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こんばんは。結論から申しますと、このブログを終了しようと思います。2005年から始めたこのブログですが、いろいろな出会いがあったり、別れがあったり、でも、まぁ別れの方が8:2で勝ってますけどね。実は、もう一つ別のブログを立ち上げて、誰も知らないところでひっそりと連綿と書きつづっています。アクセス数、一ケタです。逆にこの過疎ぶりこそが醍醐味かもしれん、とも思っております。本当はその引っ越し先のリンクを貼っておこうかな、と思いましたが、今は止めておきます。機会があったらリンクを貼るかもしれません。ということで、ひとまずお別れです。7年間、どうもありがとうござました!!またお会いしましょう!再見!ケンタ
2012年02月03日
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今日、ショッピングセンターに行ったのですが、ある一定額(3000円)を超えるとくじ引きを何回か出来るというイベントがありました。合計、1万円弱の買い物をしたので、3回くらいくじ引きが出来ると思い、そのくじ引き会場を訪れたのですが、既に約50人くらい並んでいました。ちなみに、そのくじ引きの一等は3人に「商品券5万円分」。並ぶか?5秒間考えて、並ばずに帰ることを選択。その理由は、5文字に集約される。ペイしない。1時間待ったとして、仮に一等当たったとしても、待機時間に見合った確率ではない。せっかくのチャンスなのに勿体ないと思うかもしれないが、「待つ」ことが嫌いな性向の人にとっては待たないことが最優先。それでも、「待ちたい」人にとっては、愚行権を尊重しますので、「どうぞお待ちになって下さい」ということなんだろうな、とその長蛇の列を眺めつつ、家路についた。
2012年01月09日
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遅ればせながら、本年も宜しくお願い致します。随分長い間、ブログを更新していなかったのですが、いろいろとありました故、です。実は、昨年の後半から新しく自分のブログを作成しまして、そちらに近況などを記録していました。そのサイトは嫁さんにも友人にも誰に知らせるということもなく、単に未来への自分に向かって自己発信していたのです。(実際、アクセス数は些少でした)そして、このブログを閉鎖することも考えましたが、7年くらい更新していたブログなので、「うーん。。。」と迷った挙句、とりいそぎ「私は生きています」ということをお伝えすることで、新年のご挨拶と代えさせて頂きます。また、昨年の後半は実に、辛酸をなめた時期でありましたので、もし機会があれば、それもおいおい記していくかもしれません。皆様がたにもよき年になりますように祈念して。本年もどうぞ宜しくお願い致します。2012年1月8日 ケンタ
2012年01月08日
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大家好!まぁ、長いこと、ブログを更新していない。「書く」ことがない訳ではないのだが、「その話、今、いる??」という感じのネタばかり。少し挙げてみると、●Facebookとかの「いいね」マークは「全然よくない」と思う。だの●宮根誠司は、関西ローカルに留めておくべきだったのに。だの●「しんすけ」を超える「しんすけ」を探せプロジェクトだの●「写真で二言」だの●「娘が初めて声を出しましたが、それを聞いてショック。 さて、何と言った?」だの、(すみません、後半の二つは大喜利のテーマです。)最近、全く大人と会話していないので、私の脳内劣化が激しいこと。そこで、一つ提案があるのですが、「美味しい茶碗蒸しを食べる会」を開催したいのであります。これは何かというと、美味しい茶碗蒸しが出るお店を探して、それを一緒に食べに行くという企画です。今日、晩御飯を食べている時に「ピーン」と神のお告げがありました。参加したいと言う人は適当にメール下さい。ではまた一カ月後~!
2011年10月16日
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今日の夕食の食卓に、偶然にも納豆と豆腐が並んでいた。たまさか、納豆を食べた後、豆腐を食べていると、ふと、「豆腐は『豆が腐る』と書くけども、腐っていないぞ。それより、納豆の方が『豆が腐っている』状態になっているぞ。」と思い、納豆を見つめる。「あれ?そもそも、納豆の『納』はどういう意味だ?むしろ、豆腐の方が『豆を納めている』状態ではないのか?」と思い、納豆と豆腐を見つめてみる。やはり合点がいかず、嫁さんに、「あの、納豆と豆腐って名前がテレコになってない?」と言ったのだが、当然、嫁さんは「ハテナ状態」。なので、上記のいきさつを補足説明すると、「だったら、ドラえもんに頼んで『ポータブル国会』で決議すればいいじゃない」と軽くあしらわれた。僕は、心の中で、「カイサン」と叫んでみた。
2011年09月18日
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私は、脈絡ないことや素っ頓狂なことを言うのが好きなのだが、最近、「脈絡がない」という次元の話ではなく、会話センスの質が著しく低下している感じがするのです。特に最近の面接の場とかでそれを痛感するわけです。でもですね、そもそもなんだけど、私を理解しようとか、私に興味がある人の割合って、今まで34年間の体験として、多く見積もって100人に3人くらいの確率、つまり、3パーセントと見積もられます。この3パーセントっていう数字は、結構シビアなものであるのですが、就職活動においては、逆転の発想を展開して、「おお、何と3パーセントも私にアドバンテージがある!!」と、まぁ、すごく短絡的に考えて、会社に100社程エントリーしたら、3社くらいは、「お、こいつは面接してもいいかな?」と想定すると、えーと、じゃあ、1000社位エントリーして、30社くらい書類選考で残って、約1社、「お、こいつは採用してもいいかな?」とまた素っ頓狂な企業とめぐりあうかもしれません。ということは、あと60年位就職活動にかかりそうですね。94歳で再就職かぁ。ある意味、それって内田裕也の言うところの「ロック」に似てるよね。・・・うん。似てないね。全然違うね。
2011年08月25日
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ここ数日、嫁さんが実家に帰っているので、基本的に家に一人でいるのですが、まー、独り言が多いこと。この「独り言」という問題は、以前から嫁さんから指摘されていたのですが、一人の空間になると自然と口に出してしまうことがあるのです。しかも、何故か最近、「日本史」に対して独り言するのがブームで、以下、こんな独り言。「墾田永年私財法ってアバウトな法律だな。耕した者勝ちだよね!」「徳川綱吉って多分、前世がチワワやったんかな?犬好き過ぎやし!」「結局、『刀狩り』って秀吉のエゴだよね?百姓、度肝抜かれたやろーなー。」「神風って、結局、日本海のお手柄?東シナ海のお手柄?」今度は、もっと勉強して「世界史」に挑戦してみようかな・・・という、、、私、完璧にヒマ人だな。
2011年08月16日
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さて、真理を見つけた私は、何となく体重計に乗ってみた。ん?体重54.9kgんん??体脂肪率9.0%何かしらんけどめっちゃ痩せた~。注)このダイエットは、「人生の頓挫」のプロだけが出来るので、 決して小さいお子様とかお嬢様とか善良な大人とかはマネしないように。
2011年08月09日
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ああああああああああああああああああ!!って思った。えええええええええええええええええええええええええええええ!!って小さく叫んでみた。実は、あの牧場に投資していた大きな額、ヒくくらい大きな額が溶けてしまった。今まで、ちょこちょこと投資で損失をこうむっていたけど、今回は、ちょっとやそっとではなく、「あ、オレ、人生、終わったな」と思った。■■いろいろと今回の件で、自分自身を責めた。もちろん、「自己責任」という名目で何度も自分を責めたし、牧場に対してというのは何だか責めるというか、諦念に近い感じになった。怖くて2chとか見ることができない。当然だ。「こんなものに投資するヤツってマジで情弱。」とか「被害者づらするんじゃねーよ、お前の責任だろ」とか、「まじで、財務諸表見て、リスク管理できないバカだろ?」とかね。でもね、分かってるよ、言い訳はなんぼでも出来るけど、全部、オレの責任だもん、当然、今月この事件後、めちゃくちゃ落ち込んだ。本当に死ぬかと思った。東尋坊がアタマによぎった。でも、何とか崖っぷちまで踏ん張った。これから、本当に一文無しからのスタートになる。無職でカネがないという、これからまじで焼け野原からのスタート。多分、こんな苦痛な状況なので、数少ない友人も多分減っただろうし、まだ、完全には心の傷が癒し切ってない。だけど、すごい額を失った代償として、唯一ものすごい真実を手に入れた。それは、運命には逆らえない。これは、宗教や哲学という問題ではなく、また、失敗を反省し、学習しないということでもなく、私自身が今回、唯一悟った真実だった。「こいつ、やっぱバカだな」って?あはは~、あーーーーあ。っと。バカだよね~、っと。ま、世の中、そんなもんだよ、どうにかなるものとどうにもならないものがあるよね。過去は仕方ないよ。死ななければ、そして、マインドが固まったら、再スタートできるんじゃない。それでいいんじゃない?何を信じたらいいのか、とか疑っていいとか、そんな次元ではなく、もう運命に委ねてみたら?って今は思うんだよね。逆らっても仕方ないよ。ってね。あはは~、と。
