・都市 12か国、31都市・地域 1.トルコ :イスタンブール 2.エチオピア : アディスアベバ、アワサ 3.ケニア :ナイロビ、マサイマラ 4.ウガンダ :カンパラ、ジンジャ 5.ルワンダ :キガリ、キブ湖 6.タンザニア :ムワンザ、モシ、ダルエスサラーム、 ザンジバル島(ストーンタウン、パジェ) 7.ザンビア :ルサカ、リビングストン 8.ジンバブエ : ビクトリアフォールズ 9.ボツワナ :チョベ国立公園10.ナミビア :ヴィントフック、ナミブ砂漠11.南アフリカ :ケープタウン、ジョージ、オーツホーン、ナイズナ、ストームスリバー、 ポートエリザベス、ブルームフォンテン、キンバリー、ヨハネスブルグ12.レソト :マセル、マレアレアC.費用 約60万円 飛行機 20万円 宿、食費、その他 40万円(1日当り: 4,255円)心残りは、エチオピア 雨季であった事と、ブラックアフリカ最初の国の為、極度に緊張して、慎重に なっていました。それで、南部の少数民族に会いに行かなかったこと。 さらに北部の、遺跡などを見に行かなかったこと、心残りです。心残りは、タンザン鉄道、マラウィ タンザニアのダルエスサラームからタンザン鉄道に乗って、途中下車、そして マラウィを通って、ジンバブエ、そして、ナミビアへ行く予定でした。 しかしながら、熱を出して弱気になり、交通機関の発達していない、このルートを 回避し、飛行機で、ダルエスサラームからザンビアのルサカへ行ってしまいました。心残りは、マダガスカル 日本からの緊急帰国要請により、マダガスカル目前で、予定変更の帰国。 バオバブの木々は是非見たかった。いつか、行きたい。意外と、お金がかかった 飛行機代を除いて、1日当りの使用金額が、4255円です。 節約したつもりですが、かなり大きな出費です。インドは、1700円程度でした。 3ヶ月、12か国訪問の費用が、総額60万円。これが高いと思うか、安いと 思うかは、日ごろ、どんな旅をしているかによって、変わるでしょうね。 実は、今回の旅は、「安全と健康は、お金で買う。」と決めて出発しましたので、 もっと、かかると思っていたのです。予算よりも、安く旅が出来ました。心に残った、ルワンダ ルワンダが意外と良い国でした。バックパッカーには最適と言われている ウガンダが、あまりにインド的で雑然としていた為、小奇麗なルワンダが 印象に残っています。心に残った、ビクトリアの滝 世界三大瀑布の一つビクトリアの滝。南米のイグアスの滝には、敵わない ものの、やはり大きく、心に残っています。 ビクトリア近辺の散策や、近くのボツワナのチョベ国立公園、リビングストンも 含めて、居心地も良かったです。心に残った、ザンジバル パジェにある日本人女性が経営している、パラダイス・ビーチ・バンガロー。 ここでは、静かな海、美しい浜辺、日本語の小説が沢山ある図書館(無料)、 美味しい日本食、病の後だけに、体力回復、その後の旅に、大きな良い影響を 与えてくれました。心に残った、ラフティング ウガンダ、白ナイル川での、初めてのラフティング。 これは、結構きついですが、楽しかったです。思わぬ激流で、ナイル川に 放り出され、危うく、溺れそうになったのも、今では、楽しい思い出です。 しかし、この後、だるくなり、熱も長引いたので、ラフティングは、思ったより、 体力的に厳しいのでしょう。心に残った、ナミブ砂漠 世界の砂漠、サハラ砂漠や、ヨルダンのワディラムに比べると、ワンランク 落ちるとアジアの星一番は査定しましたが、それでも、一度は行くべき、 そして歩くべき、砂漠であると思います。心に残った、マサイマラサファリ 2泊3日、沢山の動物に出会えます。しかも動物園でなく、自然の中の草原。 動物に出会えなくても、草原を走る風は、気持ち良いです。 チータがガゼルを狩って食べるシーンは、自然の厳しさを目の当たりに見ました。心に残った、ケープタウン 他のアフリカ各国と、全く趣の異なる南アフリカ。中でもケープタウンは、大きな 都市でありますが、西欧の都市のように整備されております。 旅人が楽しめるツアーも沢山用意されており、ついつい長居してしまいました。 ケープタウンは、南アフリカの首都(立法府)なのですね。ヨハネスブルグが首都と 思い込んでいましたが、プレトリア(行政府)、ブルームフォンテーン(司法府)と、 3つの都市に首都を分散してあります。心に残った、レソト レソトなどと言う国、「アフリカ縦断の旅」を計画するまで知りませんでした。 南アフリカに周囲を全て囲まれているにも関わらず、独立国でいられたのが、 不思議です。同じ黒人でも、南アフリカの黒人とは、陽気さが違います。 やはり、白人に蹂躙されたか、されなかったか、で変わるのでしょう。 それに、電気も、水道もない、マレアレア。故に、空一面の星空。 さらに、くっきりと美しい南十字星も、満喫。心に残ります。まだまだ、数え上げれば、切がありません。行く先々での体験は、脳裏に、身体に刻み込まれています。その体験も、時が過ぎ去るに従って、褪せて、薄くなって行く事でしょう。されど、毎日、書き続けたブログのお陰で、読み返して見れば、その新鮮な気持ちも、蘇るはずです。そして、ブログは日記なれど、読んでくれる方、コメントを書いて下さる方々がおられる故、書き続ける気持ちも強くなります。その点、皆様に、心より、感謝申し上げる次第でございます。来年の半ばまで、中国の重慶に滞在します。その後は、どこへ行くか、今の所、決まっていませんが、日本には帰らず、物価が安く住み易い国に移動し、「世界への旅」を夢見て、実現して行きたいと思っております。==============================長らく「アフリカ縦断の旅」、を掲載して来ました。リハビリのブログだけでは面白くないかと、ちょっと古いですが、旅ブログも載せた次第です。次はどこが良いかとブログを読んで下さる方々に質問しましたら、イエメンとヨルダンとの声がありました。それで、ちょっと古いですが、その順で掲載いたします。思うに彼の地辺りは、急激な変化と言うか、進歩はないと思いますので旅に出るなら多少の参考になろうかと思います。2000年頃からの中国は急激な進歩がありましたので、その頃以前の中国とその後、例えば、2010年頃の中国は別の国か? と感じるほど変わりました。ですが、中東の国々は、そう変わってないと思います。===============================本日は土曜日、本日が終わると明日は完全休養日の日曜日です。特に何をするでもないですが、日曜日は嬉しいですね。ギリシャの本の編集を行い、小説・寺本悠介の場合、を書く、これが日曜日の作業でしょうか? それに良い映画やドラマがあれば、見たいですね。そうそう、明日は、前橋市に住む親しくさせて頂いているご夫妻が面会に来てくれます。世界一周船の旅で知り合いました。寄港地では大体一緒に行動しました。帰国後も、温泉旅行にも1年に1回は行っていました。昨年の中山道歩きでは、ご自宅に泊めて頂き、美味しい料理で歓待して頂いたのです。良いご夫妻で、世話になっているのです。ですからお会いするのが楽しみです。蒲田リハビリテーション病院に居る時もわざわざ、群馬県から面会に来て頂いたのですよ。朝食です。熱いお茶が出されました。ご飯に味噌汁です。今朝は味噌汁でした。おかず3種です。隣のお婆さんから、海苔を頂きました。