1
加川良さんが昨日(5日9時39分)亡くなりました。 69歳…早すぎます…残念です。 急性骨髄性白血病とのこと……ご冥福をお祈り申し上げます。 (加川良・オフィシャル・ホームページからお借りしました) デビューアルバム 教訓 1971年 URCレコードの出版会社=アート音楽出版に勤めるも、URCに席を置いていた高田渡、岡林信康、高石ともや等の影響でフォークソングを唄い始め、1970年の中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加、人気が出て1971年にこのアルバムでデビューを飾った。 46年も前のアルバムを引っ張り出してみた…… ジャケット裏に「頑張った人」として記されたミュージシャンの名前……あがた森魚・池田光夫・石田順二・石塚幸一・岩井宏・宇佐美じゅんこ・及川幸一・大滝詠一・加川良(ちゃっかり自分の名前も)・川仁忍・河村要助・神成芳彦・木下正己・栗原明美・後藤恵美子・斉藤哲夫・鈴木慶一・鈴木茂・高田渡・田野井利博・田野井弓子・早川義夫・広瀬重治・星由美子・細野晴臣・松本隆・水乃恵・村上律(あいうえお順)「はっぴいえんど」も全員(4人)名前があるが、URC総出で個性を越えての駆けつけ応援を改めて再確認した。1971年は中津川に行ったし、夏の高校野球も甲子園に行った、映画 栄光のル・マンも見たことは覚えていたが、教訓が発表されたのも71年ということは忘れていた。 2ndアルバム 親愛なるQに捧ぐ 1972年「偶成」の詞は浜田龍郎、「こがらし・えれじぃ」は原詞 福田善之で、補作と曲は西岡たかし……「鎮静剤」は原詞 ローランサン、訳詞 堀口大学に加川良が曲を書いた……勿論自身作の表題曲「親愛なるQに捧ぐ」も素晴らしいが、収録されている全てが彼を物語っているようで一番好きなアルバムだ。(多くの人はアウト・オブ・マインドを名作というが…) 本アルバムにも「はっぴいえんど」は参加しているが、中川イサトがやっと登場した。イサト氏のアコースティック・ギターはやっぱり良い。 私が加川良を好む理由の一つは彼の声だ(勿論 彼の人生を紡いだたくさんの詞も曲も好きだ)。本アルバムに収録された「下宿屋」は詞曲ともに彼の作だが、間に僅かにはさまれる唄を除いて彼の台詞(セリフ)……西岡たかし氏の台詞「めし屋」も良いが、加川良の台詞にはかなわない。高田渡の下宿に招かれての詞だが、傑作と私は思う。 「下宿屋」 詞 曲 加川良 京都の秋の夕ぐれは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋は いつもふるえていました 僕は だれかの笑い顔がみられることより うつむきかげんの 彼を見つけたかったんです ひもじい気持ちも あまりに寒いせいか 感じなかったようです ただ たたみの上で 寝ころびたかったんです やさしすぎる 話のうますぎる 彼らの中にいるより うすぎたないカーテンのむこうの 裸電球の下に すわりたかったんです 彼はいつも誰かと そして なにかを 待っていた様子で ガラス戸がふるえるだけでも 「ハイ」って答えてました そのハギレのいい言葉は あの部屋の中に いつまでも残っていたし 暗やみで なにかを待ちつづけていた姿に 彼の唄を見たんです 湯のみ茶碗に お湯をいっぱい いれてくれて 「そこの角砂糖でもかじったら」って 言ってくれました その時「ありがとう」と答えてうつむいたのは 胸が痛み出したことと 僕自身の後ろめたさと…… かわききったギターの音が 彼の生活で そして 湿気の中に ただ1つ ラーメンのこうばしさが 唄ってたみたいです ブショウヒゲの中から ため息が少しきこえたんですが 僕にはそれが唄のように 聞こえたんです(※歌) 一杯のみ屋を 出てゆくあんたに むなしい気持が わかるなら 汚れた手のひら 返してみたって 仕方ないことさ あせって走ることはないよ 待ちつかれて みることさ ため息ついても 聞こえはしないよ それが 唄なんだ 僕が歩こうとする道には いつも 彼の影が 映ってたみたいです 小さな影でしたが 誰だってその中に入りこめたんです それから 彼の父親が 酔いどれ詩人だったことを知り 今 僕が こうしているから 彼こそ 本当の詩人なんだと 言いきれるんです 新しいお湯が シュンシュンなった時 ラーメンをつくってくれて そして ウッディや ジャックを 聞かしてくれたんです それから 僕が 岩井さんや シバ君と会えたのも すべて この部屋だったし すべて 僕には 唄だったんです なにがいいとか 悪いとか そんなことじゃないんです たぶん僕は 死ぬまで彼に なりきれないでしょうから ただ そのはがゆさの中で 僕は信じるんです 唄わないことが 一番いいんだと 言える彼を(※歌) 4thアルバム アウト・オブ・マインド 1974年 1973年には中川イサトとのライヴアルバム3rd「やぁ」を出し、4枚目となったのが「アウト・オブ・マインド」……ベルウッドレコードに移籍したからではないだろが、場数を踏んだだけ加川良を確立したようなアルバム。イサト氏を筆頭に、高田渡、中川五郎、長野たかし、金森幸介らも参加……鈴木茂氏だけは継続参加で立派。 余談であるが、本アルバムのレコーディング中に、中川イサト氏のご母堂様が他界される。そして、その悲しい知らせの数時間後にイサト氏夫人はご長女を出産された。 中川イサト 鼻唄とお月さん 1976年 1975年12月29日 神戸三宮のライブハウスで行われた、中川イサトのコンサート・ライブアルバム「鼻唄とお月さん」。大塚まさじ、西岡恭蔵、金森幸介、いとうたかお、シバらと共に加川良も登場。加川良が歌う「あふたぁぬうん」「あの娘に乾杯」やノビノビしながらも「北風によせて」は素晴らしい。 ちなみに「シバ」とは、「下宿屋」にも登場したシバ君で、高田渡と武蔵野タンポポ団を結成した。フォークというよりはブルースという印象が残っている。下宿屋のもう一人の登場人物・岩井さんはバンジョー弾きで、高田渡はもとより岡林信康、高石ともや、中川五郎…多くの人のサポートをしていた。そんな岩井さんも、もうお墓の中でした。天国でも加川良のサポートをしてください。 十月は黄昏の国 1975年 1975年6月に東京キッドブラザーズのミュージカル「十月は黄昏の国」が上演された。柴田恭平と坪田直子のデビュー舞台に、加川良が書き下ろした歌唱曲が収録されている。加川良の憂いと優しさとがあふれた傑作といっても良いだろう。 本アルバムでも加川節・台詞を聞かせてくれる。「下宿屋」を彷彿とさせる「テーマ:愛は雨に」の台詞には最大級の賛辞を送りたい。 「テーマ:愛は雨に」 作詞 東 由多加/台詞 加川良 (作曲 小椋佳) 秋になれば ぼくは幸福(しあわせ)になれるだろうか ぼくはコーヒー豆を挽きながら考える 十月になれば 君と結婚できるだろうかと 夏はあまりにも まぶしく輝いている そう 秋になれば ぼくの手製のグライダーが 小さな夢を海の向こうまで はこんでくれるにちがいない 涙ぐみながらぼくは やはりちっぽけな希望を 捨てきれないのだと思う 自由や愛などが ぼくの心の中で蛍のように光っている 十月は黄昏の国 そこでぼくは幸福になれるだろうか だけど ぼくの愛は いつも雨に打たれていたようだ 雨に濡れて過ぎゆく青春に立ちすくむとき ぼくは もう一つの時の中の 愛を思っているのだ この時代では幸福に満ちたすべてのものが 黄昏てゆくような気がする 恋よ 友情よ さようならを言うには 夕日があまりにもまぶしく 光をはなっている 加川良の作詞ではないものを何故 書いてみたのか……レコードジャケットにはさまれた紙には、この詞だけ載っていなかったからだ。しかたなくRolamdで聴きながら書き起こしたので、漢字の使い方は間違っていると思う。ちゃんとタンノイで鳴らしてやれば、小椋佳の邪魔にならない曲と共にもっと心に重く響く加川良の台詞が聴こえるはずだ。最後にどうしても…1stアルバム「教訓」より 「教訓Ⅰ」 詞曲 加川良 命はひとつ 人生は1回 だから 命を すてないようにネ あわてると つい フラフラと 御国のためなのと 言われるとネ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 御国は俺達 死んだとて ずっと後まで 残りますヨネ 失礼しましたで 終わるだけ 命の スペアは ありませんヨ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 命をすてて 男のなれと 言われた時には ふるえましょうヨネ そうよ 私しゃ 女で結構 女のくさったので かまいませんよ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 死んで神様と 言われるよりも 生きてバカだと 言われましょうヨネ きれいごと ならべられた時も この命を すてないようにネ 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい 46年前に加川良が訴えたかったことは現在では多少違うのかもしれない。しかしながら、2011年福島第一原発事故で安全神話崩壊……2014年安倍内閣が憲法解釈を変更して集団的自衛権を閣議決定……2015年世界中どこでも武器等後方支援を可能とする安保法制国会成立……2016年南スーダンのPKO部隊に駆けつけ警護を付与……2016~2017年「戦闘」を「衝突」とねじ曲げ、日報は廃棄したと隠蔽工作、「隊員のリスクも高まることはない」と他人事の政府……「歌うたんびに新曲だと思えるんです…」と加川良……まさにそのとおり。 加川良が闘病中に出てきた稲田防衛相の発言「教育勅語の核の部分は取り戻すべき…」にしてもしかり。身内をかばうために松野文科相は「教材、配慮あれば問題ない」…「配慮が適切かどうかの判断は(都道府県などの)所轄庁が判断するものだ」と火の粉がかぶらない対応。 森友問題も焦点をすり替え、調べようとしないのは身内をかばうためとしか思えない。福島原発事故の避難者に対して「(帰れないのは)本人の責任 (不服なら)裁判でもなんでもやればいい」と昨日言い放った今村復興相の言動を見れば一目瞭然で、御国側の人間は庶民が苦しもうが死のうがお構いなしの姿勢。暴言を吐いても、まさに「失礼しましたで 終わるだけ」だ。 好き勝手にやり放題、身内をかばい国民目線を持たない政権与党にしっかり聴いてもらいたい。 加川良さん、天国の先輩方と音楽を楽しんでください…私はまだまだこの世で貴殿の唄を聴いていますから…
