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(注)10月7日に書いた記事。ゆず皮の話を続ける。 どこにも売っていないので自分で作ろうと思ったゆず皮。が、肝心のゆずそのものも時期的に店に置いていないので困っていたら、自転車で7、8分走ったところにあるイ○ミヤで、ゆず皮を見かけた。ああ! やっとやっと!ところで、こんなにもゆず皮が売られていないということは、きっと、需要がなくなってきているのだろうね。なるほど、イ△ンでもラ□フでも他の店でも、押し並べて(店員さんに)言われた。「以前は置いていたんですけれどね」。ふうむ。と言うことは、茶碗蒸しやふろふき大根や白菜の浅漬けなど、ゆず皮を使う料理も作られなくなってきているし、薬味や隠し味やトッピングとしても用いられなくなってきている?日本人の食生活も、ここ数十年でずいぶんと変わった。写真はゆずの若いうちの果実(Public Domain)。
2022.10.21
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(注)10月6日に書いた記事。私の思い過ごしかしら?最近、ゆず皮を扱う店が、とみに減っていっている気がする。ゆず皮。茶碗蒸しに、塩辛と共に奴のトッピングに、大根や芋の煮物に、にゅうめんの具材にと、何かと使うことが多い。なのに、扱っているスーパーが減り続けているのは、何故?ならば、自分で作りましょうかね。以前、ブログで書いた。市販されている調味料や保存食のほとんどは自作出来るのだ。、、、「なんて、時節柄ユズもないし、これも難しいわなあ」と、ため息混じり。写真はWikipedia。、
2022.10.21
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(注)10月5日に書いた記事。「理系の女の生き方ガイド」(宇野賀津子・坂東昌子 著)京都パストゥール研究所で免疫学を研究する宇野賀津子氏と、素粒子論専攻の物理学者、坂東昌子氏が、まだ「リケジョ」なる名称もなかった2000年、「理系にいる女性やこれから進もうという女性を元気づけるような本を書いて下さい」と、出版社から依頼を受け、共著したもの。1957年生まれの私が中学生高校生の頃、少なくとも地方では「女の子が医療分野以外の理系に進むと嫁の貰い手がなくなる」などと、まことに時代錯誤的、かつ、侮蔑的なセリフが、極めて普通に親たちの口から飛び出していた。このため、友人の1人は、大学では建築を学びたかったのにあきらめたほどだ。令和の今の世では、さすがにそんな極端なことを言う親はいないし、(万一いたとしても)子ども世代も耳を貸さないだろうけれど、それでも、日本で理系に進む女子は諸外国に比べると少ないし、当然ながら理系分野で働く女性も多くない。宇野氏と坂東氏は、「良くも悪くもマルチな生活を強いられ、粘り強く物事に取り組む傾向がある女性に、実は理系分野は適している」と説く。そして、進路に迷う女子高生はもちろん、すでに理系を選択したものの会社や研究室で実験実習に時間をとられて家事育児との両立に悩んでいる世代にも、研究と家庭を両立させてきた自分たちの体験から、的確なアドバイスと強力なエールを送る。いわく、「家事はなるべく合理化して機械にやらせる」「世界を広げる子育ては仲間たちとネットワークを作って乗り切ろう」「完璧な妻にならなくても60点でよい」「子どもはいつかわかってくれる」等々。その意味では、理系に限らず、すべての働く女性に大いに参考になる本と言えよう。ところで、当書を読んでいて、ある仕事仲間のこんなセリフを思い出した。「化学が好きで理工学部を受験したが不合格になったので、やはり化学を活かすことが出来る女子大の栄養学科に進学した。当然、女子しかいないから、例えば学園祭の時の会場設立や電気配線などは自分たちだけでやる。でね、その時、わかってん、、、女の子かて、その気になれば大工仕事も電気工事も出来るって。男の子がいないと、というのは、ただの思い込みやったんや」。
2022.10.21
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(注)10月4日に書いた記事。ここ数日、2週間後に大腸がんの手術を控えた夫の衰弱が激しい。何でも、下血(血便)がひどいことも関係しているのか、全身がだるくて仕方がないと言う。ああ!私も、ざっと30年前、腸にポリープが出来た時、下血のたびに「出産直後に一時的になった痔かな」と、勝手に思い込んで放置しておいたところ、その割には痔の時と違った症状(ふらつき、倦怠感)があったのでオカシイと感じ、受診した体験があるから、とてもよくわかる。でね、今回、私が疑問に感じたのは、、、こんなにも患者側は苦しんでいるのに、それを治療する側は、検査日だの入院日だの手術日だの、あらかじめ決められたことに忠実に従うあまり、個々の患者や医療スタッフの各予定日まで何も治療を施されない点だ。これってねえ、、、。
2022.10.21
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(注)10月3日に書いた記事。先月なかばに立った現場は、滋賀県中部の静かな町にある総合スーパー。食料品のみならず、食器や文房具などの日用品や衣料、家電、家具、そのほか日常生活に必要なものは基本的に揃っている。仕事を始めてすぐに気付いた、店内に設置された大型テレビに、ここのスーパーの制服を着た、TMレボリューションの西川貴教が定期的に現れ、店のテーマソングも歌っていること。何でも、西川貴教、このスーパーの発祥地、滋賀県の生まれで、当然、スーパー自体にも子ども時代から買い物やフードコートでの飲食親しんできて、店頭で栗の宣伝販売をしたこともあるとか。「トースターの蓋を開けて焼き上がった栗を取り出す時、いっしょに煙も出てきて、店内にバァーッと広がるんです。そしたら、何しとんねん、と店の人にメッチャ怒られてね、、、」と、思い出話を語る時の西川貴教は、完全に関西弁(彼は普段は標準語を使っているそうだ)。表情からしても、地元愛に満ちている。いいねえ、こういう、地域の店とその地域出身の有名人とのタイアップ。どちらの好感度も増すから、お互いにWin-Win。振り返れば、そこの地域出身ではなくても、スポーツや芸能で名が売れた人が店を訪れていること、これまでのデモ体験で何度かあったな。写真は、滋賀県を代表するアイテムの1つ、琵琶湖(Public Domain))。
2022.10.21
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(注)10月2日に書いた記事。昨日は、大阪市内の地域密着型スーパーにて、農産部門の仕事。日中はまだまだ夏の残余があるものの、抜けるような青空のもと、さわやかな秋晴れの日で、売上はそれなりの結果だった。この店。位置的には、関西地方ではよく知られた工業高校の、ほぼ真裏にある。なるほど、朝方、ここの制服を着た男女を見かけたねえ、、、男女と言っても、女子はパラパラどころか、ポツポツといった数だったけれど。それを見ていて、2018年の12月、やはり関西地方の某店につゆの販売で行った時に私が見た、ある情景を思い出した。くだんの店舗に前日挨拶電話をかけた際、店の最寄駅○○から店までの道順も尋ねた。「ううん、、、ちょっと口で説明するのは難しいかな」電話を受けた部門担当責任者は、声を詰まらせた。「なんで、とりあえずは、○○駅から△△という工業大学まで行って下さい。恐らくそれが1番わかりやすい。そこの校門に来たら、近くにウチの店が見えますんでね」彼の話によれば、その大学へは容易に行けるそうな。「○○駅で学生風の子がドッと下車します。その後をついていったら、勝手に△△大学に着きます」。果たして当日。確かに電車が○○駅に止まるや、△△大学生とおぼしき青年たちが駅構内にあふれ、二列ほどに並んで長蛇の列を作った。おばさんの私は、鍋と調理用具一式をおさめたカートをひきひき、懸命に彼らの後を追った。そうこうしているうち、私はあることに気がついた。いない! 女子学生がいない!いや、正確には、いた。だが、たった1人だった。2018年と言えば、ほんの4年前。しかも、その数年前から女性の建築士や科学研究員、林業従事者、左官屋、リフトマン、トラック・ドライバーなどなど、かつては男だけとされた業界にどんどん女性が入り込み、大学の理系学部にも女子が増え、リケジョの名称も生まれて、一般にも浸透していた頃である。なのに、実態はどうなの? 機械だの電気だの建築だの土木だの学ぶ女子は、こんなにも少ない?心底、驚いたものだ。あれから4年が経過した。現在では少しは変わっているのだろうか?写真は、昨日の現場近くで写したもの。
2022.10.20
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(注)9月30日に書いた記事。明日は仕事。大阪市中部にある地域密着型スーパーに行く。担当は農産部門。先週の仕事が終わって1週間。我が健康面からは、ぶっちゃけ、薄氷ものの日々だった。歩けるし、何かにつかまったら屈伸も出来るものの、例えばバスに乗車するなど、腰に少しでも力を入れる動作があれば、例のごとく「ピッ」と腰に痛みが走る。びろうな話で申し訳ないが、トイレ(洋式)で力むのにも苦労した。それに加え、どうも2週間ほど前から、左目に白い粘性のヤニが出始め、日毎にひどくなっていった。痒みも伴う。「加齢黄斑変性を患った右目が寛解宣告を受けたばかりなのに、今度は反対側の目がおかしくなるなんて」と、情けなく思いつつ、近所の病院の眼科を受診したところ、アレルギー性結膜炎との診断を受けた。「季節の変わり目、花粉症の症状が出たことはありませんか?」と、先生。ううむ、、、。季節に関係なく、柔軟剤の匂いとか蚊取り線香の煙とか動物や鳥の毛で、鼻がむずむずしたりくしゃみが頻発したことはあるんだが、、、それも「いつもいつも」ではないからな(その時の体調に左右されたりする)。ともあれ、点眼薬を処方され、痒みそのものは楽になった。そんな中、夫の手術を前にした診察に付き合い、役所の福祉課に障害者手帳申請の件で出向き(術後、夫は膀胱直腸機能障がいの項目にあたいするため、障がい者認定を受けることが出来る)、家庭内でも入院手術にかかる費用、及び夫の休業に伴う収入減対策その他諸々の雑事に終われ、、、これに、自宅の水道工事まで加わった。そんなこんなで過ぎた1週間。それでも、つつがなく日々が送れてよかったよ。明日はベストを尽くしてこよう。写真は、夫が某陶芸家(現在の師匠の先輩)から譲り受けた電動ろくろ。病気の件も含めて落ち着いたあかつきには、今まで使っていた手動ろくろも併せて、たくさんの作品を生み出して欲しいと、切に願う。
