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ーやっぱり、『お陰様』はいらっしゃる。ーつい先ほどそう感じました。昨日から、にっちもさっちも行かない感を感じていた私。眠れないと言う事はあまりない私ですが、夕べはちょっとつらかった。考えてもしょうがないとわかりつつも、考えずには居られなくって、布団に入ってもずーっともやもやしたりして。今朝、トイレの中で(失礼。)、『そうだよ、私にはお陰様ついているんだ!』とピンと感じまして、久しぶりに『お陰様、ありがとう』と10回ぐらい口に出してみました。すると、それから約1時間後、「うっそ~!」と思うようなラッキーな事が起こりました。本当よ、ほんと!私的には『お陰様』と言うのは、守護霊様のようなイメージなんですが、いつでも私の後で、陰となって守ってくれている存在だと思っています。以前、先輩にも「うまく行っている時はお陰様。うまく行かない時が自分の実力。そう思えたら、自然と頭が下がるのよ。」と言われた事があります。でも、私っていい気なもので、事が順調に運んでいる時って、自分の力だと思っちゃっている。ちょっと『苦しいときの神頼み』的な感じもなきにしもあらずですが、「助けてください、お願いします。」とは、意味が違います。今、スムーズに行かないからこそ、普段のスムーズさは有り難いことだったんだと思えた瞬間に出る言葉なのです。「お陰様で、ありがとうございます。」と、何気なく使っている言葉ですが、そこには、深くてすごい意味があるのですね。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~主人と、「○○さんが、新聞に載っていたよ。すごいねー。」と話していたら、そばで会話を聞いていた3歳の息子が夕刊を床に広げて、「お父さんも新聞に乗ってー。」と、主人の手を引っ張った。折角の息子の気持ちなので、新聞の上に立ってもらい、二人で「すごーい!」と拍手を送った。ちゃんちゃん。
2005年11月09日
先日のAYAさんのお話の中で、『自分が喜ぶと世界のどこかで青い花が咲き、 誰かがそれを見て心を和ませる』と言うのがありました。私はその言葉に深い感銘と共感を覚えます。私が喜ぶと、異国の地のどこかで青い花が咲き、それを見た私の知らない人のココロを癒やしてくれる・・。世の中ってそんなものかも知れない。『喜び』の感情って、何かの形で世のため人の為になっていると感じます。青い花が身近で咲いていますか?その花を咲かせたのは、もしかすると地球の裏側でおいしいものを食べて「幸せ~♪」って言っているちょっと太っちょの女の子かも知れないし、通りすがりの知らない人に親切にされて、「いい人に出会ったな~」なんてシミジミ感じているおじいちゃんかも知れないし、会いたいのに長いこと会えなくって、「あ~、あなたに会いたかった!」と抱き合っているカップルかも知れないし・・・日常の中に喜びの種は溢れているはずなのに、ついついマイナスな面ばかりを見て、「喜ぶ」と言うことをないがしろにしてしまうことってありますね。『私が喜ぶ』と言う事は、どこかで社会貢献しているんだなーってシミジミ思います。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~小6の娘が、クラスメートに「のんちゃんって、『危険な姉貴』の主人公に似てるよね~。」と言われたと言うので、あの『伊東美咲』に!?と喜んでいたら、『山本未来』の事だった・・・。喜んでいいのか・・・びみょ~。^^;
2005年11月07日
去った10月28・29日の友人・rubyさん主催で楽天の天使AYAさん、ジャズシンガー悦さん、ピアニストのゆみこさんのコラボセミナーがありました。AYAさん、去年にも増してパワーアップしてました。そして、ますますかわいーくなって、そして・・・お迎えした空港で盆踊りを踊っていました。(笑)AYAさんから頂いたテーマのひとつが、「あなたの幸せなときはどんな時ですか?」もう一度、よく考えてみました。○家族で同じ時間に同じ楽しさを共有できた時○仕事がうまくいって、誰かのお役にたてた時○ほしいものが手に入った時○台所でお料理している時などなど、普段あまり考えない事にフォーカスするいい機会でした。なんとなく流される毎日の中で、私はこんな幸せ感を味わいたくて行動しているんだなーなんて思います。今、文字にしてますます思う。しかし・・・安上がりだわ、私って・・。(苦笑)悦さんのジャズもすごく素敵でした。「私のお気に入り」「ローズ」「LOVE」特にこの3曲に泣かされてしまいました。・・・アップテンポな曲なのに、何故だ~~??そして、ゆみこさんのピアノ。なんとも自然体で、ピアノが弾けるって素敵だな~とココロから思いました。最後にみんなで歌った『なだそうそう』は、亡き母を思い出して涙をこらえるのに必死でした。後から考えてみたら、そんな機会に思いっきり涙を出してしまえば良かったのに、何故にあんなに必死にこらえたのでしょう・・・?わかった!(ぽんっ!←ひざをたたく音)化粧がはげるのがいやだったんだよ~。(爆。)オンナもこの歳になると、感動より人の目の方が気になるんですね~。(私だけ?)今回も皆さんを見てて、すごく学んだ事があります。それは、みんな自然の流れに身を任せつつ、目の前の事をきちんとこなされていると言う事。昨日、そんなことを考えていたら、ふと浮かんだフレーズがあります。『急いでもぎ取るその実は青い。 機が熟したら、自然と落ちてくる。』その時私の目の前には、すごーく熟した柿があったのです。青いうちにもぎ取られるより、太陽のもとでよく熟れた果物の方がおいしいですものね。私の幸せ感を大事にしながら、自然の流れに身を任せていきますわ。きっと神様が私の乗った船をよきに計らってくださるでしょう。rubyさん、AYAさん、悦さん、ゆみこさん。幸せな気分を本当にありがとう~。^^~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~うちの3歳の息子は、ティッシュをとる時に、『1枚、2枚、3マイケル!』と言いながら、1枚ですむところを必ず3枚とる。不経済だから、早くそのギャグをやめてほしい・・。
2005年11月02日
人生を舞台に例えるなら、私の人生は私が主役。その他の人は私という女優の脇役だったりします。夫も子供も親も兄弟も、友人・知人・通りすがりの人、犬、猫にいたるまで、私という人生を演じる舞台の脇役の方々。私はどうすれば自分が心地よく、素敵に演じられるのかを考え、脇役の方々にサポートされて生きています。でも、ふと考えると、私の人生は私が主人公だけど、私の脇役を演じてくださっている方々もその方の人生ではもちろんその方が主人公なんですね。夫も子供も親も兄弟も、友人・知人・通りすがりの人、犬、猫に、時々私を鬼に変えてしまうゴキブリまで・・・。自分の人生が尊いと思うとき、人様の人生も同じように又、尊い事に気づきます。。でも、それは頭では分かっていても、やっぱり自分が一番尊いと思うのも又正直な気持ち。そんな時、ココロの中で唱えます。「私はこの人の人生のワキヤク、ワキヤク・・・。」主人公とばかり思うから、物事おかしくなります。脇役に徹する事が出来たとき、物事にこだわりがなくなり、人生と言う舞台を楽しんで演じる事が出来ます。時に主役、場合によって脇役。上手に演じ分ける事が出来る自分になりたいです。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~先日、保育園からの帰り道、お腹のすいている次男3歳が、訴えるように言いました。「かあさ~ん、まーちゃん、もうお腹が、ぴっこぴこ!」・・・ずいぶん楽しそうなお腹だこと・・・。
2005年10月27日
時々、八方ふさがりになってしまい動くのがしんどくなるときがあります。何をやってもうまく行かない。何を発信しても受け取ってもらえない。やった事が裏目に出ている感じがする・・・。そんな時本当に動くのがしんどくなります。外に出るのが億劫で、人に会うのも億劫で、家で寝て居たい気持ちになります。そんな時、本当に家から一歩も出ずに好きな事をやって過ごすのも一案。でも、それでもあえて動いてみるのもいい。動いてみると、意外な答えが返って来たりもします。落ち込んでいたのは、自分が否定されたように感じていたから。自分の力に限界を感じていたから。でも、実際には私が否定されたのではなく、私の提案を否定されただけのことだと気づいたりします。動いて、会って、会話を重ねていくうちに、物事はほぐれていきます。家で寝ているだけでは決して味わえなかった事を現場で味わえたりします。矛盾しているようですが、時として、『動けない』の打開策は『動く』ことにあるように感じている今日この頃です。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~またまた叔母のぼけ話。『ちょっと~、お宅の会社ってクリーニング・オフしてくれないの?』『はー・・・。クーリング・オフならやってますけど・・・。』『どっちでもいいわよ!』・・・・よくありません。(汗)
2005年10月21日
今日、19日は次男の3歳の誕生日です。あのいきなりの破水の日から3年かよ~。(シミジミ)明け方の4時に破水して、準備して病院につく頃には陣痛もピークになり、あれよあれよと言う間に生まれてきた次男。後から考えると、何かのタイミングが悪ければ、病院に着く前に生まれていたかも知れないって言うほどのスピード出産だったのです。上の2人もそうでしたが、何かとタイミングよくその日を迎えられたので、そんな意味では親孝行な子供達です。^^子供の生まれ方って性格と関係しているのかな?って思うのは私だけでしょうか?それぞれの性格が分娩の時の様子と微妙に重なります。因みにスピード出産の次男、とにかく何もかも早い。上の二人は比較的のんびり屋なのに対して、何でもさっさと自分でやってしまうし、待たされるのもいやと言うタイプ。うんうん、君は生まれる時も、ちーっとも待ってくれなかったねー。がんがん痛くなって、どんどん下がってきて、ぐりぐりと出てきた、そんな感じ。今朝は朝食をとりながら、そんな次男が生まれた日の思い出話を家族でしました。長女と長男は立会いこそしませんでしたが、ドア一枚隔てた陣痛室で生まれてくる様子を感じていたそうです。最初は苦しそうな私の様子を見て『怖い』と思ったようですが、赤ちゃんの産声を聴き、何事もなかったかのように笑う私を見て、弟の誕生の嬉しさと出産の不思議さを感じたようです。みんなこうして生まれて来たんだね。お母さんってすごいね。その一言が私を勇気付けてくれました。もう3歳。いやいや、まだ3歳。まだまだ先は長いです。3年間、病気をすることもなく、怪我をすることもなく、すくすくと健康に育ってくれた息子に感謝です。成長を見守り、助けてくれるたくさんの方々にも感謝です。~*~笑う角には福きたる☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ちょっと笑えたよ~*~先日うちの叔母が言いました。『私、入れ歯のところにプラーク入れようかと思っているの~』・・・・・インプラントでしょ。わざわざバイキン入れてどうするよ??
