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子ども達だけでお風呂に入ってもらっている間、夕飯の支度をする。お風呂から2人の声が聞こえてくる。内容は聞き取れないけれど楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。僕の心に穏やかな流れが入り込んでくる感じでとても穏やかな気持ちになれる。ちょっとした幸せなひとときなのです。。。
2012.01.01
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ディズニーランドの年越特別営業のチケットを4枚もらった。色々考えた結果、家族で行くことにしました。奥さんは翌朝から仕事だし、子ども達は当然起きてられないだろうから、年が明けたら帰宅する予定で、乗り物が2、3乗れたら…なんて考えていた。そんな考えは甘かったと思い知らされる。カウントダウンパレードが無くなってもやはりオープン前は結構な行列ができていた。20時半に入園したけど、ファストパスはすでに日付が変わった時間になっており諦めざるを得ない。そうはいっても次男坊が身長制限を越えたので、せめてスペースマウンテンは乗ろうということに。時間的に乗り物はこれひとつで終わりとなる。新年のカウントダウン10分前には、花火を見ようとする人達集まり、通路でもほとんど身動きが取れない状態。あっという間にカウント始まり、花火が上がる。次男坊は抱っこして見せてあげることが出来ても、満員電車みたいな状況下で30キロを超える体重の長男を抱っこするのは到底無理があり、花火をまともに見ることができなかった長男には少々気の毒なことをした。最初からほとんど楽しむことは出来ないだろうと予想していたので、TDLで年越しをすることに意義をみいだし奥さんとも納得していたのだけど、カウントダウンの際の人込みに気持ちは少々萎えてしまう。奥さんが帰り際つぶやく。「こんなに人が多いんじゃ、家でのんびり紅白でも観ていた方がよっぽど有意義だよね。まぁ、花火は綺麗だったけどね」全くその通りだと思った。ただ、次男坊がスペースマウンテン乗れたことを喜んでいたことが唯一の救いだったかな。。。
2011.12.31
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今日で40才になりました。孔子がいう不惑の年です。きっと40才は惑わずというより、惑いたくても惑えない年齢なのかもしれませんね。とはいっても、僕は惑ってばかりいて、時の経つのだけが早いと感じてばかりいます。。。
2011.12.30
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趣味で靴を製作できる工房に通っている。会社や奥さんの勤務の都合で毎週通うのは難しいのだけど、通い始めて7ヶ月。今は2足目を製作中で、この日の作業はミシン掛けが中心。理想は「ダダダダダッー」と格好良くミシン掛けしたいところだけど、1足目のときのように変な線にならないよう「ダッダッダッ」と踏み込んだペダルを一瞬で戻す動作を繰り返す。ゆっくりだけど、かなり集中してミシン掛けをしていると、集中の緊張が心地良いモノに少しずつ変わってゆく。こうやって何かに集中して取り組むと、ある種の無心の状態になり、かなりのストレス発散になる。やはりこういった時間は大切だよね。それと僕は、密かに靴作りの目標がある。今はまだ自分の靴しか作っていないけれど、腕を磨いて「奥さんの靴を作る」がひとつの目標。その日がくるのは、まだまだ先だろうけど、細く長く製作を続けていこうと僕は思うのです。。。
2011.12.27
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この日は本社の忘年会。直営店の忘年会に続き、ここでも僕は司会進行。直営店の忘年会はかなり力を入れて臨んだのだけど、本社の忘年会は例年通り基本的には食べて飲んでの忘年会なので、僕自身としては軽く考えていた。ところが、取引業者の忘年会に出席して影響を受けた社長が忘年会2日前にビンゴをするといいはじめた。副社長が、本社の忘年会で景品の予算は割かないと決めていただけに、調整に少々気を揉むが、何とか予算を取ることができ、ひと安心。当日はビンゴ大会のあと、時間が余ったので、急遽社長がモノマネ大会をやると言い出す。その対応で今回もほぼ立ちっ放しで、食事も摂ることができなかった。それにしても、忘年会後に社長からダメだしされた際、「来年も気まぐれパパくんが、司会やるのだから…」と言われてしまった以上、今までローテーションだった忘年会と納会の司会が、事実上僕に固定となるのだろう。社長のダメ出しに、もう来年の忘年会で盛り上がるイベントには何があるかを考えてしてしまうのです。。。。
2011.12.22
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直営店の忘年会で使用しなかった賞品をもらった。もらったモノは、生演奏を聴きながら食事をするお店のディナー券(1万円分)。奥さんにそのことを伝えると「そういう所、一度行ってみたかったんだよね!」と僕の予想に反して興味を示す。ジャズのステージが良いと言うので、お店のイベントスケジュールを確認して、せっかくだからと思い、良い席を予約してしまった。それにしても、普段から音楽を聴くわけでもなく、ましてや音楽を聴きながら食事をするなんてことに全く興味がないと思っていただけに、奥さんの反応はちょっと意外だった。でも少し考えてみれば、きっと女性ならお洒落で雰囲気の良いお店で食事したいと普通に思うよね。そう考えると、単に僕の思い込みだったんだよね。結構、奥さんのことは理解しているつもりだったけど、まだまだ理解していないことも沢山あるんだね。。。
2011.12.19
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出勤する際、日によっては長男と同じ時間に家を出ることがある。この日も一緒に家を出た。玄関を出た長男は「行ってきまーす!」と小走りに家を後にする。その後ろ姿を見て、ふと感じる。元気な長男の後ろ姿に特別な意味はなく、ごくごく当たり前のこと。でも、当たり前に感じることって、実はとてもありがたいことなんだよね。後ろ姿で言えば、長男が元気だからこそ見ることができるんだよね。そう思うと、「今日も子ども達が元気に過ごせますように」そんな想いが自然と湧き上がるのです。。。
2011.12.16
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この日、会社の直営店の忘年会があり、僕は司会進行をしました。忘年会は社外の来賓者も居たので、来賓挨拶が終わるまでは少々緊張した。でも、乾杯の後は緊張も解けるに伴い、店長達のノリの良さにも触発されたせいか、僕の気持ちが少しずつ開放的になっていく。普段仕事では、感情のムラを出さないようにしているせいか、自分の感情に逆らわず、素の自分を出すことができたのでとても気分が良かった。(ちなみに翌日、会社の人からは「素面で随分弾けてましたね」と言われました)そういえば、若い頃ってこの日の様に主体性を持って仕事してたよな。それがいつの間に人からの評価を気にして自分の感情に蓋をするようになってしまったんだろう?そんなことをふと考えてしまった。まぁ、それは僕の気持ち一つで変えられることは分かっているので、来年の課題とすることにした。話しを忘年会に戻すと、タイムスケジュールに余裕がなかったため、僕は3時間ずっと立ちっぱなし、もちろん食べる暇もなし。でも、忘年会は大いに盛り上がり、従業員の人達も喜んでくれていたので、企画から会場決めまで悩んだ甲斐があった。忘年会の企画は本来の業務とは全く関係ないし、結構プレッシャーもあるのだけれど、来年の忘年会も司会進行をやりたいと思える忘年会だったのでした。。。
2011.12.06
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我が家では子ども達のクリスマスプレゼントはサンタクロースが持って来てくれることになっている。子ども達がサンタへの手紙を書いているときのこと。「お父さんはサンタクロースいると思う?」長男の不意な質問に「いないと思うよ」とつい本音が出てしまい、ヒヤリとする。慌てて「違う違う思い出した。フィンランドっていう国のラップランドにサンタはいるはず。カンタはどう思う?」と切り返す。すると「いると思う。でも、たっちゃんちはサンタさんが沢山プレゼントを買うとお金が足りなくなっちゃうから、お金の高いプレゼントはお願いしちゃいけないんだって」「でも、たっちゃんが…」と聞いたときは一瞬ドキリとした。たっちゃんがサンタは居ないと言っているのかと思ったが、どうやら上手くやり過ごせたようだ。それにしても子供たちもいずれ理解するだろうけど、いつまでサンタからのプレゼントとして振舞えばいいだろう。いっそうのこと、サンタの存在はうやむやまま、今年からクリスマスプレゼントは僕らからあげるのもありかもしれない。そんなことをふと考えてしまうのです。。。