納豆も持っているし、色々と買って来て貰っているようです。美味しかったです。有難いですね。おばあさん、明日、曾孫が来ると楽しそうに話していました。よくよく話を聞くと来るのは29日とのこと。おばあちゃん、明日は19日だよ。と教えると、ええー、と言い、がっくりしていました。2年半家に帰ってないとの事ですが、面会は楽しみなんでしょうね。待ち遠しいのですよ。可哀そうにまだ10日も待たねばなりません。午前のリハビリです。話をした事ない大きな声の理学療法士さんが10分位、今日は何日だ、とか聞いたりしながら話をします。私は、居眠りをしてしまいました。遺憾なー。まずは、集団体操です。20分行いました。その後、アジアの星一番は、ストレッチ、筋トレを行いました。本日は、責任者のTktさんでなく、女性のMrtさんです。Tktさんに教えて貰いながら行ってくれました。少しお茶を飲んで休み、平行棒で歩行訓練です。同じくMrtさんが補助してくれました。2mですが、9往復しました。足の調子はまぁまぁです。良くもなってもなく、悪くもなっていません。Mrtさん、あまり補助したことないと言っていますが、上手です。歩き易かったです。昼食です。とうもろこしご飯が出されました。美味しいです。おかずも多いです。おかず3種にデザートです。壁の上を見たら、私の名前がありました。入所したばかりなので、出発地の日本橋です。1ヶ月に1宿進むので、来月は品川宿に進みます。面白いですね。楽しみです。どこまで行ったら、退所出来るでしょうか?午後のリハビリです。本日は土曜日なので集団体操はなく、療法士さんからお話があるとの事です。立ち上がり訓練は行うが、その為にわざわざ、降りてくるのも大変なので、不参加でも構わないと言ってくれました。ですが、明日は完全休養日だし、立ち上がり訓練は、重要だと思うので、参加しました。45回行いましたが、立ち上がってから座るまでの時間がいつもより長かったので、きつかったです。部屋で少し休んでから、又、リハビリに参加しました。平行棒の歩行訓練です。責任者のTktさん始め、Mrtさん、Murさんの3名の方がつきっきりで行ってくれました。平行棒を3台繋げて6mとし、過去最高の6往復歩きました。72m歩いた事になりますが、足は疲れたと言う感じはないです。しかし、Tktさんに、手を使っているから足が疲れない。足が疲れたと言う歩き方になればさらに良いと言われました。言われてみれば、確かに手、腕を使っています。足に体重をかけるように歩かないと意味ないですね。それから、足が内側に入ってしまうので、歩き難くなると、指導がありました。それも気を付けて歩きましょう。毎日、具体的な指導があるので、有難いです。リハビリ後のおやつです。美味しく頂きました。これで今週のイベントは全て完了です。明日は完全休養日です。何となく、気分がホッとします。コーヒーも旨いです。夕食です。17時ちょっと過ぎに食堂へ行ったらもう食べて部屋へ帰る人もいます。早いですねー。おかず4種です。量も多いでしょう? そして美味しいです。ご飯にお吸い物、お茶です。お茶は熱かったですが、お吸い物は残念ながらぬるかったです。ご飯は美味しくなりました。土曜の夜はゆったりですねー! 明日が完全休養日ですから。何もなく、やりたい事が出来ると思うと心が浮き浮きします。ですが、やる事があるのです。中国工商銀行に預金してあるお金を日本に送金せねばなりません。友人の熱血教師さんに依頼し銀行に聴取して貰いました。回答を頂きましたが、さらに質問があります。その質問書を作成せねばなりません。最終的な提出準備は4項目あります。それらも準備して、その4項目で、送金してくれるか確認をして貰わねばなりません。それらの資料を明日、作成します。日本で受領する口座データも作成し、熱血教師さんに送付します。そうそう、体調は悪くないです。今まで悪く辛かった項目が全て良い方向に向かっています。1. 尻が痛い → 良くなっている。2. 足の痺れ → 良くなっている。しかし、右足がピクピク頻繁に 動くのは良くなっておらず、むしろ悪くなっている。3. 足の痙縮 → 突っ張る頻度が減っている。4. 足の甲の浮腫み → 良くなっている。5. 睡眠 → ここの所、良く眠れる。このように老健の時、Hakuへ入居当時に比べると、全てが良い方向になっています。薬(芍薬甘草湯とタリージェ)と、リハビリのお陰かと思います。リハビリは、立ち上がり訓練、平行棒での歩行訓練、さらに、ストレッチ、及び、筋トレを各種やって貰っています。それらが効いているのではないかと思います。筋トレも7~8項目あり、今までの施設ではやってくれないリハビリです。これも有効ですよね。薬の副作用があると聞いていましたが、多少眠くなる程度で、腕の力や足の力は変わってないと思います。とにかく、良くなってくれれば嬉しいです。
2026.04.20
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうに寒いオンボロバスに乗って杭州から黄山の麓の宿に意識朦朧となりながら到着。エアコンは効かないわ、トイレの水は出ないわ、従業員が何人も来て大騒ぎ。ようやくエアコンも治った。そしてこれまた寒いレストランで食べて帰りにマッサージの部屋に入った。 写真はネットより借用================================第3回 2026年4月20日(月)気持ちよさの二乗となった。一緒のたらいに足を入れて、見つめ合っていると、この3人が3人、それぞれが、ほどほどの美人なのです。世間話をしながら様子を見た。と言っても、分かるのは、出身地と、年齢を聞く程度であるが。一人は、肉感的、本格派美人。ちょっと澄ました感じがする。一人は、ほっそり型の美人。この娘が一番しゃべる。一人は、可愛い娘系だが、ちょっと太め。愛嬌がある。さぁ、皆さんなら、どの娘を選ぶでしょうか?僕は、考えました。目的は、マッサージです。この目的を間違えると、選ぶ人を間違えてしまいます。あくまで健康足マッサージです。ちょっと澄ました本格派美人は、手抜きされる可能性がある。「あんた、あたしにマッサージして貰って嬉しいでしょう?」、ってな自信過剰的、感覚がありそう。よくしゃべるほっそり型美人。この娘を選ぶと、おしゃべりばかりしてマッサージの方への集中が出来ない可能性がある。目的から外れる。結局、ちょっと太めの愛嬌のある可愛い娘系にした。力もありそうだし、愛嬌もあり、優しそうな所に負けた。ん? 負けた訳ではない、単に、足のマッサージをして貰う相手に選んだだけだ。正解であった。丁寧に、強く、弱く、足の壺を押す。手抜きもない。おしゃべりも少ない。あのオンボロバスの地獄的時間が、わずか、5時間前にあったのが、信じがたい程である。1時間、たっぷり足裏マッサージを行う間、どこからか、男達が入れ替わり立ち代り、どうかな、4~5名やって来た。そして帰って行った。マッサージ屋に来て、何もしないで帰って行くのです。何もない所だから、井戸端会議的場所の、役割も兼ねているのかも知れない。足のマッサージが済むと、全身マッサージはどうか? と進められる。足裏マッサージが、あまりに気持ち良かったので、頼もうかと思った。しかし、マッサージ台がない。マッサージは、どこでするのか、と確認すると、部屋へ行く、と言いおる。「ん? これは、何やら、怪しいぞ?」、と、僕の自己危険信号が鳴り出した。