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季節柄、すき焼きなど食べたい気分です。が・・・中々チャンスが無いので、先日たまたまラジオで聴いた「すき焼き占い」をやってお茶を濁す事にしました。日々の仕事では主役をする羽目にもなるのですが、自分は脇役が向いていると思っています。各種占いでも主役の相ではないようです。ところがなんとこの「すき焼き占い」をしてみたら「お肉」との結果が出ました。100%の主役!ホントかよ^^!嬉しくはありますが、この占いあたるのか?と半信半疑の私です。さて皆さんは当たっているでしょうか?
2005年11月27日
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永らく春眠でもなく冬眠でもない秋眠?をしておりました(^(e)^)この時期、さすがに残暑見舞いの日記のままでは人格が疑われそうなので、とりあえず冬らしい装いにしてみました。最近、子供の頃の夢の一つが実現致しました。それは山口県の秋吉台の鍾乳洞を見学できた事。教科書にカラー写真で紹介されていたその光景に、当時の私はどれ程見入っていた事か知れません。今やっと願望が成就したわけです。感想としては良かったわけですが、洞窟内の自然の力で出来た様々な形の生成物に、よくもまあそんなネーミングをしたものだと感心しました。祠(ほこら)の中の小さな柱を「観音様」と言い、人の背丈の柱を「マリア…」と言い、言われてみれば「ああなるほど」と素直に思ってしまう自分にも???外には当然のように石関係のお土産屋さんが軒を連ねています。どの店もあまり元気そうではありませんでしたね。その中に東京にあってもおかしくないほどのお洒落な店がありました。石関係のアクセサリーやアロマのローソク(台が石)等を扱っていました。最近オープンしたばかりだとか・・・しかし、観光客もほとんど居ない様で、勿体無いお店だと思いました。久しぶりの日記なので何の結論も無く今日はこれで終わり。
2005年11月17日
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「残暑お見舞い申し上げます」先日わけあって自分の楽天HPをキーワードで検索しました。無事ヒットしたのですが、その中にどうも妙な物がありまして・・・よく見ると「私のブランド品のバックを開けられなかった恥かしい話」だったのですが、微妙に言葉使いが違うような???自分の書いた日記である事は間違いありませんでしたが、どうも博多弁変換ソフトで書き換えられたもののようです。結構面白くて最後まで読んでしまいました^^;しかし、誰か私の日記を読まれた方が変換されたのでしょうが、何故でしょうね?気を悪くはしていませんが驚き体験でした(^(e)^)その御陰で久しぶりに日記を更新してしまいました。これからもボチボチ行きます。
2005年08月13日
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このプログを始めて1年が経過しました。子供の頃より飽きっぽい、根気がないと言われ続けてた私がここまで来れたのは不思議です。もっとも最後は皆さんご承知の通りフラフラでの情けないゴールでありました(´(e)`)そんな私の日記でも訪ねて下さり、心温かいコメントを下さった皆様に心より感謝致します。2年目に入りましたがマイペースで続けていきますので、これからも宜しくお願いします。
2005年06月21日
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郵政民営化が話題になっていますが、時々郵便局に行って感じる事を少し書きます。先日、本局と言われる大きな郵便局に行きました。皆さんご承知の番号札を引いて待ちますが、16人も順番待ちをしていました。私の隣に座っていたおじさんもイライラ・ブツブツ・・・窓口の様子を見ていると何やら問答をしているケースが多い様です。一人のお客様に要する時間が、待っている身としては長いように感じてしまいます。本局という事で来られる方も多いのでしょうね。小さな郵便局の方が絶対に早いと思います。しかし観察していて気付いた事は窓口が5つあるのに業務をしているのは実質2つだと言う事です。1つはクローズ、2つは窓口職員はいますが明らかに他の仕事をしているようで窓口電光板も「・・・」になっています。本局で来られる方も多いにも関わらず、窓口が2つでは混むのは当たり前です。もう何年も前の事ですが他の大きな局で、お年寄りが窓口で何度も職員に色々な事を質問をして、延々と話し込んでいた事がありました。私の隣で待っていた二人組みのおばちゃんが遂に痺れを切らして、局の職員にわざと聞こえる様に大きな声で不満の言い合いを始めました。効果覿面(てきめん)で直ぐに業務がスムーズに運び始めました。そのおばさんは勝ち誇ったように「言ってやんなきゃ分んないのよ!」と雄叫びを上げつつ窓口に向いました。銀行の肩を持つわけではありませんが、銀行に比べると郵便局は業務がどうも素人っぽい感じがします。親しみが持てて身近な感じはいいでしょうが、業務の効率はどうなんでしょう。一件一件丁寧に対応するのは良いのですが、次のお客さんを待たせている事への問題意識が薄いような気がします。個と全体のバランス、難しいとこですが・・・郵政民営化は良く分からないけれど、窓口業務をもっと効率よくする工夫やシステムの改良をして欲しいな~。民間企業はスピード(迅速性)が命という場合が多いですから・・・
2005年04月29日
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4月は入学、入社の季節。先日、車内で座っている私の前に真新しいスーツに身を包んだ若者が立ちました。見ると袖のボタンのところに紙のタグ(AB LL)が付いています。その事を教えてあげるとおもむろにタグを外し、他には付いてないかとあちこちをチェックし始めました。一通り終わると何事も無かったように、そのまま立っています。その間、頭を下げるでもなく、ありがとうと言うわけでもありません。きっと、心の中では小さくありがとうございます、とつぶやいていたのだろうと思う事にしました。昨日、新高校生を持つある御婦人から聞いた話。高校の入学式の後には新入生のクラスの父兄による役員決めなどが行われるらしい。ところが、その場に担任の先生が来られなかったそうである。理由は自分の子供も高校の入学式があってそちらに行っているからとの事らしい。副担任も来てなかったと言う。理由は新婚旅行に行ってるからだそうだ。誰か代わりの職員がその場を仕切ったのでしょうが、開いた口が塞がらないとはこの事でしょう。入学式、卒業式は学校の一大イベントです。絶対に外せないプログラムのはずですよね。私が感じたのは個人の先生が問題であるのは勿論の事、その学校自体が緩んでるとしか思えない。詳しく聞けば入学式自体も、全校生徒が国歌は勿論、校歌も全く歌わず盛り上がらない式だったそうです。名前を呼ばれても返事もしないらしいです。全ての学校がそうではないでしょうが、子供達の事を云々する前に先ず学校自体がおかしくなってるような気がする。入学式、入社式と言うと晴れやかで希望的なイメージがありますが内実はどうなんでしょう。成人式も良く荒れるし・・・けじめ、節目を大切にする心が薄くなってるようです。新しく生まれ変わって飛躍する折角のチャンスなのに・・・
2005年04月07日
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誰でも一つや二つの癖がある事でしょう。本人が自覚してなくても、周囲の皆には有名になってるなんて事もありそうです。私の十代の頃の癖は俗に言う「貧乏揺すり」でした。さすがに今はほとんどやりません。では現在の癖は何か?周囲からは「溜め息」だと言われております。「溜め息をつくと、幸せが逃げていくよ」等と冷やかされています。確かに逃げているかも・・・癖ってマイナス的なものが多いですね。さて、私が最近自覚している癖があります。それは何でも結んでしまう事。コーヒーのスティック・シュガーの残りを、こぼさない為に結んだのが初めです。それ以来、ストローの袋、箸袋、お菓子の小袋、レシート、ハンバーガーの袋・・・なんでもかんでも細長くして結んでしまわないと気がすまない変な人になってしまいました。その内に結び方にも幾つかのバリエーションが生まれてきて、互いに組み合わせたりとか・・・野球でも投手の癖を見抜いて球種を読むようです。松井秀も打席でリラックスの為でしょうか、毎回右肩をぴくぴくさせています。イチローはご存知のようにバットを回してから投手に向って真っ直ぐに立てます。アメリカでは投手に対する挑発と思われるかも、との心配もあったようですね。相撲でもまわしをポンポン叩いたり、塩をなめたりと色々あるようです。彼らスポーツマンの癖は癖と言うよりも、勝負に勝つ為の理に適った動作の一つでしょう。長年の精進の結果、自分なりに会得した精神集中法、リラックス法、悪い癖の防止法だったりするのだと思います。私の「何でも結び」とはチト違うかな・・・一度付いた癖は中々直らないものです。同じ癖でも悪い癖ではなくて良い癖を付けたいものですね。良い癖が良い習慣になり良い生活を作り出して良い生涯を紡ぎ出すと思います。冬眠明けの森のクマの癖はこの時期、あくびです。\(^(エ)^)/
