全463件 (463件中 1-50件目)
楢山孝介名義で掌編小説と詩をそれぞれ「きらら」「詩と思想」に投稿。きららTOP(4コマ漫画雑誌とは別物)小学館「きらら」携帯メール小説大賞入選履歴第37回 『山下グレコ』佳作第39回 『最後の海』月間賞 佐藤正午選第41回 『鳥男』月間賞 盛田隆二選 およびグランプリ第42回 『指の綾子』佳作グランプリ発表ページ(2008年6月20日まで) 月間賞バックナンバー佳作はそれぞれ公開終了土曜美術社出版販売「詩と思想」読者投稿欄入選履歴2007年1・2月合併号『金色の秋』『同じ道を歩いている』入選3月号 『鴨、戻る』佳作4月号 『銃声響くのどかな公園』入選5月号 『少年ガリレオ』入選6月号 『眉月』佳作7月号 『春先の放埒』入選9月号 『埋雪』入選10月号 『蛍光灯を取り替えるまで』入選『作品番号00457』佳作12月号 『風雷』佳作2008年1・2月合併号『言葉は海から』佳作佳作は選評のみ掲載。土曜美術社出版販売WEBサイトその他特になにもなし。
2008/01/08
コメント(0)
読者投稿作品掲載欄に、楢山孝介名義で『金色の秋』『同じ道を歩いている』の二編が掲載されました。
2007/01/03
コメント(3)
小学館発行の文芸誌『きらら』が主催している、きらら携帯メール小説大賞第29回月間賞で『兵士と老人』が佳作になりました(楢山孝介名義)。入選作は雑誌掲載、佳作はWEB掲載ということで、きららのサイトで読むことが出来ます。きらら携帯メール小説月間賞 第29回月間賞発表きららTOP
2006/10/20
コメント(0)
読者投稿作品欄に、楢山孝介名義で『死滅回遊魚』という詩が載りました。詩誌としてはメジャーな方なので、かなり大型の書店なら、置いてあるかもしれません。
2006/08/29
コメント(0)
知り合い……(というわけでもないんだけれど何というか)の書いたお話が某所でやたらと盛り上がっている。前編後編簡易版最後に糞が出てくるあたり、「我慢出来なかったんだ」感が。本はじゃんじゃん読んでます。お気に入り作家に長嶋有追加。
2006/04/25
コメント(4)
いつからだったか詳しい時期は思い出せない。プロの書評にしろ、素人の感想にしろ、あまり読まなくなった。今では相互リンクしている方のを時々覗くくらい。本を読まなくなったわけではない。自分が読んでいく本の選び方に、人からの影響がなくなったからか。ページを整理した時に、昔自分が書いたものを読んで、その本がどのような本だったかさっぱり思い出せなくて愕然としたからか。 何度か感想書こうとしたけれど、どうも、これは自分の書きたいことじゃないな、という想いが強くて書けなかった。 下のメモは更新しなくなってから読んだ、主に小説。読んだ順。いわばメイン・ストリートで、新書など脇道にそれながら読んだものは省く。というかそちら側は何を読んできたかきちんと調べると一苦労なので。中上健次「日輪の翼」大江健三郎「宙返り」壇一雄「火宅の人」大江健三郎「大いなる緑の木」日野啓三「自選エッセイ集 魂の光景」スティーブ・エリクソン「アムニジアスコープ」玄侑宗久「祝福」色川武大「ぼうふら漂遊記」野呂邦暢「草のつるぎ・一滴の夏」大江健三郎「懐かしい年への手紙」メルヴィル「白鯨」 長編中心とはいえ、少なすぎる気がするから、書き漏らしはきっとある。 ちなみにベスト3は「宙返り」「大いなる緑の木」「懐かしい年への手紙」。 昔から大江健三郎を読んでは離れ、読んでは離れしてたのは、読んだ直後に、あまりに影響を受けすぎて自分の文章が変わってしまい、少し時を置いてそれを読むと、強い嫌悪感を感じたからだ、と気付いた。 現在は大きな小説読みに一段落つけて、各国の民話を渉猟している。作家性のない文章が心地よい。
2005/12/31
コメント(0)
「ひと月ほど、とりあえず読んだ本について何かしら書き続けてみよう」と書いた覚えがあるが、今忘れた。 こちらのブログの更新は頻繁。谷川俊太郎「詩を贈ろうとすることは」(集英社 1991年)谷川俊太郎「真っ白でいるよりも」(集英社 1995年)谷川俊太郎「シャガールと木の葉」(集英社 2005年)谷川俊太郎「世間知ラズ」(思潮社 1993年)遠藤秀紀「パンダの死体はよみがえる」(ちくま新書 2005年)玄侑宗久「私だけの仏教 あなただけの仏教入門」(講談社+α文庫 2003年)花村萬月「父の文章教室」(集英社新書 2004年) 最近(90年代以降)の本ばかりというのも珍しく。
2005/08/26
コメント(3)
『夜の果ての旅』は下巻に入ってからペースダウン。それでも残り半分を切った。何か書くのは読み終えてからにしよう。 小説を読まないとなれば他の本は速く読む。読んだ順番は覚えていない。「オーケストラの職人たち」岩城宏之(文春文庫 2005年) 漫画『のだめカンタービレ』を読み、「N響アワー」を見るようになって、クラシックに多少興味が出てきた流れ。楽器運送に携わる人びと、ちらし配り、写譜屋さん、調律師など、裏方の人たちについて書かれている。職人的に楽器を弾く人たちのことだと思って読み始めたのだけれど、まあどのみち全く知らない事柄なので新鮮。「夜のミッキーマウス」谷川俊太郎(新潮社 2003年) 一部で有名な名作『なんでもおまんこ』収録詩集。他にも『百三歳になったアトム』『よげん』など、なかなか密度が濃い。『なんでもおまんこ』はここで読める。「空に小鳥がいなくなった日」谷川俊太郎(株式会社サンリオ 1990年 原版は1974年) こちらはあまり好きになれなかった。『つもり』一篇にのみ付箋。年代順に追うつもりだったけれど断念してバラバラに読んでいる。「62のソネット」谷川俊太郎(講談社+α文庫 2001年 原版は1953年 創元社から) 谷川俊太郎第二詩集。選集などで読む時、ここから選ばれた、ソネット形式の詩はあまり好きになれなかった。だけどこうして一冊読み通すと、別の感慨も湧く。新版の序文で「私自身は経験によって変化してきているが、変化しない感受性の核のようなものもまた私のうちにひそんでいて、それがこの若書きの詩集を、私にとっていまなお身近なものにしている」と記しているように、若書きには、未熟さ、青臭さもあるけれど、若くなくなってからは二度と手に入れることの出来ないものが込められている。そういうものは好き。(それだけの人は好きじゃないが)。 ちなみに詩のブログを始めてみた。何か核になるものがないと続かないので、身近で根源的で重要なあるテーマを第一に掲げている。そればかりというのもまた難しくなるので、他のテーマでも書いているけれど。うん、このような僕ら「ラテン・アメリカの小太陽」飯島耕一(青土社 1984年) 題名に惹かれて。飯島耕一の詩って好きだったけどうだったけと思いながら。ラテン・アメリカを舞台にした一連の詩は正直うまく掴めなかった。詩人アラゴンについて書かれた『美少年を追う ――ルイ・アラゴンの死』は好き。「老アラゴンが/美少年を追って/サンジェルマンをうろついていたとか /昔の仲間がみな死んだら/そんな気分になる/かもしれない」「和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか」佐野真(講談社現代新書 2005年) ソフトバンクスホークス松坂世代の雄、和田毅の130キロ台のストレートは何故打ちにくいか、というのが主眼の割に、「彼の投げる切れのいいストレートは、おそらく回転数が速いはずである」と、肝心のところが何故か憶測。和田の頭の良さや努力家なことはよく分かるが、著者の能力には疑問を抱く。巻末に和田の卒業論文「投球動作における下肢の節電図解析」が載っているのでなおさら。 ホークスは好きではないけれど、同世代として松坂世代の全選手を応援しています(朝青龍なども)。「超短篇アンソロジー」本間祐(ちくま文庫 2002年) 500文字の心臓というサイトを見つけたのがきっかけ。元々好きなジャンルなのだけれど、こうして集められたのを見ると、好き嫌いが別れるというか、自分の好みに合うのは一部でしかなかったりする。自分で編んでみたいんだろね、きっと。でも好みに合ったのはそれぞれ大好き。サイトの方にも自作を投稿してみた。「ルーマニア・マンホール生活者たちの記録」早坂隆(現代書館 2003年) 1989年、革命で倒されたルーマニア独裁者チャウシェスクは、国力増大=人口の増加とし、国民に子どもを多く産むことを義務づけ、中絶を非合法化した。その結果産まれた多数の子どもたちは、養われず、孤児となり、この本で書かれているように、マンホールの中で暮らしているものも多くいる。物乞い・盗み・かっぱらい・売春などで生計を立てている嫌われ者の彼らに、ルーマニアに住みついて著者は取材した。彼らを決して「可哀想」一辺倒の見方ではなく、「こいつら」「奴ら」など、遠慮のない書き方をしているのに却って好感を持った。彼らの中でのさらなるロマ(ジプシー)差別、エイズ問題、出産問題、シンナー吸引問題、等々。2002年週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞作。読み応えあり。欲を言えば、マンホールの中の空間的繋がりが、うまく想像出来ないことか。「禅的生活」玄侑宗久(ちくま新書 2003年) カトリック教徒の作家(フラナリー・オコナーや森内俊雄など)、仏教徒の作家(玄侑宗久)などの書く小説は好きだけれど、宗教そのものについてはよく分からない。なので、満遍なく宗教関係の本は読むんだけど、どうしても宗教心は湧いてこない。別にいいんだけど。中でも仏教の本は分かりづらい。その点これはまあまあ面白かったけれど、それも仏教についてというより、他のところだった気が。続いて玄侑宗久「私だけの仏教」を読んでいるけれど、これは全然頭に入らない。「清崎敏郎句集」清崎敏郎(春陽堂俳句文庫 1993年)「ふぐりまで日焼け日焼けて島の子は」が印象的な俳人。このシリーズは収録句集が少なくて物足りない。「波音の一擲したる春の闇」「剥製の認可の下りし仔鶴の死」うーん、少し弱いか。「悲しみの子どもたち――罪と病を背負って」岡田尊司(集英社新書 2005年) 珍しく今年出た本が多い。医療少年院にいる少年少女(法律上の呼び方はどちらも「少年」だが)らの、決して特別なケースではないものらについて誠実に書かれた本。「ああ、私もここに書かれているような子どもたちのように、なっていた可能性は充分にあるのだ」と思いながら読んでいたせいか、どうも中身がうまく思い出せない。同情心は皆無、というせいかもしれない。 まだあるような気はするけれどとりあえず完。
2005/08/15
コメント(0)
先日、モブ・ノリオ『介護入門』を読んだ時、小説を読んだ気にならないとか、介護描写以外のつまらないところが多すぎるとか散々書いたような気がするけれど、老人介護のことについては、色々と考えさせられるところがあった。いずれ間違いなく他人事ではなくなるもの、普段は意識しないようにしているが、いつかは必ず向き合わねばならないことだから。日本ほど老人を礼遇している国はない。「寝たきり老人」の激増は、やはり”人災なのだ。――日本各地の老人ホームでヘルパーの体験を重ね、英、米、スウェーデン、デンマーク、シンガポール等の高齢者施設に住み込んだ二九歳の著者は、こうした思いを深めていく。若い感性とあたたかい眼差しがあふれる、さわやかな体験報告。カヴァー見返しの紹介文 著者の若さに驚く。それでも出版は1991年だから、今では43歳かあ、その後どうしたのだろう、と検索したら、なんと政治家になっていた。貼ることは控えるが、本書の最後で、「結局、政治が変わらないと、福祉を良くすることは不可能だ」と言っていた通り、福祉社会の充実を目指して頑張っているらしい。こういう人もいるのだ。「寝たきり」(本書では途中から「寝かせきり」と表記変更)になる原因は、寝かせたままにするから。病気だから、痴呆だからといって、まだ足腰の強い人まで寝かせたままにしては、身体も頭も弱り、いいことはない。欧米でリハビリセンターが充実しているのも、結局は寝かせたままより、出来ることはさせておくことが、ヘルパーの負担減に繋がるのだ。ヘルパー一人当たりの受け持ち人数が多く、ひたすらおむつ交換に追われる日本の老人病院の状態でこのまま行けば、行き詰まることは目に見えている。 他国と日本では事情が違うことは分かっているので、一概に弾劾・早急な発展を望む、というような極端には走る気はない。14年前と今とではいくらか事情も変わっているのかもしれないし。「お年寄りを大切にする」「老人の面倒は家族が見る」という、一見良いことに見える伝統が、福祉について考えることをおざなりにしていた、というのには頷ける。いつまでも大家族社会ではない。一人っ子の子供が将来、両親を介護する歳になった時、どこかに預ける財力も、自分で世話する時間も力もない時、福祉に頼るしかないわけだから、早くから考えておかなければならない。 だけど出来ればもう少しこの問題のことは忘れていたいなんて逃げてしまいそうだけど。選挙の時には、福祉関係について考えている人に目を向けようか、などと思う。だけど政治のことを言い始めたら、問題は福祉だけじゃないわけで。そうするとまたそっちの方面の本も読まなくちゃいけないと、妙な平衡感覚を持ってしまう。 しかしこれを書いたのが29歳だと思うと、何度も唸ってしまう。岩波新書 1991年
2005/08/03
コメント(2)
その1その27/30、7/31「死体まで、暑がっているのだ」 上巻288ページまで。とうとう以前途中まで読んだところを越した。一日毎に書くというのはやはり保たず。舞台はアフリカの植民地に移った。暑い。読む方も暑い。昨日、小便撒き散らしながら飛ぶセミ共がうんざりする程いた道には、今日多数のセミの死体が墜ちていた。元気を出した分早く命が燃え尽きたらしい。注意して避けながら自転車を走らせていたが、一度セミの潰れる音がした。 病院で、愛国的負傷者、戦場叙事詩を内に秘めたる者としての演技を学んだバルダミュ。彼の語ることを素にして作られた叙事詩の発表の場で、喝采を受けたのは、バルダミュではなく、包帯だらけのブランドル、彼の演技の師であった。その後偶然ロバンソンと出逢う。友人と一緒に、戦友の死をその母親に語り聞かせ、100フランをたかりに行こうとする時に。残念ながら戦友の母親は、悲しみのあまり自殺していた。ロバンソンにとって、自殺した女は代母であったという。その時はすぐに別れる。退院し、突如アフリカ行きを決意するバルダミュ。しかし船旅の中で、彼は船の連中に目の敵にされ、危うく殺されかけるが、「愛国者的演技」によって危機を回避。船からは脱出、その後植民地入り。商社の平社員として雇われた彼は、現地人との付き合い方を学んだ後、ジャングル奥地の出張所へ旅立つ。前任の者と交替するために。そこにいた、やや錯乱状態の前任者はロバンソンであった。あまりの暑さで頭がうまく働かないため、ロバンソンという名を聞いてもバルダミュはすぐには気付かない。ロバンソンは金だけ持って逃げ出す。やがてバルダミュも、商品と家とを燃やして、現地人に自分を運ばせ、マラリヤ熱に侵されながら、ジャングルから逃げ出す。辿り着いた町で介抱され、命を取り留めるが、そのままガリー船に漕ぎ手として売られるバルダミュ。そこで初めて彼は、ロバンソンに自分から会いたいと願い始める。船はアメリカに着く。夢と希望と女と知り合いの詰まっているはずのアメリカに飛び出したバルダミュ。しかし素寒貧に出来ることなど――。 と、ここまで。ついにこのロバンソンという名前は、以前に出会った或る肉体、物腰、声音までも、僕の前に浮かび上がらせるのだった・・・・・・そしてすっかり眠り込む寸前に、この男の全体像が僕の寝台の前にすっくと立ち上がった、彼の思い出をつかんだのだ、確実にこの男とは言いきれなかったが、まちがいなくあのロバンソンの憶い出を。ほかならぬ、あのフランドルの、ノワルスール=シュル=ラ=リスの男、戦争から逃れるための穴をhつありしてさがしまわった、あの夜のふちで、僕が行動を共にした、そしてその後もう一度パリで・・・・・・一切がよみがえったのだ。幾年もが一挙に退散したのだ。よほど頭をやられていたのにちがいない、これほど苦労するなんて・・・・・・わかってしまった現在、彼の正体を突きとめた現在、僕は心底からふるえ上がらずにはおれなかった。奴のほうでは僕がわかっていたのか? ともかくこちらは奴の正体を会社にばらす気はなかった。「ロバンソン! ロバンソン!」僕は、快活な調子で呼びかけた、まるで朗報を伝えでもするように。「おいったら! おい、ロバンソン!」・・・・・・なんの返事もない。 胸を動悸させ、僕は起き上がった。そしてみぞおちに不意打ちを食らう身構えをした・・・・・・何も起こらなかった。そこで、いくらか大胆になり、手さぐりで室内のむこう端まで危険をおかしてみた、彼が横にあんるのを見定めておいたあたりまで。奴の姿は消えていた。 よく読むと、このロバンソンが本当に、何度も出て来たロバンソンと同一人物なのか、確かなことは書かれていない。雰囲気は全てロバンソンのものではある。また後にはっきりしたことは明かされるだろう。 常に一歩先にいるものとして登場するロバンソン。長くは一緒にいない。このような人、ロバンソン的な人物には、一生の間何度か出逢うものだ。それらを統合して、一人の人間に仕立て上げた人物がロバンソンであるとするなら、この先アメリカでも、バルダミュに先んじて何かをしているロバンソンに出逢うだろう。その後も、その後も、そうして最後は、やはり先にロバンソンが死んで、その後をバルダミュが追うのだろうか。それとも、ロバンソンの死によってようやく、バルダミュは彷徨を終えて、先導者のいない道を歩き出すのだろうか。或いは、死にそうもないロバンソンは永久に旅を続けて、先にバルダミュが倒れるのか。 なんて先の予想は、あまり真剣に考えてはいない。すぐに書かなかったから、読みながら想っていたことは大方忘れてしまった。後から思い出せるものといえばとにかくロバンソン。そういえば植民地でも、アメリカのホテルでも、似た雰囲気の少年がバルダミュの近くにいるなあ、何でだろうなあ。暑さにやられて、想うこともそこまで。
2005/08/01
コメント(0)