2005年10月19日
前回の日記の続きです。私が4~5歳の頃、私と母は訳あって、母の実家に住んでいました。母がお店を持っていたので、日中は祖母と二人で過ごし、夜になって帰ってくる母を私は心待ちにしていました。ある日の夜、祖父母が寝る時間になっても母が戻らないので、私は玄関に座って母の帰りを待っていました。母は帰ってくるといつも本を読んでくれたのですが、その日の夜は違っていました。多分外でいやな事があったのでしょう。玄関で待っている私が、まるで見えないかの様に洗面所に行き顔を洗って、後をついていく私に声をかける事もなく部屋がある2階に上がり、上で階段の電気を消したのです。祖父母は別の部屋にいたので、私のいた場所は真っ暗になり、私は『わぁーーー!!』と声を上げて泣きました。暗いのが怖いと言う事もあったのですが、母の冷たい態度が一番のショックでした。その後、母は急いで降りてきて、私が泣き止み、眠るまで抱っこして歌を歌ってくれたのですが、私は不安な状態でした。子供を実家に預けて働く母。多分、口には出来ない苦労や心配事もあったことでしょう。でも、小さい私には理解できないし、母は完璧なる存在です。母の『無視』は私にとってはあり得ないことでした。でも、実際に子育てをしていて、十分にあり得ることです。実際、この日記を書き込んでいる私の傍でも、長男と次男が「おかあさ~ん」とまとわりついてきますが、私はまるで聞こえないかの様にひたすらキーボードをたたいています。^^;でも、多分二人ともそんなに傷ついてはいないでしょう。なぜなら、もう一つ大事な要因がその時のシチュエーションだからです。例えば、祖父母が起きていて、にぎやかなTVでもついていて、おいしいものでも食べていて、子供にとって居心地のいい時間に同じ事が起きていたら、そこまでショックではなかったでしょう。一人ぼっち、静か、寂しい、不安、待ちわびる気持ち、遠くで鳴く犬の声、昼間祖母に叱られた記憶・・・・子供にとってはかなりのストレス状態です。そこに帰ってきた母の冷たい仕打ち。《因》と《縁》が『ガッチャーン』と繋がった瞬間ですね。どうも、この37年前の出来事が、今の私の心に影響しているようなんです。これが『無視されたとき』に私が反応してしまう心の仕組みのようですね。『無視された』と言う『あざ』が心に出来てしまったのでしょう。前々回の歯医者での出来事もそうですが、原因を知ると幾分かすっきりします。過去を変えることは出来なくても、不快の原因を特定できたら、『あー、またあのあざを刺激されているなー』と、冷静に観察できる自分がいます。目の前の相手が原因なのではなく、自分の中にある過去の映像が原因。正解かどうかは分かりませんが、そう思えたらちょっと楽に流せますね。いずれにせよ、過去と相手は変えられのものですから。でも、こどもに私のような思いをさせたしまったなと感じたら、即座にフォローです。ぎゅーっと抱きしめて、『ごめんね、お母さんが悪かったね。』この一言でかなり軽減するでしょう。年齢に応じて、何故そんな態度をとったのか説明してあげるともっといいでしょう。子供は『許す』ことの天才ですからね。^^それでは、自分自身は誰に癒やしてもらったらいいのでしょう?私の答えは、他でもない『自分自身』にです。人は悲しい過去やつらい過去は自然に封印しています。つらいことは思い出したくないものですからね。でもそれは、忘れているのではなく、しまいこんでいるのですね。まるで、バケツの中で沈殿して固まってしまった泥のように。上澄みは透きとおっているのにそこに沈むゴミ。うわべはきれいに見えるので、いじるには勇気が要ります。でも、まずは勇気を出して、だーっとバケツの水をこぼしてみましょう。そこに沈む泥、それが思い出したくない過去の出来事です。きっと、過去の映像は心を苦しくめるでしょう。動悸がしてくるかも知れません。涙も出てくるでしょう。誰かを責めたくなったりするかも知れません。自分でも認めたくない超ネガティブな感情がオバケのようにもこもこと湧いてくると思います。それこそ、知らず知らずにしまい込んだその感情が『あざ』の原因なんです。何回も何回も思い出して、その時の気持ちを味わって味わって味わい尽くすと、不思議な事に段々と気分が軽くなっていく自分がいます。大事な事は途中で投げ出さない事、その出来事を無理やり正当化しないこと、自分を責めない事。ジャッジをする為にやっているのではないのです。私の中では、バケツをきれいにして新しい水が入ると言うイメージです。話をただただ聴いてくれる相手がいるのなら、その方法もいいのですが、『ただ聴くだけ、ジャッジはいらない』と言うのが大前提です。多分、聴いている方はアドバイスをしたくなったり、事の善悪を論じたりしたくなってくるので、当初の目的が達成できない可能性もありますね。どちらでもいいのですが、とにかく出して出して出し尽くすことです。すると段々とその映像がただの懐かしい出来事に変わって行きます。私もこの5歳の時の体験はこの日記に書こうと思った日から、何回も何回も泣きました。この気持ちが軽くなってから更新しようと思い、気持ちが軽くなるまで待ってみました。だいぶ平気になって来ましたよ~。話せる人にも話しましたし。ひょいひょいと日記に記す事もできました。私を無視する人がいても、それは相手の問題だと思えるようになりました。・・・と、言う事で長くなりましたが、私の『あざ』論と対処法は終了です。お付き合い下さった方、ありがとうございました。実は、書いた私が、一番心が整理された感じですわ。^^
2005年10月15日
先日、歯医者での過去の映像の事を書きました。あれから、何か不快な気分になる度に、『これはいつの映像に影響されているんだろう?』って、不快な気分そのものより、その原因に意識を向けるようにしてみました。青アザの原因探しです。私の場合、大なり小なり、目の前にいる人に無視するようなポーズをとられると、すごく悲しくなります。相手は無視をしているつもりではないかも知れません。でも、話の途中でふと目線を外して外を見たり、返事や相槌がなかったりすると、胸いっぱい寂しさ、悲しさ、怒りにも似たような感情が湧きあがります。その後、その気持ちに支配されちゃって、話が弾まなくなります。その様な人は私だけではないと思うので、人は <無視される=不愉快になる> というのは当たり前だと思っていました。でもね、全然平気な人がいるのも確かなんです。『あら、この話には興味がないみたいね。』と、さらりと他の話題に変える人や、そんな態度をとられても、全く気にせずに話を続ける人もいます。で、思いました。不愉快な気分になるのが当たり前なのではなく、これもアザを刺激されているんだと。そこで、またまた過去の映像を巻き戻し、再生を繰り返して見ました。人に無視されるって過去にたくさんあると思うのですが、一番胸がキューンと締め付けられたのは、私が5歳ぐらいの頃の思い出です。母と母の実家が出てきます。・・・長くなりましたので、続きは次回に。
2005年10月06日
今、歯医者に通っています。病院嫌いではないのですが、歯医者は話が別。何よりもあの『きゅい~~~ん』という、脳天に突き刺さるような音が苦手。そして歯石除去の『キキキキキキキキキ・・・』という超音波音はもっとダメ。それが歯の神経にあたった日にゃ~、アンタもう・・・。と、言うわけで、歯のチェックを長年サボっていたら、たくさんたくさんの治療が待っていました。トホホ。今日はその苦手な歯石除去。スケーリングと言う言葉を聞いただけで全身を悪寒が走る。一応、衛生士さんに「私の歯はかなり過敏ですから・・・」と自己申告。「はーい、大丈夫ですよ~^^」と笑顔で応える衛生士さん。でも私の頭の中では、スケーリングの針の先が、神経過敏なところに『キキキ・・・』とあたり、全身にあのえも知れぬ最上級の悪寒が走る感覚がよみがえり、体中の毛が逆立ってしまう。はっと我に返ると、衛生士さんはまだ道具の準備中で、私の髪にさえ触れてもいないのに、私の体は既に硬直状態で暑くもないのに汗まで吹き出てきた。そんな極限状態の頭で考えてみた。この感覚は何なんだろう?私はいつから『スケーリング』と言う言葉にこんなに反応するようになったんだろう?過去の記録を引っ張りだしてみたりなんかしてみる。最後に歯医者に行ったのは5年前。えーっと、場所はあそこで、こんな感じの待合室で・・・そう思い出した途端、きたーーーーーー!全身鳥肌!!そうそう、あの病院のあの寝台の上であの衛生士さんに拷問のようなスケーリングを受けたんだっけ。私のあまりの反応に麻酔を使う事になり、「スケーリングで麻酔をかける人なんて滅多にいませんよ。」と、冷たくあしらわれ(た様に感じ)、なんかすごく自分が『いけない人』の様に思われて、一日ずっと気が重かった事まで思い出されてきた。(注:いたって普通の診療内容ですが、私が過敏なだけです。 決して悪徳歯医者と言うわけではありません。念の為。)全ては過去の映像。なのに体は今感じているかのように反応している。なんて不合理なんだろう。普段は思い出しもしないのに、似たようなシチュエーションになると自動的に出てきてしまう。今の歯医者さんの目の前にいる衛生士さんと、あの私の気分を最悪にさせた衛生士さんは全くの別人なのに、あたかも同じ人のように体が反応してしまう。世の中の歯医者が全部イコール(=)で繋がってしまいそうです。それはちょうど押したら痛い『あざ』のよう。過去の打撲が黒い『あざ』になっていて、そこを誰かが知らずに押すと『いて~~~!!』と悲鳴をあげるように、原因は相手ではなく、自分が過去に作った『あざ』が刺激に反応しているのだ。実際、今日の私、衛生士さんが準備をしている間のほんの短い時間で、何度も何度も過去の映像を思い出しては、あの全身鳥肌を味わっていたら、5回目辺りから気分が軽くなってきた。『あざ』が痛みに慣れて来るって感じかな。もちろん、これは歯医者だけに限らず、生活の中でたくさん散らばっている『なんか不愉快な感情』も似たようなものだと思う。悲しくなった。寂しく感じた。カチンときた。ド~ンと落ち込んだ。・・・・もっとあるかな?そんな、いわゆるネガティブな感情が湧いたとき、ついつい目の前の人に『こんな気分にさせられた』と思いがちだけど、実は過去に経験したことが、ビデオテープのようにされているのかも知れません。今日の私のように。・・・とは言え、やっぱり長音波は怖いので、先の尖った道具でやってもらいました。そのお陰で、たいして痛いこともなく、今日と言う日でかなり、<歯医者=スケーリング=全身鳥肌>と言う構図が薄れました。これはもう自分でコントロールできそうです。きっと、明日もあさっても、この先もずっと、そんな事を繰り返しながら生きていくんだろうなぁ。どうも私、『あざ』だらけのようで・・・。
2005年10月03日
もともと楽天家で、私に似て『明日は明日の風が吹く』的な性格の我が娘が、最近ブルーちゃんです。学校から帰ってきても浮かない顔をしている事が多くなりました。よく聞けば、担任の先生と折が合わない様子。娘の話によると、先生が特定の子ばかりを可愛がり、その他の子には言葉や態度が冷たいとのこと。まぁ、よくある話ではありますが・・・。小学6年生にもなれば、それ相当のプライドも育っており、自分を受け入れてもらえてない感じや、冷たくされる事に矛盾や怒りや寂しさを覚えるのも当然のこと。かく言う私も小学5年の時の担任に同じ気持ちを抱いた事があるので、その気持ちはよく分かります。小学1年から5年までは、本当に担任の先生に恵まれ、「先生大好き」っ子だったので、娘にとっては人生最初の『嫌われっ子』を味わっているのかも。母親の私に出来る事は、娘の些細な変化に注意を払い、話を良く聞く事かな。私から見た先生の印象は、そんなに悪いものではありませんが、子供達を自分の思ったとおりにまとめようとしているという様な感じは受けていました。40人近くも生徒が集まれば、考え方も行動も勉強に向かう姿勢も多種多様だと思うのですが、それが許されない環境のようで。ポロポロと涙をこぼしながら、先生に対する気持ちを話す娘。私も一緒に泣きました。ついつい、「あなたにも原因はあるんじゃないの?」と娘の話にジャッジをかけてしまいそうな自分を感じつつも、娘がそう感じ、悲しかったり、腹立たしかったりするその感情に間違いはない事だとも思う。まずは彼女の気持ちを「それから?他にも何かある?」と聞き出してみる努力をしました。聞くだけって本当に難しいです。私にとっては、本当に努力がいります。そして、先生も人間である以上、完璧ではない事や、愛されたり、拒絶されたりしながら人は成長していく事や、愛され可愛がられたいのなら、自分からも努力をする大切さを話しました。そしてそして、学校の教室だけがあなたの居場所ではないという事も。あなたを心から愛している家族がいる事、あなたを必要としてくれる友達がいる事、いつもあなたの成長を、陰になり日向となって見守ってくれているおじいちゃんやおばあちゃんがいてくれる事。何十万、何百万と言う御先祖様がいてくれたお陰様であなたがこの世に存在しているんだと言う事も。6年生になってからは、ラッパーのように七部丈のパンツにぶかぶかのTーシャツ、髪はショートにして、時々男の子に間違えられたりしますが、見た目の印象も大切。「もうちょっと明るい色の爽やかな服装に気を付け、髪もちょこっと飾りなんかをつけて、可愛くしようよ!」と提案したら、テレながらも毎朝鏡をみて努力しているようです。他に親としてできることはないかしらと思います。その出来事のお陰で私と娘の距離が一歩近づいたようにも感じます。やっぱり『ウエルカム・トラブル』だな。
2005年09月29日
なんか今日は気持ちがわさわさしています。わさわさって沖縄語なのかな?もしかして。気持ちがざわめいていて、考えがまとまらないと言いましょうか・・・。夕方、早めに家に帰って、このわさわさの原因を考えてみました。いろいろあるけど、一番の原因は、2~3日前からやらなきゃいけない事があるのに、それを先延ばしにしている事だと気がつきました。面倒くさいけど、こんな精神状態じゃ、些細な事でイライラしてしまう。すると、大したことでもないのに子供を叱ってしまったり、夫にケンのある言葉を使ってしまったり。。。そうなると家族まで私のわさわさに巻き込まれて余計に喧嘩が増えたり、食事を残したり、寝るのが遅くなったり。。。そうなると、朝起きるのが遅くなったり、宿題をしていなかったり、朝ごはんを残したり、登校が遅くなったり。。。そうなると、子供達を出して後もイライラしてたり、掃除も洗濯もお茶碗洗いもやる気にならなくて、ふて寝したくなったり。。。子供達は学校についてもなんか楽しくなかったり、授業に集中できなかったり、そのうち居眠りしたり。。。夫は朝から気分が悪く、仕事に熱が入らず、仕事場の人と衝突したりして。。。そうなると、明日は今日より気分が悪いぞ、きっと。。。私の些細なおさぼりが、私一人の問題ではなくなってしまうぞ。。。なんてボーっとしていたら次から次へと広がっていくシュミレーション。やばい。はやくしよっと。
2005年09月27日
今日の沖縄地方は、一日天気もよく、風も心地よく、秋の気配を感じさせる一日でした。昼間の陽射しはまだまだ暑いけど、それでも木陰に入るとさわやかな秋風がすーっと吹き抜け、『あー、秋だわ。待ちに待った秋だわー。』と、一人喜びに浸っております。子供達は主人と(多分)今年最後の海水浴に行き、静かな時間を読書の秋に・・・と思ったら、いつの間にか本を胸の上に置いて、うたた寝をしてしまいました。そんなひと時も秋だわー。うふふ。秋、秋。あまりの嬉しさに長いことさわっていなかった日記をアップし、デザインも変えました。ずーっとこんな季節が続けばいいのに・・・、ね。
2005年09月25日
なんか昨日から頭に来ることばかり。娘は朝からずーっと出かけていて、お昼になっても帰ってこない。心当たりの家に電話すると、そちらで御馳走になったらしい。昨日は週に3回のそろばん塾の日。『どうするの?』と聞いたら、『大丈夫、もう行ってきたから。』との返事。ほぉ~、朝から用意周到なこと。塾が終わると家には戻らず、そちらのお宅に戻ったのね。ふーん、そっちの方が居心地がいいわけね。いっそ、そちらの家の子になっちゃえば?・・・もこもこと面白くない感情が湧いてくる。夜は夜で主人からの電話。『今日は遅くなるから。』日曜日は朝から海に行くぞ!と一週間前から計画したのは当のご本人。午前様では無理かもねと子供達もあきらめモード。一縷の望みを抱きつつ布団に入ったけど、子供達がラジオ体操に行く時間になっても戻らず、朝食の支度をしようと思った矢先に帰ってきて、布団に倒れこんで高いびきで寝てしまった・・・。守れないなら約束なんてすんな!みっともない姿を子供に見せんな!もっと済まなさそうな態度を見せろっつーの!寝ている背中を蹴っ飛ばしたい衝動に駆られる。そこをぐっとこらえて、いびき鼻をぎゅーっとつまんでやった。昨日から面白くない気持ちを引きずっている私の堪忍袋は大爆発をおこして、このままでは何の罪もない子供達に八つ当たりしてしまいそう。ヤバイぞ~、かなりヤバイ。袋がメリメリ言ってる。『みんな出かけるぞ~!!』と、朝食を済ませてすぐにマックに向かった。その前に私のおしゃべりに付き合ってくれる友達もゲットしといた。マックで一息つくと、子供達は遊び場で、私は友人と他愛のないおしゃべりを1時間半ほど楽しんだ。気が晴れると、問題がすごく小さくなっている事に気がついた。娘はその家に他の友人も集まっていたから、せっかくの部活の予定もない日を大いに楽しんだだけ。主人はたまたま誘われて(誘って??)飲みに行ったら、時間を忘れて楽しんで来たのでしょう。それに日曜日は来週もあるし。何で一人であんなに傷ついちゃったのか?よく考えたら、主人のことよりも娘のことよりももっと前からいい気分じゃない事に気がついた。金曜日の晩、私が立ち上げ、計画・実行した会があったのだが、それの仕上がりが思ったよりも芳しくなく、100点満点中60点の出来だったこと。たくさんの方に協力してもらって当日に漕ぎ着けたのに、なんとなく空振りに終わってしまったような・・・。その思いを誰に話す事もなく過ごしていたので、その不満感や次への焦燥感が自分でも気づかないうちに私の中でオバケに変身しちゃっていたみたい。そのオバケにスイッチを入れたのが先の娘と主人の行動だったみたい。でも大体がそうなんだよね、私の場合。大したことでもない事を大した事に感じる時って、何か以前からの片付かない感情を引きずって冷静さを失っている。まずは金曜日のメンバーと感情のお片づけだわ。他にも同じように堪忍袋がパンパンに膨れ上がっている人がいるかも。あ~、既に爆発しちゃっている人はいないかしら?アーメン。・・・それともこんなの私だけかしら?
