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そりゃまあ当人が辞めるってんだからしょーがないでしょう。「無責任」と各方面から批判されてますが、御本人としては「責任放棄」の意図はなかったんだろうと思う。空気が読めないとか人を見る目がないとか身内に甘いとか融通が利かないとか、安倍晋三という人には政治家として致命的な欠点が多々あるけれども、少なくとも「責任感に欠ける」という欠点はないような気がする。確かに「所信表明をやった直後に辞意表明」というタイミングは最悪だけど、彼の場合、「タイムリーな決断ができなくて対応が後手後手に回って傷口を拡げてしまう」というパターンは別に今に始まったことじゃないしね。首相じゃなければ「ちょっとトロくさいけどフツーにいい人」で済むようなもんだけど、一国の宰相が「機を見るに鈍」というのは大変にハタ迷惑だ。松岡元農水相が自殺する羽目になったのも、元はといえばアベ君がいつまでも彼を更迭せずにグダグダ様子見してたからだもんね。アベ君は善意で松岡ちゃんを庇ったつもりだったんでしょうが、機を失すれば温情が人を殺すことだってある。それが分からないような人は政治家になるべきじゃないと思いますよ。それやこれやを考え合わせてみると所詮アベ君は「首相の器じゃない人」だった訳で、その程度の人物に政権破綻の全責任を押し付けるのは酷でしょう。小泉前首相のバブル的な人気に浮かれて「器じゃない人物」を首相に据えちゃった自民党も、同じく小泉マジックに踊らされてそれを熱烈歓迎しちゃった国民も、それ相応の責任を負うべきだと思いますけど?---なんせ安倍内閣の発足当時は支持率7割近かったんだからね、国民に責任がないとは言わせない。あの辛気くさい顔を「さわやか」だと言い張る人だって少なからずいたんだから。しかしアベ君もさー、いよいよダメだと思ったらもう少し早めに撤退して欲しかったですね。8月半ばから体調を崩してたそうだけど、それならなんでAPECなんかに無理して出かけたのか。心身共にダメダメの状態で日本を代表して国際的な場にしゃしゃり出るのは(無責任とは言わないまでも)軽率に過ぎる。しかも「国際公約」だか何だか知らないけど勝手にいろいろ約束してきちゃうし・・・やっぱ病気のせいでアタマが弱ってたんでしょうね。麻生クンを初めとする側近も側近だよなー。アタマ弱ってるヤツが妄想に駆られてジタバタしてたら誰か止めてやれよ。首相がそんなザマじゃ、下手すれば国益に害が及ぶんだからさ。そっちの方がよっぽど無責任だろう。今回のアベ君の辞任劇を一言でたとえるならば、「授業中トイレに行きたくなったんだけど手を挙げて『トイレ行ってきていいですかぁ?』と聞くのも恥ずかしいし、もしかしたら授業が終わるまで我慢できるかもしれないし、どうしようか迷っているうちに膀胱の方が限界に達して結局おもらししちゃった小学生」みたいな感じでしたね。大人のやることじゃねーよ。でも、そーいう大人って実は意外と多いんだよね---だから言ったでしょ?「首相やってなければフツーのいい人」だって。何にしても、このたび晴れて首相の職を去られることになった訳ですから、今後は十分にご養生なさって長生きして頂きたいと思います。ご快癒を心よりお祈りしております。短い間でしたが病を押しての激務遂行、本当にお疲れ様でした。くれぐれも再チャレンジして首相に返り咲こうなんて野心だけは起こさないでね。話はちょっとズレるけど、今回の辞任騒動で一番困惑してるのは「安倍首相グッズ」(画像参照)を作ってるメーカーさんじゃないでしょうかね。まだラインは動いてるのか、どのくらい在庫が残ってるのか、他人事ながらちょっと気になります。通信販売してくれたら「安倍首相ストラップ」ぐらい買ってもいいですよ。きっと使わないと思うけど・・・
2007.09.13
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ふと気が付くと今週に入ってからずっと書き込みサボってますねー。「書く習慣」を身につけるのも簡単だけど「書かない習慣」ってのもアッと云う間に日常化するもんで・・・・いや忙しいんですけどね正味の話。忙しいといっても特に生産的なことをやってるワケではない。「YouTubeをFLVファイルの形でダウンロードするソフト」をゲットしたので、著作権侵害の可能性がある(=すぐ消されちゃう恐れのある)アニメのビデオをDLするのに忙しくて・・・しかも拙宅のネコ2匹が両方とも風邪ひいちゃってゲロを吐きまくるわ、ラグビーのW杯は始まっちゃうわ、オシムジャパンの欧州での試合も見なきゃいけないわ、あ、オリンピック代表のカタール戦もあるんでしたね・・・という次第で、秋の夜長は(昼間も)アニメとスポーツ中継とネコ2匹で完全に潰れております。1日が30時間あったら寝る時間も作れるんだけど---という感じです。本日の深夜にラグビー日本代表がフィジーに負けて予選落ちが決定する見通しが濃厚なので、明日以後は通常営業に復帰できると思います。とりあえず昨夜は一睡もしてないので今日のところは寝かせて頂くことにします---深夜にサッカー観てたら興奮して眠れなくなっちゃった。いやまあ、正直云って日本がスイスに勝つとは思いませんでしたからね。スイスって(こないだオランダに勝ってるくらいだから)決して弱いチームじゃないのに・・・それより何より、日本代表が4点も入れた試合は久しぶりだったので---てか初めてなんじゃないか?---「興奮」というより「逆上」してしまったのでした。そりゃ4点のうち2点は中村俊輔のPKだけど、相手だって最初の2点はセットプレーからの得点なんだし、内容的には互角だ。偉いじゃないですか。「インド洋でガソリンスタンドを営業するのが重大な国際的責務」なんていうチャチな国の代表にしとくのは勿体ないかも。
2007.09.12
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基本的に政治にはあまり興味がない(というか近づきたくない)のですが、もしかしたら歴代首相の中で最もIQが低いかもしれない首相(有力な対抗馬は森喜朗)の統治下で暮らしてると、知りたくもない政府の内幕をいろいろ知る羽目になり、知ればつい愚痴の一つも出てしまう、という成り行きで、周囲の人と政治について話す機会が増えました。ホント、毎日よくネタが尽きないと思うほど話題を提供してくれますからね現政権は---今度は郵政民営化反対の急先鋒だった平沼赳夫ちゃんが自民党に復帰するとかで、一昨年(だっけ?)の「郵政民営化選挙」は何だったんだ?という素朴な疑問を禁じ得ません。ま、ハッキリ言って茶番だったということなんでしょうが・・・それにしても、自由民主党ってそんなに簡単に出入りできちゃうワケ?そこら辺のラブホよりチェックが甘いんじゃないの?電子メールが普及したせいで通信文書の送付に郵便局を利用する機会がめっきり減ってるし、「クロネコメール便」なんてものもあるので、個人的には郵便局が民営化しようが解散しようがあまり関係ないんですが、少なくとも前回の選挙において自民党が公式に提示した争点は、「郵政民営化是か非か」だけだったと記憶しております。ってことは、現在衆議院で圧倒的多数を占めている自民党議員の皆さんが国民から託されている政治課題は「郵政民営化オンリー」な訳ですよね。そりゃ従来の年金行政の失態をフォローするぐらいはやってくれなきゃマズイけど、別に憲法を改正してくれなんて誰も頼んでない。特にそういう重大な問題はアベ君には頼みたくない。能がないなら余計なことをするな、というのだ。まあ、こないだの衆院選の真の争点は郵政云々よりも「コイズミを支持するか否か」だった、というのが実情なので、「是非とも郵便局には民営化して欲しい」と心から願っている国民もあまりいないような気がするけど・・・むしろ、「よく考えてみたら性急に民営化されてもちょっと困るかも…」と今になって反省してる人の方が多いかもしれないし、「平沼クンに復党されちゃうと切実に困る」という一般市民も殆どいないだろうけどさ。それどころか、今になってみると「なんで郵政民営化なんてショボいテーマで総選挙ができたんだろう」と皆さん首を傾げてるかもしれませんね。実際、あのとき選挙を望んでた人は小泉クン以外にいなかったんじゃないか、という感じですから。「本当は誰も行きたくなかった場所に人々を導く能力をリーダーシップと呼ぶ」という定義があるんですが、この定義に従うならば、首相時代の小泉クンには抜群のリーダーシップがあったんでしょう多分。もちろん「誰も行きたくなかった場所」が必ずしも悪い場所だとは限らないし、「意外にも住めば都だったじゃん♪」みたいな幸運な展開も十分に考えられるんですが、とんでもなくヒドイ場所だったという可能性も同じくらいあるだろうと推定されますね。つまり、上記の定義では、「リーダーシップを備えているからといって良いリーダーだとは限らない」という命題が成り立つことになる。良いリーダーかどうかは「どんな場所に皆を導いたか」によって判定される訳ですね。小泉クンが我々を連れてきた場所ってどーなんでしょう。少なくとも、「ポスト小泉時代」の自民党で起こったドタバタのおかげで、「自民党には常に政権担当能力がある」という「戦後レジームの神話」が崩壊したのは良いことだったのかもしれませんが・・・本日の画像は、韓国(!)の済州国際平和センターに展示されていた小泉首相の蝋人形。写真では切れちゃってますがお隣に座ってるのは韓国のノ・ムヒョン大統領。この小泉クン、髪の毛のひねくれ具合がやや大人し過ぎるような気がします。現物はもっとグシャグシャだよね。
2007.09.08
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台風をゆっくり味わいたかったので昨日はブログをお休みしました。久々の首都圏直撃台風を堪能しない手はない。実は私、台風だの大雪だのスペクタクルな気象現象が起こってる最中に街を歩くのが趣味なんです。鑑賞(?)に値する程度の大きさの台風が来ると「そろそろ梨の季節だなー」と毎年思うことになっております。なぜか「台風→梨」という連想回路が頭の中にできてるんですね。「台風で落ちた梨の実を拾って食ったら美味かった」というよーな恥ずかしい経験が幼少時にあるのかもしれない。台風にも「個性」というものがあって、「ドッと来てバッと暴れてサッと逃げる」という火事場泥棒的なヤツもいるし、「九州沖縄から日本列島をずっと迷走して来ていい加減ヘロヘロですけど首都には一応ご挨拶しとかないと…」みたいな律儀者もおります。中には都民を待たせるだけ待たせといて勝手に日本海方面に進路を変えちゃうような性格のひねくれた奴もいる。 台風を充ちくるもののごとく待つ 右城暮石昨日の台風の場合、ワタクシ的には「東京湾から一挙に首都上陸」というゴジラ的な行動パターンを期待していたのですが、水際で日和って小田原あたりでタラタラしてたのがちょっと残念。しかも異様にトロくさい奴で1時間で10キロ程度しか進まないのでイライラした。マラソンランナーに追い越されそうな台風ってのも悲しいですね。おかげで東京は今朝になっても強風が止まないし雲は切れないし、「台風一過」のパリッとした青空なんてカケラもありません。ホント、近頃は台風らしい台風が少なくなって・・・「温暖化」とかで甘やかされてるのがいけないんでしょうかね。ゆとり教育の弊害がここにも・・・そういう話じゃないか。昔の日本人は「台風」なんて無粋な言葉は使わず「野分」と申しました。「野分の翌日ってすっごく風情があっていいよね」と清少納言さんも書いてますね。「庭の大きな木が倒れちゃったりして、風で折れちゃった枝が秋草の中に転がってたりして、なんか思いもよらない光景で新鮮だわぁ」とか・・・さすが自分で片づけをしない人は言うことが違う。確かに新鮮な光景ではあろうけど、倒れた木を片づける方は大変だ。彼女が言ってる「庭」って宮廷の庭ですからねー。いつまでも荒らされたままにしとく訳にはいかない。かといって早く片づけ過ぎると、「せっかく風情に浸ってたのに~」とか少納言さんに怒られそうだし。 大いなるものが過ぎゆく野分かな 高浜虚子しかし、「台風の通」であるワタクシに言わせると台風の真の醍醐味は「翌日の風情」よりも「夜中の暴風雨」にあります。深夜にテレビの台風情報を聞きながら「うんうん、確かにウチの方に来てる」とかニンマリしたりして、「駅伝のトップ集団がいま家の前を通ってる」みたいな特権的な気分が味わえます(←変か?)。台風が夜のうちに去ってしまうと、「台風一過の青空」の代わりに星空が見えることがあって、あれもなかなかオツなもんでげすね。 漆黒の天に星散る野分あと 相馬遷子
2007.09.07
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社会保険庁の年金横領の件をちょっと調べてみて、税金を払うのがつくづく嫌になってしまった。国家というものを機能の面から見れば「国民の(国内的・国際的な)利害関係の調整を行って手数料を貰ってる機関」であって、その「手数料」に当たるのが税金を初めとする公的賦課になるはずですが、それならば「日本国という機関は手数料に見合うほど仕事をしてくれてるか?」という問いかけも当然に生じる訳ですね。これって基本的には、「運用実績の明細を示さない上に密かに客の金を着服しちゃうような証券会社にアナタはお金を預けますか?」というのと同じような話なんだけど、選択肢の多い証券会社と違ってコトが「国家」の場合、「日本語が母国語で人間関係も収入の基盤もすべて日本にある」という私みたいな人(日本ではまだ多数派でしょう)にとっては、日本国以外の国家を選択するのが実際問題として極めて難しい。他の国の人にとっても国外移住は決心が要ることでしょうが、日本ていろんな面で特異な国だし、国家機能が完全に壊滅状態という訳でもないから、現時点で「こんな国はもう見捨てちゃって新天地を探そう」という決心はなかなかしにくい。だから、どれほど借金まみれで無能でも日本国政府の皆さんは平然と税金を徴収していられるのであってねー・・・噂によれば韓国なんか有能な国民がどんどん海外流出しちゃって大変らしいですよ。という訳で、国外脱出は困難だけどこんな政府に税金を払うのはヤダ、というのが現在のワタクシの率直な心情なんですが、払うのが嫌だからといって勝手に納税を止めちゃうと「脱税」ということになって、後で「追徴金」という形で「延滞利息及び罰金付きの手数料」を支払う羽目になるのでバカバカしい。が、幸い私は自由業なので「働かない」という究極の手がある。所得が発生しなきゃ所得税は取れないからね。とりあえず働かない。働かないと収入もないのでいずれは生活に困ることになるけど、いよいよ生活資金が底をついたら国会議事堂に放火するなり議員宿舎の玄関を破壊するなりして刑務所に入っちゃおうかと思う---いやホント、そのくらい腹が立ってるんです私。安倍晋三クンは「戦後レジームからの脱却」をしきりに提唱してるけど、最も「戦後レジームから脱却」する必要があるのは議員を含めた公務員の皆様じゃないの?彼らの頭の中は、終戦直後の「焼け跡に闇市が乱立してて国が手を貸さなきゃ何も進まなかった時代」から一歩も出てないと思うんですけど---マトモに年金の保全(「運用」じゃなくて「保全」ね)もできない癖に威張らないで欲しいわ。本日の画像は社会保険庁の入ってる合同庁舎。社保庁が入ってるのは19階と20階です。乱入して暴れたい人は階を間違えないように・・・★追記:すいません。今日はちょっと所用があるのでコメントのレスは夕方に書きます。
2007.09.05
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昨日に引き続き疲れ気味なので今日は軽い話題でまとめます。anan読者の平均年齢が気になる「anan」(マガジンハウス)が毎年恒例でやってる「抱かれたい男アンケート」、今年も木村拓哉クンが第1位だったそうで・・・そう言われて「キムタクってまだ凄く人気あるのねー」と思ったアナタ、それは分析が甘い。昔マーケティングやってたヒトとしては、「ananの読者って下の世代に拡大してないんじゃないの?」とまず疑ってしまいます。読者の世代交替が上手くいってなくて、昔からanan読んでた人が相変わらず読んでて新しい人が入ってこないもんで、読者年齢が年々高くなっていく、みたいな傾向があるんじゃないかと思う。同誌の編集パターンを見てると、編集者の平均年齢もずいぶん高齢化してるような気がしますが。そういえば私、「星占い特集」以外でanan買ってる人って身辺で見たことない。anan読者の平均年齢って幾つぐらいなんでしょうね。もしかしたらHanakoの読者層より上だったりして・・・それじゃ40代になっちゃうか。しかし、「抱かれたい男性芸能人アンケート」という発想には、妙に年季の入った欲求不満の気配を感じるなー・・・1970年創刊だそうですから、いても不思議ない感じですね40代のanan読者。危険球というよりボーンヘッドだけど・・・遠藤さんとかいう農水大臣(1週間で辞められちゃフルネーム覚える時間もないです)がお辞めになったとかで「安倍首相の任命責任がどーの」という騒ぎがまた再燃してますが、もういい加減どーでもよくなってきました。要するにアベ君は本来「首相をこなすだけの力量がない人」で、今の日本は「器じゃねー首相を戴いてるカワイソーな国」だというだけのことでしょう。直接選挙で首相が選べないんだから一国民としては如何ともしがたいですね。せいぜい「呪い殺す」ぐらいしか手段がない。でも、あんなレベルの低い奴を呪い殺すために夜中に神社に出かけて五寸釘打ったりする気になれません。首相やってなきゃ「フツーのいい人」なんだろうと思うし・・・私の目の届くところに出て来なければ、よろこんで御多幸と御長寿をお祈りしたいところです---だから早く辞めてね。国民の皆さんは舛添要一厚労相に期待しているようなので、舛添クンの不祥事が発覚するようなことがあればそれがトドメの一撃になると思いますが---まあ、これ以上不祥事のお詫び会見は見たくないけどね。対外的にもミットモナイし。ところで、一連の不祥事報道を見てて気になったのですが、一通りモノを知ってるはずのベテラン政治家やメディア関係者の中にも「安倍総理」という言い方をする人が結構いるのね。「内閣総理大臣」の略称は「首相」であって「総理」ではありません。総理大臣を「総理」と呼ぶのは、外務大臣を「外務」と呼ぶようなもので不適切です。辻元議員みたいなチンピラのねーちゃんが「ソーリ」を連発するのは「しょーがねーなー常識なくて」という感じですが、自民党幹事長という要職(?)にある麻生クンが公の場で「総理」と呼ぶのは如何なものか。「このオッサン教養ねえなー」と思ってしまいました。麻生クンは今でも少年ジャンプを愛読してるそうで、その辺で共感する部分はあるのですが、漫画ばっかり読んでてもダメなのよねー。「麻生ちゃんが次の首相になるかもしれない国」というのも相当にカワイソーかも・・・全然関係ないけど、今回辞任した農水相の苗字が「遠藤」だというので、むかし横浜のエースだった遠藤投手が投げてボロ負けした翌日のスポーツ新聞の記事に「ジ・エンド」というダジャレ見出しが使われていたのを思い出しました。横浜ファンとしては「遠藤さん」を応援したい気持もないではなかったのですが、初球から危険球で退場されちゃしょーがないですね。それにしても、あの日は現・農水相、外務政務官、元・農水相、と1日のうちに3人の政府高官のお詫び会見があったんですね。前内閣からの不祥事続きで鈍感になっててあまり気にしてなかったけど、これって「異常な事態」って言うんじゃないですかね。「国難」と言ってもいいかも知れない。恐ろしい国に住んでますねー我々。
2007.09.04
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この週末は来客が多かったのでかなり疲れ気味です。と言っても、ワタクシの人望ゆえに客が多い訳ではなく、こないだから拙宅に寄宿している子猫を見たい!という猫好きオバサンが相次いでやってきたからです。レッサーパンダの赤ちゃんがウリの動物園じゃないんだからさ、「新宿に買い物に行ったついで」とかで訪問されてもねー・・・。飲み会の帰り道で「そうだ、あそこの猫ちゃん大きくなったかしら」とフト思い立って来訪する人なんかもいて、「猫見の客に寝込みを襲われる」というシャレにならない事態まで起こっております。目下のところ、「無人島の君主になればさぞ涼しかろうなー…」という心境です。ま、それはさておき、前述のような経緯で猫を見にやってきたオバサン達の間で、「ちょい悪・ちょいモテ」を志向するオッサンて超ウザイよねー、という話になりました。「なんでウザイのか考えるのもウザイから放置してるけど、ともかくウザイよねー」とか・・・「考えるのもウザイ」という気持ちはわかるけど、そーいう不精はよくないのではないか、と思う。女がそうやって不精こいてるから「ちょい悪」だの「ちょいモテ」だの言ってるオッサンが勝手につけ上がるのであってだねー、明確に「なんでウザイか」を説明してやらないと、あいつら鈍感だから一生誤りに気づかないと思うのね。それって結局は自分の周りにダサ男が増えてこっちが嫌な思いをするだけじゃん?と思うんですけど・・・という訳で、一念発起して「なんで奴らがウザイか」を考えてみました。えーっとさー、そもそも「ちょい」ってあたりがケチくさいよね。本人気が付いてないかもしれんけど、「ちょい悪おやじ」なんてもんは「ワルに徹する覚悟もない軟弱者」というだけじゃないの?善に徹しても損をするしワルに徹しても損をするから、「とかくこの世は住みにくい」と夏目漱石せんせーも嘆いてた訳ですが、「ちょい」で止めとけば損をしない(あるいは損をしてもソコソコで済む)みたいな考え方が見苦しい。そーいうのって「往生際が悪い」っていうんだよね。もっと露骨にいえば、そういう発想は「外で出しときゃ相手は妊娠しないだろ?」と思ってるノーテンキな兄ちゃんの考え方と本質的には同じだ。イイ思いはしたいけどリスクは負いたくない、という点で---アンタのセコい思惑通りに行けば誰も苦労しねーよバカ、という感じですね。「悪いオトコ」がモテるとすれば、それは単に「悪い」からじゃなくて、「規範からの逸脱によるリスクを自分で背負おうとしてるように見えるから」なんだと思いますけど?リスクを背負う度胸もない「ちょいワル」程度の男にその種の魅力があると思う方がどーかしている。ま、安全パイではあるけどね。あとさー、「ちょいモテ」を志向する男性は、基本的に「女は市場だ」と勘違いしてるんだと思うのね。だって、「どんな相手にモテたいのか?」というターゲットを全く考えずに「単にちょこっとモテたい」ということは、相手がバカでもブスでもイイってことでしょ?フツーの人間関係でそんなことありえねーじゃん。「どんな奴でも商品さえ買ってくれればイイ」という論理が成り立つのは「市場」という場だけだ。色恋って経済行為じゃないんだけど、連中はバブル育ちで経済モデルしか知らないから、そこんとこがイマイチ分かってないのかね。そりゃ男性の生理は「数打ちゃ当たる」かもしれないけど、それを満たしたいだけならフーゾクに通ってればいいんで、「モテたい」とかゼータク言っちゃいけないよね。そーいう物欲しげな発想が根底にあるからアンタは過去にモテなかった訳で、いい加減いい歳になってから表面だけ取り繕ったってダメなのよ。「こっちが市場ならアンタは商品か」と思われて利用されるだけじゃないの?まあ、「ちょい悪」だの「ちょいモテ」だのが実際にモテた、という具体的な事例を私は知らないので、「ちょい悪・ちょいモテおやじ」というのは中年男の妄想の中にしか存在しないのかもしれない、とも思いますけどさ・・・それなら勝手な妄想を抱いたままひっそりと老いて死んでくれればいいよーなもんだけど、近頃のニッポン男児ってマニュアル依存症の上に甘ったれだから、「金と手間をかけて『ちょい悪・ちょいモテ』の路線を実践したのにモテなかった」とか逆恨みして女に八つ当たりする不心得者が出てきそうな気がして剣呑でなりませぬ。「どーすれば女にモテるか」という初歩的なコトが分かってない殿方が多数おられるようなので僭越ながらご教示させて頂けば、モテる秘訣はただ一つ、「特定の相手(一人じゃなくても可)を好きになって、マジメに相手のことを考えてあげること」です。後段の「相手のことを真面目に考える」というのがキモですからね。自己都合で「好きだ」と言い張ってるだけじゃ単なるストーカーだ。「性別をあまり意識せずに女の人とフツーに付き合う」というところから始めた方がいいかもしれませんね。モテない男って要するに相手を人間扱いしてないからモテないんです。変に見下してみたり、逆に崇め奉ってみたり・・・どっちにしたって女性の方は居心地が良くない。「相手を対等の人間として扱う」という前提があった上で、初めて「蓼食う虫も好き好き」という諺が成り立つ訳なんですけど、そこんとこ真剣に考えた方がいいですよ。「ちょいモテ」なんて独りよがりな観念論を追いかけてるヒマがあったらさ。
