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春の 実りで えんどう豆が こんなに綺麗に実ったそうです。 春の 恵 えんどう豆が こんなに綺麗に実ったそうです。 春の 恵
2009年04月29日
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定額給付金って。。。ゴールデンウィーク前に、ほしいですよね?・・・><私の県は振込みでいただけるみたいですが。。。手続きはしたものの。まだ入金がありません。。先月も今月も、BBにログイン少ないし。。。金銭面でも非常に!!ピンチです。ガスもそろそろ止まるかな。。仕方ない、ガスコンロ使えば何とかなるかな^^;と、一人ぼやきでした。さ、今日から早い人はゴールデンウィークのようですが、私は仕事です。がんばろう。。。。
2009年04月29日
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今日は仕事上で、ものすごく口の悪い営業マンから「お前がやればいいんじゃいいよろうが!!ボケ」と、お前呼ばわりされました。お前って・・・イラッとしました。私が引き起こしたクレームではなく。明らかにその営業マンのほうに非があるクレームでしたが、こちら側はあくまでも、冷静に普通に話していたところこのような、暴言をはかれると!とても不愉快で、イラッとします。売り言葉に、買い言葉はしない 性格なので この営業マンは、子供か?!と思っただけど、言いかえしはしませんでした^^;その代わり、なんか帰り着くまで イライラ気分は収まらず、今日は車をしかめっ面して飛ばして帰ってきました。ま^^;危ない行為だとわかってはいるものの。。。ストレスがたまってそれを解消するはけ口がないので、どうしていいやらわからないときアクセルを強く踏んでしまう私なのです。。。帰り着いて、甘いものを食べたら少し^^;おちつきました^^; 自分が自分の域をこえて、イライラをぶつけるすべがあるならこぶしから血が出ても痛いとおもわず、なにかを殴りたおしていたそんな1日でしたw
2009年04月27日
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質問していました~木は宮崎の 橘通り(タチバナドオリ)入り口に植えてある木で その名も 橘の木(タチバナのキ)だそうです^^その実は ミカン科らしいですが、すっぱいそうで。。。^^;ネットで探したら^^不老長寿の実とありました。↓ 京都市左京区の平安神宮では、立冬の日恒例の「右近の橘」の実の摘み取りが始まりました。午後1時、右近の橘の前では、来年の豊作を願って、摘み取った実を種として、木の根元に返したあと、庭師が、橘の実をひとつひとつていねいに摘み取り、神職が持つ皿の中に入れていきました。不老長寿の妙薬との言い伝えがある橘の実は、香りが強いのが特徴で、平安神宮では10年前から、無病息災と長寿を願い、菓子や酒に加工して、参拝者に授与しています。ことしの橘は、例年と比べ、豊作で、100キロほどが収穫される予定です。 けど、不思議なのは。。。立冬の恒例行事とありますが。。。 なんで 宮崎の 橘通り入り口のは。。。今時期に実をならしたのかな。。。??? 謎です。 みかんの歴史でも出てきてました。◆みかんの歴史--------------------------------------------------------------------------------約1200年前みかんが日本の歴史に初めて登場するのは、およそ1200年前のこと。古事記と日本書紀にこのような記述があります。「天皇の命を受けた使者が不老長寿の果物として、中国から持ち帰ったのが橘」これが現在のみかんの木の原型だと思われます。江戸時代前期中国渡来のみかんの木から、突然変異によって、日本独自の種無しみかんが誕生しました。中後の有名な産地にあやかりたいと、そのみかんにつけられた名前は「温州みかん」といいます。明治時代温州みかんは、明治時代に一般的に栽培されるようになるや、その味わいが高く評価され、それまで日本の柑橘類の代表品種だった紀州みかんに取って変わり、主役の座につきました。現在現在日本には、静岡みかん、熊本みかん、愛媛みかんなどさまざまなみかんがありますが、実はこれらはみな同じ温州みかんです。======================================================================
2009年04月24日