その1 7/29(金)「君の毎朝のうんこと同じくらい」 もっと楽に書かなくちゃ。上巻133ページまで読んだ。ついにロバンソンが出て来た。だけどすぐ消えた。 これから後もバルダミュの後に何度も現れるらしいこのロバンソンという男(主人公の導き役?)をヒントにして、大江健三郎をモデルにした小説家、長江古義人が「ロバンソン小説」を書こうとする物語が、大江健三郎が雑誌「群像」に発表した『さようなら、私の本よ!』三部作だ。この間第三部が発表されて完結した。第二部までドキドキしながら読んでいたものの、ちょっと最後は肩透かしを食らった気分になった。それでも、単行本になった時にまた読み直す日が楽しみだ。そのようにして『夜の果ての旅』は至るところで私の目に入ってきて・・・。読み始めた理由はもういいか。 バルダミュは偵察の途中で、丸腰のフランス兵と出会う。ドイツ人に降伏するんだと喚くその男ロバンソンとと、不思議な意気投合をしたバルダミユが、ようやく辿り着いた村で浴びる洗礼は「ドイツ軍をお待ちしておりました!」。民衆にとっては、相手がフランスでもドイツでも、自分の村を焼かないやつがいいやつなのだ。 灰緑色の長い一筋の帯が遠くのほうで、街のはずれで、闇の中に、早くも丘の頂をきわだたせていた。<<夜明け>>だ! また一日ふえたのだ! また一日へったのだ! ほかの日と同じように、またこいつをくぐり抜けることに苦心しなければならないのだ、ますます狭まっていく環のような、弾道と機関銃の炸裂で満たされた毎日を。「もういっぺんここへもどってこんかい、また別の晩に?」別れぎわに奴がたずねた。「別の晩なんてあるもんか!・・・・・・将軍さまのつもりでいるんか?」「何も考えんことにきめてるんさ、おれは」最後に奴は言った・・・・・・「何も、いいかい! おれが考えるのは、くたばらないことだけさ・・・・・・それだけで十分さ・・・・・・おれは自分に言ってきかすんだ、一日かせげば、一日ふえるんだとな!」「そのとおりさ・・・・・・あばよ、じゃ、好運を祈るぜ・・・・・・」「おまえさんもうまくやんなよ! また会えんともかぎらんさ!」 それぞれ戦争の中へ引っ返して行った。それからさまざまなことが、じつにさまざまな出来事があった、が今ではそれを物語るのはなま易しいことではない。今日の人間にはもはや理解できそうにないからだ。 セリーヌはこの大戦で何かしら武勲を立てたらしい。バルタミュのいう「さまざまな出来事」にはそれは含まれているんだろうか。 入院先で、アメリカ娘ローラと恋に落ちたバルダミュ。しかし自分の体重で頭がいっぱいのローラと、自身の狂的な発作により恋は終わる。その後、売春宿の女ミジューヌのひも暮らし、老人施設と合同になった病院での不満足な生活と続く。「でも戦争を否定したりはできないわ、フェルディナン! 祖国が危機に瀕しているときに、戦争を否定するなんて、気違いか臆病者くらいよ・・・・・・」「そんなら、気違いと臆病者万歳さ! いや気違いと臆病者生き残れだ。たとえばだよ、ローラ、君は百年戦争のあいだに殺された兵隊のうちの一人でもその名前を思い出せるかい? そういう名前の一つでも知ろうという気を起こしたことが今までにあるかい?・・・・・・ないだろう、どうかね?・・・・・・君は一度だってそんな気になったことはなかっただろう? その連中は君にとっては、この文鎮のいちばん小さい粒や、君の毎朝のうんこと同じくらい、名もない、興味もない、もっと無縁な存在だよ・・・・・・だからわかるだろう、奴らは犬死したんだ、ローラ! まったくの犬死さ、ばかな奴らさ! 断言していいね! こいつは証明ずみさ! 値打ちのあるのは命だけさ、今から一万年もすれば、賭けてもいいね、この戦争も、今はどんなに重大な出来事に見えていても、完全に忘れられてしまうだろう・・・・・・十人ほどの学者がたまに機会があれば、論議するぐらいが関の山さ、この戦争の名を高めた主な殺戮の日付についてね・・・・・・数世紀後、数年後、いや数時間後に、この問題について世間の奴らが発見する記憶に値するものといったら、それくらいのものさ・・・・・・僕は未来なんか信じないね、ローラ」 我々が戦争について考える時、第一次大戦を思い浮かべる順番は大分あとの方になるだろう。ヨーロッパでは、第一次大戦がもたらした文化的、思想的、価値観の変革は重大なものだったと、田村隆一が何かの本で何度も繰り返していた。核で死ななくても、テロで死ななくても、レトロな時代の戦争の死でもそれは死であり、時代が、場所が遠いからといって冷淡でいるのは悪い気もするけれど、だからといってわざとらしく義憤に駆られるような自分ではない。戦争の意味を問うのも今回の読書の目的じゃないから、とにかくあまり長くは立ち止まらず、この日記を続けられるように読み進もう。「地上の軍人」「空中の連中」なんて語が出てくる。陸軍、空軍でない理由でもあるのだろうか。単なるおかしな翻訳なのだろうか。きっと後者。
2005/07/30
コメント(0)
7/27(木)「いちばん頼りになるは、糞の臭いだった」 今日からまたセリーヌ『夜の果ての旅』を読み始めた。三度目の挑戦。今度こそは読破するつもりだ。漱石読みで、長編の読み方、構え方を掴めた気がする。中公文庫、生田耕作訳。長い道のりになりそうなので、その日読んだ分のことをいちいち記しておこうと思う。どこまで続くかはわからないけど。 上巻48ページまで読んだ。 友人との議論の最中に席を飛び出して志願兵の列に飛び込むバルダミュ、銃弾飛び交う戦場に平気で突っ立っている大佐、やがて吹っ飛ばされて死ぬ大佐、冒頭から怒濤のように展開する一連の場面は、もう何かの映画の一場面のように頭に染みついている。三回目ともなると当然か。 この大佐は、すると、人間じゃないんだ! もうまちがいない、犬より始末が悪いことに、奴には自分の死が想像できんのだ! 同時に僕にはわかった、僕らの軍隊にはこいつのような奴が、夕刊な連中が、おおぜいいるのにちがいない、そして、おむかいの軍隊にも、たぶん同じだけ。何人いるか誰にわかろう? 全部でおそらく、百万、二百万? たちまち、僕の恐怖は大恐慌にかわった。こんな奴らといっしょでは、この地獄のばか騒ぎは永久につづきかねない・・・・・・奴らがやめるわけがあろうか? 人間世界のやりきれなさをこれほど痛切に感じたのは初めてだった。 どうして二度も挫折したのだろうと考えた。ところどころ、というより、毎ページどこかに読みにくいところはある。訳のせいでもあり、原文も、決して綺麗な文章ではないのだろう。だけど今回はそれも、読みにくい訳文を自分なりに言葉を並べ替えたり、孫訳? したりして、読めるようになっている。翻訳への不満だけでは、挫折する理由にはならない。原因は内容にある。ということで、注意して読み進めていると、バルダミュが大佐の死後、中隊に合流した以降、上官の不条理な命令に振り回されながら、悪態をつきつつ彷徨い歩く場面で、原因の一端に突き当たった。バルダミュのモノローグが続く、それには面白いものも、退屈なものも含まれている。退屈なものが続くと、目で追うだけになり、頭の中に入らず、気が進まなくなる。良いものに突き当たると目が覚める。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』でも同じようなことがあった。どうやら、惰性と眠気に襲われないように、小刻みに読むのが良さそうだ。 スペイン関連の本ばかり読んでいたから、どうしても舞台をスペインだと錯覚してしまいがち。舞台はフランス、第一次大戦中。 何本かの戦争映画の場面を思い起こしながら読んでいると、題名の特定出来ない映像が紛れ込んでくる。それはかつて映画で観たものではなくて、『夜の果ての旅』のこれからの場面だったかもしれない。 一日目だから量が多くなった。 分隊のいる部落を見つけるのに僕らは嗅覚の助けを借りるのだった。見捨てられた村々の戦場の暗闇の中で犬にかえって。いちばん頼りになるのは、糞の臭いだ。
2005/07/29
コメント(6)
いわずと知れた谷川俊太郎第一詩集。2000年に日本図書センターというところから出た、愛蔵版詩集シリーズの一冊。原型に近い装丁がされ、解題と年譜がついている。『かなしみ』『地球があんまり荒れる日には』『電車での素朴な演説』『二十億光年の孤独』そして大好きな『ネロ』などの有名な詩は、撰集などでもう何度も出会っている。けれど、この人の詩集を純粋に一冊読んだことはなかった。そうして読んでみて浮かび上がってきたのは、今までイメージしていた、詩を体現する巨大な体躯を持て余す、ゾウやクジラのようなものではなくて、一人の若いはにかみ屋の、駆け出しの詩人の姿だ。現在の谷川俊太郎と、これ一冊だけの谷川俊太郎とでは違うのは当たり前だけれど。今、未来永劫死とは縁のないような顔をしている老人は、生まれた時からその顔を持っていたような気がしていて。 そんなわけで、今回一番気に入ったのは、そんな詩人の姿を写した、巻頭に置かれている三好達治の『はるかな国から――序にかへて』かもしれない。終端部の、「――げに快活に思ひあまつた嘆息に/ときに嚔を放つのだこの若者は/ああこの若者は/冬のさなかに永らく待たれたものとして/突忽とはるかな国からやつてきた」を読んでから、若き日の谷川俊太郎の詩の中に入って行くのだけれど、三好達治に引きずられたのではなく、確かに私なりに偶然に、三好達治に似た感慨を、覚えた気がする。 そういえば今は夏だ。ネロが二回しか知らなかった夏だ。「ネロ/もうじき夏がやつてくる/しかしそれはお前のいた夏ではない/又別の夏/全く別の夏なのだ」幾つか前の夏には、セミの鳴き声の弱々しいことを気に病んだ。それが今年は騒音問題に発展するくらい、クマゼミがやかましい。セミは身体の中身ががらんどうで、栄養にならないから、鳥もあまり獲りたがらない、と子供の頃誰かから教わった気がする。誰だったかは忘れた。まさか鳥本人ではあるまい。日本図書センター 2000年原版は1952年、創元社から。
2005/07/28
コメント(2)
小説と並行して新書形態の本を読んでいる理由は、・それほど集中しなくても読める・知らない世界の知識を得られるので新鮮で面白い・薄くて軽くて持ち運びに便利(数冊持ち歩いて、気分によって読むものを変えられる)・文章がひどかったり、中身が気に入らなかったりしても、「とにかく新鮮な内容なんだから・・・」と、一応最後まで頑張れる(こともある)。・古本屋でボロボロになってる古い岩波新書や中公新書に意外と面白いものがあったりする。・その題材への興味のきっかけとなり、より掘り下げていくようになることもある。 俳句、諸子百家、スペイン、等への興味はそれぞれ新書が媒体となっていたと思う。それ以前にも小説やら何やらで触れてはいたから、関連する新書へも手が伸びたのだろうけど。 まあそんな風に楽しいからって、いつまでも新書ばかりじゃ、上澄みを浚ってるばかりになるから、本格的な書物(小説以外で)ももっと読むようにしなくちゃなあ、特にノンフィクションとか。と思いながら、ノンフィクション作家として著名なこの作家の書いた、新書形態の本を手にとってみた。 著者自身がこれまでに書いてきたノンフィクション著作を書いた理由・取り組み方・取材方法などを綴ったもの。いろいろ面白い話、ためになる話があり、今度何かノンフィクションものを読みたくなったら、この著者のものを手に取ってみよう、というぐらいには面白かった。 ルポライター、ノンフィクション作家などにありがちな、自負やプライドや啓蒙心が、読むのに邪魔になることは多々ある。昔からあまりこの手のものを読んでこなかったのは、そういうものが好きではなかったから。だけど今では、そういうものはそういうものとして、軽く受け流して、読みたい部分だけを読みたいように読むということが出来るようになっている。あるいはなって「しまっている」。昔は何でも100パーセント取り込もうとしすぎていたんだろうなあ。 今日は涼しかったので空気が軽い。集英社新書 2001年
2005/07/27
コメント(0)
『それから』を読み終え、漱石読みも一段落。セリーヌに行く前に軽く一冊、という流れ。のつもりだったのだが、あまり小説を読んだという気にはならなかった。むしろ、福祉現場の係長級医師だった、関なおみという人の書いた「時間の止まった家 「要介護」の現場から」(光文社新書)を読んだ方からの流れ。医師の眼ではなく、肉親を介護する人の眼から書き起こされるものを読みたかったのだ、と、後付けで思う。 その点でいえば満足出来たともいえる。チューブに取り囲まれて意識のない祖母を、生の側へ引き戻そうと、人の目を気にせず懸命に声を掛け、身体を擦り、祖母の眼に反応を見出すところや、介護の苦しさと、そこに見出せる喜び、それらは文句なく良い話であるし、胸を打つところがあった。 しかし、いらないものが多すぎる。主人公のマリファナ体験や、マイナー音楽談義、社会や大衆への悪罵、それら全てつまらないのに、量は多い。同じ罵倒でも、身近な叔母へのそれは、根のあるしっかりしたものであるのに、対象が広がると途端に力を失う。何ら魅力を感じないそれらのせいで、熱心な介護体験以外あまり読んだ気にならなかった。 ただ、序盤にはなかなかいい文章もあり、ラップ調だの某賞だのに目眩ましされず、割と地力のある人なんだなあと感じさせるところもあった。そこは好き。特に祖父とのエピソード。百姓の倅故毒草に負けてはいかんと親から漆の汁をコップで飲まされ、幼き祖父はそのせいで体中が蚯蚓腫れに赤く腫れあがり一週間床に臥せりはしたが、お陰であらゆる毒草毒虫への耐性を備えた土人として、その蛮行の数々を俺の記憶に強烈に焼き付けた。キンチョール丸ごと一本分と引き替えにビーチボール大の蜂の巣をヤマから獲り帰り、その晩は家族で蜂の子を食べた。『食べてみると、ドブの味がしました』当時ガキだった俺の日記にはそう書かれている。夏の前には、畦道で見つけた蝮の首を鎌の刃で貫き、その柄を腰のベルトに差し毒蛇の死骸をぶら下げたまま普段の野良仕事を続けていた。空気銃で鳩を撃ち殺し、俺はその肉をおかずとして喰わされたが、翌日その鳩が向かいの兄ちゃんの伝書鳩と判明し、犯罪者の家族を持った後ろ暗い気分で小学校に通ったこともある。~~~~前栽の梅の古木にしがみつき樹液を啜る蝉どもを尖らせた細い竹の先で突いて殺す、その祖父から見習った蛮行を純粋に殺す快楽のためだけに子供時分から続けた俺の姿が、祖父には土人的生活(ネイティブ・ジャパニーズ・ライフ)の継承を機体させる思わせぶりなそぶりとして映りはしなかっただろうか? 祭りの屋台で、ムシキングの人形が水に浮かべられているのが、大量の虫の水死体に見えて気持ち悪かった。子供の頃はあまり見なかった型抜き屋がいたので何度も挑戦したが、一つも最後まで抜けなかった。社では、昔と変わらない音楽と踊りがゆらゆら揺れていた。 祖父の家の近くで行われる祭りに、入籍した兄と兄嫁の顔見せのために親戚が集まった時、皆と連れ立って行った。昔皆で撮った写真からは一人減り、二人減り、そしてまた一人増え、二人増えた。祖父母と連れ立ってきたこともあっただろうに、どうしても二人とのこの祭りでの思い出が思い出せなかった。前を歩く兄とは、見えてる景品なんて当たりっこのないくじ引きをよくやった。その時貰った景品はその後どうしただろうか。すぐ潰れてしまうものもあったが、そうでもないものもあったはず。やっぱりよく思い出せなかった。父や叔父が、めっきり出店の減ったことを嘆いていた。昔はもっと賑やかで人の多い祭りだったという。そのことは覚えていた。文藝春秋社 2004年
2005/07/26
コメント(0)
http://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20050725AS1G2502B25072005.html文筆家の杉浦日向子さんが死去 江戸風俗を題材にした漫画やエッセーで知られる文筆家の杉浦日向子(すぎうら・ひなこ)さんが22日午前4時32分、下咽頭がんのため千葉県柏市内の病院で死去した。46歳だった。連絡先は新潮社新潮文庫編集部。お別れの会を行うが日取りなどは未定。 1980年、「通言室乃梅」で漫画家としてデビュー。84年に「合葬」で日本漫画家協会賞を受賞。93年に漫画家を辞めて江戸風俗の研究に専念した。代表作に「風流江戸雀」「江戸へようこそ」など。95年から9年間、NHK「コメディー お江戸でござる」に出演した。 以上記事 文筆家、ぶんぴつか、と声に出してみる。どうもしっくり来ない。私にとって杉浦日向子は漫画家である。私にとってとても大きな存在の漫画家であり、いまだに多く影響を受け続けている漫画家である。 若い頃、漫画を多く揃えている図書館で何の気なしに手にとった『百物語』の単行本が馴れ初めとなり、その後ことあるごとに杉浦作品と結婚した。時代考証家としての彼女の作品には多く触れなかった。私の興味は「江戸」にあったのではなく、あくまでも杉浦日向子の描く漫画にあった。NHKの番組に出てたことやら、荒俣宏との結婚・離婚歴やらはあまり興味を持てなかった。だから、最近の活躍についてはよく知らず、身体を悪くされていたなんて思いもしなかった。それにまだ46歳という若さだ。 今の私を形成するものは「あの頃」におおよそ出来上がった。「あの頃」、小説もともかく、漫画を読み漁っていた。吾妻ひでお、高橋葉介、近藤ようこ、そして杉浦日向子らを。多感だった「あの頃」、よくも悪くもそれらの漫画から多く影響を受け、それらは抜けきれずに私の中にある。現在、吾妻ひでおは仕事に復帰して、漫画家生活から逃亡していた頃のことを書いた本が売れている。漫画を書くことをやめ、時代考証家・文筆家として生きた杉浦日向子は亡くなってしまった。「あの頃」の私をつきつけられているような想いはどこかしら恐怖に似ている。『合葬』『百日紅』『ニッポニア・ニッポン』『ゑひもせす』『二つ枕』『とんでもねえ野郎』そして『百物語』。流動し続ける私の本棚の中で、これらは一度も見える位置から消えることはなかった。その中からやっぱり『百物語』について。舞台は全て江戸。 たとえば、「其ノ四一 地獄に呑まれた話」旅の父子が、地獄谷という所に立ち寄る。煮え立つ池に父が指先を入れてみるが、そう熱くはない。引き抜くと、空気の中では指が焼けるように熱い。たまらずまた池に指を浸す。繰り返すうち、どんどん身体を浸す度合いが増し、仕舞いには池から首だけ出してただにこにことするばかり。通りすがりの僧はそれを見てあまりに惨いと思い、子供を連れて立ち去った。 たとえば、「其ノ六十六 木の葉の里の話」木の葉の落ちるのを嫌う女郎が、置屋で客の男に昔の話を聞かせている。幼い弟を背負って鎮守の森にどんぐり拾いに行った折、突如大量の枯葉に降られ、枯葉は一瞬人の形を成して消え、背中の弟もいつのまにか枯葉となっていたという。客の帰る時に女郎は枯葉を一枚落としてやる。 このような話ばかり99話続く。唖然とした。慄然とした。怖いと思った。面白いと思った。知ってよかった、こんなものが、こんな物語も世の中にあるなんて、と打ち震え、文庫版が出ていたので買い求めた。何度読んでも新鮮さを失わないのが不思議で、開くたび新しい話が追加されてるのではと思った時もある。 どうして漫画を書かなくなったかは知らない。ずっと漫画を書き続けていたら、ずっと熱心な読者であったなら、思い出話以外にもっと書けることもあったのに。 悲しみ方がよく分からないや。 それが少し悲しい。