2007.09.03
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「カップヌードルはお湯を入れてから5分待つ」という人を知ってます。猫舌なのかといえば別にそーでもなく、お茶は「舌が火傷するほど熱いのが好き」だったりする。適度に冷めたラーメンが好きなのか適度にのびたラーメンが好きなのか分からないけど、ともかく「湯を入れてから5分後のカップヌードル」が好きなんだね、このヒトは。ワタクシ的にはカップ麺は「まだ乾麺のパリパリ感が残ってるぐらい」が好きなので、3分も待ちませんね。2分35秒ぐらいで食べ始めちゃう。ウルトラマンにも余裕で味見してもらえるくらいです。だから、カップに湯を入れていつまでも待ってる人を見ると、他人事ながらヤキモキしてしまう。熱いうちにワッと食うのが美味い食い物をわざわざテンション下げて食ってどーする、とか思っちゃうんですね。でも、考えてみれば、世間には「テンション低い食い物」が好きな人って少なからずいる。「生ぬるい系」とか「シケっぽい系」とか「味が薄い系」とか・・・。ほら、コップに注いだまま放置されてて炭酸が抜けきって温まっちゃったコーラだの、びみょーに湿気を含んだ薄焼き煎餅だのが好きな人っているじゃないですか。「100%の生ジュースは濃すぎてダメなので氷が溶けて薄まるまで待つ」とか言ってジューススタンドでいつまでも佇んでいる奴もいるし・・・だったら初めから果汁50%のパック入りジュース飲んでろよ、という感じですけれども。あと、何にでもマヨネーズかける奴ね、あれもテンション低めを好む人々なんだと思う。マヨネーズかけると総じて味がマイルドになりますから。国を挙げて「食い物のテンションを下げる」ことに血道を上げているイギリス人みたいな人達もいますね。大英帝国時代のイギリスには(インドやアフリカで食あたりに苦しんだ人がいたせいでしょうか)妙に消化器官を気遣う人が多かったようで、「熱い料理」や「刺激の強い食材」は胃腸によろしくないから避ける、という風潮があったそうなんですね。おかげでイギリス料理が不味くなったという説があるけど、確かにイギリスの「あったかい料理」には許し難く不味いのがある。茶色いドロドロになるまで煮込んだホーレンソウとか---でも、「冷たい料理」には美味しいのが結構ありますよ。たとえばキュウリのサンドイッチなんかワタクシ大好物です。パンが美味しいことが条件ですが。食い物のテンションに関する好みって、意外と深いところで人間関係に影響してるのかも知れない。私はどっちかというと「ハイテンション派」なので、あまりにも「低テンション派」の人と一緒にメシ食うとゲンナリしちゃうことがありますからねー。「キムチの辛いのが苦手で水で洗って食う」という男とは1回食事しただけで付き合うの止めちゃったけど、アレは「キムチをコップの水で洗って食ってるのが見てて気持ち悪かった」という理由が大きかったよーな気がする。重度のマヨラー(「マイマヨ」とか持ってる奴)と連れ立って居酒屋に行くのもちょっとツライものがある。鰹のたたきにマヨネーズ塗りたくったりするからね奴らは。もっとも、テンションが高けりゃいいというものでもないですね。私だってうどんは関西風の薄味が好きだ。寒い地方の出身者に「猛烈に塩気のきつい味付けを好む人」が時々おられますが、あれも勘弁して欲しい。煮物の野菜が醤油の色に染まってたりして、テンション云々以前に血圧が上がりそうです。「何にでもマヨネーズ派」の対極に位置づけられる「何にでもタバスコ派」ってのも困りもんだし・・・。こういう人は宅配ピザにボトル半分もタバスコかけちゃったりするんだもん。もうピザの上なんかプチ洪水状態---こう考えてみると「一緒に食事をして楽しい人」って実は割と少ないのかもしれませんね。「メシ食い友達」は大事にしようと思います。今日の画像は「カップヌードル・スケルトン」。透明な容器に入ったカップヌードルなので、麺がふやけ切ってると見た目にすっごく気持ち悪いです。「お湯を入れて5分待つ」という人にプレゼントしてみたい。
2007.09.01
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名古屋でOLさんを殺しちゃった「闇サイト仲間」の主犯格は「元・暴力団員」なんだそうで、「なるほどねー」と妙に納得してしまいました。暴力団ってそれなりに厳しいヒエラルキー社会らしいからねー、バカで怠け者じゃ務まらないだろう。先方から追い出されたのか自分でおん出たのか知らないけど、組織の側では「出てってくれて幸い」という感じでしょう。景気の先が読めない時代だし、裏社会だって使えない人材は排除したいだろうと思う。構成員に「人件費」がかかるのはオモテもウラも同じだもんね。暴力団といっても別に「暴力」を生業にしてる訳じゃなくて、用心棒と称して「みかじめ料」を徴収したり、違法薬物を売買したり、銃器類の取引に従事したり、風俗や闇金融を運営したり……と多岐にわたる経済活動を行っている組織なんですね。違法・合法の違いこそあれ、その点では一般の営利企業との間に特段の違いはない。「いい人材が欲しい」という気持ちも一般企業と同じでしょう。てゆーか、アホな舎弟が下手なことをしでかした場合に組織が打撃を被る可能性はオモテの企業よりも大きいはずだから、「いい人材」を求める気持ちはいっそう強いかもしれません。仮にアナタが、たまたま先方のお眼鏡にかなってリクルートされるとか自ら志望して入会(「入会」でいいのか?)するとかして、めでたく「新人組員」となったとしましょう。で、その先はどーなるかというと、これも一般企業と同じで「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」によって仕事を覚える、というプロセスがあるようです。まずは裏社会の行動規範(ほら、「仁義」とか「面子」とか)を覚えてもらわなきゃいけない。だから、部外者から見るとただのチンピラにしか見えないけど実は研修中、ということもある訳ですね。研修期間は一般にフツーの企業よりも長いらしい。その間に、上の人(「中間管理職」みたいな立場の人ね)が新人クンの資質を見極めて配属先を決める、というか、どのタイプの業務を割り振るかを考えるんでしょうね。アタマが切れそうなら「顧問先」の企業相手の渉外役とか、愛想がいい奴だから風俗方面を担当させようとか・・・そういうジョブ・アサインメントは割と臨機応変に随時行われるようで、その辺は一般企業よりは融通が利くのかもしれない。鰻屋とか寿司屋とかの徒弟修行にも似てますね・・・ある日突然「これから煮方の方は全部お前に任せるから」と親方に言い渡される、みたいな感じ?が、(これもどんな組織にも共通することですが)いくらジョブトレを積んでも一向に仕事を覚えない問題児もいるわけで、そーいう人達はいつまでもチンピラのままで、次々に昇進(?)していく同僚を横目に見ながら不満を募らせている……のではないかと推察されます。ポケモンで言えば「ロケット団のムサシとコジロウ」というか・・・そんな可愛いもんじゃないか。そんな半端者でも「忠誠心だけはある」というのならイザという時の鉄砲玉要員として使えるけど、仕事はできないわ根性は悪いわ…という奴だとそれも期待できない。それでも会費を納めてくれればまだいいけど、稼ぎが悪いせいでそっちの方も滞りがち、ということになると手に負えません。何か理由をつけて除名しちゃうのが一番いい、ということになるんだろうなー。---意外と知らない人が多いみたいなので驚いたのですが、暴力団の組員さんには組に「会費」を払う義務があるんです。建前としては、彼らから徴収した「会費」によって組織が運営されていることになってるのね。「会費」を納めない奴が増えちゃうと、その建前が崩れてマズイことになる---裏社会でもリストラが進んでいるのか、最近、「元・暴力団員」(現役じゃなくて)の犯罪が心なしか増えてるような気がします。こういうドロップアウト組って要するに「プロジェクト遂行能力がない人」だから(違法な経済活動だって本質的には「プロジェクト」です)、犯罪の企画・実行なんかやらせたってダメダメに決まってるんだけど、彼らは裏社会に身を置いていても「プロの犯罪」に参加させてもらった経験がないので、自分がどれほどダメなのかが身に染みてないんですね。だから、安易に「オレにもできるはず」とか思い込んで犯行に及んじゃうんだと思う。無事に犯罪をやりおおせて事態を収拾する能力がない上に、犯行に先立つ損得勘定(専門用語でいえば「コスト・ベネフィット分析」)が甘いから、簡単に人を殺しちゃったりするんだね多分。プロの犯罪者は(それが「プロ」というに値する奴だったら)相応の計算ができるはずだから、そう簡単には殺さないだろう。本日の画像、知ってる人は知ってる「Y菱の代紋」です。物騒ですねー。いいのかホントにこんなの使って。ちなみに警視庁の指定暴力団リストから転載しました(「無断転載を禁ず」じゃなかったと思うんだけど)。この代紋のバッジを付けてる人に出逢ったら、その人は「プロ」ですから、我々も「堅気の衆」らしく礼儀正しく振るまいましょう。そうすれば多分ダイジョーブ・・・だと思う・・・ま、保証はしませんが。
2007.08.30
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甲子園が終わって「定時のニュースにいちおー目を通す」という日常が戻ってきた訳ですが、あまり喜ばしいニュースってないですねー。安倍内閣に入れなかった参議院のオッサンが「何で入れてくれないの?」とかゴネてみたり、かと思えば闇サイトで知り合ったにわか犯罪者グループが金目当てでOLさんを殺しちゃったり・・・この事件、腹が立つ以前に呆れて口を開いてしまいました。「お前ら犯罪ひとつマジメにやれねーのか?」という感じですね。村松友視という作家さんが以前「あらゆるジャンルに一流から五流までのランクがある」と言ってましたが、今回の事件なんかまさに「犯罪として五流」という気配が濃厚に漂っている---いや五流というより「ランク外」かも。そもそも「小金目当ての犯行」というだけで志の低さがアリアリなのに、わざわざ弱者を狙うという安易な怠け根性が更に気に入らない。一人歩きの女の人って普通そんなに金持ってないもんだけど、金の多寡より「楽すること」の方が優先しちゃうんですね。犯罪者になっても日頃の怠け癖が抜けないのが情けない。違法な手段で金を手に入れるのは勝手だけどさ、もう少し「努力」とか「工夫」とかあってもいーんじゃないの?「取れるところから取る」ってだけじゃ税務署と同じだ。そんな奴らがへーぜんと街をうろついてる御時世ですから、夜道を一人歩きせざるを得ない女性の皆様、不本意かもしれないけど自衛策を講じた方がいいですよ。常に防犯ブザーを持ち歩くとか、手榴弾をバッグに入れといて引ったくられたらピンが抜けるようにしとくとか・・・運悪く暴漢に遭遇しちゃった場合、路上に放置されてる自転車ね、アレ投げつけると意外に効果あります(経験アリ)。正当防衛を主張できる範囲だったら殺しちゃってもいい、ぐらいの気合いで対処するしかないです。てゆーか、そーいう下衆野郎は殺してやった方が世の中のためかもしれませんです。国家予算を使って死刑にしてやるのも業腹じゃないですか。逮捕したら洞窟に閉じ込めて、入り口をコンクリートで塞いじゃったらどーですかね。どうせトンネル掘って出てくる根性なんかないだろうしさ、中で勝手に餓え死にするなり殺し合うなりしてもらおうじゃないの---考えようによってはなかなか実存的な死に方でいいと思うんですけど・・・あんな奴らには勿体ないくらいだ。世間には犯罪者の味方をしてるとしか思えない「人権派弁護士」という人種がいるので、裁判に持ち込むとコトが面倒になるかも知れないし、「正当防衛」で現場で殺しちゃうのが一番いいんだけどなホントは。ニュース見てると殺人事件が毎日のように起こってるので日本の治安が凄く悪化してるような印象がありますが、実は殺人事件の件数そのものは統計を見ると減ってるんですね。その代わり、と言っちゃナンだが「犯罪の質」という点では劣化が著しい。事前に準備してちゃんと計画を立ててコトを決行する、というタイプの犯罪よりも、「思いつきでやっちゃいましたー」みたいなズサンな犯罪が目立つ。今回のOLさん殺しみたいなグループ犯罪の場合、量刑に際しては「共謀共同正犯」という概念が用いられるのですが、「共謀」なんて知的な言葉を使ってやる価値もないですね。連中、ほとんどアタマ使ってないもん。最後にアタマを使ったのは夏祭りでハチ巻きを巻いた時、だったりして。なんか随分なことを言ってますが、私、世の中で一番キライなものを3つ挙げろと言われたら「バカ、怠け者、多足類」と躊躇なく答えます、というヒトなので、アタマ使わないでイイ目を見ようとする犯罪者には冷たいんです。アタマ使わないでイイ目を見ようとする政治家にも冷たいけど---大臣になれなくてブーたれてる矢野ナニガシ、とかさ。とゆーことで、今日の画像は某市にある刑務所。なかなか立派な造りですが、すべて皆様の血税で維持されております。
2007.08.29
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ニューヨークの秋は「シンバル一発!」みたいな感じでやって来るんだそうですね。前の日まで暑いわ湿度は高いわで「もう今年は秋なんか来ないんじゃないの?」と思ってたのに、ある朝起きてみると空の色が昨日とはまるで変わっていて、公園では乾いた秋の風に木の葉が揺れている、みたいな---判りやすくていいなあ、そういうのって。東京の住民はこの時期、「秋の顔色を窺いながら暮らしている」という感じです。「朝のムッとするような暑さがぬるま湯的なふやけた暖かさに変わってきたけど、これってもう「秋」といってもいいんですかぁ?まだダメ?」とか、こまめに風呂の湯加減を確かめるみたいなノリで日々を過ごしている。暑さが収まると言われる「処暑」(毎年8月24日頃)はもう過ぎたはずですが、今日も最高気温は30℃に届きそうです。そういや水道の水が少し冷たく感じられるようになったかな?という程度。歳時記では、今の時期は「初秋」もしくは「秋口」にあたります。俳句に使われる「初秋」は、「はつあき」と読まれることも多い。「しょしゅう」では5・7・5にする時に座りが悪いことがあるからでしょうね。初夏のことを「孟夏」というのと同じデンで「孟秋」という言い方をすることもあります。 初秋や独りはろうて物の塵 千代女千代女さん、夏の間だいぶ掃除サボってたみたいですね。この人、朝顔に釣瓶とられちゃって隣家まで水もらいに行ったり、家事に関しては割と大雑把なんです。「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」(*注)とかボヤいてるけど、女の一人暮らしって気楽な面もあるよね。まあ、体温より気温の方が高いような時に「今日はテッテー的に掃除するぞぉ!」なんて一念発起する人もいないでしょうが。初秋は「夏休みのラストスパート」と重なるので、若年の頃には秋の気配に耳をそばだてたりしてるヒマはなかったですね。やり残した宿題を片づけるとか、プールで泳ぎ納めをするとか、何だかんだあってガキはこの時期忙しいのであった。で、夏休みが終わって登校してみると大体みんな日焼けしてるのな。多少は美白を気にする高校生ぐらいになっても、若いうちは恐ろしいもので紫外線のホントの怖さ(ほら、シミだのシワだの)を知らないから、つい日焼け止めを塗り忘れたりして焼けちゃうんですね。中には焼けすぎて「アンタ誰?」みたいな状態になってる奴もいたりして・・・。そこまで変貌してなくても、一夏まるっと逢わなかった友達(つまりそれほど親しくない連中)と顔を合わせるのって、何となく照れちゃうような、面映ゆいような感じがありましたね。 教室のよそよそしさよ休暇明け 佐藤博美女の人の場合、初めて秋を感じるのがブティックのショーウィンドウや化粧品、という人が結構いると思います。秋の新色が出るのはだいたい8月の初めなんですが、実際に買う気になるのは秋口になってから、という人も多い。特にアイシャドウは「季節の先取り」がしにくい。秋物のアイシャドウはパープル系だったり渋いグリーン系だったりするので、クソ暑い時期に使うと顔が余計暑苦しくなっちゃうんですよね。季節によって読む本が変わる、という人もいます。私もそのクチで、夏はSFをよく読むし(国別でいうとアメリカ物が多いですね)、冬はホラー系を読んでることが多い(ゴシックロマン方面とか。国別でいうとロシア・東欧文学系)。秋は・・・何でしょうね。そういえば、私「ハリー・ポッター」をまともに読んでないんですよね。この秋は「ハリポタに挑戦」かなあ・・・ 書肆の灯にそぞろ読む書も秋めけり 杉田久女本日の画像は「きんつば」です。「きんつば」って秋のお菓子だったんですね。何で白っぽいお菓子なのに「きんつば」という名前なのかというと、京都でこのお菓子が誕生した頃は「銀つば」と呼ばれていたのが、江戸に渡ってきた時に「銀よりも金の方がエライ」ということで「きんつば」になったらしいんですね。ああ江戸っ子って見栄っ張り。*注)実はこの句、千代女さんの句じゃないそうです。元禄時代の遊女が詠んだ句だそうで、そう考えると、これは「孤閨を嘆く句」というよりは、「たまには独りで寝るのもノビノビできていいわー」という句なのかも知れませんね。
2007.08.28
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とかく東大出は群れたがる---いや、これは過去において私が観察する機会を得た東大出のオッサンや爺さんの話で、女性の卒業生や卒業して間がない若い人については知りませんよ。が、ともかく、学生のほとんどが男子だった昔の東大(時代によっては「帝大」)の卒業生にはそういう傾向があった。初対面の東大出身者2人が出逢うと、「どの教授のゼミに居たか」だの「○○君を知ってるか」だの矢継ぎ早に誰彼の名前を挙げて、何とか共通の知人を探そうとするんですね。で、ようやく共通の知人を発見すると、今度はその人物の逸話を語りまくって倦むところがない。部外者から見るとバカバカしいのみならず失礼な話だと思うんですが、そんな社交上の配慮よりも自分たちの「プチ同窓会」の方が大事らしいのですね彼らは。そんなに大学が好きなのか---学校を出てからあまり面白い人生を送ってこなかったのかもしれない。大蔵省だの財務省だのの役人には東大出が多いので、銀行のMOF担(監督官庁相手の渉外を担当する役)は昔からだいたい東大出身と相場が決まっていたようです。彼らの仲間意識を利用して少しでも旨い汁にありつこうという魂胆がミエミエですが、実際、地方の国立大や私大の出身者がMOF担になっても、「え、キミ東大じゃないの?」みたいな調子でマトモに相手にされないので、結局その銀行がワリを食うことになりがちなんだそうです---ま、噂ですけどね。但し私はこの噂を銀行員やってる友達から聞いた。そこに些かの信憑性がある。日本国の内閣総理大臣も、昔は東大(帝大)の出身者が主流を占めていたと思う。東大出身の方が官庁との関係がスムースだったのかもしれない。更に言えば、昔の首相には官僚経験者も多かったような気がしますね。官僚を経験している方が官庁との関係がスムースだったのかもしれない。ともかく「官庁との関係」が今よりもずっと重視されていたのは確かでしょう。大蔵省が長年維持してきた金融機関の「護送船団方式」に代表されるように、ちょっと前までの日本は世界でも有数の「官僚主導型の国家」だったんですね。その伝統(?)は宮沢喜一首相を最後に途切れて、ここ何代かの総理大臣はすべて私大出身者になってます。にわか造りのまま建て増しを重ねてきた戦後体制のあちこちが綻びて、改装が必要になったことと何か関係があるんでしょうか。同窓生に甘い東大出身の総理では改革の大ナタは振るえない、とか?でも、官僚組織という東大出の牙城に挑戦するにしては第一次アベ内閣はいかにも力不足、という感じだった。何より「アタマ悪そう」な閣僚が多かったのがイケマセン。「国会の答弁で役所が作った原稿をただ読むだけ」みたいな大臣が多いんじゃ、構造改革なんてエラソーなことも言えないじゃないですか。役人って少なくとも自分の管轄分野ではプロだからねー(そのぶん了見が狭かったりするけど)。数少ないインテリのはずの塩崎官房長官(←バカにされてるけどハーバード卒なのよ)にしても、毎日の記者会見では官僚が用意した応答要領に諾々と従っているだけだったし---ま、彼は金融関係が得意分野なので金融方面のどーでもいいような知識だけは盛んにひけらかしてたけどさ、日銀の福井総裁なんか鼻で笑ってたんじゃねーの?今日は第二次アベ内閣の顔ぶれが発表されるそうですから、お昼のニュースを興味深く拝見したいと思います。しかし、まさかアベ内閣に「第二次」があろうとは思わなかったですねー。これが「第三次」まで行ったら日本は壊滅するかも知れませんです。一番「アタマ悪そう」な閣僚って、何を隠そう首相本人だったりするんだから・・・個人的には政治ネタはあまり書きたくないので、前みたいな目を覆わんばかりの失言や釈明会見の頻発は避けて欲しいところです。今日の画像は、首相官邸の最寄り駅である地下鉄丸ノ内線「国会議事堂前」。お隣の駅が官僚諸君の根城「霞ヶ関」。いずれも、「料亭の赤坂」と「高給バーの銀座」に挟まれた好立地であります。
2007.08.27
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「'80年代にヒットした歌謡曲」を集めたオムニバスCDを先日ブックオフで買った。2枚組になってて全37曲---ハッキリ言っておトクです。これだけの曲数が入ってると、「忘れようにも思い出せない程度の曲だけど改めて聴いてみると割といいじゃん」みたいな再発見があったりして(堀江淳の「メモリーグラス」とか)かなり楽しめるのですが、一つだけ困ったことがある。あみんの「待つわ」とばんばひろぶみの「SACHIKO」が入ってるんですね。実はこの2曲、歌謡曲というジャンルの中では「私が嫌いな曲の双璧」と言ってもいい存在なんです。この2曲に共通するのは、どっちも「イヤな女」を主題にしているという点であります。「自分の好きな人が他の誰かにフラれるのを待ってる」という「待つわ」のねーちゃんの根性の悪さ、「SACHIKOって名前なのに幸せが来ないの」とか泣き言で同情を惹こうとするサチコさんの不幸自慢---どっちも同性としては甲乙つけがたいほどムカつく。両方とも「こんな女が身近に居たらたまんねーな」と思わせるタイプなんですが、そう一言で片づけちゃっても読む人には分かって頂けないかもしれないので、以下、個別撃破で罵倒しまくりたいと思います。自慢じゃないがワタクシ、「君には人を罵倒する才能がある」と高校の時の担任に褒められた(?)ことがある。「腕に覚えあり」なのでございます。最初は「待つわ」のねーちゃんね。こいつの場合、何よりも問題なのは、「可愛いフリしてあの子わりとやるもんだね」と人に言われたくらいで「生きるのが辛く」なっちゃう程度の甘ったれ女だ、という点ですね。そんな甘い覚悟で他人のオトコに手を出そうなんて、ちょっと世間を舐め過ぎてるんじゃないの?しかも、「いつも強がりばかりの私だけどアナタにだけはホントの気持ちを分かって欲しかった」、みたいな虫のいいこと言い出すし・・・バッカじゃねーの?マジに。あのさー、運良く相手がこっちに惚れててくれたって、「ワタシのホントの気持ち」なんか分かってもらえないのが普通なんだよね。だからこそ「お付き合い」っつーのをする甲斐がある訳であってねー・・・最初からアッサリ分かり合えちゃったら後が退屈で困るだろうが。こんな女が「あなたが誰かにフラれて独り身になるまで待つわ」なんてジッと指くわえて傍に控えてたら、男は災難だと思いますね。獲物の気が弱るのを待ってるヘビみたいな奴なんだもん。それに、大好きな相手がフラれて落ち込むのは一向に構わないのね。そりゃ私だって「好きなのに振り向いてくれない男」と他の女との幸せを願うほど度量は広くないですけど、積極的に相手の不幸を願うほど性格悪くないですよ。ほら、「人を呪わば穴二つ」って諺にもあるじゃないですか。辛気くさいだけじゃなく不幸を呼ぶぜ、そーいう邪悪な考え方って。「SACHIKO」のサチコさんはどーかというと、「幸せを数えたら5本の指でも余るけど不幸せを数えたら両手でも足りない」とか、くだらねー収支勘定を持ち出したがるのが困りモンですね。幸・不幸なんて損益対照表に書き出すような事項じゃないだろ?「気の持ちよう」の部分だって相当あるんだしさ。彼女のいう「不幸せ」の中には、「修学旅行のグループ分けの時に仲間はずれになった」だの、「バイトの面接で『雰囲気が暗い』と言われて不採用になった」だの、もうホントに今更どーでもいいような出来事まで入ってるような気がしますね。そこまでコクメイに憶えてるなんて本当は不幸が好きなんじゃないの?と疑いたくなっちゃうんですケド。まあ、そこまで悪く勘ぐらないにしても、多少不運な事態に見舞われたからってすぐ「私って不幸…」みたいな自己憐憫に浸っちゃうのは如何なものか。アンタもしかして不運なコトが起こると無条件に不幸になっちゃうタチなのか?それって早い話がただの怠け者じゃないですか?マジに幸せになりたいんだったら少しは幸せになる努力をしろよなー。世間の心ある皆さんは多少ツライことがあっても見栄張って幸せそうに振る舞ってるんであってねー、さっちゃんが特別に不運な星の下に生まれてるってことはないと思うのね。それに、何か異常な不幸に見舞われて「生きてるだけでもう大変」みたいな時には、「私ってなんて不幸なの」などと客観的な省察をしてる余裕はないはずだ、とも思うのね。不幸続きのわりには精神状態に随分ゆとりがありますよねサチコさんて---それだけ余力があるんだったら少しは状況改善の努力をしてみたらどうか?とおねーさん言いたくなっちゃう。 * * * * * * *うーむ・・・これだけ罵倒してもまだ言い足りないような気がするのが怖い。悪口ってウィルスと同じで増殖するものだったんですねー。あまり言いつのってると自分までヤな奴になりそうなんで、この辺で止めておきます。「待つわ」と「SACHIKO」を再生しないようにプレーヤーをプログラミングしなきゃいけないんで・・・
