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米国にいる先輩の帰国に合わせ、前学園長が我々をランチに招待してくださった。指定された場所は六本木の国際文化会館https://ihj.global/中央線の南側、特に赤坂、六本木界隈には疎く、非文化人の私は国際文化会館なんて聞いたこともなかった。 旧岩崎小弥太邸だった敷地に1955年、前川國男、坂倉準三、吉村順三の巨匠三氏の共同設計により本館が完成し、現在は登録有形文化財になっているという。何とも敷居が高くタクシーの運転手さんも門の中まで入って良いのか躊躇していたが、何のことは無い、普通の人でも自由に入れる。 ここは穴場かもしれない。レストランも喫茶も混んでいない。立派な日本庭園があり、それを眺めながらおいしい食事を堪能できる。ここの会員になると割引料金で施設を利用できるようだが、それはやはりちょっと敷居が高い。一般人としてもここを利用しただけでも、ちょっと文化人になったような気になる。
2024/05/17
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盛岡帰りは温泉一泊紅葉の時期に合わせ仕事を組んでいるような気もしないではないが、今年も紅葉に彩られた奥羽山脈を移動することができた。大沢温泉湯治屋の入り口 去年は左側のドウダンツツジが真っ赤になっていたと思う。去年より1週間遅く来たが、紅葉は遅れているかもしれない。対岸の菊水館へ続く橋 やはりもう数日早い方が良かったかもしれない見えるとか見えないとか、そういう野暮なことを言っているとここの温泉は楽しめない50年前から何も変わらない露天風呂奥羽山脈を越え、北上、湯沢に出て栗駒山麓を回り宮城に出る。途中の子安峡 赤い色が少ないが十分美しい。河畔に遊歩道があり、そこからの景色も美しいと思うが、階段300段ということで止めた。。。。。。。
2023/11/09
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叔母がめでたく100歳を迎え、お祝いに宮崎まで行ってきました。空港からもう南国ムード何度行ってもやはり楽しいのは青島2時間もあれば市内から往復し、散策できます昔は寂れた観光地のようでした最近はちょっとモダンになって来たようです。ハワイとまでは行かなくても、グアム程度にはなったような気がします。グアムに行ったのは40年近く昔ですから、今はどうなっているか知りませんが空港も駅前も南国の雰囲気青島はちょっと歩くだけで到達できるしかし、津波が来たらどうしよう 逃げられないかもしれない3回ほど行ったがいまはちょっと躊躇する青木繁の「わだつみのいろこの宮」のレプリカ セラミック製だとのことここがその舞台だと言われればそうなのかな、と思ってしまう遠浅で砂の粒子が細かいのか、波が引くと砂浜は鏡のようだここでポーズを付けて、ポートレートでも撮ってもらいたかったが、その腕がある人がいなかったので止めたしゃれた店で注文したレモネードレモンスカッシュとどう違うのか良く分からない。アメリカで飲んだレモネードには炭酸は入っていなかった
2023/10/06
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この4年、飛行機、新幹線はおろか在来線もバスにさえも乗らなかった仕事でどうしても行かねばならない車で行くことも考えたが、無理はしないで無難に新幹線で行こう最寄りの駅に行って驚いた。みどりの窓口が無い掲示を見ると2年も前に無くなっている。コロナ禍になって以来、在来線にも乗っていなかった始発の新幹線で自由席に乗って行くつもりだったから、みどりの窓口は無くても良い新幹線に乗ってみると「おやっ」と思うことばかり「定員以下でのシートの転換はご遠慮ください」昔こんなことは言っていなかった。一両に数人しか乗っていないとき、前のシートを反転させて4人分占領し足を投げ出して電車に乗る、これは気分が良かった始発新幹線はE2系、窓が大きく景色が良く見える「はやぶさ」より30分近く時間がかかるが、急がないときは空いている方を選ぶさて東京は4年ぶり以上。生まれてこの方、東京に2年以上行かなかったことは初めてだとおもうなんだか知らない土地に来たようで落ち着かないE2系新幹線 窓が大きいこちらの方が私は好きだあれま、2年も前にみどりの窓口は無くなっている
2023/09/24
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盛岡の仕事帰り、予約できれば花巻の大沢温泉に投宿する。旅館部はお高いから毎回というわけには行かず、自炊部でも十分楽しい。宿につき真っ先に露天風呂へ行く。お兄さんやおっさんが10人ばかり。湯の温度に慣れて来ると体が弛緩して行くことを実感する。程なくご婦人がタオルで半身隠しながら入ってきた。「ごめんなさい」と言いながら60代のおじさんと、茶髪のお兄さんの間から浴槽に入ってきた。お兄さんは突然の出来事に固まってしまった。ご婦人、内海桂子師匠そっくりの顔立ちで、楽し気に周りの人に話しかける。向かいの建物は何だと問う。何十泊としている小生が一番詳しそうなのでレクチャーして差し上げる。回りの人たちもオト休パスで来たとか、どこから来たとか急ににぎやかになって来た。この温泉に通い始めて40年以上、初めての体験、実に面白かった。この後、お若い女性が覗きに来たが、そのまま帰ってしまったようだ。しかし、男が十人、そこへ素っ裸で入って来たご婦人、すごい度胸だと思わずにはいられない。もっともこちらだって首から下は見ないから何のことは無いのだが。昔の混浴はこんなに楽しかったのかと思う。
2023/03/15
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9日、松本のホテルに投宿早起きは三文の徳、満月とモルゲンロートに輝く北アルプスを満喫満月の位置、モルゲンロートの輝き、雲の移動を見極めながらシャッターチャンスを待ったホテル最上階角部屋で、この絶景を満喫できた。その代わり目と鼻の先にある松本城天守閣は死角で見えず。遠出し興奮する子供と同じ、6時前に目が覚めてしまった。満月に浮かび上がった北アルプスを目にすると、またベットに潜りこむ気持ちは失せた
2022/12/10
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宮城県鳴子峡、紅葉時期になると大渋滞になる東北道古川インターから渋滞しているのだから、仙台方面から来るといつ着けるか分かったものではない今年は北の栗原方面から回り込んだし、平日、午後、しかも雨、混んでいるはずがない。しかし混んでいた。駐車場は8割の入り。観光写真でおなじみの鳴子峡レストハウスから回顧(みかえり)橋濡れた紅葉も私はきれいだと思う。ちょうど時雨模様。傘をさすのは面倒だから、できれば雨上がりが良い11月4日撮影
2022/11/24
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花巻からの帰路、いつものように大迂回。一度秋田県に入り秋田宮城県境の栗駒山山麓をR398で帰ってきた。栗駒山南東山稜は紅葉の名所として大混雑するようだが、こちらはそれほど混んでいない。神様の庭、それがどんなに美しいところか行ったことが無いので知らないが、少なくとも車の渋滞は無いと思う。ここも奇麗だし、車の渋滞もない。紅葉を見るために走り抜けるなら、穴場で快適な道だ。11月4日撮影
2022/11/18
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時雨て来た舞い散る落ち葉と競うように走る 11月3日撮影
2022/11/13
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花巻南温泉郷大沢温泉 紅葉が素晴らしい 今回は一階川の畔 楓の木々はまるで赤や黄色のカーテンだ。中央で屈曲している曲がり橋 宮沢賢治もここで写真に納まっている部屋はこんな感じ 雰囲気はまさに昭和の旅館廊下は部屋ごとに仕切ってあるが、よく見ると後付けの壁 昔は回り廊下だったのだろう。障子一枚で共有スペースと仕切られているのは、現代ではかなりの抵抗がある。現在、入口の仕切りはふすまになっているが鍵は無い 鉄筋の自炊部になるとちょっとお高くなるが鍵が付く。今年、ここには三度泊った6月 鉄筋自炊部 木造よりはるかに静か 宿泊回数が多くなればここ9月 旅館山水閣 当然ながら自炊部のサービスとはまるで違う。年一回程度泊まるなら断然ここ今回 木造自炊部 二階で人が歩けば地震のようだし、廊下の足音、話し声、家の中で子供が遊びまわっているようだ。頭のスイッチを切り替えないとちょっと厳しい。今回は露天風呂から一番近い部屋で、最低限の衣類を身に着けるだけで風呂に行けた。窓を開けると露天風呂が半分ほど見える。混浴で男しかいないときはどうということもないが、女性専用時間帯は絶対に窓の傍にも寄れない。
2022/11/06
