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(注)7月6日に書いた記事。夫ではなく私の健康上の理由で、しばらくブログをお休みしてしまった。梅雨明けと同時に列島を襲った、ただならぬ暑さ。何なんでしょうね。地球温暖化の一言では済まされなぬ異常さがある。急激な気温の変化に身体がついていかず、横になりたくて仕方がない日が続いた。夫の大腸ガン告知以来、ぶっちゃけ、自分の健康は、メンタル面も含めて後回しになっていたし。ここで、大きな支えになってくれたのが、娘。自分も共働き、それも最近はブラック職とも言われる教員なのに、こちらの愚痴をLINEでよく聞いてくれたし、適切なアドバイスもしてくれた。もちろん、3人の孫の写真もよく送ってくれる。娘は、25歳の終わり頃に結婚した私が28歳になってほどなく産んだ、たった1人の子ども(つまり、なかなか妊娠しにくい身体なのだろう、、、その後も子どもに恵まれなかったから。子どもは3人欲しいと願っていたのだが)。きっと、天の神様からの贈り物なのだろう。今日は、その娘が産んだ3人目の子ども(この点でも娘は私の夢をかなえてくれたわけ)のバースデイ。
2022.07.13
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夏はまさしく始まったばかりなのに、本州では異様な暑さが続いている。何、これ? 異常気象?こうまで気温が上がると、いくら電気代が上がっていても、節電もへったくれもあったもんじゃない。命、イノチにかかわってきますよ。実際、知人の1人は、数年前の真夏、エアコンなしで寝ていて、そのまま逝った。死因は熱中症。あれは睡眠中にも起こるのだと、その時に初めて知った。もっとも、知人がエアコンをつけずに寝ていたのは金の問題ではなく、体質的にエアコンなどの人工の冷気が合わなかったから。職人の彼は自宅の一部を作業場とし、そこで真夏でも冷房なしで仕事をし、夜も家族と離れた部屋で窓を開けた状態でそのまま寝ていたと言う。、、、なんて、私もこの7月10日、屋外で実施されるデモンストレーション案件を受けている。これは、6月上旬に打診され、その時はまさか7月上旬にこんな気象になるとは思わなかったので受けたのだ、、、実際、昨年の7月10前後は梅雨時の不快な湿度は残っているものの、暑さ自体はまだ大したことはなかった(7月12日に仕事をしたから覚えている)。この日、夫のラインと娘のラインに1時間ごとにメールを送ることになっている。生存確認である。7月10日。私は生きて帰宅することが出来るだろうか?写真は、6月29日、北大阪の某百貨店で仕事をした帰りに写したもの。この広場で、携帯のPRスタッフはイベント広場での仕事をこなしていた。心より「お疲れさま」と労いたい。
2022.07.02
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(注)6月26日に書いた記事。さあ、仕事。頭を切り替え、ベストを尽くそう。今日が終わったら、しばらく休もう。自分の健康が、このところ、後回しだったから。
2022.07.02
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(注)6月24日に書いた記事,来月と来来月の7月と8月。仕事のオファーはあるのだが、どうしようかと。と言うのは、旦那の大腸ガン告知後も、まあ、なんとかやってきたが、ここ数日、突然襲う目眩が止まらない。貧血? いや違う。目眩の種類でわかる。振り返れば、旦那の大腸がん告知後、我が高血圧の薬も飲んだり飲まなかったり。血圧も測ったり測らなかったり。自分の健康状態は後回し。今日、血圧をはかったら、140の110。うーん? どうしよう?まあ、定年退職後の旦那が鬱陶しいとか何とかのネット記事はよく見かけるが、皆さん、一家の生計を支えてくれたのは、現時点ではほとんど旦那さんだと思うよ。旦那さんの気持ちもわかってあげましょう。
2022.07.02
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(注)6月24日に書いた記事。このたび貯蓄性が高いタイプの某保険がめでたく満期となったのだが、その2ヶ月ほど前からかしらね、そこの営業からたびたび電話がかかってくるようになったのは。かいつまめば、満期になった保険を元に別の保険に誘導ってわけだが、トークのうまさはさすが! プロのセールスマンだわ。「こりゃ会ったら契約に持っていかれる」と本気で思った。で、さかんにアポをとりたがる営業に、何かと理由をつけてノラリクラリ。正解だった。ね、契約したくなければ会わない。逆に契約を取る側からすれば会う。これだよ。シンプルなことだ。営業は基本的には人対人だからね。
2022.07.02
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(注)6月21日に書いた記事。ブログに「仕事中にギャンブルの話をする人を初めて見た」と書いた。ギャンブル自体は個人の趣味だから否定しないし、職場でも休憩時間などに仲間うちで話題にしているのは目撃したことがあり、それは別に抵抗を感じなかったけれど、仕事をしている最中には、、、ね!ここで思い出すのが、デモンストレーター駆け出し時代の私に、段取りや盛り付けなどを、それこそかゆいところに手が届かんばかりに親切に教えてくれた、他社のベテランデモンストレーター。「あんた、一生懸命に仕事しているから、助けてやりたい思うたんや」。この彼女が、実はパチンコに狂ってすべてを失った過去を持つと、彼女自身の口から聞いたのは、いつ頃だったか。人生そのものが賭け、すなわちギャンブルだと考えている私には、パチンコにしろ競馬にしろ競艇にしろ、そこにのめり込む心理がもう一つわからない。そんな私でも、オヤジギャルがブームになっていた時に社内の付き合いで「1度だけ」と、500円の券を買ったことがある。結果、大穴で10万円となって返ってきたが、「この金は天からの施しもの」と、翌日に証券会社で中国ファンドとして預け、2度と賭け事はしなかった。くだんの「パチンコでつまずいた」彼女に「パチンコって、そんなに面白いんですか?」と聞くと、「面白いと言うより、私には必要なもの。今も、昔より回数は減ったし無茶もしないけれど、時々行っているよ」。そして、「私は私の道を行くしかないから」と、サバサバした表情で語った。新人の私にさえあんなに気遣いしてくれ、昼食後のコーヒーもおごってくれるほどに優しい彼女。何か、心の奥底に欠落を感じているものがあり、それが彼女をパチンコに駆り立てたのかも知れないな。誰しも「闇」を持っている。悲しいかな。人によっては、自分でそれを見ることも、まして感じることも出来ないのだ。
2022.07.02
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(注)6月20日に書いた記事。2004年2月にデモンストレーターデビューしたから、今年で19年目か。各店舗に立ち、必然的にそこの裏側も垣間みる機会に恵まれ、結果、パワハラや障がい枠で雇用されたであろう同僚に対するいじめなども度々目撃してきた。この土日の現場もそう。あれはひどい。仕事を教える側と教わる側=上司と部下、あるいは、先輩と後輩。新人は仕事に慣れないゆえ、指示の早とちりや勘違いもある。それを、矢継ぎ早に小言を飛ばし、新人に「ハイ、わかりました」としか返せない返事を強要した後、「ハイと言ったからには、ミスは絶対に許さない。わかったか」なんて、ちょっと、ひどすぎますよ。それでいて、この上司だか先輩だか、作業をしながらギャンブルの話を自慢げにする。私、この仕事を始めて19年目に初めて見ました、、、仕事中にギャンブルを話題にする人。いや、ギャンブルは個人の趣味だから別に否定はしないんだが、少なくとも仕事をしている時に、勝ったの負けたの、笑いながらでも周りに言いますか?あんなのが指導的立場になるとはね!これは、あのチェーンに勤める99.9%の人はいい人でも(実際その通り)、そのたった1人のために、企業イメージは大幅に落ちることを意味する。そう! たった1人のために。故市原悦子主演でお馴染みの、「家政婦は見た」ならぬ「デモンストレーターは見た」なのだ。
2022.07.02