2011.12.01
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奥さんが夜勤明けに、次男坊の身体測定のためお昼過ぎに小学校へ行くというので、朝2人のお昼ごはんにと思い、かつ丼と豚汁を作っておいた。仕事から帰ってくると、豚汁が作ったときのまま残っていた。夕飯に食べればいいだけのことだけど、豚汁も作ったことをメールで伝えておいただけに少し寂しい気持ちになる。その時、ハッとした。きっと、奥さんに同じ思いをさせてきたかもしれない…奥さんは夜勤前にその日の夕飯を作っておいてくれる。作ってくれたおかずを、理由はどうであれ僕は食べないときがある。奥さんも食べるつもりで作ったおかずならともかく、家族のためだけに作ったおかずがそのまま残っていて、それを自分で食べることになったとしたら…やっぱり寂しいよね。仮に奥さんがそんなことに気にしていなくても、これからは奥さんが用意してくれたおかずをちゃんと食べることにしよう、そう心に決めた。もちろん、子ども達にもしっかり伝えよう。
2011.11.26
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掃除をした後は何となく爽快感があり、その場所や部屋からは良い雰囲気みたいのを感じ、また明るくも見える。今までは綺麗にしたという自己満足のせいと思っていたけど、ふと、どうも違うんじゃないかと思った。掃除をするというのは、部屋を綺麗にする、整理整頓するという以上に、実は気持ちの整理整頓をしているのかも?例えて言えば、誰かに愚痴を聴いてもらって、『さぁ、がんばろう!』といった心境に近いかもしれない。掃除は、やり始めると普段とは視点が変わるから、普段気にならない所も気になり、時間に余裕があれば、ついつい細かい所まで掃除をしてしまう。こういうときって、大抵一生懸命やっているんだよね。つまり、掃除をして感じる爽快感っていうのは、一生懸命やったからこそ感じることなんだろう。そう考えると、掃除に限らず何でも真剣に取り組むことで充実感を得ることができる。それは当たり前のことだろうけど、何事も真剣に取り組むって意外と難しいと感じるのは、きっと僕だけじゃないだろう。。。
2011.11.22
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帰宅すると子ども達は寝ていた。子ども達の寝顔を見る。寝顔を見ていると、癒される感じで気持ちが軽くなる。昨日、次男坊を叱ったことがどうでいいと思えてくる。昨日の僕は、どうやら自分の価値観というフィルターだけで次男坊の言動を見て、多くを求めてしまったようだ。次男坊はまだまだ6歳の子ども。もう少し気持ちに余裕を持って子どもを受け入れてみよう。当たり前のように見ることのできる寝顔。もし、見ることができなくなったら… そう考えると、今日も一日無事に子ども達が過ごすことができたことに感謝しないとね。。。
2011.11.21
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次男坊の登園は、奥さんが出勤ついでにしてくれる。でも、男坊がたまに僕と行きたいと言うときや出かける時間になってもぐずぐずしている場合なんかは僕が連れて行く。この日は、朝から少々不機嫌で「早お迎えじゃないと嫌だ!」と言い出した。奥さんの勤務上、問題なければ奥さんが向かえに行くのだけれど、この日は早お迎えできない日だったので、奥さんがそのことを伝えても次男坊は早お迎えの一点張り。時間ギリギリまで諭していた奥さんもあまりの次男坊の強情さに痺れを切らしたので、僕が保育園へ連れて行くことにした。いつもなら、しばらくして気持ちも落ち着いて「じゃ、保育園行くよ」と言えば、何事も無かった様に登園してくれるのだけど、この日はどうも違って、いつまで経っても「早お迎えがいい」のまま。お迎えできないことは何度も説明しているので理解はしてくれているのだろうけど、どうやら次男坊の気が治まらないというか感情をコントロールできないみたい。どうして早お迎えがいいのかを訊いても何も答えずムッとした表情で黙ったまま。しばらく放っておきたいところだけど、僕も時間がないため、抵抗する次男坊を抱えるようにして保育園へ連れて行く。車の中でもずっとぐずぐずしている次男坊。だんだん僕の心が乱れ「わがままばっかり言ってるんじゃない!」と高圧的になってしまう。保育園に着いても、逃げ回り抵抗する次男坊。捕まえて、拳骨でも…と考えたが、さすがにここで泣かれたら、さらにやっかいなので、「いい加減にしなさい!」とお尻を軽く叩く程度に留めた。先生には簡単に事情を説明し引き渡しても「早お迎え~!」と泣き、諦めない次男坊。余裕がないと、ついつい子ども達に対しては高圧的になってしまう。本来であれば、次男坊がどうして早お迎えがいいのかをもう少し理解し、高圧的にならず諭す対応をした方が良いと考えているだけに、自分に対して『まだまだ未熟だなぁ~』と僕は思うのです。。。
2011.10.28
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部署を異動してから、今のところ帰宅時間が以前よりも早くなった。そのおかげで少し子ども達の相手をする時間的余裕が持てるようになった。これはとてもありがたい。時間の余裕があると、やはり気持ちにも余裕ができるので、明日を気にして子ども達を急かすことも少なくなるし、遊んであげることもできる。最近は、次男坊の希望で戦いごっこをすることが多い。今晩、戦いごっこをしているとき、『やっぱり、こういう時間って大事なんだろう』そんなことを考えた。以前であれば平日の夜に遊んであげることができなかっただけに、特にそう感じるのかもしれない。僕自身は、子どもの小さい頃の親との記憶は成長と共に希薄になってしまい、大抵の記憶は漠然と「楽しかった」とか「悲しかった」といった感情が残るんじゃないかと思っている。そう思っているだけに、子ども達が成長したとき、親や家族の記憶が楽しいものであって欲しい。そのためには、子ども達や奥さんに対する接し方を日頃から大事にしないといけないね。特に子ども達の成長はあっという間でだからね。。。
2011.10.24
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子ども達が寝た後、奥さんと2人でツタヤに行く。奥さんが「スタバでコーヒーを飲まない?」と言うので帰りに寄ることにした。店内でコーヒーを飲みながら、奥さんが「仕事はどう?」と訊いてくる。10日程前、僕は部署を異動した。異動が決定する前は、本気で退職(転職)を検討し、その旨を5月末には上司にも伝えていたが、その後の会社とのやり取りで、結局僕は会社からの異動の提案を受け入れることにした。この一件で僕は奥さんに弱音を吐いたし、またずいぶんと心配を掛けた。だから、気遣ってくれての奥さんの言葉なのだろう。僕は業務や上司のことを話す。『そういう人っているよねぇ』といった感じで聴いてくれた奥さんは「そういうのは、軽く聞き流すようにした方がいいよ」とアドバイスしてくれた。アドバイスもありがたいが、とにかく話しを聴いてくれたことはもっとありがたかった。ストレスが溜まっている訳ではないけれど、自分の気持ちを聴いてもらえるってことは、少なからず気持ちが楽になる。そういった意味では、奥さんに感謝なのです。。。
2011.09.26
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夕飯の支度を済ませる。ちょうど次男坊が「お腹空いた」と言う。僕はお腹が空いていなかったので、子ども達だけ食べさせることにした。おかずはチンジャオロース、ブリの照り焼きとごぼうの肉巻きに玉子スープ。長男は好き嫌いが少ないのでどんなおかずでも大体食べてくれる。一方、次男坊は食わず嫌い多く、好きなおかずしか食べない傾向がある。今回のおかずでいえば、ごぼうの肉巻き。時間を掛けて作っており、奥さんや長男には好評ので次男坊にも食べてもらいたいと思うのだけど、次男坊は今まで口にしたことはない。でも今日は違った。食べることを促したわけではないのだけど、次男坊はごく普通に食べていた。「たいち、今までごぼうの肉巻きは食べなかったけど、 食べてみたら美味しいでしょ、そのおかず?」次男坊は黙ったまま2つ目を口に入れていた。2つ目を口に入れている行為自体が『おいしい』という回答と解釈することにした。その後、子ども達の食べている顔をしばらくみていた。肉巻きを食べてくれたせいだろうか、子ども達の食べている姿を眺めているだけで、何となく心が満たされていく感覚になる。やっぱり幸せは日常の何気ない出来事に沢山あって、それに気づける心を持っているかどうかなんだと改めて僕は思うのです。。。
