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フィレンツェでの目的はいくつかありました。ウフィッツィ美術館へ行くことプラダ・グッチのアウトレットで買い物すること映画「冷静と情熱のあいだ」の舞台の街並みの中心でもあった、ドウモへ行くことウフィッツィ美術館ウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) は、イタリアルネサンス絵画で有名な美術館です。1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館としてヨーロッパ最古のものの1つです。またイタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大のものです。1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として認定されている。メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫でもあります。展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されている。また、ウフィッツィ美術館は政庁舎であるヴェッキオに隣接して、アルノ川沿いに廊下が伸びていています。ヴェッキオ橋を超えると川向こうのピッティ宮に直接行けるよう設計されています。この500mにおよぶ廊下を「ヴァザーリの廊下」と呼びます。これは、コシモ一世の発案で、クーデター時にメディチ一党が外に出なくても要塞堅固なピッティ宮へ逃げこめるようにと1564年ヴァザーリに命じて作らせたものです。美術館2階の廊下には、ウフィッツィ自慢の1200点以上もあるが拝めます。この美術館は人気があり、予約制なのですが、翌日以降でないと予約がとれず、予約なしで訪れた場合は、長蛇の列に並ばなくてはいけません。電車でフィレンツェ到着後、ホテルの部屋から、美術館へつたない英語で電話しました。簡単な英語でしたが、顔をみて話すより電話は意志の疎通ができるのか?会話が早くて聞き取れないのではないか?と不安がありましたが、何とか予約がとれました。この旅一番の緊張でした。フィレンツェ滞在は3泊。美術館の予約は現地で行い、翌々日に予約がとれました。こんな事になると予想していたので、翌日は日本から予約しておいた、プラダとグッチのアウトレットツアーに行きました。日本人ばかりです。日本のバイヤーも来ていました。それ以外の時間で街の散策やドウモも訪れることができました
2006.11.07
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スペイン坂と聞くと、ラジオの放送が行われている東京のスペイン坂を思い出す私ですが・・イタリアのローマに本当のスペイン坂はあります映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがアイスクリームを食べた場所 というと有名ですよね。しかし、実際はスペイン坂では飲食禁止なんですとりあえず、有名なスペイン坂に座ってみました。そして、そのスペイン坂の前には「トレビの泉」がありますスペイン坂の右手にはブランドショップが建ち並んでいます「トレビの泉」とは1732年から1751年の間に完成。彫刻が完成したのは1762年。後ろにある宮殿がそのまま背景に(借景)なっている。紀元前19年にアグリッパによってローマまで水を引く運河建設の決定がされた時まで時代までさかのぼる。伝説では、国中を水を捜し求めて歩く兵士たちの前に一人の若い処女が現れて、水源まで道案内をしたとされる。それに因んで、運河は「Acqua Vergine」と呼ばれることになった。その後ローマの崩壊と異民族流入によって水路は破壊されてしまったが、後の時代になって水路を復活させることになり、それを記念して作られたのがこの泉です。凱旋門を貝の戦車に乗って進むネプチューン。戦車は二頭の海馬と、二人のトリトンによって引かれている。馬の近くにいるのは、半人半魚の海神トリトン。左側の彫刻では荒れ狂う海を、右側では静かな海を表している。ネプチューンの左にはAbundance(潤沢)の像、右にはSalubrity(健康)の像。それぞれの上方に運河建設を承認するアグリッパと、兵士を水源に導いた処女のレリーフがある。トレビの泉に背中を向けて、後ろ向きにコインを投げるという仕草は、知っている人も多いのではないでしょうか?1枚投げると、またこの場所にこれる2枚投げると、好きな人と結婚できる3枚投げると、嫌いな人と別れることができるという伝説があります。私は1枚投げましたが・・トレビの泉へ二度目はまだいけていませんね
2006.11.06
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今日はベネチアのお話でもしましょうか~イタリア10泊12日。移動は鉄道で行いました。電車が1時間遅れるなんてザラ。スーツケースガラガラと指定席を探すと、そこには先客が・・「あの~そこは私の席なんですが・・」というと、イタリアのおばさんでしょうか、「いっぱいあいてるんだから、どこかすわりなよ~」と言われてしまった日本じゃあり得ませんよね~指定席なのに、無視なんて・・そんなこんなでフィレンツェからベネチアへ数時間の鉄道での移動でした。ベネチアはご存じ水の都街への車やバイク、自転車の乗り入れは禁止です。移動は徒歩またはヴォワレットという名前の水上バスや水上タクシー、そして有名なゴンドラです街が水の上にあるんで、雨が降るとすぐに冠水してしまいます。そして地球温暖化の影響で水かさが増し、冠水の度合いや海面上昇により、将来的にベネチアは消滅してしまうと言われています。この美しい街がなくなるなんて・・・地球温暖化をくい止めたいと、本当に感じます街の間を運がが流れ、迷路のようなその街の道は石畳でできていますベネチアではイカスミパスタが有名で、私も食べました小さなこの町の政治の中心が、あの有名なサンマルコ広場にある建物です広場には鳩がむらがえり、生オーケストラの演奏も聴けますベネチアンガラスも有名で、おみやげやさんではたくさんのベネチアンガラス細工がおいてありました~ベネチアは物価が高く、ホテルも☆☆☆クラスでも日本のビジネスホテル以下ですツインをお願いしてあったのに、ホテルの部屋の中はダブルこれは、部屋が狭いのでシングルなのにくっついてベットがおいてあるからなんです。ホテルの朝食もまずいコーヒーとパンとジャムのみ。日本人が満足するなら☆☆☆☆☆クラスじゃないとたぶんダメですね~