2017.04.06
閲覧総数 722
2
レクサス Mobil 1 SC 2006 タミヤ 1/24 スケール 今日も活躍しているレクサスですが、2006年のスーパーGTで活躍したマシンでSC430をベースにした車です。2014年1月に買ってから手つかずです。 台風21号も過ぎたので、そろそろ作らなければならないのですがグズグズしています。制作に取り組む高揚感がイマイチです。 残念ながら4.5ℓV8エンジンは影も形もありません。サスペンションも最低限の再現で、金属プレートを挟み込んで表面を樹脂製にしたアンダーパネルもタミヤが謳うほどの重量感はありません。 3分割パーツとしたフロントフェンダーなど、各所で分割対応したボディーにはこだわったのでしょうが、私のような作り手には面倒です。 箔のようなシルバーも用いたデカールは、まだいけそうです。タミヤHPによると、残念ながら本キットも生産休止中とのことです。休止だからデカール在庫はあるかもしれませんが、サッサと作らない私が悪いです。 デカールは、劣化のひどかった時に一度だけ頼んだことがありますが、基本的に貼り直しをしたことはありません。なんとか一発勝負で済ませて来ましたし、少々曲がってもスルー、合わない場合には補色で済ませましたので再注文をするつもりはないのですが、近年は弱気になっている私であります。 と言う訳で、これを作る場合の注意点は分割ボディーの取付とデカールでしょう。制作難易度自己評価レベル:4 というところでしょうか? 何から作るか? 思案中ですが、既にアップ済の [AMG Mercedes] と [PORSCHE 911] もボディー基本色は白です。 いずれもデカールの予備はなさそうなので、3台並行してボディーからチャレンジしてみるのも手かしら? などと思ったりしています。デカールをしくじったらその時点で廃車もアリだと考えられます。もったいないかも知れませんが、いつまで抱えていてもしょうがない? と思う昨今今日この頃でありますが、複数同時制作は間違えやミスの元です。余程の集中力がなければ難しいことも充分承知しています。 欲をかいてはダメかもしれませんね~ 一歩ずつが妥当かしら…
2017.10.24
閲覧総数 686
3
2018年度の税制改正で、財務省がたばこ税の増税を検討しているって… いつものことだが、困った時 真っ先に狙われるのがたばこだ。家庭内での喫煙まで制限しようとし、悪者扱いされているにもかかわらず、愛煙家にしわ寄せを押し付ける都合の良い話だがその理由に納得ができない。 なんと、2019年10月の消費増税時に導入する「軽減税率」で、目減りする税収=約1兆円の一部穴埋めに使うんだと。 軽減税率は、消費税を10%に引き上げた時に飲食料品などの税率を8%に据え置くことだ。この据え置いた税収の伸び不足が1兆円だというのだが、無理やり他から持ってくることしか考えない官僚や政治家には腹が立つ。 1兆円のうち4千億円分は、低所得者の医療や介護の負担を軽くする「総合合算制度」を見送って捻出するという。残る6千億円の穴埋めにたばこに目を付けたわけだが、おかしくないか? 幼児教育無償化、高等教育無償化と、子育てや教育に税金を使うことを悪いとは言わない。だが、低所得者の医療や介護も重要な問題だ。医療、介護と言うと真っ先に思い浮かぶのは年寄りだが、それらを必要とする若年層の人も大勢いる。 政府は「全世代型の社会保障制度」と銘打ち、社会保障と税の一体改革を謳うが、どこまで真剣に考えているのか疑問だらけだ。身を切る改革は履行されず、選挙となれば票の集まりそうな消費増税分の使い道は幼児教育の無償化に変更する。赤字の穴埋め対策は未定のまま、年金だって増えはしないだろう。なにが全世代型なのか意味不明だ。 ちなみに前回のたばこ増税は2010年だった。1本3.5円、1箱(20本)あたり70円の増税だったが、今度は1本5円ぐらは上げるんだろうな~ 悔しいけど、そうなったらたばこ止めようかな~
2017.10.25
閲覧総数 66
4
ちょっと離れてしまいましたが、今日は3月24日の散歩の続き…… 六郷用水跡-密蔵院-嶺天祖神社と歩き、環八を以前(2月15日)訪問した嶺白山神社方向へ南下……歩道に置かれた赤い消火器BOXの前あたりに…… 鉄柵で完全にガードされた神社……鳥居があるから神社と決めてかかる私…… 道饗神社……やっぱり神社でよかった……道饗=「みちあえ」と読むようです。 両サイド共に完全防護……歩道幅がそれほどないのでこんなショットでは満足できず、往来を見計らって車道に出て撮ったのが下の写真。連れ合いに怒られるでしょうが、命懸けってほどではありませんよ~ 云われは良く分かりませんが、Weblio辞書に道饗祭というのがあり『昔、陰暦6月・12月、都の四隅に三神を祀って路上で怪物・妖物を饗応し、都に入るのを防ぐために行った祭事』と書かれていました。ちなみに饗応(きょうおう)とは何ぞやと思ったら『酒や食事などを出してもてなす事(コトバンク)』だって。なんだ供応ね~ どうやらそのような祭事を行って都を守った場所なのでしょう。古くはないので、環八の整備に伴って少しは移転させられたことでしょうが、地元の方々がしっかり守っておいでのようです。 北に少し戻って脇道に入ると公園……大田区は本当に多いです。 12時9分57秒……公園の時計は正確です。天気が良かったので、モーニング抜きで早く出かけてきたからお腹が空いていましたっけ… 東嶺相生児童公園のわずか東に朱色を発見!!! 大田区東嶺町40-2……2坪以下であろうブロック塀で囲まれた場所に朱色の鳥居……参道らしき石畳があるのですが、祠は向こう向き…… 道路側から入って、グルっとUターン。3本の鳥居をくぐってお詣りしますが狭い狭い。南向きにするためにこうしたのでしょう。 由緒、云われはまったく不明です。 御嶽商店街を駅の方にフラフラと北上……濃厚接触とは程遠い道 おっと!!! 見過ごすところでした…… 嶺南向庚申塔…… 青面金剛……祠はきれいだから改修したのでしょう。供えられた生花からも近隣の方々のお気持ちが伺えます。 商店街の途中でJRに架かっている橋…… すぐ近くにある東急池上線の駅名は「御嶽山(おんたけさん)」なので、この橋・御嶽橋は(みたけばし)ではなく(おんたけばし)なのでしょう。 何か来たので慌てて撮ったら金網にピントが…… 心して撮り直したらこれ……コンテナを積む列車のようですが、箱はなくて台車ばかり。もったいないな~ 本当に運ぶものがないのかしら? 新幹線通過を待っていようか迷いましたが、お腹が空いていたからパスでした。飲まず食わずで歩いたら良くないことは分かっているのですが、無防備な私です。 モーニング帰りに、鉛筆持参で区長選挙期日前投票に行ってきました。 選挙管理委員会が行う感染症対策って紙には『定期的に記載台・鉛筆等の消毒液での拭き上げを行う』とありましたが、私から見たら消毒液での拭き上げ不足じゃないの? 韓国みたいにビニール手袋を配ればいいけど、そうじゃないんだから書き終えたらすぐに拭いてもいいと思う私……ガラガラで暇なんだから。私の知る飲食店は、客が帰ったら即座に消毒している。まぁ、私は台には指も手の平も一切触れずに帰ってきましたが…… 白票と思っていたのだけど、「誰かになるのだから、書いたら?」と連れ合いに言われたのでちゃんと一票を投じてきました。残念ながら立候補者の声を聞く機会も、質問することもできなかった選挙ですが、もし私の選んだ人が区長になったら支持者の一人として物が言えるかもしれませんから…… ちなみに投票所は空いていましたから、行かれる方は参加してください。裏面の記入欄は自宅で書かれることを推奨します。いくら空いているからといっても他人の近くに座って記入するのは嫌でしょうから。《おまけ》 数日前から気になっていたのですが、どうにか形がわかるようになったので今朝撮ってきました。もうちょっと開くと良いんだけどね~ You Tubeで流れる杏さんの弾き語り[教訓Ⅰ]が話題になっているようす。 なぜ杏さんがこの歌をもってきたのか分からないし、現代の若い視聴者がどのように聴いているのかも不明だけど、「歌うたんびに新曲だと思えるんです…」と加川良さん自身が言っていたように、反戦とは違うコロナの今でも良いように思える私。1971年当時に加川良さんの生歌を聞き、時代背景も知っているのに許容できるのはやっぱり歳をとったということなんでしょう。 加川良さん、亡くなってもう3年も経ってしまいましたが、天国でも歌っているかしら? 教訓は3年前の日記[加川良さん…さようなら]に書いたから、今日は彼らしい詞を一つだけ載せて終わり…… 靴ひもむすんで 詞・曲・歌:加川良『笑いとばすことは 苦しいもんだョ 窓を開けても つらいだけだョ 今にも雨が降りそうだから いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 背のびしたって とどかないョ 寝ころんでいては 寒いだろ 今に あくびが 首をしめるョ いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 両足そろえ 靴ひもむすんで 両足そろえ 靴ひもむすんで 出よう 頭をかかえたって すくわれないョ 耳をすましても 遠くは見えないョ 今に笑い声で 目が覚めるョ いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 小石をけっても はねかえってくるョ つかまえたって にげるもんだョ 夏がおわって 秋がやってくるように いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 両足そろえ 靴ひもむすんで 両足そろえ 靴ひもむすんで 出よう 微笑んでみては 石を投げられ 黙りこめば 背中をけられ 今に涙の中で 逃げかくれ いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 唄ってみれば 石を投げられ うまくやりなと 背中をけられ これから先は 暇つぶし いつも あんたは 一人ぼっちなんだョ 両足そろえ 靴ひもむすんで 両足そろえ 靴ひもむすんで 出よう』 (2ndアルバム1972年「親愛なるQに捧ぐ」より) そうだ、なぎら健壱さんも教訓Ⅱに次いでコロナバージョンやれば良いのにな~ あんまりおちゃれけないのをお願いね~
