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ご無沙汰しております。3月24日の夜11時頃に実家に到着。あっという間に1週間たってしまいました。私の実家には、私の両親、兄夫婦、そして兄夫婦の3人の娘、計7人が同居しており、その家から車で10分ほどしたところに弟夫婦も暮らしています。そのほか父の兄弟、どういうつながりなのか覚えきれないほどの親戚が家のまわりに沢山住んでいるという大変な田舎です。正直にいうと、私の実家からは日帰り感覚で東京にも行けるし、私自身としては、今まではそれ程ひどい田舎だとは思っていなかったのですが、まあ、「私は田舎者だ」と格好つけずに言っておいたほうが気楽なのではないかという位の感覚でいたのです。ところが今回の帰省で、驚いたのがインターネットの反応の遅さ。なんといまだに電話回線でしかインターネットができない地域らしいのです。帰ってきて、なんどかPCを開けてみたのですが、あまりの反応の遅さに我慢できずに最低限のE-mailのチェックくらいしかする気にしかなれません。つまり、今日の日記は、しばらく日記の更新を怠っていた私の言い訳というか、状況の説明というか・・・。ところで、私の家の前の桜もまだまだ咲きそうにありません。(標高が高いところなので)皆さんの家の周りの桜が葉桜になった頃に、3分咲きの桜の写真をお届けできるかもしれませんね。ではまた、このインターネットの反応の遅さにも慣れてきたら、また更新したいとおもいます。
2006年03月30日
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突然ですが、明日から日本に1ヶ月ほど帰ります。実家の方で色々な行事が4月に予定されているため、骨休みも兼ねていってきます。家の前に古い桜の木があるのですが、その桜の花をみるのは7年ぶり。南カリフォルニアはいつも温暖で過ごしやすいのですが、季節感があまりなく、1年があっという間に過ぎてしまいます。私の実家のまわりには自然が沢山ありますので、日本ならではの”春”を満喫してきたいと思います。ところで、野球の国別対抗戦に夢中になっている間に、風邪をひいてしまったようです。この5年程、一度も風邪をひいたことがなかったので自分の体力を過信していたのでしょうか? 鼻づまりでぼんやりした頭で、今、帰国の準備をせっせとしているところです。出発まで、あと5時間。次は日本から更新します。
2006年03月23日
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もー、イチローったらなんて鋭い洞察力!日本が最後には勝つことを知っていて、あんな“30年発言”までして、アジアの参加国を刺激して、皆の注目をWBCに集めながら、結局ファイナルまで行ってしまうなんて! 役者が違いますね...。(そんなわけないでしょ、って?)今日のESPNの中継でも、またもやあのイチローの発言が二度ほど流され、それに対して、という意味なのか、先週の日韓戦後の韓国のビクトリーランとマウンドに大極旗を刺した風景が何度も流され、あのマウンドに国旗を刺すという行為はひどく日本チームを不愉快にしたと紹介されていました。それはそうでしょう。自分の国の旗をよその国の大地、それもマウンドに、という行為は異常です。その上、あの大極旗をマウンドに刺したのは大リーグのピッチャーだというではないですか。米国で生活していたら(韓国以外の世界も見ているのだから)、もう少し、自分の行動を客観視するバランス感覚があってもおかしくないと思うのに、ああいう行動にでてしまうというのは、余程有頂天になっていたのでしょうね。(どっちもどっち!?)また、ESPNチャンネルは、米国チーム二次予選敗退のため、消えつつあるWBCへの米国民の関心を持続させるために、日本と韓国のデッドヒートしたライバル関係をフォーカスするという苦肉の策で、視聴者をつなぎ止めようとしているのかな、とも感じました。それにしても、松中の2塁打から始まった7回の攻撃、気持ちよかったですねえ。打った瞬間にわかった福留のツーランホームラン。小笠原への死球から里崎のエンタイトルツーベース。宮本のレフト前ヒット、川崎のラッキーな右前ヒット、ツーアウト1,3塁からのイチローのレフト前ヒットで、一気に5-0。6回までは0の行進だったから、少し不安でしたが、上原の投球は、はるかに韓国のピッチャーよりよかったので、「やっときたかあ!」という感じでしたね。8回には多村の7回での三振を吹き飛ばすソロホームランでの追加点。このまま雨による中断がなかったら、もう一度爆発できたのではないかと雰囲気でした。(今となっては何とでもいえますから)9回裏には、大塚が四球で走者をだしたりしましたが、最後はあぶなげなく空振り三振にして、「ヨッシャー」でしめくくり、6-0日本の完封勝利です。バンザーーーーーイ!日本チームの嬉しそうな顔をみて一安心。試合終了後の私は、嬉しさ爆発というより、またあの大喜びをしている韓国チームを見なくてすむとホッとし、今はとても平和な気持ちです。最後に解説者が、「月曜日のファイナルは最もメジャーリーガーの少ない2チーム、キューバ対日本が対戦するというのも意味深いですね。」と言い、成る程、そう言われてみたらそうだなあと。そして日韓戦の中継は、ESPNチャンネルのアナウンサーが、「今日は韓国、ビクトリーランなしですね」と言って放送が終わりました。(そりゃ、あたりまえでしょ)
2006年03月19日
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えらい!メキシコ!!アメリカチームが負けることを期待するのは嫌だったけれど、でも、メキシコがベストを尽くしてアメリカに勝ったのはスゴイ!メキシコも日本と同じで競り合いに弱いとか、呑気すぎるとか言ってごめん。また、例の審判の変な判定があったけど、めげずにメキシコ頑張ったね。(怒りがパワーになったのかしら?)昨日はディズニーランド行っていたとかきいたから、やる気なしかと思ったら、最後頑張ったねえ。偉いメキシコ!有難うメキシコ!
2006年03月17日
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日韓戦が始まる時間になって初めて、どこのチャンネルも日韓戦を中継していない事に気が付いた。なんてことだ!リアルタイムで見ることができないなんて…。今までどこかを探せば、私が見たい試合を放送しているチャンネルが見付かったのに。仕方ないから、WBCのオフィシャルサイトのゲームデイを開いて速報をチェックする。試合をしている映像を観ることができないのに、手を合わせながらPCのモニターを見続ける私。投手の投げたボールのカウントが一つ一つ表示されるのをじっと見ている。他にすることはないのか?しばらく、ゲームデイの更新が止まると何か日本チームに具合の悪いことが起こっているのでは、とやきもきする。0の並ぶスコアボードに不安になる。少数点差で競り合う試合、執着心や気力で戦う場合、日本に分がないんだよね。そんな風にやきもきとPCのモニターを見つめ続けて数時間。試合終了、2-1韓国の勝利。脱力感。.....まだ、これで完全に準決勝に進む可能性が消えたわけではないらしいが、人の負けるのを期待するのは性に合わない。うん、これで、やっと普通の生活に戻れる。そうそう、これで、米国とドミニカ共和国の試合を見ることができそう。米国も、日本や韓国チームと野球するより、ドミニカやキューバとする方がのびのびと力を発揮できたりして…。日本がドミニカチームとどんな戦い方するのを見たかったけれど、それはまた次回のお楽しみ。皆さん、大変お疲れさまでした。
2006年03月16日
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ESPN2チャンネルで、明日日本が韓国に勝てば、米国チームが準決勝に進めなくなる公算が高いというニュースが何度も繰り返し流されている。先に更新した日記、失点率が鍵になる の後半で細かく書いたように、明日の韓国戦で、もし日本が、6失点以下か、2点差以上で勝利すれば、失点率で米国を上回るので、土曜日からサンディエゴで行われる準決勝に進むことができる。二次予選での現状の日本の成績、1勝1敗だけみると、日本はさほど強い印象を与えていないかもしれないが、アジアラウンド、二次予選での全ての試合での得点率は(一次予選での中国相手の実績も含まれているとはいえ)日本が国別対抗戦に参加しているチームの中で一番高い筈。失点率は韓国に続いて2番目に良い。(ここが問題でもあるけれど)それを考えると、日本が6失点以下か、2点差以上で勝利できる可能性が高いと考え、米国が慌てているのである。先ずは日本が、勝利することが大切であるが、米国が二次予選敗退の危機に立ち、慌てふためいている姿は、申し訳ないけれどなんだか凄く面白い。日本チームは明日の韓国戦で思いっきり暴れて、気持ちよく米国チームに引導を渡して貰いたいものだ。
2006年03月15日
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混戦模様のセカンドラウンド、セミファイナルに進むには失点率が鍵になる。 ピッチャーには最小限の失点に抑えて欲しいと祈りつつ、日本対メキシコ戦の始まりを待つ。日本先発は松坂、メキシコはロアイザ。2回表、松中が4球を選び、岩村がセンター前ヒットを放ち、1,2塁。しかし多村のバント失敗で、三塁に向かう松中と多村がアウト。続く小笠原もファーストゴロで、2回攻撃終了。2回裏、メキシコの攻撃、1アウト四球で塁にでたゴンザレスが、中途半端に盗塁を試み、1,2塁間に挟まれながらも、西岡の1塁への悪送球の間に、3塁に進塁してしまう。西岡の戸惑った表情が映し出される。あのタッチアップの判定いらい、一気に画面への露出度の増えた西岡。実況アナウンサーも“あの西岡”という感じで資料をみなくても、NISHIOKAという名前が言えるようになった。1アウト三塁も、松坂の好投で後続を空振り三振、センターライナーで無失点に抑える。3回表、里崎、川崎のヒット。イチローの犠牲バントで2,3塁へ進塁。1アウトで西岡はピッチャーゴロに倒れ、飛び出していた3塁走者の里崎が挟まれ2アウト1,2塁。福留がセンターゴロに倒れ、ノーアウトでランナーを出しながらも、またもや、無得点。なんだか見覚えのあるパターン…となんだか少し心配になる。3回裏、松坂の気合の入った投球が凄い。「打てるものなら打ってみろ!」といった勢いで、繰り返し同じコース、内角低めにストレートを投げ続けているにもかかわらず、打者はビクとも体が動かない。どこに投げてくるか分かっているのに、手も足もでないという感じだ。メキシコ打線は3者凡退に終わる。4回表、松中のレフトヒット、岩村の四球、多村の犠牲バントで1アウト2,3塁。続く小笠原が気迫で初球をライトヒット。2者生還し2-0先制に成功する。2回、3回と走者を出しながらも、点につなげられなかった日本チーム、やっとここでホッとする私。1アウト1塁。続く好調の里崎がライトスタンドに2ランホームラン。一気に4-0へと突き放す。後続の川崎はレフトフライ、イチローはヒットを放つも、西岡が内野ゴロに終わり、3アウト。(少し西岡が調子を落としているのではないかと気になっている。周りの騒ぎを気にせず、本来のプレーを取り戻してほしい。)4回裏続く松坂の好投でメキシコ打線は3者凡退。この松坂の投球には惚れ惚れとした。大リーグのスカウトも涎を垂らして見ていたのではないか。5回表福留が、二番手投手のレイエスから詰まった当たりながらも、幸運な内野安打。続く松中がライトヒットを打つと、勢いよく3塁を狙った福留はタッチアウト。1アウト1塁。岩村のセカンドゴロで、松中は封殺、しかしダブルプレーを狙ったショートの悪送球で岩村は2塁に進塁。レイエスから多村への投球の間に岩村が3塁へ盗塁。多村のセンター前タイムリーで岩村が生還。5-0に点差を広げた。5回裏、松坂は内野ゴロ、四球で走者を出したものの、続く打者を併殺打にしとめ、メキシコ打線またもや、三者凡退。6回、7回と目立った動きなし。メキシコピッチャーは3番手のオルテガ。日本は松坂から2番手の和田に。8回表、メキシコは4番手ピッチャーオスーナに交代し、日本は岩村、多村、小笠原が三者凡退。8回裏、3番手の薮田が先頭打者のオヘダにソロホームランを打たれる。クルーズのサードフライを岩村と川崎が交錯しながらも無事にキャッチし、後続の打者を内野ゴロ、空振り三振に打ち取り、1失点、最小限の傷口に抑える。9回表、先頭打者の里崎がまたもやライト前ヒットで出塁。川崎の犠牲バントで里崎は2塁に進塁。1アウト、イチローの打席。イチローの1,2塁間を抜けるヒットで里崎生還、6-1と5点リード。西岡が4球を選んで、2塁イチロー1塁西岡。福留がライトフライ、松中が内野ゴロで3アウト。9回裏、抑えの投手は大塚。ノーアウトで二人のランナーを塁に出したが、一人をセンターフライでアウト。次の打者を内野ゴロで併殺打にして試合終了。6-1日本の勝利。しばらく出番のなかった大塚、嬉しそうにヨッシャーッ!!松坂の気迫の投球、和田、薮田、大塚の継投が、メキシコ打線を1失点に押さえ、セミファイナル進出への望みをつなげた。打線も4回の4点に続き、5回、9回に1点づつの加点によって落ち着いて試合を観る事ができた。WBCのオフィシャルサイトによると、明日の韓国戦で6失点以下か、2点差以上でで勝利すれば、失点率で土曜日からサンディエゴで行われる準決勝にすすめる、とのこと。まずは点差でなく、勝利することに集中して欲しいが、万が一、日本が韓国チームに負け、米国もメキシコに負けるようなことが起きた場合、日本は6点以内の失点に終わり、米国が2点差以上で負けた場合には、まだ日本チームは準決勝に進む事ができるようだ。(勿論、日本が負けて、アメリカがメキシコに勝ったら、点差に関わらず、セミファイナル進出は消えます。皆さんご存知ですよねー。)これは可能性として書き出してみたが、やはり、日本チームが勝利してサンディエゴに行くに越したことはない。試合後のイチローは韓国戦について問われると、強い決意を口にしていた。「日本では、受けて立ったというスタンスがあった。今回、僕らは向かっていきますよ。挑戦者です」 気合だとか負けん気で、競り合う試合は 日本チームには分が悪いと感じていた私。できれば、日本チームは淡々と点を重ね、韓国チームの闘争心が空回りしている間に、あっけなく日本の圧倒的勝利という展開がベストと考えていた。しかし日本チームが挑戦者として戦うのか...。よく考えてみたら、この国別対抗戦の出場国の中で韓国だけが、唯一の無敗国なのである。いつまでも、「本当は日本の方が強いんだぞ」なんていうような意味のない、上からみる姿勢は捨てて、日本チームが韓国チームに、競って競って勝ち越す試合、この国別対抗戦で、初めて韓国を負かす国になるのも悪くないかもしれない。エンジェルススタジアムの外野席がガラガラなのを見て、あんなに空いているのなら観に行けばよかった、とちょっと後悔している。もし日本チームがセミファイナルに進むことができたら、観にいこうと友達と話している。
2006年03月15日
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昨日の判定が覆された問題で、日本チームのこと、日本で憤っている人たちのことを考えて、すっかり疲れてしまい、今日はWBCの試合を見る気力がなくなってしまった。他に考える、心配することはないのかと、我ながら自嘲気味に、笑ってみるが、こんな風な状態になっている人は、私だけではないと思う。アジアラウンドがアメリカに中継されている時から、アメリカ人向けの解説者、実況アナウンサーの日本に対する表現に、日本式の野球に対する、好意的な印象を受けていた。日米戦が始まった時、又その最中も、アメリカの解説者が、一人一人の日本選手について丁寧に説明し、日本チームの技術の高さや、正確さは世界で一番だろうと話していた。昔の王監督全盛期の映像を流し、日本野球の伝説的選手だった王監督のことを紹介していた。試合中も、何度も王監督の様子が映し出された。多分アメリカのマルチネス監督の数倍、カメラが向けられていたと思う。試合前に日本野球、チームについてのインタビューされていた映像に、「あんなに伝説的な人なのに、謙虚で冷静で素晴らしい人格だ」というコメントが付け加えられていた。イチローの事も話題にされ、彼の跳びぬけた技術、プロフェッショナルな野球への取り組み、他の選手とは一味違う知性とユーモアのセンス等について改めて紹介されていた。少数の点差で緊張感が漂う試合が続く中で、アメリカチームだけに偏った解説するのでなく、アメリカでテレビを見ている視聴者に、こんな風に海の向こうでも、レベルの高い野球が行われているんですよ、と伝えようとする姿勢が感じられ、好感が持てた。それが、8回表のタッチアップのセーフ判定が覆された事によって台無しにされた。解説者たちも「あれは誤審だ」と言い、ストライクゾーンに一貫性が無いこと等も持ち出し、審判のレベルが低いことを批判した。昨日の試合の審判の判定に憤っている多くの日記が更新されていることを見ると、私の日記はポイントの外れたものになるかもしれない。アメリカにいる私は、実際に日本でどんな騒ぎになっているのか想像つかないので、淡白すぎるのだろうか?私が思うに、アメリカ人は疑問に感じたときは、駄目でもともとで猛抗議するが、(今日のマルチネス監督の駄目もとでした抗議が、経験と自尊心の欠如した審判によってアウトになって、“ラッキー”といったところだと思う。)その半面、駄目だとわかると、「あっそう駄目なのね」とさっさと過去の事として、すぐに切り替えてしまう。そんなところが、日本で見ている皆さんには信じ難いことと映るのではないかと思う。たまたまああいう判定になったアメリカはラッキーだったけれど、問題なのは審判の能力でアメリカチームのせいだとは思えない。アメリカ人の審判が大半を占めていることは、はじめから分かっていて、今回の事件が起きてはじめて、慌てて問題視しているのでは? 準備期間が充分でなかった、この第一回大会は、試行錯誤の大会であって、大会終了後に改善されるべき要望書のようなものが、各国が提出することになっているようだ。つまり、こういう問題は、検討されるべき一番の問題として、今後話し合われていくのだと思う。日本のニュースでは、アメリカのニュースでは全くあの問題の判定シーンの映像を流さずに、淡々と米国チームが日本に勝ったことだけが報告されているといわれているのかもしれないが、私の見ていたESPN2,スポーツ専門チャンネルでは、何度もその問題のシーンが、流されている。色々なスポーツのことについて討論する番組の中では、“汚れた勝利”としてディスカッションされていたし、日本の6大新聞の全ての一面はこの覆された判定についての記事で埋められたと紹介されていた。大会終了後には、沢山の改善されるべきアイデアが各国から出されて、3年後の第二回大会は、より公平で、魅力的なものになる事を期待したい。
2006年03月13日
