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被災地での数々の不遜な言動で大批判を浴び、あっという間に引責辞任し、話題沸騰の松本復興相。松本氏のおかげで、「B型」と「九州人」は風評被害甚大ですね。そんなわけで、占ってみちゃいました、松本龍氏の星☆。1951年5月17日生まれ。へえ、牡牛座ですか。牡牛座のB型。ふつうなら、穏やかで平和主義、マイペースな趣味人。それも音楽やダンス、ガーデニングといった趣味に没頭してそうなイメージ。――ええっ、それがなんであんなにゴリゴリの”俺様”に!? 謎が深まります。さあ、ホロスコープを見てみましょう。目を引くのが、太陽と火星のコンジャンクション(合)と、土星と月の合。太陽と火星の合、おお、かなりエネルギッシュなタイプ。勇猛、大胆といった雰囲気。短気なのもお約束。男っぽい人ですね。ただし、牡牛の太陽ですから、かなり頑固ですね。言い出したら聞かない人。ふだんの行動は、ガンガン行くというより、どっしり、じっくり型でしょうか。土星と月の合。太陽と月は120度の吉角なので、成功運があります。土星も同様なので、遺産などのバックアップもあり、底堅い強さがあります。かなりの努力家で、困難もばねにしてのぼってきたようです。問題は、月と土星の合。心に常に抑圧感を抱えがちで、メランコリックな気分になりやすい。これに木星が180度の凶角で対抗しているので、憂鬱な気分、うらみつらみのようなものが増幅しやすかったんではないでしょうか。松本氏の月は乙女座なので、基本は気配りの人なのですが、どうしても細かいことが気になってしまうようです。豪快にふるまっているようでありながら、「お客さんより先にいて待ってろ」的な、実は、「小さいこと」を怒っている。こうした礼儀、マナーのようなことが目についてイライラしてしまうのも、乙女座の月がマイナスに出てしまうときの典型です。暴言を言った後で、あわてて「これオフレコだから、書いた社は終わりだからな」との取ってつけたような念押しも、気の小ささを表していますね。そしてこの月と土星を、木星が変な形で増幅するので、周囲にピリピリした空気を漂わせてしまいがちなのでしょう。映像などを見てみると、怒鳴りつけるというよりは、「嫌味」のような、ネチネチっとした感じの物言いをしているのも、乙女座っぽいですね(繰り返しますが、本当は乙女座はとっても優しいのです、念のため)。内面、パーソナリティを表す月が乙女座、金星が蟹座ですし、基本の星は牡牛座。こわもての外見でありながら、親しくなるとフレンドリーで家庭的だったんじゃないかと思います。「かみさんにも電話で叱られちゃって……」なんて、さりげなく”かかあ天下”をアピールしてしまうところなどに、蟹座の要素を感じます。涙もろく、感受性が豊かという一面にも表れています。「(辞任を)店で音楽を聴きながら決めた」というコメントも、報道陣を煙に巻いているというよりは、牡牛座のロマンチックさがうまく表現できなかったという印象。金星と天王星が合、それに木星が凶角ですから、浮気や不倫など、女性問題などお遊びもいろいろお盛んそう。さてさて、今の運気を見てみましょう。空の冥王星が、出生の金星、天王星と180度で対抗、土星も90度と、どちらも厳しい角度で天王星をいじめています。大波乱の運気。予期せぬ突発的な不運が続きそう。それも、社会や世論と、もろにケンカしてしまう形で出るという相。女性か金銭のスキャンダルが出てきそうな暗示も。しばらくは縁の下の力持ちに徹し、地道にお働きになったほうがよさそうです。
2011.07.06
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17年で11回目のお引っ越し、というと、多いほうかな?社会人になって、11回目。生まれてから、で数えると20回以上。平均すると人生、同じところに2年住んでいない計算になる。転勤が多いのもあるけど、区内の引っ越しもあるから飽きっぽいのか?賃貸派? といわれるけど、家を買う自体は2度経験し、それを賃貸に回したり、不動産についてはいろいろお勉強もしてる。それについてはまた後ほど。まあ、いろいろあって、また段ボールと格闘中。引っ越しの最大のメリットはなにか?というと、それは、強制的大掃除、かな。『捨てる!技術』(古い?)を読んで、どんなに片づけなくっちゃ!と思っても、身の回りをさっぱりしたほうが風水的にいい、と言われても、案外できないもの。「やっぱりこれ使うかも」「捨てるのはもったいないな」と思ったり、今度のお休みにやるぞーと後回しにしたり。でもでも、引っ越し、となると逃げられない。段ボールに詰めていく作業のなかで、強制的に取捨選択しないといけない。次の家が今より狭い、なんていうことだとなお必死になる。結果、ため込んでいたガラクタを処分でき、サッパリできる。こんなにいいことはないのだ。私も今回ゴミ袋何袋捨てたことか。ブックオフに売った本は段ボール15箱、着物屋に売った古い着物は段ボール3箱。古い家電、パソコンも思い切って売った。売った。引っ越しがなかったら、狭さを我慢しながらいまだにこれらと同居していただろう。日本(特に東京)で一番高いもの。それは間違いなく、土地。たとえば、都心のマンションなら坪単価300万から400万円。もし1坪(畳2畳)が不用品で占められていたら、その不用品のために3、400万円も払っている計算になる。おそろしい。すぐに身の回りをさっぱりしたくなるだろう。引っ越ししよう、いますぐに。本当にさっぱりするから。決して、お荷物を詰めてくれる、らくらくパックなどは頼まぬように。
2010.07.22
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アラビアの特派員帰りで、アラビア文化や社会についての本を書きたいという人を紹介された。紹介者やいろいろな関係の人も集まり、軽い飲み会に。お酒とともに話が脱線し、有名な「アラブの4人の妻」の話題になった。4人妻がいるとして、何番目の妻が一番幸せか?妻の立場として考えるなら、一番格上は、もちろん第1夫人、日本語で訳すと「本妻」だろう。しかし、本妻って嫁姑、婚家との問題がいろいろあって結構たいへん。盆暮れ正月、年中行事に、法事。男(跡継ぎ)を産めのプレッシャー。子供を産んでも、始終夫のきょうだいの子供とできを比べられ・・・ぶるぶる。日本ですらこんなにうっとおしいんだから、親戚関係が濃そうなアラブではめんどくさそう。やだやだ、第1夫人なんて。と言うと、「やけにリアルですねえ、体験談ですか?」と聞かれてしまった。どきっ!では、第2夫人はどうか?これもまた微妙。ちょっとがんばれば本妻になれそうな愛人的存在。寵愛を競って、本妻と年中バチバチしてそう。「なんでこの女が本妻で、あたしが2号なのよっ!」。先に男を産んでやれっ、みたいにへんに張り切っちゃったり。。。とすると、第3夫人は?これが一番良さそう。本妻と愛人との確執を尻目に、自由に、マイペースでいられる。3人きょうだいの末っ子みたいな。おしゅうとめも、本妻と第2くらいまではうるさそうだが、3号にもなると、だめ妻でも「ま、いいか」と、たまったホコリも見逃してくれそう。本妻、二号さんの下で卑屈になりそうなところだが、第4夫人よりはまし、という変なサラリーマン的格付けもあるし。やっぱ、第3夫人でしょっ!なるなら第3夫人! どうすか?元アラブ特派員は、「おもしろいですね。でも、ムハンマドが最も寵愛したのは、第1夫人と、第4夫人だったそうですよ」だって。第1は年上の姉さん女房、第4はうんと若い妻だったそうな。それって、男の願望そのまんまやんっ! 最初の恋人はおねーさま。おやじになっての愛人は若いねーちゃん。逆ならまだしも、ムハンマドもフツーの男だったんだな、ちぇっ。
2010.05.13
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”母性”をテーマにしたドラマが同時に放映。「Mother」(日テレ=放映中)と、「八日目の蝉」(NHK=5月4日放映終了)。どちらも、子供を誘拐しての逃亡劇という相似形のシチュエーション。「Mother」は小学校の女教師(松雪泰子)が、親に虐待される教え子を誘拐し逃亡、「八日目の蝉」の方は女(檀れい)が不倫相手の家にしのび込み、赤ちゃんを盗んで逃亡――。この二つのドラマ、できは「八日目の蝉」のほうが格段によかった(まだ「Mather」は放映中だが)。近年秀逸のできばえだったと思う。何度も涙をさそわれたし、ついに捕まり、娘と引き離されるシーンは胸がつまった。シチュエーションを冷静に考えれば、「Mother」の主人公の行動の方が圧倒的に同情できる。少女は実の親に虐待されているのだし、実母はその子いなくなってもせいせいといった雰囲気。松雪さんの行動は道徳的にはダメだがその子からみれば”正義の味方”だ。それにひきかえ、檀れい演じる女の方は、不倫相手の男は最低だがその奥さんには何の罪もない。物心もつかない赤ちゃんを奪い、本名と違う名前で呼び、逃亡生活に巻き込み、衛生状態が悪い場所で過ごしたり、宗教団体の施設で過ごしたり。あのまま逃げ続けても小学校にも行けなかったかもしれない。同情の余地はまったくない。なのになのに、なぜ、「八日目の蝉」のほうが感情移入できたのか。ひとつには、「Mother」は松雪泰子がミスキャストだったと思う。芸風が都会的でクールなので、「救急病棟24時」の世をすねた女医役などはぴったりの役どころだったが、こういう泥臭い感じの役はどうも合わないようだ。そして「Mother」は説明しすぎ。なぜ教え子に同情し、誘拐し、自分のキャリアをなげうっても逃亡するのか。それを、自分が実は親に捨てられ施設で育った経験があるとか、養親となかなかなじめなかったとか、背景を少しずつ出していくことで理由付けしようとするのだが、どうも”とってつけた”感がいなめない。母性は、クールさ冷静さ、論理、説明といったものと対極にあるからだ。母の愛は、発作的で、身勝手で、押し付けがましく、ご都合主義。いつも子供が心配で、自分なんかどうなってもいい、むしょうにいとおしい、ただかわいい。こみあげてくる思い。檀れいが、娘の手を引いて宗教施設から逃げるシーン。ぐずぐず泣く娘に思わず「うるさい!」と怒鳴ってしまい、ハッとして抱きかかえて走って逃げる。ついに捕まり、引き離されるシーンで思わず、「その子はまだ朝ごはんを食べていないんですっ!」と叫ぶ――。この感じ、「分かるー」と言ってしまう人は多いんじゃないだろうか。このトンチンカンさ加減が、母の愛なのだと思う。どうしようもない、おろかな愛。実母の描き方もよかった。誘拐された娘は成長し、憎い女と同じように不実の子をみごもってしまう。その告白に思わず娘の頬を打つ。娘は犯人を巡る旅へ。帰路、家に電話し「やはり子供を産む」と母に宣言する。「もう、どうでもいいから……、帰ってらっしゃい」と涙を流し、すべてを受け入れる。それもやはり理屈なき、母の愛だろう。
2010.05.13
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そんなわけで、石原真理さんのホロスコープもみてみました。この方の星は強いですね!太陽と火星がコンジャンクション(合)。男勝りというか、かなりエネルギッシュな方のご様子です。それも水瓶座。かつては「プッツン」と称されましたが、天才肌というか、発想が跳んでいる(そういえば、デビュー作は「翔んだカップル」でしたね)んじゃないかと思います。ブログでも、地球の環境や世界の平和などの観点からの書き込みが多いですが、そういうところも、水瓶座っぽいですね。気になるのが、この2つの星と、ものごとを見えなくさせてしまったりぼやけさせてしまう、海王星との角度が凶角(90度)であるところ。エネルギッシュでパワフルな方なんですが、海王星が響いて、行動に一貫性がなかったり、周囲を混乱させたり、騒動を引き起こしたりといったことが多そう。突然の渡米とか、米国での事件、暴露本などなども、そんな影響があるのかもしれません。この海王星、彼女の恋愛を司る金星とは吉角(120度)。偶然ですが、これは玉置さんと同じですね。二人とも恋多きタイプなんですね。「運命!」といって夢うつつの中で恋愛するタイプ。さらに、石原さんの場合は魚座の金星ですから、同情心に厚い。相手にほだされてぐずぐずになるような恋愛が多いんじゃないでしょうか。玉置さんとの復活愛も、病気見舞いがきっかけといいますから、そこんとこ、魚座らしいです。月、水星、木星がそれぞれ凶角。あと1つ星があればグランドクロスという厳しい座相です。スキャンダル、悪評がたえない暗示。実像よりも悪いイメージが先行、といったことが多そうです。甘言に弱く、だまされやすくもあります。月と土星は吉角ですから、ご本人の内面は、老成したようなところもあり、苦難から学び齢とともに精神的成長のある暗示なので、個性的で厳しい星をお持ちですが、がんばっていただきたいものです。
2010.05.12
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恋愛の終わり。一方は、心がすっかり心が離れてしまっていて、「過去のこと」になっている。一刻も早く、すっきり片をつけたい。かたや一方は、「いきなりの三行半」「突然の別離」と驚き怒り、納得できない心を抱えて煩悶する。誰もが覚えのあるこの感じ。そうなんだよねー、始まりは美しいけど、この「時差」がねえ、泥沼になったり傷つけあったり、だからいやよねえ、恋愛は……。この「いやよねえ」な感じ、ブログというもののおかげで?有名人の胸の内がオブラートにくるまず、生で公開されるようになった。ちょうど、沢尻エリカに離婚を突きつけられた高城剛さん、玉置浩二さんと揉める石原真理さんと続いて、つくづくネットの時代だなあと思った。クリックひとつでだれでもすぐに読めてしまう。女優だの、クリエーターだのという、日ごろ現実感のない雲の上の人(バーチャルな人)の「素」が見えてしまって、なんともいたたまれない。突然の別離に驚き、困惑し、嘆き、恨む。石原真理さんの公式ブログで繰り返される、「責任のある大人」「社会的責任」「一社会人として」「人の道理」……という言葉。「私は直感で生きてるんです」と公言してはばからなかった、「社会」だの「しがらみ」だの無視して自由奔放に生きてきたようにみえる女優さんが、この期に及んで”真逆”にも感じられるこうした言葉を繰り返す不思議。高城さんも、公式ブログで、「どんな場合も苦境から逃げずに、自己と対話し、正しい道を行く。いかなる場合も、人と心でしっかりと話す。そして、混沌のあとにしか、調和はこない。」「人として正しい事を」と、会えない妻へ必死で道理を説く。恋愛において、男と女において、「人としての道理」とは、いったい何だろう。恋の終わりはいつもいつも 立ち去るものだけが美しい残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて泣き狂う(「わかれうた」中島みゆき より)