2005年07月24日
夏休みに入り、子供達は毎日朝から楽しそうです。いつもは起こしても起きないのに、裏の公園でのラジオ体操に参加するべく、6時にセットされた目覚まし時計が計4個、枕元に並びます。鳴っても起こされるのは親の私達。私の声で起こされた小6と小1の娘と息子は、布団から飛び出して顔も洗わず外へと飛び出していきます。虫大好きの息子は、虫網を持って出ては、どっさりとセミやバッタやカナブンを採ってきます。先日のセミ捕獲数はなんと48匹!!!かごの中で苦しそうにジジジジ・・・と鳴くセミを見かねて、息子と一匹一匹数えながら、空へ戻してあげました。そして翌日また20匹採ってくる・・・・。そんな毎日です。昨日はセミがまだ羽化する前のカラに入った状態のヤツをどこで見つけたのか大喜びで持って帰って来ました。『そんなことしたら、セミになる前に死んじゃうよ!』といったら『大丈夫!!カーテンに引っ掛けておけば木と間違って脱皮するから!!』・・・・と我が家の白いレースのカーテンで茶色いセミが脱皮の準備をしています。それを見に1時間ごとに近所の子供達がやって来て、なんともにぎやかな我が家です。^^;子供達は、虫や草花や真夏の太陽にたくさんの事を教えてもらって、日々成長しているのでしょう。学校の教科書や机の上での勉強とは違い、青空の下で体を動かして自然とふれあう事で、私達親が思っている以上の学びがあるのだと思います。カーテンにしがみついているセミに、背中が割れる様子はまだありません。出来れば、生まれたての白い柔らかな状態を子供達に見せてあげたいと思いますが、だいたいが朝起きてみると抜け殻だけ残っているんですよね。さて、どうなります事か・・・。^^
2005年07月22日
暑いね~あつっ あつっ あつっ・・・はぁ~ 何でこんなに暑いのかね~・・・・・・・・毎日ついつい口にする言葉です。こんな事何回言っても、決して涼しくなんかならない..って分かっているのに、ついついぼやいてしまいます。沖縄はとにかく暑いのです。日本全国、夏は暑いものだと自分を慰めていましたが、先日、現実を知りました。同じ九州なのに、福岡の涼しかった事。福岡の方は「え~~~?十分暑いわよ、ここだって~。」と、のたまっていましたが、『それじゃあ、沖縄に来てみやがれ。』と(心の中で)言いまちた。そうそう、5月の中旬にタイのバンコクとアユタヤに行きました。いいところでした。人は素朴で優しく、たくましく、特にバンコクは大都会でありながら、どことなく田舎くささを残している感じがしました。ん~、急いで先進国に追いつこうとする人種と、『べつにいいじゃ~ん、このままで~。』みたいな人種が、同じ空間を共有していて、それでいてなんとなくまとまっている・・・そんな感じをうけました。アユタヤはバンコクとはガラリと変わり、建物も低く静かなところ。適当に町もあり、適当に緑もあり、適当に人もいて、適当に像もいる。バスの中からみる風景はどこを走っても異国の地。(そりゃそうだ。)でも、異国と思えない事が一つ。それは・・・暑い。暑い。とにかく暑い。沖縄も暑いです。多分、紫外線が降り注ぐ量は日本一。そんな地方で42年間、本土へ出ることもせず暮らして来ました。その私が、『沖縄より暑い』と感じたのがタイでした。普通、郊外へ出たら幾分か気温が下がるものだと思うのですが、甘い期待は無残に裏切られ、どこへ行ってもクーラーのきいたバスから降りた瞬間・・・汗がどばー。まさに汗が吹き出すという感じ。そんなタイに年間日本人の観光客が100万人も入っているって言うからびっくり。うちなーんちゅでありながら、暑さに弱い私にとって、涼しい場所を求めるならともかく、何故暑いところに飛び込むのか・・最初は不思議で不思議でなりませんでしたが、2~3日滞在して、自由時間に町に行き、お店の人とふれあったり、飲食店でサービスを受けるうちに、なんとなくわかって来ました。決してサービス旺盛ではないのですが、ふんわりとじわーっと人柄が伝わってくる。デパートの売り子さんは積極的にセールスをするわけではないのですが、何かを質問すると、ふっと微笑んで、片言の英語で一生懸命説明してくれる。そのたたずまいや笑顔に、外からの客は癒やされるのだと思う。そして、何よりも物価が安い。一日2~3千円もあれば、食べて飲んで見てを十分満喫できそう。像にも乗せてもらい、帰る頃にはすっかりタイファン。絶対次は家族で来るぞ!!と決意表明までして帰ってきました。・・・が。毎日の沖縄のこの暑さを感じるにつけ、『タイはこんなもんじゃなかったなー』とあの熱気を思い出し、既にくじけている私です
2005年07月09日
我が長男、今年ピカピカの一年生になりました。やんちゃ坊だけど、結構気の細かいところがあるので、たった3時間の授業なのに、帰って来て遊ぶだけ遊んだら、バタンキューで寝てしまうと言う日が何日か続いています。子供ながらに気遣いをして疲れているのでしょうね。昨日の夜、主人と私に、「お父さんは何歳?」「お母さんは?」と、聞いてきました。何でも、担任の先生が『分からない人は聞いてみてごらん』と、言ったそうで。ウチは私が41歳、主人が38歳で私の方が4つ年上なんです。それを聞いた長男は思いのほかびっくりしたようで、(ずっと、主人が年上と思っていたらしいです。うふふ♪)「え~!ありえん!」。そして、「じゃあ、お父さんがんばって、お母さんに追いつかないとね。お父さん、がんばれよ!!」ですって・・・。二人で大笑いしました。子供の発想は、大人の常識を超えていますね。マジに4年後は同じ年になると思っているようです。かーわいい~。思わず、ちゅ~しちゃいました。(^▽^)
2005年04月19日
さぁ、いよいよ今年は42歳。なにがいよいよかって・・・何故か知らないけど、30代の中ごろから『オンナの盛りは42歳から!』って、思い込んじゃっているんです、私。どんな根拠があって、そう思ったのか自分でも分からないんでけど、そう思い続けて、36、37、38・・・と過ごしてきました。友人の中には、年をとる度に空しくなるとか、不安になるとか、焦るとかって言う人がいるのですが、私はその逆で、早く、『輝かしき42歳になりたい』と本気で思っていました。実際、今年42歳を迎える私は、小学6年と1年と3歳の子を抱えつつ仕事をする、どこにでもいる忙しいママなんですけど、20代や30代の頃よりも、生きる事がかなり楽になったように思います。今よりも若いときは、体力も気力も確かにあったけど、何かしら見えない鎧を着て、毎日を過ごしていたような気がします。心のどこかで、人と自分を常に比べて、自分の足りないところばかりを見ていたんでしょう。何が原因なのかも分からずにブルーな気分になる時って、だいたい、自分と誰かを比べて、わざわざできないことを自分に課して、『自分にもできるはずなんだ!』って思い込もうとガンバッテ、疲れていたんですね。そして、そんな自分を人に見せる事は、恥ずかしい事と思っていたんです。だから、『鎧』を着たような気分で生きていたんでしょう。この7~8年、いろんな人や言葉との出会いがあって、その積み重ねがすごく自分を変えてくれたような気がしています。『42歳』と言う山の頂上の旗を目指して、ゆっくりゆっくり進んで来ました。その間に、2回目と3回目の出産をし、3人の子の母になり、好きな仕事を続け、夫と喧嘩したり仲良くしたりしながら、気がつけば、目に見えるものや見えないものを沢山築いていました。自分でも『なかなかいい人生じゃん』って、思える今、幸せな事なんだろうな~と思います。今年『42歳』を無事迎えられたら、今度目指す山の頂上は『48歳』です。これはレッキとした理由があります。私の周りで仕事をしている素敵な女性は、面白い事にみんな口をそろえて「48歳が転機だった。あの時がなかったら今の自分は無い」と言いますから。(あまりにも単純な理由??)まぁ、動機はどうでもいいです。それよりも将来のいいイメージを、何かの勘違いでもいいから、思い込んでそれを持ち続ける事が大事かな。なんか、『48』と言う数字にも、素敵なサプライズが待っていそうな気がします。・・・レッキとした思い込みですけど。^^;
2005年03月25日
ウチの長女(小5)、今年のバレンタイン・ディーは、去年に引き続き、今年もM君にあげました。しかも、今年はM君1本。(去年は3~4人いた。^^;)学校ではチョコレート禁止と言う事だったので、娘の恋を応援すべく、夜、彼の家まで持っていく娘に、母親と弟二人の付き添いつきで渡した、ムードもクソ(失礼。)もない、にぎやかな・・・と言うか、うるさいバレンタイン・ディーでした。そして昨日はホワイト・ディー。家族で夕食を食べていたら、M君からの電話。「Mですけど~。」その声を聴いた途端、自分への電話かと思うほど嬉しかった~。だって、娘がM君を思う気持ち、やはり母親としては応援してやりたい。小学生の時の恋って、友達の延長線上にあって、他のみんなよりもちょっとだけ光って見えるもの。母としてだけじゃなく、同じオンナとしても、小さな恋を応援してあげたい。あぁ、その答えを聞ける日は何と言ってもホワイト・ディー。先日も他の子とうちに遊びに来ていたので、一人だけ呼び出して、「おい!ホワイト・ディーには、ちゃんと来いよ!」と、軽く脅しを入れようかと思ったモンです。(実際にはやってません。)・・・と言うことで、当の娘よりも私の方が気になって仕方がなかったのです。(^^;)電話から約30分後、M君が来てくれました。またまた、母と2人の弟が娘の後からにぎやかにお出迎え。頂いたのは色とりどりの可愛いマシュマロでした。「ありがとうね~」と見送って後、気になった事が一つ。娘は多分知らないだろうけど、PTA筋の情報によると、M君ってモテモテで、今年は6人からチョコをもらったそうな・・。まさかハシゴじゃないだろうな~。オイオイ。母のやきもきを知ってか知らずか、当の娘は意外にも平気な顔でマシュマロを2~3個ほおばって、ポーカーフェイスで部屋へ。冷蔵庫にしまったマシュマロを密かに狙う二人の弟に「勝手に食べたら、泣かすからな!」と振り向きざまに脅しを入れるのを忘れませんでした。
2005年03月15日
先日、主人と映画を見に行って帰りに、ホームセンターに寄り、新しいまな板を買いました。今のまな板は4年前に買ったもので、そろそろ凹みで食材が切りにくくなって来たので、このたび新品に。台所用品って、使い勝手がよくて、見た目もかわいいものだと毎日の食作りが楽しくなりますね。そして、使い終わったら、片付く場所が確保されている事、これ、大事!我が家の台所は決して広くはありません。極めて普通のシンクなので、鍋のふたやら、まな板やら、包丁やら、食材やらで、食事作りの度に「これ、どうにかならないかな~」と、思っていましたが、まな板を吊り棚の下に収納できるグッズを見つけたので、これまでの2倍の大きさのまな板を購入しました。主人のお勧めのこのまな板が、なかなかの優れもので、横のサイズがシンクの洗い場の奥行きと同じで、食材を切るときに、今までより場所をとらなくなりました。そして、大きいので、キャベツを丸々一個乱切りにしても、傍にこぼれ落ちる事がありませーん。たまねぎのみじん切りもお茶の子さいさ~い。切るときに、ひたすらバンバン切れると言うのは、すごく楽です。そして、使い終わったら、棚下の収納場所へお帰り。これがまた、すごーく快感。すっきりと収まってくれるのです。そしてもう一つの問題が、鍋のふた。料理中、使わないときにはあっちへこっちへどかしながらの作業でしたが、これも、主人がコンロの正面に1m程のステンレス製のタオル掛けを取り付けてくれたので、使わないときはそっちへ掛けて置けます。環境が整うと、遺憾なく能力を発揮したくなるのが人間。(なんて、オーバーか。^^;)キャベツやにらを、『これでもか!』と刻んで、大きい蓋の鍋を動員しての餃子作り。家族で60個の餃子を思う存分食べました。圧力鍋にたくさんの根菜類やこんにゃくや昆布なんかを入れてのおでん。そして、広いまな板一杯に、粉を広げてのお菓子作り。作るのも楽しいし、お片づけも又楽しい。もう、怖いものはありません。多分、今日の夕食も野菜どさどさ料理です。^^
2005年03月09日
言葉は爆発的な力を持つと言います。沖縄の諺にも「言葉はお金のように大事に使いなさい」と言うのがあります。日々、生活をしている中で、愚痴りたい事、文句を言いたい事、陰口を言いたい事、たくさんあります。でも、言葉にはパワーがあると思うと、言ってしまって後から、「やばい言葉出しちゃったなー。」なんて思います。人間ですから、頭で分かっていてもやめられないことは多いです。私も、分かっているつもりでも、ついつい言っちゃう・・。そして、頭で分かっているだけになんとも損した気分になります。でも、その出してしまった言葉をキャンセルする言葉があります。「チャンス!」と言う言葉です。「あーぁ、あの人のお陰で迷惑しちゃったわー。」「でも、チャンス!」「今の政治家ってなにやっているんだろうね、全く・・・。」「でも、チャンス!」「ウチの旦那って、ちっともわかってないわー。」「でも、チャンス!!」「大変なことになっちゃたわー。取り返しがつかないわー。」「でも、チャンス!!」・・・と、言う具合。とっても簡単だけど、本当にブルーになっているときは、これまたこんな簡単な言葉も出せない自分がいます。でも、怒ったまんま、不機嫌なまんま、落ち込んだまんまでいいから、つぶやきます。もちろん一人で。(笑)「でも、チャンス・・。」(どこがチャンスなんだよ~)←本音「チャンス。」(そうかな、チャンスなのかな~)「チャンス!」(もしかしたら、そうかも知れない)「チャンス!!」(なんか、おかしくなって来た)「そう、チャンスなのよ!!」(わはははは~!)←壊れたのではありません。一人でつぶやいているうちに不思議とテンションが上がってきます。言葉と言うものは、相手の耳に届く前に、真っ先に自分の二つの耳が聴いているのですね。だから、なにが起きても「チャンス」って言っていたら、自分の脳みそが、「え?なになに?チャンスなの?」って、受け取ってくれるらしいのです。最近よく「ついてる」って言葉を耳にしますね。日本語で「ついてる!」英語で「チャンス!」かの経営の神様と言われた松下幸之助さんも「私はついています」と言う人を採用していたと言います。本当に言葉はすごい。よくも悪くも、言葉は人生を左右する力を持っていると思います。「きゃー、私ってついてる!」「これはチャンスだわ!」こんな言葉をささやかないい事があった時や、何かのアクシデントのたびにつぶやいていたら、なんか物事がすごくスムーズに進みます。何と言うか、タイミングが合うのです。今、目の前にある事がどんなに不幸なことに見えても、その事が後々までずっと不幸だなんてことはありません。「あの時はあんなに辛かった。でもそのお陰で今がある。」なんてこと、人生ではよくあること。不幸の荒波にもまれている最中は冷静に客観的に判断する事はできません。この不幸がずーっと永遠に続くように感じられてしまいます。精神力、忍耐力の弱い私には、簡単な方法です。お金もかかりませんし、いつでもどこでも言えちゃいます。「チャンス!」「チャンス!!」「チャンス!!!」本当にいい言葉です。