2005/07/25
コメント(4)
書くことは無意味だと感じていた頃でも、書くことは苦痛ではなかった。書かない時期が長くなると、次第に書かないことが苦痛になった。無意味でも構わないから何か書いておこうと思うようになった。題名だけに本の名前を書いておき、関係のないことばかり書くのでもいい。書評としての役には、人にも自分にも立たないが、それは初心に戻ることでもある。決めてからは書くことが幾らでも浮かんできた。 小説は一本道を決めて、なるべく一人の作家のものを。それ以外は、手当たり次第気の向くままに。気に入りのテーマが見つかったら、そこから派生させて幅を拡げるというやり方で過ごしている。だけど大抵は数冊読むうちに、我慢出来ない文体やら、欲するものと違う情報やら、食傷やらに襲われて、あまり掘り下げないうちに次に移ってしまう。 そのようにして、ロルカへの邂逅から始まったスペイン書物行脚は、中丸明「ロルカ スペインの魂」(集英社新書)、堀田善衛「スペイン断章――歴史の感興」(岩波新書)、近藤仁之「スペインのジプシー」(人文書院)、で打ち切った。しかし、よく知らない外国のことを知るのはなかなか面白いと思い、次はアイルランドあたりを、と思って、間違えて借りてきてしまったのが本書。なので、後半は読み飛ばしが多かったのでそれほど書くこともない。 書く内容のあるなしに関わらず、とりあえずは一ト月ほどを目安に、本を読んだ後はいちいち何か記していこうと思う。小説の数は多くないだろう。 暑い夏だから、何もしないでいると、何も書かないでいると、少しずつ頭が熱に削り取られていくような気になる。思えば昨年は、暑さに導かれるようにして句作を始めた。そちらは今のところ行き詰まっているものの、うんざりする暑さは何かしら人に影響を与えるものらしい。「書いてしまったことにより、こぼれ落ちてしまうもの」については、今は深く考えないでおく。岩波新書 2004年
2005/07/24
コメント(2)
小説はなかなか『それから』が進まない。昔途中で挫折したのは、先に映画を観たからだと思っていたけれど、どうやら、主人公が嫌いだからだったようだ。大江健三郎「新しい文学のために」(岩波新書)堀田善衛「スペイン断章――歴史の感興」(岩波新書)新藤兼人「老人読書日記」(岩波新書)冨谷至「韓非子」(中公新書)関なおみ「時間の止まった家 「要介護」の現場から」(光文社新書)村上春樹 柴田元幸「翻訳夜話」(文春新書)挿入されていた翻訳小説には、好みに全く合わないので読めず。シュトルム「シュトルム詩集」谷川俊太郎「続・谷川俊太郎詩集」(思潮社)谷川俊太郎「続続・谷川俊太郎詩集」(思潮社)入澤康夫「入澤康夫<詩>集成 下巻」(青土社)
2005/07/17
コメント(0)
その1を書いてから百年経った。もうとっくに読み終えてはいた。しかし改めて感想を書くとなると、気が進まなかった。その気になるまで待てばいい。そのまま百年経った。 小説は、まだ読んでない漱石を。その他は、暗記したくなる詩を探すために現代詩関連の本を。合間に適度に新鮮な内容の新書を。という今の読書状態。現代詩から漱石に移ると、頭がなかなか切り替わらず、同じ国の言葉に見えなくなる。素晴らしい詩はそうそう簡単に見つかるわけでもなく、結局、有名な、基本的な、代表的なものを覚えたり。鮎川信夫『死んだ男』を覚える予定はなかった。けれど覚えてみれば、繰り返しぼそぼそと呟いていれば、いつの間にか身体の一部となってしまって、甚だ不健康な男になってしまった。書き写すのは面倒なのでリンクを。『明暗』に続いて『門』も読み終え、今は『行人』の半分を超した。『門』を読みながら『明暗』の登場人物を思い出したり、『行人』を読みながら、ふと『門』を読んでいるような錯覚に陥る。一つ一つの作品にあたるのではなく、一人の作家に立ち向かうと、こうなる。先の、車谷長吉や舞城王太郎の一気食いをした思い出は、今一つの塊として蘇る。各作品の境界はあやふやになっているが、幼い頃の顔も思い出せない友達との、楽しく遊んだ日々の記憶のような。『明暗』に限らず、漱石は作品に多くの謎、含みを持たせることを方法論の一つとして活用した。それを後代の深読み好きの読者たちが謎解きや研究やらをやりすぎちゃって、冷めた空気を残した。お札の肖像になんかなっちゃったことで、変に人口に膾炙して、国語の授業を退屈なものにした。そんなことを思ったが、余分なこと抜きにして、漱石は面白い。今は漱石以外の小説を読む気にはならない。借りたり古本で買ったりせず、岩波文庫の新本を買うという方法は今のところ成功しているようだ。読む速度が遅い主な理由は野球中継。 いつか自然に書きたいという気持ちが沸き上がって来て、形になるかと思っていたが、はっきりした何事も起こらず、『明暗』について書く機会は失したかと思われた。しかしあながちそういうことではなく、『門』『行人』と読み進めているうちに、それらを『明暗』と分けて考えることもないような気がしてきた。自分はいまだ『明暗』を読み続けている、あるいは『夏目漱石』という一枚岩にひたすら挑んでいる。区切りを入れる必要はなく、混沌としたままに寝かせておく方が、有意義であるかもしれない。怠惰への言い訳は完成した。 幸い、日本文学関連の書籍を読めば、嫌でも漱石の作品に触れられており、内容を忘れ去るということもない。 無理に感想を引き出すこともないと決めたら、だらだらとしたことを長々と。どうしても忘れられない箇所だけ引用して終わる。死に近付いていた漱石は、主人公の津田に自身の幽霊を見せている。 あたりは静かであった。膳に向った時下女のいった通りであった。というよりも事実は彼女の言葉を一々首肯って、大方この位だろうと暗に想像したよりも遙かに冷静であった。客がどこにいるのかと怪しむどころではなく、人がどこにいるのかと疑いたくなる位であった。その静かさのうちに電燈は隈なく照り渡った。けれどこもこれはただ光るだけで、音もしなければ、動きもしなかった。ただ彼の眼の前にある水だけが動いた。渦らしい形を描いた。そうしてその渦は伸びたり縮んだりした。 彼はすぐ見ずから視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の影像(イメジ)に過ぎなかった。鏡は等身といえないまでも大きかった。少くとも普通床屋に具え付けてあるもの位の尺はあった。そうして位地の都合上、やはり床屋のそれの如くに直立していた。従って彼の顔、顔ばかりでなく彼の肩も胴も腰も、彼と同じ平面に足を置いて、彼と向き合ったままで映った。彼は相手の自分である事に気が付いた後でも、なお鏡から眼を放すことが出来なかった。湯上りの彼の血色はむしろ蒼かった。彼にはその意味が解せなかった。久しく刈込を怠った髪は乱れたままで頭に生い被さっていた。風呂で濡らしたばかりの色が漆のように光った。何故だかそれが彼の眼には暴風雨に荒らされた後の庭先らしく思えた。 彼は目鼻立の整った好男子であった。顔の肌理も男としては勿体ない位濃(こまや)かに出来上がっていた。彼は何時でも其所に自信を有っていた。鏡に対する結果としてはこの自信を確かめる場合ばかりが彼の記憶に残っていた。だから何時もと違った不満足な印象が鏡の中に現れた時に、彼は少し驚ろいた。これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気が先ず彼の心を襲った。凄くなった彼には、抵抗力があった。彼は眼を大きくして、なおの事自分の姿を見詰めた。すぐ二足ばかり前へ出て鏡の前にある櫛を取上げた。それからわざと落付いて綺麗に自分の髪を分けた。 岩じゃないな、城壁だ。岩波文庫版読了本メモ夏目漱石「門」(岩波文庫)柏倉康夫「ノーベル文学賞 作家とその時代」(丸善ライブラリー)高木桂蔵「客家 中国の内なる異邦人」(講談社新書)田村隆一「20世紀詩人の日曜日」(マガジンハウス)中丸明「ロルカ――スペインの魂」(集英社新書)嶋岡晨「日本文学の百年 現代詩の魅力」(東京新聞出版局)(詩の採取が目的のため拾い読み)宗左近「詩のささげもの」(新潮社)(同上)谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集」(角川文庫)三田洋「三田洋詩集」(土曜美術出版)(詩以外は読まず)入澤康夫「入澤康夫<詩>集成 上巻」(青土社)六月号の詩誌三冊「現代詩手帖」「詩学」「詩と思想」
2005/06/29
コメント(0)
漱石『明暗』を読み終えてはいるけれど、何か書くとなると考えてしまって筆が凍る。 だからといって本当にずっと何も書かないでいると、言葉が死ぬ。(ただでさえ近頃私は、文章の書き方を忘れてしまっている) 近頃、詩の暗記に凝っている。 きっかけは、うんこの時漫画を持ちこんで読む習慣があったのだけれど、あまり増えない漫画はどれも何巡もしてしまって、もはや読み返す必要のない程頭に入っているから、飽き飽きしながら漫画を読むのも何だか時間が勿体ないような気がして、何か別のことに使えやしないかと思ったからだ。うんこの時間を。 それと近頃暑くなってきた。家から駅までの自転車移動時、頭が「暑い暑い」で埋め尽くされ、ろくに考え事も出来やしない。もっと何かうまいこと使えないか、この時間を、と。 そこでどうして「詩」で「暗記」なんだろうと今考えるとよく分からないのだけれど、とにかく始めてみると、好きな詩だから覚えるのに苦痛もなく、スラスラといき、短いものなら、軽く目を遠し、繰り返し暗誦し、後は折に触れててにをはを確認すれば、大体一日一詩暗記出来るようになった。そうして覚えた詩が10篇になった。 それ用の手帳を1冊買い、選んだ詩を書き写す。汚い字だけに印象に残りやすい。今まで覚えた詩の確認を1冊で出来て、持ち運びにも便利。こういうことを昔からやっておれば、きっと賢い人間になれていたのだ。今からではもう、好きなもの以外覚えられないだろうけど。 新しく好きになれる詩を求めて借りた、田村隆一「20世紀詩人の日曜日」の中に、こんなことが書かれていた。 オーデンはね、もし自分にお金があったら詩の学校を作りたいと言ってた。誰かが巨額のお金を自分に寄付してくれたらって。オーデンの考えたカリキュラムが傑作なんだ。それはユニークそのもの。まずね、詩の学校の生徒は動物を飼うこと、あるいは植物を育てること。次に料理法の勉強。それから海があれば航海をする。詩はね、ギリシア以来の詩の中から、その生徒が一番好きなものを暗唱する。とにかく二千行ぐらいを暗唱する。それから詩に関する評論は一切読まないこと。なかなかいいだろう? 何故か1章の中で必ず同じ話が繰り返されたり、インタビュアーの知識の乏しさが時折垣間見えたりして、不満の多い本ではあったけれど。これまで覚えた詩の行数を数えてみると129行。2000行は、それほど遠くないようだ。 それがねえ、詩を覚えてしまったことによる弊害も少しあるのだ。 上の1行は、石垣りん『崖』の、「それがねえ/まだ一人も海にとどかないのだ。」の影響によるもの。他にも、何でもないような文章の後に、(ああ そのような 幾百万年)なんてのを括弧付きで付け足したくなる(入沢康夫『鴉』より)。小便をすれば「おちんちんはやらかくて/ちっちゃなけものみたいだ」(谷川俊太郎『男の子のマーチ』より)、うんこの時は当然「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました」(金子光晴『もう一篇の詩』より)。 覚えてしまったものが、頭から離れなさ過ぎる。これはまだ暗記した詩の句じゃないけれど、「石に刻まれた眼は永遠に開く」(西脇順三郎)みたいなもんだ。 長いから覚えるのが大変、ということでもない。構成がしっかりしてるものは覚えやすい。簡単な言葉で、1連でまとまっているものは却って覚えづらい。 暗記詩メモ『河』黒田喜夫『詩が』石原吉郎『星のない夜』及川均『崖』石垣りん『もう一篇の詩』金子光晴『四千の日と夜』田村隆一『鴉』入沢康夫『するめ』まど・みちお『男の子のマーチ』谷川俊太郎『緑と黄金(きん)の稲田の上を』タゴール 山室静訳 昔ここで書いた中に引用している詩が結構多いのだけれど、探してリンク貼るのは少し面倒。2篇だけ、こんなのも覚えられましたよって自慢に。 四千の日と夜 田村隆一一編の詩が生れるためには、われわれは殺さなければならない多くのものを殺さなければならない多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ見よ、四千の日と夜の空から一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線をわれわれは射殺した聴け、雨のふるあらゆる都市、溶鉱炉、真夏の波止場と炭坑からたつたひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、四千の日の愛と四千の夜の憐みをわれわれは暗殺した記憶せよ、われわれの眼に見えざるものを見、われわれの耳に聴えざるものを聴く一匹の野良犬の恐怖が欲しいばかりに、四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶をわれわれは毒殺した一篇の詩を生むためには、われわれはいとしいものを殺さなければならないこれは死者を甦らせるただひとつの道であり、われわれはその道を行かなければならない 何か書く時の根底にいつも置いているつもりの詩だけれど、なかなかそうもいっていない。 緑と黄金(きん)の稲田の上を タゴール 山室静訳緑と黄金の稲田の上を、早足の太陽に追われて秋雲の翳が匍う蜜蜂はかれらの密を集めることを忘れ、光に酔いしれて他愛もなくさまよい飛ぶ。河洲の上では家鴨どもが何でもないのに浮かれて騒いでいる誰も家に帰してはならぬ、兄弟よ、今朝、誰も働きに行かしてはならぬあらしでもって青空を捉えよう、走るがままに場所をとろう歓声は出水の上の泡のように空に漂っている兄弟よ、われらの朝を他愛もない歌で浪費せしめよ。 これは覚えたてだからまだまだ怪しい。一応覚えたものでも、つっかえる時がある。問題は、いつまでも飽きずにこの習慣が続けられるかどうか。
2005/06/10
コメント(4)
定期的に読み直している詩人。これというはっきりとした理由はない。以前の感想は2004/5/10の日記参照。技巧的でないところか、信仰的なところへの漠然とした憧れか、或いはひらがなの多さ、に惹かれてかもしれない。それならいっそまど・みちおにでも手を伸ばせばいいのだけれど、あの人は怪物だから。短命の詩人だと、生涯の詩作を一冊で振り返りやすいということもある。 さて今回は、八木重吉の詩で最も有名な『素朴な琴』が、一冊の中でどこか異質に感じた。この明るさのなかへひとつの素朴な琴をおけば秋の美しさに耐えかね(て)琴はしずかに鳴りいだすだろう 読む時の気分、それ以上の意味はないだろうが、多くの断片的な、素直でありながらいびつな詩篇の中では、これ一つだけ特別に、完成しすぎているように感じた。まあ、それだからこそ有名なのだろうけど。幾度も同じ詩を引くのも気が進まないので、これまでにはあまり目に留まらなかったものなどを。『春』黒い犬がのっそり縁側のとこへ来て私を見ている『ああちゃん!』ああちゃん!むやみとはらっぱをあるきながらああちゃん とよんでみたこいびとの名でもないははの名でもないだれのでもない『万象』木と草はうごかず 人間はうごくしかし うごかぬところへ行くためにうごくのだ 詩の復習終わり。先へ進もう(そのうち)。芸林21世紀文庫 2002年
2005/05/28
コメント(0)
撰者が誰か表記されていないあたりに、この出版社の倒産した理由を見出せる気もする。 いつまでも、「三月の甘納豆のうふふふふ」の俳人としか知らないのも無責任な気がして。 自由奔放というか、上5中7下5をわけてバラバラに書いておいた紙を切って貼って合わせたようなというか、季語だけ使って後は適当に、というか、そんな作風。たとえば「紅梅の咲くごと散るごと母縮む」という句があり、ああこれはつまり、綺麗な紅梅の毎年咲いては散る様にも、年月の経過が含まれており、その度に老いた母は段々と縮まっていってしまうのだ、なんて感傷的な鑑賞をしていたら、しばらくして(発表間隔は10年近くあるけれど)「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」「ほとけのざすずなすずしろ父ちびる」なんて句にぶち当たり、さっきの何かを返してくれ、と叫びたくなる。「ゆびきりの指が落ちてる春の空」や「びわは水人間も水びわ食べる」にはどうにかついていくことが出来ても、「ぽかぽかの十二月にて奴死んだ」「殺人があったぱかぱかチューリップ」などに至っては、もう謝る他はない。作者の偏愛している河馬の句には、あまりいいものはない。 ややこしいこと考えず、好きな句あげて終わる。蝶までの距離と言うべし春の泥明け方の夢なめている春の蠅春眠を発酵させているよ象枯野では捕鯨の真似をしろよ、なあびわ熟れて釘とか父とかぼろぼろにみんなみんなちんちん軽く秋の橋芸林21世紀文庫 2003年
2005/05/27
コメント(5)