2010.05.12
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玉置浩二が青田典子と熱愛?あれ石原真理子(現:真理に改名)と熟年婚してなかったっけ、と思ったら、石原さんとは昨年の復活愛から半年で破局していたんですねえ。一般女性→石原真理子→薬師丸ひろ子→安藤さと子→再:石原真理子ときて、青田典子。正式の入籍だけでも3度(石原真理子は重婚になるとかで事実婚だったそうな)。いったいこういう男はどういう星しているんだ? とふと気になり、ホロスコープを見てみました。太陽、月、水星、金星とパーソナルな星がずらっと乙女座。これはかなり神経質そう。モノが決まったところに片付いていないとイライラするタイプでしょうか。火星は牡牛。パーソナルな5つの星がみな「土」です。根は非常に生真面目な方でしょう。なんだかんだいって本業の音楽は長年コツコツと続けていらっしゃるし、恋愛で浮名を流すだけでなく、「結婚」の枠に収めようとするところも、かなり土っぽい。座相をみますと、これがすごい。金星と冥王星、水星がコンジャンクション(合)してます。金星は恋愛、冥王星は運命・宿命を示しますから、恋はいつも生きるか死ぬか、恋愛のたびに人生が根底から揺さぶられちゃうようなタイプですね。ここにコミュニケーションの水星も重なっていますから、口説きもうまそう。この3つの星にものごとを拡大発展させる木星と、夢を見せる海王星が吉角で効いてますから、こういう人と恋愛すると、もう「ああ、運命の恋!」とお互い、うっとり、トロトロ夢見心地になってしまいそう。しかーしっ!気になるのが、冥王星と火星がスクエア(凶角)になっていること。切れると怖そう。まさにDVの相ですな。いったんぶち切れると……。水星と火星も90度なので、言葉の暴力も辛らつでしょう。おとめ座はあら捜しも得意だしね。肝心の仕事運。木星と海王星が合で、金星・水星などとよい角度なので、先ほど申したように恋愛体質であることは間違いないけど、こういう人は、職業的には表現、クリエイティブ系にばっちり。ただ、太陽と土星が90度なので、下積みは長そうだし、仕事をしながら苦労や悩みが尽きない感じです。
2010.05.10
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ずいぶん長いこと留守にしていました。ブログって、いま、世の中的には、どんな感じになっているんでしょう。一時は、雑誌にブログの記事が出たり、有名人ブログが話題になったり、ブログの本がベストセラーになったり・・・と、華やかだったよねえ。そうそう、取材で、怪物ブログの作者に会いに行ったこともあるなあ。過激なブログの作者が、実はまじめそうな好青年だったり。最近は、ブログ自体が話題になることもあまりないような。浸透したのかな?ユーザー自体は増えているのかな?アクセス数とかってどんなことになっているのかな?プロバイダの勢力地図は変わっていない?おーい。
2009.08.14
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今日はすごくショックなことが。 携帯を会社のトイレにドボン! 「こ、こういうときはどどどどどうしたら・・・??」(オロオロ) 教えてインターネット!ってことでチクチク検索してたら 携帯電話復旧サービスなるサービスを発見。 藁をつかむ気持ちで、マイケータイちゃんを 会社から宅急便でその会社のある久留米へ。 ドキドキ、治りますように~~~ いざ、手元になくなると、なんだかすーすーする感じ、すごく不安。 メール、時計、スケジュール帳、アドレス帳、ナビウォーク、web…とかなり携帯に依存していたなあと思う。電話というより、もはや小型PCだよね。いつの間にかこんなに携帯がこんなことになったかなあ。日常で水にまつわる事件って結構あるよなあと思う。雨の日だってあるし、湿気もあるし、洗面所、デスクの上のお茶とか……携帯ってもう少し耐水性があってもいいのじゃないの?メーカーさん、開発してください!
2007.01.30
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連休明けもあって、体がだるくて、昨日はずるずると一日が過ぎてしまった。本当に、大丈夫かな……?いろいろと行き詰まっていて、手応えがなくて、不安になってきている。私ときたら、できの悪い営業マンみたいだ。おずおずとお願いに回って、断られては、しょんぼりして。優秀な営業マンは、きっと、いちいち落ち込まないんだろうな。営業マンではないけど、知り合いに、「ホテリアー」と異名をとるくらい女の子を口説きまくっている男がいる。「そいつの口説きをどうやって蹴り倒したか」という話で仲間と盛り上がるくらい。たぶんそんなにはモテないんだけど、そこそこは成功?しているらしい。その手の、諸星あたる的な男って時々見かける。でも、押しの強い人って、押してる回数が多いだけに、やはり相当ふられまくっているんじゃないだろうか。だけど、きっと、ふられたことでいちいちしょんぼりしたりがっかりしたりしないんだ。すぐにきれいに消去して、「お姉さーーーーん」って、次に行けちゃうんだよな。恐るべき回復パワー、つーか、そもそも振られたことについて落ち込まないようなタフな精神構造になっているのかも。そこなんだよ。わしも振られても気にならなくなりたいもんだ。しかし、気にしちゃうんだよ。くよくよしちゃうんだよ。あー、そうなんだよ、こういう奴なんだよ。わるかったな、ちきしょー!(錯乱状態)もうひとつは、振られる回数を減らす作戦。めったやたらと新規を開拓しようとするから振られるんだ。自分を振らないような人にアタックすればいいじゃん。新規営業が苦手な人間は、「出会い系パーティーより同窓会」、なのだ。知らない人を見ない! 自分の人脈から行く!自分がよく知っている世界から掘ってく。やみくもに知らないとこに飛び込むからだめなんだよね。釣りと同じだよ。海は広いから魚はいっぱいいるなんて思ってやみくもに船出すからだめなんだってばさ。まずは自分のかわいい釣り堀からだー。それと、新しい仕事だからつい、「これをやるべき」を考えて動こうとしちゃうけど、たぶん、相手にも伝わっちゃうんだなぁ、自信のなさが。「これをやりたい」をやらなきゃ。「あなた」と。
2005.12.27
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「変化」が起こっているとき、なぜ早く、濃く時間が流れていくのだろうと思う。時代の変わり目がそう。革命とか戦争とか、なにかの大きな経済現象が起きているときとか。大きなことでなくても、ささやかな自分の一生の時間にも、早くて濃い時間の流れがある。変わり目、身長がぐんぐん伸びているとき、結婚や出産といった人生の変わり目、環境や仕事がかわるとき。感じ方の問題に過ぎないかもしれないけれど、時間には、きっと種類があるのだ。ゆっくり静かに流れる時間と、怒涛うずまくように流れていく時間と。急流にのまれるような大きな変化のとき、その力はあまりにも強くてあらがいがたい。残念なのは、状況を把握し、意味を理解するまでにタイムラグがあること。「そうか、そういうことだったんだ」と、分かるのは、たぶんずっと先。そして、人生なんて、後になってその「意味」に気づいて深い思いにとらわれるために、生きるようなものかもしれない。死ぬまで続く、修行なんだ。だから、いまは、書きとめておこう。日記でも、スケジュール帳でも、走り書きのメモでも。目に見えない時間というものに、せめて目印になるようにひっかき傷をつけておこう、と思う。
2005.11.16
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やってしまった、ばっさりと。こんなに短くするのは、7、8年ぶりくらい(その時は、美容師さんに言い間違えて、寝ている間に短くされてしまった)。このところの、気持ちの変化で、無性に切りたくなって、「えーい」と。若返るのならいいんだけど、子供っぽくなっちゃったかなー。ずうっと長くしていたので、まだ鏡の向こうの自分が見慣れなくて、ちょっぴり早まったかな、とも思うけど、でも、すごくさっぱりしたのはほんと。失恋すると、髪を切りたくなる……とよく言うけれど、ああこういうことか、とちょっと納得。女の髪って、なにか残留思念のようなものを貯め込んでしまうような気がする。長く伸ばしていると、どんなにシャンプーしても落ちない、歳月の何かを髪に含ませてしまう。とくに、「思い」みたいなもの。「ふっきらなくちゃ」と思ったときに、髪を切る……というのはじつに正しい行為だわ。今日から、新しいわたし。ああ、もっと早く切ればよかった。
2005.09.20
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久々に楽天に書いたら、たくさんコメントをいただいてうれしいです~(涙)。蟹座で、同じようにしんどかった方って、結構いらっしゃったんですね。。。星の話なんか書くと、引いちゃう人もたくさんいるんだろうなと思いながら、でも、運気って、やっぱり波みたいなのがあって、それは周期的なものなのかどうなのか分からないけれど、やっぱり人生、調子がいいときと、そうでないときがあるもので、どうしてもドツボにはまっている感があるときには、人のせいにしたり自分のせいにしたりするよりも、星回りのせいにしたほうが、まだしも健康的かも、なんて思ってしまう。星は、刻々と移ろっていくのだから、いつだって希望はあるんだもん。最近、自分的に、ちょっとおもしろいなあと思っている変化があって、それは「ミーツ・ザ・1995」とでもいうべきもので、なぜか、10年前をやたら鮮明に思い出す場面に遭遇する。10年前に一緒に仕事してた人と再会して、またとても親しくなるとか、10年前にはやった歌にはまるとか、そのころマイブームだったことに偶然再会するとか……。これは、10年前になにかヒントがある、発掘せよ……との啓示かもと思い、昔の日記を引っ張り出してみた。すると、まったく思い出せないディテールや、そのころの胸の高鳴り、人間関係、時代の空気のようなもの……まるで、まったく知らない人の日記を読んでいるようで、興奮してしまった。でもなぜか、今のわたしになにかを必死で訴えかけているような、熱さと懐かしさを感じて、痛がゆい。ああ、本当に、悲しいくらい、人は「今」を忘れてしまう。こんなに感動したり、怒ったりしていても、10年たつと、まったく思い出せないなんて。どんどん消えていってしまう。ツメを立てて痛みで覚えておきたいくらい、いとおしい日々でも。日記って、書いておくものだなあとつくづく思った。どんなに忙しくても。それは、10年後、20年後の自分へ。「本当の歴史は、歴史として書かれたもののなかにはありません。皇室内廷費のなかに、個人の手紙のなかに、財産目録のなかにあるんです」――ジョセフィン・テイ『時の娘』
2005.09.18
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すっかりごぶさたしました。久々に楽天を開いてみようとしたら、パスワードが分からなくなって、「再設定」というのをした。メルアドもなにを使ってたか思い出せず、ヒヤヒヤ。無事、開いてよかった……。最近、急に運気がよくなって驚いている。体全体が軽くなったかんじ。停滞していたことが動き出した。寝覚めもいいし、このところ、ときめくような、微笑んでしまうような、心楽しいことが続いている。「調子いいなあ」というより、「ああ、脱出したな~」というかんじ。カミングアウトすると、蟹座に土星がばっちり居座っていたこの1年10ヶ月というものは、じつのところ、大変しんどい時期だった。私は特に、ホロスコープが蟹座にサインオーバーな人なので、ふつう以上に強い影響を受けてしまったよう。それまで絶好調だったのに、2年前の秋口くらいから、「?」と思うようなことが続き、昨年はもう、なんで?というくらい、スパイラル式にドツボにはまっていった。やたら病気をする、大ケガをする。クルマをぶつける。裏切られる。いろいろなことがフォローできない。しゃれにならないミスをする。クレーム処理に頭を抱える。決まってた話が空転する。やることなすこと裏目に出る……。常に心のなかにおもりを抱えているような日々だった。やがて、どうがんばっても気持ちが盛り上がらなくなり、(この私が)ついにクリニックに駆け込んで薬をもらった(占い師や霊感系に駆け込まないところが、占い師なわたし)。過去、短期的にもっとしんどい時もあったけれど、こうも続くのは初めてで。もちろん、多少浮上することがあったりよいこともあったりと、波はあったけれど。それが、今年の7月から、土星はやっと獅子座に行ってくれた。するととたんに、すべてがストンと楽になった。物事もうそのようにスイスイ快調に運ぶようになった(もちろん大変な仕事はいっぱいあるけど)。びっくりだなー。星をみるのが好きだから、「自己暗示では?」といわれてしまうかもしれないけど。ほんとに、気分が全然違うのよ。土星は「教師の星」といわれている。試練や宿題を与えて、人生勉強させてくれるんだとか(いやほんと、勉強になったよー、ありがとう!)。いちばんは、自分にとってなにが「いい状態」で、なにが必要なのかが理屈でなく、わかったことかも。それまでは何かせきたてられるように、あれも、これもと手を出していたようなところがあったけど、人生にこの大嵐が吹き荒れて、ほしいもの以外はいらない。幸せでいるのに、たくさんはいらない。好きな人以外には愛されなくても別にいい。手に入らないものは、必要でなかったもの。無理がかかると、だいたい後になってひずみが出る。と、それがやせがまんでもなんでもなく、ああそうだったんだなーと、シンプルに整理できたかな。よく「優先順位をつけよ」とかいうけど、自分にとって、何が大事なのか、頭じゃなくて「腑に落ちる」という感じでないと、いっぱい持てば持つほど「惜しい」という気持ちが先立ってしまって、手放せないんだとおもう。らくちんだわ。ふふふ。
