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昨日の日記で言い忘れてました。姑がなぜああまで息子(私から言えば主人)に執着するか・・・。主人が子どものとき、5歳か6歳の頃、両親が離婚したらしい。それから、母一人子一人ずっと二人三脚で仲良くやってきたみたい。それで、30も近くなった頃やっと稼いで親孝行してくれる、と思った頃に、横からふっとかわいい(?)女の子が出てきたわけ・・・。それが、私。当時は22歳ピチピチだったし・・・。「息子取った」と言われてもしょうがないか・・・。息子をお持ちのお母様、心で思うのはかまいません。決して口にださないように・・・。私も、もし3人目できるとしたら、できれば男の子、育ててみたいですねー。これから、岡山の「横溝正史」の資料館みたいなところに行く予定。 岡山県 真備町ふるさと歴史館にて 歴史館は大人100円高校生以下は無料というなんともいいところで・・・。過去の「金田一耕助シリーズ」の映画ドラマの撮影写真家があった。ちなみに、私は古谷一行の金田一が一番好き。だけど、トヨエツの場合はもともと好きなので、携帯でこっそりうつしてきた。横溝正史疎開宅にて 疎開していた3年間にいろいろの作品をかきあげたらしい。部屋の一部。金田一の影をつくってあったり・・・。親切なおじさんがたくさん説明してくれた。ちなみに、ここも100円。子どもは無料。夏休み最後、私の希望のもと行ったが、子どもはブーブー言ってた。私は満足満足だった\(^o^)/。感想は こちらに。
2003/08/30
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とうとうネタがなくなり・・・。最近書くことに困ってる。毎朝、娘に「ねえ、何か面白いこと無いー?」と聞いているが「無い」といわれる始末。まあ、よくあるパターンで嫁姑バトル。我が家は結婚したての2年間の同居でかなりのバトルを繰り広げ、親戚、友達には「昼ドラ」できるね、と言われるヾ( ̄o ̄ ;)オイオイ。たくさん言われたので、多すぎて思い出せないのもあるけど。『嫁は変えられるけど、親は変えられんのよ。』この言葉、結婚したてのとき何度も言われたなぁ。要は、「息子はあんた(嫁の私)を捨てても私を捨てたりはしない」と言うことですが、当時主人への愛情も冷めてしまっていた私は「はいはい、そうですか」って思った。実際、私が家出しても主人は迎えに来たし、実家に居候してもついてきた。最終的には、子どもを生んだ私の勝ちだ・・・といじわる嫁になった私。『勝手に子ども作って、予定がずれる。3人目は作ったらいかんよ。』2号を妊娠したときに言われた。当時、姑の生活費、家のローンさまざまなもののため、「若い方が給料がいいから」と姑に言われ私がフルタイムで働いていた。姑は子守りと、晩御飯のしたくをしてくれていた。それも、ちょっと熱が出るとサボられていたけど。でも、私の給料の3分の2は姑のものだったなぁ。結局私が妊娠して働けなくなるので、姑も自分の生活費がいるので仕事を探すが、できることがなくて(私に言わせれば、やる気の問題とプライドの問題だと思ったけど。)、「やっぱり、子ども生むぎりぎりまで仕事して」と言われた。「あんたが避妊せんけん、子どもができたんよ。男のせいにしたらいかん。」とまで言われた。私はあのとき、「するな」と主人には言ったぞー。我が家に3人目ができないのは、これのトラウマだね。『どっちの卵巣から出た卵からできた子か分からんのに、堕ろしなさい。』1号を妊娠したとき。結婚の意志は伝えてあったものの、結婚より妊娠が先だった為、姑の怒り爆発。要は結婚させたくなくて言った言葉なんだろうけど。産婦人科の健診で妊娠したてのとき卵巣が腫れていた私。それを姑は「卵巣脳腫」だと言い切り、「そんな子生まれて障害があったらいかん。生んだらだめ。」と言った。当時、障害者相手の仕事をしていた私には許せない言葉だった。障害のある子どもを一生懸命育てているお母さんを毎日見ている私には許せない言葉だった。実際、1号が生まれたらほとんど抱かせてもらえなかったなぁ・・・( ┰_┰) シクシク。『あんたにもらいよるわけじゃないけん、あんたにお礼言う必要ない。』息子が働いて私にお金くれるんだから、嫁には関係ないと言い切った姑。当時、私は朝昼はパート、夜は、塾の講師と仕事していた。まだ、実家の母も働いていたから、実家の家事労働、子どもたちの保育園のこと、送り迎えすべてやっていた。主人の給料でというより、夫婦で働いて稼いだお金から姑に生活費を渡していたのに、こういう言い方をされた。ちなみに、これを言われたのは2号の3歳の誕生日。この日のケーキの味はまずかった。この夏休みにも言われたけどΣ(-_-+)ピキッ。『息子の給料の半分は私に権限があるんやけん、勝手に嫁が使ったらいかん』結婚したてというか、する直前か・・・。私は、主人の給料でおやつ一つ買えなかった。妊婦のときってお腹すくけど、買えなかったなぁ・・・。食べ物のうらみは怖いんだぞー。『こんなばか嫁殺してやろかと思った』実家の両親も呼んで話し合い(話し合いなんてものじゃなかったけど)をしたときに、両親・主人の前で姑が言った言葉。このとき、主人が一言も言わなかったことで、「こんなやつとは、とっとと別れてやる」と思ったことを覚えている。実家に居候していたとき、仕事した量を主人に内緒でお金を貯めていたのは、いつか家出する計画だった。とまあ、数々の暴言。まあ、ここまで言わせたのは読めである私だけど、私から先に言ったことは、無い。ただ、「売られたけんかは買うタイプ」の私なので、言い返したことは間違いない。姑も私の言葉にかなり傷ついたと、以前言われたことがある。ここまでのバトルを繰り広げてもテレビの取材も来なかったわ・・・。テレビでやってる嫁姑のバトルなんて私には、まだまだ。
2003/08/29
