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昨日、ダンナの出身校でディズニーシーを貸し切ってのイベントがあり、幼稚園の後に家族4人で行ってきました。前回行ったのは長男を妊娠中の5年前。子供にとっては初TDR、どころか、初の遊園地。その広さ、巨大な乗り物が動いてるアトラクション、スケールの大きなショーに、いちいち目を白黒させて興奮してました。肝っ玉の小さい長男はダメかなと思ってたけど、意外にも着ぐるみと握手できたし、マーメイドラグーンでコーヒーカップにも挑戦できた!→→→酔ってフラフラになっちゃったけど。次男は恐怖を感じると怒りを爆発させるタイプらしい。乗っては怒り、見ては怒り。それでも果敢にトライするので、絶叫マシーン好きな私としては彼の将来に期待。個人的には、タワーオブテラーとビッグバンドビートに行きたかったけど叶わず。それでも、久しぶりに行くとかなり新鮮で楽しかった。その昔は本当にTDL好きで、近所に住んで暇があれば通っていた(同居してた弟はキャスト)んだけど、イタリアにハマってから虚飾ワールドに嫌気がさして、何ともう18年も行ってない!!最後に行った時にはビッグサンダーマウンテンができる直前だったよ。ちょっと行ってみたくなりました。
2008.04.24
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『共感覚』って言葉を今知りました音や味覚なんかに、絶対的な色や形や触感などが見える感覚だそうでイメージとしての感覚じゃなく、絶対的な。詳しくは共感覚- Wikipediaなどに書かれてますが…ていうか、ビックリしたのはこっちの方。みんなそうじゃなかったの?!私は、子供の頃に鉄棒の味(舐めなかった?)を「黄色い味がする~~~」と騒いだり、同じく太田胃散のような胃薬系も黄色。どっちも黄色っていう以外に説明できない。折り紙や色画用紙の黒を見ると、変な臭いがわきあがって吐き気と頭痛が起こるので、目をつぶって一番後ろにある黒を先に捨ててたそんなに一杯ないけど、そんな感じに生きてたから。音にもそれぞれ色がついてるけど、これは音楽院附属の幼稚園に通ってて毎日音符に色を塗らされて後天的に植え付けられたイメージの感覚で、自分の中では共感覚とは別物です。ていうか、みんなそういうのがないとしたら結構ショック。高校生の時に、同じようなショックを受けたことがあります。一緒に聴音に通ってた友達と音の聞こえ方が違う事を知った時。私は例えば三声や四声の曲を聞くと3つ、4つのメロディが独立して聞こえるんだけど、友達は全部混ざって聞こえるから楽譜に書き取るのが大変と。今でいう絶対音感というのが存在するのも、その時知りましたまあ、絶対音感があっても、音楽性のない私にゃこんなものは無用の長物。しかも今習っているアルトサックスはE♭の楽器なので、ドを吹くとミ♭が出るんですよ。これは毎回頭が相当混乱します。紛らわしい! 吹いてるうちに慣れるけど。マイノリティな部分は他にもあります。薬指より人差し指がとても長いでもこれは女子には結構いるかな。大学の実験でPTC(フェニルチオ尿素)味盲だった。(超苦いという物質の味が全然わからなかったのでした)自然界にはない物質なので、食生活には問題ないのよみんな、何かしらあるよね?ちょっと自暴自棄気味せめて色彩感覚とか、何かに活かせるほど長けていたらねえ…。共感覚者の驚くべき日常共感覚
2008.04.22