一度、そのような危険な目にあって見たい気がしないでもないが、やはり、ずっと続けてきた清純な生き方を簡単に変える訳にはいかない。よって、全身マッサージは、断念する。どうもここはマッサージ兼置屋のようである。だから男達が入れ替わりやって来るのである。早々に、マッサージ部屋を、退散して、自分の部屋へ戻る。部屋のエアコンは効き目十分。暑いほどである。娘さんが、30度に温度設定して、何故かリモコンを持って帰ってしまったので、温度調整不能なのだ。いくらなんでも、暑すぎるぞ! と娘さんの部屋へ行こうとしたが、勘違いされても、説明能力がないし、大問題に発展しても困るので、30度の設定で我慢する事にした。暑すぎるが、凍死よりはずっと増しだ。シャワーを浴びようとした。直っているはずであった。確かに、ホースは接続されているし、水は出る。しかし、いくら待っても、お湯とは言いがたい水に近いぬるま湯しか出ない。よって、シャワーも断念した。豪華等クラスホテルにしては、我慢すべきことが多い。ここは標準等クラス以下のホテルに違いない。支払いのみ豪華等なのだ。ま、最下等オンボロバスに比べれば、標準等クラス以下でも、我慢できる。明日、昇る黄山であるが、黄山風景区と呼ばれ、中国の10大風景名勝区のただ一つの山岳風景区である。僕が言っているのではなく、案内書に書いてあるのであるからして、本当だ。世界遺産にも登録されているそうである。因みに、中国で世界遺産に登録されている所は、37箇所もあるそうです。万里の長城や、故宮、蘇州古典園林、秦の始皇帝陵、ラサのボタラ宮、などなど。そして日本はと言えば、14箇所です。中国の半分以下ですが、歴史や広さから比べれば、日本だって相当、頑張っているなーと、感心しています。因みに、日本で世界遺産に登録されている箇所と、中国で、登録されている世界遺産は、次の通りです。(2008年現在)日本の世界遺産文化遺産・ 法隆寺地域の仏教建造物 ・ 姫路城・ 古都京都の文化財・ 白川郷・五箇山の合掌造り集落 ・ 原爆ドーム ・ 厳島神社 ・ 古都奈良の文化財 ・ 日光の社寺 ・ 琉球王国のグスク及び関連遺産群・ 紀伊山地の霊場と参詣道 ・ 石見銀山遺跡とその文化的景観 自然遺産・ 屋久島・ 白神山地・ 知床中国の世界遺産文化遺産・ 万里の長城 ・ 明、清朝の皇宮群・ 敦煌・莫高窟 ・ 秦の始皇帝陵 兵馬俑・ 周口店の北京原人遺跡 ・ 承徳の避暑山荘と外八廟・ 曲阜の孔廟・孔林・孔府産 ・ 武当山の古建築物群・ ポタラ宮・ 蘇州古典園林 ・ 古都平遥 ・ 麗江古城・ 北京頤和園・ 北京天壇公園 ・ 大足石刻・ 龍門石窟産 ・ 安徽省南部古民居 ・ 都江堰と青城山 ・ 明清朝の皇帝陵墓群 ・ 雲崗石窟 ・ 高句麗の首都と古墳群 ・ マカオ歴史城区・ 河南省安陽市殷墟・ 開平望楼(碉楼)群・ 福建土楼自然遺産・ 泰山・ 九塞溝の自然景観・ 黄龍の自然景観・ 武陵原の自然景観・ 廬山国立公園・ 雲南三江併流群・ 四川省パンダ生息地・ 中国南方カルスト・ 江西三清山複合遺産・ 黄山・ 峨眉山と楽山大仏・ 武夷山明日、日帰りでこのホテルに帰ってくると、何となく頷いてしまったが、黄山の頂上に泊まりたいなー、雨でも良いから、黄山の頂上に泊まりたいなー、とウトウトしながら、そして美しい景色を想像しながら眠りの中へ・・・。==================================
2026.04.19
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2026年4月17日(金)2012年9月28日(金) アフリカ縦断の旅 94日目香港から成田へ 「アフリカ縦断の旅」最終日ヨハネスブルグから13時間かかって、11時40分に香港に着きました。そして、15時10分に、成田に向かって飛び立ちます。香港時間15時10分だと、南ア時間では、朝の9時10分です。本来ならば、ヨハネスブルクの黒人居住区の見学に出かける時間なのに香港から日本に向けて、出発するのが、何とも不思議です。予定通り、キャセイ航空の機体は、香港上空へ浮かび上がりました。およそ4時間半、丁度3ヶ月振りに成田到着。思い起こせば、6月27日、蕁麻疹に悩まされ、欝病にも襲われ、見知らぬ、ブラックアフリカへの旅立ちの不安もあり、不安だらけの出発でした。途中、ケニアのナイロビでは、欝病が特別に悪化したり、ルワンダからタンザニアでは、10日間ほど熱が出て、丸4日間も寝込み、どうなる事かと思った旅でありました。思わぬ経過により、旅の途中で帰国となりましたが、銘打った「アフリカ縦断の旅」、一応、予定通り、アフリカは縦断しました。本来の予定は、ヨハネスブルグ以降、以下の通りだったのですが・・・。 9月29日(土) ヨハネスブルグ → アンタナナリボ10月11日(木) アンタナナリボ → ナイロビ10月12日(金) ナイロビ → イスタンブール10月19日(金) イスタンブール →ソウル仁川10月20日(土) ソウル仁川 → 成田キャンセルの効かない、エアーチケットの為、 * ヨハネスブルグ → アンタナナリボ * アンタナナリボ → ナイロビ → イスタンブール * イスタンブール → ソウル仁川 → 成田の飛行機は、無駄になりました。大よそ、15万円ほど、損をしました。まぁ、仕方ありません。金は天下の廻りもの、無事で健康に帰国出来たのですから、感謝です。健康でさえあれば、又、いつでも、出かけられます。香港から成田、4時間半のフライトで、成田には、 20時半着。リムジンバスに乗って、東京駅には、22時半頃着きました。夜遅くなのに、人がいつもより、多いなー? 写真を撮っている人もいるぞ?と思っていたら、東京駅が新装、お披露目となっていたのです。以前と比べて、どうでしょうか?=================================目が覚めたら、4時でした。本日も熟睡出来ました。足が痛くならないので良く眠れるのでしょう。薬とリハビリのお陰かと思います。体勢を変えて貰って、又寝て5時起床。7時間20分寝ました。熟睡して、気持ち良い朝です。ここの所、ずっと痛かった尻の痛さが減っています。車椅子でもベッドでも座っているので、尻が痛いのですね。ひどくなると褥瘡になるので、予防に気を使っています。ひとつは、軟膏です。看護師さんにアズノールを塗って貰っています。もうひとつは、除圧です。ベッドで作業する時は、30分に1回、横向きになり尻への圧力を減らす除圧です。タイマーをセットして、必ず30分に1回行います。何が功を奏したのか、ここの所、尻の痛さが減じています。まぁ、有難い事ですな。腹減って来たので、お菓子を食べます。ここHakuは体重を計ってくれないので、分かりませんが、ここに来てから、体重が減っているのではないかと思います。今まで、他の施設で腹減ったなー、と感じる事はなかったですから。おかしいなー? 朝食の写真を撮ったはずなのにないです。撮ったつもりが撮ってなかったのでしょうか?やばい、惚けたかなー?まぁ、いつもと同じです。ご飯は、少し柔らかくなり美味しくなりました。味噌汁ではなく、お吸い物でした。さて、9時20分からリハビリです。1. 集団体操2. 立ち上がり訓練 23回3. ストレッチ、筋トレ筋トレは色々と行ってくれますが、尻上げは全く上がりません。それでも療法士さんは、1mmでも良いから上げるようにして下さい、と続けます。