2011年08月06日
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決して、自分自身にセンスがあるとは思っていないのですが、私、最近、自分の脳について、「ひょっとして、右脳と左脳を結ぶ脳梁が腐っているのではないか?」つまり、分離脳レベルにまで発展しているのではないか?と危惧しております。センスの方が言葉よりも先に出過ぎて、言葉がついていかないんです。ものすごくモドカシイのです。ボケやツッコミの世界では0.1秒の単位の世界で言葉を発さないといけないのに、0.1秒で時宜に適った言葉が出てこない。でも、センスだけが一人歩きしているんです。■■今朝、なでしこジャパンが成田空港に到着したという報道を見て、「みんなのKEIBAみたいに、なでしこのイレブンがみんな「ナリタブライアン」の騎手になりきって、前馬場みたいなところで画面の右下にオッズが出たりして、えーと、なんかそんな感じで登場したら、面白いのにね。」それを聞いた嫁が、「感覚だけが先走って、言葉と知識が全くついていってないね。」「あうあう。」「まるで、ゴッホみたいだね」「あうあう。」ま、私も競馬自体よく分からないし、ましてや「なでしこジャパン」を競馬にたとえよう、というボケ自体無謀で、「センスがない」のであるが、センスの有無を問わず、とかく言葉がついていかないところが、私の「ゴッホ」たりうるところらしい。「そんなこと言ったら、オレ、耳を掻っ切るぞ!!」と嫁に吠えると、(・・・それは普通に私がゴッホについて知っていることを言葉にしたに過ぎない)と気付き、意味もなく落胆するという事態に陥るのである。
2011年07月19日
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最近、少しずつ社会に出るようになって、「私って、かなり社会的にキモイ存在なのではないか?」と、今更ながら気付き、焦っています。前々から、「あぁ、私は人とは違う面が多いなぁ」とは思っていたのですが、例えば自分の中で「オモシロイ」と思っている内容が、多くの人にとっては、「どこがオモシロイの??」と反駁されることもあり、最近、かなりテンぱっています。例えば、最近、職業訓練校で「就職支援」という授業があり、「自分のやりたい仕事は何かを掘り下げてみよう」という「底の浅い」グループワークをしたのですが、みんな、ポジティブな意見を出しあう中、私の掘り下げた結果が、「過去を思い出したくないので、やりたい仕事は多分現世に存在しないと思います。」グループ内のみんな、ドン引き。そして、「はっ」と気付いたのが、「私はキモイのか?」いや、具体例を挙げれば、もっと「キモイ」と思われる言動があるのだけど、そして本当に「キモイ」と自覚、自認している言動もあるけど、でも、ちょっと今、心が折れ欠けているので、私を昔からご存じの方で、「いや、君はキモくはない」という方がいらっしゃったら、月曜までにレフト側スタンドに移動をお願いします。PS:ちなみに、嫁にこの「就職支援」の結果を見せたら、一笑に付されました。 まぁ、付き合いが長いと「キモイ」という免疫がつくのでしょうか? いいえ、嫁が殊勝なのだと思います。(私、フォロー下手です。)
2011年07月08日
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今日で上半期が終わりなので、恒例(?)の「面白かった本ベスト3」でもやってみます。(第3位) 「砂の王国」 荻原浩この作品は、主人公がホームレスからの成り上がりを「宗教」を利用するというストーリーなのですが、実は、「組織の肥大化」という観点から眺めてみると、もう少し面白い読後感が味わえます。(第2位) 「金門島流離譚」 船戸与一この作品、イントロダクションが絶妙なのです。このイントロが作品を読み進めると、効果がでてきます。金門島という台湾と中国の「はざま」が「イスラ・デ・シエロ」(天国の島)と重なり合うところが。では、いよいよ、第1位です。(第1位) 「爛れた闇の帝国」 飴村行この作品が意外と世に知らされていないことが驚き。この作品は二つの全く異なったストーリーが交互に展開しながら、最後には、何ともまぁ、こんな形でドッキングするのね、と驚愕しました。途中まで、単なる「戦時中の捕虜」と「現代の高校生の心の闇」を描いただけかと思いきや・・・ということで、今度は12月にお会いしましょう。
2011年06月30日
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先日、通っているキックボクシングジムでマススパー(寸止め練習)をしていたのだが、久々に「素人」とマススパーする機会があった。ここで、「素人」と表現するのは、マススパーの意味を知らない、あるいは、手加減を知らず、思いっきり攻撃してくる人間のことだ。私はいつもは、常連の方たちとマススパーするので、ある程度、加減し合いながら怪我せずにすんでいるが、「素人」の場合は違う。ガチで顔面にパンチを当ててくる。脛サポーターもしていないのに、ひざ蹴りを喰らわせてくる。そして、何故だろうか。私は、「素人」相手に、ストレートを何発も喰らってしまい、挙句には、胸骨にひざ蹴りを入れられてしまった。唖然とした。オレはこんなに弱かったのか?この行き場のない想いをどう晴らせばいいのだろうか?これまでに小さく蓄積されていた「悔しさ」バロメーターが一気に閾値まで達したのだ。できれば、もう一度、あの「素人」とガチでスパーリングしてみたいが、そんなことが私のすることではないのだと思う。私は、こんなちっぽけでどうしようもない悔しさを抱きながら、今日を生きている。でも、世の中には、もっと不条理で、理解のできないことによって悔しさをかみしめている人が沢山いるんだと想像できる。私だけじゃない。そして、あなただけでもない。誰もが、不条理で得体のしれないものに悔しさを抱いているはずだ。そして、その「悔しさ」をマックスに感じている今こそが大事だと思う。その「悔しさ」を、どのように対処するか、利用するか、私は今、それを探っている。
2011年06月22日
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保土ヶ谷というのは横浜を越えたすぐそこにある。そして、横浜を越えたという事実は私を勇気づけてくれる。■■2011年6月12日 14時45分頭痛のせいで、昼まで家でゴロゴロとしていた私は、曇天の中、歩きに行こうかどうしようか迷っていたが、何となく、「歩こうかな」と思いたち、電車で川崎へと向かう。川崎。どうもこの雑多な街は好きになれない。まず、駅前に人が多すぎる。そして、歩きにくい。私はそこを早く脱出すべく、14時45分に川崎を出発した。川崎から西へ歩くこと、鶴見川を渡り、15時40分に鶴見駅に到着。実は、鶴見は結構面白い街なのだけど、それはまた後日に。そして、鶴見から生麦へと向かう途中、私は完全なミスを犯した。地図を見誤って、全く逆の方向に歩いていたのだ。それを察知した私は、犬を散歩していたおばさんに「生麦ってどちらの方向ですか?」とおそるおそる聞くと、「あら、あなた、橋を渡っちゃったのね。(1キロ前に渡った)あの橋を渡る前に右折するのよ。」と、脱力感満載のアドバイスを頂いた。来し道を再度引き返すのは、精神的にヤラレルものだ。そして、やっと正規の旧東海道に戻り、生麦辺りをひたすら歩くと、じゃん!ここがかの有名な「生麦事件発生現場」です。(が、現在は民家です。)それから少し歩くと、「生麦王国」と呼ばれるKirin様の工場があるのです。ここでは、工場見学や造りたてのビールが飲めるというワンダフルな体験ができるのですが、一つ注意があります。ここの受付は、16時30分までですから!!私は時計をみると既に16時40分。・・・・・・あの時、迷っていなければ・・・というか、今日、もう少し早く出発していれば・・・悔やみながらも、第一京浜に合流し、新子安駅に到着。16時55分に駅前のマクドナルドで休憩してから、そのまま第一京浜を直進する。しばらくすると、目前に横浜らしい大都市的な光景が見えてくる。しかし、いかんせん、東海道という道は横浜という大都会を素通りするツワモノなのだ。地図によれば、宮前商店街を右折するとあるが、その商店街の場所が分からず、コンビニやガススタの方に聞きまくり、ようやく宮前商店街を通過しようとすると・・・お祭りやってる!!しかし、今の私には、お祭り気分にはならず、牛歩になってしまう人ごみが鬱陶しく感じ、人をかきわけながら神奈川宿に向かう。そして、18時ちょうどに神奈川宿に到着。地図によれば、あと5キロ少しで保土ヶ谷まで到達する予定なので、そのまま突っ切って歩く。途中、有名な「田中屋」を目撃するが、写真を撮るだけでスルー。横浜を遠巻きに歩きながら、保土ヶ谷へ向かおうとするが、勘行寺辺りでまた道に迷い、はっぴを着たおじさんに道を尋ねる。天王町駅あたりではまたもや祭りがおこなわれているが、何だか気乗りしなくてスルー。今日は横浜ではお祭りが多い日らしいね。そして、18時55分に保土ヶ谷駅に到着。前回よりも1時間ほど到着時間遅くなり、しかも電車での往復の移動時間が長くなるのを実感する。2日目(川崎~保土ヶ谷までの総括)歩数: 28468歩歩行距離: 21.3km消費カロリー: 988Kcal使ったお金往路交通費(東京~川崎) 290円お茶@新子安 220円復路交通費(保土ヶ谷~東京)540円(合計) 1050円早く平塚でしらす丼を食べたいのですが、果たして「しらす」というものは旬があるのでしょうか?