2005年03月03日
いやはや~、なんとも、久しぶりの更新です。特にこれと言った理由があるわけでもないのですが、最近私の日常からPCの存在が薄れておりました。久しぶりに昨日あたりから、徘徊をしておりましたら、リンク先のむじちんさんからメールをいただき、気にかけていただいたことに感謝!・・・と言う事で、今日の気分は『復活の日』ですわ。^^最近、この年になってお恥ずかしいのですが、気づいた事があるのです。テーマは『コミニュケーション』。私は結構この言葉をよく使います。「コミュニケーションが足りないかな。」とか「コミニュケーションをとろうね。」とか「コミニュケーションは大切ね。」とかとか。なんか、本当に生活の中でも仕事の中でもよく使っている。最近、行ったセミナーで、言葉は爆発的なパワーを持っていると言う話があり、分かりやすく説明する為に黒板にこんな風に書かれました。病気を治す よりも 健康になる借金を返す よりも 豊かになる愛が大事 よりも コミニュケーションが大事言葉は脳に命令を送るので、選んで使いましょう、と言うような内容だったのですが、「愛」と「コミニュケーション」が対岸にあるのが意外でした。そのお話の中で気づいたのですが、確かに「愛さえあれば・・」と思いがちです。でも、その愛は、会話や行動と言った具体的な「コミニュケーション」があって初めて表現できるものなんですね。「こんなに思っているのに」とか「言わなくても分かるでしょう」は、「愛」に甘えて、「コミニュケーション」をサボっているのですね。そして、「コミニュケーション」の意味とは、「お互いのアイディアや物の交換」なんですね。私は、単に会うことや会話としか捉えてませんでしたわ。「お互いのアイディアや物の交換」・・・。果たしてそんなコミニュケーションを私はしていたでしょうか?自分の言い分や提案ばかりで、相手の話には真剣に耳を傾けていたかしら?夫とは?子供達とは?友人とは?お客様とは?あーー。穴があったら入りたい思い出ばかりがポロポロとこぼれます。^^;そして、「物」に関しては、もらいっ放しだったり、あげ放題だったり・・・。宇宙の法則は、「お互い様」なのだそうです。私の人生は、私が主人公。相手の人生は、当然その人自身が主人公。そうでありながら対等。今更ながら、そんな事を深く深く感じた出来事でした。
2005年02月17日
あけましておめでとうございます。久しぶりの更新です。実はウチの主人が去年の5月頃から体調があまり思わしくなかったのですが、無理に無理を重ねていたのか、年末に胃潰瘍で1週間ばかり入院しました。5月にも3日間、検査のため入院をしたのですが、その時はこれといった病名もなく、『過労』と診断され、もらった薬はビタミン剤でした。あれで完全に病院とは縁のない生活に戻ったと思っていたのですが、体は悲鳴をあげていたのでしょう。背中に痛みがあるといい、食べ物もどしたりするので、嫌がる主人を口説いて病院へ連れて行きましたら、3~4時間ぐらい検査をした結果、胃潰瘍と診断され、もう少しで胃に穴が空くところだったと言われ、ぞ~っとしました。もし、胃に穴が空いてしまっていたら、緊急手術で胃を切除しないといけなかったそうで、ぎりぎりの所だったそうです。37歳の主人は、これまで怪我以外で病院のお世話になったことはなく、背中の痛みも、忘年会でやったボーリングの筋肉痛だと勝手に決め込み、嘔吐は単なる飲みすぎだと思っていたようです。私もそうですが、病気知らずと言うのは、こんなときに多々、ややこしいことになります。私の母もそうでした。50年以上病気知らずで、体調が悪くても自分は病気とは縁がないと思っているので、病院に行ったときには手遅れで。主人が検査を受けている間、その時の事がよみがえりなんて言われるんだろう・・・と考えると怖くて怖くて。背中の痛みに嘔吐、そしてこ1年で体重がかなり減っているので、その症状がすい臓ガンとすごく似ていたのです。先生も『すい臓かな・・・』なんてつぶやくし。ほんの3時間の間に様々な事が頭の中を駆け巡り、3人の子持ち未亡人シュミレーションまでしていました。^^;ストレスとは怖いもので、そのたった3時間の間に、目はものもらいのように腫れ、口内炎ができ、喉までひりひり痛くなって。首から上の粘膜が一気におかしくなっちゃいました。胃も粘膜。主人もきっとかなりのストレスにさらされていたのでしょう。口が重い人なので、自分の思いをスラスラと言葉にしてくれません。昇進して、かつての同僚がある日を境に部下になり、仕事の量は増え、付き合いも増え、きっと女の私には分からないストレスをたくさん抱え込んでいたのでしょう。私は、そんな主人が帰って来たときに、心安らぐ場所を作れていたのか、考えさせられました。よく男は船で女は港と言います。若い頃はそんなの演歌の世界だと、受け入れる事ができませんでしたが、そんなこんなを経験しつつ、この歳になると、よく言ったものだと思わずにはいられません。いろんな考えがぐるぐると巡りますが、大難が小難で済んだ事に感謝しつつ、今年はもう一度本当の健康というものを考えて実践して行こうと思います。家族全員の健康があってこそですものね。^^年明け早々、重い話題しか書けなくてすみません。この年末の出来事を通して感じた事を、残しておきたくて、場違いな話題と思いながらも書かせてもらいました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。^^
2005年01月04日
先日、「森山良子」と「ビギン」と「夏川りみ」のコンサートに行って来ました。森山さんにより歌われた『さとうきび畑の唄』は、今やあまりにも有名。『ざわわ~ざわわ~ざわわ~~~♪』と始まると、もうそこから、涙、涙・・・。娘が小学2年生のとき、クラスでの合唱を聞いたのが私とこの唄の初めての出会いでした。小学校では、フルコーラスではなかったのですが、それでも、この唄を2年生の幼く透きとおった声で聞いたときは、涙を抑えるのが大変でした。その後、TVやCDで何回も聞きましたが、森山良子さんの唄を生でしかも・・20番ぐらいまであるのかな?・・・それをフルコーラスで聞かせてもらえた時には、もう涙が止まらず、思いっきり泣きました。私は、もちろん戦争は体験していません。でも、亡くなった母は、10歳の頃、戦争によって家族と引き裂かれ、『自分は親に捨てられた』と思いながら、親戚の家で多感期を過ごし、やがて、両親が小さな妹を抱っこして戻ってきたときには、親への不信感と新しい妹達への拒絶感に囚われながら生きていました。そして、親子関係で心に傷を負った母が、私達4人の子供を育てる・・。60年近くも前の戦争は、経験する事のなかった私達にも静かに影響し続けているのが現実です。だから、戦争に関係する話や映画や唄には過剰反応してしまう私がいます。・・・ちょっとしんみりモードになっちゃいましたね~。私が書きたかった『オキナワン・スタイル』と言うのは、『ビギン』と『夏川りみ』さんのこと。りみさんが「わらび神」を歌う前に、「今日は子守唄で皆さんを眠らせましょうね。眠たい人は無理して聞かなくていいんですよ~。眠たい人は、遠慮しないで眠ってくださいね~。」と、バリバリの沖縄イントネーションで言いました。みんな、笑顔、笑顔。。。ほっとするんですよね。そして、ビギン。「次はにぎやかな曲で盛り上がりましょう。みんなカチャーシーって分かりますか~?(カチャーシーの踊り方を一通り説明し、)でもね、無理して踊らなくてもいいんですよ。沖縄の人がみんな踊れるわけじゃないんですから、踊りたくない人は、座っててくださいねー。(ニコ^^)」なんちゅー、てーげー(いい加減)な、コメント。でもね、みんな逆に総立ちで踊っちゃって、すごく盛り上がりました。これぞ、オキナワン・スタイル。てーげー文化の鏡と言う感じがしたのでした。☆てーげー(いい加減)★なんくるないさー(なんとかなるさ)☆いちゃりばちょーでー(行きかう人はみな兄弟)★うちなータイム(沖縄の人の時間の感覚) ・・・おっと、うちなータイムはダメかな?やっぱり、沖縄っていいなー・・・。の~んびり長生きしそう。^^
2004年12月10日
えー、このたび、忘年会の幹事を任命されました。当日まで、あと10日しかないと言う、厳しい任命。最初は、「え~!何で私が~??」と、心の中で拒絶反応。誰かがやらなきゃ、成り立たないわけですから、断るわけにも行かないし・・・。これから会場設定をして、予算を計算して、余興も考えなきゃいけない・・・。引き受けたものの、頭の中はパニック、パニック。2日間は心の中でぶちぶちと文句を言っている自分がいました。・・・でも、開き直りました。どうせやるなら、「やらなきゃいけなくてやる」よりも、「やらせてもらう」と思ってやることにしました。どっちもやることには変わりはないけど、受身でやるよりも、進んでやったほうが、はるかに気分がいいですから。『よーし、素敵な企画にして、みんなとたくさん楽しもう。』そう思うと、いろんなアイディアがこんこんと湧いてきて、2時間半では足りない気分になって来ました。いつしか気分は「やらせていただく」から「やりたい!ぜひ私がやりたい!」と言う気持ちになってきました。(笑)人間の心はころころ変わるものですねー。(シミジミ。)
2004年12月09日
我が家の小5の長女。最近、サンタクロースの存在にやや疑問を感じているらしい。「サンタはどこから入ってくるのか?」とか、「こんなにたくさんの子供のほしいものが何で分かるのか?」とか、「時々、何ではずれるのか?」とか。(サンタにも予算の都合と言うものがある。(笑))私がその歳の頃にはとっくにバレバレな事を親はしてのけていたから、幼いといえば幼い。幸せ者といえば幸せ者。今年の娘のリクエストは「たまごっち」。何でも、一昔前に流行った「たまごっち」よりも進化(?)しているらしく、友達の持っている「たまごっち」と交信(??)出来たりするらしい。先日、大手スーパーに行った際、おもちゃ売り場に寄って、店員さんに見せてもらった。赤や青、黄色、黒、グレーなど、卵型に液晶の窓がついた、「何でこれが2500円もするの?」と思いたくなる、小さなキーホルダーのようなものが並ぶ。「在庫がなくなり次第、販売終了です。」と言う店員さんの言葉に、その場で購入。クリスマスカラーの包装紙でラッピングしてもらい、自宅の押入れの奥の、タンスの引き出しの、その又奥に隠した。・・・自分でも探せるか不安。翌朝、起きてきた娘が、朝からコーフンして、鼻の穴を広げて夢の話をした。「お母さんが、赤と青と黄色のたまごっちを持ってきて、どれがいい?って聞いたの!ちょーうれしい夢だった~!!」・・・・・こちらは『チョーびっくり』なんですけど・・・。「正夢だね!」と言いたいのをこらえて、「サンタさん、それくれるといいね。」と言うと、「あー、もうクリスマスまで待てない!お母さん買って!」とおねだりが始まった。「そこをぐっとこらえて『我慢』と言うのを身につけるんだよ。」「だって、サンタさん、時々ちがうものくれるんだもん。」「そこもぐっとこらえて『あきらめ』と言うのを身につけるんだよ。」・・・娘、にらむ。(笑)クリスマスの朝、悲鳴をあげて喜ぶ3人の子供達を想像しつつ、『あと二人分、買ってないよー。』と、悩む母なのでした。
2004年12月08日
CMで「アミノ酸サプリ」と言う商品をよく見ます。いろんな健康情報番組で「アミノ酸」の事を取り上げ、放映されている影響もあるのか、「アミノ酸」系の商品はバカ売れなのだそうです。でも、やがては「ペプチドサプリ」時代に移行するだろうと、その手の業界は見ているようで、もう既に「○○ペプチド」と銘打った商品が出始めているようです。この「ペプチド」、もともとは大豆。日本人が昔から食べ続けてきた大豆なのですね。大豆は、人間の体に一番都合の良いたんぱく質であり、大豆そのものを料理して食べるよりも、一旦加工して体に入れたほうが、消化吸収がよいとされています。納豆やお豆腐、味噌やお醤油などは、先人の知恵の賜物なのですね。今、世間に出回りつつある「ペプチド商品」はこの大豆の分子構造を細かくしたもの。「アミノ酸商品」は、さらにさらに、細かくしたもの。単純に考えて、人間の体には最初から細かい分子の方が吸収がいいように思えます。消化の仕事も減るわけですし。でも、体は決してそれを「良し」とはしないそうです。私達の体は、ある意味「工場」なのですね。食べ物が口から食道を通って胃に入る。 ↓胃が、食べ物を感知し、消化液を出す。 ↓胃に血液が集まって来て働き出し、食べ物を分解し消化をする。 ↓消化してドロドロになった食べ物の栄養を小腸が吸収する。 ↓大腸を通りながら、カスと新陳代謝で死んだ細胞と水分を集め、 ↓直腸で溜めて大便として排泄する。大雑把ではありますが、口から入った食べ物が、肛門から出てくるまでには、この曲がりくねった1本のラインを通過します。その間、すい臓や肝臓、腎臓がそれぞれの働きをしてサポートします。体に必要な栄養を吸収しながら、いらなくなったものは排泄する。シンプルなんですけど、その時、内臓はフル回転をしているのですね。食事をした後、体が暖かくなるのは、この時に血液が消化器系に集まっているからなのです。では、冒頭の「アミノ酸商品」や「ペプチド商品」はどうなのでしょう?効率的にアミノ酸を摂取すると言う考えの下では、画期的な商品なのかも知れません。でも、一連の体の働きはありません。始めから、細かく分解されている以上、「消化」という過程をすっ飛ばしてしまいます。体のもともと持っている働きをサボらせてしまうのですね。実際に、「アミノ酸」を入れ続けていると、更年期障害の症状が強く出ると言う報告もあるそうです。では、これからブレイクするだろう「ペプチド商品」は?・・・・残念ながら、まだ分かりません。今、食したもので内臓が作りかえられるまでに3年かかります。食品に関しては、昨日、今日のデータでの判断は難しいようです。特保や健食は、ヒットするまでもなくても、3年以上売れ続けているものなら、とりあえずOKなのかも知れません。いろいろな物が氾濫する中、食選びは自己責任です。でも、いいものと思って数ヶ月、数年摂り続けて、ある日・・・「実は良くなかった」・・・な~んて、イヤですね。私自身の経験で恐縮ですが、迷ったときは、日本の昔の食生活(和食)に立ち戻ってみる事が、一番の近道のような気がします。