2022.10.20
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(注)9月29日に書いた記事。夫の入院手術に向け、慌ただしく過ごしている。一昨日は、治療者側と非治療者側との最終的な確認、及び、入院に向けての準備説明。幸いなるかな。夫の大腸がんは転移はしていなかったけれど、その他の事情で、内科、外科、泌尿器科と、3つの科の医師がスクラムを組む予想外の大がかりな手術となり、術後も、2週間から3週間の入院予定。私が昨年、階段から落ちて肋骨を骨折したとき同様、今回も民間の保険に入っていてあってよかったなと、あらためて痛感した。保険って、月々の支払いは決して少なくないから、その引き落とし日にはうっとうしく感じるんだが。ファイナンシャル・プランナーの中には、「民間保険は不要。今日日は入院手術を要する病気は減っているし、仮にそうなった場合には、公の健康保険と高額医療の払い戻し額でカバーできる。足りなければ、貯金から出したらよい」と、おっしゃる方もいる。ううむ、、、。老後の生活がカツカツの身にとっては、貯金は最後の砦。取り崩すことには大いなる抵抗があると思いますよ、、、病後、以前のように稼ぐことが出来るとは限らないし。となれば、やはり、イザなる時の頼りは民間の保険。特に、満期になって支払いを終えても保障は死ぬまで続くタイプはありがたいね。写真は、2週間ほど前、仕事で滋賀県野洲市を訪れた時に撮ったもの。台風が接近しつつあるせいか、空模様はぼんやり。人生もこんなものだ。生まれてこのかた陽光降り注ぐ道を歩んでいたとしても、それが続く確証は、どこにもない。
2022.10.20
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(注)9月25日に書いた記事。奈良県の某市にあった昨日の現場。業務が終了して10分後の18時10分に退店したのに、京都市内の自宅に着いたのは、20時近く。急行を使ってこれなのだから、かなりの遠方だということが、わかっていただけると思う。なのに、その翌日である今日。実は他社からの、やはり片道2時間近くかかる大阪府南部での仕事を、私は受けていた、、、家庭の事情から遠方の連続勤務は無理とお断りしたのだけれど、「お願い! メーカー営業さんが、この商品をデモしたことがある人でないとダメ、とどうしても折れなくて。ウチの会社では、それに値するデモンストレーターは、現在、あなたともう1人しかいない。で、そのもう1人の人は介護で手が離せなくて」と泣きつかれ、今後の互いの関係の維持も考え、承諾していたのだ。それが、4日か5日前、店舗店の理由で急きょキャンセルになり、今日はオフ日となった。結果論だが、これが幸いしたね。というのは、昨日の午後5時を過ぎた頃から、ここ数日のだるさが痛みとなりつつあった腰が、とつじょ悲鳴をあげだしたのだ。それは、最後の試食品を用意し終わった時に始まった。朝から狭い従業員休憩室でおこなっていた試食メニュー作成。コンセント近くの流し台に置いてグリル鍋が、休憩室を利用する従業員さんたちの邪魔になっていることは明らかだったので、これを機会に、その鍋をしまってしまおうと、洗って我がカートに納め、立ち上がったとたん、腰部から背中にかけ、鋭い一撃が走った。「ピッ」。そんな感じ。痛い。思わず声が出かかる。そこを何とかなだめ、ゆっくりと、痛みが走った部位をさすりさすり、立ち上がる。「ヤバいな」心に呟いた。「これ、あれの予兆だよな」。あれとは、ぎっくり腰。私は何度か体験し、ぶっちゃけ、仕事中にもなり、やっとの思いで業務を終了し、青息吐息で帰宅したことがある。 果たして、昨日の帰宅途中に駅のトイレに寄り便器から身体を起こしたとたん、また「ピッ」。今度は、さらに酷かった。それでも、痛む腰をなだめなだめ、グリル鍋をはじめとする調理用具一式が詰まったカートを引いて、無事に自宅へは着いたものだ、、、。一夜開けた、今日のさま、想像してみて下さい。予定通り、懇願された事情があったとは言え、仕事を受けていたら、、、かえって、多方面に迷惑をかけていただろう。あらためて肝に命じた。荷物持参の遠方の連続仕事はもうお断りするのが筋だと。写真は、上の孫2人が参加した料理教室。
2022.10.04
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(注)9月22日に書いた記事。疲れた。ホンマ、疲れた。いや、精神的に。仕事前から、こんな状態なんて!私、明日、遠方の奈良県の某市の端っこにあるスーパーに行くんだよ。最初の仕事打診では「鶏肉を〇〇で揉み込むだけの、簡単なお仕事です」との依頼だったので、受けた。ところが、指示書を受け取って、驚いたの、何の。くだんの鶏肉メニューの他にも、きゅうりの浅漬けをつくり、かつ、〇〇を揉み込んだハムとそうでないハムとの食べ比べもある。それだけじゃない。現場写真3枚を撮り、報告書にはアンケートの項目もあり。おまけに、テーブルクロスにはこの色を、、、なんて指示もあり、カチンときた。こんなん、詐欺やね。こことは、もうエエわ。ギャラが他社に比べて安いのは承知の上だが、以前から感じていた。仕事前から細かい指示があるのが、デモンストレーターにとっては苦痛だと。写真は、彼岸花。
2022.10.04
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(注)9月22日に書いた記事。大腸がんを患う夫。来月に受ける手術に向け、検査検査の日々を送っている。昨日は歯科検診まで。「口腔内や舌ならともかく、おなかの手術に、どうして歯が関係してくるのですか?」と医師に質問したら、「全身麻酔は人工呼吸が必要になります。人工呼吸は点滴で麻酔をかけた後、チューブで喉奥の声帯を通して気管まで入れるのですが、その時、ぐらついている歯などがあれば一緒に呑み込んでしまうことがあり、命取りになることがあります。なので、手術前に歯の状態をチェックするのです」と返ってきたそうな。ふうむ、、、。あと、胃カメラをはじめ、数種類の検査。手術1つにも、こんなにもたくさんの人の手が関わってくるのだ。写真は、敬老の日に真ん中の孫(6歳)から来たお祝いハガキ。
2022.10.04
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(注)9月20日に書いた記事。まず、写真をごらんいただきたい。これは、一昨日、連続仕事を終えた私が帰宅途中に寄ったコンビニで見つけ、「どんな味だろう」と買ってみた、梅味のうずら卵。味は良く、レモン酎ハイのつまみにもピッタリだったが、、、食べているうちに思ったものだ。「待てよ。これ、普通の茹で卵を使って家庭でも作れるのとちゃうかな。ちょうど梅干しを作った時に出る梅酢があるし、、、」。袋の裏面に記載されている成分表示を見ていると、ますますその思いはつのった。さっそく、卵をゆでて皮を剥き、梅酢と醤油と出汁昆布を入れた液につけ込む。液量は卵がすっぽりとうまるくらい。翌朝、出来るのは出来たし味も期待通りだったが、卵の表面がまだら模様に。すべての面が梅酢のピンク色に染まっていなかったのだ。うずらと違い、通常の卵は体積が大きいからなのと、漬け込んだ容器がジップロックだったので液体の中で卵が動いてしまったからなのだが、ま、これは、次回に作る時に漬け汁の量を増やすなり容器をタッパーにして卵を固定するなりすれば、解決する問題。それにしても、今回、あらためて感じたものだ。「店で売られている食品は、そのほとんどは自宅で作ることが出来るんだなあ」と。宣伝販売の仕事をしていて、こんなことを明かしてはいけないかも知れないけれど、これは本当だよ。タレもソースもつゆもドレッシングもポン酢もコンソメも、家で作れます。手間を厭わなければ、味噌やチーズやバター、パン、うどん、パスタも作れます。もっとも、何かと忙しいのが人間。すべて手作りしていたら1日中キッチンに拘束されるし、体調その他の理由で料理が出来ない時もある。何より、すべて手作りされたら、食品メーカーは困るやね。当然、経済もまわっていかない。写真は、コンビニで買ったうずら卵の酢漬け。
2022.10.04
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(注)9月20日に書いた記事。学生時代、一般教養科目の1つとして履修した「西洋哲学史」の担当教官は、元はキリスト教学専門で、この方の指示により授業では聖書を概略的に読まされた。つまり、彼の独断と偏見で選んだ章に、彼の解釈付きで目を通したわけだ。正直、ほとんどわからなかった。わかった、と言うより面白かったのは「出エジプト記」くらいか(ま、「十戒」のタイトルで映画にもなっているしね。海が真っ二つに割れて道が出来るシーンが有名な、あの映画)。それでも、他の章も断片的ながら覚えている箇所があり、あれから45年を過ぎた現在、「ヨブ記」のように、今更ながらのように蘇ってくるストーリーもある。若い頃の記憶力は侮れないね。同時に、これが古典なのだろう。その時はわからなくても、歳月を経て、相応の人生経験も踏まえた上で、何となくわかってくる。聖書に限らず、古典というものはそんなものなのだろう。日本の古典や論語、老荘思想にも、よりよく生きるためのエッセンスが詰まっているね。古文も漢文も嫌いで、習っているその時は退屈なだけだったけれど。写真は、映画「十戒」(Public Domain).
