新しいタイプの子宮癌(頸部悪性腺腫)


 子宮体癌でもなく、子宮頸癌でもない。この癌との出会いは、このHP開設よりは後、まだ、ほんの最近だ。
 2004年7月20日、更年期障害のホルモン補充療法を受けている地元の産婦人科に行った。3年前のホルモン補充開始以来、頸癌と体癌との検診は熱心に受けている。今までに、頸部にできたポリープの簡単な切除も経験している。今回の受診は、ホルモン量の変わり目に起きる軽微な出血のためのものだった。毎回、同じ頃に軽微ながら出血があるのを、放置しておくのも、気にはならなかった。補充を開始する以前から、排卵時出血が普通にあったので、そんなものだと思っていた。ただ、ホルモン補充を続ける以上は、自己管理を徹底したいと思ったからだ。組織を採っての体癌の検査以外に、頸部の異常チェックとか、超音波診断とかがあった。医師が言うには、超音波診断の画像に不安があるから、県立成人病センターに紹介するとのことだった。私は県外からの出稼ぎだから、この県立成人病センターが、かつては癌センターだったとは、その時知らなかった。知っていたらどうだっただろう。わからない。とにかく、その後20日間、私は知らなかった。
 7月26日、本来ならもう一日先の受診のはずだったが、結果が気になったので電話をかけた。後から考えると、これは正解だった。結果が出ていると言うことだから思い切って行った。医師が言うには、検査の結果、体癌の心配は無いが、やはり超音波の画像の腫瘍の写り方が気になるから、成人病センターに行けと言うことだった。これまでに3人が紹介で受診し、1人は経過観察となり、1人は摘出手術だったそうだ。現時点では、頸部の腫大は認められないが、画像の大小多数の腫瘍が、悪性のものでないとは言い切れないのでと説明された。質問して、初めてメモ用紙に(adenoma malignum)と書いてもらった。大切な診断名だ。正式名称はまだ無いと言われた。翌日は、休めないと思ったが、紹介状をもらった宛先の医師の診察日は火曜と水曜しかないという。水曜はそれこそ絶対に休めない日だったから、火曜日の受診を決めた。1日遅れたら、更に一週間遅れるところだった。家に帰ってから、インターネットで、それこそ一夜漬けの、AMについての知識をかき集める。発見の難しい癌だということはわかった。そうだろう。内側にできるし。
 7月27日、とりあえず出勤し、管理職に「癌の疑い」を告げ、当日の仕事の割り振りをした。自分で車を運転して成人病センターに行く。受付が済んだのは10時前だったのに、予約の人で一杯。予約の人でさえ、2時間近く待っている。取り敢えずの問診を若い女医さんがしてくれた。午前の診療の終了時点で、3時ごろにもう一度来るように言われた。院内で食事。私の大好きな親子丼を食べた。水を買って、待合に戻った。うとうとしていたが、3時どころか、呼ばれたのは4時過ぎだった。更に、婦人科の診察待合で7人が並んで待っている。紹介が必要な特殊な病院だから、来ている人は、みんな癌か、その疑いの濃厚な人ばかり。みんな、暗い。そして、予約の人は親族かご主人と一緒に来ていて、もう、入院手術の具体的な打ち合わせだ。内診に呼ばれたときが既に4時半過ぎ。その後の診察は5時過ぎ。再度の超音波でもやっぱり腫瘍が認められるとのことで、終わりかと思ったら甘かった。検査のたらいまわしの始まりだ。尿検査。血液検査。レントゲン。肺活量検査。更に3日後のMRI検査を申し渡された。ぐったりしていたが、8月3日に結果がわかるから、来るように言われた。午後2時の予約だが、11番だから3時過ぎで十分だとこっそり言われた。そうだろう。4時でもいいんじゃないかと思った。診察の最後に医師のくれたAMについてのA3サイズのコピーに、かなり詳しく書いてあった。発見が遅れると、術後生存率が劇的に低下するようだ。
 7月30日、検査のために成人病センターに行く。食事制限があったし、早く済ませたかった。造影剤を入れる関係で、なんとか承諾書を書いたりした。胃の働きを押える筋肉注射。造影剤の点滴。MRIって、あんなにうるさかったっけ。目を閉じて聞いていたけど。酔いそうな感覚だった。
 8月3日、やっぱり4時でも良かったくらい。今日は余裕。前の予約の人たちも、結果を聞く人は悲喜こもごも。私は、悲のほうだった。手術は、8月30日。
子宮を全摘して、卵巣も両方取る。後は開いてみないとわからない。転移していれば、リンパ節の廓清とかもあるのだろう。「27日には腎臓の検査があるけど、もう、入院してるかな?」なんて、私にはわからないけど、担当医は、次々に決めていく。どうやら私は26日か27日のどっちかで入院するみたいだが、はっきりわからないようだ。確実なのは8月30日に手術すること。午後の手術だってこと。手続をして帰ってって、言われた。詳細は看護婦さんから。更に、入院の詳細を話すって言われて、8月10日に再度行くことに。今度は午後1時台の7番目だった。紹介してくれた地元の先生に診断を書いた封書を預かって帰った。
 8月10日、1時半頃に一斉に名前を呼ばれた。でも、診察は結構遅かった。インターネットを駆使して調べきったことを元に前もって質問用紙を作っておいてから行った。医師はにこやかに答えてくれたが、入院がいつかは、相変わらずわからない。質問用紙はまた、別の機会に載せよう。卵巣をどちらか残す?って、聞かれたけど、既に更年期障害の治療用にホルモン補充を受けてるって言ったら、じゃあ、いいですねって。ホルモン補充のためのピルを中容量に変えるのは嫌かも。今のままなら、別にかまわない。麻酔とか、色々なリスクもあるので、親族が必要だと言われた。元夫君は、親族とは言いたくないし、田舎の年取った両親に来てもらうのも、嫌だ。ちょっと珍しい癌ですなんて、言ったら大変だ。これが今の懸案だ。
 費用とか、病気そのものについてとか、退院してからの日々を使って書こう。
今日はとりあえず、ここまで。











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