2004年12月07日
先日、福岡の出張を終えてきたばかりなのに明日、明後日とまた一泊で家を空けなければならない予定が入っています。我が家は一番下が2歳とまだ手がかかるので、夫の協力は必至。今回、続いているものだから、ちょっと、言い出しかねていたのですが、やっと昨日、話す事ができました。夫の反応??想像通りです。(笑)気持ちよく「行ってらっしゃい。お仕事頑張ってね。」と言ってくれる・・・・のは子供達の方。当の夫は・・・!! やっぱりキレた。「いい加減にしろよな。」「ちょっと、出すぎじゃないのか?」「金曜日の夜は、会社の飲み会が入っているのに!」「あー、許さん!俺は許さん!!」もー、目が三角につりあがっていました。こわーい。。。。。そこで私も考えました。夫の言う事はごもっとも。実は、私自身もそう思っているのです。でも、仕事である以上、よほどの事がない限り、家族を理由に穴を開けたくはないというのが本音。まぁ、この仕事を選んで16年、結婚して13年、こんな事の繰り返しと言えば繰り返し。結婚当初は子供がいなくても、怒りまくっていた。長女が生まれてからも、そんな中、何とかカンとかやってきた。長男が生まれたときは、お乳を搾りながらの出張。そして、今、子供は3人に増えて、ますます忙しくなったけど、私の仕事を傍で見ていた長女は、かなりの理解者。と、言うか、母親が2~3日家を空けるのには何の違和感も感じていない様子で、当然のように弟二人の面倒を見てくれている。(らしい。)子供が小さいうちは家にいた方がいいのかとも考えましたが、出会ってしまったこの仕事を、途中で降りるのは到底できませんでした。3人の子供を産みつつ育てつつ、夫の反発をくらいつつ、何とかここまでやって来ました。でも、それも、反発をしつつも、結局は私を送り出してくれる夫のお陰なんです。若い頃はいつもこのことではケンカが絶えませんでした。今でも、昨日のようにやはり怒ります。でも、今や私も華の(?)40代。売られたケンカを、むやみやたらには買いません。(笑)夫に言いたいだけ言わせても平気になりました。逆に言ってくれた方が、相手の気持ちが計りやすい感じがします。昨日も色々言ってました。「あーでもない、こーでもない。」その都度、「そうなんだよね。」「ごめんね。」「仕事もあるのに大変だよね。」同意しまくり。(笑)そして最後に「でも、仕事なんだよね。責任があるんだよね。」しばし沈黙の後、「仕方ないから、今回は許す。次からは予定は詰めるなよ。」とのありがたーいお言葉が。『やっほー!!帰りにちょびっと遊びに行こう!』夜な夜な、ネットで福岡の名所を検索する私。--;歳を重ねると言う事は、私にとっていいことだらけ。(負け惜しみ?笑)20代、30代と違って、気持ちに余裕が出て来たようです。さーて、明日は何を着て行こうかな・・・っと♪
2004年12月01日
唐突なタイトルですが、(笑)人間は、実は「土を食べてる」らしいです。うーん。。。。ミミズじゃないんだから・・・。って声が聞こえてきそうですね。(笑)実はこれ、野菜の話なんです。人間は何故に野菜を食べなきゃいけないのか?それは、土の中にあるミネラルを体に取り込む事が目的なんですって。じゃあ、ビタミンは?ビタミンは、土に根を張った植物の枝の先に出来た果物や野菜が太陽の光を受けてできるもの。やはり、果物や野菜を通して、体に取り込むようになっています。どちらにしても土台は「大地」なんですね。ビタミンもミネラルもどちらも微量栄養素。微量なんだけど、摂らなきゃ調子が悪くなる栄養素。ご飯やお肉は足りないとお腹が「ぐ~」っと鳴って教えてくれます。でも、ビタミンやミネラルの不足で、お腹は鳴ってくれません。「なんとなく調子が悪いのよねー」そう感じたら、この栄養不足を疑ってみるといいかも。朝が起きにくいとか、疲れやすいとか、イライラしやすいとか、落ち込みやすいとか、頭痛や生理痛があるとか。。。。最近、私はある説に驚きました。それは、「地球上の生物はみんな五大栄養をベースに生きている」という説。だって、肉しか食べない猛獣もいれば、海の中の魚にも肉食がいるでしょ?なのに、それらの動物もちゃんと野菜を通して、ビタミンやミネラルを摂っているというのです。それは、「肉食動物が狙うのは、よほどの飢饉でない限り、草食動物」と言うのがヒント。草食動物が食べた植物が、肉食動物の「野菜」になるらしいのです。だから、襲って倒したら、まず腹部から食べるそうなんですね。昔、お肉が大好きだった私。母にたしなめられたら、「だって、私、肉食動物だもーん。」と、切り返していましたが、ライオンさん、トラさん、ごめんなさい。通じない理屈でした。(笑)ミネラルは、海の恵でもありますね。海の水も飲むわけにはいきません。やはり、藻類を通して、体に摂り込みます。だから、好きとか嫌いとかは別にして、野菜やきのこや海藻類は大事な命の素なのです。最近は土に元気がないという話をよく聞きます。大量に使用し続けてきた、農薬や化学肥料が、原因の大きなウエイトを占めているらしいですね。だから、「健康食品」や「栄養補助食品」が活躍しているわけですが、先にも書きましたように、「大地の恵」「太陽の恵」「海の恵」が、ベースである物を選んだ方がいいと思います。人間も自然の一部である以上、合成の栄養素ではなく、やはり、自然のもの、天然のもの、安心なものが大原則だと思います。
2004年11月29日
「白い巨塔」「冬のソナタ」・・・もう、連続ドラマにははまりたくなかった。だって、なんとなく不自由なんだもん。なのに、又、連続ドラマ「大奥」にはまってしまった・・・。それにしても、女は強い。『歴史の陰に女あり』とはよく言ったものです。名誉や地位に執着しまくりですけど、様々な立場があって、人間の心理的な部分の勉強になります。・・・・が、1週間が長く感じるし、その1時間が短くて、やっぱり、連ドラにはまると不自由だなー。・・・と、言いつつ、もう既に来週の木曜日が楽しみだったりする私。^^;
2004年11月26日
人間関係って、簡単なようで結構むずかしかったりしません?私は、全ては自分から出た発信の仕方次第で相手の態度が決まると思っています。・・・って言うか、思うようになりました。相手を責めても何の解決にもならない経験が山ほど。(笑)絶対、自分の言っている事が正論なはずなのに、相手は『違う!』って顔している。『なんで?なんで?』『私が言っていることって、間違っていないよねー?』何度も自分に問いかけて、やっぱり相手が変なのだと結論付けていたあの頃。(爆)でも、どんなに正論をかましたって、相手の心に届く手段を使っていなければ、いい表情なんて返って来ません。実は、結婚して7~8年ぐらい、私達夫婦の間にもそんな風が吹いていました。そりゃー、新婚の頃は「あばたもえくぼ」でラブラブでしたよ。今考えるとあれは恋愛の延長だったんですね。エロスの愛ってヤツ?それが、子供も生まれ、段々と身内化していくと、お互い、どんどん我がままになっていくんですね。「これぐらいは分かってくれて当たり前。」「父親なんだから当たり前。」道理からすると、正論なんです。ところが夫は、縦のものを横にしない。思いが通らないと、その度に奥歯をぎゅーって噛んで我慢するんだけど、我慢が限界に来た時、ばくはーーーつ!!大喧嘩になるんですね。実家には戻れないので、子供達を連れて、プチ家出を何回した事か・・・。家出って言っても、夕方出て、ちょっと遠くのスーパーマーケットに行って、時間をつぶして、夕食作りをボイコットするだけが精々なんですけどね。かわいいでしょ?(笑)昔、母方の叔母に、結婚の報告しに行った時に、言われた言葉があります。「相手の男性が乞食でも、女次第で王様にして上げられる。 反対に相手の男性が王様でも、女次第で乞食にもなる。 全ては女次第。」喧嘩するたびにこの言葉が、胸をつくわけです。自分のいたらなさにもイラつきますが、わからずやの夫にも腹が立ちます。紆余曲折して、最近やっとこの言葉を飲み込めるようになりました。夫との人間関係は、外での人間関係とそのままリンクしていたのですね。もちろん、夫以外の人と派手なやり取りはありませんけど。他人様は、本音を言わないだけ、余計むずかしいです。だまって、すーっと離れて行っちゃうだけ。考えてみれば、世の中でたった一人の結婚相手と・・・しかも、かつては(?)ラブラブだった相手とうまく行かずして、他の人とうまく行くわけがありません。一番近い他人。それが夫。よく「結婚生活は修行の場」と言います。でもそれは、我慢するとか、波風を立てないようにする事が目的とは思えません。自分自身を丸くして、目の前の「他人」を理解する努力。私はそれを一番楽に実行できる、魔法の言葉を見つけました。それは・・・「へー、そうなんだー。」です。魔法の言葉にしては、しょぼい?(笑)「違う!!」と思っても、とりあえず、「へー、そうなんだー。」それから自分の気持ちや考えを言う。意見が食い違っても、その場で結論を出そうとせず、何故、そう言う言葉が出てくるのかを夫の立場になって考えてみます。すると、夫の気持ちや態度が理解できるようになって来ました。それが出来るようになって、やっと他の人ともいい関係が築けるようになって来たように思います。私にとって、夫婦の関係は人間関係の土台となっている大事なステージです。
2004年11月23日
1000ピースのジグゾーパズルをトイレの壁に飾りました。娘がお腹に入っていたときに作ったものだから、もう11年も前のものです。4年前の引越しのとき、娘の机とタンスの間に差し込んでほったらかしていたのですが、先日、引っ張り出して、きれいに拭いたら、美しくよみがえったので、殺風景なトイレの壁に掛けました。・・・んで、トイレに入るたびに、目に入ります。作ったときはただのパズルとしか、映っていなかったのですが、11年も経てば、考え方も物の見方も変わります。1000ピースの一つ一つが人間に思えてしょうがない。(笑)形もなんとなく人間っぽいし。似た形のピース、どこに入れても大して影響のなさそうな色のピース。でも、良くできたもので、一つ一つが全部違うのです。無理やりぶち込むと、行き場のないピースが後から出てきたりして、1000ピースを全てはめ込むには、それはそれは根気がいりました。それって、今私が感じていることと、フィットしているんです。みんな、それぞれにはまるべき場所があるって言うのかな。そこが見つかれば、それこそ人生は迷いのない、無駄のないものになるのに。ここだ!と思ったら違っていたり、ここじゃない!!と思ってその場を後にして振り返ってみると、あそこだったり。でも、その『迷い』や『無駄』が人間の幅を広げるのでしょうね。なんか、ジグゾーパズルが人生そのものに思えてきてしまった。しかも、トイレの中で。(どんな格好で?笑)
2004年11月22日
昨日、隣で寝ている長男5歳の背中を見て、今年の運動会のリレーの事を思い出していました。主人に似て、足の速い長男。今年はアンカーと言う大役に張り切って、練習では何回もチームが1位(って言っても3チーム)になって、先生からも「当日が楽しみですね」とお便り帳に書かれ、家族で楽しみにしていました。主人は子供の頃、小学校でも中学校でも学校代表になるぐらい俊足だったそうで、アルバムを引っ張り出してきて、地区大会や県大会で好成績を収めたときのスナップを見せたりなんかして、息子を励まし、盛り上げていました。運動会の当日も「一番になれよ!」とか「追い抜けよ!」なんて言葉をかけていて、ちょっと、プレッシャーかけすぎでは・・・?と、私の方はハラハラ。お父さん大好きで、一目置いて見ている息子は、きっときっとお父さんの気持ちに応えようと頑張ったのでしょう。アンカーとして、バトンを受け取り、いいスタートを切ったのですが、前の子を追い抜こうとした時、コーナーのあたりで転倒しました。すぐに立ち上がって走ったのですが、結果は3位。つまりビリ。1位になったチームが抱き合って喜んでいるのを悔しそうに見ている後ろ姿。その後続けて、表彰式だったのですが、その時の息子の背中は、私には泣いているように見えて、飛んで行って抱きしめてあげたいのをぐっとこらえて戻ってくるのを待ちました。オリンピックを真似て、頭に月桂樹の冠と胸にメダルをかけてもらい、戻ってきた息子の頭に手をやって「頑張ったね。えらかったね。」と言うと、息子の目から、みるみる大粒の涙がポロポロ。場所もはばからず、抱き上げて、ちょっとだけ人目のつかない所に移動して、私も息子を抱きしめて泣きました。へへへ。^^;保育園のかけっこでそこまでするかよーって思うでしょう。後で思うと、ちょっと恥ずかしい。^^;だからね、1ヶ月以上も経ってからしか書けなかったのだよ。勝負なんだから、「勝つ」とか「1位」とかって確かに目標だし、モチベーションを上げる上で大事なこと。私は主人と違って、運動音痴だし、スポーツで活躍なんて出来なかった。それだけに、足の速い息子は頼もしいし、自慢の種です。でも、このことでしみじみ思ったのです。結果も大事だけど、その過程を楽しむ事も大切かなーっと。そして、悔しさを味わって、それをばねにして次は頑張るとか、悔しい人の気持ちをわかってあげられるとかって収穫もあるんですね。練習通りに勝てなくて逆によかったのかもって。主人は叱咤激励するタイプ。何をやっても好成績でそれなりの結果を残す事の出来る人。私は、あまり競争心がなく、向上心もないかな?何をやっても中途半端で結果なんてどうでもいいタイプ。子供達、困るだろうね、どっちの言う事がほんとなのかって。どっちも単なる親の個性として、受け止めてほしい。自分達は自分達らしく。ありのままの自分で幸せを感じられる人に育ってほしい。1番でもよし、ビリでもよし。本人が幸せであればそれでOK。私にできる事は、嬉しいときには一緒に喜び、悲しく辛いときには抱きしめることだけ。それしか能がない私です。^^;