2011年06月13日
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2011年5月21日、15時すぎに品川を出た私は、ひたすら東海道を突き進む。品川から少し離れると、すぐに下町風情が漂う。ただ、この道、つっこみどころが満載の看板が多い。看板を見かけては「どんな宗教やねん!」とか「ホステスの時給としてはめっちゃ安いやろ!!」とか一人で看板にツッコミを入れる。とかく、一人歩きは寂しいのだ。さて、40分程歩いた私は、大井近辺で迷子になりかけたので、道を確認しようとして、あるパン屋に入った。さて、今はどこらへんだろか?出た!私の道しるべとなる「紙地図」!!出た!アナログ界史上最強の「紙地図」!!うーん、、、やっぱ道わからん。何とかしてアナログ世界を生き抜くべく、我は店を早々に出て、前進する。しばらく歩くと、この区間で一番お気に入りの場所を発見する。それは、「勝浦運河」。見て下さい。いいですね、目の前に広がる運河的な掘っ立て小屋。そして、向こうにそびえる「FANCL」の巨大な建物。名づけよう。ここは「ファンケル荘園」。庶民も楽しめるように出来ている。えーと、でも、散歩していると本当にほこほこした気持ちになれます。さて、「ファンケル荘園」を抜けた私は、国道15号と第一京浜をひたすら歩き続けた。時計を見たら、時刻は16時半すぎ。いかん。今日の目的地である川崎に早くついて、夜までに帰宅して子どもを入浴しなければいかん。旅の中に現実が乱入してくる。目標到達時間は遅くとも18時。それまでには川崎に着きたい。私は歩みを早めてひたすら国道を急ぐ。・・・蒲田という文字が見えてきたあたりで、私の足はかなり疲弊していた。歩みを急ぐあまり、休憩することなくジョグしていたからか、膝の裏に痛みが走る。鈍痛。信号待ちの間も周囲を気にしつつ、ガードレールに座ってしまう。だましだまし歩き続けると、道中にこのような標識が出現してきた。おおおおおおお「多摩川」という文字が見えてきた。確か、多摩川を越えれば、川崎市のはずだ。私はいきんで道を急ぐが、実はこの標識、この後も3、4つ出現するので、完全な「肩すかし標識」なのである。しかし、そんな肩すかしにも負けず、道を進んでいくと、本当に川が近付いているのが嗅覚で分かる。すると多摩川を渡るための橋がご褒美のごとく現れてきた。私は感慨にふけるようにその橋を渡り終えると、ついにこの標識が!!神奈川県に突入!!やったー!と心の中で叫ぶ一方で、子どもの入浴のために家路を急ぐ。とにかく急いで、JR川崎駅に向かおう。ところで、この川崎宿では、東海道53次を盛り上げるような雰囲気がそこはかと感じられる。ほら!「川崎宿起立400年(2023年)に向けてその文化と歴史をまちづくりに活かそう」川崎区役所と書いてある。川崎区役所、頑張ってるな~。でも、あと12年もこのテンションで頑張っていくのかな??そして、ほら!!この石柱!!東海道ファンにとってはたまりません。これ買ったらいくらくらいするんかな?・・・ということで川崎駅には18時ちょうどに到着。このように濃密な第一日目は終わりを告げました。(2)品川宿~川崎宿の総括歩数:17,270歩歩行距離:13km消費カロリー:583kcalさて、今日一日を総括しておきましょう。第一日目(2011年5月21日)の総括歩数:28715歩歩行距離:21.5km消費カロリー:1007kcal使ったおカネ(往路交通費) 230円(コーヒー代@新橋)480円(パン代@大井)230円(復路交通費) 520円(合計)1,460円今日一日で1500円をきりましたが、これから遠征するにつれ、荷物も増え、遠征費などの出費もかさむはず。さて、これからどうなりますことやら。(To be continued)
2011年05月28日
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「そうだ、京都いこう……(歩いて)」ということでやってきました東海道の始点である「日本橋」スタート日時は 2011年5月21日 12時45分。ひたすら暑い都心をトコトコ歩く。銀座は歩行者天国になっているので、歩きやすい。13時27分に新橋着。携帯電話の充電をうっかり忘れていたので、ドコモショップで充電しながら、コーヒーショップで昼食をとるが、赤ちゃんの拳程度のスコーンとコーヒーしか食さない。倹約。倹約なのだ。吝嗇。吝嗇といっていい。14時に新橋発。トコトコと第一宿場である品川に向けて歩く。ふと、芝あたりの歩道橋で「君」を見る。本当は「君」はスルーする予定だったが、やはりまだ「君」は東京のシンボルだ。田町あたりを歩いているとこんなバス停が。「散歩の次はバスか?次は電鉄を狙ってるな~!」と一人ごちる。休日のオフィス街を練り歩くこと1時間、15時01分に第一宿場の品川に到着。品川には何の感慨ももたないので、そのまま歩行を続行することにする。ただ駅前の人ごみが鬱陶しいだけだった。(1)(日本橋から品川までの総括)所要時間:1時間45分歩数:11445歩歩行距離:8.5km消費カロリー:424キロカロリーこの時点では「楽勝!」と思っていたのだが、このプロジェクトが甘くはないことを近い将来に知ることになるだろう。(→次回に続く)
2011年05月22日
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今年から「3年日記」をコツコツとつけているのですが、この3年間の間で、つまり、2013年12月31日までに何かやり遂げたいな、とムズムズしていたので、前々からの夢であった、「東京から京都まで歩く」すなわち、東海道53次をトコトコ歩いてみることに挑戦してみようかと思います。今のところ、ルールは以下の通り。●なるべく安い予算で制覇する。●何回かに分けて制覇する。●やばいと思ったら棄権する。●死なない。くらいかな~。途中経過はまたブログで報告すると思われます。
2011年05月20日
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マスメディアを通じて、連日、「ガンバロウ、日本!」などというスローガンを耳にするが、「ガンバロウ」という言葉が苦痛になる人もいることをマスメディアやぼくたちは分かった方がいいかもしれない。■■林真理子著「下流の宴」という小説に若者の息子が出てくるのですが、彼のセリフがある価値観を物語っています。「オレさ、はっきり言うとさ、努力する人って重苦しいんだ。 傍にいるだけで責められているような気がするからさ。」さらに、「オレはすごく頑張る人が駄目なんだ。 一緒にいるのがすごくつらくなってくるんだ……」■■この小説の場面設定と現実とは違いこそあれ、世の中の人がみな、「ガンバロウ」という言葉で奮起できるものではない。世の中には、頑張りたくても頑張れない人がいる。ごく自明なことで、今さらなのですが、そういうこともあるもんです。「頑張らなくていいんじゃない?」っていえる社会のほうが、ある意味、洗練された社会だと思うのです。
2011年05月05日
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先日、「リンカーン」という番組を流し見してたら、「100秒の世界」というコーナーでバナナマンの設楽が仕切りをしていた。前回まではこのコーナーは有吉が仕切っていたのであるが、有吉が裏番組に出ることになったので、設楽に交代したという訳だ。しかし、驚いた。このコーナーの最後に、設楽はダウンタウンの浜田を名指しで呼びつけ(もちろんタメ口で)、設楽の脇に浜田を正座させ、その上、指に爪を押しこむという地味なお仕置きをしたのだ。このような一種の「下剋上」は見ていて心地よいが、吉本内では絶対に出来ない。(「説教先生」というコーナーで吉本勢がチャレンジしていたが、ダウンタウンには 大胆な仕掛けが出来なかった。)今は吉本タレントが幹となり、非吉本が脇役となっているが、もうじき構図が変化するかもしれない。ま、どーでもいいけどね。
2011年04月30日
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昨日、読売新聞を読んでいたら読者投稿コーナーに次のような投稿があった。「復興増税するなら無駄見直し同時に」無職 66歳 東日本大震災の復興に使う財源が不足しているとして、政府内で「震災復興税」の創設など増税が検討されているという。 今回の被害の大きさを考えれば、復興のための増税には決して反対というわけではない。 しかし、財政危機を招いた政府の責任は棚上げして、すぐに国民に負担を強いるのは早計だとも思う。差し迫った課題に直面している今こそ国の歳出の無駄を徹底的に洗い直すいい機会だ。 菅首相には、国会議員定数削減と給与の減額、国家公務員の削減、子ども手当や高速道路無料化の廃止などを、増税と同時に取り組んで欲しい。そして、首相自ら、国民にしっかり説明してもらいたい。」■■後半部分に具体的な政策を提案しておられるけど、新聞的にはとても優等生的内容だ。しかし、30代である私には分からない。本当に国会議員の定員削減していいの?→そもそも国会議員って何してるの?国会議員の給与って減額していいの?→給与削減したら、国会議員は逃げないの?国家公務員って削減していいの?→「国家公務員」の範疇が広すぎて分からない。子ども手当、廃止して怒る人いないの?→少なくとも私は困ります。高速道路無料化、ってそもそも何が目的なの?そして、何より、何故、老齢年金の減額は議論に出てこないの?この投稿者は66歳で既に老齢年金を受け取る権利がある。既得権益を守る人たちと既得権益を得ようとする人たち。今日も街は「議員」という権益を求めて、宣伝カーがかしましい。
2011年04月22日
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今日は私の誕生日です。今は、ただただ、自分の不甲斐なさに打ちひしがれながら、生きています。思えば、1年前の今日、こんなに劇的な一年になるとは思いませんでした。正直に言いますと、私は、今、本当に落ち込んでいます。根っこが深いところが陥没している感じです。今、被災地はそれどころではないほどではないということは重々承知しているつもりですが、テレビをつければ、連呼されるあやふやな声。「がんばろう日本」「ひとつになろう日本」「日本を信じてる」じゃあ、発言しているあなたは「日本」とどういう関係なんだ?「日本」を応援しているあなたは「日本人」ではないのか?「日本」がこれ以上、どう頑張ればいいのか?私は、うんざりとなりテレビを消す。■■34歳となった今日、35歳になるまでの一年間に何が起こるか全く想像もつかない。でも、もう私は、この一年間で、「お前は本当にバカだなぁ」といわれるような事をしたいと思う。「バカなこと」がしてみたいのだ。「バカなこと」って何?損得関係なく、面白いと感じたこと。それを追求していく一年にしたいと思う。
2011年03月27日
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昨日から、放射能のことが気がかりでずっと調べていて、調べれば調べるほど不安が募り、混乱の極みだったけど、今だから声を大にしていいたい。大丈夫。きっと大丈夫。余震や放射能のことを気にするより、残された時間をエンジョイすることにしよう。さあ、残された人生を楽しもう。会社がイヤなら今すぐ辞表をつけつけて、好きな音楽をききまくって、好きな本を読んで、ガイドブックでも観て、旅行する妄想でもふけろう。そして、沢山笑おう。今からでもいいから、沢山笑おう。だから、不謹慎といわれようが何だろうが、今からでも笑いの数をどんどん増やしていこう。僕は残された時間、いかに笑っていられるかということだけを考えて生きようと思います。可能なら、みなさんを笑わせたいけど、僕は面白いセンスを持ち合わせてないので、NSC(吉本養成所)でも入りなおそうかと思います。東京NSCか大阪NSCか迷うなぁ。
2011年03月16日
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3月11日に発生した東日本大震災について、私は、何度も何度も、ブログを下書きしては、「今、個人的な体験など綴っても意味はない」と判断し、消去した。そして、考えて、思って、考えていた。私の家では、テレビが倒壊して、ラジオとインターネットが情報源になっている。そして未だに情報が錯綜している。被災に合われた方、そして、いろいろな困難にあわれている方に対して、本当に心から無事をお祈り申し上げます。亡くなられた方に心からご冥福をお祈り申し上げます。皆さん、この非常事態に対してかける言葉がないとおっしゃっているけれど、それでも何か言葉をかけたい。とにかく一人でも多くの、無事を祈って。
2011年03月14日
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20代後半、自分が悩んでいるときに、自己啓発本をよく漁っていたのですが、読んでいるうちに、30秒で真偽が見極められることに気付きました。基本的なことですが、●「目次」と「あとがき」に目を通すこと。特に「あとがき」に要注意です。「あとは実行するだけ」とか「この本を実践するのみ」などと、「実行」を読者サイドに丸投げする本はすべからく駄作なので、その瞬間にその本を放擲しましょう。■■さて、最近、何冊かの本を併読していたのですが、その中で、(非認可の)ネット師匠であるChikirinさんの本をやっと読了しました。「ゆるく考えよう人生を100倍ラクにする思考法」タイトルだけ読むと、自己啓発のジャンルだと思われますが、私にとって、「あとがき」を読むだけでよかったかもしれません。(というのも、本文のほとんどはブログで拝読したからです。)また、この本の「あとがき」では「実行」を読者に丸投げするのではなく、「よかった確認」という考え方を提唱しています。この「よかった確認」は、とてもシンプルで秀逸です。「よかった確認」とは・・・どんなに絶望的に思えることでも、その中になんらかの意義を見出し、「よかったね」と確認するということ(226ページより)著書にはいくつかの例があるので、それを見てもらえれば具体的に分かるかと思いますが、ふと、自分にとって最も絶望的な状況を想定してみて、「よかった確認」をしてみました。もし、私が不慮の死をとげたとき、「自分の遺伝子が瞬間的にでもこの世に残せてよかった。」ゆるくは・・・ないですか?