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昨日は、火星が一番近づく日と言われてたので、数日前から主人に「火星が近づくから望遠鏡で見せろ」と予約していた。私が夜洗濯するのは数日前の日記に書いたけど。いつからだったか、多分帰省後くらいからだろう。ドラマを見終わる時間がだいたい23時。その頃洗濯物を干しながら南の空にオレンジ色の点が見えていた。それを「あの星はもう寿命だ。赤い色に近いからもうすぐ無くなる」と思っていた。まさかそれが火星だったとは・・・。それが火星と気づいたのは、ここ1週間ニュースで『火星』が近づくと言ってたから。27日に一番近づくと言ってたから、主人に「27日は誰とも約束せず、飲みに行ったりしないで帰ってきて、望遠鏡で火星を見せて」と約束させていた。しかし、昨日の天気はいまいち。19時もすぎて夕食をとっていたら、主人が帰ってきた。2号が「わーい、お父さんありがとう。」と出迎えていた。(違うだろ、ヾ( ̄o ̄ ;)オイオイお帰りじゃないのか)しかし、主人は「残念、曇っとる。火星出てない。」と言った。娘二人「え~~~」のブーイング。入浴後ちょうど20時半だったが、何度見ても南東の空は、教習所の灯りで星なんてない。『今日は残念やけど、見えんよ。」と言っても「見たかったのに。」としつこくぶつぶつ言ってた。文句を言ってたが、21時になったので「歯磨きして寝なさい。」と何度も叱り寝かせた。私も相変わらずサスペンス見ながら洗濯し、23じになって干そうとベランダに出た。おおっ、南の空に見えるじゃないか。「父さん、火星出た。望遠鏡出して。」と仕事をしている主人に望遠鏡をせっとしてもらい、娘たちは1度くらい起こしただけじゃ起きず、結局夫婦だけが火星を見たことになった。主人の望遠鏡はかなり古いので倍率的にもあまりよくないみたいで、大きく見えたわけではないが、肉眼よりはちゃんと丸くオレンジ色のものが見えた\(^o^)/娘たちよ、晴れた日の夜にチャレンジしなさいщ( ̄▽ ̄щ) イヒヒ 昨日の日記で、私の文章のまずさから、私が先生とつきあっている・・・という勘違いをされた方たちが・・・。そんなばかな・・・って思わず笑ってしまって、すみません。私は先生に好かれるようなきれいな女ではなかったので・・・。中1のときの担任、体育の先生で私たちは保健と学級活動くらいしかお世話になること無かったけど、男子は体育の授業とかもあって、部活はサッカー部の顧問で、まだ先生になって4年目、若くてまあまあの男の先生だった。ということで、女子生徒に人気もあった。中3生くらいになると「先生好き」って感じの人もいたみたいで。それで、私たちの担任と家庭科の先生がつきあっているといううわさがあった、ということ。中2になったとき、担任は異動になって、中3か高1の頃にその家庭科の先生と結婚した。いまだに、年賀状とか出してて、先生からも返事がきてる。そんな先生もいたと思ったら、私が大学生になってから聞いた話。中2のときの男子の体育の先生。これもまた新任というか若い男の先生で、私の担任の後のサッカー部の顧問になっていた。私はそんなに好きじゃなかったけど、結構女子生徒に人気があったらしい。その先生あくまで先生と思っていたが・・・。私が中学生のとき好きだった子はかなりのモテモテだった。それをD君としよう。D君と仲の良い女の子(途中で私の好きなこと付き合っていたんじゃないかなぁ)、その女の子をKちゃんとしよう。Kちゃんは、陸上部で運動がよくできていた。スタイルもよくて。ちなみに、憎たらしいことに、私とニックネームまで似ていた。一字違いだったよΣ(-_-+)ピキッ学生のときに、小学校の同窓会をしたとき、D君が「そういや、○○(その体育の先生)、K(その運動のできる女の子)にラブレター渡したんぞ。」と言った。「えっ???いつ?」「俺らが中2のとき、俺Kから聞いたし、ラブレター見せてもらった。」これを聞いたときは、ショックだった。あくまで先生と思っていたから・・・。まあ、こんなことどこにでもあるんだろうけど・・・。そういえば、高校の古文の先生は、初めて赴任した高校の一番きれいな人をひいきしていて、気づいたらその人と結婚していたと言ってたなぁ。最初の授業の日そういう自己紹介をしてくれたことあったなぁ・・・。みなさんのまわりにも、よくある話かも・・・
2003/08/28
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朝から、雑巾を3枚縫った。ちなみに、私の家庭科の成績は5段階評価の3にしかなったことがない。どっちかというと、家庭科は嫌いで中学のとき、担任に呼び出されたくらい。まあ、この担任家庭科の先生とつきあっていた・・・という裏の事情もあるのだが。「5教科はちゃんとできているんだから、残りの4教科もちゃんとやれ、特に家庭科が悪いぞ」と言う内容だった。1号は雑巾1枚、2号は雑巾2枚、9/1に提出。毎学期雑巾縫ってると我が家のタオルが無くなる。引っ越してきたてのとき、タオルなんてちょっとしかなかったから困ったよ。それに、私のミシンは業務用ミシンみたいなでかいすごいやつ。いくら卓上と言えども、重くて・・・。子どもが小さい頃はワンピースとかも作ったが、最近じゃミシン出すのが億劫で・・・。雑巾縫うときしか出てこない。 そういえば、jakihahaさんの日記に声の話があったので、声について。あと指も。私は、男の人の声にだまされるタイプ。本当にだまされたわけではないが・・・。ちなみに、私の好きな声は、俳優で言えば「大杉漣」「高橋英樹」「野村萬さい(さいの漢字がわからない)」とにかく、低い渋い声が好き。そういえば、高校の同級生の名簿を調べていたとき、一人一人電話していたら、とにかくすごい素敵な声の人がいた。その人、話したことも無かったし、顔もそんなに好きな人じゃなかった。しかし、電話の声がかなり素敵だった。「声だけ聞いたらつきあいたい男だねー・・・」と言ってたら娘たちに笑われた。高校時代、顔がかっこいい男の子がいた。女の子の間でもかなりかっこいいとうわさされる人だった。しかし、大学時代、その人に「○○君見なかった?」とはじめて口きいたとき、「○○ー」と呼んだその声・・・超高い・・・。私は倒れそうになった。いくら顔が良くても、あの声は・・・というのはみんなのうわさだったけど・・・。男の人を見るとき、必ず指を見る。私は自分の手は大嫌い。どう見ても作業する不細工な手、指なのである。兄弟3人いて、私の指が一番不細工だった。娘も私と同じ指なのでショック( ̄□ ̄;)!! だった。ちなみに、1号の指は不細工な私の指に似ている。2号の指は何もできない主人のきれいな指に似ている。男の人でどんなに顔が素敵でも、指が不細工な男は嫌いである。それは、勝手といわれればそうなのだが・・・。ここで名前出したらクレームがつくかもしれないが、いしだ○成の指をテレビで見たとき、それまでは結構好きだったけど、嫌いになった。もともと好きではなかったがユー○ケサンタ○リアの指も・・・。皆さんドラマの内容もいいけど、たまには指を見てください。ってどうでもいいことなのだけど・・・。絶対嫌いな指は、爪を噛んでいる指。じゃあ、主人は・・・。弟にはじめて主人を会わせたとき、「お前にしちゃ珍しく不細工な男を連れてきた」と言われた。確かに、私の好きだった人ははた目に見てもいい男が多かった。なぜ主人が私と結婚できたかというと(主人に言わせれば結婚してやったと思ってるかも・・・)、主人は普段の声はまあ普通だけど、カラオケで歌わせれば上手だった、ということ。あと、主人は不器用で何も出来ない(これは事実)きれいな指をしている。間違っても箸より重いものは持たない・・・みたいな。主人が私の職場に来ていたとき、指をチェックしたが、主人の指が不細工だったら私は絶対結婚してない。