2004年11月19日
昨日の授業参観は、残念ながら楽しみの「松ケンサンバ」は見る事が出来ませんでした。(涙)前日に、校内で問題が起きて、3時間目は緊急の校長講話になったんです。その問題は、プライベートに関することなので、ここには書けませんが、起きてしまった問題を、他人の子と思わずに地域とPTA全体でフォローして行ってほしいと言う、校長先生のお話。女性の校長なんですが、いつもきめ細やかで、生徒一人一人の事を真剣に考えて下さっている様子が伝わって来て、この校長に出会えてよかったなーと思う一幕でした。その前の、2時間目の道徳の授業では、とても楽しい事をしていましたよ。先生がまず、こんなフォームのプリントを生徒に配りました。○○○○さんへ(←宛名は最初で書いてある)あなたはとても__________な人だと思います。なぜなら________________だからです。それを見て私(僕)は___________と思います。一枚のプリントに上記の書き込み式のメッセージが3回印刷してあります。一人目が書いたら、先生が用紙を回収して、シャッフルして再度、配ります。二人目が書いたら、又、回収して、シャッフルして、配ります。三人目が書いたら、宛名の本人に返します。書く内容は、「その人のいいところ」そして「それを見て自分はどう思うか」。メッセージが自分のところに返ってきて、それをひろげて、中を読む子供達。みんなの顔から、笑顔が生まれます。「きゃ~~!」「うっそー!」「ほんとうにー?」「はずかしー!」やがて、隣の子と交換しあって、前の子と交換しあって、仲のいい子と交換しあって、書いた人探しが始まって・・・・もう教室中が、蜂の巣をつついたような大騒ぎ。それをニコニコと見守る先生。最後に、先生から「みんな今どんな気持ちー?」と言う質問があり、何人かの子が、「へー、私ってそうなんだ、と思いました。」と言う返事。「そしてどう思った?今、どんな気分?」と聞くと、大多数の子が、「うれしー!!(^▽^)」「そうだね。いいところを認めてもらえるって嬉しいね!」最後に先生はそう言って、授業を終えました。体感するって、すごくいいですね。どの子もみんな参加してましたし、長所のない子は一人もいません。認められるって嬉しい事。自分のいいところを見てくれる人がいるって、心強い。そして、それを受け取る心も大事かと。「いえいえ、そんな事ないですよ。」「ほめすぎですよ。」そんな謙虚な言葉は、子供達の口からは出てきません。きっと、大人は謙虚の意味を履き違えているんでしょうね。子供達は教えられなくても、豊かに受け取ると言う事が自然と出来ていると言う事が、今日の大発見でした。因みにうちの娘へのメッセージは「おもしろい」「楽しそう」「笑いすぎ」でした。・・・で、隣の子は「頭がいい」「優しい」「かわいい」・・・・・。いえいえ、決して比べているわけじゃありません。でも、ちょっとうらやましいかも。(笑)
2004年11月18日
今日は小5の娘の授業参観日です。2時間目は算数。3時間目は体育の参観です。「お母さん、算数の授業はイマイチだけど、 体育は任せておいて!!」と言います。スポーツ音痴な娘にしては、前向きな言葉。母は嬉しいぞ。・・・で、体育の授業では何をやるのかと聞いてみた。「バレーボール?バスケットボール?ドッチボール?」「ぶぶー。残念でした。 ダンスだよ。 男子に混じって『松ケンサンバ』を踊るの!」・・・松ケンサンバってあの松ケンの?それって体育なの?どんな授業になりますのやら。とりあえず、行って来まーす。
2004年11月17日
私も含めて、もう10年以上のお付き合いのある友人「Aさん」と「Bさん」が、ある問題がこじれてかれこれ3年間の冷戦状態。二人とも仕事柄よく顔を合わせるので、このままでは良くないと感じたらしく、共通の友人である私に連絡して来た。最初に連絡を頂いたのはBさん。会って彼女の話を聞いているうちに、『怒るのはもっともだ、Aさんはそんなひどいことをしたの?』って気持ちになって来た。Bさんは気持ちを分かってもらえたのが嬉しいようで、その後、何度も電話があり、メールも来るようになり、私の気持ちはますますBさんに傾いた。そんな中、Aさんからも連絡が来た。Aさんの話の中、『えっ?そんな事があったの?Bさんは一言も言ってなかったけど。』と思うような言葉が飛び出した。Bさんとよく会っていた私はちょっとびっくりした。その晩、布団に入って考えてみた。二人の話に食い違いはないが、でも、立場が違うと見える景色が微妙に違う。AさんとBさんは同級生だけど、仕事ではAさんが上司的な立場になる。Aさんは決して意地悪をしたわけではなく、Bさんの能力を伸ばしたくてとった行動やアドバイスが、結果的にBさんを窮地に追い込んでしまった。Aさんにはその時のBさんの苦しみが分からず、BさんはAさんの取った行動を意地悪と感じてしまった。Aさんも理解されずに苦しいし、Bさんも被害者意識から抜け出せない・・・。この件を通して、私は二人とも間違ってないと思った。その人が感じた事、味わった事は、そのまんま正しい。Aさんにとっての真実。Bさんにとっての真実。3つ目の真実は、二人がお互いの立場や気持ちを理解しあったときに見えてくるように思う。もし私が当事者なら、こんな冷静な判断は出来ないと思うけど、あえて第三者だからこそ、感じ、見えてくるものがあると思う。『理解』これがキーワードかな。
2004年11月16日
先日、「アトピー」の事を書きましたが、実は何を隠そう、この私も8年ほど前に皮膚を患ったことがあります。「アトピー」だったのかどうかは未だに分かりませんが、足のひざから下に湿疹が出始め、それがとびひのように日に日にひどくなり、足の裏までズルズルになっちゃった。皮膚科、外科、内科と病院を巡り、薬は出されても、原因が分からない。もちろんとびひでもない。内科では糖尿病からくる「えそ」を疑われ、血液検査もしましたが、それでもない。原因が分からないのだから、病名もつけられないでしょ。それで、自分で名前付けちゃった。名づけて「アシピー」。(笑)結構、こんな感じで顔とか腕とか首とかだけがトラブる方っているんですよね。これまた、名づけて「カオピー」・「ウデピー」・「クビピー」。(もういいっちゅーねん!)真剣に悩まれている方から見たら、ふざけていると思うでしょう。でもね、原因が分からないところに押さえ込むだけの薬を使ったって、何の解決にもならないと思うのです。体が、何らかの自己主張をしていると思うのです。心は理性や常識で丸め込めても、体は正直。何か無理をしていて、その無理矢理感を感じてはいても払いのけることもせず、軌道修正もサボっていたら、体が叫んじゃう。私にはそんな風に思えます。実際、病院で原因不明といわれた「○○ピー」の方とお話をしたら、何らかの形で強いストレスにさらされている事が多いように感じました。私の場合、当時はストレスだらけでした。毎朝、鏡を見ても『こんなの自分の顔じゃない!』って思ってました。でもね、そこがA型(?)の悲しい性。おまけに長女気質のしっかり者。(?)そんな自分を認めたくないのよね。自分はもっと明るいんだ。自分は辛くなんかないんだ。自分は間違ってないんだ。そしたらある日出てきちゃったの。アシピーちゃんが。「しばらく歩くな。家の中に引っ込んで自分を振り返りなさい。」今思えばそんなメッセージだったのかも知れない。痛くて痒くて、薬を使う事にも納得がいかなかった私。長年子供さんのアトピーで悩んでいたお母さんに話したら、「まずは栄養とスキンケア。 そしてとりあえず無理をしないこと。 お笑い番組でも見て毎日笑うといいね。 気持ちに余裕が出てきたら体に 『教えてくれてありがとう』って言ってみて。 『何故?』とか『どうして?』と言う責めや疑問は逆効果よ。 全てありのままを認めてごらん。アトピーだって用事が あって出てきているのよ。 こちらはやるべき事をやるだけ。 後はアトピーの勝手でしょう?」そんなアドバイスを頂き、スゴク気持ちが楽になりました。なんだかんだで半年ほど続きましたが、次第に引き始め、一年を待たずに元の肌に戻りました。そしてすごく不思議に思うことがひとつ。怪我や火傷で出来た傷って、ケロイド化して傷跡になって残るのにあんなにひどかった私の足、今では傷ひとつ残っていません。子供の頃、蚊に刺されてかきむしったところは今でもあるのに。人間の体って、知れば知るほど本当に不思議。でも、難しく考えずに、ありのままを受け止めることも大事かも知れない。以上が私のアシピー体験記。あれが、アトピーだったのかどうかは未だに謎のままです。ところで、どなたか、体からのメッセージを感じた経験ありますか?アトピーに限らず、貴重な体験があれば、教えて下さい。
2004年11月15日
土・日を使って、キャンプに行って来ました。キャンプって言っても、ワゴン車にカセットコンロやら鍋やらやかんやら、布団やらを詰め込んで、ついでに3人の子供も詰め込んで、行った先でキャンプ地を決め、車で寝るという、なんちゃってキャンプ。オートキャンプとも言うのかな?そう言うとちょっとかっこいいけど。家族五人。県内で一泊旅行なんて言うと、今まではホテルやペンションを利用していたんですけど、たまにはあえて『不便』と言うものを私自身も子供達にも体験させたいなーと思ったのが、この企画を考えたきっかけです。主人は念願の長男との釣りが今回の旅の目的なので、釣りができて、車を入れることが出来て、料理をしてもOKで、第一に安全なところ。「そんな都合のいいところが、あるかしら?」なんて夫と話しながら、車を走らせていたのですが、さほど苦労もせずめぼしい場所を発見。車で入って行って様子を見たのですが、なんとも素晴らしい。沖縄育ちの主人も私も、あまりの景色の良さ、海のきれいさに感動。近くに水をもらえるところもあり、トイレもあり、釣りも出来る!一にも二にもなく、すぐにそこに決まりました。浜辺で釣りをして、火をおこし、魚や貝を焼いている女子中学生達と友達になり、「へぇー、この貝、食べられるわけー?」と聞くと、「うん!おいしいよ。もっと取って来るねー。」と、波しぶきの激しい夕暮れの海にどんどん入っていきます。お返しに、こちらの作った焼きそばを御馳走したら、「おいしー!おかわりできますー?」すごくたくましく、人懐っこく、かわいらしい。そして素朴。その日、息子は生まれて初めての釣りで、体長20センチほどの魚を釣り上げ、大興奮。聞けば、魚屋さんで買うと裕に1000円はすると言う鯛の仲間でした。(そう言う値段のつけ方が主婦の感覚ですね。汗。)早速、女子中生達と焼いて食べたのですが、息子が釣り上げたと思うと、それはそれは、感動的なおいしさでしたわ。夜は車のシートをフラットにして、みんなで川の字。主人は助手席。あまりの楽しさに、「毎日、こんな生活でもいいわー。」と言うと、「いいけど、俺はエコノミー症候群だな。」と言われてしまいました。^^;翌朝、朝もやの中で入れて飲むコーヒーは最高でした。そうそう。半分はこれが目的でした。そう言うシュチエーションって、スゴク雰囲気があるんですよね。映画の中みたいで。翌日は車を置いて、山の中へ入り、大自然の懐に抱かれてきました。大きな海や、緑深い山を見るたびに、人間は本当に小さいなー。神様から見たら、蟻のようにちょこちょこ動いているんだろうなーって思います。そんな小さい私達が、ちょこちょことした出会いやふれあいを繰り返しながら明日に命を運んでいる。私もそうこうしながら、主人とツガイになり、3人の人間を増やしちゃった。とりあえず、それだけでも自然界の一員としてOKかな?うんうん。いいんじゃない?自信持って。^^神様、私、頑張ってますよー。そして、すごく楽しんでますよー。なーんて叫びたくなりました海からパワーをもらい、山に癒やされ、星空に宇宙を感じた素敵な家族旅行でした。
2004年11月14日
