全5件 (5件中 1-5件目)
1

本日、ちょっとおでかけw福岡市東区松崎の【カフェ・ド・バーグマン】さんで行われた【さくらねこチャリティーイベントニャンわ~ランド】まで!先日、怒り狂って記事にした【北九州の持ち込み】で保護されたにゃんこ達にフードの支援をしようと、しょぼい数でしたが、猫缶を支援させて頂きました。で、僕が思わず買ったのが此方w【Satoruko】さんのカンバッジと【手作り工房ねこのて】さんのちゃわんとカップw缶バッジはusaさんと相方さんに1個づつと、ちゃわんは息子に。この目つきが堪らんwwwそして、ご飯がなくなると出てくる【魚の骨】wカップは僕用です。同じデザインでもう一個あったんですが、向って右の足跡の角度がどうしてもこっちの方が気になって・・・殆ど変わらないんですけどね~こういうことってないですか?次回は2月22日。久留米で行われるそうなので、仕事がないらなかったらいけるかな?ああ、でも散財しそうで怖いw
2014.01.26
コメント(0)
賛否両論あるかと思われます。あくまで僕個人の意見で書いています。不快に感じられましても、申し訳ありませんがスルーお願いいたします。別サイト(ブログ)ですが、一人でも多くの人に知ってもらいたいので。定時定点収集(酷い話です)そして恥ずかしや我が出身県。福岡県これ以外にも多頭飼い崩壊の話は尽きません。健康な体に傷をつけるのが嫌?可愛いこの子の子供が見たい?生め無くするなんて可哀想?子供同様に可愛がってるのに、避妊なんて残酷なこと出来ない?じゃあ、生まれた子供全て幸せに出来ますか?生まれた子供の貰いて全部探せますか?【生め無い】より【生んだ子を殺される】ほうが可哀想だと思いませんか?子供同様ならその子が生んだこは孫も同然ですよね?その子を【処分】できますか?どんな命も同じ。簡単に処分してはいけません。でも、飼育するにも限界がある。処分するのもエゴ。避妊するのもエゴ。なら、僕は後者を選びます。我が子同様に愛するけど、そこはどうしても超えられない人と猫。だから、今居る子を精一杯愛するから、その子の後の代を絶つ事を許して欲しいと思います。命を繋ぐ方を選ぶ人は、後々の代まで責任持って下さい。これから何か【命】あるものと暮らしたいと考えて居る方。飢えさせず。凍えさせず。必要な医療を与え、末期はどんなにみすぼらしく惨めと言われる姿に変わったとしても、抱きしめて愛していると伝える覚悟で迎えてください。【命と暮らす】という事は【お金を払って買ってくる】と言う事ではありません。生き物と暮らす【権利】【資格】のある人は、末期までその命に【責任】を持てる人です。これ以上、理不尽に命の奪われる事が無いように願ってやみません。
2014.01.24
コメント(0)
玉とりwww明日。いよいよ十郎太の虚勢手術を決行いたしますww【新春玉とり】はusaさんの言い出したフレーズ?ですが、我が家では大うけしました。11時には病院に預けないといけないので、明日息子を学校に送り出したら即効、猫車に積み込んで出発です!で、現在。明日には無くなってしまうので、十郎太のタマタマの写真を撮っておこうか考え中wwwそんな画像撮って如何するんだって聞こえてきそうですが、マジで考え中w撮ったらツイッターにでも晒しますかね?w
2014.01.19
コメント(2)
母の通夜から葬儀の間、我が家の3ニャンは実家の空き部屋に放牧していました。自宅に置いておくと、トイレの世話と脱走防止が出来ないので最初は車に閉じ込めとく予定でしたが『飼うわけじゃなくて、一泊置くだけだから』との父の言葉に甘えての措置です。玄関側の六畳間に放すや否や。飾り棚と床の狭い隙間に吸い込まれる白い毛玉。人の隙をついて他の部屋に冒険に出ようとする茶色い鞠。出された場所でそのまま置物と化す黒毛玉。と三者三様の猫達でしたが、大して暴れることも無く、ご飯を食べ、トイレも粗相無くすませてくれました。まぁ、じいちゃんは猫好きって事もあり(過去に飼育経験あり)もし何かやらかしてたらゴメンねと先に謝る僕に『猫のやる事やんな~大したこと無いわい』と笑ってくれました。実際にやらかしたのは棚の上の写真たてを蹴り落として踏む。と言う程度のことですみましたが・・・犯人は十郎太。兄ちゃんズは大人しくしていたようです。ああ。生留詩は押入れのふすま開けて皆で忍び込むための先陣きってましたね・・・最後は皆仲良く押入れの布団をベッドにして悠々と寝ていたようです。
2014.01.16
コメント(2)
お久しぶりなのに、暗い話で恐縮ですが近況報告です。10日の午前8時半。福岡の父より携帯に電話が入りました。ホスピスに入院している母の呼吸が乱れたと・・・取り急ぎ駆けつけ医師より状況説明。痙攣発作を起したので、痙攣止めと呼吸を助ける薬剤を点滴・酸素吸入をしています。と・・・危篤状態になることを覚悟し、意識のある内に会わせたいと子供を迎えに一旦帰宅。息子を早退させ、休みの娘と纏めて病院へ。旦那に連絡を入れると、意識のある内に会いたいからと此方も可能な限りでの早退の手配をしてくれてました。僕の帰院直後からモルヒネの投与が開始され、痛みも意識も無くなったようす。妹。僕の旦那。妹の息子。妹の旦那。と病室にそろい、10から11日に変わる頃が山だと宣告を受けました。これからのことを考えると、もう一台車が必要だろうと、旦那の車を持ってくる話になり、僕と妹の疲労を懸念してくれた旦那二人の意見で、安定している時を狙って仮眠と車移送のための一時帰宅の一か八かの掛けに出ました。病院を出て約一時間後。帰宅中に連絡が入らなかったため、ちょっと安心したのも束の間。帰宅直後の3時半。留守番してくれた娘から入電。『ばあちゃん呼吸が止まった』直後、後のことを考えて、旦那を家に残して息子ととんぼ返り。車が異常を起したため、もう急がなくていいと言う父の言葉に甘えて下道で一時間半。僕の到着を待って早朝5時過ぎに死亡確認。2014/1/11 享年68歳でした。11日に通夜。12日に葬儀と初七日法要まですませて、12日深夜に帰宅。あっと言う間の3日間でした。娘の話によると、僕らが出発した後も母は安定していたそうで、父が今の内に少し休みなさいと、留守番してくれていた娘と妹の旦那・甥の三人をデイルームに行かせて直ぐ急変したそうです。それを聞き。もしかすると、母は父が一人になるのを待っていたのかも知れないと思ったり・・・どちらかといえば喧嘩の多い夫婦でしたが、僕らには解らない縁の力が働いたのでしょうか。今は平静に過ごしていますが、ふと感情の高ぶるときもあり、未だ安定はしていませんが、其のうち落ち着くと思いますので、今しばらく温く見守ってやってください。
2014.01.13
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1