2007.08.26
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「人を殺した夢」をよく見る、という物騒な奴が友達にいる。殺してる現場を夢に見る訳じゃなくて、「自分は人を殺したことがある」という記憶が忽然と蘇ってきて思わずギャッと叫んでしまう、みたいな夢なんだそうですが、或る意味では実際に殺す夢よりもそっちの方が怖いかもしれない。自分の記憶が信じられなくなるって怖いですよね。足下の地面がにわかに崩壊していくような感じで・・・これに似たような話が夏目漱石の「夢十夜」にあったと思う。第三夜だったっけ?まあともかく、主人公の男が子供を背負って夜の原っぱを歩いている、という場面から始まる話です。「左に行くと日ヶ窪、右に行くと堀田原」という道しるべが出てくるので、場所はおそらく江戸の下町でしょう。「日ヶ窪」ってのは今の六本木ヒルズがある辺りで「堀田原」は蔵前の方面ですから、主人公が歩いてるのは本所・深川界隈の町はずれかと思われます。男は自分の子供を背負っているはずなのに、不思議なことにいつの間にかそれが盲目の坊主---いわゆる「座頭」ですね---に変わっている。驚いた男は「早く森へ行ってこいつを捨ててしまおう」と思って森の方に足を向けるんですが、急ぎ足で歩いていくと、背中の座頭が「もう少し行けばお前にも分かる。ちょうどこんな晩だったな…」とか不気味なことを言い始めるんです。そう言われても、過去の「こんな晩」にいったい何が起こったのか男には見当も付かない。それなのに、歩を進めていくうちに男は次第に「自分でも何かを知っているような」気がしてくる。よく分からないながらも、「ただ、こんな晩だったように」思えてくる。アレは確かにこんな晩だったな・・・でも「アレ」って何よ、という感じですね。このあたり、夜の暗闇と記憶の薄闇という二重の闇の中で覚束なく足だけを急がせている主人公の心細さが、漱石せんせーの淡々とした筆致からでも(いや淡々とした語り口のせいで余計に効果的に)伝わってきます。実は、この話の中で一番怖いのは森に辿り着くまでの道行きなんですね。何があったのか分からないけど確かに何かを知っているような気がする。その「何か」はとても恐ろしい事のような気がするんだけどどーしても思い出せない、というくだり。「何か」の正体が分かってからは正直それほど怖くない。これ以上ストーリーを書くとネタバレになっちゃうので止めときますが、「自分の中に何か恐ろしい記憶が眠ってるらしい」と不意に気づいた時の慄然とした恐怖感は、人間の感じる恐怖の中でもかなり高順位にランクされそうな気がします。自分は大丈夫か?と疑ってみるだけで、ちょっと不安になってきませんか?私なんか特に子供の頃から忘却力が旺盛なタチで、物心つく前に見たモノなんか殆ど忘れてますからねー。「それ」を知ってしまったら人生ガラッと変わっちゃうような、世にもおぞましい記憶を密かに抱えてるかもしれないんですよね実は---ま、思い出せないまま一生が終わることを祈るのみであります。皆さんも記憶の畑を無闇に掘り返さない方がいいですよ。もしかしたら死体が出てくるかもしれませんから・・・
2007.08.25
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ブラウザにFirefoxをお使いの方に申し上げますが、このブログ(というか楽天のブログね)はFirefoxでは正常に表示されないことがあります。テキスト部分の表示幅が狭くなっちゃうんです。私もFirefoxを使ってるんでレイアウトの際に不便でしょうがない。私が楽天を使ってるのは「書き込みに手間がかからない」というのが唯一の理由なんですが、このままブログ続けるんだったら引っ越した方がいいかもね・・・ちなみに、Firefoxで表示がおかしくなってる時は画面上の方の「Diary」と書いてあるボタンを押すと正常に表示されます。ご参考までに・・・以上、お知らせでした。こっからが本題。 *****************『「甘え」の構造』(弘文堂刊)という有名な日本人論を書いた土居健郎せんせーによれば、伝統的な日本人のスポーツ観(「勝負観」と言った方がいいのかな)は、欧米人のそれとは全く異なるんだそうですね。そして、その顕著な特徴は「勝利至上主義」の排斥だという。どうやら日本には、「勝負ごとにおいて勝敗を徹底的に争わない」という伝統があるらしいんです。これは「どれほど勝ち進んでも最終的には天皇を超えることはできない」という前提の中から生まれた文化だろう、と土居せんせーは推察してます。あらゆるジャンルにおけるナンバーワンは建前上天皇に決まってるんだから、その下のランクをめぐってガツガツ争うのは見苦しい、という考え方ですね。そういえば日本人が好きな囲碁や将棋なんかは「徹底的に争わない」の典型で、何手か先を読んで「あ、こりゃ負けたな」と思った段階で(その時点の盤面上では必ずしも不利じゃなくても)、「投了」を宣言するのが奥床しいとされてます。「ヒカルの碁」を読んだ人は分かると思いますが、「負けは確実だけどいよいよ打つ手がなくなるまでは徹底抗戦」なんてアサマシイことはせず、さっさと「負けました」と言って勝負を下りちゃうんですね彼らは。そこで「勝たなきゃ意味ねーじゃん」という「勝利至上主義」を素直に推し進めちゃうと、最後の最後には「天皇に挑戦!」みたいなことになっちゃって具合が悪い。そういう歴史的背景の中で、勝敗を徹底的に争わない伝統が形成されると同時に、勝敗よりも「戦い方」の方を重視するという傾向が生まれた、というのが土居せんせーの説であります。従って、日本の伝統的な勝負観では、勝ち負けそのものよりも「キレイな勝ち方」、「潔い負け方」が評価される。現実の勝敗よりも美学の方が大事なんですね。どうせ勝てないなら次善の策は「美しく負けること」であって、「ネヴァー・ギブアップ」じゃないんです。日本人が戦争下手でサッカーが弱い理由がなんとなく解るような気がします。スポーツ団体でも体質が古い組織は、「勝敗よりも美学優先」という戦前の価値観を引きずってるところがある。「審判ちょっとヒドイんじゃないの?」と抗議した広陵の監督に対して高野連がお灸を据えた、なんてのはまさにソレですね。審判の判断には粛々と従うのが美しい敗者の在り方であって、負けて文句をつけるなんて論外、ということなんでしょう。「じゃあミスジャッジをした審判を庇うのは美しいのか?」という疑問はとりあえず置いといて、私は勝負ごとに「美学」を持ち込む連中が基本的にキライだ。スポーツに「人生観」や「教育的配慮」を持ち込む奴らもキライ。そりゃ一定のフェアネス(公正さ)が必要なのは私だって認めますよ。その程度のルールがなければ、そもそも勝負自体が成り立たない。でも、「美学」だの「道」だのという「スポーツ以外のもの」があまり幅を利かせてるのも問題で、それを突き詰めると「美しくカタがつくんだったら八百長でもいいんじゃない?」みたいなヨコシマな発想につながりかねない、と思うんですケド。---ワタクシ的には、その手の「勝負の美学」には全く興味がない。美しく負けるよりも見苦しく勝って勝利の虚しさを噛みしめたい、と思っちゃうタチなんです。勝たなきゃ分かんないことってあるんだよね。いつもいつも美しく負けてちゃ、勝者の辛さなんて分かんないでしょ?---まあ、誤審云々はともかく公立の佐賀北高が甲子園で優勝したのは快挙だと思うけど、「普通の公立校が勝つ方が高校生らしくて清々しいですねー」みたいな変な美意識をメディアが押し売りするのは止めて頂きたい。「ハンカチ王子」の時の騒ぎといい、メディアってネタになれば何にでも食いついて徹底的に消費しちゃうんですもの。「清々しい」なんていう安易な称賛は、何よりも、実力で勝った選手たちに対して失礼だと思う。
2007.08.24
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甲子園の決勝戦を2度も見てしまいました。1度目はリアルタイムで、2度目は朝日放送のCSが夜中にやってる再放送で・・・いや、「あの感動をもう一度」なんて未練がましい動機で見た訳じゃないですよ。いくら私でもそこまでヲタじゃない。例の8回の「疑惑の判定」ね、アレを確認したかったんです。あの押し出しの1球、私が見た限りではやっぱりストライクでしたね。せっかく緊張感のあるいい試合だったのに、審判がぶち壊しちゃいけません。ああいう誤審があると観てる方は白けてしまう。それで負けた広陵も気の毒だったけど、勝っちゃった佐賀北の選手だって可哀想だ。なんたって「疑惑の優勝」ですからねー。ノーテンキに喜んでばかりもいられないでしょう。高校野球の審判が「公立校」や「進学校」に甘い、という傾向は以前からあったけど(そして、或る程度のヒイキ目は「人情として分かる」と私も思ってたけど)、勝負の帰趨がかかってるような大事な局面でそれやっちゃマズイんじゃないの?進学校の生徒さんだろうが野球しか能がない偏差値35の兄ちゃんだろうが、選手の皆さんはそれぞれ真剣に勝負してるんであって、審判が老婆心から介入していいような話じゃないだろう。そーいうのって失礼だ。「アマチュア野球なんだから選手は審判に文句を言うな」みたいな高野連幹部の態度もどーかと思いますね。「アマチュア」って言葉の意味をはき違えてるんじゃねーの?あの年代は英語できないからねー。「バント」のことを「バンド」と言って憚らない連中だ。「アマチュア」って本来は「他人から見ればアホみたいなことに無償の愛を注ぐ者」みたいなニュアンスの言葉で、「素人」という意味じゃないんですけど・・・。選手はまだ若くて発展途上なんだから未熟で当たり前だけど、審判までシロートじゃ観てる方はたまんねーや。高野連も金が余ってるんだったら少しは審判の教育に使えよなー。もっとも、春先から特待生問題で時代錯誤なことをゴチャゴチャ言ってた高野連の爺さん達としては、「特待生なんか全然いない公立の進学校」が優勝してくれて大満足かもしれないですね。だったら勝手に自己満足してればよろしかろう。そんなことで満足してるのだとすれば、彼らが望んでいるのはスポーツじゃなくて「よい子の運動会」なわけで、ワタクシ的にはちょっと付いて行けない。「もう高校野球は卒業しようか」としみじみ考えちゃいましたよ昨日は。私がスポーツを観るのは「偶然の奇蹟」が見たいからであって、「審判の作品」が見たい訳じゃないですから。佐賀北高校の選手諸君、疑惑の判定付きの優勝だからってめげないで下さいね。今大会での皆さんの試合ぶりはどれも素晴らしかったです。私はたまたま福井商のファンなので佐賀北の初戦から観てましたが、ちょっとスキを見せると集中打を浴びせてくるしぶとい福商打線を不発に押さえ込んだクレバーな野球は、いい意味で「アマチュア野球の神髄」みたいなものを感じさせてくれました。帝京との延長戦も充実した試合でしたね。あの試合だけでも優勝する資格はあると思う。これから何かと大変でしょうが、周囲の大人たちの思惑に振り回されることなく、自分なりの立派なオトナになって下さい。
2007.08.23
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海外旅行も行ってないし、外貨預金もFX取引もやってないので気にしてなかったのですが、ここんとこ異常な円高だったんですってね。アメリカの「低所得者向け住宅ローン」がだいぶ焦げ付いてるせいなんでしょうが、迷惑な話だよなー。日本の銀行の貸し渋りもマズイと思うけど、目先の利息に惹かれて貧乏人にバンバン金を貸したがるってのも如何なものか---この問題、実はもっと根が深いような気がしますけどね。だいたい、よその国の貧乏人が金を返さないからって円が上がってウチの国の輸出業者が困っちゃうってのも変な話だ。いや、変な話なんて言っちゃいけないね。時代は今グローバリゼーションだそうですから。グローバリゼーションて、要は、「世界中の人々が単一の均質な貨幣共同体に囲い込まれる」ということですもんね。一国の市民がやらかした不始末の影響が全世界に及ぶのは避けられない。アメリカではドルを使ってるし日本では円が使われてるから、一見「均質な貨幣共同体」には見えないかも知れないけど、「互換可能な貨幣」を世界中の人達が使っているとすれば、これを「均質な共同体」と呼んでも差し支えないと思う。自国通貨の信用が下落してて互換性に乏しい国の人達は、国内で公然とドルを使ってる訳だし・・・。とすれば、親から初めて小遣いをもらったあの日から、アナタもワタシも否応なくこの共同体に参加していることになります。あらゆる共同体が神話を持っているように、貨幣共同体にもそれなりの神話がある。たぶん、「もっと沢山お金があればもっと幸せになれる」というのが貨幣共同体の最大の神話ですね。そして、あらゆる共同体の神話がその共同体の結束を高める作用を持つように、「金があった方がより幸せ」という貨幣共同体の神話にも共同体を強化する働きがある。この神話の神通力が失せて「オレ別に金いらないから働かないもんねー」とか言い出す人が大量に出てきちゃうと、生産・流通・消費という経済システムに支えられている貨幣共同体の機能は衰退してしまう。あらゆる共同体はそれ自体としてのニーズを持つけれども、共同体を構成する人々は通常「自分個人のニーズ」のためにしか働かない。両者のニーズの不一致を調整して、個々の構成員が共同体のニーズのために自発的に働いてくれるようにするために、「共同体の神話」というものはあるんです。「金があった方がより幸せ」という神話を信じてる人間は、「自分のもっと大きな幸せ」のために金を稼いだり遣ったりしてくれるはずで、それが結果的に共同体自身の維持に役立つことになる。---そういえば先日インサイダー取引で逮捕された村上ヨッシー君は、記者会見の席上「お金を儲けるってそんなに悪いことですか?」と真顔で問いかけてたけど、「グローバルな貨幣共同体にとって悪いこと」と「日本国の法律上『犯罪』と規定されること」とは別物なので、「悪いことですか?」という一般的な問いの立て方はナンセンスだと思うのね私---誤解されるといけないので大急ぎで弁明しておくと、私は「グローバルな貨幣共同体は拝金主義の温床になるからイケナイ」なんて底の浅いことを言いたい訳じゃないですから---むしろワタクシ的には、「貨幣共同体を含む経済共同体」を大いに評価している。富の生産は個人を幸せにするとは限らないけど、富の生産と流通には安定した社会が必要とされるので、経済共同体というものは必然的に平和を志向する。逆説的なことを言えば、武器商人だって商人である以上は「大戦争」を望んではいない訳ですね。ここまで明白に平和を存立要件とするタイプの共同体は、経済共同体以外には多分ないと思う。それを地球規模にまで拡大しちゃえば、要するに一蓮托生なわけで、世界全体が平和を志向する方向に進まざるを得なくなる、はずなんだよね理論的には。「国富論」を書いた自由経済の提唱者アダム・スミス先生は、別に脳天気な拝金主義者だった訳ではなく、「金がもっとあればもっと幸せになれる」などという主張はもちろん欺瞞だ、と看破していました。「でも、皆がその欺瞞を信じて(あるいは信じてるふりをして)働いてくれることによって産業が発展すれば、結局は皆がトクをするでしょ?」と言いたかったんですね、スミス先生は。これを理屈っぽく言うと、「個人による自己利益の追求が、その意図せざる結果として、社会公共の利益をはるかに有効に増進させる」ということになるんですが---自分のことしか考えない人間を世の中の役に立てるのって難しいんだなー、と私なんか単純に考えちゃいますけどね。福沢諭吉の肖像画をやたらと集めて悦に入るのもいいけど、今みたいに景気の動向が不透明な時期には、そもそも資本主義というシステムを考え出したのは「皆が幸福になるにはどうすればいいか」を一生懸命考えた人達だった、という歴史的事実に思いを致してみるのも精神衛生によろしいのではないか、と思います。今日の画像は、まだ円がグローバル化してなかった頃の一万円札と五千円札。今の諭吉×一葉コンビのお札よりも一回り大きいんですね。輸入モノの財布だと大きすぎて入れにくい、というあたりがローカル通貨の面目躍如であった。
2007.08.22
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このところガス器具の事故が多いせいか、我が家にも朝から給湯器の点検の人がやって来ました。割と「さわやか系」の声の人だった。尤も、御主人が会社に行ってる時間帯の一般家庭に訪問点検に来る人には、ドスが利いた声の人は殆どいませんね。容姿もあまりマッチョな人はいない。業者さんの側でもそれなりに気を遣ってるのかもしれません。何でガス漏れ点検の兄ちゃんの声が気になるのかというと、うちのマンションはオートロックで、インターホンで来訪者の声を聞いてからロックを解除するようになってるからです。声が最初の判断材料なんですね。だから、家に上がり込む訪問修理の類じゃなくても、来訪者の声はけっこー気になる。新聞の勧誘なんかに時々いる「ドス利き系」や「含み笑い系」の声の人だと、ロック開けてやらなかったりします。みのもんた君みたいな馴れ馴れしいのも苦手。せめて吉田照美ぐらいにしといてもらいたい・・・別に吉田照美好きじゃないけど。私などはセキュリティの面で来客の声を気にしてるだけですが、そんな実用レベルを遙かに超えて「人の声に異常なこだわりがある人」っていますね。演劇が好きな人には特に多いような気がする。極端な例では、「オトコは声だ!」と断定する女の人を知ってます。彼女は「江川卓の声」が好みなんですが皮肉なことに大のアンチ巨人。「あんなイイ声してるのに何でアイツはエガワなの?」とか、ロミオとジュリエットみたいなことを言っております。江川、そんなに声いいかなあ?どっちかつーと「人を舐めてるような話し方」の方が耳について不愉快だけど・・・私、耳があまり良くないんで「話し方」と「声そのもの」を明確に区別して聞くことができないんです。人気漫画がアニメ化されると「声のイメージが原作と合わない」みたいなクレームを投書してくる人が必ずいるんだそうですが、彼女なんかはそのタイプかも知れませんね。仄聞するに、この種の「声フェチ」って女性には案外多いらしい。声優さんのCDを買う人は大半が女性、という話を聞いたことがある。女の子の間で熱狂的な人気があった「ベルサイユのばら」がアニメ化された時なんか、スタッフは声のキャスティングにさぞかし気を遣ったことでしょう。確かオスカル役は田島令子さんがやってたと思いますが、あまりアニメの音声にこだわらない私ですら「フェルゼンが野沢那智ってちょっと違う」と思った記憶がある。私は漫画もアニメも好きなので、漫画で原作を読んでる作品をアニメで観る機会が必然的に多いんですが、ヒアリング能力が低いせいか、「どのキャラをどの声優さんがやってるか」ということは通常あまり気になりません(そりゃ好きな声優さんはいるけどね、つんデレ声の石田彰クンとか)。それでも、同時期に別々の作品で極端にギャグっぽい役と極端にシリアスな役を同じ声優さんがやってると、少し戸惑ったりします---「銀魂」の銀さんと「地球へ...」のソルジャーブルーが同じ人だったのは笑った。「エヴァンゲリオン」の綾波レイとポケモンに出てくる「ロケット団のムサシ」が同じ人(ついでに「名探偵コナン」の灰原哀も同じ人)、とか・・・そういえば、「巨人の星」で初めて長島茂雄という人を知った、という知り合いがいるのですが、アレに出てくる長島って凄く頭良さそうなんですよね。言葉遣いも礼儀正しいし。どー見ても、「成功は失敗のマザーです」とかスットンキョーなことを言い出すようなキャラじゃなかった。なもんで、くだんの知り合いは後にホンマモンの長島を見て愕然としたと言ってました。「巨人の星」の長島茂雄役を本人の声でやったら意外と面白かったかもしれないですね---いやダメか。そこだけ空気の色が違ってて浮いちゃいそうだ。「星くん、今の新魔球ね、いわゆるニューマジックボールですか?ナイスですねー」とか言われちゃった日にゃ、飛雄馬クンも気が抜けちゃって大リーグボールはデビューの機会を永久に失ったかもしれませんです。本日の画像は、「ヴォーカルプロセッサ」という音声加工装置。これは音楽用だけど、我々が日常メディアを通して聞いてる音声のほとんどは、実は高度に加工されたものなんですね。アニメの音声なんかエフェクトなしで聴くと違和感がスゴイと思いますよ。
2007.08.21
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夏至を過ぎること2ヶ月、早起きすると日の出が目に見えて遅くなってることに気づきます。5時頃だとまだ薄暗いもんね。しかし残暑は衰えませんねー。昨夜もヤケに暑かったのでエアコンつけっぱなしで寝てしまい、明け方に足が攣っちゃって目が覚めました。どうも齢をとると足が攣りやすくなっていけねえ。朝の天気予報によれば今日も真夏日だそうで、一日の始まりからドッと気力が萎えてしまいました。この時期の残暑って、テンション低い割に押しつけがましく暑いのが嫌ですね。「若い時は小太りで元気いっぱいなのが可愛かった女の子が、年増になったら肉がたるんできて見てて暑苦しいだけ」みたいな感じで、やり切れないものがあります。一年中で一番かったるい時期じゃないですかね「残暑きびしき折」って。子供の頃、夏休みの終わりに宿題を一気に片づけようと思ってたのに、いざ8月も下旬に入ると妙にやる気が出なくて、結局31日まで持ち越しちゃったりしませんでしたか?子供ながらに夏の疲れを感じてたんでしょうかね、あのやる気のなさは。大人になってみると夏の疲れも子供の頃以上で、もう「口を利くのもダルビッシュ君」という感じですけどね。 てにをはを省き物言ふ残暑かな 戸恒東人「てにをは」を省くなんてものじゃなく、私なんか時には述語全体を省いちゃったりする。そういうグータラなことをしてると、「ビールある?」、「冷蔵庫」、「ないじゃないか(怒)」なんて、クソ暑い中で不毛な言い争いを展開する羽目になったりします。この場合、「冷蔵庫の中に入ってなければ無い」というべきところを思いっきり省略して「冷蔵庫」の一語で済ませちゃったのが悪い。いくら暑いからってそこまで不精しちゃイケマセン。「言葉がひとつ足りないだけで壊れてしまう人間関係」なんてのも世の中にはあるようですから。そういえば、「リゾラバ」なんて言葉が流行る前から、「夏の終わりはカップルが別れやすい季節」ということに相場が決まってましたね。男女の仲が冷え始めることを「秋風が立つ」なんて言い方で表現するのは、「秋」と「飽き」を引っかけたシャレというだけでもないんでしょう。一気呵成に夏を駆け抜けてきた勢いが一段落して、「私たちこれからどーするの?」みたいな胸算用がふと心をよぎるようになる時期を、「そろそろ冬支度のことが頭にちらつかないでもない秋の初め」によって象徴的に表したのかもしれない。しかも、夏場の疲れで2人とも苛立ちやすくなってるから、わけもなく相手の言動が無性にカンに障ったりしてさー・・・ま、そんなことで別れるくらいなら所詮ご縁がなかったんだから、バッサリ別れちゃった方がいいようなもんですが--- 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり 三橋鷹女いかに残暑が厳しいといっても、朝方に散歩していると朝顔の花の数が日ごとに少なくなっていることに気が付きます。温暖化だろうが異常気象だろうが、植物の皆さんは動じることなく本来の生き方を貫いておられるようです。「命を刻む」という言い方は植物にこそふさわしいのかもしれません。散歩から戻ってから、何故かB’zの「RUN」を聴いてしまいました。"Let's run, run for your life..." 朝顔の紺のかなたの月日かな 石田波郷