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(注)6月19日に書いた記事。「やっぱり試食があると売上が違う」。久方ぶりに試食付きの宣伝販売を実施した昨日、確かに感じた。そりゃ、「食べさせてもらった」という、お客さん側からすれば、ちょっとした「恩」を受けているわけだからねえ。この点、日本人は、極めて律儀な民族だ。それにしても、いつまでマスクが続くのか?昨朝のラジオニュースが語るところでは、中欧のスイスなど、もうとっくにノーマスクに戻り、街中のレストランやカフェでは人々が談笑し合う以前通りの光景が見られるというじゃないの。なのに、日本では、いまだ「マスク」であり、「ワクチン」。昨日、仕事で一日中マスクをしていたら、案のじょう夕方になって小鼻あたりを中心に肌がむず痒くなり、思わず掻いていたら引っ掻き傷が出来てしまった。ノーマスク社会。いつになったら実現するのか?写真は京都タワー。
2022.07.02
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(注)6月18日に書いた記事。今日からまた連続仕事。夫の病に気をとられ、我が健康の方はほったらかしになっている。これ、ダメだわ。意識して注意しないと。介護や看病の問題って、そのむかし八代亜紀が歌った「ともしび」の歌詞にうかがえるように、介護や看病を担う側の、多分に自己犠牲的な言動を美化する世間風潮の影に隠れてきた。そんなものじゃないんだよね、実際は。
2022.07.02
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(注)6月17日に書いた記事。明日から、また連続仕事。しかも、このご時世には珍しく、試食を伴う。いや、ご時世ではなく、コロナ禍にも慣れ、「With コロナ」の観点から、それなりのライフスタイルが確立しつつあるのかも知れない。5月15日と16日、進行性大腸癌を患う夫と2人、和歌山県は高野山での宿坊体験を楽しんできた。短い時ではあったが、写経、瞑想、精進料理、おつとめ参加、護摩炊き参加などなど、初めて寺で過ごすことを、どちらも楽しんだ。プラス、果物の加糖をも含む糖分は一切ノーの禁止を破り、団子だのわらび餅だのヴィーガンケーキだの食べ、それらの甘味にホクホクしている旦那の笑顔。こちらも救われたよ。栄養学をも含む医学的にはどうか知らないが、糖分を摂り続けた旦那の脳にはアドレナリン出まくりで、これが免疫力アップにつながる可能性は、、、ひいては癌完治の可能性は、ない?治療食は相応の理論があり、多くの臨床実験を経て生まれたもので、その過程を思えば、はなから否定する気はないんだけれど、、、うーん、どうなんかな、「まずいなあ、まずいなあ。でも、これも治療の一つなんだよね。我慢せにゃ」と、食べる側に無理やり「アタマで」納得させたものを実質「食べさせる」食事療法なんか、効果あるんだろうか?写真は、高野山の山椒専門店で食べた、山椒トッピングのソフトクリーム。これを提供している店で、旦那は、特製わらび餅を食べたのだ。
2022.07.02
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(注)6月15日に書いた記事。今、夫と共に和歌山県高野山に、高速バスで向かっている。流行りの宿坊を、一泊二日で楽しむ予定。和歌山県というところは、同県出身の作家、中上健次もエッセイ中に書いているように、深い修行山もあれば広大な漁場もあるという、山場でも海場でも、さらには平場でも川場でも、つまりとこでも楽しめるスポットを持っている、なかなかに興味深い地である。当然、食べ物も美味しい。風景も素晴らしい。特急を使えば日帰り出来ない距離ではないため、仕事ではちょこちょこ訪れている和歌山県。それなのに、プライベートで訪れたのは、65年生きてきた中で、多分10回もないのではないかしら、、、通り過ぎたのみを入れるなら、もう少し増えるかも知れないけれど。その数少ない和歌山県プライベート旅。楽しんでこよう。写真は、高野山への入り口近くの道の駅。
2022.06.22
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(注)6月14日に書いた記事。夫の治療食が始まって2ヶ月が過ぎた。まだまだ試行錯誤の連続。下処理や前工程に一手間かかる割には思うような味が出せず、落ち込んだり、時に苛立ったり。仕事でも、作る料理にまず自分自身が満足出来ないと他人に提供出来ないタイプである。そのため、一度も作ったことがない試食メニューを披露する場合は、必ず自宅で予行演習をしていった。納得する味になるまで、量や火加減を調整しつつ、何度も繰り返す。料理と言うより、理科の実験だった。そうして得た「データ」をレシピに付加し、現場に立つ。データは我が脳の中では数値化かつ可視化されているから、そりゃもう、絶対の自信ですよ。逆に言えば、己のカンで初めての料理もササーッと作れる仲間が羨ましかった。羨ましかったが、その方面のヒラメキはゼロに等しいので、私は私のやり方を通すしかない。もっとも、料理初心者のお客さんにはすごく喜ばれたけれどね、、、〇〇を大さじ□杯振りかけたらすぐに鍋をゆすって材料全体になじませる、△△がクタっとなるまでは強火で、、、なんて、極めて具体的に説明出来たから(どれも「実験」過程で学んだこと)、「お姉さんは、親切に教えてくれはるワ」と、よく言われた。治療食の「実験」を楽しいと感じられるようになるまで、あとどれくらいかかるのだろう?
2022.06.22
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(注)6月10日に書いた記事。以前、「定年退職後の俺様夫」との同居が耐えられずに熟年離婚をした(10数年前のこと)、他社所属の同業者の話を紹介した。先だって立った現場で久々に再会した仲間にこの話をしたところ、「その人、勇気ある。私なら家のことしか出来へんのに1人でやっていけるはずないと考えてしまうけど、その人は逆に家のことが出来るということを売りにしたんや、、、。そこからして、やっぱり違う」。ですよねー。もっとも、家事代行業は、今や天下のイ◯ンも参入しているほどの有力ビジネスよ。つまり、家のことが出来るのは、報酬に結びつく立派なスキルなのだ。ずっと家庭にいた人が、何かのきっかけで「また働きたい。でも、自分には何の資格も特技もないし、、、」と悩むケースは多い。結果、医療事務や簿記など、主婦に人気がある資格がとれる講座にお金を払って通うケースも。それも悪くはないが、もし家事が得意なら、それを活かすのも手。家事全般でなく、料理専門、掃除専門という方法もあるし。ちなみに、我が親友。某家事代行会社の掃除専門に登録し、「大好きなお掃除をして、きれいにしてくれたと喜んでもらって、お給料までいただけるなんて」と、マイペースで仕事を楽しんでいる。
2022.06.22
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(注)6月10日に書いた記事。昨日に続き、今日も仕事が入ってきた。果物関連を中心に、まずは推奨販売という形で、少しずつ宣伝販売は復活してきている。明日からの2日間、京都府内の、具体的には京都市から急行で30分も走れば着いてしまうまちのスーパーに赴く。仕事があるのは嬉しいが、別の観点からは、ちと憂鬱になる。マスク付着による弊害である。小鼻のまわりに、痒みを伴ってポツポツ出来た赤いコレって、ニキビですかね?いや、65歳にもなってそれはなかろう。いわゆる吹き出物だ。特に皮膚が弱いわけでもないのに、長時間マスクをつけていると、決まって口から鼻にかけて息苦しさと共にむず痒さが走り始め、そのうち耐えられなくなってこっそりとマスクを外してその部分を掻く。刺激された皮膚はますます症状を悪化させ、やがて熱を帯びた隆起物となっていく。見た目も、まことに汚い。アトピー性皮膚炎同様、自然塩ペーストで治療出来るが(ただし、相応のヒリヒリ感は覚悟せねばならない)、よくなりかけた時には再び仕事が入って終日マスクをするので、また元に戻る。困ったことだ。ネット検索をかけたら、同じ症状に悩んでいる人は多く、そのほとんどがノーマスクを心より望んでいると思う。タイミングよく、オカミだって公言してくれたじゃないか、屋外にいても人との距離がとれていたり会話をするのでなければマスクはしなくていい、と。にもかかわらず、相変わらずほぼ全員がマスクをつけているよね、、、。写真は京都御苑内。本格的な梅雨に入る前、新緑の煌めきを心身に浴びながら、ゆったりとした時間を持ちたい。
2022.06.22