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2019年以来、飛行機に乗ったこともないし近くで見たこともない。それどころか電車にさえ乗っていない。心地よい秋晴れに誘われ仙台空港へ便数が増えたのは良いが、大型機がめっきり少なくなってしまった。B767や777だって離発着していたのに。小型(と言ってもB737以下)だって飛行機の離陸は血が騒ぐ。いくつになっても何百回乗っても、乗りたくなってうずうずする。空港は一頃に比べ混んでいる。しかし、最盛期の7割方というところだと思う。タキシングに入ろうとしている水色の機体は、フジドリームエアライン エンブラエルERJ170仙台発出雲行き 仙台、出雲間なんて需要がどのくらいあるのだろう。早く乗らなければ廃止になってしまうかも知らぬ。早く落ち着いて欲しいものだ。
2022/10/29
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盛岡で仕事 花巻大沢温泉で一泊、骨休めし、そのまま黙って大人しく帰る私のはずがない。以前から気になっていた象潟を見るため、大迂回した。鳥海山の山体崩壊によって作られた九十九島、地震に因る隆起、地球の膨大なエネルギが間近に感じられる。「象潟の 光のどけき 春の日に・・・」ついそう言ってしまうが、笑ってもらうか突っ込んでもらえないと、後が続かない。「象潟や 雨に西施が ねぶの花」この句は何とも艶っぽく、しかも多少の教養が無いと意味が分からず、芭蕉の句の中で一番好きと言って良いと思う。黙って帰れば150km、そこを350km、7時間の大ドライブだった。鳥海山と九十九島山体崩壊によって生じた島々は、松島と並び称せられたが、1804年の地震で2m隆起し、干上がってしまった。現在点在する松が島の名残道の駅象潟の展望デッキより像が立っていた説明を読むと「雨に西施が」の西施なのだそうなイメージを膨らませている物を、具象化されると困ってしまう。思わず笑ってしまった。首が長くてろくろ首みたいだ
2022/09/29
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48年前の今日、長崎に居た3週間の工場実習も残り数日となり、旅館でひたすら報告書を書いていた。11時過ぎ、一斉に船の汽笛が響き渡った。港内の全船舶が吹鳴しているのではと思うほどの大音量、永遠を感じさせるほどの長鳴りだった。この空気は現地でしか感じられない。良い経験をした。48年前に見た原爆資料館の展示は、未だに脳裏にありありと浮かぶ。少なくとも日本人なら、本当は世界中の人たちに広島、長崎は見て欲しいと思う。爆心地近くの浦上天主堂 遺構
2022/08/09
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「昭和の学校」について記したが、書ききれなかったので続編町のそこここに、こんな小さな文房具店があったしかし、我々の子供の頃にはドラえもんのキャラはまだなかったそろばん300円なんて、そんなに安かったのだろうか。未だにわからないのは小学校でなぜあんなに桁数の多い算盤をつかったのだろう。せいぜい5桁で十分なような気がするが。日曜日、それほど大きくもないデパートに行き、家族そろって食堂で何か食べる庶民のささやかなぜいたく注文した品ができるまで、隣のおもちゃ売り場で夢中になっておもちゃを眺めている 子供にとってささやかな幸せ子供と女を上に上げろとはデパートの鉄則とか昭和のタバコか。今のタバコより馴染みが多いコレクターとしては高額なタバコを残したのか労働者タバコが見られない昭和の普通の茶の間を再現した物だろうただ、ちょっと問題がある。襖や障子の開ける側には物は置かない襖にペナントなどを貼ったりしない。開かなくなるそれよりも昭和の茶室ではなく茶の間としてもっと大きな、致命的な間違いがある。天皇皇后両陛下の写真は明仁さまと美智子さまだ。子供の頃、明治天皇の写真が飾ってある家に行った記憶は朧気にある。しかし、昭和天皇にはついぞお目にかからなかった。
2022/07/15
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花巻大沢温泉より少し北、廃校を利用した「昭和の学校」がある。以前通ったときに見つけ、「なんじゃこりゃ」とずっと気になっていた。時間があったので朝もはよから行ってみた。 面白いのなんの、入場料600円で良いのかと言うくらい、40分しか滞在できなかったが、2時間は居られると思う。私が朝一の客だった。後から大型バスで私よりちょっと古い団体さん。興奮して姦しいのなんの。校舎は展示棟、校庭は駐車場こんな電蓄、家にもあった。上蓋を開けるとSPのレコードプレーヤーが出て来る右のようなステレオは家では買えず、電蓄からセパレートステレオに移行こういうのはあまり興味が無いファンだった人なら エッ、アッ、ワッだろうな時代もジャンルもめちゃくちゃだが、懐かしい電化製品ラジカセ等は昭和から平成の物 興奮するほど珍しくもない いくつ捨てたかな子供の頃、母親に連れていかれた美容院 死ぬほど退屈で、大嫌いな場所だった一人で留守番できるような歳になって以来、足を踏み入れたことも無い以下続く
2022/07/13
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盛岡の帰路、できれば大沢温泉で疲れを癒したい。間違いなく一番投宿している温泉だ。40年前から数十泊。木造の自炊部3,000円代から、鉄筋自炊部、20,000円代まで選択肢が多いのもうれしい。 木造自炊部は鍵無し、襖、障子なので昔は平気だったが、最近は躊躇する。旅館部が一番良いのは言うまでもないが、出される料理をすべて堪能できる年齢では無くなってしまった。最近は鉄筋自炊部。自炊しても良いのだがお食事処「やはぎ」で美味いそばが食べられる。ここ数回はこのコース。 風呂はpH9.0の単純泉。毒にも薬にもならないのかも知れないが、湯質、温度、ここ程気持ちの良い湯は無いと思う。湯あたり、湯疲れと言う事を経験したことが無い。一泊で14回入浴と言う前代未聞の大記録を打ち立てたのもここ。 川沿いの気持ちの良い露天風呂は基本的に混浴。ただ、ここでご一緒したことは一度もない。かえって落ち着かないので、混浴を好んだりはしない。 旅館部は一カ所の大浴場と家族風呂3カ所が専用になるが、その他は共用。誰でも三カ所の風呂に入れる。今回は露天に2度、その他に一度ずつ入浴してきた。 肉体労働の後はマッサージを受けたい年齢になった。ここは45分4,000円と温泉マッサージの中では安いし、施術も上手い方だと思う。ただ途中で眠ってしまうので、本当に45分やったのか確認できない。正面は木造自炊部、私は左端の鉄筋自炊部誰も居ないので、遠慮なく写真を撮った。見えるとか、見られるとか気にしているうちは楽しめない40年間、あるいはそれ以前の何十年、何も変わらない風景 宮沢賢治も遊びに来たという鉄筋自炊部6畳間 窓の外には川が轟音を立てて流れている。暑くもなくエアコン無しの網戸だけで熟睡できた。ただし、8月はアブに襲われるので殺虫剤は必携もう少し黒い方が良いと言う人もいる。私はあっさりした更科が好きだ
2022/07/06
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盛岡で仕事ならやはり温泉に泊まりたい。一番近い繋温泉へ。ほとんどのホテル、旅館は泊まったが、なんとか割が使える所となると・・・・・結局ホテル大観へ 一泊朝食5,900円(2,000円クーポン付)ここの風呂は泉質(単純硫黄泉)、温度、大きさ、配置で繋温泉の中では一番好きだ。ただ、いつも客室はちょっとくたびれた5人部屋に通される。20年近く昔、人出が足らず学生さんを数名連れてきた。皆同じ部屋、合宿みたいで楽しかった。女子学生が一人いたけれど、どうしたのだろう。よく覚えていないと言う事は、あまり気にしていなかったと言う事なのだろう。夕食無し どこかの食事処で蕎麦かラーメンでも食べれば良いやと軽く考えていた。ところがすべて休業 外に出ると小さな赤ちょうちんが一軒やっているだけ。結局コンビニで済ませた。なんとか割で客が戻って来ているかと言うと、決してそんなことは無い。空いている印象だし、ホテル自体水、木は休業とのこと。この20年間で私の泊まったホテルのうち2軒が廃業した。ずいぶん寂しくなった。初めて繋温泉に泊まった時、良く知らず安そうなところに電話して予約したところ、「つなぎミュージックホール」という劇場の隣だった。ネオンサインがちかちかして参ったなあ。それも昔の話。劇場自体いつの間にか無くなってしまった。昨日の分と合わせクーポンは4,000円。県外では使えないため、ホテルの売店で使い切ったがお土産を4,000円はちょっと多いな。夕映えの岩手山手前は御所湖 こちらから見る岩手山は南部片富士と呼ばれる。啄木の生地「渋民」からは左右ほぼ対称で綺麗なコニーデの山体が望めるが、こちら側も悪くない
2022/07/02
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この3年間極端に出張が減ったなか、久しぶりに盛岡へ向かった。今回はなんとか割で半額近くになっている宿が多い。 盛岡グランドホテルは老舗のシティーホテルなのだろうが、一泊一万円出すなら温泉に向かう。ちょっと気になっていたホテルで半額なら泊まってみよう。 一泊二食5,110円(2,000円の地域クーポンが着くので、実質3千円台) 部屋は49㎡のツインルーム 相撲でもできそうだ。テーブルは三つ、仕事の下調べがありデスクに向かうと、実に落ち着く。もし、もしも売れっ子の作家になってホテルに缶詰めならここは良いと思う。食事の量も少々足りないかな、と言う程度でちょうど良い。風呂はトイレと別。家庭と同じように洗い場が付いている。これは実に良い。バスタブだけだと、どうしても適当にしか洗わない。 問題は、繁華街から遠く夜に出歩く所が無いこと、用務先が市街地の反対側、西部のため、朝向かうとき市内の渋滞に巻き込まれてしまう事だろうか。 正規料金を払ってでも良いホテルだとおもう。ただ、ホテル内で結婚式等のイベントが開かれているなら、雰囲気はちょっと違うかもしれない。