2005年04月01日
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世の女性の多くはブランド品の一つや二つは必ず持っている事でしょう。例えばLVのバッグとか・・・最近はあまり見ないように思いますが、一時期は皆さん手に手にLVのバッグをお持ちでした。私はブランド品に対してあまり関心がありません。と言うことは知識もないという事です。そんな私が昨年ある方から立派なLVの紳士用の黒い鞄をプレゼントされました。今まで使っていた鞄なら楽に10個は買えそうな高価な物のようです。その時まで私か使っていた鞄は、中央の丸いポッチ(突起)を下にスライドさせると開きます。ところがLVの新しい鞄は丸いポッチが二つ付いています。「・・・?」どうやって開けるのか、ポッチは下にも動かないし回す事もできない。LV店に聞いてみるしかないのでTELをしてみました。答えは「つまんで下さい」でした。「つまむ?」二つのポッチをつまんで引っ張ってみましたが駄目です。どうにもならなくて、ついに品物をLVの店に持っていって開け方を教えてもらいました。自分で行くのは恥ずかしいので身代わりを立てて行ってもらいました。正解は二つのポッチを真ん中に寄せるでした。「つまむじゃなくて、寄せるだろ、ちゃんと説明しろよ」と心の中で叫びましたが、負け惜しみ気味であることは否めません。こんな簡単な事、どうして出来なかったのか・・・同僚達と爆笑しましたが、LVの店員さん達もきっと田舎者の客が来たと笑ってるに違いないと思いました。こんな話を書くと森のクマのレベルが分かると言うものです。ブランド品かどうかの問題以前ですよね。こんな次元の森のクマですがこれからもお付き合いよろしくお願い致します。
2005年03月17日
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日記不更新の最長不倒距離が出てしまいました(´(e)`)今日は芸能ネタですが、書くタイミングを逸してもう旬を過ぎてしまいました。我慢して読んで下さいm( _ _ )m町で見かけた芸能人について・・・昨年のクリスマスの数日前、東京(恵比寿)の某高級ホテルのロビーにある喫茶スペースで石田純一を発見。薄暗かったので直ぐには分かりませんでした。スタッフらしき方とゲスト(?)、皆男性で写真も撮っていました。オーラの欠片もない感じで、オドオドしながら言われるままに写真に納まっていたという感じでしたね。今年になって芸能ニュースを見て、丁度別れ話で揉めていた頃だったと知りました。あの頼りなさげなところが女性にとっては両刃の剣なんでしょうか・・・もう一人、やはり昨年の12月頃新聞を読みながら朝コーヒーを飲んでいる、野田義治社長と一緒になりました。石田純一とは違って落ち着いた雰囲気でした。しかし、これまた実は騒動の渦中にあった時期だったようです。半年ほど前の事ですが、新宿の何の変哲もないラーメン屋で夕食をしていると、3つほど隣のカウンターにラサール石井が座って、ひっそりとラーメンを食べ始めました。音も立てずにゆっくりと私は誰でもありませんとでも言うように、雑誌を見ながら黙々と食していました。読んでいた雑誌が月刊「男の隠れ家」。彼にとってはそのラーメン屋がひと時の隠れ家だったのでしょうか・・・男の子は小さい時から秘密基地だの隠れ家だのと言って秘密のアジトを作って遊びます。私も子供の頃、畳一帖もない納戸の中に閉じ篭っていた記憶があります。色々な物があって宝の山の様でした。最近の癒しブームの延長線上だと思いますが「○○隠れ家」と謳うお店や旅館などが目に付きます。みんな何処かに隠れたいんでしょうね~。大人も実は閉じ篭りたいのかな~。ホッとして武装解除できるくつろぎの場。素の自分と出会える時間。男にとっては母の懐代わりだろうか。いや、もっとさかのぼった所かもしれない・・・
2005年02月28日
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土曜日にランチを食べようと、町をウロルロしていたら運良く新規オープンのインド料理の店を発見。それもオープン記念で980円が500円に!ナンとサラダとカレーです。久しぶりに好物のナンが食べたくて即決。ビルの地下一階です。客はパラパラ・・・店内はあまり広くなく薄暗い感じです。黒で統一されていて、とてもインド料理の店の雰囲気ではありません。普通はインドのムードを演出するもんですが・・・ウエイターの方も丁寧ではありますが、どうもインド料理の店には似つかわしくないスマートな感じです。私の思うには・・・以前はバーかなんかで経営が難しくて、インド料理の店に衣替えした・・・メニューを見たらやっぱり。インド料理の店なのに何とカクテルの種類の豊富な事!そうこうしているうちに食事が到着。しかし、ナンは手でちぎるので、お手拭は欠かせないのですがありません。他所のテーブルを見たらチャンとあるではありませんか。お願いしたら、申し訳なさそうに持ってきてくれました。味は悪くはありません。さて、カレーを頂いているわけですから喉が渇くのは当然です。ところが水が出ていませんでした。またしてもお願いすると、またまた申し訳なさそうに持ってきました。カクテルを作っていたお兄ちゃんが急にインド料理のウエイターですからね・・・同情もしますが接客のいろはが駄目でした。オーナーもお金だけ出して、何も教育してないんじゃないかな~。せっかく味が良いのにもったいないですね。長続きはしそうもないです。今日は本当にただの日記でした。
2005年02月13日
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物の値段は場所によって違う。例えば・・・ハイキングである山に登った時に、ドリンクの値段が標高に従って段々高くなっていった。頂上では町の数倍になっていた。まあ、当然といえば当然ですね。さて、先日映画を観に行きました。ビルの中にあるその映画館に行く途中、自販機があったので、映画館の中ではドリンクは高いに違いないと思い、事前に買っておこうと思いました。130円のドリンクを購入し、いざ出陣。映画館のロビーで何気なく自販機を見たら、事前購入した物と同じ物が何と120円で販売されていました!「え~!?」私の「ドリンク価格理論」が見事に崩壊した瞬間でした。同じ値段であれば、いまどきは映画館も外と同じにしているのか、で済むところです。ところが10円安いわけです。これは映画館が安いのではなくて、映画館に行く途中の自販機の方が高く設定されていた、と考えるべきでしょう。映画館に行く人の心理を見抜いて、意図的に自販機の値段を上げていたとするならば・・・門前商法というか、先回り商法というか・・・まさかそこまではとも思うのですが、真相はどうなのでしょう?昔、夏の暑い時に郊外の自販機の前でコーラを飲もうと二人で財布を開けていた時の事。自販機の隣に海の家みたいな作りの誰もいないオープンな店があり、男の人が急にそこから出てきて「どうぞどうぞ」と屋台の長椅子に座らせてくれました。間髪を入れずに「コーラですね」と言って「ハイ・・?」と私が返事をするが早いか、もう栓を抜いたビン入りのコーラを二本カウンターに出してきました。その手際のいいこと!二人で顔を見合わせて、ヤラレタ!私達は立派にコーラを注文した店のお客さんになってしまっていたのです(゚(e)゚)自販機の何倍もするコーラを二人で押し黙って飲むしかありませんでした。いい社会勉強になりました。待ち伏せ商法、くもの巣商法とでも言いましょうか。しかし、物の値段なんてあってないようなものですね。右から出たか、左から出たかでこうも違うのですから・・・
2005年02月04日