2011.09.18
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夜遅く帰宅すると、僕の小物を置く棚に「じぃじへ」と書かれた大きな茶封筒を見つけた。気になり中を確認してみる。どうやら、長男とじぃじが2人で将棋を指している姿とその奥のテーブルに次男坊とばぁばが居る風景がクレヨンで書かれており、絵の上の方には『いつもありがとう』と書き加えられている。絵の横には長男が書いた招待文が付いていた。どうやら学校で作ったようだ。その全文は以下の通り。おじいちゃんへあきになりましたがまだなつのようなあつさですね。こんど小学校でうんどう会があるのでみにきてください。ぼくのぼうしの色は白です。きょ年は赤組がかったけどこんどは白組がかつとおもいます。学校の校門のちかくにけむしがたいりょうはっせいしているから入る時は十ぶんきをつけて入ってね。ダンスのきょくの名前はラブアンドピーチてゆううただからぜったいに見にきてね。これを見たときのじぃじの喜ぶ姿が容易に想像できるし、こんな招待状を貰ったら運動会を見に行くしかないだろう。それにしても「毛虫が大量発生しているから…」には少々笑ってしまったけど、一方で子どもの感性に気持ちがほっこりする。じぃじへの招待状だけど、僕も運動会が楽しみになるのです。。。
2011.09.16
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日曜日。奥さんは深夜勤務明けなので、帰宅するまでに家の掃除を済ませ、できればお昼ご飯の準備をしておきたい。でも、子ども達がスイミングなので、9時半には家を出なきゃいけない。となると、出かける前に済ませなきゃいけないから6時に起きて掃除から始める。掃除機で部屋を掃除し、お風呂、トイレ、流し台の掃除に、洗濯もしておく。お昼のおかずは餃子と考えていたので、あとは焼くだけの状態まで準備しておく。9時の時点でここまで済んでいると何となく得した気分になる。子ども達がスイミングの間、夕飯の食材などの買い物を済ませ、子ども達が泳いでいる姿を少し観る。帰宅すると奥さんは帰ってきていた。「お昼どうする?」と奥さん。「これから餃子と玉子スープを作る」「何か手伝おうか?」「いや、いいよ。餃子はもう焼くだけだし、スープもすぐにできちゃうから、ゆっくりしてて」「あら、いつの間に…」と冷蔵庫を覗く奥さん。こういったとき、早起きして掃除を済ませ、おかずの準備をしたなんてことを僕は言わない。いつも「愛するみわっちのためですから」と冗談ぽく答えることにしている。深夜勤務明けの奥さんのことを考えたら、せめて僕が休みの日は、奥さんが家のことを何もせずゆっくり寝ていても良いだろう。ただ、それだけなのです。。。
2011.09.11
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先日、長男は買った直後のベイブレードを公衆電話の横に置き忘れてしまった。置き忘れてから気づくまで5分と時間は経過していなかったけど、長男が確認したときにはすでにその場から無くなっていた。「なかった…」と半べそで諦めかけている長男に、これは良い機会かもしれないと思い、この後の対応を長男一人にやらせてみようと思った。長男には、公衆電話の所まで戻って近くにいる店員さんに事情を説明して探してもらうよう伝えた。「わかった」と小走りで再び売り場に戻る長男。待っている間にしばし考える。もし、見つからなかったとしても、長男がお店にベイブレードが届いていないか尋ねることができたら買い直してあげるか、それとも可哀想かもしれないけど、再度買うのは控えようか悩んだ。今回のベイブレードは、僕からの課題をクリアした長男との約束で買ってあげた。そういう意味では僕は約束を果たしている。子どもを甘やかしちゃいけないから、買ってあげる必要はないと考えるのだけど今回はちょっと事情が違う。この日携帯を忘れた僕は、買い物を済ませた後、長男に公衆電話から家に電話を掛けるようお願いをした。電話を掛ける際、直接手に持っていたベイブレードを脇に置いておくのは当然のこと。だから、置き忘れたことで長男を責めるつもりはない。もし、置き忘れたベイブレードを持ち去られたのなら、運が悪かった。しかもきっかけは僕にあると考えることもできる。正直、どうするか迷った。しばらく考えると、長男が戻ってきて「お店の人がお父さんを呼んでるから来て」というので、長男と一緒に売り場へむかう。どうやら、長男はサービスカウンターまで辿りつき、ベイブレードが見当たらないことを伝えられたようだ。サービスカウンターには届いていないということで、見つかったら店舗から連絡をもらうことになった。家に帰って奥さんに事情を説明すると、「お父さんがまた買ってくれるよ」と長男を慰めていたけど、「お父さんはもう約束は守ったから、買わないよ」そっけなく僕は答えたが、一方で長男が可哀想だなと思っていた。それから3日経過した。奥さんと長男が買い物へ行った際に確認するも、届いていないということで長男が落ち込んでいると奥さんからのメールで知った。『しょうがないなぁ…』僕は仕事帰りにベイブレードを買って帰った。長男は喜んでいたけど、奥さんからは「結局買ってるじゃん」と僕の行動を見抜いている様子。やっぱり、僕は子どもに甘いのだろうか…それとも自分の中に明確な判断基準がないだけだろうか…考えてしまうなぁ。。。
2011.09.02
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子ども達と一緒にお風呂をしょっちゅう入るのだけど、長男は自分で体や髪を洗っている。久しぶりに長男の頭を洗ってあげた。確か1年前なら、座ったまま洗ってあげることができたことも今では立ち上がらないと、髪を洗うことができない。日々子どもの成長を実感するのはなかなか無いけれど、一方で何気ない日常の出来事から子どもの成長を実感する。小学2年生の長男、まだまだ子どもだけど10年待たずに僕の身長を追い抜いてしまうのだろう。その時は、どんな少年になっているのだろう?爽やかな少年になっているのかな?今から楽しみです。。。
2011.08.15
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誰でも1度ぐらいは過去に戻ってやり直したいと考えたことがあるだろう。僕の場合は、高校生入学の頃に戻りたいと思うことがある。理由は、今は勉強したくても思うように時間が取れないため、勉強できるときにしっかり勉強しておけば良かったと感じるため。高校生の頃の僕は、クラブとアルバイトに明け暮れていた。そんな当時の僕を知る奥さんに言わすと、僕は遊んでばかりいたらしい。(遊んでばかりいたつもりは無いんだけどねぇ…)ふと、ある考えが浮かんで奥さんに聴いてみたいと思った。僕と奥さんは同じアルバイト先で知り合った。もう、22年も前のことだ。もし、アルバイト先でお互い出会ってなかったら、その後の人生で僕は奥さんと結婚できたのだろうかと。その時の僕の答えは、もしかしたら、違う女性と結婚していたかもしれない、でも奥さんが運命の人であるならば、例え22年前アルバイト先で出会ってなくても、その後の人生で出会い、結婚できるのだろうと。そんなことを考えると、奥さんにも聴いてみたいと思った。帰宅後、2人で夕飯の支度をしながら聴いてみた。「もし22年前、僕と出会ってなかったら、結婚はどうなってたと思う?」「何それ? それって私と結婚してマイナスだったって言いたいの?」「違うよ、そういうことを言いたいんじゃなくて…」 と質問したいと至った経緯を説明する。奥さんから出た答えは僕の考えとほぼ一緒。その後、奥さんの答えは分かっているつもりなので訊かなかったけれど、こんなことを考えた。じゃあ僕らは、お互いが運命の人だったのかな?都合良く考えれば、奥さんと出会い結婚できたこと自体がある種の運命だろう。だから奥さんは運命の人だろうと僕は思うのです。。。ちなみに…このブログを読んでくださった皆さんは、現在の価値観を持ったまま過去に1度だけ戻れるなら、いつの時代の自分に戻りたいですか?