2022/07/01
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原発周辺の街々がどうなっているか自分の目で確かめておきたい。R6で通り抜けられるようになった2016年、ここを走ってみた。ほとんどの信号が青か黄の点滅、通行している車も少なく、非常に短時間で通りぬけられた。徒歩や単車での通行を禁じていたから、見かける人も少なく正にゴーストタウンだった。それから6年、通行量は格段に増えた。作業員の姿も多く見かけた。しかし、放置された構造物は朽ちるに任せ、植物は伸び放題。未だに双葉町の多くは帰宅困難区域になっている。閉門蟄居を連想させる囲いは少なくなったが・・・帰宅しても良い地域が増え、「帰ってください」と言われても、ここで何をするのだろう。結局原発関連の仕事しかない。負の遺産を完全に除去するのには、途方もない年月が必要なのだろう。福島県北端、新地町。ここには必ず立ち寄る蕎麦屋がある。JR東日本の広報誌にも載っていた鹿狼の湯(宿泊施設もあり)。蕎麦だけのために仙台から1時間半かけて行っても良いと思う。信州で蕎麦を食べ、「おいしいですねえ、信州蕎麦ですか?」と聞けば、「北海道産を買ってます」と言われることもある。ここは大丈夫、地元産の蕎麦粉だった。
2022/01/21
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千葉県野田まで仕事で行かねばならない。感染拡大が進む中、人混みには行きたくない。新幹線を使えば3時間10分、渋滞が無ければ車で約4時間。5kgの荷物があることを考えれば車の方が安心で楽かもしれない。 雪道は絶対に嫌だ。内陸を走る東北道より、太平洋岸を走る常磐道ならいくらか気が楽。俄か雪が止むのを待ち出発。仙台を出てしまえば安心と思ったのは甘かった。福島南端のいわき周辺は吹雪模様。我慢して走り抜け関東に入れば青空が広がる。左手に太平洋、右手に筑波山を望み、道路もそれほど混んでおらず気持ち良いドライブが楽しめる。飛ばしたわけではないが、3時間50分で到着。茨木より千葉の方が雲量は少なく、快晴。冬の南関東では常の事だが、天気が良ければ風が強い。仕事を終え帰りはのんびり下道を多く走る。時間的には日帰りも可だが高齢者講習を受ける身で無理は禁物。ほぼ中間地点の常磐湯本の温泉に宿を取る。昔の常磐ハワイアンセンターに来たことはあるが、温泉の方の湯本は初めて。冬の温泉は面白くない。外に出る気になれないのだ。回りに見るべきところもありそうだが、今回はパスして温泉のみ。(続く)
2022/01/17
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カミさんと話していて、○○市は何県かで議論が白熱した。それでは、ある県で知っている市町村は? となると数十挙げられる県もあるし、どんなに考えても三つくらいしか思い浮かばない県もある。北から順に北海度、青森、岩手、秋田・・・・・に所在する市町村を書き出して行けば、けっこうな暇つぶしになる。独房にでも入ることがあれば数日潰れるだろう。北からやればいくらでも出て来るので、住んだことのない南からやってみた。沖縄県6都市、鹿児島県7都市、熊本県7都市・・・・意外に思い浮かばないのが福岡県で、福岡、北九州、飯塚、柳川くらいなら出て来るが、大牟田、久留米が福岡県かはちょっと自信が持てず、カウントできない。もっと出て来ないのは徳島、高知、島根、鳥取で、県庁所在地+1都市くらいしか思い浮かばない。二人で交互に都市名を出して行き、出なくなった人が負けで、勝った人に1ポイント。同じ地域の人同士でやってもちっとも面白くないので、東日本の人と西日本の人が対戦すれば、ゲームとしておもしろいのではないか?しかし、こんなことを夢中になってやる人は、血液型B型の人なのでしょうね。たぶん。発展させて、国ごとにやることも考えられるけれど、かなりの教養が要求されるのも確か。
2021/11/14
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週末、2年ぶりに家族そろって外食、こんなときは思い切って贅沢に回らない寿司屋へ 仙台市内に美味い寿司屋はいくらでもあるが、コスパが良いのは隣町塩釜。その寿司屋をすべて堪能するつもりでいたが、とても財力が続かず数店経験しただけ。偵察は小人数が原則、平日の昼日中に一人で回らない寿司屋へゆくのは、ちょっと気が引けてしまうし・・・。行ったことのある店の中で車が停めやすく、味も雰囲気も間違いのない店へ行く。 赤貝はご存知閖上産、北海道のウニが不漁で、クリームのようないつもの味わいが無い トロは絶品 トロは筋を取り除くので歩留まりは悪いらしい。下手な寿司屋に行くと筋が引っ掛かる。このトロが舌先に触れると、とろけるような得もいえぬ食感が口中に広がった。 塩釜まで行けばついでに松島にも行きたくなる。ここ2年間見たことも無い人混みで一昨年のような賑わいだ。混雑は大嫌いだが、今年はうれしくなる。 かといって松島観光する気にはなれずに奥松島宮戸島へ 家籠りが長くなるといつもの事だが海が見たくなる。太平洋に面したこの海は美しく、綺麗だ。禍ももたらすが、海は良い奥松島宮戸島の月浜 3.11の惨禍からの復興で、防潮堤も駐車場も整備された。
2021/11/01
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高所恐怖症ではないとは言わないが、○○だから高いところは好きだ。ロープウェイ、飛行機、展望台、そういうものは案外平気。ところがつり橋となると話は変わる。まず揺れる。 初めの写真は大きなつり橋で揺れも少ないが、二番目の写真のつり橋は小型でかなり揺れ、欄干も無い。おまけに手すり代わりのワイヤーの間隔が広く、もしここで倒れたら、ワイヤーの間から落ちない保証がない。 私の場合、転んだり意識を失ったとき、落ちる可能性があるかないかで恐怖感がまるで変わる。工事用の足場で3階建ての上まで登ったことがあるが、建築現場は幕も張ってあり絶対に落ちないと思われ、案外平気だ。ところが発電所の屋上は申し訳程度の手すりしか無く、横の棒のピッチが30cm程もあり、気を失ったら落ちる可能性がある。こういうところは本当に怖い。 二番目の写真のつり橋、渡る勇気が出なかった。つり橋と言っても、明石海峡大橋のように、揺れが自覚できない物は何でもない。強度を信じているので、海面まで見えるガラスの床の上でも立っていられる。 コロナ禍がいくらか収まって来たため、友人と宮城県白石近郊の小原温泉に行く。つり橋が二つもあり、怖くなければ楽しい。
2021/10/17
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NHK BSP「にっぽん縦断こころ旅」2021秋篇が始まりました。 私が育った”ふるさと”長野県がスタートとのことで、お知らせした通り6、7月に投稿しました。我ながらまあまあに書けたと思う三部作ですが、結果は全部没。 明日から白馬、上田、佐久、辰野を廻るようで、私が書いた安曇野、美ヶ原、飯田はかすった程度、残念ながら進路予想を外してしまいました。松本は行かないだろうと思ってはいたものの、上田、佐久は想定外。最後は飯田か木曽ではないかと考えていたら、その分岐点に近い辰野でした。 今まで千回余り放送したのに対し、投稿数は十万に及ぶということで採用率はわずか1%、極めて狭き門だと認識せざるを得ません。芥川賞の発表を待つ作家の気分が味わえました。(笑 全国47都道府県すべて歩いていますから、どこでも書けるかというとそうは行きません。やはり思い入れの深い地は、そんなに多くはないのです。次のチャンスを待ちたいと思います。 落選した信濃三部作は順次ここでご披露します。ご笑覧ください。
2021/09/13
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47年前の今日、私は長崎の旅館で工場実習の報告書を夢中になって書いていた。原爆の日であることは知っていたが、時刻までは知らなかった。11時を過ぎたころ、港に停泊するすべての船が一斉に汽笛を鳴らした。原爆落下の時刻を知り、長崎の人にとって特別な時刻であると認識した。原爆資料館も見た。未だに忘れられないほどの強烈な印象が残っている。日本人のすべて、否世界中の人々に、関心を持ってもらいたいと思う。被曝した浦上天主堂の石像
2021/08/09