2020.04.16
閲覧総数 142
5
11月10日散歩の最後の寺院…… 参道左側……境内社・白山神社の先に 敬徳観音……初耳の観音様 1400年代後半に浄徳院として現在の世田谷区船橋に開創され、現地・宮坂への移転に伴い常徳院と改めたようです。 本堂右に寺務所・庫裏でしょう。 常徳院本堂…… なんとも洒落た照明器具…… 本堂左手…… 手水盤の向こうに…… 39世大仁義一大和尚之像…… 葬儀など行うのだろうと推測…… 本堂とつながる渡り廊下……後方が墓地みたい。 静かな佇まい……小鳥のさえずり以外は無音 紅葉には早かったですが…… 15時03分……陽はずいぶん傾きました。 知人との約束の時刻まで1時間。焦って退散モードに切り替えた私。 お掃除小僧さん……『掃いても掃いても また汚れるこころの掃除はだれがする? 自分でするしかないんだよ 南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏』なんとも心が痛い。 実相院と世田谷八幡宮を含む散歩コースには、当寺から数百メートル先・経堂駅前にある福昌寺も含まれていました。時間切れで断念したのですが、世田谷区のHPには次にように……『現在、小田急線の経堂駅から少し南側の地には、福昌寺というお寺がありますが、この寺は正しくは「経堂山福昌寺」といい、江戸時代の初め頃に建てられた古いお寺です。当時この地を与えられていた松原土佐守弥右衛門という人が、自分の広い屋敷の中にお坊さんを迎えて開基したものだと言われています。 この松原土佐守という人は、徳川幕府のお抱えの医者(御殿医)として、中国から迎えられ日本に帰化した人ですが、医者なので当然たくさんの本を持っていました。このころ人々は、ほとんど字の読み書きができなかったので、本といえば、お経の本だと思い込んだということです。それに自分の屋敷内にお堂を建てたので、近くの人はこれを経堂と呼ぶようになりました。まもなく、松原氏が常徳院から玄浦和尚を迎えて寺を建て、この経堂の名をとって「経堂山福昌寺」と名づけたのは寛永3年(1626年)のことでした。現在、このあたりには松原土佐守の子孫やその関係者など、松原姓の人が多く住んでいます。』 ということで、常徳院とつながりのある福昌寺をパスしたことは心残りです。経堂と言う地名の由来も知ったから、元気があったらそのうちに行ってみましょう。 コロナ禍や 寺社は遠くなりにけり 近くで未訪問の寺社はなくなっちゃいました。困ったな~
2020.12.19
閲覧総数 274
6
「My First JUGEM」……『「光福寺のイチョウ」と「大井の井」』「気まぐれなページMkⅡ」……『朝刊の見開き広告』
2021.12.08
閲覧総数 159
7
「My First JUGEM」……『今年も悲しい……来福寺』「気まぐれなページMkⅡ」……『ドウダンツツジ……』
2021.12.09
閲覧総数 122
8
今日の「My First JUGEM」……『花を摘みながら……』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『例年より早く白い花……』
2024.06.26
閲覧総数 12
9
昨年末、聞きなれない「倉吉」なるウイスキーを頂戴たので、昨日早速試飲をしました。 受け取ってまず感じたのは、似すぎじゃないの? こんなことしていいの? どこかの国じゃないの? 山崎とそっくりなラベルですが、大きな違いは「PURE MALT」……製造者:松井酒造合名会社のホームページを拝見すると「モルトウィスキーの本場、スコットランド北部で厳選された原酒と、日本国内で蒸留された原酒とをヴァッティングして、大山山系の伏流水にて仕上げました」と謳っています。要するに複数の蒸留所でつくられたモルトウイスキーを買ってきて、松井酒造さんがブレンドし、最後に大山山系の水で度数調整をしたウイスキーということらしい。 アルコール分50%……確かに高めではありますが、ストレートで飲むと口の中で感じるアルコール感がきついです。色的にも琥珀色とは程遠く薄いので、ハイボールにしちゃうと情けない色になっちゃいます。 悪口を書いちゃったようで恐縮ですが、日本酒を飲んじゃった後ですし私の味覚などあてになりませんし、また改めて後日やってみます。 普段安い角ばかり飲んでいる私にお気遣いいただき、珍しいものを探してくださったことに感謝と御礼を申し上げます。またお暇を見つけて飲みにお寄り下さい。 倉吉の「PURE MALT」に対して、サントリー山崎は「SINGLE MALT」です。山崎蒸留所で作られたモルト樽の中から選んでヴァッティングしたそうです。純国産なんですね。 ちなみにこのヴァッティングなる言葉ですが、ヴァット(大きな桶)に複数の樽モルトウイスキーを入れて混ぜることを言うそうです。あくまでモルトウイスキーどうしを混ぜるばあいに用いられる言葉だそうで、私などブレンド? ブレンデッド? と言いそうですが、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜる場合をブレンディングと言い、出来たものをブレンデッドウイスキーと呼ぶそうです……ムムム…何も知らないで飲んでいましたが美味しければ良いのです。 ちなみにちなみに、モルトウイスキーの原料は大麦麦芽100%で、グレーンウイスキーの原料はトウモロコシ、ライ麦、小麦などとのことです。正月から勉強しちゃいました。 さてさて山崎18年(アルコール分43%)……値段も倉吉の倍はするのであたりまえですが確実に美味しいです。ストレートで少しいただけば満足できます。余韻のいいウイスキーです。ハイボールや水割りは禁物です。 最後は東京会館が90周年記念に山崎蒸留所で作ったウイスキー「SINGLE CASK」です。 倉吉や山崎が複数のモルトウイスキーを混ぜているのに対して、この「SINGLE CASK」はまったくヴァッティングされておらず、たった1つの樽から瓶詰されたウイスキーと言うことになります。 ラベルには、1999年に山崎蒸留所でDistilled(蒸留)し、近江セラーで寝かされて2012年にBottled(瓶詰)、寝かされた樽ナンバーはDQ70039と書かれています。そして何本作られたのか忘れましたが、Bottling Number 014 は手書きされています。 アルコール分は58%……高いので、もしかすると樽から直接瓶詰され水で薄めていないのかもしれません。樽だしのままを「カスクストレングス」と言うそうですが、残念ながらラベルには見当たりませんでした。 しかし素晴らしいラベルです…顔が良いと味も引き立ちます…倉吉さんには是非是非見習ってほしいです。 味ですか……文句なく美味しかったです。今まで口にしたウイスキーのなかで一番でした。連れ合いが買ってくれたものですが、さぞかし高かったと思います。贅沢させてもらって感謝です。 と、ウイスキーの勉強をしましたが今年も角ハイボールにお世話になります。だけどサントリーもひどいです…昨年4月に値上げしちゃって…私が買いに行く「やまや」では、1,111円(1本/税込)だったのが1,350円になってしまいました。一気に20%以上の値上げは厳しいです…庶民には…しばらくは止めてくださいね~
2017.01.02
閲覧総数 8288
10
床屋さんのクルクルポール……サインポールと言うらしいけど、赤がないよ。 以前も書いた記憶があるけど、12世紀のヨーロッパでは、外科医が理容師を兼ねていたと聞いた。外科医ならではの発想で、動脈の赤、静脈の青と包帯の白を目印に使ったという説もあるけど、血管に動脈と静脈の2種類があることが発見されたのは17世紀だって。 そののち18世紀になって、フランスやイギリスで外科医と理容師とを区別した際、外科医は赤白で理容師は青と定めたそうな。その時から理容店の看板が赤・白・青になったそうな。だとすると、この見慣れない青・白の2色ポールは伝統を正しく受け継いでいるのかもしれないな~ さてさて、今日は暖かいけど風があるので外での塗装は無理みたい。仕方ないから散歩に行ってきましょう。電気髭剃りも、いいかげんダメになったからヤマダ電機でものぞいてこようかしらね~
2018.02.28
閲覧総数 1697
11
Book Off は知っていたけど、Hobby Off もあったんやな~ と言うことでちょこっとのぞいてみました… フィギュア でしょうか? 「まどマギ」って書いてあります…「アイドルマスターズ」「ブラックマジシャンガール」って書かれていますが、私にはチンプンカンプン……見たことも聞いたこともありません。 ショーケースに並べられたもの以外に、箱入りもたくさんありました。人気があるんでしょうね~「バルタン星人」は知ってます。プラモデルだったら、筆塗り練習用に買っていたかもしれませんでした。「Wolf FORD WR1」は1972年発売みたいで、「BENETTON FORD B188」はもう少し後でしょうが、いずれにしても古い商品たちです。パーツを破損や紛失した時には良いでしょうが、デカールは使えるのかしら?……営業妨害をするつもりはありませんが、私には古いデカールは貼りきれません。メーカーにも在庫ないでしょう。 所狭しと店内にはこんなのがひしめき合っていました。値段は高いのか安いのか、私には判別不能です。でも、見ていて楽しいです。 流石にガンプラはたくさんありました。人気があるのでしょうが、せっかく買っても作らず売ってしまう方もいらっしゃるんですね~ Book Off とよく似ているので、同一会社かと思いきや…… Book Offは、[ブックオフコーポレーション株式会社]で本社は神奈川県相模原市 でもってこちらは、新潟県発田市が本社の[株式会社ハードオフコーポレーション]とのことで、違う会社みたいです。 設立は、ブックオフの1991年に対して、1972年のハードオフの方が古そうでが、ここまで似ているロゴを使うのだから関わる人に繋がりがあるのかもしれないな~ なんてどうでも良いことを考えてしまいました。 今日も良い天気ですが、留守番をしながらバイクをやるとしましょう…
2017.12.26
閲覧総数 148
12