2003/08/27
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うちの社宅の北側の道をはさんで別の会社の社宅がある。そこの社宅出入りが激しく、私がここに着てからも何件も人が変わっている。すごい会社だなぁといつも思う。そこに2号の友達が1年前までいて、そこの奥さん言ってた。「結婚して7年やけど、8回引越しした。」ということは、1年も住まないところがあったらしい。その社宅週末も引越しがあったらしく、2件引っ越してきた。それも、1件は小学生4人の子持ち。もう1件は3人の子持ち。突然小学生が増え、密かに喜んでいる。何故なら、こっちの社宅みんな男の子ばかり。引っ越してきた子の中に2人2年生の女の子がいるらしい。2号もこれで少しは遊び相手ができるかなぁ。ちなみに、1号は近所に同級生の女の子がいて、遊び相手には不自由してない。 私は、いつも洗濯は夜する。社宅なので23時までしかしないようにはしている。1号を生んだ後、仕事に行ってたということもあったし、姑と同じ部屋でいるのに絶えられなくて、何かと作業をしていないと落ち着かないというのもあって、夜洗濯をするようになった。ここに引っ越してきて仕事して無くても、夜テレビ見ながら洗濯機をまわし、できた洗濯物を干す順番に仕分けして、CMの間に干している。昨日天気予報で、今日の予報は降水確率50%となっていたが、朝までは降らないだろうと思い、夜、狭いベランダ(幅が1mくらい。)に干して寝た。何故か暑くて目が覚めたと同時に、小さなゴロゴロという音が聞こえた。夢かとも思ったが、だんだん、大きくなるし、光り始めた。思わず寝ている主人を「ちょっと、洗濯物しまって、光って怖い。」と起こしたら「大丈夫、風邪吹いてない、濡れん濡れん。」と起きてくれない。見たら、カーテンがひらひらなっている。おいおい、風出てるじゃないかーヾ(*`◇´*)すぐ起きてベランダに出た。私のばたばたしている音で娘が起き出して一緒に洗濯物を部屋の中に入れてくれた。社宅の狭いベランダにはやられた・・・。って今に始まったことではないが・・・。子どものブラウスや下着が、風の強い日に飛んでいって社宅の人に拾われたこともある。よみが甘かったばかな主婦の夜中の騒動だった。迷惑だったのは起こされた主人と娘・・・。
2003/08/26
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登校日1号が入学してから3回目の夏休み。1年生の時、池田小の事件が起きてから、夏休みの登校日は、去年一昨年と無かった。なのに、今年はあった。それも、25日(今日)までに夏休みの宿題を仕上げて提出・・・と夏休みに入る前担任が言ってた。おいおい、させるのは親なんだーってそのとき、思った。ましてや転勤族の我が家みたいな家庭。帰省する期間も入れると宿題をする時間はぐっと減る。まあ、たいした量の宿題ではないのだが・・・。ということで、今日は主人は仕事へ、うるさい娘たちは学校へ・・・私は一人静かにパソコンを・・・となっている。まあ、もうすぐ帰ってくるだろうけど。 昨日の「元カレ」またまた、文句言いながら見ていた私。東次(堂本剛)が真琴(広末)に借りていた資料を返すので、食事に誘って、その帰りばったり菜央(内山)に会ってしまったとき。「やばい」と言う顔の東次なのに、菜央は真琴に「ちょっと待って」と文句を言いにいくところ。あれって間違ってる。そりゃ、好きな人に文句言いたくないだろうけど、東次が「自分から誘った」と言ったにもかかわらず「東次の前に二度と表れないで」とまで言うなんて・・・。言うところが違うよ。って冷静に言えるのは、当事者じゃないからだろうけど・・・。たとえ、元カノが誘って彼が会いに行ったとしても、元カノに文句言うのは女としてみっともない、と思うのはおばさんだからだろうか。誘われてのこのこ行った彼を責めるべきである。まあ、恋をしている頃は「にっくきは昔の彼女」なんだろうけど・・・。ちなみに、昔、元カノ、今カノと言う立場で今カノの立場になった経験あり・・な私。私が付き合っていた人は、私の前で元カノとひそひそ話をした人。というか、私と彼と、友達3人で学祭をぶらぶらしていたら、彼の元カノにばったり会って、元カノが私の方を見ながら、彼にひそひそ話をした、ということ。そこで、プライドの高い私は、彼を絶対責めたりしなかったし、一言も言わなかった。ただ、家に帰って腹立たしくてむかむかしたのを覚えている。当然、元カノに対して・・・。でも、今思い出せば、やっぱり私の前でひそひそ話をした彼がだめだね。こういう私がドラマの菜央に文句言える立場ではないね。でも、今自分が家庭を持って、落ち着いた年齢(?)になってきたら、若い子のドラマ見ながらのんきに「あれはいかんやろ」と解説してしまっている・・・。さあ、みなさん、あなたは真琴派?それとも、菜央派?ちなみに、私は真琴派。別に広末が好きなのではない。ただ、どっちかというと、内山より広末の方がましだという理由。感想はこちらに。
2003/08/25