何を読んでも「久し振りに」といちいち冠付けるのも煩わしいのでその手間は以後省く。 梅田の紀伊国屋書店でやっていた、倒産出版社本80%オフバーゲンセールで買った、詩集句集併せて5冊の内の1冊。どれも知った名ではあるが所有となると話は別。 いろいろな詩のアンソロジーで見かけてきた名ではあるが、輪郭はぼんやり。著者略歴も載っていない。若い頃にカトリックの洗礼を受けている。後年、飛行機で同道した谷川俊太郎に「安西さんは、今でもクリスチャンですか?」と訊かれ「羞恥に慌てながら、はぐらかしてしまった」(『青い瞳』)と詩の中で書いているから、一時的なものだったのだろう。そういったことが意識されてか、宗教的意味合いの強い詩は撰ばれてないように見えた。こちらが勝手にそういった詩は意識の外に放り出しているからかもしれないが。 どれか一遍、というより、時折出合う、何気ない一行に心躍るところがあった。これも詩からしばらく遠ざかっていたからか。物語や詩を日常化している時には見えてこないものがある。それらを、断片的であるから他人には訳が分からないかもしれないが、一応抜き出しておく。人目につきそうもない狭い川がゆうぐれの音をたてて流れているのを『ゆうぐれの冬』よりいつのまにか雨もあがってゐる夜だ『祗園』より雲ひとつない冬のまっぴるまだ <逃げ隠れすることもなく けふまで生きてきた>なぜか ふとさう思ひながらひとりで昼ごはんを食べてゐる冷飯を白粥にしてすすってゐる『冬の食事』よりすたすた死にに行ってしまった『菫の花咲くころ』より二階の窓近く、樫の木の枝に山鳩が二羽並んでゐる。番(つがひ)だらう。あそこは気に入りの枝とみえて、をととひも、きのふも止ってゐた。わたしの気づかない日も、きっと来てゐるのだらう。『山鳩』より どこが良いのかさっぱり説明出来ないこれらの断片に触れた時、確かに私は慰められていた。数千行読んでも何も得られなかったと思える時もあれば、たった一行が生涯残ることもある。「詩人は月に一度か二度は<死>について考へるべきだ」と言った、同い年の友人がゐた。」と詩人は書いた。それに倣い、「詩人でないものも、月に一度か二度は<詩>について考へるべきだ」と戯れてみる。 そんなことを書きながら、既に続いて「八木重吉詩集」も読み終えている。芸林21世紀文庫 2003年
2005/05/26
コメント(6)
名前とか変えたので暇な人はトップ参照。 漱石『明暗』は現在200頁を超えたところ。こんなにのんびりしてていいのかなと思いつつ、他に読みたい小説もなく。いや、一冊あった。町田康のパンク侍、図書館にあれば借りて読もう。なければ別にいいや。そんなノリで。全く期待せずに読み始めたら楽しくて一気に読んだ。ああ、一気に読むのは楽しい時間を自ら縮めてしまうことだとは後で気付く。 期待してなかった理由など。町田康はあの文体でひたすらシュールな世界を紡ぐというやり方に行き詰まっていた。某賞を受賞した『きれぎれ』など、一番底の時期で、最後まで読み通すのが苦しく、初町田がこれだった場合、「わけわからんし読みにくいわ」で放り出す人が多かっただろう。それでも今では数少ない若者の読者を掴みつつ文芸誌に作品を発表して顔も出して露出も多く、最近では文学賞の選考委員を・・・って何でだろうと書きつつ思うけどあまり深くは突っ込まないでおこう。 そんなこといいながらも町田康の小説はほぼ読んできた。それなのに私の中の町田康がほぼ「終わった人」扱いになっていたのは、先頃触れた彼の二つの仕事の印象が最悪だったからだ。ブコウスキーの『酔いどれ紀行』文庫版の解説、短編集「権現の踊り子」に収められている、水戸黄門のパロディ『逆水戸』、どちらも酷いものだった。どうしてこんなことを、こんなノリで、いい加減にしてくれ、と柄にもなく腹を立てた。それでも、度々書評が目に入り、面白いだとか無茶苦茶だとか傑作だとか失敗作だとか書かれると読みたくなってしまうもので、小説読みの空隙にポトリと町田康は舞い落ちた。 あらすじ紹介省略。しいていえば、侍が宗教集団とか猿とか幼なじみとか家老とかとわーんぐぎゃーんてりゃーばしばし、という感じ。 そういえば、町田康特有の、関西弁饒舌歌唄い文体は抑えられ、久し振りの町田小説ついていけるかな、という心配は杞憂に終わった。適度に適当な感じな文章で、時折真面目な文体の文章が挟まると、それは立派な文体の文章のパロディであり、それも一つのギャグなのだ。たとえば、超人的剣客の主人公掛十之進が、同じく超人的剣客真鍋五千郎と、散々斬り合ったあげく、お互いが幼なじみのシトゲちゃんとゲラちゃんだと気付いた時の台詞あのとき、笛で無茶苦茶にどつき回された差オムの懐から注射器が落ちてがしゃんと割れて、その瞬間、脇にいた差オムの弟、まだみっつくらいだったのが、わっ、と泣きだして、そのとき俺は世界が哀しみに満ちていることをはじめて知ったんだ。夕焼けが麦畑を紅く照らして向こうの林が逆光で黒いのが無気味だった。空がどんどんわたくしに向けて縮まってくるような気がして胸が苦しくなった。俺は声を放って泣いた。助かったのに。その俺をお主は家まで送ってくれたんだ。そんな君を僕が斬れると思うか。「世界が哀しみに満ちて」という使い古された詞語に出逢った途端、それまで鳴り響いていたガチャガチャやかましいパンクロック(あるいは町田町蔵による「INU」というバンドのうるさい音だとか)に代わり、ルー・リードの哀愁が顔を出す。なんてことは読んでいる時は別に思わなかったけれど、今読むとそういう効果も、狙っているのかどうかは知らないけれど感じられる。 真面目な人には勧めない。株式会社マガジンハウス 2004年読了本メモ田淵四郎「ある熱帯医の記録」(中公新書)三田村泰助「宦官 側近政治の構造」(中公新書)中山典之「囲碁の世界」(岩波新書)
2005/05/21
コメント(4)
1の続き▽ いつの間にか少年は毛布を被って眠り込んでいた。新しく薪をくべていないのにいつまでも炎は揺らめいている。少年の顔は本当に僕に似ているのか確かめたい気持ちはあるのに、どうしても火の向う側まで歩き出すことが出来なかった。尿意を催したので、森の闇の中に入った。火からそれほど離れたわけでもないのに、全ての木々が黒く染まっていた。光を吸い込む森は音も吸い取るらしく、長い放尿にもかかわらず、ジョボジョボという音は聞こえてこない。足元に流れてくるわけではないのだから構わないか、と深く考えることを止した。終わったのか続いているのか分からない放尿には甘美な陶酔が含まれていた。いつまでもここでこうして留まっていれば、後ろにある炎は消え、大樹が少年を呑み込み、目の前にあるおかしな出来事も、思い煩いたくない過去も、これから起こるいいことも悪いことも全てうやむやにしてくれそうな気がした。そういえばコーン・ボーンは今もこの森の中にいて何処かから僕の間抜けな姿を見て笑っているんだろうか・・・。あまり考えるな、と頭を振った時には既に遅かった。 森の闇の一際濃いところから笑い声がした。しばらく、音とも風景とも隔絶した境地でぼんやりとしていた僕の耳には、巨大な森が大地ごと身を揺さぶっているようにも聞こえた。慌てて小便道具をしまい、息を潜めた。「コーン?」と恐る恐る尋ねてみる。森の中からも後ろの焚き火の向こうからも返答はなかった。「ボーン?」同じく誰の声も聞こえなかった。「コーン・ボーン?」と意を決して尋ねると、クスクス笑いが辺り一帯に拡がった。前にも後ろにも、上空にも地下にも僕を笑う声が蝉時雨のように鳴り始め、なんだか腹が立ってきた。そこまで笑われるようなことをしたつもりもないのに、どうしてこうも笑われなけりゃいけないんだ。もう暗闇に目をこらすことは止めて、焚き火の元に引き返した。そこで僕を笑う少年を見つけたら、少し懲らしめてやろうと決めた。笑い時雨は次第に鳴りやんできたものの、それは僕の耳が、彼らの笑いを聞きとる機能を忘れてしまったからのように思えた。僕に聞こえないところでは、いつまでも僕を笑う声が続いているに違いないという確信があった。 焚き火の元には老人がいた。大樹が一回り大きくなっているように見えた。老人は本を読んでいる。炎はもう小さくなって、題名を読み取ることは出来なかった。さっきまでそこにいた少年がそのまま本を読み続けて年老いたような老人は、僕を一瞥しただけですぐに本に目を落とした。僕はその本の内容をよく知っているような気がしたのだけれど、話すのがためらわれた。お互いに通じるものについて語り合うことが、この世界をぶち壊すきっかけになるのだと、いつの間にか理解していた。でもだからこそ、急いで壊してみたくもあった。もう彼が覚えているかどうか知らないことを、恐る恐る尋ねてみた。「さっき、森の中にコーン・ボーンがいたよ」 老人は顔を上げた。よく知っている顔が現れた。僕の言っていることが聞こえていないのか理解出来ないのか、それとも僕が見えていないのか、あるいは本当は僕なんていなかったのかもしれない。少し迷惑そうに眉を顰めた後、老人は再び本を読み始めた。僕は地面に寝ころんでそのままゆっくりと大地に溶け込むように眠った。▽ 祖父の、まだ身体は元気な頃に私と両親が病院を訪ねた時、祖父を中庭へ散歩に連れ出した。音飛びのする民謡のCDが延々と繰り返されていた。元気な老人がビーチボールを投げ合っており、私が参加しようとすると一人の老婆が泣き出して、慌てて離れた。祖父にはもう看護人と私たちとの区別はつかなくなっており、誰でもない名前を私に向けて呟いては、一人首を振っていた。色とりどりの花が咲く花壇のベンチに腰を下ろし少し休んでいると、目を離した隙に祖父は一つの植木鉢に指を突っ込み、土をつかんで口に運んだ。父と私が手を掴んで止めさせようとすると、その痩せ細った力のどこにそんな力が、と驚くくらいに暴れ、押さえつけるのに遠慮のあった私を跳ね飛ばした。花ではなく、何故土なのだろうと、呑気に思った。花壇から離れると祖父は大人しくなった。中庭の端から見える外の道路に動く人影を見ては、あれは誰々であると、よく聞き取れない人名を何人も挙げ続けた。散歩が終わってもまだ元気な老人たちはビーチボールを投げ合っていた。民謡のCDの音が飛び続けていた。 骨になった祖父を見て、ようやく祖父の死を悟った。つい数時間前まで、冷たくなったとはいえいつでも顔を拝めたというのに、何故骨なんかにしてしまったんだろう、どうして燃やしてしまったのだろう、と小さな子供のような疑問が頭を占めた。髪もサラサラで、知らん人が見たらおじいさんかおばあさんかわからんなあなどと軽口を叩くようなこともしていたのに、もう二度とその顔にも身体にも手に触れることが出来なくなってようやく、祖父は死んだのだと実感が湧いた。小さくて白いだけの骨には何一つ祖父を感じられなかった。骨にも魂にも祖父の家にも病院にも墓にも祖父はいない。完全に祖父はこの世からいなくなった。人々の記憶に残るものは祖父そのものではない。残された本や日記は祖父のものではある。だがそれらを読むにしろ無視するにせよ、それは祖父そのものとの交わりではない。人間は、生きているものとしか交わることは出来ないということが、あまりにも不自由に感じた。死者との交わりを求める心から、想像力は発達したのでは、という思いつきはそう突飛なことでもないと感じられた。 そんなことを思い出し、まだ生きているものとの交わりを、と決意し、友人の家へぺぺを訪ねた。ヒャンヒャンと鳴くぺぺを抱き上げ、腹を撫でて感触を確かめてみても、ドッグフードが詰め込まれた跡はないので安心した。膝に抱いてしばらくするとぺぺは眠り込んでしまい、私は身動きできなくなった。寝小便はしないかと友人に尋ねると、便所の場所だけは間違えないから安心しろと言う。友人は自分の部屋に戻り仕事を始めたので、私は次第に退屈してきた。しかし鞄の中の本を取り出そうとすればぺぺを起こしてしまうことになるので躊躇われた。それに本を読んでいては、目の前にある命を忘れてしまいそうな気もした。手の届くところにあったドッグフードを一つ食べてみる。生臭く、口の中に小さな犬が入り込んだような錯覚に陥ったが、食えない味ではなかった。匂いにつられたのかペペが起きてしまい、私の指を舐めてヒンヒンと鳴いた。膝から降りて、彼用のトイレに小便をしに行った。少し震えながらこちらを見ているペペには、まだまだ元気でいてもらいたい。幸い室内犬であるから、行方不明になって神戸で発見されるようなことはあるまい。 最後に祖父の日記から印象に残った文章を。 夜は久々に母となるものを交わす。ながら残念、気持ちがあっても母は腰が痛い。私は上から行う(正常位)と、膝頭が痛くなる。皮膚が薄くなったのか骨が細くなったのか。一物の勢いはよく母は喜んでいるが、結局めでたしめでたしと終着駅には辿り着けず、途中下車。最後は一人旅と相成った。やはり身体の老いには抗えないか。気分はムンムンであるのに。ともかく一物ピンピンなのは喜ぶべきことである。 祖父母ともに70歳の頃である。
2005/05/16
コメント(0)
某コミュニティにて「おばあさん(おじいさん)」のお題で書いた文章。収まりきれなかったので二つに分ける。「コーン・ボーン」 友人の家で飼っている室内犬ヨークシャテリアのペペは18歳。人間でいえば90歳近いだろうか。友人の言うところでは、もう耳目があまり効かなく、人が誰だか分からず、それでも食い意地ばかり張り、食べた傍から次の食事を要求するのだという。彼の家で徹夜麻雀をした折も、人の気配を感じるのか、階下から頻りにペペの声が聞こえてきた。「キャ、キュワン?」と、何か問いたげに鳴いた後、強く「アウン」と肯くように続く。家の中に何人人間が居ようと、外に別の飼い犬が居ようとも、呆けた彼の中では彼一匹の世界が拡がっており、全ての役を兼ねた彼だけの舞台で一人足掻きながら何かを演じているようだった。 朝方、私の足にまとわりつき、ヒンヒンと食事をねだるように鳴くペペには、数年前初めて会った時の、知らない人を見て脅え、押し入れに逃げ込んでいた面影はなかった。麻雀はいつものように、私は序盤だけは調子よく、最終的にはマイナスに終わった。 しばらくしてペペの夢を見た。私の家の中で飯を求めて縦横無尽に走り回りながら吠えている。現実での彼よりも喧しい。まだ食べてなかったかな、とペペを抱き上げて腹を撫でると、消化しきれないくらいに詰め込まれた大量のドッグフードの感触が薄い皮膚を通して掌に伝わってきた。ボコボコと気味の悪い感触が覚めた後も手に残った。 父方の祖父も生きていれば今年で90歳。亡くなって今年で3年になる。若くして亡くなり、遺影でしか知らない母方の祖父とは違い、多くの思いを残してくれた。生きている内にではなかったことが悔やまれるが。 本名の紀代美というのが嫌いで、誠人(まこと)と名乗っていた。本が好きで、今でも故祖父母宅には多くの歴史小説と、古代史についての文献と、一連の「赤い」本が残されている。読む者といえば私くらいしか居なさそうなのに、残念ながらあまり趣味は合わず、カビ臭さを増していくばかりだ。 祖母は8年前に亡くなった。祖母が死病に取り憑かれた事実を、既に呆け始めていた祖父は知らされず、永劫の別れを理解出来ないでいるようだった。アマチュア3段の腕前の囲碁も、碁会所で揉めるようになってからは打たなくなっていた。昔は身体が弱く、兵役検査で落とされて戦争には行かず、それでいて反戦を唱え続けた。歳を取り「赤い」交わりを断ってからの祖父には、友人はいたのだろうか。終生を共にした祖母との「いつの間にか」の別れで針を進めた呆けの時計を止めることは誰にも出来ず、祖父宅にはいつも誰かが詰めていた。目を離すと、隣の空き家の玄関に向けて小便をしていた。近所の散歩からはいつも問題なく戻ってきていたのに、ある日いつまでも帰らず、2日後、家のある天王寺から遙かに離れた神戸で保護された。ボロボロになったパジャマの下に擦り傷があり、酷く犬を恐れるようになっていた。以後、祖父のような老人ばかりのいる病院で余生を過ごした。▽ 僕は森の中の樹齢何千年はあろかという大樹の下で、火を焚きながら少年と話していた。少年の顔は炎で半分隠れてよく見えなかったが、少し自分に似ているようにも思えた。僕は伸びた髭を撫でながら、何もかも分かったような面で少年の話を聞いていた。「そこにコーン・ボーンがきた」と、少年が僕の後ろの暗闇を指差した。暗がりのせいではなく、僕にはそこに何者の姿も見えなかった。「コーン・ボーンがいるよ」ともう一度少年は言った。「そんな奴いないよ」と僕は冷たくあしらった。 その時僕は唐突に思い出した。この少年は幼い頃、他人には見えない友達を作り、彼に「コーン」と名付けていた。それに対する時の少年は自分の名前ではなく「ボーン」という人格になり、「今、コーンが『ボーン、早く遊びに行こうよ。もっともっと楽しいところへ』って」などと言い出し、大人たちを困惑させていた。自称ボーンとなった少年は度々姿を消した。大人たちがいくら彼に注意を払っていても、少年を見るための目を落としてしまったように、彼の姿は消え失せ、夜遅く戻って来ては「コーンと遊んでたんだ」と話すだけ。「そんな奴何処にいる?」と大人が問いつめても、「そこにいるじゃない、ばいばい、コーン」と何もない空間を示して少年は手を振った。大人たちはいつの間にか少年を怒鳴りつけることもしなくなり、やがてコーンもボーンも彼の中にはいなくなった。 そんな少年の過去が一瞬で僕の頭の中に蘇ってきた。かつて少年自身であり、友達であった「コーン」と「ボーン」が、今は一人外に居る「コーン・ボーン」として突然森の闇に現れたという。僕は何故か驚く気にもなれなかった。子供時代には誰にも皆そのような友人がおり、大きくなってからも気ままに尋ねてきたりするものなのだと、かつて自分にもあったことのように感じていた。少年は黙り込んでしまい、コーン・ボーンがどうしたとかは言わなくなった。かつて自身が「ボーン」であった少年は、今は自分を取り戻して快活に暮らし、こうして僕と森に遊びに来たりしている。それは良いことだと僕は思った。と、別の考えが僕の頭に閃いた。かつての「ボーン」こそ、少年そのものだったのじゃないか? 幻想の友人「コーン」と手を取り合って森に消え、今では「コーン・ボーン」として融合しているものこそが真実の少年の姿であり、今肉体を持って、炎が作り出す影を浴びている彼は、形のある幻影で、誰でもなくなってしまっているんじゃないか? そう思い、僕は初めて恐怖を感じた。それを感じる僕自身は一体何者であるかについてまでは考えなかった。▽ 生きることを止めた祖父の身体はしばらく温かかった。病院内で転んで頭を打ち、手術をした祖父は半年程の植物状態の後、息を引き取った。そろそろ危ないと言われ、親族が交代で病院に詰めていた。私の番が終わり、家に帰ってからしばらく寝た後に連絡が入った。波打たなくなっていた胸が祖父の死を報せた。口からも鼻からも息が漏れ出ていないのが不思議に思えた。父や叔母が病室を離れ、医師に話を聞いている間、祖父の傍らで待っていた私は、祖父の胸板に触れてみた。まだ生きている時と変わらない温もりがあり、顔も赤みを帯びていた。しばらく待てば起き出しそうに思えた。それでも布団をめくると、白くなり始めた足があった。骨に皮が貼り付いただけの足には、結婚してから壮健になり、日本中を祖母と旅行したという足には見えなかった。 私はあなたについてのほとんどを、あなたが具合悪くなってから知りました。あなたが残した日記から、私たちが正月にあなたの家を訪ねることを、どれほどあなたが楽しみにしていたか知りました。本好きのあなたは、若い頃作家を志していたことも知りました。年老いても盛んなあなたの、祖母との楽しそうな性生活も知ってしまいました。あなたが元気だった頃のあなたと話し合うことはもう出来ません。生前のあなたともっと打ち解け合うことが出来ていたとしても、性格の似たもの同士反発しあって、ろくに話も出来なかったかもしれません。思想的には共鳴出来そうもないですし。それでも今こうして私はあなたについて書くことが出来ます。もっと若い頃のあなたのことを知りたくても、「何度も日記を燃やしてきた」と、現存する日記の冒頭に記されているので読めません。呆けてからはあなたの頭の中にどのような考えがあったかはもう知りようがありません。 遅れて病室にやってきた兄は涙を流していた。幼い頃の祖父との交わりが私よりも多かった兄には、涙を流せる理由があったのだろう。私は間近で見る人の死に呆気にとられていて、悲しむことを忘れていた。