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前米国国務長官(日本では外務大臣)だったパウエル氏が執務室のテーブルに挟んでいたメモがあったそうだ。13項目にわたるそのメモは「パウエルのルール」と言われ、彼の人生においての仕事においての指針になっていたとの事。当たり前の何の変哲も無い項目もあるが中には「ん~」と唸るのもある。第2条 まず怒れ、そしてその怒りを乗り越えよ。第11条 ビジョンをもち、自分に対してより多くを求めよ。第2条は9.11のテロに対する思いとその後の対応の指針になったのかな、と勝手に想像をしてみたりした。自律のルールだと思った。第11条には責任ある大人としての自覚を感じたりした。自立のルールだと思った。国には憲法があり、地域や村落にはしきたりや掟がある。各家庭にも家訓や家風などがある場合もある。個人にも当然何がしかの規範あって然るべき・・・私達は子供の頃から色々なルールを教えられ、少なからずそのルールによって自らを治めてきた。又、人生の様々な体験や出会いから直接学ぶルールも多くある。名を成した人達を生涯磨き続けた珠玉のルールは魅力的で説得力がある。外的規則としてのルールではなく、人生の指針としてのルールは教えられるよりも学び取るものと言った方がいいかもしれない。人を感動させる生涯を歩んだ人は、その人生を支えてきた信念と言うか信条が必ずと言っていいほどある。それは親の姿や言葉だったり、先人の教えだったりするが、自分で悩みながら掴み取った勝ち取った信条であったりする。学校でも歴史上の偉人に学んだり、先人の人生の知恵を継承する教育もあったらいいと思うけれど・・・不思議な事に英語の教科書では今活躍している人がテキストになっていたりしますね。さて、私も「クマのルール」を一つ二つ紹介したいところですが、まだまだ未熟で発表どころではありません。が、あえて挙げれば・・・第1条「人里には近づくな!」 第2条「冬眠はシッカリとれ!」 第3条「鮭は一撃で決めよ!」 なんてね(^(e)^)
2005年01月31日
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大分前の話です。横浜郊外の真っ直ぐな片側三車線道路の真ん中を愛車で走っていた時の事です。道路はあまり混んではいませんでした。左側の車線をスーッとある車が上がって来て私の車の隣に並びました。運転していたのは黒づくめでサングラスを掛けた、髪の短い精悍な男でした。正に渡哲也かゴルゴ13かという感じ。しかし驚いたのはそれからです。彼は運転席の右窓を開け、左手で運転しながら右手を外に出しました。そして驚く事に何とその右手にはマシンガンが握られているではありませんか!何で私が襲われるのか、とパニック寸前!マシンガンは私の方に向いているのですが、正確には私の右車線を走っている車を狙っているようでした。その対角線上に私の車が入ってしまっています。慌ててスピードを落とし、その状況から後退しました。何なんだアレは?きっと映画かテレビのロケだったに違いないと思いました。がしかし、それにしても何の前触れもなくマシンガンを出されたら、もし女性の新米運転手であれば、事故の可能性もあったかもしれません。街中の路上ロケであればまだしも、チョット危ないかと思いましたね。スピードもそれなりに出てましたし・・・昨日、渋谷の歩道橋でのロケを観て思い出したので書いてみました。
2005年01月26日
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テレビで「鉄道員(ぽっぽや)」を観た。融通の利かない鉄道一筋の主人公が高倉健。皆が出世をして行く中で、彼だけが雪深い小さな駅で定年を迎える・・・彼の生き方は愚直でありながら、周囲の人達の心に残る生涯であった。後半部分の亡くした娘との出会いはいつ観ても泣かされる。先日20年来の知人が逝った。今まで何人もの人を送ってきたが、その度にその人とどんな絆があったかを思わされる。又自分の時が来た時に、皆の心にどんな私との絆が残るのだろうかと考える。人の心に刻まれ残るような人生を生きられるか?逆に私の心に深く刻まれている人がどれ程いるのか?人間関係の濃さ、密度、深度・・・親子や兄弟は必然的に相互浸透している。だから、他人との絆が深く作れる人は中々の人だと思う。信頼と尊敬の絆も人生の財産と言えるかもしれない。一つ一つ積み上げて行くしかないか・・・*************************** 「三柱推命」多くの方の要望がありました。ダウンロード後、少々作業が必要なので、断念された方もおられたようです。そこで、今回「森のクマの別荘」(写真の下)を急遽作りました。中に三柱推命を納めました。確認のメッセージが出ますが、恐れず開いていただけば直ぐに鑑定が出来ます。
2005年01月21日
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今朝、希木樹林の乳がんのニュースを見た。年明けに手術をする為に、昨年のブーケット島の家族旅行をキャンセルしたとの事だった。それが丁度、津波のあった日の日程だったと言う。何が幸いするか分からないものである。「万事、塞翁が馬」という言葉がある。昔、中国の国境沿いに住んでいた翁(老人)がいた。彼の所有する馬が国境を越えて逃げていってしまった。これは不幸な事。しばらくして、その馬が多くの駿馬を連れて戻ってきた。これは幸せな事。その翁の子供がその駿馬に乗って落馬し、大怪我をした。これは不幸な事。その後、戦争が起きて多くの若者が戦場で亡くなったが、その翁の子供は怪我をしていたので徴兵されずに生き残る事が出来た。これは幸せな事。つまり、不幸は幸の種であり、幸は不幸の種だという事だと思う。ある野球監督が「連勝している時こそ問題点を見つめる」と言っていました。私達は調子の良い時は行け!行け!で身を委ねてしまいがちですが、そういう時こそ忍び込んでいる将来の悪い種を除去する事が大事。反対に逆境に置かれた時にはきっと将来の良い種も蒔かれているに違いないと思う事が大事。そう考えると山の時に天狗になる必要もないし、谷の時に卑屈になる必要もない。自分の人生を見ても確かにリズムがあると思う。しかし、そんな事に一喜一憂していたら心はドンドン疲れて行く。山で無くす物もあれば、谷で発見する物だってあるはず。だから何が幸せで何が不幸せかは境遇や形ではないと思う。禍福は正に隣り合わせだから、その時々の環境や結果に左右されない「幸せ観」を持ちたいと思う。今日は真面目な日記になりました。
2005年01月18日
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年の初めと言えば占い!一時期、四柱推命に凝っていた事があります。もうおそらく絶版になった本だと思いますが、面白い「三柱推命」の本がひょっこり出てきました。お遊び程度の物ですが、表現が面白くて、昔皆で盛り上がった事がありました。「一直線の闘争猿」「春の小川で遊ぶ蛇」「ロマンチックなボス犬」・・・60種類に分けられており私は「金色の虎」です。「金色の虎」本能的なカンとひらめきだけを頼りに山野を駆け巡る金色の虎です。金色ですから周囲の色によって、どんな色にでも早変わりします。ある時は陽の光にまぶしいほどの輝きを見せたかと思うと、光の差さない密林の中では、たちまち暗黒の中に溶け込んでしまいます。決して檻や鎖につながれる事は無く、もしつながれたら引きちぎってしまいます。いつも野にいて風の匂いを嗅ぎ、絢爛に変化する四季に喜怒哀楽を激しくぶつけて、生きるエネルギーとします。短気ですが情にもろく、皮肉屋であって生真面目で、情熱的でありながら厭世的で、にぎやかなところが好きなくせに孤独ですから、地球人の尺度を越えた宇宙人なのか、天才なのか、あるいは何なのか。やっぱり流れる時の色によって七色に光り輝く金色の虎に違いありません。そして、ここぞ一発という時にこそ勝負をかける、波乱万丈の勝負師なのです。と言う事で、恥ずかしながら結構当たっております。今年を勝負の年として頑張りたいと改めて思った次第です。興味がある方は生年月日を私書箱に送って下さればお知らせしますよ。*********************************PS「三柱推命」がネット上にありました!このアドレスでダウンロードしてみて下さい。一応有料のようですが、鑑定自体は無料で出来ます。ただ保存やプリントアウトは出来そうにありません。仲間内でその時だけ盛り上がるのにはいいでしょう。http://homepage1.nifty.com/ikiiki-kenko/jisaku_soft.htm
2005年01月11日
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旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。5日まで日記はお休みです。とは言っても今までがサボリぎみの日記だったので同じ事ですね。新年が皆様にとりまして幸多き事を念じつつ、日本脱出を致します。