2011年02月23日
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最近、携帯電話がめっきり鳴らなくなりました。 それは、私がたいてい家にいるので嫁さん以外連絡する相手がいないからです。 そうです。私には、「友だち」がほとんどいない、、、と言っていいでしょう。 ■■ 以前、飲み会で、「私にはなぜ友だちがいないのか?」ということを散々、愚痴っていたのですが、 そもそも「友だちって何?」と聞かれて、戸惑ってしまいました。 そのときは、あまり深く考えなかったのですが、 今の私の見解から、「友だち」とは、以下のように定義づけてみます。 「相互のCredit(信用)が高い関係を持っている。」 しかし、社会人としての、「友だち」とは次のように定義づけられるのではないでしょうか? 「相互のBenefit(利益)が高い関係を持っている。」 ■■ そこで、私は仮説を立てました。 「今の時代は友だちをつくるのがとても難しい時代なのではないか?」と。 その根拠は次の3つ。 (1)人生のステージが多種多様になった。 人は社会的な生き物ですから、その場その時によって環境が変わります。たとえば、私のように、所属している組織がなければ、当然のように依拠する人間関係が失われます。さらに、個人の属性や段階にも「友だち」の有無が影響するでしょう。 私の場合、 ・サラリーマンからドロップアウトして現在無職。33歳で子供が産まれたて。 趣味が、読書とキックボクシング。 更にうつの波があるときは布団から動けない。 このような男性が「友だち」の関係を再構築するのはかなり難しいかもしれません。 みんな、お昼は働いているもんね~。 (2)「友だち」がいなくともできる娯楽が多くなった。 今の時代、マンガやゲーム、インターネットが発達しているので、「友だち」がいなくとも 時間がつぶすことができます。 「友だち」というのは極論すれば、孤独を癒す存在のひとつともいえます。 現代のように、一人でも、ゲームをすれば孤独を癒せるような時代には「友だち」はつくり にくくなっているのかもしれません。 (3)社会的構造が「友だち」をつくりにくくさせた。 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲著) という本の中に次のような記述があります。 ” 中間共同体(PTAや自治体、会社の同期会など「他人以上友だち未満」) が消えてしまうと、 次に友情空間が貨幣に侵食されるようになる。 友だちというのは維持するのがとても難しい人間関係だ。 それによくよく考えてみれば、たまたま同級生になっただけの他人が、 思い出を共有しているだけで、自分にとって「特別なひと」になる合理的な理由 があるわけではない。 だったら友だちなんていなくても、貨幣空間の人間関係があれば充分だと 考えるひとが増えてきたのだ。 このようにして友だちがいなくなり、その代わりに知人が増えていく。 貨幣空間の人づきあいは、ルールがシンプルだからストレスがない。” ここで著者は「友情空間が貨幣に侵食されている」と指摘し、また本書の中では逆に、 「貨幣空間が友情化してきた」とも表現している。 現在の社会では、友だちを作ることがとても困難な構造になっていると考えられる。 構造的に。 うーーん。 そのように考えると、「友だち」がいないからといって、落胆することはないのかもしれませんね。 なぜなら、私にとって、ごくごく少数であるけれど「友だち」がいること自体、奇跡に近い幸甚なのだから。 ■■ そんなことを思いながら、産まれて二ヶ月の子供を眺め、ふとある曲を口ずさむ。 「見つからなかった探し物はポケットに入ってました。と 幸せなんかおそらくそんな感じでしょ?って 君の声は教えてくれる。」 Mr.children 「ひびき」より そうか、自分のポケットの中をもう一度、探してみてみようかな。 誰が、入っているのかな?
2011年02月08日
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実は、この数日、ある実験をしてみました。気付かれなかったかもしれませんが、このブログのトップページに密かに自分のツイッターのアカウントを公開していたのです。結果として、数人しかフォローしてくれませんでした。結構な数のアクセスがあったのにも関わらず、、、です。この結果から、私が思い出したのは、「就職活動の構図」です。この実験の「失敗」から、今の就職氷河期を乗り越えられるヒントが見つかるかもしれません。■■その前に、重要な2つの経済学用語をWikipediaから引用します。●「シグナリング」・・・・・市場において、情報の非対称性を伴った場合、私的情報を保有している者が、情報を持たない側に情報を開示するような行動をとるというミクロ経済学における概念である●「スクリーニング」・・・・・情報を持たない者が情報を持つ者に情報を開示させるように選別を行うことちょっと難しいですね。具体例をあげてみましょう。この2つの概念を説明する際に頻繁に使用される例が、就職活動における「学歴」の意味です。就職活動において、企業は学生を選別する基準として、「学歴」でふるいわけます。(=企業は学生を「スクリーニング」している。)一方、学生は、企業に対して、「学歴」をアピールします。(=学生は企業に「シグナリング」している。)具体的にいうと、学生がES(エントリーシート)作成したり、自己分析などをしたりする場合です。ここまでが通常の説明の範疇なのですが、逆も考えられます。つまり、●企業が学生に対し「シグナリング」し、学生が企業を「スクリーニング」する。具体的にいうと、学生がOB訪問や企業研究をする場合です。ただし、この構図がうまく成立しているかは疑問符がつきます。手書きですが、図解するとこのようになります。(超アナログ!!)■■さて、本題に戻りましょう。私の実験が失敗した理由として、主に3つ考えられます。(1)私はツイッターのアカウントを公開した(=シグナリング)が、ほとんど反応がなかった。(2)読者は私のツイッターをフォローする意思はあったが、アカウントを見つける(スクリーニング)することができなかった。(3)私という人間に全然興味がなかった。これを(私=企業、読者=就活生)と置き換えて考えると、(1)企業は、優秀な人材が欲しくて、人材募集した(シグナリング)が、人材が集まらなかった。(2)就活生が、関心のある企業を見つける(スクリーニング)ことが出来なかった。(3)就活生は、意図的に興味のない企業を無視した。ここから考えると、この就職氷河期を乗り越える一つのヒントが見つかりそうですね。●自分の関心のある企業をスクリーニングする能力を磨き、●シグナリングが下手な「優秀な」企業を更にスクリーニングする。ちなみに、私の「実験の失敗」の理由は(3)すなわち、誰も私という人間に興味がなかった!!誰か私を「スクリーニング」してください・・・
2011年02月02日
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とりあえず、当ブログのここ6日間のアクセス数をご覧ください。1/22 ..... 421/23 ..... 521/24 ..... 551/25 ..... 1061/26 ..... 31061/27 ..... 3508ん?んん??もしあなたが個人で(特に専門性もない)ブログを持っていたとして、このようにアクセス数が「2ケタ」違う状況になったらどうなると思いますか?テンパル??そうです、人はこんな状況になると脳内にアドレナリンとかドーパミンなどが出て、テンパルのです。私の場合、順を追って状況説明しますと、1. 一瞬、全ての行動が止まる。2.楽天ブログが障害になったのかと疑う。3.障害ではなさそうだ。4.では、この数字に信ぴょう性がある可能性があるとすれば、出所はどこなのかを探す。5.ツイッターとかmixiとか調べても違う。SNSではない。6.じゃあ、一体、この出所はどこなのか?7.出所、、、発見。8.その出所とは「Chikirinの日記」まさに「混乱ラバー」らしい小悪魔的いたずらですね。でも、この「Chikirinバブル」はすぐに弾けると確信しています。なぜなら、私、なーーーーんにも、実力ないこと自覚してますもん。実質価値(Fair market value)に見合わない評価を得ると、必然的に崩壊するということは、我々の世代には身に染みているはずだもんね。だから、僕はアクセス数が落ち着く(=バブルが崩壊する)のを待ちまーす。ほんならな~。
2011年01月28日
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先日、おちゃらけブロガーであるChikirinさんの講演会と懇親会に参加しました。Chikirinさんのブログはとぉっても有名で、先日には、本を出版されました。Chikirinさんのブログはこちら今回の講演会及び懇親会ではすごく勉強になった点があり、それらをここで全て列挙できませんので、最も大きな発見を3つに絞ります。1.参加者に「専業主夫」がほぼいない。今回の講演会のテーマが「インターネットが子どものキャリア形成プロセスに与える影響」という内容だったために、教育関係者やパパ・ママが多いのかなと思ったけど、全体的に若い人が多かった。(Chikirinさんを生で見たいという人も多数いらっしゃった)最初に、80人ほどの参加者全員に簡単な自己紹介をしたけど、ほとんどの方は何かしらの企業もしくは学校に属していて、私のように完璧なフリーターは皆無に等しかった。自己紹介の場では、苦し紛れに「専業主夫」と名乗ったけど、「やはり、私のようにいい歳してのんべんとしてるのはマイノリティなんだな」と痛感。今後、「専業主夫」というコミュニティでも作ってみようかしら?2.親としてインターネット・リテラシーを磨かないといけないなぁ。Chikirinさんの講演の中で感じたことは、親って、トップダウン形式でネットに潜むリスクに対して規制するという立場ではなく、「伴走者」としてネットの特徴を理解し、子供と一緒にネットにアクセスする注意やルールを考えていこうという姿勢が重要なんじゃないかな、と思いました。