12月15日「どうしよう?」と泉岳寺を出た時に考えた私……「そうだ、あそこにお寺あったな~」と言うことで向かってみることに…… 紋 屋……というらしいです…いきなり泉岳寺中門を出た右手にありました。『富山を中心に揃えた全国の旬の食材を堪能。こだわりの懐石料理と美酒で心よりおもてなし』だそうだ。ランチは3,000円以上で夜のコースは12,000円~20,000円……富山というだけあって私の苦手な「立山」が日本酒のメニューに並ぶ。「立山愛山・四合瓶」が20,000円だって……私にはちょっと寄れません。「なんや、さっきと同じ紋じゃないの」…角を曲がったところで発見しました。 さすが一流料亭の風情だね~ と感心しました。 泉岳寺前児童遊園……紋屋アプローチの向かい側にありました。 傾斜22%の坂……方向感覚だけで次を目指したので住宅街を通過。立派なマンションがたくさんあってビックリしました。一見大したことはなさそうですが、これが結構きつかった……鉄飛坂より辛かった私です。丸子川から田園調布へ上った16%の坂程度が私には我慢の限度みたいです。 ほぼ頂上に来て振り返るとこんな景色……建物の3階分を一気に上らされた坂でした。このあたりには立派なマンションが密集していてビックリしましたが、日々の上り下りは大変そうです。 直ぐ近くに貼ってありました。高いわけです… 港区立高輪幼稚園……まず津波の被害はないでしょう。 未知の住宅街から表通りにでると、ちょうど良い場所でした。この日のヤマ勘ナビは限りなく正確だったようです。 高野山東京別院……車で通った時に見かけていた程度だったので、寺院名は存じませんでした。 鐘 楼……境内に入ると右手、駐車場の真ん中にありました。 遍照殿……遍照殿(へんしょうでん)と言う名は、弘法大師の法号「遍照金剛」に由来するそうです。南無大師遍照金剛…… 延宝元年(1673年)に「高野山江戸在番所高野寺」として建立され、明治に入って在番所の廃止に伴い、昭和2年(1927年)「高野山東京別院」と改称されたそうです。 遍照殿右わきにありました。どなたか存じませんが、美しいお姿でした。ライトアップもされるみたいです。 一願大師……広島に「大聖院」という、空海(弘法大師)が開いたお寺があり、そちらの「一願大師」がパワースポットなんだそうです。一つだけ願を叶えてくれるそうですが、私はつぶやきませんでした。 お借りしたトイレに貼ってありました。「よごさないように」と書かれるよりも、この「ありがとう」にはおそれいりました……素晴らしい! 寺務所…… 不動堂……不動明王がまつられています。御祈祷も毎日行われているのでしょう。 明神社……弘法大師は高野山を開くにあたり、まず明神社を祀ったそうです。高野山での諸行事はすべて明神社参拝から始まるとのこと…… この別院にかつてあった明神社は、明治維新の神仏分離令によって排されてしまったそうで、現在の神社は記念行事で再建したとのことです。 第一殿・丹生明神・気比明神……向かって右から 第二殿・高野明神・厳島明神……ここまでを「高野山の四社明神」というそうです。なぜか第三殿を撮らなかった私……高野山の周囲を守る十二王子・百二十番神だそうです。 第四殿・高輪神社の御祭神……東京別院の氏神社だそうです。 手水舎……龍はいませんでした。 大きな石……いわれはあるのでしょうが、不明です。 整列……奉納されたのでしょう。 広い境内にはたくさんの物が配されていました。 永代供養墓……圓融塔というらしい… 幼霊供養尊……幼き霊の供養…お地蔵さん 弘法大師像……脇に百度石がありますが、本堂・遍照殿まではとても遠いです。 涅槃之道場 讃岐国……と書かれていました。涅槃(ねはん)とは梵語で吹き消すことを意味し、煩悩を消滅した悟りの境地を言うそうです。讃岐・香川県の23ヶ寺を無事巡り終えることで結願となることから、こう呼ばれるそうです。 なるほどなるほど……「第69番 観音寺」「第70番 本山寺」「第71番 弥谷寺」と並んでいます。ちなみに高知県・土佐の16ヶ寺は「修行の道場」、愛媛県・伊予の26ヶ寺は「菩提の道場」と呼ぶそうですが、ここ関東別院にくれば四国八十八ヶ所霊場各札所を実際にお遍路したのと同じご利益がいただけるのでしょうか?「発信の道場」……徳島県・阿波の霊場スペースです。「第1番 霊山寺」からじゅんに巡るにはここからスタートです。山門を入ってすぐ右です。 山 門……またしても裏口から訪れてしまった私でした。 ちゃんとこちらから入りましょう…失礼しました。 弘法大師が遍照殿を見つめています。絵になるお姿でした。 ということで高野山東京別院に寄らせてもらいました。どうやって帰ろうか? 分けあって最短コースを頭に描きながら歩きましたが、途中のつまらない写真は次回です。
2018.12.20
閲覧総数 310
13
昨日、シゴーニュさんのブログ(こちら)に感化されて散歩に…… 数日前に行ったばかりのエリアでしたが天気がそこそこ良かったので…… 四之橋……岡本1丁目付近の谷戸川にかかる橋を一応の出発点としました。 昨年末にバス事故のあった深沢から246首都高3号線沿いに一気に到着です。事故現場では手だけ合わせてきた私ですが、縫いぐるみをはじめいまだに供え物が絶えません。「風が強い日は散らかるだろうな」と、いつも余計な心配をする私でしたが、「飛び出し注意」の黄色い看板が増えていたような? 前回は見落としていたのかもしれませんが……歩く方向が逆だったからかしら? 五之橋……四之橋の次は三か?五か? 歩きながら想像したのですが、5でした。川伝いに南西方面へ……とりあえず「無名坂」を目指します。 六之橋で、左に聖ドミニコ学園が見られます。 左・東方向へも少々上り道です。 ちなみにこの坂、「病院坂の首縊りの家」で使われた病院坂のロケ地っていう話もありますが、真偽は定かではありません……あしからず。 川の水……けっこう透明度はありました。まだ曇っていたので美しくはありませんが……「谷戸川」プレートも新しかったので、橋げたも直したのかもしれません。橋名は見忘れましたが、学園の切れ目です。 川に沿って歩いた進行方向、右・北西側へは上っていました。でも、私は左折します。 南東方向へ左折すると(左側は学園)…… すぐに二股……私は右です。(あなたは左でしたね~)「坂道行かないの?」って言われそうですが、もうちょっと我慢…… 右手の茂みの奥に見えました…… 静嘉堂文庫……先日(24日)には、あちらからこっちを眺めた私です。 無名坂……ブログで拝見した傾斜21%の坂が左にありました。とりあえず発見できて独り喜ぶ私……ゆるそうな私の写真とは裏腹に、結構きついです。私が勝手に命名している裏鉄飛坂より急かしら? でも、私には階段があるので大いに助かりました。「がんばれ!もうちょっと」ということで、試しに階段をやめてみたのですが歩きにくい~ 何とか坂上に到着……と言っても、少し先まで道路に〇〇が刻まれているところは緩いスロープです。 下を見るとこんな感じ……息切れこそしませんでしたが、日常的には歩きたくない道です。 突き当りのT字路まで両側に立派なお家が並びます。 無名塾……レンガ造りのおしゃれな建物……仲代達也氏と宮崎恭子氏の自宅に設けた小さな稽古場が原点だそうです。無名塾の原点は「役者は生涯修行」らしいが、仲代氏の演技は素晴らしい。『若きもの 名もなきもの ただひたすら 駆けのぼる ここに青春ありき 人よんで 無名坂』1975年始まる 無名塾 仲代達也 隆巴 と、壁面下部のプレートにありました。 ゆるやかに下っていき、一気に落ちる無名坂でした。 仲代劇堂っていうことは、ここで公演されるようです。何名ほど入場できる劇堂なのかしら? 行ってみたいけど、ちょっと遠いかしら? 無名坂を下るのは面白くないのでやめて東側の道に行ってみたら、マンションの入り口に発見…… 武家屋敷門ですって……世田谷区が作ったのでしょうが、有難いです。なければ素通りしてしまいます。 武家屋敷門……元岡山藩城代家老・伊木家の下屋敷にあったと伝えられる「長屋門形式の表門」だそうです。江戸時代中期の建築と推定されるようですが、幾度も移転を繰り返したのに保存状態は良好です。掃き掃除をされていた方が丁寧に対応してくださいました。 世田谷区指定有形文化財のようですが、維持管理費もかかるでしょう……区も大変ですね。「中に入らないの?」って言われるでしょうが、あるのはあくまで門だけです。 武家屋敷門を南に……じゃっかん下っているかしら? おぉ! 明らかに下ってます。って、当たり前でした……無名坂を上ったのだから、どこかで下りになるはずです。 瀬田四丁目旧小坂緑地……前回のはやっぱり裏口だったようです。 緑地内を行ってもよかったのですが、あえて脇の道路を行きます。 右に右にとカーブしていきます。 馬坂 石碑……ありました。かつて利用している坂道が厳しくて、人は上がれたが馬は無理……ってことで新たに馬が上り下りできる道として作ったらしいっす…… ちなみに大田区にも馬坂があるようです。昨年9月に行った「照善寺」からの帰りに通った、田園調布に抜ける坂がそうだったのかしら? 今度ちゃんと調べてみましょう。 また遊んでしまいました。結構車が来るので写真は要注意……よい子のみなさんは真似しないでね~ 馬坂を下り切ると岡本静嘉堂緑地の入り口です。 振り返るとこんな感じ……どうでしょうかしら? 12~13%ってとこでしょう。石碑は中央やや右のカーブミラーの所にありますよ。 静嘉堂緑地を横断しようか迷いましたが、無名坂で疲れたので歩きやすい川沿いでクールダウンする情けない私。丸子川にでたら遊んでいました。寒いのにね~ 岡本公園と八幡神社の入り口……何回きたんだったけ?と素通り。 厠……お借りしました。トイレの場所を知ってるってことは良い事です。 さてさて、今日はここまで……「坂歩き…」と題しましたが、いくつの坂を上ったかしら? はたまた坂とは無縁の寺社にも寄っちゃったりの散歩でしたが、ボチボチアップしてみます。
2019.01.31
閲覧総数 241
14