2005/05/16
コメント(0)
久しく小説から遠ざかっていると、次に読むものに多大な意味を求めたくなった。新奇なもの、珍妙なものより、古典的名作と呼ばれるもの。短いものより長いもの。それでいて読むのに苦痛の少ないものを欲した。 しばらく前から続く不眠の影響はここ数日ついに日中にまで浸食してきた。眠り倒れないように、カフェイン入りのタブレットや飲み付けないコーヒーで頭を覚ましても効果は長く続かなかった。入眠まで数時間輾転反側するということはなくなった代わりに、断続的な覚醒が起こるようになった。そのような眠りの度に見る夢はどれも明確な輪郭を持ち、いちいち記憶に残ることが煩わしい。何が不眠の起因となったのか、思い当たるところの一つに、小説を読んでいないことが浮かんだ。読んだ小説に影響を受けて文章を書いていないことが浮かんだ。論理も理屈もへったくれもなく、他に思い当たる節の方が多いのだが、とりあえず一つ一つ因子を潰していこうと思い立った。 漱石の文章は旧仮名遣いで読むのが一番であるが、全集の一つを手に取り読むのは手に重く、気分も億劫になりそうなので止した。古本で幾らでも手に入る本であるが、岩波文庫の新刊を求め、途中で放り出さないよう保険をかけた。新仮名遣いだと気分的には盛り上がらないが内容に変わりはない。新聞に連載されたものであるから、いつでも好きなところで読書を止めやすく、うまい本を選んだと自分を誉めた。作者の死により未完に終わるのが分かっていることが却って気を楽にした。物語の途中で読むのを止める時に、神経は一番昂揚する。一冊読み終えた時、次の小説へと手が伸びやすくなるのではと期待もしている。 76頁。章立てで言うと「二十八」まで読み終えた。津田という、尻に疾患を抱えている男が、自宅と知り合いの家をいったり来たりしてるだけの段階である。時折妙に緊張感のある文章が挟まる。ミステリーの匂いも漂う。漱石の書くものの殆どに顕れる「許されざる恋」の気配もする。女ばかり印象に残る。 何かの伏線かもしれないが、次のような、奇妙な執拗さを持った文章が目に付いた。 吉川の細君はこんな調子で能く津田に調戯(からか)った。機嫌の好い時はなお更であった。津田も折々は向うを調戯い返した。けれども彼の見た細君の態度には、笑談とも真面目とも片の付かない或物が閃く事が度々あった。そんな場合に出合うと、根強い性質に出来上っている彼は、談話の途中でよく拘泥った。そうしてもし事情が許すならば、どこまでも話の根を堀じって、相手の本意を突き留めようとした。遠慮のために其所まで行けない時は、黙って相手の顔色だけを注視した。その時の彼の眼には必然の結果として何時でも軽い疑いの雲がかかった。それが臆病にも見えた。注意深くも見えた。または自衛的に慢ぶる神経の光を放つかの如くにも見えた。最後に、「思慮に充ちた不安」とでも形容して然るべき一種の匂も帯びていた。吉川の細君は津田に会うたんびに、一度か二度きっと彼を其所まで追い込んだ。津田はまたそれと自覚しながら何時の間にか其所へ引き摺り込まれた。 ひとまず措く。岩波文庫読了本メモ小山慶太「道楽科学者列伝 近代西欧科学の原風景」(中公新書)青木良輔「ワニと龍 恐竜になれなかった動物の話」(平凡者新書)永延幹男「南極海 極限の海から」(集英社新書)貝塚茂樹「諸子百家 中国古代の思想家たち」(岩波新書)福永光司「荘子 古代中国の実存主義」(中公新書)
2005/05/08
コメント(0)
アクセスの半分以上が、アフェリエイト狙いの素人商売人の方々で埋められており、うんざりする。 それと関係あるのかどうか分からないけれど、憑き物が落ちたように、本の感想を書き続ける気がなくなる。 そもそも最初は「本との関係」を書く場所であり、「自分が読んだついでに何か軽く記しておいて、多の人が興味を持ってくれたら」くらいの気持ちで始めたのであり、感想を一生懸命書く場所でもなかったなあなどと思う。 感想という文章を書く気もあまり起こらないし。 俳句、読み直し、関係小説、とどれも企画倒れのまま。 でも相変わらず本は読んでるし。 読了本メモ 松永はつ子「トイレのお仕事」 小林充「築地のしきたり」 鎌田慧「ドキュメント 屠場」 富士正晴「中国の隠者」 野田正彰「狂気の起源をもとめて」 小説読んでないからかな、いまいち気分が乗らないのは。 でも特に読みたい! というものが今はないし。 考え中。
2005/04/25
コメント(6)
読了本高橋源一郎「性交と恋愛にまつわるいくつかの物語」辻原登「枯葉の中の青い炎」車谷長吉「反時代的毒虫」酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明」村松暎「中国烈女伝」木村祐一(お笑い芸人じゃない方)「きむら式童話のつくり方」
2005/04/22
コメント(0)
※某コミュニティにて「桜」というお題で書いた文章 花咲く頃男狂い、花散れば正気に復す。狂うている間、妻子は共に男を狂うに任せ、あまり近寄らず、食物だけ与えてやり過ごす。男には狂うていた間の記憶一切なく、よい夫よい父として花咲かぬ頃は過ごす。そのような生活が二十数年続いた。ある年、花散り正気に返った男は、これまで狂うていた時間の記憶を凡て取り戻し、恐怖に駆られ首吊りて死ぬ。古き書に書かれた、花に狂わされた男の話である。花は桜を指す。 男は何を恐れたのか。これまでの己の醜態を思い出して猛烈な後悔に襲われたとしても、余生を死ぬまで反省して過ごせばいいではないか、とは所詮他人事として読む者の考えか。それにしても、何も死ぬことはない。男が恐れたのは、狂態を晒す我が身に注がれる妻子の眼差しを思い出したからではないか。もう一歩進めるなら、男が狂うていた時分には白い眼を向ける者らが、常態に復した途端、暖かい家族の眼に戻る、その事に寒さを覚えた、ということではないか。憐れみや同情の目で見られる事には耐えられる、しかし一度そのような感情を込められた目に、再び家族の情愛が宿り、時を経る。時を経る。時を経る。狂うているのは、我か妻子か・・・。 桜の開花の賑わいに我が身を委ね、痴態狂態を演じる、というのは現代の常識人も毎年繰り返す。私は美しいものを素直に美しいとなかなか言えぬロクデナシなので、彼ら幸福者を冷たい目で眺めるばかりである。彼らが狂うてない時にも同じ眼差しのまま。ぐうたらなだけである。 故人の飼い猫を桜の木の下に埋めた、と、こちらは常時奇矯なことばかりやらかしている友人が言った時は、よく意味が汲み取れなかった。詳しく聞くと、先頃死んだ某が可愛がっていた、ぶくぶく太った白猫の事。ある時故人の実家へ線香をあげにいくと、軒先でその猫が死んでいた。まだまだ肉は腹に付いており、飢え死にするような体でもなかったが、故人以外の誰からも食事を受け取らぬまま、始終動かなくなり、いつのまにか心臓が止まっていたという。「あれは、生きる事をさぼり過ぎたんだ」 という友人の言葉は、猫に対してか、不摂生がたたって若くして死んだ故人に向けてのものか、判別がつかなかった。故人以外に懐こうとしなかった猫の始末を家の者は厭い、友人にそれを託した。桜の木の下には死体が埋まっている、という古人の小説の一節を思い出した彼は、その家の目と鼻の先に生えていた桜の木の下へ猫を埋めた。その木を見に行かないか、と私を誘いに来たのである。「白くて大きくて髭のある花が咲いてそうじゃないか」 と彼は嬉しそうに言う。私は気味が悪くて断った。 狂えるかな。狂えんな。寂しくもある。これは私の慨嘆である。花に狂う心も持たずこれまで生きてきた。利口者ぶってきた。その実は、誰よりも花を恐れる臆病者である。花に狂えば、すぐさまそれを軽蔑する目を己に向けねばならぬ、狂いから醒めた後、凡て思い出して我が身を掻き毟らねばならぬ。そんなことは恐れることではない。誰もがやっていることなのだ。それでいちいち首を括っていてはこの世に人ははびこらぬ。そこを割り切れないのがロクデナシである。古人の書に記された花狂いの男は、きっと創作であろう。物語に始末をつける一番手っ取り早い方法は、主人公の死である。「あの桜の木の下に、猫が集まっている。他の木と変わらぬただの桜が咲いているだけなのに、そこらの猫が悲しげな声で鳴き騒いでいる」 根元に猫を埋めた桜を確かめに行った友人が携帯電話で状況を知らせてきた。言葉の継ぎ目継ぎ目に人間にめいた声色の猫の声が届く。猫が鳴いている間、友人は何も喋らない。凡て彼の声である。数種類の猫の鳴き真似を一生懸命こなしているのだ。 煙草の葉をばらまいてやれば猫は散るよ、と教えてやるが、彼は鳴き真似に忙しく返事を返さない。 やっぱり俺も見に行けば良かったよ、と最後に言い捨て、電話を切った。彼も私も、嘘が下手である。
2005/04/12
コメント(0)
ブログ熱も冷めてきて、熱心に更新する気にもなれないが、本は一応読んでいる。 内容をあまり覚えていない。『ある平凡』『児玉まで』の印象が違うから、初出を見るとやはり昭和50年代の作。『飆風』の基になった『変』という短篇で、 夜になった。私は二階で白紙を鋏で切り抜いて、九枚の人形を作った。その人形にそれぞれ、日野啓三、河野多恵子、黒井千次、三浦哲朗、大江健三郎、丸谷才一、大庭みな子、古井由吉、田久保英夫、と九人の銓衡委員の名前を書いた。書き了えると、嫁はんが寝静まるのを待った。 私は金槌と五寸釘と人形を持って、深夜の道を歩いていた。旧駒込村の鎮守の森・天祖神社へ丑の刻参りに行くのである。私は私の執念で九人の銓衡委員を呪い殺してやる積もりだった。人を呪わば穴二つと言うが、併したとえ自分が呪い殺されることになろうとも、どうあってもそうしないではいられない呪詛が、ふつふつと滾っていた。水のないプールの底の私の屍体が、それを狂的に渇望した。『変』より とあり、思ってても書かないことをよくもあっさり、と半ば呆れる。対談集「反時代的毒虫」の中では、仇の一人河野多恵子とも対談しているが、相手の心中はいかばかりであったか。呪われたくらいで死んでいては文人としてやっていけなさそうではある。文藝春秋社 1999年
2005/04/11
コメント(0)
今年2月に出た最新作品集。私小説を書いたことにより身体を壊したこと、強迫神経症になったこと、モデルにした人物と確執が出来たことなどが赤裸々に綴られている。「私小説廃止宣言」などと言って、私小説を書くことをやめたくなるのも頷ける。が、酷なことを言うようだが、『赤目四十八瀧心中未遂』以外、私小説の体裁をとらずに書かれた話は、あまり良いものはないから、これからも私小説を書き続けて欲しい。読者は残酷である。 一週間の全身検査の結果、私の心臓の差し込みは、心臓の臓器そのものに障害のある内因性の痛みではなく、さまざまな内力(ストレス)による心因性のものだという診断が下された。医者の話では、あなたは文章を書く人です、しかもあなたの小説を読んで見たら、読む人が読むだけで自分が人間であることが厭になるような内容です。そんなものをあなたは書いているのだから、心臓に差し込みが来る内力が溜まるのは当然でしょう、あなたが身を削ってお書きになっているのはよく分かりますが、我われでも医学論文を書く時は、それだけで胃が痛くなったりしますよ、書くことをお止めになるのが一番いいと思いますがね、と言うことだった。『飆風』より 文芸誌の予告に自分の名前が出ることを目指して躍起になったり、芥川賞を取り逃すと受賞者の作品をボロクソに言ったり、嫁(詩人の高橋順子)まで、本になる前から「『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を取ります」と言っていたり(どこまで本当かはわからないが)、ということを書いているのに、講演を文章に起こした『私の小説論』の中では、名誉など死ねばすぐ忘れられてしまいます。いまから五十年以上前に、堤千代とか田岡典夫とかいう人が直木賞をもらいましたが、いまでは完全に忘れられた人です。芥川賞の方も、これをもらっても、すでに生きている間に忘れられて行く人は多いですね。私も三島由紀夫賞とか直木賞とか、数々の栄誉を得ましたが、こんなものは、死後五十年も経てば、忘れられてしまいます。『私の小説論』よりなんてことをちゃっかり言ったりしている。 書くことに関してのこの人の文章は、危うい。死と隣り合わせである。何もそこまで根詰めなくてもやっていけるんじゃないか、と思う。書くことに妥協しては文士ではなくなるのだろう、彼の中では。なるべく死なないで欲しい。だけど私小説を書いて欲しい。 小説を書くことも、人の陰口、悪口を容赦なく言うところからはじまります。悪口を言い合っている時ほど、話が盛り上がる時はありません。だんだんに言葉は大袈裟になり、嘘が混じって来る。その「嘘」こそが、創作のはじまりです。併し他人の悪口だけでは、文学は成立しません。自分の陰口をも容赦なく表沙汰にしなければならない時が来る。その時、どうするか。大抵の人はそこで小説を書くことを、小利口に、あきらめてしまいます。悧巧者には小説は書けません。阿呆になれないと、小説は書けません。悧巧者とは頭はいいけれども、頭の弱い人です。頭が強い人じゃないと、小説は書けません。 小説は、小説を書くことによって、まず一番に作者みずからが傷つかなければなりません。血を流さなければなりません。世の中には、まず一番に自分を安全地帯に隔離しておいて、小説を書こうとする手合いがいますが、そういう人にはよい小説は書けません。まず一番に自分を安全地帯に隔離しておいて、他人の醜聞を覗き込みたいというのは、週刊誌の読者ですが、そういう読者と同じ精神では、すぐれた書き手にはなれません。自分は血を流したくはないけれど、併し名声だけは欲しいという人がいます。最低の人です。 私は自分の骨身に沁みたことを、自分の骨身に沁みた言葉だけで、書いて来ました。いつ命を失ってもよい、そういう精神で小説を書いて来ました。生きるか死ぬか、自分の命と小説とを引き換えにする覚悟で書いて来ました。人間としてこの世に生れて来ることは罪であり、従って罰としてしなければならないことがたくさんあります。小説を書くことも、結婚をすることもその罰の一つです。『私の小説論』より 高橋順子の詩を挟みながら、迷妄の境を書き、編集者への呪詛を吐き、読む者を苦しめることを躊躇わない表題作がやはり一番良い。講談社 2005年
2005/03/31
コメント(2)