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今朝も朝から暑い。ってまあ、起きたのが8時過ぎ。すでに暑いに決まっている。珍しく1号だけが起きて『仮面ライダー555』を見ていた。朝食の用意をし、食べさせて・・・少しごろごろしていた。夏休み、布団をたたむのは1号の仕事、風呂洗いは2号の仕事。しかし、いつまでたっても、やる気配無し。見に行ってみると、主人は二度寝、娘たちは、24時間テレビをつけて見ていた。おいおい、私は家事しているのに・・・と無性に腹がたってくる。子ども部屋を見ると使ったティッシュ(鼻をかんだもの)やら、お菓子のごみがちらかっていたり、明日の学校のしたくは全く出来てないし・・・。布団なんて当然たたんでもいない。着替えもせずパジャマでごろごろ。掃除機をかけながら、むっとして、廊下にあった学校の指定靴(昨日買って帰ったもの)を「いつ片付けるの?」と投げてみて、昨日買ってもう1足は縮めるために濡らしたままだったから「明日履くのに、ずっと洗面所に置いてどうするん?」と怒鳴り、「さっさと着替えなさい」といらいらをぶつけ・・・。これですまず、ごみを片付けろなどなど・・・延々。自分でもいらいらしているのは良く分かった。当然そういう状態を見ていた主人、暑いのでやつもいらいらし、一言「キーキー怒るな」と言った。その一言にこれまたむかつき・・・。掃除機かけながら聞こえないのをいいことに「ばーか、じゃあ暑い中掃除してみろよ」と言ってみた。だいたい1回言えば動く娘たちではない。それだけに、暑い日はいらいらしている。キーキー怒るのはいけないだろうが、おとなしく言って聞くような人間が我が家にはいるのかー・・・。私だって怒らずに叱らずに育児・家事がしたいよ。私だって言いたい。土日くらい少しは家事をしろ、バカ旦那。
2003/08/24
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今日は、主人がいるのでパソコンでホームページ更新できそうもない。社宅の人が舟釣りに行ったらしく、魚をたくさんくれた。これで2日くらいの夕食は大丈夫かも(^^)vしかし、ここで問題が・・・。私は海の近くで育った割りには魚をさばくのはどうも・・・。結婚前は母が、結婚後は魚好きの姑がやってくれてた。しかし、自分でやるしかない。魚が死んでいたら大丈夫なのだが、生きているのが1匹いた。どうも目が合うし、ぴちぴち跳ねたり。そのたびに社宅では私の「ギャー(*_*)」という叫び声が響いた。魚と格闘(;^_^A part2 (PM 09:23)とりあえず全部処理をして、今日の夕食分だけ残して、あとは冷凍した。久しぶりに生き生きした魚を食べた。子どもたちもよく分かるようで、ちゃんと食べていた。 ちなみに、我が家で魚をあまり好きでない主人は真ん中をつつくような食べ方である。一番きれいに食べられるのは、1号である。
2003/08/23
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前回レス付き掲示板作ってたけど、どうも重くて。重すぎる上にたまに開くと、英字と数字の羅列で・・・。これはいかんと、よそのホームページから真似をして今回のレス付き掲示板にした。みなさん、懲りずにカキコしてください。ちなみに、最近、ページもいろいろ面白くないけど更新してます。 残暑見舞いのための写真を・・・とフィルムが途中だったのを慌てて現像し、昨日できあがったものを取りに行った。その中にたったの2枚だけど同窓会の写真もあった。主人も子どもたちも見たいというので見せた。当然ここで一言「そんなにきれいな私が見たいなんて・・・」と言ってはみたが、3人ともひたすら無視・・・「何か言うた?」といわれる始末。子どもは「あれっ、お母さんがおらん(いない)。」と言うし。「これ誰?怖い顔して」とか「わーこの人学校の先生に似とる」と大喜び。1号はテレビに出ていれば何でも見たいようで、某ローカルではあるが、アナウンサーをしている同級生を教えてやると「ふーん」と眺めていた。主人は彼を見て「この子賢そう」と言っていた。そこでまた私の辛口発言。「だって、この顔はテレビに出る顔。よそいきの顔よ。」1号はもう一人の幹事のS君と私の携帯で話している。それまでも何度か電話で連絡取り合っていて、名前だけ知っていたので「1号ちゃん、S君ってどれか?」と聞くと、彼女はばっちりS君を当てた。「おぬし、なかなか人を見る目があるぞ」と言ってやりたかった。 当然、娘たちには過去の花の話もしてあったので、自慢げに「へへー、この人が花をくれたんだぞ~~~。」と言ってやった。彼女たちは「ふーん」の一言だった。今度は、この写真をみんなに送る仕事だよー。私って結局こういうことが好きなのかも・・・。あっ、ちなみに、花をくれたM君。同窓会のときにデジカメでいろいろ撮っていた。そのとき、「今時、みんなデジカメなんやねー。」としみじみ言った私に「デジカメくらい買えやー。」と言っていた。ほっておいてちょうだい。私はカメラが好きなの。と言い訳したいが、単なる貧乏な我が家・・・。M君反論をいつでも待ってるよ。
2003/08/22
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何だか書くことなくて、こんな時間までぼーっとしてた。ふと、面倒になり「テーマ」だ・・・と今回のテーマにのっちゃった。我が家は親戚でも、友達周りでも、超有名な嫁姑戦争をした家庭。当然、社宅でも、有名。タイトルどおり「どちらも平等に・・・。」これは姑が私に言った言葉。あと、最初に就職していたとき、私が結婚するときに隣の席の看護婦さんが言ってくれた言葉。当時22才だった私、まじめに守ろうとしたよ。(ばかみたい)でも、誰を見てもこんなこと忠実に守ってる人がいなくて・・・。いとこなんて、週の半分は実家に遊びに行ってたし。友達は当時結婚してなかったし、実家の隣近所もみんな、実家にさいさい帰ってきてたし・・・。私だけ変だとよく言われてた。「どちらも平等に・・・」要は、子ども(孫)を平等にってことだったのだろうけど、実際、姑と同居だったのに、姑が言う言葉ではなかったんじゃないだろうか・・・。私と1号(2号は生まれてなかった)はほとんど、私の実家に行かせてもらったことはない。正月とか行っても、昼頃行って夕方に帰るとか・・・。1号が1才になるまで、産後以外は泊まったこともなかった。(ちなみに、私の実家と主人の家は、車で1時間くらいのところだった。)主人と姑が「実家に行ったら甘やかされて何もしなくなる。ろくな嫁じゃなくなる」と私に言っていた。実際「平等に・・・」を口にしていた姑は、私とひどいけんかしたので、しょうがなく再婚し、呼びもしないのに1号の誕生日にしつこく電話してやってきたり・・・。私が実家に行っていると勝手にかぎを開けて家に入って泊まっているし・・・。平等なんて言葉は無かったような・・・。再婚しても、週の半分はうちに来てたし。勝手に孫は連れて帰ってたし。その、再婚から離婚してもどってきたとき、一緒にいられなくて、私たちは実家に居候していた。そのときも、一応気を遣って、姑のところには出入りしていた。それでも、「内孫を取られた。」みたいなことを言われたし、自分が追い出したとは思っても無いみたいだし・・・。実家にも何度も文句の電話してきたし・・・。今だから笑って言える数々のこと。