2022.10.04
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(注)9月18日に書いた記事。滋賀県中部に位置する静かな町にある、そこそこ規模が大きいスーパー内での農産の仕事。それが昨日と今日の案件。店もお客さんも、大阪や京都などの都会に比べると明らかにのんびりしていて、ゆったりと時間(とき)が流れていく。いいね、こんなの。少なくとも、私には合っている。ところが、無事に初日の業務を終え、売場責任者に販売数字も出してもらい、片付けをして、さあ帰ろうとリュックを背負った昨日の夕方、はたと気付いた。ない。ないのだ。 何が? 入店バッヂである。私たちデモンストレーターに限らず、そこの店舗関係者以外の人間は、店に入る時は必ず受付で入店者名簿に必要事項を記入し、番号が記された入店バッヂを受け取ることになっている。つまり、入店バッヂはただのバッヂではなく、「あなたがこの店に入ることを許可します」との、お墨付きの意味合いも持つのだ。だから、何らかの事情でこれを紛失することは厳禁で、仮にそうなったあかつきにはノベルティが課せられるところがほとんど(罰金1000円とか始末書とか)。こんなにも大切な入店バッヂ。にもかかわらず、紛失する人は、ちょこちょこいる、、、もちろん100%過失。いわく、「バッヂの止め金がゆるんでいたのか。売場と試食調理室などのバックヤードを往復しているうち、いつのまにか(バッヂを)止めた右胸からなくなっていた」「トイレに行く時、(バッヂをつけた)エプロンを脱いで用をすませ、トイレから出てきてエプロンをつけたらバッヂがなかった」(脱ぐ時に外れ、どこかに転がっていったのだろう)他にも、私服から仕事着に着替えるため、ちょっとバッヂを横に置いたら、どこに置いたのかわからなくなった、など。昨日の私の紛失は、最後のケースにあてはまる。幸い、数分後に見つかったから良かったものの、そうでなかったら、、、。ヒヤヒヤものだった。写真は、晴れてバッヂが見つかって正々堂々と(?)退店出来、駅に向かっていた、昨年の現場付近の情景。
2022.10.04
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(注)9月16日に書いた記事。昨日は私が大学病院の検診(眼科)。11時に予約していたので10時35分に受付に行き、もろもろの検査を経た上で受診。会計をすませて病院を出たら、あらあら、時間は午後3時5分。かくも大学病院というところは、予約してあっても長時間拘束されるところなのだ(人が多いし、検査だって幾種類もあるからね)。ただ、今回で、我が眼病は寛解。年に1度の定期検診も必要ない。「また異変が生じたら診察を受けて下さい」というスタンスになった。来月、大学病院で手術を受ける夫も、焦ることなく、だが着実に治療をすすめて回復し、ぜひこの状態になって欲しいものだ。写真は、1番下の孫。
2022.09.26
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(注)9月14日に書いた記事。昨日、夫に付き添った大学病院での検診は、まさに1日仕事だった。病院に着いて受付の列に並んだのが午前8時45分。そこから予診に始まって本診を受け、諸々の検査を経て再び今度は手術執刀医の診察。看護師から今後についての指示説明。入院関連部署に専用書類を提出し、会計を済ませてやっと外に出られた時は、午後3時をまわっていた。ああ! 疲れたわぁ、、、。結局は、今日のセカンド・オピニオン診療所の所長のアドバイスもあり、大学病院でお世話になる(手術)こととなった。これから、そのことに向けた具体的な課題に1つ1つ向き合い、クリアしていかねばならない。夫と私、2人の仕事の調整はもちろん、入院から手術、退院までのおおまかなスケジュール作成、入院もろもろにかかる費用、健康保険からの保障額、術後に装着するストーマについての知識およびそ受けることが出来る日常給付金の確認その他たくさん。人間は、生きている、ただそれだけで、基本的には儲けものだと思う。生きていればこそ味わえること、たくさんあるからね。写真は1番上の孫。
2022.09.26
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(注)9月12日に書いた記事。いかん。メンタルをやられてきている。親や夫などが、がん、脳梗塞、心臓病、うつ病その他の病を患ったことがある友人や知人、仕事仲間からは「完璧をめざしすぎないように。でないと、(病んだ)本人もケアする側もどちらも参ってしまう」と、常々アドバイスされてきたのだが。ポジティブモードとネガティブモードの間を感情が激しく行き来することがあり、陽転思考も出来る時と出来ない時がある。とつじょ胸を締め付けられたり、動悸で息苦しさを感じたり、涙が溢れて止まらなくなったり、わけもなく苛立ったり。反面、小気味よいほどタスクをポンポンと片付けることが出来て、「今日もスケジュール管理はバッチリね。この勢いで明日も、、、」なんて、意気揚々とする日もある。この感情の幅の大きさ。かつて、仕事中に頭のおかしいお客さんに襲い掛かられて首を絞められた、その後の状態に似ている。今月の後半からは私の仕事も忙しくなってくることではあり、心身の調子を整えておこう。とりあえず、夫の診療所が休診日である今日は、好きなことをして過ごそう。好きな香りのお香を炊いて、好きな音楽を聴いて、好きな種類のスムージーを作って、、、。写真は、高野山にある奥の院。
2022.09.26
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(注)4月10日に書いた記事。仕事仲間の1人に、2人目の子どもさんが障がいを持って生まれ、そのケアに必死で取り組んでいたら、ご主人が彼女を作って家を出て行ったと語った人がいる。「んまぁー、何てひどい」と、憤りそのままに私が叫んだら、彼女は「いやいや。今となっては、向こうの気持ちもわからんでもないんよ」。彼女によると、ご主人が勤めていた会社は、高収入ではある代わりに、ご主人が就いていた営業職は完全歩合制。人当たりの良いご主人は営業成績優秀で、常に一定レベルの成契があったらしいが、、、彼女いわく、「仕事のストレスはハンパなかったと思う。なのに、1日を終えて家に帰れば、妻は障がい児とまだ手が離せない上の子の世話に疲れて、部屋は埃だらけの散らかり放題。食事の支度も出来ていない。上の子どもはハラ減ったと泣き叫び、妻はボーッとして悲しそうにしている。妻の気持ちはわかっても、そりゃ嫌になるわな」と、元ご主人をかばっていた。うーん?彼女、さらに続けた。「2人ともまだ20代(大学の同級生だったそうな)でいろいろな面で未熟だったし、、、。現在みたいにSNSが発達していて、当事者ならではのアドバイスや医療についての情報交換が出来たり、愚痴も含めた話し合いの場がある環境だったら、私も夫も気持ちの上で違っていただろうから、家庭崩壊は避けられたかもしれないけれど」。これは、わかる気がする。人間は孤立してはいけない。どこかで自分以外の存在とつながっていないと、どんどん内向きになって、こもってしまい、入る情報も入らなくなってしまう。難病や障がいを持つ家族の自助会が設立される目的は、この「つながり」もあるのではないかな。SNSも、うまく利用すれば、そんな人にとってとても助かるツールだと感じる。中傷誹謗やガセネタも多い世界だが、悩みを共有出来、互いに励まし合えるのは、大きなメリットだ。ちなみに、彼女は離婚後は故郷に帰り、自営業の両親の助けを借りて子どもたちを立派に育て上げた。障がい者である下の子どもさんも就職し、毎日、元気に出勤している。なお!この仕事仲間が元ご主人を悪く言わないことにも、心底、感動したものだ。元妻として様々な感情は交差するも、子どもたちにとっては、、、やはり、モロモロあっても父親には違いないのだからねえ、、、。写真は1番下の孫(3歳)。
2022.09.18
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(注)9月9日に書いた記事。以前に書いた。仕事を通じて出会った、舌がんのご主人を支える奥さんのこと。その献身的な姿には感動したが、その時点でも、意地悪いかも知れないと思いつつ、ふと、こう想像した。「これが逆だったら?」と。がんに限らず、他の、例えば心臓病でも脳梗塞でも、重篤な病を患った場合に食事療法はつきもので、それは、塩分や糖分その他さまざまな制約があることがほとんどであるため、時間も手間がかかりがち。ふだん台所仕事をしていない人は、通常の食事を作るだけでも、慣れないゆえにかなりの困難さを伴うのに、療養食ならなおさらに違いない。本当に、病に倒れた妻に療養食が必要となった時、皆さん、どうやって乗り切っておられるのだろう?もしかすると、今後はこういう課題に対応した食製品も注目されるかも知れない。写真は、この夏、我が家のプランターに咲き誇った日日草。
2022.09.18
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(注)9月7日に書いた記事。消化器系癌を患った人間の便は独特の臭いがする。このことに気付いたのは、いつだったか。便の悪臭と言うより、何とあらわしたらよいか、ズバリ、すえた臭いなのだ。ちょっと、ドブ川がかった、、、そんな臭い。それでも、どんどんひどくなってくるので、トイレの臭い消しについて、いろいろとネット検索している。なぜなら、玄関を開けたとたんドブの臭いでは、帰って来た身分としても感じ悪いからねえ。こういうね、生活に関する具体的な情報とアドバイスが欲しいので、夫の手術を機会に、ストーマ(人工肛門)者を持つ家族の会に入ろうと思っている。一部のがんグループは、精神論ばかり。精神論ではがんはよくならない。夫もわかったみたいで、、、。かの、入浴のエピソード同様に、、、。入浴と玄米食だけで、切らず、抗がん剤も放射線治療も化学療法も拒否して子宮がんを完治した、あのおばさん。本当なんだろ。西洋医学も一目置く温泉療法なんだろ。でも、ここが大切。おばさんは長時間の入浴に耐えられる体力が、年齢的にもあったのだ。それから、「がんの治療法の一つは笑うこと。笑えば笑うほど免疫力がアップし、がんがどこかへ行く」。これは、正論。でも、これも、夫は言っていた。「がんで便が出にくい。何度気張っても、便秘の時の出切らない鈍い痛さと膨満感、不快感、ずっと続く。しかも、椅子に座ればがんの部分に触れるから痛い。こんなんで、笑えない」。そうなんだよ。がんの自然治癒法は、理論の上では正しい。でも、正しくても、自分に照らし合わせて、それが出来るかどうかが大切なんだよね。プラス、あれも、西洋医学の手術に耐えられるだけの、いや、それ以上の体力と精神力が求められますよ。理論的には認めるが、誰でも出来る治療法ではない。写真は、沖縄を訪れた孫たちを感動させた亀たち