2004年12月30日
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一昔前には俗に言う「キセル」というのがあった。定期券などを使って無賃乗車をする事である。「キセル」と言われる理由は昔タバコを吸う時に使ったパイプを「キセル」と言い、両端に金を使って真ん中は木になっているところから来ている。つまり、最初と最後だけにお金を使うという事。今は自動改札機が導入されているので「キセル」も無くなっただろうと思うのだが、どうもそうではないようだ。毎日電車を利用する私は何度となく自動改札機を強行突破する人を見ている。間違ったカードを入れたり、機械自体の誤作動もあるだろう。その場合は普通、やり直したりその場で「アレ?」という態度を取るのが普通である。ところが閉まろうとする改札機を無理に突破し、振り返る事もなく一直線に群衆の中に紛れて行く姿を見ると確信犯だと思わざるを得ない。そういう事をする人の共通点は青年で学生風かフリーター風である。実は今朝も金髪に染めた若者が何事もないようにやっていた。思うに仲間内で「あんなのチョロイもんだぜ。俺なんか金払った事ね~よ。一度も捕まった事ないし・・・」等と言ってるのではないか。もしかしたら若者達の間ではもはや常識となっているのだろうか?お金は節約できるだろうが、良心を否定してまでもその様な行為を続けていると、もっと大切なものを失ってると思うのだが・・・人生の損益は必ずマイナスになると思う。人生には「最初と最後さえやっておけばいいんだろ」と言う「キセル」は通用しない。ましてや最後を無視する強行突破はもっと性質(たち)が悪い。こういう事態を放置する事はJR・私鉄の金銭的損失に留まらず、日本の国の人的損失でもあると思うのだが・・・
2004年12月28日
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先月末に街中を青い顔をして走り回った事がありました。誰でも年に1回ぐらいはあるでしょう、緊急事態でトイレを探す事・・・その時は全部満員で、次の所は清掃中。更に次の場所は故障中の張り紙。「ああ、神は我を見捨て給うたか!」の心境でした。そんな事ってあるんですね。そして先日はパート2が発生。我慢して最寄のコイン使用のトイレに到着し10円を投下。しかし扉が開きません!「何で!」よく見ると100円と書いてありました。今はそうなったのか、と思いまだ余裕があったので次のターゲットへ移動。ところがそこが満員。当ても無くなり焦ってやっとトイレを発見しましたが、またもやコイン式。今度は覚悟を決めましたがどうも変な扉です。掃除を終えたばかりの方がおられたので聞いてみると、近くのお店で出している専用コインでないたダメだとの事。「一体俺の人生はどうなってんの!」そんなこんなでクリスマスを迎えようとしている森のクマでした。お粗末様m(_ _)m
2004年12月21日
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日記で取り上げるほどの事ではないのですが、通勤電車の広告に一言。あるラジオの広告でしょうか、リスナーからのハガキ文が掲載されていました。47歳、主婦。「子供の頃、父親と銭湯(男湯)に行った時の事、滑って転びそうになりとっさに父親の股間のつり革につかまって事無きを得た。当然父親は悶絶状態。あのつり革、結構丈夫なんですね。」車中の広告なので、つり革と言う事で載せたのでしょう。でもね・・・ラジオで紹介するのであればニヤリとするぐらいで面白いでしょうけれど、満員電車の中で読んでみるととても笑えませんでした。ご丁寧に挿絵まで描かれておりました。同じ内容でも時や場所でこうも印象が違うものなのでしょうか。他のもっと微笑ましい話もあるだろうに、朝からわざわざそんな話題でなくてもと思いましたよ。もっとも、その広告をシッカリ読んでいたのは私ぐらいでしたが・・・(^(エ)^)
2004年12月15日
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今日の日記は実は先月書くつもりだったものです。11月上旬のある新聞記事に日本の自殺率が世界のワースト10位だと言う記事があった。日本以外のワーストの国は旧ソ連から独立した国々。急激な国家体制の変化と経済破綻でアル中の男性達が増えて、自殺に至っているようだ。日本の場合は中高年は経済問題で自殺する人が多いようだが、若年層では最近のネット集団自殺のようにどうも理由が違うようだ。昔は貧しく食べて行くのに必死で、若い人達も今のように自殺をするという選択肢は無かったのではないか。勉強をするのも貧しさから脱出して出世し、いい生活をする為というハッキリした目的があった。しかし今は勉強しなくても最低限度の生きる事が保証されている。そうなると、精一杯生きる事の意味(目的)が見えなくなっているのだろうか。皮肉な事に生きる事が保証されて無い人は必死に生きようとするが、生きる事が保証さている人は何故か死のうとする。今の時代は食べていく事が先決と言う時代ではない。では食べる事の次の段階は何だろう。そこが見えなくて若者達が迷走しているのだろうか。ネット集団自殺に対して命を粗末にしている、生きたくても生きられない人もいるのに、との意見が楽天日記にもあった。多くの事が自分の意志と責任で決定できるが、命はいつ与えられいつ奪われるか自分では分からないもの。だから私が命を所有しているのではなく、逆に命が私を掴んでいるとでも言おうか・・・それ故に私は自分の命に対して謙虚であるべきだと思う。自分の命は自分で自由に左右出来ると思うべきではない。そして自分を傷付ける事は他人を傷付ける事と同じではないだろうか。同じ命は二つと無いし、二度生きる事も出来ない。注がれた杯は飲み干すしかないと思うのだが・・・
2004年12月12日
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日記なのに週記になっています(´(e)`)足裏マッサージなどで「痛(いた)気持ち良い」等と言いますが、今日の私日記の題は「怖(こわ)楽しい」です。エジプトに行った時の話。カイロの歴史ある巨大市場、実際は観光客相手のお土産品売り場と化してます。日本で言えばアメ横と浅草と秋葉原をミックスしたような所。インディー・ジョーンズに出てくるような雑踏です。ブラブラしていると「ヤマモトヤマ!」「ゲッチュ!」「アイーン!」と声を掛けてきます^^強引ですよ。ガイドさんから絶対に言い値では買ってはいけないと言われていました。一度値切って、一旦そこを立ち去る。そうすると追いかけて来て更に値引きをするとの事。実際、その通りでした。段々慣れてきて、店頭にあった石制のチェス(盤と駒)をお土産に買おうとして、値段を聞きました。店員は手招きして、奥で相談に乗ろうじゃないかとでも言う風に私を店の奥に連れて行きました。いよいよ交渉です。何でもそうですが、値切りながら買い物をするのは楽しいものです。何回かのやり取りの後、私は思い切って自分でもよく言うなという値を言ってみました。店員は怒ってしまいました。いつの間にやら店の奥で屈強な数人の男達に囲まれておりました。これはヤバイと思い、店外に出ようとしましたが、中々出してはくれません。遂に一人の店員が店頭の売り物の大きな剣を持ち出し、それを鞘から抜き私の前に立ちはだかり何か叫び始めました(゚(e)゚)委細構わず、もういいからと強行突破。すると「OKOK!持ってけ!」これが異国の地での買い物の醍醐味だとつくづく感じました。集合後、仲間とガイドさんにこの武勇伝?を自慢げに話したのは言うまでもありません。皆、一様によくそんな値段で買えたね、と感心しきりでした。満足満足(^(e)^)しかし、後で駒をよーく見たら一個首が取れてました。つまりは不良品・・・さすが歴史ある伝統のエジプト商人、一枚も二枚も上手でした。
2004年12月07日
