2003/01/08
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 そういえば書き忘れていた。干狩あがた「プラネタリウム」で十一歳の少年が「メチル・メタフィジーク」を読んでいる場面がある。吾妻ひでおの漫画の題名を小説の中で見たのは初めてだった。


 「詩集」──散文の本になら見事な標題だ
                ルナール

「幼年詩編」扉より。


 父親、父親、父親。主に兄のことを書いた「鵠沼西海岸」を除けば、作者の父親のこと、父親の死の間際、死んだ後、父親の昔の思い出、等々、ばかりが書いてある。父を祖父に置き換えれば、つい先月見たばかりの(もう一ト月経った!)情景が重なり、よく、見える。
 いわゆる「父親小説」と呼ばれる牧野信一が書いた一連の父親についての小説も思い出すが、それより似ているのは色川武大の父との類似。あるいはほとんどの父親は、何もしていない時の様子は似ているのか。自分の父親の姿を思い浮かべると、あまり喜ばしくないことだが、この種のタイプである。


 僕は車を道路の脇に停めて降り、何か他の用事でそこに立っているようなふりをして二人が近づくのを待った。だがその僅か数分の時間が僕には耐えがたいほど長いものに感じられた。あきらかに僕は動転していた。半ば顔を伏せるようにしておやじを待ち構えながら、こいつはいけない、と思いはじめていた。おれが悪かった、女房の言う通りだ、と思った。・・・・・・しばらく見ないうちにおそろしいほど痩せこけて杖にすがって歩いて来るおやじの白い顔は、この世の風の中を歩いてくる亡者のようだった。そんなにまでして歩いている、というより、おやじがもうそんなふうにしか歩けなくなっているとは知らなかった。

「司令の休暇」より


 私だってそのうち死ぬが、多分父親の方が先に死ぬ。ありふれたものか、劇的なものかは分からない。ただその時に、たとえばこの本のように──一冊分、他の作品を入れればもっともっとある──美しいこともそうでないことも思い出が多くあるだろうか、父親についてあるだろうか。阿部昭と同じような目で父親について思い出せるか、そのことを記せるか。いろいろなことがあったような気も、そうでもなかったような気もする。だが間違いなく、私にとっての私の父は、阿部昭にとっての阿部昭の父ほどの存在感は持っていない。そのことは寂しいのだろうか。阿部昭が羨ましいのだろうか。祖父のように日記を残してでもいない限り、父が何を考えていたか、子供はよく分からないままに、肉は焼けカサカサした骨だけが残り、後には都合良く取捨選択された思い出だけが時折姿を見せるのだろうか。父の生きている間はそれらの疑問は全て答えが出ないし、死んでからでは遅い。母親でも、兄でも、友人でも恋人でも変わりはしない。そして出来ればその答えを知る時は先延ばしになり続けてくれる方がいい。
 「司令の休暇」を父に読ませたくなったが、きっと実行しない。いろいろと世の中はややこしい。
 そういえば「単純な生活」連載中に阿部昭の母親は亡くなっている。そういえば、という風に思い出したように、母の死は父のそれに比べると随分そっけなく、あっさりと書かれている。81歳の大往生では特別書き記すような出来事も少なかったのかもしれない。


 いまでも情ないのは、僕が父を殴ってやろうとして遂に殴れないで終ったことだ。喧嘩の原因が何であったかはもう忘れた。茶の間のふだんの居場所に坐っている父に向かって、僕は、「何を、この野郎!」というような罵声を浴びせかけた。そして、相手が立って向かって来たら、殴り倒してやろうと身構えた。僕のほうはもう大学生だったし、父は六十を過ぎて足腰も弱っていた。息子の腕力の前には一とたまりもなかったろう。だがこの時の父はいささか知能的に振舞った。息子と対決するつもりでか、体をかわそうとしてか、咄嗟に言った──
「貴様は俺を殴ろうとしているな・・・・・・?」
 僕は二の句が継げずに、父を睨み返した。父はつづけて横にいる母をかえり見て、なんとかこの馬を収拾してくれというように力なくつぶやいた。
「こいつは俺を殴ろうというつもりだ。見ろ、あんなふうに拳を固めておる・・・・・。」
「およしなさい、親に対して何です!」
 母は勿論それぐらいのことは言った。
 決闘の前に、当の相手にそんなふうに描写されては、やる気を失くすというものだ。


 喧嘩と描写。本好き親子の喧嘩らしくて実にいい。

阿部昭「大いなる日 司令の休暇」(講談社文芸文庫 この本は現在お取り扱いできません)





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Last updated  2003/01/08 10:15:02 PM
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