2022.09.11
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(注)9月7日に書いた記事。予期せぬ出来事から視力や聴力を失ったり身体のどこかに障がいを抱えてしまったことで、いわゆる通常の日常生活が困難となるも、周囲のサポートと自身の発想転換、および創意工夫により、「山」を超えた人はいる。そういう人は、マスコミ関連のインタビューに、決まってこんな趣旨の回答をしている。「物事をどう捉えるかで、人生は変わる。同時に、何がおこるかわからないから、誰しも備えはしておかないといけないのではないか」。なるほどね、、、。なお、ここでの「備え」とは、金銭的な事柄もさることながら、それ以上に精神的な事柄が占める割合が大きいと、私自身は解釈している。すなわち、生きがいというかライフワークというか、いわゆる人生の目標を見つけておくのだ。実際、目標を持つ人は強い。かつて、進行性の病の一つ、ALSに罹患しながらも日々イキイキと過ごしている人の話をネットニュースで読んだことがあるが、記事によると、この方には文筆家としてどうしても書いておきたいテーマがあり、寸分の時も惜しんでそのことに取り組んでいるとか。もっとも、「人生の目標なんてそんな大それたこと、そう簡単には見つからないよ」とおっしゃる人も多いのでは?では、人生を区切って年単位で、いや、月単位、週単位、果ては最小の1日単位の目標を見つけるのは?「あ、それなら出来る」こんな人が大半だろう。「不用品が溜まっていた押入れを整理する」「一手間かけ、最初からきちんと出汁をとる」「資格試験のため新しい語句を10個覚える」最小単位だから、これくらいの目標でいい。1日単位の目標を積み重ね、週単位の目標につなげていく。「家の一階のこことここをきれいにする」「和食料理の◯と△と◇を作ってみる」「資格勉強を⭐︎章まで進める」これをさらに月単位に、年単位につなげていく過程で人生の目標は少しずつ見えてくるだろうし、その過程で物事の捉え方に柔軟性も出てきて、陽転思考も容易になるだろう。陽転思考が出来ると、生きることそのものを楽しめるようになるから、自分も周りも前向きになるね。少し前の記事でも紹介した、老後の入り口で光を失った人も、目が見えなくなったからって大好きな登山をやめなくていいんだとわかってからは、健常者の登山仲間のサポートを得てバンバン登っているよ。人生、晴の日ばかりではないけれど、雨も雪もいつまでも降り続けることはない。写真は1番下の孫。
2022.09.11
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(注)9月6日に書いた記事。夫、けっきょく大学病院に転院することとなった。恐らく遠からぬ日に手術することになるので、また当面は「検査、検査」の日々だな。並行して、セカンドオピニオンを受けた診療所も訪れた。所長は、以前の記事でも述べたように、長らく旧帝大系の医学部附属病院に勤務するかたわら、漢方やアーユルヴェーダ、日本の伝統医学、チベット医学などの研究もすすめ、退職後は自身の信念に沿った診療所を立ち上げた方だ。いろいろとアドバイスを受ける。結果、夫が望む形での手術を、治療者側(=病院)に治療を受ける側(=患者)が希望し、受け入れてもらえるよう話し合いをする方向でまとまった。手術も含めた治療は、何より、当の患者側が納得した形で受けないと効果があらわれない。その意味で、「がんと診断された4月にすぐに切ってしまったら、こんなことにはならなかったのに」との意見は、第三者ゆえの無責任かつ的外れなものだとわかる。もう明かしてしまうが、娘婿のお父さんは、とある進行性の病に侵されていた。そのお父さん、生前、家族に告げていたそうな。「呼吸器をつけないと生きていけない状態になったとする。それは望まない」。この願い。仮に、家族がお父さんに生きていて欲しい一心で、お父さんの意思を超え、身体も言語が効かないお父さんに無理に呼吸器を着けたとしたら?お父さんは、、、どうだろう? その後、幸せになれたと思う?写真は、娘と孫たちを楽しませてくれたペンギン。
2022.09.11
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一難去ってまた一難。夫の大腸がん。幸いどこにも転移はしていなかったのだが、がんが出来た場所が場所(肛門近く)だけに、その至近距離にある前立腺を浸潤している可能性が高く、私も眼病でお世話になっている大学病院での精密検査を受けることとなった。ふうむ、、、。病気の治療って、ホンマ、チームプレイだわ、、、治療側と患者側がよく話し合って信頼関係を結び、その上に、より専門的な知識と技術を持つ第三者も取り込んで、ガッチリとスクラムを組み、やっとやっと出来るものだわ。こんな時こそ陽転思考。マイナス条件をも、いやマイナスだからこそのメリットを見出し、ポジティブにとらえてプラスに変える思考法。陽転と言っても、ある程度の年齢、具体的には還暦を過ぎる頃まで生きてきたなら、そんなに意識しなくても出来るんだけれどね、、、そう、もう大体わかっているもの。人生、一寸先は闇だとね。しかも、そのことからは、誰しも逃れられないとね。親戚や友人、知人、仕事仲間の中には、ローン完了まであと数年のところで、近所からの火事のあおりをうけ、自宅が全焼した人もいる。階段から落ちて腰の骨を折り、以後腰がまっすぐ伸びなくなった人もいる。障がいを持つ子どものケアに日夜奮闘していたら、ご主人が彼女を作って家を出て行った人もいる。会社社長のご主人の急死直後、実は莫大な借金があったと判明し、相続放棄の手続きをとることで借金問題は解決するも、当然ながらスカンピンになった人もいる。苦楽を共にした配偶者と2人で老後をゆっくり過ごそうとした、まさにその時、病を得、後遺症で発病半年も経たずに両目の光を失った人もいる。ブラック企業に酷使されたことが原因で心のバランスを崩して引きこもりとなった子どもさんが、回復しないまま中高年と呼ばれる年齢になってしまい、苦慮している人もいる。まあ、大したことは起きずにつつがなく人生を送っている人もいることはいるだろうが、少ないのではないかな。言えることは、どんな人にとっても時間は前へ進んでいくということ。だったら、失ったものより残ったものに目を向けた方が、それはよりスムーズに流れていくし、ここが大切なポイントなのだけれど、世の中、いろいろな人がいるから、そこも希望を捨てないでおきたいね。あのフジコ・ヘミングも言っていたじゃない。「ピアニストとして立とうとする私に意地悪なことをした人もいっぱいいたけれど、あなたの演奏で救われたと励ましてくれた人もいっぱいいたのよ」。写真は、1番上の孫と1番下の孫。
2022.09.05
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(注)9月3日に書いた記事。眠れない。困ったものだが、流れにまかそう。こういう時は、眠ろう眠ろうとすればするほど、気持ちとは裏腹に目が冴えてくるのが常。もちろん、アルコールは厳禁。これも、こんな状態で飲むと、酔えないどころか、逆に頭が変にシャープになり、考えなくてもいいことを考えてしまう。今日の午前中、夫と病院に行く。今度は心臓の検査。本当に手術を受けるって大変なんだ、、、身体がそれに耐えうるだけの条件を備えているかどうか、隅々までチェックしないといけない。それと、新たに浮上したのだが、がんが出来た位置からして、もしかして前立腺に転移している可能性もなきにしもあらずなので、そちらの検査もすると言う。経済的な不安も増している。夫は自営業。仕事を休めばたちまち収入に響いてくるのだ。妻の私も、コロナ第7波の影響で9月度もまだ3日しか仕事が入っていない(なんて、考えるところあって受けたくない仕事はお断りしているので、選ばなかったら仕事はある)。ううむ、、、。もっとも、保険があるし、高額医療費のバックもあるし、最悪、まさかの時のためにプールしておいた普通預金の口座がある(老後資金用の定額預金や小銭をコツコツ貯めた旅行預金とは別)。あまり、深刻にならないでおこう。ひどい環境で育ったにも関わらずまっすぐに育った娘と可愛い3人の孫もいるのだし。写真は、3人目の孫。
2022.09.05
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(注)9月1日に書いた記事。今月から有機野菜の宅配を頼むことになった。がんを患った夫の健康に配慮し、4月から食材はすべて有機物にしているのだけれど、自然食品店は遠いし、一般のスーパーなどで買った野菜を酢水に漬けて農薬除去する手間も億劫に感じられてきたためだ。第一回目に配送された野菜を見ると、正直、「えっ、あの値段で、これだけ?」と言う感じ。反面「農薬を使って普通に(?)野菜を作るだけでも大変なのに、そのうえ、、、なのだから、こんなものかな」とも。野菜関連で思い起こせば、私が大学4年生の時、養豚農家の跡取り息子との縁談が互いの親同士との間で、密かに進められていたものだ。何でも、父親同士が知り合いで、ある時、互いの息子と娘が同学年とわかった。「一度、2人を会わせてみたらどうかな。うちは南国の〇〇大を来春卒業予定で、岡山県の公務員試験に合格して、就職も確定している。もし結婚したら、娘さんには家業を任せたい。これからの時代は、農業も養豚も、経験ばかりでなく知識と新しいものを取り入れる積極性、そしてきちんとした計数管理が必要だ。大学で4年間学んだ娘さんなら、きっとうまくやってくれるだろう」。そこまで言われて、父は相手方の息子を用事ついでに見に行った(冬休みで帰省していたのだ)。実直な青年で、父は一目で好感を持ったそうな。「こりゃ、絶対に2人を会わせにゃいけん」。とは言え、何事もタイミング。2人とも、通う大学がある町に下宿していて実家に帰るにも簡単にはいかない身ゆえ、会わせる機会はそうあるものではないところに、その冬、私は学生最後の思い出作りと称して友人と旅行に行き、他にもアルバイトの都合その他でけっきょく帰省せず、卒業後は大阪で働き続けたので、その話は自然と立ち消え。親たちだけの間でおさまったわけだ。そもそも! 私もそうだったけれど、相手の男性だって結婚なんてまだ考えてもいなかっただろう。確かに、私は土や草に触れるとホッとする人間だし、動物も嫌いではないし、農家である父方の本家に行くたびにそこの牛や鶏と遊んで家畜にも親しんできた。とは言え、そのことと、農業や畜産を生業(なりわい)にすることとは、また別の問題である。それでも、何かのご縁があって親同士の話し合いが現実になっていたら、多分、私は今ごろ有機農業をやっていたと思うのだ。写真は、1番上の孫と真ん中の孫。1番上の孫は動物や昆虫が大好きで、将来は動物園に勤めたいと望んでいるが(ちなみに第2志望はコック)、はて、どうなるか?