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子供の頃、雪の結晶を肉眼で見た事がある。毛糸の手袋の上に舞い降りた雪は確かに綺麗な六角形をしていた。数年前、知人に「水からの伝言」と言う本を見せてもらった事がある。今はシリーズで3冊まで出ているらしいので、ご存知の方も多いでしょう。色々な水を凍らせてその結晶を撮影する。田舎の山奥の水なんかは綺麗な形で、都会の川の水は形が崩れている。面白い実験もしていて「ありがとう!」と「死ね!」の文字をそれぞれ水の入ったビンに貼って置くと、水の結晶の形が全く違ってしまう。「ありがとう!」は綺麗な六角形で、「死ね!」は文字通り形が壊れている。音楽を聴かせたり、祈りをしたりと様々な事をして水の結晶の形を撮影した綺麗なカラー写真集の様な感じであった。撮影者(編集者)が沢山の写真から選ぶのだろうから意図的な部分もあるかもしれない。それでも私はビックリして感動した。人間の体は70%は水なのだから、人に対する悪意ある言動は分子レベルでも確実に相手に悪影響を与えると言う事になる。病は気からと言うのも頷ける。私の体の中の水はどんな結晶の形になってるのだろうか。私自身の考え方・感じ方と他人からの善悪の波動でどんなになってるのか・・・見たいような見たくないような・・・詳しくは⇒http://www.hado.com/
2004年11月30日
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先日、急に思い立ってディズニー・シーに行ってきました。話がトントン拍子に進んで、下調べも出来ず、ましてや攻略作戦どころではありませんでした。あたふたしながら予約券?(ファストパス)をゲットしましたが、2時間ぐらいしなければ次のファストパスを入手できないらしく、時間配分が難しいですね。あるアトラクションは長蛇の列・・・90分以上は待つ状況でした。その隣をファストパス専用通路を通って、先にそのアトラクションに乗れるのはチョット優越感・・・でした。が、しかし、たった数分のアトラクションでしたが、何と子供騙しな事か!アレは絶対90分も並ぶ価値なし!出口から出て、並んでいる人々を見て「ご愁傷様」と思いましたよ。そういえば入る時に出てくる人達の顔が、決して輝いてなかった事が気にはなってましたが・・・シーはアトラクション狙いで行く所ではないと悟りました。あの雰囲気をゆっくり味わって、外で行なわれるアトラクションやショーを見た方が良いようですね。本当に疲れてしまって・・・ おそらく二度はいかないと思います。PS 私の場合は準備不足がたたってると思いますので、よく研究して行けばきっと楽しめるかと思います。(^(e)^)
2004年11月24日
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東京都では中学生の性交渉を慎むようにとの条例を準備中であるという報道を見ました。罰則は無いようですが、大人からのメッセージを伝える必要性があるとの事で条例化するようです。何で中学生かというと義務教育期間だからだと・・・私もなし崩し的に低年齢化しているこの問題は何とか歯止めが必要だと思っていますが、中学生はダメと規定すれば逆に高校生は良いと言う事になりはしないかと思いました。そもそもそういう条例を作らざるを得ない状況になっている事が残念です。社会全体が、青少年の性的乱れを世の中の流れとして諦めてる感があります。酒・タバコは20歳、成人映画は18歳なのに何で性交渉が中学生なんでしょう?納得できないな~。大人と未成年者が関係したら罪になるのに未成年者同士が関係を持っても何も罰せられないのも変です。金銭授受の有無だけの問題ではないでしょう。こういう問題は様々な意見があると思いますが、私は高校生こそ厳しくすべきだと思います。と同時に大人達が性と愛の倫理をシッカリさせておかないといけないのは当然です。
2004年11月17日
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深夜にプロジェクトXを観ました。「日本技術陣 1億の地雷に挑む」という題で、東京都大田区の小さな町工場がボランティアで残留地雷の探知機を開発する話だった。結果として日本の一流企業群が一人の人物の熱意から協力し合って、探知機を開発して行く・・・今世界中に残留地雷は1億個あるらしく、今尚、毎月2000人が犠牲となっている。あのダイアナ妃が地雷撤去運動に熱心だった事は知ってましたが、日本企業の技術がその為に生かされていたとは知りませんでした。とても嬉しく思いました。民間の力だけではなく、日本の国としても何か出来ないのかとも思いました。国連の依頼から始まったのですが、国連に予算が無いので技術者達の誇りと人の為に生きたいという思いを動機として、徐々にその輪が広まっていった・・・良い話ですが情けなくもありました。人の善意だけでは遅々として進まない問題もあるんですよね・・・どこかのお役所の無駄遣いが余計に頭にきました。(`(エ)´)
2004年11月11日
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「雌雄を決する」「両雄並び立たず」と言う言葉がありますが、米大統領選(戦)もブッシュが再選で決着が付きました。甲乙付け難い者同士の戦いは多くの人を興奮させますね。タイトルマッチや○○決定戦など実力伯仲の対戦は確かに見ごたえがあります。さて、今月1日は久しぶりに映画鑑賞。「2046」を観てきました。「花様年華」の続編と言う事で・・・その感想は今度にするとして、今日はその時の予告編の話。「エイリアンvsプレデター」女性の方々は興味ないでしょうね~。でも私はきっと観に行くと思います。両方ともシリーズは全部見ましたから。よくもこんな企画を思いつくものだと感心します。男性はこういうどっちが勝つか、強いかの単純明快な世界が好きなのでしょう。まあ、夢の対決と言う事で今から楽しみなわけです。しかし、意地悪く考えれば単独ではもう集客出来ないからとも言えます。特にエイリアンはもう限界でしょう。それでも組み合わせによっては再び光を放つ事も・・・少し前には「フレディー対ジェイソン」と言う怖いのもありましたね。チョット安易でもありますが、シリーズ物の主人公同士の対決が流行りなのでしょうか。私だったら「ターミネーターvsロボコップ」なんていうのを思いつきますが・・・二大スターが競演する映画は数々ありますが「インファナル・アフェア(前作)」は面白かったですね。アンディ・ラウとトニー・レオンの共演でした。又「フェイス/オフ」も良かった。ジョン・トラボルタ とニコラス・ケイジでした。ストーリーと両者の互角の演技が無いと失敗作になる危険もありますが、いい映画になる可能性もある。出演交渉なんかも難しいでしょうね。台詞の数やシーンの数などなど譲らなかったりするでしょうね。日本映画なんかでも出演者の名前を出す順番でモメまくる様です。キャリア同等の二大スターが競演する場合は並べて名前を出しても、「何で俺の方が右側なんだ!」となるそうです。苦肉の策で右側をチョットだけ高めにするとかあるらしいですね。足の引っ張り合いではなく、内容のある白熱のバトルが観たいものです。今日は止め処も無く書きました。最後まで読んで下さってありがとうございました。(^(エ)^)
2004年11月05日
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今日から原宿で開幕する某有名スーパーサーカス「アレ○○○2」の案内をある雑誌で見ました。客席はSS席、S席、A席の三種類がありました。私はコンサートや観劇は残念ながらあまり行っていません。若い頃は仲間とコンサートを企画して、有名なアイドル歌手を何回か呼んだ事もありましたが・・・以前はS席、A席、B席位の感じだったと思いますが、最近はSS席、S席、A席の様な設定も結構ありますね。上記の案内に小さな客席図が載ってましたが、なんと7ブロック中5ブロックがSS席です。70%以上ですよ。SS席とS席の違いよりSS席の中での違いの方が大きいでしょう。S席といっても中央のステージを斜め後ろから見るポジションです。S席は「特別に良い席」という意味だと思ってましたが、どうも「特別に良くない席」の意味のようです。今時はこれが普通なんでしょうか・・・客席表示もインフレ傾向ですね~。お客さんはSS席というと本当にいい席だと思うでしょうから、折角観るならと奮発するのでしょうね。しかし、実際はほとんどがSS席で、少しでも遅れて購入しようものならSS席中のC席なんて事になるでしょう。これは錯覚商法、思い込み商法とも言えなくもないですね。SS席が本当に良い席でせめて3割ぐらいであれば納得もしますが・・・不当表示ではないにしても、どうも納得出来ないな~。ここまで書いて観に行きたくて行けない事の鬱憤があって突っ掛かってるんだと自己分析・・・(^(e)^;世の中「特別な普通」が氾濫しすぎてますね。
2004年10月29日