2007.08.20
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テレビで高校野球を観てたら、どっかの学校が「翼をください」を応援歌に使っていた。♪この大空に翼を拡げ飛んでいきたいよ♪---随分古い曲だけど、世代を超えた根強い人気があるんですね。皆そんなに翼が欲しいのか・・・私は別に翼は欲しくない。3つの願いを叶えてくれる「猿の手」が手に入ったとしても、「翼をください」とは願わないと思う。だって、人体の基本設計がドラスティックに変化しない限り、「翼を得る」ということはイコール「手を失う」ということだもんね。我らの惑星では陸棲の脊椎動物の基本スペックは「4本脚」ということになっていて、鳥の翼は要するに「前肢」なんです。つまり、人間に翼がないのは、我々が手を持っているからなんですね。空を飛ぶ自由と引き換えに手を失うのは嫌だ。手というのは人体のパーツの中でも最も魅力的な部類に入ると思う。男性諸氏には失礼だけど、諸君の生殖器官なんかより手の方がずっと魅力的です。その証拠に、男性を観察する際に「まず手を見る」という女性はけっこう多い。「じゃあ、手はそのまま残しといて翼を別途つけてあげるよ」なんて気前のいいことを言ってくれる神様がいたとしても、その勧誘(?)に迂闊に乗るのは危ない気がする。私なんか生まれつき不器用なタチで、4本の手足ですら持て余しているんです。2、3日に1度は家具の縁に足の小指をぶつけて「ギャッ」と叫んでるような奴が、バカでかい翼なんか貰っちゃってどーするよ。私の脳では絶対制御しきれませんね、保証してもいい。結果的に「ぶつけると痛いパーツ」が更に2つ増えるだけなんじゃないですか?それに、地道に地上を歩いてるから私のような不器用者でも大過なく今日まで生きてこられたんであって、空を飛んでる最中に翼の制御を失ったら墜落して死んでますよ。天使だのペガサスだのは「一対の翼と四肢を同時に持っている生物」なので、基本スペックは「6本脚」になります。我々とは設計のコンセプトが全然違う。むしろ昆虫に近いかもしれないね。実際、「6本脚で空陸両棲の哺乳類」って構造上かなり無理があるらしくて、天才デザイナーのレオナルド・ダ・ヴィンチですら天使の翼の扱いには---4本脚で安定している人体のどこに翼を取り付けるかで---随分と苦労した形跡がある。ダ・ヴィンチが解剖に興味を持ったのは天使をリアルに描きたかったからなんじゃないか?と勘ぐりたくなりますね・・・最終的には腕の付け根付近(肩胛骨のあたり)から翼を生やすことにしたみたいだけど。とかく人は、「自由はいつも大空の彼方にあり、幸いはいつも山のあなたにある」みたいな思い込みを抱きやすいんですね。だから「翼をください」なんてうっかり言い出しちゃう奴も出てくる訳だけど、「空を飛ぶ鳥が必ずしも自由だとは限らない」という視点がまるっきし欠けてるのは、鳥の皆さんに対して不公平ではないかと思う。生物は総じて省エネを好む怠け者なんだから、鳥類の方々だって「飛ばないと生活できないから飛んでるだけで、じっとしてて一生を終えられればそれに越したことはないんだけどなー」とか思ってるかもしれないじゃないですか。「働かないと生活できないから働いてるだけ」の一般庶民と大差ないかもよ。という訳で、私は別に翼はいらない。人間の自由はやっぱり地上で探すべきものだと思うし、それ以前に、「自由って要するにリスクを自分で引き受けることなのよ」という大前提を忘れちゃいけませんね。大空を飛ぶ自由にはそれなりのリスクが伴うはずで、鳥類やコウモリや翼竜の皆さんはそのリスクを背負いながら地道に生きたり死んだりしているのであって、その点ではアナタやワタシや拙宅のバカ猫と何の違いもない、と思いますけどね。
2007.08.19
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明治時代ぐらいまで、一般の日本人が文章を書く時は、書いてる内容を声に出して読み上げながら書くのが当たり前だった、という説があります。つまり、昔の人は、「はいけい、時下ますますご清祥のことと・・・」なんてブツブツ言いながらお手紙を書いてたワケね。本を読む時も、昔は音読するのが普通だったそうです。源氏物語なんかは、「読むのが上手い人が朗読するのを皆で聞く」という「読み方」をされていたようなんです。我々は学校教育を通じて黙読の習慣を身につけちゃってるので、何やらブツブツ言いながら読んだり書いたりしてる人を見るとちょっと薄気味悪い感じがしますが、昔はそっちの方が圧倒的に多数派だったらしい。してみると、先ごろ流行った「声に出して読みたい日本語」なんていうコンセプトは、言ってみれば「伝統回帰の試み」だったと云えるかも知れません。黙読が普通の習慣になっている人の場合でも、モノを書く時は自分が書いている文章を頭の中で「音読」しているんだそうです。「書かれつつある言葉」は、声に出して読まれることはなくても書き手の脳の中では音声化されている、というんですね。言われてみれば確かにその通りで、私も今アタマの中で音声化しながらこの文を書いてます。その証拠に、私の文章では「私」と「ワタクシ」という2種類の一人称が使われている。実はこれは、頭の中で「ワタシ」と発音された場合が「私」、「ワタクシ」と発音された場合が「ワタクシ」という使い分けになっているのでした。一連の文章が頭の中で音声化される場合、発話の生理として、「ゆっくり読まれる箇所」と「早口で読まれる箇所」が自ずから出てきます。これは書いた文を後で読んでみるとよく判る。「ゆっくりモード」で音声化された箇所には読点(「、」)が比較的多いし、「早口モード」で音声化された部分には少ないんです。私は普段から割と早口なので、初稿(?)の段階では読点があまり入ってません。これを読みやすくするために随所に読点を入れ、論旨が飛躍してる部分があればそこを補って、最終的な「記述」が完成する訳です。この点ワープロって便利で、私のような人が原稿用紙に手書きで書いてたら、挿入記号だらけで満身創痍の「本人以外判読できない代物」になってしまうはずです。「ナントカ先生の原稿は読みにくい」と編集の泣きが入っちゃう、みたいな。逆に、哲学者のヴィトゲンシュタインなんかは非常にゆっくりした喋り方(=音声化)をする人だったらしく、「読者にも、私と同じペースでゆっくり読んでもらいたいから、読点をできるだけ沢山入れたいんだけど、それだと却って読みにくいと言われるので、仕方なく我慢している」というよーな不満をメモに残しています。読点が少なくたって「論理哲学論考」なんていう難解な本を速読するのはほぼ不可能なので、それほど心配するには及ばないような気もしますが。そういえば、情報の氾濫する現代においては「速読」って何か偉いことのように思われてるみたいで、「通信教育で速読術を学ぼう」みたいな講座までありますが、私の経験から申し上げるとムチャな速読はあまりお勧めできない。私は喋りも早口なら読むのもやたらと速い方なんですが、「読むことは読んだけど内容がちゃんと頭に入ってない」というケースが意外に多いんです。それに、文章によって「読むための適正速度」に違いがあると思うのですね。その文章に固有の「適正速度」を無視して猪突猛進的に速読しちゃうと、目先の言葉を追うのに熱中するあまり、「言外の意味」や「行間の含み」といった「文章の中で言語化されていない情報」(いわゆる「コンテクスト」ってヤツね)を殆ど取りこぼすことになってしまう。だから、コンテクストが重要な文章、特に小説なんかは速読しちゃうと全然面白くない。読むだけムダ、というものであります。そもそも、そこまで息せき切って読まなきゃならない文献なんて世の中にないです。「仕事で大量の報告書を毎日読まなきゃいけないんで」みたいな実利的な理由から速読を学ぼうとする人もおられるようですが、通信教育で速読術を身につけるよりも「自分の業務に関連する基本的な知識」を幅広く身につける方が、「読解の効率」は確実に上がります(←これも経験談)。報告書って、ただ読むだけじゃなくて「読解」しなきゃいけないんでしょ?業務上の職責として文書を読む場合は特に、「読んだだけで全然理解してない」というんじゃ困ると思うんですけど・・・てな訳で、今日の画像はかつて作家志望者の憧れだった「満寿屋の原稿用紙」。こういう美しい紙に使い慣れた万年筆でゆったりと文章を書いていく、というのも文豪っぽくていいですねー。文章の格調が数段アップしそうな気がする・・・でもその前に早口を直さなきゃダメかも。
2007.08.18
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私がご愛読している今市子のホラーファンタジー漫画「百鬼夜行抄」(朝日ソノラマ刊)が平成18年度の「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」を受賞していた、という話を遅まきながら知って複雑な気分です。基本的には自分の趣味が他人に認められるのは嬉しいんだけど、文化庁に認められるのが嬉しいかというとビミョーなものがある。しかも受賞時期は去年の12月だから安倍内閣になってからですね。うーん・・・やっぱあまり嬉しくないかも。とはいえ、これまで「やおい漫画家」と思われがちだった今市子センセーにとっては、やおい系の要素がない作品で受賞したのは良かったかもしれない。大体、この人を「やおい」に分類するのはちょいと違う、と私はかねてから考えているのでした。今市子が描くBLモノは、主人公の設定を「男×男のカップル」から「男×女のカップル」に変えても無理なく成立しちゃうような話がけっこう多いので、純粋なBLとは言い難いところがある。---ここで少女漫画に詳しくない方々のために説明すると、「BL」ってのは「ボーイズラブ」の略です。要するに「主として女の子が読むホモ漫画」なんですが、それじゃあまりにもムキツケだというので「ボーイズラブ」というキレイ目な呼称が使われるようになったんですね(ちなみに「やおい」というのも同様な意味)---えーっと、何を言おうとしてたんだっけ?・・・そうそう、今市子のBLはそれほど「やおい度」が高くないという話だった。この人がBLを描くのは、「そーいうのが好きだし一番描きたいものだから」というよりは、「そういう漫画に対するニーズが市場にあるから」という営業上の理由が割と大きいのではないか、という気がするんですね。もっと言えば、この人は「自分のアイデンティティの中でセクシュアリティが占める割合が比較的少ない人」なんじゃないかと思う。だから男同士のカップルに偏見もないけど、「そーいうのがステキなの!」みたいな過剰なイレコミもない、という感じ。その辺のスタンスは私と似てるので何となく分かる。自分の性別を四六時中意識してるのって疲れそうだもんね。ちょうど「やおい」という言葉が世に出た頃にコミケ通いしてたワタクシから見ると、その種の漫画の主系列は「自分のセクシュアリティに対する女の子の戸惑い」みたいなセンシティブな要素を多かれ少なかれ含んでいるようなのですが(中島梓せんせーもそんなこと言ってましたね確か)、今市子のBLモノにはそういう無意識の葛藤がほとんど感じられないので、あまりセンシティブとは言えない(ついでに「女の子」とも呼べない)私のような読者にとっては読みやすい。文化庁もそのあたりの一般性を考慮して選定したんでしょうか。という訳で、この際「百鬼夜行抄」をまだ読んでない漫画好きの皆様に当該作品を強くお勧めしたいと思います。(←文化庁のお墨付きがあるので強気である)今市子のストーリーテリングの巧さは「やおい漫画家」と呼ばれてた時代から定評がある。それに彼女が描く化け物はすごく愛嬌があって魅力的だ。私なんか人間の登場人物よりそっちの方が好きだったりします。そういえば、今市子って富山県出身なんですね。水木しげるといい高橋留美子といい、妖怪モノが得意な漫画家さんには何故か北陸-山陰の出身者が多い。見えないモノへの感性とイマジネーションを育てる風土があるんでしょうか。いつの日か「北陸-山陰妖怪探訪ツアー」を2週間ぐらいかけて決行したいものだ、とワタクシ密かに考えております。
2007.08.17
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甲子園というのは全国大会なので「よく知らない学校同士の対戦」が必然的に多い訳ですが、どちらかのチームに肩入れしないと観戦してて面白くないもんで、無理にでもどっちかを応援することにしています。基本的には、まず自分が住んでる所に近いチームを応援しますね。だから第一が「東京・神奈川のチーム」、次に「関東の残り5県のチーム」、その次が「雪国(北陸・東北・北海道)のチーム」(これは一種の判官贔屓なので逆に失礼な話かも。屋内練習場が整備されてる学校が増えた今では「雪国のハンディ」なんて昔の話で、北海道の駒苫なんか連続優勝までしてるのに・・・でも習慣でつい応援してしまう)。以上のいずれにも該当しないチーム同士の対戦の場合には、(i)私立校よりも公立校、(ii)宗教系よりも無宗教の学校をヒイキすることにしています。特に宗教系の学校はどうも好きになれないので、東京代表でも応援しなかったりする(ドコとは言わんが)。それとは別に、「監督が好きなので出てくれば常に応援するチーム」というのがあります。蔦監督の時代の池田高校なんかが典型ですが、要するに監督のチーム構想が好きなんですね。現役の監督では日大三高(今回は出てませんが)の小倉監督が一番好きかな?走攻守のバランスがいいスピーディな野球をするチームをいつも作ってきます。「機動力」というとバントを多用することだと思い込んでるような監督さんもいますが、小倉さんのは「打って走る」という正統派の機動力なので見てて気分がいい。東京の強豪校としては他に帝京高校がありますが、あそこの前田監督はさほど好きではない。あくまでも私見だけど「あまりにも打撃偏重」という感じがする。帝京といえば歴代「強打の」という形容詞が付く、というくらいで、いつも投手より打線の方が目立つ。てゆーか、あそこのチームでは投手を選ぶ際にも「打力」が重要なファクターになってるんじゃないかと思う。打撃がダメだと、投げる方が多少イケてても帝京のエースは務まらないでしょうね多分。もちろん帝京だって過去に優秀な投手を何人も出してるけど(日ハムにいた芝草とかヤクルトの伊東とか)、いずれも投球を云々する以前にバッティングが巧い投手だった。逆に言えば、「投手としての自分のスタイルが高校の段階で一応出来上がっている」というタイプではなかった、よーな気がする。プロに入ってから、その辺で伸び悩んでるように見える時期がありました。高校野球の監督の方針って、選手の野球人生を意外と大きく左右することがあるようです。松坂大輔クンは高校進学の時に帝京と横浜とどっちに行くか悩んだそうですが、横浜に行って正解だったんじゃないでしょーか。横浜の渡辺監督は「軸となる投手」を中心にしたオーソドックスなチームを作る人で、「エースを育てる」というのがチーム作りの骨子になってますから。そういえば松坂は「投手としては成長が遅いタイプ」だったという話なので、帝京に行ってたら早いうちに打力を買われて打者に転向していた可能性もありますね。まあ、それはそれで大打者になってたかもしれんが。今回の甲子園がイマイチ個人的に盛り上がらないのは、「好きなタイプの監督」が少ないからです。智弁和歌山の高島監督は比較的好きなんですが初戦で負けちゃったし・・・。あと、別に好きな学校じゃないけど(むしろ嫌いな部類に入るんだけど)、今年の明徳(高知)がどんなチームなのか見てみたかったですね。あそこの馬淵監督はその年の主力選手に合わせて柔軟にチームを作ってくる人なので、チームカラーが毎年ビミョーに違ってて面白いんです。朝日放送の甲子園中継では「今年出られなかった現役の有名監督」が解説をやっていて、NHKの中継よりも聞いてて楽しい。やっぱり「現場の人」の言うことには説得力がありますね。たかが無死一塁だけど監督によって色々な見方があるもんだ、とか感じ入ったりして---唯一の難点は、CSだと放映が深夜になってしまうことです。テレビ朝日も「徹子の部屋」なんかチンタラやってないで、昼間に朝日放送の中継を流してくれればいいのに・・・今回の画像は「甲子園球場バージョンの野球盤」です。甲子園は今回の改装でファウルゾーンが少し狭くなるそうですが、改装後は野球盤のスペックも変わるんでしょうか。
2007.08.16
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前回の記事に書いたような事情で、ここ数日は睡眠がコマギレになってしまっております。眠りが断片的で短いと奇妙な夢をよく見る---てゆーか、長時間爆睡してる時でも奇妙な夢をよく見てるけど憶えてないだけなのかもしれない。目覚まし時計で起きるとレム睡眠の最中に強引に起こされちゃったりするから、結果的に夢を憶えている訳で・・・今日の未明に見ていた夢も相当に不可解なものでありました。リビングでテレビ観てると見知らぬオッサンが突然やってきて、「これまでお宅に居候してたけど引っ越すことになったのでお別れ会にご招待したい」などと寝耳に水なことを言い出すのですね。ちなみに拙宅は手狭なマンションでありまして、バストイレ台所まで含めても部屋数は片手の指で足りてしまう。当然、居候を置くような余分な部屋はない。もっとも、「自分の家に自分の知らない部屋があって、そこが妙なことになっている」というパターンの夢は割とよく見る。床がボロボロに腐ってたり、予想外に広くて驚いたり、幻想的な屋上庭園に続いてたり・・・。が、「その部屋に居候がいた」という展開は今回が初めてですね。しかも、居候させるに事欠いて何故オッサンなのかが謎---夢に出てきた人はワタクシと同年代と思われるのでオッサンというしかないでせう。日頃の自分の性向からして、「オダギリジョー系のイケメン」とか「メトロン星人の夫婦」とかならまだ理解できるけど、フツーの地球人のオッサンというのは全くもって想定外であった。「我ながら驚いた」という表現を地で行くような状況。幾つになっても「自分でも知らない一面」ってあるものなんですね。私というヒトも意外に奥が深いのかもしれない。くだんのオッサンの話によれば彼は建設関係の現場監督で、「一カ所に短期間しか住まないのでアパートが借りにくい」とボヤいたところ、私が「それならウチに置いてやる」と請け合ったらしいんですね。しかも家賃はタダ。夢の中の私は異様に太っ腹だ。目が覚めてる時は決してそんなことはありません。同居ネコに経済力があったら家賃を取り立てたいくらいです。で、まあ、その「お別れ会」とやらに出かけて行くと、既に2人の中年男女(こっちは両方とも私より年上っぽい)が酒を飲んでいる。この2人がまた面妖な人達で、男の方は「イッセー尾形が写真家のアラーキーの真似をしたらこんな感じですかぁ?」みたいな怪紳士。女の方はというと・・・そうだなあ、「市原悦子が落ちぶれて安酒場のママになったところ」を想像して下さい。大体当たってると思います。そんでもってイッセー尾形的な怪紳士はイッセー尾形的な訳の分からない警句を飛ばし、これが市原悦子ママにやたらとウケる。どうも溶け込みにくい雰囲気ですね。新宿ゴールデン街で夜中に飲んでて場違いな店に入っちゃった、みたいな感じ?この異常に個性的な2人のシュールな会話に戸惑いつつ、「でも居候が出ていけば部屋が一つ空くわけだから、新参者の仔猫をそこに住まわせれば先住ネコとのトラブルが避けられるかも・・・」などとボンヤリ考えているところで目が覚めちゃって、そんな部屋なんかないことに気が付いてガッカリした。目下、古参のネコの方が猛烈に怒り狂っていて早急に打開策を考えなきゃいけない、という切迫した情勢にあるので、部屋がもう一つあるとすごく有り難かったんですが---それで「余分な部屋の夢」なんか見ちゃったのかしら。今回は夢日記になってしまった。「他人の夢の話を聞かされるほどバカバカしいことはない」という苦情が出そうですが、現在ネコの世話で多忙を極めていてモノを考えてる暇もないので、夢の話ぐらいしか書くことがないんです。あしからずご了承下さい---それにしても眠い。夢をよく憶えているというのは睡眠不足の一症状なのかも知れませんね。レム睡眠て「浅い眠り」らしいですから・・・そういえば、寝不足の時って何故「あ~良く寝た」という夢を見ないんでしょう。この点で、夢は願望の充足だという説は間違ってると思いますね。「オッサンを居候させたい」という願望が自分にあるとも思えませんし・・・
2007.08.15
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昨日はブログ書いてませんが、別にお盆休みをとった訳ではありません。実は一昨日カラスに食われそうになってる仔猫をうっかり保護してしまい、その世話に追われているのでございます。とりあえず獣医に連れてったら「生後1ヶ月も経ってない乳呑み児」だという恐ろしい事実が判明し、猫用ミルクと哺乳びんを買い込む羽目になりました。獣医さんの指示によれば「3時間おきに1日8回授乳」だそうで---そりゃいいけどミルクをやる側はいつ寝ればいいのか?という素朴な疑問を禁じ得ません。人間は猫のお母さんと違って、「小刻みにダラダラ寝る」という芸当はあまり得意じゃないんですケド。授乳って簡単にいうけど、ミルク飲ませてトイレの世話をして遊ばせてると小一時間は楽勝で潰れてしまう。それを1日8回やれば8時間は仔猫にかかりきりということになる訳ですね。ほとんど正社員並みの労働時間。しかも間の悪いことに拙宅には先住者のネコが居て、こいつが新参者の乱入で拗ねちゃってるもんでそっちのケアもしなきゃいけないし、もう1日の半分はネコと付き合ってますね昨日今日。おかげで通常の生活全般に割く時間が異様に少ない。メシ食うのも10分で済ます、みたいな感じ。風呂入ってるヒマがないからシャワー、とか。こーいう日常の些事---人並みの体力とアタマがあってフツーにこなしてれば片が付いちゃう類の事柄---について月並みな繰り言をグダグダ云うのは趣味に合わないのですが、乳児ってホントに疲れるもんですねー。起きてるうちはピーピーうるさいし、寝てれば寝てたで「死んだんじゃないか?」と心配になるし。学校がらみの犯罪が起こると「命の尊さ」なんて自分でも本気にしてないことを言いたがる校長先生がいますが、一度動物の赤ん坊を育ててみるといいと思いますよ。「尊いんだかなんだか分かんないけど生きてるって大変なもんだ」ということだけは分かります。記念にネコの乳児を写真に撮ってアップしようかと一瞬思ったけど、あまりにも目ヤニと鼻水がひどくてお見苦しい上に、私が虐待してるみたいに思われそうなので止めました。拾った時はもっとひどかったんだってば・・・え?里親探し?まだ生き延びるかどうかも分からないのにそれどころじゃないって。生後2~3ヶ月の動物って先天性の異常とかで死んじゃうことも多いんですよ。「鉄腕ダッシュ」の山羊の赤ちゃんだってそうだったでしょ?生きてるって大変なもんなんです。尊いか尊くないかなんて小賢しい判断は生存の現場ではお呼びじゃない。ましてや、「動物の赤ちゃんて見てると癒されるよねー」なんてお目出度いコトを言い出す奴は、「何を見ても自分がエンジョイすることしか頭にない薄らバカ」だと申し上げたいですね。3時間おきに目覚まし時計鳴らしてみろよ少しは目が覚めるから・・・
2007.08.13