2022.09.05
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(注)8月31日に書いた記事。自分、もしくは大切な家族、又はそれに準ずる人が、一般認識で「重篤な病」になったら、、、?ここで、我が体験を明かす。面識もあり(1人は小中の同級生、もう1人は社会人になってからの趣味仲間)、途切れ途切れながらも、○十年と交流があり、ゆえにLINEでも対話していた、2人の友。寒中見舞いと他の何かの返信ついでに我が夫がガンを患っていることを告げ「まわりの方々からは、がんは今や2人に1人がなる病気ですから一緒に頑張りましょうね」と励まされ、夫と私もそれを聞いて前向きになったとの旨、添えた。このお二人。どちらも肉親がガンに罹患し、1人はその肉親が亡くなった。だから、気持ちがわかってくれるかな、と甘え(今にすれば)過ぎたかな、、、。2人とも、私からの告知メールを受信したとたん、ピターッとメールは止まった、、、。きっと、何をどう返していいか、わからないのだと思う、、、私も30代の時にニフティで親しくしていた人から自身のガンを告知され、どう返事をしていいかわからず、うやむやにしているうち、その方が亡くなられたということがあったからね(本当に申し訳ないことをした)。それを百も承知で、このお2人、65歳の私とほぼ同年齢。相応の人生体験があるはずで、ならば、、、と。実際、この2人以外の何人もの友人や仕事仲間からは「大変ね。私は当事者ではなくても、、、」云々との趣旨のメールを受け取った。当の夫にこの話をしたら、夫もガン告知をしたら、かつての友人2人から、見事に連絡が途絶えたとか。別に、慰めとか励ましとか、そういうのを求めているのではないのだけれどね、、、個人の悩みはその人にしかわからないから、、、ガンを患った夫の苦痛や悲しみが、妻の私にも本当にはわからないように。うーん。何かなあ、、、とも感じる昨今。 写真は孫たち。
2022.09.05
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(注)8月30日に書いた記事。大腸がんを患った夫。手術のための第一弾の検査を今日受けたが、幸いにも転移していなかった。心よりホッ。それを伝えた娘からすぐにメール。「来春、小学生になる真ん中の子はもう決まったランドセルを背負って京都のじいじばあばに診てもらう、と張り切っている」と。このいじらしい期待に、「神様、どうぞ応えてやって下さいまし」との気持ちでいっぱいだ。写真は、孫たち。夫も、落ち着いたら、じいじばあばと慕ってくれる孫たち(まあ、小学生のうちだろう)と、ハワイかグァムかオーストラリア、国内なら、沖縄に行きたいと望んでいる(年齢に関係なく全員で楽しめるから)。恐らくは生前最後の旅行。1番上の孫とは、台湾と沖縄旅行、どちらも大いに楽しんだ。
2022.09.05
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(注)昨日に書いた記事。夜半に突然目が覚めた。「痛い」。胃が攣っているのが、はっきりわかる。その都度、盛大な汗。時が時だけに簡単には病院にいけないから、夏布団をぎゅっと握り締め、歯をくいしばって何とか耐えるが、思わず声が出る。振り返れば、年に数回、私はこの種の痛みに襲われる。胃が攣って、その強度が強ければ、嘔吐。以後も1日か2日は、断続的な痛みに悩まされる。消化不良というやつだ。過去にこれをおこさせたのは、ビアソーセージであったり、生のままりんごやトマトやヨーグルトや豆乳とミキサーにかけた人参ジュースであったり(人参を軽くゆがいてジュースに使えば大丈夫)、取り過ぎたエンドウ豆であったり、今回は氷だ。焼酎のレモン割りに入れた氷が多過ぎたのだ。痛みって、辛いね。ただ、このたびは嘔吐がなかっただけでもマシ。吐くのは、これまた苦しいからね。今日は一日、横になったり、起き上がって少し家事をしたり、ダラダラ過ごした。夫の療養があるだけに、妻の私だけでも健康でないといけないのだが。写真は、孫たち。
2022.08.30
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もう10年近く前になるか。京都府内の某店で無塩麺と減塩つゆの宣伝販売を担当したことがある。「塩分過剰摂取が問題になっている昨今。さぞ売れるだろう」と思いきや、さっぱり。試食品の味の評判も良くない(正直に明かしてしまうが、トッピングの鰹節でごまかしても、つゆも麺も美味しくない。味に締まりがないのよ。頼りないの)。それでも、減塩つゆの方はポツポツと売れるけれど、無塩麺は全く。もし、昼休憩に入る前に、5袋もまとめ買いしてくれたあのお客さんが現れなかったら、その日、無塩麺は売上ゼロだったことだろう、、、実際、商品購入者はその後も現れなかったしね。そのお客さんは、タレントの堀智恵美が罹患したことで一般にも知られるようになったがんを患ったご主人を持つ方で、当然ながら、お客さんはご主人が退院した後も療養食作りに余念がない方だった。「それまで食べていた食事が(病気のために)食べられなくなったのがかわいそうで。特に麺類。主人は大好きだったから。でも、うどんやお素麺なら、柔らかくしたら大丈夫。ところが、塩分がねえ、、、。口内に染みるみたいなんですよ。つゆは私が手作りして塩分をギリギリまでコントロール出来ても、麺自体には最初から塩分がありますでしょ、、、。無塩麺なんて、自然食品店でないと売っていないし、その自然食品店がうちから遠くて。だから、こういう普通のスーパーでも、少しでいいから置いて欲しいわ」。ううむ、、、。がんが発生した部位こそ違え、同じ病を持つ家族を持つ身となった現在、このお客さんの気持ちはとてもわかる。2人に1人はがんになると言われ、がんでなくても、食事療法を伴う成人病を患う人も増えている現在。一般の人が通うスーパーでも、無塩や無添加や有機などの商品を扱い、さらにそれらを集めた専用のコーナーを作ってくれたら買い物もしやすくなってありがたいと感じるお客さんは、実は多いと思う。写真は、1番上と真ん中の孫、2人と陶芸や粘土細工をする夫。ピンクのバケツに入っているのは、苔玉だ。がんの痛みと独特の倦怠感に苦しんでいる時も、夫は土をいじっていた。根っから、土を使ってカタチあるものを創るのが好きなのだ。手術を受け、落ち着いたら、仕事と同じくらい夢中になれる苔玉作りと陶芸を存分にさせてあげて、静かに穏やかに暮らして行きたいと切に願う。
2022.08.28
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昨日、POP(店頭広告)の話題を振ったので、もう1つ紹介しよう。これは、2年前の我が拙ブログにも載せたのだが、こちらもイイPOPだと思う。色合いやレイアウトなどのデザインがどうのこうのと言うのではない。見るお客さんの、自分でも意識していない深層心理を見事に掴み、いつの間にか購入に結びつけてしまう、その企みがニクイのだ。ここは、比較的に高年層のお客さんが多い、極めて小ぶりな店。立地は住宅街のど真ん中で、いわゆる「私たちのかかりつけスーパー」。時期は3月で、ほうれん草は、ぶっちゃけ、季節外れ。そこで、販売担当者は考えたのだろう。「60代以上のお客さんは、ほうれん草は秋のものと思い込んでいる傾向があるし、メニューも和食もの中心。ここは、パンやパスタにもマッチする、そして春らしい軽快感があるレシピを提案し、売上に結びつけたい。もちろん、サッと作れるものでなくては」。彼か彼女だかは、料理本をめくり、レシピを検索。「こりゃエエ」と、ピンときたものを選び出した。私が評価したいのは、この後、彼か彼女だかが、これを整理し、わかりやすく、それも温もりのある手描きでまとめたことである。皆さんは目にされたことはないか、ラップされた調理見本(恐らくそこで働いているパートさんが作ったのだろう)が、そのレシピを掲載している雑誌のページと共に、店内のそこかしこにディスプレイされているのを。あれは、調理見本がよく知られているメニュー、例えばちらし寿司とかうな重(うな丼)とかならビジュアル的にも見栄えがしてお客さんに喜ばれるのだが、一般的でないメニューや初めて聞くメニューの場合は、お客さんにとってはまことに不親切なのよ。だって、考えてごらんなさい。商品が入った買い物かごを下げたまま、高い位置から雑誌を読むのは不便でしょ? 字も見えにくいし。それなら、お店の人の手で、字の大きさにも配慮しつつ易しく書いたものを、こちらと同じ目線で読ませて欲しいのだ。読んでいると、作りたくなってこない?そう感じさせた時点で、このPOPはもうじゅうぶんに仕事をしている。
2022.08.27
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思わずシャッターを切った。「私たちデモンストレーターも、このPOPみたいに、お客さんにバーンと語りかけないといけないな」と。先だって仕事で訪れた大型スーパーで、昼休憩中に店内で買い物をしていた時のことだ。この手描きPOP。色合いはケバいし、ごちゃごちゃ感は免れないし、数字の書体からして安売りモードてんこ盛りだが、とにかくインパクトがあるよね。「おっ。焼肉用の肉か。暑いし、週末やし、ホンマ、バーベキューもエエなあ。値段も3千円を切るんや。いっちょ買うたれや。1個では足りへんで。2個、いやもっと。余ったら冷凍したらええんやし」なんて気分にさせるよね。かつ、肉をカゴに入れた奥さんはこう言うだろう。「お肉だけでは栄養が偏るわ。キャベツやピーマンなどの野菜も加えないと。おうちバーベキューは準備も後片付けも簡単だからいいわねえ」。結果、青果の売上も伸びる。販売は小手先のテクニックではない。お客さんの深層に眠るニーズを掘り起こし、情に訴え、「ためしてみなはれ」と、背中を押してあげる行為だ。