私には産まれて間もない赤ちゃんがいますが、この子が中学生になるのが12年後。その時代にどの程度テクノロジーがすすんでいくか分かりませんが、子供と積極的にコミュニケーションをとり、子供が今ネット等で何をしているのかを理解していく姿勢が必要なのでしょう。3.Chikirinさんの生態私がChikirinさんを知ったのは2年くらい前でしたが、インターネットでは匿名かつ顔出しNGなので、「Chikirinさんってどういう人なんだろう?」という好奇心がありました。講演会、そして懇親会でChikirinさんの近くに席を陣取ることが出来たので、少し、生態分析してみました。●ネットだけでなくリアル世界にも実際に存在していた。●本当にメガネをかけている。 だてメガネではなさそうなので、視力は良くないみたい。●本人は「見かけは普通のおばさん」と謙遜されていたが、 私から見れば、「普通のお姉さん」でした。 まだまだ「おばさん」とはいえないと思います。 私見ですが、同じ年(34歳)くらいに見えて、全体的に若く感じられました。 アイコンの似顔絵をもう少しmodestにした感じ。●服装はコンサバティブ系。TPOに合わせているからだと思われます。●プレゼン能力、高すぎる。オーディエンスを惹きつける能力が半端ない。●オーラがあるのにオーラを消すことが出来る。同じエレベーターに乗っていたのに、Chikirinさんがいらっしゃった気配がなかった。ドラゴンボールに出てくるスカウターが必要。●歩く。●アルコールはビールしか飲まない。(若しくは遠慮していたのかも)●空気を読む能力が異様に高い。●ほとんど標準語だけど、お願いすると関西弁を話してくれる。 個人的にそっちのほうが親近感がわく。●お酒が入ると、テンションがあがり、声のトーンも若干高くなる。●基本的な質問に対しても、分かりやすく説明してくれてホスピタリティが溢れる。●なので、おちゃらけなのに、とても信頼感が感じられる。●それでも、やっぱり、韓流の話が大好き。●でも、基本的にどんな会話でも対応できるので、アタマの回転がとても速い。●ネットの世界では超有名人なのに、全然奢りがない。謙虚で好感がもてる。●今後、女性のロールモデルとして確立しそう。 女性からの支持が相当高い。●関係ないけど、食べるときははしを使う。●多分、血液型はA型。●ノリがいい。時宜にかなったノリをしてくれる。●なので、解散時、ご期待に沿って「そんじゃーねー」って言ってくれる。このように、私のような一般人が「会いたい著名人」とお酒を飲めたっていうことはどんどん世界がフラット化していくということなのでしょうか?最後に、このような機会を与えてくれたACE(企業教育研究会)様に感謝申し上げます。パンフレット拝見したら、面白そうなコンテンツが沢山あるので、今後も参加させて頂きたいと思います。ほんならなー↑(「そんじゃーねー」の関西バージョン)
2011年01月24日
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今年はバンバン、ブログを更新しようと1月3日あたり思っていた。ツイッターレベルのささやかなつぶやきでさえもブログに書きなぐってやろうかと思っていた。そう思いついたのは、「誰がオレのような日記を見たいのか?」という心理的な「ひらめき」からだった。そう、それは「ひらめき」だった。実質的に、私の日記なんて、誰かが読んでいそうで、誰も読んでいない。「誰からもコメントがつかないから」とかいう問題ではなくて、伝えたいことが伝えたい人に伝わらなかったり、伝えたくないことが伝えたくない人に伝わったり、つまりは、インターネットでブログを書いている時点で、アイデンティティがぐっちゃぐちゃになってくるのだ。だから、ALL OR NOTHING で、もう自分の書きたいことだけ書いたらいいかな、と思う一方、伝えたい人に伝えるにはどうしたらいいかを模索している。更にではあるが、読み応えのある文章や良い表現を読み続けていると、オレの文章なんて、地球儀の中の小豆島みたいなスケールだ。って気付いた。どんなに良い文章を読み、それを写生しても、一向にオレの文章は向上しない。オレはその現実に飽き飽きしているのだ。中途半端に絶望しているのだ。ぶっちゃけ、現実を見れば、「どん詰まり」なのに、人生に王手をかけられているのに、オレはこの期に及んで何をもがいているのだ。「クオリティを下げて、もっと頻繁に文章化しないと整理ができないのかもしれない。すると、小豆島から淡路島レベルになるかもしれないよ。」と、オレはオレに言った。明日、二か月ぶりに嫁さんが自宅に戻ってくる。「ごめん、こんな時間なのに、まだ部屋片付けてないや。これから片づけるね。」と、オレは嫁さんにブログを通じて言ってみた。つまりは、クオリティを下げて、淡路島を目指すか?クオリティを追求して、自分という罠にもがくか?それかいっそ、クオリティ自体を放棄するか?・・・俺は、ブログにクオリティなんて放棄するのがベストだと、思う。
2011年01月14日
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明けましておめでとうございます。さて、今日、自宅で一人でうどんをつくっていたら、無性にビールが飲みたくなったので、徒歩1分のコンビニにビールを買いに行きました。その帰り際、僕は何を思ったのか、「自由だーーー!!」と絶叫しました。心の中で、です。夜に絶叫したら、発狂している人と間違えられて、通報されると怖いです。この「自由だーーー!!」となった経緯は、今まで自宅で一人で突発的に「お酒が飲みたい」という衝動にかられることがなかったことと、こんなに近くにコンビニがあってすごい便利だということを痛感したのです。ある意味、私にとってエポックメーキング的な出来事でした。さて、巷ではいろいろと面白いことを思いつく人がいますね。私はそういう人を見て、「心の中で」ニタニタしているのです。あと、「木曽さんちゅう」をご存じの方、いるでしょうか?Wコロンのねづっちの相方です。ねづっちというのは謎かけを非常に得意としている芸人です。木曽さんちゅうというのは、そのねづっちの相方です。テレビを見ていると、「あれーーー、この人の存在意義って何だろう?」「この人って『そのこころは?』の六文字しかテレビで言わない人だよね?」と不謹慎にもそんな疑問を持ってしまいまして、「いやいや、それはWコロンのネタをきちんと見たことがないためだ」と思い込んだ僕は、インターネットでネタを見てみた訳です。それで判明したことは、木曽さんちゅう、ってツッコミなんですね。すごいスタンダードな漫才をしていて、ストレートにひいてしまいました。でも、地上波では、ねづっちが謎かけしている隣で、「ふんふん、そのこころは?」とうなづき、ネタフリをするだけという、一種の不労所得だと思いました。私も「地上波で」「六文字くらいを発言するだけで」ギャラがもらえたら、いいな~!ということで、今年はこんな感じで行こうかな、と思いますが、今年も宜しくお願いします。
2011年01月08日
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私は、テンションが高いときしかブログを更新しないのですが、これが年末最後ということなので、著しくテンションが低いのに更新しちゃいます。さて、年末恒例(にしたい)第1回「面白かった本ベスト5」です。私は読書ノートというものを記録していて、印象に残った箇所を写生しているのですが、そのノートを基に、今年読んだ本の中で特に面白かった本を5冊挙げてみようと思います。■■まず、一冊目。「時間のかかる読書」宮沢章夫著この本は一つの短編小説(横光利一著「機械」)を11年2カ月も読書し分析している。宮沢さんの洞察力が、完璧に横光さんの構想を上回っていて、個人的には文章に対するツッコミの勉強になった。あと、遅読の私にとって、宮沢さんの言う「読むことの停滞」の重要性が身にしみて分かった。「速読」がもてはやされている昨今、「何でも早いことがいいのか?」と疑問を持っていたり、合理主義にどっぷり浸かってしまっていると自覚している人に是非おすすめです。2冊目「身の上話」 佐藤正午著2億円の宝くじ当たったらどうしますか?幸せになるとおもいますか?年末ジャンボを購入した方は、これを読んで予習してみませんか?3冊目「悪貨」 島田雅彦著「芸術は人の目を引き付けるが、偽札は人の目を欺くものだ。人目に晒されながらも、見過ごされなければならない。芸術は鑑賞するものだが、偽札を鑑賞するものはいない。だが、作り手の技術や情熱が感動を誘うところは芸術も偽札作りも同じだ。」当然のことながら、おカネというものは、「使うからこそ意味がある。」偽札が蔓延すると、必然的にインフレになり、貨幣価値が下がる。いつ、誰が偽札を作ることになるか分からない。それでも、おカネは絶対的な価値を持ちますか?4冊目「ランプコントロール」 大崎善生著私の一番好きな作家は大崎善生さんなのですが、この作品は、神戸のドトールで読みながら、泣いてしまったのを覚えています。大崎さんの描写には、私の個人的なツボがあるのです。ストーリー自体も引き込まれますが、作中に出てくる「柳田さん」の言動に感動します。(特に285ページあたり)5冊目「私の男」 桜庭一樹著この本は3月頃に読んだのですが、その時はストーリーにのめりこんでいて、読書ノートには何も写生した記録がないのです。ただ!12月に私が実際に女の子の親になってからは、この本の内容が妙にリアリティを持ち始めました。■■まだ、紹介したい本(「永遠の旅行者」橘玲著や絲山秋子の短編小説、池田晶子のエッセイ)がありますが、ここで終わっておきます。以上、第1回「面白かった本ベスト5」でした。それではよいお年を。
2010年12月28日
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2010年12月1日に、待望の女の子が産まれました。残念なことに私は立会いができなかったのですが、母子ともに健康で元気で本当によかったです。取り急ぎ、ご報告でした☆(以下は余談)ちなみに、娘の名前はこちらをご参照ください。でも、もし男の子が産まれていたらこうなっていたかも。女の子でよかった!!