AIも出来なくても良いからやれ、脳からの指令が大切だと言っています。チェンマイへEMSで資料を送りました。バンコク銀行にある保険解約の返却金、それを日本へ送金する為の資料です。一応、手書きですが、レターも同封しました。これがチェンマイに届けば、弁護士さんが日本への送金手続きを行ってくれます。チェンマイのお金を日本に送金する件、聞き取りを初めてから半年以上かかりましたが、ようやく全て解決となります。良かったー。本日は金曜日、お風呂の日です。リハビリの平行棒の歩行訓練がありますが、中止してお風呂優先です。身体を洗って、お風呂に浸る。気持ち良いですねー。至福の時間です。これが週に3回ありますので有難いです。老健は週に2回でしたから。風呂からあがると、スポーツドリンクを準備してくれます。昼食です。わぉー、麺です。うどんのようです。嬉しいなー!天ぷらうどんです。てんぷらはなくても良いですが、うどんは美味しいです。もっと頻度を増やして欲しいです。が、昼食時に隣に座って女性は、うどんが嫌いなそうです。う~む、難しいですなー。午後のリハビリです。1. 立ち上がり訓練 45回 10分2. 集団体操 35分3. 平行棒での歩行訓練 6mを5往復1往復毎に休憩しますが、責任者のTktさんも、Mrtさんも、旅好きで旅の話をします。Mrtさんは、旅本を読みたいと言うので、日本一周の本を9冊無料進呈しました。これには日本二周目も含まれています。午後3時から、皆さんはリクレーションを行います。その間、理学療法士、作業療法士の皆さんが多い時は3人で、私だけの為に、平行棒の歩行訓練を行ってくれます。もし外部リハビリを1時間頼んだら、一人1万数千円です。3人ですと、4万円支払わねばなりません。それを安い費用で行って貰っています。ですので、ほんと感謝です。安い旅本など何冊でも無料進呈します。これを読んでくださっている皆様で欲しい方には、無料で送りますので連絡下さい。PDFが読める方でないと送っても読めませんが。リハビリの後の、おやつタイムです。コーヒーとお菓子、そして羊羹もあります。夕食です。おかず4種です。多いですねー。美味しいです。ご飯、お吸い物、お茶です。味噌汁が出て来ないですねー。朗報です。中国のお金が、日本へ送金出来そうなニュースです。チェンマイの預金は全て解決します。添付のレターを添えて、本日必要資料を添えて、チェンマイへ送り返しました。それで弁護士さんが銀行で手続きを取り、日本の私の口座へ送金してくれます。残っているのは、中国に預金してあるお金です。教え子に預かって貰っているお金と、自分の口座に預金してあるお金があります。教え子に預かって貰っているお金は、教え子にどのように送金するのが好ましいか調べて欲しいと依頼してあります。まだ返事がありません。自分の口座のお金は、自分が中国へ行かない限り、降ろせないであろうとほぼ諦めておりました、しかし、ダメもとで、四川外国語大学の友人、熱血教師さんに、銀行へ聞いて貰うよう依頼しました。その回答が、送金可能である、と言う事なのです。勿論、色んな資料を送らねばなりませんが、そんな作業は、何ら問題ありません。お金が送金して日本で受領出来るならば、何でも行います。まだ諸手を上げて大喜びと言う段階ではないですが、送金出来る可能性が大きいと言うことなので、嬉しいです。23万元くらいありますので、円換算で、460万円以上あります。大きい金額ですよね、これが戻ってくれば、もう少し長生きしても暮らしていけます。何とか送金出来るよう、資料作りに頑張ります。
2026.04.19
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2026年4月16日(木)2012年9月27日(木) アフリカ縦断の旅 93日目緊急帰国 ヨハネスブルグから香港へ昨夜、部屋でネットをしていたら、家族からメールが入りました。滅多に家族から、メールなど、受信しないので、悪い予感がしました。案の定、1日も早く帰国して下さい、との内容。(理由は控えますが)それで、その時間は、既に、航空会社は空いてない時間なので、ネットで、航空券を急いで探しました。以前は、エクスペディアで探した事が多かったですが、入力が面倒なのと時間もかかるので、最近は、スカイキャスナーで探す事が多いです。翌日のヨハネスブルグから香港経由成田で、見つかりました。最安値は7万7千円。ヨハネスブルグの見学も出来ず緊急帰国です。9月27日(木) 南ア航空 SAー286便ヨハネスブルグ発 16時40分宿のチェックアウト時間もあるので、早めに空港へ行きました。アジアの星一番の乗る、香港行き飛行機の待合室は、中国人だらけです。多くの中国人がアフリカに来ていると、何度も聞いたし、実際にツアー団体もこの目で見ましたが、これだけ多くの中国人を、一度に見るのは初めてです。中国の勢いを感じると共に、日本の衰えも感じ、寂しさを覚えます。尖閣問題との理由で、デモがあり日系企業が襲われたあとだっただけに中国人の日本人に対する態度がどうか、心配しました。しかしながら、待合室の隣に座ったスーツ姿の二人連れは、親しく話かけて来て、デモは良いが、襲撃や盗みには困ったものだ。中国人として恥ずかしい、と言うような内容の話をしていました。領土問題は政府同士でやれば良い、国民同士は仲良くしなければならない、などと分かったような事を言っていました。それが本心なのか、外交辞令なのかまでは分かりませんでしたが、多くの中国人が、そう思って、そのように行動してくれれば、本来の大国になれるのになー、と感じた次第です。飛行機に乗り込み、機内を見回すと、9割ほどは、中国人です。餓鬼が騒ぐわ、トイレは汚くするわ、で、中国人の嫌な面を見ます。機内映画は沢山ありましたが、大半が英語でスペイン語もありました。中国語も吹き替えとか、字幕は多かったです。しかし、日本語は、たった1本しかありません。しかも、全く有名でなく、且つ面白くない映画でした。今の時代、簡単に映画は入手可能だろうから、南ア航空、しっかり準備してよ、と言いたい所ですが、ここにも日本の地盤沈下が現れているのかなーと、寂しい気分です。まぁ、でも、映画はなくとも、一応、夜の時間になれば、寝れば良いので、それほど、退屈さは、感じません。13時間かかって、翌日、28日、香港時間の11時40分に、香港に到着しました。まだまだ、「アフリカ縦断の旅」、は続くはずでした。明日は、マダガスカルに飛ぶ予定だったのに、香港に居ます。不思議な気分です。=============================昨夜は、熟睡は出来ませんでしたが、7時間15分は眠れました。スマートウォッチによれば、夜中に目が覚めていると言う表示になっています。自分では分かりませんが、それが熟睡でなかった要因かも知れません。朝食です。おかず3種です。ご飯に味噌汁、お茶です。9時20分からリハビリです。1. 集団体操2. 立ち上がり訓練 26回3. ストレッチ4. 筋力トレーニング5. 平行棒で歩行訓練 2mを8往復ストレッチは15分位、その後、足の筋力トレーニングを各種、行います。足を真っすぐにして持ち上げる、両足を開く、膝を曲げて下に押す、足を曲げて押す、などなど沢山行います。夜寝ている時に、痙縮(突っ張り)がなく、良く眠れるようになった、薬のお陰でしょうか? と聞いたら、このストレッチと筋力トレーニングも効いているのではないか、と言われました。