2005.09.13
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結果を出そう、こたえをみつけよう、よい考えはないか……焦ってこたえを出そうとすればするほど、もっともっと分からなくなってしまうことがあります。特に、子育てや急にふってきた仕事などをこなしていると、ペースが乱れ、心も揺れてきます。そこで、意識的に気持ちを静めることを心がけています。「明鏡止水」と心で唱えながら、風が吹くたび千々に乱れる水面が静まっていき、澄み切った鏡のようになる様子を思い浮かべると、すーっと心が落ち着いてきます。「明鏡止水」大辞林には、「くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく、澄みきっていること」とあります。心がしんと落ち着いていると、まるで鏡のように鮮明にものごとが映し出され、自分の心の奥底まで透けて見えてくるようです。いつも澄みきった心でいたいものですね。「明鏡止水」といえば、私の好きなお酒に、長野県の「明鏡止水」という地酒があります。これはほんとうにお薦めなので、アフィリしてみます。フルーティーで鮮やかな香りがたちのぼり、飲み口はさらさらと流れるよう。のどごしは透明で、いつしか、しんと静まっていきます。名前に負けない名酒です。その爽やかさは、アルプス酵母のおかげでしょうか。「ワインは好きだけど、日本酒はちょっと……」という人によく勧めるのがこれです。明鏡止水 「純米大吟醸」袋吊り斗瓶取り 1800ml※箱入り【きょうのツボ】自分の心を知りたいと思ったら、まずは心を静めること。
2005.06.06
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最近、食べ物が美味しくなりました。利き酒師の勉強を始めたおかげです。ティスティングは、全身の感覚を舌に集中するくらいのつもりで、素材の持つ微妙な香りや味わいを感じ取ろうとするのですが、不思議なもので、「味わおう」とするだけで、同じものが、全然違った味になるような気がします。なんとなく食べたり飲んだりしていると、するんと口の中を通り過ぎて胃にに治まってしまいますが、味を「利」こう!……と思った瞬間、美味しくなる。おもしろいなあ、と思います。人生も、なんとなく過ごしていると、あっという間に過ぎてしまいますが、丁寧に味わってみると、美味しくなるのかもしれません。ビールは苦みワインは酸味日本酒は甘みと旨みがおいしさ。人生も苦かったり酸っぱかったり、時に甘かったりするのが味わいで、そのうまさが分かるのは、大人になってから……なんだかほんとにお酒と似てますね。香りを感じたり、舌の上で味わいを楽しんだり、喉を通りすぎたあと、余韻をかみしめたり……、苦くても、酸っぱくても、甘くても、人生をたっぷり味わおう、と思うのです。
2005.05.25
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今日はおうちで利き酒のお勉強です。品川区の西小山にある良い酒屋さんで、「利き酒の勉強をしているんです」と相談して、飲み比べて違いが分かりやすいものを選んでもらいました。 左から、浦霞の純米、久平治(杜氏さんの名前の限定もの)、久保田の千寿。組み合わせは、久平治が吟醸香かぐわしく、久保田がさっぱりと呑みやすい爽酒。純米の味わい楽しむ浦霞、という感じでしょうか。久保田と浦霞はもともと好きなお酒で、さすが美味しかったのですが、久平治は初めて呑みました。山田錦で作られた愛知県のお酒なのですが、鼻を近づけると、ふわーっとフルーティな、ちょっと花のような香りが立ちのぼり、口に含むとみずみずしく甘く、冷やして呑むといくらでも呑めちゃいそうでした。最初はだんなと紙に書いて真面目にあてっこなどしていたんですが、だんだんとただの酔っぱらいに。なにかを思い出せそうな、懐かしいようなせつないような気持ちになってきました。たまたまかけていたデビット・フォスターのアルバムのなかにあった、映画「セントエルモス・ファイヤー」のテーマが、お酒のふんわりしたせつない甘さにとてもよく合いました。お酒というと、料理にどう合わせるかということが重視されますが、どんな音楽に合わせるか、ということを考えるとまた楽しいな、なんて思ったのでした。
2005.05.22
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先日、旅のことを書いたら、それを読んだ中学時代の親友が、「ロシアからもらったポストカードを今でも大切に飾っています」と、メールをくれました。とても驚いて、とてもうれしく。そうかあ、私、絵葉書、出したんだなあ。そして、それをまだ大事にしてくれている人が。ありがたいなあ。。。と、しみじみとしました。インターネットも、携帯電話もない、という時代には、私たちが使える通信手段は、郵便か電話でしたが、ロシアから日本への国際電話なんて、当時、学生の貧乏旅行では考えられないものだったので(特別な場所からしかかけられず、1分4000円くらいしたと思う)、郵便も、海外からは大きく「AIR MAIL」ロシアからだと、たしか、「VIA ABIA」(Bが鏡文字みたいなやつで、IがNの鏡文字みたいな字だったと思う)ちゃんと書いておかないと、船便に回されてしまうといわれ、赤いペンで大きく書いて、それでも、ぼろぼろの建物で、やる気なさそうにしている郵便局の職員にだいじょうぶかなあと不安になったりして、でも、もっと不安なのは、自分が無事に日本に帰れるかということだったりして……ちょっと、遺書めいた気持ちで、大事な友達に絵葉書を書いていたのを思い出します。思えば、親も心配だったことでしょう。娘一人、ぽーんとユーラシア大陸に飛び出して、1ヶ月以上、電話もメールもなく、生きているのか、死んでいるのか、なんだもの。(私が旅先から親に出した絵葉書は、私が日本に帰国して、ずいぶん経ってから自宅のポストに到着しました・・・)そんなことを思い出していたら、ああ、また、ふらりと遠い国へ行きたくなってきました。そして、絵葉書が書きたくなりました。揺れる夜行列車のなかで、ほの暗い宿のランプの下で。
2005.04.30
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やっとやっと、公式ホームページができました。こつこつ、手作りしました。ふう。やりだすと、いろいろ凝りたくなって、そのうちほったらかしになったりして、時間がたってしまいました。まだ、名刺がわり、といった状態ですが、少しずつコンテンツも増やしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2005.04.29
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鬼塚ちひろさんのアルバムをはじめて聴いたとき、しびれました。彼女の実年齢を知ってまた驚き、こりゃ天才に違いない!と確信。「月光」は、最近の歌ではめずらしく、カラオケで歌えます(えっへん)なので、このところの騒動には、かなり胸を痛めています。もっともっと歌をつくってほしいのに。彼女の歌が聴きたいのに。あんなに、あふれるような才能があるのになあ。私が才能の話を言い出すと、うちのダンナはなぜかランボーの話を出します。ランボーはスタローンでなく、詩人のアルチュール・ランボーのほう。いわずと知れた、天才詩人で、詩人ヴェルレーヌによって才能を見出され、いまにいたるまで多くの詩人たちに影響を与えました。それなのに、彼はハタチそこそこで筆を折り、あっさりと詩作をやめてしまい、その後、詩を作りませんでした。恵まれた詩の才能に全く拘泥せず、商人になり、武器も扱いながら、(そこそこ成功したようです)人生を終えます。ランボーが好きなダンナは言います。「世界中の詩人が嫉妬するほどの才能をもっていたのに、彼にとっては詩の才能は必要じゃなかったってことでしょ。もったいない話だけど、まあ、彼にとっては、たぶん商売のほうがおもしろくなっちゃったんだよね。もしかして詩人と呼ばれることは、本人はあまりうれしくなかったかもしれないね」うーん。「才能」って、なんなんでしょうね。ある人にとってはその才能が重荷だったり、才能ゆえに傷ついたり、天分に恵まれても、それが本人にとっては必要のないものだったり。あることが好きで、さらにそのことについて才能がある、というときは、とても幸せだと思いますが、残念ながらミスマッチ、という場合も少なからず、なのかもしれません。まったくもう。神様はいじわるだなあ、と思ったりもしますが。それから、ダンナは続けて、「自分は昔から音楽が好きで、ずいぶん聴いているつもりだけど、これは才能があるなあ、と感じるのは1割もないよ」と超ナマイキなことを申します(ミュージシャンのみなさん、ゴメンナサイ!)「9割は、きっと猛烈な思い込みや執念を持って音楽の世界にいて、音楽で飯を食ってる、ということなんだろうけど、それはそれでいいと思うんだよ。いいな、と思う曲もたくさんもあるし」私も、小学生のころから、小説家になりたいとほざいていて、長じて、小説ではないんだけど、なんのかんのとこの世界にしがみついて生きていきながら、いつもいつも才能がほしいと歯ぎしりしてきたものです。ものすごく強烈な才能があって、ランボーのように、若くして彗星のようにパッと光って、ぷっつりとその世界に背を向けてしまう、というのもかっこいい。でも最近は、あるかなきかの才能であっても、ねばっこく、いぶし銀のように鈍くしぶとくっていうあり方も、なかなか渋くて良いぞ、と、思うようになってきました。こんなふうに、才能がどうしたこうしたと年中上がったり下がったりしている私に、ランボーやら音楽やら、そのほかにもいろんな話をして、なぐさめてんだか、煙に巻いているんだかさっぱり分からないダンナの話の結論は、いつも同じで、「ま、好きなことを、やりたいようにやるしかないんじゃない。人生一度きりだし」なのです。そして、私は「そうだよね」と、とりあえずうなずいてしまうのですが。次の飲み会でカラオケに行ったときには、カムバックを祈りながら、鬼塚ちひろを熱唱しようっと。
2005.04.28
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その手にはのるもんかー、と思いながらまた買っちゃいました、「anan」。「そろそろ本気で SEXYな女」だって。思いっきりタイトルに既視感を感じたんだけど、松嶋菜々子ちゃんの目に吸い寄せられてしまいました。●「悪口」に惹き付けられる今号で面白かったのは、岩井志麻子さんのコラム、「オトコ上手」。HPのことを語ってるけど、これはブログのことなんじゃないかな。岩井さんは、「悪口」を書いているものに惹きつけられるといいます。「それも論理的な批判や冷静な苦言ではなく、攻撃的で私怨に満ちた悪口中心のもの」「好きなもの好きな人について語れば、無論その人の性格や嗜好や日々や垣間見えるが、痛々しく、あからさまにはならない。なのに、嫌いなものや人について語らせれば、あまりにも生々しくその人自身を語ってしまう」人の容姿を蔑むのは、自分が強いコンプレックスを抱えているんじゃないか、特定の職業の人に執着して馬鹿よばわりは、本人がその職業につきたかったからじゃないか……と。たしかになあるかもなー、と思いました。●好き? 嫌い?少し前に読んだ心理学の本に、人は、自分にある資質で、自分が良いなあと思っている部分を持っている人に好感を持つ。逆に、自分にある資質で、自分でも無意識に嫌だなあと思っている部分を表出している人を不快に思う(いわゆるシャドウってやつですね)というようなことが書いてありましたっけ。好き、嫌いって、奥が深いですね。岩井さんが書かれているように、「好き」よりも、「嫌い」のほうがあからさまにその人を語るというのは、よく感じます。赤ちゃんは、「好き」よりも、「イヤ」を先に覚えますし、強く激しく訴えます。人間が生き延びるために備わっている機能、と聞いたことがありますが、人にとって、「好き」の感情よりは、「嫌い」の感情ほうが本能に近いところにあるのかもしれません。恋愛にたとえて恐縮だけど、女性は、付き合っている人、好きな人のことを、「私、この人のこと、ほんとうに好きなのかな?」としばしば迷いますが、最初から嫌いと思っている人を、「私、この人のこと、ほんとうに嫌いなのかな?」と、迷うことってあんまりないように思います(このへんは個人差があるところですが^^)。●嫌いなことは、なに?私も、よくいろんなところで、「好きなことをしよう!」とか書いたり話したりしているけれど、じつは、「好きなこと」って、あいまいなものかもしれません。人間は好奇心の動物なので、たいていのことを「おもしろい」「楽しい」と感じる資質があるし、だれかが好んでやっていることにはそれが何であっても、なにかしらの喜びはあるもの。また、「好き」、という気持ちは、案外、世の中の価値観などの流行にも左右されます。でも、「嫌い」には、もっとパワーがある。誰がなんといおうと、嫌いは嫌い、みたいな。でも、大人になるにしたがって、私たちは、「嫌い」を上手に隠すことがうまくなる。赤ちゃんのように「うわーん、やだー」と泣くこともなく、そっとよけておく、とか。見ないようにする、とか。けれどそれは、岩井さんがいうように、コンプレックスの裏返しなのかもしれないし、あるいは、自分のなかにあるなにかのシャドウなのかもしれないし、もしかして、心や人生を守るカナリアのような役目をしているのかもしれない。好きなことを見つけたいなら、自分を知りたいなら、まず、自分が何が嫌いなのかに正直に向き合ったほういいのかもしれません。そして、嫌い、と思ったら、その理由はなぜなのかを一生懸命考える。「そろそろ本気で、『嫌い』に向き合おう」(なんだか、ananのもじりみたい?)
2005.04.23
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世界地図とにらめっこするような仕事に追われています。大変だけど、世界地図を見ているのは心がのびのびしてきて、心楽しいものです。学生時代に、しておいてよかったと心から思うことは、世界のあちこちを旅したこと。世界地図を見ていると、その国、その国の空気の匂いや雑踏、人の表情や衣服、食べ物の味、出会ったできごとが、ばあーっと立ち上ってきて、心が丸ごとさらわれてしまいます。時間と体力、柔らかい心があるときに、いろいろな国を体で感じておいて、ほんとうによかった。きっと、年頃になったら、子供にもすすめてしまうだろうなぁ。大学2年生のころ、アルバイトで家庭教師をしていた家のお父さんが、往年のバックパッカーで、若いころにした世界一周貧乏旅行のアルバムを見せてくれ、「どこでもいいから、若いうちに外国をみておきなさい」と背中を押してくれたのがきっかけでした。最初の外国は、いきなり、ロシア(当時ソ連)。とてもとてもシベリア鉄道にあこがれていたのと、シルクロードを見たかったのです。なぜ、アメリカやヨーロッパでなく、かの地を選んだかというのは、いろいろ理由はあるのですが、外国へ行くということに対して、かなり大げさな覚悟をしていて(なにしろ、外国は初めてですから)最初で最後かもしれない、くらいに思っていて、これを見なきゃ死ねない、くらいの場所を選んだというのがあります。「ドバッツァアジーン」……21歳になったばかりの夏、1ヶ月ほどの旅はまさに、私の世界観を大きく変える旅となりました。それから旅にとりつかれ、アルバイトに勢を出しては、インド、アメリカ、メキシコ、ブラジルと巡りました。当時、「地球の歩き方」シリーズが創刊されて話題になっていて、少し前には沢木耕太郎さんの「深夜特急」がベストセラーになっていたりして、HISが力を伸ばし初めていたおかげで格安航空券が手に入るようになって、円高で外国滞在がリーズナブルになり……いろいろな意味で世界旅行に追い風が吹いていて、私のような学生はあちこちにいたんですが。行っておいて、ほんとうによかった……と思う半面、ちょっと油断すると、どこか遠くから吹いてくる風に呼ばれてしまう。いまこの毎日も、いつもどこかへ向かう長い旅の途中のような気がして。若いころに一度でも、大地に体をこすり付けるような旅をしてしまうと、一生、旅人が心に居座り続けてしまうのかもしれません。どうやら、もう、永遠に大人にはなれなそうです。
2005.04.22
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いきなり元気モリモリ!というわけにはいきませんが、このごろ、ずいぶん回復してきたかなあ、と感じます。春とともに。自分にとって、正直、2004年度(年度、です)は、本当に大変でした。事細かに書くのは、今日は控えますが、体とか、心とかが、今まででいちばんキツい一年だったといえそうです。育児休業から職場復帰して、ちょうど一年が過ぎて、ようやくこのごろ、心が軽くなってきたような。久しぶりに泳いだときに、最初何往復かはとてもきついけど、ある瞬間、フッと体が軽くなるようなものかな。「折り返し地点」に来たのだとしたら、いいですが。(でもまた、だめだ~と倒れているかも)先日、とても久しぶりに泳ぎました。やはり、最初は、ちょっと泳いだだけで、ハアハア、と息が弾んで体がとても重い感じがしました。とても苦しくて、苦しくて。それが、ある点を過ぎると、フッと体が軽くなって、水が体になじんできて、スイスイと流れるような気持ちになってきました。そうなると、あとはもう、いくらだって泳げそうな気がして(って、そんなにたくさん泳げるわけではありませんが)……。黙々と泳いでいると、次第に心が落ち着き、雑念も遠のいていくようです。泳ぐのって、とてもいい瞑想法かもしれません。人間の体は、6割くらいが水分なのだとか。そもそも、10ヶ月も水の中に浸かって生まれてきます。泳いだり、お風呂に入ったり、なんでも水に触れるのは、気持ちがいいに決まってますね。落ち着かないときや考えがまとまらないとき、ちょっと、手を洗ってみる、顔を洗ってみるなど、水を触るというのは、よい方法かも。瞑想といえば、ちょっと前に「呼吸を学びたい」と書きましたが、少しずつ瞑想とか呼吸法の本を読んで、寝る前に練習しています。深く吸って、きれいに出して……を繰り返して、息を整えるのって気持ちいいですね。呼吸のたび、体じゅうに風が通り抜けていく気がします。水、風、ときたので、ちと強引ですが、「火地風水」を結びつけてしまうと、「火」は、情、でしょうか。感情だったり、人情だったり、熱く体のなかにほとばしる思い、のようなもの。ほどよく燃えていないと、体があたたまらず、エネルギーが出ません。だけど、コントロール不能になって、燃えさかると、大やけどしてしまいます。とてもいいものだけど、ときに、怖いものでもあります。じゃあ「地」は、というと、肌とか、肉とか、骨とか、毛とか、手足とか、私たちを支える土台。静かだけれど、手入れがとても大切なところ。日ごろからよく動かして、土を耕すように、柔らかくしていないと、すぐにかたくなってしまいます。火を心地よく燃やし、水や風をよく流し、土を耕し育てる。自分のなかの「4元素」をちょっと意識してみると、気持ちよく暮らせそうです。
2005.04.20
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どんなに肌にいいというふれこみの化粧品だって、気持ちの良さからいって、すっぴんでいるのにはかないません。毎日毎日、一日中お化粧のせて、帰ってきてクレンジングで落として洗顔。こんなことを繰り返していたら、肌はくたびれてしまうんじゃないかしら。お酒を飲まない「休肝日」じゃないけど、まる一日すっぴんでいる、「すっぴん曜日」をなるべくつくって、肌を休めたいな、と思うようになりました。素肌で風にあたると、とっても気持ちがいい。おしゃれもそう。きれいな服は大好きだけど、毎日毎日、意識してなにか「着よう」とするのは、少し、疲れるなあと思うことがあります。ストッキングって、ほんとうはあんまり好きじゃないです(小さな声で)。お化粧をして、服を着ているときの自分って、きっといつもちょっぴり緊張している。寝ているとき以外はみんなよそ行きの格好でいる日が続くと、知らず知らず、いろんなところがこわばってくるような感じがします。緊張と弛緩を、バランス良く繰り返したいものです。お化粧したあとは、すっぴんで過ごす。おしゃれしたあとは、洗いざらしのシャツでくつろぐ。だらーん、だらーん、だらーん。すっぴんで、着飾らずにいても、そのまんま受け容れてくれる人と、とりとめのない話なんかできれば最高です。
2005.04.19
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今日は、大きいことと、中くらいのことと、小さいことがあって、悩んだり考えたりして、たった1日なのに、半年くらい時が過ぎたような気がします。考えをまとめるにはまだまだ時間がかかりそうだけど、いまちょっと思っているのは、仕事とか何かのおつきあいとか、多少の距離感と緊張感のある人間関係では、結局のところ、「相性」っていうのがものすごーく重要な要素だなあということ。「好き嫌いをいうのは子供じみてる」「ビジネスの場で感情を持ち出すな」なーんていうけれど、結局、大人になろうが、どんな職業職種であろうが、偉くなって部下ができようが、人間なんて、好き嫌いがある生き物なのね。その表し方に個人差があるだけで。これはおもしろいなあ、と思うのが、どちらか一方が好感を持っているときは相手もそうであることが多く、どちらか一方があまり好きでないと思っているときは相手も同様に思っていることが少なからずあるなあ、ということです。以心伝心なのか最初から運命づけられているのか、なにかの反応とか作用なのかは分からないけど。なので、自分が好き!と思える人とは、まずは安心してつきあっていいし、どうも苦手だなあ、と思う人とは距離をとっておいて正解かも。そして、お仕事のときにこそ、役職だとか、経歴だとか、出身だとか、評判だとか、自分にとって得だとか損だとか、とりあえずそういう条件的なことは一切おいておいて、動物的カンとか原始的な脳をフル回転させて、自分的に素直に正直にその人を見て感じて、好きになれるかどうか? 好きかどうか?を考えたほうがいいのかもしれません。気持ちの良い人と組んだほうが、安全だし確実だし、なにより楽しいし、よい結果が得られることが多いし、「どうしても何かひっかかるナ…」というときは、あとになって「やっぱり」ということがありがちなので、それが小さくてどうでもいいようなことでも、見ないふりはしないほうがいいように思います。まあ、だいたいにおいて、人は、無意識にこれをやっていて、「気づくと相性の良い輪ができている」ということが多いものなんですけれどね。ただし、この相性を見抜くカンのようなもの、なぜか恋愛には効かないのが、ふしぎなところ。周りをみていると、もともとは全然相性が良くなさそうなのに、嵐の夜に二人でどこかに閉じこめられて愛がめばえちゃうとか(なんつーたとえだ)、いっけん相性が良さそうなのが近づきすぎて愛が憎になるとか、逆に、憎のはずがそいつのこと考えすぎて愛になるとか、そんな錯誤が少なからず、あるようです。恋愛は、人間関係のなかの富士の樹海のようなもので、磁石の針が効かなくなっちゃうのかな。
2005.04.16
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続きです。マドレボニータさんが西洋占星術師ジョナサンケイナーのお話を引きながら(私も大好きです!)書かれていますが、>でも、近くにいる人にとっては大問題でも、>大きな視野でみると、実はすっごくちいさなパスルのピースにすぎなくて。>でも、小さいからといって、それが欠けてしまってはいけないわけで。>だから、>卑屈な意味でなく、俯瞰でみたら小さなことを自分はやってるっていう自覚って>必要だなとおもいます。>小さいけど欠けちゃいけないっていう認識も。この透徹した視点こそ、とても大切なものだと思うのです。一人一人のやっていることは、本人にとってもおおごとかもしれないけど、実はそれほど大きくない。宇宙の星々から見れば、1000億円稼ごうと、1時間500円でも、人間の一生なんて、きっと、たいした違いはありません。と同時に、この宇宙のなかに生まれおちてきたことは奇跡に違いないし、いまこの瞬間に、自分のなかに揺れている意志には、なにか意味があると思ってみてもいい。傲慢になるのは恥ずかしい、かつ、卑屈になることはぜんぜんなく。心から好きなこと、やっていて楽しい、と思えることを、いささかの気概を持ってやれれば、それはほんとうに幸せなことだと思うのです。あらあら、シッターさんの話から、いつのまにやらずいぶん飛んでしまいました、ごめんなさい(((((^^;ここまで読んでくださったかた、ありがとうございましたm(____)m
2005.04.15
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ベビーシッター料金についての拙日記に、たくさんのコメントをありがとうございました。私は毎週忙しい日というのがだいたい決まっているので、定期的に保育園のお迎えから夜12時まで頼んでいるのですが、こんな時間に二人分、保育園のお迎え~シッティングを頼むと、これは、はっきりいって安くはありません。でも、それはお仕事をするうえでの必要経費であるし、高いなりの期待(サービス、保障、なにがしかの安心など)もあるので、しかたないかなあと思います。日本は人件費が世界一高い、という事情もありますし。あと、会社からベビーシッター補助がもらえるところは協会に所属する企業形態のところなので、いきおい、大手に頼らざるを得ないとうのもあり。実際来てくださるシッターさんはみなさん良いかたばかりで、私も安心して子供をお任せすることができました。それは本当にありがたかったと思います。なので、これまでとくに疑問を感じることなかったんですが、自分の感覚では、支払っている6、7割、せめて半分くらいは、実際に子供を世話してくれるシッターさんの手にわたっていると思っていたんですね。それが、伺ったシッターの時給は、3分の1……。2個所バラバラの保育園へのお迎え、着替え、おやつにお風呂、おしめかえに歯磨きに寝かしつけ……。抱っこもせがみますし、わがままを言うこともあります。重労働なうえに、深夜勤務です。自分より年上の、時には保育のベテランの人を、そんな値段でお願いしていたのかと思うと、シッター会社に憤ったという以上に、もうしわけない気持ちでいっぱいになりました。それで、いきおいあまって、前の日記では、派遣、という業務形態にまで疑問の目を向けてしまったというわけです。でもそれは、われながら、いささか極端でしたね(^^;。。。ただ、このできごとは、世の中の儲けのしくみみたいなものをちょっと考えさせてくれる良いきっかけにもなりました。ちょうどいいのでベビーシッター派遣会社を例にとりますと、ベビーシッターあっての派遣会社であり、一番大事な「生」の部分はシッターさんがやっているわけですが、その上にたくさんの人が乗っかっています。おそらく、シッターさんよりは、シッター会社の社員の人のほうがお給料は高いでしょう。そしてそこの社員よりも社長の方がもらっているでしょう。もっといえば、会社を経営するよりは、会社そのものを売ったり買ったりするほうが儲かるかもしれませんし、さらにいえば、そういう人たちにお金を貸す仕事や株公開ビジネスみたいなのほうが、もっと儲かるのかもしれません。実際の現場が、シッターさんと子供とすると、どんどんそこから離れて、その構造の上に行くほどお金がたくさん集まる仕組みになっていて、だから、ほりえもんさんなんかは、雇われるより雇う立場になるほうが儲かるんだから、会社を作ればいい、と薦めています(しかし、そういうの、ライブドアの社員はどう思って聞いてるんだろうナ??)。それは、いい悪いではなく、資本主義という仕組みなんですよね。そしてこのしくみのなかでは、お金を動かすということは、人を動かすということであり、お金と同時に権力もくっついてくる。とはいえ、じゃあその構造の上のほうへいけば幸せになれるのか?というと、またそれは、ゼンゼンちがう話なんだと思います。くらたまさんが、「『女は金についてくる』っていう人がいるけど、それは金についてくる女がついてくるだけなのよ。すべての女じゃない。少なくとも過半数じゃないね」と喝破していたけれど、その伝でいけば、『お金で買えないものはない』んじゃなくて、『お金で買えるものが、お金で買える』っていうことなのでしょう。『権力で動かせるものが、権力で動かせる』とか。やっぱり、いくらお金を出しても、権力を使っても、手に入らないもののほうが人生には多くて、大切なものほど、そうだったりして。なので、自分はどう生きるか、自分はなにをするのが好きなのかを考えて、自分の好きなことが、そのしくみのなかでは大きなお金を稼げるポジションじゃなくても、それでいいんじゃないかな、と思います。実際に子供と触れ合えるシッターさんがお仕事としては一番楽しいのかもしれませんし。好みの問題ですね。ただ、やはり、こういう構造が世の中に存在するということも、頭にいれといたほうがいい、というのもこれあり。お金のあるところには権力があるということは、つまり、権力を持っている雇い主が私たちの賃金を決めるので、私たちの賃金の多寡は雇い主に握られています。そして、私たちの雇い主の利益は、ある意味で私たちが損をしたほうが増えます。とはいえ、会社に利益が出ていないことには私たちの賃金も出ません。なので、そのなかで働く側は、割り切って働きつつも、つねにきびしく見る姿勢はあったほうがいいと思います。おかしいと思ったら、今の世の中、反乱する方法は、案外、いろいろあるもので。私のシッターさんのようにお客さんと直接契約してしまうというのもそのひとつだし、もっと条件のいい派遣会社に移ってもいい。そのためにつねに自分を磨いておくというのはとてもいいと思います。いっそ自分がより良い会社を立ち上げる、というのもいいかも。あと、一人一人は弱い立場でも、まとまれば強くなるというのは、近代の発明です。古くは一揆や労働争議、最近なら組合とか。今後、フリーの形で働く人が増えてくれば、ドイツなどのような、広い同業者による組合のようなものもできてくるのではないでしょうか。日ごろから意識して、横のつながり、ネットワークをつくっておくというのも、いざというとき自分を守ってくれる弁になってくれそうです。ブログの広がりなんかにも期待です。(つづく)
2005.04.15
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いつも週に1,2回家に来てもらっているベビーシッターさんに、ひょんなきっかけで、お給料を聞いてみました。大手ベビーシッター会社を通してきてもらっていたのですが、対応に疑問を感じることが重なって。そうしたら、なんと、私が支払っているシッター料金の、じつに3分の1強しかもらっていないというのです。うちは夜間割増とか、きょうだい割増とか、指名料みたいなのとか、いっぱいついていて結構いい値段を支払わされているのだけど(さらに年会費とかも)そういうプラスアルファはどこに行っちゃってるんでしょう。 不思議になるほど、シッターさんの時給はあまりにも安すぎです。なので、今月からシッター会社は通さず直接お願いすることにしました。しかし、シッター会社ってどこもそんなんなんでしょうか。派遣会社はフリーターより労働条件が悲惨だったりすることもあるとかそもそも、人を働かせて中間搾取するってどうなのよ。と、そういう業務形態自体にも不信感を持ってしまいます。良心的なところもあるのかもしれないけど……。そこの会社は上の子が赤ちゃんのときからずっと頼んでいたのになー。もっと早く聞いてみるんでした。教訓。お金の話はしづらいけど、疑問に思ったら、思い切って聞くべきですね。
2005.04.13
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レシートぺたぺた家計簿、近くの席の同僚も始めたんですが、かなり好評で、「最近、レシートもらえないと、気持ちワルくて!」と言ってました。そうなんですよね、私も、お金だけ払って、レシートをもらわないと、「するん」とするっていうか、ちょっと忘れ物をしたような気がしちゃうほどです。レシートを1枚1枚貼っていくっていう単純な作業だけで、自分の消費の痕跡を辿ることができて、いいものです。最近どこでもレシートくれるようになってありがたいです。家計簿の効用は、語りつくせません。もし、「なんだかお金が貯まらない」「なんとなくなくなってしまう」という悩みがあったら、第一歩としては、出ていったお金を1円たりとも逃さず、チェックしてみることです。まずは、とってもすっきりします。しかし、見たくない現実も見なくちゃいけないかもしれません。(私もそうでした……;)その厳しい?データを目を皿のようにしてながめ、自分の財政状況の何が問題で、改められるところはないか、じいっと向き合うのです。すべては、そこから。家計簿については、以前楽天日記で、だらしない家計簿のススメという拙文を書いたことがありますが、このように以前(育児休業中)は、家計簿ソフトを使って毎日つけていましたが、職場復帰して以来、忙しくてなかなかできません。一日のなかで細かく使うことが多くなって、パソコンへの入力が煩わしい、というのもあります。なので、このごろ、「いかに簡単に管理するか」ということをよく考えます。それが、出費の大半をクレジットカード、銀行引き落としにすること、現金払いしたものは(クレジット払いも含め)レシートを大事にすることです。簡単ですいません。家計簿の話は、また。
2005.04.12
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昨日、ストレスのことについて書きましたら、 toms2121さんから、ストレスについてのとても詳しいコメントをいただきました。ありがとうございます。ストレスストレスって、よく言うけど、いったいなんだろう?と気になっていて、もやもやしているけど、そのへんをどうにかすることが「幸せ力」(^^)アップには欠かせないんだろうな、とは思っていました。ユダヤ人の強制収容所のお話など、とても考えさせられました。コメントには、適度のストレスは、心身を活性化させ、エネルギーを与えてくれます。これはいいストレスです。でも人間関係の摩擦とか、過労とか、私たちに慢性的な負担をかけてくる悪性のストレスもあります。 大きなストレスと小さなストレスでは、小さなストレスのほうが危険だそうです。日々のちょっとした怒りや不安、不満などのほうが、慢性的なストレスとなって私たちを脅かすようです。とありました。また昨日、ストレス話のあとで、お金のことを書いたのですが、それについてみなさまからコメントをいただきました。ストレスに関することと、お金に関することのみなさんのコメントを拝見していて、お金を払うというのは、まさにtoms2121さんがおっしゃる「小さなストレス」なんじゃないか?と思いつきました。恥ずかしいですが、わたしはお金を払うとき、「ちぇ」と思っちゃいます。額に関わりなく。「あーあ、1万円くずれちゃったよ」と思ったり、会社でなにかの集金が回ってくると、「うっ、臨時出費」とドキッとしたり。電車に乗るときに、切符を買う、自販機で飲み物を買う……小さなときにも、自分ではあまり気づかないだけで「ちぇ」と思っているような気がします。欲しいものを買っても、心のどこかで「あーあ、無駄遣いしたかも」と思っていたり。本音言えば、きっと、お金なんて払いたくないんです。手元においときたい。どうしても払わなくちゃならないから、しかたない。電車に乗ったり、サービスを受けたり、電気やガスと使ったり、欲しいものを手に入れたり。もしかして一日のうちにきっと、無数の「……ちぇ。でもしかたないや」を心で繰り返しているのかもしれません。そして、現金を支払うって、どんなにがんばってもスマートにいきません。まあまあ許せるのは、キオスクで、ぴったりの小銭を用意して、「ハイ」と新聞を買うときくらいでしょうか。レジの前で、いくらかな、と思いながら計算を待って、「1865円です」とレジで言われる。それからお財布を空けて、ジャラジャラと探す。千……はっぴゃくえん、……惜しい。600円しかない。じゃあ、千円2枚、2千円。あ、65円はあるな。「65円あります!……2千と……65円」「ええっと、2千と65円お預かりします。200円のお返しになります」レシートと一緒に百円玉ふたつをもらってそれをお財布にしまって、スーパーの袋を持って……。ああ、後ろに並んでる人の舌打ちが聞こえそうです。。。自販機で120円のジュースを買うのも、ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、と三つのアクションが必要。小銭がなくて千円札を入れたりすると、ジャジャジャーと小銭が出てきちゃって、ふーう。私は当初、家計の管理と、ポイントゲットのために、「なるべく現金レス」生活を始めましたが、現金レスにすることで、現金を扱うことそのものによるストレスからかなり解放されたことに気づきました(お、現金ストレス→現金レス……なんちゃって)。現金で支払うことにストレスがあったことに気づいた、ともいえるかも。 (ちなみに、これが私の家計簿です。各種レシートをぺたぺた。それから、カードの使用明細書と、銀行の出入金明細をネットで出してプリントアウトして貼っておきます。それから、映画の半券、なにかの入場券など)カードはスルッとすむので快適だし、支払うときに、ポイントが貯まったり、電子マネーEdyなら、一瞬(0・2秒らしい)で支払い完了。同時に可愛い音が聞こえたりして、「なんか楽しい」。支払う時に、気持ちよかったり、楽しい気持ちになるって、だいじだと思うんですよね。どうせ払わなくちゃいけないお金なら。とはいえ、小銭を扱うのが快感っていう方ももちろんいらっしゃるでしょうし、クレジットカードがストレスっていう方もいらっしゃると思います。ですので、ご自身の気持ちよい払いかたで。どうせ、お金は多かれ少なかれかかるものです。一回一回を気持ちよく払うようにするだけで、また、使った分をきちんと把握するだけで、かなり気分上々です。
2005.04.11
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あったかなメッセージをありがとうございました。弱ってるときに、優しい言葉をいただくって、ほんとうれしいですね。ブログってほんとにいいな~(TT)。謎の咳が相変わらず続いていて、会社の同僚から、「おまえ変な咳してんなー、検査しろよ」「ストレスで免疫力が低下しているんじゃないの?」とかいろいろ言われております。咳って、風邪の症状のなかでもアクティブだから、人迷惑ですよねえ。それにしても、ストレスか。うーん。しかし、あまりにもなじんでしまった、このストレスという言葉ですが、改めてストレスってなんでしょうね? あんまり感じないほうだけど。ちょっとまじめに研究してみようかなと思ったりしました。さてさて、通販のフェリシモから、カードケースが届きました!クレジットカードやポイントカードがどっさり入ってコンパクトにしまえるすぐれものです。 「お得道」(なんだそれ)を極めるには、クレジットカードやポイントカードを賢く使いこなすということが欠かせませんが、問題は持ち歩くとお財布がブタ財布になること。ブタ財布は金運が逃げる……と、以前 aoimegane さんが日記に書かれていました。使い勝手のいいカードホルダーを探していたので、うれしいです。これを機に、お財布はうんとちっちゃくして、現金はサブ的にしか使わないつもりです。現金っていつの間にか無くなるけど、クレジットカードは自分の使った痕跡がきちっと残るからお金を管理するのにとてもいいのです。なにより、ポイントが貯まるし。私はこのごろ、コンビニでもタクシーでも本屋さんでも、憶せずカードを使ってます。唯一、自分の生活まわでは、カフェでカードを使えないのが難点。なので、わざわざスタバで使えるいうJCB「LINDA」カードを申し込んだほどです。今後は、期待はICチップの進化ですね。いま、ICはものすごく技術が進んでいて、いろいろな情報が載せられるようになってきています。まもなく、複数のポイントカードの情報が全部一枚にまとめられるカードができるらしい。これが出たらかなりいいですね。買い物するたび探す手間が省けるし(スタンプ式のはダメかな)。ICチップは、磁気に比べてずっとセキュリティーに厚いそうです。キャッシュカードやクレジットカード、ポイントカード、プリペイドカード、電子マネーなんかが一枚で済む、なんていう時代、きっと目の前ですね。
2005.04.10
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今年はインフルエンザをやったのに、だめ押しのように風邪を引き、さらに仕事が立てこんだりして、更新に間が空いてしまいました。(野宮安寿さん、ごめんなさい)熱はすぐに下がったのですが、ゴホンゴホンという深い咳が抜けません。体のこと、書いたばかりなのに。情けないっす。体調よくないなーとおもうと、体のことが気になる、というやつだったかもしれません。くるしいなあと思いながら咳をしているとき、ふいにひらめきました。そうだっ! 呼吸だ。と。いい呼吸。リズムがあって、安定していて。きれいな空気を吸って、心地良い呼吸をしていれば、まずはなんとかなりそうです。いつも自分の呼吸を意識して、何か行動をする前には大きく深呼吸することを心がけよう。咳が抜けたら呼吸を鍛えよう、とおもいました。
2005.04.08
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昨日の日記、「元気なら……」というのにコメントをいただき、ほんとうに、そうだよなあ、と思いました。最近自分の身の周りに、どうして解釈したらいいのか分からないようなできごとが起こって、深く考え込んでしまっていたんですが、ふいにもらった友からの電話で、「まずは、自分がちゃんとしてればいいや」「まずは、元気なら」という気持ちになって、昨日の日記を書きました。元気がすべて、というわけではなくて。というのは、わたしも体はそれほど丈夫なほうではないのです。よく風邪を引くし、故障します。家系的にも、すごく長生きとか、スポーツマンとか、そういう人はそんなにいません。一方、夫方は、全体的に大柄で丈夫な感じの人が多くて、100歳ホルダーが何人もいます。夫も、結婚8年、風邪で寝込んだのは1回だけ、それも半日でした。義母などは70近いのに、ひょっとすると私より元気でエネルギッシュです。健康・長寿って、遺伝もあるなあ、と思います。健康な人は、それはうらやましいなあと思うけれど、だけど、人生の価値は長さで決まるものではないし、持って生まれた自分の体を嘆くことはない、とあえて言ってしまいます。それは、自分の運命を嘆くことはない、と同じ意味で。体は、自分の人生を生きるための「器」だとおもいます。運命は、「環境」。日本に生まれるか、アルゼンチンで(他意はないですが)生まれるかで、ぜんぜん違うし、家庭とか、出会うできごととか、人の数だけ違います。器や環境をシャッフルすることはできないけど、自分が与えられたものを生かすのは自在にできるはず。与えられたなかではありますが、いかに楽しむか、味わうか、自分らしい人生をつくるか、なんじゃないかなあ、とおもいます。まずは、生まれただけで、大幸運、ということで。せっかくもらった器ですから、大事にしたいです。野宮安寿さんのおっしゃる、「弱いなりの強さ」という言葉、いいですね。しぶとさ、とかね。私の周りの、特に男の人に多いのですが、仕事が忙しくて体壊した、とか言ってるひと。本人は自慢げだけど、そういうの、全然かっこよくないとおもうな。そんな私も、ついつい健康管理がおろそかになりがち。なので、このあたりを、今年の目標にしたいとおもいます。毎日よく歩く。電車ではなるべく座らない。休日には運動をする。野菜をたくさん摂る。お水をたくさん飲む。甘いモノは控える。油分も控える。お酒は楽しく、飲み過ぎない。コーヒーを飲み過ぎない。お風呂はゆっくりと入る。原稿を書いているとき、お菓子を食べない。長時間画面を見たら、目を休める。定期的に歯医者にいき、手入れをする。人間ドッグへ行く。定期検診も忘れない。生理の周期やその様子を記録しておく。よい姿勢で過ごす。座った時に足は組まない。疲れたと思ったら早めに休む。アロマとハーブの勉強をする。漢方の勉強をする。寝る前に瞑想をする。よく笑う。
2005.04.03
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友達から電話が来た。職場の上司が、倒れたという。くも膜下出血。40歳そこそこの若さだったという。幸い一命は取り留めたものの、復帰は難しいそうだ。彼女は、「健康の大切さを思い知った」と話した。ほんとにそうだと思う。健康はとてもとてもだいじ。失敗しても、途方に暮れても、行き詰まっても、体が元気ならば、なんとかなるものね。よく寝よう。栄養に気をつけよう。ちゃんと運動をしよう。疲れたらやすもう。歯を大事にしよう人間ドッグへ行こう。【きょうのツボ】体を大事にしよう。
2005.04.01
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最近はもっぱら、なごやか とか、のんびり とか、ゆったり とか、まったり とか、ゆるやか とか、のびやか とか、おだやか とか、やわらか とか、しずけさ とか、ゆっくり とか、しっぽり とか、くつろぎ とか、やすらぎ とか、まろやか とか、しみじみ とか、ほんのり とか、かろやか とか、しなやか とか、ふんわり とか、……そういうのが、いいなあ。しあわせって、そういうののちかくにあるとおもうんだな。あずましい~
2005.04.01
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昨日の日記で、娘さんを探すお母さんのブログのことを書きましたが、先ほどブログを見てみたところ、今日の日記に無事、戻ってきたとの記述がありました。ある編集者の気になるノートさんのところに、聖書の放蕩息子の逸話が紹介されていました。この話、昔、近所の教会の日曜学校で教わりましたが、そのときは、取り立てて良い話とは思えなかったのです。親になってみて、逸話のなかの親の気持ちに思い至りました。帰ってきてくれて、ありがとう。それだけでいいんだよ。良かった、ほんとうに良かった。 食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。 (ルカによる福音書15章11-32節)
2005.03.29
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知人から、行方不明になった小学生の娘を探すお母さんが立てたブログを応援してほしいというメールをいただきました。仙台市の小学5年生の女の子です。実は、本当なのかな?と少し思って(すみません、疑り深くて)、少し調べたんですが、これは信憑性があると思い、一刻も早く見つかりますよう、祈りを込めて書いています。ご両親は、どんなに心配で不安で胸がつぶれるような思いでいらっしゃるかと想像にあまりあります。なにか少しでも情報がありましたら、宮城県警へお願いいたします。お母様のブログ「つぐみ、どこにいるの?」ミヤギテレビの報道ダイジェストから↓●小学5年の少女行方不明 仙台市内の小学5年生が今月16日から行方がわからなくなっていて家族や警察は情報の提供を呼びかけている。行方がわからなくなっているのは若林区中倉2丁目の小学5年生の羽田つぐみさん(11)で、つぐみさんは今月16日午後7時頃、仙台駅付近で買い物をした後、駅西口のバスプールで「家に帰りたくない」と一緒にいた友人と別れ、そのまま行方がわからなくなったという。身長150センチ位の痩せ型で、髪はあごのあたりまでの長さ。ベージュ色のコートを着て、灰色のチェックのスカート、こげ茶色のロングブーツを履いていたという。警察では少女に関する情報の提供を呼びかけている。
2005.03.28