『アトピー性皮膚炎』私がこの言葉を初めて聞いたのは、20年ぐらい前のこと。当時、スイミングスクールで小さな子供達の水泳指導のアルバイトをしていた頃、皮膚がカサカサしている男の子が一人いて、その子のお母さんから、「うちの子、アトピーなんです。 他の子にはうつりませんから、心配しないで下さいね。」と言われ、初めてその名を知りました。それから約5年後、今の仕事に縁があり、子供さんがアトピー性皮膚炎で悩む何人かのお母さんに出会う事となり、タイプによっては私が思っていた以上に深刻なトラブルであることを知りました。あるお母さんは、病院のアドバイスに従い、除去食を続け、小麦粉の除去、肉・卵の除去・大豆製品の除去・・・とやって行くうちに、お米も除去の対象となり、主食はひえや粟しか食べられなくなってしまい、それでも完治しないし、夜は痒がって泣いて寝てくれないし、この先どこまでこんな状態が続くのかと嘆かれ、時々、あまりにも疲れて、いっそこの子と一緒に死のうかとまで思う、と涙ながらに話されました。また、あるお母さんは、お薬を塗り続けているうちに塗る範囲がどんどん広がってきて、それでもなかなか良くならず、副作用が心配で薬を塗るたびに不安になると言われました。当時、私はまだ未婚で、子供もいなかったので、本当の意味でそのお母さん達の心境を分かってはあげられませんでした。でも、私なりに気づいた事、体が食べ物で出来ている事、お母さんの血液でお腹の赤ちゃんが育つ事、いい体でおっぱいを出す事などを一通り話させてもらいました。そんな中、いつも不思議だなーと感じる事がひとつありました。それは、食生活を正し、便秘させないないよう注意し、少しのお薬だけで、嘘みたいにすーっと良くなっていくパターンと、前者よりもはるかに生活習慣に注意し、清潔を心がけ、着るものも肌に優しいものを選んでいるのにも関わらず、なかなか良くならないパターンがあったのです。「何故だろう・・・?」ずーっと分からずにいました。だから私の中で、『アトピー=食生活の習慣』(結構、そう言い切られる事って多いから。)と言う公式は当てはまらず、考えれば考えるほど、迷路の中に迷い込んだような気分になりました。ここ最近、出産ブーム(?)なのか、私の周りでポコポコと赤ちゃんが生まれます。大雑把な把握で申し訳ないのですが、現代人は5人のうち、3人が何らかのアレルギーがあると言う統計が出ました。鼻炎だったり、中耳炎だったり、喘息だったり。そして、その3人のうち1人はアトピーだと言います。ナルホド。私の周りで生まれてくる赤ちゃん達。確かにその数に匹敵する確率で生後1~2ヵ月後から、肌にトラブルが出始めます。そして、さっきの話のように、お母さんの食べ物を改め、なかなか摂取できない栄養は補助食品で補い、いいおっぱいを出して、母子共に便秘をしないようにアドバイスします。一応これが<体作りの大前提>だと思いますから。でも、やはり、2~3ヶ月でいい結果が出る方と、一進一退の方に分かれます。私も結婚し、子供を3人授かり、色々あった中で、少しは成長しました。今は先ほどの<体作りの大前提>に<+α>でお母さんのメンタル面に注意を払います。★日々、子育てと言う密室の中で、どんな風に痒がる子と向き合っているのだろうか?★育児にストレスはつきもの。そのストレスをストレスと認め、上手に発散できているだろうか?★抑圧(我慢を強いる)する人や環境の中に身を置いていないだろうか?こんな感じの質問を会話に織り交ぜながら投げかけて見ると、かなりの確率で、有望なヒントを得られました。<体作りの大前提><+α>の方式で中には「本当にアトピーだったの?」と聞きたくなるぐらい、1ヶ月もかからずにツルツルな肌を取り戻した子もいました。完全ではありませんが、迷路の先が少し見えてきたように感じています。
2004年11月10日
親愛なるruby☆ちゃんが、かねてより計画していた、AYAさんをお招きしての「ユリイカ*カフェ企画第一弾『ツキの天使が舞い降りる秘密のレッスン』」が10月30日に開催されました。私はruby☆ちゃんの閃きと、事の成り行きを最初から見ていたので、半分は自分の企画の様な気持ちで当日をむかえました。ところがスタッフに携わる方々と打ち合わせや会場の準備ををしていて、他のみんなも私と同じようにそれぞれが自分のことのようにこの会を成功させようとしている気持ちを感じました。AYAさんをはじめ、皆さん本当に暖かい方ばかり。なんと鹿児島から今回のセミナーを受けに来た方もいらしてました。きっと、ruby☆ちゃんの人柄が彼女の周りに素敵な人を集めているのでしょうね。私もその中に居させてもらって、スゴク嬉しかったです。前にruby☆ちゃんが、AYAさんの第一印象を『全身で笑っている』と表現されていましたが、AYAさん、本当に笑顔の素敵なかたでした。その笑顔と醸し出す雰囲気は自然体そのもの。気取るでもなく構えるでもなく、日記そのまんまの人をリラックスさせる雰囲気の方です。あー、こんな方にマッサージしてもらったら、確かに効果抜群でしょう。そして、AYAさんによる『ツキ天セミナー』は全員参加のスタイルで進行され、聞きっぱなしではなく、置いてけぼりもなく、とてもいい感じでした。その中で私が一番印象に残った言葉がこれ。【カーナビ人生】カーナビは目的地を入力したら、「次の信号を右に曲がって下さい」などと案内してくれますが、間違って通り越してしまっても「何故、あそこで曲がらなかったのですか?」とか「もう一度戻って下さい。」などとは言いません。再度、違う道を探して、ひたすら目的地のみをナビゲーションしてくれます。人生の中で、失敗したり遠回りする事がある時に、私達人間は感情があるばかりに後悔し、反省します。そして、次のステップにさっさと進めるなら問題はないのですが、何回も振り返り、落ち込み、繰り返し思い返しているうちに、自信喪失して、ヘタするとその場から動けなくなってしまう事もあります。そんな時に【カーナビ人生】なのですね。「あー、まちがっちゃった!」とか「行き過ぎちゃった!」という時にカーナビのようにあえて機械的に「別の進路を探します。」って言っちゃう。過ぎた事をくよくよ悩んでいても仕方がありません。もう時間は戻らないのです。あんな事もこんな事も全て自分の将来が良くなるために起きたんだとさっさと、とっとと、気持ちを切り替えて前に進む。いいですね~。本当にわかりやすい例えです。今までの人生の中で、後悔する事や反省する事たくさんありますが、それも必然でおきた事。何故そんな事になったのか、理解できたらその時点でクリアなのですね。後はそれにとらわれることなく、前に進もうと思いました。ruby☆ちゃんのお陰で今回、AYAさんをはじめ、素敵な方々と出会いました。私にも『ツキの天使ちゃん』が舞い降りて来てくれた事は間違いありません。『ツキの天使ちゃん』を見方につけて、ますます夢に近づ居たような気分です。ruby☆ちゃん、AYAさん、本当にありがとう。そして、会場でご一緒できたちゅらさん会のえむなさん、maromadoさん、初対面のはいさいくじらさん、お会いできて本当に嬉しかったです~♪これからもお互いにキラキラと輝く女性でいられるよう磨き合いましょうね~☆
2004年11月01日
先日、我が子の2歳の誕生日の事を書きましたが、昨日のニュースで見た車から助け出された子も2歳でした。絶望視されていた中に一筋の希望と感動。同年の子を持つだけに、あの状態で助かった事は本当に奇跡だと思います。まる4日間。家の中だとしても、一人ぼっちでは何も出来ないであろう年齢なのに、一体どうやって生きていられたのだろう?お母様は即死だったと言われますが、もしそうだったとしても、我が子を助けるための何らかのサポートをしたのではないかと思えてなりません。想像の域を超える事は出来ませんが、同じ子を持つ母として、考えさせられるものがあります。ただ一人奇跡的に助かった2歳の男の子。「きっと神様が『まだ死んじゃダメだよ』って言ったんだよ。」と、ニュースを見ながらつぶやいた我が娘の言葉もすごく印象的でした。そして、忘れてはいけないのが、TVに映ることもなく、この災害や前回の台風で亡くなられた方々。ひとつひとつの命の後ろには何十、何百人もの悲しむ人がいるはず。想像を絶する災難の最中、命を明日に繋ぐことが出来た方々のこれからの人生が素晴らしいものになりますように。お亡くなりになった方々には御冥福をお祈り申し上げます。そして、被災者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。【むじちんさん とruby☆ちゃんのサイトからワンクリック義援金が出来ます。】一人の1円でも積もれば大きな金額になりますね。
2004年10月28日
じゃじゃーん。今日は21日ですけど、インチキして19日の日付で書いちゃいます。19日は次男まー助の2歳のお誕生日。当日は台風だったので、突然の停電に備えてPCは出来るだけつけない様にしてましたので、お祝い日記が書けませんでしたので。(←言い訳ぢゃ^^;)去年も確か1歳の誕生日日記を書いたのよね。しかもやっぱり2日遅れで。過ぎてからあわてて書くというのは、これもう性格。おほほ。去年は『まーちゃん、おめでとう♪』って感じでしたけど、今年は『まー助』に格上げ(格下げ?)です。あのかわいく天使のようだった我が家の次男。本当に背中には羽が生えているように見えていたのに。今やすっかり本性を発揮し、おもちゃや食い物をお兄ちゃんと奪い合う姿は、たくましいを通り越し、思わずお兄ちゃんの方をかばってしまいたくなるぐらいのやんちゃぶりです。お兄ちゃんが手加減しているのをいいことに、上にのっかかって、髪は引っ張る、頭に噛み付く、武器は使う・・・。とうとうお兄ちゃんは、痛さと反撃できない悔しさで泣き出し、叱ると天井を見上げて、口をへの字に結んで知らん顔。本当に強い、強い。誰に似たのか。まぁ、親以外には似ないのでしょうけど。ふ。-_-;でも、末っ子は本当に可愛い。この子で子育てが最後かと思うと、ちょっぴり寂しいような気もします。(だからぁ~、もう一人。ねっ。ねっ。)←夫(やめてくれぇ~。もう打ち止めぢゃー。)←私私には3人の弟がいますが、子供の頃、3人が家の中でどたばたと暴れて、喧嘩したりふざけていた姿は、ほんとーに「うるさい奴らだ!!」と思っていたけど、今思えば、すごくすごく懐かしい。今、それぞれおっさんになった3人に、「頼むから、あの頃のようにどたばたやって見せてくれ。」と頼んでも、やっちゃくれないし。(実際にやったら家が壊れる。)時間は元には戻せないんですよね。そんな想いがある私は、喧嘩しては泣いたりわめいたりしている息子達を口では叱りつつも、「こうして体当たりで喧嘩が出来るうちが華なんだろうなー」なんて思いながら見ています。我が子は可愛い。とにかく可愛い。子供に囲まれる人生をおくれて、本当に幸せだと思います。そして、子供達からたくさんの事を学べます。未熟な父も母もこうして、どんどん育っていくのかな?神様は本当に上手に、生き物の仕組みを作ってくれたもんだなー。いつか、私達夫婦のもとを飛び立っていく日が来ると思いますが、それまではこの羽の下で安心してすくすくと育ってほしいと願いつつ・・・Happy birthday まー助!お父ちゃん、お母ちゃん、お姉ちゃん、お兄ちゃんのところに生まれて来てくれて、あ・り・が・と・う♪
2004年10月19日
我が家の5歳の息子。朝から探し物しているらしくソファーのクッションを上げたりテーブルの下をのぞいたり。「何探しているの?」と聞いたら、「キコ!」「キコ?キコって何?」「キコよ、キコ!!お母さんキコも知らないの?」と、キレ気味。『・・・キコ?・・きこ?・・kiko?』いくら考えても『キコ』なるものはうちにはない。それで質問を変えてみた。「その『キコ』って何に使うものなの?」「もー!お母さんよ!!電話だよ、電話!!」はっはー。その正体は『子機』でした。これだから、子供はおもしろい。さっそく、お便り帳のネタにしました。^^
2004年10月18日
誕生日にたくさんの暖かいメッセージをどうもありがとうございます。私が楽天で知り合った方々は、本当に暖かい人たちばかり。これも「楽天日記」を教えてくれて、手取り足取りPCの事を教えてくれたruby☆ちゃんのお陰です。彼女がいなかったら、この世界とは出会えなかったでしょう。思い立ったが吉日の私。ひとつでも「?」な事が有ると、すぐに解決したくて、仕事中のruby☆ちゃんに電話で聞いたり、ネットカフェに出向いてもらったりと、本当にお世話になりました。その度にいやな顔ひとつせずに誠心誠意対応してくれた彼女には、本当に感謝しています。私の恩人です。10月4日は私が楽天デビューして、一周年の日でした。楽天でたくさんの方の心の声に触れることができ、自分が持っていない表現の仕方を学ぶ事ができました。また、書くことによって、新しい自分もたくさん発見しました。家族5人の誕生日も日記に残す事ができ、本当にいいことばかり。リンクしてくださっている皆様、書きこみに来て下さる皆様、本当に本当にありがとうです。あまり書かない私ですけど、皆さんの日記とメッセージは、私の毎日の楽しみになっています。細々とですが、続けて行きますので、これからもよろしくおねがい申し上げ奉りまする。^^
2004年10月06日
昨日はわたしが、んん十年まえにこの世に生を受けた日でした。出張で福岡だったので、帰ってきてから記念に日記に残そうと思っていたのに、目が覚めたら、29日に変わっていました。(涙)私をこの世に送り出したくれた、今は亡き母に、そして、しょっちゅう喧嘩している父に感謝の日でした。私は東京の目黒と言うところで生まれました。わけあって、母はシングルマザーだったそうです。今でこそ、シングルマザーなんてかっこいい言葉がありますが、あの頃は「私生児」と言う、これまたすごい表現をされていたようで、時代が時代だっただけに、家族や兄弟からかなり否定をされつつ、生まれさせていただいたようです。だから、わざわざ東京で生み育てかったんだと思います。多感期といわれる頃には、その事がすごく自分の中でコンプレックスになっていて、血の繋がらない父に反発した事もありましが、自分が親になって初めて、あの時代に身寄りのない東京でたった一人で私を産んでくれた母の勇気と深い愛情にやっと気がつき、私と母を自分の家族に選んでくれた父にも今はすごい感謝です。私にも娘と息子が授かりましたが、子育ては楽しい中にもたくさんのジレンマがありますね。時々は「あー、もう、母ちゃんやめたーーーいっ!!」・・・って叫びたくなるときもありますが、やはり自分の子は可愛い。自分の産んだ子だからこそ、いい意味であきらめて頑張ってもいけます。5歳まで他人だった子を、自分の娘として育てていくことは、たくさんの、そして色々な感情を乗り越えないと出来ないんじゃないかな・・・って思います。だから、父には本当に感謝なんです。勝手に「私なんて、本当の子じゃないんだ。」て、悲劇のヒロインになっていた時期もありましたが、思い返してみれば、父に3人の弟達と差別されたことなんて、ただの一度も感じませんでした。今では私の娘を「初孫」と、とても可愛がってくれて、弟の娘と何も変わりなく可愛がってくれています。生み父への思いもないといえば嘘になりますが、やはり私の父はこの父だけです。今では、ふたりも父がいて、色んな感情を味合わせてもらって、本当によかったと思えます。2人のお父さん、そして天国のお母さん、 その両親を支えてくれたたくさんの方々。私に命を授けてくれて本当にありがとう。しっかり、バトンタッチしたよ。今私は本当に幸せだよ。・・・と言う事でHappy birthday to me~♪ でした。^^