痙縮(突っ張り)は、突っ張りと言うより、引っ張りと言った方が良いと思うような動きで、足が伸びるのでなく、曲がるのです。今の訓練は全て足が曲がるのでなく、伸びる事を行っている、と言う事です。色々と考えて訓練を行ってくれているようです。昼食です。早く行ったので、お茶が出されました。昼食です。煮魚を含み、おかずは4種です。ご飯にお吸い物、お茶です。ご飯の硬さは丁度良くなって来ました。午後のリハビリです。14時から始まります。1. 立ち上がり訓練 50回 アジアの星一番は45回2. 集団体操3. リクリエーション アジアの星一番以外の方々4. 平行棒で歩行訓練平行棒を3台並べて歩きます。6mあります。本日は1回毎に休みを入れて、5往復しました。ですので、60m歩きました。これは最高新記録ですね。特に足が疲れたとは感じませんが、往復の帰りは足が動き難いので、疲れているのかも知れません。手と腕は痛いです。この調子で頑張りたいです。リハビリの後のおやつです。コーヒーとお菓子です。夕食です。おかずは4種です。ご飯、お吸い物、お茶です。朝食、夕食の時、隣りに座っているのは、91歳のお婆さんです。私の従弟が住む家の隣保班です。叔父さんや叔母さんは良く知っています。それで、時々話をするのですが、もう2年半、ここに滞在し、一度も家に帰っていないとの事です。足が悪いようです。それで、足が治ったら何をしたいですか? と聞いた所、家に帰って花を育て、野菜も作りたいと言っていました。良いですねー、そう言うやりたいことがあって。私は、そのような趣味がないので、その楽しみは分かりませんが、草取りとか大変でしょうが、花が咲いた時の楽しみはあるのでしょうね。小学校5年の時に終戦。戦争中は、食べる物も不足していて大変だったと話していました。息子さんはキノコ会社の社長で、従業員が30人いるそうです。自慢の息子さんなのでしょう。頭はしっかりしており、耳も聞こえるので、雑談するには良いお相手です。
2026.04.18
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あらすじ悠介は、長野県安曇野の隣、池田町に産まれ、長野高校に進学した。大学は東京のM大学である。その間、小平由樹枝と良いお付き合いをした。大学2年になりとあるコンパで飲み過ぎて矢代美恵子と深い関係となる。小平由樹枝を愛していたが、愛想をつかされ振られてしまった。その後、美恵子とは変則的な付き合いを行い、1年先輩の美恵子は就職して大学もアパートも去った。悠介は大学4年になり就職活動も終わり、希望の会社に就職も決まった。そして友人高橋の結婚披露宴も無事終了。その後新婦の友人の唐橋由美子と親しくなったが、別れたいが別れさせてくれない。一方、美枝子は玉の輿と言える結婚する事になった。3月末、悠介は就職したが、実習中に由美子が自殺未遂をしたと言う連絡を受けて真っ青になった。由美子の父親に会い、慰謝料も支払い問題は解決した。悠介は希望の鹿沼工場に配属され社会人生活が始まったが、女性問題がありタイのシラチャへの出張が決まった。シラチャーでの仕事、恋愛も順調である。2年強のシラチャ生活を終え、鹿沼に帰り2年が経過した。そして2年振りに心がときめく女性を会う。橋本千恵子と言う女性である。写真はネットより借用================================第199回 2026年4月17日(金)夕食は広い食事処だった。テーブルの上には、群馬の食材を使った料理が並んでいる。「すごいな。」悠介が言う。「旅館の料理って感じだね。」千恵子が嬉しそうに言った。上州牛の陶板焼き、川魚の塩焼き、こんにゃく料理、地元野菜の天ぷら。「群馬名物ばかりだ。」二人はゆっくり食べ始めた。「今日は長い一日だったね。」千恵子が言った。「黒檜山登ったしね。」「でも意外と早く登れた。」悠介は頷いた。「3時間かからなかったな。」千恵子は少し黙ってから言った。「ねぇ。」「ん?」「この旅って、本当に60時間なの?」悠介は笑った。「だいたい60時間。細かくは計算してないけど、初日に朝8時出発、2日目、3日目の朝8時で48時間、夜8時に鹿沼に着くとすれば60時間だよ。」「そうか、ちゃんと計算してるじゃない? でも不思議だね。」「何が?」「まだ2日目なのに、すごく長い旅をしている感じがする。」悠介も少し考えた。「確かに。」昨日の赤城。黒檜山。大沼。そして伊香保。まだ二日目だが、思い出はすでにたくさんある。「時間って、不思議だね。」千恵子が言った。「同じ一日でも、長く感じる日もある。」悠介は静かに頷いた。「この旅は、きっと長く感じる旅になるだろうな。」千恵子は微笑んだ。「それなら嬉しい。」食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。温泉街の灯りが、山の斜面に点々と光っている。二人はゆっくり部屋へ戻った。「せっかく温泉にきているんだ。もう1回入って来る?」「ええ、入って来ましょう。」二人は連れだって温泉へ向かった。浴衣の千恵子を見ていると色っぽい。悠介は興奮して来た。しかし今から温泉である。静まれ、静まれ、と息子に暗示をかけた。ゆったりと温泉に浸って部屋に戻った。テーブルに座って温かいお茶を飲む。「こっちへ来いよ。」悠介は千恵子を誘った。その言葉に誘われて千恵子が悠介の隣に座る。悠介はそっと肩を抱き寄せる。千恵子は悠介に凭れ掛かって来た。自然と唇を合わす。悠介が舌を差し入れると千恵子は静かに吸った。悠介は浴衣の合わせ目から手を差し入れた。直接小ぶりな乳房が掌に触れた。風呂上がりでブラジャーは付けていなかった。口づけをしながら悠介は千恵子の身体を手で堪能した。そして布団に移動した。布団に千恵子を寝かせて浴衣を取り去った。そして下着も脱がせた。千恵子も協力したので簡単に取り去る事が出来た。眩い裸体が横たわっている。悠介は興奮した。そして自分も全てを脱ぎ去り千恵子の隣に横たわった悠介は手を下半身に伸ばした。昨夜はぴったりと太腿は閉じられていたが今は力が抜けている。一度交わるとこれほど違うのかと驚きが大きい。秘部はもうしっとりと濡れている。悠介は千恵子の足を大きく開き上に覆いかぶさった。体重がかからないように注意しながら、悠介は自慢の逸物を千恵子の秘部に押し当てた。先端に温もりが感じられる。千恵子に身体の硬さは感じられない。ゆっくりと押し入れた。きつく締め付けられる感覚が強い。そして熱い。奥まで挿入し千恵子を抱きしめた。逸物がすっぽりと納められた感覚がある。千恵子の耳に口元を当てて聞いた。「痛いか?」千恵子は無言であるが、痛さを堪えているような表情である。初めての交わりは後背位であった。今夜初めて正常位で繋がった。後背位も最高に良かったが正常位の方が愛し合っている感覚がある。正面で抱き合えるからであろう。悠介はゆっくりと抽送を開始した。スムースである。奥深く差し込み、そして戻す。これほど気持ち良い事が世の中にあるのだろうかと思う。シラチャの彼女、ハンサを残して帰国してから2年、彼女はいなかった。なので久しぶりのセックスである。興奮が絶頂に近くなった。悠介は千恵子の尻を抱え込み、大きく早く抽送を繰り返した。そして、「うぅ」っと呻きながら白い液体を千恵子の下腹の上に吐き出した。悠介は素早くテッシュで後処理を行い、千恵子の隣に横たわった。「素晴らしく良かったよ。ありがとう。」千恵子は黙って顔を悠介の胸に押し当てた。二人は全裸のまま抱き合って眠りに落ちた==================================