2月20日……行善寺門前を出て左に進むと…… 境内北側にこんな路地……行かれるのかしら? 本堂裏側からよりも視野は狭いですし、雲が目立ってきましたが絶景です。 私にはけっこう危ない階段ですが、降りられます。 日々使われる方にはお気の毒です…… 二子玉川方面……ほとんど車はきませんでした。反対側の瀬田に向かっては途中から進入禁止の一通になるみたいなので、あまり使われないのか? 道路よりさらに低い所を通っている東急田園都市線にかかる歩道橋…… 1月24日に丸子川沿いを歩いた時の写真……「あれだったのね~」と、確認できました。 上り電車通過……ちょっとシャッター早かった~ 田園都市線はここから地下に入るんですね。 鉄道の上の公園……歩道橋を渡っても行かれるだろうとは思ったのですが、見えたので行ってみました。幅の狭い公園ですが、瀬田の交差点あたりまで続いているみたいです。 学生時代には二子玉川から先を使っていた私ですが、新玉川線として渋谷-二子玉川間の地下鉄が開通してからはほとんど縁がなかったので、かつての風景は知りません。 枝垂れ梅……まだまだきれいになるでしょう。 子供たちについて西へくだります……ストーカーではありません。 緩やかにカーブしながらトロトロくだります……「歩道橋 渡っちゃえばよかった」と、ちょっと後悔…… 直進できない246を迂回するのに曲がってからもまだ下り……逆光嫌い… 目指す坂の下まで到着……振り返るとこんな感じ……たいした坂じゃない… 瀬田アートトンネル……前回くぐったので知っています。 前回は、トンネルを出てこの手前で左折したけどこの日は直進です。 この道のワンブロック左を丸子川が流れています。前回、川にこだわらなければよかったと後悔しました。 見えてきました…… 玉川大師 玉真院……真言宗智山派のお寺で、弘法大師が祀られています。と、ここまではよくあるお寺のようですが……『この仏殿は、私たちのいのちの根源である巨大な”秘仏大日如来さま”の胎内を表す。本堂直下より境内の地下一円に及び、四国88か所 西国33番両霊場のお大師さま・観音さまを悉(ことごと…たぶん)くお迎えし、有縁の方々に結縁す。……竜海和尚心血を注いで昭和9年完成した本邦稀有の秘密マンダラ大殿堂なり……』(頂戴したパンフレットより) 連れ合いに紹介されて、この「地下霊場」を訪問してきた私です。感想から先に言ってしまいますが「怖い怖い……あぁ~怖かった~」 石段を上がって、本堂前でお線香を供えて本堂に上がると隅の方で7~8人の女性たちが説明を受けていました。その説明を耳にしながら、私は本堂内を見学…… ほとんどが私よりご高齢の方々でしたが、いざ地下に向かって出発。「灯りがないので壁に手を付けてゆっくり進んでください」「多少の上り下りがありますから、先の方は声を出して教えてあげてください」あるいは「前の方の肩に手を置いてお進みください」……なんて説明を受けたものだから、みなさん尻込みをして「お先にどうぞ」「いえいえ、あなたから……」なんて譲り合っている。 そんな姿を横目に、むき出しになっていて「嫌だな」と思った帳面(ただの紙を閉じただけ)に渋々記帳し、灯明料(100円)を納めます。私は男だからまだ良いけれど、住所・氏名がフルオープンでさらされているのはどうかしらね? 一応、私は最後に本堂に上がったので最後尾で出発……右手に手すりの備えられた地下に降りるまっすぐな階段を下りますが、途中でストップ。前を行く女性親子が階段を降り切ったところで、進路であろう右を向いて「怖い…私行かれない」と、立ち往生をしている。追い越したくともできない狭さ……「そんなに怖いんかいな?」と思いつつ、しばらく待ってやっと私もスタート…… 蛇足ながら本堂および霊場内は撮影禁止だったので、残念ながら写真はありません。 階段を下りて右を見たらすでにこの状態……真っ暗……「一寸先は闇」って言うけど、1㎜先も見えない。足元も天井も両壁も、何も見えない。ただ左右にある壁に添える手と、地面に付く足裏の感覚だけ。まったく光がないから目が慣れるなんてことは絶対にない世界は初めての体験。心眼など持ち合わせていないから怖いことこの上ないが、目の不自由な方の気持ちを思い知った私…… 前を行く親子の声がしていた間はよかったのだが、あきらめたのだろう、途端に声がしなくなった。見えないから前との距離感が全く分からない。下手をしてぶつかるとセクハラになりかねないから、超スローペースで進んだ次第です。 しばらく行くとこんな具合……かすかな灯り……でも、遠いのか近いのか距離感はまったくわからない中を進むと、観音様を祀った薄暗い洞窟に……そこを出るとまた真っ暗な迷路を壁だけを頼りに右や左に歩きます。(この画像は画面に対しての角度を変えると白っぽい個所がなくなりますが、実際もこんな雰囲気です) ちなみに「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えながらが、ここでのお遍路の仕方だそうです。 薄暗い洞窟を二つほど経て、いよいよ霊場に到着します。広い洞窟のコの字型通路の左右にびっしりと並ぶ88か所のお大師様は圧巻です。と言ってもそれぞれ微妙に異なる表情を拝見するのが精一杯です。自分の数え年の番号の石仏をきちんと拝んでくるのが目的なのですが、台座に彫られた番号を読むのも一苦労。前にいた親子が娘さんの年の前で拝み、次に母親の番号を探すところでした。「お先にどうぞ…」と娘さんが言ってくれたのですが「どうぞどうぞ」とついて行く私。ラッキーにも母親の探す番号は私の一つ前だったので……娘さんが見つけてくれることを期待しちゃいました。とにかく暗いので苦労はしましたが、なんとか発見して私も無事に拝んできた次第です。 真っ暗な迷路を進み、最後にあるのが高さ2m20㎝、重さ約2tのミカゲ1枚石のご本尊・弘法大師さま……たぶん出口から入られてきたのでしょう、お寺の方が待っておられ説明をしていました。100円を置いて鐘を鳴らし、そこだけスペースがあったので皆さんを一気に追い越して退散しました。 石仏総数300尊体、深さ約5m、参道約100m、鉄筋コンクリート造りの奥の院……恐怖体験をされたい方は訪問されたらよろしいかと…… ちなみに、霊場への入り口にはスリッパが段ボールに詰め込まれていましたから借りられます。「水虫移るといやだな~」と、私は使いませんでしたが、足が冷えたのと、靴下が汚れちゃいました。スリッパ持参がいいかもしれません。入場前の説明では所要時間は20分ほどと伺いましたが、当日は30分かかりました。先頭を行けばよかったかも…… インド伝来 長寿の銅鑼(かね)……やっと明るい地上にでて一息つきました。本堂左にありましたが「一打100円」……なんでも100円の同寺です。 本堂右……こちらもなんとなくインド風かも……梅が咲いていました。以前お邪魔した善養蜜寺にも、そっくりな石像がおられました。 本堂右奥から下に降りられたので……境内右側には様々な石塔・石仏がありました。 手水舎と龍…… 観世音菩薩(右)……ぼけ封じ ですって……手を合わせてきた少々ぼけ気味の私… また仏様…… 線香は本堂で供えたので失礼しました。 六地蔵さま……最近、本当によくお目にかかります。 怖いけど強そう……庚申様かしら? 青面金剛かもしれませんね いたるところに浄財ポストがありました。 弘法大師様……巨大でした。 古い手水舎でしょう。龍の頭に柄杓を置いたのは私ではありません。 読みずらいけど撮っておきました。連れ合いなら読めるでしょう。 敬親玉川教会……玉川大師のとなりです。教会だったし、日蓮さんのご関係とは知らずに寄りませんでした……失敗… 慈眼寺坂下……「なんだなんだ ここだったんかいな~」 以前、身延山関東別院・瀬田玉川神社・慈眼寺を訪問した時に通った道です。あの時は玉川大師に気付かなかった私です。 次大夫堀……次大夫橋のところにありましたが、これも以前は気付きませんでした。坂上の寺社を防御するための堀だったのでしょうか? 二子玉川商店街……本当は、反対方向(北)に向かうつもりだったのですが、急に曇ってきたし寒くなったので予定変更…… 高島屋には縁も用事もない私です。「高いんだろうな~」と、横目で眺め……ちゃっかりバスで帰った私です。 最近は完走ならぬ完歩ができませんが、しょうがないです、歳だから…… ということで、瀬田を少し歩いてきた2月20日でした。 いよいよ明日から3月です。今年も1/6が終わってしまいます。日々大切にと思ってはいますが、なかなか難しい私です。さてさて、今日は何をしましょうかしら?
2019.02.28
閲覧総数 468
15
世田谷公園から池尻八幡神社などを通ってブラブラした8月2日…… 世田谷区と目黒区との境界道路……左は池尻2丁目で右が東山3丁目 ゴミの回収は曜日が違うだろうしご苦労様です。 目黒天空庭園のあるビルかしら? 大橋ジャンクションはすぐそこ…… 右折して両サイド目黒区東山3丁目…… 左には遊具のある東山児童遊園……私は右に訪問。 東山貝塚公園…… 東京三大貝塚の一つとして史跡指定されている東山貝塚跡に作られた公園。 ちなみに、後の二つは北区の西ヶ原貝塚と港区の丸山貝塚(芝公園内)らしい。西ヶ原貝塚は現在の飛鳥中学校の校庭あたりにあったものらしいが、宅地化が進んだため、今日では地表から貝塚の存在を確認することはできないそうです。 東山の遺跡は、明治中頃に坪井正五郎博士を中心とした調査で有名になったもので、この貝塚からはハマグリ・アサリ・ツメタガイ・ヤマトシジミなどの貝類や、クロダイ・アジ・フグ・コイなどの魚の骨、イノシシやシカなど動物の骨も発見されているんだと。こんなところでフグまで捕れたんかいな? と思ったら…… 東山2丁目から3丁目付近の目黒台の台地から目黒川の斜面にかけて広がる縄文時代の人々の生活推定復元図がありました。 海から遠く離れた東山に、なんで海水産の魚貝が残されていたのか……縄文時代には、目黒川の低地が入り江になっていて、海水がすぐそばまで入り込んでいたから。要するに近くまで海が迫っていたってことでしょう。狩猟と漁猟、食料にはありつけたんですね。 竪穴式住居……存在は明治時代から知られていたようですが、大正15年(1926年)の区画整理作業中に多くの竪穴住居跡や縄文土器・石器なんかが発見されたと。 東山で発掘された住居は、床から7~10本程度の柱を垂直に立てて桁をかけたのち、住居の周りから斜めに材を組んで頂点に棟木をのせ、茅などを葺いていたとのこと。 5,000年も前の古代人の生活場面が模造されています。深さは30~40㎝の円形状で、中央にある石を囲って作った炉をかこんで家族団らん…… この竪穴式住居は、昭和54年(1979年)6月に擬製復元したそうです。私が幼少だったら、ぜったい登ると思うんだけど、今どきのみなさんは偉いです。 奥に長い公園で左には石組みされたせせらぎがあります。 入り口・道路側はこんな感じで……わずかだけど流れがありました。 鯉もいた…… 中ほどではザリガニとってました。 でもって、このせせらぎは、遠い昔そのままに崖下から湧く湧水を流しているんだと。 なるほど、入り口近くに排水溝がありました。昔は目黒川に直接流れていったことでしょう。 上流方向……ここから流れ出していました。 目黒地域は、目黒川・呑川・立会川の3水系と豊富な湧水に恵まれ、自然林に覆われた台地は風通しも良く、木の実や食用に適した魚貝・動物が生息していたから住むには最適だったのでしょう。 樹木の下に穴発見…… 見上げたら…… みんな高い所まで頑張りましたね~ 偉い!!! ということで東山貝塚公園でした。《おまけ》 今日の空……10時43分 天気が良いから散歩したいけどコピット暑いかも。足腰の予防電気治療にでも行ってくるか……
