海産物問屋「きママ」の細腕繁盛記

海産物問屋「きママ」の細腕繁盛記

論語 『君子と小人』



【君子と小人】

孔子の教育の目的は君子を養成することだった。
君子とは学問も人格もすぐれた人である。
また、それを目指して努力する人である。

君子に対する小人。
君子に対すれば「つまらない人。いやしい人」というニュアンスが伴ってくる。





【君子は憂えず懼(おそ)れず】

『君子は憂えず懼れず』と。曰く『憂えず懼れざる、斯(すなわ)ちこれを君子と謂(い)ふか』と。

子曰く「内に省みて疚しからずんば、夫(そ)れ何をか憂へ何をか懼れん』と。



孔子  :「君子とは心配しないしびくびくしない人」

司馬牛:「心配せず、びくびくしない、それで君子なのですか」

孔子 :「反省してみてやましい事がなければ、何の心配することも、びくびくする事もないよ」


司馬牛は孔子の答えがあまりに平凡だったので、「そんな事でいいのですか」という気持ちで
聞き返したのである。それに対する孔子の説明もまたあまりにも平凡で司馬牛はがっかりした
のではないだろうか。

しかし、反省してみて言動に何やましいことはない。という日常生活を送るのは至難の業だろう。
これがまた「仁」に至る第一歩であり、終着点でもあるのだ。




【君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。】

「喩」は敏感である。
君子は、義、すなわち正しい筋道にかなっているかどうかに対して敏感である。
しかし小人は同じ物事を見ても、それが自分の利益になるかどうかに対して敏感である。






【君子は諸(これ)を己に求む。小人は諸を人に求む】

「諸」はいろいろな事。なんでもいい。
君子は何事にしても自分に責任を求める。
小人はみんな他人のせいにして他人を責める。







【君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。】

「和」はみんなと和やかに強調する。
「同」はすぐ賛成して同調する。付和雷同である。
君子はみんなと和合しながら事を行うが誰かにくっついて雷同したりはしない。

権勢のある人や、通り一般の世論にこびへつらって賛成などというのが雷同かもね♪







人としてこの世に生を受けたなら、せめて自分なりの自分の仁。

そして小人に甘んじる自分を良しとするよりは、今より少しでも君子の高みへの心意気を。


Last updated 2007.05.30 14:44:19
(ふろむmeちゃん)











© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: