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『博士の愛した数式』(小川洋子)を読了。じつはこれ、オンライン書店パピレスで携帯にダウンロードして読んだの。携帯で一冊の本を読むというのは初めてだったけど、案外快適で、ちょっとした時にちょこちょこ読めるので良かった。紙に比べ目が疲れるけど。ゆくゆくは、この形式の読書も伸びてくるんだろうな、と実感(編集者としては意識しておかないと?)。で、この本。なんとも不思議な、あったかな物語だった。80分で記憶が消える人物、なんて、ホラーやミステリーにありそうな設定だけど、なぜか自然に文学的に受け止められるのが筆者の力なんだろうな。物語の世界もほんわりとして居心地が良かったけど(実はちょっと深刻な設定であるにも関わらず)、長年苦手意識を持っていた数学の世界がとてもきらめいてみえるようになったのが自分にとって最大の収穫だった。もう一度、数1くらいからまったり勉強し直してみたいなあと思ったり。大学時代、大学院の数学科に進んだ先輩がいて、「大学院で数学って……いったい、何をするんですか?」とたずねたことがある。理系の院でも技術や化学とかなら分かる、研究室に籠もって実験して何か発明したりするんでしょう、でも、数学って……???と。その人は、「そうだね、ほとんど、哲学だよ」と笑った。それでかえって「???」になってしまったのだけど。この本を読んで、その意味がよく分かった。いま、小学一年生の娘が、私と似ていなくて算数が大好き。本屋さんに行って、「好きな本を買ってあげる」というと、計算ドリルのようなものを選んでくる。足し算や引き算が楽しいらしい。まだまだ、彼女にとっては算数は遊び。クイズの感覚なのだ。そうね、本来学問は、哲学から始まった。ぜいたくなもの。人が人としていかに生きていくべきかという、深遠で美しいテーマを考えるために生まれたもの。楽しいし素敵だし、難しく、夢中になる価値のあるもの。自分を包む世界はなんと美しく、不可思議だなあ!奇跡に満ちているなあと、驚きながら、何かを追究しながら、人生を慈しんで生きていってほしいな、なんて思うのだ。自分もね。寺山修司の詩からたし算一と一をたすと二になるけどリスと木の実をたすと何になるの?二と二をたすと四になるけど母のない子と歌をたすと何になるの?三と三をたすと六になるけどぼくときみをたすと何になるの?たし算は愛の学問です引き算十から一羽の駒鳥を引くのです九から一本の酒壜を引くのです八から忘れものの帽子を引くのです七から一夜の忘却を引くのです六から一台の手押車を引くのです五から一望の青い海の眺めを引くのです四から一冊のグールモンの詩集を引くのです三から一人の恋敵の青年を引くのです二からは何も引くことはない二人で旅をつづけてゆこうそれがぼくらの恋の唄
2007.01.16
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昨日、久しぶりに楽天日記を書いたら、たいしたこと書いていないのに、なんだか気持ちがさっぱり。おもしろいなあ、何か書いて、まがりなりにもネットにのせるって。そして、懐かしい方々が来てくださったり、コメントくださったり、うれしいっ!(涙)ありがとうございます!明日から会社。体調を整えるため、アロマサロンへ行くと、タロットカードのような束をきってくれといわれ、言われたようにすると、「好きなカードを一枚引いてください」娘がトランプ手品にはまっているので、手品?と思ったが、占いであった。セラピストのお姉さんが、私が引いたカードの意味が書かれた紙をくれた。それはエンジェルカードというもので、私が引いたのは、「天のタイミング」というカード。「今開かれている扉、または閉じた扉に注意してください。開かれた扉を開け、閉じられた扉から学んでください」開かれた扉? 閉じられた扉?どきっ。読み進む。「あなたの願いは天に届きました。(略)すべてが天のタイミングという宇宙の法則により操作されています。