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岩手県は広い。南北200km弱、その上、三陸はリアス式海岸で隣の集落まで行くのに海に突き出した岬を廻るか、峠を越えるかしなければならない。 トンネルが多い三陸道がほぼ完成しても八戸から仙台まで約500km。震災以来宮古以南の三陸は何回か走り、津波被害と復興状況を見て来た。しかし、宮古以北はほとんど行ったことが無い。八戸帰りに寄らなければ二度と行くことは無いかも知れない。 ここを通るのなら行ってみたいところがあった。2013年のNHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台、久慈。8年も前の放送だから賞味期限切れ間近かと思うのだが、未だに観光客は来ているようだ。あんな放送が無ければ、一生縁が無かったような小さな漁港であるが故、興味の対象にはなる。 三陸は湿気寒い。内陸では35℃もあったのに、ここでは25℃。おまけに親潮が寄せる海は冷たそう。ちょっと海に入る気にはなれない。確かに北限の海女だとおもう。 ドラマ放送後に建てられた海女会館という施設がある。土産物店、小さなレストラン、海女関係の展示室がある。建てた意気込みは買うが、将来的な採算性はどうなのでしょう。それはそれとして働くおばちゃんたちの元気なこと。 何にせよ「あまちゃん」はおもしろかった。少し南下した気仙沼、登米が2021年の朝ドラ「おかえりモネ」の舞台になっており、地元だからと贔屓したかったのだが・・・・・・・早く終わることを密かに願う昨今。オリンピックも早く終わらないかな、なんて考えている私。久慈市小袖海岸の小さな漁港 中央左海女会館こんな狭いところへ大型観光バスが押し寄せた時は、酷かっただろうなと思う海女の実演が行われる会館脇きれいな海だが、気温も海水も低そうで入る気になれない久慈中心部からはこんな一車線の道を20分ほど走るきれいな海岸線が続きのんびり走れれば良いのだが、対向車が気になりとにかく早く通り抜けたくなる。大型バスもここを通って来たのだろうか。地元の人も大変だっただろうと思う。
2021/08/01
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三沢から海岸沿いに八戸へ ウミネコ営巣地として天然記念物になっている蕪島へ。センチメンタルジャーニーという訳ではないが、1964年(奇しくも前の東京オリンピックの年)以来の再訪。 昔は静かな佇まいだったような気がする。今、駐車場は整備されレストハウスもあり、平日にもかかわらず観光客が多い。雛の巣立ちが終わる頃らしく、幼鳥はあまり見られない。断崖絶壁に営巣することが多い鳥で、それが間近で見られるのは世界的にも珍しいらしい。間近も間近、巣に手が届きそうだ。 ヒッチコックの"The Birds"の世界にならないよう、鳥たちを刺激しないようしずしずと歩む。しかし、こんなに図々しい鳥を見たことが無い。スズメだって公園の鳩だって、あのカラスでさえ傍に行けば退いてくれる。ここでは「悪いけど通してね」という感じだ。確かにうるさい鳥だが、これだけ近くで見られるのは楽しい。爆撃ご注意!これ全部ウミネコ、3万羽と言われる嘴の先端が朱色がかり、尾が黒いのがウミネコ、そこがカモメとの違いだそうだが、まあどっちでも良い。本当に「ちょっと通してください」という感じ
2021/07/30
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子供の頃はヒコウ少年、会社勤めになってからは昼休みに河原に飛行機を飛ばしに行く青年、いい年になってからも本物のフライトシミュレータで宙返り(景色の天地が反転するだけ)をやって喜んでいた。車で青森県まで行ったのなら、航空科学館は見なければならない。 一番気になっていたのが航研長距離機。1938年、11,651kmを飛び、今に至るまで日本でただ一つ世界記録を樹立した機体。実機は進駐軍に破壊されたそうで、ここにあるのは実物大レプリカ。 想像していたよりはるかに小さいので驚いた。図鑑や本でよく目にするのだが、もっと大型機かと思っていた。誤解した原因はすぐにわかった。風防がなく葉巻のような胴体の為だった。 飛行中は体を機体から出さず、離着陸時のみ頭を突き出すのだそうな。ものすごく乗りにくい機体だったと思う。航続距離のため他のすべてを犠牲にした心意気は伝わって来るが、余裕というものが一切感じられず、それは今日に至るまで日本の航空機の宿命のような気がしてしまう。 地方のMusiumにしては立派過ぎると思ったが、その訳はすぐにわかった。米軍のMisawa Baseに隣接し、そのけたたましさと言ったらない。F-16戦闘機が低空で目の前を通過し引き起こすと、そのまま垂直に上昇して行く。また遠方から低空で近づいてくる。肉眼ではわからなかったが、写真をよく見ると背面飛行(背をが下、腹が上)ではないか。 誰も居ない砂漠や洋上で訓練するなら文句は言わない。しかし、基地の上とは言え近くに民家もある。これは見ていて不愉快になった。その見返りのMusium? 屋内外に空自や米軍の飛行機がたくさん置いてある。初めてF-104戦闘機のコクピットに収まってみた。狭い。乗るときは座面に足を付いて入れとのこと。そういうものなのか。F-104と言えば私が中学だったころの主力戦闘機、60年近く昔の機体。懐かしいYS-11も屋内展示されていたが、コロナ対策で内部には入れず。騒音は別にして、飛行機好きには楽しいところ。
2021/07/28
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現代アートはわからない しかし、草間彌生作品だけには、ものすごいインパクトを感じる。 青森県の十和田市は鉄道も無く(最近まで三沢から電車があった)大きな都市でもないのに、現代美術館は話題になることも多く一度は行ってみたかった。着いたのは17:30 閉館後だったが、目的が屋外展示なのだからそれでも良し。 1km離れていても、草間彌生と知れる強烈なデザイン おなじみのカボチャと侮ってはいけない。中に入れば幻想的な世界が拡がる。しかし、何せ最高気温35度の日、中は40℃くらいありそうで、じっとしていることもできない。換気対策なし。 いくらか涼やかな外の風に当たり、一人佇んで通りかかる人を眺めていれば、何という贅沢、犬を連れた老人が脇を普通に通り抜け、父親と散歩中の幼い女の子は、作品の犬にまたがって遊ぶ。市井の人の日常に溶け込んでいる。 盛岡の仕事帰り、青森県回りの大迂回。二度のワクチン接種を終え、いくらか足を延ばせるようになったのはうれしいこと。外泊は8カ月ぶりか?仙台から盛岡へ行き、帰りに青森県を廻るのは、北極から帰るのに南極経由にしているようなもの。いつもの日常に戻っているなら良いのだが・・・・草間彌生の女の人の像を見ると、ポパイの恋人オリーブ・オイルか サザエさんを連想してしまう。
2021/07/22
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もう3週間も前の事になりますが、ポピー満開とのニュースに促され「みちのく杜の湖畔公園」に行って来ました。 二十数年ぶり2度目 シルバー入場料210円 確かに見事、これを紹介しないのはもったいないと3週間遅れでアップします。200万本のポピーが満開だそうです。本当に200万本か疑うへそ曲がり、敷地22,000㎡なら、90本/㎡ まあそんなものでしょう。 採算度外視の国営だからきれいに整備されています。東北には一カ所だそうですが、こういう施設へのアクセスが公平ではないと言う事、ちょっと考えさせられます。蔵王にもう少し残雪があれば絵になるのですが、それにはちょっと遅かったようです。赤い花はシャーレ―ポピー和名は雛罌粟、または虞美人草とのこと見ての通りケシ科ケシ属
2021/07/01
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俳優 火野正平さんが自転車で日本中を旅するNHK BSPの番組。今まで「こころの風景」として投稿したことが一度だけあった。2015年、津波に襲われた東松島の海岸を書いたのだが、コースが合わなかったのか、あまりにヘタな文章だったためか、とにかく没。 21年春の旅は日本海沿いを北上するルートで、自分に縁の土地が舞台になると俄然面白くなる。昔住んだ富山県滑川市の情景を温めていた。ところがコロナだ、ワクチンだと騒いでいるうちに締め切りを忘れていた。 21年秋の旅は長野県スタートとのこと。こちらにも住んだことがあり、いくらでも書けそうな気がして現在ねじり鉢巻きで執筆中。最近の放送を見ると次のような傾向がありそうだ。1.文章の良し悪しはそれほど重要ではない <(_ _)>2.移動コース上の場所であること3.街の真ん中や観光地は人が多く不可 人が少ないところの方が良い4.最近の傾向として正平さんが行ける低地あるいは平坦地 山や丘の上など登らなければならないところは正平さんの体力からNG 近年は車で自転車を高所に上げているようなので、下って行けるところか平坦なところが望ましい。 内容はラブレターと同じように 三つ笑ってもらい一つ泣かせるくらいのつもりで書けば良いのではないか。ノンフィクションでなければならないとされているわけではないので、多少のフィクションは可。ただし、捏造が多くなると綻びも見えるのでほどほどに。 信州ネタならいくらでもあり、シリアスになり過ぎないよう気を付けねばならない。とにかく自分が感動した事実がなければ良い文章は書けない。ひょっとして採用される可能性が無いわけではないので、内容をご披露するのは止めておきます。没が確定したら全文公開します。 問題はコースを推定すること。長野県の次が岐阜県だとすると、最後は木曽か伊那か? 松本は数年前に行っているので、今回は無し?