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西岡のスタートが早すぎたとアウトコールされた。西岡があまりに早くホームベースに着いたので、そんな風に感じさせてしまったのだろうか。8回表、3-3の緊張したゲーム展開。1アウト満塁で、岩村の犠牲フライで西岡が生還したことで、一度は4-3になったところを、西岡がフライイングスタートをしたとコールされて、点は取り除かれ、一気に3アウトになってしまった。王監督が忍耐強く抗議したけれど、覆されなかった。話し合いは10分くらい続き、そのうち実況アナウンサーや解説者が、この審判たちは主審以外はメジャーリーグの審判でなく、主審も大リーグを退職してからしばらく経つとか、前半のうちのストライク、ボール判定の範囲も一貫性がなかったことなども含めて、批判をしだした。もし西岡が早く飛び出しすぎたのを実際見たのならば、自信を持ってコールをしなければいけない、と自信のなさそうな審判の顔をなんども映し出す。Replayをなんども流しながら、(私から見ると微妙。こんなことってあるの?)解説者は、「He did not leave early. It's a wrong call.」(念のため、和訳すると、「彼は(西岡)は早くスタートしなかった。これは誤審だ。」)と何度も言っていた。アナウンサーは、見る角度によって違うのかもしれない、とは言っていたものの、違う角度の映像は流されなかった。これは後々問題視されるに違いない、といいながらも試合は進み、日本チームは9回の攻撃で満塁にしながらも、決定打がなく、9回裏、米国チームの逆転、4x-3で試合が終了した。サヨナラを演出したA-Rodを囲んで興奮している米国チームと対照的に、呆然としている上原、納得できない表情の日本選手を写しだしながら、海の向こうの日本で、どんなニュースが流されるのだろう、と同情する解説者。(彼は西岡が早くスタートしてはいないとみているので)試合後のインタビューで、米国の監督はあの微妙なアウトコールを、西岡が早く飛び出していたと言い切っていたが、中継のブースにいる解説者は、また「He didn't leave early. It’s a wrong call.」と言っていた。うーん、最後の打者、A-Rodのつまった打球がヒットになり、4点目の打者生還。打球を取れなかった西岡が、甲子園の高校野球の試合終了みたいにグランドに寝転がってる。私もしばらく呆然。でもヒーローインタビューで、A-Rodが嬉しそうに興奮して喋っている姿を見ていたら、なんだか少し落ち着いてきた。あの大リーグのスター選手にバントまでさせて、勝ちに拘らせた日本チーム、ここまでアメリカを興奮させた日本チームはかなり凄いぞ。実況アナウンサー達は、試合前のインタビューで王監督が、「メジャーリーガーをびっくり慌てさせて、日本の野球も凄いんだぞというところを見せたい」と言っていたことを紹介し、僕達は充分に日本の野球のレベルが高いことは、前からしっていたけど、この好ゲームで、王監督の言ったことが改めて実証された、と閉めくっていた。二次予選の残り2ゲームを勝利で飾って、もう一度、日本チームがアメリカを慌てさせるのを見たいものだ。
2006年03月13日
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私はこのブログをスポーツのことについて書くつもりは全くなかったのに、一端オリンピックが始まったり、ワールドベースボールクラシックが始まったりしてしまうと、それに関することばっかり書いてしまう。もう6日も続けてWBCのことばっかり。今日は、試合がないので、そろそろ違うことを、と思いながら、やっぱり国別対抗戦のことが気になってしまう。かなりしつこい性格なのだ。きっとWBCが終了するまで、こりもせず、国別対抗戦のことを書き続け、閉幕したら寂しく感じるんだろうな。そういえば、昔、休みの日には友達とよく、ウィンドウショッピングをしながら、渋谷から表参道まで、ふらふら寄り道しながら散歩をしたのだけれど、いつも終着点は、おなじみのお蕎麦屋さん。「なんでいつもおそばなのォ!? たまには違うのにしようよ!」という友達に私は、「だってイタリアーンとか、フレンチレストランとかには、スポーツ新聞おいてないんだもの。」と答えた。あきれた友達は私がお蕎麦やさんで、スポーツ新聞を読んでいる姿を写真に撮って(当時はまだデジカメは一般的でなかった)後で見せてくれたのだけれど、さりげなくオシャレ(自分でいうのはなんですが)している私とスポーツ新聞の組み合わせがかなり変。はたから見たら私ってこんなに変だったのね、と笑いながら、この変なのも、ちょっと味があって格好いいかもね、と自分に都合よく考える図々うしい私。スポーツに全然関心のない友達に、新聞に載っていた野球の結果の感想など、おかまいなしに講釈して大迷惑なオヤジ状態だった私。今は、身のまわりにこんな話を日本語でお気楽に話せる友達のいない私には、ブログは私の良い話し相手なのかもしれない。
2006年03月12日
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今日のアメリカの攻撃は何なのだ。一昨日の敗戦のショックが彼らを目覚めさせたのか、まるで南アフリカにお仕置きでもしているような容赦ない攻撃で、17-0の5回コールド勝ち。ドミニカ共和国チーム以外は、戦うごとに驚くような結果が。アメリカに、一時はコールドゲームか、という勢いで勝ったカナダがメキシコに1-9で敗れたり、プエルトリコ1-2、延長の末キューバに6-8と、負けはしたけれど、善戦していたパナマが、二次予選進出が無くなったショックからか、今日は、オランダに、0-10の7回コールド負け。そして、キューバVSプエルトリコ戦。プエルトリコが勝つのでは、と思ってはいたけれど、7回2-12のコールド負けまでは予測していなかった。一次予選通過が確かになって、執着心がなくなったのか、ただ単に手も足もでなかったのか…。最後の7回では、意識的に死球(逃げる意思がなかったと取られ)を受けたと、痛い思いしながらもアウトにジャッジされるという失態も犯していた。(イタタタ…)投手力次第とは聞いていたけれど、オランダの18歳の投手がWBCの65球の制限ルールにも拘らず、7回コールドでいきなりノーヒットノーランを達成してしまったのにも仰天。やはり投手の出来次第で、どうにでもなるという実例か。それでも、パナマから、10点とったのだから大したものだ。一次予選は通過できなかったけれど、数少ないヨーロッパからの参加国。私は主催者ではないけれど、よく参加してくださいました、とお礼を言いたい。話はそれるが、オランダという国は、九州と同じくらいのサイズの国土なのに、この間のオリンピックでも活躍して、たくさんメダルを取っていた。 文化、芸術レベルも高い上に、いろいろなスポーツに対して、柔軟に取り組んでいて、尊敬すべき国だなあと感じている。偶然かもしれないが、ヨーロッパを旅行した際に知り合ったオランダ人への私の印象はとても良かった。WBCの話に戻る。こんな風に、一戦一戦、予想外な結果のニュースを聞くと、日本も上手く良い波に乗れれば、ひょっとしてひょっとするかも…と少し期待してみたりする。プエルトリコ、キューバ戦の解説をしていた、デストラーゼ(西武ライオンズにいた)が「日本のピッチャーは良いよー」とか、「イチローを挟んだ川崎と西岡が守備も打撃もスピーディでとても良い」と褒めていた。でも、昨日、一昨日の練習試合で、レンジャースとブルワースに逆転負けを喫している日本チーム。逆転負けってことは、2番手以降の投手が、今ひとつってこと? うーん、なんとかふんどし締め直して(こんな言い方したっけ?)頑張ってほしい。明日はWBCの試合がないので寂しいけれど、日曜日には、日本チームが米国チームと対戦する。イヤー、楽しみだねー!
2006年03月11日
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今日はWBCの試合を見ている時間がなくって、結果だけをチェック。メキシコの快勝でアメリカは明日、南アフリカに勝ちさえすれば、二次予選にすすめる。さすがに言いだしっぺのアメリカが一次予選早々敗退となると、格好も悪いけれど、やっぱり盛り上がりに欠けそうなので、望みがつながってよかったよかった。アメリカはメキシコサマサマですね。今日の試合の録画を観ながら、つくづくメキシコって不思議な国だなあ、と感じた。外見だけ見ると、そんなに特別、際立って身体能力高そう(強そう)にみえないのに、そんなに必死で頑張っているように見えないのに、でもなぜか、やっぱり強い。サッカーもさりげなく強いし。私のまわりにも、沢山メキシコ人、メキシコ系アメリカ人いるけれど、不思議だなあと感じる人が多い。明日はプエルトリコVSキューバの試合が楽しみ。でも多分リアルタイムではみれないだろうけど。
2006年03月10日
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WBCのキューバVSパナマ戦をテレビの音声を小さくしながら、パソコンをいじっていたら、突然カストロ議長の姿が映し出されてびっくり。解説は聞いていないので、ちょっと自信がないのだけれど、あの姿はカストロ議長以外の何者でもないと思い、ここに書き出しているところ。カストロ議長が、キューバVSパナマの試合を観戦している姿を見て、感慨深く感じている。数年前に訪日された時の映像に比べると、やや痩せて加齢が進んだ印象を受けたが、年をとろうと、顔に年配者特有のしみがめだつようになろうと、あの独特な目の強さ、雰囲気は、大衆の中でカストロ議長を浮き上がらせている。現在6-4の9回裏。ノーアウト満塁で、パナマが2点ビハインド。パナマが同点、もしくは逆転しようかという勢いで攻撃しているところ。今パナマの打者の幸運なポテンヒットで3塁ランナーがホームに帰り、6-5。後続の打者が三振に打ち取られツーアウトになり、緊張感の漂う場面で、なんと次の打者がデッドボールで満塁の走者押し出しの1点追加でとうとう同点になった。パナマの選手達は、あと1点で逆転と興奮した様子でダグアウトの外に出て並んでいる。(あー書くのが忙しい)パナマの打者がフライを打ち上げ、スリーアウト。延長戦へ突入。不思議なことに、今日みたキューバの選手が、オリンピックの野球でみてきたキューバの選手と少し違って見える。これはただ単に私の無知からきた偏見なのだが、オリンピックでは、いつも身体能力に優れた体を真っ赤なユニフォームに包んで、共産国キューバを代表して野球をしている姿は、あまり表情が見えず、無感情で黙々とプレー(同じ人間なのだからそんな訳ないのに)しているように見えた。ところが今日の試合は、ご近所の国、プエルトリコで行われているせいか、キューバ選手の平均年齢が若いせいか(なんと平均年齢24歳)なんだかキューバの選手が生き生きとして見える。リーダーシップの強そうなキャッチャーが、コントロールの定まらないピッチャーを大声で叱っている(励ましているようには見えない)姿に「わーキューバの選手って熱いなあ」と驚いている。こんな風に感慨深く、キューバとパナマの試合を見ているのは、もうひとつ理由がある。私には約3ヶ月前、ブログを通して知り合った、南カリフォルニアの青い空のHirokoさんという友人がいて、一昨日、Hirokoさんと近くの日系グロッサリーストア、ミツワで待ち合わせしてお昼を一緒に食べて来たのだ。Hirokoさんは42年前(私の歳と同じ)、日本にいるご家族と電話で話するのもままならない時代にアメリカに渡ってきて、持ち前のバイタリティー、前向きな姿勢、そして恵まれた知性と直感力で、日本とアメリカの良いところを取り入れながら、アメリカ社会の中で生き抜いてきた魅力的な女性である。多分Hirokoさんは、私のブログの100倍以上アクセスがある筈なのに、ブログを始めて2ヶ月半で、ろくに日記も更新しない私のところに律儀に来てくださって、短いけれど、意味深いコメントを残してくださる愛情、好奇心豊かな女性でもある。話は少し横にそれるが、私は活字中毒ではないかと思うほど読書が好きなのだけれど、天邪鬼な私の苦手な分野はハウツーもの(‘あなたもこうすれば幸せになれる’みたいなもの)と恋愛小説。(何故でしょうね? 友人の恋愛話を聞くのは好きなのですが…)そんな私が、国際恋愛・結婚のブログランキングでいつも上位にいるHiroko さんのブログについついお邪魔してしまうのは、Hirokoさんの日常的、時には非日常的な体験が彼女ならではの機微と愛あふれる目で、さらっと描かれているからかもしれない。そしてその日記は恋愛、結婚の分野をこえた、人として基本的な生き方、考え方を押し付けがましくなく、教えてくれるような気がするのだ。(何故、キューバの話から、Hiroko さんの話になったのだろうと不思議に思っている方、ごめんなさい。前置きが長いですね。)このHirokoさん、ご自分の体験を何冊かの本にして、出版している。そして、その中の一つが、Hirokoさんのキューバの探検旅行を描いた、“キューバの空からペソが降る”。画家のご主人、グレッグと友人夫婦のアルバートとミルタとともに、アメリカと40年も国交断絶しているキューバでの法を犯しての旅を、Hirokoさんならではの偏見のない普通の感覚で紹介している。共産国でありながら、スターリンやフセイン、毛沢東、キムのように自分の銅像やイメージを国中にばらまかないカストロ議長の主義。物質的には豊かではないかもしれないが、ホームレスや文盲率はゼロに近い。キューバの子供達は明るく健やかで、大人たちは貧乏でものんびりしている。そしてアメリカからの旅人でさえも、行く先を制限されずに、自由に生きたいとこにいく事ができたという点でも、その国のリーダーの大らかさがみえたという。Hirokoさんの本の殆どは、デジブックになっていて、クレジットカードさえ持っていれば、安価で手軽に読む事ができることも有難い。その他にもHirokoさんがアメリカ生活の中で、友人との信頼関係を築いたり、子育てを成功させる秘訣が、さりげなく描かれている本や、グレッグさん(このグレッグさんが“キューバの空からペソが降る。”の表紙の絵を描かれたそうです)との夫婦漫才のような生活を描いた本がある。興味がある方は、一度Hirokoさんのブログを覗いてみてはいかかでしょう?さてさて、キューバの野球の話に戻りたい。Hirokoさんの本を通して普通のキューバの人たちの生活を少しだけ知った事から、キューバの野球選手に親しみを感じている単純な私。でも昔日本が、鎖国をしていた時代に、浮世絵に描かれた白人の顔が、鬼のように描かれていたことや、ヨーロッパからアメリカ大陸に渡ってきた白人が、ネイティブアメリカンを野蛮で文明的でないと判断した歴史は、お互いの無知、理解の欠如から来ていたことだ。そう考えれば、少しずつであっても、私にとって未知である国を知り、親しみを感じることができるようになる手伝いをしてくれたこの本の意味は大きい。今はもっと色々なキューバに関する本を読みたいと思っている。この日記を長々と書いているうちに、キューバVSパナマの試合は延長11回に8-6、キューバの勝利で終了した。パナマチームには申し訳ないけれど、これでキューバが2次予選に進める可能性が増えてきた。もう少し、表情豊かなキューバチームを私は見続けたいのだ。うまく二次予選に進めたら、キューバチームがカリフォルニアにやって来る。その時にはプエルトリコで戦ったキューバの選手とは違った表情になってしまうのだろうか?テレビでは、米国がカナダに8-6で敗れたと流されている。一時、8-0で完全にカナダから封じ込められていた時には、アメリカ側の解説者が、「Mercy ruleでコールドされるようなことになったらどうしよう」と本気とも冗談ともつかないことを言っていた。この国別対抗戦、どんどん面白くなってきている。
2006年03月09日
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今、ドミニカ共和国VSヴェネズエラの9回裏。ヴェネズエラの最後の攻撃。今最後の打者になったボビー・アブレイユがフライを打ち上げて11-5、ドミニカ共和国の勝利で終わった。予想はしてはいたけど、これはかなり凄い。ドミニカ共和国が強い事はわかっていたけれど、ベネズエラの投手力も負けてないと思っていた。でも考えてみたらずば抜けてよいのはサンタナとザンブラノだけ。(ドミニカ共和国の爆発力を考えれば)一次予選の投球制限のルールで、4回までしか投げられなかったサンタナの後のザンブラノは4失点。後のリリーフ陣はあのドミニカ共和国の豪華な打者陣になすすべなし、という印象を受けた。それほどドミニカ共和国の破壊力は並みじゃなかった。9回6-5で迎えた表の攻撃、最初の打者のミゲル・テハダがまさかの完璧なバントにヴェネズエラの3塁手呆然。その後、デービッド・オルティスとエイドリアン・ベルトレのそれぞれ今日2本目のホームランで5点追加し、その破壊力を見せ付けて勝利。「いやーこんなチームに日本はどうやって太刀打ちするんでしょう?」と思ったり、「こんなチームと真剣勝負できたら、凄い経験だなあ」と感じたり。でも考えてみたら、決勝まで進まないかぎり日本チームはドミニカ共和国チームとは戦えないのですね。あまり現実的な話ではなさそうだけど、うっかりそんなことが実現したら、日本チーム、興奮のあまり泣き出しそう。WBC、始まりがどうであれ、この国別対抗戦、見出したらかなり面白い。あのスーパースター達が、それぞれの国の代表として勝負に拘っている姿をみると、凄く良いものを見たと得した気分。書いてる途中で、人に呼ばれて席を離れている間に、アメリカVSメキシコも2-0で終了。アメリカを2点に抑えたメキシコもすごいけど、さすがアメリカの投手陣の層の厚さは抜けてますね。アメリカでは、現在、国別対抗戦が行われていることを知らない人もたくさんいるようだけれど、一端ニュースでこういう試合の様子が流されだしたら、一気に火が点きそうな気がする。だって大リーグのオールスター並みのメンバーが国旗を背負って真剣勝負してるのだから。勝ったチームの選手は本当に嬉しそうだし、負けた方は、状況を受け入れることが難しいのか、呆然としている。ああいう表情は普段の大リーグの試合ではみることはできません。それから、プールDの行われているディズニーワイドワールドスポーツ(皆さんご存知ですか、このスタジアムのチケット、全席24ドル~14ドルで手に入るんですよ)のスタジアム、大リーグの球場と違って、凄く客席が近い。それぞれの国の応援団がフロリダの明るい日差しの降り注ぐ中、リラックスして楽しそうに観戦しているのが印象的でした。
2006年03月08日