2010年12月09日
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嫁さんから「立会出産をするか?」と聞かれた。「可能ならするよ。」と電話越しで私は答えた。すると嫁は、「なるべく普段と同じような感じの方がいいらしいよ。」と言われたので、「じゃあ、Karaのダンスをマスターして陣痛の時に披露して応援するよ。」嫁は電話越しで苦笑している。「あはは・・・(いやいや、『普段通り』っつってんだろ!)」乾いた笑いに水を差すように、私は続ける。「Karaだけじゃ、あれだから、Karaの次に少女時代の歌を熱唱するよ。」嫁は電話越しにあきれ返っているのが手に取るように分かる。「ええと、じゃあ、少女時代で終わるのもあれだから、少年時代も熱唱するよ。」「井上陽水の?」「うん。」Karaから少女時代というKポップからのまさかの井上陽水にたどりつくとは・・・ん?陽水?ようすい?羊水?羊水??ここで一句。「羊水に 包まれている きみ想い 一人待つかな 三人暮らしを」
2010年11月29日
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今回のエントリーは「ちゃんと」読まないでください!!私は普段から可能な限り、正しい日本語を使うように心がけている。例えば、私は「一番最初」とか「一番最後」という表現を封印している。もしうっかり言ってしまった場合、すかさず訂正する。「最初」は「一番初め」という意味を含んでいるので、「一番最初」という日本語はそもそも成立しないはずだ。(最近、テレビでもこのような表現を容認されているのがとても気になる。)そんな中で、私が封印している表現がもう一つある。「ちゃんと」という言葉だ。その考えが定着したのは、クリエーターの山本高史さんの著書「伝える本。」を読んでからだ。山本さんはイントロダクションでこう主張する。「言葉は伝える技術である。 言葉の送り手が言葉の受け手を自分の望む方向に動かすための技術である。 それを叶える方法は送り手が受け手の言って欲しいことを言ってあげることだ。 すべてを決めるのは受け手だから、である。」それを踏まえた上で、こう述べている。 「少なくとも『ちゃんと』という言葉を封印して 何かを伝えようとする習慣をつければ、保証します、 その人のコミュニケーションが明らかに変わる。 『ちゃんと』を多用する人を(この人は約束する気があるのか)と受け手は ひとまず疑った方がよい。 『ちゃんと』は人間の怠惰やズルが言葉を潰す例の一つだ。」つまり、「ちゃんと」という言葉は、送り手と受け手が正確にコミュニケーションできなくする要素となりうるのだ。個人的な例を挙げます。私が新入社員のときに突然、先輩社員から一通のEメールが来た。「ちゃんとしろよ。」その一文のみ。そのメールをよく見れば、上司から転送されたメールであり、私が起こした些細なミスを指摘しているようであった。しかし、私は「どう」「ちゃんと」すればいいのか分からなかった。今後、同じミスをしないようにすることが「ちゃんと」することなのか?それとも、そのミスをもっと掘り下げて原因を取り除くことが「ちゃんと」することなのか?それとも、ざっくりと「ミスしないこと」がちゃんとすることなのか?この場合、受け手である私には、「ちゃんと」という言葉が伝わっていないのだ。もう少し例えましょう。河川敷でテントを張っているホームレスに「ちゃんとしろよ。」と言ったところで、そのホームレスは「ちゃんと生きている」という意味では「ちゃんとしているではないか?」飲酒運転をしている人に「ちゃんとしろよ。」と言ったところで、その人が「人をはねた訳ではないからちゃんとしている」と主張したら、どうだろうか。さて、私の伝えたいことが受け手であるあなたに「ちゃんと」伝わっただろうか?
2010年11月13日
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昨日から、「水嶋ヒロ」という元俳優がマスコミにとりあげられている。「第5回ポプラ社小説大賞」の大賞を受賞した、というのである。私は、この記事を読売新聞の三面記事で発見したのだが、「斎藤さん」という人が受賞したと記載してあった。おかしい。そして、事の顛末をテレビで知った。その時、最初に私によぎった感情はまぎれもない「嫉妬」である。しかし、時が経過するにして、ネットやテレビが報道するように、いろいろな憶測が飛び交う中で、自分なりの落とし所をつけておかないといけない、と思い、私見を下記することとしました。まず、賞金2000万円という件であるが、これは最初から渡す気がなかったのではと疑いをもってしまう。現に、今まで、一度も2000万円を賞金として渡したことがないからである。(第1回目の大賞は適用前、2~4回は大賞すら出ていない)芥川賞や直木賞の賞金で100万円である。それが相場なのである。そこで、ポプラ社という会社の財務諸表を見たいと思い、ホームページの会社案内を見ても、経営状態を示すものが皆無であり、ウィキペディアで調べようとしても「売上高」さえも非公開なのである。(非上場だから仕方ないか。)本当にフリーキャッシュが2000万円もあるかどうかもあやしい。「賞金を辞退」???「新しい作品を作りだすのに使って欲しい」???ポプラ社と水嶋さんの間で「ドウイウハナシ」があったのだろうか?そして、ポプラ社は、来年からは賞を改名し、賞金を200万に「改める」らしい。・・・・・・次に、小説の内容であるが、「自殺しようとした者を止めようとする話」というストーリーらしく、その契機となったのが、「(日本の?)自殺者の数を知ったこと」らしい。ますますもって、分からない。国が示している自殺者数3万人以上というのはあくまで「自殺」として認識され判明している数値であり、「不明者」を合わせると、もちろんそれ以上になる。水嶋さんは、これからも「命」というテーマを扱う、と仰っているが、昨日の記者会見では、「そのような(重い内容の)小説を書くに至った経緯、そして、その苦節」というストーリーが一つも盛り込まれていなく、文学に全く無関係である、「関係者たちへの謝罪や元事務所との確執がないことの言及」に触れていること自体、他の応募者に失礼なのではないか?と思うのです。そして、最も重要なのですが、今日になって「発売が未定」さらに、「これから関係者と推敲してから世に出すことになる」とポプラ社がのたまっているらしい。ポプラ社の13人の編集者(書き手ではない)しか読んだことがない、つまり、日本ではほぼ誰も読んだことがない作品に対して、マスコミを含め我々は「わーわー」と言っているのです。既に、これだけのハードルを上げてしまったポプラ社と水嶋さんは一体どうするのでしょうか?ほとぼりが冷めるまで待つのでしょうか?優秀なゴーストライターを探すのでしょうか?・・・・・・私自身、(既に倒産した)「新○舎」という会社の出版大賞というものに応募して、「奨励賞」として賞金2万円をもらったことがある経験上、(私は賞金を辞退することなく、有難く頂きました)「出版業界」ってこういう業界なんだ、と少し理解したつもりなので、こういう事を思ってしまうのです。そして、現に、私の場合は、「あーーー、あんな駄作、出版しなくてよかったーー」と心底思っているのです。さて、水嶋さんの場合はどうなるのでしょうか?水嶋劇場のオチを是非、堪能したいと思う今日この頃です。以上、私の個人的な嫉妬でした。(嫉妬に始まり、嫉妬に終わる)
2010年11月02日
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昨日が最終日だということで慌てて、上野の芸大美術館に「シャガール展」を観に行きました。途中、シャガールの自伝的なビデオが放映されていたのですが、その中に、「絵を観るときは、その絵がどう描かれたかという描き方ではなく、『変容』を観なければならない。」と言い放っていたので、「深いな~。」と感心したと同時に、「変容???」とアタマの中がハテナマークでいっぱいになりました。ここで言われている変容とは、1.作者自身の属性や心境の変化2.絵画を時系列で並べた場合の変化3.被写体の変化くらいしか思いつかなかったのです。それを踏まえた上で、もう一度、シャガールの絵画を時系列に沿って観てみると、「愛妻が亡くなるまでの絵画は青や黒系統が多く暗い雰囲気が強かったけど、 再婚し、南仏に住み始めた頃になると、絵の雰囲気がものすごく明るくなった。」という変容が垣間見れます。しかし、残念ながら、シャガールが伝えたかったことはこんなことではないと思うのです。最後に展示されている、「イカルスの墜落」を見て、そう思いました。シャガールが私に伝えてくれたこと、それは、「私には『変容』とは何かが分からない」ということ、そして、「分からない経験こそが大切だ」ということ。実は、ほとんどみんな、自分自身のことさえも分かってない。もちろん、私も含めてね。
2010年10月12日
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先日、東京ディズニーシーに遊びに行ったところ、ビールを飲もうとして売店にいくと、こんな看板が目に飛び込んできた。(この写真で一言つぶやいてみよう。)■■■私の例題(1)時間軸をずらす「これが第0次世界大戦か」ある意味、世界で初めての大きな戦さだったんでしょうね。これを、未来に時間軸をずらすとどうなるか。「少子化がすすんだらこうなるんやなぁ。」もはや人間がいなくなり、恐竜が闊歩する。やはり歴史は繰り返すのだろうか。(2)文字に注目する。「逃げろ!!もうすぐ舞浜にでっかい隕石が落ちてくるぞ!!」「Last chance to see a dinosau!」を馬鹿正直に信じて、恐竜絶滅の原因となった隕石が・・・もうひとつ。「平成の次の元号は『白亜紀』か。」(3)環境自体をいじる「ついにオリエンタルランドもハリウッドに進出か・・・」ジュラシックパークと勘違い??(4)キャラをいじる「お前、結局、爬虫類なん?」(5)擬人化する「お、日焼けした白鴎がこんなところにおるで。」今日はここまで。チャンチャン。PS:「これからのマーシーの話をしよう」を真剣に考えなければ・・・
2010年09月17日
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英語(第一問)次の英語を和訳しなさい。(2010年10月24日に野田財務相先生が発言された「名言」です。)I've got to be concerned with market movement significantly, and want to keep a keen eye on it.(解答)「市場の動向には重大な関心を持って極めて注意深く見守っていきたい」国語(第二問)次の文章をおぼっちゃま君風に解釈せよ。「市場の動向には重大な関心を持って極めて注意深く見守っていきたい」(解答例)「ぽっくんは、円高とか株価とかよく分からないけど、なんだか今経済とかが大変そうだから、ぽっくんは興味もたないといけないかもなぁ。だから、ぽっくん、決めた!!指をくわえてドルとか株価とかをじーーと見守ることにする!!」社会(第三問)2010年8月24日に緊急記者会見を開いた野田財務相先生が肝心の為替介入の可能性について問われた時に、とった英断とは何か。(解答例)「コメントできない」と言って逃げた。道徳(第四問)この緊急記者会見で露見された日本で失われたモノとは何か?(解答例)ご自由にお答え下さい。これであなたも、将来、日本の財務相になれる・・・かも!以上、「馬鹿な野田大学」入学試験でした。
2010年08月25日
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ある本の書名をどうしても思い出せなくて、「何だっけな、あのハーバード大学の講義について書かれた本って、何だっけな。」と本屋をまわってみたら、「これからの正義の話をしよう」だった。ああ、そうか。でも、これがもし、「これからの(孫)正義の話をしよう」だったら、どうだろうか?「コレカラノマサヨシノハナシヲシヨウ」どうでしょう。ソフトバンクの今後の策略が議論されそうで、なかなか企業経営に役立ちそうな本が出てきそうではないか。いや。これに関しては、もっと議論をしたいテーマがある。「これからの政の話をしよう」「コレカラノマサシノハナシヲシヨウ」・・・「これからの田代まさしの話をしよう」もはやマーシーは家族会議が出来ないだろうから、今後のマーシーの「話」を教育機関レベルで出来ないだろうか?できれば「ハーバード大学」で取り上げて欲しいテーマだ。どうすれば、マーシーは這いあがれるだろうか?これこそが、ボーダーレスで研究されてもいいテーマかもしれない。・・・ていうか、一カ月ぶりの更新がこれかよ!!