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電車内に「青年海外協力隊」募集のポスターが張られていた。「新しい自分との出会い!・・・」と言ったようなキャッチコピーでした。日本のボランティアは「自分探し」が多いと何かの本で読んだ事があります。生き甲斐を見つけたい、新しい自分になりたい・・・動機はどのようであっても、人の為に時間、お金、体力、知識を投資する事は尊い事でしょう。貴重な体験をする事で自分が自信を持ったり、生きる意味を掴んだりというメリットがあるでしょう。でも私は単純に考えてボランティアは誰かの為に何かをする事だから、相手に重心が掛かっているのが自然ではないかと思うのですが・・・副産物として自分にもプラスになると・・・応募する人はいろんな動機でいいでしょうけれど、主催者自身が「自分探し」をアピールしてしまってはどうなんでしょう。「未知との遭遇!・・・」の方がいいかも(^(e)^)皆さんのボランティア観が分かれるところだと思います。相手が求めているものは何かを感じてあげられて自然に体が動けばいいな~。
2004年10月26日
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男性はそれなりの年齢になれば皆「実印登録」をします。そして「印鑑証明書」を提出する事も経験するようになります。重要な書類に押した実印が間違いない物であるかを「印鑑証明」の印影と照らし合わせます。ある時、目の前でその作業を見る機会がありました。唯見比べて確認するのではなく、「へー」と言うような光景でした。まず「印鑑証明書」の印影ぎりぎりの所で証明書を折ります。つまり証明書の折った端っこに実印の印影がきた状態になります。次に重要書類の押印部分にその折った証明書の印影を重ねます。重なった二枚の紙を上から見れば証明書の印影だけが見えますが、チョットめくれば重要書類の押印部分が見えます。一点を指で押さえて、上の紙をパカパカ何度もめくります。残像効果なのでしょうか、チョットでも印字が違えばズレて見えるのでしょうね。子供の頃に教科書の角にマンガをチョットづつずらして描いて、パラパラとやるとアニメーションになるという遊びをしませんでしたか?そんな事を思い出して笑いそうでしたが、担当の事務の女性は至って真面目に幾つもの押印を、同じ作業で確認していきました。以前にTVで造幣局の一万円シート(結構大きかった)をパラパラとやって、印刷ミスやズレを人の目でチェックする場面を見ました。機械では駄目なようでした。残像効果で微妙な違いを察知する人間の目って凄いですね。町工場の熟練工さんが機械では削れない球面を正確に削るとか、人間の持っている生の力の凄さに改めて驚きます。あまりにも便利になると人間の持っている能力も退化してしまいそうですね。人の生の力と知恵があれば機械に頼らずとも相当の事が出来るのではないでしょうか?そういう創造性に満ちた生活もいいと思います。
2004年10月23日
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今朝、満員電車と反対方向の電車に乗った。途中で幼稚園児の団体が引率されて乗り込んできた。遠足にでも行くのだろうか、皆リュックサックを背負っていました。よく観ると皆リュックサックに三個の「照る照る坊主」を付けています。しかし外は雨・・・「照る照る坊主」もそれぞれ薄汚れて疲れ切って精根尽き果てたような姿に観えました。健闘虚しく雨に勝てなかった姿か・・・「照る照る坊主」で晴れれば、先生達も「照る照る坊主」さんのお陰で晴れましたね、と園児達を盛り上げられるでしょう。しかし、園児達も大人になっていく過程で「照る照る坊主」と天候にはさしたる因果関係がない事を知るようになっていく・・・でもおそらく、その園児達が大人になったら自分の子供達にもやはり「照る照る坊主」を作って上げる事でしょう。心を込める事に価値があると思うからでしょう。科学的な根拠が曖昧でも大切な事か沢山あると思う。祈る気持ち、念ずる心・・・自己満足とは違います。結果が全てみたいな世界は嫌ですよ~。最後に「照る照る坊主」を慰労する気持ちも忘れないようにしたいものです。
2004年10月19日
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今、TVで「絶叫マシーン」を観ていました。もう心臓がドキドキでこれ以上観れずに、日記に切り替えました。よくもまあ、あんなに怖いものを作り、又乗る人が居るものだと感心してしまいます。数年前に八景島シーパラダイスで80mぐらいの塔の上から垂直に落とされるアトラクションに乗った事があります。椅子に座った形で足はぶらぶら状態。踏ん張れない、これが怖いんです。徐々に上がって行く時から、乗った事を後悔してました。頂上から一気に落ちますが、目を瞑ってしまいました。もう二度と乗りませんよ。怖がりながらもホラー映画を観たり、お化け屋敷に入ったりと人は不可解な行動をするもんですね。書き終わった今も未だ私の心臓は落ち着いていません。(´(e)`)
2004年10月14日
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タクシーに乗った時は必ず運転手さんと話をするようにしています。案外、話し好きの方が多いし面白い話題も持っています。バブルの時代に給料が100万円で、毎日仕事に行くのが楽しくて仕方が無かったと言われた時には唖然としました。その時の蜜の味が忘れられずに今もやっていると笑って話すのです。しかし、その時稼いだお金は全部使ってしまってもう無いとの事でした。大分遊んだようです。先日も客足はどうかなどと話していて、やはり夜が稼ぎ時ですねとの答えでした。最近は深夜バスが出るので影響は無いか聞いてみましたら、それよりも強力なライバルがいるとの事でした。さて何だろうと考えていると「マンガ喫茶」だと言います。ご婦人方はご存じないかもしれませんが、24時間マンガ、インターネット、DVDが見られて、ドリンクがフリーです。半個室もありペアシートもあります。シャワーだって使えて一晩1000円少々で済むのです。ですから終電に乗り遅れれば手軽な避難所となるのでしょう。私は泊り込んだことはありませんが、こんな所にタクシー業界の競争相手が存在するとは思いもよりませんでした。ところがこの「マンガ喫茶」が非行の温床とも言われています。若い男女(未成年も含む)が低料金で、個室がある事から集まってくるようです。先回の日記に続いて若者批判になってしまいそうですが、2000年前のギリシャでも「最近の若い者は・・・」と嘆いて居たそうです。いつの時代でも大人の口癖なんでしょうか。順送りで変わってないんですかね~(´(e)`)
2004年10月12日
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一週間、日記の更新をしませんでした( ̄(エ) ̄;)今朝、バスを待っていると反対車線上に若者が運転している車が停車した。何かを食べているらしく、包んであった紙を窓から何の躊躇も無く捨てた。それも二度にわたって・・・私は仕事で渋谷に出向く事が多いのだが、夜や早朝などいたる所でゴミが散乱している。大半は食品類のゴミで、捨てていく主は若者達である。我が家の近くにコンビニが出来たとたんに、周辺が急にゴミで汚れ始めたという事もあった。私の知人に学校の先生がいる。道徳の授業で○○が良い事で、××は悪い事であるとは教えられないらしい。○○という考え方もあるし、××という考え方もあると言うそうだ。今は価値観が多様化して、○○が善であると押し付けてはいけないらしい。私の持っている「当たり前」の感覚がもう若者社会では「はぁ~?」と言われてしまうのか。先日TVで、今学校では「~しましょう」と促すような表現で規則を伝えるようで「~しなさい」とは言わないらしい。もっと社会(大人)が自信を持って若者を育てられないのでしょうか。「AC公共広告機構」の自己虫の広告はとても面白いけれど、あの様な装いをしなければ社会の公衆ルールのメッセージを伝えられない時代になったんでしょうか。久しぶりの日記が愚痴になってしまいました。これに懲りずにこれからも、よろしくお願いしますm(_ _)m
2004年10月08日