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打順にしても、話題にしても、WBCのアジアラウンド、イチローに始まり、イチローで終わりましたね。3月3日の日記にも、イチローの“30年発言”が韓国チームに対する挑発だと話題になっているようだけれども、WBCを盛り上げる(皆の注目を集める)効果があったと冷静に解釈してはどうでしょう?などと書いてみましたが、熱い韓国チームに、そんなこと頼むのは無理な話だったようですね。(実際、ここのブログで勝手に書いているだけなのに、何をいっているやら…)カリフォルニアでアジアラウンドが生中継されている間、何度もイチローの“30年発言”は話題に上がり、イチローの発言が英訳されたものが省略なしでテキストにされ、10回以上画面に現れました。多分、日本と韓国のライバル関係に焦点を当てて盛り上がっているという様子を伝えたかったのかなと思います。今回のイチローの打撃の不調ぶりを指して色々言われているようですが、これだけ注目される選手、影響を与える選手という意味で、イチローは本当にすごいなと感じました。試合に関しては、4回の西岡選手の鋭い打球を韓国の右翼手がスーパーキャッチしたあたりから、日本チームが少し大人しくなってしまったように感じましたが、最後まで緊張感のある試合をみることができて良かったです。残念ではありましたが、ちょっと得した気分ですね。日本が勝てるに越したことがないのでしょうけれど、これからWBCがどこまで盛り上がるのか見当がつかない現状では、「二次予選でこの雪辱を!」という気運をつくるには良いときに負けたのかも。どこかで聞いた話だと、第一回目のWBCで米国が優勝しない方が、後々WBCを盛り上げるため、米国民の関心を集めるには良いのではとも言われているらしいですね。今度の火曜日から始まるアメリカラウンド、テレビではチラホラコマーシャルが流されていたり、大リーグとの練習試合の結果が流されたりしているようですが、やはり盛り上がりに欠けてますね。そんな中、何人かの選手、ドミニカ共和国のデービッド・オルティス選手や、故障で出場が見送られているペドロ・マルティネス選手のインタビューが紹介されたのですが、コメントの中にアメリカ、ベネズエラ、プエルトリコの名前とともに、日本の名前が出ます。上記のチームはスタープレイヤーがそろっているチームなので、「ほんまかいな」と驚きつつ、WBCを盛り上げるための気遣いなのか、それともあまりにメジャーリーグと違う質の野球をするために厄介なチームとして名前がでてくるのか、真意はわかりませんが、「本当に日本て強いのかしら?」とちょっとだけ期待をしてしまいます。深夜過ぎに生中継されたアジアラウンドの解説を1996,7年に中日に在籍していたダレル・コールズがしていました。実況のアナウンサーと同じ頻度で日本チームについての分析、解説をしつづけ、その内容があまりに好意的で、手放しで日本チームをほめるので、私はすっかり気分が良くなってしまい、試合そっちのけでダレルの解説に聞き惚れてしまいました。米国向けの中継だとわかっているのに、日本人向けの解説のような錯覚に陥った程です。彼の解説が本当に的を得ているかどうか分かりませんが、かなりの親日家という印象を受けました。実況アナウンサーの日本はどの位強いかという質問に、ダレルが、「日本は米国、ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコが持っていない力をもっていて、それはあのスピードだ。パワーは劣るかもしれないが、投手力、守備力はメジャーリーガーに劣らないだろう。そして何よりも、あのスピードは日本選手がメジャーリーガーと対等に競い合える強さだ」と言ったところ、実況アナウンサーが、ダレルの日本選手贔屓なことに辟易したのか、「つまり、君は(アメリカ人のくせに)そういうスタイルの野球が好きなんだね。」と言われてしまい、慌てて言い訳していた様子に、申し分けなくも笑ってしまいました。残りの一次予選、二次予選とアメリカ時間で行われるので、私は寝不足にならずにすむので有難いのですが、皆さんは大変ですね。日本チームが、メジャーリーガーを擁するチームにどんな戦い方をするのか本当に楽しみです。
2006年03月06日
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日本に行ったたことのあるアメリカの友達が、日本の物価の高さや、高額な高速道路料金、色々な施設を見学するごとに支払わされる入場料を指して、「日本では呼吸するだけでも有料なのではないか」と言ったことがある。そんな事を急に思い出したのは、現在東京ドームで行われているWBC(ワールドバースボールクラシック)のチケットが異様に高いという話を耳にしたからだ。どれどれと調べてみると、びっくり。確かに高い。1万円台から2万円の席がずらり。「えーっ!野球って3万人も4万人も押し込んでしまうあの球場の小さい席ひとつのために1万円も払わせるのか」とびっくり。どおりで、外野席がガラガラなわけだと納得。考えてみたら、今まで日本でプロ野球を観に行くときは、ベイスターズファンの叔父のシーズンチケットのオコボレを頂戴して(私は典型的、田舎者なので、ジャイアンツフアン。巨人戦のおこぼれを貰うのは簡単ではないのだ)いった事しかないので、チケット代がいくらなのかなんて考えたこともなかった。カリフォルニアに来てからは、4,5回エンジェルススタジアムに観戦(へへへ、松井(ヤンキース)がくる時だけ)に行っているが、30ドル払えば、充分良い席が手に入る。ならば、これからアリゾナで行われるWBCの一次予選、プールBのチケット代はどうなんだろうと、調べてみると….唖然。チェイスフィールドの席は、10ドルから50ドル。スコッツデールの席は一番高い席は35ドルである。プールDが行われるフロリダのディズニーワイドワールドスポーツというスタジアムの席は、なんと全席25ドルから14ドルでおさまっている。なんなのだこの金額の差は。ちなみに2次予選が行われるエンジェルススタジアムの席は、限られた少数のプレジデントボックス、175ドルを除けば、残りは10ドルから50ドルとなっている。こういうところを見ると、またもや日本人は甘くみられているのではないかと(日本側がこの金額を設定したとしても)感じる。同じ東京ドームで行われるのに、日本以外の試合(韓国VS中国や台湾VS韓国等の試合)は、良い席でも、5千円から8千円でおさまっている。ということは日本人だったら一万円~2万円位、簡単に出すだろうと読まれているということではないか。日本からの友達がカリフォルニアに遊びに来た時に、高級品店めぐりにつきあったことがあるが、500ドル近くする財布を買おうかどうしようかと迷っている友達に、「財布ひとつに500ドルという料金設定をしているブランドって、消費者を甘く見ているようには感じない?」と聞いて苦笑されたことがある。その友人にしてみれば、良いものは良い、値段なりの価値がある。それだけの金額を払っても、本人がハッピーになれるのならそれでよいのではないか、といったところだろう。私のいいたい事は、高級ブランドの話ではない。「財布ひとつに500ドルという料金設定をしているブランドって、消費者を甘く見ているようには感じない?」という疑問をWBCの料金設定に感じるのだ。WBCの大義名分、「野球の幅広い普及と発展のため」は次の世代の子供達を対象にした言葉ではないのか。どこの子供が一万円、2万円のチケット買うのだ。WBCアジアラウンドの試合はここカリフォルニアでも生中継されている。この日記も今、日本VS韓国の試合を見ながら書いている。昨日、一昨日の試合に比べれば客席は少しは埋まったものの、まだ空席が目立つ。料金設定のことを知らない他国の人達が、この空席だらけの東京ドームの映像を目にしてどう思うのだろう。アメリカでも盛り上がりに欠けているWBC。あの客席を見て、「おー、日本でも盛り上がっているなあ!」とは誰も思わないだろう。「野球の幅広い普及と発展のため」を本気で一番のGoal と考えるのであれば、より謙虚な料金設定から始めるべきではなかろうか。
2006年03月05日
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トリノ五輪も終わり、なんだかちょっと寂しいな、なんて思っている人たちに、「五輪の次はWBCですよー」「よろしいですかー?そろそろ皆さんもご一緒に盛り上げましょうねー!」とツアーの添乗員よろしく、旗を振りながら次の催し物へのナビゲーターの役割をイチローがしてくれているように感じる。2,3日前、幾つかのスポーツ新聞のウェブサイトに、2月21日のWBC(ワールドベースボールクラシック)に向けての公式会見の中でのイチローの発言、「ただ勝つだけじゃなく、すごいと思わせたい。戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う」という発言に韓国メディアが反応し、韓国に対する(掲載された発言だけ読むと、アジアの選手権に出場する全ての国を指しているように感じるのだけれど)挑戦的なニュアンスが含まれていると批判的に報道されているらしい。朝鮮日報のサイトには、イチローの言葉尻をとって、「イチローは30年間選手生活を続けたいもよう」と皮肉まじりの記事も掲載されている。私はとりわけイチローの大ファンでもないが、今回の発言は、中々盛り上がらないWBCに人々の注意を向けさせようというイチロー流のパフォーマンスなのでは、と感じている。その後の壮行試合後には、「それくらいの勢いで勝ちたいということ」という説明がされただけで、それ以降、”30年発言”についてのイチローからのコメントは伝えられていない。イチローの真意はわからないが、物議をかもしつつも、WBCに皆の目を集めるきっかけになればそれでよし、くらいに思っているのかもしれない。そんなことを考えながら、この日記を書いている間に、カリフォルニアでも、日本で行われているWBCの第一戦、韓国VS台湾の試合が生放送されているのを見つけた。ESPN2チャンネルと出ているが、どうも私の住んでいる地域のケーブルテレビが、たまたま流しているだけかもしれない。トリノ五輪でさえも生放送されなかったのになんてことだ。その中継の解説者もイチローの“30年発言”に触れていた。「イチローはOutspokenだけれども、Trash talkingではないのに珍しいね」と不思議がっているようだ。WBCへのイチローの前向きな取り組みは多くの記事で目にしている。ヤンキースのゲアリー・シェフィールド(個人的には私はファンです)などは、「WBCはアメリカの商業主義によって後から無理やり作られたイベントだ」と批判的なようだが、野球が五輪種目から削られることを考えれば、そうとばかり言ってられないのではないだろうか。イチローに挑発されたと感じた韓国代表チームには申し訳ないが、多少無礼であったとしても、盛り上がりの足りないWBCに注意をむけるためには効果があったと冷静に考えてみてはどうかと思う。批判的な記事に並んで、朝鮮日報のサイトに冷静な記事もあった。イチローのコメントや、日本のWBCでの活躍予想記事に対して、「韓国野球を低く見ているというより、彼ら(日本)の目が高いという表現が適切のようだ。 約120年前、脱亜入欧(アジアの狭い垣根を脱し、ヨーロッパすなわち先進国の隊列に加わるとの意味)を唱えた日本らしく、野球の目もアジアではなく、メジャーに向いている。 」と。そうこうしている間に、2-0の韓国の勝利でWBC第一試合が終わった。韓国チームおめでとう。そして台湾チーム、何度か得点圏に走者を進めたのにここぞという時に打線がつながらなくて残念でした。日本VS中国の試合も生放送されるのだろうか?でもそうなるとそれが始まるのはこちらで夜中の2時過ぎだし、それが4時間も続いたら、終わるのは朝の6時。とんでもない時間帯だ。どうか私を誘惑しないで欲しい。というより、意志の弱い私。誘惑されないよう、日本VS中国の試合が始まる前にさっさと休む事にしよう。最後に。平日の日中に行われたせいか、東京ドームの観客席がガラガラなのが気にかかりました。どうでしょう? 日本ではWBCは盛り上がってますか?
2006年03月03日
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ちょっと、負け惜しみを。うーん、日本がメダルを取れていないことについてがっかりしている方も沢山いるようですし、メダルとれなくても良いじゃないかと励ましている方も沢山いらっしゃるようですね。メダルは取れた方がいいにきまってるけど、(特に選手本人にとっては)メダルの獲得数よりも、長い期間、雪に囲まれている地域が限られている温帯気候の日本から、これだけ満遍なく色々な競技に世界の水準以上の力をもっている選手を輩出できる日本は、良く頑張っているなあと、思います。だって冬のオリンピックの競技殆どが、西洋社会から生まれた競技なんですから。(身体能力の違いは変えられないですからね)勿論、五輪は参加することに意義があるだけとは思いませんし、選手それぞれの持っている力、限界をこえる快感に五輪でチャレンジしてほしいな、と思いますが、他の国から来ている選手だってそう思っている筈だから、簡単には勝たせてくれませんよね。また、「参加することに意義があると」いう考えは、発展途上国や新興国からの参加を意味している。と厳しくおっしゃる方もいるようですが、日本の場合は、ただ参加しているだけでなく、殆どの選手が標準記録を超え、それ以上に予選を通過し、入賞レベルに入ってくる人も何人かいます。韓国、中国の躍進が目覚しいので、つい彼らと比べてしまうのでしょうが、彼らは日本のように幅広い競技には参加していません。正確にはわかりませんが、日本はホッケー以外は殆どの競技に参加しているのではないでしょうか?競技の数が増えれば、それだけ其々の競技をする人口も散らばって、ピラミッドの底辺も小さくなります。競争率も低くなります。五輪のような世界大会で勝つことを目的として考えると効率がよくないようにも思えますが、日本国民にとっては、それだけ色々なスポーツをする選択肢があるんだと考えると、恵まれていますよね。(それでも、ボブスレ-、リュウジュ、スケルトンをする機会はそうそうなさそうですが。)アメリカやロシアは五輪で勝つことは、まさしく国力、経済力、軍事力を国際社会に誇示することと、同じ感覚で選手を育成しているのかも。国際社会のリーダーであることをとを示すために。(どこの国もそう? うーんそうかなあ...)それ以外の国々は..。ドイツも頑張っていますが、殆どが寒い国の人たちです。ある意味では、先進国とそうでない国とのボーダーラインに微妙に立っている国のほうが、メダルをひとつでも多くとることによって先進国であるということを証明するために頑張っているのかもしれません。高慢な見方かもしれませんが、日本が豊かになると共に、現代の日本人は、ハングリー精神がなくなったという見方と一致していると思います。オーストラリア、イギリスもまだメダル一つずつしかとっていません。オーストラリアの金メダルはカナダ出身の人がとったものです。私はカリフォルニアで、日本の五輪のニュースは殆ど見ることはできないので、インターネットでチェックしているだけですが、メダルがゼロだという少し沈みがちなニュースをチェックした後で、テレビでアメリカの五輪のニュースを見ていると、当然とアメリカの選手を中心に紹介されていますが、レースの流れの中で、他国の有力な選手も紹介されます。そんな中にちらちらと日本人選手をみると日本のニュースで言われているより、ずっと良い印象を持ちます。露出される時間も短く、確かにメダルは取ってはいないけれど、日本人はコンスタントに色々な競技に出て、世界レベルで果敢に戦っているではないか、と嬉しくも感じます。昨日のアイスダンスに出ていた木戸さんと渡辺さん、現在16位だそうですが、あの美女美男コンテストみたいなアイスダンス選手の中で多分唯一のアジア系の参加ですよね。あんなバービー人形のような選手ばかりの中にいて、どんな気持ちでしょう? 本当にチャレンジですよね、凄いなあと思います。今、五輪のオフィシャルサイトをみたら、女子カーリングのイタリアとの対戦、結果でました。勝ったようですね。凄い!あとはスイスにもう一勝すると、準決勝進出できる可能性がでてくるんですね。うーん、やっぱり勝ち進んでくれると、うれしいですね。地味なスポーツ、注目集めるのに良いチャンスですね!頑張れ、ニッポン!!
2006年02月20日
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私はながら作業が好きなので、近頃は、パソコンに向かっている時は、オリンピックのニュースをつけたままにしておいて、興味のあるレースがはじまると注意を向ける。いや、実を言うとアメリカにはオリンピックの情報ばかり専門にながすチャンネルが決まっていて、殆ど一日中繰り返し、五輪に関するニュースを流すのだが、視聴者の注意を逸らさないために、録画した各種目の面白そうなところを、少しずつ流すのだ。つまり、フィギュアスケートだったら、始まりから終わりまで一気に見せずに、最初のグループの出来の良さそうな数人のパフォーマンス30分程をみせたあと、次はスピードスケートの予選の主だったところを30分ほどみせ、次はスキー競技の予選、そしてショートトラックの予選。忘れたころにやっとフィギュアスケートの第二グループをみせてくれる。そうすると、フィギュアスケートだけをみたい人も、見逃したくないので、ずーと同じチャンネルを見続けなければならないのだ。普段は余りテレビを見るほうでないので、特に決まって見たい番組があるわけでもないので、チャンネルを変える必要がないので、あまり問題はないのだが...。(なんてことはない、実をいうと、半年前の引越しの時にテレビのリモコンを失くしてしまい、今はテレビのところまで行ってチャンネルを変えなくてはならないので、面倒臭がっているだけなのかもしれないが。)五輪用のチャンネルをつけたままにしておくと、時々思いがけない裏話が聞けて得をしたような気がすることもある。例えば、昨日のスピードスケート男子1000メートルでアフリカンアメリカンで初めて個人競技で金メダルをとったシャニー・デービスの(このシャニー・デービス、アメリカのスケートチームの中で、孤立していることでも話題になっていますよね。金メダルの表彰式でも、喜びを押し殺した表情が印象的でした。)ベストフレンドはアポロ・オーノだとか、3日前のスノーボード男子クロスで金メダルをとったセス・ウエスコットの親友もアポロだとか。勿論私はアポロの友達でも、親戚でもないけれど、日系人であるアポロが皆から好かれているのを聞くのは嬉しい。アポロに対する注目度は、4年前の韓国選手が失格になった問題も関連して、今回の五輪でもとても大きいと思う。でもメディアの彼に対する扱い方などを見てると、その注目度が、4年前の問題からの人気だけでなく、彼の人格からきているということを、垣間見れるような気がするのだ。昨日の男子ショートトラック1000メートルの決勝で、一位、二位が韓国の選手で、アポロは三位に終わった。ゲーム後のインタビュー、NBCのスタジオに招かれてのインタビューで何度も、「今回は韓国の二人の選手が組んで、最後にアポロにわざと追い抜かせない様にしたと感じたりしなかったか?」と、何度も聞かれていたのだけれど、その質問に対して、「どこの国の選手もレースに2人以上が一緒になると、お互いを助けようとする傾向があって、その傾向が特に強いのが韓国で、それが少ないのがアメリカのチームだと思う。「韓国の選手が、僕にだけは勝たせたくないというのは強く感じてたから、それはありうる事かもしれないけど、それ以前に、彼らは充分強かったんだよ。」「それよりも、ショートトラックは運やタイミングが大きく勝負に影響するから、1500メートルの時みたいに決勝に進めないこともある。それを考えれば、最後まで勝負のかかったレースに参加できて、僕はハッピーだよ。たとえそれが金メダルでなくてもね。」「それに僕は、4年前に、金も銀ももらっているから、今度は銅メダルがそろって嬉しいよ。」といっていた。コメンテーターの質問に引っかからずに、正確に注意深く、でも自然体で自分の気持ちを伝えようとしているアポロの姿を見て、とても頼もしく感じました。ところで英語ですが、アポロのお父さん、ユキさんのオフィシャルブログがNBCのウェブサイトに掲載されているのを見つけました。<http://www.nbcolympics.com/accessapolo/index.html>昨日は、韓国選手の金銀メダル獲得の祝辞から始まっています。ユキさん、こうやってアポロを育てて来たんだなあといった、一端が見えるようで、またこれも優しい気持ちにさせてくれます。スピードスケートのシャニー・デービスに対するユキさんからの祝辞ものっています。よろしかったらご覧になってはいかがですか?