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朝、仕事に通勤の途中、宮崎市役所前で信号待ちしていたらふと、横を見ると~とっても!気になる果実を発見これって。。。なんだろう?気になる木なので、携帯カメラで パシャリ 小さいミカンかな・・?それとも、金柑かな。。。 ナンダと思います?これ。。。 国道ど真ん中に生息してるw木でした~。
2009年04月23日
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宮崎は、夜桜の時期も過ぎ^^次は夜ツツジの時期となりました。自宅の前には綺麗なツツジが咲き誇り始め、昨晩思わずパシャリ☆あまり。。映りは綺麗ではないものの。。。実際はすごく綺麗にさいています。 *夜のツツジ *お昼のツツジはこれです^^☆ 辺り一面にいい香りもします。
2009年04月18日
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http://www.kahlua-net.com/0903cp/index.htmlカルーアミルクって☆飲みやすいお酒ですよね。^^今夜かってきてみよっかな。 柴田淳さんの、「メロディー♪」を聞きながら飲むと、いい感じで酔えそう~☆ http://www.barks.jp/listen/?id=1000022268
2009年04月17日
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ここのところ、実際おじいちゃん病院へいってないから、仕事向かうときにすれ違う救急車をみると、ひやっとします。。。急変したり、ご飯をたべなくて栄養失調で倒れたりしたんじゃないかな?とふと頭をよぎるので。。。最近は、救急車が怖いです。
2009年04月15日
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ステキな春がやってきて、宮崎は、フラワーフェスタ開催中なのですよ~♪綺麗な花が咲き誇っています。ただ。。天気がいい日はよいのですが、日差しが強すぎてあるいているうちにバテバテになりましたwお花は、と^~^っても、綺麗でした。
2009年04月13日
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疑われた。。そして、信じてもらえ無かった。。 かなしかった。おじいちゃんのお見舞いにと、おととい病院へいってみた。またも。。豹変していたおじいちゃん。入り口で看護婦さんにどうですか?ときいいたら、「はい、今ご飯を食べています^^といった。」「そ~ですか^^よかったです。教えていただき、ありがとうございました。」と安心して、病室へ行きました。後姿ながら、 ご飯をパクパクと食べていた姿がそこには ありました。 そ~っと、病室へ入り 「じーちゃん、来たよ~^^」と言うと、私の声に驚いてご飯を食べる手を止めてしまいました。「たべれんちゃど、ご飯(米)は食べんちゃど、 少しだけしか食べれないちゃど。。」と、訴えました。 「いいがね~、少しだけでもホラ^^おかずは全部 食べきってるがね^^よかった。」私はそう言いました。「下げんといかんじゃろが、食べたもんを!」と言うので、 「うん^^そうだね、じーちゃん持っていこうか?」というと、ムシでした。そして、突然「ワラ!!(お前)は、ばーさんに電話したつか?なんも、かわりはねちゃろかい?」と言って来たので、「ごめんね、あたしも仕事してるから、疲れてそんゲ毎日は、電話できないとよね^^ 気になるなら、自分で電話してみるといいとやない?じーちゃん。電話番号も、大きく白紙に書いてるし、テレホンカードも2枚おいてあるでしょう^^ね。おじーちゃん、一人でいけないのなら^w^一緒についていってあげるよ。どう?いく?」「いか~ん、おれはいかんど、何ごつ(どうして)電話せんといかんか!」「そうねぇ~^^それなら、私が聞いてきちゃるかい?気になることを聞くから、 いいたい事あるなら教えて。 それと、病院は携帯使えないから、おじいちゃんのテレホンカード貸してね。」 横にある収納棚をガサゴソするおじーちゃん。「わら、電話番号はわかるつかよ?!」と一言。おじいちゃんは、自分の手にした 握り締めたテレホンカードを渡してくれませんでした。「わかる、○○○○ー○○ー○○○○」でしょう? みくびらんで~じ~ちゃん、そんくらい、小さい頃から何度もかけてる番号は わかるから^^」やっとの思いで説得し、テレホンカードを借りることができました。それから、祖母に電話で、今まであった地元の集まりとか、家の様子とかを聞きました。「今日は、公民館で、お花見がありました。サクラが立派なーかったです。ご馳走もいい加減でました。あなたは、ご飯を食べて、しっかり薬をのんで^^そして、元気になって、ください。ネコも犬もニワトリも元気です!!