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いつも思うけど、ananの特集って、タイトルづけが秀逸。今週号の『恋の瞬発力を高める!』なんて、思わずドッキリ。タイトルに惹かれたものの買わなかったのは、わたくし的には、瞬間芸みたいな恋よりも、長ーく続いていくのがいいなあ、なんて思ったので。(年のせいかな)ゆっくりゆっくり思い出を重ねてって、いつまでも仲良し、というのがいいな。恋にしても、人間関係にしても、大好きなことにしても、自分のなかで長く続いてるものっていうのは、それだけで、信じていいように思う。自己分析するのに、「自分のなかの長寿モノたち」をリストアップしてみるとおもしろい。長く続いている趣味。ずっと使っている化粧品。大事にしているアクセサリー。昔から聴いている音楽。何度も読み返す本。ふるさと。幼なじみ。学生時代からの親友。腐れ縁状態の元カレ(笑)くせ。ジンクス。毎朝すること。寝る前にしていること……思い出してみると、ないようで、意外とあるもので。そういうのをリストアップして、長続きしている理由や事情を考えてみると、自分という人間の輪郭が浮かび上がってくるように思う。これだけ変化が激しくて移り気な現代。個人に限らず、長く続いていること、歴史を重ねていることが、ますます価値を持ってくるんじゃないかな。とかなんとか、こんな駄話を話していると、ananのことだから、次の次あたりの特集で、『恋の持久力を高める!』とかやりそう。・・・いや、すでにバックナンバーにありそう。
2005.03.26
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きいろたんぽぽのほしさんが、先日書いたブログ比較で、こんなコメントをくださいました。私も最近,楽天以外のブログを立ち上げてみて,へ~っと思っているところです。他のブログをいじってみると,楽天の良さもわかりますね。コミュニケーションの機能が充実していて誰が来てくれた,何人来てくれたというのがよくわかるので書く励みになります。実は他のブログがそのあたりのことがわかりにくいことから停滞気味です・・・。 そうなのです。いろいろいじってみて楽天が非常に優れている点。それは、なんといっても、 楽天のアクセス解析機能はとっても充実している! ということです。楽天でコミュニケーションが作りやすいのは、このアクセス解析機能のたまもの、といっても過言ではありません。なにしろ、楽天ユーザーなら、だれが自分のサイトに来てくれたかが分かる!そして、来てくれた人のサイトにすぐに飛べる!掲示板やコメント欄に書かれていなくても来てくれたことが分かるので、 「○○さん、来てくれてありがとう~」 とジーンとすることができます。さらに、会社や大学のLAN経由だとか分かるのもgood。「○○大学の人が見てくれたのね。なにか検索キーワードに引っかかったかな」といった具合に。ほかは、そもそもアクセス解析がついていないか、ついていても訪問数だけなので、どこのだれが来てくれたのかが分かりません。やはり、見に来てくれている人が分かる、というのは書こうという気持ちをかきたててくれるし、こちらからもアクセスできるのでネットワークをつくりやすいですね。……なんて、こんなことは楽天ユーザーにとっては当たり前ですよね。というわけで、他社ブログのアクセス解析機能を比べてみます。★ヤプログ! ……時間別に訪問者数が出る★アメーバ ……時間別に訪問数が出る★ライブドア ……なし(有料バージョンに移行すると設置可能)。★はてな ……なし(「はてなポイントを購入して、利用するとアクセス解析やカウンターを設置できる)。★シーサー ……時間別、ページ別、訪問数が出る。検索エンジンを使って来た人(検索ワードも)が分かる。★Goo ……過去一週間の訪問数とランキングが出る。★エキサイト ……なし。★ココログ ……なし(有料バージョンに移行すると設置できる)。ついている場合も、訪問者数(ページビュー)だけがチェックできる、というのがほとんどです。ライブドア、はてなは無料コースなので、有料バージョンだとどんなふうに解析されるのかは、残念ながら不明。ココログは有料バージョンにしてみましたが、時間別訪問者数が分かるだけです。ただ、なかでユニークなのは、Seesaaブログ。 ページごとの訪問者数と、検索エンジンを使って来てくれた数、その人が使った検索ワードが分かる のです。アフィリエイトをしたい人には向いているかもしれませんね。たとえば、私はSeesaaでグルメ系の「東京しっぽり系」というブログを書き始めましたが、昨日、一件、検索エンジンを通じて来てくれた人がありました。その検索ワードは、なんと、「しっぽり」 だったんです。おもひろい。ぶひぶひ。
2005.03.25
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書き直したりして、さきほど、アクセスしてくださったかた、ごめんなさい。ほんとうに、この話は簡単にはいえないことだと思って、書いたあとも納得できなくて。先日書いたフリースクールのシンポジウム以来、不登校とは、学校とは、親子とは……? と考え続けていて、同時に、自分がお話したことが、あれでよかったのだろうかと問い続けている。また書こうと思ったのは、シンポジウムの会場にいた子供パネラーの方が、トラックバックをしてくださったこと。ブログって、つくづくすごい。さっきは学歴社会うんぬんを書いたけど、それについては、いろいろ思うところがあるので、また書くことにします。ただ、思うのは、長い人生、ハタチそこそこで自分を完成させようとする必要なんかぜんぜんなくて、だいじなのは、30歳になっても、40歳になっても、50歳になっても、60歳になっても、70歳になっても、自分を磨き、吸収し、輝かし続けられる力だと思う。どこにいようと、なにをしていようと、なにが起ころうと、自分の人生を大切にし慈しみ、楽しみや喜びを見出し、けっして誇りを捨てないことだと思う。だれにとっても、自分の人生が最高のはずだもの。自分の人生はこの世にたったひとつしかなく、その人生は、自分にしか生きられないものだから。トラバしてくれたユミミンさんの日記のなかに、こんな言葉があった。「雑草」って分類は、人間本位な考えだよね~。。
2005.03.24
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子供のせいで(おかげで?)、もし子供がいなかったら、ぜったい行かないであろう場所、ぜったい見ないであろうイベントに行くはめになる。アニメや特撮もののショーとか、キャラクターのイベントとか、子供向けの遊園地とか。喜ばせたくて、つい連れてってやりたくなっちゃうんだよなー。連休は、富士急ハイランドへ。目当ては、プリキュアショーとプリキュアの展示室。このプリキュアっていうの、いま子供たちの間で絶大なる人気なのだ。 連休とあってめちゃ混みで、寒空のなか一時間以上場所取りしちゃったよ(涙)。ちびたちも辛抱強くよくがんばった。ショーでは、プリキュアはアニメなので、頭だけかぶりものだった。なので、顔がでかい。ブラックとホワイトが出てきた瞬間、会場中の子供たちが、ちょっと引いていた。ビデオを撮ってたんだけど、後ろの子のお父さんの、 「微妙…」という声が。そうだよねえ。。。でも、演技が始まると大歓声。子供だって、きっと、「これってうそっこ」と思ってるに違いないけど、子供は、物事をイデアみたいなのを感じて楽しめてしまう才能があるのだ。しかし、ほんというと、子供が生まれるまでは、キャラクターものに触れさせたくないとか、よい絵本に触れさせて、自然の木や布でできたおもちゃを与えて……とか計画していたものだ。しかし、ぜんぜん、だめだった。。。ピカチュウにキティちゃん、ミッフィー、しまじろう、あんぱんマン、デカレンジャー、ワンワンとクー、ハム太郎、シナモン、ドラえもん、ウサハナちゃん、ミッキー、トーマス……次から次へといろいろなキャラクターに夢中になる。子供用品売り場に行けば、おもちゃにも、洋服にも、キャラクターがベタベタついていて、子供たちは真っ先にそういうのに飛びついちゃう。一切遮断する、という育て方もあるかもしれないけど、現代の日本でそれをしようとしたら、相当がんばらないと無理だし、それはそれで不自然な感じがするんだよな。なまじ学生時代に文化人類学をかじってしまったこともあり、どんな文化であっても、人間のつくる文化は相対的なもので、貴賎はない、とも思うし。なので、キャラクターに夢中になっていても、いいか、とこのごろおもう。そればっかりでも困るけど。私自身、ドラえもんがアニメ化されたとき、ちょうどのび太くんと同じ小学4年生。人のことなど言えない、どっぷりアニメ世代なのだ。そのときそのときはやったアニメやキャラクターに夢中になってきた。いつしか卒業してしまったけど。ただし、時代を超えて人から人へ語り継がれてきたもの、人の文化の遺産のようなものは、やはり、ちゃんと伝えてやりたい。いろいろなものを感じ、受け止められる気持ちといっしょに。残念だが、この時代に生まれてきちゃったのは、君の宿命だ。清濁併せ呑みながら、自分なりの価値観をつくっておくれ。というわけでもないが、翌日は、「山中湖 絵本の家 レイクサイド」へ。可愛い家のなかに、懐かしい絵本や素敵な絵本がたくさんあって、とても楽しかった。子供が遊べるスペースも。カフェが併設されていて、焼きたてパンやプレートランチが味わえる。 ああ、こんなふうに湖畔で、 絵本に囲まれて暮らせたら幸せだなあなんて思ったのでした。
2005.03.23
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●ブログシリーズ(4)よそのブログをいじっていると、いろいろなことが分かって面白い。立ち上げただけ、というのも多いが、いまのところ、ヤプログ!アメーバライブドアはてなシーサーGooエキサイトココログを、いじっているところ。楽天を合わせると、9。おまえは、 何もんじゃい! という感じであるが。まあまあ、マイブーム、つーことで許してね。こんだけ遊んで無料ってのはすごいね。あ、いま思ったけど、「お金のかからない遊びをどれだけ知ってるか」かつ、「お金のかけずにいかにワクワク楽しめるか」ということって、豊かに生きる知恵じゃないかしらん。閑話休題。この8個のブログと楽天がちがっている点、というのは、良い点もそうでない点も意外にもたくさんあって、 楽天ってかなり個性的じゃん!?と改めて感心。それらについてはオイオイ語るとして……まずひとつ。楽天は、他のにくらべて、画像とHTMLの扱いがややこしい。いわずもがなだけど、楽天は、画像をアップロードするには、まず「画像の倉庫」に登録してから、そこからURLを引っ張ってきて自分の日記記入フォームに貼り付けないといけないでしょ。ところが、よそのは、記入画面に、画像リンク用ののアイコンがついてて、そこをクリックすると直接参照画面に飛び、自分のパソコンにある画像を選ぶと、自動的に記入画面にURLが出ちゃう!というのが一般的なのだ。ほとんどワンタッチの世界。超楽~。さらに、テキストを太字にしたり、テキストを色文字にしたり、斜めにしたり、大きくしたり、リンクを張ったり、といったのも、記入画面に並ぶアイコンをクリックするだけになっている。楽天のように、自分でHTMLを書くか、ヘルプ画面に飛んでHTMLをコピペする、といった手間がいらない。心なしか、よそのブログって、べたべたと画像貼り付けてるやつや、多彩な文字を使っているが多く、楽天のほうは、テキストオンリー派が少なくないような気がする(わたしを含めて)。だって、楽天でいくつも画像貼り付けたり、文字変えるのって、 めんどうなんだもん。楽天の日記記入フォームにも、近いうちにHTML関連のアイコンが載る。 ・・・予言。(というか、お願い?)