2022.08.26
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(注)8月24日に書いた記事。セカンドオピニオンを受けた結果、自分でも納得のいくアドバイスを得られた夫は、ついに手術を受けることとなった。日時は、恐らく9月下旬。執刀医からは、「その日までに手術に耐える体力をつけておいて下さいね」と言われた。もっとも、この体力は手術しない道を選んでも必要だわなあ。がん自然療法の書籍で、「入浴し続け、その合間に玄米食を食べ、それだけで婦人科系のがんを治した」と語る人の体験記を読んだことがあるが、温泉療法というのも公に認められているから、これは本当の話だと思う。ただねー。皆さん、玄米食はさておき、一般にお風呂に長時間入るのはかなり疲れる行為だと思いません?つまり、くだんの彼女はそのことに耐えられるだけの体力を、年齢的にも持ち合わせていたのだ。理論の上では間違っていなくても、いざ自分の身に照らし合わせてみると、実際には不可能なこと、この世にはある、、、残念ながら。なお、体調不良に悩まされる時でも、夫はろくろをまわすことと苔玉を作ることは毎日欠かさなかった。聞けば、土を使って何かを作っていると痛みがやわらぎ、時に我を忘れるんだそうな。なるほど、土から芽を出した草を煎じた漢方薬が身体にマッチする理由もそこいらにあるのね(よって、夫は手術は受けても、その後の抗がん剤治療や化学治療、及び放射線治療は拒否するつもりでいる)。数多くの優れた紀行文を執筆したイギリスの探検家、イザベラ・バードも、ある医師に勧められた転地療法を繰り返しているうちに丈夫になり、病弱ゆえにあきらめていた結婚も手に入れた。人は1人1人違う。何療法でも、自分に合った治療を受けたら良くなる可能性は、誰しもが持っているだろう。写真は、真ん中の孫に陶芸用の土で粘土細工を教える夫。
2022.08.26
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(注)8月23日に書いた記事。8月21日。西大和(奈良県西部)にある大型店での仕事を終え、行き同様に2時間半かけて帰宅。キッチンのテーブルに座っていた夫を一目見るなり、「え?」と、目を見張り、ついで茫然とした。たった1日で、別人のように弱った夫がそこにいた。表情は平板で、声にも張りがない。聞けば食欲も全くなく、昼も夕も固形物はもちろん、豆乳やスープすらの液体ものですら内臓が受け付けない。「これではいけない」と、昨日のうちに私が特性スープと共に用意していた、「かぼちやの煮物」(甘味は麹を使う)と「きゅうりとわかめの酢の物」(砂糖なし。レモンなどの柑橘系果物の果汁を足し、ゴマを加えることで風味を出す)を無理やり口に入れたが、「味がしなかった」と言う。そして、「(温まると肛門奥に出来たがんの痛みがなくなるので)もう1度風呂に入ろうかと思ったけれど、その気力もない」と早々に2階にある寝室にこもってしまった。「今朝、私が出かける時までは普通に食べていたし、朝の散歩に出かけるくらいの力はあったのに」。ショックを受けた私は、「夜分、ごめんなさい」と、消化器系のがんを患ったことがあるご主人を持つ仕事仲間にメール。10分と置かずに返信がきた。「それががんです」。「ただし」と、彼女は続けていた。「急転は悪い方にばかりでなく、良い方にもあるから、あまり症状の変化に一喜一憂し過ぎないように」。彼女のご主人の場合、抗がん剤の副作用か、服用後の吐き気と下痢がひどく、体力を削がれて食事も喉を通らなくなったほど。肝心のがんの症状自体も一向によくなる気配がない。「こんなに我慢して治療に取り組んでいるのに、なぜ?」苛立ちと苦しさのあまり、ご主人は奥さんである彼女にたびたび当たった。それが、ある日とつぜんにその吐き気と下痢がおさまったと言う。「もうストーンと。昨日までのあれは何だったの? こんな感じで」。ふうん、、、。半信半疑はまだ消えないながら、そういうこともあるのなら本当にいちいち落ち込んでいてはいけないのだと胸に刻み、セカンド・オピニオンでの2度目の診察も受けた現在、また最初にがん告知をされた病院に、夫と来ている。ちなみに、今日の夫。昼食にグルテンフリーのワッフルを2枚も食べ(それもコーヒーといっしょに)、玄米がゆもお代わりしたほど、食欲は旺盛だ。写真は、1番上の孫と真ん中の孫。
2022.08.26
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(注)8月21日に書いた記事。これは、8年前の2014年の今日、奈良県橿原市にあるAコープ(昔の農協ね)に、エバラのプチット鍋を宣伝販売する仕事に行く途中で写した写真。ふと、感傷にふけってしまった。我がささやかなプランターのこと。昨年と違い、今年はマリーゴールドと共にひまわりがさっぱり。百日草や日日草は花盛りなのに、、、と残念がっていたら、何とお盆明け、時期外れでひまわりが咲き始めたではありませんか!ひまわりだよ!ミニひまわりじゃないんだよ!身近にいる大切な人が、必死の治療努力にもかかわらず、指の隙間から砂がこぼれ落ちるように弱っていく。このことに、本当はそうであってはいけないことを知りつつ、すっかり気落ちしていたが(うん。自分が病んだ時やり辛い)、まだまだあきらめてはいけないね、先だって受けたセカンド・オピニオンで希望が見えつつあるし。
2022.08.26
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(注)8月20日に書いた記事。明日は仕事。歩く距離を入れれば片道ざっと2時間半はかかる、奈良県の某大型スーパーに行く。問題は夫の食事。以前にも記事にしたとおり、高校生の時から自炊かつ飲食店の厨房でアルバイトをしていた夫は料理はお手のものなので、本来なら私が1日や2日どころかそれ以上キッチンに立てなくても何ら問題はないのだが、それは夫が健康な状態であっての話。現在は違うからねえ、、、療養中であるからにはそれ用の食事が必要で、これが、手間も暇もかけねば作れない。炒めたタマネギに、カボチャやらゴボウやらニンジンなどの根野菜スライスとベジロス(野菜のヘタや芯その他の食べられない部分を集めておいたものを30分以上もグツグツと煮て濾した、贅沢な野菜出汁)を加えて煮込み、ミキサーにかけてペースト状にして豆乳で伸ばす特性スープ。病んだ人に「私がいない時は自分でお願い」なんて、言えますか?他にも砂糖なしの三杯酢なり煮汁なりで作る料理は味が染みるまでに時間を要するので、夕食に食べるためには遅くとも昼食後すぐに調理にとりかかる必要がある。まあ、作り置き出来ないことはないが、味と調理器具の容量の面で限度があるわなあ。こう考えていくと、今後は私の仕事にも影響が出てくるだろう。事実、現段階でも2日連続の遠方仕事はもう無理だもの。いろいろと考える。でも!こういうフレキシブルな事態に対応出来るのも、デモンストレーターならではよ。どうこう言っても、まだまだ家庭の状況に公私ともども左右されやすい日本女性。その点、日雇い身分ではあっても、この仕事は対応しやすいのが利点。写真は1番上の孫(9歳)。
2022.08.26
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(注)8月17日に書いた記事。、久方ぶりの内科検診(血圧)。盆明けの影響か? かなり強い雨が降っている天候にもかかわらず、診療所の待合室は人だらけ。コロナ第7波が猛威を振るっている昨今。問題ないんかいな、こんなに密集していて。夫がセカンド・オピニオンを受けた結果、少しだけだが希望が見えてきたところで、ほったらかしにしていた自分の健康を振り返るゆとりが出来た。高血圧対策。やはり、放っておいてはいけないわ。今朝のラジオの某コーナー(歴史上の人物は現代の医学でとらえたら何の病で亡くなったか、を取り上げるコーナー)でも、言っていた。「上杉謙信の死因は、高血圧からくる脳溢血」だと。放送によると、上杉謙信は酒が大好きで、つまみにも味噌や塩魚など、極めて塩分が高い食材を選ぶ傾向があったらしい。その毎日の食習慣が積もり積もって、、、と言うわけだ。そうなんだよね。習慣なんだよね。難病でなくても、例えばただの風邪や腹下しでも、病のほとんどは個人の日々の習慣がもたらした、カラダの「突然変異」だ。夫のためにも、自分の健康にも留意していこう。写真は、1番下の孫。この7月で3歳になった。
2022.08.23
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(注)8月16日に書いた記事。セカンド・オピニオン。この単語を耳にしたのは、今から10年ほど前のことだったか。当時、住んでいた地域で親しくなったご近所のご主人が、その朝たまたま夫と共にした散歩の雑談がてら、こう漏らしたそうな。「俺、健康診断でひっかかってもうてな、、、心臓に異常があるらしい。やから、来月、心臓手術を受けるねん」。帰ってきた夫は、ご主人の言葉を状況と共に伝えたのち、私に言った。「心臓手術なんて、スゴいことやんか。俺なら、そう診断された病院以外の病院でも、検査を受けるけどなあ。もしかして、切らんでもエエかも知れんから」私も心よりそう思った。翌日に立った現場で、久方ぶりに会った仕事仲間に、昼休憩中、この話を振ったら、「ウチの親戚にも食道がんを患った人がいて、最初に診てもろたところでは臓器を摘出せなあかんと言われた。でも、念のために診てもろた別の病院では、そんなんせんかて何とかなる、こう言われて」。この、「念のため、別の病院でも診てもらう」行為をセカンドオピニオンと言うのだと、彼女との会話から知った。がんをはじめ、重篤な病に罹患した場合は、カテゴリーにとらわれず多角的に情報を集めることが何より大切だと、心より感じる。写真は、1番下の孫(3歳)。