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(注)6月9日に書いた記事。登録派遣会社4社のうち、1社から仕事が入ってきて、今月も仕事日は10日。先月、及び先々月と同じ。夫の療養サポートがある現在、これくらいでいいのかも知れない。ちなみに、先だって我がズボラさを几帳面な夫にきつい口調で指摘されて大喧嘩したのも、明日は遠方に行くので(特急を使っても徒歩時間を入れたら片道2時間半。6時半のバスに間に合わないといけない距離)、昼過ぎから療養のための特性スープを何時間もかけて作っているのに、やれ、匂いがどうの、あと1時間したら患者さんがくるのに鍋も隠していないの(我が家は夫の仕事場の住居が同じ。台所を通って患者さんは2階に上がる)、言い出したので、カッとなったわけ。片付けが苦手という地雷を踏まれた。この地雷。実は、私たち販売現場でも、しばしば問題となる。
2022.06.14
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(注)6月8日に書いた記事。気持ちの上では楽でない日が続いているせいか、連続仕事が終わった日曜日の夜は、身体は疲れているのに寝付けず、偶然YouTubeで見つけた不朽の名画「風と共に去りぬ」の映画を観ていた。同名の原作は、中学校1年生の夏休みに一晩で読了(首都圏の大学に在学していた姉の下宿先に遊びに行ったところ、この本が置いてあり、夫婦間のことなどわからない点は無視し、とにかく先へ先へと読み進めた。主人公スカーレット・オハラを始め、個性豊かな登場人物が織りなす起伏に富んだストーリーはまことに面白く、夢中になってページをめくった)。映画は大学に入ってからTVで。つまり、半半世紀以上経っての再観なのだ。観ていて、以前から好きだったメラニーにますます惹かれた。典型的なサザンベルの彼女は、天使のように寛容で純粋で、しかも愛する者のためなら自己犠牲も厭わない。それは、「神様、私は絶対に負けません。人を殺してでも生きていきます」と、戦禍で荒地となった実家の綿花畑の中で天を仰ぎながら誓うことからもうかがえるように、生の本能のままガムシャラに突き進むスカーレットとはまた別の意味での「強さ」だ。また、最終的にはスカーレットと結婚したレット。いい旦那さんじゃありませんか。行動力に加えて包容力もあり、時折り女性の心を掴む繊細な面ものぞかせる。にもかかわらず、妻となったスカーレットにあんな態度を示され続けたら、そりゃ出て行きたくもなりますわな。いろいろなことを考えさせられた一夜。同時にあらためて感じた。あくまで架空のキャラクターではあるが、それを承知の上でも、スカーレット・オハラにしろレット・バトラーにしろ、島国の日本からは絶対に誕生しないタイプだと。写真は映画「風と共に去りぬ」のアメリカ公開時の宣伝ポスター(public domain)。スカーレットを演じたヴィヴィアン・リーは主役であるにもかかわらずこの映画に出演した頃はまだ役者としてのキャリアが浅かったことから、クレジットは4番目になっている。
2022.06.13
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(注)6月6日に書いた記事。試食があった頃、我々デモンストレーターにとって困ったことの1つに、材料、主に調味料などの分量を、「カップ◯杯」だとか「□□大さじ半」だとかの具体的な数値でなく、「適当に」だの「気持ちだけ」だの、曖昧な語句を多用したレシピをよこすクライアントがいたことがある。つまり、現場に立つ者に味付けを丸投げしているのだ。 これと同じことを、マクロビやヴィーガンをはじめとした自然食を扱う料理家に感じることがある。ああいう方は、おおむね、料理は得意というか、自分の舌に大いなる自信を持っておられる?レシピを拝見すると、やはり、通常料理のそれに比べ、スカスカでユルユルのものが多いのよ。世の中、料理が得意な人オンリーではない。同じく、自分の舌に自信があるタイプばかりでもない。しかも!自然食料理を試す人の中には、重篤な病を患う家族のケアを担う人もおり、そのための時間と労力に配慮する意味合いからも、なるべく「効率的に」治療食を作りたい人もいる。そこいらの点も考慮して欲しいと願う。
2022.06.12
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(注)6月6日に書いた記事。4月5日に夫が進行性大腸がんであることを告示されて、今日で2ヶ月。療養生活の一環として厳しい食事管理が要求されることは、これまで幾度となく繰り返して述べてきた。家計の都合もあり、それに付き合ってきた私。もともとネオベジタリアンな食生活を送っていた背景もあってか、さほど苦痛には感じないのだが、それでも時折り「夫には禁止されているけれど私自身は好きなもの」が無性に食べたくなる。数日前、冷蔵庫に少し残っていた李錦記を前に、閃いた。「焼豚と水菜がある。これを具材に、自分用にパスタを作ろう。李錦記の風味をもう一度味わいたい」。さっそく実践。「おいし〜い!!!」口に運ぶたびに、心でそう叫び、元気が出てきた。ネット上の某サイトには書いてある。「家族に、塩分や糖分、油分制限などの食事療法が必要な人がいたら、その人の食事内容に合わせましょう。それ(食事療法)は、栄養的には健康によいものがほとんどですから」。ううむ。理論の上ではそうなんだろうけれど???
2022.06.12
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昨日、ブログを書きながら、あらためて思った。「整理整頓を基本とする某ノウハウものが、特に中高年女性にこんなに受け入れられたのは、主宰者が、片付けられないあなたは悪くない、と一貫して言い続けているかも知れないな」と。私もこの主宰者の入門DVDを取り寄せ、それだけは熱心に観て(つまり入門の段階で辞めたわけ)、大いに慰められたものだ。「片付けられないのは、単にモノが多過ぎるから。または、過去に執着したり未来に不安を抱いたりして思考の流れに障害が生じ、物事の優先順位が決められなくなっているから。あなたが悪いんじゃないのよ。まして、片付けられないダメな女である私と卑下する必要なんかない」。私も含め、掃除や整理整頓など、スペースや空間を快適に保つことが苦手な女性は多い。そして、そういう女性の大半が「女のくせに、、、」と、女性性、ひどい時には人格を否定されるに等しい言葉を投げかけられたり、仕打を受けた体験を持つ。そんな女性にとって、あなたは悪くないと言ってくれる主宰者は、ああ、救世主以外の何者でもないわ。性格は変わりませんって。特にADHDの傾向を持つ私は、今後もきれい好きで几帳面な夫と些細なことで揉めることがあるだろう。なお!ADHD傾向は持ちつつも、同時にコツコツと1つのことに取り組み突き詰めていく作業も嫌いではない私は、実は理科実験や収集した資料分析も好き。このキャラを活かした生活術を自分なりに考案しているのだけれど、実践上の完成度はまだまだ。あと数年はかかる?完成したら、性格は変わらずとも行動は変えられることの証明になるだろう。
2022.06.01
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(注)5月31日に書いた記事。某、配偶者が重篤な病を患った体験を持つ人から、メールをもらった。「(罹患した人から)当たられたら同じ土俵にあがらず、仕事なり趣味なりに逃げましょう」と。ううむ、、、。夫と揉めるのは、いつも、掃除や整理整頓。几帳面できれい好きだから、もうイライラするみたいで、時に怒鳴る。今後、身体の自由がきかなくなったら、それ、進むだろうな、、、我が実母みたいに。実母。きれい好きはいいんだが、晩年はそれが顕著になり、ヘルパーの掃除の仕方がどうのと、クレームばかり言っていたらしい(実姉に実母が亡くなった後に聞いた)。これ、奇しくも、夫の母(=姑)と同じよ。とにかく、イザとなったら逃げます。私は、掃除や整理整頓が苦手な、だらしない、ズボラ主婦ながら、長所もあるサ。天職である試食販売の仕事、大切にしたい。
2022.06.01
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先々週の5月21日と22日に続き、先週末の28日と29日も、再び舞鶴の某店で同じ商品をデモ。その時、店の部門責任者から、先々週の担当商品売上がそのチェーンでトップだったことを知らされた。驚いた。そこは本社(本店)やその他の大型店よりずっと小粒なローカル店。商圏人口も多くない。それなのに、、、。嬉しいな。現在、精神的には弱っているから、こんな話を聞くと素直に元気になる。写真は、舞鶴駅前にて。