家んことは 私がしっかり、みていますから、看護婦さんの言うことを聞いて、ご飯もたべて、お薬も飲んで、白内障の手術の後もらっていた目薬も差して元気になることだけを、考えてくださいな。と 伝えてくださ~い^^。」 それが祖母からのメッセージ、言えばラブレターでした。「分かった!^^ありがとう、ばーちゃん」そういうと、私は、言われた事を ^v^スマイルのイラストと共に書きとめたメモを握り締め 祖父の病室へ戻りました。「おじーちゃん、バーちゃんがね」{今日は公民館でお花見がありました。。。}と、聞いたことをしっかり最後までつたえた私。 ^w^喜ぶかな。。安心できるかな。。 と期待をして、おじいちゃんに話して聞かせました。ところが・・・その気持ちもむなしく、伝わらず。。逆に ショックなことを言われた私。 祖父は、充血した真っ赤に血走った目で「おまえは、いい加減なこというな~!!」「うっそごつ つくな~」(嘘をつくな!)「かーちゃん(お前のお母さん)が、そげ、言ったちゃろが~どうせ。」「うっそごつ つくな~」「おれを、騙そうとおもち、嘘ごつ つくな。」と にらんで きたのです。 「え!。。O o O。。。。?」ショックでした。。。。。。正直に紙に書いたことを伝えてみたのに。。嘘は、あたし、祖父に対しては特に、小さい頃から、1回もついた事、なかった。こんな会話で、にまられ、すごい剣幕で怒り、疑われたことは今回が初めてでした。 相当なダメージ。。そしてショック・・・・で、泣けてきました。 何度も何度も「ホントなんだよね。。おじいちゃん、あたし信じさせるために紙に書いたとよ。 小さい頃からじいーちゃんに対して、1度でも嘘なんてついたことないがね。。 信じてくれないと?じーちゃん。。。」 と、悔し涙と悲しさで 涙を流したままで、語り掛けました。それでも、病気のじーちゃんは 聞く耳ももたない態度で目をつぶり 眉間にシワを寄せてイライラするのか、腕組みをしたまま、真っ赤な顔でベットに横になってしまいました。 はっ。。。涙・・・ため息・・・落胆。。。私は、おばあーちゃんの言葉を書いた手紙を祖父に渡しました。「いらんが、なんぼ言うてん、駄目やっちゃど、じーちゃんは、駄目」そういう言葉の返事しかできないけど、それでも、「おじいちゃんは私の言葉を聞くこともいなんでしょう?孫として、小さい頃は優しく接してくれて話も聞いてくれたのに、今は、大人になったから、私はじーちゃにとって、ただのけむたい存在なんやね。。。言葉も、聴きたくないんやったら。。もう私はなんも言わん。ただ、コレだけはホントの話で、それを証拠として、紙に書いただけで、渡すから。。好きにしないよ。じーちゃん。。。。」と、言って、手に握らせました。それから。私は落胆したまま、じーちゃんのベットの横でイスに腰掛けジーッと見ていました。何も言わずに、時間が流れると、元気だったころのじーちゃんの姿が脳裏によぎり、(どうして。。こうなったのだろう。。じーちゃん。。。)と思う気持ちと、悔しさで涙がとまりませんでした。 じーちゃんは、紙を目のすぐ近くに持って行き、一人。。その紙をじーっとみて ブツブツ 言いながら呼んでいました。「じーちゃん。。?読んでくれちょっと?信じてくれてないかもだけど、 それ ばーちゃんからの 言葉だから。」言葉足らずかもしれないけど、そう伝えた私。その後少したってからでしょうか?「いらんが、おれにはいらん」と紙を突き返してきたのです。 また、ショックでした。。。けど、私も変なイジというか、悔しさもアリで、「わかったそのメモは受け取るけど、持ち帰りは せんからね!」と、おじいちゃんのテーブルの端に置きました。それからは、「お前は、もう帰らんか。。帰らんか、じーちゃんは駄目やど、なんぼおってん、駄目やど。」という言葉を繰り返すので、「わかった、それなら!帰るからね。」と、半分イラっとして、もう~知らん!もう~お見舞いはこん!と思う気持ちと、悲しい気持ちのままで 病院を後にしました。 その後3日間は病院へ行っていません。その間、いろいろなことを考えましたが、日々は過ぎてゆきます。 もう、治る見込みは半分になり、あきらめも、半分になりました。おじいちゃんが変わらない態度なら、それは治せない精神病。 難しい病気です。最近は、なんかもう、開き直りでおじいちゃんに対する気持ちはあきらめに変わったことがアタシの心では、大半を閉めている。そんな現状です。
2009年04月09日