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西伊豆の金山跡を観光した時の話。一通り鉱山跡を見て回って、最後は砂金採り体験をしました。広~い部屋に、長い水路の様な設備が数本ありました。腰の高さほどで幅1mぐらいです。底に砂があって水が流れています。それぞれに実際にある川の名前が付いています。要するに川に見立ててそこで砂金採りの真似事をして楽しむわけです。案内された川の場所に行ってやり方の説明を受けました。ざるの様な物で川の底の砂をすくって、水の流れの中で上手くざるを操って砂を少しずつ流します。最後にざるの中に小さな砂金が残れば「やったね!」と言うわけです。制限時間5分ぐらいはあったと思いますが、なかなか難しかった。一緒に挑戦した女性は金運があって5粒ほど獲得していましたが、私は2粒採るのがやっとでした。(私の場合)男性としてこういうのは凹ですよね。お遊びであったとしても自分の金運の無さがあからさまで、笑ってみせたものの内心惨めでしたよ~。海釣りに行っても自分だけ釣れなかった時のあの惨めさ・・・人生と人格の全てが否定されたような疎外感・・・スポーツ選手、お相撲さんなども縁起を担ぐようで、案外男性の方が運やツキと言うものに敏感なのかもしれない。ジャンケンがやたら強かったり、くじ運が良かったり、懸賞によく当たっていたりと能力や才能とはチョット違う、運勢があるな~と言う人、周りに居ませんか?先天的なものなんでしょうかね。親のせいにするわけにもいかないか・・・ (´(e)`)
2004年09月30日
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数年前に山梨の某景勝地に行った時の話。ケーブルカーを降りていよいよ山頂に向かって山道を歩き出したところ、前方に山奥には不釣合いな机とその上に乗った小さな瓶(壷)、数人のはっぴを着た中年男性を発見。手招きをするので行ってみると、壷の中には白い砂が入っていて、その中には小さなダイヤモンドが混ざっていると言う。お遊びで運試しに耳掻きの親分の様な物ですくってみなさいという事であった。10人ほどのグループであったが、私が最初に挑戦することになった。やってみると何と運のいい事に小さなダイヤをすくい上げてしまった!当然ガラスか人工のダイヤだとは思うが、嬉しいものである。中年男性がすかさず記念にペンダントにしませんか?と畳み掛けてきた。1000円程かかりますが・・・ と言われたが、特別に作ってもらえるのなら良いかなと思い、お願いしますと言うが早いか、何処からともなく完成品が出てきた!何だそういう事か!やっと悟った時にはハイお買い上げ・・・一同大爆笑でした。後から挑戦した人達も次々にダイアをすくい上げていた。しかし、ペンダントにする人が居なかったのは言うまでもない。こんな山奥でこんな巧みな商売があるとは・・・一体誰が考えるのでしょうね。見事過ぎて脱帽、感心してしまいました。
2004年09月27日
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私の子供の頃の遊びの一つにザリガニ捕りがありました。近くの池(沼)で何故かスルメを餌にして捕っていました。話は変わって数年前、千葉沖でタコ釣り(?)をした事があります。糸の先に小さな板が付いていて四隅に針金のような針が上を向いて出ています。板の上には「ある餌」が結わい付けられています。一度海底まで降ろし時々持ち上げてみて、手応え(重み)があれば巻き上げます。小さなタコが捕れるのですが、ここで問題です。さてこの時のタコ捕りに使われた餌は一体何だったでしょうか?>>>何と「らっきょ」なんですよ。どうして海底に居るタコがらっきょの味を知っているのか?更にどうしてその事を漁師が知っているのか?誰かタコにらっきょを食べさせた最初の人が居るはずです。その事を最初に考え付いた人はきっと皆に「何バカな事言ってるの」と笑われたんではないでしょうかね。私にとっては「イチゴ大福」も驚異の食べ物です。栗を入れるぐらいなら分りますが、どうしてイチゴなのか。人間の食べる事への飽くなきチャレンジ精神にただただ驚くばかりです。奇人、変人と言っては失礼ですが、既成概念に捉われない人、新しい取り組みに冒険できる人が文化を創って来たのでしょうね。
2004年09月24日
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☆ayano☆さんやmido。さんの日記に「ありがとう」の大切さがよく書かれていますが、チョット考えてみました。ありがとう=有難う滅多に無いこと有り得ないことなので、お礼を言うということなのだと思いました。全ての事を当たり前だと思ってはいけないということでしょう。どんなありふれた事で日常的な事でも、その背後を考えれば決して簡単ではないはずですよね。米という字は八十八と書いて88もの手間を掛けて作られると言われたことがあります。お金を出せば米は簡単に買えますが、店頭に並ぶまでに多く人の見えない苦労があってこそ、私の口に入るんですから・・・牛肉もあっと言う間に食べられなくなったり、古い話ですがトイレットペーパー騒ぎもありました。私達が何の根拠も無く当たり前に思っている環境が、実は如何に不確実なものであるかを自覚していてこそ、何事も無かったように過ぎていく事象に感謝の心も芽生えてくるのでしょう。大昔はきっと日々が過酷で大変なことばかりの生活で、気の安らぐことの無い不安の中で過ごしていたのでしょう。そういう時代には今日一日無事に過ごせて「有難い」と言うのは重みのある実感のこもった言葉だったのでしょうね。文明の進歩とは「有難い」から「当たり前」への歩みでもあったと思います。しかしそれが良かったのかどうか・・・何に向かってと言うわけではないのですが「ありがとう」と言う心を失わないようにしたいものです。その言葉を失う時は人間が究極的な傲慢状態に陥って、人間関係の崩壊と自然界からの反逆で滅ぶ時かもしれません。書いているうちに段々大袈裟な話になりましたが、小さなこと、目に見えないことを大事にしたいですね。
2004年09月19日
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同じ「マッサージ・チェアー」ネタで申し訳ありません。昨日、遠方地の健康ランドのような所で五分50円のマッサージ・チェアーをやってみました。これが何とおつなこと・・・「強弱」と「間」の違いが組み合わされていて、更には左右の球が別々のリズムで動くというる世にも不思議なチェアーでした。私の体で木琴のように、ドラムのようにリズミカルに音楽を奏でるのです。ご婦人方は知らないかもしれませんが、台湾式の足マッサージでパカパカパッパン・・・・と最後に足を叩くあのリズム感です。余りにもタイミングよく出会ったものですから、ついつい書いてしまいました。今日は疲れているのでこれで御仕舞い。
2004年09月17日
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家電店で最新式と思われるマッサージ・チェアーを試してみました。当然買う予定はありませんけど。えらく大袈裟な感じで、操作もリモコンの様な物では間に合わず、大きなパネルを使います。いちいち説明書を読みながら操作する状況でもないので、大体の感じでやって見ました。両足の膝から下がガッチリ固定されます。そのうち両サイドの手をかけるところがワニの口の様に開きます。肘から先を入れろと言うわけです。そうして両手両足の自由を完全に奪われます。操作パネルに目をやると、私の全身を赤いランプでスキャンしている状況が映し出されます。あたかも獲物を調査するプレデターの様に・・・リラックスどころではありませんでした。万が一この状況で電源が切れたらどうなるんだ!両手両足が固定されることの恐怖を感じました。背中はどうかと言うと何やら動いて押していますが、どういうわけか全然気持ちよくない。何か中途半端な感じ・・・例えてみれば、丁寧な接待過ぎて全然面白みが無く、失敗しないように気を使っていることだけは分るという感じ。※私は接待され慣れている偉い人ではありませんが・・・と言うわけで五分ほどで脱出!私は凄い肩凝りで背中もパンパンです。最近は首も調子悪いです。今迄で一番効いたのは木の椅子の背もたれの部分の突起に、背中を反らせて肩甲骨の内側を押し付けた時です。浅く座れば首がその突起に当たり、これが又良い!で、今だあの木の椅子を上回るマッサージ・チェアーにはお目にかかっていない。私だったらあちこちに突起があって、自分で体を動かしながらあらゆる部位を指圧する万能指圧椅子なるものを作るのにな~。
2004年09月14日