今は、私たちも県外、姑もまたまた再婚でうまくいっているように見えるが、帰省と言うと、必ず姑の再婚先によって、それから私の実家へ・・・という具合。再婚先なので、子どもたちだけは、春休みと夏休みに数日泊まらせるようにしている。最近は、必ず私の実家に長く泊まる様にすると言う、私なりの過去への報復もあったりして・・・。あと、子どものお宮参りなど、こういうのは必ず姑としている。写真にも姑と写っている。七五三の頃は1号のときは、姑は再婚していたから私たち家族だけ。2号の七五三のときは、実家に居候中だったけど、実家の両親は写真には入れなかった。私なりにいろいろ気遣ってきたつもりだけど、姑は相変わらず「バカ嫁」呼ばわりしているって本人が言ってたなぁ・・・。まあ、言いたいことが言える関係といえばそうなんだけど、今でもむっとすることは多々あるよ。まあ、もう少し県外にいたいものだ。今帰ったらけんかになる。感想・意見はこちらに。 楽天の掲示板もO.K.です。
2003/08/21
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昨日の夜社宅の人からのお誘いで花火をした。社宅の子が持っていた線香花火。またまたかぶとむし。大事にしているかぶとむし。帰省する前8/4にはすべて死んでしまって、前の卵2個とは違ってうじゃうじゃ出てきた。その卵たちを5ケースに分けて車に乗せ、実家に連れて帰った。めだかも。めだかは、実家で母がえさをやりすぎたのか、全滅。大事に連れて帰った卵たち。帰省中も霧吹きで水をやりいつ幼虫になるかと心待ちに世話をしていた。お盆の頃に、確かめて見たら数匹幼虫に孵っていた。 大きさはまだ1cmくらい、丸くなると直径もう少し小さいくらいかなぁ。また大きくなったら画像をのせます。どうして、育児より、かぶとの世話にあけくれてしまうのかしら・・・???
2003/08/20
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「私を『いりこ』(煮干でも昆布でもかつおぶしでもいいんだけど)と呼んでください」『だし』って料理の「だし」と「だしにされる」と引っ掛けて・・・。高校時代、特に体育祭の後、私は男の子からよく声をかけられた。そういえば、友達いわく、「kinkinちゃんは彼氏が切れたこと無いね」と嫌味を言われたことが・・・。それを褒め言葉と勘違いしていた当時、「私って人気者!!」と大きな間違いをしていた。なぜ声を掛けられていたか・・・それが分かったのは大学1年のとき。私の友達Aさんは今でもつきあいがあるのだが、中学から一緒だったけど、仲良くなったのは高校3年から。彼女は中学の頃から人気があった。当時の彼氏は私の幼なじみだった。その彼女、高3の体育祭のとき、「お姫様役」をした。白いかわいいドレスを着て。もともと気さくでかわいい彼女、その「お姫様役で人気沸騰したに違いない。そのAさんとかなり仲の良かった私、当然『だし』にされて声が掛けられていた。私と話せばAさんと話せる、そんなことにも気づかずのんきな私。高校時代、別のクラスの男の子がAさんに告白するために、これまた別の男の子が「kinkinさん、○○がAさんに告白するんやけど、一人だけ誘うんはいかんけん一緒に来て」ということで、私もランチをごちそうになったことがある。『だし』でもいい思いをさせてもらっている。大学時代、私の高校のときのクラスメートのT君がAさんを誘いたかったので別のK君を連れて行くからいっしょにドライブしよう、と私も一緒に瀬戸大橋に行った。あの時も、私は『だし』だった。でも、「だし」同士のK君と私はその後3年ほど付き合った。『だし』もたまにはいいこともある。この誘われていた頃にほかの友達が「kinkinちゃん、『だし』にされとるよー。」と言って、そこで気づいた。なんて、鈍い私。この間の同窓会でもやっぱり色々声を掛けてくれたのは、そう言えば、Aさんの近況聞きたさだった。とにかく、Aさんは人気があったらしい。ずっと『だし』だった私。『だし』ですかすかになった『いりこ』になっている。主人にAさんの話をしたら「えー、そうなん。そんなにかわいかったんかなー。」とのんきな答えが。主人くらいは、私を『だし』だと思ってない一人かも・・・。(ってそんなに仲良くも無い気がするが・・・自分で自分をなぐさめている・・・)
2003/08/19
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何てウソのタイトルなんだろう。同窓会の日になぞがとけた・・・という昔話。高校の卒業式が私の誕生日頃だった。卒業祝いを家族と知り合いでしようとしていた日、私のところにアレンジメントの花が届いた。高そうだったので何となく花をくれそうな人という心当たりで、2年先輩の人だと思っていた。というのも、2年先輩の人と知り合って2年間くらいだったし、付き合ってほしいと手紙がきたとき、断ったから。花に付いていた文面が「君とは2年間のつきあいだった。でも、君は僕の事を嫌っていたようだった」という意味深な文章だった。その後、この2年先輩の人とは「兄妹」みたいな関係でいい関係がつづき、大学卒業して就職が決まったと言う頃、先輩から誕生日に花束と就職祝いをもらった。そのとき、お礼の手紙に「以前にもいただいて、今回もいただいてありがとう。」みたいな返事を送ったら、先輩が「えっ、僕花送ったん初めて」と言ったので、じゃあ、あの花は誰からだったんだろうという疑問だけ残った。結婚して5・6年経った頃、ということは、数年前、高校の同級生でメール交換している男の子がいて、その人に過去にそういう花をもらったと言うことを話した。その人も1年だけ同じクラスになったことがあるから、心当たりの名前を言ってくれたが、その人が挙げた名前は3年間同じクラスになった子だった。それで、その花の話は分からなくなった。なぜそれが分かったかと言うと、同窓会のとき、ふと、「私ね、昔ね、2年間だけ同じクラスやった人に花もらったことがあるんよ。」と自慢していた。まさか、自分の隣に花をくれた人がいるとは思わずに・・・。それでも、その話は笑い話で終わっていた。ある女の子(子という年ではないが)が「S君(幹事)の高校時代の好きだった子誰か教えて」と1次会のときから言ってたが、2次会で聞き出そうということになって、彼女が「じゃあ私から高校時代好きだった人の名前言っていくけん、みんな順番で・・・。」となって、順々名前を言っていた。私はあまりにも言えない人だったので言わずにいた。