1987年に、日本の16歳の少年がブルース・スプリングスティーンを聴くこと。それは意外と当たり前な感じで、あり得ることかなと思ってしまう。 確か、その前年にスプリングスティーンは「The Live」という数枚のレコードからなる大作を全米ナンバーワンに送り込んだ。そのアルバムは日本でもヒットしていたし、そして何よりも「Born in the USA」の大ヒットがあった。 「Born in the USA」はベトナム帰還兵のやるせない日常と苛立ちをテーマにした曲だ。しかし"Born in the USA"というフレーズがあまりにも強烈すぎて、逆に「俺には何もないけど誇るべきアメリカで生まれた」という愛国歌にも取れてしまうすごく危うい曲だ。そしてこの曲はレーガン大統領の演説で引用され、スプリングスティーン自身の思惑から離れて、ある意味レーガノミクスやレーガン政権のサウンドトラックと取られてしまうようになってしまう。そのイメージは強烈だった。80年代の日本ではレーガンもサッチャーも悪者だったから(少なくともロキノン系や朝日新聞や岩波界隈では)、スプリングスティーンはそういう保守派のいかがわしいミュージシャンだ。そんなパブリックイメージも彼にはつきまとっていた。 そんな理由から16歳の僕はそんなに積極的にスプリングスティーンを聞かなかった。 僕がスプリングスティーンのすばらしさを知ったのは、たまたま中古盤屋で買った「明日なき暴走」のCDだった。 この作品は言わずと知れた名盤で、例えばプログレ嫌いの人でも「クリムゾンキングの宮殿」は聴くべきだとか、デビッドボウイ気持ち悪いという人でも「ジギースターダスト」は聴かないといけないとか、ストーンズファンではなくても「メインストリートのならず者」は持ってないといけないとか、そういう類の名作だ。 「明日なき暴走」の何がいいのか。捨て曲なしのパーフェクトなアルバムであると同時に、青春のすべてがそこに詰め込まれているからだ。それは夢や希望、それとは裏腹にまだ何もできないでいる焦りだとか、将来が未知数であることへの怖れであるとか、ごく普通の少年や青年が体験するであろうことすべてを詰め込んだような宝物のようなレコードだからだ。 「Born to Run」や「凍てついた十番街」はしびれるほどかっこいいし、「Backstreets」は胸が苦しくなるほど切なくて美しい曲だ。「Thunder Road」は夜の街を猛スピードで突っ走りたくなるような瞬発力を持った曲。そしてアルバムの締めくくりの「JungleLand」という大作はそれらの名曲たちのフィナーレにふさわしい重厚な曲だ。 「明日なき暴走」はそんな青春の明暗を全て詰め込んだ名作で、それから僕はスプリングスティーンのCDを本気で聴くようになった。
1987年に16歳のパキスタン移民の少年がイギリスの郊外でスプリングスティーンと出会うこと。 それが「カセットテープ・ダイアリーズ」という映画のすべてだ。 ジャベドは作家を夢みていつも文章を書いているちょっと暗いタイプの少年だ。保守的な父親と家庭環境の中で息苦しさと鬱屈を抱えながら何もできない焦りの中で日々をやり過ごしている。そんなある日、父が失業してしまい家庭状況はますます悪くなっていく。ジャベドは行き場のない怒りと絶望の中で思い悩む。 そんな嵐の夜のある日に、ジャベドはスプリングスティーンの「闇に吠える街」と「Born in the USA」のカセットテープをウォークマンに入れて聴く。そのカセットはひょんなことで知り合いとなったムスリムの友人から借りたカセットテープだ。 それはジャベドにとってまさに運命の出会いであり、世界が崩れてまた始まるような瞬間だった。 そしてジャベドの人生はまた始まった。かすかな希望、この夢のない郊外から出ていかなければという思い、それに伴う親との対立、恋愛、友情、そして最後に親との和解と今まさに叶いそうな夢の行方…。 そうした王道の青春ストーリーに、その当時のイギリスの時代的状況やマイノリティーである移民たちに向けられる差別や偏見といったスパイスが散りばめられている。 この映画のストーリーは筋だけを説明してしまうと青春映画の王道といったものなのだけれども、スプリングスティーンの音楽が挿入されると大きな相乗効果を発揮する。時には字幕やプロジェクションマッピングで歌詞を強調したり、要所でプロモビデオ張りのダンスシーンが入っていたり、スプリングスティーンの音楽に一度でも感激したことがある人にとってはとても嬉しい映画だった。 何よりもよかったのは気恥ずかしい気分にさせられなかったこと。素直に感動できる映画だったことだ。市場で「Thunder Road」の曲が流れ、クライマックスに至るシーンだとか、学校の放送室をジャックし、「Born to Run」を流して校庭を走り抜けていくシーンだとか、下手をするとものすごく気恥ずかしい気分になってしまいそうなシーンもある。でも、多分編集が優れているからかもしれないし、スプリングスティーンの楽曲の力もあるのかもしれない、そうしたシーンも微笑ましくそしてエモーショナルに感じてしまう。 スプリングスティーンを知らない人からしたら、「ボスの宣伝映画」と言われるかもしれない。ロックから程遠い人からすると気持ち悪い映画と言われるかもしれない。 だけど僕のような音楽好きの、特に音楽で自分の人生の大半を費やしてしまったタイプの人間からすると、それは本当に夢のようなストーリーだ。 もし自分の人生にそのようなことが起きていたらどんなに素晴らしいだろう。13歳の時に起こったビートルズとの運命的な出会い。芽生える夢と希望。世間との軋轢と反抗。友情。愛情。夢への真っすぐな努力と忍耐。いくつもの別れといくつもの出会い。そしてつかみ取った栄光への片道切符。 現実ではそんなにうまくはいかないけれど、そんなことが自分の人生に起きたとしたらどんなに素晴らしいだろう。 そんなロックファンの共通の夢を描いたからこそ、この映画はスプリングスティーンをそれほど知らない人でも理解できるのではないだろうか。 そしてジャベドという主人公が、スプリングスティーンと出会うまでは、どこでもいるような暗くて冴えない少年として描かれていたからこそ、この映画のストーリーに感情移入しやすいのではないだろうか。 まるでドラえもんと出会ったのび太のようだ。ただドラえもんと違うのは、ジャベドがスプリングスティーンの力を借りながらも自分の力で自分の未来を掴み取ることだ。考えてみるとスプリングスティーンの曲は青少年の成長物語を描いた曲が多い。だからそれは必然的なことだったのかもしれない。 僕はそうした理由で「カセットテープ・ダイアリーズ」という映画を感動してみることができた。 さっきも書いたけれど青春の成長ストーリーとスプリングスティーンの音楽は相性がいい。だからスプリングスティーンの音楽の良さを知っていると、よりこの映画は感動できるし楽しめる。 とりあえず「明日なき暴走」と「アズベリーパークからの挨拶」と「闇に吠える街」のどれでも1枚を聞いてみて感動できるなら、この映画も楽しめると思う。