2026.04.17
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2026年4月15日(水)世界で最も危険な都市、ヨハネスブルグへキンバリーの町は、昔のダイヤの発掘跡以外は、何もない小さな町です。従って、1泊すれば、充分な町でもあります。観光客も宿泊しないで、次の町へ行くのか、連泊可能な安宿もありません。それで、本日は、世界で最も危険な町、と言われるヨハネスブルグへ向かいます。まぁ、大丈夫だとは思うのですが、危ないと言われる場所へ、わざわざ、行って、実際に危険な目にあったら、言い訳も出来ません。まして、今回の「アフリカ縦断の旅」の、モットーは、「安全と健康は金で買う」、だったのです。そして、ほぼ縦断完了間近になって、それを変更する必要は、全くないのであります。その考えに基づき、既に、ヨハネスブルグのバス停にタクシーの迎えは手配しております。ですから、安心して、キンバリーを出発します。8時15分バスは出発です。その30分前に宿を出て、重い荷物を背負い、歩きました。そうすると、ここでも、超どでかい、お尻の女性が目につきます。どうですか? 異常、異様なほど、でかいですね?このでかさは、必要なのでしょうか? 無用のでか物のような気がします。歩くにも重たいでしょう。バスは、予定通り、8時15分に出発しました。これが、グレイハウンドのバスです。途中で、給油休憩した時の1枚。2列通路2列なので、狭いとは感じませんでした。途中、見難いですが、フラミンゴのような鳥の群れが、湖の水面を飛んでいました。バスの中からなので、決定的な写真が撮れません。8時間後、ヨハネスブルグの町に入りました。大都市ですね。長距離バス停は、「歩き方」には、絶対に行くなと言う地域の中にあります。そのバス停にさえ、行かないようにと記載されております。ですから、着いたら、バスの乗務員と一緒に、オフィスへ行こうと考えていましたが、運転手が、バス到着場所で待っていました。本当に宿から来たタクシーなのか、信頼出来ません。そうしたら、彼の携帯電話に宿からメールが入っており、それを見せて貰って安心して乗り込みました。28歳の黒人の若者です。ヨハネスブルグは、危ないと聞いているが? と聞くと、全然、問題ない、と言います。彼は黒人なので、観光客とは違います。ですから、その言葉を鵜呑みにする訳には行きません。バス停から、空港近くの宿まで、30分位だったでしょうか?ずっと、運転手の彼と雑談をしていましたが、彼が質問します。「あなたは、いつ、どこで、英語を勉強したか?」、と。僕は、「日本人は、中学校から、全ての人が英語を勉強する。中学卒なら3年、高校卒なら6年、大学卒なら10年と勉強するので、誰でも英語を話す。」と回答。彼は、「いや、そんなはずはない。あなたは英語が上手だ。日本人で、そんなに上手く話す人は初めてだ。」、と言います。僕は、英語が上手いと思った事はありませんが、褒められると悪い気持ちはしません。しかし、英語が話せない日本人も、ヨハネスブルグに来るのだなー、と自身の英語能力から考察すると、そう考えられます。ここが、空港に近い、宿の通りです。バス・トイレ付の個室を予約したはずなのに、2部屋続きの部屋でした。入口側に、中国人が泊まっています。受付に文句を言うと、今夜だけだから我慢してくれと言います。1泊、2800円もの大金を出して宿泊するのに困ったものです。が、仕方ありません。ネットは、部屋で繋がるので、便利ではありますが、トイレへ行くのに。中国人の部屋を通らねばならないので、気分的に疲れます。明日は、ヨハネスブルグの市内見学、明後日は、かなり高額なツアーですが、滅多に行けない、黒人居住区へ行こうと予定しています。その為に、ここに3泊もします。そして、その後は、マダガスカルです。あのバオバブに、ご対面できるはず。楽しみです。宿でも食事は作ってくれますが、かないの高額なので弱りましたが、歩いて行ける所に、スーパーがあり、弁当も売っているし、自炊の材料も揃います。今夜は、チキンカレーを買って来ました。================================昨日、テレビ台が低すぎてテレビが見難いと、責任者のTktさんに言いました。そしたらすぐに、高さのある台に替えてくれました。抽斗もあるし、ベッドからテレビも良く見えます。すぐアクションを取ってくれる所が嬉しいですね。大きな台になったのでスペースがあります。それで頂いた御守りを台の上に並べました。しかし肖ちゃんに頂いた絵が見えません。もう一枚、絵があるのです。両方ともチェンマイのお寺をお参りし、私の回復をお願いし、そして描いてくれた絵なのです。御守り同様ご利益があるはずです。飾らねばなりません。もう一工夫しましょう。看護主任の、Hskさんが、使ってないから無料で冷蔵庫を貸すよ、と言ってくれました。有難いですね。お願いしたら、早速、部屋に運んでくれました。そして今まで使っていた低いテレビ台の上に置いてくれました。とっても居心地のいい部屋になりました。皆さん、本当に親切です。早く良くなって退所したいですが、居心地が良いので、長居しても良いかな、なんぞと言う目標にそぐわない考えも浮かんで来てしまします。拙いですな。蒲田リハビリテーション病院から、医者の診断書が届いたので、介護保険の請求書を、保険会社に送ります。介護保険金請求書は、記載し準備済です。第一フロンティア生命の介護保険は、既に申請して、保険金は入金済です。今回は、ニッセイウェルネス生命の介護保険です。もう一社、PGF生命は、請求資料を要請し、発送して貰いました、届いたら、又、医者の診断書を書いて貰わねばなりません。ですので、時間がかかります・ニッセイウェルネス生命は、返送用の封筒も準備してくれて切手も不要です。年金を扱う日本年金機構とは大違いです。あそこは勝手に資料を送ってよこし、切手を貼って返送せぃ、と言う態度です。もう必要書類は入れたので本日発送して貰います。Facebookのグループ、「70歳から若返る会グループ」のメンバーになったら、物凄い数の投稿があり、読むのも苦労しています。中には良い投稿もあるのですが、大半は不要だなと思う記事です。困るのは、あまりに投稿が多いので、読みたい方々にfacebook友の記事が仲々、出て来ない事です。6万人もメンバーがいるグループです。「70歳から若返る会グループ」、このグループから退会するかなー?朝食です。おかず3品です。ご飯、お吸い物、お茶です。テレビ台が広くなったので、省ちゃんより貰ったもう1枚の絵もだして御守りと共に飾りました。全部見られるようになりました。毎日、手を合わせてお祈りすれば、ご利益も増すでしょう。頂いた方々には、感謝です。ありがとうございました。大切にします。午前のリハビリです。1. 集団体操(全員)2. 立ち上がり訓練 26回(全員)3. ストレッチ、筋力トレーニング、体幹訓練(個人)4. 平行棒での歩行訓練 2mの平行棒を7往復(個人)平行棒は、たった2mしかないので、何歩か歩いて方向転換と言う歩きかたです。30名位の患者さんがリハビリで歩いたりしているので、平行棒を繋ぐ事が出来ません。仕方ないですね。次は、シャワーに入浴です。じっくり湯船に浸りました。風呂は気持ち良いですねー。