2006年02月19日
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今日は久しぶりに、ジムに泳ぎに行ってきました。今までは、一日おき位の割合で1km~2kmコンスタントに泳いでいたのですが、ここしばらく、約一ヶ月半くらい怠けていかなくなっていたのです。久しぶりに行くと、見慣れたメンバーが、どうして暫くこなかったんだとか、何かあったのかと色々聞いてきます。いや、ただ怠け者になってしまっただけなんだ、と応えるのだけど、会う人会う人に聞かれるので、同じことを応えるばかりでは面白くないと、「現実逃避のため、一ヶ月半眠り続けてたんだ」とか、「ちょっと月に旅行に行っていた」と応えてみました。その中で“現実逃避で眠り続けていた”というのは、日本的感覚らしくて、皆一瞬反応に困っているようで、ちょっと申し訳ないなと思いながらも、アメリカ人の困惑している様子をみるのは興味深く、楽しんでしまいました。でも念のために付け加えると、私は、これを悪意や、からかう気持ちからそういうことをしているのではありません。私は、異文化間コミュニケーションを通して、ちらちらと微妙な違和感というか、文化背景の違いからくるズレみたいものを感じるのを、楽しむ傾向があるので、同じ楽しみをアメリカ人にも提供しようとしているのです。 でも、アメリカ人はそんな細かいことには関心はないかもしれないし、ちょっと押し付けがましいかもしれませんね。さて、スイミングですが、私は水との相性が非常に良いらしく、久しぶりに泳いだにもかかわらず、1km~2km泳いでも、全く疲労感を感じないのです。フィットネスジムのプールなので少しプールが短く、25ヤード。1ヤードが91.44cmですのでメートルになおすと多分22.5メートル位なのだと思います。それで1kmを計算するのが面倒なので、大体30~40往復すれば、良い運動になるかな位に考えて泳いでいます。はじめの20往復をクロールで、残り10~20往復をプールが空いていたら背泳で。バックで泳ぐのは、私のリラクゼイション時間で、半分は手も使って泳ぎますが、残り半分は、私の体がギリギリ浮かんでいる速度で、足のキックだけを使って、ゆったり夜空をみながら泳ぎます。(言い忘れましたが、このプールは屋外にあるのです。)その日によって違う夜空を見ながら、ゆっくりぷかぷか両手を大の字にひろげて浮かびながら、泳ぐのです。まわりから見たら、変な奴にみえるかもしれませんが、これは私が、現実の世界にいながらにして、自分が宇宙の一部だと感じたり、一瞬異次元の世界に入いりこんだような錯覚を感じられる不思議な時間なのです。きっと夜の海で泳いだらもっと不思議な感覚を味わうことが出来そうだなと思ったりしますが、やっぱりプールで浮かんでいるから安心感があって楽しめるのかなと思います。皆さんも、誰もいない屋外プールで泳ぐ機会があったら、夜空を見ながら泳いでみたらいかがでしょうか?
2006年02月16日
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何がなんでもありなのか?昨夜、オリンピックのアルペン複合をみていたら、アメリカの選手がスタートするときだけ、妙にうるさいがなり声が聞こえる。選手がスタートゲイトに立ってから、スタートするまで(スタートしてしばらくしても続く)「カモン テディ! ゴウ!テディ! ゴウ!ゴウ!ゴォーウ!!! 」なんて掛け声が聞こえる。(このテディは、テッド・レガティのこと)なんだか随分にぎやかなコーチがいるんだな、と思っていたところ、NBCのコメンテーターのいうところ、なんとプロの俳優(コメディアンらしい)が、選手のモチベーションを上げる役割の為に使われているという。60代後半くらいの恰幅の良いおじさんで、名前は聞き逃したのだけれど、声が朗々というか、がなり声というか、かなり大きい。選手を発奮させるための役割に、俳優使うってことを思いつくアメリカ。さすがだなあ~、と感心してしまいました。私が見た限りだと、アメリカの選手がスタートゲートに立って、さあ行くぞ!という段になるまで、控えめにゲートの後ろの方に立って直前になって、あの掛け声が始まるるように見えた。あの狭いゲートで、選手の邪魔にならないようにしながら、効果的に声を掛けるようにするには色々気をつかうだろうなあ、なんて考える私はやっぱり日本人なのかしら。日本人選手だったら、それぞれ好き嫌いがありそうだし、中には、「うるさくて集中できない」と嫌がる選手もいるかも。でも、アメリカ人でオリンピックに出るような選手が、そんな繊細な事いっていたら、男をやめろ、と突き放されるかも。(アメリカで男でいつづけることは、ある意味どこの国より大変なことのように感じることがあります。話はズレますが...)それとも、日本人に限らず、他の国の選手も「アメリカ人の精神構造は理解できない」と言っているかもしれない。多分、明日以降のアルペン競技でも、選手を発奮させる仕事は続くと思うので、アメリカ選手のスタートする時にゲートの後方にいるブロンドの大柄なおじさんに注目してみてはいかがでしょうか?
2006年02月15日
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米国フィギュアスケート代表のミッシェル クワンが五輪出場を辞退した。従来の右足の故障が悪化したためだという。代わりに出場する選手はエミリー ヒューズ。前回の五輪金メダリスト、サラ ヒューズの妹だ。「なんという因縁だろう」とうなっているのは私だけだろうか。3週間前の日記、“Battle of Giants”のExtra Commentで、ミッシェル クワンとサラ ヒューズのことについて触れている。4年前のソルトレイクシティでのオリンピック、フィギュアスケートで、誰も期待でしていなかった、サラ ヒューズがノーミスの演技で、5度の世界選手権で優勝し、五輪でも優勝することを期待されていたミッシェル クワンの目の前でいとも簡単に金メダルをとり、アメリカ中が彼女の快挙を祝福していた中、ミッシェルが悔し涙を流しながら、サラにお祝いのハグをしていた姿に、胸が痛んだという話である。ミッシェルが出場を辞退したという決断の背景には彼女の複雑な思いがあると思う。オリンピックに出るレベルに行き着くまでのきつい練習を経験してきた選手だったら、誰だって、オリンピックに出場したいと思うだろう。ミッシェルが米国でのオリンピック代表選考会に参加せずに代表に選ばれたことに対して、批判もされていた。その代表選考に関しては、若い選手に機会を与えるため、辞退するべきだとか、色々な意見もあるようだが、私個人の意見は簡単である。若かろうと、ベテランだろうと、五輪で最も力が発揮できる可能性のある人間が選ばれれば良いと思う。(それに、金メダルをとったサラ ヒューズは金メダルをとった後、さっさと引退している。彼女の例に関していえば、これでは若い選手に機会を与える意味はないのではないかと思う。)そして、選考会側が、たとえミッシェルが高いジャンプを跳べなくとも、故障が回復しさえすれば、彼女の完成度、表現力はまだまだ世界で戦えるレベルと判断したのだろう。ミッシェルも13歳で天才少女と呼ばれていた(当時は年齢による五輪参加の制限はなかった)時代があった。リレハンメル五輪出場選手の補欠として全くスケート靴を履く機会を得ずに帯同した経験がある。彼女の五輪2回の出場の経験で、その2回とも金メダルの有力候補だったミッシェル。(残念ながら、どちらも、同じ米国代表の若手に金メダルをさらわれた。)それでも、彼女が出場を断念するのは、ミッシェルにとって、五輪は、ただ参加さえすれば良いのではない。米国の代表として勝たなければならないというプレッシャー、責任感、現実を直視する彼女の冷静な目が出場を辞退するという決断に至ったのではないかと思う。この期に及んで、出場を辞退を発表すれば、大騒ぎになることが分かっていても、自分に勝つ力がないと判断したら、補欠のエミリー ヒューズが米国から駆けつけて準備ができる期間内に発表するべきだと考えたのだろう。女子フィギュアスケートショートプログラムまで、一週間。ミッシェルの体調が回復する可能性もあったかもしれないのに、決断をしたのは、米国代表の責任感からで、最悪の状況を考えてのことだと私は思う。これ以上、まわりを混乱させないよう、できるだけ早く選手村を離れるつもりだといっていたミッシェル。フィギュアスケートから離れた生活など、彼女にできるのだろうか?最後まで、強い心で記者会見していたミッシェルの未来が明るいものであることを祈っている。
2006年02月12日
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またまた、カクタス盆栽です。オリンピックが始まりました。突然、私の島国根性がむくむくと湧き出してくる時です。とはいっても、私のテレビでは、アメリカ代表の選手を中心の放映する番組しか見ることができないのですが。日本人が活躍すると、つい興奮して、語ってしまう私を、余裕の微笑で「へーよかったねー」とか「へーすごいねー」と軽く受け流すアメリカ人の友達。このときばかりは、私は自分をナショナリストではないかと感じます。金メダル有力候補がいたとしても、時差の関係で生放送すらしないアメリカ。 こんなところにも、お国柄の違いを垣間見て、「いやあ、あなた達にとって、メダルの一つや二つ、そんな大騒ぎするほどの事でもないことはしってますよ。」と思ったり。冬のオリンピックはそれぞれの国の経済力の差が、より顕著に出る大会なんだなあ、とも感じました。夏のオリンピックの陸上競技はお金はなくても、場所さえあれば走る練習はできますからね。(勿論気候の違いも大きいですが。)こういう国際的な大会をみると、日本はアジアの一部なんだと、当たり前のことを、改めて感じます。そういうことを考えながら、開会式をみてると、メダルの獲得数はそれほど問題でなく、(身体能力の違いは変えられないですからね。)世界の標準記録を超える選手をこれだけ輩出できる日本は、良く頑張っているなあと、手前味噌で感心した私。日本人でよかったと思える瞬間に、もうひとつのカクタス盆栽の写真をのせることにしました。
2006年02月12日
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なんだか最近、手を抜いて、自分の植物を紹介する習慣がついてきたようで、「あれあれ、このままだと植物紹介のブログになってしますのだろうか!?」と心配していますが、園芸好きなのも事実なので、逆らわずにやっていこうと思います。でも、長々と文章を書くことも好きなので、時間に余裕があるときは、植物なしの日記も書きたいと思います。では、今日は、ネイティブアメリカン御用達、アガビです。 アガビ、センチュリープラント (Agave americana) 写真の向こうにブーゲンビリアが見えますが、その向こうに本当は太平洋が見えるはずなのですが、曇り空だったため、はっきり写りませんでした。そしてその海の向こうには、日本が…とそうは簡単にはいきませんね。たぶん、あの海の向こうはフィリピンかインドネシアがあるのかな、と思います。この多肉植物のアガビは、アメリカの南西部、メキシコのいたるところに生息しておりまして、昔からネイティブアメリカンの生活必需品の大切な資源だったようです。鋭いとげがペンの役割をしたり、針になったり。中身が繊維状になっているため、その繊維が糸になったり、またはそれを使って、生地を編んだりしていたようです。アガビのファイバーから作ったサンダルなんだか、日本の草鞋みたいですねえ織物をする女性アガビの葉の中心に沿った柔らかい部分は料理の材料として食されました。アガビのジュースはからは、薬が作られ、メスカル酒やテキーラの材料としても有名です。アガビ、センチュリープラント(Agave attenuate)もっとも一般的なアガビは、センチュリープラント(Agave attenuata)と呼ばれるものですが、私はそれを育てていないので、そのハイブリッドの写真です。(葉の両脇がクリーム色で縁取りされていますね。本来のセンチュリープラントは縁取りがありません。)以前の日記でも、言いましたが、私はサボテン、多肉植物類を使った庭造りが大好きで、この庭を作ったのですが、実をいうとあまり花には興味がありません。でも私の住んでいる家の家主さんが花を好きなので、折衷案で、アガビのそばに、白い花を植えました。でも、この花も普通のマーガレットのような花に見えるかもしれませんが、アガビと同じくらい乾燥した土壌につよい頼りがいのある花です。アガビは育つのはゆっくりですが、特にこの写真のアガビ(Agave americana)は大きくなると直径2メートルほどになります。そして充分成長した後に、株の中心から太い枝(Shoot)のようなものが20~30メートルの高さに突き出てきて、その先に花を咲かせます。花を咲かせているアガビ この枝が遠くからみると、一本だけ空高くそびえていているし、花の付き方が、なんだか松のように見えて格好良いのです。でもドラマティックなことにこのアガビ、花を咲かせて、実をつけた後には、死ぬ運命が待っているのです。一般のアメリカ人には、あまり人気のない植物のようですが、この素っ気無く、大胆なシルエットとブルーグレイのアガビは私の大好きな植物の一つです。
2006年02月08日
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今日は偶然できたお目出度い寄席植えの写真を紹介します。 お目出度い寄席植え 一昨年購入したシクラメンを夏越しさせることができたので、スネークプラントと寄席植えしました。これは実は、3株のシクラメンを一緒に植えているのですが、植え付けるときには、どの株が何色のシクラメンの花をつけるのかわからなくなってしまい、適当によせたら、紅白のおめでたい配色になってしまったのです。シンプルなものがなんでも好きな私は、実はあの白地に赤の日本の国旗、個人的には大変好きなのですが、(あの国旗について、色々いう人はいるようですが)どうも、花の色の紅白は、なんだかいただけないなあ…と私のなかでは、少し不評なのです。とはいうものの、元気にきれいに咲いてくれたので、あまり可愛くなくても、自分の子供は可愛いと思う親ばかな気持ちで、紹介しました。うしろの背の高い植物、スネークプランツは、大学のHorticulture Science(直訳すると“園芸科学”になってしまうのですが)のクラスで、色々な植物をどうやって、繁殖させるか、という実技を先生が見せてくれた時、縦長のスネークプランツを10cm単位に切って、ピートモス差し込んで見せてくれたのですが、授業後、バラバラになった植物や、ピートモスをゴミ箱に捨てようとしている先生を、“もったいない精神”の日本人(私)が止めて、家に持ち帰り、育てたのがこのスネークプランツです。後ろ側からみると、挿し木をした当初の10cmのままの部分が残っています。 後ろ側 このスネークプランツ、半日陰~日陰の場所ではとても強い植物で、どの植物と組み合わせてもバランスが良いので重宝して色々な植物と組み合わせています。生け花に使っても、効果的です。挿し木にする場合も約2カ月位で根がつきだしますし、1年もすると、この写真のように若い葉が出てきて、見てくれもよくなりなすので、皆さんも挿し木にして増やしてみたらいかがですか?