2004年09月29日
昔、何かに書いてあった古い情報なのですが・・・。カップルあるいは夫婦の暮らしがうまく行っていると男性は太り、女性はやせるかキープするのだそうです。『幸せ太り』とよく言われるように、男性は幸せな生活が続くと、攻撃ホルモンがなりをひそめ、女性はときめきホルモンが活発になるので、痩せるか現状維持なのだとか・・・。私の『過去』を検証してみると、恋愛に胸ときめかせ、相手の言動に一喜一憂し、電話のベルが鳴るたびに彼じゃないかとドキドキし、仕事も手につかない時期が。特に手入れをしているわけじゃないのに、周りの人から「お肌がきれいになったね」と言われ、髪もツヤツヤ、ダイエットをしているわけでもないのに、体重は毎日減り続けて、ほんの3ヶ月で自分のベストとする体重になり、おしゃれも楽しかったあの日。主人も確かに太り始め、結婚してから1年で10Kgも太りました。最近、良くその話を思い出します。・・・・と言うのも、主人が去年の夏ごろから痩せ始め、ピークの頃と比べると15Kgも減ったからです。それだけなら、「健康的!」なお話でいいのですが、何を隠そうこのわたくしめ、3Kgも・・・いや4Kgも・・いやいや、この際ですから正直に申し上げましょう。8Kgも太っちゃったんです~。ガーン!!(ToT)(日記で嘘の申告してどーする??へへへ^^;)冒頭の話と全く逆パターンな私達夫婦。夫婦関係はどうかと言いますと・・・ん~~~~、確かにときめきホルモンは出てないな。(笑)逆に「この人」と一緒にいる事で安心しきっているのかも。夫婦仲は決して悪くはないですよ。でも、ときめくかって言うとね、「???」って感じ。もう、完璧に身内化しちゃっていますね。先日、主人のスーツを新調しにふたりで出かけました。駐車場でバックしてくる車があったときに、主人が私の腕を掴まえて安全な場所に引っ張ってくれたのですが、あの時、一瞬「ときめきホルモン」が放出されたように感じました。私って安上がりな女でしょ?(笑)少しは体重も減ったかしら?女のときめきって、意外に身近なところにあるのかも・・・。
2004年09月26日
おはよう(^o^)/沖縄は昨夜から大雨です。風も強くて台風みたい。こんな時間に日記を書くなんて、多分初めてかな?6時半ごろ目が覚めたのですが、妙にリアルな夢で起きてもまだドキドキしているので日記に残しておこうと思います。夢ってほら、忘れやすいじゃない?ちょっと縁起でもない夢なんですが、私が死ぬ夢でした。病院のベッドみたいなところで3人の子供達に囲まれていました。3人ともすごく悲しそうな顔をしていて、私も子供達と別れる事をすごく悲しく思っていました。すると、途中から私の顔が19年前に他界した母の顔になりました。あと、細かい部分はもう薄れちゃったけど、すごくリアルで目が覚めてから、母の事を思いました。起きてからも、なんかずーッと夢の中のベッドの上にいます。もしあれが本当だったら。目を閉じて考えてみました。私はあの悲しそうな顔をした子供達に何を言い残すのだろうと。「お母さんは、3人と別れる事がとてもつらい。それはあなた達と会えなくなるからじゃなくて、あなた達がお母さんの事を思い出して、いつも悲しい顔をしそうだから。お母さんからは、きっといつも見えると思うよ。多分、お母さんは死んでもいつもあなた達の傍にいる。だから大丈夫だよ。でも、死んじゃったら、お返事が出来なくなるね。もし、お母さんに何か聞きたい事があったら、いつでも胸の中できいてごらん。もし、お母さんに会いたくなったら、目をつぶってお母さんの顔を思い出してごらん。お母さんは必ず傍にいるから。そして、『あなたがやりたいと思うことをやってごらん。』って、きっと言うよ。道が二つに分かれていても、真剣に考えて選んだら、どちらに行っても最後は必ずOKだよ。お母さんはきっといつでもあなた達の傍にいるよ。風の音になったり、お線香の煙になったり、虫になったり、人の言葉になったりしながら、あなた達を応援するから。そして、いつか又必ず会えるから、楽しい事も辛いことも悲しい事もたくさん、たくさん味わっておいで。」こんな感じの言葉が頭の中にポンポン出てきました。私、まだ一度も死んだ事がないのですが(笑)、何故か今、妙に自信があるのです。大丈夫だよって。そして、母も私達兄弟にこんな気持ちなのかなーって思います。母のお葬式の時、大きなカエルが家の中に入って来ました。初七日の日も、紫の蝶々が舞い込んで来て、家の中をくるくると飛び回っていました。新盆の日、うたた寝していたら、母の声で起こされた事もあります。そして、前にも書きましたが、毎年2回あるお墓参りの時、草を刈り終わる頃に必ず(本当に必ず)蝶々が2匹飛んで来ます。いつも母は近くにいるような気がします。自分が死ぬ時のことって、あんまり考えたことありませんが、実際に考えてみると、「どう生きるか」に繋がって来ました。だって必ず終わるんですものね~。因みに夢の中に最愛の(はずの)夫は不在でした。ごめん。私って母親の顔ばかりしているんだね。妻の顔、恋人の顔も大事にしないといけないね。そーりー、だーりん。みなさんは、臨終の間際に誰に何を言い残しますか?↑なんて、明るく聞くことか?(^^;)
2004年09月11日
18号、沖縄直撃でした。今も返し風が強くて、今日は学校も保育園もお休み。外は台風。家の中も子供達が台風。たすけてくれー。(T_T)18号は戦後最大の台風だそうで、風も雨も半端じゃありません。よくもこんなに降るもんだと思うぐらい、昨日からザーザー降っています。突風もすごくて、台所のアルミ雨戸が風で飛ばされてしまいました。・・・でもね、変な話、ちょっとホッとしている自分がいるのも確かです。と言うのも、私が子供の頃、沖縄は台風銀座と呼ばれていて、毎年夏は3つ、4つと台風に当るのは当たり前でした。それが、いつの頃からか・・・多分ここ14~5年ぐらいだと思いますが、台風は沖縄を避けていく事が多くなって来ました。その度に肩透かしにあったような気分に。あくまでも私個人の感覚ですけどね。でも、沖縄の人って、多かれ少なかれ、そんな感覚をもっているんじゃないかなーって思います。台風が来ない=異常気象 みたいな・・・。だから、今回みたいにまともに当ると、停電に悩まされながらも心のどこかでホッとしている・・・んじゃないかなー?昨日も書いたように畑をしている方にとっては迷惑な台風ですが、雨が降らずに水不足で断水騒ぎになるのも深刻な問題。その点、今回みたいに沢山の雨を連れてきてくれる台風はありがたい自然の恵みとも言えます。台風も必要でおきている訳だし、自然はうまく出来ていますね。ただ、夫が夕食のとんかつを揚げている最中に停電したのにはびっくりでした。コンロの火以外真っ暗闇であわてた、あわてた。(汗)電気は切れてもすぐ繋がってくれたのですが、今度はトイレットペーパーが切れちゃって、あせりまくりました。しかもトイレの中で。(滝汗)何事も備えは万全にしておきゃなきゃいけませんね。
2004年09月06日
今日は朝からちょっと風が強いなーという程度なんですが、天気予報によると、台風18号が近づいているらしいです。今年は台風が団子のように繋がって近づいてくるなー。沖縄は台風なれしているし、建物もちょっとやそっとの風ではびくともしないけど、先島や本土に行くと大変ですね。先日の台風でもリンク先のむじちんさんの地域は大変な被害があったそうで、心からお見舞い申し上げます。私も子供の頃から何回も台風を経験してますけど、バスが止まると学校や仕事が休みになるので、不謹慎ながらちょっと嬉しい気分でもありました。と、言うのも、うちは両親が働いていたので、父は休めなくても、母は家にいてくれたので、停電してもろうそくの灯りで本を読んでもらったりなんかして、それはそれで楽しい思い出がたくさんあるのです。でも、それが北上して本土の方に行ったり、台湾の方に行ったりして、ニュースで被害の様子を見ると、自然災害の恐ろしさを思い知ります。死者や行方不明者がでることなんて、沖縄では滅多にありません。本当にお気の毒な事です。10年ほど前に、友人に誘われて、宇宙人と交信できる方の講演会に行った事があります。(ちょっと怪しかったけど^^;)2時間ほど話を聞いた後、質疑応答の時間になりました。何人かの人が、宇宙人やUFOについて質問していましたが、前列で熱心に聴いていた70代ぐらいのおじいさんが手を揚げ、「あの~、その宇宙人さんに今度会うときにお願いして欲しいのですが、沖縄には台風を来させないようにして下さい。台風が来るたびにうーじ(サトウキビ)がダメになって大変なんですよ。」と、真剣な顔で言いました。場内はもちろん爆笑。講演者の方もちょっと困った顔で笑っていました。でも、農家の方にとっては本当に笑い事じゃないんですよね。何ヶ月もかけた収入源が一瞬で消えてしまうんですものね。私もちょっと嬉しい日だったなんて、不謹慎でした。18号が暴れないように祈っております。
2004年09月04日
どうやらうちの長男5歳が恋をしているようです。お相手は、長女10歳の仲のいいお友達Rちゃん。ここ2ヶ月前ぐらいから、毎朝、登校前に娘を誘いに来てくれてたのですが、美人でニコニコちゃん。私も「可愛い子だなー。」と会うたびに思っていたのですが、先日、娘がキャンプに誘ってもらったことから、親同士も顔をあわせ、その後、ぐっと仲良くなったふたりは、「もっと一緒にいたいから!!」と、Rちゃんがうちにお泊り。4歳年下の妹が一人のRちゃんにとって、男兄弟は可愛いらしく、長男、次男1歳ともとても仲良く遊んでくれて、かいがいしく面倒を見てくれました。その優しさに惚れたのか、ここ2~3日は朝もおねえちゃんよりも早起きして、「R姉ちゃん、今日も来るかなー」とドアのチャイムがなるのを、待っているのです。7時40分ごろ、『ピンポ~~ン♪』とチャイムが鳴ると、すっ飛んで行って、満面の笑顔で「おはよ~~!!」。しっぽがあったら、振りすぎてちぎれているんじゃないかと思うぐらい分かりやすい・・・。そして、8時に登校するふたりを学校の校門まで見送って帰ってきます。「お母さん、誰にも言わないでよ。R姉ちゃんが来ると、こっちらへんがドキドキする。」と胸を押さえていいまちた。^^;先日は彼女の忘れていったキティちゃんの小物を、「明日、俺がわたしてあげるから!」と寝るときも胸に抱いていまちた。電話が鳴ると、これまたすっとんでいって、受話器をとり、「もしもし~♪」相手が期待通りの人物じゃないと分かると、声のトーンが下がりまちゅ。主人と似て、男気の強い長男。絶対にばれるのはいやなようですが、誰が見ても、分かりますって。さて、年上の女性への恋。今後どうなります事やら・・・。 ←オイオイ、こんなんじゃ無理だろう。(^^;)
2004年08月27日
御存知の通り、沖縄は旧盆です。(旧暦の7月13・14・15日)そして、旧暦の7月7日は旧の七夕で、ほとんどの家が一斉にお墓掃除をし、御先祖様と気持ちよくお盆を迎える準備をします。うちの主人の実家のお墓は車で15分以内の場所にあり、良く整備をされた墓地なので、お墓掃除と言っても周辺の雑草を引き抜き、ほうきで掃き清めたら、後はお菓子や果物・お花をお供えして、お線香をあげて終わります。が、しかし、私の実家は違います。高速道路まで10分、高速道路を20分ひた走り、降りてさらに30分。たどり着くまでに軽く1時間はかかります。そして、母が眠るお墓は、父方の先祖代々が入っている亀甲墓で、出来てから、60年とも70年とも言われている沖縄古来の石積みのお墓。小さな家一件分ぐらいのお墓で、敷地も結構大きいです。ただ、古くて、石積みで、周りが草むらになったいるので、主人の実家のお墓のようにカマで草を刈るどころじゃありません。毎年、草刈機で真夏の炎天下のもと、主人が汗だくになって草を刈ってくれます。「お前の先祖様やお母さんが喜んでくれるから、いいんだよ。」と言ってくれ、子供達には「おばあちゃんに『来たよー!』って挨拶しておいで。」と主人でさえも会った事がない、私の母を子供達に意識付けてくれます。今年は色々わけあって、うちの家族以外は誰も行けないということが前もって分かっていたのですが、主人に対する申し訳なさから、ついつい愚痴がでてしまいました。「先祖事はちゃんとやる人に徳があるんだから、いいじゃないか。」とは言ってくれるのですが、私からすれば、みんなの御先祖なのに・・・と言う気持ちがどうしてもぬぐえないまま、七夕の当日を迎えました。色々準備して、太陽が真上だと主人がきついと思い、午後から出発。帰りは近くの川で子供達と水遊びをする時間も計算して、まぁ、大変と言っても、草刈機もあるし、1時間半もあれば終われるなぁと思っていたのですが・・・!現地にて草刈機がストライキ。持っていく前にはちゃんとエンジンはかかったのに。いくらやってもかかりません。いやいや・・バチが当っちゃいましたわ。トホホホホ。(-_-;)仕方なく、2本のカマで草刈をしたのですが、とてもとても二人では全部は無理で、大事な場所だけを1時間ほどかけて刈りました。子供達も刈った草を運ぶのを手伝ってくれて、お線香をつける頃には2匹の青い蝶々が来てくれました。毎年、4月とこの七夕のお墓参りに来ると、草刈が終わる頃になると必ずどこからともなく2匹飛んで来て、クルクルとじゃれ合うように舞い踊ってくれます。「今年も又来てくれたね。きっと御先祖様が『ありがとう』って言ってくれているんだね。」が、みんなのいつもの会話です。草刈機が故障したあたりから、自らの言動を反省し、後悔していただけに、例年のように来てくれた時には、許してもらったような気持ちになりました。なんだかんだ言っても、お墓参りの帰り道はみんな良い顔をしています。清々しい気持ちで、ちょっと風が冷たく感じる川の水で遊び、帰路につきました。どうせ、やるなら気持ちよく・・・・。超・反省。^^;
2004年08月24日
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