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西の元政・東の芭蕉
二〇一七年は京都深草の元政上人の三百五十遠忌に当たり、三月に東京・大田区の池上本門寺でその報恩法要が行われた。私はそこで記念講演をする機会を得た。
それに先立ち神奈川・平塚の大神山隆盛寺の萩原是正住職が私財をなげうって六十年近くにわたって収集した元政上人、および関連の墨蹟等をまとめた『深草元政上人墨蹟』(大神山隆盛寺文庫、) A3 判、三百九十八頁)を出版した。その編集を岩波書店の元編集部長であった高村幸治氏が担当され、その縁あって、私がその巻頭に臥す「元政上人の詩歌と仏教」と題する解説を執筆した。元政上人の詩歌や紀行文を読み、上人についての記録・研究書を調べるうちに、その業績と人徳の偉大さに圧倒された。その感動は、依頼された原稿用紙四十枚では書き尽くせず、百枚ほどになった。
元政上人が生まれたのは、長谷川等伯の没後十三年の一八二三年であった。儒学の基本経典『大学』を六歳で学び、幼少のころから『法華経』を読み、無類の読書家で、十三歳で彦根藩医池西関していたが、十九歳で健康を害し、二十六歳で出家し、法華衆の僧侶となった。
病と闘った四十六年の短い生涯に千五百余りの漢詩と、今わかっているだけで二百五自首ほどの和歌を詠み、そのほか厖大な出版物、墨蹟を残した。
「源氏物語」を少年のころから読み込み、後に陽明学者として名を残す、熊沢蕃山や、松尾芭蕉の師匠となる北村季吟に全編を講義した。季吟の「源氏物語湖月抄」の原点はここにあったと言えよう。中国の班固の『漢書』や司馬遷の「史記」の文体で『現氏物語』を自ら漢訳して中国に伝えるということを考えていたが、かなわなかった。
元政上人は今では忘れられた詩人かもしれない。けれども、井原西鶴が「詩文は深草の元政に学び」と記し、松尾芭蕉、小林一茶、室井其角、与謝野蕪村をはじめ江戸時代を代表する文化人たちがこぞって元政上人を仰ぎ讃嘆していた。「雨ニモマケズ」の詩が書きこまれていた宮沢賢治の手帳の一三七頁にも上人の短歌一首がメモされ、そこに「元政上人」という名前もあった。〝西の元政・東の芭蕉〟とまで言われていた。こうしたことを知れば、三百五十年の歳月を経た今、上人を見直すことは日本文化の源流と知る上で重要なことだ。
その意味で萩原住職による『深草元政上人墨蹟』の出版は歴史的に貴重だ。二〇一七年の十月二十三日に住職は卒寿(九十歳)を迎え、その月にその著作で立正大学の望月学術賞を受賞した。
その後さらに、元政上人のことを調べていく中で、書き足すことが相次ぎ、最終的に原稿用紙四百枚ほどになった。中央公論新社の郡司典夫さんに見せると、二〇一八年が没後三百五十年に当たることで、「年内に出しましょう」ということになり、「江戸の大詩人 元政上人——京都深草で育んだ詩心と仏教』(中公叢書)として二月二十日に出版された。
そこには、元政上人の勝れた詩や短歌をできるだけ多く紹介することに努めた。平易で心情を吐露した作品の中でも、私の好きな詩を一つ。
桃花 桃の花
桃花開谷口 桃花、谷口に開く
黄鳥囀花枝 黄鳥、花枝に囀る
花発不言妙 花は不言の妙を発し
鳥吟無字詩 鳥は無字の詩を吟ず
谷静大地嚝 谷、静かにして天地嚝し
春日一何遅 春日、一に何ぞ遅き
眼看浮雲尽 眼に浮雲の尽くるを看る
水流無息時 水、流れて息む時無し
花影落霞晩 花影、落霞の晩
欲帰立水湄 帰らんと欲して水湄に立つ
桃の花が、霞谷の入り口である谷口というところに咲き誇っている。鶯(黄鳥)が、その花の枝で囀っている。花はものを言わないけれども、言わずして一切を語るという妙を発揮し、鳥は囀って、音のみの文字によらない詩を吟じている。この谷は静寂で、私は果てしない宇宙の広がりの中にいるようだ。春の一日はただでさえ長いのに、この谷にいると、ひとえに時間の悠久さが感じられる。目にはそれに浮かんでいる雲が消えてなくなるのを見届け、水は絶え間なく流れ続けて尽きるところがない。桃の花のシルエットが夕焼けの空に映える夕暮れになって、ようやく帰らなければいけないという思いになり、腰を上げて、水際に立った——。
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