2006年02月07日
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昨日、載せたカクタス盆栽の写真をお褒めに預かったので、また調子にのって、南カリフォルニア版門松の写真を載せたいと思います。 南カリフォルニア版門松 この背の高い植物は、カリフォルニア グレイ ラッシュといいまして、(ラテン語で、Juncus patens)地中海気候の南カリフォルニアの乾燥がちな気候にも、少し湿度の高い気候にも合う、柔軟性の高い植物のようです。 上をちょんぎる前のカリフォルニア グレイ ラッシュ 外観は少しホーステイルにもにているかもしれませんが、ホーステイルのように、あまり水分を必要としませんし、繁殖率も高くないので、他の植物を脅かす恐れがないので、安心して地下植えできます。でも、どの程度寒さに強いのかはわかりません。 ホーステイル 5年前に購入した、時は80cmくらいの高さだったのですが、地面に直接植えたら、居心地が良いらしく、私の背より高くなりました。去年の暮れ、涼しい季節に株分けするついでに、日本の習慣を真似て、家の玄関にこんな風に飾ったら、門松の役割でもするかしら、植えてみました。両脇のポインセチアは、一昨年のものを株分けして、上手く夏越しできたので、一緒に飾ってみました。近所の人たちにも、南カリフォルニア版門松は新鮮らしく、Krishna丸がまた変わったことをしているとのぞきにきたり、このカリフォルニア グレイ ラッシュが、実はここカリフォルニアでもあまり一般的に市場にでていない植物なので、少し分けて欲しいと言ってくるひともいます。玄関のドアに彫ってあるイルカの彫刻をみると、私が凄く素敵な家に住んでいて、優雅にくらしているように思われるかもしれませんが、そうでもありません。60代後半の神父と心理学者の夫婦が住んでいるこの素敵な家の一画(ガレージの屋根裏部屋に台所とシャワーをつけてもらって)にただ同然の家賃(といっても、相場の1/3位の家賃で)で暮らしています。わたしとは別に、庭師を雇っていますので、私が、庭の手入れを義務的にする必要はないのですが、私がそこに住んでいる限り、気が向いた時に植物の手入れをしたりするので、庭がきれいに保たれると喜んでくれているようです。
2006年02月05日
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しばらくの間、少しあわただしいので、手抜きして、わたしのガーデニングの一部を紹介したいと思います。 カクタスボンサイ(サボテン盆栽) 私は、サボテンや多肉植物がが造りだす、彫刻的な、造形的なシルエットが好きで、よく私の庭のデザインに使います。(決して、手軽だからというばかりではないんですよ。)そして、その造詣的なシルエットが、日本庭園のゆったりとしたスペースの中に、効果的に配置される岩や木のような役目を果たすのではないかと思い、こんなの鉢植えををつくり始めました。自分で勝手にCactus Bondai(サボテン盆栽)と名づけて喜んでいます。普通の盆栽より、手入れも余り要らないし手軽なので、アメリカ人の友達に、プレゼントすると、とても喜ばれます。
2006年02月05日
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私には、カリフォルニアに来て以来、7年間親しくしてもらっているスティーブという友達がいる。前の日記で書いた、 The Tao of Steve その2の 怠け者のスティーブとも、26年前に短期交換留学生としてホームステイさせてもらった家の しかめっつらのスティーブとも別人だ。(こちらには、名前のバリエーションが少ないのか、スティーブだのマイク だのジョンだのという名前の人がたくさんいて混乱しますね。)そのスティーブがこの間、約一年と半年のバックパックを担いでの貧乏世界旅行から帰ってきた。スティーブは、テレビなど、ほかの人の目を通して描かれた海外でなく、自分の目で、それぞれの国、地域の姿を感じ取ってみたいと、ポルトガルから始まってギリシャ、アフリカ、中東、南アジア、19カ国をゆっくり廻ってきたのだ。そのスティーブ、その旅行の一環として、日本にも行った。正確にいうと、2年前の暮れから正月にかけての私の日本への帰省に同行したのだ。スティーブ曰く、日本にも、いきたいけれど、日本の物価は他の国に比べるととても高いので、普通に旅行したら、彼の用意した旅費の1/3位が日本旅行で消えてしまうだろう。それに、かれが本当にみたいものは、普通の日本人の生活なのである。平均的な日本の家庭がどんな生活をしているかを見ることよって、その文化、歴史的背景を感じ取ってみたい。そうするには、田舎でなくては駄目なのだ。どこの国でも都会は、西洋の文化を進んで取り入れる傾向がある、そんな西洋化された生活を見ても面白くない。そういうスティーブは、以前から私が、私の家は田舎だと言っていたことを覚えていて、私の家に連れて行ってくれないかと頼んできたのだ。面倒くさがりの私は、どうせ日本に帰ってもどこに遊びに行くわけでもなく、家でごろごろしているだけだし、どこの家でも、暮れから正月にかけては、日本らしい行事がある季節だ。そして、何より好奇心旺盛な私の家族はスティーブの滞在を面白がるだろう。私の家族は両親と兄夫婦、その3人子供達、計7人が同居している。弟は(参照兄と弟)家から車で10分弱のところにお嫁さんと暮らしている。私の家自体は、昔ながらの古い造りではないが、いまだに炭炬燵を愛用しているし、毎年暮れには、親戚に配るための餅を臼でつく。知的探究心が強く、お坊ちゃま育ちでないスティーブは、私の田舎者の家族との交流を楽しむだろう。そして、なによりも、私の3人の姪っ子(当時16歳~10歳)の良い刺激になるだろう。そんなことを考えながら、私はスティーブをつれて帰省することを決心したのだ。スティーブの滞在の中で、一番の目的はスティーブ自身が、日本を知ることだった。しかし、一ヶ月間スティーブの通訳として過ごし、彼の目を通したものを、日本語に置きなおしたり、反対に私の家族が話す日本語を英語に置き換えるというプロセスを繰り返しているうち、西洋文化を持っている人間がどんな風に日本を見るかという、ありきたりのようだけれど、実はとても新鮮な体験ができた。また、私の体験とは少し違うだろうが、私の家族や近所の人たちが、手軽な異文化コミュニケーションを体験ができたのではないかと、勝手に私は喜んでいる。一ヶ月のスティーブの日本探検の内のいくつかを、少しずつ紹介したいと思う。まずは、ゲートボール篇から。私の実家について、一週間後、私とスティーブは私の父の妹が経営している民宿が主催した、ゲートボール大会に出場した。そう言うとなんだか立派に聞こえるかもしれないが、実をいうと、私の家から歩いて10分程の古い田んぼにゲートボール用のコートを8面はっただけの大会会場である。参加者の平均年齢も多分70歳くらい。農家の農閑期の一番の娯楽であるゲートボールに少し腰の曲がりかけたおじさんや日焼けを気にしてツバの広い帽子を可愛くかぶったおばさん達が楽しそうに集まっている。私の叔母はちょっとした町の人気者である。強いリーダーシップを持っているが、物事に拘らない陽気な性格なので、誰からも好かれるらしい。そんな叔母が、マイクを片手に「1番コートにウサギさんチーム、2番コートに昔の別嬪さんチーム…」などと紹介しているところに、私とスティーブが到着すると、日本語が全然わからないスティーブにおかまいもせず、「はいはい、スティーブ、スティーブはゲートボールの達人チームに入ってくださーい。」とゲートボールのルールも全く知らないスティーブを無理やり押し込む。私は参加者が、差し入れに持ってきたタクアンやおでんをいそいで口の中にほう張りながら、スティーブの後を追いかけてルールの説明をする。私もろくにルールを知らないので大変である。ルールも知らない割にスティーブのスティック捌きは中々上手い。初めてなのに、チームの戦力の一たんを担って、得意満面でゲートボールをする。チームメートにも褒められてご機嫌だ。(私も後で挑戦してみたが、下手くそだった。)一通りの試合が終わって、お昼の時間だ。叔母は民宿をしているので、簡単な昼食が参加者に配られる。赤ら顔の飲兵衛のおじさん達が、スティーブにも湯のみ茶碗についだ日本酒をすすめる。残念ながら、スティーブは一切お酒は飲まないので、丁重にお断りしたが、スティーブはおじさん、おばさん達に気軽に話しかけられて(勿論、日本語で)とても嬉しそうだ。(実は日本に着いて早々のうち、私の友達に紹介したり、近所を連れて歩いたりしてみたのだが、若い年代の方達は、恥ずかしがってあまりスティーブに話しかけようとしなかったのだ。まあ、日本語を喋れないスティーブにもモンダイがあるのだが、日本で人とコミュニケーションを取る難しさに直面して、ちょっとがっかりしていた矢先である。)スティーブは、「おじさん、おばさん達、みんな優しいねえ。ああやって お酒をすすめたり、冗談をいったり しながら、僕と繋がろうとしてくれるんだねえ。」とか、「ゲートボールは、働き者の農家の人たちの、農閑期のちょうど良いエンターテインメントとして定着した文化なんだねえ。」といっている。私は、「エンターテインメント!? 文化!?」とあまりの立派な言葉に驚きながらも、「まあ、確かに、カラオケが文化なんだから、ゲートボールも文化だよね。」と思ったり、田舎のおじさん、おばさんの冗談を、“人が人と繋がろうとしている優しさ”から来ている、と解釈しているスティーブを、見て感心してしまいました。違う文化をもっているからこそ、表面的な部分を通り越して、純粋に核にあるものが見えるのだ、と。一種のカルチャーショックです。現代の日本の若者が、スティーブと同じ状況に置かれたら、どんな反応をするのでしょう? “おやじギャグ!”と笑ってくれたら、まだ良いほうで、殆どの若者は田舎者のおじさんやおばさん達に注意も向けないのかもしれません。その日、スティーブから受けた、カルチャーショックを早速、夕飯の時、家族に話しました。私の姪っ子たちは目を白黒させて、話を聞いていました。今まで、適当に愛想笑い(私の姪っ子たちも、子供の割りに調子が良いのです。)をしながら、聞き流してきた田舎のおじさん、おばさんの冗談は、“人が人と繋がろうとしている優しさ”から来ているのか...どこまで、姪っ子たちが理解してくれたか分かりません。今はまだ無理かもしれませんが、いつか、ひょっとした拍子にこの事を思い出して、自分と違う価値観を持った人や、違う表現の仕方をする人を敬い、根底にあるシンプルな気持ちを理解しようとする優しくて大きな心を持ってくれたらなあ...とたまに帰ったとき位、いつもお世話になっている兄夫婦の子育てに、少しでも貢献できたらと思っている叔母さん(私)は思いました。スティーブを連れ帰ったことで、面倒な思いも色々しているだろう、私の家族が、それが、何でもないことのように思えたら、スティーブ訪問は、スティーブにとっても、私の家族にとっても大成功です。これからも、時々、スティーブ訪問のエピソードを書き加えていくつもりですので、又のぞきに来て下さい。ではまた。
2006年02月01日
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私は良く夢を見る。というか、目がさめても憶えていることが多いように思う。その中でよく憶えている夢が、空を飛ぶ夢。多分、殆どの場合が誰かに追いかけられて、逃げるために、苦し紛れに都合よく自分に空を飛べるようにしてしまう。逃げているときは、捕まるんじゃないかという根拠のない恐怖感のために、全身に力をいれ、肩も張って、呼吸が苦しくなるあまり、目が覚めるといった流れで、空を飛ぶ夢を憶えていることが、多いのだとおもう。でも、この間みた空を飛ぶ夢は、何故か逃げる夢ではなかった。宇宙をゆったりと遊泳する夢なのだ。(私は科学音痴ですので、科学的事実とされていることと、食い違うことを見つけても、笑って許してください。)いつもは両手両足を広げ、平衡感覚が上手く取れるようにしながら空を飛ぶのに、その日はなんだか、椅子に座ってちょっとロダンの彫刻の“考える人”のようなな姿勢で遊泳しているのだ。私の夢の中での勝手な一般常識としては、こんなんで普通は、空飛べない筈なのに、今回は“考える人”の姿勢でも飛んでいたのだ。でもよく考えてみたら、もうそこは宇宙で無重力なんだから、どんな姿勢でもOKなのかも知れない。夢の中の話に辻褄を合わせようとする事に無理があるのかもしれない。本当の宇宙が、実際どんな風なのかはわからないけれど、何故か私の泳いだ宇宙は漆黒の闇だった。本当に真っ暗で、何も見えないのに、何故か全然怖くないのだ。怖いどころか、すごくゆったりした気分で気持ちが良いのだ。なんだか、水よりずっと重たい液体のなかで、ぷかぷかと浮いているような感じ。時々、流星群がぶつかるのか、なにかが当たるように感じるのだけれど、不思議なことに全く痛くないのだ。おかしいなあ、当たっているはずなのに。この無重力で遊泳することが、とても心地よくって、ずーっとこうしていたいと思った。ずーっとずーっとこうして遊泳していられたらなあ….と欲をかき始めたあたりから、うっすらと夢から目が覚めだした。目を覚ましたくない、もっと宇宙遊泳していたい、そう思えば思うほど、頭はすっきりしてくる。もうここまできたら、夢には戻れないことはわかっている。「あー….気持ちの良い夢だったあー。」仕様がない、諦めて目を覚ました。あーなんだろ、今まで見たことのないような、凄くおだやかな気持ちになれた夢だったなあ。あー、なんかまたあそこに戻りたいよ。そこで、なんだか私は、変な気がしてきた。「戻りたい?」「何処へ?」「あの宇宙へ?」「あの宇宙って何処?」私は気が付いた。あの宇宙って、子宮の中だ。私は、子宮という宇宙にいる夢をみたんだ。お腹の中は、あったかくて、心地よくて、安心できて、そこから出て行きたくないって思ったんだ。ロダンの“考える人”の姿勢は胎児の姿勢だったんだ。時々、何か流星群があたったように感じたのは、母体が何かにぶつかったんだ。でも痛くなかった。子宮の中だから。無重力みたいに、ぷかぷか浮いてきもちがよかったのは、羊水につつまれていたからだ。私は子宮の中で、宇宙遊泳していたんだ。終わり
2006年01月31日
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オムスビの威力昨日は日記をさぼってしまいました。"珍ロッククライミングその2"の続きを書くつもりだったのですが、今日ふと思い出したことがあるので、それを先に書きたいと思います。今日は日曜日。珍しく車を洗って、その後、コスタメサという町にある日本食料品店に買出しに行ってきました。普段は近所にある一般のグロッサリーストアで買い物をすませるのですが、調味料やお米など、普通のお店にあるものでは、微妙に代わりがつとまらないものが必要になった時だけは、そこまで足をのばします。とはいっても、フリーウェイを車で飛ばして30分。もっと気軽に頻繁に通える距離なのですが、日系食料品店の商品は、一般のお店より、ちょっと割高な気がするので、近場のお店ですますよう心掛けているのです。なんてことを、公共の場(私のブログとはいえ、一応どなたが読むかわからないので、ここは公共ですよね)で言うと、営業妨害と思われるかもしれませんが、今日私の書きたいことは、そうではなく、謝意の表明なのです。皆さん、カリフォルニア米は、意外においしいという噂を耳にしたことがありますか? 日本でおいしいお米というと、新潟などの寒冷地で丁寧につくられたお米だからおいしいというイメージで、温暖な気候のカリフォルニアでおいしいお米がつくれる訳がないと思われるかもしれませんが、ところがどっこい、意外や意外、カリフォルニア米は日本米に遜色ない程おいしいんです。勿論、ブランド名は良くおぼえていませんが、日本で最高級といわれる、一般庶民が日常的に食すことができないような(もしかすると私の実家だけが、そういうお米を食べてないだけかもしれませんが…)お米には適わないでしょうが、大衆的な味として、食べるには充分おいしいし、その上、大変安価なのです。(重さの単位が違うので、今とっさに比べられないのですが、 少なくとも半額以下の値段です)私はお米をたべないと、欲求不満のような、なんだかいつもお腹が空いているような、心許ない気持ちになってしまいますので、殆ど毎日お米を炊いて、ぴかぴか光った炊き立てのお米を「おいしい、おいしい」といいながら(心の中で)頂いています。そして、時々(いつも思い出すわけでなくて、ごめんなさい)こんな美味しいカリフォルニア米を、このアメリカで、日常的に食べられるまでに、試行錯誤を繰り返しながら、研究されてきた日系人の方々に感謝するのです。勿論、日系食料品店には、お米だけでなく、色々な野菜、穀物など、日系の方たちが生産しているものはたくさんありますが、今回は思うところがありまして、お米だけについてお話したいと思います。話は、26年前に遡ります。私は、高校一年生から二年生に変わる春休みを跨いで、中央カリフォルニアの小さな街にある公立高校に1ヶ月間だけの短期交換留学生として滞在しました。今から比べれば、海外に留学することがまだまだ一般的でない時代で、新物好きの母が、半分強制的に、私をカリフォルニアに送り出しました。当時の1ドルは270~80円、たった5~6ドルのハンバーガーを買うにも「これだけで、1500円なの!?」ハンバーガーを買うのに躊躇った時代です。私のホームステイ先は姉妹校の校長先生、スティーブの家。奥さんと、17歳の長女、ステファニーを筆頭に3人の子供と18歳の甥っ子、ロバートの合計7人家族です。二十歳未満の子供が5人も住んでいたら、さぞかし賑やかな家庭を想像するかと思いますが、厳格な校長先生に完璧にオーガナイズ(コントロール)された家で、明るくフレンドリーなアメリカ人家庭からはほど遠いイメージです。高校から家まで車で30分ほどの距離がありましたので、とても歩いて通えません。毎朝、ステファニーかロバートの車に乗って通学し、毎夕、どちらかの車で家に帰ります。毎日、一番憂鬱なのは、放課後、2人のうちのどちらかの授業、もしくは課外活動が終わるまで、あのしかめっつらのスティーブと2人きりで、校長室でお迎えを待ち続けなければいけないことです。普段調子の良い私が、緊張のあまり(英語力のモンダイもあり)沈黙です。とはいえ、元来、事なかれ主義で、環境に順応しやすい体質の私は、スティーブ以外の人とは、簡単に仲良くやっていけます。ステファニーもロバートもスティーブがいなければ、気楽にくだらないお喋りをします。 「まあ、校長室のスティーブも、壁にかけてある歴代校長先生の肖像画のひとつ(動くけど)と思って、ほっとけばいいか」と平気になってきた頃の週末、スティーブが彼の日系人の友達の家に私を連れて行くと言い出しました。「ゲーっ!なんで週末まで、スティーブと2人きりにならなきゃいけないんだよー!?」と心の中で叫びながら、逆らいもできず、大人しくスティーブの後についていきます。私とスティーブは、車で一時間ほどドライブした後、人里離れた林の中に優雅に建っているログハウスに着きました。迎えてくれたのは、50歳前後の日系2世のエミコさんとユキオさんです。お恥ずかしいことに、当時16歳だった私は、アメリカでの日系人の歴史を全く知りません。クラスメートの中に何人かの、日系人がいましたが、彼らは3世。日本語は全く喋りませんし、行動、言動は、全くアメリカ人と同じです。ですので、日系人といわれても、エミコさんとユキオさんに会うまで、日本語で会話ができるということを全く期待していなかった私は、彼らに会った当初は、頭が混乱してしまいました。何を喋ったのかまったく記憶にないのですが、「日本語喋れて、ウレシー!!!」と心の中で感激しながら、喋りまくったことは覚えています。ひと段落して、恵美子さんが台所から食べ物を運んできました。自家製の瓶詰めの果物にアイスクリームをのせたものと、別のお皿にまんまるのオムスビが2つ載っています。相変わらず私は喋り続けますし、エミコさんもユキオさんも、Pure Japanese(彼らは私をこう呼びました。彼らも生物学的には、Pure JAPANESEの筈ですが、何かが違うのでしょう)の私へ後から後から質問が続きます。喋っているので果物の味も、アイスクリームの味にも注意が向きません。喋りながら、オムスビを手にしました。海苔も巻かれていない、まん丸のオムスビです。大きな口をあけて、オムスビをほお張った瞬間、塩味が、私の唾液腺(この言い方が正しいのかわかりませんが、なんのことかわかりますよね?)を刺激して、耳の横から胸まで、急に“キーン”とした痛みが走りました。不思議に思いながらも、大きな口で、ほお張っていたので何も言わずに、エミコさんの方を見ると、エミコさんもユキオさんもスティーブも驚いたように私の顔を見ています。そして、私も驚きました...。私は泣いていたのです。泣いているという、自覚なしに、涙が流れていたのです。懐かしい(たった一ヶ月なのに)お米の味に刺激されて、涙がでてきてしまったようなのです。自分が泣いてしまった事にショックを受けて(子供がオモラシして、ショック受けているみたいな感じですね)恥ずかしさのあまり、又、自分で自覚していなかった日本を懐かしむ感情が一気に溢れ出てきて、涙が止まらなくなってしまいました。私の涙を見て、エミコさんもユキオさんもスティーブも居心地悪かろうと、早く涙を止めようと、私は思うのですが、一度、ふきだした涙(感情)はそう簡単には止まりません。しまいにはそんな風にジタバタする自分が可笑しく思えてきて、それがそのうち泣き笑いになり、泣き笑いをしだした私を見た皆が笑い出したので、やっと私の涙をとめることができました。なんだか、本当に不思議な体験でした。食べ物をたべて、涙を流したのは、あの時が一度きりです。久しぶりの日本語での会話も知らず知らずのうちに私の日本を恋しく思う感覚を刺激していたのかも知れませんが、あの塩味とお米のコンビネーションなくしては、涙を流すほどのショック(感動)は味わえなかったろうと思っています。おそるべし、“オムスビの威力”です。帰りの車の中で、スティーブに「今日は、エミコさんとユキオさんの所に連れて行ってくれてありがとう」と言いました。スティーブは、私が初めて見る穏やかな笑顔で、「僕も、Krishna丸(すみません、変な名前で…)が、楽しそうにしてるのをみて嬉しかったよ。」と言いました。なんだか、急にしかめっつらのスティーブが肖像画から抜け出してきて、スティーブだって普通の人間なんだ、と感じはじめた特別な一日でした。それから、26年後。南カリフォルニアで、一人で暮らしていてもホームシックにもなりません。日系の方達のおかげで、食べ物で不便に感じることがないからです。なんだか、今日は日系食料品店で買い物しながら、そんな昔のことを思いだしたのです。あの、“オムスビの威力”はすごかったなあ、と。