※某コミュニティにて「国」というお題で書いた文章。 日本にやってきた当初、どの果実も魚も砂のような味にしか感じられず、この国は食べ物も印刷しているのか、と本気で思ったものだ。故郷とは違う味がしようとも、それらは果実であり魚であることにその後納得し、悲しいことに、あまり時間もかからずその事実に馴れてしまった。僕の故郷キリエリでは、いつでもとれたてのものを食べることが出来たので、人の手の匂いやガスの臭気がそれらに纏わりつく暇はなかった。 南洋諸島の小さな島国国家群の一つであるキリエリは、手元にある「今がわかる 時代がわかる 世界地図 2004年版(成美堂出版)」ではソロモン諸島とツバルという国の間に紹介されている。国の面積480平方キロメートル、人口58000人、現在の大統領はトゥエンク・ハバタ3世。キリエリ語という古語もあるが、公用語は現在英語。戦後まもない頃は、元宗主国の影響を受けてオランダ語が学校で教えられていたが、やがて英語に変わった。言語教育変遷期に学んだ者らは、二つの言語が混ざり合ったダッチ・イングリッシュと呼ばれる奇妙な言葉を使う。同世代間にしか通用しないが、何故かこれを使える者たちは人々の尊敬を集めている。発行される切手に使われる文字は、デザインの関係でこのダッチ・イングリッシュが用いられることが多い。ちなみに自国の地図では、キリエリ島は実際の大きさより若干大きめに描かれ、周囲の島を圧している。その辺りの国は皆そのようにして少しだけ自国を引き立てる。大戦後、列強諸国の植民地であった地域が次々と独立し始めるのに引きずられるようにして、キリエリも一国家となったが、国としての機能を果たすことは小さな島一つでは難しく、複数の国家がそれぞれに役割を分担させ、キリエリは印刷部門を任された。その後数十年経ち、どの国もきちんと独立国家としての態を成すようになった今も、昔からの習慣は廃れず、印刷技術を駆使して擦られる、世界一美しいと称される記念切手発行がキリエリの主な外貨獲得手段である。少なくとも表向きはそうとされている。金に糸目をつけない好事家が世界中に散らばるジャンルだからといって、それだけで国家が成り立つとも思えないから、各国の偽札作りなども裏で行っているかもしれない。印刷技術だけは優れているキリエリの国旗は、虹の7色、すなわち紫・藍・青・緑・黄・橙・赤が左から順に並べられ、色の微妙に変化する具合と、独立時に発行された7種の記念切手を組み合わせた見事なものであるが、キリエリ以外の国では印刷が不可能なため、他国の地図ではただの7本の線として略して表記される。日本で出版されている、唯一のキリエリ関連の本として、若宮健次著「キリエリ――滅び行く小国(中公新書 1999年)」があるので少し引用する。 ・・・・・・とこれまで述べてきたように、印刷立国としてのキリエリの未来はもはや明るいものではない。どれほどキリエリ独自の印刷技術が優れているとはいえ、電子書籍時代の到来はもうすぐであり、電子メールの普及により、手紙も書かれなくなり、切手の存在価値も薄れてきた。キリエリがどれほど声高に自国の技術の優秀さを叫んだところで、世界は耳を傾けてくれないという事態が訪れることは必定であろう。現に、あれほど働くことを知らなかったキリエリの男たちでさえ、近頃は周辺諸国に出稼ぎに行き始めている。これは、まだ余裕のある国の財政と安定した生活に国民が充足して、危機感を持てない現状を憂慮して、やがてくる貧困の時に備え、大統領が強引に義務づけている政策の一環である。国民の反発は強いが、この経験がやがて生きる時が必ずやってくるであろう。 まだそれほど電子書籍の時代にはなってないが、それはともかく。この本が書かれた時と今の大統領は別の人。また昔に戻っているのかもしれない。 とまあ、そんなことは僕が日本に来てから調べたことで、住んでいた当時は、いつでも食うものには困らず(海で獲るか木に成っている果実をもげばよかったから)、大人の男たちはみんな太っていて一日の半分は酔っぱらっていて、しょっちゅう殴り合いの喧嘩はあるけれどあまり人殺しは起きない、永遠に同じ日々が続くことを疑いようのないところだった。罪人を出した家は、表札代わりに家の入口に貼ってある大きな切手に骨が一本描き足される。どのような罪状であろうと5年経つまで骨を消すことは出来ない。入口の切手が骨で埋まってる家には近付かないようにといつも注意されていたが、そんな家を見たことはなかった。 僕の父は日本人で、印刷技術者として招かれたキリエリに惚れ込み、そのまま二度と日本に帰ることなくキリエリで妻を得、僕が生まれた。キリエリで労働に従事するのはほとんど女性で、特に手先の細かさを要求される印刷関係の仕事には、父のような例外を除けば女性しか就くことが出来ない社会である。世界一の印刷技術は命を削って生み出されるとでもいうのか、キリエリの女性は皆短命であり、僕の母も、僕が10歳でキリエリを離れるまで3人変わった。どの母も始めは豊満な身体と明るい笑顔を持っていたが、父と長く関わると皆痩せ衰え、暗い表情しか見せないようになり、風船がしぼむように亡くなっていった。だけど萎んでいく頃の母たちが一番美しかった。命を賭してまで父に惹かれる理由でもあったのか、それは父が死んで、印刷技術に関することもキリエリの女性についても、近くで見ることが出来ない今となってはわからない。 印刷所での事故、としか知らされなかった死因で父が亡くなった後、日本から祖父母が僕を迎えに来た。父と、母たちとを亡くし続けた悲しさと、世界の印刷物が集められるキリエリで読みふけっていた日本のコミックに惹かれていたことと、新しい世界への好奇心に導かれて、僕は日本へ渡った。それまで僕は紛れもなくキリエリ人だと思っていたのに、見送りに来てくれたキリエリの友人たち、お世話になった大人たち、大好きだった少女たちの、肌の浅黒さと、二度と帰ってこないかもしれない僕を見る眼に悲しみの欠片も浮かんでこないのを見て、僕はキリエリでは余所者だったのだと気付かされた。生まれた時から、キリエリの海で獲れる魚を食べ、キリエリの地に生える木の果実を啜って生きてきたのに、僕は初めからキリエリに迷いこんでいた異物でしかなかったのだ。別れの言葉らしきものを、皆僕には理解出来ないダッチ・イングリッシュで述べて手を振った。僕は笑顔で答えるしかなかった。僕の知らない暗闇がキリエリの底には横たわっているようだった。 浅黒い肌を持たない祖父母は僕を優しく迎え入れてくれたし、顔は日本人の僕は、コミックで覚えた日本語を駆使して日本の学校にも溶け込めたけれど(時々「ぐわあ!」とか「やるな?」という言葉は普通使わないから、と注意を受けはした)、時折キリエリが無性に懐かしくなって、海の見えるところに出るといつも、ここから飛び込んでキリエリまで泳いでいこうか、と思った。残念ながら、日本に来てからいろいろ学んでしまったせいで、それが馬鹿げたことだと既に知ってしまっていた。 もっと文章力がついたら、僕はキリエリについて本を書こうと決めている。日本にも、世界にも、もっとキリエリのことを知ってもらおう、幼い頃にはよくわかっていなかった故郷のことを、嫌というほど調べ尽くして、いいところも嫌なところも全て知ってやろうと、そう思っている。だから、何か文章を書きたくてたまらない時に見つけたこのコミュニティで、お題が「国」というのも、運命のように感じた。中学卒業以来、誰にも僕の故郷のことを話したことはない。「そんな国知らない」はともかく、「そんな国ないだろ」と言われるのが怖かったから。 今でも海を見ると衝動的に飛び込んでキリエリに帰りたくなるというのに、初恋の少女の顔は思い出せなくなっている。母たちの顔も薄れてきている。おぼろげながらも覚えているうちに、彼女らのことについてちゃんと書くべきだろうか。それとも、完全に忘れてしまった頃に、思い出を取り戻す為に書き始めるべきなのだろうか。眩い太陽の下で半裸でキリエリの海岸に寝そべる夢は、近頃悪夢に変わってきた。こうして少しでもキリエリのことを書いたことで、夢に出てくるキリエリの人たちが僕に少しでも微笑み始めてくれることを、切に願う。
2005/03/28
コメント(0)
江戸末期の勘定奉行、川路聖謨の残した、猥談満載の手紙を軸に、江戸時代の性文化を紹介した本。何を理由に手にとったかよく覚えてない。参考文献が非常に多い。引用された文章が、真面目におかしなことを書いてあったりして面白い。とは言ってもそこそこ真面目な本。著者は江戸時代の史家研究者。 全て孫引きになるが、幾つかの文章の引用だけで済ます。明治・大正時代に、財布の中に春画を入れておくと金が殖るとかの俗信が花柳界にはあったというし、筆者らが参加した日中戦争にも、敵弾に当らぬ呪(まじない)として、春画やエロ写真を懐中していた兵隊も居たことは確かである。花咲一男『川柳春画志』より大阪では火災があると、その近傍の者は自家の屋上に登り、女の古い腰巻きを棒の先にくくりつけて振り回す風習がある。これは火は不浄物を嫌うものであるから、女の汚血が染みている古い腰巻きで類焼を免れるものと信ずるによるのである。宮武外骨『迷信研究雑誌』より河豚の毒にあたった三人の男のうち、一人は「糞汁」を飲んで助かったが、あとの二人は「仮令(たとい)死すとも不潔の物食ふべからず」とこれを拒んで死んでしまった。さて、糞汁のお蔭で一命をとりとめた男はその後どうなったかというと、里人から「糞喰」と罵られ交際を絶たれたのに耐えきれず、ついに領外に出奔したということだ。『甲子夜話』よりやくざが、「アンコ(男色で掘られる側)」を飼うのは、ひとつには渡世に戻ったとき、一番信頼出来る「籠手下(こてした)」(突撃隊員)で使えるからである。「アンコ」役を体験した受刑者は、出所してからなんとか<男>に戻ろうと必死の努力をする。しかし大部分は男女関係では性的不能者となる例が多く、残る復権の道は<男を上げて>蔭で嘲ってる連中を見返してやることしかない。 それで彼等は、「タマをトレ(殺せ)」と命令を下されると、なんのためらいもなく一直線に突っ走って間違いなく獲物を倒す。笠原和夫『破滅の美学』より といったような、役立つ知識ばかり詰まった本である。講談社現代新書 1998年
2005/03/27
コメント(0)
もはや車谷長吉の何の作品を読んでいるかわからなくなってくる。大きく「車谷長吉」という物語を読んでいる気にもなる。しかし本書にはいわゆる「私小説」から離れた作品もあって(『三笠山』『飾磨』『忌中』)、そのどれにも異和感を感じる。もっと「私」を入り込ませてくれたらいいのに、虚実ない交ぜだからいいのに、虚虚虚虚では今更うまく入り込めない。 古井由吉の『私小説』という文章の中にこういうものがある。 嘘だ嘘だとつぶやきながら読者も佳境に入るのが、私小説の妙味だと思われる。実際に人から私事をあんなふうに微に入り、虚実の間を縫って聞かされたら、たまったものではないはずなのに、これが抑制のきいた淡泊なような文章で書かれると、読んでいてしきりとおもしろいから不思議である。私小説と言えばすぐに実の話と取るムキもあるが、私小説こそ虚構の最たるものである。虚構の度を切りつめたその分だけ、虚構の質は精妙になる。しかも実から虚のほうへわずかに振れたところで、かえって実があらわれたような、得心の感じを読み手に与えるものなのだ。 さまざまな証言の真偽を判定することを職とする人が、もしも文学好きであって、かりによくできた私小説を読んだら、どんな感想を抱くことか。あるいはカフカなどという人に、わが国のすぐれた私小説を読ませていたなら、その虚実の妙を踏まえて、また一段と幻想的な作品をものしていたかもしれない、とそんな荒唐無稽な想像へもさそいこまれる。 これに、本書所収『神の花嫁』の文章を加えてみる。「いや、私がこれから書く小説の核のようなものですかね。それをお化けの形をした石と言うたんです。」「むつかしくて、よく分からないわ。」「うん・・・・・・。たとえばですね、昔、幻燈というのがはやりましたね。ご存知ですか。」「ええ。」「それで幻燈に一枚目のスライドを差し込むと、一輪差しの壺に水仙の花を活けた姿が現れる。ところが二枚目のスライドを重ねて入れると、水仙の花がいまにも獲物に襲い掛かろうとしている蟷螂の絵に変る。こういうことってありますよね。それでですね、一枚目のスライドを抜くと、何の絵か分からない、抽象的な形の黒い影が現れる。二枚目のスライドというのは、それ自体では具体的な形をなしていない。一枚目のスライドを補完する形で、つまり二枚重ねになって、いまにも獲物に襲い掛かろうとしている蟷螂の姿になる。これを小説を書くことに譬えれば、一枚目のスライドが小説の素材、それにある変形を加えるものとして、二枚目のスライドがある。けれども、その二枚目のスライドだけでは、何の具体的な形もなしていない。小説家というのは、常にその二枚目のスライドを捜しているんですよ。小説の材料というのは、その辺に無数にころがっていますが、その材料にこの二枚目のスライドを差し込むのが、小説を書くという作業です。」 これで「私小説」に対する姿勢をようやく整えることが出来た。今までは色々フラフラしていた。それはそれで構わないのだが。一人の作家に集中して向かうと、やはり何かしら得るものがある。見えてくるものがある。漱石を集中して読みたい気持ちがどんどん沸き上がって来る。 文藝春秋社 2003年
2005/03/26
コメント(0)
表題作は元横綱の名前を付けられた兜虫の話、第27回川端康成文学賞受賞作。他5編。「『書くことは、私には悲しみであり、恐れである』という著者の、業曝しの精神史としての私小説」と文庫の裏にある。私小説、私小説言うてからに、その中の虚点をそろそろ見極められるようになってきたぞ、と嫌みたらしく思ってみる。むしょうに漱石を読みたい。けれど車谷長吉も大体読み終えておきたい。足を早める。 初夏に生まれ秋に死ぬ兜虫との、数ヶ月の共同生活を描いた表題作もまあまあだけれど、少年時代のことを冷徹な眼で描いた『白痴群』の方がずっと良い。単行本出版当時はこちらが本の題名であった。これが書かれた当時は、まだくだらぬ言葉狩りなど流行ってなかったか、と初出を見てみると(改題の理由はそれよりも、『武蔵丸』が川端康成文学賞を獲ったことが大きいだろうけれど)、『白痴群』だけ昭和50年の作、あとは平成11~12年の作、と20年以上の開きがある。『白痴群』のような秀作を書いておきながら作者は放浪生活を送っていたのである。東京時代の知り合いがわざわざ探し出そうとするのも頷ける(もっとも、それは『赤目四十八瀧心中未遂』の中で書かれたことであり、虚実どちらかは判断つかない)。 それでも少し小粒か。新潮文庫 2004年
2005/03/25
コメント(0)
一章あたり2~4編ずつ小説を取り上げ、それに纏わる諸々の話を書いている。どのようなことを書いてあるか、より、目次を抜き出してみた方が、作者がどのような本と関わってきたかが分かりやすい。どれも褒めちぎっているわけではないけれど。三つの小説 明暗/流れる/楢山節考青春小説 三四郎/青年伝奇小説 遠い声/象徴の設計/火の虚舟大衆小説の読者 小説 日本婦道記/断碑/坂の上の雲二つの「金閣寺」 金閣寺/金閣炎上愛の小説 愛の渇き/雨やどり/夏の栞短編小説の魅力 伯父の墓地/青梅雨/人生の一日世捨人の文学 雨瀟瀟/暢気眼鏡/男嫌い意地の文学 業苦/異端者の悲しみ/阿部一族恐怖小説 剃刀/片腕/出口伝奇小説 山月記/魚服記/犬狼都市文学における悪 沼津/怪物/渦巻ける烏の群夢の小説 件/夢の中での日常/追跡の魔新鮮な驚き 蝶/川/さまよい歩く二人文士の魂 突貫紀行/保田與重郎ノート/白い屋形船/兄の左手 各作品のタイトルを細かく記したのは、いずれ私が読む時の参考にする為である。作者を付記しなかったのは、面倒だったからである。紹介されたうち12編読んでいる。 併し上林暁は死ぬまで口述筆記を続けた。<<私のみでなく、精神病になり、三十八歳の若さで死んだ兄嫁も、幼くして母親から引きはなされ、淋しい幼時を過ごさねばならなかった子供たちも、また、兄の文学の受難者であると言えよう。 さらには、孫の面倒まで見、兄の病気で最後まで苦労しつづけて死んだ母も、そう言えるのではあるまいか。「七度生れかわったとしても、文学をやりたい」と兄は言った。 私には、もう二度とお付き合いをする気力はない。>> これが文士の魂である。 病に臥せ、妹に口述筆記をさせて小説を紡いだ上林暁の、妹の手記を引いての言葉、この本の末尾の文章である。これに尽きる、ということになる。いや、それまでにも、家族に、編集に、読者に、周囲全てに迷惑をかけて生きる不器用な文士たちの生を書いている。そのもっとも顕著なのが作者自身のことである。 幸い私には、そのような文士に対する憧れはない。新潮社 2001年
2005/03/24
コメント(0)
戦後のドタバタの中、有志の手により設立された浮浪者収容所はやがてヤクザ組織に乗っ取られた。そこに一人の医学生=著者が死に場所を求めてやって来て、医務室に勤め始める。その頃の、僅か数ヶ月間ではあるが非常に内容の濃い時間を記した一冊。新鮮で、資料的にも面白く、思想的偏重もない。もっとこの時代のことを知りたいと思った。知らないことが多すぎる。 誰もが生きていくことに必死だった時代。著者が、学生連盟という、引揚者の手伝いをする組織に入ったのも、その日食べる飯を確保する為、ヤクザが浮浪者収容所の実験を握ったのも国からの補助金を掠め獲る為。著者は、自分が睡魔に勝てなかったせいで患者を見殺しにしてしまったことを書く。対立するヤクザの抗争が近くであるから、中立であるうちは医療の場を提供したい、怪我人が来たら治療してやってくれと所長に頼まれたことを書く(幸い、抗争は中止となった)。手伝いにやってきた、やがて妻となる女学生との出会いまで書くので、好感が持てる。 焼跡闇市時代、あまり専門的ではない医学的なこと、あとは動物のこと、小説以外で読んでいて楽しいのはそれらが書かれたもの。今頃になって自分の好みに気が付き始めた。中公新書 1982年
2005/03/22
コメント(0)
車谷長吉第一作品集。この一冊で著者は藝術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞受賞。出版されたのは1992年だが、収録作品のうち一番古いのは昭和47年のもの。昭和? と驚いた。小説家の経歴にはあまり興味がないので、著者略歴もろくに見てこなかったが、よく見ると昭和20年生まれとある。今年で60歳。40代くらいと思い込んでいた。 都会風暗めの恋愛小説『萬蔵の場合』が浮いて見える。やはり真骨頂は、自身を、家族を、冷徹な目で捉えた『吃りの父が歌った軍歌』『鹽壺の匙』。これらを書いたことにより『抜髪』での母の呪詛が生まれた。他人を傷つけ自分を傷つけ書き続ける私小説に、ついていけない時もある。それでも、私には足りない何かを掴み取る為、読んでいる。「僕も言葉が欲しいわ」 私は思わず弟の顔を見た。弟の目には光がなく、何か隠したように私を見ていた。「分ったんや」「何が」「このあいだ来たあいつ、ガザニガ、あいつが日本語喋るん聞いとって分ったんや、自分がなんでアメリカ行ったんか、言葉が欲しかったんや、英語で自分のこと何でも喋れたらええやろ思て」「そうか」 と私は意味のないような相槌を打ったが、言葉が欲しい、というのは、淋しい言葉だった。それで、と問い掛けたかったが、この弟の言葉は昨日や今日のことではなく、余程根の深い傷を負ってのことの相違なかった。とすれば、私が土方の手紙に何か心を引き立てて呉れるものを期待した以上に、弟は私に慰めの言葉を期待してこんなことを口にしたに相違なかった。恋ノ浜へ行った夜、弟の体から伝わって来た無言の言葉が、再び私に伝わって来た。私は困惑せざるを得なかった。言葉というのは自分の中に生み出す他にないものだ。『吃りの父が歌った軍歌』より 言葉というのは自分の中に生み出すしかない、しかし生み出した言葉が全て自分の言葉らしく思えるとは限らない。人の影響から抜け出せば立派な自分の言葉になるというわけでもない。限らない、わけでもない、分からない、を繰り返しながらも、書き続けなければ答えには近付かない。似非求道。語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。「虚。」が「実。」を犯すのである。だが、人間には本来存在の根拠などありはしない。語ることは、実はそれがないことを語ってしまうことだ。だから語ることは恐れられ、忌まれて来た。『鹽壺の匙』より『赤目四十八瀧心中未遂』で印象に残ってる場面がある。「私」の雇い主である、元パンパンで焼き肉屋の女主人が、古い歌を「私」に唄い聞かせる。いつもは言葉をほとんど交わさない二人であるが、次に会った時「私」は、こないだの歌、良かったですよ、というようなことを言う。「良かったのなら、なんで黙っとかへんのや、言うてもうたら、それでしまいやないの」と老女は怒る。老女の怒る理由は分かるようでいて分からない。答えの一つは上記の文章であるかもしれない。 詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説をひさぐことは、いわば女が春をひさぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘わらず書き続けて来たのは、書くことが渡しにはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。『あとがき』より 二十数年かけて一冊の本。狂気なしでは耐えられない世界である。新潮社 1992年