2022.06.01
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(注)5月31日に書いた記事。5月28日と29日。仕事でまたもや舞鶴へ。途中駅の綾部で特急電車から普通電車に乗り換え、窓枠を流れる、昔ながらの農村風景(舗装していない地道やセメントで固めていない水路など)を眺めながら、ふと想った、、、こういうところには、まだトノサマガエルもいるだろうなあと。「トノサマガエルが絶滅の危機に瀕していると言うけれど、時代さ。あんなの、いなくても、別に(人間に)困ることないじゃん」と、おっしゃる人もいるかも知れない。そんな方、ようく考えて。トノサマガエルが絶滅するということは、遠からず他のカエルやイモリその他の両生類もその道をたどる危険にさらされることであり、カエルを食料としてきたサギやヘビにも影響を与えることでもある。反対に、カエルが餌としていた田畑の昆虫は天敵がいなくなるのだから、異常発生する。ね、わかるでしょ。生態系のバランスが崩れるのよ。引いては、我々の食糧にも関係してくるのよ。もっと単純な例では、皆さん、あの可愛らしいオタマジャクシが見られなくなる。トノサマガエルに限らず、絶滅しかかっている生物の保護に、人間はもっと真剣にならないといけないのではないかと感じる。写真は、オタマジャクシ(Wikipediaより)。
2022.06.01
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(注)5月28日に書いた記事。今日も舞鶴で仕事。行きは、かの城崎温泉が終点の特急「きのさき」にてまずは綾部まで。そこから東舞鶴行きの普通列車に乗り換えるのだが、窓枠を流れる風景がまるで30年ほどバックしたかのような錯覚に囚われ、ある種の感慨にひたってしまう。この感慨については、我が原風景とも関連してくるので、熟考のうえ別記事で詳しく紹介したい。ともあれ、今日は帰ってきた。明日もまた行く。写真は京都タワー。
2022.06.01
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(注)5月27日に書いた記事。当時小学3年生だった私に強い印象と深い感銘を与え、カエル・ラバーとなるきっかけを作ってくれた、教育雑誌「小学3年生の科学1965年5月号」(学研)に掲載された、トノサマガエルを主人公にした童話は、こんな内容だった。(なにぶんにも57年前に読んだので、細かいところで記憶違いがある可能性あり。そこはご容赦を。大意は合っていると確信)。出だしは、"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。「ケロケロ。わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"(もしかすると「わしのほかにカエルはおらんじゃろ」だったかも)。そこへ、ちょうど飛んできたスズメ(またはツバメだったか)がそれを聞き、「世のなか、いろんなカエルがいるよ。見てきてごらん」と、トノサマガエルに言う。トノサマガエルは、旅に出ることにした。スズメが言ったことは本当だった。アマガエル、ヒキガエル、ツチガエル、、、などなど、行く先々で多種多様なカエルにトノサマガエルは会い、その過程でウシガエルの大きさに驚いたり、カジカガエルの声の美しさに感心したり。どのカエルも独自の個性を持ち、おのおの懸命に生きていることを知る。カエルはわしだけではないし、わしよりえらいカエルもいない。世の中は広い。この単純ながら大切なことを胸に刻んだトノサマガエルは、生まれ変わった気持ちで帰路につくのだった。このストーリー。人間社会にも通用しないか。「井の中のかわず」とは、よく出来た言葉である
2022.06.01
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(注)5月26日に書いた記事。整理してみた。なぜ、重篤な病(大腸癌)を患った夫の治療食に付き合えばストレスがたまるのか?もともと、野菜と豆中心で、動物性蛋白質は主に卵と乳製品で撮る、ネオベジタリアンの私なのに。原因は、わかっている。糖分。夫の病による治療食では、糖分厳禁。砂糖どころか、その代替品である蜂蜜はおろか、果物に含まれる果糖や味醂もダメという徹底ぶり。この療法で、切り干し大根や若竹煮や金平牛蒡はうまくいったが、糖分の優しさが活きる、例えば、めんつゆや昆布佃煮や煮豆などはねえ、、、。多大の時間を費やした「実験」の結果、麹をうまく使えば、、、に到達し、ルンルンのはずなのだけれど、、、うーん???なお。糖分は麹のみで作った甘酒を代用。あれこれ、実験中。
2022.06.01
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(注)5月26日に書いた記事。カエル大好き人間の私にとって、田植えから梅雨にかけては、一年で最も楽しい時期になる。だって、いろいろなカエルさんに会えるんだもん、、、哲学者然としたアマガエル、ずる賢そうなヒキガエル、愚直ゆえに生命力逞しいツチガエル、、、などなど。おっと、エラそうにしているトノサマガエルを忘れちゃいけない、と思ったところで気付いた、、、皆さん、トノサマガエルって、ここ数年、いやもっと前々から見かけないよね、、、以前は、京都市山科区の田園地域に住んでいて、周りには田畑が豊富にあったんだが、ついぞトノサマガエルに会わなかった。絶滅した? いや、そんなことはないでしょう。このトノサマガエルを主人公にした童話が、「3年生の科学1965年度版6月号」(学研)に掲載されていて、読後57年経った今なお、出だしとあらすじをなぞらえることが出来る。それほど面白い話だったのだ。"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。「ケロケロ、わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"この書き出しから始まる、トノサマガエルの諸国漫遊の記。カエルのみならず人間社会を生き抜く上でもなかなか含蓄に富んだ内容だった。近々、紹介したい。写真は、トノサマガエルの無料イラスト(カエルが苦手な方、ごめんなさい)。
2022.06.01
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(注)5月25日に書いた記事。本当は、大好きな酒も断ち、癌と闘っている夫を励まさないといけないのだろう。なのに、それが出来ない私は、堪え性のない、自己中な悪妻なのだろう。夫の体調には波がある。先週の水曜日は、全身の倦怠感が半端ではなく、階段も1人で登れないほど。夫の背中を押しながら、涙が出てきた。それが、土日で持ち直し、昨日など絶好調。このままいくかと思ったら、今日は一転。朝から何度も下痢があり、ガン告知後の2ヶ月で体重が7キロも落ちたこともあって、脱水の疲れですぐに横になる。もっとも、痩せたのは、ガンのせいばかりではない。玄米と野菜を中心とし、糖分一切ノー(味醂や果物の糖ですらダメなのだから、その厳格さがわかっていただけるかと思う)の食生活にもよる。その治療食を作る妻の私も、主に経済的な理由からそれに合わす。これ、メニューによっては、ものすごくストレスが溜まるのね(ここいらも、夫に合わさない悪妻?)。これまでの記事で明かしたように、私は、子ども時代から胃腸が丈夫ではない関係で、食事はずっと野菜と豆中心。動物性蛋白質は主に卵と乳製品から摂り、そのことにさして苦痛を感じたこともない人間だった。そんな私でも、「糖分一切ノー」には、例えばめんつゆとか昆布佃煮とかには、強い拒否反応があり、特に規定通りに出汁(昆布と椎茸)と醤油だけで味付けしたつゆで作ったうどんを食べた時には「これから先、こんな不味いうどんやそばを食べ続けるのか」と想うと、鬱々とした気分に襲われた。今日もそうだ。ガンが治る食事法のレシピで作った煮豆。醤油味がまさってまさって、亡母が作ってくれていた砂糖味が強いけれど優しい味の煮豆に郷愁を感じている私には、塩辛くて仕方がない。こういうの、食べるの、私も?レシピでは、出汁を効かせ、大豆本来の甘味を活かすとあるが、ダメなのよ。私は、糖分の味がする煮豆が好きなの!そういうのを食べたいの!家族の治療食によるストレス。感じたことがある人はいますか?