2021/06/23
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登米市は行ったとしてもいつも素通り、足を止めたことが無い。2005年、9町が合併し発足した市で、旧町の位置関係が良く分からず迷うのを恐れ走り抜けるのみ。ドラマのロケ地はなにやら面白そうなところ、観光客で混雑する前に行ってしまおうと急遽思い立った。北上川分流水門付近 鉄橋はJR気仙沼線朝霧が神秘的と眺めた場所。新北上川と旧北上川が分流する水門があるTVでは長閑な水辺のように見えたが、行き違いも難しい狭い道路でTVでは駐車禁止の水門上部に強引に車を停めていた。旧登米尋常高等小学校(重文)1888-1973年現役というから、松本の国宝開智学校(1873-1963)より少しばかり新しい。立派に復元されている開智学校に対し、こちらは私の卒業した小学校そっくりに老朽化しており何とも懐かしい。展示は開智学校とほぼ同じ。スペイン風邪の資料展示も開智学校と同じ(2020年)森舞台モネで夏木マリが笛を吹いていたところ古びた能舞台を想像していたら、林間ながら雰囲気がとても良い。伝統的な能舞台とコンクリートの観客席、展示室が違和感なく調和しており、良い建物だなと思ったそれもそのはず、隈研吾が1997年に設計し、何とか賞を取ったとのこと舞台の床は、奥から手前に貼らねば響きが悪いそうだ床下には瓶が置いてある。反響用だろうか警察資料館小さな施設だが、昔の留置所などが再現されていて面白い。スタッフのおばさんが熱心に「寺池園」に行ってみろと勧める寺池園勧められるままに行き、何だと思ったら夏木マリ(なんとかサヤカ)さんの家個人所有の別荘だという。モネ放映中のみの限定公開。庭の東屋は確かにTVで見た。室内はスタジオ収録という事でまったくの別物。シームレスで上手く繋いであるのに感心望見される北上川は悠然たる大河の趣。2011年の震災では津波がこの辺りまで遡上したらしい長沼フートピア公園森林組合があるという場所だがそんなものはどこにもなく、夏木マリの家から車で30分はかかる。東京のおばさんがオリンピックのボート会場に使えないかと大騒ぎし、一躍全国に名を馳せた長沼湖畔。私自身、白鳥飛来地として有名な隣の伊豆沼は知っていたが、こちらは知らなかった。開催も危ぶまれるオリンピックに向け、道路や施設整備に無駄な金を投入せずに済んで良かったキャンプ場があり、子連れなら文句なく楽しいと思う。こんな施設が宮城県にあることを全く知らなかった内容については突っ込みどころ満載。しかし、NHKの朝ドラの舞台ともなれば全国区。最近朝ドラはほとんど見なかったが、少しは真面目に見るか 登米市に合併する前、登米町があった。しかしこちらはトヨマと読む。昔は登米郡登米町登米小学校(トメ郡トヨマ町トメ小学校)と読むのだそうで、泣かされたとNHKアナウンサーの友人から聞いた。現在、市代表地点は登米町ではなく、昔の佐沼町なのだからややこしい。 登米は石ノ森章太郎の出身地。「石ノ森章太郎ふるさと記念館」があり、行ってみるつもりだったが今回は体力が無くなり次回に延期。石森小学校や石森郵便局があり、ずいぶんと名前が使われていると思ったら、その辺りの地名。イシノモリと読む。「石森章太郎」から「石ノ森章太郎」に改名したのは、だれもイシノモリと呼んでくれないからと聞いた。地名だったかと納得。
2021/05/28
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13日に震度6強に見舞われた福島県新地町、昔世話になった方がおりお見舞いに行って来た。宮城県南部以南は屋根をブルーシートで覆った家が目立つ。幸い、知人も家も無事だが家財道具が散乱し、若いボランティアが片付けに来てくれるとのこと。10年前の東日本大震災の時の揺れより酷かったと言う。家は築150年の茅葺鋼板覆い住宅。柱や梁の太さは現代住宅の比ではない。地震を機会に5年ぶりの訪問、とても喜んでいただけ行った甲斐があった。新地町に行くときは必ず寄ってみたくなるのが鹿狼山(かろうさん)中腹にある「鹿狼の湯」(JR東日本大人の休日倶楽部3月号に紹介あり)宿泊も入浴もできるが、私はここの蕎麦を食べに行く。一口食べた時の食感だけで、ここの蕎麦は美味いと思う。私が再訪したい蕎麦屋の三指には入るだろう。本格派のお約束か、写真のような但し書きが付く。「注文は多いが美味くない蕎麦屋」も多い中、ここは本物。仙台から往復3時間も苦にならない。
2021/02/27
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私と同世代の人たちにとって、「ひょっこりひょうたん島」は特別なTV番組だったはず。中1から高2までの放送だったから、思春期真っただ中。人生で一番楽しかった頃でもあり、はたまた自我に目覚め悩んだ時期でもあったろう。釜石の北隣の町、岩手県大槌町にある蓬莱島はひょうたん島のモデルだと言われている。しかし、井上さん本人がそんなことは一言も言っていないし、それらしい資料もないので単に地元民の我田引水だと思っていた。しかし、現地に行ってみると釜石と大槌町は本当に近い。上野駅と新宿駅程度のような距離感か? 釜石で数年生活した井上さんなら、蓬莱島を見て、それがひょうたん島のヒントになったとしても不思議ではない。蓬莱島は大槌町の海岸近くにある島、陸地とは防波堤で繋がっている。ひょうたん島のシンボルのような灯台も確かにある。まあ、贔屓目に見ればひょうたん型には見えないこともない。2020.12.18追記「ひょっこりひょうたん島」について調べてみたところ、「ひょうたん型の島が漂流し、事件が起きる」アイディアはNHKディレクターの発案らしい。従ってひょうたん型をした島の形から「ひょうたん島」のモデルだと主張する(国内で数カ所あり)のは、まったく根拠がないようだ。大槌町から北上すると、吉里吉里と言う地名がある。海岸の鳴き砂が有名で、そのオノマトペが吉里吉里らしい。もし再び行く機会があったら、その砂を採取してこよう。本当にきれいな音がするなら、プレゼントに最適。タダだし。三陸鉄道の車内放送では、「吉里吉里人(井上ひさし作)のモデルになった地」と紹介していたが、これはちょっと無理があるのではないか。だって主人公が拉致されるのは、東北本線を北上中の「いわて3号」であり、吉里吉里国には水上飛行機が発着できるような湖沼の吉里吉里国際空港があることになっている。東北本線沿線でその条件に合うのはただ一カ所、宮城県北部栗原市付近、白鳥飛来地で有名な伊豆沼、東京のおばさんがオリンピックのボート競技場にならないかと騒いだことで急に有名になった長沼があり、水上機が降りられないことも無さそうだ。するとここがモデルかと言えば、言葉が違うような気がする。とにかく沿岸部の言葉は難解で、宮城県女川付近でさえ生粋の地元民の話は、何を言っているかほとんどわからないし、気仙沼から大船渡にかけてはケセン語と言う言語体系も存在する。釜石中心の吉里吉里語かと言われればそうなのかもしれない。従って想定した場所は宮城県北部、想定した人は釜石、大槌周辺と言うところか。「吉里吉里人」は読破に10年を要した。途中で厭きて放り出し、読み切ったのは耳下腺腫瘍手術で入院した時。単行本が重すぎて寝ながら読めないし、第一長すぎる。
2020/12/05
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釜石から帰り、井上ひさしの「花石物語」が読みたくなった。その本は1983年に買い、1998年にふたたび読み、今回は3度目。半分は忘れていたが同じ本を三度も読むのは稀有なこと。高炉ありし頃の製鉄所、花街の風景描写は実に生き生きしているのに、内容は前半あまり面白くない。花街の日常描写がリアル過ぎ、ちょっと鼻白む。釜石小学校校歌の作詞者が、ご当地をこんな風に書いているのを大人はどう説明するのだろう? 半分まで読むと俄然面白くなる。「釜石」にせず「花石」という架空の町の話にした理由も何となくわかってくる。最後は、気持ちが通じた娼婦を追って国立釜石病院に就職するが、悲劇的結末が多い井上作品の中で、珍しくほのぼのとした読後感が残る。その国立釜石病院で書かれたことになっている「新釈遠野物語」は、一気に読んでしまう面白さが満ちている。作品中では職安の紹介で国立釜石病院に就職したことになっており、無論娼婦の後を追ったという楽しい方の話がフィクションだろう。釜石の観光案内では、井上ひさしゆかりの釜石病院について、一言も触れられていない。目星をつけて行ってみたところ少し特殊な病院のようで、一般の人が興味だけで行くところではないと感じた。裏の山で井上ひさしが薪拾いをしていた情景が目に浮かぶ。花街があったらしい朝日町周辺も、津波で跡形も無くなり新しい街ができていた。国立釜石病院 市中心部から6kmほど離れ、三方山に囲まれた静かなところ (2016.3撮影)