2005/03/21
コメント(4)
十一「声」 呼びかけてもこちらを見もしない者がある。よく見ると友人によく似た石像であった。別の日、また呼びかけを無視された。よく見ると恋人によく似た石像であった。また別の日、自分そっくりの石像を見かけた。これには声をかけなかった。 十二「重」「頭が重い」と男は言うと、そのまま地面に寝転がった。目の横を猫が通った。猫の足が蹴る砂利が見えた。男は「にゃあ」と一声鳴くと、そのままどこぞへ逐電した。 十三「足」 足の速い女がどこまでも駆けていた。止めようとする男は皆蹴り飛ばされた。穴に落ちても沼に沈んでも女は駆け続け、いつのまにか地上に戻っていた。男たちは女が駆け飽きるのを待っていた。海に辿り着くと女は駆けることをやめて煙草に火をつけた。海が少し沸いた。 十四「小」 小さな村の小さな家の小さな部屋の小さな箪笥の中に小さな人はあまりいない。 十五「死」 いつも陽気で村の人気者だった女が死んだ時、皆悲しんだ。乱暴者で人に迷惑ばかりかける男が死んだ時、村の者は喜んだ。それを見ていたある子供が、自分が死んだ時皆には笑って欲しいと思い、思いつく限りの悪事を働いた。その子供が死んだ時、村には誰一人生きている者は残っていなかった。
2005/03/20
コメント(0)
六「歪」 少し空が歪んでいたので、真っ直ぐ歩けなかった。周りの者も皆まともに歩けなくて難儀していた。地面は馬鹿馬鹿しいくらい真っ平らであるのに、少し空が歪んだくらいでまともに歩けなくなるなんて、と皆怒っていた。鳥たちは平生と変わらず空を飛んでいた。雲は動きを止めていつまでも砕けなかった。 七「朝」 夜中に火を焚くと朝が急ぎ足でやってくる。 八「名」 自分の名前を嫌う男が、ついに誰にも名前を名乗らなくなった。誰もが彼の名を忘れてしまい、彼は次第に忘れ去られた。彼は変わらず村に居て、野良仕事をして、ものを喰って生きているのに、誰も彼をうまく見ることが出来ず、時折ぶつかっては難儀した。そんな時は「ああ、あいつが今おったんやな」と思い出されたが、名前を消した男はすぐに忘れられてしまうのだった。 九「火」 考え事が始まると何日でも固まって動かなくなる男がいた。煙草に火をつけようと燐寸を擦った時、いつもの癖が出た。数日後まっさらな煙草と人型の灰が残った。それを見つけた男の父親は、「煙草が倅を吸いおった」と煙草を憎み、息子を取り返そうとして死ぬまで煙草を吸い続けた。 十「二」 仲良しの双子がおった。仲良しの双子がおった。ある時蛇を回して遊んでおった。蛇を回して遊んでおった。ある時は海で水母を虐めて遊んでおった。水母を虐めて遊んでおった。村では忌み嫌われておった。忌み嫌われておった。ある時片方が死んだ。片方が死んだ。双子はおらんようなった。おらんようなった。
2005/03/19
コメント(0)
一「女」 前を歩く女の髪が濡れていた。おや? と思うと雨が降って来た。こちらの髪も濡れ、ああ、と納得した。雨が止んでも女は変わらず前を歩いていた。相変わらず女の髪は濡れていた。 二「婆」 婆が川に洗濯に行った頃、婆の家に住んでいる河童はまだ寝ていた。昼頃起き出した河童は、一つ婆をからかってやろうと、川の上流に飛び込んで婆のところまで流れていった。婆は河童の相手などせず黙々と洗濯を続けた。仕方なく下流まで流れていった河童が婆の家に帰る頃には、もう夜になっていた。 三「骨」 あるところに生まれつき骨のない男がおった。本を読んだり音楽を聴いたりしてぐにゃぐにゃと過ごしておった。男の母親は、穀潰し、馬鹿息子、水母野郎、といつも息子を罵った。ある時偉い坊さんが男の家にやってきて、男に骨を与えてくれた。男は、これで本を読みやすくなった、音を感じやすくなったと喜んで、前より一層ぐにゃぐにゃした生活を送った。男の母親は馬鹿息子、糞坊主、穀潰し、糞坊主、といつまでも罵っておった。 四「狐」 名僧の誉れ高い、ある山寺の住職は実は狐であった。人間の住職を騙そうと近付くうちに、住職の人柄に惚れ、真似事をしているうちに住職が倒れ、代わりをするうちに本当に住職になってしまった。実は先代は狸で、その前は猪、その前は栗が化けたものであったが、皆名僧であった。 五「爺」 爺が草鞋を編んでいると、戸を叩くものがある。「入れ」と声を掛けるとそれっきり音は消えた。翌日もまた同じように戸を叩くものがある。「入るな」と声を掛けるとそれっきり音は消えた。また次の日にも同じように戸を叩くものがある。爺が何も言わずにいるとそれっきり音は消えた。明くる日、爺は戸の傍で待ち構え、戸を叩く音がすると同時に戸を開けた。それっきり爺は消えた。
2005/03/18
コメント(0)
読んでいるようであまり読んでなかった金子光晴、途中で挫折した吉田一穂、爽やかな作風と名前に親近感の湧く村野四郎 手つかずの草野心平。解説で堀田善衛も書いているが、よくもこんなにバラバラな作風の四人を一冊に纏めたものだと思う。本文下段、一詩ごとに伊藤信吉が鑑賞文を書いている(ほとんど読まなかった)が、さぞ頭の痛くなる仕事だっただろう。金子光晴『塀』よりながい塀にそふて、月夜のはてがある。ながい塀のむかうにあるものは、もはや、風景ではない。 それは、このよの裂罅(さけめ)である。 金子光晴については今更特に書くこともない。一時私の中で詩人といえば、田村隆一・金子光晴・宗左近であった。今も彼らの詩は好きではあるが、適度に心離れている。 以下三編村野四郎。 変な界隈 このへんの塵埃箱はさかなの骨とか腸詰の尻とかどれも死でいっぱいだがある日浮浪者がなに気なく 一つの箱の蓋をあけるとそれには底がなくて 井戸のように深くそのまま ずうっと世界の向うがわへ抜けていたたれかが隠しておいた抜道にちがいないだが そこから覗くと地球には核がなくからんとして 冥府(あのよ)もなかった彼は舌うちをしたそして ぱたんと蓋をしめたすると忽ち一切合財がもう まわりの死と見分けがつかなかった 橋都会の夜は何千の傷口から血を噴いているそれが 運河にながれこんでどろんとたまっている橋は そこにかかっているそれは未来に向うのでも過去からきたのでもなくただ むこう岸から こちら岸へかかっているだけである死んだ流れをこえて二つの夜を つないでいるだけである夜ふけになると その上へ年とった男と若い女がきてたがいに 自信なさそうに抱きあったりしている モナリザつまらぬ表情はやめてくださいそのような精神の痙攣は無意味ですどうぞ其処を退いてくださいあなたが居るので風景が見えないあなたはいつも遮るのですあなたの背景と ぼくらの前景とをあなたは まったくぼくらの眼帯そのかげでぼくらの眼は充血しているあなたが拡げる 漠然とした秘密の豊饒のうしろには永遠など在りはしないぼくらが知りたくおもうのはいたましい変化の実相あなたが背後にかくしている荒涼たる断崖と 新しい骨だ大きな表情のかげでぼくらの表情は見えないだろうがあなたのおかげで ぼくたちにはぼくらの風景が見えないのに 他にも幾つか、かなり良いものがあった。こう抜き出してみると全然爽やかではないが・・・。詩のアンソロジーの編集委員などでよく見かける名前だから、詩人としての彼をあまり知らなかった。少し嬉しい。 草野心平も、どこかで読んだことはあるのだろうが、確たる出会いをしてこなかった詩人の一人。 秋の夜の会話さむいねああ さむいね虫がないてるねもうすぐ土の中だね土の中はいやだね痩せたね君もずゐぶん痩せたねどこがこんなに切ないんだらうね腹だろうかね腹とつたら死ぬだらうね死にたくはないねさむいねああ 虫がないてるね 彼の第一詩集「第百階級」に収められた詩の主人公は全て蛙。その他の詩でも主人公が蛙に見えてきたり、男と書かれていようと女と書かれていようと蛙にも見えたりする。やや誇張。「あたしの丈夫なきようだいたちのいくにんかはもうこの世界にはおりません。みんな無残な死に方でした。でもあたくしのお母さんは喧嘩や自殺で死ぬのではなく殺されて死ぬのは立派なことだと教へてくださいました。」と淡々と語る蛙の恐ろしさ。 言葉遙かの石の建物のあわい電灯もうるんで。十六時。勾配をぬらし薬学教室の屋根をぬらし。春の雨。東大耳鼻咽喉科の赤煉瓦建ての玄関に立つて。春の雨を見る。 しとしととは降らないな。 しとしととは。空気を吸いながら私は。春雨はしとしととふる。もうそのようには書けないことをようやくにして自ら知るのである。雨とは昵懇なモツコクよ。お前に雨はどのように降る? そういえば昨日は雨が降った。しとしとという雨ではなかったが、ではどういう音で表せばいいのか、皆目見当が付かない。雨は文字を伴って落ちてくるわけではない。村野四郎『雨期のうた』に引かれてるE・ケストナーの言葉「こんなとき 頭蓋骨のうすい者は脳味噌の中まで雨が漏れる」ような雨では、なかった。中央公論社 1979年
2005/03/17
コメント(0)
短編集。「愚か者――畸篇小説集」に収録されていたものが幾つか含まれる。とにかく『抜髪』に尽きる。50ページに渡り延々と、我が子が小説家なんてものになってしまったことに対する、母親の呪詛だけが続く。風呂につかりボーっとしているとこの母親の言葉が頭に住み着いて離れなくなった。これは夢まで入り込んで来るな、と心配した日に見た夢は馬鹿に脳天気で、陽が照っていた。言葉を書くいうことは、人をまどわすことやで。かどわかすことやで。かたることやで。ゆすりかたりのかたりやで。言葉ほど恐ろしいもんは、あらへんで。自分が言うた通りになって、いずれ自分に返って来るで。因果応報やで。人は言葉にまどわされたいんやで。言葉でほめられたら、ころっとだまされて、ええ気持になるが。耳の穴へ毒流し込まれようと分かっとっても、ええ気持になるが。もっと言うて、いう気ィになるが。男はをなごにささやかれたら、嬉しいが。をなごかて、あの人、別嬪さんや、言うて陰で言われたら、嬉しいが。面と向って言われたら、もっと嬉しいが。たとえうそでも嬉しいが。一生忘れへんが。うちみたいな鼻べちゃでも、いまだに忘れることが出来へんが。人を密告して陥れるのも言葉。人を脅して追い詰めんのも言葉。へつらい。おもねり。からかい。てんがう。口裏合せ。みな、言葉。うそぶき。皮肉。中傷。甘言。狂言。忠告。誓い。ご注進。密談。告白。ひけらかし。せせら笑い。お提灯持ち。二枚舌。口の藝はいろいろあるわ。切りないほどあるわ。お愛想。うわさ。泣き落とし。そしり。おべっか。つくろい口。強がり。泣き言。自己弁護。みな、言葉。愚痴。うちはすべて身に覚えがあるが。言葉を取り扱うことは恐ろしいことやで。あんたはおだてに乗せられた果てに、無一物や。底の蓋が抜けたんやが。文章いうたらこなな恐ろしい言葉使て書くんやがな。あんたには分るか。面白いことやで。罪深いことやで。世ン中には、言葉でものを思うても、それを口に出してのない人、じょうにあるが。けど、心にもの思うことを文章に書いての人は、少ないが。ほんの一にぎりの人やが。極道がしてのことやが。人殺しがしてのことやが。世ン中には、わが身が思うことにだまって堪えて、それ口に出してない火と、じょうにあるが。その方が多いが。そういう人はうまいもんも喰わんと、地道に働いて、だまって死んで行ってやァ。うちそううい人、えらい思ううゥ。そういう人の一生こそ、つつしみ深い一生やがな。『抜髪』より 作者の母がモデルらしい呪詛吐きの主の言葉は、もちろん全てが真実の言葉ではなくて、作者が大いに付け足して、厳しくして、「我に言葉を返して」いるのだろう。独特の語り方のため、最初から最後まで読むのがつらかった。なのに、この一冊について思い出す時、何もかもがこの一篇に収斂され、それはこの一冊だけの話ではなく、この作家の書く、「私」以外のもの全ての人の象徴であるような、そんな気もしてくる。誰もが「私」を責める。「私」はいつまでも責められる。人の世にはあなな時があるゥ。これ出したらわが身が破滅すると分っとっても、出さざるを得ん時があるゥ。これ自白したら、これ言うたら、わが身が身ィ滅ぼすいうこと、分っとっても、言うてしまう時があるゥ。うちも出してくれ言うことなしには、すまへなんだがァ。あなな恐ろしい時があるゥ。言うてしまう時があるゥ。これが人生の火ィにふれるいうことや。業火にさわるいうことや。火ィをはたから見とる、いうこととは違うでェ。世ン中には、火ィにさわったこともないのに、この火にさわったら熱いよ、言うて、解説ばっかりしとっての人があるが。そなな人、坊さんや大学の先生に多いがァ。説明、解釈、解説、講釈、言い訳、受け売りが得意わざの人。ふれとうはのうても、さわってまうんがこの世の人生や。火ィに。業火に。恐ろしいィ。恐ろしいィ。お父さん気が狂てしもたったァ。歌てもたったァ。柱を抱いて。業柱を抱いて。それで死ぬまでこの家ん中で、わめき続けたったァ。毎晩毎晩、一日十八時間、何年も何年も。死ぬ十日ほど前まで、うちを責めたったァ。『抜髪』より 実際、作者の父は狂死している。 新しく読める作家を開拓した時は、集中的に読める分は一気に読んでしまうに限る。どれがどの話だったか混沌となって思い出せなくなって、それでも浮かび上がってくる上澄みをすすると、作者の核のようなものが見えてくる気がするから。新潮社 1996年
2005/03/16
コメント(2)
上坂さんが元阪神タイガースの選手だったということは、自他ともに認めるところらしい。野球のことなど何も知らないわたしは、タイガースファンでない人まで(たとえばわたしの父はカープファン一筋で、長年肩を落とし続けている)知ってる選手なんだから、さぞ現役時代は活躍したのだろうと思っていたのだけれど、そうではなくて、車の運転でスピード違反を二度起こして、執行猶予付きの有罪判決を受けたということで有名なのだという。上坂さんにそのことを訊くと「ええ、そうですよ」と引きつった笑顔で答えてくれた。いかにもそのことは訊かれ飽きましたよ、という顔だった。「野球選手って、車に乗るんですね」「そりゃあ、乗りますよ。バスや飛行機での移動ももちろんありますが、ホーム球場へは自宅から車で通いますし、プライヴェートでも女房を乗っけて買い物にいったり」「すいません、プロスポーツ選手ってみんな、その・・・走ってるような気がしてたんです。足で」 上坂さんは今度は引きつらず、屈託のない笑顔で笑ってくれた。「いや、それもいいかもしれません」と言ってすぐまた「いやいや」と首を振ってもくれた。 上坂さんはその後もしばらく球団に居て、本人のいうところ「ちょびっと」、他の人が言うには「けっこう」活躍し、リーグ優勝にも貢献したとか。でもわたしの知ってる上坂さんは、クリアファイルやボールペンを文房具屋に売り込みに歩く営業マンだし、野球知らずの事務員のわたしの、つまらない質問に真剣に答えてくれる、不器用そうな人でしかなかった。「ファウルボールとフォアボールってどう違うんですか?」「どうして外野フライを捕ったあと三塁ランナーが走り出すんですか?」「みんなホームランを狙えばいいじゃないですか」などなど。正直なところ、答えを教えられた後も、熱心に野球中継を見るということをしなかったので、すぐに忘れてしまうことばかりだった。父は大抵試合の途中で悪態をつきながらテレビを消してしまうので、「抑え」という役割の投手がいることもわたしは知らなかったのだ。 一度上坂さんの車に乗せてもらったことがある。時々わたしが餌をやっていた、事務所の横の空き地に住んでいた野良猫が、喧嘩でやられたのか右目が潰れていた時のことだ。いつもは餌を置いても決して近付いてこないその猫が、わたしの姿を見た途端に助けを乞うような哀れな声で鳴いた。おそるおそる触れると、そこで力尽きたというようにグッタリとなった猫を抱えてあたふたとしているわたしを、上坂さんが拾って動物病院まで連れていってくれた。「急がないと、この子、野良のままで死んでしまう」とわたしは口走っていたという。野良猫はいずれ誰かに飼われるべきだという思い込みがわたしにはあったらしい。その後、潰れたように見えた目も無事治り、全快して元の空き地に帰ると、またわたしを近付けない猫に戻ったが、上坂さんにはなついていた。「女房が猫アレルギーだから飼えはしないよ。それにこいつは、ここが好きなんだろ」と、上坂さんは存外そっけなかった。猫を運ぶ時、動物病院までとにかく早く着かなくちゃと焦っていたわたしは「もっと急いでください!」と、上坂さんの過去をすっかり忘れて叫んでいた。「焦らないのが、その子のためだ」と諭されても、わたしには何のことかわからなかった。でも結局動物病院はすぐそこにあり、猫も(いつまでも名前はつけないでいる。わたしになつかないから)生き延びたのだから、何もおかしなことなんてないのかもしれない。恐怖と驚きで曇っていたわたしの眼に、猫の怪我が酷く映り過ぎ、上坂さんが冷たく見えすぎていただけのことかもしれない。 野球に関する上坂さんへの質問は毎日の習慣となって続いている。「阪神タイガースが最後に優勝したのはいつですか?」「2009年。日本シリーズでは日本ハムに負けました」「広島カープは?」「・・・えーと、すいません、ちょっとわかりません」「それでは父に訊いておきますね」 その晩、父は少し怒った。
2005/03/15
コメント(0)