2022.06.01
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昨日はI日中、京都御苑の森の中で「源氏物語」を読んでいて、あらためて感じた。「紫式部がこのオハナシを書いていた時、章が完成するたびに宮廷の女性が競うように読み、続編を楽しみにしていた、というのもわかる」と。まず、源氏は帝(天皇)の子。日本一の旧家の出身だ。しかも、周りに「光る君」と呼ばれたほどの超絶イケメン。文武両道はもちろん、音楽などの諸芸にも秀でている。性格もよいのだろう、宮仕え中の、プライドが高い割に中身は浅薄で腹黒いおばさまたちにも可愛がられるくらいだから(醜女とされる末摘花に対する紳士的な態度からもそのことはうかがえる)。そんな「完璧な男性」である源氏が、時に、仲間たちと女性論議に花を咲かせたり、いくら恋文を送っても意のままにならない女性を想って「恋とは辛いものだ。生きているのも嫌になった」と、青臭く(?)嘆いたりするのである。恋に恋する年頃の女の子のハートをとらえないはずがない。つまり、彼女たちの共感を呼び起こす存在なのね、源氏は。この構図。実は、新しいビジネスを考えたり、商品開発や販売促進にも応用出来るよ。いや、プロデューサーが映画を企画したり、役者の役作り、さらにライターが脚本を書く際にも、大いに参考になる。古典は永遠だ。いつの時代にも通じるものを、確かに持っている。写真はテレビドラマ「源氏物語」から(YouTube)。源氏を演じているのは、当時まばゆいばかりの美しさを誇っていた、ジュリーこと沢田研二。
2022.05.25
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(注)5月24日に書いた記事。朝から京都御苑内の森の中にいる。静かだ。耳に入るのは、小鳥たちのさえずりと木々のざわめき。時折り、烏どもの鳴き声による応酬。雑草はびこる地には、名もなき可憐な山野草がぽつんぽつん。その周りを蝶が飛び交い、蟻は行列を作って進み、無数の虫たちが散歩。のどかだ。先月からぼちぼちと読み進めている「原作物語」(原文と瀬戸内寂聴氏による現代語訳)を、予想外のスピードで読み進むことが出来た。ふと顔を上げたところで目に入った、この大木。樹齢は幾つか?時を経て滅びるものや変わるものは多いが、反対に、時を経たぶん重厚感を増して一段とその存在を浮かびあがらせるものも、決して少なくはない。
2022.05.25
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(注)5月22日に書いた記事。舞鶴での2日間の勤務が終わった。特急を使っても、歩く距離も入れたら、片道、行きは2時間半、帰りは1時間45分の現場(行きの特急は途中駅までなので、この数字)。決して近くはない。仕事には慣れているが、それなりに疲れた。驚いたことの一つに、行き帰りどちらの特急にも、人がたくさん乗っていたこと。昨日の行きの前座席に座っているカップルの話から、どうも城崎温泉ばかりでなく、近辺の竹田城跡巡りも絡めた小旅行を楽しんでいる人もいるみたいで。屋外でのマスクも会話をしないのなら外してもいいということになったし、少しずつ観光が復活していると感じる。写真は、東舞鶴発の特急電車。
2022.05.25
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(注)5月21日に書いた記事。特急電車で京都府の日本海側にある町の現場に向かっている。今、丹波路を走っているところ。人、けっこう乗っている。終着駅が有名な温泉地だから、皆さんそこへ行くのかな。世相もwithコロナになりつつあり、「もうステイホームは飽きた。外に出よう。まずは近場の国内旅行から、、、」と考える人が増えたのだろう。ともあれ、早い目に席を予約しておいて正解だったかもね。
2022.05.25
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(注)5月20日に書いた記事。FB上にある癌グループに、糖分について質問投稿したところ、メッセンジャーによるDMが届いた。ああ、これで、何通目か。その内容は、投稿文からもうかがえる「紳士的」な彼の配慮を重んじ、ここでは明らかにしない。これも、今までと同じ。私的に、彼のFBページを拝見しても営利とか、そんなふうには感じなかったから、全くの善意でメッセンジャーにメールをよこしたのだろう。が、、、少しひっかかるのだ、良い情報なら、グループ内でのコメントでくれた方が、他の方にも情報提供になるよね。なお、夫はこのDMは全く気にしていない様子。でも、夫、昨日はひどい倦怠感で、もう俺もダメかなと呟くほど。階段を登るのも私が後押しせねばならず、涙がこぼれたよ、、、ガン告知後、10キロも痩せたこともあり。妻の私も落ち込みまくり(大切な人か辛そうにしているのを見るのはこたえる)、そんな時に「食事療法は労の割に効果は薄い。私のこの方法なら、、、」などの内容のDMを受け取ると、ナーバスになるんだよね。別に利潤目的ではないにしろ。
2022.05.25
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私は、いわゆる「飲食店」というところには、待ち合わせや時間潰しでドリンクを飲む以外では滅多に入らない人間だが、これには理由(わけ)がある。1つは、価格。もう1つは、量。価格については、言うまでもないから、説明は省略。量については、ズバリ、多過ぎるのだ。生まれつき恐らくは平均より小さい我が胃袋。カレーライスにしろラーメンにしろ定食にしろ、一般に食堂で提供されるメニューはどれもこれも3分の2ほども食べれば、率直なところ、満杯。それを「残すと、作ってくれた人に悪い」と、無理をして押し込む結果、真の満足感は得られず、「こんなふうじゃ、店内で食べ切れる量のお寿司なり小ぶりの弁当なり買って社員食堂で食べるか、コンビニのイート・インで適量のおにぎりやサンドイッチなどを食べた方がいい」となる。自然と、外食から遠ざかってしまうのだ。それが、ここ12、3年くらいの間に、どうだろう、かなりの店で「ミニ」や「プチ」や「小」と称する「小さいサイズ」のメニューが登場してきた。あと、「塩分控えめ」とか「甘さ控えめ」とか「脂分◯%カット」などのバージョンも珍しくなくなった。お客さんが背負う多様性に細かに対応してくれる店が増えたあらわれだろう。こんな取り組みは嬉しい。考えてみたら、一定年齢を過ぎれば大半の人は身体に何がしかの問題を抱えており、食事制限がある場合も少なくない。また、私のようにもとから胃弱だったり、そうでなくても病気その他の理由で量を食べられない人もいる。そんなもろもろの課題を抱えた人でも外食を楽しめる店。もっと増えて欲しい。写真は、真ん中の孫。この子も食が細い子だ。
2022.05.21
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先だっての記事で、「自然主義やオーガニックは、それ自体は決して悪いことではないのに、露出が過剰と言うか周囲にアピールし過ぎると、SNSでもアナログでもウザいと敬遠されてしまう」と書いた。その流れで「どうしてそう思われてしまうのか?」との疑問提起も。 あくまで私論だけれど、「私は自然主義者で、食べ物はもちろん衣類も他の日用品も全部オーガニックよ」と、「ことさらに」吹聴する人は、どこか押し付けがましい面があり、そこがウザいとされるのだと思う。「私はこんないいことをしているし、こちら方面の知識や情報も豊富。何も知らないあなたたちに教えてあげているのよ。あなたたちも私みたいにすべき」と、こんな感じで。その言動の端々には、ねじれた優越感によるマウント取りが見え隠れし、接する者を一段と不快な気分にさせる。「あなたの考えや行いはとても素晴らしいし、認めるけれど、人それぞれだよ」。こう言い返したくなる人も多いのではないか。 もっとも、ママ友なら、まだましかも。身近な存在、仮に姑がこのタイプなら、お嫁さんはやってられんやね。恐らく顔を合わすたびに、食事内容やら何やらをチェックされ、「◯子さん、あなた、うちの息子や孫に添加物だらけのこんなものを食べさせているの?」などと、ネチネチとやられることだろう。 YouTubeに、子どもにもヴィーガン(完全菜食)を強要している母親を取り上げた動画があった。動画によると、この母親はカナダ留学中に環境問題や動物福祉に関心を持ったことがきっかけでヴィーガンに行き着いたのだが、その結果が、子どもの栄養失調では、冗談にも笑えんやね。しかも、母親自身は、実は隣町にまで行って(こっそりと)マクドナルドに入っていた、なんて、こちらは大笑いやね。 https://www.youtube.com/channel/UCKQhPX23NjsO... youtu.be どんなによい主義や習慣、生活様式でも、行き過ぎると「排他」につながり、やがて「差別」に拡大する。 それに、自然主義とかオーガニックとか喧伝しなくても、昔は好むと好まざるにかかわらす人間はみんな自然主義でオーガニックな暮らしをしていたのだし、野菜だって、例えば大根が畑から引き抜かれる時には「痛いよー。残酷なことしないでよ」と、泣き叫んでいるかもよ。 写真は、1番下の孫が赤ちゃんだった時に写したもの。
2022.05.19