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「エースで4番」の怪物中田クンを擁する大阪桐蔭に勝って甲子園に出てきた金光大阪、初戦で敗退してしまいましたですね。「こんなんやったら桐蔭が出た方が良かったんとちゃうか?」と大阪出身の知り合いはボヤいてました。言い得て妙・・・実際、桐蔭が出場してたら少なくとも初戦は突破できた可能性はかなり高いと思う。ワタクシの長い高校野球観戦歴からいって、全国的な知名度を持つ「野球名門校」って概して予選よりも本大会の方が強いんです。特に、相手が無名校だったり初出場だったり、というケースでは強い。必ずしも地力において強いというんじゃなく、「知名度に押されて相手が萎縮しちゃう」というのが正解でしょう。なにしろ一般の野球部員にとって彼らはスターなんだもん。ホントは試合終わったらサインもらいたいぐらいなんじゃないか。サインが欲しいような雲の上の相手に勝つのは難しそうだ---元・大魔神のササキ様は高校選抜かなんかで清原と一緒になったとき本当にサインもらったらしいです。ベイスターズファンとしてはちと情けない。まあ、試合日程が進むと勝ち残ったチームはそれなりに自信をつけてくるので、「知名度に押されて力が出せない」などという可哀想な展開は減っていくんですが、1回戦ではまだ選手が場慣れしてないので「看板」がモノを云うところがある。現に、甲子園経験者である友人の弟クンの話によれば、対戦相手が出場回数の多い強豪校で、「体の大きさからして全然違うよなー」みたいな異様に当事者意識に欠ける会話が試合前のベンチで飛び交ってたそうです---そして案の定負けました。もちろん実力差もあったんだろうけど、戦う前から「古豪」のイメージに負けてちゃ勝てんだろそりゃ、という気もする。そんな「全国区の強豪」が往々にして予選で敗退しちゃうのは何故かというと、地元の大会では「看板」のご威光があまり効かないからなんですね。同じ地区で野球やってる同年代の選手からみれば彼らは別にスターじゃない。「昔リトルリーグで一緒だった仲間」だったり、「中学では俺がエースでアイツは控えだったんだぜ」だったりする訳で、言ってみればお里が知れちゃってるんです。「試合の前日に『お互い頑張ろうな』と電話で話しました」なんていう関係だと、相手の知名度に気圧されるというよーな事態は起こりにくい。多少スポーツ新聞で騒がれても、「アイツも出世したもんだよなー」とか仲間内の冗談になるだけだったりするもんね。甲子園も今日で4日目、ですか。そろそろ「優勝候補はどこか」みたいな話が出てくる頃ですね。今年の「大会の目玉」は150キロ台の速球を投げる仙台育英の佐藤由規クンらしいけど、あのヒト立ち上がりに不安があるからなー。序盤に3~4点まとめて取られちゃった場合に跳ね返す力が打線にあるかどうか・・・その辺は相手の投手次第ですね。これまでの試合で見た限りでは、近江高校と文星芸大付属のピッチャーが割と良かったかな?まあ、まだ一回戦も終わってないうちから論評してもしょうがないですね。地道に大会の進行を見守りたいと思います。本日の画像は昨年の「決勝・再試合」の時の対戦カード告知ボード。「第16日」というさりげない表示が激レア。本来なら15日目が決勝戦のはずですから・・・毎年、甲子園が終わると早くも秋の気配がうっすら漂い始めることになっております。今日が4日目だからあと10日とちょっと?ついこないだまで梅雨だったのに・・・今年の夏ってホントに短いですね。
2007.08.11
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YouTubeで「海外で放映された日本のアニメのビデオ」を観るのが目下のマイブームなんですが、先日英語版の「幻想魔伝 最遊記」を観ててアレ?と思った。主人公の名前のローマ字表記がちょっと普通と違ってたんです。「最遊記」は西遊記をベースにした話で、主人公も西遊記と同じ---すなわち玄奘三蔵、孫悟空、沙悟浄、猪八戒の4人組です。この中に「ジョウ」という音が入る名前が2つありますね、「ゲンジョウ・サンゾウ」と「サ・ゴジョウ」。この2つの名前のローマ字表記が、玄奘の方は「GENJO」、沙悟浄の方は「SHA GOJYO」という風になっていた。一方は「JO」なのにもう一方は「JYO」。表記が違うんだから発音も微妙に違うんでしょうが、その違いがネイティブ日本人の私にはよく分からない。それに「JYO」というローマ字表記もちょっと珍しいですよね。少なくとも学校で習った「ヘボン式」じゃない。もちろんヘボン式以外にもローマ字表記のメソッドは幾つかあります。「日本式」とか「訓令式」とか(この両者では「ジョ」の音は zyo と表記される)、古いところでは隠れキリシタンの人達が使ってた「ポルトガル式」とか(「シ」を xi 、「ニャ」を nha と表記したりするところが特異)---江戸時代から今日に至るまで、日本には複数のローマ字表記が常に混在していたのですが、「JYO」という表記はそのいずれにも属していない。「ジョウ」を「JYO」と表記した例として唯一私が知っているのは、「阪神時代の新庄選手の背番号の上にあったSHINJYOの文字」です。だからさしずめ「新庄式」とでも呼べばいいんでしょうか。まあ名称の方はとりあえず「新庄式」ということで済ませちゃうとしても、「JO」と「JYO」の音がどう違うのか?という当初からの疑問は残る。前に来る音によって強勢が変わってくるのかしら。でも「玄奘」も「新庄」も「J」の前に来る文字は「N」なのに、一方は「GENJO」でもう一方は「SHINJYO」・・・変ですね。もうワケが分かりません。城の名前、たとえば姫路城なんかの「ジョウ」はどう表記されるのかと思って調べてみたら、「HIMEJI-JYO」になってました。外国人観光客向けの英語のサイトでも「JYO」になってたから、「城」の「ジョウ」は一般に「JYO」と表記されるものらしい。もしかして、元の漢字によって「JO」と「JYO」の使い分けがなされているんでしょうか。これまで挙げた例でいうと、「浄」、「庄」、「城」の3つは「JYOと表記される漢字」で「奘」はそうじゃない、ということになるのか?ローマ字の字面から見ると、感覚的に、「JO」よりも「JYO」の方が(間に「Y」の音が入る反動で)最後の「ウ」の要素が強くなりそうなイメージがありますね。「JO」の五十音表記が「ジョー」という具合に最後が音引き(「ー」の記号)で終わるとすれば、「JYO」の方は「ジョウ」という案配で最後まで口に緊張感が残る感じかな。この種のトリビアなことにあまり拘泥してると、「いつまでも細かいことをグダグダ言ってんじゃねえ」とか「そーいうことはWikipediaにでも書けよ」とか叱られそうですが、「どのようなローマ字表記が我が国では一般に認められるのか」という素朴な疑問は、海外旅行なんかのときに意外と重要になってきます。パスポートには名前がローマ字で表記されますから、その際には「正式な表記」というものが問題になる。特に最近はお子さんに「アリス」やら「ショウ」やら国籍不明の名前を付ける親御さんが多いので、話は更にややこしくなってくる。たとえばアリスちゃんのパスポート表記は「ALICE」と英語流になるのか、あくまでも日本式のローマ字表記で「ARISU」になるのか・・・などと考え始めるとアタマ痛くなってきちゃう。別に他人様のガキがどう呼ばれようと構わないようなもんだけど。大野さんや太田さんの「オオ」(あるいは王貞治監督の「オウ」)を「OH」と表記するのも表記法としては破格らしいのですが、例外としてパスポートに使うことが許されているようです。「金城さん」だの「五条さん」だのの場合はどうなんでしょう。知り合いの「本城さん」は「JO」と表記してるようですが、新庄剛志クンのパスポートはどうなってるんでしょうね。メジャーリーグでの登録名は確か「SHINJO」だったと思いますが・・・
2007.08.10
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うちの父親は何故か勝海舟が好きで、実家には昔から勝海舟の語録が転がっていた。こないだ実家に行った時も相変わらず転がってたので、帰りの電車の中で読もうと思ってちょっと拝借してきました。幕末の生き証人の座談録ということで興味を惹かれたんですね。「銀魂」の影響かもしれない。それはともかく、ページのあちこちに傍線が引いてあるのにはまいった。まさか本に線を引くような奴を親に持つとは思わなかった。私、原則として本に線を引くということはしないヒトなんです。なんか著者に対して失礼な気がするんですよね。線を引かなきゃ要点が分からないような本だったら読むに値しないと思うし。殊に論外なのが図書館の本に線を引く奴ね。アレには殺意に近いものを感じる。でもまあ他に読むものもないことだし、仕方なく傍線だらけの「氷川清話」を読みましたですよ。親のアタマの中を覗き見してるみたいで気恥ずかしかったですけど---「自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ」なんてくだりに線が引いてあったりして、父ちゃんってこういうフレーズに感動する人だったのね、とか・・・我が家は割と親子関係がクールなもんで、実は親のパーソナリティってあまりよく知らないんです私。で、いきなり結論を言っちゃうと、「氷川清話」面白かったです。座談を書き起こしたものだから当然すべて話し言葉で、しかも勝さん江戸っ子だから口調がべらんめえなんですね。落語聞いてるみたい。エライ人の回顧談にありがちな手柄自慢が鼻につく箇所もあるけど、日露戦争後の三国干渉を早くから予見してたり、西郷隆盛と由井正雪という一見共通点がなさそうな二人を比較してみたり、目の付け所に非常に鋭いものがある。それに言うことがアケスケで迷いがない。「忠義の士というものが国を滅ぼすんだ」みたいなことを言い切っちゃう。いま読むと、大日本帝国の行く末を見事に言い当ててますね。忠義に限らず「あらゆるイデオロギーが嫌い」というスタンスにも好感が持てる。この人、枢密顧問官なんかやってないで批評家に転身した方がよかったんじゃないかしら。海舟という人は「江戸城をあっさり明け渡しちゃった腰抜け侍」ということで旧幕臣の間でも敵が多かったみたいだし、咸臨丸でアメリカに同行した福沢諭吉からは「武士としての誇りを地に落とした大無責任男」なんて断言されちゃってるけど、敵が多いのは悪いことじゃない。むしろ敵がいない方がまずい。敵がいない人って味方もできないから。アベ首相なんか典型で、あれだけ嫌われてるのに明確な「敵」っていないでしょ?「敵のいない不徳」というのもあるんですね。その辺の消息は海舟先生も心得ていたとみえて---てゆーか、この人はそういった「人情の機微」には敏感すぎるほど敏感だ---、「誰を味方にしようなどというから間違うのだ。みんな敵がいい。敵がないと事ができぬ」とかうそぶいて平然としてます。「どうせ敵を作るなら相手は大物の方がいい」ぐらいに思ってたようだから、諭吉ちゃんが敵に回ってくれたのはむしろ大歓迎だったかも・・・このあたり、今の政治家の皆さんよりだいぶ格上という気がしますね---実は小泉純ちゃんは密かに勝海舟の線を狙ってるんじゃないかと私ちょっと疑ってるんですが。それにしても、「銀魂」には坂本龍馬とか桂小五郎とか「維新の群像」をモデルにした人物がやたらと出てくるのに、「勝海舟をモデルにしたキャラ」って登場してないですね。作者の空知英秋が海舟嫌いなんでしょうか。まあ、主人公の銀ちゃんには「海舟的」なところが割とあるような気もしますけど---★参照文献「氷川清話」(講談社学術文庫) 著者:勝 海舟 編者:江藤 淳・松浦 玲 「海舟語録」(講談社学術文庫) 著者:勝 海舟 編者:江藤 淳・松浦 玲
2007.08.09
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「世の中キレイゴトだけじゃ済まないんだよ」みたいな利いた風なことをしたり顔で言うオヤジは嫌いだ---あ、いや、こういう決めつけ方をしちゃいけませんね。その類のことを口にする奴はオヤジだろうがガキだろうが総じて嫌いなんだけど、過去の統計によればそーいうことを言う人には「比較的高齢の男性」が多かった、ということなんですが。何にしても、「キレイゴトだけじゃ世の中渡っていけない」なんていう或る意味アッタリマエなことをさも大発見のように力説する、というだけで頭の中身が知れるようなもんですが、ご本人は「世の中のキレイじゃない部分を知ってる自分てエライ」と半ば本気で思っておられるようなんですねコレが。もっと言えば、その「キレイじゃない部分」に関わってきた自分の手が汚れてることまで自慢しそうな勢いだったりして・・・そーいうのってバカの上塗りなんだけど全く気が付いてないのね。別に手を汚したって構わないけどそれを他人に見せつけるのは不作法だ。てゆーか、手が汚れたら洗えよ。後生大事にとっとくようなもんじゃないだろ汚れなんて。そもそも手を汚すような羽目になっちゃったのは一種の敗北だし、どっちかといえば恥ずかしいことなんだけど、その辺がどうも分かっておられないのではないか。自虐的に自分の恥をさらしちゃう、みたいな屈折した露悪趣味とはちょっと違うような気がする。だってマジ得意そうなんだもん。手が汚れてるのが「世慣れてる」ことだと勘違ってるのかもしれん。汚れた手をそのままにしとくと、その手が触れたものまで汚染されちゃう訳で、この種の方々は結果的に「必ずしもキレイな部分だけじゃない世の中」を更に汚なくするのに貢献してるんですね。それで「世の中って汚い」とかボヤいてりゃ世話ねーや---もはや死語かもしれないけど「マッチポンプ」って言葉がありましたねそーいえば。ワタクシも女の端くれなので、この手のオヤジを転がすのが割と簡単だということぐらいは分かる。「○○さんも色々苦労されたんですねー」なんて持ち上げてやるとコロっと行っちゃうタイプだろうと思う。ただ、あまりにも可愛気がないんで転がしてやろうなんて親切心も起きないわけよ。世の女性達がよく言うように「オトコは愛嬌」なんであります。ガンダム4作目(だっけ?)の「逆襲のシャア」に中年になったシャア・アズナブルが出てくるけど、あの辺が「男の可愛気」で許される範囲の限界ですね。彼も「私はアコギなことをやっている」とか何を今更なことを言ったりするんだけど、少なくともそれは独り言であって他人にひけらかしたりしてませんから。---これは余談だけど、「逆襲のシャア」を子供の頃に観ちゃった人、30過ぎたらもう1回観てみると見方が変わってて面白いと思いますよ。シャア大佐、けっこー情けないヤツになってますが、あのヘタレぶりに同情できるようになるには年季が要る---男だって女だってフツーに生きてれば手は汚れる。時には他人の血で汚れることだってある。だから、フツーに生きてる大人だったら、心ならずも手を汚しちゃった時の痛みは殊更に言わなくても分かるはずだ。それを自分だけの特別あつらえの不幸みたいに言い立てるからムカつくんでありまして・・・ただでさえ不幸自慢って嫌味なものなのに、自慢するほどオリジナルな不幸でもないときちゃ話にならんわ。汚れた手を眺めて自己陶酔してる暇があったらさっさと洗いなさいよ。自分の汚れた手で環境を汚染しないようにするのがオトナの責任ってもんじゃないですか?それと、汚い手でモノ食って腹をこわすのはアンタの勝手なんだから、そんなことまで世の中のせいにしないでね。
2007.08.08
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年をとるというのは早い話が「生きることに慣れる」ということなので、齢を重ねるにつれモロモロの刺激に対して妙な耐性がついちゃって、些細なことには感動しなくなってしまいます。「そーいえば最近すごく感動したことってないなー」という人、意外に多いんじゃないでしょーか。波乱なく淡々と過ぎていく日々というのも平和でいいんだけど、あまりにも感動することが少ないとちょっと淋しい気がする。私だって別に「断じて感動なんかしてやんねぇ!」と頑なに決意してる訳ではなく、むしろ切実に「感動したい」と願ってるくらいなんだけど、年齢とともに贅肉のついたココロの方がめっきり怠け者になってて、なかなか動いてくれないんですね。こーいうのって良くない。そんなんじゃ生きてて面白くないというだけじゃなく、そこまで刺激に鈍感になっちゃうのは生物として危険だと思う。まあ、刺激に敏感すぎてバカみたいなことで「モーレツに感動」しちゃう星飛雄馬みたいな奴も困りもんだが。そういえば、「ロブスターの茹で方」について誰か(チェスタトンか?)が不気味な詩を書いてましたね。「まず冷たい水を満たした鍋にロブスターを入れて、弱火でゆっくりゆっくり温めていくと、ロブスターは微小な水温の変化に気づかないので逃げようともせずに熱死してしまう」みたいな話。時々、自分がこのロブスターになったような気がすることがある。「この無感動さはなんか危ない。ホントは相当ヤバイことになってるのに気がついてないんじゃないの?」とか。平和呆けニッポンでそういう危機感を持ってるのは私だけじゃないと思いますね。だって世間の人はたいてい「確実に感動できるイベント」が好きだもん---W杯とかオリンピックとか。「筋書きのないドラマ」って皆さん好きでしょ?刺激に慣れちゃった怠け者のココロを動かすにはもはや「見え透いた筋書き」なんかじゃダメなんで、「不意打ち」という強硬手段に訴えるしかないんですね----ほら、真っ直ぐに立ってる時に膝の後ろ側を押されると誰でもカックンってなるじゃないですか。「不意打ちによる感動」ってそれに似ていて、有無を言わせないところがある。もう本能的に否応なく感動させられちゃう、という感じですね。ギャンブルが人を惹きつけるのも一種の「不意打ち性」があるからなんじゃないかしら。特にイベントがなくても、ありふれた日常の中で不意を突かれて思わず感動しちゃうことってあります。こないだもFMを点けたらいきなりビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が流れてきて、不覚にも感動してしまいました。漫画だったら「じーん…」という擬音が入りそうなレベルで感動した。ついでに、「こんなことで感動できる自分」にも感動しちゃいましたね。二次災害じゃなくて二次感動。こういう驚きがあるから生きるのをなかなか止められないんだろうなー。感動ついでにホントのことを言うと、「年をとると感受性が鈍るから感動しにくくなる」というのは実は体のいい言い訳で、「過去の経験に捕らわれてるから感受性が鈍る」というのが正解なんだと思う。そりゃ経験は財産かも知れないけど、「財産にあまり執着するのはよろしくない」という原則はここでも当てはまるんですね。吉田拓郎せんせーの言い草を借りれば、「古い船も新しい船と同じように新しい海へ出る」のであって、航海歴が長いからって新しい海を舐めてかかっちゃいけないし、過去の苦しい経験に縛られて新しい海に脅えてもいけない、ということなんでしょう多分---「初心忘るべからず」って要はそーいうことだと思う。そして、「不意打ちの感動」には「初心を思い出させてくれる」という効用があるのですね。それって意外に大事なことかもしれない。---というわけで、明日から甲子園も始まることだし、不意を打たれたくてうずうずしているワタクシなのでした。
2007.08.07
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地震だの選挙だのと騒いでる間に、ふと気がつくと明後日はもう立秋で、「暦の上では秋」になってしまうんですね(毎年「甲子園が開幕する頃」が立秋に当たることになってます。コレ憶えとくと便利かも)。暑中見舞い出そうと思ってる人、今日中に出した方がいいですよ。「暑中お見舞い」で通るのは明日までだ。私も大急ぎで夏の歳時記をもうひとつ追加することにします。 **************その前に、誤解されるといけないので念のため言っておきますが、「歳時記」なんてカテゴリを設けているからといって、私が「俳句をやる人」だという訳じゃないですから・・・。俳句の世界って基本的に、「結社」と呼ばれる団体に入って「句会」という集会に出なきゃダメ!みたいなところがあるんですが、私、その種の集団行動がからっきし苦手なんです。ときどき俳句ネタを採り上げるのは単なる趣味。 **************ということで、「夏」の歳時記ね。こたつに代表される「冬しか使われない家具」があるように、「夏しか使われない家具」というのもあります。最近また見直されてきてるらしい「蚊帳」とか、昼寝のお供として活躍する「花ござ」とか・・・「籐椅子」なんてのも夏の家具ですね。「ウチの籐椅子は年中出しっぱなしだけど?」って、アナタ、それはお宅が狭くて収納場所がないからであってですねー、本来アレは秋になったら納戸に仕舞うものらしいですよ。いや、昨今は「ラタン家具」なるものが1年中いつでも売ってるから出しっぱなしでもいいのかな?---ま、ウチも出しっぱなしですケド。何にしても、籐椅子の見た目の涼感はいかにも「夏向き」という感じがしますね。軽いから簡単に動かせるところもいい。太陽の移動に合わせて日陰へ日陰へと移動させることができる。ベランダの日陰に置いた籐椅子に腰掛けて紫外線に灼かれる庭を眺めつつアイスティーかなんか飲んでる午後、というのは夏の醍醐味の一つですね。ついでに軽~く涼風が吹いてて、グラスの中で氷がはぜる音が涼しげに響いたりすると更によろしい。そのまま午後いっぱいボーっとしてられれば日頃のストレスもスッキリ蒸発してくれそうな気がしますが、貧乏性の人はロクにくつろぐ間もなく何かと用事を思い出して立ち上がっちゃったりします。どうせ大した用事じゃないんだから放っとけばいいんだけどね。 籐椅子を立ちて来し用忘れけり 安住 敦ほらね、たいした用じゃなかったでしょ? **************家具じゃないけど、夏しか使われない寝具として「ハンモック」というものもあります。まあ、毎日ハンモックで昼寝したりできるのは、その重みに耐えられる頑丈な樹が庭に2本以上あるような豪邸の住人に限られますが・・・一般ピープルがハンモックなんか使うのはキャンプの時ぐらいでしょうか。ハンモックの上に寝ころぶと体がすっぽり沈み込んじゃって、両腕の肘から先だけが網の外に出るような感じになります。 腕時計の手が垂れてをりハンモック 波多野爽波「手が垂れており」というあたり、腕が完全に弛緩してる感じでなんとなく怖いですね。フツーに考えればハンモックの中の人は単に熟睡してるだけなんでしょうが、「名探偵コナン」だと、このシーンの後で「ギャッ!このヒト死んでる」みたいな恐ろしい展開になるはずだ。腕時計が死亡時刻で止まってたりして・・・ **************あ、いけない・・・籐椅子の句で有名なのを一句忘れるところでした。 籐椅子が廊下にありし国敗れ 川崎展宏籐椅子が廊下に置かれていたのは、それが本来置かれるべき部屋が空襲で損壊しちゃったせいなのか、それともこのお宅では廊下に籐椅子を置く習慣があったのか、その辺はよく分かりませんが、敗戦を経験した作者にとって、廊下に置かれていた(おそらく古びて白茶けていたであろう)籐椅子は、「あの夏」の記憶を強烈に喚起する象徴になっているようです。ちなみに作者は広島県呉市の生まれ---そういえば今日はヒロシマに原爆が落とされた日ですね。 声を出す夾竹桃も被爆の木 国武十六夜
2007.08.06