東京での会社勤めを突然辞め、九年間流浪し職を転々と変え「突っ転ばし」と生きた「私」の、尼ヶ崎に逼塞していた頃の話。「思うた」「言うた」他、姫路方面で使われる関西弁? が文中使われる。町田康ほど極端ではないので読みにくくはない。 こういう私のざまを「精神の荒廃。」と言う人もいる。が、人の生死には本来、どんな意味も、どんな価値もない。その点では鳥獣虫魚の生死と何変るところはない。ただ、人の生死に意味や価値があるかのような言説が、人の世に行われて来ただけだ。従ってこういう文章を書くことの根源は、それ自体が空虚である。けれども、人が生きるためには、不可避的に生きることの意味を問わなければならない。この矛盾を「言葉として生きる。」ことが、私には生きることだった。 舞台となる尼ヶ崎も天王寺も、私の知る土地である。そこに住んだり、日参していたわけではない。たまに古本屋巡りをしたり、何の肉か分からないものを焼く串カツ屋で昼間からチューハイと幾本かの串を食べて、ズタ袋を引きずり演歌を歌い歩くおっさんの後ろを赤い顔してついて行きつつ、街全体と何か共犯関係を築いているような錯覚に陥りながら徘徊する、ということをするという程度の関係である。 だから、というわけではないが我が事のように読んだ。否、私はこの小説の「私」ほど人間らしく生きてはいないとすぐ返す。今日、反吐は出ないのに胃液だけがだらだらと口から溢れ、便所の中でしばらく膝をついた。何かこの小説と関係がある気がした。 先日『車谷長吉句集』を読んで以来、車谷長吉という名に囲い込まれている。ふと何の気なしに開いたブログの、お勧め本紹介をクリックすると『赤目四十八瀧』が現れた。「文学界」4月号を手に取ると玄侑宗久と車谷長吉が対談していた。何処を見ても坊主頭に眼鏡の作家の名前が見えた。「小説をしばらく読みたくない」という時期から脱する時、大抵新しい作家との出会いがあるのだが、これがそれなのか。 いや、そんなことは、セイ子ねえさんが私に語ったことに較べれば、物の数ではない。私にはセイ子ねえさんのように、己れの生の一番語りがたい部分を心に抱いて、なおその生傷を生きて行く、というような「生の内容物。」がない。セイ子ねえさんの自白が恐ろしかったのは、それが私にはないことを知らしめられたからである。 わだかまりのような嘔吐感がいつまでも胸に残る。寒の戻りと花粉症とのせいでもない。嫌な空気が身を締める。嫌な空気こそが身を清める。文章で遊べばその分文章に苦しめられる。ところがいつまで経っても私は気鬱を孕めない。何を書こうと。暗い話は苦手。 「生島さん、あなたいまでもまだ小説書いてるんですか。「小説? そんなものは書いてないよ。」「ちッ。」 山根は舌打ちした。「生島さん、あなたにはも早、小説を書く以外に生きる道はないんです。人には書くことによってしか沈めることが出来ないものがあるでしょう。尤も小説を書くなんてことは、池の底の月を笊で掬うようなことですけどね。」「詰まらんことだ。」「ちッ。俺、来て損したな。生島さん、あなたが書かないんだったら、俺はもうあなたと付き合う気はねえよ。」「――――。」 少ない賃金で、焼き鳥の串に病気で死んだ牛の臓物を刺し続ける「私」の生活。人と関わる気のない彼に纏わり付くように関係を始める周囲の住人たち。元パンパンの焼鳥屋屋の女主人、彫物師とその子供と美人の愛人、言葉にならない念仏を唱えて交わる老娼婦、東京から「私」の今のざまを笑いに来た昔の知り合い。やがて乱。やがて完。無闇に傷つけられて抜け殻のようになったものの、読後の私は以前のように、新しく小説を、物語を欲する気持ちが大きくなり(最近小説をあまり読む気になれない、と言いつつちょこちょこ読んでいたけれど)、少し感謝。文藝春秋社 1998年
2005/03/14
コメント(7)
2004年に書き下ろしで出た本。8月に初版、10月で二刷。売れないジャンルの、決して一般受けがいいとは思えない作者なのに、固定購買層が多くついているらしい。近頃では小説以外の著書も多いみたいだし(そっちはあまり興味がない)。 自分を救いようのないものと決めて自殺した、飛鳥という女性の死から三年後、彼女に関わってきた人たちの紡ぐ、それぞれの物語。弟も母も、弟の恋人も、飛鳥の友人やストーカーも、離れていた父も、命日の前日(実際に飛鳥が首を吊った日)に、それぞれの飛鳥の像を心の中で結び、悩む。飛鳥が落としたたましい(まぶい)が彼らに干渉する。弟とその恋人は飛鳥のたましいと自分たちのたましいを取り戻すために、沖縄へ行く。母は煩悶する。父は後悔する。ストーカーは殴られ、友人は捕まる。それぞれに救済が用意されてはいるが、死んでしまった者は戻らない。 輪廻を科学的に説明しようとするところなど、相変わらず面白いが、たましい(まぶい)の話には素直に頷けない。霊的なことが書かれているのが嫌ということではない。宗教的(仏教)なところ? 玄侑宗久を自分から読んでおいてそんなこと言うのも変か。死後の飛鳥のたましいがどれだけ救われようと、生前の苦しみ抜いた人生は変わらない。そこに異和感を覚えるのか。軽々しく「わかった」「救われた」という思いはない。 離婚して今は富士山の麓に、かつての妻と正反対の女性と住んでいる飛鳥の父親の章が妙に心に刺さる。 専門バカであったばかりでなく、当時の自分は若かった。硬かった。まるで車をデザインするように、家庭もその内部で簡潔するものとしてデザインしていたのかもしれない。母はこうあるべきだし子供はこうあるべき、という自分の考えを押しつけ、政恵が違った考え言っても結局は認めなかった。そのくせ会社と同じようにやたらとディスカッションしようとした。今思えば、民主的な手続きだけはとろうとする社長と同じだったのだと判る。政恵がお花を習いたいと言ったときもそうだ。たまたま認めることになったけれど、政恵の切実な理由とは関係なく、司郎にとっては助手席の可動性や暖房を運転席なみにする発想と変わりなかった。知的で自立した女性であれ、などと言いながら、結局は自分の運転のしやすさのための環境整備に過ぎなかったのだと思う。 政恵と別れ、こちらに引っ越して農業を始めた今でこそ、山のピンクや茶色や黒の新芽がやがて緑色に変化するさまが言いようもなく美しいと思う。しかしあの頃は、明らかに「きれい」など解ってはいなかった。移りゆく自然から収穫だけを望むように、家族とはそれまでの人生の果実だと思い込んでいた。そんな誤解のとばっちりを、最も強く受けたのが飛鳥ではなかっただろうか。 政恵とのあいだには、いつしか戦うようなパターンができていたのかもしれない。音響設備でも車でも台所用品でも、なんでも買うまえには資料を取り寄せて二人で議論した。それが民主的だし最良の価値を選びとれる方法だと思いこんでいた。割引の多い自社製の車以外の車を選ぶ自分は、なんて偏見がないのだろうと誇らしく思ったものだった。しかし価値とは、おそらくそんなものではないのだ。自然を相手にする今の生活だとそれがよくわかる。 そんな二人の雰囲気のなかで、幼かった飛鳥は議論を平静に聞いていることはできなかっただろう。いや、実際それは議論というよりも感情的な遣り取りになることが多かった。昼ならば飛鳥もそれを避け、幸司と一緒に表で遊んだりもできたけれど、議論になるのは大抵夜だったから、ときに司郎は子供を側に坐らせたまま夕食後に政恵とやり合うこともあった。 最高の選択をするための議論という司郎の理屈は、結局はj自分の考えを正しいものとして押しつけるための、民主的に見える手続きにすぎなかったのだと今は思う。ここに移り住み、農業しながら家のあちこちを作り続ける日々を送っていると、最高の価値なんて変化し続けるのだと実感してくる。自分で引いた図面で作った家でも、オンドルばかりか屋根も物置も失敗して造り直した。 そうしてこれから車谷長吉に入る。新潮社 2004年
2005/03/13
コメント(2)
ヘンリー・ミラーの『北回帰線』と『南回帰線』は僕とNとが、ボロボロになるまで回し読みした2冊だった。ただ読むだけの僕と違って、何でも書きたがるNは「俺は『西回帰線』という題で傑作を書くから、おまえも『東回帰線』を書いてついてこいよ」と言っていた。回帰線には北と南しかないと言っても聞かなかった。「ないなら俺が引くよ。インドを縦に割るような線でいいだろ。東は任せた」そう言って本当にNはインドまで出かけていった。3年半後に日本に帰ってきたNは、新しい回帰線こそ引けなかったようだが、『西回帰線』という小説を引っ提げて、実家に帰るより先に僕を訪ねてきた。最初の方こそ原稿用紙だが、ホテルの便箋になったり、メモ用紙だったり、レシートやトイレットペーパーまで混ざるその膨大な量の原稿を僕に預けて、「清書しといてくれ。売れたら3割やるからさ」と言い捨ててNは出て行った。その夜遅く、レンタカーで帰省中にNは事故を起こしてあっけなく死んでしまった。 手元に残された『西回帰線』に僕はいつまでも手をつけようとはしなかった。正直気が進まなかったのだ。旅の思い出も語らぬまま、彼が近くにいない間読み漁った、Nが帰ってきたら話してやろうと思っていた、面白い本について一言も話させてくれないままに、さっさと死んでしまった親友に対して、僕は悲しみよりも怒りの方が大きかった。それに、ただ与えられた物語をむさぼり読んで感動するだけの僕と違い、小さな頃から物語を紡いでは人に聞かせて、老若男女巻き込んで、笑わせ、怒らせ、泣かせ、呆れさせてきたNが、命を削るような放浪と3年半という歳月をかけて(Nが書く小説はいつも30分程度で完成させるものだった)書いた小説が、傑作でないはずがない、読む前から自明であるのだから、すぐに手に取らなくても、老後の楽しみにでも、死病を得て入院した時にでも読むことにすればいいじゃないか、と僕は思っていた。 嘘だ。僕は読む前からわかっていた。Nが残した何千枚もの大作が、その量と同じだけの紙くずの値打ちしかないことがわかっていた。いや、そうでなければならなかった。Nの書くものは、本当はことごとく酷いものだった。盗作と模倣の乱れ打ち、独自のものといえば原稿に署名されたNの名前くらいだったろう。僕同様乱読家であったNは、読んだ作品をすぐさま真似て、盗んで、よく似た別の物語を自分のものとして人に読み聞かせた。もとの作品を知らない人たちはただただ関心した。だけど僕はNの作り出す物語のからくりを知っていたので、いつも冷たい目で彼を見ていた。一方、贋物でも何でもとにかく何かを作り出して、そのことで人と関係を築けるNが羨ましくもあった。僕はいつまでも一人で本を読むばかりで、その話をする相手も結局N以外出来なかっのだから。『西回帰線』の中には呪詛と冒険と色物語と一掴みの真実が書かれているだろう。それはヘンリー・ミラーそっくりの文体と物語だろう。清書して出版社に持ち込んだって「こういうの、もういくらでも書かれてるんだよね」とすげなく断られるようなものだろう。それがわかってるから、僕は『西回帰線』をいつまでも放っておくのだ。 これも嘘だ。本当は『西回帰線』が紛れもない傑作であるかもしれないと恐れている。これほどのものを残しながら、どうしておまえは死んでしまった! と、途轍もない悲しみが襲って来るのを恐れている。 だから、いつか自分で『東回帰線』を書き終わる時まで、『西回帰線』は読まないでおこうと決めた。何か書こうとすると、あれほど嫌っていた、人の模倣をやってしまいがちなので。乱読の悪影響から抜け出すまでまだ何年も何十年もかかるかもしれないから、永遠に『東回帰線』は完成せず、Nの遺産原稿は僕の棺桶に入れられ、結局誰にも読まれることなく灰になるかもしれない。それならそれで構わない。 ボロボロになった、ヘンリー・ミラー『北回帰線』を今日も僕は読み直す。隣で『南回帰線』を読み直す人はもう二度と現れてはくれない。
2005/03/12
コメント(0)
SF界を代表する知性派の一人らしい。日本版オリジナル編集傑作集。国書刊行会から出ている「未来の文学」シリーズの中の一冊。発売された当初から読みたかったけれど、何しろSFには不慣れなもので、先にクリストファー・プリースト『奇術師』を読んでまず海外SFに慣れておき、用心しながら読んだ。何を恐れる必要があったのかは自分でもよくわからない。『奇術師』は、面白かったり不満足な点も多かったりで、感想を書く気力はない。本書の場合、SFSFと気負う必要もなく、幻想小説の短編集を読むのとほとんど変わらなかった。もっと、理詰めで現象を説明されて冷めるんじゃないかと思っていた。 彼はツナ缶をあける方法を案出した。エスカレーターのいちばん下で、ステップとくりこみ口のあいだへ缶詰を横向きに滑りこませるのだ。エスカレーターが缶をひき裂くか、それともひっかかった缶がエスカレーターを止めるか。一つのエスカレーターが止まれば、ほかの全部が止まるかもしれない。もっと早くそれを考えつくべきだったけれども、すくなくともそれを考えついたことに、彼は非常な満足を感じていた。 ――おれは脱出できたかもしれないんだ。『降りる』より デパートのエスカレーターを、延々とどこまでも降り続ける男のカフカ的苦悩。もう戻れないところまで来てしまってから発見する、生還の可能性。どうして親近感が湧くんだろう。初めに置かれているこの『降りる』が、結局一番印象に残った。何者かに閉じ込められている部屋の中で、誰に読まれるか、どのようにして読まれるか分からない物語をタイプし続ける男の話『リスの檻』もいい。『猿の惑星』のパロディらしき『犯ルの惑星』あたりはついていけなかった。「読書は」とヤッドーのシミュレーションはつづけた。「死にかかった技術だ。もう一世紀あまりもむかし、映画が発明されたときから、読書は落ち目になった。そしていま現在、本物の読書家はシロサのような絶滅危機種になっている。わたしがいう読書家とは、毎日数時間かならず本を手にとり、ページをめくり、そのページに印刷された活字を読む人間だ。それは自然な活動ではない。訓練と、応用と、野心が必要だ。もし諸君がそれを職業にするつもりなら、そこには人脈も必要になる。われわれが今夜ここに集まった理由はそれだ。コネを作り、交際をひろめ、金を儲けるためだ」『本を読んだ男』よりあたりも、ちょっと皮肉がききすぎているきらいはある。文章面では特に眼を引くところはなかったが、幻想世界のような異邦を彷徨う焦燥感を描いた『カサブランカ』『アジアの岸辺』は良かった。 それでもどれか一編、となれば『降りる』になる。国書刊行会 2004年
2005/03/11
コメント(0)
夕焼けた空の下をを歩いている時、ふと何か風景に異和感を感じることはないかい? 前を歩くおばさんの肘の角度が少し妙だったり、野球帽を被って捕虫網を振り回して走り回る少年が突然路地から出てきたり、アスファルトの地面の下に土の色が透けて見えたり、そんなものばかりが目に入る瞬間があったりしないかい? それは「街崩し」っていう奴が君の歩く街を通っていった証拠なんだ。 妖怪や精霊の類っていうより、虫に近い。街の空気と精気を吸って育つ。土の中で70年黒い塊の姿で過ごして、70年目の夏の終わりに、スーっと地上へ浮かび上がる。物を通り抜けることが出来るから、上がアスファルトの地面でも高層ビルでも関係ない。形は、崩れない煙草の煙のようなもので、草むらや人ごみの中をかなりの速さで動き回るから、人の目に触れることはなかなかない。そうして少しずつ少しずつ街から削り取った精気を身の内に蓄えて、別の街まで飛んでそこで卵だか種だか子供だかよく分からないものを産み落とす。永遠に他の街崩しと交わらない寂しい単為生殖。 街崩しが触れた人や物は、一瞬だけ過去の街の、かつてそこにあった人や物と重なって、二重写しになる。ほんの瞬きするだけの間。だから偶然気が付いた人も目の錯覚か何かだと思い込んでしまう。 僕が街崩しの存在を知ったのは、友人であり師匠でありライバルでもあった人、要するにそれは親父のことなんだけど、彼が幼い頃から僕に聞かせてくれた多くの「本当の」物語の中の一つにあったから。「本当の」というのは、絵本や昔話みたいな作り物のお話とは違う、全て嘘偽りのない、親父が見た、経験した、触った物語だったからだ。幾つもの証拠品も家にあった。偽樹木(空を飛ぶ木)の剥製、小走り地蔵、野生気球の捕まえ方の解説書・・・まだまだたくさんいろいろ。どうやって飼い慣らしたのか、僕が2~3歳の頃、家には街崩しが居た。母さんは親父に「煙草の煙でからかうのはやめなさい」といつも言ってたけどあれは断じて煙草の煙なんかじゃなかった。風に吹かれても手で掻き消そうとしても姿を変えなかったし、親父や母さんの傍を通り過ぎると少年少女だった頃の二人の姿が見えたんだ。惜しいことに、その頃の記憶が僕にはほんの少ししかない。5歳頃になると、家の中にあった様々なオブジェはどこかへ持ち去られ、親父も「本当の」物語を僕に語り聞かせてくれなくなり、触感のない作り物のお話ばかりを僕に与えるようになった。それはそれで夢中になったんだけどね。 そういったことを僕は思い出したわけだ、君を見て。君の面影の中に昔の僕を見て。街崩しに一瞬触れられた君の顔が昔の僕にそっくりだったから。だから思わず急いで昔の自分に話しかけようとしてしまった「街崩しのことなんて忘れろ、親父の語って聞かせた話なんて忘れて、堅実に生きろ!」ってね。僕は幼い頃家にあったものを取り戻そうとしている。親父の話の中に出てきたものたちを捕らえ集めようとしている。言い忘れたけれど親父は僕が小学校にあがる前に死んでしまって、母さんも親父のことについてはあまり教えてくれないから、あの「本当の」話が真実だったのかは今でも分からないままなんだ。でもそれらの話は今でも僕の中に生きているし、どんな突拍子もないおかしな生き物たちも、本当に居ると僕は信じている。だからこうして今も、街崩しがうろついている街を探して歩いてるんだ。だけどその一方で「親父のことなんてさっさと忘れて、退屈な世界に身を染めて何もかも忘れちまえ」って声も聞こえてくる。 つい話しこんでしまった。この分じゃ街崩しはとっくに別の街へ去ってしまったに違いない。それじゃ僕は行くよ。今聞いたことは忘れてくれて構わない。君は子供がいるかな? 「本当の」話なんて決して聞かせちゃいけないよ。真っ当に育って欲しいならね。じゃあさようなら。まだ街崩しが生きていればいいんだけど。それじゃあさようなら。
2005/03/10
コメント(0)
全463件 (463件中 1-50件目)


![]()