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(注)5月15日に書いた記事。今日は奈良県の大型スーパーで仕事。昼休憩時、プライベートな買い物のために売場を歩いていて気付いた。「ごくごく平均的な人が買い物に訪れるこの店でも、野菜をはじめとするオーガニックものがけっこう置いてあるなあ。何年か前には見られなかった現象だ」と。オーガニック愛好家は、実はジリジリと増えているのかも知れない。ところで、とあるネットサイトに、ブログをはじめとするSNSで「ウザい」とされるタイプが、何種類か紹介されていた。その中に、何と、「自然主義やオーガニック自慢をする人」というのがあったのだよ。ああ、わかるわあ。私も19年目を迎えるデモンストレーター体験の中で3人ほどそんなタイプのお客さんにつかまり、その都度お説教されたり怒られたりしてイヤな思いをしたから、身に染みて。ウザいのは、ネットの中でだけではない。アナログの世界でもそうだよ。わけても、数年前、甘酒ブームに乗ってぼ大手メーカーが発売した「甘酒」の宣伝販売を担当した時に出会ったオバハンはすごかった。「野菜はすべて無農薬で他の加工食品もオーガニックを実施している私には、パッケージ裏の表示を見ただけでわかるわ。この甘酒、添加物だらけだって。こんな商品を甘酒と称して売るなんて、あなたは食品や栄養に関する知識がゼロね。現場に立つからにはもっと勉強しなさいっ! いい? ホンモノの甘酒とはね、、、」と他のお客さんや店員さんの前で盛大に叱責し、延々と解説(?)。業務に支障はきたすし、バックヤードに下ればパートさんに「気にせんときや。あのオバハン、知識ひけらかしたいだけやねん」と声をかけられるなど余計な気は遣わすし、まいった。そもそも、商品パッケージにメーカーが「甘酒」と、派手な色と字体で描いているからには、そこのメーカーから依頼を受けたこちらも商品を「甘酒」とPRするわな。自然主義にしろオーガニックにしろ、決して悪いことではない。悪いことではないが、露出が過剰だと、往々にして反感を持たれる。その理由を、次回の記事で私なりに明らかにしたい。写真は、真ん中の孫。
2022.05.19
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糖分厳禁の夫の治療食を四苦八苦しながら考案し、それに付き合っているうち、あらら、私までもが以前ほどには糖分を欲しなくなってきた。まあ、もともとアルコール常飲者ということもあつてか甘味はデザートやおやつにほんの少しとるだけで満足するタイプだったのだけれど。プラス、肉やこってり系の食材は以前にも増して、口にしなくなった。これも、胃腸が丈夫でないためか、もともと野菜と豆類を中心に動物性タンパク質は主に卵と乳製品から摂っていたから、まあ特別に変化したというほどでもない。ただ、夫が癌を告知されて1ヶ月と少しの間に、気付いたことがある。それは、ほとんどの人が調理の過程で味付けに手を加え過ぎている結果、素材そのものの味を殺しているということだ。このことは、イコールで、糖分も塩分も油分も、そして栄養も摂りすぎということだ。これは、例えば、素肌にあれこれ塗りすぎ却って肌が本来持つ蘇生力を弱めているのと似ている。洗顔した肌は、健康な状態であれば、最低限の化粧水と乳液だけでじゅうぶん。やれ何とかクリームだの何とかジェルだの、保湿用化粧品を何種類も肌に乗せると肌はそちらに頼ってしまい、自力で蘇生しようとしなくなる。食べ物の話に戻れば、次の3つに留意すれば、素材そのものの味をうまく引き出せることがわかった。1、新鮮な食材を使う。2、出汁をしっかりととる。3、甘味が欲しい場合は麹をうまく活用する。料理を含め、生活することは実験である。実験を成功させるには、好奇心と情報力とコツコツと粘り強く物事に取り組む探究心、そして先入観にとらわれない発想力である。写真は、麹(Wikipediaより)。
2022.05.16
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この4月から京都と高野山を結ぶ直通高速バスが開通。来月か再来月、これを利用して夫と2人、高野山を訪れようかと思案している。宿坊付きで1泊2日の予定。ぶっちゃけ、電車を乗り継ぐよりずっと楽に行ける。何より、宿坊なら食事は精進料理だから夫の病にも対応しているのが嬉しい。いろいろとネット検索をかけたら、お手頃価格で宿坊体験が出来る寺は、長野県、東京都、長崎県、徳島県など、全国各地にある。高野山で宿坊が楽しかったら、他県の寺に行ってもいい。国内ばかりではない。海外も、あれは何年前だったかしら、アーユルヴェーダ体験と菜食をメインにしたインド旅行の案内を、旅行会社と提携した某自然食品関連グループから受け取ったことがある。そうだ! こういうプランに参加すればよいのだ!仮にそんなツァーでなくても、食べてはいけないものは食べなかったらいいのだし。夫はもう1度ベトナムに行きたがっている。ベトナムは、私が体験した限りでは、基本的には米をはじめとする炭水化物と野菜中心の食事で、サブが魚介を中心としたタンパク質。あまり神経質にならなくてもいいのかも知れない。食事制限があっても、旅は出来る!写真は、高野山奥の院にて。台風で折れた大木が痛々しい。
2022.05.12
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某クレジットカードをネットで申し込んだところ、3度とも最後の最後、「金融機関への口座振替お手続きは終了しましたが、まだお申しみは出来ていません。"次へ"のボタンを押してお申込み内容をご確認ください」のところで躓いてしまう。理由は簡単。"次へ"のボタンを押しても新しいページが開かないのだ。カードのサポートデスクに電話をしても、今ひとつわからない。ただ、我がiPhoneは8クラス。iPhone13が発売されている現在では、もはや古い機種の部類に入り、カード会社が作成した申込みフォームと不具合を起こしているのかも知れないね。iPhone8自体は別に問題なく使えているのだけれど。ともあれ、これまで何度かネットでクレジットカードやネット会員その他の申込みをしたことがあるが、こんなことは初めてで、3度も相手方に拒絶されるということはこことは縁がないのだと思うことにした。まあ、この件とは別に、その他の理由からiPhoneの機種変更時期にきているな、とは感じる。それに付随する必要情報を、いま集めているところ。わけても、Bestnoteアプリにおさめられた我が拙小説のあらすじと起承転結の「承」まで書き終えている、限りなく本書きに近い部分、さらに細かい箇所のアイディアやスケッチ。これだけは守り抜きたいのだ。多分、今回失ったら、二度と書けないことはないだろうものの(いちおう頭の中には残っているからね)、再現は辛い作業だろうから。写真は、4月に仕事をした某アミューズメントスーパーでのグリーン。昨日、ミニひまわりやマリーゴールドの種まきをしたけれど、来年はこういうグリーンだけのプランターに挑戦するのも悪くないと思う。
2022.05.12
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今月後半、京都府日本海側にある舞鶴で4回仕事をするために舞鶴をはじめとする北近畿に向かう特急電車を利用するんだが、その特急電車の自由席は、今年3月12日を持って廃止されたんだそうな。昨日、仕事帰りに寄ったJR京都駅で、「コロナもそれなりに落ち着きつつあるし、観光客も増えている。現場に行くのは休日の土日。念のため、特急券は早いめに準備しておいた方がいいかな」と思い、駅員さんに最近の特急電車の混み具合をさりげなく聞いて、初めて知った。JR側の言い分は、「お客様全員に座ってくつろいでいただくため」とか「混雑を避けるため」だけれど、要はコロナ禍で鉄道の乗客数が減ったぶん収益も悪化したので、それを別のところで補う必要があるからなんでしょ。コンタン、ミエミエだわ。だって、特急の自由席と座席指定席の料金差は、片道620円。往復では1240円だよ。1人特急に乗るごとに、これまでよりはそれだけ儲かるのだ。JRほどの会社なら、3年や4年赤字が続いても経営持続できるだけの資力は持っていると思うから、そんなセコイことしなくていいのに、いやーね。写真は、京都から福知山および福知山以北を結ぶ特急はしだて(Wikipediaより)
2022.05.09