2006年01月30日
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昨日からの続きを始めるまえに、インドアロッククライミングをされた事のない人のために、少しだけ説明を加えたい。とはいっても、インドアロッククライミング歴二ヶ月のため、理解度はしれているので、上級者の方からみたら、「それは違うでしょう」と思われることもありかもしれません。そんな時は、一言アドバイスを頂けたらと思います。私の通っているインドアロッククライミング場は、企業の倉庫などが集まっている区域の、素っ気のない雑居ビルの一画にある。建物の中の壁全体に、大小の石のようにみえる突起物(英語で、Holdというそうです。)がスクリューで埋め込んであり、そのホールドがこぶし大だったり、指先ほどの大きさだったり、丸かったり、角ばっていたりする。(角ばっていると、指が引っ掛かりやすいけど、丸いとツルツルすべってしまう) こんなのや あんなのや そんなのやそして、一つ一つのホールドに、ピンク、青、赤、黄色などのシールをつけることで、同じ壁に中に、色々な難易度の違うルートが効率よく存在することになる。ホールドの配置など、ロッククライマーが常に新鮮にチャレンジできるよう、定期的にデザインし直されるようだ。なんだか、パチンコ台を直す釘師さんのことを思い出す。マークと私の珍ロッククライミングは、思ったよりスムースに始まった。体が、大きい分、ゆっくりだけれど、初心者用のルートは難なくクリアする。ホールドも大きいし、手は一定の色のホールドに掛けなくてはいけないが、足は何色のホールドにのせても良いと壁に説明書が貼ってある。一番上まで行って、私とマークをつなぐロープがかかっている天井のそばの太い鉄棒にタッチすると、登頂成功なのだ。マークは手足をホールドから離して、ロープに全体重をまかせる。私のハーネスにマークの全体重がずしりと感じるが、思った程とんでもない重さではない。マークはうれしそうに降りてくる。(実際は、私がロープを送り出してBelayしているのだが)私も彼のあと、ちょこちょこっと登って降りてくると、マークは、時間が惜しそうに「次いこう、次」と言う。次は初心者より、ちょっと難しいルートにチャレンジする。ホールドも少し小さくなって、今度は手を掛けるにも、足を載せるにも同じ色のホールドを使わなければならない。ちょっとした違いだが、初心者には大きな違いなのだ。マークはちょっと登ると、すぐに動きが遅くなった。次のホールドに移れないのだ。マークの足は異様に大きい。ロッククライミング用の靴は、ほんの小さな突起にも足が効率良く体重を乗せられるように、普通のスニーカーに比べたらとても薄い素材で、タイトに作られている。自分の足を見ても見慣れているイメージと違う。随分小さく見える。細身のコロッケのようにこじんまりとしている。それに比べてマークの足は、異様にでっかい。彼の足は特大サイズのトンカツだ。あれで、普通のスニーカーを履いたらどうなるのだろう。なんて事を考えている間にも、相変わらずマークは動かない。いや、動いているんだけれど、ジタバタするばかりで上に進めないのだ。男女平等のアメリカといえども、一応男だし、初対面だし、私のような頼りなさそうなジャパニーズガールが、色々と指導なんかしたら、気分悪いだろうと、躊躇していたのだけど、あまりに長い間、同じとこにいてモゾモゾしているものだから、思い切って言ってみた。「ねえねえマーク,知ってるかもしれないけど、無理やり上半身の力で、 移動しようとしないで、足を上手く使って脚力で移動すると、 楽に移動できるらしいよ。」(ちなみに、私のへたくそな英語は、再現できないので、 和訳でお送りし ています。)当たり前だ。人間は2本足で体を支えているのだ。逆立ちして2本の腕で歩こうとしたってしれている。脚力の方が、腕力よりずっと強いのだ。私もつい忘れがちなのだが、反り返った傾斜の壁を登るのでなければ、腕にかける力はバランスをとる程度で最小限にするようにすると、無駄なエネルギーを使わなくてすむと、インストラクターのジョンに教えられた。どうしても、自分の頭のそばにある腕が使いやすいような気がして、上半身ばかり使っていた始めの頃は、毎晩、肩、腕、背筋と全上半身の筋肉痛で苦しんだ覚えがある。「I know, I know.」マークはそう言いながらも、硬くて重そうな体をなんとかのばして、足に重心をかけてみます。おっおっおっ、マークは移動しはじめました。その後は、とってもゆっくりですが、着実に登っていきます。さてさて、これからマークは無事に登りきるのか?すみません。突然ですが、なんだか眠気が急に襲ってきたので、今日はもうやすみます、おやすみなさい。ではまた明日。
2006年01月28日
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今日は夕方、ロッククライミングにいった。ロッククライミングといっても、インドアである。インストラクターをしている友達のジョンが、ただで教えてくれるというので、2ヶ月ほど前に突発的に始めたのだが、これがなかなか面白い。 初心者はこんな感じでロープの結び方からはじめます。何が面白いって、体の小さい私でも、私よりはるかに大きくて筋力のありそうなアメリカ人男性と同じくらいの事が私にも出来てしまうからだ。勿論、ロッククライミング歴が長く、普段から体を鍛えている人にはとてもかなわないが、同じ筋力を持っていたら、体重が軽い人のほうが自分の体をコントロールしやすいのに決まっている。普段はコンプレックスになりうる、体の小ささを、この時だけは得だと感じる数少ないスポーツである。もう一つ、私に向いていると思う点は、すごく内省的なスポーツだと、感じるからだ。インドアで、壁を登る殆どの場合(余程の上級者でなければ)誰かにロープでサポートしてもらいながら登らなければならないが、それでも登っているのは、自分独りだ。少しでも、前回より難易度の高いRoute(ルート、米語ではなぜか、ラウトと発音します。英語はどうなんでしょう。)にチャレンジしながら、それが克服できたとき、静かな達成感を感じる。傍からみたら、大した違いは見えないかもしれないが、自分の心に残るものは大きいのだ。周りを見渡してみても、陽気なアメリカ人の中で、比較的物静かなタイプの人が集まっているように感じる。少なくとも、スポーツバーで、ビールを飲みながら大歓声を上げているマッチョなタイプとは明らかに違うように感じる。アジア系もたくさんいる。インドアロッククライミング場に着くと、ジョンが、「今日は初心者の人を教えなければならないから、マークといっしょに ロッククライミングをして」という。ジョンの指さす方向を見ると、なんと、身長2メートルはあろうかという大男が、私に向かって微笑んでいるではないか。「…まじっ?…」心の中でつぶやきながら、とりあえず感情を抑えて、「Hi, Nice to meet you!」と笑顔で握手してみる私。私の心を読んだジョンは、「心配いらないよ、いくら体重差があったって、僕が教えた基本的な ことをきちんとしてさえすれば、何も危険なことはないからね。」「えーっ、全然そんな心配なんかしてないよ。うん、うん、わかってる、 わかってる。大丈夫、大丈夫。」と空元気を出して、マークといっしょに登る壁を物色しだす私。インドアロッククライミングをする方はご存知だとおもうが、ロッククライミングをする時、壁(もしくは大きな岩)に沿って床に平行に進む練習をする時以外は、殆どの場合ハーネスを通して、一本のロープでお互いを支えあう。 Boulder (巨大な岩)を横断して練習している人達 岩を登っている人をロープでBelayしている人が左隅に。つまり、私が壁を登っている間は、マークが私の登り具合を見ながら、ロープが私のロッククライミングの邪魔にならないように、ロープのたるみ具合を調節をしながらイザというときのために支えるのだ。(その一連の動作を英語で、Belayというそうです。)ハーネスにロープを結びつけながら、お互いに自己紹介してみる。 ハーネスですマークは、学生時代バスケットをしていたが、卒業後、体が重くなってきたので、運動不足解消のために、ロッククライミングはどうかなあ、とはじめたそうだ。確かに、バスケットでもしなきゃ勿体ないよね、という身長である。太ってはいないけど、かなり重そうにみえる。ゆうに私の3倍はありそうだ。多分、年齢は24,5歳くらい。南カリフォルニアに住んでいるアメリカ人にしては、かなりのんびりしているというか、とっても背が高いからそう感じるのか、少し反応の遅いお坊ちゃまタイプの好青年だ。(この形容の仕方はおかしいですかね? )ハーネスにロープを通し終えて、マークに訊いてみる。「先に登る?」マークはニコニコと、「Yeah! Sure.」と登りはじめた。さてさて、マークと私の でこぼこコンビの珍道中、ならぬ珍ロッククライミング。長くなってきたので、続きは明日にします。ではまた
2006年01月27日
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兄と弟私には、兄と弟がいる。かなり兄弟(妹)仲がいい。頼りになる兄と弟が両親のそばにいてくれるお陰で、私はお気楽にアメリカ暮らしができると、感謝している。私と兄は年子で、兄は43歳、弟は私より3つ下の39歳である。私の兄はお喋りである。話し相手を見つければ、これ幸いと、だれかれ構わず喋り続ける。田舎なので、兄弟3人とも同じ高校に通った。たまに帰省して、高校時代の同級生に会うと、必ず、兄の話になる。どこにいっても、大声で喋るので、兄に自覚がなくとも、目に付いてしまうのだ。お祭りで、だれそれさんと大きな声で話してた、とか、町のスポーツ大会で、元気に仕切っていた、という話を報告してくれる。目に浮かぶようである。兄は私のことを、“行かず後家”とか、“居候”と呼ぶ。兄には3人の娘がいるので、私の部屋は一番上の姪っ子のものになった。帰省した時には、私はおとなしく、2番目の姪の部屋に居候させてもらう。やさしい彼女は、ベッドを私に提供してくれて、自分は床に布団を敷いて眠る。そんな彼女は私に訊く、「くーちゃん(私のニックネーム)は家のなんなの?」兄の私の呼び方に混乱しているのだ。兄が仕事から帰ってくると、「ご主人さまのおかえりだぞう」といいながら、居間に入ってくる。私がテレビを見ていたり、本を読んでいると、「おーい居候、いいご身分だなあ」と声をかける。そんな兄と私と弟、(まだ、弟のことについては、あまり触れてないが)外見はよく似ているといわれるが、ある経歴が3人3様なのである。その経歴とは…結婚歴である。兄は結婚歴、1回。つまり一度めの結婚が、兄嫁の忍耐によって、なんとか無事に存続中である。私の結婚歴、0回。そして…弟の結婚歴、3回。人生80年も生きていれば、3回くらい結婚する人間もいるだろうが、まだ、その半分も生きていなくて、3回の結婚はしようと思っても中々出来る事でもないと思うのだが、彼はもう、3回もしているのだ。兄の報告によると、今のところ、当分4回めはないようなのだが、先のことはわからない….。身内の話をネタにして、笑いを取ることが好きな兄は、よそにいっては、「まーっ、うちには、40過ぎても人生諦め切れない行かず後家の妹と、人生甘く見すぎて、40前に3回も結婚しちゃった弟がいて、まともなのは俺だけなんですよおお。」と得意げに触れ回っている。終わり兄と弟のしょうもない話は、たくさんあるので、少しづつ紹介したいと思います。
2006年01月26日
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“南カリフォルニアの青い空“のHirokochanさんが、何故、ブログを始めたのかと訊いてくださったので、(と勝手に解釈して)最近、ブログをはじめた理由についてと、ブログ開設後13日目の感想を書いてみたいと思います。パソコン暦は長いのですが、主に大学のエッセイのリサーチと作成、授業のプレゼンテーション用に使っていた私は、ブログというものを実際理解し始めたのは、ここ半年程前です。ブログめぐりをしていて、面白い文章や、興味深いトピックについて書かれたブログを見つけたとき、なんとか私が共感したことや感想を、書き手に伝えたいと思いましたが、やはり自分がブログを持っていないと、いつも自己紹介から始めなくてはならないので、気軽にコメントを送る気にはなれませんでした。きっとこんな風に感じている、ブログを持たずにブログめぐりをしているゲストさんが沢山いるのではないかと思います。実際には数件、ブログを作るまえにコメントを送ったこともあったのですが、皆さん、ただの通りすがりの私にも、親切にご返事してくださいました。その折は、ご親切に有難うございました。それでも、相手の立場になって考えると、多少でも私が誰であるか、大体のシルエットがわかると、返事のコメントもしやすくなるのかもしれないと思い、名刺がわりになる程度の自分のブログを作ってみよう、とブログの枠を作ってみたのが始まりで、約二週間前になります。凝ったデザインを望まずに、「とりあえず始めてみよう」の精神ではじめたら、思いのほか、簡単に作ることができました。‘名刺がわりの私のブログ’で始めたはずなのに、枠が出来てみると、どうしても何か、書き込んでみたくなります。書き込んで、数時間たつと、私のブログを覗いて下さった方々の数やニックネームが表示されました。「ぎゃーっ!こんなどうでもいい内容の日記をうっかり訪問しちゃった人がいるんだー!」「いやー皆さんのお時間を煩わせるほどのものは何も書いてなくて、もうしわけない!はずかしい!」と感じ、なんとか、その‘うっかり訪問された方’が、時間の無駄だったと思わずに「ちょっと面白いかも」となにか感じてもらえるような、ものを提供しなくてはと、書き出したのが相撲の話です。でも書き出したら長くなってしまって大変でしたし、書き出してから、「相撲の話にどれだけ一般の方、(特に女性)が、面白いとおもってくれるのだろう?」と思ったら、すっかり筆が重くなってしまいました。まぬけですね。でも、自分の日記なのですから、自分の書きたいことを書く、が基本ですよね。初めの5回め位までの日記は、久しぶりに書く真面目な日本語なので、随分書くことを苦痛に感じましたが、知らず知らずのうちに慣れて、今は、毎日今日は何かこうかなあ、と楽しみながら考えています。もともと、本を読んだり、文章を書くことは子供の頃から好きだったので、今は後から後からトピックが浮かんできて、自分をおさえるのがちょっと大変です。いえ、いくらでも書けばよいのでしょうが、一旦書き始めると、自分をコントロールできなくなって、延々と書き続けてしまいますので、なるべく軽く書けるトピックを選ぶようにしようと、今は心掛けています。自分で作ってみて、改めて感じたのですが、デザインテーマの選択のしかたにも、その人の好み、個性がしっかりでますよね。Hirokochanさんのブログの枠は本当にさわやかでシンプル。「大事なことは、表現したいことを、伝えること。」とおっしゃているように感じます。(いや、本当にそうおっしゃられているかどうかはわかりませんよ、私のただの推測です。)中学、高校生のブログは、自由で奇抜です。国際恋愛、結婚関連のブログランキングの1位~3位にいつもいらっしゃる方たちのブログは、優しいピンク系で、Happy度が伝わってきますよね。ビジネスをされている男性の方々のブログは、青や白を基調にされてシンプルでとても読みやすいですよね。こんな風に、実際にお会いはしたことありませんが、ブログのデザイン、内容をみているだけで、かなり具体的なところまで、みなさんの個性的な性格がみえるような気がします。また、私も今のデザインテーマは気にいっていますが、そのうち色々研究して、自分のオリジナルなデザインの枠も作ってみたいなあ、なんておもっています。では、最後に。うっかり、今日の私の日記を読んでしまった、通りすがりのゲストさん。名刺代わりのOwn Blogを作ってみようかなあ、なんて気になりましたか?終わり
2006年01月26日