2020/11/30
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信州名物として、つとに有名になっている「おやき」。松本に住んだ1950年代から60年代、こんなものはなかった。少なくとも街場では売っておらず、農家のおやつだったのかもしれない。いつの頃からか、信州へ行くとあちこちで見かけるようになったが、食べてみようと言う好奇心は希薄だった。先月、信州新町の道の駅に寄ったときのこと、蕎麦を食べただけではお腹が満ち足りない。ちょうどおやきが売っており、食べてみたくなった。中身はこれまた信州名物野沢菜にした。想像した通りの味、何度も食べたくなるような絶品の味ではないが、中華饅頭よりも食べた満足感がある。そして野沢菜は求めていた味。信州に来ると野沢菜を買い求めることが多い。しかし、子供の頃の味ではない。おやきの野沢菜は昔食べた味に近い。家で漬けていた野沢菜は、どんな漬け方をしたのだろう。母親が居なくなった今、もう確かめようがない。カミさんにおやきを食べて来たと言うと、「中身は?」と問う。「なんだと思う?」私の妻を35年もやっているのだから当然と言えば当然ながら、一度で当てた。「名物に美味いものなし」言い得て妙。本当に美味ければ全国中模倣品だらけになり、名物ではなくなってしまう。宮城県北部の某所で模倣品を見つけた。模倣品が出れば本物。ちょっと小さいが似たような味だった。ふしぎなことに当地のスーパーで売っている信州産の安い野沢菜漬は、昔ながらの味に近い。単なる塩漬けなのだろうか。高級な野沢菜漬には、何だか良く分からない添加物がいっぱい書いてあり、昔食べた味とは程遠い。
2020/11/23
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ホテルは釜石製鉄所の真横。寝ながら工場が見られるというのは楽しい。高炉を止めて久しいが稼働していた頃の壮観さを、井上ひさしも「花石物語」の冒頭で描写している。この会社とは長くお付き合いさせていただいている。しかし、ここの製鉄所は来たことが無い。一番足の悪いところだ。屋上からは製鉄所から市街地、海まで一望。津波の時はどんな光景が広がっていたのだろう。想像するだに恐ろしい。駅前広場には近代製鉄の父と言われる人の銅像、ひょこりひょうたん島の歌碑がある。その隣には「釜石小学校」の歌碑何でこんなところに小学校の歌碑が、と思い曲名の下を見て驚いた。作詞 井上ひさし 作曲 宇野誠一郎何だこれは! 何としても聞かねばならない帰宅して探すといくらでも出てくる。 全国的な愛唱歌にもなっているようだ在校生、震災チャリティー、初音ミク あたりが聞きやすい。衝撃的だった。身じろぎもできず涙まで湧いてきた。家内にも聞いてもらうと、「6年間これを歌った子供たちはしあわせね」と言った外に出ると感動がある。今回の一番の収穫はこの歌と出会ったことかもしれない。
2020/11/19
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宿泊地の釜石に到着、かなり時間があり暇だ。駅には三陸鉄道の列車が止まっている。朝ドラ「あまちゃん」はじめ多くの番組で紹介されたが、三鉄の現物を見たことがなかった。もうここまで来ることは無いかもしれない。今乗っておかなかったら一生乗れないだろう。時刻表を見て記念乗車の作戦を練る。次の駅まで行って戻るのは待ち時間が1時間もあり無理。釜石発18:05下り 吉里吉里着18:28吉里吉里で24分待ち吉里吉里発18:52上り 釜石着19:15 に決めた。往復1,100円。隣の駅で1時間も待つよりは良い。空いている。向いの座席に足を投げ出し、窓枠に肘を付きディーゼルの振動に身を任せていると、とても懐かしい気持ちになってきた。そうだ、昔の旅はこれが普通だった。吉里吉里駅は何もない。電話ボックスさえない。観光案内には鳴き砂の吉里吉里海岸が近く、井上ひさしの「吉里吉里人」のモデルになった地と書かれていたが、これはたぶん違う。この話は別稿でほどなくして上り2両編成が到着。驚いた。誰も乗っていない。客は釜石までぼく一人。たった一人のためにディーゼルカー二両も動かしているのか! 軽自動車で十分だ。この線は震災までJR山田線だった。JRが手放すのも当然だ。千葉の銚子電鉄を思い出した。あそこも客が減り続け、倒産寸前と言われ、濡れ煎餅を作ったり、社長が運転したり、なりふり構わず増収に努めている。今日の三鉄を見ると、大丈夫かと本気で言いたくなる。震災、台風の災害からよみがえったのだから、何とか存続してほしいと思うのだが、復興のため道路は整備され高速道路は無料、鉄道には逆風と言わざるを得ない。釜石駅で 誰もいない本当に誰も乗っていない 回送中ではない
2020/11/18
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宮沢賢治や高村幸太郎が何度も行った花巻大沢温泉考えてみたら、私自身ここが気に入ってから、かれこれ40年になる。延べ30泊はしているかもしれない。湯はたぶん弱アルカリ 特に濃い成分が無いためか、湯あたり、湯疲れと言うものが全くなく、今回も一泊で合計6回入浴した。一泊で14回の入浴が未だに破れない最高記録。風呂は4カ所、旅館部山水閣に泊まれば+1か所あり、飽きることが無い。山水閣が取れず自炊部へ 食事は食事処へ行けば良いので、こちらの方が良いかも。しかし、GoTo割引1,600円ではお得感がまるでない。定率割引なら高い方に泊まりたくなる。旅行客の多さは異常だ。この時期、満室だった記憶はない。遊びに行くことは良い。しかし、食事処で酔が回り大声で話すのはご遠慮いただけないだろうか。たまにはこんな部屋も良い。石油ストーブと炬燵で十分暖かい手に持っているのはカメラのリモコン、タバコではないので誤解なきようこれ以上寒くなると、夜中の露天風呂はちょっと入れない
2020/11/17
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松本から安房トンネルを抜け飛騨側に入り、北上して富山を目指した。ほぼ平行する川は当然南へ流れていると思い込んでいたが、どうみても同じ方向に流れており頭が混乱してしまった。富山に2年半住み、この辺の地理には暗くないつもりでいた。普通に考えれば分水嶺が県境、岐阜側に降った雨は太平洋に流れ込むと疑いもしなかった。帰宅後地図※1で確認すると、どうやら下呂と高山の間あたりに分水嶺※2があるようだ。カミオカンデのある神岡は、富山から見て山の向こう側だと思い込んでいたが、認識を改めなくてはいけない。北上を続けると、やがて神岡の街に入る。山奥だと思っていた神岡は、富山湾に向かって流れる神通川支流の畔、緩い北向きの傾斜地だった。街外れにはイタイイタイ病の原因を作った旧三井金属神岡精錬所(現神岡鉱業)の工場が見える。スーパーカミオカンデの所在地として脚光を浴びるこの土地も、負の歴史があった。イタイイタイ病を命名し、涙ながらに国会で患者の救済を訴えた萩野昇医師、そのお嬢さんとは中学の同級であったと思う。神岡を過ぎるとやがて平野が広がり、何のことは無い神岡から1時間少々で富山の市街地に達する。帰宅後地図をつぶさに眺めると、如何に富山の南部について無知であったか痛感する。イタイイタイ病が拡がっていた婦負郡婦中町、富山から遠い遠いところの話だと思っていた。今は富山市に編入され中心部から5kmほどしか離れていない。おわら風の盆で有名な八尾も今では富山市内ではないか。高山線で岐阜から富山へ移動したことはある。その時は夜行で景色も見えなかった。昼間、車で移動すると今まで知らなかった地形が目に飛び込んでくる。いくつになっても未知のことを知るのは楽しい。右岸に工場が見えてきた。現在は金属のリサイクル事業等を行っているらしい。前方の山ははげ山のまま。鉱山跡では良くみられる。スーパーカミオカンデはもう少し上流※1 地図:google Mapでは土地の高低が良く分からず、国土地理院が公開している地図を参照した方が良い。Google Mapでも鳥瞰にすれば分かりやすい。※2 分水嶺:高山に分水嶺がありそうなので、「高山」「分水嶺」で検索するとやはり出てきた。「ひるがの分水嶺公園」「位山分水嶺公園」 宮城、山形間の堺田分水嶺が日本で一番わかりやすい分水嶺と謳っているが、同じようなところは日本にいくつかありそうだ。探してみるのもおもしろそうだ。