2020.08.28
閲覧総数 241
16
天気が良かったので、凝りもせず大田区を歩いた3月27日…… 観蔵院を後にして…… 大正2年1月10日創業の長久保造園土木さんで、今年も拝見しました。 雛飾り詳細は、去年の「お雛さまと西嶺町の梅」 西嶺町の住宅地を歩いて御嶽歩道橋……道路は環八で、瀬田方向。左からきたのだけど、距離感を誤って裏道を歩いたために信号機のある横断歩道を渡れなかった私。先の信号まで行っちゃうと行きすぎだから、しかたなく足腰強化で上りました。写真右側が北嶺町…… 歩道橋から見た武蔵小杉方向……かすんでるけど黄砂かしら? でもって御嶽商店街……正面が御嶽神社だけど先に手前に…… 去年より良い景色…… 本覚寺山門…… 今月の聖語『善悪の根本 枝葉をさとり 極めたるを 仏とは申すなり』……「ー闇を切り裂く大灯明ー」と続くらしい。『「無明の闇」という言葉があります。これは真理を照らす明かりがまったくなく真っ暗闇ということです。まさに迷いの根本です。 私たちはその中を手探りでさまよい歩いています。そして自分の価値観で「善だ悪だ」と決めつけ生きているのです。それがますます迷いを増長する結果となっているとも気づかずに…。 ならば私たちになくてはならないのは、闇を切り裂く灯明のはずです。その明かりとなるのは仏さまの智慧だけなのです。本仏釈尊の前に素直に額ずく。これこそが大灯明を手にできうる唯一の方法なのです。』(日蓮宗HPより) 南無妙法蓮華経…… お辞儀をして境内へ…… まことにグッドタイミングでした。 去年も同じようなアングルで撮ってました。 本堂前のお賽銭箱が遠いので、靴を脱いでちょっと上がらなくちゃなりませんが、私はきちんとご挨拶。 山門の桜を下から見上げて写すだけで引き返す人々。お賽銭など入れなくても、本堂で手を合わせるぐらいはすればいいのにな~ なんて思うのは私の身勝手でした。 ●南無妙法蓮華経「日蓮宗」 ●南無大師遍照金剛「真言宗」 ●南無阿弥陀佛「浄土宗」「浄土真宗」「天台宗」 ●南無釈迦無尼佛「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」「南無」=「帰依する」とまではいきませんが、どこへ行っても心の中でご挨拶をします。4つだけ覚えておくと便利です。 ※「昨年の本覚寺」《おまけ》 円融寺本堂裏……散り始めていて桜吹雪。8時49分 こちらも1週間で鮮やかになってました。まだまだ黄色が増えます。 フルーツヨーグルトってのに使うのであろう、ブルーベリーとイチゴをサービスしてくれたみたい。 コロナ感染を避ける私の訪問するお店はいつもこんな…… 厚労省職員23人が深夜まで送別会を開いていたが、朝刊に「県職員8人 送別会で感染」の見出し。鳥取県東部農林事務所の職員14人が参加した3月24日の送別会で、8人がクラスターだと。マスクもせずにカラオケで大声を発していたらしい。感染者数は全国最小の県ではあるが、開いた口が塞がらない。地域整備課に所属する職員らしいが、8人も出勤できずに日常業務は大丈夫なのか。 厚労省は老健局老人保健課の課長が言い出しっぺ。「頼りになる、立派な人物」らしいが、感染して休暇を取らねばならない職員が出たらどうなるかは想像しなかったのか? 一人も「止めましょう」と制止する職員がいなかったは残念だが、上司には逆らえないんだろう。政治世界の縮図……いやだ嫌だ。 事あるごとに「二度とないように」と口にする首相や大臣。いい加減聞き飽きた。どれだけ不祥事を繰り返してきたか「記憶にない」んだろう。
2021.04.01
閲覧総数 89
17
昭和41年(1966年)、昭和39年の東京オリンピック開会式があった10月10日を「体育の日」とし、国民の祝日にした。 せっかく意味あって10月10日にしたのに、平成12年(2000年)から「ハッピーマンデー制度」なんてもののお蔭で、成人の日などと同様に月曜日になってしまった。世の中、土日の休日が定着しだしたからだろうが、3連休を取れる人たちがどれほどいるのか? そもそも歴史的経緯によって制定された日付の由来が失われていくことを寂しく思う。 ちなみに、来年からは「スポーツの日」に名称が変更され、2020年に限り7月24日に置かれるらしい。オリンピック開会式の日らしいが、コロコロ変えなくてもいいのにな~ と思う私です。 昭和39年のカッパのバッチ……毎年、都民の日・10月1日が近づくと販売していました。これを付けていると都電や上野動物園など都施設が無料になったのですが、小学生だったので私は使ったことはありません。 今朝、庭先で見かけました。2匹が仲良く飛んだり止まったりしていたので、ダメもとでデジカメを取ってもどったらまだ居てくれました。 片割れもキャッチしましたが、羽はこんなに幅があったかしら? 子どもの頃はよく捕まえましたが、記憶を一新しました。『赤とんぼの羽をとったら唐辛子』と口ずさみがちだけど、「あのねのね」は『…羽をとったらアブラムシ』でした。アブラムシには見えないけどな~「赤とんぼ 羽をとったら とうがらし」と詠んだ江戸時代の俳人・宝井其角(たからいきかく)……可哀そうだとして師匠である松尾芭蕉は「とうがらし 羽をつけたら 赤とんぼ」と返したそうです。 さてさて、今日は何をしましょうかしら?
2019.10.10
閲覧総数 127
18
古い11月28日の品川散歩…… 立会川に架かる涙橋の南側の袂(たもと)から右に… 社号碑は「天祖神社」……昔は参道両側も境内だったでしょう。 天祖・諏訪神社……『浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖・諏訪神社。古くは神明宮、諏訪社と称し、かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていました。天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永8年(1631年)以前の創建と思われる。』(同社HPより) 両社は昭和40年(1965年)に合祀され、天祖・諏訪神社と称されるようになった。この位置から立会川を挟んで北側の北濱川と呼ばれた地域に、今も取り残されている仲町稲荷神社の場所に諏訪神社がありました。別当寺は「来福寺」とのこと。昨年8月に訪問した際は入寺禁止だったけど、緊急事態宣言下の今も入れないんでしょう。いつかは行ってみたいたい寺院です。 参道入り口の社号碑が「天祖神社」のままなのは、両社が合祀前の昭和10年(1935年)に建てられたものだからでしょう。 一段高くなった境内に入ると、右に手水舎。後方に鳥居と朱色の社が見えます。 本来なら社殿から参詣するのが先ですが、参拝される方を迎える正装の神主さんの姿をお見かけしたのでこちらから…… 厳島神社……天祖神社創建時から鎮座していたものらしい。 ちなみに当社は東海七福神の福禄寿を担っているとのことだけど、弁財天であっても不思議ではない境内社です。当日は、七福神・福禄寿など目に入らなかった情けない私です。事前調査なしに出かける、私の悪い癖です。 東海七福神の「弁財天・磐井神社」は、約2年前、城南島海浜公園まで歩いた折に立ち寄りましたが、七福神の一つだとは気付いていませんでした。「毘沙門天・品川寺(ほんせんじ)」と、「恵比寿神・荏原神社」 も行きました。 未訪問の「大黒天・品川神社」「布袋尊・養願寺」「寿老人・一心寺」は、それぞれ近距離に鎮座しているみたいだからそのうちに行ってみましょう。 鳥居扁額……広島県宮島の嚴島神社のご分霊をお祀りし、水の神・海上安全を司る神としても崇敬されていると。海が近いからでしょう、鮫洲八幡神社にも境内社として厳島神社がありました。 とても立派な弁天池……『弁天様(弁財天)の御使いは蛇(巳・へび)とされ、6月初巳(み)の日にお参りすれば、金運や財運、芸能・学問の運が開けると多くの人に信仰され続けてきました。』(同社HPより) 朱色の社殿が堂々と鎮座…… 御祭神は、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」「田心姫命(たごりひめのみこと)」「湍津姫命(たぎつひめのみこと)」 弁天池において悠然と泳ぐ立派な鯉…… 弁財天の鳥居の向こうに手水舎。さらに奥は社務所…… これも古いんだろうな~ 朱色の木製の橋ではなくても風情があります。 境内北側……手水舎の左に… 御大典記念植樹……令和元年5月1日。天皇陛下御即位を祝うソメイヨシノの植樹。 社殿右に神輿庫……総鎮守だけあって、さすがに数が多い。 天祖・諏訪神社社殿……拝殿で御祈祷がなされていたので、遠慮して近づきませんでした。正面からの写真も撮らず…… 御祭神は、「天照大御神」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「建御名方刀美神(たけみなかたとみのかみ)」「建御名方神(たけみなかたのかみ)」天孫降臨に際し、高天原から派遣された建御雷神と力競べをした後、国譲りを約束した神。「小碓命(おうすのみこと)」日本武尊(やまとたけるのみこと)の別名らしい。熊襲・蝦夷平定の為に活躍したことはなんとなく知っています。 ちなみに、狛犬は慶応3年(1867年)の奉納と古い。 社務所も立派です。御朱印は頂戴しないので私は素通りで失礼。 いそいそと最終目的地に向かった私でした。 蛇足ながら、当社は以下の周辺神社の本務社とのこと。「山王日枝神社」「八景天祖神社」「長田稲荷神社・春日神社」「池上本町稲荷神社」「堤方神社」 この後 通過した「濱川神社」も天祖諏訪神社の兼務社だそうですが、結局全部制覇したみたい。少し前までは元気だったようです。 明日は人間ドック……嫌だけど行ってきましょう。
2021.01.15
閲覧総数 80
19
