DJ Kennedy/life is damn groovy
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The Runaways 左から Joan, Sandy, Cherie, Jackie, LitaThe Runawaysは76年から本格活動をスタートさせる。後にベーシストとして加入するVicki Blueによる逸話。メンバーは夫々自分達が憧れたミュージシャンの印象に似せて自己アピールしていた。シェリィ・カリィはDavid Bowie、Joan jettはSuziQuatroとKeith Richards, リタ・フォードはDeep PurpleのギタリストRitchie BlackmoreとJeff Beck,ドラムスのサンディ・ウェストはQueenのドラマーRoger Taylor、そしてジャッキー・フォックスはKissのGene Simmonsを。 77年夏、怒涛の日本上陸。コンサートはAll Sold Outだった。日本のメディアは当時のThe Runawaysを、ABBA, Kiss, Led Zeppelinと並べて「4大海外アーティスト」と呼んだ。日本ではコンサートのほかにテレビ出演も多く、日本公演のライヴアルバムはゴールド・ステイタスを獲得した。が、日本での公演も終わりに近付いた頃、ベーシスト、ジャッキィ・フォックスが東京ミュージック・フェスティバル直前に突然脱退した。後に17歳のヴィッキ・ブルーが加入するまではベースをジョーンが担当した。続いてVocalのシェリィ・カリィがグループから去り、ジョーンはリードヴォーカルもシェリィから引き継ぐこととなった。バンドはそうして4枚目のアルバム"Waitingfor The Night"をリリース、長く親交のあったThe Ramonesとワールドツアーに出る。一方シェリィはキム・ファウリィのプロデュースでソロデビューし、双子の姉妹マリィを伴って全米ツアーをする。78年に入ると、マネジメント(金銭問題など)のトラブルが原因でキム・ファウリィが降り、かわってSuzi QuatroやBlondieのプロデュースをして来たマネジメントにバンドを委ねる。この頃の彼女達には当時のハードロック・ミュージシャンにありがちだった、行き過ぎた振る舞いが目立つようになり、以前のスタイルが崩れていく。ベーシスト、ヴィッキ・ブルー脱退後に入ったローリィ・マッカリスターも長くは続かずThin Lizzyを手掛けたプロデューサーを迎え最後のアルバム"And Now...The Runaways"をリリースするも結果は振るわなかった。78年大晦日がグループ最後のコンサートとなり、翌79年にThe Runawaysは解散した。 (Click and see the movie trailer!/映画の予告をご覧頂けます)ミュージシャンを題材とした映画は、その人(達)の成功と衰退、そこに絡む人間関係が見どころだ。たった4年間という時間を駆け抜けて消えて行った彼女達の姿に、70年代に青春期を過ごした人達はノスタルジィを感じ、また彼女達を知らない世代には刺激的に映るのだと思う。 映画の中のThe RunawaysThe Runaways後の彼女達。本当はひとりひとりのその後の姿がとても興味深く、もっと多くのことを記したいと思ったが、あまりに長くなってしまいそうなので、残念ですが、ここでは要点だけ。Joan JettThe Runaways脱退後、23のレコードレイベルからリジェクトされ1980年、Blackheart Recordsを立ち上げる。ここからJoanのサクセス・ストーリィが始まる。80年代、"I Love Rock 'N' Roll" "Crimson and Clover" "Bad Reputation" そして、"I Hate Myself For Loving You"が立て続けに大ヒットとなる。彼女はローリング・ストーンズ・マガジンのTop 100ギタリストにもリストされている。90年代からはJoan Jett & The Blackheartsの活動の他に音楽プロデューサーとしても活躍しているSandy West解散後、彼女はリタ・フォードと共に活動を続けるも形にならず、新たにSandy West Bandを結成、80年、90年代にはCaliforniaを中心に活動する。その後、ドラムの講師となるが2005年に肺がんを発症、2006年10月逝去。47歳の若さだった。彼女の死を悼んでSandy West Band, Cherie Currie, The Banglesなどがメモリアル・コンサートをL.A.で行った。Lita Ford彼女もソロとして80年代、マネジャーにSharon Ozbourneを迎えると"Kiss Me Deadly""Close My Eyes Forever"(この曲はOzzy OsbourneとのDuet)などでヒットを飛ばす。その後結婚・出産を経て活動再開。Cherie Currie解散後は女優として活動した。78年にはソロアルバムをリリース、80年には妹MarieやTotoと"Messin' With The Boys"をリリースした。俳優RobertHayesと結婚も97年に離婚。今も音楽活動は続けながら、チェインソー・カーヴィング・アーティストとしてCaliforniaにギャラリーもオープン。現在はJoanのレイベルと契約している。Jackie Fox彼女はUCLAを卒業後、Harvardの法学部大学院から博士号を取得。その後、エンターテイメントを専門とした弁護士となる。また、写真家としても活躍。彼女はこの映画の中で自分を描く権利を与えず、エグゼキュティヴ・プロデューサーのJoanと争った。結果、作中での彼女の役は、名前も変えた架空の人物として登場している。この点は、ちょっと残念。Vicki Blue(Victory Tischler-Blue)The Runaways脱退後にシェリィ・カリィとCurrie-Blue Bandを結成するも目立った活動はなかった。その後彼女は映画やTVの世界に興味を持ち、TVプロデューサーとして成功した。Laurie McAllisterJackie Fox脱退後ベーシストとして加入した彼女はグループを離れた後の1980年キム・ファウリィプロデュースのやはりAll-Girlsバンドに加入した。その後引退。現在はオレゴン州在住。 主演の二人とJoan & Cherie 美貌の若手も本家には勝てない映画では、主演のKristen Stewart(Twilight Sagaの主演で大ブレイク)がJoanを、Dakota FanningがCherie Currieを好演している。見た目も雰囲気もよく似ていて、当時を彷彿とさせるVisionが楽しみ。また、歌も彼女達が実際に歌っているが、サウンドトラックを聴いてみると、オリジナルよりもやはり、可愛らしい印象。3月の公開以降、実は残念ながらあまり話を聞かない。作品自体の出来は良く、映画評論家やその他専門家等の評価はかなりのものだと言う情報なのだが。こうなったら映画も、アメリカよりも日本で大きくブレイクして欲しいと思ってしまう。流行に敏感な日本なら、当時の彼女達を新鮮に受け止めるのではなかろうか。私は大いに期待している。 (Click and enjoy the music videos!)にほんブログ村Thank you so much for all your support!
April 16, 2010
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