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「相手の顔も住所も名前も知らないメールだけのお付き合い」というのはしたことがない。もちろん「メール恋愛」なんて問題外の更に外。テキスト文字に妄想しててもしょーがないじゃん、と思ってしまう。こーいうのって女の人のフツーの感覚じゃないですか?だから出会い系のスパムメールを見る度に不思議で仕方がない。なんであんなのに引っかかる奴がいるわけ?マトモな女はSEXの相手をネットで探したりしないと思うぞ。相手が十分すぎるほどお里がバレバレの昔の同級生とかであっても、「メールだけのお付き合い」ってのは好きじゃないですね、何か心もとなくて・・・時とともに人間て変わるでしょ?その変貌のディテールがメールじゃ分からない。実際、プライベートな付き合いにメールを使うのは特に連絡事項がある時ぐらいです。尤も、人によっては「メールじゃなきゃ言えないこと」というのもあるんだろうと思う。以前、昇進うつ病みたいな状態に陥っちゃった友達(♂)が「会社という兵学校はキビシイよ」みたいな妙に切々たるメールを寄越したことがあったけど、もともとメチャ負けず嫌いな奴だから、そのよーな話は面と向かってはできなかったでしょうね。相手が目の前にいたらどうしても虚勢を張っちゃっただろう。メールって書いてる時は一人だから、「他人に弱みを見せないのが俺のスタイル」だと心得ている見栄っ張りの男子諸君でも、割と素直に心情を吐露できるのかもしれないです。そういえば、その昇進うつ病の奴とは、それ以後しばらく「メール文通」みたいなことをしていた。当時は先方がよほど煮詰まってたのか、多い時には日に7通も8通もメールが来るわけよ。やっと返事書いて送信して「やれやれ」と思ってると次のメールが着信してたりして・・・あれは、「コミュニケーション欲求」というよりも、単に「誰かに話を聞いて欲しかった」のではないかと思いますね。日常的に言葉を交わしていても、人って意外と他人の話をちゃんと聞いてないものだから、時には「自分の話をマトモに受け止めてくれる相手」が欲しくなるんでしょうね。そういう場合にはメールっていい手段なのかもしれない。メールを「読む」のって「聞く」のと違って集中力を要するから、口頭で言われたら聞き流しちゃったようなことでも結構マジメに考えたりするしな、こっちも。途中で割り込んだりうわの空になったりせずに淡々と他人の話を聞いてくれる人って、実はすごく少ないです。「自分は割と他人の話を聞いてあげる方だ」と思ってる人だって、相手から見れば「イマイチ物足りないんだよねー」だったりするかもよ。あと、「淡々と聞いてくれる」というのがポイントね。他人に話を聞いて欲しい時ってどっちかというと気が弱ってる時だから、「そーよその通りよ!」とか元気に相づちを打たれても対応に困ってしまう。相手の元気に圧倒されて、口から出かかった言葉も引っ込んじゃったりする。こっちは話を聞いて欲しいだけで励まされたい訳じゃないんだし。それにしても、女の友達とは電話だけでだいたいコトが済むのに、なんで男ってメールじゃないと本音が言えないのかね。「話が聞けない男・地図が読めない女」なんて本がちょいと前にベストセラーになってたけど、「話が聞けない男」は「自分から話すのも苦手」なのかもしれませんね---ちなみに、この本に収録されていた「脳の男性度・女性度チェック」をやってみたところ、ワタクシ見事に「男性の平均値よりやや右(=男性度が高い方)」にプロットされてしまいました。うーむ・・・確かに他人の話を聞くのって割と苦手な方かも・・・
2007.08.05
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聞くところによれば、八百長疑惑だの「母国でサッカーやってた疑惑」だので近ごろトラブル続きだった朝青龍関が心のバランスを崩して精神安定剤のお世話になっている、という話で---ふてぶてしい顔してるけど意外と悩んでたんだね朝ちゃんも。「技倆人格ともに抜群」のはずの横綱が精神安定剤に頼るなんて、と横綱審議会の皆さんは眉をひそめそうだけど、ハタチそこそこの若いモンにそこまで人格者を期待するのも現実問題としてどーかと思う。精神的に「ちょっとどーだかなー」と思わせる横綱が過去にいなかった訳じゃなし、別に大騒ぎするほどのことじゃないだろう---まあ、八百長報道で相撲協会から訴えられてる週刊現代にとってはオイシイ話かも知れないけど。そういえば、大相撲の八百長疑惑が報道されると、ロクに記事を読みもしないで「勿論あるに決まってる!」とか力強く断言しちゃう人っていますね。「世の中カネで動いてるんだから八百長なんかあって当たり前だ」なんて口とんがらかしたりして・・・。なんか自分が相撲取りじゃなくて八百長でボロ儲けできないので僻んでるみたいにも見えるけど、こういう人は「世の中は金で動いている」という確固たる信念を持ってる訳ですね。別にそれが真理だとも思わんけど間違ってるとも言い切れないので、聞かされる方としては「勝手にすればぁ?」と内心呟くのみですが。なんで「間違ってるとも言い切れない」かというと、「世の中カネだ」と信じ込んでる人には「世の中のうちの金で動いてる部分」しか見えないから。人の視力がそうであるように人の認識力にも「志向性」というものがあって、大抵の人は「自分の見たいものしか見えない」んです。だから、何を見ても「ほら見てみぃ、み~んな金で動いとるやないか」(←何故に関西弁?)ということになって、彼の信念はいっそう堅固なものになっていくんですねー。たとえ反証があっても目に入らないんだから、「その信念は間違っている」ということを彼に対して立証するのは殆ど不可能である。「正の整数以外は数じゃない」と頑なに信じ込んでた古代ギリシャ人を説得するようなもんだ。「世の中は○○だ」という単純な信念には、それなりの効用があります。なにより「生きていく上での戦略目標」が立てやすい。一番重要な要素は○○なんだから、それをそのまま目標にしちゃえばいいんだもんね。目標が明確だから意思決定にも時間がかからないし、ややこしいことを考えなくて済むし、迷いの少ない人生を送れると思いますよ。実際、「正の整数だけが数」だと思ってたギリシャ人は、ゼロだの無限だのという面倒なことにアタマを悩ませなくて済んだおかげで合理的な世界観を確立することができた、と言われております。が、その反面、「世の中は○○だ」と決めつけ過ぎてしまうと、具体的な問題に対するアプローチの幅が圧倒的に狭くなる、という弱点がある。「世の中は金で動いている」という信念しかない人の場合、「金が動機ではない問題」(テメェんちのガキの家庭内暴力とか)に対しては全くなすすべがなかったりする。世の中、金で片づく問題ばかりじゃないですからねー。その辺が難しいところだ。あの天才ピタゴラスですら、「正方形の対角線の長さが正の整数で表せない(無理数になっちゃうから)」という基本的な問題を最後まで解決できなかったほどですから、「信念による限界」って意外と恐ろしいものです。とはいえ、この不条理な世界で心の支えなしに生きていくのは相当に難しそうなので、私も私なりの信念を---「先入観」とか「刷り込み」とか言われる無意識の信念も含めて---おそらく持っているはずです。「信念なんてものは所詮はイワシの頭」だと思うので特に執着する気もないけど、「その方が楽に生きられるんだったらイワシの頭でもブリの尻尾でも持ってればえーやんけ」という感じですね。とりあえず、「いま役に立ってるイワシの頭が将来も役に立つとは限らない」という点だけ肝に銘じて、いつでも放り出せるように、ゆるーい感じで持ってればいいんじゃないでしょーか。信念なんてあまり固く握りしめるもんじゃないですよ。イワシの頭はあくまでも生きていくための方便なんで、そんなもんと心中しちゃうのはバカらしいもんね。
2007.08.04
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なんかまた九州に台風来てるんですって?それでこっちまで曇ってるワケ?風力は強いけど生温い風と、薄日が射すよーな射さないよーな曖昧な空模様・・・とても夏本番とは思えませんね。おととい関東地方も梅雨明けしたって話だったんですけどねー。「また立ちかへる水無月の 嘆きを誰に語るべき」(by芥川龍之介)ってか?こう異常気象が続くと、「歳時記」のカテゴリがなかなか進まなくて困るんだよね。まあ天気に文句云ってもしょーがないけど、ここ1ヶ月ぐらいの東京は日照時間がすごく少ないもんで、気分が専ら天候によって左右されるワタクシとしては、もうブチキレ寸前なんですね。お天道様の顔を拝んでる時間よりニュースで安倍晋三の顔を見てる時間の方が長いくらいなんだもん。冷蔵庫開ければ椎茸にカビ生えてるしさー・・・椎茸って、アレもカビと同じで菌類なんじゃないの?生意気にカビなんか生やすなよなー。共食いっぽくて気持わりぃから・・・確か今年は今年は7月30日が「土用の丑の日」だったんですが、昔から夏の土用といえば「土用干し」というくらいで、今頃は梅干しを干すのにちょうどいいカラッとした時期のはずなんですよ。 梅干して地のあかるさのつづくなり 榎本冬一郎 梅干し作ってる人、今年の進捗状況はどーですか?なかなか日に当てる機会がなくて困ってませんか?やっぱり梅は空気の乾いた日に天日で干さないと、ねえ。この時期にやる着物の虫干しも「土用干し」と云うようです。 一竿は死装束や土用干し 森川許六虫干ししてる色とりどりの着物の中に真っ白い死装束が一着だけ混じってる、という光景ですね。作者の森川ちゃんは彦根井伊藩の武芸指南役だったというレッキとしたお武家さん。イマドキのお年寄りは「美しくイキイキと老いたい」とか言っちゃって、若い者が納めてる年金でスポーツジムに通ったりサプリメントを飲みまくったりしてるようですが、江戸時代は相応の年齢になったら死装束を用意しておくのが「たしなみのある老人」であったらしい。奥床しい慣わしですね。お年寄りが元気なのは良いことなんでしょうが、「元気」なのと「いのち根性が汚い」のをはき違えてるよーな高齢者が当節は増えてきているようで、正直云ってうっとーしい。「孫の腎臓もらってでも長生きしたい」みたいな話を親の知り合いから聞いたことがあるんですが、あれが本音だとすれば、「美しい国」の崩壊は一番上の世代から既に始まってるような気がします。人間って齢を重ねれば自動的に成熟するってもんじゃないんだよね。むしろ、若い時の修行が足りない奴は齢とってからの壊れ方が凄いわ---ま、他山の石、ですケド。インテリのお宅の「土用干し」だと、着物と一緒に書籍類(和綴じの書物ですね)の虫干しもやっていたようです。こうなるともう庭なんか地面が見えない状態ですねきっと。 漢籍を曝して父の在るごとし 上田五千石「漢籍」の一語が効いてます。亡くなられたお父さんは、たぶん漢詩なんかお作りになる教養人だったんですね。生前はなかなかの人物であられたことと推察いたします。間違っても孫の腎臓を欲しがったりはしなかったであろう・・・オッと---どうも今日はお年寄りに辛く当たってますね私。別にお年寄り全般がイケナイという訳じゃなく、齢の数を「一種の既得権」だと勘違ってるよーなお年寄りは昔から好きじゃないんです。それに、「わしら既得権あるもんねー」というタイプのご老人には安倍晋三の支持者が多かったりするので余計にムカつく。「馬齢を重ねる」なんて言い方もあるくらいなんだからさ、いつまでも残業してりゃエライってもんじゃねーや。あれ?えーっと・・・確か歳時記の話を書こうと思ってたはずなんだけど、だいぶ軸がずれちゃってるなー・・・まあいいや、とりあえず「歳時記」のカテゴリに入れちゃお。何もかも異常気象と安倍晋三が悪いんだもんねー、ということで。 不貞寝して 季の狂いたる梅雨明けぬ 炉猫★追記:冒頭のお天気に関する愚痴、寝坊した人は「???」だったでしょうね。 東京は昼頃から安定した夏晴れになりました。 台風はまだ日本近郊にいるようですから、お洗濯と梅干しはお早めに・・・
2007.08.03
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梅雨明け宣言が出たというのに、東京の朝は気まぐれな雨がぱらつくハッキリしない天気です。昨日は作詞家の阿久悠せんせーがお亡くなりになりましたですねー。朝日ドットコムの死亡記事では「『北の宿から』と『UFO』の作者」ということになってますが、呆れるほど沢山の作品を残した人なので、人によって世代によって思い出す歌は違うと思います。「ピンク・レディーの曲を書いてた人ね」という人もいるだろうし、「沢田研二の全盛期を支えた人」という見方もあるだろうし・・・ワタクシ的にいうと「ウルトラマンタロウの主題歌を書いた人」ですね。ウルトラマンシリーズの主題歌の中では「タロウ」が一番好きなんです私。弟と電話でタロウの話をしてるうちに盛り上がって、電話回線ごしにテーマを合唱しちゃったこともあります。 空を見ろ 星を見ろ 宇宙を見ろ 彼方から 迫り来る 赤い火を「宇宙を見ろ」と言われて感動しちゃった子供(←ワシのこと)は後にいっぱしのSF読みになっていくのですが、それはまた別の話。「タロウのテーマ」は今でも私の持ち歌の一つで、カラオケでは臆面もなく声を張り上げて歌っております。まあ、アニソン系の歌を照れながら歌われると聴いてる方も気恥ずかしくなっちゃうんで、居直って臆面もなく歌うしかないんですが。この他にもアニメの主題歌をけっこう書いてるんですよ阿久悠さんて。デビルマンのテーマ(オープニングとエンディング両方)とか、「スーパーロボット マッハバロン」とか・・・あ、そうそう、世代を超えた名作「宇宙戦艦ヤマト」を忘れちゃいけませんね。あれも「作詞 阿久悠」なんです。もうひとつ、阿久悠というと思い出すのは甲子園です。彼は高校時代野球部だったらしくて、甲子園が大好きだったんですね。毎年、夏の大会の時期になると、甲子園に関する阿久悠のエッセイが朝日新聞に掲載されていたと思う。そんな人だから、朝日放送から「熱闘甲子園」のテーマソングを依頼された時はさぞかし嬉しかったことでしょう。大げさにいえば「男子の本懐」みたいな感じがあったのではないか。この依頼に応じて、「まためぐり来る夏の日に 心震わす人がいる」という印象的なフレーズで始まる佳曲「君よ八月に熱くなれ」が誕生します。これ、聴いたことある人多いんじゃないですか。私の記憶が確かなら(←そこがアヤシイ)、昨年は夏川りみがカバーしてましたね。そういえば、甲子園で各校の応援団が演奏する曲の中に阿久悠の曲って多くないですか?特に「サウスポー」と「狙い撃ち」は、ほとんど定番といえるほど多くの学校が採り入れてますね。「宇宙戦艦ヤマト」だって甲子園ではけっこー人気あります。もしかしたら、「自分の作った曲が甲子園で最も多く演奏される人」なんじゃないですか阿久悠って。甲子園の開幕を目前に控えて息絶えちゃう、というのは御本人としては「無念の極み」だったんでしょうか。それとも、雨月物語の「菊花の契り」の論理で、「病床に伏せってちゃ甲子園まで見に行けないけど、死んで魂だけになれば楽勝で行けるじゃん」ということで早めに死ぬことにしたんでしょうか---そっちの線もあると思うのね私。死亡時刻が「8月1日の未明」というあたりがどうも怪しい。順当に行けば開会式は8月8日だから、初七日を済ませてギリギリ開幕戦に間に合う、という絶妙のタイミングなんですもん。大阪桐蔭の中田君が予選敗退で出て来ないのは残念だけど、去年ご難続きだった駒大苫小牧とか、好投手佐藤を擁する仙台育英とか、蔦監督の教え子が率いる徳島商とか、今年もそれなりに話題の多い大会になりそうです。個人的には「即プロOK!」みたいな大型選手が少ないのが淋しいところですが、面白いゲームを期待したいですね阿久悠さん。★この記事、「スポーツ」のカテゴリに入れるべきかどうか迷いましたが、基本的にはテーマは歌謡曲だし、歌謡曲はカルチャーに属するので、「本・漫画・アニメ」のカルチャー系カテゴリに入れることにしました。
2007.08.02
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昨日はちょこっと気の張る場所に出かける用があったので、久しぶりに9センチヒールのサンダルを履いてったら、目的地に行き着かないうちに気分が悪くなりました。なんつーか、「一足歩くごとに内臓に低周波の振動が響く」みたいな感じ?20代の頃は平気で履いてましたけどねーそんなもん。何で平気だったかというと、筋力もさることながら主として精神力のタマモノだと思う。自分で認めるのも業腹だけど、当時は脚をあくまで細く見せることに情熱を燃やしてたんですね---若い時のスケベ心って凄いもんだ。でも、悩み多き青春期(?)を赤面しながら振り返る年齢に達してみると、若い時はスケベ心全開の方がいいような気がしますね。生殖適齢期の動物がスケベなのは自然の成り行きだし、それを下手に抑えつけると齢とってから妙な反動が出たりしますからねー。ほら、「七つ下がりの雨と四十過ぎの浮気は止まない」って俗に言うじゃないですか。四十過ぎてから異性に溺れちゃう人って若い時に真面目に遊んでなかった人が多くて、そのぶん始末が悪い。「大学デビュー」でも「遅い!」とバカにされる今の御時世に「不惑デビュー」とか言われてもねえ・・・あまりにも時機を逸しすぎてて殆ど手の打ちようがない。見渡してみると世間というのは広いもんで、参考書とエロ本だけで東大行っちゃってそのまま役人になって見合い結婚した、みたいな「世間のことも自分のこともよく分かってないオッサン」とか、我を抑えて大人しくしてれば男にウケるはずだと思ってネコを何匹も被りまくってたのにロクな相手をゲットできなくて不満爆発、みたいな「自分を見る目も男を見る目も養ってこなかったオバハン」とか、困った人達が相当数いるみたいなんですね。こーいう方々は、将来の損得を考えて若い時分はスケベ心を抑えてたのに、その「将来」において思ったほどトクをしないまま「中年」だの「熟年」だのになっちゃった訳ですから、彼らの怨念と焦りには想像を絶するものがある---ま、若いくせにケチくさい損得勘定なんかする方が悪いや、と私なんか思っちゃうので同情もしませんが。若いうちにフツーに遊んで異性と付き合ってれば、イッパシの中年になる頃には、「うっかり異性とデキちゃったぐらいで逆上して暴走したりしない程度」の経験は積んでるはずだと思う。損得勘定ってのはそういう時にするもんだ。言っとくけど私は「ホンマモンの恋愛」の話をしてる訳じゃないですよ。アレは衝突事故みたいなもんで計算の立ちようがない。そーじゃなくて、「会社の上司と部下」とか「PTAの会合で知り合った息子の友達の親」とか、その種の「半径5メートル内外のお手軽不倫」について言ってるんだけどさ。それがイケナイとは言わないけど、やるなら少しは余裕を持ってやって下さいよオトナなんだから。植物が春に芽を出し、夏に花を咲かせて秋には実を実らせるように、モノゴトにはそれぞれふさわしい「時期」というものがありまして、その時期を逸しちゃうとコトは何かとややこしくなる。別に中年になってからスケベ街道を驀進してもいいけどさ、「身体的欲求よりも妄想に支えられている部分が多いスケベ」をカッコよく見せるのはなかなか芸が要ると思いますよ、うん。もしかして、今日はだいぶ敵を作りそうなことを書いちゃったかしらワタシ。
2007.08.01
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選挙のニュースを見てて気が付いたんですが、政治家の人って選挙期間中はいつもマイクを持ってますね。プロのシンガーを別にすれば、「最もマイクと親しく関わってる人達」と言っても過言ではないでしょう。こーいう人々がカラオケのマイクを握った場合どのような生態を見せるのか、ちょっと面白そうなので想像を逞しくしてみたい。内閣改造も近いようだし、送別会を兼ねて任期も残り僅かの閣僚の皆様にカラオケに行ってもらいましょう。以下の記述はフィクションであって、実在する人物団体とは一切関係がありません(当たり前だ)。氏名はいずれも敬称略。 ======================================安倍晋三(内閣総理大臣)声量もあるし発声も明瞭なので、内心では結構カラオケに自信ありなんじゃないかと思う。でも選曲がありきたりでつまらなそうな上に、やや音痴のケがあると見た。谷村新司の「昴」かなんかを押しつけがましく歌っちゃうタイプじゃないの?彼の声質から言えば谷村新司はあまり合わないんですが、己を知らないところがアベ君のアベ君たる所以であります。柳澤伯夫(厚生労働大臣)酒量が一定量に達するまではいくら勧められても決して歌わない、というタイプなんじゃないでしょうかね。最初のうちは黙々と飲んでて、いいかげん酔っぱらってくると、一座の者が面食らって対応に困るような歌を突如として歌い出しそうな感じ。「ひょっこりひょうたん島」とか小学校唱歌とか越路吹雪とか・・・しかも途中でメロディー忘れて立ち往生したりするし・・・なんつーか、おとなしい割に手間がかかりそうな人なんだよね。小池百合子(防衛大臣)彼女は相当歌えるでしょう。そもそも歌うこと自体が好き、という感じ。国際派だし、レパートリーもメチャ広そう。TPOを弁えてるから(←出世するオンナの条件ですな)、宴会の場ではキャンディーズだのモー娘。だの「賑やかし系」の歌を振り付けつきで歌ったりして座を盛り上げるけど、ホント言うと「五番街のマリーへ」をしっとりと歌い上げる方が好き、だったりして(←多少ナル入ってますね)---でもそれは三次会まで温存しておくのねきっと。麻生太郎(外務大臣)この人は今でも毎週ジャンプを読んでて「若者文化が分かる」のが自慢だというから、カラオケの選曲も比較的新しめの曲が多そうだ。ただ、あんまり新しすぎると同席者のオッサン達が知らないからねー・・・「地上の星」あたりが妥協の線か?いや、麻生クンの「ルーズでアッケラカン」というイメージに中島みゆきはミスマッチ過ぎるか・・・じゃ、実は「青春アミーゴ」を一度歌ってみたいと思ってるんだけど一緒に歌ってくれる人がいなくて残念、とか?---こっちならありそうな気がする。赤城徳彦(農林水産大臣)どー見ても芸達者には見えないのでカラオケには不向きかも知れないんですが、なにしろ「バンソーコー仮面参上!」みたいな意表を突くパフォーマンスをやらかしてくれる人だし、もしかしたら芸能方面でも意外な一面があるかも。なんとなく「おたく系」の気配を感じるので、実はアニソンの帝王だったりすると面白いんだけど---しないかやっぱり。ここはひとつエアギターを練習するとかして、今とは別の意味でバカになってくれれば、少しは見直してやるんだけどな。---なんだかなー・・・アベ内閣の現役の閣僚って「存在の耐えられない軽さ」という感じでどうもパッとしないねえ・・・しょーがない、最後にゲストとして大物OB2人を追加しときます---小泉純一郎(前首相)そりゃもう当然プレスリーでしょう。得意技は「ラブ・ミー・テンダー」あたりですかね。だけどオペラ好きの割には音感がちょい鈍い感じがするんだよね小泉クンって。いつも出だしのキーを間違えて、途中で「ワリィもう一回アタマから頼むわ」とか言い出しそうな気がする。カラオケ装置の操作やらされる人は大変ですね。純ちゃん、何度教えてもキーチェンジのやり方覚えないんだもんなー。やっぱ根っから丸投げ体質なのね。森喜朗(元首相)かつては自民党の「宴会部長」だったという話なので、お座敷ソング的な歌のレパートリーは豊富でしょう。「芸者ワルツ」とか、しな作って歌いそうでコワイ。しかも聴衆に手拍子を強要するので、この人がマイク握るとおちおち酒も飲んでられない。で、最後の締めはやっぱり「人生劇場」ですかね早稲田出身だから---やると思えばどこまでやるさ~♪・・・いえ辞めて下さって良かったです。======================================いかがでしたでしょうか。今日の画像は昔(1961~1985年)のヒット曲集。これより新しい歌は閣僚の皆さん得意じゃないでしょ?森元首相なんか「もっと昔のはないのか」とかゴネそうだもんね。
2007.07.31
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さて、と・・・まずは昨日の勝者のために祝辞をお送りしたいと思います。今日のためにわざわざペイントソフトで作成したんだもんね。えーっと・・・今日言いたいことはこれくらいかな?え?あ、選挙ね、はいはい・・・自民党の「歴史的大敗」だそうですね。それでもアベちゃんてば「続投の意向」なんですってねー。いやはやトンデモネー奴を首相にしちまったなウチの国も。ついこないだ、「私と小沢さんとどっちが首相にふさわしいか、民意を問いたい」とか言ってなかったっけ?党首討論で。アンタの言うことは猫のノミより軽い上に猫ノミほどのアタマもないのな。曲がりなりにも「首相の座」って、お坊ちゃんのオモチャじゃないと思うんですけど・・・支持率3割かそこらで「憲法改正」なんてこと言い出されちゃ困るんだよねこっちも。今朝の街頭インタビューで、「他にやる人がいないからとりあえず続投でもいいんじゃない?」とか言ってるバカが居たのにも驚いたけどさ---ま、国民がそんなもんだから首相がアレでもいいのか。一番迷惑してるのはもしかしたら自民党かもしれませんね。「誰かデスノートに安倍晋三って書いてくれないかなー・・・」とか思ってる人、党内に意外と多いんじゃないですか?昨夜の選挙特番でアベ君の顔をアップで見すぎたせいか今日は偏頭痛がひどくて、悪口にもイマイチ気合いが入りません。あの御仁の辛気くさい顔は、もはや環境汚染の域に達してるような気がする。彼がいなくなれば「美しい国構想」はかなりの進展を見るんじゃないかと思いますね。全然関係ないけど、畑恵(←船田ハジメの不倫上がりの女房)といい丸川珠代といい、自民党が声をかける女子アナって往々にして「特に男に人気がある訳じゃないのに男グセが悪そうな勘違いオンナ」だったりしますね。女の友達少ないだろアンタ、みたいなタイプ。爺さん連中の隠微な欲望にアピールするものが何かあるんでしょーか。別にそんなこと深く追求したくもないけどさ・・・あーヤダヤダ気持わりぃ・・・