2011.08.14
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先日、家族旅行で金沢へ行ってきました。歴史ある町並みなどをゆっくり観て回りたい奥さんと僕。しかし、そんなことには興味ない子ども達の「つまんない」「早く帰ろうよ」で、夫婦の淡い期待はあっさり打ち砕かれる。分かっていたことだけど、夏の炎天下での観光を考えればさすがに子ども達には苦痛しかないだろう。奥さんが「今度は2人で紅葉の頃にでも来たいね」と言う。一瞬、秋の金沢を想像する。秋の金沢もきっと風情があって良いんだろう。「そうだね、そのときはゆっくり観て回りたいね」これでまた一つ夫婦で旅行したい場所が増えた。「あと何年ぐらいしたら2人で旅行できるのかなぁ?」と奥さん。「そうだね… あと10年もすれば、子ども達が 留守番してるから勝手に夫婦で行っておいでと 言うようになるんじゃないの」そう言われるまで(?)夫婦の金沢旅行はお預けなのです。。。
2011.08.08
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今月からスイミングに通い始めた長男。今日は初めての進級テストの日。どういう基準に進級できるか分からないけれど、まだまだ下の級だから進級は大丈夫そうな泳ぎっぷりだった。着替え終わって出てきた長男の手には認定書。「進級できたよ!」少々照れくさいみたいだったけど、嬉しそうだった。そんな表情をみると、親としてもやっぱり嬉しい。どんな小さいことであれ、子どもが「できた!」と実感できることはとても大切。そういった小さい「できた」が、のちに子どもの自信に繋がっていくのだろう。奥さんが長男に聞いた。「かんた、スイミングは面白い?」ちょっと考えて「おもしろい」通う前は、「行きたくない」と言っていた長男。あの時と比べれば、自分自身でも少しずつ泳げるようになってきていることを実感しているのだろう。この夏はスイミング以外にも泳ぐ機会が何度もあるので、大いに自信をつけてもらい。そんなふうに僕は思うのです。。。
2011.07.24
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その日の出来事を奥さんに聞いてもらいたいと思うときがある。今日はそんな気分の日だった。20時頃に僕が家に帰宅したとき、すでに奥さんはお疲れモードですぐにでも寝たいというオーラが全開。(実際、僕の帰宅後、後はよろしくといった感じで、そのまま居間でフェードアウトするかのように寝てしまいました…)今日は、奥さんの仕事が休みだといっても夜勤明けなので仕方がない。なぜか「明日聞いてもらえればいいや」という気分にならない。やはり今日話したいということだ。こんな日は、冷めてしまうかのように話すことを諦めてしまうことが多い。それは、夫婦一緒の休みが少ないことや、勤務が不規則ってこともあるけれど、僕がいつもこんな感じでだから、夫婦の会話が少ないの理由の一つだろう…と思う。やはり、僕自身も少し考え方を変え、そして奥さんにもう少し気持ちや時間に余裕が持てるよう僕が行動した方が良いんだろう。そうしないと、僕ら夫婦の会話は増えない。ふと、そんなことを僕は考えてしまうのです。。。
2011.06.15
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最近まで強く感じていたことがある。自分自身で色々な価値観を作り上げ、その結果、価値観という自分自身のルールに苦しんでいると気づいた。僕自身は辛抱強い性格だと自負している。そのせいか、大抵のことは受け止め、受け入れることができる。また、自分の気持ちを話したり、相談することもほとんどしない。よっぽどのことがない限り、余計な心配を掛けたくないという思いが先行して、奥さんにも相談することはあまりしない。そういった性格が悩みなどを一人で背負い込む結果になっているのかもしれない。それは、無意識のレベルで人を信用していないのかもしれないし、もしくは、自分のことを話すことで人からどう思われるのかを気にし過ぎているのかもしれない。こういう考えではいけないとずっと前から分かってはいたけど、今更どう自分を変えるか、そのきっかけもないまま半ば諦め掛けていた。そんなとき、たまたま読んだ本の著者(心屋仁之助さん)の無料カウンセリングを受ける機会を得たので行ってきた。そこでは、自分には踏み出す勇気が必要なんだと感じた。そう、人に対して心を開く勇気。そして、自分らしく生きる勇気を持とうと僕は思えたのです。。。
2011.06.06
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先日、久しぶりに奥さんと話しをする時間が取れた。話しの中で、奥さんは職場の人から食事や飲み会のお誘いが度々あるけど僕に遠慮してあまり参加していないという。僕自身は、奥さんが職場の人や友人と食事することや飲み会に参加することに肯定的で、そのことは奥さんにも伝えていたし、「誘われたから行って来ていい?」といった話しが奥さんからあると、「行っておいでよ」と答えていただけに、奥さんが遠慮していたと知り、ちょっと意外だった。家のことを僕に任せて自分だけが楽しむことに、奥さんは後ろめたい気持ちになるんだって。そうんな風に奥さんが思ってしまうのは本意じゃない。そんな奥さんに僕は、(奥さんが)責任感を持って仕事はがんばっているし、家事はお互い様でそれぞれがフォローし合えばいいし、そして何より、奥さんが一番生き生きとしていることが家族にとって大事であることを伝える。奥さんもそういった機会でストレスを発散させたり、悩みを緩和できるというので、なおさらお誘いを受けた方が良いと思う。ここで今後の課題が一つできる。今後奥さんが気持ち良くお誘いを受けれるよう、僕が奥さんに「奥さんのおかげで自分の時間を楽しんでいるよ」といったことをアピールしておく必要があると僕は思うのです。もちろん、奥さん負担は掛けないように、さりげなくね。。。
2011.05.16
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お昼ごはんの準備ができてから5分ほどして子供たちが遊びから帰ってきた。2人もお腹が空いているらしく、手を洗った後には自らおかずをテーブルに持って行き、箸も自分達で用意しておかずを食べ出した。僕はご飯やお茶などを用意して、子供たちの残り物を食べようと、ひとまず子供たちの食べっぷりを見ていた。長男は好き嫌いなく大体何でも食べる。次男坊は好きなものしか食べない傾向が強く、好物のチンジャオロースばかりをがっついて食べている。ただ、普段小食なので、こんな風に自分が作ったおかずをがっついて食べてくれるだけでもうれしい。ふと思う。次男坊は年齢の割りには体が小さく、中々背も伸びず、体重も増えない。年を重ねるにごとに、同じ年の子供たちとの体格の差が気になることもある。でも、今日のように元気にご飯を食べる姿を見ていると、そんなことは大した問題でないと僕は思えてくるのです。。。
2011.05.03
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子供たちが寝ついた後、「やらなきゃいけないことが沢山あるのに眠いよ~」と、奥さんはコタツで横になる。「いいじゃん、疲れているんだからそのまま寝ちゃえばさ」と言う僕に、「本当、だらしなくて嫌になっちゃう」自己嫌悪に陥る奥さん。今日のように奥さんがこんな感じになると「そんなことないよ、みわっちが頑張っているのは僕が十分分かっているよ」と答えるのだけど、今日は僕の考えをもう少し話してみた。「みわっちは母として、妻としての理想像や 価値観を持っていると思うんだけど… そうだなぁ~、母として、妻として、 こうしなければいけないという価値観とでも言えばいいかな? その『しなければいけない』という考えを 『しなくてもいい』って、少し楽に考えてみたら? つまり、もう少しだらしなくていいって思ってみたら? たとえ、みわっち自身がだらしないと感じるように なったとしても、少なくとも僕はみわっちを そんな風に見ないし、いつでもみわっちの味方でいるから」「でも、いつもタカシくんに押し付けちゃってるし…」「そんなことは気にすることないし、少なくとも 僕はそう思っていないし」「そうかなぁ…」「そうだよ」僕が思うに、奥さんは自分自身に求める理想が高い。だから、理想と現実のギャップが大きいと自分はダメだと悩んでしまう。つまり「~しなければいけない」という価値観が多ければ多いほど、自分自身が作ったルールに縛られて気持ちの自由が奪われてしまい、ちょっとできないだけで自分はダメな人と悪循環に陥ってしまうんだろう。だから、そういった「~しなければいけない」という価値観を薄めることができれば、奥さんが自己嫌悪に陥ることも少なくなるのかなぁと思うのです。そのためにも、今まで以上に「みわっちは今のままでも十分頑張っているし、 たとえ、だらしなくなっても、周りの人は みわっちのことをだらしない人だとは思わないよ。 それにみわっちには僕がいるから大丈夫だよ」って、伝えていこうと思うのです。。。