2022.08.23
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(注)8月10日に書いた記事。個人的に定めた「夏休み」に入って、1週間と少し経った。元々8月は、2月と並び、仕事が少ない月。これはコロナ以前からの現象で、娘が大学生だったり、夫が事業でこしらえた借金の一部を私も背負ったり、親戚間で互いの子どもたちの結婚や出産が重なったり、要するにお金が切実に必要だった頃には本当に困った。10年ほど前まで、ほぼ毎年、この2つの月には仕事を振ってくれる派遣会社に「お仕事おねだりメール」をさかんに送っていたものだ。幸いそんなこともしなくてよくなり、ほっとひと息ついていたら、今度は夫の罹病。経過は順調とはいいがたく、今日セカンドオピニオンを受けた。「You Gave Me a Mountain」という歌がある。アメリカのカントリー系シンガー・ソングライター、マーティ・ロビンスの自作自演曲だが、日本では断トツでエルヴィス・プレスリーのカバー盤が知られている。(大意)砂漠の真ん中で生まれ、同時に母は死に、父には嫌われて育った。今、私は監獄の中。神よ、あなたはこれまで私に小高い山(hill)を下さり、その一つ一つを私は超えてきた。でも、あなたは今度は高い山を下さった。決して超えられない、高い山を。10代から20代は恋愛に苦しみ、40代から50代は経済に苦しみ、何とか超えて、しばらくしたら病。一定以上の人生体験をしてきた方なら、身に染みる歌詞だと思う。写真は、その晩年のプレスリー(Public Domain. 横にいるのは、当時のアメリカ大統領、ニクソン。プレスリーが「You Gave Me a Mountain」を歌ったのは、彼の晩年期だった)。
2022.08.17
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(注)8月13日に書いた記事。8月9日。進行性大腸がんを患っている夫は、某診療所でセカンド・オピニオンを受けた。少しだけだが、希望が見えてきた。セカンド・オピニオンは保険が効かないなどのデメリットもあるが、重篤な病や手術の場合、やはり情報は多角的な方がいいと、心より感じた。がん治療の三大要素、「手術」「抗がん剤」「化学治療」のすべてを拒否し、自然治癒法に賭けた夫。それを認め、サポートした私だったけれど、、、。ある時から、苛立ちを覚えるようになったのね。「夫婦共々、ここまで一生懸命に(治療を)やっている。なのに、一向に良くならないどころか、むしろ緩やかに弱ってくるのは、なぜ?」。「3」は、何事においても意味のある数字。節目の数字であり、けじめの数字でもある。つまり、3ヶ月経っても、効果の端っこすら見受けられないのは、問題だと思うのだ。そこで、夫にセカンド・オピニオンを推奨した。「あの病院では切らないといけないと言われた。しかし、別の病院では、(切らなくて)別の方法もあるよと、診断される可能性もあるんじゃない? 患者の立場から、もっともっと情報を集めようよ!」セカンドオピニオンを受けた結果は、多分プラスだろう。次回、詳しく説明する。写真は、沖縄の水族館を訪れた娘と孫たち。
2022.08.17
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先だって、店内における過剰冷房について記事を書いていて、思い出した。数年前の7月末に実施した、湖北地方(滋賀県北部)にある大型スーパーでの生ラーメンのデモンストレーションのこと。派遣会社の話では、デモ実施メニューは冷やし中華のはずだった。それなのに、現場である店舗に着いてみれば、売場には通常のラーメンが山積み。肝心の冷やし中華はその隅っこに追いやられている。私が、「試食は冷やし中華でと聞いているんですけどねえ」と、派遣会社が送ってきた指示書を見せながら、その店の部門担当者に言うと「ん? そうなん? でも、本部からは生ラーメンでと、昨日も電話があったで」。ははーん。メーカーから店へ商品が流れるルートのどこかで連絡ミスが生じて、こうなったのね。よくあることだ。ともあれ、目の前にあるのは、多量の生ラーメン。店側としては、スペースの面からも、これをさばいて欲しいわなあ。と言うわけで、冬は雪国のイメージが強い湖北ですら茹で上がってしまうように暑い中、冷やし中華の予定を変えて生ラーメンのデモがスタートした。「こんな日に熱いラーメンなんて。そもそも試食してくれるかどうかも大いに疑問だ」 大いなる不安を抱えてデモ場所に立った私だが、あらあら、いざデモが始まってみると、どんどん無くなっていく、、、ラーメンを入れた試食カップが。「買い物をしているうちに、(店内冷房で)寒なってきた。やから、あったかいものは嬉しいワ」の言葉に代表される声と共に。その声が、試食しているうちに「ずっと冷房した中にいると身体によくない。温かいものも食べて、内臓をいたわらな」「そうそう! 冷え過ぎると胃腸の働きがおかしくなるし、代謝が悪くなって肥えやすくもなるんやな」「暑いからこそ熱いものを食べて汗をかくのも、ま、健康に悪いものでもないわなあ」などのお客さん個人個人の「感想」となり、やがて共鳴しあってオピニオンとなり、売上に結びついていく。販売結果は完売だった。プラス、個人的には、極めて単純な、それゆえに「外せない」要素が作用したと思っている。すなわち、、、うどんもそうだが、ラーメンは温かい方が美味しいのだよ。冷やし中華も悪くないが、やはりラーメンは、立ち上るスープの風味と共に堪能するものだよ。写真は、山形県のご当地ラーメン、米沢ラーメン。
2022.08.05
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私が、「店内過剰冷房症候群」(個人で勝手につけた)の洗礼を受けたのは、デモンストレーター業に就いて5ヶ月ほど経った頃。とあるメーカーの乳製品を宣伝販売するため、京都府にあった某中型スーパーに赴いた時のことだ。デモ担当商品の特性もあるが、とにかくひんやりし過ぎる現場。仕事を始めて1時間もしないうちに、鳥肌がたち、指先は痺れて、鼻水まで出てきた。「あんた、やばいで。これ使って、カラダ温めや」たまたま当日、たれの宣伝販売で同じ店に来ていた他社のベテラン・デモンストレーターが、持参のカイロを1枚わけてくれた。「店やデモ場所によっては、真夏でも異様に寒いところがあるよってになあ。ウチは、この仕事長いし、ここも初めてではないから、知ってたんやけど」彼女の言葉に含まれた真意を、その後、幾度となく私は自らの肉体て体感することにより、知ることとなる。過剰冷房に悩まされているのは、デモンストレーターばかりではない。店のチェッカー(レジ係)もそうだ。くだんの中型スーパーのチェッカーの1人(私にカイロをくれたベテラン・デモンストレーターと懇意らしく、昼休憩時、私たちと一緒のテーブルに座った)は語った。「チェッカーは、基本、レジ機のそばにいないといけない。つまり動きませんから、冷気がモロこたえます。夏でも冬用制服の上着を羽織る人もいるし、分厚い素材のハイソックスはほぼ全員がはいています」さらに、タイツを着用したり、腰回りにカイロを貼る人もいるとか。「私も夏用の薄い腹巻をおなかに付けていますよ。おなかが冷えるとトイレが近くなりますもん」ここで彼女は、チェッカーの制服はスカートですしね、と呟くように言った。ふうむ、、、。生鮮を扱う業種柄、店内冷房は欠かせないが、それは時としてそこで働く者に辛い思いをさせるケースもある。そこいらのところも考慮した上で、店は営業されているのかしらん。ともあれ、「カーディガンなどの防寒用の上着とカイロは年がら年中所持しておく」ことは、デモンストレーターとしての必須事項なのだ。写真は真ん中の孫。沖縄旅行で、パイナップル入りソーダのかき氷を食べているところ。
2022.08.02
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昨日は奈良県にある大型スーパーの農産部門で推奨販売。幸いなるかな。同店の店内冷房は適切で、1週間ほど前に立った兵庫県南部の現場での不快な体験(冷え過ぎによる腹痛)はしないですんだ。あの時は、下腹が異様に動き出し、そのうち痛みを伴ってグルグルと音を出し始め、「ややっ、これは!」と危機を感じた時点で、当の下腹にカイロを貼ったから、何とかなった。「ええっ、真夏にカイロなの?」と、驚くあなた。ハイ、常識を覆す真実がこれ。「真夏にカイロは、店舗の、特に生鮮を扱う部門では珍しいことではないんですよ」。ベテランのデモンストレーターほど、このことを知っているからこそ、年がら年中、主に貼るタイプのカイロを持ち歩く。カイロメーカー、大喜び?写真は、昨日の現場が入っているビルの某コーナーのディスプレイ。「せめて見た目だけでも涼しさを味わって」とのアピールか?