2020/11/12
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日本国内どこへ行っても、主要道路と主要鉄道路線はほぼ平行に走っている。このためどちらかを通ったことがあれば、沿線沿道の景色は概ね想像できる。ところが松本、長野間は全く違う経路を辿る。国道19号はほぼ犀川に沿って長野に至るのに対し、鉄路の篠ノ井線は、明科辺りから進路を北東に転じ、姨捨山を穿つ冠着トンネルを抜け、千曲川流域に達する。そのため、今まで何度も篠ノ井線経由で松本を往復していたのに、国道19号沿道がどうなっているか全く知らなかった。長野自動車道はほぼ篠ノ井線に沿っている。急ぐわけではなし、のんびりとR19を走ることにした。驚いた。まるで峡谷を縫う道、鉄道を通すのをあきらめたと言うのも頷ける。山が犀川に迫った狭隘部にはいくつかのダムが築かれ、周囲の緑を映す満々たる水を湛えている。幼かった頃、この沿道にある山清路と言うところで川遊びしたことがあった。そんな風光明媚なところはダムの湖底に沈んだと聞いていたが、今の景観でも十分楽しめる。昔住んでいた松本が、驚いたことにダムの上流だったことを初めて実感させられた。ダムと言えば山間の谷間に作るものなのだから。大きなアップダウンも急カーブも無く、川沿いを走るこの道は楽しい。道の駅 信州新町より
2020/11/10
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重文だと思っていた旧開智学校が国宝になっていてびっくり。この建物、ぼくらが小学生だったころは現役だった。我々の小学校もボロだったが開智はそれ以上にボロ、国宝級とは想像もしなかった。35年前、3度目の新婚旅行(全部同じ人)で当時は新しかった妻を連れてきた。この建物がたいそう気に入り、「正面にブタさんみたいなエンゼルさんがいる」と大笑い。大学の後輩が見学したそうなので、ブタさんみたいなエンゼルがいたか聞くと、「ブタさんどころかオッサンでしたよ」と言う。よく見れば納得。ここには何回か来ているのに、いつも改装中や閉館日で入れなかったため35年ぶりの見学となった。前回は「女の一生双六」が展示してあった。「我がまま」とか「親不孝」で一回休み、上がりは「結婚」。それをもう一度見たかったが、今回は展示無し。外にある洋風建築は旧松本司祭館。ぼくの幼稚園の隣にあった建物らしいが、そういえば古ぼけた重々しい建物があったような気がする。白い車は仙台からはるばる到着したもの、車の後方にクヌギの木がある。拙宅のクヌギは、友人がここで拾い送ってくれたドングリから発芽した物。400km離れ15年経過し、大木に成長しつつある。
2020/11/02
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松本を訪ねた時は必ず行ってみたくなる松本市美術館、何といっても常設展の草間彌生コレクションが充実しているのがすごい。初めての訪問だった去年、通路の両側に鏡があり、その前に水玉模様のスティック状の物が無数に配置された「鏡の通路」には衝撃を受けた。6年前、意識不明の状態から覚醒しつつあるとき、脳裏に浮かんだ情景とあまりに良く似ていた。友人と美術館で待ち合わせ一回り展示を見て歓談し、別れた後もう一度ゆっくり見ようと入り直した。暗い部屋の天井と床の鏡の間に梯子を配置した「天国への梯子」も好きな作品。去年見た時よりも明るくなっていたような気がする。スタッフに密接防止かと尋ねた。怖がるお客さんがいたり、秋篠宮の娘の何とか子様が不気味だと言ったとかで少し明るくしたとのこと。それは作者の意図に反するのではないか、絶対に暗くすべきだ、と余計なことを言ったかもしれない。特別展のミュシャも見た。スラブ民族を描いた大作の絵が無かったのが残念。去年駐車場には数台、今年は満車、すごい人気のようだ。ぼくの美術館見学はものすごく速い。だからカミさんは一緒に美術館に行こうとは絶対に言わない。まず、ほとんど説明を読まない。展示会場で渋滞するのは、詳しい説明をじっくりに読んでいる人が多いからだと思う。海外は詳しい説明がない(あっても読めないが)。訴えるものが無ければ素通り。その代わり衝撃を受けたものはじっくり見るし、何度でも見る。草間彌生は去年一回、今年二回。特別展も含めると入場料は1,500円。3回人なら4,500円。ちょっとこれは考える。「松本市公共施設ご招待券」というものが非常に役に立った。10,000円のふるさと納税をすると3,000円相当の返礼品が貰え、これに招待券が10枚付く。特別展の美術館に10回入場すれば15,000円相当と言う事になり、寄付(納税)額を上回り、こんなお得なふるさと納税は無い。総務省からクレームが付かないのだろうか。美術館に10回入場する人はいないだろうが、入り口で「旦那、いい券がありますぜ」と言って1,200円で転売するとか。松本城だって700円だから、10回で7,000円。数年に一度は松本を訪ねる私のような者には非常にありがたい。前庭のオブジェ 撮影できる作品はこれだけ水玉模様の自販機 一番上にある缶を買おうと思ったら、非売品だった
2020/10/29
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善光寺にはお戒壇巡りという真っ暗な通路があり、本尊の下にある極楽への錠に触ることができれば良いことがあるらしい。錠に触れた最も古い記憶は、小学校5年の時の遠足だったと思う。やんちゃ坊主共とワイワイガヤガヤ進み、錠に触れた。次は2014年の1月、冷え切った堂内には参拝客も少なく、お戒壇巡りはただ一人。静寂に包まれた漆黒の闇に恐怖し、進むには勇気が必要だった。その時にも錠に触れた。前にもこれに触ったと確かに感じた。誰もおらず、カメラもスマホも持っている。灯りを点け錠を視認する誘惑にかられた。しかしそれは禁じ手。辛うじて我慢した。9月に娘が善光寺にお参りし、お戒壇巡りをしてきた。コロナ禍の密接防止に暗闇の通路にほのかな灯りが用意されていると言う。今なら合法的に錠を見ることができる。ただそれだけの理由で松本への道すがらわざわざ善光寺に寄った。しかし視認できるほどの光量は無かった。前に小学生の女の子たちがたくさんいて絶対に接触できないぞと間合いを取っていたら、後ろのおじさんの手が顔に当たった。気持ち悪い。知らないうちに女の子たちを追い抜いてしまったらしく、彼女たちの嬌声が後ろから聞こえてきたときに錠を見つけた。「鍵、ここにあるよ」「え、どこですか?」「ここ、ここ」とガチャガチャしているうちに錠の形状をしっかりと認識した。これまでは南京錠を連想していたが、どちらかと言えば写真(イメージ)のようなドアレバーに似た形だった。この世の中、禁じ手を使って錠を見る人が居るようで、入り口に「スマホやライター等の点灯を禁ず」と書かれていた。ネット上を探せば錠の写真は出てくると思う。しかしそれでは夢がないではないか。そんな罰当たりなことが許されるのか?