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今日は、残業をせず、仕事をさっさとかたずけて、祖父の病院へとおもい、車を走らせた。途中、ふと!思いつき、本屋さんへ立ち寄ってみた。。祖父は、老人性うつで自殺願望があるため、大きな病院へ入院している。けど、昨日病院へ行ったときは、元気にいてくれた。それだから!今日も元気にいてくれるのなら!と思って、思い当たる本を探してもって行こうと思った。「うつ をなおそうと持ってる人へ」という本が、目に留まった。それと、元気になる為の生きる糧をつかむきっかけになればと思う、「公募ガイド」の雑誌が目に留まった。おじいちゃん、デジタルカメラを息子の伯父からもらっていて、元気なときは自宅のネコを写していたから。それを、コンテストにだしてみたら^^と思うから希望をもてるようにと考えた雑誌の購入。2冊。それをもって、一人、大きな某病院の 精神科へ。施錠のある入り口の近くのコインロッカーへ荷物をあずけ、看護婦さんへたのんで、あけてもらい、「じいちゃん^^っきたよ」て、言ってニコニコしながら入ってみた。はいって、目に入ってきた 景色、おどろいた。昨日のおじいちゃんとはまったく違う姿で、震えながらうずくまるじいちゃんがベットに横たわっていた。親戚のおじさん(息子)が面会に来ていたので、「どうしたと?じいちゃん昨日と違うけど」と聞いてみた。「朝、お昼、は御飯も食べたらしいけど、夕方から、こうなったらしぞ」おじさんはそういう。「じーちゃん、どうしたと?寒いと?震えてるけど・・」と声をかけた私。「さむくも、なんともねー、じーちゃんはもう、駄目だ駄目やちゃど。。」聞いても、返ってくる言葉はそれだけだった。身をちじめ、両手を顔の前にもってきて顔を隠す、時々歯軋りをして悔しがり、変な震え方をしていた、小さくなったおじいちゃん。元気な頃は、がんこじじ~で安岡力也さんみたいで、たくましいおじいちゃんだった。けど、子供にはとてもやさしかった。おばあちゃんと、よくケンカをしていて、九州男児そのものの、焼酎ずきな元気で強いおじいちゃん。それが、今日は別人のように、小さくなって震えていた。私が、ちさい頃から大好きだったおじいちゃん。かわいがてくれて、大人になった私が、仕事でつらくて泣いて電話してしまったときも、「がんばらないかんど!」と、励ましてくれてたおじいいちゃん。どこにいったのだろう。。。悲しかった。私の、父親と、母親が結婚しようとした時、親子の縁を切るとまでいいながら猛反対して認めなかったおじいちゃん。私が初孫で生まれてから、その結婚を許しその日以来、人格ががらりと変わり、柔らかく柔軟になったこと、小学生の頃に聞かされた。その私はもう今では大人、そして、私の兄弟も、従弟も皆今年で巣立ち社会人となった。それから、生きる糧をなくしたかのように少しずつ、変化していたおじいちゃん。子供であった時代に、救えたおじいちゃんの心は、大人になったわたしでは救えないのかな。。おじいちゃんの心に光をさせないのかな。。。と思うとくやしくて、病院で横に居て、涙が出た。仕事終わってからいったから、面会時間はすぎるのは早かった。「だめやど、いくらおまえがそこにおっても、駄目やど、じいいちゃんは。。かえらんか。かえらんか。」おじいちゃんは、時間がせまるにつれてそういう。「帰らん!じいちゃんと、いる、じいちゃんのそばに居る。かえらん!!」そのやり取りを、10回以上した。私はいくら拒否されても、そのぶん少しでも会話ができてること、そして、今生きてるおじいちゃんの横に居ることが今出来る精一杯だとおもって、そしてそれが自分でもうれしくて、帰らずに居た。「じーちゃん、元気になったら、昔教えてくれてた夫婦酒、8トラでおしえてくれた 演歌をまた、一緒に唄おう!!ね^^おじーちゃん。」「だめやど、うたわんど、じーちゃんはだめやから。」「だめじゃなくて、いい にするとよ、じーちゃん。ねっ。歌おうね。」「だめやが、なんもせん。」そんな、会話を繰り返した。時間は無常にも過ぎ、きづけは8時05分を過ぎていた。おじいちゃんは、「かえれ、かえらんか!じーちゃんは駄目やど、駄目やど」コレばかり言う「わかった。今日は帰る、けど、明日またくるからね、朝ごはんちゃんと、たべててね それだけは、約束してね。おじいちゃん。」といった私。「ごはんは、だべん、だめやど、たべんちゃど。。だめやが、帰れかえらんか」 とおじいちゃん、それが、返りの挨拶だった。後ろ髪惹かれる思いで、病院を後にした。治るのか治る見込みはあるのかな。不安に思う。自殺さえ、しなければいい。。。生きててほしいです。強くいきて。。。まだ、ホントは体元気だから、生きててほしいです。おじいちゃん。願いがかなうなら、それを願いたい今日の心境でした。
2009年04月04日
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綺麗に咲いていました。^^宮崎は天ヶ城(アマガジョウ)の桜です☆^~^☆ 殿さま目線で写した、お城から見下ろす桜の、桜城下町です。
2009年04月01日
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