男の子が6人いたが、そのうちの3人が私が仲良しだった子のことを好きだったのにはびっくりした。と言っても私はそのうちの2人が友達を好きだったのは知っていた。協力もした。それで盛り上がっていたが、最後にM君の好きな人はとなったとき、M君が「おれ、言えん。」と言い出した。みんな「あー、この中におるー。」とだんだん大騒ぎになり、残っていた私たち女5人も口々に冗談で「私よー。」と茶化していた。だんだんどうもおかしくなったと思ったら実はそれが私で、「えっ、じゃあ、あの花は」って聞くと「おれ」と言うことになり、私は14年間の(15年くらい?)なぞがとけた、というわけ。意外も意外・・・。まさかM君だとは思ってもなく、M君の前で平気で、1次会で花の話をしていた。彼は「こいつ、まだ覚えとった」と言っていた。それにしても、意外だった。彼はそんな素振り全く見せたことなかったのに・・・。今回の同窓会、なぞはとけたし、こんな私のことを好きだったといってくれた人もいたと言うことが分かって、かなり楽しかった。それにしても、男の子というものは、よくわからない。そういえば、M君とは高校2年のとき、一緒に委員長副委員長したなぁ。実はあの頃から思っていてくれてたんだろうか・・・。これは、まだなぞである。
2003/08/18
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朝は、実家の墓参りして、道の駅に行った。主人は墓参りについてきたけど、手を合わせなかった。そういうとき、こんな奴と結婚するんじゃなかったと必ず思う。夜、というか19時頃実家を出て、21時頃こっちに着いた。
2003/08/17
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とうとう同窓会。もう一人の幹事と待ち合わせて、うちあわせしたり、どうなるかと思ったけど、楽しくできた。ほとんどが、10年ぶりくらいだった。みんながあまり変わってなくてほっとした。二次会で高校時代の好きだった人の暴露話をした。私の友達を好きだった人が3人もいて、笑った。一人私のことを好きだった人がいて、14年間のなぞがとけた。なぞの話はまた。 今日は幹事のしがいがあった同窓会だった。久しぶりにたくさん笑って楽しかった。
2003/08/16
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とうとう痩せられないまま、明日は同窓会。いつから痩せようとしたか、結局1.5キロ痩せただけ。1.5キロなんて、ちょっと食べたらすぐ変わる。あー、私以外にも太っておばさんになってる同級生いるかなぁ。
2003/08/15
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またもや雨。実家の自治会の盆踊りだったが、室内でやっていた。券があったので、ポテトやおでんなどを買うだけ買って、寒かったので帰った。今年の夏は、冷夏で、実家は歩いて行ける所に海があるのに、今年は泳いでない。一度くらいは泳がせたい。
2003/08/14
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私の実家は、ド○モの携帯の電波が入らない。唯一二階の一部でやっとちょっと入るくらい。通話は不可能。海沿いの国道に出たら少し通じるかなぁ、みたいな感じ。この間から主人がしつこく、電波が入らないことをねちねち言う。だったら、自分だけ帰ればいいのに。休みなんだから、仕事の心配したってしょうがないのに(@??????@;)携帯が通じなかったら災害で困る、まで言ってる。要は、昔から姑とのホットラインの携帯がつながらないのが嫌なんかと言ってやりたい。あー、うるさい(*_*)実家はらくやけど、主人にいらいらする(;^_^A
2003/08/13
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子ども達が姑の再婚先から私の実家に帰ってきた。ゆっくり帰ってくるかと思っていたら、姑から電話かかってきた。「2号が悪くて。私、疲れて夏風邪で熱が出よる。」だって。だいたい自分が来い来い言ったくせに。孫の世話して熱出して・・・。娘たちが姑に「ばあちゃんがお父さんからお金もらうけん、私らが安い服しか買ってもらえんし、うちは貧乏なんよ。」と言ったらしい。娘たちも私が朝、昼、晩と私が1日中仕事してたことを知っている。つい、言ってしまったんだろう。事実、主人が姑の生活費を出していた。帰省4日目つづき (PM 09:51)姑は生活費を私たちから払ってもらってたときも、「私は息子からもらいよるんやけん、あんたには関係ない」と言った人である。今回も、「私は息子からもらってない。私があげよるのに。」と言った。この言葉を聞いて『おいおい、私が働きよったんは何なんだ?』と思った。あの言葉で4日間子ども達を見てもらったけど、感謝がすっかり無くなったよ。少しは普通になったかと思っていたら、相変わらず変な姑だった。
2003/08/12
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午後から、社宅の仲良しさんだった奥さんちに遊びに行ってきた。社宅のバカ話したり、いろいろ旦那や姑のいやなところ話したりしてすっきりしてきた。社宅は今のところしか住んだことないけど、この先も気が合う奥さんは、今日会った奥さんだけだろう。
2003/08/11
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午後から、前に社宅にすんでた人のお宅にお邪魔してきた。いとこの子どもにお下がりの服を届けてきた。夕方は、お土産を渡しに行った。夜は、近くの道の駅の盆踊りを見てきた。『元カレ』を見た。だんだん元カノの広末と一緒が多くなってきた。だんだん、あやしくなってる。剛が無理して、元カノに近づかないように言ってた。まだまだすごい展開になるかもー!
2003/08/10
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最初は、社宅の子の見舞いに行った。その後、貸してある家を見に行った。近所に学生マンションみたいなのができていた。それから、社宅の人の家を見に行った。結局、姑のところに着いたのは16時前くらいだった。夕食をごちそうになって、子ども達をおいて、今私の実家に向かう途中。私の実家は、ド○モの電波が入らない。では、またね!