2006.09.22
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今日も多忙ですという訳でFXは今日も今のところノートレで、気晴らしにブログネタ書いてます1999年イタリア周遊10泊12日その結果、会社では「帰ったらおまえの席はないぞ」と嫌みをいわれつつ、そんなこと気にせず強行出発。出発一週間前中断していた業務が再開し、連日の徹夜。出発日も朝4時まで仕事し、家に帰り寝ずに早朝6時に出発した記憶がありますイタリアまではイギリスのヒースローで乗り換えをして、ローマに行きますが、乗り換え時間を含めると17時間の移動時間げんなりしつつも、タフな私は元気・・というか、ローマ到着まで17時間、機内食を食べる以外はず~と寝てました。なにせ徹夜続きだったもので・・同行の友人は機内では話し相手もいなく、寂しい思いをしたそうです到着は深夜だったため、ホテルへ直行し、翌朝から活動開始です。初日はオプショナルツアーの市内観光半日コースへ参加しましたバチカン市国イタリアローマという都市の中にある、世界で一番小さい国で東京ディズニーランドとほぼ同じ大きさだそうです。あの、ローマ法王が生活されている場所です。キリスト教の総本山とでもいいましょうか・・100年に一度の大きなイベントを翌年に控えたこの年はどこもかしこも工事だらけ。後に知りましたが、2000年の時にはバチカン市国へ世界中のキリスト信者が押し寄せてホテルや交通機関はパンクだったそうです。よかった。2000年じゃなくて。と後で思いました(笑)敷地内に入るには、ある門からしか入れません。そこには傭兵が立っています。これが、笑いもせず、ぴくりとも動かず・・。この兵士はスイス人じゃないといけないそうです。何でも歴史上スイス人がローマ法王を守ったことから、スイス人以外は認められないとか・・。この広場はミケランジェロなどによって建設されたとか・・とにかくすばらしい建物でした。ある場所からある方向をみると、敷地内の塔がすべて一直線になるなど、計算されて作られているそうです。また、この場所は昔の偉大な人たちのお墓が地下にあります。バチカンではバチカン美術館が有名ですが、定休日にあたってしまい、入館できませんでした。それは、非常に残念でした。礼拝堂のみは入れましたが、服装規定などがあります。肌を露出してはいけないなど・・宮殿の3階で、ローマ法王が実際に生活されているとか・・・。私が訪れた時はローマ法王は体調が悪く、今は亡くなり、新しいローマ法王が誕生してますが、元気な時には3階から、手をふってくれることがあるそうです
2006.09.11
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今週は多忙です明日、あさってぐらいにはFX口座に入金する予定ですが・・今週から始められるかな?で、今日は多忙の私に癒しを・・ということで、青の洞窟の写真です~1999年イタリア周遊10泊12日を決行会社では、帰ってきたら席がないぞと半分嫌みをいわれましたが・・ローマからバスで数時間。ナポリへ到着。現地のオプショナルツアーに参加した為、日本人は全くいませんでした。ナポリはピザがおいしいと有名な街。ナポリでゆっくりする時間はありませんでしたナポリの港から高速船にのり、カプリ島へと向かいます船から遠ざかるナポリの街はキレイだったな~付近にはポンペイ遺跡や火山の噴火で惨事になった場所があり、観光したかったです高速船では私はデッキで風にふかれ、かろうじて生きてましたが、友達は死亡船酔いってやつですカプリ島へは約一時間で到着。その後モーターボートでカプリ島沿いを走り、洞窟付近へと向かいます昔の王様の別荘があったというこの島は、断崖絶壁に囲まれたまるで要塞のようです。が、突然洞窟がみえてきました。実は、で、青の洞窟という名前のパスタのCMを見たとき、とってもきれいな場所だったので、いってみたいな~という理由から、この旅を決めました。天候や潮の満ち引きによって、100%洞窟に入れる補償はなく、行ってみてからのトライです。場合によってはナポリやカプリ島で数日過ごし何度もトライする人もいるとか・・私たちの行った日は久々の快晴でラッキーだったそうです。1日しか予定していなかったカプリ島の青の洞窟に一発で入れたのですから・・洞窟の前にいくと、モーターボートがエンジンを掛けたまま停泊しています。ここから手こぎボートに海上でのりかえます。しかし順番をまっている間に、船のエンジン油の臭いと揺れでだんだん気分が悪くなってきましたもう、泳いで島まで戻るから浮き輪をくれ!っていいたいぐらい、私の気持ち悪さはMAX。友人は・・・。船酔い治ってましたやっと私たちの番です。見知らぬ外人達と手こぎボートへ乗り込みます。洞窟の中へ入る一瞬、みんなで体を倒し、洞窟内の綱を引っ張り、ボートを洞窟内へと入れます。洞窟内部は静かで、船頭さんのカンツォーネだけがこだましています。光の屈折からできるこの青の色は本当にキレイで、一瞬気持ち悪いのを忘れかけました。しかし、洞窟を出ると、またしても荒れ狂った外海。あの臭いボートが待っています私は事前に船頭さんにチップを渡すことを承知していたので、気持ち悪いながらもチップを手で握りしめていましたが、一緒に乗っていた外人が、チップは払うのか?いくらはらったんだ?と何度も質問をしてきます。友人は英語がまったくダメなので、気持ち悪く、スゴイ形相のわたしでしたが、何とかぶっきらぼうに返答しました。きっと「日本人って態度わるいわね!」っていわれたことでしょう。その後カプリ島で休憩やランチがあり、また何時間もかけてローマへと戻りました。帰りのバスでは爆睡でした
2006.07.31
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