信州中野 と 飯山 ぶらぶら散歩

2024.10.04
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カテゴリ: 中野市のこと














北部公民館の歴史探訪で旧山田家の見学があった。
大滝学芸員さんが来て説明してくれた。
今の展示は茶器。
紅茶のカップ等が展示されていた。
煎茶の道具もあった。
急須には山田君へなどと書かれていた。
青磁のうつわ、白青磁の急須などあった。
旧山田家は坂城の方からこの地に来た。
もとはアベファ二チャーの向こう側に
あったらしいが、水害でここまで移ってきた。
明治44年の水害では浸水した。それ以降水に浸かってない。
蔵は階段で上がり水につかないようにしていた。
最初は福島領、  、飯山藩、天領になった。
144町歩の質地地主。長野県では一番。
延徳から木島まで持っていた。
名主などの村役は分家で主に家の経営をしていた。
当時の年貢はお金で納めていた。お米を江戸に運ぶのは大変なので。
貴族院議員、衆議院をした。
隠居をしたら孫を連れて伊勢参りをした日記が残っている。
奥座敷でお茶をいただいた。
お抹茶とお菓子をいただいた。
廊下越しに見える庭は立派であった。
念願の山田家見学ができた。
蔵の部分の見学はできなかった。
古文書は3万部、1万5千部はすでに東京にある。
生糸や酒造りのことはすこし話に出てきた。





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最終更新日  2024.10.04 21:57:59
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