2005.03.19
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「ちょっと、相談があるんです、お昼いっしょにどうですか」後輩から声をかけられた。「なになに? 恋愛相談?」とか冗談(←ちょっとまじだった)をいいながら、立ち上がる。さて、どこにしようかな?(しめしめ、イケメンの後輩にランチに誘われたぞ。そのへんの定食屋とかじゃねー)と、汐留へ。カレッタの上階。今日は良く晴れて見晴らしが良く、ランチコースもお上品で美味でありました。(写真は前菜) 相談というのは、仕事のことだったんだけど、驚いたことに、私もちょうどやりたいなあ、と、浮かんでいたことだった。あっという間に意気投合して、あれこれ盛り上がる。「よかった、○○さん(私の会社ネーム)に相談して。じつは相談しようと思ったの、20分くらい前なんです。なんかぴんときて」こういうことって、時々ある。うきうきって、ぜったい伝染すると思う。でもね、ほんというと、私のもとに「うきうき」が戻ってきてくれたのは、ごくごく、最近のことなの。しばらーく、なにか新しいことをしたいという気持ちにはなれなかったのです。。春のせいかしら?恋でもなく、アルコールでもなく、嗜好品のたぐいでも、快楽系のナニカでもなく、なにかをつくることや表現すること、企画や仕事などなど、「やりたいこと」…それも具体的なことでうきうきするのは、いい気持ち。刹那に酔うような、漂うような、危うげな幸福感でなくて、内側から力が漲る感じがして。地に足のついた、しっかりした感じの力。【きょうのツボ】楽しそうなことを計画して、ウキウキしよう。春だもん。
2005.03.18
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昨日の日記を書いて思ったのだけど、忘れる力って、とても大切なんじゃないだろうか。超情報化社会だから、つい、記憶力をつけることばかりに意識が向くけれど、上手に忘れていく力……「忘却力」?も、あわせて持っていたい。もちろん、覚えておきたいことや、だいじな思い出はべつね。上手に忘れたいのは、人から受けた心の傷とか、失敗にともなう挫折感とか、なにかネガティブなこと。思い出すだけで、どうしても、つらく悲しい気持ちになってしまって、心や行動をしばりつけてしまうようなこと。もちろん、そういう悲しい思いだって、人生にとって大切なものだとおもうし、記憶を意思できれいに消し去ることなんて、不可能かもしれないけれど、悲しい気持ちを上手に片付けないままでいると、これだけ刺激の強い時代に生きていると、すぐに身動きがとれなくなってしまう。上手に気持ちを片付けるには?感情と記憶は結びつきやすいとか。心にもやもやがある限り、記憶は写真のように心に張り付いてしまうし、記憶が残っていると、それに伴う感情もいつまでも心に居座りつづける。まず感情のほうを流してしまうか、あるいは、とにかく思い出さないようにするか。感情を流してしまう、自分の内側から出してしまうのに、いちばんいい方法は、書くことだと思う。書くと、自分と「その気持ち」との間に、ぽっかりと距離ができる。なんでも距離をおいたほうがよく見えるもの。アウトプットには、人に話すという方法もあるけど、他人というフィルターにかかって、化学変化をしてしまうことがあるし、相手に迷惑になりそうでちょっと心配。思い出さないようにするには、立ち止まらないこと。なにか挑戦してみたり、初めてのものにふれたりして、記憶を積み重ねていけば、今目の前にあるつらいことが、どんどん下に沈んでいく。仕事の失敗が忘れられないなら、どんどん仕事をする。失恋が忘れられないなら、どんどん新しい恋をする(笑)。自分のなかの流れがよどまないように、どんどん、流していこう。【きょうのツボ】上手に忘れる力をつけて、しなやかに生きよう。
2005.03.17
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子供が不登校になっても、無理やり学校に行かせようとしたり、いろいろなアプローチをしないほうがいい……ということが、最近の教育業界では、「定説」になっているらしい。先日のゆうび小さな学園でのシンポジウムで、不登校中だったり、過去不登校だったことがある子供たちの話を聞いたなかに、無理やり引っ張られたり、親からなだめたりすかしたりされたことがつらかった、という声がたくさんあった。たしかにそうなのだろう。うつもそうだけど、落ち込んでるときに、「元気出して」「がんばれ」と励まされることほどしんどいものはないもの。でも、毎日通学していた学校へ急に行かなくなる、というのは、やはりイレギュラーなことだから、学校で何かあったんじゃないかと心配して当然だし、サボってちゃダメな人間になってしまう、ちゃんとしつけなくちゃと、厳しくしかることもあるだろう。新しい教育論が出てくるたび、過去にそれとは異なる子育てをしてしまったことについて、親が悔恨に苦しむという構図は、せつない。子育ては、理屈や実験、例証でできるもんじゃない。生活や家族のカルチャーのなかで、本能やら習慣やらに引っ張られて無意識に、感情むきだしでやってるもの。私も、子供についしてしまったり、言ってしまったことで日々後悔したり、反省したり、すまないとおもうことでいっぱいだ。しかし、先日のシンポジウムのなかでまた、こんな興味深いことがあった。親の側が、「子供にこんなことをしてしまった」「思わずこう言ってしまった」と、告白した行為を、子供側が「よく覚えていない」「忘れてしまった」と首をかしげ、逆に、子供が親に対してしたことや言ったことで後悔しているということを、親のほうが、「そんなことあったかしら? よく覚えていない」などと話していたことだ。人の脳は、とてもつらいことは記憶から消してしまう防衛作用がはたらくという。そうなのかもしれない。そうでないかもしれない。人はたった一人で生まれることはできないし、だれの手助けも借りず大人になることはできない。痛みや苦しみをまったく抱えない家族はないとおもう。親と子、そして家族は、きっと、人生最大のカルマだ。家族という修行のなかに、神様が救いとして用意しておいてくれたもの。それが、忘れてしまうということなのかも。ごめんね。
2005.03.16
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先日、千葉県柏市にある「ゆうび小さな学園」というフリースクールで、教育シンポジウムがあり、お招きを受けてゲストとしてお話した。テーマは「不登校生を持つ母親の素敵な生き方を” 母親たち対本人たちのジャンボ討論会」不登校の子供たちと母親が本音を語り合い、この学園に通う学園生たちが、演劇あり、手話&歌あり、ダンスあり、笑いあり……の見事なパフォーマンスを見せる。お母さんの話、子供たちの話、演技……それは素晴らしい時間だった。みなさんのリアルなことばが心に響いて、何度も何度も涙がこみあげた。あまりにも素晴らしいものだっただけに、その場で私がお話した内容は、あれでよかったのだろうかと、じつは、かなり考え込んでしまっている。「不登校で心がいっぱいになってしまうお母さんたちに女性の幸せな生き方について提案を……」とお話をいただいたとき、わたしにできるだろうか?と思った。だって、子育て経験もまだまだ浅い未熟者。子育ての大先輩方を前に、何を語ってもえらそうになる気がした。なので、あえて、不登校だからということに拘泥しすぎず、家庭や子育てのある女性なら陥りがちなことと、そして生活をハッピーでお得にできる具体的な方法のあれこれを提案しようと考えた。実際は、当日のやりとりにとても感動してしまったため、つい自分の体験からの不登校感について話してしまい、世の中へにたいする違和感は一生つきあっていくものだし、それこそが今の自分の生きる原動力になっている、むしろ違和感を感じるのは人として大切なことなんじゃないかと思うというようなことをお話し、しまった、予定外のことをしゃべりすぎたと反省し、慌てて当初予定していた「すぐにできて幸せになれる具体的な方法」を提案した……という流れだった。でも、正直、もしかしたら、もしかしたら、今まさに子供の不登校に必死で向き合っているお母さんたちは、もっとちがう言葉を期待されていたんじゃないか。もっと話すべきことがあったんじゃないか。そんな思いも残る。学校や教育。親と子の関係。家族ということ。仕事と人生……。増えつづける不登校が、私たちに突きつけるメッセージはじつに重く、深い。
2005.03.15
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今日も今日とて、ブログ散歩。話題のヤプログへも行ってみよう。画面左側の「新規登録」をクリックすると、いきなりテンプレート選択画面が!ラブリィ~なテンプレートが128種類。サムネイルの上にカーソルを置くと画面が大きくなって、ブログのイメージが出る。気に入ったものを選ぶと、登録画面へ。へー、いっとう先にテンプレート選びからなのね。これだと、自分がブログを書くイメージがつかめてよいかも。で、登録画面で、ブログのタイトル、HN、名前や郵便番号など簡単なデータを書き、クリック。確認メールが届き、そこから作成画面に飛べる。こっちもすぐできました。かわいいでしょ。かわいいので、育児日記でも書こうかなあ、という気分になったなあ。
2005.03.11
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今日も今日とて、ブログ散歩。今日は、「はてなダイアリー」に挑戦。ネットでなにか検索していると、よくこの「はてな」書いている人のにぶつかるので、前から気にはなっていた。でも、はてなのブログって、アンダーラインがいっぱい引いてあって、コメントもプロっぽいのが多いので難しそうでなんとなく敷居が高かった。ところが、トップページは親しげだった。「ブラウザから簡単に更新ができるウェブ日記です」なんて書いてある。なので、早速つくってみたところ…………簡単!まずトップページ左上の「はてなをはじめる」をクリック。そこで、名前や情報を入れて規約に同意して、クリック。するとメールが送られてくるので、メールに書いてあるURLをクリック、すると…いきなりそこには、デザインやモジュールを選択する画面が!デザインは58種類のテンプレートが全部サムネイルで並んでいるので、ぱっとみて気に入ったのをマークするだけ。で、カレンダーや新着書き込みなどモジュールを選んでクリック(あとから変更もできる)。これでできあがり!で、「日記を書く」をクリックして書き始めればいい。こんなの↓これは易しいぞ。立ち上げるだけなら、10分もあればできちゃう。全体的にテキストが大きく、こころなしかひらがなが多く、(「はてなってなに?」みたいな)やさしいぞ~という雰囲気が漂っている。はてなの人がよくやってる太字テキストとか、リストとかってワンクリックでできるようになっていたのでした。知っている人には常識だと思うけど、はてなポイントを使って、知りたいことをだれかに教えてもらったりもできるし、アンケートができちゃったり、キーワードでつながれたり、いろんな楽しみ方ができそう。よーし、ほかのブログも探検だー。
2005.03.10
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またちと更新に間があいてしまいました。しばらく、修羅場らしい修羅場を迎えていました。やっと、ひといき。ひとやま、超えたな、という感じ。修羅場って、乗り越えるたび人は何か成長したり、どっか鍛えられたりするものかな?それとも、成長しないから、いつもこんな事態に陥るのかな。ふー。これからし残している大切なことにとりかからねば。留守していたのに、励ましのメールなど何通かいただいたりして、ありがたいです。ありがとうございます。。。うーん、ブログのこのすごさ(ありがたさ)はやってみないと分からない。と、いうことで。ブログの話題。先日、とある勉強会でインフォバーン社長、小林弘人氏の講演を拝聴した。ブログの発達とメディア事情について、みたいなお話。これが、大興奮ものだった。あまりにも内容が濃くて、まばたきするのも惜しかった。こんなにモタモタと駄文を細々更新しているとあんまり感じないけど、日本のブログ業界はすごいことになっていたのだった。新聞や雑誌、本とか、紙の媒体は売れなくなっちゃうのかな?ジャーナリズムはどうなるんだろう?ブログは人間のキャパを超えてしまう?ブログってどこまで自分を書いていいもの?新聞記者など組織ジャーナリストがブログに書くってのはどうなるの?会社員が自分の会社のことをブログに書くのは?ブログをビジネスに結び付けるには?などなど講演を聴いて考えさせられたことは大小硬軟ぎっしりだったのだけど、まずは、ともかく、楽天以外のいろんなブログサイトを垣間見てみたくなってしまった私は、ニフティーのアドレスがあったので、早速ココログを立ち上げてみた(講演聴いた1時間後!)。われながら単純さに呆れるけど、読んでるだけでは分からないもん、管理画面とか、雰囲気や客層とか、いろいろは。(分かったからどうなのよ?という説もあるが)やってみて、慣れ親しんだ楽天とはずいぶん勝手が違うものだと思う。ココログの第一印象は、全体的にさっぱりしていること。とってもシンプルなだけに、あっという間に開設できた。初心者にはいいかも。ただ、一画面にぎっしり書き込まれている楽天の管理画面に慣れてしまうと、「えっ、これだけ?」と思う。テンプレートも数も少ないし。トップページもあんまりいじり倒せなそう。楽天のように足跡はつかないのかな?メールボックスも見つからない。付いていないのかな。(なにか手順が足りないだけかも?)とはいえ、まだココログに精通していないだけかもしれないので、もう少しいじってみて、また感想を。他の大手ブログもやってみて、使い勝手などを比較する……予定。(たぶん^^;)
2005.03.09
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ああ、きつかったー、インフルエンザ。職場で大流行中で、私もかかって、9度5分まで熱が出て、それがなかなか下がらなかった。悪寒と変な熱さ、全身虚脱感。熱が引いた後の、イヤーな胃痛。元々平熱が低いので、そこまで熱が出ると、後遺症でもあるのか、いつまでも頭がボーッとしている感じだ。子供たちには予防注射を受けさせておいてよかったと痛感。さて、このごろ、娘(年中、4月から年長)が、急にわがまま?になって困っている。まず、園のリュックとともに持つ手提げ。これはデザイン自由なのだが、自分のをイヤだと言い始めた。何でもいいじゃないの、と相手にしなかったら、「みんなに可愛くないって言われる」と、シクシク泣き出す。確かに、それはそのへんにあったてきとうなバッグだったので、アカチャンホンポに行き、本人が選んだ「USAHANA」のバッグを買ってやった。そしたら、次はスモックだ。キティちゃん柄の布で祖母(私の母)が手作りしたものだったのだが、「みんながキティちゃんはダサイって……」その次は、ランチの時のコップとコップ入れ。「ピカチュウの袋がダサイってみんなが言うから、もうヤダ、コップも笑われる。プリキュアのにしてー、お願いー」ひええ。なんなんだ。都会っ子ってこうなのか。最近の子がこうなのか。これも、成長の一過程なのか。私としては、「お友達に言われたから買い替える」なんて、全然気分がよろしくない。「人になんと言われようと自分は自分」と思ってほしい、そこんとこは、すごく大事な、幸せの素だと思っている。いつか、それに気づいてもらうにはどうしたらいいんだろうな、と考えていた。思えば、赤ちゃんのうちは、みんなそうだ。他人と自分を比べることなんてない。自分の周囲が自分にとって気持ち良く満たされていれば、素直に幸せでいられる。ところが、人は、「禁断の木の実」を食べてしまう。裸でいる自分が恥ずかしくなる。つまり、人の目が気になり出す。自意識の芽生えだ。そうかあ、いよいよエデンの園から出ちゃったんだな、娘よ。「人は人、自分は自分」そう思って、幸せでいるためには、「自分にはこれがいいんだ、私はこれが好き」と思える価値観と、人から受けるさまざまなネガティブな反応をはじき返す自信と強さがいる。それから、自分を翻弄する世の中の価値観というのは実は、場所や状況や時代で変わるきまぐれなものだという情報と知識と経験がいる。もちろん、自分の価値観だって、あやういものだということにも直面しないといけない。人にバカにされて頭が真っ白になったり、人と同じにしなくちゃと思ったり、人と同じなんてイヤだと地団駄踏んだり、人と比べて焦ったり、自分って何のために生まれてきたんだと思ったり……自意識っていうのはやっかいなものだ。もう、ほんと、やっかいなものだ。娘よ、時に傷つきながらも、このやっかいな自意識と一生かけて格闘してくれ。ママもね、ほんというと、闘っているんだよ、いつもいつもね。
2005.02.28
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