2010年08月17日
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(悩み相談)面白くなるにはどうすればいいですか?(回答)私は、時々ですが人から「面白いですね。」と言われる事があるのですが、そもそもこの●面白いという言葉に幅がありすぎて、「実は一つの学問に発展するのではないか」とも思うのです。「面白い」という観念があるということは「面白くない」という観念がある訳です。ただ、最近私が思うのは、面白いか面白くないかその決定打となるのは、実は発信側ではなく受信側にあるのではないか?ということです。例えば、最近の「アメとーーく」で、「レイザーラモンRG同好会」というくくりがありましたが、出てくる芸人はケンドーコバヤシや博多大吉を始め、かなりお笑いの実力があると認められる芸人でした。ここで素朴な疑問が生じます。「何故、レイザーラモンRGという素材でこんなメンツが揃うのだろうか?」レイザーラモンRGには失礼な疑問ですが、私の答えはこうです。「彼らはレイザーラモンRGを使って、自分の脳内で面白く転換させている」つまり、レイザーラモンRG自体はそれ程大衆ウケしていないけれども(実際、客はドン引きだった)お笑いの実力者たちは自分の脳内の中でお笑いコンバージェンスが機能している訳です。それを逆説的にまとめるとこうも言えます。「よく笑う人は、お笑いコンバージェンス能力が高い。」///笑っている人の脳内///ツマラナイ素材→その素材を加工→面白い発想→ウケルダウンタウンの松本人志もツッこむ前によく笑います。それは、言葉に出す前に脳内でこのようなコンバージェンスが機能しているからだと思います。だから、私のことを面白いという人には逆に、「いえいえ、こんな私のようなしょぼい素材を面白くコンバージェンスしているあなたの方がよっぽど面白いですよ。」と言いたいのです。さて、話を戻しましょう。「どうすれば面白くなれるのか?」私はもともと関西人ですので、小さい頃からかなり真剣に考えていました。ここで言う「面白い」というのは大別すると二点に分類できます。1.「大衆ウケする」2.「人と差別化を図る」もし1の「大衆ウケする」ことを実現したいのであれば、世間の空気の中でウケる要素の最大公約数を絞り出す能力が必要です。また、このためには実力よりも運の要素がかなり強いことは確かです。例えば、ムーディー勝山やダンディ坂野のように、メディアがとりあげて幸運にも(不運にも?)売れてしまったので結果として大衆ウケしたという事例もあります。私が注目しているのは2の「人と差別化を図る」ということです。私が思うに、ノーマルな人間なんてこの世に存在しません。私こそがノーマルだという人が却ってアブノーマルだともいえます。ただ、今の日本では、みんな同じ行動や思考をとりたい傾向にあります。こんな時こそ、チャンスなのです。差別化を図るチャンスなのです。しかし、多くの人はできない。みんなと違う道を歩むには多大な犠牲と偏見があふれかえっているから。結論です。「面白くなりたい」と思う人は、面白そうな脳みそを持っている人と接するか、運を求めに、パワースポットめぐりをすればいいのである。もし実力でかなえたいのであれば、人と違うことを愚直にやり続ければいい。あああああああああああああああああああ税理士の試験前なのに、こんなことで1時間も無駄にしてしまったぁぁぁぁぁ
2010年07月16日
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(相撲ファンの方はこの日記読まない方がいいと思います・・・)最近、相撲協会がもめにもめて、NHKが名古屋場所をテレビ放送をしないと決めたらしいです。野球賭博問題などなどあったらしいですが、実は私、全く相撲に興味がないので、全てスルーしていました。そもそも、私は相撲が日本の国技であることすら疑問にしているのですが、(私は生粋の日本人ですが、この人生で正式に相撲をとったことが一度しかありません)私だけが相撲をとっていないのかもしれない。みんなーー、日常的に相撲とっていますか?例えば、中国だと、早朝から公園で太極拳やってるけど、日本において課長や部長が朝開口一番に、「さて、今朝も出勤前に、代々木公園で相撲とってきたぞ」という日常会話を未だかつて聞いたことがありません。どうやら、相撲とは一般的に、「行う」(DO)スポーツではなく、観る(SEE)スポーツだと認識するのが妥当なんですかね。みんな、元気に相撲観てますかーー??そこで、もう少し踏み込んで、国際的な観点で見てしまうと、「相撲って海外の方ってどのような観点で見ているんだろう?」という疑問にぶつかります。だって、ストリートファイター2のゲームでも日本代表の一角を担うのは、「エドモンド本田」だし。そりゃ、スト2には偏見もあるよ。インド人のみんながみんな、あんなに手が伸びる訳ないし、ブラジル人がみんな「獣」なわけないし。でも、でも、例えば、海外の方が、何の知識もなく大相撲を見て一言言うとすれば、「スモウはデブとデブが裸でぶつかり合うモノ」位の認識ではないでしょうか?(ややもすればハードなシモネタになりかねない)更に、彼らは英語でこう表現しているのかもしれない。”Many Japanese like "SUMOU" which is crash between a fat man and another fat man.”もはや、スモウというものが原形をとどめていない・・・。いつか、外国人にちゃんとした相撲の素晴らしさを説明してあげたいデス。チャンチャン
2010年07月07日
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昨日、報道ステーション見てて、菅総理が出演していたので、しばし見ていたのですが、今、やたらと「消費税増税」について超党派で議論をしたがっているようだ。彼が強調していたのは、以下のようなことだったと思う。「日本が抱えている債務残高約900兆円は現在与党の民主党ではなく、過去長期にわたって与党であった自民党にも責任がある訳だから、政党を超えた議論が必要である。そして、消費税を含めた税制改革を実行することによって、介護など成長を見込める分野(多分、内需においてだと思う。)の発展に財政を回せるし、社会保障全般(多分、破たんするすると言われている年金制度のことだと思う)の補てんにも繋がる。」とまぁ、ざっくりとこんな内容だったと思うんだけど、私のようなバカはこう言う。「お前、一度、あらゆる現場を見てからモノを言え。」1.消費税を増税することで、本当に財政が強くなれるのか? 景気後退で法人税の税収が減少し、更に国際的に日本の法人税の実効税率が高いと指摘があるため、法人税の税率を引き下げなければ、国内企業がどんどん海外に逃げてしまう。でも、現状でさえ、6兆円しか法人税の税収がないのに、これ以上切り下げると、法人税収はどうなってしまうの?まだ景気がこんなに悪いのに。そんな中、逆進性が高い消費税の税率を切り上げて、その上、無責任に「低所得者には還付する」だの、「生活必需品には税率を下げる」だの、そんなことしたら、税務の現場が混乱するのは目に見えているのに。ただでさえ、裁判が多い消費税問題で、より複雑なシステムを導入したら、だーーーーーーーーーーーれも消費税を取り扱える専門家(税理士等)がいなくなるよ。もう一回きくよ。消費税を増税することで、財政は強くなるの?2.消費税を介護分野に回すって正気??これについては、何を言っているのか分からない。単純に、現在の日本は少子高齢化が進んでいるので、じじ、ばばを介護するというとてもハードな産業にお金をぶっこんだら雇用が回復する、というつもりで言っているのか?それは、既存の介護士の給料が1000万円以上になれる可能性があるというのか?それとも、今の5.2%の失業率を改善するために、介護分野の雇用を増やそうというのか?その一方で、金取法等で、法律上、役員報酬が1億以上の場合は開示しないといけないというルールになって、多くの人が、「あぁ、大企業の役員ってこんなに給料いいんだ。」て思って、今の若い学生が、「金持ちになりたいから、大企業に入って役員を目指したい」という気持ちを抑えて、「介護というすごくきつい仕事だけど、政府が消費税を介護に回すっていうから、 この厳しい雇用情勢だとやっぱり介護しか仕事がないのかな」という冷静な気持ちに切り替えられるのだろうか?「介護」が成長産業という位置づけになった日本は、もう「終わり」なのではないだろうか?3.財政強化と経済成長を両立できるの?無理でしょ。政府はいかにスーパーインフレを起こして国債の財政赤字をチャラにするか、個人の金融資産に課税して、国民の貯金を全部まきあげて、国債の借金に補てんするか、しか選択肢はないのではないか?4.与党と野党の責任のなすりつけあい。(絶句)あれ?そういえば、普天間問題ってどうなったの?まあ、いろいろと書いていけばきりがないので、もうストップしておきますが、それ以上に今、日本に、求められる課題は、「自殺者をいかに食い止められるか」という切実な問題だと思う。年間3万人といわれている自殺者(「公表」されている数字だから、「不明者」も含めたら倍以上にはなるかもしれないが)が何故こんなに多いのか?日本という国は「食っていける」国なのにどうしてこんなに住みづらくなったのか?無理やり介護を増強させて、人間をむやみに長生きさせることが本当の幸せにつながるのか?こんな根本的な疑問を抱くのは私だけ?教えて、賢い人!もう政府や企業なんかには頼れないことはとうの昔から知っていたはずなのにね。
2010年07月02日
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今朝、嫁さんと産婦人科に行き、初めてエコー(超音波)検査で、お腹の中の我が子を拝見しました。すると、私がモニターを見ていることに気付いたのか、お腹の中の我が子は、モニターに向かってピースをしている。ではありませんか!!えーと、「なんで無職の父親とのファーストコンタクトがピースやねん!!」「羊水がそんなに楽しいんかい!!」とまぁ、いろいろとツッコミたかったのですが、確信したことは、「あぁ、この子は確実に嫁と私の子どもだなぁ。」とひしひしと感じました。千原兄弟のツッコミが千原ジュニアに「残念な兄」として紹介されているのであれば、私はこのジュニアに「残念な父」と紹介されるんだろうな・・・・・・て、誰が残念やねん!!