今までの施設で風呂は、ここHakuが最高です。昼食はカレーでした。良いですねー! カレー、食べやすいです。おかずもあります。カレーには福神漬けですね。豆とフルーツも付いていました。午後のリハビリです。1. 立ち上がり訓練 50回 アジアの星一番は45回2. 集団体操3. 平行棒で歩行訓練 6mの平行棒を3往復長下肢装具を付けて歩きますが、だいぶ慣れて来ました。体重移動も出来て来たので、足がスムースに出ます。慌てずに、もう少ししっかり足に体重が乗れば、介助なしで歩けるようになると思います。リハビリ後のおやつコーヒーとお菓子です。夕食です。おかず4種ですが、多すぎる位です。ご飯、お吸い物、お茶です。ご飯は柔らかくなりました。食べやすいです。要望すると聞いてくれるのが、ここHakuの良いところですね。手形の鯉のぼりです。介護士さんが、入居者全員の手形を取り、このように飾ってくれました。アジアの星一番の手形は緑色です。右端の一番上ですね。Hakuでの1日のスケジュールが分かり慣れて来ましたリハビリもほぼ同じで、慣れて来ました。ここでの現在のリハビリは、立ち上がり訓練と、平行棒の歩行訓練ですね。これは午前、午後と2回行います。介助なしで歩けるようになるまでこれを続けるのではないかと推測致します。その他の、集団体操は時間をかけていますが、歩きへの貢献度は低いのではないかと思います。ま、でも、やらないよりは、ずっと良いはずなので続けています。ここの所、良く眠れます。芍薬甘草湯とタリージェが効いて来ているような気がします。足の痺れも痙縮少なくなっています。ですが、右足のピクピクする痙攣のような症状が多くなっています。全体的に体調は良いです。有難いですね。良い体調を保って、リハビリが続けられれば、良い方向に動くでしょう。
2026.04.17
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2026年4月14日(火)キンバリー 有名なダイヤモンド南アフリカのキンバリーに来ています。博物館に入りました。有名なダイヤモンドが沢山陳列されております。美しく有名なダイヤモンド、買うことなど有り得ませんが、写真に収めましたので、それらを、掲載致しますが、写真ではその美しさが分かりませんねー。1個幾らなのか想像もつきません。物凄く高い事は明らかです。まぁ、私のような貧乏人には一生かかってお金を貯めても買えないでしょう。CentenaryCullinan ITiffanyDresden Greenそしてこれが、世界最大の原石、「616」です。この写真は、撮らせてくれません。それで、絵葉書から転載しました。隣の小さいのは、南アフリカで最初に見つかった、伝説のダイヤモンド、「ユーレカ」でしょう。拾い集めた、ダイヤです。嘘です。これも、絵葉書の転載です。ダイヤモンドを見た後、日本人が、良く泊まる宿、Stay a Day へ歩いて向かいました。45分歩いて、ようやく着きました。キンバリーの北から南へ、端から端まで、歩いたようです。300ランド(3000円)の、高額だけあって、清潔で綺麗です。朝食もなしの値段です。近くにレストランもないし、長居はしたくないですね。シャワールームも、綺麗です。ショップライトと言う、スーパーへ出かけて、買った弁当です。同じですね、どこでも、チキンです。20ランド(200円)程度の、お値段なので、いつも、これです。=============================いやー、完全熟睡しました。4日前、久しぶりの熟睡を得られましたが、今夜の熟睡はそれどころではありません。全く目が覚めませんでした。いや、3時頃、ナースコールを押さないのに、看護師さんが来てくれて体勢を変えてくれました。それはうつらうつら覚えています。こんなに良く眠れたのは、今まであったでしょうか? 覚えていない程良い眠りを得られました。ほんと気分の良い寝覚めです。浮き浮きしています。何か良い事が起こるのでしょうか?何故、こんなに良く眠れたのか、理由が分かりません。変わった事は、痺れ、痙縮を治す為に漢方薬と錠剤をのみ始めた事だけです。それって、眠りに関係してますでしょうか? 若しかしたら関係しているかも知れません。夜中に目が覚めるのは足が痛くなるからです。足が痛くならなかったのでしょう。薬が効いているかなー?それともリハビリが厳しいので、疲れているのでしょうか? 分かりません。しかしながら、良く眠れるのは有難いです。嬉しい事であります。神様がいるなら感謝の気持ちを伝えたいです。まだ朝の6時、朝食の7時45分まで、2時間近くあります。ですが、少し腹減って来ました。ご飯が前の施設より少ないのですね。ただそんなに腹減ったと言う感じはしていなかったので、ご飯の量を増やして欲しいと言う要望はしていませせん。義姉から頂いたカステラを食べます。朝食です。おかずは3種あります。ご飯とお吸い物、お茶です。9時20分から、午前のリハビリです。大体のスケジュールが分かって来ました。以下の通りです。アジアの星一番の場合です。1. 集団体操2. 立ち上がり運動 26回3. ストレッチ4. 筋肉運動(脚)5. 歩行訓練(平行棒)こんな感じで、12時まで行います。2時間半、みっちり行います。歩行訓練はほんの短い平行棒で行いました。右足にサポーターを巻いて歩いて見ましたが、あまり好ましくはありません。長下肢装具であるきました。昼食です。おかずは、4種類です。隣に座る2年半ここいると言う女性は、ここはご飯、味噌汁以外は冷凍なので評判が悪い、と言っていました。不味くはないと思いますけどね。人によって違いますね。ご飯に味噌汁、お茶です。ご飯が硬いので柔らかく出来ないか、生活相談員の方に言いました。調理の人に聞いて見ると言う事でした。チェンマイの日本人組織、CLL(チェンマイロングステイライフクラブ)のメンバーで日本へ一時帰国中の方が集まって、熱海の温泉に行っています。温泉同好会の方々です。温泉に入り、飲んで食べて歌って楽しい1泊の旅だったようです。アジアの星一番も元気ならば参加したのに、残念です。チェンマイでの生活は、CLLのメンバーであるから、温泉に行ったり、カラオケを楽しんだり、コーラスで歌ったり、はたまた美味しい料理を食べに行ったり、生活を楽しめます。チェンマイへ行き、ある程度の期間、滞在する方は、CLLのメンバーになる事をお薦め致します。年会費は安いですよ。CLLの皆さんです。ラインで送ってくれました。ラインで温泉同好会の方とやり取りしていたら、ベトナムのニアチャンにいっているCLLの長老(87歳)の方から動画が送られて来ました。こんな美しい海が見えるホテルに泊まっているとの事、ベランダから撮った動画です。良いですねー! 羨ましいですよ。1泊二人で7000円、お一人3500円と言う事です。貧乏人の私でも少し頑張れば泊まれます。どなたか若くて美しい方が望めば、無料ご招待でお連れ致しますよ。ま、歩けるようになったら、と言う条件付きですが。午後のリハビリです。午後のリハビリもスケジュールが分かって来ました。1. 立ち上がり運動 50回 (アジアの星一番は45回)2. 集団体操3. リクレーション(皆さん全員)4. アジアの星一番だけ別メニューでリハビリ。 本日は、平行棒での歩行訓練でした。2mの平行棒を3本 並べて4往復しました。ですんで、6m×8=48m歩いた事に なります。