2022.07.31
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今日の仕事に向かうべく乗った公共交通機関の車内にて。こういう遊び心ある試みは、利用する側にとってもありがたい。連日の猛暑からくる心身の疲れを癒してくれる。
2022.07.30
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(注)7月29日に書いた記事。明日は奈良県にある大型店の青果部で仕事をする。そして、この現場を無事につとめ終えたら、私はいちおう夏休みに入る予定だ(既に決まっている案件はこなすが、あらたには受けない。少なくとも夏の間は)。まあ、このことは、別記事で詳細に述べるとして。今日も朝から暑いね。特に、我がまち京都は風通しの悪い盆地だから、その暑さが独特。どう形容したらよいか、、、とにかく、肌にぬめっとまとわりつくような熱気が、全身を覆う。こうなると、じっとしていても汗をかく。汗はアトピー性皮膚炎持ちの身には大敵。半端ない痒みを誘発するからだ。痒いから患部を掻く。掻くからまた菌が入る。菌がはいるからまた患部悪化。負の連鎖やね。私が、夫のセカンドオピニオンの費用もあるのに(セカンドオピニオンは保険が効かない。実費)、敢えて夏休みをとろうと決めた理由の1つが、ここにある。負の連鎖を断ち切ること。もう、金銭の問題じゃない。と、まあ、こんな状況下で、現在話題になっている宗教などにのめり込む人もいるんだろうな、、、人間、強くないからね。写真は、沖縄旅行中の娘とその3人の子ども。
2022.07.30
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(注)7月27日に書いた記事。今日、いや既に昨日になったのか、ともあれ7月26日の暑かったことよ!時の流れすら止まった? そよとも風が吹かないのだよん。もう一歩たりとも外に出たくなかった、、、と言うのが本音。実際には、生活上の必要もあり、そんなわけにはいかないのだけれど。こんな日に限って(?)、臨時の、それも屋外仕事の打診があることは、だてにこの仕事を19年続けたわけではない身には、じゅうぶん納得できる。まあ、仕事に限らず、人生とはこんなものだな。朝食後、片付けをして洗面所で見繕いしていたら、けたたましく携帯が鳴った。派遣会社の1つから、本日の案件。場所はJRの某駅構内。きっと、そこを担当していた人にアクシデントがあって現場に立てなくなったのね。予定があったのと、自身の健康優先のため今夏に限り新たな案件はお受けしないことに決めていたという、この2つの理由でお断りした。直後、仕事仲間の1人に「こんなことがあったんだよ」とメールしたら「あなた、それで正解よ」と返事があった、「真夏の駅構内での仕事なんて、過酷も過酷」との但し書き付きで。わかるわあ。こちらも長年にわたってこの仕事をしているのだ。真夏に駅構内で働いた体験がないわけではない。彼女のセリフ、「過酷も過酷」はじゅうぶん理解出来る。それでも、年齢によっては、、、なのも、事実。10年前なら受けていたかも知れない。写真は、現在沖縄を旅している娘一家が送ってきたもの。
2022.07.30
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(注)7月24日に書いた記事。屋外デモンストレーションは、季節によっては、アスファルト道路を溶かすような熱気、もしくは骨の髄まで麻痺させてしまう容赦ない寒気、いずれかのもとで行うことも珍しくなく、ゆえに身体的には辛い業務であることは、これまでの記事で繰り返し述べた。それでも、、、。屋内のデモンストレーションも、それなりにハードだと、今日の農産関連の仕事を通じて感じたね。冷房効き過ぎ?いや、もしかして、基本、デモ場所から動かないデモンストレーターが、動かないゆえにそう感じているだけ?うーん?ともあれ、現場である店舗の冷房が65歳の身には真実きつく、午前中悩まされた腹痛の対策を急遽立てたほど。
2022.07.30
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今日は、京都・奈良・大阪の、ちょうど境目付近にあたる学園都市での、お米の宣伝販売。ぶっちゃけ。夏場は米の売上、全般にイマイチなんだな。とは言え、小麦価格の高騰でパンもうどんも高くなっている現在、値段面でも米を見直して欲しいわ、、、と心で思っていたら、それがお客様に通じたのか、今日の販売数は上々。わーい、なのだ。ただ、我が担当米のすぐ隣に並んでいた競合米を購入されたお客様の1人のセリフは身に染みたな。その米は、失礼ながら担当米よりブランド力も低く、価格も100円高い。しかも、担当米を買うと必ず2合分の同米サンプルがオマケとして付くのだが、そのことを考慮しても尚、その方は競合米を選ばれたのだ。理由は、商品に取手がついていて持ち運びしやすいから。「(私は)1人暮らしのバァさんやからね、食べる量は少ない。けれども、2キロの米は割高なんで、いつも5キロを買う。としたら、100円くらい高くてオマケがなくても、持って帰るのに楽な方がええねん。重いのはイヤや」。ううむ、、、。実は、担当米のパッケージにも、取手ではないが持ち運びに配慮した仕組みがあった。あったが、パッと見はわかりにくいし、わかっても、持ちやすさという点では、競合米が完全に上。高年の一人暮らしが増えている昨今。この「重量」を、メーカーはもっと考慮に入れてもいいと思う。と言うのは、後期高齢者に入ったばかりの私でも、数年前から、1ℓかそれ以上の調味料やら飲料やらを持って歩くことを負担に感じ始めたからだ。宣伝販売の仕事を続けてきた人なら、1度ならず経験があろう。「米でも酢でもつゆでも容量が多いもの、栄養ドリンクなら10本セットよりケース買いを(お客様に)すすめよう」と、派遣会社やエージェンシーから指示されること。利益を考えたら、確かにその通りながら、、、ちょっと考えて。そんな指示を出す人は、決まって30代40代の働きざかり。客観的に見れば、まだまだ気力体力、共にある。あればこその「容量が多いものをすすめて」なのだとは百も承知で、やはり提言したい。「あなたたちが想像している以上に高齢化は進んでいる。ならば、それに対応する販売方法があってもよいのではないの?」と。
2022.07.23
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明日からまた連続仕事。と言っても、7月はわずか4日しか仕事が入っていない。夫の療養、それに付随しての妻の私の健康問題に障害が生じたからだ。少し休まないと共倒れになる。家族に病人や介護人がいると、大袈裟でなく、1日中家事に追われると言ったのは、滋賀県北部のホームセンターで隣同士になった同業者(派遣会社が別のデモンストレーター)だったか。彼女は、かつては寝たきりのお姑さんの介護に明け暮れていた人だった。「洗濯物からして、半端でない。尿も便も本人は知らないうちに漏らすから、下着もズボンも寝ていたシーツも、時にズボンの上に着ていたシャツも洗わないといけない」そこからして、彼女の苦悩がわかった。老人の排泄物の臭いは、私も少しの期間だけ義父の介護をしたので知っているけれど、赤ちゃんのそれとは全く違う。その体験があるだけに、真実、思いやってしまう。大腸癌を患った我が夫は、まだ仕事を含める日常生活は出来ているけれど、自然治癒を選択したがゆえんの本人も周りの人間の負担も、小さくはないものよ。手間暇かかる治療食に始まり、薬草湯、薬草茶作り、夫がこれまで担っていた、例えば苔玉管理やらヨーグルト作り、その他もろもろ。本当に休もう。
2022.07.22
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「50過ぎたら、ものは引き算、心は足し算」(沖幸子 著)。家事代行会社の掃除部門で働いている親友の話によると、サービスを依頼するのは高齢の方が多いそうな。わかる気がする。掃除機1つとっても、体力が落ちて骨ももろくなった身体であれを扱うのは、正直、辛い時があるだろう。さらに、ほとんどの家でものが溢れる現在だ。こちらのこれをどけて、そちらのあれを他に移し、掃除機+モップ+その他諸々となるとさらなる体力も必要で、掃除が嫌いでなくてもイヤになり、後回しにしてしまうケースは、大いに考えられる。自身も掃除面での家事代行会社経営者の沖幸子氏は、高年者のそんな傾向を「年を重ねれば仕方のないこと」と擁護し、だからこそ1回5分で出来る「体力引き算掃除」を提唱する。同時に、そのためには、生活する中でのものの引き算、それと呼応する形での本当に必要なものを見極める心の足し算、この両者も必要だと説き、具体的なノウハウを伝授したのが、この本。尚、掃除を職業とする前から掃除が大得意な親友によると、「掃除が苦手な人ほど、まとめて(掃除を)しようとするけれど、汚れたら、その都度その都度サッと対処するのがキレイのコツ。その意味で100円ショップの卓上手ぼうきやメーカーものでも3000円もしない卓上掃除機は、役立つのよ」。これと同意見の記述も、本書で述べられている。
2022.07.17
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天の恵みか?屋外デモンストレーションが行われた7月10日は、朝から小雨が降りしきっており、雨が上がった後もおおむね曇天で、さほど気温は上がらなかった。おかげで、私は、こまめに水分補給したり休憩したりなどの熱中症対策をしなくても、無事に生きて帰ることが出来たのである。ただ、湿度はかなり高く、これが身体にかなりダメージを与えたのだろう。仕事明けの一昨日は最低限の用事だけして一日中ダラダラ過ごし、昨日もほぼ同じような日だったのに、時を問わず眠くて眠くてたまらず、実はこの記事を書いている今もそうなのだ。眠い。横になりたい。ただ、眠気覚ましに飲むコーヒーは美味しいと感じるから、大したことはないのだろう。明日になれば、元のコンディションにきっと戻っているはずだ。ともあれ、今回を最後に、屋外でのデモンストレーションはお断りすることに決めた。屋外デモンストレーションは、19年目を迎えるデモンストレーター人生でしばしば体験していて、辛い中にも楽しんだり学んだりしたこともあるのだけれど。写真は、子ども料理教室に参加した、上の孫と真ん中の孫。
2022.07.13
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