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The Tao of Krishna その2~From "the Tao of Steve"~5年程まえの映画、The Tao of Steveというのをご存知でしょうか?いきなり、種明かしですね。はい、そうなんです、その映画に関係しているんです。その映画は、幼稚園でパートタイムの保育士として働く、30歳前半の男、中年太りのため、かなりお腹が出っ張り、いまいちぱっとしないDexが10年ぶりに大学時代のクラス会に出席するシーンから始まるのです。実をいうと、このDexは10年前、「将来もっとも、成功しそうな生徒」として、クラスメートに投票されたことがあるほど、ユーモアのセンスがあり、頭の回転も速く、その上、当時は見た目もよかったので、クラスの殆どの女の子にとって、一番にボーイフレンドにしたい男でもあったのです。そんなこともあって、当時、Dexとベッドをともにした女の子も数知れず。ひそかに、久しぶりにDexに会うことを楽しみにしていた、女性も多かったはずです。そんな背景の中、女の子たちは、すっかり当時の面影を失ってしまった、Dexを見て、大ショック。遠巻きにヒソヒソと、Dexの噂話をします。かたや、Dex本人は、確かに彼の容貌はすっかり変わってしまったことは、自覚しているので、昔のように、クラスの中心になって、皆の注目を集めようなどという、無駄な努力はしませんが、本来の切れ味の良い、ジョークや語り口調は健在です。ひさしぶりに会う、クラスメートの名前を確認したり、近況の報告をしあう中、Dexは、クラス会会場で、生演奏をしているバンドのドラムをたたいている、ボーイッシュで、クリエイティブな雰囲気の女性が気になりはじめます。バンド演奏の休みの間に、Dexはその女性に話しかけにいきます。彼女は、どこか、Dexのまわりにいる一般的な女性と違う魅力があり、テンポの良い会話がはずみます。ひとしきり、楽しい会話が続いたあと、Dexが彼女の名前を聞いたところから、彼女の様子が変わります。彼女の名前は、Syd。名前を聞いても、誰なのか、何故彼女の様子が変わったのか、Dexにはわかりません。なんと、Sydは学生時代、Dexとベッドをともにしたことのあるクラスメートの一人だったのです。Sydにとって、Dexは学生時代の特別な思い出。なのに、DexはSydの存在すらも覚えていなかったのです。このままいくと、あらすじを全部かいてしまいそうなので、展開を変えます。結局この映画は、ずっと、それ以降のDexとSydの付き合う中でのすったもんだのプロセスを、コメディタッチで描いていくわけですが、そのなかで、主要なエレメントとしてつかわれているのが、“The Tao of Steve”。直訳のしようがないのですが、私が勝手に意訳させていただくと、“Steve的クールな生き方”とでもいうと分かりやすいかもしれません。Dexは、才能豊かな男であるにもかかわらず、自分の能力を最大限利用して、社会的に認められようなどと考えていません。無理して一流企業に勤めたり、苦労して実業家になってあくせく毎日働くより、お気楽で無責任な人生のほうが好きなようです。そんな中、彼流の“無理せず女にモテル方法”というのを考え出します。それが、”The Tao of Steve”という彼流のPop Philosophyになります。男友達の間では一目置かれる立場のDexは、友達にもそれを教授し、彼らはそれを実践し、ガールフレンドとも上手くやっていきます。このThe Tao of SteveのSteveは、アメリカ的いけてる男のアイコン、Steve McQueenや、Steve McGarrett 、 Steve Austinのイメージからきているのです。Dex曰く、それらのSteveは、女性に良い印象を与えようだとか、女性を射止めようなどという執着心を一切もたずに、結果として、努力もせずに女性をものにできてしまう男たちのイメージなのだそうです。また、Tao はTaoism, 道教からきていて、Zennism 、禅の思想と共通しています。Taoism の、“ただ、空虚(無)のみに、真実は存在する”という考え。強い欲望(意志)を持って事を荒だたせようとせずに、無の境地で事に向かえば、自然に道は開かれるといったところでしょうか。Dexは禅的思想が、かれの多くを望まない生き方に近い、もしくは、彼のお気楽な人生を、正当化するのに都合が良いと考え(多分)、禅的思想を彼の生活の中にいろいろ取り入れるのですが、女性にモテル方法もそのうちのひとつです。そして、実際、彼のまわりの殆どの女性は、彼の術中にはまって、夢中になっていきます。普段、普通のアメリカ人男性から、褒められたり、過保護なほどに親切にされ慣れているアメリカ人女性たちは、そういう努力を一切しないしないDexの行動、言動を不安に感じ、その不安感が女性にDexを追いかけさせるようです。ちょっと、無理のある話かもしれませんが、これはやはり、Dexに生まれもった魅力があるから成立することですね。話はそれましたが、最後、Syd に惚れ込んでしまったDexは自分のPhilosophy もなにもかも、すてて、心を込めて自分の気持ちを表現して、Happy End。めでたし、めでたしとなります。 The Tao of Steve の中でSydとDexです。この映画は、ニューヨーク大学大学院の映画科を、卒業したばかりの、Jennifer Goodmanとその友人たちによってつくられたもので、ストーリーとしては、説得力に欠けていたり、完成度も高くないし、最後のハッピーエンドで終わるところなんて、なんだかものたりないなあと感じてしまったのですが、彼女が、Pop philosophyをなんとも上手く取り入れていて、面白いなあと感じたのです。と、こう紹介してみても、何故、これほど私が、”The Tao of Steve”に反応してしまったかということは、まだ説明不足のように感じます。実は、つい2ヵ月程前、色々なブログを探検していくうちに、国際恋愛・結婚に関連したブログを見つけ、興味深く読みはじめたのですが、そのブログのあちこちで、ルールズ、とかルールズガールズという、言葉をよく見かけ、これはなんのことだろうと、調べていくうちに、ここ数年の間に広く世界中(?)の女性に支持されている、ある恋愛指南書“The Rules”という本に行き当たりました。 いやあ、2ヶ月前まで、“The Rules”を知らなかった私は、本当に浦島太郎気分で、(でも、実際、その本はアメリカでも当然発売されて、よく知られているようなので、いかに私が、一般的生活から隔離された生活をしていたかがわかりますね)いろいろなブログを丹念に読ませていただき、勉強させていただきました。(本は買ってないけど)そして偶然、この映画、The Tao of Steveは一ヶ月ほど前に、DVDでみたのですが、(映画自体の完成度はともかくとして)これほどまで女性に支持された、“The Rules”のある意味、そのアイデアの逆を行く(基本的概念は共通したところもあるかもしれませんが)“The Tao of Steve”は面白いなあ、と感心したのです。勿論、“The Rules” 程のカリスマ性、普遍性はないかもしれませんが、アメリカ男性の脚本家が、(脚本はDuncan Northと Greer Goodmanによって書かれた。GreerはSyd を演じた女優さんでもある。)禅的思想をPop Philosophy として、をなんとも上手くとり扱っていて、普通のハリウッド映画が見せない、ちょっと怠け者で、ちょっとメインストリームから外れた、普通のアメリカ人の生活を、軽く描いていて面白いなあと感じたのです。ということで、このThe Tao of Steveの語感もかっこいいし(私には)ありのままのKrishna、自然体のKrishna的生活、生き方という意味にも解釈できるかなと、The Tao of~のところを使わせていただいて、“The Tao of Krishna” とさせていただきました。チャンチャン終わり
2006年01月25日
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大関栃東が、大相撲初場所の優勝を飾り、5年ぶりに視聴率が平均20%を超えたとか、満員札止めが出たとかの記事を見て、素直に喜べない私である。やはり、相撲は日本人が勝たないと盛り上がらないのだろうか?なんだか、その様子をそうぞうして、早く、The Battle of Giantsの日記を終わらせいのに、私の筆は全く進まなくなってしまった。なんだか、4年前のソルトレイクシティでのオリンピック、フィギュアスケートで、誰も期待でしていなかった、サラ ヒューズがノーミスの演技で金メダルをとり、アメリカ中が彼女の快挙を祝福していた中、ミッシェル クワンが悔し涙を流しながら、サラにお祝いのハグをしていた姿を見て、胸が痛んだことを思い出したのだ。その時、私が感じたのは、ミッシェルが金メダルをとったとしても、こうはアメリカ中大喜びしなかったであろうと。ミッシェルだってサラと同じアメリカ人だけれど、アメリカのヒーロー(ヒロイン)として、アメリカ国民を大興奮させるには、アジア系には限界がある、と感じたり。なんだかアメリカの弱点を見てしまったような気もした。サラ ヒューズの無邪気な笑顔と、それを取り巻く大勢のジャーナリスト達をみて、ミッシェル クワンはどんな風に感じていたんだろう。朝青龍は日本人ではないけれど、今場所の栃東の優勝に沸いている日本人たちを見て、ミッシェルが4年前に感じたかもしれない、虚しさ、寂しさみたいなものを感じているかも、と思うと心が痛むし、日本人としての心の狭さをはがゆくも感じる。でも、きっと彼はその痛みを活力にして、異国で頑張っているのだろうな、と。The Battle of Giants の終わりの方でも、書いたけれど、大相撲の力士半分くらい外国人力士になったら、みんなもっと、公平に、日本人か、外国人にかかわらず、応援できるのかもなあ、なんて思ってます。まあ、これは約30~40年前のプロレスで、アメリカから来たプロレスラーが悪役になることがお約束事で、小柄な日本人レスラーが、大げさな身振りの覆面白人レスラーを、やっつけて大興奮していたことを思えば、当たり前の感覚なのかもしれないが。やはり、この地球がどんどん小さくなって、気軽に地球の裏側に旅行に行けたり、インテーネットが出来るようになった現代に、日本人(栃東)が勝ち続けているからと、相撲人気が簡単に盛り上がってしまうのを、みてしまうと、「なんだかなあ...」とかんじてしまうのである。でも、外国人力士でも琴欧州は、なんだか顔立ちが温和なせいか、朝青龍よりも、人気があるのかも。そうなると、人種じゃなくて、人格にもよるのかなあ。もしかすると、朝青龍が、生意気だったり、強気すぎて、一般受けしなくなってしまうだけで…。そうなると、やっぱり、ミッシェル クワン(彼女も自己主張強そうだからね。)にも、そんな朝青龍と共通した、問題がありそうな気もする。ミッシェルが、代表に選ばれたことにも、賛否両論があるようだけれど、彼女には、今回のオリンピックで納得いくよう、頑張ってもらいたい。終わり。
2006年01月24日
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お待たせしました。(誰も待ってないって!?)やっと、終わらせることができました。では、続きをどうぞ。The Battle of Giants 4 ~角界の夜明け!?~日本では、近い将来、東西両横綱に外国人力士がなるだろうことを予想して賛否両論があるようだが、私は大歓迎である。それどころか、外国人力士が、大相撲の関取半分以上を占める位に増えても良いのではないかとさえ、思う。このまま、相撲のレベルが下降し、観衆を興奮させるような取り組みが少なくなれば、また一段と相撲人気は下がっていくのだ。相撲人気が下がれば、次の世代の子供たちだって、相撲をしたいとは思わなくなる。悪循環で相撲人気もレベルも下降していくことは明らかだ。憎たらしい程、強い横綱をやっつける、若く可能性を秘めた力士があらわれれば、また相撲も盛り上がる。そうするには、どんどん底辺を広げるべきだ。たとえ、それが日本人でないとしても、強すぎる横綱を、やっつける若い力士をみるのはわくわくする。中途半端な強さの横綱では役不足なのだ。あまり強くない横綱(!?)が、外国人力士に倒されると、同情心からか、身内意識からか、相撲が国技であるという、面子からか、国技である相撲が乗っ取られるような恐怖心からか、 外人力士を応援したくなくなる。でも、憎たらしいほど、強い横綱であれば、誰にも超えられないほど、大きな山であれば、外国人力士であろうと、なかろうと、それをを越えられるかもしれない、若い力士の出現には、興奮するだろう。なんだか、歴史の証人に、なったような気がして。なんだか、時代のターニングポイントを目撃したような気がして。そうするには、どんどん相撲人口を増やすための努力をすべきだと思う。そのためには、相撲もどんどん、海外進出するべきだと思う。今そんなことを考えながら、ニューヨークのマジソンスクエアでの、シンプルな取り組みを思いだしている内に、アマ側の相撲連盟のやろうとしていることが、理解できたような気がした。相撲の形式や、歴史、文化的背景を勉強するのは後でいい、とりあえず、相撲を取る楽しさを、まず体験してもらって、広めることが、まず、始めに彼らにできることなのだ、と。これは、あくまでも勝手な私の推測であって、インタビューをしたわけでもなんでもないので、うっかり相撲連盟の関係者がこの日記をみたら、大笑いするかもしれないが、まあ、それならそれで気にしない。これは、私の個人的な日記なのだから。相撲の将来性について、ポジティブな要素が見えたので、ちょっとワクワクしている私は、相撲をどうやって国際的に売り込んでいくべきか、簡単に考えてみた。相撲の何よりの魅力的な点は、兎に角、ルールが簡単なこと。(勿論、奥は深いが)土俵の外に押し出すか、倒すかだけなのだ。2分以上かかる取り組みなど、めったにない。ボールさえあれば、どこでも楽しめるサッカーの様に、土俵さえあれば、誰でも楽しめる。地面に、丸い円をかいてその中で相撲を取ればよいのだ。もう一つの利点は、体の大きさが、勝ち負けの絶対的要因ではないこと。Battle of Giants のプロモーターが紹介したように、相撲には体重別のカテゴリーがない。ということは、小柄な力士にも、戦いようがあるということだ。どこの国の人も、小柄な力士が、大柄な力士をたおす場面には大喜びする。Battle of Giants でも、身長180cm、体重80kgくらいのサイズのポーランド出身の相撲レスラーが、準々決勝まで進み、勝ち進むたびに、観衆は大歓声をあげていた。結局、準々決勝で、体重が倍以上あるレスラーに敗れてしまったが、敗戦が決まったときには、本当に地面をたたいて悔しがり、観衆も、彼といっしょにため息をついていた。相撲を観戦するだけでなく、実際、相撲をする人を増やすには、このシンプルなルールという点と、体重別でないという点を強く打ち出すことが、大事だと思う。相撲の歴史、伝統、精神性などに興味を持ち、理解するには、ある程度の年齢と経験による成熟度が必要だから、後回しでいいと思う。こんな風に、相撲の国際化について、一人で勝手に「あーでもない、こーでもない」と考えながら、'World S.U.M.O. Challenge - Battle of the Giants' についての背景を、もう少し調べたいとリサーチしていたら、ニューヨーク市スポーツ委員会(N.Y.C. Sports Commission) のウエブサイト http://www.nyc.gov/html/sports/html/sumo-pr.html を発見した。そこには、前述した、国際相撲連盟の活動についての紹介があり、なんと、わたしが、考えていた以上の、相撲の国際化についてのプランが紹介されていて、仰天してしまった。驚いたことに、その、ウエブサイトによると、国際相撲連盟が、相撲をオリンピック競技として、認可されるよう、活動を広げているとのこと。そして、このニューヨークでの大会もその活動の一環であると書かれていた。私の頭の中は、「?????えーっ! オリンピックーゥ!?」(どうです、皆さん?)日本では、「相撲をオリンピック競技にしよう」という活動は、一般的に知られていることなのでしょうか? 今まで、「相撲の底辺を広げよう!」「外国人力士を増やして国際化を!」と言っていた私が、突然、オリンピックときいて、一瞬引いてしまったのですが、世界中あちこちに、マワシをつけた相撲レスラーがうろうろしてたら、面白いですよねえ。それに、欧州の人にとって、マワシにはかなり抵抗があるようですが、箸といっしょで、視覚的に、かなりオリエンタルな印象があるんで、うっかり、「マワシってカッコいいかも」って勘違いしだしてくれたら、あっという間に国際的なスポーツウェアとして、認められるかもしれませんよね! (そんな筈ない?)そうしたら、日本の子供たちだって、どんどん、マワシつけて、喜んで、相撲するようになるかもしれませんねー。ちょっと楽観的すぎますかねー。さて、このオリンピック競技として認可されるということが、どの程度現実的なことなのか、私には想像つきません。でも、相撲の国際化なしには、今後の相撲の発展は、難しいことは間違いないことだと思うので、最終的な目標として、オリンピック競技としての認可を目指すというのは、決して、間違った方向ではないのかもしれません。“オリンピック競技としての認可“、簡単なことではないでしょうが、想像しているくうちになんだか、ワクワクしだしている私です。なんだか、ながくなって、話があっちにいったり、こっちにいったり、私の口調も知らないうちにどんどんくだけてきてしまいました。最後に第一話の日記にあった、大相撲のゲスト解説された、あのデーモン小暮閣下についての記事を紹介します。 1月16日付けの毎日新聞のウェブサイトによると、閣下は、自称「ファン歴300年」普段では聞きなれない、「です、ます」調の丁寧語で、“解説”を続け、それを「相撲に対する敬意」と平然と説明。NHK側の吉田賢アナウンサーらが大真面目に「デーモン小暮閣下」と呼びかけ、「世を忍ぶ仮の姿の」と説明を加えるなどの気配りに、閣下は、「我輩自身が濃い相撲ファンだから気恥ずかしさもあったな」という、悪魔にしては、いつもと違う、謙虚な姿勢でゲスト解説にのぞまれたようでした。それから、どなたか私の日記をのぞいた方が、ご親切にもデーモン小暮閣下大相撲ゲスト解説に関する、2ちゃんねらーのコメントを集めた、ブログをTrackBackしてくださり、大変興味深く拝見しました。上の写真はそちらから、お借りしてきました。(でも、いつも、色んな胡散臭いところからの、トラックバックが、勝手に入ってくるから、今トラックバック禁止にしてます、ごめんなさい。でも、ちゃんと、私のコンピューターの中の“Favorite”のなかには、入れさせていただきましたので、ご協力ありがとうございました。)その、ブログの中でみかけた2ちゃんねらーのコメントを少し紹介させていただきます。「普通に話が上手かったな。全場所一回ずつ呼んでくれ」「最高だった。全部録画したけど保存版だなこりゃ」「昨日観たけどさ、なんだろ? 相撲が面白く感じたんだよな~」「やはり普段から相撲を見てる人には不評だったんんですね。NHKに抗議が殺到とはねぇ、相撲を知らない人には楽しくてわかりやすくて好評だったのに、両方に評価されるのは難しいことなんだなぁ」>「NHKに抗議が殺到とはねぇ「伝統という名において形だけを継承しても意味がない」という閣下の言葉を贈ってやりたい。」「相撲の歴史も織り交ぜて、ドキュメンタリーなコメディーのようで面白かった」「うちのおじーちゃんが爆笑してた」「改めてNHKのアナウンサーが好きになったよ。滑稽にうつるのを承知で、あくまでアナウンサーに徹するの最高。民放なら一緒にふざけて不愉快な仕上がりだったろうと思う。」と、わたしは見ることが出来なくて本当に残念でしたが、2ちゃんねるのみなさんが、デーモン小暮閣下の解説を楽しんだ様子がわかってよかったなあと。最後のコメントにあるように、やはり、NHKのアナウンサー相手だから、一段とその面白みがでたのではないかという意見は、なるほどと感心しましたね。大真面目にやっている(ように見える)から、じわじわとした、おかしみがあるというか…。いずれにしても、NHK,ならびに 日本相撲協会のチャレンジには、拍手を送りたいと思います。こんな試みが、未来の相撲の発展につながると思います。日本相撲連盟、国際相撲連盟、日本相撲協会のみなさん、相撲の発展、人気復活のため、海外進出、日本での相撲ファン層の拡大頑張ってください。心より、応援してまーす。(テレビでみれないけどね)終わり。やっとなんとかかんとか、一応終わらせることができました。はーっ、これでやっと、違うことを書くことが出来るようになるかと思うと、ほっとしました。なんだか、最後はまとまりがなくなり、むりやり終わらせたという、感じになりましたが、忍耐強く読んでくださった方、本当に有難うございました。ではまたの機会に。