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昨日は、京都市内の大型店にて、農産関連のデモ(推奨販売)。連休最後の日で「こどもの日」でもあるのに、お客さま数は多くなく、全体にまったりと流れた1日だった。お客さまの中に、派遣会社は違うものの、長年現場でよく顔を合わせる人がいた。販売トークをするふりをして(!)、しばらくの間、立ち話。仕事情報も含めた近況報告をした。やはり、デモンストレーションの仕事は、推奨販売メインながら緩やかに復活してきているようで、彼女も今週末に近畿地方では知られた某ローカルスーパーに行くと言う。「仕事があるのは嬉しいけれど、もうあまり遠くには行かれへんね。翌日、すごくしんどい。それを想ったら、何でもかんでも(仕事を)受ける気にはなれへん。難しいところやワ」。そうよね。遠方でも、現場が最寄り駅から近い場所にあればまだ身体的な負担は軽いのだが、例えば最寄り駅からバスに乗り、そこからさらに10分以上歩くとなると、行く前から疲れてしまう。また、交通手段は電車だけでも複数の路線を乗り換えないといけない場合も、疲労度は高くなる(路線と路線の間にかなりの距離があることが多いのだ)。それでも、50代半ばくらいまでなら、発想を変え、遠方で交通の便が良くないところでも半分旅行を兼ねる気持ちで仕事をこなすことも可能だろう。還暦を過ぎたら、さすがにね、、、。調理用の荷物を持参しているとなれば、尚更だ。2004年にこの仕事に就いた私も、振り返れば、関西一円を中心に、時には北陸や中部地方などにも足を伸ばし、ずいぶんといろいろな地を仕事絡みで訪れた。現場に向かうバスに乗っている40分近い間、野生のウサギやサルやシカには会っても人間にはバス運転手以外だれ一人として会わなかった山中にも、片道4時間かけてたどり着いた無人駅では壁のそこかしこに張り付いたヤモリだけが「生き物」だった農村にも、突風吹きさらしのごとく絶えず木々がざわめき続ける県境の山頂にも、そこに店があるからには、行った。65歳になった今、「もう(遠方は)いいよ。行き尽くしたよ」みたいな気持ちが、確かにある。、、、なんて、今月後半には、京都府日本海側にある舞鶴での仕事が4日も入っているだが、まあ、この案件はメーカーが特急電車使用を認めてくれたので、距離はともかく、そう疲れるものではない。写真は、5年前の夏に舞鶴で仕事をした時、現場付近で撮ったもの。日本海側にある町なのに、京都市内より暑かったことを覚えている。
2022.05.06
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早いものだ。夫が癌を告知されてから、明日で1ヶ月になる。妻の私も、ようやく厳格な制限がある食事作りをはじめとする夫のケアと仕事のバランスが取れるようになり、一息ついているところだ。それにしても、かつては非告知が当たり前だった癌が告知に変わったのはいつ頃からだろう? これは癌が基本的には「治る病気」になったことの現れでもあるのか? 何せ、現在、2人に1人は癌になるのだから。他社所属の仕事仲間に、40代で婦人科系の癌を患った人がいる。抗癌剤その他がもたらす副作用に耐えて回復し、還暦を過ぎた今も現場に立ち続けているが、苦しい闘病生活を支えたのが、子どもさんの存在だったと語る。「当時としてはかなり遅い結婚だった上になかなか子どもに恵まれず、何年も不妊治療を受けてやっと授かった」だけに、発病時、子どもさんはまだまだ母親の手が必要な年齢。にもかかわらず、月に数日だけとは言えデモンストレーターの仕事をしていたのは、子どもさんがある習い事をしており、その費用を捻出するためだった。「この子を残して死ねない」その一心で彼女は治療に取り組み、結果、髪の毛が抜け、体型も変わってしまったけれど、命は取り止め、歩いたり食べたりする日常も取り戻した。「子どもがいなかったら、途中でくじけてしまったかもね」。子どもさんも子どもさんなりに頑張った。「習い事の発表会、見に行かれへんかった時は発表会の様子を写した写真をたくさん持って来てね、いろいろ話してくれて、ママ、次の発表会ではこんなのをやりたい、なんて言うねん。ああ、次の発表会も見たいな、とそれが希望になり、そういうことを何度か繰り返しているうちに、癌はおさまった」。癌に限らず病に打ち勝てるのは、究極のところ、希望が持てるかどうかにかかっているのだろう。もっとも、希望を失わないでいても残念な結果に終わることもあるのだが、、、。写真は、1番上の孫。
2022.05.04
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(注)昨日に書いた記事。先だって、我が拙ブログに「高年デモンストレーターにとって2年の空白は痛手だ」とタイトルをつけた記事を書いた。事実、「コロナで休んでいるうちに私は60代から70代になった。もう(派遣会社も)仕事、言うてけえへんワ。若い子にまわすやろ」と想像し、悲観にくれている仕事仲間もいる。確かに体力面では不利となろう。そのことは百も承知で、宣伝販売の対象となる商品の中にはある程度の年齢を経ないと説明が難しいものもあるし特定分野の知識と人生経験が必要なものもある、と広く訴えたい。例えば、尿漏れパッドなどは、絶対に高年者デモンストレーターの方が有利。主に中年以降の層を販売対象とし、実際に40歳より上の人が購入するケースがほとんどなので、若いデモンストレーターでは、商品が商品と言うこともあって「お客さんから見た信頼度」が弱くなってしまう可能性がある。また、今月初めに夫がガン宣告を受けてから行くようになった自然食品店の宣伝販売も、知識に裏付けられた人生経験がある高年者デモンストレーターの方がいいはず。なぜなら、自然食品店に足を運ぶお客さんは、俗に想像される富裕層や意識高い系ばかりでなく、私や姉もそうだけれど、自分や家族が大病を患ったことがきっかけで通うようになったと言うタイプが案外といるのだ。まして、「私はあなたたち一般の人みたいに、値段で商品を選ぶタイプじゃないのよ」などと、セレブかつインテリゲンチャかつナチュラル派を「気取る」人は皆無に近い(ブログをはじめとするSNSでは時折り見かけるが)。すなわち、100人いれば100通りの人生があるのだ。お客さんが背負うおのおのの背景を商品を媒体とした会話の端々からつかみ取るには、販売するデモンストレーター側にもそれまでの生活史から得た相応の情報力と想像力と人間力が必要なのではないか。なのに、、、単に年齢で切り分けてしまってよいものか。ここのところ、デモンストレーターを雇用する側もデモンストレーションを発注するメーカー側も、しっかりと認識していただきたいと思う。要は、仕事への「意欲」と「専門性」が何よりも大切で、これは年齢は関係ないと感じる。写真は、真ん中の孫と1番下の孫。
2022.05.01
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(注)昨日に書いた記事。ゴールデン・ウィークが始まった。世間は休みでも、こちらは稼ぎ時だわなあ。と言っても、私自身は、今日から3日間と「こどもの日」である5日の計4日がジョブ・デイで、残りの日は世間さま同様に休むのだけれど。5月も4月と同程度の10日くらいは仕事が入りそう。今年からフェースシールドはしなくてよくなったし、関西弁では知られたスーパー、〇〇堂での販売も再開されたし、このまま少しずつデモンストレーションの仕事が復活したらいいな。どうこう言っても、稼がないといけない。勤め人と違って保証がない自営は、なおのこと。写真は、夜の京都タワー。
2022.04.30
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数日前にアップした記事の中で、その日の現場(同時にこの16日からの現場でもある)であったスーパーの特設コーナーに育てた地野菜を置かせてもらっている農家のおじさんに、先週ここのコーナーのタケノコの大きいのを買って帰り若竹煮を作ったらタケノコそのものの味がすごく美味しかったと感想を言ったら中サイズのタケノコを2本くれたことを紹介した。こういう嬉しいエピソードは、対面販売ならでは。私たちデモンストレーターも、買ってくれたお客さんにサンプルなり景品なり、何かオマケをつけると、99%のお客さんは喜んで下さる。そのうちのお客さんの1人が言った。「はよ、試食が復活して欲しい。ウチ、〇〇(昨年に日本上陸した果物)の味見がしたいねん」。そうなのだ。お客さんも待っている、、、実際に自分の味覚と嗅覚と視覚で新商品を味わう機会を。昨日に行ったオーガニックのスーパーチェーンでは、コロナ禍にもかかわらず、試食販売を実施している。まあ、一般の食料品販売店とは、やや異なるカタチではあるが。写真は、1番上の孫。
2022.04.28
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心身共に疲れているのに、眠れない。困ったものだ。何をどうやっても眠れない。こういう時に限って、酒を飲んでもますます頭か冴え渡るんだな。プラス、加齢で胃腸が弱り、アルコールにめっきり弱くなっている。それでなくても、この時間から飲めば翌日に持ち越すことは必須。まあ、エエか。明日は休みだ。飲みながら、書こう。4月5日に大腸ガンの告知を受け、医師からは「すぐに手術を受けて肛門を取り、、、」云々の説明を受けた夫。もともと「すぐに外科手術をする」西洋医学に批判的なこともあり、食事と運動と生活改善を主とする自然療法を選択し、一切の「現代医学による療法」を否定した。それはかまわないんだけれど(夫の性格はよく知っている)、、、ああ! 人間って、窮地に陥ると、その人の本来の性格が剥き出しになるんだな。先だっての歯磨き粉騒動に始まり、今度は食器洗剤騒動ときた。やってられないよ。農薬が云々と言うから、こちらはネギやシソからして酢水に漬けて農薬除去。砂糖も味醂もノーと言うから、簡単な料理でも理科の実験よろしく試行錯誤。そのことに時間も労力も少ない能力も費やしているのに、身体にいいからと、野生のタンポポやマツを大量に持ち帰り、食料にするべく加工しろと要求。仕事が立て込んでいたら、いや、そうでなくてもこちらの体調によっては「とてもとても」なので、ネット検索をかけて発見したオーガニック専門店に、自転車で30分ほど走らせて買物に行く。ひんやりした現場で立ち通しの連続仕事でフラフラしている身体にムチ打って。なのに何よ! 歯磨き粉にしろ食器洗剤にしろ、身体に入れるものだからこだわらないといけないなんて、西洋医学だか東洋医学だか知らんがおとなしく医者の言う通りに入院してくれたらこんな余計な思いはしなくてすむのに、、、の気持ちは、本音として、確かに意識の根底にある。まあ、夫の過度のきれい好きは誰しもが認めているところだが、、、。私にも私の人生がある。決して考えたくはないものの、夫に万が一のことがあっても、その後も私は生きていかないといけない。子や孫に迷惑をかけないだけの最低限の準備はしていて、薄情と罵られようが、それだけは、、、との気持ちはある。経済的な事情もあるため、5月も出来うる限り仕事を入れたし、そもそも家にいると、やってられん。