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今の世の中、猫も杓子も携帯電話が無くては生きてはいけない時代なのでしょうか?電車の座席に座っている人の半分は携帯でメールかゲームに夢中になっていますし、ホームで電車を待つ僅かな時間も携帯とにらめっこをしています。朝のラッシュ時に揉まれながらやっている人さえ居ます。ほぼ中毒状態と言ってもいいほどです。もっと極端に言えば憑りつかれているかのようです。喫煙と同じで手持ち無沙汰のなせる業かと思っていましたが、そういう次元ではないような・・・先日などは露天風呂(水着)で女性が一人で携帯メールをやっていました。何しに来ているのでしょうね。便利ではあるのですが、何か変な感じ・・・進化と退化が裏表一体であるのと同じく、便利と不便も隣り合わせかも知れません。何かを手に入れるには何かを捨ててきた私達です。何か新しく進歩すれば何か新しい問題を抱え込む・・・進歩、発展、進化とは何なのでしょう? (`(エ)´)
2004年09月10日
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私は学生時代にインスタントコーヒーをよく飲んでましたが、いつの間にやらトンと飲まなくなりました。ところが巷にコーヒーショップが溢れ出し、気付いてみると又飲み始めていました。私は通という訳ではなく、豆の違いなど全く気にせずに(分らずに)ただ飲んでおりました。それがいつの間にやら「☆バックス」などに出入りするようになって、砂糖抜きになりミルクも入れないようになり、何処の豆はどんな香りで酸味は・・・ なんて気にするようになりました。改めて考えてみると日本人はコーヒー好きな民族になってしまっているようです。ある店ではカップの形状が味と香りに影響を与えると言ってカップを数種類準備しています。そこまでするかと思いました。そうであればお客の唇の形、歯並び、舌の形状などまで合わせてほしいものだと言いたくもなります。ラーメンも今や完全に日本に根付いて独特の進化を遂げていますが、コーヒーもそうなっていくのでしょうか。最近の若い人達はペットボトルでお茶を飲むようですが、お茶ショップはまだ登場してないですね。渋谷では紅茶専門ショップかオープンしましたが直ぐに閉店してしまいましたよ。
2004年09月07日
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生ものは時間と共に腐っていく。しかし腐った方がより良い物もある。納豆、チーズに始まって酒類。腐敗と醗酵の微妙な違い。人間関係も時と共にドンドン変化していく。夫婦も年輪を重ね、よどんだ関係に陥っていく場合と味わいのある関係になっていく場合とありそう。調べてみたら菌の違いが原因。面白い事にある菌(有益な菌)が一定の勢力を確保したら、他の菌(雑菌)の侵入を阻止するらしい。だから醗酵できる。不思議な事に醗酵した方か元の物よりおいしくなる。人生もどんな菌に出会うかで腐敗もし醗酵もすると考えられるかな?人生にとって有益な菌とは何だろうか?
2004年09月06日
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久しぶりに星新一を読んだ。「誰それ?」との声が聞こえてきそうですが・・・「愛の鍵」という題で、近未来の話。各家のドアはもはや鍵はなく、耳の様な形の部分に秘密の文句を囁くとドアが開く仕組みになっている。ある若いカップルがチョットした事で喧嘩をして、互いに謝れずに彼女は自宅に帰ってしまう。彼女は自宅のドアの耳にやっとの事で絞り出すような声で「今日も楽しかったわ」と秘密の文句を言って中に入り、今日の事を後悔して泣いてしまう。そして彼女は秘密の文句を今日口に出せなかった「私が悪かった。ごめんなさい。」に変えた。翌朝、彼が彼女の自宅のドアの前に立っている。彼はドアの耳に向って何かを囁いた・・・ドアが静かに開いて、中で泣いていた彼女は彼に飛びついて泣きながら、心の中で秘密の文句を繰り返し叫んでいた。結婚披露宴のスピーチに使う人も居るとか・・・
2004年09月01日
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オリンピックは「参加することに意義がある」と言われるが、今はもはや勝つ事、メダルを取ることに意味があるという状況になっている。勝負の綾に泣く者、笑う者。悔しくて放心する者、苦労が報われて歓喜する者、悲喜交交である。整理出来ない複雑な思いを持って五輪を後にする者も多いだろう。しかし、阿古屋貝に異物が入って真珠が出来るように、五輪での納得がいかない判定を後々人生の宝へと昇華する人もいるでしょう。そう考えてみればオリンピックに「参加することに意義がある」との言は奥が深い。
2004年08月27日
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スポーツ競技に審判員や審査員は必ず居ますが、毎回議論を巻き起こしています。今回も体操やレスリングで問題が起きてますね。私か観た女子サッカーもオフサイドではなかったように思います。いくらおかしい判定でも薬物以外はその後には覆らないようです。確かにいちいち訴えを受けていたら収拾がつかないでしょう。と言うことは審判の力量を高めること以外にないということでしょうね。しかしレスリングはビデオまで再生してますが駄目でしたね。どうなってるんでしょう?
2004年08月26日
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女子マラソンは見事に野口選手が金メダル!ハッキリ言って金は難しいと思ってましたが・・・やはりQちゃんが大きな存在だったので、他の選手がどれほどの実力があるのか分からないです。それにしても過酷なレースだったようですね。私は残念ながら国外逃亡中につき、観られませんでした。いつかQちゃんとの直接対決なんかも観てみたいですね。
2004年08月23日
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オリンピックで連日盛り上がってますね。新聞の報道は正確、公正を期すべきだと思いますが、スポーツなのでやはり人気のある選手が大きく報道されているようです。二連覇より三連覇の方が当然重みがあるはずですが、スポーツ紙の一面は華のある女性選手で男性は裏一面だったらしいです。四年前も同じだったようで「今回は僕が一面ですよね」と言ったらしいのですが・・・記念すべき100個目の金だったにもかかわらず可愛そうですね。卓球でも愛ちゃんだけがエントリーしてるかの様な報道ですよね。三人とも三回戦に進んだのに・・・この盛り上がりに水を差すつもりはないけれども、マスメディアでは実力や実績だけではなく人気や華があるかどうかが重要な要素であるらしい。人間味が出るスポーツですからそれも致し方ないのでしょう。柔道の上野選手に決勝で敗れた長身の金髪の選手が負けて泣いてましたが、試合後上野選手を抱きしめて、表彰式の時には素敵な笑顔で登場した姿が清々しかったですね~。人間性の良さを感じ印象に残りました。
2004年08月19日
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連日の日本メダルラッシュに興奮しています。しかし、谷選手や野村選手のコメントから感じられるのは、キツイ練習をしてきた結果なんだという事。私達はいつの間にか、彼らは才能があって実力があるから勝てるんだと思ってしまっている。練習しなければ彼らも直ぐに置いて行かれてしまう。スポーツ競技は本当に過酷ですね。実は私も中学時代は柔道部でした。講道館で都大会にも出ましたが・・・さて、ビックリしたのは男子体操団体の金メダル。女子バレーをTVがあんなに盛り上げておきながら、体操に関してはほとんど取り上げなかったのに、あの感動的な逆転金メダルの精神力には驚いた。昔の黄金時代を何故か知っている私としては感無量です。種目別にも期待しています。
2004年08月17日
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ミステリー物DVDを二作観ました。「半落ち」&「ミステックリバー」です。共に謎が最後になって明かされるのですが(当たり前ですが)、私の軍配は「ミステックリバー」です。「半落ち」は最後に主人公の沈黙の理由が明かされたのですが、私には飲み込めませんでした。そんなに必死になって隠さないといけない事なのか、理解出来なかった。きっと原作では重く厚く書かれているのだろうと思い、読んでみたくはなりました。対する「ミステックリバー」は最後の最後まで緊張感と謎解きが続き、意外な展開でした。たまたま偶然の出来事が人の人生を大きく狂わしていく・・・ホッケーボールが下水道に落ちさえしなければ、から全てが始まります。なので題名は「ミステックリバー」なのだと思いました。流石、アカデミー賞です。
2004年08月13日
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