2011.04.29
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車を運転していると、次男坊が「お月さんが追っかけてくる」と言う。ちょっと空を見上げれば、確かに次男坊の言うとおり月が動いている様に見える。信号待ちで車を止めると、今度は「あっ、止まった」と次男坊。子供の常識に囚われない素直な感性に僕は思わず微笑んでしまう。こういう子供の感性って、本当いいなぁって思う。たわいないことだけど、僕にとってはちょっとした幸せを感じる出来事なのです。。。
2010.09.28
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長男が小学生になり、初めての夏休みを迎えた。我が家は夫婦共働きなので、夏休みの間学童に通う長男のためにお弁当を用意している。奥さんは夏休みに入る前からお弁当作りを考えるだけで憂鬱になっていた。僕も作るのは面倒だけれど、入学から給食が始まるまでの間の2週間ぐらいは僕が長男のお弁当を作っていたので、何とかなるだろうと思っていたし、今回もまた期間中は全部自分が作るくらいの心構えでいた。自分がお弁当を作るのは「当たり前」と思っていたので、昨日奥さんがお弁当を作ってくれたときには「ラッキー」なんて思った。ここでふと思う。人は、人との関わりの中で「当たり前」と思うことは沢山ある。例えば、お弁当作りだけど、我が家の場合は、夫婦それぞれが、自分の役目としてお弁当作りは「当たり前」と考えている。だから、自分が作った日は当たり前のことで、逆に相手が作ってくれた日はラッキーな日となる。でも、例えばこれが、お弁当作りは奥さんが作って当たり前という場合だったらどうだろう?きっと旦那さんによっては何かしらの理由で仕方なく旦那さんが作ることとなった場合、不満に思うかもしれない。つまり、僕が感じることとして、何かしらの当たり前と思っていること(ここでは義務に対する当たり前、例えばお弁当作り)は大きく2つに分けることができる。ひとつは、自分自身が行う当たり前(お弁当を作るのは自分の役目)もうひとつは、相手が行う当たり前(お弁当を作るのは、僕ではなくて奥さんの役目)義務に関して言えば、この2つの「当たり前」の意識は常に前者の「当たり前」の心構えの方が絶対に幸せになれると僕は思う。つまり、自分がするべきと考えてくれていることを奥さんが代わりにやってくれた。そうなると自然と感謝の気持ちを伝えることができる。でも、奥さんがやって当たり前だと思っていることを自分がやった場合は、もしかしたら不満に思ったり、感謝しろよなと恩着せがましい思考になるかもしれない。同じことをするにも心構えひとつで大きく結果が変わる可能性を含んでいる。また、自分がやるのは当たり前と思えるための重要な要素は、やはり相手に対する感謝や思いやりなんだと思う。これがないと、やはり自分ではなく相手がやって当たり前と思う傾向になると思う。だから僕は、自分はこれだけのことをしているのだから、これくらい求めるのは当然なんて思考ではなく、例えば奥さんであれば、今まで以上に奥さんのどんな些細なことでも感謝できる心構えで接したいと僕は思うのです。。。
2010.07.28
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来月長男は保育園を卒園する。あっという間の6年間。子育ての節目をひとつ通過する気分だ。ふと思う。「子育て」って何?今まで漠然としか考えたことがなかったけど、僕の場合は「子供が自立できるようにすること」だと思っている。また、自立には精神的自立と経済的自立の2つがあり、特に精神的自立が大切じゃないかと僕は思っている。それは、精神的自立が出来ている人は基本的には経済的自立もできる人だとも思っている。じゃあ、精神的自立って何?って考えたとき、パッと言葉が出てこない。今まで漠然と考えていたとに改めて気づく。僕の精神的自立のイメージとしては、自分の人生に責任を取ることができるという事かな。つまり、人は自分に関する色々なことに対して決断しながら毎日生活している。きっと、日常のほとんどのことは無意識に決断しているんだと思う。そういったことは別として、自分が意識的に決断をするとき、その決断に自分が責任を持つということが精神的自立には必要じゃないのかなと僕は思う。そう考えると、やっぱり日頃の子供たちとの積み重ねが大事なんだと再認識する。例えば最近、長男の意思で次男坊と2人だけでお風呂に入ることがある。お風呂で長男は、自分だけではなく、次男坊の体や頭なども洗ってあげているようだ。僕はお風呂に限らず、子供たちが自ら言い出してやることについては、本人達が親を求めない限り好きなようにさせている。だから、2人でお風呂に入っているときに僕はお風呂を覗いたりはしない。きっと、体などの洗い方も不十分なんだろうけど、慣れないうちは不十分で良いとさえ思っている。不十分であれば、ときに子供は不快な思いをするかもしれない。でも、人は何かに困ったときや不便さを感じたときなどに知恵が出やすいし、また失敗などから学ぶこともできる。また、そうやって知恵を付けていく。だから、子供に助けを求められても、僕は原則としてヒントをあげて子供本人に解決方法を出させるように心がけている。子供の助けに対して親が問題を解決してしまうのは簡単だけれど、子供の自立には効果がないと思うから。長男はまだまだ子供だけれど、それでも子供なりの価値観は形成している。そういった意味では、子ども扱いしないで一人の人として長男と接することが大切だと思う。つまり、「まだ子供だから、○○をするのは無理」ではなく、「こうすれば、子供でもできる」そういった肯定的な思考で子供と接することが自立を促すんだろう。子供の成長は早い。気づけば、あっという間に時間は経過してしまう。子供たちが自立できるよう、父親としてきちんとサポートしようと、改めて僕は思うのです。。。
2010.02.19
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最近、ぬりえにハマッている次男坊。保育園からやりかけのぬりえを持って帰ってきては、家で続きをする。数週間前は、線も色も関係なく、ただ塗り潰していたのが、「はみ出しちゃいけないんだよね~」なんて言いながら、きちんと塗っていたり、また色も気にするようになった。特に最近は塗る色が気になるらしく、見本の色と色鉛筆を見比べて塗っている。そんな次男坊の姿を見て、ふと気づいた。当然なのかもしれないけれど、ぬりえの色って、スタンダードな(?)12色の色鉛筆で充分に対応できる色ばかりだなと。でも、やはり対応できない微妙な色もあると、それに近い色を塗っても次男坊はやっぱり腑に落ちないみたい。何度かそんなシーンを目撃すると、親ばかモードスイッチが入ってしまう。楽天のポイントあることだし、たくさんの色鉛筆を買ってあげようかと…そして、ネットで色鉛筆を探していると、100色セットとか見てしまい思わず買ってあげたい衝動に駆られるけど、さすがにそこは抑えて48色の色鉛筆を『ポチッ』。まだ、色鉛筆のことは内緒にしているのだけど、届いたときに次男坊はどんな顔をするのかが楽しみ。ただ、喜ぶ前提で注文しているだけに、もし無反応だったときは、かなりショックを受けそうです。。。
2009.10.20
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奥さんは来春小学生になる長男のランドセルを目星をつけているものを直接見て決めたいと言うので、家族で土屋鞄製作所という所まで行ってきました。僕のイメージだと、入学準備って年が明けてからで充分なんて思っていたので、販売所に着いてランドセルを買い求める人の多さにびっくり。ランドセル売り場だけ過密状態だった。奥さんが目星をつけてランドセルを長男に背負わせて確認。長男のランドセル姿は違和感なく、自然体な感じで良い。長男にも確認して、色はつや消しの黒を選んだ。ランドセルは後日届けられるらしく、予定は12月上旬から中旬。今の時期で2ヶ月近く待つということは、年が明けてから注文してたら、4月には間に合わない場合もあるんのかななんて思ってしまった。帰りに製作所裏の公園で少し子供たちを遊ばせた。遊具で遊んでいる長男を見て「半年後には小学生なんだなぁ…」と思うと、子どもの成長の早さを改めて実感し、30年ほど前の自分を思い出してみる。初めて自分のランドセルを背負ったときのワクワク感や照れくさい気持ちなどを思い出し懐かしい気分になった。きっと、長男も自分のランドセルや学習机が届いたりして小学生になる実感が湧いてくるんだろうなぁ。まだまだ10月。でも、4月はあっという間だし、入学にむけてそろそろ僕の気持ちもシフトしておいた方がいい。そんなふうに僕は思うのでした。。。