2007.07.30
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昨日のアジアカップ3位決定戦、やる前から日本が負けそうな予感がしたのでホントは観たくなかったのですが、それも悔しいような気がして意地になって観てしまいました---私はこの種の予感が割と当たる。高校野球の神奈川県予選の勝敗も、準々決勝以降はすべて的中させております。カンが当たったとはいえ横浜が負けちゃったのはちょっと残念でした(別に横浜高校のファンという訳じゃないけど、ベイスターズのファンなので「横浜が勝つ」というだけで嬉しい)。そういえば、アジアカップ見ようとしてテレビ点けたら「オーラの泉」をやってました。いつの間にか土曜日のゴールデンに移ってたんですね。江原ちゃんて人気あるんだなー。「スピリチュアル」って今そんなにブームなの?江原啓之せんせーほどの大物じゃなくても、「プチ霊能者」みたいな人は意外と身近にいたりするものであります。前の職場の関係者にも1人いた。フツーのOLさんだったんですが、霊感があるというんでバイト的にお払いみたいなことをやってました。人に付いている(いや「憑いている」かな?)背後霊的なモノも見える人だったらしい。「能力がイマイチなので全部は見えないけど主に活動しているヤツが2~3人は見える」というので試しに見てもらったら、「なんか気むずかしそうなお侍さんとおかっぱ頭の男の子が見える」と言われました。この「子連れ狼」みたいなコンビが常時ワタクシに付き添っているのだそうで・・・「付いてるのが両方とも男(しかも一方はガキ)」というあたり、「なんだかなー」という感じですが。まあ彼女の眼力では2~3人しか見えなかっただけで、「1人の人間にはご縁のある霊が十やそこらは関わっている」という説もあります。思ったより大所帯ですね。ちょっとした新人タレントの売り込みプロジェクトぐらいの規模だ。で、このプロジェクトの管理者が江原センセの言う「守護霊」ってヤツなのね多分---ちなみに「女性には女性の守護霊が付くのが普通」だそうですから、彼女が見たという子連れ狼コンビはプロジェクト管理者じゃなくて現場担当なのでありましょう。「太陽にほえろ」的にいうならボスじゃなくて「山さんとボン」みたいな感じ?こういう話をすると、「じゃあその人たちが私を護ってくれてるのね♪」とか無条件に有り難がっちゃう人がいますが、それはちょっとオッチョコチョイが過ぎるのではないか。そりゃ「うちの事務所イチオシの新人」ということでソレナリに大事にしてくれるかも知れないけど、タレントと裏方じゃ立場が違う。お互い思惑の違いもあって当然、と考えるのがフツーでしょう。先方だって好きで付いてる訳じゃなくて、「内心面白くないんだけど上の方の指示で仕方なく」なのかもよ。アッチの世界の事情なんて分からないじゃないですか。裏方さんの中にも仕事熱心なヤツとそうでないヤツがいるだろうしさ。とりあえずタレントとしては裏方さんへの感謝を忘れない方がいいんでしょうけど、何しろこっちは生身なので、多少難儀なことが重なると「少しは仕事選んでよマネージャー」と言いたくなる時があります。「ホントうちの事務所って人使い粗いんだから」とか・・・ま、甘やかされてるタレントに限って愚痴が多い、という説もありますけどね。「このプロジェクトに賭ける我々の熱意がアイツにはどーも分かってない」と先方は苦々しく思ってるかも知れないです。申し訳なし。個人的には「死ななきゃ分からないこと(自分がバカだとか霊界が存在するとか)は死ぬまで分かんなくてもいい」と思っちゃうタチなので、心霊関係のアレコレには必要以上に深入りしないことにしています。死んだ後のことを今から気にするよりは、生きてるうちしかできないことをやった方がよろしい。甲子園の予選を見に行くとか---今日は神奈川大会の決勝なので、久しぶりに横浜スタジアムに行こうかなー、と思っています。東海大相模×桐光学園(中村俊輔の母校ですね)というカードも面白そうだし・・・いやその前に選挙に行かねぇとな・・・
2007.07.29
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うちの猫はヨソ者の気配に敏感で、窓が開いてるとその周囲には警戒して近寄ろうとしません。その様子を観察してみると、開いた窓を中心にして半径1メートルぐらいの半円の中に踏み込まないように歩いている。どうやらそこには、野生のカンがすっかり鈍っちゃった人間には見えない「結界」みたいなものがあるらしいのですね。霊能者一族を主人公にした「結界師」なんて漫画が人気出ちゃったせいか、「結界」というと「内部と外部を分ける一定の境界を霊的な手段で維持すること」だと思ってる人もいるみたいですが、要するに「ウチ」と「ソト」を分ける境界ができれば何でもいいんで、「物理的な手段による境界の維持」も立派な結界であります。家や部屋の壁なんか典型的な結界ですね。昔の日本家屋では「玄関入るとすぐ客間」みたいな構造がよく使われてましたが、これには「客という侵入者を入り口付近で食い止めて結界の破れを最小限に抑える」という意図が感じられる。玄関にわざわざ段差を設けてあるのも同じような理由でしょう。そこに障害物があれば大して用事がない客は家に上がらずに帰ってくれるだろうから、結界がほとんど破られなくて済む。そういえば昔気質の人は「ふすまや障子がぴったり閉まってるかどうか」を割と気にしますね。少しでも隙間が空いてると「魔が差す」とか言って嫌がったりする。無意識のうちに「結界を守る」という習性が身についてるのかもしれません。SFによく出てくる「バリア」なんてのも結界の一種でしょう。マジンガーZの基地だった光子力研究所には「光子力バリア」なる防御設備がありましたですね---ところで「光子力」って何だったんでしょうね。あのバリアはガラスみたいな外観で、破られる時もガラスみたいに砕け散るので演出効果としては印象的でしたが、どうも防衛兵器としてはあまり出来が良くなかったような気がする。毎回のように割れてたからなー。スタートレックの宇宙船の船体を保護するバリア(「シールド」と呼ばれてましたが)は、「船の周囲に反重力場を展開する」というタイプだったと記憶しています。フィールドの形成に使用されていたのは確か「重力子」(グラヴィトン)の波動じゃなかったっけか。「光子」よりはだいぶ頑丈そうです。それに、重力波は一定の周波数を持っているので、これに同調しちゃえば「シールドが機能してる時でも出入りが自由」という特徴があった。敵の侵入は防ぐけど味方が出撃するのは妨げない、という選択的な機能があるのはいいけど、使用している周波数が敵に知られちゃうとアウト。その辺ちょっとリスキーですね。ご予算が折り合えば、別のタイプのバリアとの併用をお勧めしたいところです。まあ、戦闘用のバリアを日常的に使ってる人は少ないでしょうが、暖簾だの衝立だの「白線の内側にお下がり下さい」の白線だの、よく考えると我々の日常はさまざまな結界に取り囲まれております。だからキャンプとか行って「身を守るモノは寝袋だけ」みたいな状態で寝ようとするとどうも落ち着かない。「家をリフォームしてバリアフリーにしたら何だか落ち着かない」というお年寄りがいますが、その心もとなさはよく分かる。バリアフリー住宅って、転倒事故の防止にはいいかもしれないけど、バリアが無いだけに結界としては弱いんですよね。それに、家という「結界」が住む者の「気」で満たされてないと居心地が悪い、みたいな感覚を我々は本能的に持ってるようなのですが、バリアフリーのだだっ広い空間を「気」で満たすのはかなり大変そうだ。ましてお年寄りは、体だけでなく「気」の方だって弱りがちですからねー。段差や仕切りがあちこちにある昔風の家の方が、そういう意味では高齢者に優しいのかもしれませんね。
2007.07.28
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「不都合な真実」とかいう映画が先ごろ話題になりましたが、アガサ・クリスティの後期の作品には「あまり歓迎されない真実」がテーマになっている話が割と多いですね。犯人が分からないまま(または犯人じゃない人物に不当に嫌疑がかけられたまま)時間が経過して、事件の関係者が「釈然としないながらも落ち着いた日常」を取り戻し、「もう真相なんか分かんなくてもいーんでねーの?」と思い始めた頃に探偵が捜査に乗り出してきて、困惑する関係者たちをよそに「不都合な真実」を発見してしまう、みたいな話。このパターンの代表的な作品に「無実はさいなむ」というのがあります。金持ちの婆さんが自宅で殺されて被害者の養子にあたる男が逮捕されるんですが、こいつは日頃から素行が悪い奴だったので、本当はアリバイがあるのにとりあってもらえないまま獄死してしまう。ところがそれから数年後、彼のアリバイを立証できる人物が突然現れて、解決したはずの事件が蒸し返されちゃうんですね---関係者一同にとっては迷惑な話だ。身内の中で「いかにもそーいうコトしそうな奴」が逮捕されて一件落着と思ってたのに、それが冤罪だったということになると、改めて家族全員が容疑者になっちゃう訳ですから。この急展開に一番焦ったのはもちろん真犯人なんですが、犯人じゃなくても「他人に触れられたくない事情」を密かに抱えててそれが表沙汰になるのを恐れる者あり、「現状のままで皆が幸せなのに余計なことを…」と内心苦々しく思う者ありで、要するに真相の究明なんか誰も望んでいないことが徐々に明らかになってきて、探偵役を買って出たオジサンは「家族の平和を破壊してまで真相を究明すべきなのか?」と悩んでしまう。知らない方が幸せってこともあるんじゃないか?とか・・・殺人なんていう物騒な事情が絡んでなくても、「あくまで真実を追求した方がいいのか知らないままで済ませた方がいいのか」という問題は日常的によく発生するものであります。たとえば、どうも亭主がこのごろ挙動不審で不倫の疑いがある、というよーな場合、事実関係を調べ上げて離婚届を突きつけるべきなのか見て見ぬふりで家庭生活の維持に専念すべきなのかで悩む人が多いと思う。私なんかは好奇心が何より優先するタチですから、「興信所に金払ってでも秘密を暴いてやる!」とか変に執念を燃やしちゃいそうですが、そういう自分を正当化するのも憚られる。好奇心って結局のところ一種の攻撃性なので、結果的に他人を(もしくは自分を)傷つける可能性も大ですからね。そう、問題が亭主の浮気調査であろうが素粒子の探求であろうが同じことで、「知りたい」という欲望の本質をなすものは実は攻撃性だったりするんですね。クリスティは推理小説を書き続ける過程で、「真実の追求」という美名の陰に隠された貪欲な攻撃性に気が付いたんだと思う。実際、クリスティの一連の作品を読んでみると、探偵に向かって「あなたは残酷な人ですね」みたいな非難を浴びせかける人が度々登場してきます。かといって「貴方の過去など知りたくないの」という人が「イイ人」かというとそんなこともなく、「単なる怠け者の事なかれ主義者」だったりするんですが。好奇心に負けて禁断の箱を開けちゃったパンドラちゃんに象徴されるように、人間は本来「知りたがる生き物」ですから、不都合だろうが他人を傷つけようが「真実を知りたがる心」に歯止めを掛けるのは困難だし、それを無闇に抑圧するのも一種の自己欺瞞でよろしくないと思うのですが、好奇心が攻撃性の表れであるということだけは自覚しておいた方がいいような気がします。好奇心をあまり野放しにしてると、「やたらと他人のことを詮索したがるハタ迷惑な人」になっちゃいますから。★参照文献:「無実はさいなむ」(アガサ クリスティー著 小笠原 豊樹訳 ハヤカワ文庫)
2007.07.27
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誰が言ったのか忘れちゃったけど、ブログをやってる人は「ブロガー型」と「ライター型」に分類されるんだそうです。「ブロガー型」というのは特にテーマを決めずにその日に起こったことや考えたことを書きつづっていくタイプで、「ライター型」というのはネタがあってテーマが決まらないと上手く書けないタイプなんだという。「ライター」と「ブロガー」では前者の方がプロっぽくてカッコよく聞こえるかもしれませんが、不思議なことに、私が面白いと感じる書き手はブロガー型の方に多いです。文章力には自信があるはずの雑誌記者さんのブログとか、ここだけの話だけどあまり面白くなかったりします。ブロガー型が自分の個人生活を前面に押し出して「存在感の魅力」で勝負できるのに対して、ライター型は純粋に文章の力で読み手を面白がらせなきゃならないので、その分ハードルが高いんでしょうね。「事実は小説よりも奇なり」って要はそーいうことなんじゃない?逆に言えば、ライター型で面白い人は、単に「書き慣れてる」というだけじゃなくてホントに文章が巧いんです。文才って天成の部分が大きいので、現在プロの物書きをやってるから文才があるってもんじゃないんだよね。悪くすれば、変な「プロ意識」が足かせになって自由な発想ができなくなる、ということだってありうる。「テクニックだけで結構そこそこの文章が書けちゃう」というのはむしろ危ういことでありまして、ちょっと気を抜くと「そこそこの文章」の枠から出られなくなっちゃう。いくら体裁が整ってても、そういう文章は書いてて面白くないんじゃないかと思う。書いてる側が面白くないものは読んでる側だってツマンナイのであります。楽天さんがウリにしてるアフィリエイト系のブログはどーか?といえば、専らアフィリエイト収入のためだけに運営されているブログは「ウェブログ」というよりは「宣伝媒体」である、と私は考えております。要するに成果保証型広告の一種ですね(「成果保証型広告」ってのはインターネット広告の料金モデルの一つで、広告によって実際に成果が生じた場合にのみ媒体運営者に報酬が支払われる方式のこと)。これを「ブロガー型・ライター型」という分類の中に敢えて位置づけるとすれば、「ライター型の特殊進化形」ということになるんでしょうか。アフィリエイトサイトの場合、売ろうとする商品を分かりやすくアピールするだけの文章技術に加えて、ある程度の市場知識や情報収集力が必要とされるので、難易度はより高いでしょうが---ま、金を儲けようってんだから当たり前か。こーいうこと書いてると「そうやって他人のことをあげつらってる貴様のブログはどーなんだ」とか言い出す人が出てきそうですが、それに対しては「知らねーよ」とお答えするしかないですね。もともと分類なんてのは第三者がやるもんであって、当事者がウダウダ自己分析に深入りしてたら進む話も進まんではないか。日常の雑事の合間を縫って(ついでにCSの「夏休みアニメ特番」の合間も縫って)毎日記事をアップさせるだけで、こちとら手一杯ですがな。ただでさえ今日はサッカーの日本代表がボロ負けしてメチャ機嫌悪いんだから、あまりイジメると八つ当たりますよ。
2007.07.26
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のっけからナンですが、「太ったブタより痩せたソクラテスになれ」というフレーズ、どっかで聞いたことありませんか?---私はこの言葉を高校時代に先生から聞いたんですが、その時は何が言いたいのか一向に分からなかった。そもそも「比較」というものが有効に成立するためには、比較される両者の間に何か共通点がなければならない。その共通点が比較の基盤として機能する訳ですからね。ところが、「太ったブタ」と「痩せたソクラテス」の共通点といえば「そういや両方とも哺乳類だよね」という程度で、比較の基盤としてはかなり弱いような気がする。むしろ、一般的な生活感覚からすれば、この両者は「ほとんど別物」と言っても差し支えないぐらい違っている。だって、ブタとソクラテスに同じものを期待する人はいないでしょう?形而上学を語る相手としては太ってようが痩せてようがソクラテスの方がふさわしいし、丸焼きにして食うんだったら太ってようが痩せてようがブタの方が美味しい(と思うんだけどね。ソクラテスの方が美味そうだと思う人がいても構わないけど・・・)---つまり、この2つを比較するのは、テレビゲームとドストエフスキーを比較して「どっちが面白い?」というのと同じくらい見当がはずれている。人生にはテレビゲームの方が役に立つ局面もあるし、ドストエフスキーの方が有効な状況もあるのでございます。という次第で、恩師(?)のありがたい教えとはいえ、聞いてる方は「何が言いたいのかサッパリ分からん」でスルーしてしまったのでした。いま思うと、アレは先生の方だって実のところは分かってなかったんじゃないかという気がしますね。なんか意味ありげなのでカッコつけて口にしただけなのかもしれない。いやホント、その程度の人物だったんですよ問題の先生は。その後何年も経ってから知ったのですが、実はこのフレーズには出典があった。功利主義者・社会改革家として有名なジョン・スチュアート・ミルの言葉で、「満足した豚よりは満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より満足しないソクラテスである方がよい」というのが本来の形なんだそうです。これを要素分解すれば、「ブタより人間の方が上で、馬鹿よりソクラテスの方が上で、簡単に満足しちゃう奴より満足しない奴の方が上」だと言ってる訳ですね。---なんだ、出典の方だって大したことないじゃん。単に「ミルさんはそう考えてました」というだけの話で、特に目新しい真理とかいうもんじゃないでしょ?ミルさんて人はブタの知性に対して相当な偏見を持ってたのね、という程度の感想しか出て来ないし、殊更に名言とも思えない。まあ、「満足」ということをムキになって否定しようとするあたり、「なんか性的なトラウマでもあるのか?」という気配が漂ってて面白いかな?---そういえばミルという人は自伝の中でも「妻とは結婚するまで『清い交際』を保っていた」みたいなことをやたらと強調してるし、性欲が人一倍強い割に変にストイックな人だったのかもしれませんですね。もしかしたら「ギリギリまで我慢するのが快感」みたいな鬱陶しいタイプの男かもしれない。モノの本によれば、「太ったブタよりも痩せたソクラテスたれ」というフレーズは、「1964年に東京大学の卒業式かなんかで当時の東大総長が述べた言葉」として有名になったものらしい。原文の「満足しないソクラテス」が「痩せたソクラテス」に変更されてます。この総長さんには、「知識人は痩せてなきゃイケナイ」みたいな思い込みがあったんでしょうね。御本人がビンボーとか胃下垂とかでなかなか太れなかったのでしょうか。それにしても、これほど中身が乏しいのに名言扱いされてる言葉も少ないですね。昭和40年代には東大総長のご威光って大したもんだったんだなー・・・個人的には痩せたブタよりは太ったブタの方が好きだし、ソクラテスは太ってても痩せてても別に構わないと思いますが・・・でも、プラトン先生によればソクラテスってホントは「筋肉質でずんぐり型」だったそうですよ。いくら痩せてる方がインテリっぽいからってムリヤリ痩せさせなくてもいいのに、と思います。インテリ男がそーいうことを言うと、なんか「筋肉質のスポーツマンタイプ」に嫉妬してるみたいでミットモナイです。あまり女にはモテなかったんですかね東大総長・・・
2007.07.25
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あーもう、長梅雨だの震災処理だの参院選だのでただでさえ鬱陶しいのに、アフガンの方ではタリバンの人質事件があったりして、なんか世界的に大変に騒々しいことになってますねー。現状のゴチャゴチャがいい加減イヤになって「昔の安っぽいロックンロールが聴きたい・・・」などとフッと思ってしまうのは、ワタクシ的には「責任放棄自閉モード」に入りかけてる兆候であります。これが更に悪化して、「もうややこしいのはゴメンだ。ピンクフロイド以降はロックじゃねえ!」とか言い始めると完全に「火力搭載自爆モード」に突入してしまうので、まだ理性が残ってるうちに、頭を整理するためにアフガンの歴史をちょっと振り返ってみましょう。アフガンってどこだか分からない人は以下の地図を参照して下さい。黄色の部分がアフガニスタン。西のイランと東のパキスタンに挟まれた山の多い国です。思えばアフガニスタンという国は、昔から殆ど絶え間なく戦争に巻き込まれてきた、という気の毒な歴史がある。コナン・ドイルの「緋色の研究」を読んだ人なら、シャーロック・ホームズに初めて逢った頃のワトソン君が「アフガン帰りの復員兵」だったことを憶えておられると思います。ホームズ君の時代から大国に戦争を仕掛けられていたんですねアフガンて。なんか国際的なスケールの「いじめられっ子」という感じです。まあ20世紀より前の話はとりあえず置いといて、現代のアフガン情勢に直接関係のある戦争といえば、1979年の「ソ連のアフガニスタン侵攻」から10年間にわたって続いたソ連-アフガン戦争を真っ先に挙げるべきでしょう。「アフガニスタンに成立した共産主義政権を支援する為」という一応の大義名分があったとはいえ、今にして思えばソ連も余計なことをしてくれたもんだ。ソ連だって当時はそれほど国情が安定してた訳ではなく、ホントは戦争なんかしてる場合じゃなかったんですが、国家というものは「国内が不安定だからこそ戦争に走る」という場合もあるから油断できない。もちろん国情も財布もお寒いソ連側としては---アメリカにケンカ売った時の日本と同様---「短期決戦で済ませるつもり」だったんでしょうが、ソ連軍の兵隊さんたちは総じて「広くて平べったい地域」で訓練されていたので、アフガンみたいな険しい山岳地帯での戦いに適応できなかった。なんせ203高地程度で苦戦してた訳ですからね彼らは・・・。それで決着が長引いちゃって焦ったソ連側は、「対人地雷を大量にばらまく」というメチャ非人道的な作戦に出ます。ばらまかれた地雷の中には「子供に拾わせるためにキラキラしたアクセサリーの形状をしたもの」もあったそうだからタチが悪い---これで殺られた女の子も相当数いたんでしょうね。軍人って本質的に女子供をバカにしてるから嫌いよ。キラキラが好きで何が悪い!この間アフガンの人々も黙ってやられてた訳ではなく、ゲリラ的に戦闘に加わる血気盛んな奴らが出てきます。これにイスラム諸国からの義勇軍20万人(あのビン-ラディンちゃんも参加してたらしい)が加わって、短期間のうちにバカにできない勢力になっていく。そのゲリラ諸君に資金を提供していたのがアメリカ中央情報局(早い話がCIA)だったりして---合計で21億ドルも使ったんですってよ奥様。お金持ちは違うわねぇ---、ソ連-アフガン戦争は2大国間の消耗戦の様相を呈してまいります。で、消耗戦に疲れてアフガンから撤退したソ連は経済が壊滅的に破綻して冷戦の続行が困難になり、結果的にペレストロイカの夜明けが訪れる訳ですが、それはまた別の話になります。ソ連が撤退した後のアフガンでは、もともとソ連に支持されていた政府軍とアメリカから金をもらってた抵抗勢力との間で内戦が勃発してしまいます。この内戦の中でパキスタン政府の強力な支援を受けて台頭してきた武装勢力がタリバン---ということで現在に至るのでございます。---こーいうこと書いてると自分が落合信彦になったような気がしてきますね。こんな話を長々と語れるんだから、あのオッサンも体力あるよなあ・・・私なんかハッキリ言って途中で嫌になりました。国際的な陰謀なんて実はそんなに面白いもんじゃないですよ。大抵は「歴史全体を見ればありふれた話」だしね。えーっと・・・何が言いたかったんだっけ?・・・そうそう、つまりタリバンの皆さんのほとんどは「生まれた時から戦争状態が途切れたことがなかった」という人達なんですよ。日本の団塊世代の皆様は「ボクらは戦争を知らない子供たちさ♪」とか脳天気なコト言ってますが、彼らは「戦争しか知らない子供たち」な訳で、「ちょっとタバコ買いに出た父ちゃんが無事に帰ってくる保証はない」みたいな切迫した環境でずっと育ってきた人達は、家族が人質になったぐらいでギャーギャー騒いじゃう我々とはかなり違う感覚を持っているはずです。タリバンの人だって勿論一人一人はイイ人なんでしょうが、その辺の感覚の違いは如何ともしがたい。「善意でボランティアに行ったのに人質にするなんてヒドイ」なんて我々は呆然としてるけど、「呑気に医療活動なんかやってるより人質になってくれた方がこっちはよっぽど助かるんだもん。ボランティアで来るならそのくらい覚悟があって当然でしょ?」と先方は思ってるかも知れないですね。今の国際政治って、「第二次大戦前の植民地支配とその後の冷戦がもたらした憎悪の構造」の後始末に手を焼いてる部分が意外に大きいです。こんな状況で「戦後レジームからの脱却」なんてトンチンカンなことを言ってるアベ首相の政治センスというのも相当なもんだ。アメリカしか目に入ってないのかしらね。世界のかなりの部分は「戦前レジーム」からも脱却できずに苦しんでる訳でして・・・ま、たぶん再軍備したいだけなんだよねあのオッサンは。ロクに国際感覚がないくせに、カッコつけて「レジーム」なんてフランス語使うんじゃねーよカッコ悪いから。---ときどき、地球が丸いという事実を人類が知らなければ世界はもっとマシな場所になっていたのではないか?と思うことがあります。