2003/08/09
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とうとう全域に警報が出た。ちょっと前まで東部だけだったのに・・・。でも、自分の住んでいる位置がどのあたりなのかあやしい。多分中部なんだけど・・・。今、風の音もすごいけど、横殴りの雨になってる。窓にもしぶいている。あーあ、3時半から耳鼻科だったのに。。。明日は帰省なのに。どうしよう。荷物はつめたものの、帰るだろうけど、台風って今日の夜には通過してくれるのかなぁ。今年は台風がよくくる。台風で思い出話。昔、といっても10年ちょい前。大学3年で教育実習に行ってた。当時つきあっていた彼氏と原因は忘れたがけんかした。次の日台風19号が直撃した。実習先の付属の小学校の子どもは昼前に帰らせたが、実習生は休みにはならない。そのまま残って夕方まで仕事。だんだん台風はひどくなり、私たちは帰れるかなぁと不安になっていた。担当の指導教官は、ご主人が迎えにきてとっとと帰っていった。残された私たち、とりあえず戸締りして自宅生の子は親に連絡し、私は車でこっそり通勤していたので、駐車場まで行こうとした。実習生たちもどんどん帰り、私も帰ろうと校門を出たら、彼氏が来ていた。彼氏は「昨日けんかして、このまま台風で会えなくなったらまずいと思って迎えにきた」と言うことだった。結局彼氏の車に乗せて帰ってもらっていたが、途中で満潮と台風の直撃が同時期で海沿いの国道が通れなくなっていた。その時間、そこで車を降りた人が亡くなったと次の日聞いた。あのとき、彼が迎えにきてくれなかったら、私もどうなっていたことだろう・・・。その台風はひどかったというのは今も覚えている。実家の玄関のドアは割れていたし、みかん産地の実家の県は、その年は悲惨だった。同窓会のはがきの返信の期限を昨日にしていた。結局期限に間に合わなかった人が一人、返信してくれてない人が数人・・・。昨日の午後、電話をしたらみんな留守だったから、留守電に吹き込んでおいた。しかし、電話がかかってきた人はいなかった。夜かけたら、だいたい連絡がとれた。なんだか、まじめな人でも家庭が出来て仕事が忙しくなったら、返信もいい加減になるんだろうか・・・。というより、もともと仲の良いクラスじゃなかったからかなぁ。それでも、45人中20人出席。意外と多かったのでうれしい。明日から県外の実家に帰省します。17日の夜にはこっちにもどってきます。多分、パソコンを開けるのは18日になると思います。いない間は携帯で、日記の更新はするようにします。みなさん、遊びに来てください。
2003/08/08
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1号の夏休みの宿題の読書感想文を完成させた。彼女は読書は毎日しているが、文章にはなかなかできない。何だか変なことを書いてたりしてた。本の主人公以外の人間の話を書いてたり。この本の言いたいことわかる?って聞いてもさっぱりだった。私も感想文書くの大嫌いだったから、やっぱりうちの子だなぁ、と思った。あと、2号も牛乳パックを使って小物入れを作り、1号は貯金箱を作り、なんとかこころおきなく帰省できそう。
2003/08/07
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今日は、新しい人が引っ越してきた。7/25に異動発表があり、今回は誰の異動も無く、一人新しい人が来る、というだけだった。その人も50才過ぎているって聞いていたから単身だろう、と思ってた。異動発表が出て数日後、単身じゃなくて奥さんもくるらしい、って聞いたときは、「わーい、草引き楽になるー。」って喜んでた。今日の午後から、その人が引っ越して来られた。そういえば、私も3年前のちょうど今ごろ、ここの社宅に荷物入れたなぁと思った。今日の引越しにきていた、運送屋さんの日雇いみたいなおじいさんたち、私のときにもいたなぁと懐かしく思った。それにしても、夏の引越しは暑い。今日なんて途中雨が降ったりしてたし・・・。私のときは、この社宅まだシャワーもなくて、暑くて汗だらだら流して、水浴びしたなぁ・・・。新しい人、私よりずっと年配だし、子どもさんはもう大きくてつれておられないみたいだし、きっと交流は少ないから情報はないなぁ。我が家も次の引越しはいつになることやら・・・。
2003/08/06
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社宅の人と一緒に、子どもたちをプールに連れて行った。私と奥さんは泳がずに、プールサイドで座って見ていた。子どもたちは、流れるプールで泳いだり、ウォータースライダーをしたり楽しんでいた。親が一緒に泳がなくても泳いでくれるようになって、楽だった。それにしても、暑かった( ̄□ ̄;)!!
2003/08/05
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夏休みといえば、宿題。私の時代よりは減ったものの、日ごろ何もしない娘たちにとっては大変なことみたい。3年生の1号は、夏休みのくらし(昔の夏休み帳)、それの付録(なぜか今年は付録がある。)、読書感想文か、作文か、自由研究の3つの中から1つ、工作、絵画、書道の中から1つ。という内容。2年生の2号は、夏休みのくらし、付録、夏休みのくらしの中から何か1つ、作品募集の中から1つ・・・。あと、日記や絵日記、ほうせんかの観察記録・・・。どっちも少ないが、やる気のない娘たちはなかなか進まない。ばっちり進むのは、簡単な夏休みのくらしと、学校の先生から配られたプリント、付録。結局最後に残るのは、工作やら、作文やら・・・。まあ、私も子どものときはそうだったけど・・・。今日は、二人とも書道をさせた。1号は学校の授業で始まっているからいいが、2号ははじめての試みですさまじいものがあった。しかし、出来上がったのは、2号のほうが早かった。 初めてにしては、こんなものだろう・・・と言う状態で、とりあえず、何か宿題を仕上げなければ、帰省もできない・・・。この日記を書いている隣で、1号は「おし花」という字に奮闘している。やっぱり書道は習ってないと難しい・・・。
2003/08/04