2022.04.27
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今日はオフ。夫の療養にまつわる細かい雑用があるにしても、仕事日よりはくつろげるはず。少なくとも、そのはずだった。ところが、である。起き抜けから携帯がトラブり、その対処におおわらわ。詳しくは、1週間ほど前から派遣会社の1社とのメール送信がうまくいかず(受信は出来る)、携帯ショップやアップルサポートセンターに質問しても、こちらの携帯に問題はなく、どうも向こうのパソコンと不具合がおきているようなのだ。たびたびあるケースながら、仕事絡みなだけに困ってしまうよね。ネット検索をかけ、自分なりに情報を集めて、試行錯誤。まあ、なんとかメールの送受信が以前通りに出来るようになったけれど、仕事明け疲れを一段と感じてしまった。今夜は大好きな具沢山味噌汁だけの夕食を取り、ゆっくりとリラックスしよう。写真は、真ん中の孫。
2022.04.25
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2日間の連続仕事が終わった。ひんやりした場所での立ち仕事はそれだけでこたえるし、生鮮である関係上、積極的な声出しもしないといけないのだが、相応の稼ぎにはなった(私が登録しているデモンストレーター派遣会社4社は、いずれもギャラ面では恵まれている)。第一、束の間の気晴らしになった、、、家庭内にいれば、どうしても夫の病のことばかり考えてしまい、ややもすればブルーな感情に囚われ、そこからなかなか抜け出せない。「こけこっこさん、仕事、辞めたらだめよ。看病する側は逃げ場がなくなるから、ストレスがたまるばかりだよ」と、親とご主人、2人の看護体験がある友人が語っていた通りだ。嬉しいハプニングもあった。2日間の現場(同時にこの16日からの現場でもある)であったスーパーの特設コーナーに、育てた自野菜を置かせてもらっている農家のおじさんに「先週、ここのコーナーのタケノコ、大きい1000円以上のやつを買って帰ったんですよ。もうタケノコそのものの味がすごく美味しかった」と、感想を言ったら、何と中サイズのタケノコを2本もくれたのだ。感激! タケノコは今が旬。いくらでも食べられるからねえ。外に出るということは、このような小さな感動を見つけることでもある。写真は、現場の最寄駅で撮ったもの。これから帰宅し、くつろぐ。
2022.04.24
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今日から2日連続で仕事。そろそろ、私の方も仕事を考えないといけないのかも知れない。4月の仕事数は派遣会社2社から打診された農産関連の推奨デモンストレーションが10日で、年齢を考えればこれは妥当な数と言えるが、コロナ前まではどんなに少なくても月に15日は現場に立っていたことを考えると、やはり少ないことに変わりはない。それなのに、ものすごく身体が疲れるのだ。原因として、加齢による体力低下の他、夫の療養による細かな雑務が増え、オフ日にも何かと所用に追われる現実があると思う。完全な意味でのオフがない。ここいら、子どもがまだ小さいワーキングマザーや介護をしながら仕事を続けている人にも共通のものがあるわなあ。重要なポイントは、自分の心身が辛いと人に優しくできないこと。これに尽きる。写真は1番下の孫。
2022.04.23
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一昨日の記事で、「自営業の場合、その事業主が闘病生活に入ったら、家庭も仕事もどうなるのだろう?」なる意味合いの一文を書いた。今日はそのことについて私見を少し。実は、我が実家も父は自営だった。請け負いで社寺建築の復元や修理を手がけていたのだ(父が担当した寺や寺院は全国各地にあり、国宝級のものもある)。この父。私が小学校4年生の時に交通事故に遭い、リハビリ期間も含めて丸半年間、仕事が出来なかった。勤め人なら、休業しても、法律で一定期間までは賃金が補償される。もちろん雇用持続も。自営業の場合は違う。何の補償もないし、下手をしたら、休んでいる間に同業者に仕事を奪われてしまう事態もありえる。まったくもって、自営業は自由度が高いぶん、自己責任そのものの綱渡りの勤務形態なのだ。幸い、実家は母が公務員(看護師)だった。おかげで、父が半年間無収入でも何とかやっていけたし、東京で浪人生活を送っていた姉に大学進学をあきらめさせることもなかった。私が、当時は服飾系のスタジオを営んでいた夫と結婚し出産した後も仕事を続けてきたのは、この時の実家の体験から学んだことによる。実際、夫の仕事が時の流れで次第に衰退していき、収入が激減して借金まで抱え込み、その返済に追われるようになっても「音楽の先生になりたい」と願う娘の夢をかなえてやることが出来たのは、私が会社員時代に貯めておいた教育資金があったからで、体力的にきつかろうが周囲に冷ややかな目で見られようが(当時、子どもを保育所などに預けてまで母親が仕事を続けることには批判的な意見が多かった)、本当に仕事を辞めないでよかったと、今でも強く思う。何の因果があるのか。娘の夫も自営業。収入は安定していないし、いざとなれば自分で自分の始末をせねばならない。もっとも、時間的にある程度の融通がきく自営業だからこそ、子どもたちの保育園幼稚園の送迎や急病の際の病院付き添いその他にも、可能な限り対応できる。プラス、娘も実母と同じ公務員(小学校教員)。収入はともかく、安定性は高い。夫に予測せぬ事態があっても経済的にはどうにか切り抜けられるだろう。こう見てくると、少なくともご主人が1人で、ないし親族や友人と組んで少人数で事業を営む自営業の場合、奥さんが専業主婦でいるというのは、経済面でリスクが高いことがわかる。とは言え、子どもが小さかったり、ご主人が自分の仕事を奥さんに手伝って欲しかったり、介護や看病を必要とする身内がいたり、事情があって奥さんが働けない自営業者もあるだろう。そんな場合は、不慮の出来事にしっかり対応した保険を吟味することと、日頃の生活費を抑えて貯蓄を多い目にしておくことで備えるしかないだろうね。写真は、真ん中の孫と1番下の孫。
2022.04.22
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十数年前の真冬だったか。大阪府中部の某スーパーマーケットにて3日間キムチ鍋の宣伝販売を担当した際、隣り合わせの売り場でポン酢をデモンストレーションしていた他社のデモンストレーターが熟年離婚者だったことが、昼休憩のお互いの何気ない会話からわかった。彼女によると、離婚したご主人は、もともと俺様的な性格の持ち主だったとか。「それを見抜けなかったのは、お見合いで、幾度も会わないうちに婚約してしまったから」と語る。「大学を出て中学校の家庭科教員になり、仕事は楽しかったんだけれど、いわゆる適齢期を過ぎかけ、自分でも焦りがあって。あの頃は女性の結婚に対する周りからのプレッシャーは凄かったのよね」。ああ、わかります、わかりますとも。女性クリスマスケーキ説(24までは売れるが25になるとさっぱり)が生きていた頃で、多くの女性がそれに苦しめられたのだ。俺が、俺がの旦那さん。定年退職後、在宅時間が増えると、それが加速した。家でゴロゴロしているくせに、「おいお茶」「おい煙草」「おい新聞」と呼び立てる。度重なるうち、仕事仲間は、「短い余生。こんな男の世話をして生きたくない」と別れたそうな。独立した子どもさんたちも「お母さんの好きにしたら」と、背中を押してくれた。家事が大得意で人付き合いも好きだった彼女は、ご主人が定年退職する数年前から、地ならしの意味で月に1度か2度、知人の紹介で登録した派遣会社を通じ、デモンストレーターの仕事をこなしていた。離婚後は、デモンストレーター業を増やしてもらうと共に、その頃でいう家政婦派遣にも登録。もう快適そのものと話していた。「あのままじゃ、私は旦那の女中代わりに使われて、しまいにシモの世話まで怒鳴られながらやらされていたやろ。長生きしたかて後二十年ちょっとの人生やのに、そんなん絶対にゴメン。さんざん我慢してきたから、最後の最後は楽しく自分のために生きたい」。ずいぶん勇気があるなと驚くと同時に、よほど耐えてきたんだろうなと思った。写真は真ん中の孫。
2022.04.20
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