2007.07.24
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昨日の記事は孔子の引用から始まってますが、そういえば私はむかし中国の古典が好きで割と読んでいた。特に漢詩・・・え、爺むさいですか?きっかけはテレサ・テンが歌ってた「何日君再来」だから、別に爺むさいとは思わなかったのですが・・・いや、テレサ・テンとか言い出すあたりで既に爺むさいのか?もっと爺むさいことを言えば、ワタクシ李香蘭(本名:山口淑子)のCD持ってます。どーだマイッタか。(←威張るようなことか?)でも、私なんかよりずっと中国マニアな人って沢山いるでしょう?顔回くん(孔子のお弟子さんね)を主人公にした酒見賢一のサイキック小説「陋巷に在り」とか、明らかに中国がモデルの仮想世界を舞台にした「十二国記」のシリーズとか、熱烈な愛好者が多数おられるみたいじゃないですか。私なんかマニアとも言えないくらいだ。そりゃ「何日君再来」は中国語で歌えるけど「夜来香」は歌えないもんね・・・って、こんな古い歌を知ってる人が何人いるか分からないけど。「何日君再来」は「遠くへ行ってしまうアナタはいつ帰ってくるの?」みたいな別離の歌ですが、中国の人々はさすが「流砂の民」と言われるだけあって昔から移動が激しかったらしく、漢詩の古典にも別れ(死別じゃなくて生別)の詩がかなり多い。別れの際に送る詩のことを「送」というんですが、やたら数が多いせいか名作も少なくありません。李白の「黄鶴楼に孟浩然の広陵に之くを送る」とか、教科書にも載ってるくらいだし。実際に「これでお別れね」という差し迫った状況じゃなくても、たとえば宴会の詩なんかでも、「いったん離ればなれになったらいつまた会えるか分からないんだから一緒に居られる時間を存分に楽しもう」という精神が基調をなしていたりする。賑やかな宴の場に射し込む一抹の寂しい予感と、「いやまぁ人生そんなもんでしょ」というほろ苦い諦観が相まって、下手すると「たかが仲間内の宴会じゃん?」で片づけられちゃいそうな光景に微妙な陰影と奥行きを加えております。こういう趣向はいいですね。考えてみれば別に相手が遠方に行かなくたって、ある日アッサリ突然死しちゃったりする可能性は常にある訳だから、友達と酒を飲める時間って実は貴重なはずなんですよね。我々は過保護なほどのテクノロジー文化に守られてるせいか何事もない日常に慣れ過ぎちゃって、その辺の感覚が昔の人に比べてナマクラになってるような気がする。我々よりちょいと昔の人だった作家の井伏鱒二せんせー(1898~1993)は、唐代の詩人が作った「勧酒(酒ヲ勧ム)」という詩に次のような訳をつけてます。有名だから知ってる人も多いと思うけど--- コノ盃ヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ 花ニ嵐ノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ「サヨナラだけが人生だ」なんて台詞を戦前生まれの人が言うと、なんか迫力ありますね。満州事変から戦後までの「激動の昭和」を生き抜いただけのことはあって、切実な痛みに裏打ちされている。私なんかまだ友達に死なれた経験すら2度しかないので、なかなかそこまで言い切れない。それこそ「明日ありと思ふ心のあだ桜」を絵に描いたような平和ボケの毎日を送ってますからねー。平和は平和だけど、ここまで生き方に緊張感がないのは人間としてはむしろ不幸なんじゃないか、という気もします。だからって「今すぐフランス外人部隊に入りたい!」とも思いませんが。ちなみに本日の画像は「夜来香(イェーライシャン)」の花。「尽きぬ思い出の花は夜来香」というフレーズが出てくる「夜来香」も別れに絡んだ歌です。たぶん何かの事情で恋人と引き裂かれちゃったんですね。戦争中はそういうことがよくあったのでありましょう。こういう別れの歌がいくら増えても戦争がなくならないのは、戦争って一面では「スゲェ面白いモノ」だからなんだと思いますよ。そういえば井伏鱒二って晩年は「ガンダム」が好きになってよく観てたんだそうです。「悲しいけどコレ戦争なのよね」という台詞を聞いて何を思ったでしょうかね・・・なんだかなー・・・人間って悲しいなー・・・★参照文献:「厄除け詩集」(井伏鱒二著;講談社文芸文庫)「唐詩選」(全三巻;岩波文庫)
2007.07.23
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「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」---ご存じ孔子さんの有名な言葉ですね。イマドキ風に言えば、15の時に「オレやっぱ好きなコトやって生きてくわ」と決心し(わりと早熟だよな。尾崎豊並み)、30でなんとか一人前になり、40になって「もうこの路線で一生行くしかねーな」と腹を決め、50歳にして「これまで自分がやってきたことって意味があったんだ」と悟った、みたいな感じですか。「天命を知る」って快感なんだろうなー・・・羨ましい限りだ。赤城農水相って青二才に見えるけど実は1959年生まれなんだそうで、既に「不惑」の年齢はとっくに過ぎて「知命」の50歳に近づいてるはずなんですが、言ってることが妙にガキで気持ちわりぃ。カンニングが見つかっちゃった優等生の言い訳みたいなんだもん。「その公式は前から机に書いてあったんでボクが書いたんじゃありません。ボクは規則に則って試験を受けました。ボクがやったっていう証拠がありますか?」とかさ---根が小心者のくせに意固地にシラを切り続けるのが憎たらしい。わざわざ「試験に出る数式」を他人の机に書いといてくれる親切なヤツっているのか?世間知らずのお子様って時々突拍子もないこと言い出すのよねー・・・まあ大将のアベ君からして「多少処世術を齧っただけのガキ」なんだからしょーがないか。今回のところは「お前ら友達いねーだろ」と指摘するに留めておいてあげるわ、おねーさんオトナだから---ちなみに選挙権もあるからね。それにしても、赤城ちゃんといい先代の松岡ちゃんといい、「法律は守ってる」という抗弁を錦の御旗のように持ち出してくるのが解せませんね。彼らは立法府のメンバーなんだから、「人間が作った法律に不備があるのはアタリマエ」ということぐらい十分に認識してるでしょうに---違法行為じゃなくても「モラル的には立派な悪行」と言える行為は幾らでもある。別に背任罪を犯さなくても自分を信頼してくれた人を手ひどく裏切ることはできる訳だし、あまりにも愚直に法律を守ろうとした結果「人道に反する罪」を犯しちゃったナチスの高官なんてのも過去に居ましたし、ね。極論すれば、「自分が法律を破ることによって皆がシアワセになれるなら破った方がいい」ぐらいに思ってますよ私は・・・赤城ちゃん(法学部卒だそうだ)と違って法学部でマジメに勉強してたから、真に尊重されるべきは個々の法律というより「法の精神」なのだ、という程度のことは理解してます。些か大げさな言い方をすれば、法律を破らない「善良な日本国民」であることよりも、「善き宇宙市民」であることの方が優先されるべき状況ってあると思うのね。ちょっと不利な立場に追い込まれると「自分たちが作った法律」なんてチャチいもんを盾に居直るしか能がないよーな奴が立法機関の一員やってるのって、どー考えてもマズイですよ。何か重大な理由があってホントのことが言えないんだとしても(あまりそうとも思えんが)、せめて「ボクらの作った法律が不備ですいません」と恥じ入る程度の謙虚さを持って欲しいなー・・・いま思い出したけど、孔子って74歳まで生きてるんですよね。「古来稀なり」と云われる70歳を超えること4年、当時としては極めて長生きの部類であろう。しかも、彼が生きてたのは確か「春秋戦国時代」と呼ばれる動乱の時代で、諸国が乱立して覇権争いをしてる、という物騒な世の中だったはず。現代ニッポンの「先の見えなさ」なんて比べものにならないくらい明日をも知れぬ状況を生き抜いたんだから大したもんだ。やっぱ好きなことやってるとストレスが溜まらないんでしょうか。朝のニュースを視ただけでストレスを溜め込んじゃう私なんか、孔子様のタフさを見倣わなくちゃいけませんね。とりあえず「天命を知る」までは生き延びたいもんだ。本日の画像は「国会議事堂みやげ歴代首相マグカップ」です。国会見学の際にはお買い求め下さい。「国情が悪化してるときの首相は概して小粒」という傾向が見て取れて面白いです。
2007.07.22
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ご存じの方もおられるでしょうが、実は私、昨年の連休前から1年ほどブログを休んでました。その間いろいろあって今年の4月末から再開するに至ったのですが、再開後はテイストが前とは少し変わってきてると思う。読む人の側にとってはそれほど大きな変化じゃないかもしれないけど、書いてる側の意識は明らかに変質してきております。まあブログは生き物ですから、常に変化してると言えば言えるんですけどさ---書く側の意識としてどの辺が変わったかというと、「読む人のことをあまり気にしなくなった」という点ですね。以前は、「少数とはいえ不特定の人が読む訳だし、いろんな考え方の人がいるんだから、あまり過激なことは書かないようにしませう」という程度の配慮があった。できるだけ人を傷つけないようにしませうね、とか・・・ワタクシ「お店屋さんの娘」なもんで、「零細とはいえ店を構えてるんだから、できれば沢山のお客さんに喜んでもらいたい」と思っちゃう訳ですよ本能的に。だから、「自分じゃさほどウマイと思わないんだけど、一般的な好みを考えると結局この辺の味付けに落ち着いちゃうのかもね」みたいな煮え切らない記事もけっこー多かったのですね実は。そのような配慮の上で書かれた休止前の記事が「お客様にお出しすることを前提にしたメニュー」だとすると、再開後の記事は「注文されれば客にも出すけど基本的には店の者が食うための賄いメシ」みたいな位置づけになってきている。事前にネタを仕入れたりしてないし、たまたま冷蔵庫にあった食材で気まぐれに作ってるし、ちょっと一般ウケしないんじゃないの?と懸念される味付けになっちゃうこともあるけど、ま、しょーがないよね。もともと客を想定してない「賄いメシ」なんだから。以前の私だったら「どこにでもしゃしゃり出てくるオバサンて大嫌い。いっぺん死んで!」みたいなことをハッキリ書いたりしなかったでしょうし、「公人」でもない赤城農水相の母上を「ブス」と言い切るのには抵抗があったろうし、一般ウケしそうにないネタは自粛していたと思う。でも、常にそういう自主規制を自分に課してると、他人を傷つける可能性は確かに減るかもしれないけど、しまいには気疲れして書くのが億劫になっちゃうのね。1年間もお休みしていた背景には、そのよーな事情もないではなかったのでした。なもんで、今度はもう少し自由にやってみようと思ってます。ブログスペースって謂わば「自分の部屋」みたいなものなんだから、多少は行儀が悪くてもいいんでねーの?という気もしますし---お行儀が悪すぎたらゴメンナサイですけど。早いもので再開してから3ヶ月が過ぎようとしていますが、本人は未だに「これなら息切れせずに続けられそう」という確信を持つには至っていません。まだリハビリ中というか、「仮店舗で営業中」みたいな中途半端な気分なんですね。「いつパッタリ潰れるか分からないので他人様のブログにコメントを書き込むのも気が引ける」という状態で我ながら不甲斐ないのですが、ここで下手に力んでも逆効果になりそうだし、当分は肩の力を抜いて「賄いメシ感覚」でやらせて頂きます。今はとりあえず「自分が納得できる記事」を書いていくしかないと思うんで・・・
2007.07.21
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世間一般ではどうか知りませんが、ワタクシの周辺では「テンパる」という言葉が日常的に割と多用されてます。もともと「テンパる」というのは麻雀用語の「テンパイ」(「あと1つ揃えば上がり」の状態)に由来する言葉なのですが、これが転じて今では「イッパイイッパイで余裕がない状態」を表すのに用いられてますね。そっちの意味での「テンパる」がよく使われるということは、私の周囲には「些細なことでうろたえちゃうダメな生き物」がよほど多いのでありましょう。そして、俗諺にも言うように類は友を呼ぶものでありますから、ワタクシも「テンパりやすさ」という点ではかなりハイレベルな部類に入る。他人の助けを借りなくても勝手に動揺して自力でテンパれる自信があります・・・て、そんなもん自慢してどーするよ。その反面、人間は慣れの生き物でもあるので、日頃からテンパりやすい奴は「テンパった時の対処法」のノウハウを自分なりに確立してたりします。だから、「冷静沈着で滅多にテンパらない」というタイプの人よりも、テンパった時の立ち直りは総じて早い。世の中って意外と公平に出来てます。私のバヤイ、「ちょっとマズイくらいテンパってる」と自覚した時点でコミックスの一気読みに走ったりしますね。一気に10冊ぐらい読むと途中から頭がボーッとして一種のトランス状態に突入してしまい、最後には「もうどーでもいーや」という気分になってくる。2~3日これを続けて、ふと気がつくと最悪の状態からは脱け出している、というパターンが多いかな。どうして漫画の一気読みがテンパりに効くのか、その辺の詳細なメカニズムは分からないのですが、先述した「どーでもいーやという気分」が案外に有効なんじゃないかと思う。そもそも「どうでもいい」と思えなくて色んなものを抱え込んじゃった結果としてテンパってる訳ですから、目一杯抱え込んだものをいったん放り出しちゃう方がいいのかもしれない。放り出してから改めて見直してみればそれほど大したものじゃなかったり・・・というケースが結構あります。そういえば、「迷った時は虚心坦懐に状況を見直してみろ」みたいな人生訓が昔からあるじゃないですか。でも「虚心坦懐」なんていう状態を意図的に実現するのは凡人には難しい。フツーの人が心を無にしようと思ったら、「アタマを疲れさせる」のが一番の近道なんですね。要するに「虚心坦懐」って「余計なコトを考えない」ということだからさ、余計なコトを考えるのに必要なリソースを、どっか「当面の問題とは関係ない領域」に振り向けちゃえばいいワケよ。ただし、リソースを振り向ける先がそれなりに興味のある対象じゃないと、アタマの方は当面の問題からなかなか離れてくれない。私の場合、リソースを誘導するのに適当な対象がたまたま漫画だった、ということなんでしょう。そういう時に読む漫画としては、あまりシリアスで重い作品は適当でないようです。いかに不朽の名作でも「明日のジョー」なんかは非常にマズイ。こっちまで一緒に燃え尽きそうな気がする。青年誌系のサラリーマン物とかも避けたいですね。状況設定がリアル過ぎて気が滅入る。経験から言うと、「テニスの王子様」みたいなノーテンキな話の方が効果あったりします。「跡部サマってば相変わらずナルシー全開ね~キャハハ♪」的な軽いノリで読めるのがよろしいようで・・・いま大きな地震があって家が損壊したら、真っ先に避難所に持ち込むのは「ケロロ軍曹」のコミックス14冊かもしれない、とマジに思っているワタクシなのでした。
2007.07.20
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例の「段ボール肉まん事件」て北京のテレビ局の捏造だったんだそうですね。なーんだ・・・料理大国チャイナの人も段ボールの調理法を会得してなかったのか・・・ちょっとガッカリ。この際、「探偵ナイトスクープ」(関西のABCテレビがやってる番組。放映してない地域もあるかも)で毎回とんでもねー食材(フェラガモの靴だの極彩色のウミウシだの)のレシピ開発に果敢に挑戦してきた林せんせーに期待したいですね。画期的な段ボール料理、お待ちしております。それにしてもテレビ関係者って国の違いを問わず同じよーなことをするもんだ。てゆーか、似たような立場に居る人間は大抵同じよーなことをやるものなのかも知れない。役人の天下り放題に超ムカついてる民間人の皆さんだって、自分が役人の立場だったら慣例に従って天下りの特権を享受しようとするんじゃないですかね。「長年面白くもない役所勤めに甘んじてきたんだからそのくらい当然」とか思っちゃうかもよ。「自分だけはそんなことしねー」などと思う心のあだ桜、人間のやることにはそれほどオリジナリティってないものみたいですよ。「自分はそんな悪いこと(あるいは恥ずかしいこと)はしないもんねー」という暗黙の思い込みが、所詮は傍観者に過ぎない人々の「身も蓋もない正論」の基盤をなしている訳ですが、実際に自分が当事者になってみれば事情は全く違ってくるはずであります。そういう意味で、異常な事件が起こるとワイドショーが必ず持ち出してくる「心の闇」という言い方が私は嫌いだ。なんか非常にズサンというかお座なりというか、「当事者の立場に立って考えてみる」という想像力の感じられない無神経な言葉だと思う。「犯人の心の闇」を問題にする前にまず自分の心を検証してみろよ、と言いたいですね。そもそも「心」ってどーいうものか定義できないだろアンタら、という感じ。人間に「心」というものがあるとすれば(ここで仮定法を使うのは「そんなもんはナイ」という過激な説を唱える人もいるからですが)、それは「月」のようなものではないかとワタクシ思うのですね。イヤ別に「日毎に満ち欠けして姿を変え、時には涙雨で曇る」とかいうセンチメンタルな話じゃなくて、純粋に天体としての「月」。光源となるものが太陽しかないので、太陽に向いている面は常に明るく、その裏側は常に暗い。犯罪事件を報道する人達は、その「暗い半球」のことを「心の闇」という俗な言い方で表わしてるのかもしれませんが、それならば誰の心にも「暗い半球」はある訳で・・・だから「犯人の心の闇」を云々する前に自分のココロを検証しろよ、とさっき言ったんですけどね。「自分の中のダークな面を認めようとしない人」は個人的に苦手です。ハッキリ言って付き合いたくない。ただ1つの光源(我々はこれを「意識」と呼んでますが)によって照らされている物体の裏半面が暗いのは当たり前ですもん。それを頑として認めないということになると、その人は本質的によほどアタマが悪いか(勉強の出来とはカンケーない)、自分を騙すのが上手い偽善者か、どっちにしてもロクなもんじゃない、よーな気がする。それに、人間の魅力を構成する要素(情動とか欲望とか)は総じてダークサイドから生じるものなので、あまりカタクナに自分の暗黒面を否定しちゃうと結局は「奥行きに欠ける魅力がない人」になってしまう。ほら、「言ってることはまあ正論なんだけど魅力がない人」っているじゃないですか。それよりは、「言ってることはトンデモなく自己チューなんだけど何故か魅力がある」というタイプの方が、周りも付き合いやすいし本人もシアワセなんじゃないか。悪人は改心することがあるけど善人は改心しないから面倒なんだよねー、みたいなことを確か親鸞上人が云ってましたが、心って結構ダイナミックなもので一瞬で劇的に変貌したりすることもあるみたいですから、現時点で「いい人」になることにこだわって色んなものを切り捨てたりしない方がよろしいのではないかと思います---早い話が、自分のダークな面を認めないんじゃ改心のネタもないですからね。
2007.07.19
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「男で独身で同性愛者」というストレスの多そうな人生を送ってる友達から(なんでそんな奴が友達にいるのかは本人にとっても謎だ)、夜中に突然「アンタ夏のご予定はどーよ?」みたいな電話があり、話し込んでいるうちに夜が明けてしまいました---あ、これ昨日の話ね。このヒトが自ら進んで電話してくるときは大抵メンタル系統の調子が悪い時、ということになっております(男にフラれた直後とか)。そのような時は話がやたらと長い上に「ちょっとシラフでは聞きたくない方面」だったりするので、こっちも酒を飲みながら応対することにしてるのですが、後で必ず悪酔いするのが困る。ブログなんか書ける状態じゃなかったですね昨日は・・・。「やおい」とか「ボーイズラブ」とかに淡い夢を抱いておられる若年の腐女子の皆様、あんまりソレ系の男子に期待しない方がいいですよ。アリテイに言えば、彼らの実体は「男のオバサン」であります。まあ、深夜の長電話の友にはいいかもしれないけどさ---という訳で、今はまだアタマが異次元なので、地震だの原発だのといったシリアスな話はできません。ま、皆様も別に読みたくないでしょう。「新聞を開けば地震、テレビをつければ原発」みたいな感じですものね昨日今日---そういえば東電に勤務している知り合いから前に聞いたんだけど、日本の電力のナント4割以上が原発で賄われてるんだそうですよ。もう「後戻りできない道」に迷い込んでしまってるみたいですねウチの国は・・・どうも人類てぇものは新しいオモチャを手に入れると飽きるまで(または懲りるまで)それで遊び続ける傾向があるようで、原子力というパワフルな玩具をゲットした直後は、「これぞ夢のエネルギー」みたいな、今から思えばアホとしか思えない盛り上がりだったようです。当時の未来学者(そんな職種があったのね)が書いた本を読むと、その時代のノーテンキなノリが伝わってきます。後世の者が冷静に読んでみると「お前ら多幸症か?」という感想しか出てきませんが、鉄腕アトムの「アトム」って名前だって、原子力への夢から生まれたようなものですもんね。ゴジラ君も武器は放射能だし。ノーテンキといえば、まだ核分裂エネルギーの恐ろしさが身に染みてなかった頃、「原子力って発電にも軍艦にも潜水艦にも爆弾にも使えるんだからヒコーキにも使えるんじゃないか?」と思ってたらしいですよ米軍は---恐ろしいですね原子力飛行機。「飛行機に小型の原子炉を付ければ燃料補給はほぼ無限だから、無限の航続距離が保証される」という構想なんですけど、「そんなもんが落ちたらどーなるか」ということが全く想定されてない。軍艦や潜水艦はトラブルが起こって沈没しても深海魚の皆さんにご迷惑をかけるだけだけど、飛行機って街のど真ん中に落ちたりするからねー。てか、それ以前に、そのよーな航空機は正常に飛行している間も絶え間なく「核のゴミ」というか高レベルの放射性廃棄物を空気中にまき散らすことになる訳で、これが実現していれば、飛行機の操作性と核兵器の威力を兼ね備えた「夢の最終兵器」だったかもしれませんが---「そんなもん誰が操縦するんだ?」ということはさておき---、幸いにも「米国の領土内で実験飛行中に墜落したらエライことになる」という当たり前のことに思い至った常識人が軍の中にもいたらしく、開発計画は途中で打ち切られています。やれやれ・・・今回のネタ本は「世界の珍飛行機図鑑」(西村直紀著;1997年グリーンアロー出版社刊)という、変な設計の飛行機ばっかり集めた本です。輸送機だの戦闘機だの爆撃機だのがお好きな方は必見、です。ネタバレしてもナンなので多くは言わんがメチャ面白いことは保証する。自民党の一部の方々は「日本も核武装について論議すべきなんじゃないか?」とか寝惚けたことを言ってますが、テクノロジーが分かってないにもホドがある。我が国は現状でも立派に核武装してますって---日本列島に原子炉がいくつあると思います?国全体が「飛べない原子力飛行機」みたいなものなんですよね実際のところ。異論があるなら日本海側の原発を全部チェルノブイリ化させてみればよろしい。北東アジアの一画は金輪際ヒトが住めなくなるであろうよ。
2007.07.18
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