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前にも書いた昔話。このときと、同じ、小2の先生の話。こうやって思い出すとやっぱりこのT先生にいい思いでは無い気がする。ある寒い朝、道に氷がはっていた。氷なんて珍しいと思って、学校に冷たいのを我慢して持っていった。持っていって、教室の担任の机に置いておいた。私は、単に先生も珍しくて綺麗だから喜んでくれるだろう、とのんきに思っていた。しかし、氷というものは解けるもの。置いておいたら机が濡れる・・・。そのとき、私の頭にはそんなことはさらさら無かった。朝の会が始まって先生が教室に入ってきた。机を見た先生は目を吊り上げた。「誰ですか?こんなところに氷なんか置いて。濡れるじゃないの。」かなり怖かったのを覚えている。喜んでもらえると思っていた私は、怖くて「私です」と言えなかった。黙ったまま下を向いていた。その後も先生は「誰ですか?」を連発していたように覚えている。当時、子ども心にも傷ついたのを覚えている。我が子が良かれと思ってやったことを、たまに、何も聞かずに怒ってしまうことがある。そんなとき、ふと、このことを思い出す。自分も昔同じことがあったはずなのに・・・。反省しつつも、また同じことを繰り返している。昔、傷ついたとき、「先生は、どうして氷を持ってきた理由を聞いてくれないんだろう。」と思ったことを覚えている。ということは、やっぱり私ももっと子どもの話を聞いてやらなくてはいけない。
2003/08/03
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高校のときの仲良し5人組みたいなのがあった。というか、同じ中学出身というのもあったが、一人だけ違う中学の子がいた。彼女は西村知美に似ていた。男の子にも人気あったような気がする。高校時代その彼女を好きでも嫌いでもなかったが、幼なじみが「私、Kちゃん嫌い」と言ったのがきっかけだったのか、彼女のいやなところが目に付きだした。高校時代私には好きな人が居た。その彼の彼女はKちゃんと同じ名前だった。(後にその彼は私の彼氏となったが・・・)私がその彼を好きなのを知ってて、文芸部だったKちゃんは文化祭のときに、その彼に「○○君、この雑誌買って。私、彼女のKさんと同じ名前なんよ。」と話していた。それを私の目の前でやったから、私はかなりいやな思いをしたことを覚えている。大学時代の話、当時、私はさっきの彼とつきあっていた。冬になったとき、仲良し4人組(高校のときのメンバーとは違う)で、彼氏同伴で鍋をすることになった。友達の家というか、友達のおばあちゃんちでしたのだが・・・。買い物とか準備は私と友達がした。そのとき、私は彼を迎えに行って、ついたときには鍋は始まっていて、その情景を見てびっくり。Kちゃんは彼はいなかったので一人だったのだが、みんなとうちとけていた。しかし、友達の彼氏に鍋をよそってあげたり、飲み物をついだり、していた。単なる気が利くすてきな女性だったのだが、彼女の目の前でそれはないやろう・・・と私は思った。彼女が居るのに、まるで奥さんのような気の利き方だったことにびっくりした。そんなこんなで私はだんだん彼女とはつきあわなくなっていた。ただ、結婚したときに家が近所になって、子どもをつれてKちゃんの家に集まったことはあった。それが、今回の同窓会のはがき。これを見てまあまあ腹が立った。彼女からは早めに返信が来た。それも、住所と名前と欠席の○のみ。近況報告の一言もない。かりにも、高校時代は仲が良かったほうである。(私自身はそうは思ってないのだが、きっと彼女もそう思ってなかったんだろう)「幹事ご苦労様」までは書けとは言わない。みんなに会えないんだから一言くらい書けよと言いたかった。育児や家事で忙しいんだろう。住所を聞いたとき、関東にいるので滅多にこっちには帰れないと聞いていたので、欠席はわかっていたが、男の子じゃないんだから白紙で返すなんて・・・。失礼にもほどがあると怒ったのは私である。まあ、「類は友を呼ぶ」という言葉どおり私の周りには私みたいな人間が多い。彼女と私が合わなかったのは、顔だけじゃなく(私は芸能人に似ているなんて言われたこと無い)、性格も合わなかったということだろう。彼女とはこの先もきっと手紙のやりとりはもちろん、年賀状さえ交換しないだろう。
2003/08/02
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私がかぶとむしにはまっているのは、このホームページに来られる人なら知っているはず。最初3代目かぶ子が生まれたとき、近くのホームセンターにオスかぶとを買いに行った。オスだけだと600円だったので、つがいで680円にした。このオスかぶと、何だか買ってきたときから弱弱しいやつだった。次の日、このオスかぶとは死んだ。そのとき、私は主人にメールを送った。「かぶ男が死んだ。やることやらんと。340円もしたのに。」このメールを見た主人はかぶとがかわいそうなのに、私の言動に爆笑したらしい。この話が、気づいたら社宅中に広まっていた。主人の上司は「いやー、数年ぶりに笑った。」というくらい、うけたらしい。私にしたら、何がおかしいのかわからない。別の上司は「お前のうちでは、虫もおちおち死ねんのかー。」と言ったらしい。ここでおさまればいいのに、気づいたら飲み会の日には、女の人までこの話をしていたらしい。その上、主人の職場の地元の人が、飲み会の次の日、オスかぶとを2匹持ってきてくれていた。一体、私ってどんな嫁???ここで終わらない我が家(私だけか・・・)。産直で買ってきたオス・メスが夜中ばたばたとがんばっているのを見て、密かに喜んでいた私。夜中に「やりよるやりよる」と言ってたら、主人に「そんなこと言うな」と叱られた。3代目のかぶ子たちが7/26に死んだとき娘たちは、「あーあ、買ってきたかぶとに、家まで乗っ取られたんやね。」とあっさり言っていた。産直かぶとと職場の人からもらったオスかぶとは毎晩、飛んだり、はねたりと激しくばたばたと暴れていた。それが昨晩から音が小さくなっていた。今朝、多分死んだんだろうなぁと思って見たら産直かぶと夫婦が死んでいた。私が働かせすぎたからかなぁ。 産直かぶとが全部死んだわけじゃないのだが、とりあえず、1つのケースの卵を調べようと思って、新聞をしいて土を出して見た。過去には、白い小さな卵がぼろぼろ出てきたことがある。やっぱりメス1匹じゃだめだったのか、私と娘が確認した限りでは、卵は2個だけだった。 分かるかなぁ。真ん中のほうにある小さな白い丸の。大きさは直径2mmくらいだよ。早く幼虫になってほしいなぁ。しかし、ここでも私は一言。「あーあ、たったの2個しか卵産まなかった。」なんて、鬼のような私。相変わらず毎日かぶとにはまる私。ちなみに、私の知り合いは、メスかぶとが1匹で居ると、オスかぶとをあてがっていた。私と別の人は彼女を「おきやのおかみ」と言っていた。遊郭のおかみさんみたいに、「客取れ」って言っていたようで・・・。彼女は今年も「おきやのおかみ」になっているんだろうか・・・。ちなみに、社宅では、私と「おきやのおかみ」と言われる彼女は、ブリーダーと言われているらしい。そんなにうまく孵したことないのに・・・。
2003/08/01
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