この船は1936年オーストラリアのマックアイレス・マックォーチャン会社の客船『カニンブラ号』としてアイルランドの造船所でつくられた。戦時中は改造され軍用船としても使われていた経歴をも持つ。
1964年東洋郵船が買い取り、東京オリンピックの間はホテルシップとして使われる。東南アジアから中東へのイスラム巡礼船としても活躍するが、やはりグァム・サイパン航路と小笠原航路のチャータークルーズがもっとも華やかな航海だったのではと想う。
上の写真中央の女性二人はO・Q号の客船スチュワーデスである。左端の黒い奴は復興工事に携わっていた、確か菊池建設作業員のケン坊といったかな・・・定かではない。余談だが右端は若かりし頃の私。じゃっかん23才。関係ないっか。
遠い遠い 記憶をたどる。 朝、例のごとく島じゅうの漁協所属船は島周り観光や父島上陸の通船のため沖泊タラップに群がる。第三恒丸は小港海水浴だったと思う。この二人は観光客とばかり思っていたが、乗船後O・Q号のクルーだと聞かされた。私は即信じられなかった。すなわち船乗りは男の世界という概念しか持ち合わせてなかったのである。
こんな記事がある。【引用させていただく】 神田雑学大学5月19日講義録より・講師ハブハッサン陽子(仲島洋子)氏 『そうして、グァム サイパン~小笠原航路の客室スチュワーデスになりました。当時は豪華客船時代の幕開けの頃でしたが、スチュワーデス35人の募集に受かったのです。あとで聞きますと、私は女性船員第一号だったといいます。』
この方は現在新宿でレバノン料理店を経営している。かれこれ10年ほど前だったか、インターネット・メールで情報交換をしたことがあったが、そのメールはPCの幾度かのリカバリの際失くしてしまい、内容は定かではない。
しかし、あの時代に客室スチュワーデスを採用した横井英樹氏には頭が下がります。そして小笠原チャーター航路も1971年11月29日朝、大型客船「日本丸」の入港を機に新しい客船の時代に入りつつあったのである。
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