2009.10.19
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日曜日の昼下がり、僕は一人ソファで横になって本を読んでいた。2階では子供たちがプラレールで遊んでいて、普段なら兄弟喧嘩が始まり、次男坊が泣きながら「お父さん~、かんちゃんが…」と下りてくることが多い。でも、この日は珍しく仲良く遊んでいる様で、子供たちの楽しげな声が聞こえてくる。僕は本を読むのを中断して子供たちの声に耳を澄ます。思いのほか外が静かで天気も良いせいだろうか、子供たちの声が爽やかな風の様に感じる。そう感じた途端、気持ちが穏やかになり、時間の流れが緩やかになるのを感じた。僕はこんなふうに穏やかなにそして緩やかに時間の流れを感じるのが好きだ。心地良かったので、僕はそのまま昼寝をすることにした。僕にとっては、ちょっとした贅沢な時間だった。。。
2009.10.15
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子供たちの運動会が始まるのを奥さんと待っているとき、ショックな出来事が起きる。デジカメをいじっていた奥さんが、「あぁ、まずい。消えちゃった… どうしよう…」「何、どうしたの?」聞けば、先日ディズニーランドへ行ったときにミッキーと一緒に撮った家族の写真を消去してしまったと言う。「ちょ、ちょっとかして」とデジカメの画像を確認する。確かに消去されている。「どうして、消去したの?」「勢いで消去しちゃった…」勢いで消去って… 僕は理解に苦しんだ。消去するってことは、明らかに消去のする意思がないと「消去」のメニューを選択しないわけで、それに消去を選んだ際には必ず確認のコメントが出てくるのに。しかも、よりによってミッキーとの画像なんて…聞けば、過去の撮って失敗した画像を消してしまおうと思って操作を誤ったという。そういことなら仕方ないと思ったけど、よりによってミッキーとの写真とは…「あぁ、ショック… 子供たちに怒られる…」と奥さんは嘆いていたけれど、そりゃ僕も一緒だ。30分以上も待ってようやく撮った写真だったし、それにミッキーと写真を撮って一番喜んでいたのが子供たちだけに「よりによって…」というイラついた気持ちが残る。そうは言っても、消してしまったのは仕方ないから自分の気持ちを切り替える意味も含めて「次ぎ行ったときにまた撮る機会はあるかもしれないから、その時また撮れば良いじゃん」と奥さんに声を掛ける。でも、「そんな機会ないよ」と奥さんは言う。何もそんなこと言わなくてもいいのにと思ったけど、『ショック受けているんだから、しょうがないか』と僕は思い直す。そして、ふと思った。そういえばここ1年以上、デジカメで撮った画像をずっと溜め込んでパソコンに保存しても、プリントアウトしていないことに気づく。だから、今回の様なことが起きないよう、こまめにDVDなどに保存しちゃおうと思うのです。。。
2009.10.04
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この日は日帰りで山形まで出張。朝6時に家を出て帰宅は24時近く。山形を出るとき、奥さんに帰りは遅くなるから先に寝ていていいよとは伝えていたので、きっと寝ているだろうと思いつつも、僅かながら起きていることを期待をする。外から家の中は真っ暗だと分かったので、もう寝ているのだろう。部屋に入り、僕は思わず気が滅入りそうになる。居間は子供たちが遊んだたくさんのおもちゃなどがそのままの状態で放置されていた。また台所には洗い物が残っており、洗濯機の中には洗濯途中の洗物が水に浸っていた。きっと奥さんは全部済ませようとしていたのだろうけど、子供たちを寝かし付けるつもりが一緒に寝てしまったのだろう。僕はとても疲れていたので、着替えてひと息つきたかったが、なんせ、部屋が散らかっていたので落ち着かない。僕は気を取り直して、とりあえず着替えて部屋を片付けてからお風呂に入り、洗濯物を干す。おなかも少し空いていたので、残っていたしょうが焼きと茹でたもやしを食べながら帰宅してからのことを考える。この日の奥さんは仕事が3連休の最終日。当然、この日の僕の気持ちとしては、家のことは奥さんにやっておいてもらいたかったというのが本音。でも、休みとはいえ奥さんが忙しかったことも知っているし、体の疲れも取れていないのだろうと思った。こういうときこそ、感謝を忘れちゃいけないんだと思う。つまり、『奥さんは休みなのにどして家のことをきちんと済ませておいてくれないのか?』ではなく、例えば『奥さんが居てくれたから安心して仕事に打ち込むことができた』といった感謝に繋がる思考が大事だということ。そんなふうに物事を捉えられるようになると、気持ちに余裕が生まれ、多少のことはイライラせずに受け止められるようになる。だから僕は、今食べている『このおかずを用意してくれたことにも感謝だね』んて思いながら食べるのです。。。
2009.09.10
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年長さんになってからの長男は、食事の量が増えた。そのせいか、身長も伸びているけど、それ以上に体重が増えており、体つきは明らかにムチムチしてきた。たぶん4月から3キロは増えていると思う。そのため奥さんや僕が、度々長男に「ほんと、体がムチムチしてるね~」なんて言うせいか、長男も自分の体重が気になるみたいでこの日体重を量ると奥さんが「かんた、また体重が増えて23キロだよ!」長男は息を止めて思いっきりお腹を引っ込める。あまりの可笑しさに僕は思わず笑ってしまう。「かんた、そんなことをしても体重は変わらないよ」長男も数字を見て判ったみたい。長男の体重のことは、お菓子ばかり食べている訳ではないので肥満についてはあまり心配はしていない。それよりも産まれたとき2000グラムにも満たない未熟児だったことを考えると、大きくなったなという思いの方が強い。しっかり食べることができるということは、大切なことだし健康である証拠だろうと僕は思う。だから、これからもしっかり食事を摂り、元気に成長してもらいたいと、僕は思うのです。。。
2009.08.17
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朝、子供たちが着る洋服を準備する。普段の着替えは、長男は自分で着替えることが多く、次男坊は奥さんか僕が着替えさせる。今朝、僕は長男に「かんちゃん洋服着替えておいてね」と長男に洋服を渡し、次男坊の着替えを済ませる。しばらくしても長男は着替える様子もなく過ごしている。「ほら、もう時間がないから早く着替えてよ。そうじゃないと、出かけるときになって慌てちゃうんだからさぁ」と促す。思い返してみると、朝だけでなく、風呂上りの着替えも「早く着替えて」と促すことが多いと思った。『もしかして、(長男は)甘えたいのかな?』考え過ぎかもしれないけれど、ふと、そんな思いが浮かぶ。子供たちは、本当は自分でできることを家では「できない」と言って自分ではやろうしないことがある。それを僕は、子供たちが甘ったれているのではなく、良い意味で甘えていると受け止めている。着替えのことで言えば、現在の長男は紐を結ぶ様な洋服以外は「できない」ということはない。でも、もしかしたら次男坊が着替えさせてもらっている様子を毎日見て、長男の甘えたい欲求が着替え始めるまでの時間に現れているのかと考えた。考えてみると、長男もずいぶんと自分一人でできること、やっていることが増えたとはいえ、やっぱりまだ6才。6才といっても、人としてきちんと接することも必要だけど、ときには良い意味で子ども扱い、言い換えれば甘えさせてあげなきゃいけないなと僕は思うのです。。。
2009.08.13