2月3日の世田谷散歩…… 駒留八幡神社から環七を北上…… 世田谷通りを越えて最初の歩道橋の脇に…… 若林天満宮……学問にご利益があるとされている菅原道真を祭神とする神社だから「若林北野神社」とも呼ばれます。狭い歩道からそのまま石段を上がるだけ。古くはたいそう賑わったようですが、環七の拡張で参道が失われたと考えられます。現玉垣は昭和34年の奉納だから、そのころ工事があったんでしょう。 社殿正面に「初午 2月3日11時 若林稲荷神社」の貼り紙。当者は稲荷神社じゃないから初午祭りは無縁でしょうけど、若林稲荷神社の宣伝かしら? 散歩に出かける時「今日は初午だよな~」と認識していました。人が多かったら近づかないことを肝に銘じていたけど、幸い祭りには遭遇しませんでした。この後訪問した「若林稲荷神社」でも、祭りの面影はありませんでした。緊急事態宣言中だから中止されたのかもしれません。 社殿扁額……いつから鎮座しているかは不明らしいけど、室町時代・応永8年(1401年)にはここにあったとする記録があるようです。 ちなみに「応永」ってのは、1394年から1428年までの35年間で、日本の元号の中では、昭和と明治に次いで3番目の長さらしい。 室町幕府第3代将軍・足利義満が征夷大将軍を辞官し、足利義持が第4代将軍に就いたのが応永元年だが、この新元号選定に関して、公家達の反発にあったため義満の希望は実現しなかった。そこで、機嫌を損ねた義持は「自分の生きている間には元号を変えさせない」決意をする。息子の義持も父の遺志を継いだのだろう、「義満死去・応永15年」「称光天皇即位・応永20年」に出された改元の議を阻止したとのこと。なぜか、いつも横道にそれる私……あかんあかん 小さな祭事が行われたのか? 奉納のお酒が並んでいます。 社殿右側…… 紅梅がチラホラ…… 白梅もチラホラ…… 社殿左側…… ポツンと境内社……稲荷じゃなさそうだけど、何かしら? やっぱりお稲荷様かしら? ポンプと手水舎…… 世話人さんのお名前がありますから、ご寄付の石碑でしょうが妙に古い。 前は環七…… 環七を世田谷線が横切る「若林踏切」…… 通過中……遮断機はありません。 ようやく行きましたが、またじきにやって来るんだな~ 早く渡りましょう。 淡島通りに向かって、また歩道橋……自動車には良いけど、歩行者には不便。 歩道橋脇を入ると次の目的地……若林天祖神社はまた今度……《おまけ》 シネマカフェの五目湯麺……小雨だったけど、西小山を諦めて早めのランチに行ってきました。禁煙(日・月)の暇を売る店でアイスコーヒーを飲んで新聞読んできた健康的な昼でした。「やれば出来るじゃないですか」と連れ合いに言われちゃいます。
2021.03.08
閲覧総数 185
20
3月23日、桜を求めてちょこっと散歩…… 桜坂通りの坂下に有慶山東光院……玉川八十八ケ所霊場55番の真言宗智山派の寺院だけど、2017年3月28日に訪問したので山門で合掌して失礼しました。4年も前の事で、寺社にはさほど興味がなかったのでしょう。日記を振り返ったら弘法大師像は単独で撮っていませんでした。しかし、この日訪問した増明院も密蔵院も同宗同派でした。南無大師遍照金剛…… さてさて、桜坂下までくるとこの古そうな石碑……以前は細長い木製の道標だったのに、いつから変わったのか? 桜橋……去年も同じような咲き具合だったかと…… 旧中原街道なんだって…… 石垣にはさまれた切通しの坂道……一生懸命に削ったんですね。大変だったでしょう。坂下方向で遠くは武蔵小杉。 坂上方向……昔は「沼部の大坂」と呼ばれ、勾配がきつく荷車などの通行は大変だったと。そうでしょうね~ 両側の桜が植えられたのは大正時代のようです。 かつては荷車や旅商人の往来でにぎわい、坂道の両側には腰掛け茶屋などがあったと……車を停車させて桜を撮りに降りるドライバー。多くの女性は下から見上げて撮るんだけど、こんな場所では危ないよ~ 右の石ブロックは「オリンピック東京大会記念 国旗掲揚塔」……昭和39年(1964年)10月10日。57年目になるんだけど、時の流れは早い。今年は本当にやるのかしら? 現在の中原街道を越えて多摩川駅方面に……東急多摩川線通過 多摩川浅間神社……ひょっとしたらと行ってみたけど寂しかった。 食行身録之碑……勝海舟の直筆。2019年12月4日の訪問時には撮り忘れたので…… 食行身録(じきぎょう みろく)ってのは宗教家でもあり富士講中興の祖だった伊藤伊兵衛と言う人物の行名らしい。行名とは富士講修行者としての名前で、伊藤食行身録あるいは伊藤食行とも呼んだそうです。 境内に桜の記憶はなかったけど、一応お詣りだけして見晴台に行ってみることに。昨年「燈籠とトイレが新しくなりました」とコメントを頂戴していたのに、すっかり忘れていてた私。次回のために、しっかり頭に刻み込んでおきます。 見晴台から…… 残念ながら富士山は臨めませんでした。 と言うことで、23日の桜巡りは終了です。 この日は寂しかった鵜の木増明院を昨日リベンジしてきましたが、また今度…… ※「2019年12月4日訪問の多摩川浅間神社」
2021.03.28
閲覧総数 241
21
連れ合いが、義母に付き添って横浜方面に行った折に見つけて買って来ました。 我が家には、キッチンと食堂にそれぞれ赤パンダ容器が置いてあり、詰め替えて使っています……といっても使用するのはほとんど私だけですが。 比べてみると、まず背丈が違います。 赤い方は、味の素の下に[AJI・nO・mOTO] の表記があり、金は上に[うま味調味料] と書かれています。 目の形も少し異なりました。きっと、赤パンダは古い容器なんでしょう。 ピンクのアジパンダもあるらしいので、どう違うのか欲しいものです。 金パンダには点字が付いていました。親切な心遣いですね~ 開け口の形状も異なっているみたいです。いろいろと改善・改良をしているのでしょう。 選挙中は一切口にしなかった「増税」が目白押しの安倍政権……名目を作って結局は取りやすい国民から徴収する安倍政権……最終形の不明な「所得税」、使途が明確でなく思いつきのような「出国税」や「森林環境税」などなど。一方では「削減」も……「生活保護基準」を引き下げ「生活扶助」の大幅減の足音が聞こえる。官僚が統計を基にはじき出した机上の帳尻合わせで良いのだろうか? 本当に助けを求める人の実態を視ずしての役人の発想には嫌気がさす。もっとブツブツ言いたいところなのですが、連れ合いに嫌われるので止めておきましょう。 今日も寒いですが、思い切って塗装をしようと思っています……今の所ですが……コピット ファイティーンであります。
2017.12.15
閲覧総数 1719
22
目黒区議会議員選挙……ポスター掲示板はガラガラだと思っていたのだが、どこも51人・候補者全員貼ってあった。 ちなみに、この掲示板のパターンは4種類あるそうで、総数は298もあるって。一気に貼ってまわるんだろうが、ボランティアのスタッフがたくさんいないとなりません。駅前での演説でもビラ配りや旗持ちなど、候補者を囲んでスタッフがいる。歩行の邪魔だったりするんだけど……まぁ、あと2日の辛抱… 中央緑地公園前…… 油面公園前…… 中町2丁目……バスも通るからよそ見していると危ない場所 田向公園前……園内にも同じものがあります。無駄じゃないかしら? 円融寺示真殿前…… 立会川緑道・富士見橋近く……緑道のこんな所で立ち止まって見ていたら、歩行者妨害になってしまいます。 立会川緑道・月見橋近く……反対側の車道からは見えませんね~ 立会川緑道・羅刹橋近く……桜はすっかり散りました。 西小山公園内……どこへ行っても、誰も見ていない… 向原小学校前…… 碑小学校前……やっと見ている人がいました。 11か所、2パターンの掲示板を撮ってみました。 碑小学校校庭脇の碑……今まで気づかなかった~ 皇太子殿下御誕生記念……昭和8年12月23日ってかかれているから今上天皇 明仁様のご誕生でしょう。もうじき引退……ながいことご苦労様でした。 左に東郷平八郎の名が刻まれていますが、亡くなる前年の碑……いやいや、建てたのは同年でしょう。 碑の夢……創立百周年記念……これも今まで気づかなかった~ いったいどこを見て歩いていたんだろう。《おまけ》「石破さんがくるようですよ」と連れ合いに教えてもらったので、昨晩行ってみました。安倍政権は好きではありませんが、石破茂氏は嫌いではありませんので…… だんだん力が入って…… 区議会なんだけど、なんで国政政治家が登場するのかな~ 頼まれたらしょうがないんだろうけど、それでも真剣に演説をしていた石破氏は立派でした。 選挙には行きましょう…
2019.04.19
閲覧総数 356
23
今朝は雨が降りだすというので、いつもより早く家を出発! 小学生の登校時間だから歩きにくいのを我慢……要所要所で「おはようございます」と、見守りの方々が通りすがりの私にも声をかけてくださる。知らん顔はできないので「ご苦労様です」と会釈する私……笑顔は忘れていたけど……反省… あちこちで見かけます……街路樹の中を電線が通り抜けている状態…… 都内の被害は少なかったようだけど、なんとかしないと駄目です。電線の地中化という選択肢もあるでしょうが、地震で分断されたら「どこを修理すればいいか?」すぐには発見できないでしょう。長期にわたってインフラを確保できない今回の千葉県の状況を見て、被災時の早期情報収集は町内会など地域住民と区政・都政が一丸となって取り組むような構築の必要性を感じました。 覚えてくれたようで「(ドレッシングは)和風ですね」と仰ってくれるようになりましたが、今朝はミルクカップが乗っていました。オーダーを聞いてすぐ、間違えないよう、料理が出来上がる前から用意しておいたのだと思います。最近は「和風」をお願いするのは私ぐらいなので、うっかりすると習慣でサウザンドアイランドをかけちゃうから……私の想像ですが、ありがたいことです。 高木神社……喫茶店を出ても雨はもう少しもちそうだったから、行ってみました。以前、確か連れ合いと訪問したことはありますが、写真を撮ったか?記憶になかったので。秋祭りの片付けをされていました……ご苦労様です。 写真左端……目黒区のHP[庚申塔めぐりガイド]に載っている一つです。21の記載のうち、この庚申塔だけ日記に書いた覚えがなかったので「寄らなくちゃ」と思っていた私です。 ちなみに、ガイドの最後に書かれている「緑が丘庚申塔(緑が丘1丁目11番)」は、現在はないかもしれません。グーグルのストリートビューでも見られなかったし、ごく近所に住まわれている方も「知らない」とのことでしたから……暇があったら区に訊ねてみるつもりです。 文字のみので青面金剛はいらっしゃいません。右に[〇〇荏原群 目黒]・左に[碑文谷村 二王尊]と彫られているので、道標を兼ねていたことが分かります。 当時からこの場所にあったのではないそうですが、碑文谷村二王尊とは円融寺を指していると私は考えます。ちなみに「二王」はなじみがありませんが、本来はこのように書かれたのを日本人が親しみを込めて「仁王」としたそうです。 これで区の[庚申塔めぐりガイド]に記載されたものは全部見ました~ 社殿……創建年代は不明らしいですが、碑文谷村時代には「第六天」と呼ばれており、高木神社となったのは明治時代だそうです。いずれにしても、永きにわたり地元の守護神です。 高木神社から少し歩いてこんな道…… 角田家長屋門……連れ合いも見たことがあるでしょう…… 中根公園裏・寺郷の坂にある岡田家長屋門も立派に現存しています。 旧栗山家長屋門も有名ですが、現在は解体保存中(区指定有形文化財)とのこと……残念……主屋は、すずめのお宿緑地公園に復元・公開されているんだけど…… 維持管理もたいへんでしょうが、大切にして後世に残してくださいませ。