2020/10/27
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20日から24日まで車で出かける総走行距離1,248km、運転時間21時間20分 平均時速58km20日 那須へ 体を壊している従兄弟のお見舞い21日 特撮の聖地 栃木市岩船山で燃焼実験 これは仕事22日 栃木→長野・善光寺参拝→国道19号経由で松本へ松本城見学 急勾配の階段で膝が痛くなった 夜更けて雨の中、思い出の地を徘徊(泊)23日 松本市美術館へ 草間彌生を堪能 国宝開智学校見学 雨模様のため気象レーダーを眺めながら進路を検討飛騨山脈を越え富山へ またまた夜更けに思い出の地を徘徊 24日 さすがに疲れて帰宅 富山→新潟→猪苗代→福島→仙台新潟・会津経由にするか新潟県村上・米沢経由にするか迷うも、通ったことのない会津ルートへ 最後の日は509km、7時間弱を一気に走り抜け、未だこれだけの体力、気力があることを確認できた外に出ると感動がある 感動できるうちは動きたい毎年のセンチメンタルジャーニーになってしまったふるさとは暖かい善光寺お戒壇巡りは通常、漆黒の闇の通路 密接防止のためほのかな照明があるとの情報触れば極楽に行けると言う鍵、それを見るのには今しかないそれだけのためにわざわざ長野に回った薄明りはあったが鍵は視認できずそれでもちゃんと触って、お詣りしてきた善光寺と双璧を成す松本のお城生まれてから何度行ったことだろう月見櫓と橋の朱が入り、北アルプスも写せるのはこの位置左手に北アルプスの山脈が入らないことには絵にならないピラミッドのような常念岳が端正に聳え、朝日がその積雪を紅色に染め上げるその美しさは毎日見ていても飽きることが無い天気が良ければ槍ヶ岳も見える飛騨山脈を穿つ安房トンネルどうせ素掘りに近いごつごつした狭いトンネルだろうと思っていたら、何と中部縦貫道の一部飛騨山脈越えと言えば「ああ野麦峠」だと思っていただけにビックリ22日 栃木から長野経由松本23日 松本から富山24日 富山から仙台 500km
2020/10/25
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先月肘折温泉に行った時の事 連れが昼寝をすると言う。家を出ると行動的になる私、寝ているなんてもったいない。3時間で行って戻れるところを探し、鶴岡の羽黒山に向かった。現地の案内図で国宝五重塔まで500m、徒歩10分と書かれている。地図で予習はしていても、地図から高低差までは詳しく読み取れない。山門を潜りそこからの急な下りの石段には怖気付いてしまった。行きは10分でも、帰りは何分だろう。意を決し二百段余りの階段を下った。そこまで行っても五重塔は見えない。基礎疾患のある身、途中でへばったら戻って来れなくなる。おまけに一人、慎重にならざるを得ない。五重塔は次の機会の楽しみという事で、あっさり諦めた。やはり200段余の上り階段を戻るには、往路の倍の時間がかかった。目的は達せられなかったが、特別天然記念物、「羽黒山のスギ並木」は堪能できた。樹齢300~500年だと言う。巨木を見上げていると、畏敬の念が湧いて来る。これだけでも来た甲斐があった。スキー場でも観光地でも、スタート地点は目的地の下にあった方が良い。もうダメだと思っても、坂を下って戻れば良いのだから10/12追記山門ではなく鳥居だった。五重塔があっても、一応神社のようだ無理に分けるのではなく、神仏混交が残っているのも日本的で良いのだが・・
2020/10/09
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東京Go To が始まる前にと9月末、友人と肘折温泉に向かった。それでもお客さん(湯治客?)はかなり多い。2018年、445cmの積雪を記録した大豪雪地域。月山の東麓にあたり、ここからも登山道が伸びている。大型の観光ホテルが存在せず、土産物屋が立ち並ぶ昔ながらの温泉街が残っている。友人は大の贔屓で、3年間で40泊していると言う。私は2回目。カルデラの中にあり、未だ活火山に分類されているというから恐ろしい。もっとも鹿児島だって活動中の活火山のカルデラの中だ。国道から急峻なカルデラの縁を降りてくるため土砂崩れも頻発、写真中央奥、赤い欄干の肘折希望大橋という螺旋橋の完成により、安全に往来できるようになった。温泉街の道は、ほとんどが行き止まりで、車が通り抜けることもなくのんびり散策できる。。前回来たときは周囲の散策くらいしかすることが無かったが、温泉の歴史や地形、鉱山跡などを知ると俄然興味が湧いて来る。高所まで登り大橋と温泉街全景が収まる場所を発見した。そこは肘折小中学校跡地。観光地とは言え過疎化に打つ手はなかったようだ。
2020/10/01
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娘が勤続10周年にもなり、ご褒美?に2週間の休暇をもらった。会社の友人と海外旅行をしたかったらしいが、コロナ禍で行けず。次に九州一周を計画したら、台風9,10号でキャンセル。今行けなくてもまたいつか行ける信州旅行に変更した。私の実質的ふるさとなのだから、アドバイスしたくなる。計画では仙台-軽井沢-長野-松本-高山-富山-仙台 これにはびっくり。信州から飛騨へ行くには安房峠というルートはある。しかし、50年前の知識としては「ああ野麦峠」と同じで、悪路の急峻な山道だと思い込み、女性二人が車で踏破できるなんて考えてもいなかった。しかし、上高地が自家用車乗り入れ禁止だとは知らなかったようで、とにかく軽井沢→松本→レンタカーを乗り継ぎ駐車場に置き上高地へ。 台風一過のためか澄んだ空気に覆われ、穂高の岩壁が手に取るように望めたと言う。夜は満天の星、流星もいくつか数えられ大感激だったらしい。コロナ禍と台風で人も少なく人気ホテルもすぐに取れ、満喫できたのだろう。ぼくが上高地に行ったのは記憶にある限り5回だと思う。松本に住んでいたとはいえ、上高地に行くのは特別な事だった。娘の旅行を今回ほど羨んだことは無い。時間はあるのだから、いつでも行けそうだが責任ある立場になると、簡単に家を空けることができない。ましてやカミさんといっしょに行くとなると、大騒動になる。気儘に歩けた若い頃が本当に懐かしい。結局飛騨地方の天気が悪く、松本に戻ったそうだがそれが正解。
2020/09/14
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宮城のコロナ感染者が1人で、岩手、山形が0人だったころはのんびりしていた。温泉地はテレワークに使ってほしいとネット環境を整え、デスクまで用意し避難者歓迎の雰囲気だった。ところが今は、「他所から来るな!」 になってしまった。東京-仙台の往来でさえブレーキをかけている企業も多い。山形県は、県境で検温を実施する計画まであるそうな。宮城県から山形県に入る峠道の自動車道はざっと数えて4本ある。検問所を通らず県境を突破するには、林道か登山道を歩いて行くしかない。まるで関所破り・・・ それだけの体力がある人なら全然問題ないでしょう。荒手の検問のようにも感じるが、都市封鎖の事を考えれば大したことではない。動かないことで克服できる問題なら、いくらでも協力したいとは思うのだが・・・・・5月に山形で行われる資格試験を受ける予定だったが、止めた。7月の仙台会場ですら躊躇してしまう。
2020/04/15
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松本市美術館で常設展示の草間彌生を見た。ショックだった。前衛芸術にはあまり興味が無く、話の種くらいのつもりで行ったのだが、我を忘れて引き込まれてしまった。特に二枚の平行な鏡の間にドット柄のJ型をした無数のスティック状の物を配置した作品「鏡の通路」を見た瞬間、息を飲んだ。以前、夢と現の世界を彷徨っていた時、脳裏に浮かんでいた情景そっくりなのだ。その他にも作品の前で釘付けになることが多く、去りがたく一方通行の巡回路をもう一度回るほどだった。内部は撮影禁止のため、屋外の写真のみ松本には見るべき施設が多く、そのほとんどは松本城や開智学校、旧制高校記念館のように歴史的なものが多いが、新しい美術館も是非見るべきだと思う。実は松本市美術館に行ったのは、招待券を持っていたからだ。松本にふるさと納税したら、市の公共施設招待券10枚がおまけで付いてきた。松本城(市の施設とは知らなかった)の入場券が610円だから、10回入れば6100円相当になり、大変お得だ。総務省の返礼品は3割以下の基準に抵触するのではないか? まあ、お城に10回連続して入る人は居ないだろうが。他県に住んで10枚も使い切れないから大半は松本の友人に差し上げた。2枚だけは手元に残しておいたが、そのうちの一枚が役に立った。
2019/11/07
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