2010年06月26日
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おや?先日、関西のネットカフェで自分のブログを見ようとGoogleで検索したときのことです。最近は、検索ワードを入力するだけで、それに関連する候補がズラッと下に出てくる仕組みになっているようで、「サラリーマン」と打つとサラリーマンに関する単語がズラッと並んでいました。で、「サラリーマンぎ」と打つと2つしか候補がなくなり、「サラリーマン行政書士」と「サラリーマン吟遊詩人」の二つのみ。しかも、「サラリーマン吟遊詩人」で検索した結果が11300件もあるよ。なんで?まず驚いたのが、「サラリーマン吟遊詩人」という単語自体がいつの間にか日本において成り立っているということ。これを見れば分かる通り、2005年4月の段階では、「サラリーマン吟遊詩人」という単語自体がまだ日本には存在していませんでした。そこで、私がこの2005年4月2日において、日本で初めて「サラリーマン吟遊詩人」という単語を発案し、普及活動した訳です。しかし、今、Googleで調べてもらうと分かるように、日本にはもう一人「サラリーマン吟遊詩人」という方がおられるようです。私は全く面識はありませんが、その「サラリーマン吟遊詩人」は、2005年の12月からブログを始めて、2008年12月にお休みしておられるようです。時々、私は、この方と間違えられて、「お前、本当にガチで詩を公開しているな!」と言われることがあるのですが、全く別人です。というか、いい加減、このブログの名前そろそろ変えたほうがいいのかもしれませんね。というのも、そもそも、●私、もう、サラリーマンじゃない。し、金輪際、サラリーマンには、なれないかも、しれない。じゃないですか!さらに、●私、ほとんど、詩など、書けない、じゃないですか!しかも、●「サラリーマン吟遊詩人への道」ってあるけど、私はもはや「サラリーマン吟遊詩人」を目指してない。じゃないですか!そもそも、もはや誰も私に「サラリーマン吟遊詩人」になる過程など期待していないことはひしひしと伝わっています。近々にブログ名を変更したいけど、どうでしょう?変更した方がいいと思う人、手をあげてーーーーーー!!
2010年06月23日
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一昨日のビッグニュースといえば、何をさしおいても、今、巷で大人気の「コボちゃん」に妹が産まれたことです。今日その名前が発表されて、「実穂(ミホ)ちゃん」になりました。「実穂ちゃんと同じ年に自分の子供が産まれることがすごくうれしい」と嫁が喜んでおりました。という話。(特にオチなし)
2010年06月16日
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先週、SPAを立ち読していたら、22周年記念で特別プレゼントコーナーを見つけた。そのプレゼントの中に、「佐藤優とロシア料理を食べつつ人生相談できる権」があった。俗に言う「インテリジェンス人生相談」だ。私は迷わず、応募しようとしたが、人生相談においては、すごく基本的なステップがある。それは、●人に何かを相談する前には、必ず、自分が何に悩んでいるのかを ノートに書いて整理してから、把握すること。「ノートに書く」ということがかなり大きなポイントで、実際にノートに書きだしてみないと何に悩んでいるのかがはっきりしない場合が多い。そして、書き出してみると、意外と自分で解決策が見出せる可能性も高い。実はあらゆる悩み事というものは、このステップだけで5割くらい解消できると思う。あとは、解決する方法を持っている人に問いかけてみるだけでいいのだ。そういう訳で、自分の悩み事を書きだしていたら、本質的には、全くどうでもいいことばかりに悩んでいることに気付いた。つまり、もうこの時点で悩みごとはほぼ解決したのだ。えーと、でも、アレとアレは解決できないわ。佐藤優さんに相談してみよう。
2010年06月06日
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またやってしまった。今日、「めちゃいけ」を見ながらごはんを食べていたら、AKB48の誰かが「爬虫類の真似ができる」という話しになり、光浦が「(お前)哺乳類だろ」というツッコミをしていて、味噌汁を吹いてしまった。この上なく的確なツッコミだったので、不意をつかれた感じになったのですが、以前、ごはんを食べていたときに、同じように吹いてしまったときがあり、その夜、それがきっかけで誤嚥性肺炎になってしまったので、吹いた後は要注意なのです。あの、すいません、嫁さん、いつも汚くて。そして、今日の夜、肺炎になってませんように。。。
2010年05月29日
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最初に言っておく。私はバカである。今回のテーマである「学歴」に関してはとても繊細なので慎重に書かなくてはいけないと思っている。そのため、ブログで公開するのが不適切であれば、すぐに削除します。ただ、最近とてもこのテーマに悩んでおり、どうしても自分の中で悶々として、自分の中で克服しないといけないテーマだと思ったから、あえてブログで書いてみようと思ったのだ。■■私は一橋大学という大学に入学し、卒業した。そのために私は小学4年からずっと勉強してきた。そもそも小学生からずっと京都大学にあこがれていたので、第一志望はもちろん京都大学だったのであるが、センター試験の失敗により、「仕方なく」関西では全く知名度がない「一橋大学」というマイナーな大学を選んだ。私は、小学生の時分からコスト感覚はしっかりしていた方で、なるべくコストのかからない公立中学、公立高校、国立大学に進学し、私立学校には絶対に行かないというポリシーを持っていた。そういう意味で、費用対効果を考えれば、大学卒業までは成功したと思っている。さて、一橋大学についてであるが、実際に私は東京のはずれにある国立のロマネスク風の校舎、マイナーな人数でこじんまりとした雰囲気がとても気に入っており、また、大学のボクシング部ではとてもいい後輩に恵まれたので、一橋大学自体は、偏差値やブランドを度外視して、大好きである。自分の好きな母校であるが故に、私は誇りをもって、それを公言してきた。そして、学歴は将来にキャッシュフローを獲得できる潜在的能力をもつ「資産」であるかと思っていた。しかし、現実は違う。最初に入った会社では、プロパーの人間はみな異口同音にこう言った。「いったん会社に入ったら、学歴は関係なくなるぞ」違う。それは、私のように転職を何回も繰り返したことのない人間が言える言葉であると最近思っている。■■人間は、なんらかの客観的な指標をもってレッテルを貼りたがる。最近、私はバイトを探しているのだが、その際においても履歴書の学歴欄に大学名を書くと、相手は勝手に「ある」レッテルを張りたがる。「この人はアタマがいい。」というレッテルだ。違う。学歴だけで人を判断するべきではない。それは不文律のように確かであるのだが、そこそこの学歴の人であっても、私のようにバカがいるのだ。私はそのような高い水準のレッテルを貼られているにかかわらず、周囲の期待する客観的な水準に達していないことが多々あったため、そのギャップに10年間ずっと悩んでいた。今週に入って同様の事件があり、男なのにずっと泣いていた。まるで、子供のように嗚咽していた。こんなレッテルを貼られるなら、履歴書に学歴など記載したくない。しかし、学歴詐称はできないから、履歴書には正直に書く。すると、人は「私」ではなく「私の学歴」を見て、ある程度のポテンシャルを要求する。もう一度言う。私はバカだ。「バカ」という表現が不適切であれば、私はこの上なく不器用だ。そのような人間にとって、学歴は資産にはならない。むしろ、人からの過大な期待値やレッテル、そして自尊心を捨て去らなければならない、会計学上の「資産除去債務」の性格に近い、負債なのである。いい大学に入るために頑張っている高校生、そして、これから産まれてくる自分の子供と一緒に考えていきたい。「君は学歴を資産と考えているのか?それとも負債と考えているのか?」もし、負債だと感じるのであれば、もしくは、社会に実際に出たときに自分の能力と社会からの客観的な視点とのギャップに自信がもてないのであれば、大学に進学しない方がいい。18歳なら、自分の好きな分野を見つける旅に出る方がよほど有効な人生になるかもしれない。そして、もしその判断のつかない段階であれば、無理して高学歴など目指す必要はないと思っている。大学というのは、勉強したいと思う人が、勉強したいというタイミングで入ればいいと思っている。■■今の私の課題は、私の能力を「一橋」レベルに維持することではない。負債となってしまった「一橋」レベルという自分の価値観、プライドを払拭することが今の私の課題なのである。
2010年05月20日
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嫁さんが妊娠したという事態になったにもかかわらず、こんな事を発言するのもどうかと思うが、私の好みの女性がどんどんと変化している。以前までは、お天気お姉さんの根本美緒さんがタイプだったのであるが、最近は、フジテレビの女子アナウンサーのほぼ全員がタイプになっている。その筆頭が「松尾翠」だ。松尾翠を見るためだけに、土曜の朝7時40分に起きて、めざまし土曜日を見る。いつもは早起きできないのに、土曜日だけ早起きできる、という「松尾翠」効果。最初は、松尾が出ている「めざカルチャー」だけを見ていたのであるが、恐ろしいことに、出演している女子アナのレベルが全体的に違いすぎる。恐るべしフジテレビ。あんな女子を集められるなんて、ある意味、科挙レベルの偏差値だ。もし、あんなところで働くことができたらなぁ、、、、と妄想するだけで、ご飯がすすむ、すすむ。
2010年05月12日
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ちょうど一週間前に、嫁と産婦人科にいきまして、お腹に子供を授かったことが判明しました。ここにご報告します。■■という内容の日記を書こうとしたのですが、「ブログで妊娠を公表する」という行為自体が素人にとってどんな意味があるんだろう、と考えたら、あまり、深い意味はないんだろうな、と思いましたので、月並みですが、素人として感じたことを書きます。どの家族もそうでしょうけど、私と嫁にとって、「子供を授かる」という事象は、想像を絶する程の嬉しさでした。出会って12年ほど、結婚6年目にして、ようやく自分たちの遺伝子を後世に残せるんだ、という喜びは恐らく「できちゃった婚」とかよりもやはり大きいのです。あと8~9か月ほどの間、父親になるための準備期間がありますが、その間、ひたすら嫁をサポートし、安産を願い、祈り、そして、生まれてくる子のことを想像することだけしか男である私には出来ないんだなぁ。これを機会に今までいろいろな人にお世話になっていたということを再認識し、また、今からもっと更にいろいろな人にお世話になるだろうなと思っています。まだ、未熟者ではありますが、今後とも温かい目で見守って頂きますようお願いします。m(・・)mケンタ
2010年04月24日
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