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土曜日。胃カメラと超音波で内臓の検査を受けてきました。きっかけは6月に受けた健康診断の「十二指腸潰瘍痕の疑いあり」の結果。これが子どもがいなかったらあまり気にしないのだけど、さすがに幼い子どもが2人居る現在、少なくとも子供たちが一人立ちするまでは健康で生きていなきゃいけないと僕は考えている。だから、疑いとはいえ初めてそういった診断をもらったうえに胃を締め付ける様な鈍い感覚がずっと続いたこともあって念のため検査を受けてみようと思った。診察を受けたあと、超音波の検査ですい臓、肝臓、脾臓、腎臓などは検査の範囲では異常なし。続いて胃カメラ。喉に麻酔をして検査台に横になると、直前に打たれた鎮静剤が効いたのか知らぬ間に眠ってしまったらしく、名前を呼ばれ気づいた時には検査が終わっていて別の場所にいた。本当に胃カメラの検査を受けたのか分からないいくらいあっという間に意識が飛び、時間の感覚もなかったので不思議な感じだった。しばらくして検査結果の画像を見せてもらう。軽い胃炎の症状以外は異常なしでピロリ菌もいないという結果だった。ひとまず、ひと安心。今まで大きな病気もしたことなく健康には自信あるとはいえ、今回の件で改めて自分の存在の重要さ、責任の重さを僕は考えるのです。。。
2009.08.04
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義父宅へ子供たちを迎えに行く。長男に開口一番、「どうして、かんちゃんのプールのサインしなかったの?」と言われた。そういえば、次男坊のはサインした記憶はあるけど、長男のは忘れていたことを思い出した。「ごめん… じゃあ、今日はプール入れなかったの?」悲しげに頷く長男。とても気の毒なことをしてしまった。この日は保育園のプール最終日で、久しぶりに天気も良く、気温も上がっていたので、『今日のプールは気持ち良いだろうなぁ』なんて僕は思っていただけに、自分の痛恨のミスが悔やまれる。「みんながプールに入っている間、寛太は何してたの?」「ぶどう組で遊んでた」僕は、長男が寂しそうに遊んでいる姿を想像してしまい、何となく悲しい気持ちになってしまった。「そうかぁ…、今日プールに入れなかったから、寛太がやりたいって言ってた『wiiスポーツリゾート』をお父さんが買うよ」と、つい言ってしまった。「本当?」「今言ったから、今度ちゃんと買うよ」『これで良いのか?』と思いつつも、『まぁ、今回はしょうがない』と子どもに甘い僕なのです。。。
2009.07.31
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海の日。僕ら家族と義姉カップル計6人で川にあるキャンプ場へ出かけてバーベキューをした。現地に9時半には着いたのだけど、すでにたくさんの人出があり、場所は何とか確保できる状態だった。天気は曇り空でバーベキューをするのにはいい感じなんだけど、子供たちを川で遊ばせることを考えるとやはり晴天が良いよなぁなんて思う。ひと段落したところで、子供たちを水着に着替えさて川へ連れて行く。川でにはちょっとした高さの岩場があり、そこから多くの人が飛び込んで楽しんでいる。最初は、深い場所を避けて遊んでいた長男も慣れるに従い、ビビリながらも深いところにも浮き輪をして行くようになったのでそこで僕は、「あそこから飛んでみる?」と岩場から跳ぶことを長男に促してみた。「やってみる」と長男。僕は長男が怖がってやらないと思っていただけに、嬉しい返答だった。さっそく、泳いで岩場へ向う。岩場に立った長男は、やはり怖いみたいで飛ぶことが出来なっかたので、もう少し低い場所に移って飛ぶことにした。「いち、にの、さん」の掛け声と共に浮き輪を抱えた長男が川へ飛び込む。これに気を良くしたのか、さっきは飛べなかった場所からもチャレンジすると言うので、再度岩場の一番上に。飛び込むのを躊躇していると、それを川から見ていた人が「がんばれ!」と声を掛けてくれた。それが後押しになったのか、「いち、にの、さん」の掛け声で長男は飛び込んだ。『よし、やった!』と僕は思い、長男に続いて飛び込み「かんた、やったね~!」長男も満足そうだった。長男の中で何かが吹っ切れたようで、さっきまで深いところは浮き輪をしてもビビっていたのに、飛び込んでからは、足が届かなくても平気になってしまった。僕は、ふと思った。夏には子どもを成長させる夏限定のスイッチがあるんじゃないかと。言い換えれば、夏は子どもに成功体験を与える機会が多いように思う。この夏、子供たちにとっての夏限定スイッチを見つけ、ひとつでも多くのスイッチをONしたいと僕は思うのです。。。
2009.07.20
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先日、保育園からのお便りに、あるお母さんからの運動会開催日の変更要望とそれに対する園からの回答が載っていた。今年は保育園の隣にある小学校と日程が同じなため、家族によっては都合が悪いのだろう。以前、保育園から運動会の開催日の説明として今回のお便りの回答とほぼ同じ内容が配布されていた。個人的には行事を簡単に変更できないのは理解できるし、よっぽどのことがない限り発表した日程を変更しない方が良いと思う。とは言え、要望を挙げたお母さんの『わが子の今年の運動会は1度きりです…』というのも同じ親として、その気持ちは良くわかる。運動会は子供の成長を実感することのできる大きな行事だから。しかしながら、一歩間違えればこういった要望は自分勝手な要望になりかねない。ここで僕は要望を挙げたお母さんを非難するつもりはない。むしろ、保育園側の説明の仕方や今までの様々な取り組みに問題があったのではないかと感じている。というのも、先日長男のクラスのお母さん達と話す機会があり、保育園事情をたくさん教えてもらったので、先入観は否定できないけれど、それ以外にも以前のお便りの内容に僕は違和感を覚えたのを思い出した。そして今回の回答を読んで何となくその理由が判った気がした。簡単に言ってしまえば、保育園の都合など出来ない理由をばかり挙げている。そして今回はさらに駄目押しで出来ない理由を加えていた。そんな内容だから、読んだ人によっては『そんなの保育園側の努力で解決できることだろう』と思うんじゃないかな。立場が違えば物事の視点が変わり考え方も変わる。だからこういった問題は仕方ないのかもしれない。運動会の日程について言えば、きっと保護者全員が満足する日程は組めないだろう。しかし、理想をいえば、決定権が保育園(園長)にある以上、保護者の感情を汲み取り対応することは少なくとも保育園側に求められる。少なくとも僕はそう思うのです。。。
2009.07.09
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この日、長男は保育園でお泊り保育。2週間ほど前から毎日「あと○回寝たらお泊り保育」と楽しみしていた。その逸る気持ちは1週間前から前日と当日の持ち物を僕にひらがなで書き出させ、自分で持ち物を「お母さん(お父さん)○○ある~?」とチェックしていた。また、お泊り保育で予定しているカレー作りや、園内探検、スイカ割りなど楽しみにしていることもほぼ毎日の様に話してくれた。当日の長男は気持ちが昂ぶっているのか、やけに早い時間に目覚めていた。心配していた雨も降らず、時折弱い日差しが差し込む曇り空。きっと長男は、自分が作ったてるてる坊主のおかげだと思っているかもしれない。夕方、長男を保育園へ連れて行く。クラスの子供たちはみんなワクワクしている様子。明日、この一晩で長男の成長を見ることができることを楽しみにして、僕は長男とバイバイして家に帰る。翌朝、長男に「お泊り保育はどうだった?」と訊くと、朝方、眠りが浅かったみたいで2、3度起きたことなどを話してくれた。お泊り保育に行く前の長男の状況を考えると、もっとたくさん話してくれてもいい感じだっただけにちょっぴり物足りない。ただ、迎えに行ったとき先生から園内探検にかなり興奮しまくりだったと聞いた。僕はそれを聞き、所々薄暗い園内をお友達とペアになって興奮して歩いている長男の姿を想像してしまう。まぁ、長男も長男なりにお泊り保育を楽しんだみたいだから良しとしましょう。それと、初めてお友達と一緒の部屋で一晩過ごしたのだから、何かしらの刺激は受けただろう。また、その刺激は、目には見えない成長として長男の糧になっていることだろう。そして、今回のお泊り保育が長男の良い思い出になってくれれば良いなぁと僕は思うのです。。。
2009.07.08
