PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
フリーページ
大地震の被災地、宮城の石巻と女川を訪ねました
出産の為帰省していた娘は、無事男の子を産み4月24日、宮城県の色麻町に帰って
行きました。その時私も娘達に付いて宮城に行く事にしました。
そして娘の婿殿にお願いして大きな被害のあった石巻と女川に
連れて行ってもらいました。津波に遭わなかった場所も地震で道路や橋が壊れていて
今回の地震の凄さを感じます。しかし1ヶ月の間に兎に角救助出来るよう道路は懸命に
修理されていました。石巻の海岸近くになってくると、TVの映像どうりの、津波に流された
家の破壊物、瓦礫、めちゃくちゃになった車が現れました。
石巻の港が一望できる日和山公園にあがりました。
日和山公園は今桜が満開でした。桜の花越しに見える被災地の姿は、
ただただ「こんな凄い町の姿があるのだろうかと思うものです。」
公園の柵に縛り付けられていた「市民憲章」何度も読み返しました。
全て目に見える光景はTVの映像のとうりですが、言葉や文章には出来ない気がしました。
石巻から女川に、町役場、石巻線の終点女川駅の周り、魚の市場が並ぶ港付近は
全ての建物が津波に流され、壊滅状態です。
石巻線の二両編成の電車の一台が、はるか山手の墓地近くの高台に横たわっていました。
電車に乗っていた乗客は、適切な指示の元皆助かったとの事でした。
もう一台は駅近くに転がり、線路も女川駅の駅舎もなくなっていました。
娘の婿殿が産まれた家の集落、小乗もほぼ壊滅状態です。大きな家が横倒しです。
命からがら高台に逃げた婿殿のおばあさんが「家が揺れ、津波が来るぞと隣の人が
声を掛けてくれおじいさんと逃げた30分は頭の中が真っ白だった」と話していました。
津波で流される前には極普通の縁側の風景だった事でしょう。「復興だ、復興だ」と
簡単には言えないとてつもない凄さの集落の姿があります。
道路の瓦礫は綺麗に除けられています。本当に大変な作業だったと思います。
電柱も横に倒れ中の鉄筋が見えていました。女川原発は何とか無事止まり冷却装置が
稼動しましたが、福島の事を考えると恐ろしくなりますね。
津波で横倒しになった家のプロパンガスが玩具の様にぶる下がっていました。
女川ではまだ行方不明になっている方が700人以上います。今日も自衛隊の方が
一つ一つ手作業で瓦礫を除けて、捜査活動をしていました。
瓦礫ですがその一つ一つが、誰かの所有物です。婿殿も、「自分の家の襖の絵、本棚にあった
自分の本、家の物は分かるんですよ」と言っていました。
人は繰り返しこんな凄まじい苦難を乗り越えて、生きてきたのですね。
仙台から先はまだ新幹線が動いていませんでしたので、色麻町から高速バス
に乗って仙台駅まで来ました。駅の建物も破損が遭ったらしく覆われていました。
どこにも「がんばろう」の文字が目に付きました。
被災した方々にはまだまだ遠い苦難の道ですが、「明日は我が身」自分の出来る
支援を末永く考えて生きたいと思う、毎日です。
下三枚の写真は婿殿の父上が3月18日に撮影した女川の写真です。