この意味をもう少しわかりやすく説明すると、全体のパズルを完成させるためには、ひとつひとつのパズルをはめていかなくてはならないということです。たったひとつのパズルをはめなかったり、慌ててパズルを間違った場所へはめてしまうと、全体が台無しになってしまいます。閉じている扉を無理にこじ開けようとしないでください。何か否定的なことが隠されているからその扉が閉じているのか、それともまさしく天のタイミングを待っているのか、エンジェルたちに質問してみてください。開いている別の扉を探して、開かれている意味を信じて感謝しながら通り抜けてください」・・・なんだか、分かるような分からないような。分からないような、分かるような。開いている扉と、閉じている扉。うーん。まずは、どの扉が開いているのか、どの扉が閉じているのか、落ち着いて見極めなくちゃね。慌てないこと、焦らないこと。開いている扉に感謝して通り抜ける。閉じている扉には、閉じている意味がある。それがいつか開かれる扉ならば、開かれるにふさわしい時に、必ず開かれる。ーーそう信じていこう、そうなの、すべてタイミングなのよ。「時」があるのよね。うーん、いいなあ、こういうちょっと抽象的な言葉って。解釈を試みるというワンクッションで、すごく気づきが与えられる気がする。初詣のおみくじがイマイチだったので、こっちをおみくじ代わりにしようと思うのでありました。
2007.01.04
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50歳の時に奄美に移り住み、東洋のゴーギャンといわれた孤高の画家、田中一村を描いた映画『アダン』を観た。燃えさかる魂の炎に殉じる一村の姿を、榎木孝明の鬼気迫る演技が伝える。その姿が壮絶で、映画が終わってしばらく立ち上がれなかった。「俺は、だれだ?」画壇から受け容れられず、いつか見返してやろうと、新たな作風を確立するために、それまで日本画で描かれてこなかった色鮮やかな南国の動植物に素材を求めて、50歳で奄美に旅出つ。紬工場で働いて小銭を貯めては、掘っ立て小屋で制作に打ち込む。自然に分け入り、渓流にジャブジャブと入り、スケッチをする。描いて、描いて、描いて……誰に見せることも売ることもなく、ひたすら描き続けて、修行僧のような10数年が過ぎる。死期が近づき、南国の自然の中で、再び問う。「俺は、だれだ?」推測だけど、二つの自問の性質は、全く違うように思う。前者は、自分らしい納得できる作品を描きたいという焦燥感。後者の奄美で呻く「俺はだれだ?」は、大自然の中にどっぷりと身をおき命の炎を燃やしている動物や植物と存分に呼応し溶け合いながら発せられたもの。もう「自分の画風」も「画壇」もどうでもいい。自我も自己も消え、ただ、燃えるような何かに突き動かされて描く……。なんのために? そして、「俺は、だれだ?」「自分」が意識から消え、存在が純粋になる。無我の境地、だろうか。
2006.06.22
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「本当に一度でも、人生で心の触れ合った人間がいたら、そのために死んでもいい。」(岡本太郎)「瞬間を生きる。いまだけなのよ」(岡本敏子)『愛する言葉』(イースト・プレス)より。
2006.06.18
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お仕事をいただくたびに思う。素敵な人に出逢うたびに思う。なぜこんなに求めてしまうのか。運命やら縁やらを信じたがるのか。時々思う。私ときたら、ただ、それがほしくて、生きているんじゃないだろうか。ふるえるような感動をしたくて、のたうち回って……。うーむ。メリークリスマス。
2005.12.25
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きゃー。また久しぶりになっちゃったー。ごめん。さてさて、齋藤孝さんの本に、「偏愛マップ」というのがあるんだけど、少し前の朝日新聞で、齋藤さんと小川洋子さんの対談が出ていて、偏愛マップの話だったので、知人と「これおもしろいね」、と盛り上がってたら、一昨日、まったく(ほんとにまったく!)偶然に、その本を担当した編集者さんと会ってしまった。・・・世の中って、不思議だわぁ。と、いうわけで「偏愛マップ」。これは好きなことを思いつくままに書いた地図をつくって、それを見せあって人と仲良しになるっていうもので、子供っぽい感じがするけど、やってみると結構盛り上がる。二人でもいいし、何人かでやってみるとまたイイ。もちろん、1人でマップをつくるだけでも発見がある。オリジナルのサイトはこちら。また、下記のように、パッパッと思いつくままに「好きなものリスト」をつくってみるのもおもしろい。自分でもいろいろ発見があるし、お友達と交換してみるとオツ。感性が似てる人が見つかるとうれしいものです。ご参考に、私のを。好きな食べ物→モツ、ワタ、内臓系。辛いもの。珍味。きらいな食べ物→社内食堂のカツカレースパはまっていること→お太鼓結び一日のうちで一番いやな時間→会議今一番行きたいところ→部屋付き露天風呂チャームポイント→おしりのほくろ弱点→首すじ一番好きな小説→「嵐が丘」目標→ミリオンセラー将来の夢→恋愛小説家好きな言葉→「これって運命かも」特技→アロマテラピー、西洋占星術趣味→ツボさがしうれしい時→甘えている時と甘えられている時このごろ増えたもの→女性ホルモン居酒屋で必ず頼んでしまうもの→だし巻き卵一番美味しいもの→仕事後のよく冷えた生ビール子供のころ好きだった場所→セイタカアワダチソウが生い茂る野原、社宅の非常階段好きな映画→「ポンヌフの恋人」「ベティ・ブルー」「薔薇の名前」好きな乗り物→観覧車やってみたい店→感じのいい小料理屋住んでみたい場所→バルセロナの港の近く子供のころになりたかったもの→絵本を作る人、詩人もしかしたら向いていたかもしれない気がする職業→学校の先生、看護婦、芸者、旅館の女将、クラブのママ、歌手、修道女気になること→前世、常世、輪廻思わずそそられる言葉→隠れ家、秘密、幽玄、どんでん返し嫌いな言葉→「君も組織の人間なんだから」トリップするもの→ストナリニ(鼻炎薬)、夜桜、ふいのキス、昼下がりのみだらな空想、上手な嘘好きな小説家→江國香織、桐野夏生、栗本薫、京極夏彦、よしもとばなな、ポール・オースター、レイ・ブラッドベリ、ディクスン・カー、アイラ・レヴィン、エドガー・アラン・ポーバイブル的な漫画→ガラスの仮面、はいからさんが通る、ベルばらやってみたい習い事→陶芸、二胡尊敬するジャーナリスト→マイケル・ムーア、ボブ・グリーン、奥山郁郎
2005.12.17
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おばあちゃんが倒れた、と聞いて、くらくらしてしまいました。母が体が弱かったので、私が小さいころは、祖母にずいぶんめんどうを見てもらったのです。18で母を産んだ祖母は私が幼いころは、まだまだ若々しくて、あんまり、おばあちゃん、という雰囲気ではなく、母親がもう一人いるような感じでした。いつのころからか、母の実家へ行くこともなくなり、結婚してからは、自分の実家に顔を出すのもおっくうなくらいなので、おばあちゃんとは、ずいぶん時間が空いてしまっていました。こんなに”おばあちゃん不孝”な私なのに、こんなことになると、小さいころのいろいろなことが、どんどん、どんどん、わき上がってきて、どうしよう、おばあちゃんがしんでしまったら、どうしよう…とどきんどきんとしながら、自分のなかの昔の記憶が鮮明なことに、ちょっと驚いています。人は、呆けると、新しい記憶から忘れていくそうです。子供のころの記憶は、ねばり強く残り続けるのだとか。ふと、なにか浮かんできたら、どんどん深く潜ってみるといいかもしれません。自分のなかの「原始脳」に、人生の秘密がありそうです。
2005.05.03
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