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最近、「愚痴」について考えた。僕自身は、愚痴を言うのは性に合わない。でも、愚痴を聴くのは嫌いじゃない。むしろ、相手が愚痴を言ってスッキリしたとなれば、役に立てたようで嬉しかったりする。ただ、職場の同僚の愚痴を聴いていると、どうも不快な気持ちになることが度々あった。それで思ったのが、愚痴には前向きな愚痴と後ろ向きな愚痴があるんじゃないかと。前向きな愚痴は、愚痴を言って気持ちを切り替えるので、聴いている方もあまり苦にならない。一方、後ろ向きな愚痴は、愚痴を言っても気持ちを切り替えることができないから、いつも同じ様な愚痴を繰り返す。しかもネガティブな内容が多いから聞いている方も段々ストレスになり、聞くというよりは聞かされている状態になる。少なくとも僕の場合はそうだった。そういった後ろ向きな愚痴を言う人には、それなりの理由があることは僕も理解できる。でも、例えば人の不幸を願う様な愚痴は、言った人の品格を下げる行為だと僕は思うし、聞く人にとってもストレスになるだけで良い事は何もないと思う。僕が思うに、愚痴は不満であり、不満ばかり口にしている人は、『自分は○○しているのに…』といった思考に陥りやすく、物事を見る視野が狭くなってしまう。だから、現状に対する感謝の意識が希薄になって、悪循環に陥っていくんじゃないかな。きっと、愚痴はお酒と一緒で、薬にも毒にもなるのだろう。そんなことを同僚の愚痴を通して僕は考えるのでした。。。
2009.07.03
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次男坊が脱衣所で洋服を脱いだ後、前触れもなく「いち、に、さん、しぃ…」の掛け声とともに屈伸運動を始めた。どうやら保育園の体育指導での準備運動のひとつらしい。その姿が何とも言えず可愛く、つい微笑んでしまう。きっと、こんなふうに可愛いなんて感じるのも、次男坊が3歳だからなんだろうなと思った。もし、長男が同じように屈伸運動しても次男坊と同じように可愛いとは感じないだろう。そう考えると、子どもの成長を嬉しく思う反面、一方で甘えん坊の3歳のままでいて欲しいなぁと思う矛盾もあったりする。長男にしても、次男坊にしても赤ちゃんだった頃がずいぶんと昔の様に僕は感じるのでした。。。
2009.07.02
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子供たちとお風呂に入っているときのこと。次男坊のシャンプーはいつも僕がやっているのだけど、この日は「たいち、自分でシャンプーしてごらん」と次男坊に任せることにした。頭の天辺あたりばかりをゴシゴシしていたので、「それだど全部洗えないから、鏡を見ながら髪をゴシゴシして全部泡だらけにしてごらん」と次男坊を鏡の前に移動させる。次男坊が鏡を見ながら髪を洗っていると、長男が「かんちゃんが洗ってあげるよ」と、次男坊の後ろに立ち髪を洗い始め、次男坊は大人しく立っている。普段、お風呂での子供たちは水鉄砲などを取り合いで喧嘩したり、騒がしく遊んでばかりいる。だからかもしれないけど、何気ない兄弟のやりとりが『なんか、いいなぁ~』と感じた。それは、子供たちの寝顔を見たときの感覚に近いものかもしれない。そんな、気持ちがホッとする穏やかなひとときは、日常の生活にある小さな幸せのひとつなんだろうと僕は思うのです。。。
2009.07.01
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最近ふと気づけば、長男はいつの間にかその日の出来事などを自分から話すことが増えてきたように思う。以前なら僕から訊いても「わかんない」という返答ばかりだったことを考えると大きな変化だ。まぁ、それだけ成長しているということだろう。そこである思いが湧いてくる。長男が話しをするとき、僕はちゃんと耳を傾けているか?少し思い出してみた。何かをしながら子供たちの話しを聞いていることが多いかな?と思った。違った見方をすれば、子どもの目を見て聴いていないんだなぁと思った。そう考えたとき、もう少し聴く意識を変えないといけないと思った。幼少期の子供は、良くも悪くも特に親の影響を受けることは自身の経験も踏まえて容易に想像できる。だから、子供の成長過程で『自分の話しを聴いてもらえる』と、子どもが感じることは大事なことのひとつだと僕は考えている。ちょっとした心掛けでできることでもあるから、これから少し意識してみようと思う。気持ちも目線の高さも子供に合わせて話しを聴いてみよう。そう僕は思うのです。。。
2009.06.19
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先週、奥さんはアナフィラキシーショック(急性アレルギー反応)で入院しました。テレビでスズメバチに刺された事例を見て知ってはいたけど、まさか身近な人に起こるとは思いもよらなかった。原因は市販薬。服用後、奥さんの体調が急激に悪化。全身の発疹、むくみに加え、動悸や呼吸困難の症状も。体調が悪化してすぐ病院へ行く準備をしていたのだけど、奥さんが気を失ったときは、『マズイ、救急車だ!』と思い、119番を掛けた。電話が繋がるまでの僅かな時間、僕にはとても長い時間に感じ、また自分の鼓動が早くなり脈打つのを感じ、『落ち着け、落ち着け…』と自分に言い聞かせた。電話中に奥さんの意識は安定したけど、この時の僕は、このあと奥さんはどうなってしまうのか不安だった。大丈夫だろうと思いつつも、その不安は、僕に奥さんの死を想像させるには充分だった。奥さんの死を想像したとき『失いたくない』と思い、改めて奥さんは掛け替えのない大切な人だと実感した。今回は大事には至らず様子見ということで一晩ICUに入り、翌日退院することができた。今後、薬に関しては気を遣わないといけないけれど、一方でこの程度で済んで良かったと本当に思っている。そして、これからはもっと奥さんを大事にしようと僕は思うのです。。。
2009.06.17
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前回の話しの続き…帰宅後、奥さんに感謝の意味で「お弁当美味しくいただきました」と言ってみた。「そう言ってもらえると嬉しい」奥さんのその一言で、最近僕の中でおぼろげに感じていた考えがまとまった感じがした。それは、「感謝」と「幸せ」って、とても相関性が強くって、もしかしたら「感謝」=「幸せ」なんじゃないかということ。僕は、幸せはなにも特別なことではなく、日常の身近なところにたくさんあって、それに気づくことができるかどうかだと思っている。感謝も同じで、ある事に対して感謝するのか、もしくはスルーしてしまうかは、その人の意識次第。そんなふうに考えると、些細なことに素直に感謝できる人は、身近な日常においても何気ない出来事に幸せを感じることができる人なんじゃないかと思う。またそれだけではなく、そういった人は周りの人にプラスの影響を与えることができると僕は思う。つまり、感謝の行為は相手を幸せにすることができ、そういった環境下では思いやりが自然と出てくる。だから僕は、夫婦や家族といった身近な人に対しては特に感謝の気持ちが大事なんだと思う。また、感謝の気持ちはきちんと言葉や行動で相手に伝えることも大事。僕は奥さんにプロポーズしたとき、幸せにすることを約束した。当時はどうやって幸せにするかは特に考えていなかったし、どうすればいいのかも良く分かっていなかった。でも、今は意外と簡単なことだと思っている。今回、何となく、幸せを受信する僕のアンテナの性能が良くなった、そんなふうに僕は思うのです。。。
2009.05.28
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奥さんがお昼のお弁当を作ってくれた。ずいぶんと久しぶりだったので、昼休みはいつもの様に外へ買いに行きそうになってしまった。お弁当を食べ終わって、ふとある思いが浮かぶ。お弁当を渡されたとき、奥さんに「ありがとね」って言っているけど、帰宅後は何も言ってないよなぁ…つまり、奥さんに対する感謝が充分じゃないのでは?と思った。ちょっと考えればすぐ思いつくことなのに、なんで今まで思いつかなかったのか考えた。きっと、僕の気持ちは最初の「ありがとね」で、奥さんに対する感謝が完結していたんだろう。日々感謝を忘れずに過ごそうと心がけているつもりでも、やっぱり、無意識のうちにこれは当たり前と思っていることがたくさんあって、その有難さに気づかずにいるということだろう。そういったことは、家族や親しい人に対して特に多いことなのかもしれない。だから僕は、まずは奥さんに対する感謝を改め、帰宅したら「お弁当美味いただきました」と言ってみようと僕は思うのです。。。
2009.05.27
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