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先週、関東地方に春の嵐が吹き荒れた日、次男が晴れて()幼稚園児となりました。さすが、にいにいの送り迎えで2年間通い遊び慣れた地。園児にもママ達にも見知った顔が多い上に、クラスにはこの間一緒にスキーに行った同級のKちゃんもいる、昨年度にいにいが同じクラスで一番仲良しだったHちゃんもいる(子供達の幼稚園のクラスは縦割り)etc、それに、にいにいも可愛い弟を常に気にかけて毎日出張大サービス。幸先よいスタートです。あれから今日で1週間。相変わらずこちらが拍子抜けするほど幼稚園ライフを満喫。けれどその裏では、やっぱり寂しいのかな。今日は「ママ~~!」と追いかけてきた、、、、と思ったら幼馴染みの大好きな「マナ~~」と呼んでただけでした第二子は親としての新鮮味がないせいか、何があっても「子供なんてこんなもんだよな」で済んでしまってじっくり見てあげてなかったね。いつの間にか普通に会話ができるようになって、いつの間にか色んな事を論理的に考えるようになって、ホントごめんね、もうこんなに成長しちゃってた、、、、。「オ・オ(自分をこう呼ぶ)さー、もう階段でだっこって言わないよ。だってもう幼稚園生だから」「幼稚園に来てももうママのバッグにお菓子ないんだよね。だって幼稚園生はお菓子食べちゃダメだもんね」注:未就園時代は幼稚園=お菓子を食べる場所だった幼稚園に入園するって、爆発的に自意識が芽生える体験なのだと2度目にして知りました。そして背中にはボクのプライド、にいにいとお揃いのモンベルのリュック。帰る頃には服も靴も泥まみれで、かあちゃんは洗濯前の下洗いに大忙しお尻だけはまだオムツだけど、幼稚園では便器の前に立つようになったらしい。いつまでも赤ちゃんみたいに扱ってた君が、とっても誇らしげに見える若葉の頃そして私は、待ちに待った自分の時間。
2008.04.15
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今日は10回目の結婚記念日。スウィート テン 10年。。。目を閉じて、その日を思い浮かべれば昨日のことのようであり、けれどやはり遠くもあり。その間には山ほどの喜怒哀楽が積み重なって、夫婦の絆も強まり弱まり。 今年は平日だったので、一昨日の日曜日に子供達を実家に預けて天候不良の中、二人で新婚時代を過ごした場所へ。杉並区久我山にあるマンション、お散歩コースだった神田川沿いの遊歩道、足しげく通った吉祥寺。そこにいた10年前、誰が今の私たちを想像できただろう。 あの頃はまだ独身生活の延長のような気分で、私もフリーで雑誌の仕事をしていて、夫婦だけど家族というよりはパートナーだった。 それから鎌倉に移り住み、子供が生まれてようやく家族意識が芽生えたような。 子供が二人になってからは、走る毎日に自分が追い付けないような状況の上、ダンナも仕事が多忙で、二人だけで会話をする時間はほとんど皆無。 時間があれば休みたい、一人になりたい。 気持ちがすれ違う事もたまにどころではなく、ほころびだらけの私たち。 そこで、あの頃の自分達に会えるかなと思って足を運んでみたわけです。 行く先々は懐かしく、変わってしまった場所、そのままの場所、定食屋のおじさんや花屋の“元”お姉さんに流れた歳月を見。花見客でごった返す井の頭公園、当時一番好きだった吉祥寺の本屋ヴィレッジヴァンガードでは音の洪水に耐えられず、自分たちも歳を取ったもんだと苦笑い。 桜満開今年の東京の桜は、急激に暖かくなったせいか、枝元から枝先まで一気に咲きそろって本当にきれいでした。 こうやって1日中二人でゆっくり散歩をしながら過ごしていたんだな、あの頃。 そんな、あの頃の当たり前を5年半ぶりに再体験してみるも、やっぱり気持ちは今の、親になった自分達のままだった。 子供を育てるって、大きなことだなとあらためて実感。 そして、どんなに一生懸命子供を育てても、夫婦がお互いを思いやれなければ、健全な子供には育たないなとも。 今日は新しい10年の始まり。 10年後には、長男は15歳で次男は13歳。どんな子に育つかは、私たちがどんな夫婦でいるかにかかっている。 お互いを大事に思えば他人を大切にする子に、いがみ合っていれば他人をぞんざいに扱う子に。 夫婦の絆を太くすることから始めよう、そんな風に思った4月1日でした。(ウソじゃないよ。) 桜の時期のもうひとつのお楽しみ、白モクレンも今年は早い気がしませんか?
2008.04.01
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