かなりな運動量です。蒲田でリハビリン病院では、3m位を2往復位でした。多くても3往復ですね。老健・千の風では、やはり3m位で1~2往復です。6mの4往復は、歩行訓練になりますよ。補助なく歩けるようになれば、自主トレで歩けます。それはまだまだ先の事でしょうが、毎日訓練して、自主トレで歩けるようになりたいです。リハビリ後のおやつタイムです。コーヒーとお菓子です。夕食です。おやつが16時20分過ぎ、そして夕食が17時ですから、この間隔が短いのですね。しかし、リハビリやリクレーションの都合上、そうなってしまうそうです。机とか椅子を移動せねばならないのです。ご飯に味噌汁、お茶です。昼食時、ご飯が硬すぎると看護主任さんに伝えていましたが、早速、水を増して炊いてくれたそうです。昼食より柔らかくなりました。しかし、もう少しですね。主任さん、明日はさらにもう少し水を増やして見るとの事です。介護保険申請用の診断書が、蒲田リハビリテーション病院から届きました。4月8日に発送したと言うのに、本日14日、1週間経っても届かないので蒲田リハビリテーション病院へ電話して本当に8日に発送したのか確認しました。間違いなく送った、と言う事でした。届いてないか確認してくれと主任さんに頼んだところ、ポストに入っていました。郵便が1週間もかかるとは、思わなかったです。前掲のA41枚書くだけで、7,700円です。ボッタくりですな。こんなに貰えるなら、医者になれば良かったです。本日の寝覚めは過去10年以上で最高でした。あまりに気持ち良くて、心が浮き浮きしました。何か良い事がありそうな気持になりましたな。芍薬甘草湯とタリージェが効いているのかも知れません。最近変えたのは、この薬を飲み始めただけですから。尻の痛みも少なくなり、足の甲の浮腫みも少なくなり、足の痺れや痙縮(突っ張り)も幾分少なくなったような気がします。しかしリハビリ自体は、そう変わりませんでした。まぁそんなに早く状態が良くなるとは思っていませんから、問題ありません。リハビリは一喜一憂しないで、じっくり取り組む所存です。しかし熟睡出来ると気分が良いですなー! 今夜も熟睡したいです。
2026.04.16
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これは、中国、杭州市の肖山にて働いている、とある日本人が、中国語も話せないのに、無謀にも、現地ツアーに参加した記録である。行先は、世界遺産であり、中国人の心の故郷的な名山である、黄山。美松あり、奇岩が多い黄山に、どんな出来事が待っているのでしょうか?凍え死にそうな寒いオンボロバスに乗って杭州から黄山の麓の宿に意識朦朧となりながらホテルに到着。エアコンは効かないわ、トイレの水は出ないわ、従業員が何人も来て大騒ぎ。ようやくエアコンも治って、ほっと一息しています。写真はネットより借用================================黄山紀行 第3回 2026年4月15日(水)第二章 黄山 麓の宿とてもうまいご馳走を、ムシャムシャ食べていた。一番好きなおいしいお皿の料理を食べようとしたら、お皿が下に落ちてしまった。クソッと思ったら、はっと目が覚めた。とろとろのビスケットと唾液で、シーツがべとべとになっている。夢を見ていたのだ。もう一度、シーツを見る。ベトベト。 汚ねー!腹が減って、腹が減って、夕食は一番乗りで、レストランへ出かけた。まだ18時であったが、開いていた。レストランは広い。一応立派だ。だが誰もいない。一番乗りだからだろう、と理解した。しかし、外界との遮断がされてない。平たく言えば、ドアがない。雨は吹き込まないが、風は通る。寒い。寒すぎる。これでは、夕食どころでないので、防寒着を部屋に取りに帰る。完全防寒着姿で、テーブルに着くと、頬っぺが赤く、明らかに田舎のお嬢さんと分かる娘さんが、注文を取りに来る。日本には少なくなったなー! 見かけないよ、頬っぺの赤い、可愛い少女は。しかし、その変わりなのか、子供の癖に妙に、なまめかしい、色っぽい娘が増えたな、日本は。ビールを頼むと、冷えたのが良いか、冷えてないのが良いか、と聞くではないか! 日本人への対応を知っていると言うことである。何と気が利く事かと、一瞬、喜ばしく思ったが、このレストランの部屋自体が、外気温とほぼ同じであり、と言うことは、零下に近いと言う事であり、冷えたのを頼んだら、冷蔵庫に入ってないのを持って来て、冷えてないのをと頼んだら、冷蔵庫の中から持ってくるのかなー、といらぬ心配をしながらビールを頼んだ。(因みに中国人は冷えたビールを飲む人は少ない。ビールと頼んだだけでは、生暖かいビールが出てくるので、冷えたビールと頼まねばならない)ま、取り敢えず、手をポケットに入れて温めたり、フーと息を吹きかけて手を温めながら、夕食にありつけたのであります。夕食の途中、子供をおぶったおばさんがやって来て、地図は要らないか? と言う。黄山の地図だったから購入。すると、今度は、雨合羽を持って来て、明日は雨だから、合羽が必要である、としつっこく進められる。気の弱い僕は、これも購入。もうこれで終わりだろうと思ったら、良い鴨だと思ったのか、軍手を持って来て、明日は寒いから必要だと進められる。要らないよな、と思ったが、気の弱い僕は、それも購入。もう来ないだろうと思ったら、次には、何か分からない食べ物を、箱一杯持って来て、買えと言う。これには、いかに気の弱い僕でも、要らないと断った。そんなことで、一人での夕食にも退屈もせず、腹一杯になった。購入品は、雨合羽5元、地図2元、軍手2元。〆てたったの9元(130円)でした。だだっ広く、超寒い、このレストラン、1時間半程度いたか? でも客は、この僕と、中年のご夫婦らしくお二人の、たった二組だけだった。後の客はどうしたのか? バスで一緒に来た人達がいたはずだ。この謎は、翌日の昼過ぎに、分かった。夕食後、マッサージの部屋があるので寄って見た。この部屋も暖かくはない。防寒着を脱ぐ訳には行かないのである。若い娘さん、3人と、何をしている人か、年は30歳半ばに見える男性の4名が部屋にいた。この娘さん達は、頬も赤くなく、もっと熟した娘さんのような印象である。マッサージ料金は、肖山に比べると、高い。肖山30元に対して、ここは60元である。何と2倍である。いつもはケチなわれであるが、本日は、豪華等客員である故、その程度の小さなことは、気にしない。鷹揚に、足のマッサージを頼む。3人の娘のうち、一人を指名しろ、と言う。誰でもいいと思うが、時間はたっぷりあるし、観察することにした。彼女達は、大きなたらい、そうですね? 直径1m、高さは、60cmはあろうかと言う大きなたらいに、足を入れて待っています。時々、お尻までそのたらいに入れてしまう娘さんもいました。好奇心旺盛である故、一緒に足を入れさせて貰う。すると、その大きなたらいの、真ん中には、真っ赤に燃えた炭が入っていた。そしてその周囲には、足の置き場があるのだ。しばらくすると、足がぽかぽかして気持ちよくなって来る。それでなくたって、若い娘さん3人に囲まれているのである訳だからして、気持ちが良いのである。これは何故だか分からないが、とにかく気持ち良いのである。==================================
2026.04.15
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