2006年01月24日
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まず、ご報告。私のニックネーム、Krishna1127から、Krishna丸に変えました。これからは、Krishna丸で宜しくお願いいたします。さて、何故タイトルが、“Tao of Krishna” なのか。二つの理由(こじつけ)がありまので、まず、第一の理由から、紹介させて頂きます。“Tao of Krishna” こじつけ その1先ず、このTao はTaoism, 道教からきています。でもKrishnaはヒンズー教のいたずら好きな神の名前です。矛盾していますね。自分に神の名前をつけることは、図々しいとも、思ったのですが、実は、Krishna は私の猫の名前でもあるのです。ですから、ヒンズーの神の名前をとったとは考えずに、ペットの名前からきてるんだー!と解釈していただくと、ちょっと肩の荷が軽くなるような気がします。ちなみに、私の猫、Krishnaですが、私のペットだから、当たり前なのかもしれませんが、Krishna と私はとても相性がよいのです。そして、彼(Krishna)と私の性格(性質)はよく似ているところがあるのです。トップページにも、少しKrishnaの写真がはりついてますが、 彼が、Krishnaです。 例えば、私が、散歩中の近所の犬をつかまえて、撫でたり、遊んだりしていると、Krishnaは、その犬と私が、ぎりぎり彼の視界に入る範囲に座って、無関心を装います。決して嫉妬心をみせようとしません。なんだか、身に覚えのある行動だなあ、と、いとおしく思ってしまうのです。Krishnaが私の部屋にいるとき、私が、Krishnaをだっこしようとすると、彼はいやがります。そのくせ、いつでも、私のまわりにいて、私のひざや、足元、肩に寄りかかっています。ベッドで寝ているときも、Krishnaはとても重たいので、私が逃げようとすると、逃げても逃げても、私に寄りかかれるポジションを見つけようとします。人から、追いかけられるのは嫌いなのに、そばで、誰かにAttach していたいのです。なんだか、身に覚えのある性質です。Krishnaが野生の動物を捕獲したとき、――小鳥だとか、ねずみだとか、とかげとか。何気なく、私に見せにきます。自分の食事用のボール(キャットフードのお椀ですね)の横に、何気なく置いておきます。特に自慢げでもないのですが、やっぱり、ちょっとだけ、ほめて欲しいのです。(これには、皆さん色々意見があるかと思いますが、弱肉強食は、野生の法則なので、私は、Krishnaをしかりません。)「ぼく、こんなことできるの、あんなことできるの」と見せびらかすのは苦手だけれど、でも、ちょっとは見てほしい、認めてほしい。なんだか、身に覚えのある性質です。ここまで読んで、どなたかが、「それは、Krishnaの性格ではなくて、猫全般の性質なのではないか?」そして、「Krishnaの性格が似ているという、あなたは(Krishna丸は)、ただ単に、猫的な性質をもっているだけなのでは?」と、きびしく指摘されるかもしれません。確かに、その通りかもしれません。確かにわたしは、ただのペットを擬人化して、特別な性質があると、勘違いしている、ただの親ばか(飼い主ばか?)なのかもしれません。でも、わたしから見ると、やはりKrishnaとわたしは良く似ているのです。でも、あくまでも、これは“こじつけ”ですので、軽く受け流してください...。という訳で、Tao of Krishnaは、Krishnaとわたし(Krishna 丸)流の、スタイル、やり方と解釈していただきたいと、思います。あれっ? “Tao”(道教) はどこから来たの? 何の意味があるの?へへっ、これはなんとなく、言葉の遊びですね。語感がすきなのです。“Tao of Krishna” という言葉の並びがすきなのです。実をいうとそれが一番の理由なのです。私は、人生、大真面目に考えることも、軽く、遊びの感覚でとらえることも、両方すきです。両方上手く、バランスがとれてたらなあ、と思っています。では、そのうち、二つめのこじつけも紹介します。ではまたおまけ。昨日、私の部屋から撮った、夕焼けの写真です。
2006年01月22日
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一昨日の続きです。相撲人気の低下が話題になり始めて、どの位だろうか。1990年代前半の若貴兄弟の人気をピークに、相撲人気は下降線をたどる一方だろうことは想像できる。人気が下降すれば、相撲愛好者の底辺も少なくなり、それに付随して、大相撲のレベルも下降せざるを得ない。そして、現代の日本は大相撲のレベルを保持するには、豊かになりすぎたように感じる。修学旅行で、水着を着て大浴場に入る子供がいるという。そんな時代に、マワシで相撲をとることを、すすんでやりたがる子供がどれだけいるだろうか。男性が女性の様に、肌を気に掛けたり、眉毛を整える時代に、太ることが仕事である相撲取りに、何人の青年がなりたいと思うのだろうか。子供一人に鍵付き、テレビ付きの子供部屋を与える時代に、誰が、厳しい練習、仕来り、縦割り社会の相撲部屋に入りたいと思うだろうか。1992年、若貴時代をピークに、減り続けている新卒入門者は、当時の151名から、昨年は半分以下の70名の入門者になったという。その13年前の半分以下の数の相撲取りが、10年後、13年前と同じ相撲のレベルを保てるかといえば、どう考えても難しい話である。30年後、50年後はどうだろうか?余程、魅力的で力強い力士があらわれて、一時的に相撲人気が回復したとしても、現状の保守的な日本相撲協会のままでは、相撲の技術的レベルが、下降の一途を辿ることことは明白である。どこの新聞のウエブサイトかは忘れてしまったのだが、相撲人気に危機感を持つ、アマ側の日本相撲連盟が中学生用に「相撲パンツ」(マワシの下にはくスパッツ)を導入することにしたという記事を見た。これに対し、プロ側の日本相撲協会は、「国技館の土俵には上げない」と拒否反応を示しており、プロアマの対立もまた、相撲人気復活への障害になっているかもしれないという記事だ。そして、この記事を読んだときに目に入ったのが、前述した、相撲パンツを導入することを(中学生に対して)決定し、日本相撲の改革に積極的な、アマ側の日本相撲連盟の副会長(日大相撲部監督)の、田中英寿氏の名前だ。というのは、田中氏は、あのニューヨークで行われた、Battle of Giants の国際相撲連盟(The International Sumo Federation)のPresident, Hidetoshi Tanaka と同一人物である可能性が高いのだ。(確認してないので、言い切れないけど、多分そうだよね。)そこで、前回の私の日記に、「他国からの相撲レスラー(これは私の偏見なのだろうか?あの大げさなジェスチャーや、十字を切ってお祈りしている姿をみてると、力士だとか、相撲取りというより、相撲レスラーの方がしっくりくるような気がしてしまう。)の姿の向こう側に、それぞれの地域で、一緒に練習している仲間や、指導者の姿が見える」と書いたが、その指導者というのは、この、アマ側の日本相撲連盟の関係者であるということが推測できる。そして、ここでも、前述の記事にもある、日本相撲の改革に積極的なアマ側の日本相撲連盟が、日本国外にも相撲の底辺を広げようと積極的に活動しているだろうことも。しかし、こう書くと、専ら、アマ側が改革に柔軟で積極的で、プロ側の日本相撲協会は、保守的すぎるという、印象を与えてしまうかもしれないが、実を言うと、先日のニューヨークでの、Battle of Giantsの取り組みを、逐一英語で解説していたのは、日本相撲協会の武蔵丸親方であったし、土俵のまわりで、審判委員(物言いを付けたりする人)をしている4名のうち2名は大相撲の関取を引退した人たちのようだった。(あまり、アップにならなかったので、誰かはわからかったのだけれど、見覚えのある人だったのです)つまり、プロ側も、アマ側の活動に協力しているということが窺えるのである。つづく...長くなってしまったので、もう一回続けます。次回こそ、終わらせたいと思います。ではまた
2006年01月21日
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なんだか、昨日は続きが書けなかったので、なんとなく色んな写真を集めて、一つの写真にした物を、自己紹介代わりに載せようと思ったのだけれど、どうやれば良いかわからない...。仕様がないから、今日の日記代わりにそのスクラップを載せることにした。とここまで書いて、今日の日記の上にトップぺ-ジの写真を一旦載せたのですが、あとで、そのスクラップをトップページに載せることができたので、代わりに、私の部屋から、昨日撮った写真を載せます。ではまた...
2006年01月19日
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まず最初におことわり。私の文章のトーンが妙に堅苦し過ぎるように感じて、なんか変だなあ、と感じるのだけれど、昨日から、この調子で書き始めてしまったので、とりあえずこの話が終わるまでこの調子で進ませていただきます。相撲のこと書いてるからこうなるのか、元々理屈ぽいからこうなるのか…。なんか、えらそーだな、と思ったら笑ってください。そのうち慣れると思います。では。昨日の日記に、聖飢魔IIのデーモン小暮閣下が、大相撲初場所・中日(一月15日、日曜日)のゲスト解説をすることについて、あれやこれやと書いてみたが、その後、その時の閣下の様子についての記事を、2,3見つけたので後で書くつもり。今は、一昨日、ESPNチャンネルで放送されていたのを、偶然見つけた、'World S.U.M.O. Challenge - Battle of the Giants' をみて、面白く感じたこと、考えさせられたこと、引き続き紹介していきたい。The Battle of Giants 2 ~角界の夜明け!?~ やはり、どうしても、日本と違うところに目がいく。先ず、土俵はかためた砂ではなく、青い固いマットのような物でできていたようだ。アテネオリンピックの柔道競技会場で青い畳を使っていたことを思い出したが、似た感覚なのだろうか? いずれにしても、どうやってあの青いマットの上に、俵で編んだ丸い勝負俵と徳俵が埋め込まれているのか、もしくは貼り付けられているのかは想像がつかなかったが、大男達にかなりの圧力をかけられても、土俵がよじれたり、外れたりしなかったようだ。次は、行司役が二人の全く違ったタイプの人によって分けられていたこと。普通、大相撲だと取り組みを進行する役と勝負をジャッジする役、両方を行司がしているのだと思うが、この大会では、審判と進行役がプロレスやボクシングの試合のレフリーとプロモーターみたいな感じで分かれていた。 審判は、身軽そうな白い服と黒い蝶ネクタイを身に付けた、コメディアンのなんだかちょっと頼りなさそうなボケ役みたいな雰囲気。(ごめんなさい、審判さん)この審判の方は日本人のように見えた。進行役は、黒いタキシードをきたアナウンサーみたいな人がプロレスラーやボクサーを紹介する時みたいにドラマチックな調子で、国名、名前、そして何故か身長、体重を必ず紹介していた。やはり、どこに行っても、体の小さいレスラーが、格段に違う体格をもったレスラーをやっつけると観衆は大喜びをするので、極端に体重差のある組み合わせを、一段とドラマチックに紹介し、会場を盛り上げる。そして、その進行役のアナウンスを聞いてみると、中々面白い。例えば、「世界最古のマーシャルアーツ、1500年の歴史(ほんとかね)」とか、「世界で唯一、体重別のカテゴリーのない、の格闘技」、「ただ押し出すか、倒すか、世界一シンプルなルール!」そして「世界で最も大きい男たちの戦い、Battle of Giants!!」と謳っている。それを聞きながら私は、「うーん、シンプルで分かり易いことが好きなアメリカ人には、すごく効果的な訴え方だなあ」と感心してしまった。マジソンスクエアの9000人の観衆たちは、そのアナウンスに合わせて、握りこぶしを挙げ、歓声を上げながら盛り上げる。そして取り組み毎に、紹介された相撲レスラーたちは花道から、踊るように両こぶしを突き上げながら、(日本人だけは、無表情で)登場。取り組み前の清めの塩も撒くこともなく、四股も申し訳程度に踏み(大相撲の力士の様に体が柔らかいわけではないので、無理だよね)、代わりに十字を切ってお祈りしたり、観衆に声援を促したりと忙しい。では何故、こんな適当な相撲をみて面白いのか。それは、彼らが取り組みだけは大真面目に真剣勝負しているからだ。勝った者は、子供のように飛び跳ねたり、両手を突き上げて喜びを表し、負けた者は、がっくりと肩をおとす。無表情で登場した日本人も、勝つと、ふくよかな丸い顔に、点と線だけで描けるようなおちょぼ口と目が、「ふふーっ」と微妙な笑顔になり、その控えめな笑顔がなんともいえず、可愛らしい。(観衆がそれを笑顔と認識したかどうかは疑問だが。)そんな彼らの様子は、演技ではない、プロフェッショナルでないからこその初々しい表情が垣間見えて、取り組みが進む内にどんどん気持ちが、それぞれの相撲レスラーに入り込んでいって、知らず知らずの内に私も一喜一憂していた。もうひとつ驚いた事は、彼らの相撲のレベルが想像以上に高かった事である。勿論、大相撲レベルとは言わない。しかし、私の目からは、殆どの選手が日頃から、規則的に相撲を練習しているように映った。そして、それが私には各選手の姿の向こうに、それぞれの地元で、彼らと一緒に練習したり、指導している人達の姿が想像できたからである。「あっ、時間はかかるかもしれないけど、こうやって今、相撲は広がっていっているんだ。」と感じたのである。こんなに長く書くつもりはなかったのだけれど、中々終わりません。続きはまたあとで。
2006年01月18日
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こんにちは。なんだか、書き出したらどんどん長くなってきてしまったので、何回かに分けようかと思っています。日本を離れて、約7年、ピントのずれた話しもあるかもしれませんが、良かったら読んでください。昨日(日本時間で14日、土曜日)のサンケイ新聞のWebsiteで、聖飢魔IIのデーモン小暮閣下が15日放送のNHK「大相撲初場所・中日」のゲスト解説を務めるいう記事を見つけた。その記事には、閣下は相撲協会も認める相撲通だが、強烈な外見(そりゃそうだよねえ)が邪魔をしたためか、今までNHKからオファーはなかった。ところが昨年11月ごろに、「ずっと声をかけたかった」という制作サイドから依頼を受け、閣下も「ほんとに?」とびっくり、大喜びで引き受けたそうだ。相撲人気の低下を憂う記事を目にするようになって久しいが、歴史、伝統を重んずる、あの日本相撲協会が、悪魔のデーモン小暮閣下を呼ぼうと決心する程の柔軟性があったという事に驚き、なにやら、今後の日本相撲に対する期待のようなものがふつふつと湧いてきたのである。私も、恥ずかしながら、相撲ファンである。とはいえ、スポーツ観戦は(殆どはテレビで見るだけだけどね)、野球から、駅伝、水泳、ウインタースポーツ等、なんでもしつこく見るので、相撲もそのお気に入りのスポーツ観戦のひとつというわけだ。しかし残念ながら、日本を離れて以来、日本でのスポーツを観戦することは出来ないので、今はインターネットからの情報だけで我慢している。(近頃では、テレビジャパンとかいうケーブルテレビがあるそうだが、一度そんなものを手にいれたら、テレビに一日中へばり付く毎日になりそうなので、やめておく。)というわけで、私は以前からデーモン小暮閣下は大の相撲ファンで、相撲の歴史や決まり手など広く深い知識があるという話を小耳にはさんだこともあり、閣下がどんな風に解説するのか、とか、いつも大真面目に実況しているNHKのアナウンサーや角界の解説者が、どのあたりまで「世を忍ぶ仮の姿」のデーモン小暮閣下にあわせられるのだろうかと、想像しただけで、可笑しくなって興味津々。「うー、私も小暮閣下の解説をリアルタイムで聞きたーい!」とは思ったが、まあ、それが無理なことは承知しているので、「しょうがない、明日(今日)になったら、大相撲関連の記事をインターネットでチェックしよう!」ということにしたわけである。さて、私はもうすぐ始まる冬季オリンピックに向けて、米国のフィギュアスケート界から、代表として、誰を選出するのかに興味があり、それを決定する大会がテレビ放映されるかもしれないと、昨日の西海岸時間午後2時頃、ESPNチャンネルに合わせてみた。すると驚いたことに、なんとあの可憐なフィギュアスケーターの代わりに、廻しをつけた大きな白人男達が相撲をとっている映像が流れてくるではないか。その番組名は 'World S.U.M.O. Challenge - Battle of the Giants'。 アメリカを筆頭に、ドイツ、オランダ、ノルウェイ、グルジア、ポーランド、そして日本など、約10カ国から勝ち抜いてきた24人の相撲レスラーが世界一(勿論アマチュア)を決めるため、ニューヨークのマジソンスクエアに集まったというのだ。 はじめのうち、私はその番組が、半分‘やらせ’の相撲ショーか、ただ太った大男達が、組み付きあうのを見て、冷やかすような胡散臭い番組なのではないかと、少し自虐的な気持ちで(日本の文化を笑いの種にされてるかもしれないからね)その番組を見始めたのだが、これが予想に反してなかなか面白く、フィギュアスケートのことはすっかり忘れて、2時間しっかり視てしまった。実際この大会は去年の10月に行われ、私は偶然、再放送されたものを見つけたのだと思うが、日本でもこれが放映されたのだろうか? いずれにしても、この番組を見ながら、私なりに面白く感じたことを、私の日記の中で何回かにわけて紹介してみたい。つづく...
2006年01月17日
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初めての日記にメッセージを残して下さった、‘南カリフォルニアの青い空’ のHirokochan さんのデジブック、 ‘えっ!もうアメリカに41年!、と‘じゃれリング’に刺激を受けて(どっちも、テンポがよくって、さ~っと読んでしまいました。)、私も何か日記というだけでなくて、随分以前に体験たことでも、心に強く残っていることとか、私にとって、うん、これちょっと面白いかも、と思うことを気分にまかせて書いていこうかな、なんておもっています。(あまりにも、私の周りは刺激がなさすぎて、ネタもないことだし。) でも、久しく真面目な日本語を書いてなかったので、(勿論、英語はもっとひどい)筆の進みが本当に遅い。これも慣れが必要ということだと思い、練習のつもりで気ままに書いていきたいと思います。では、また。
2006年01月16日
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うーん特別かくことないから、ブログなんてつくっても仕様がないよね、て思っていたけど、楽天のデザインテンプレートを見ている内、出来上がりをみたくなってしまって気が付いたら登録していました。うーん、デザインプレートってすごいね、こんなにきれいに簡単にできて。そして、そうなると、書くことないと言っていたくせに、何か書き込みたくなるものですね。今日は初めての日記がUpdateされるのをみたら、これで終わりににしよう。他の細かいことは、また後でゆっくりやりまーす。じゃあね。
2006年01月13日
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