2019.09.18
閲覧総数 351
24
11月29日……九品仏からブラブラして当日の最終見学地に到着… 本館から庭園に出て、私が選択したのは左から時計回り……天祐庵門と文人像がお出迎え。 紅葉…… 迷路のような庭園……約6000坪の敷地に細い径路があります。南西に向かって(この地図では上の方にむかって)深く傾斜している庭園です。径路の高低差は35mだから『基本的に「崖」ですので「健脚コース」であることをご留意ください』と小さく書かれてたとおり、後で分かるのですが、ほぼ平坦なエリアだけ見学して下りはお止めになる方が多かったみたい……また上ってくるのシンドイものね~ ちなみに、手すりは景観上最小限でした。 茶室が二棟……どちらも非公開・立ち入り禁止 右:古経楼(こきゅうろう) 明治時代に建てられたと。 左奥:冨士見亭は五島慶太翁が古材を使用して作らせた立礼席……椅子に腰かけて行う茶道の点前形式だって……不調法の私はよく知りません。 稲荷丸古墳…… この日4つ目の古墳(狐塚古墳・御岳山古墳・野毛大塚古墳とここ)……帰ってからの独り反省会で、近くに「稲荷塚古墳」てのがあることを知りました。見過ごしっぱなしはいやなので、5日後に行ってきました。 燈籠…… また燈籠……あっちこっちに沢山たくさん点在してました。 道標も…… 江戸にあったものではなさそうです。細い径路にも多数の道標が置かれていました。 南西に傾斜していく庭園…… 茶室からの眺めはどうなのかしら? 地図には「見晴台庭園」とあったけど眺望悪いです。下中央やや左の四角いのは「銀閣寺手水鉢」と木札に書かれていました。銀閣寺にあったものかは不明ですが…… ソテツ(蘇鉄)……南国とばかり思っていましたが、東京でも育つみたいです。『赤い蘇鉄の 実も熟れる頃 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち……』 (島育ち 田端義夫 作詞:有川邦彦 作曲:三界稔) しかし、私も古いな~ また燈籠…… 昇陽殿……どのような物かは不明『……陽はまた昇る どんな人の心にも あゝ生きてるとは 燃えながら暮らすこと……』 谷村新司を思い出しました。 虫に食われた松茸みたいな燈籠…… たくさんの大きな燈籠が並んでいる場所…… 足元にこんなプレート…… 富士山眺望可能ポイントらしいけど、矢印の方角はこれ…… 少し離れた見晴荘という建物の近くからの眺望……富士山の方角とは少し違います。 前の写真の場所を最後に、今度は下に~下に~です。ここまでで引き返す方々を目にしました。 でもって今日はここまで……次回は下の方を少し……
2019.12.14
閲覧総数 325
25
6月20日 最後の訪問先…… 教学院を後にして、線路沿いをちょこっと……来た来た世田谷線……区民の便利な足です。 西太子堂駅の南側住宅街へ…… 横にも細い路地……かつてはウロウロしたけど、すっかり元気が残っていない昨今今日この頃です。 住所は世田谷区太子堂から若林に変わっていました。若林ってのも随分と広そうです。世田谷線は西太子堂駅の次が若林駅で、その次が松陰神社前…… でもって、電信柱の右…… 左卜全住居跡……なんでこんなところを見に行くのか? 自分でも不思議ですが、ついでだったから……『常道の芸では 先がしれてる されば 逆 遠き苦難の みちを求めん』 突発性脱疽(だっそ)を発病し医師から切断を薦められるも、激痛を共に生きる道を選んだと。役者であり続けたかったのであろう卜全さん。晩年は松葉杖を手にしてなかったしら? どなたかがお住まいになっているベランダの前……失礼しました。かつては、冠木門のあるお家が建っていたんだって…… 名優 左卜全 住居跡 左卜全(本名・三ヶ島一郎/昭和46年5月26日没/享年77)は、おとぼけと洒脱の独特な芸風でユニークな名脇役として注目され、代表出演作に黒澤明監督作品の「白痴」「生きる」「七人の侍」「どん底」等の映画作品があり、晩年(75歳)には「老人と子供のポルカ」のレコードを出し、大ヒットし、広く人々に親しまれました。 またこの地は、左卜全の虚構と伝説に満ちた生涯の真実と夫への限りない愛を持って描き出した妻 三ヶ島糸著書「奇人でけっこう 夫・左卜全」(装画・題字=森繫久彌/文化出版局)があり、糸が平成8年7月25日、87歳で没するまで愛したゆかりの地でもあります。 人も惜し さらに芸惜し へだつ世のおもいはるかに燃ゆるおりおり(糸) ふるさとの土に召されて とことはに君がみたまのここにしずまる(糸) 共にある世のなごり惜し 添寝して細りゆく手むねにあたたむ(糸) 〈昭和46年4月5日(糸の誕生日)病床にある夫・卜全の床の前で〉 ひとしれず消えたき思ひ草の葉の陰に宿りし 露のごとくに(糸) 〈独り暮らしを貫いた世俗の喧騒をよそに卜全没後超然と生きた25年〉 いつしかと都の塵に汚れたるわが白かりし衣かなしき(一郎 ※卜全の本名) 〈少年時代東京で働いていた時に、姉で歌人の三ヶ島葭子にこの歌を送ったところ、すぐに「鶯のはつ声よりも嬉しき君がはじめて送りきし歌」と返歌がきました。〉 なお、ここにありました冠木門は出生地の所沢市三ヶ島堀の内の三ヶ島家奥津城(お墓)に移築し、映画・テレビ・舞台・ラジオの台本等の資料は所沢市教育委員会に寄贈し三ヶ島公民館に展示されています。 その他のスチール写真等の資料は、この隣の甥 中村靖宅に保存してあります。跡地の住居は「プレステージ レフト」の名称で、左卜全の名声を未来に残すためここに表記したものであります。 平成11年春彼岸 左卜全を偲ぶ会 中村 靖 建立 門前に立つ卜全さんの写真……たくさんの映画に出演されていますが、私は晩年の歌しか記憶にありません。「世界人類が平和でありますように」と書かれたものは自筆でしょう。お人柄が伺えます。 首都高速3号渋谷線を越えて世田谷観音通り…… 家路を急ぐ私の前に登場……去年12月にも免許更新の際に通ったのに気付かなかった~ どこ見て歩いてたんだろう? 青面金剛……提灯はやけに新しいです。 上馬1丁目33の庚申塔……ということで6月20日の散歩コースは終了です。 ボチボチ歩きたいのだけれど、こう暑くちゃ熱中症になりそうです。調べたら、去年の8月も寺社巡りは全くしなかったみたい。涼しくなるまで待っていようか……《おまけ》 たまに作る「焼うどん」……豚バラ、キャベツ、椎茸、ナルトなど冷蔵庫にあるもので独り作って食べます。かつお節が良い味にしてくれるのでありがたい。「今度紅生姜買うといて~」とお願いしたら、連れ合いは早々に調達済でした。昨日も草むしり、ごくろうさまでした。おーきにね~
2020.08.10
閲覧総数 952
26
渋谷区や港区なんてところを散歩していたから、久々に世田谷区を訪問した11月10日…… 実相院から北に向かうと、都道427瀬田貫井線の拡張・延長工事みたい……だけど、進行方向には区立桜木中学校や勝光院が横たわっている。どないすんねん? 工事中の道へは行かず、西へ左折……初めて歩く地域。 こんな変則な道に…… 庚申塔(右)とお地蔵さん(左)が向かい合っていました。 こちら側が世田谷区桜1丁目・お賽銭箱かと思ったら手水盤だった。……向かいのお地蔵さんは桜2丁目。 桜1丁目の庚申塔……唐破風笠付きの立派な庚申塔。左肩の「享保10年(1725年)」が辛うじて読めます。赤い布をめくるわけにはいかないので詳細は不明ですが、おそらく青面金剛以外にも三猿などが描かれていることでしょう。 桜2丁目のお地蔵さん……なんでお地蔵さんかって? 蓮台に立ち、舟形光背を背負っているようだから。台石には何やら書かれていますが、摩耗が激しいので読めません。でも、やっぱり200年以上はここに立ってこられたことでしょう。 庚申塔が見つめている方へ進むと…… アルファロメオ GTV TB……1997年頃の車みたいです。左右フェンダー上部にまで回り込んだボンネット(エンジンフード)が面白い。他車でこんなのあったかしら? アルファロメオの先に…… 桜2丁目11…… 今は暗渠だけど川があったんでしょう。何川かしら? 歩いてみたかったけど、進入禁止!!……つまらないな~ ちなみに、道路の反対側には見当たりませんでした。どうなっているのやら……《おまけ》 シクラメンがやってきました。 世田谷区長賞だって……この紫は見たことありません。 朝日新聞朝刊の見開き広告……鬼滅の刃は知らない私。しかし1億冊突破はスゴイな~ と言うことで、今日はこれでおしまい。ブツブツ書きたいけど止めておきます。健康に悪いものね~ 代わりに予防の電気治療に行ってきます。
2020.12.04
閲覧総数 281
27
「My First JUGEM」……『梯子酒……』「気まぐれなページMkⅡ」……『珈琲酒……』
2021.12.07
閲覧総数 122
28
今日の「My First JUGEM」……『源昌寺』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『海棠一輪……』
2022.03.26
閲覧総数 89
29
今日の「My First JUGEM」……『熟していない秘書官……』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『ロウバイも下向き……』
2023.02.05
閲覧総数 68
30
今日の「My First JUGEM」……『上手に鳥が突く……』今日の「気まぐれなページMkⅡ」……『バレンタインデーだって……』
2023.02.14
閲覧総数 78