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とても久しぶりのブログですが今日は、ちょっと過激なタイトルになってしまいました。というのも先ほど、NHKの「AtoZ 追跡」という番組を見たからです。生活保護を受給している高齢者をターゲットにした「貧困ビジネス」にものすごく腹が立ちました。ご承知のように、今年の3月に群馬県で無届けの老人施設「たまゆら」で火災事故が発生し10人の方が亡くなられました。この施設での介護のあり方も酷いのですが、それ以前に、この方々は、東京都墨田区で生活保護を受給し都内では行き場がなく、この群馬県に連れてこられたということが許せないと感じました。何故、東京都の人が、こんな遠い施設にそれも、最悪の老人施設に入所しなければならないのか。このような斡旋をしたソーシャルワーカーの行為を私は認めることができません。しかし、現場の生活保護担当者を責めても何も解決しないと思います。番組では、現在東京都の生活保護受給者で都外の施設に入られている方が500名以上もいると伝えていました。何故、このような事態になったのか。介護保険制度の開始以降、低所得者が、これまでは入居できていた特別養護老人ホームからはじきだされている実態が明らかになりました。「質の高いサービス」、「個別ケア」それだけ聞けば、質の高い福祉サービスのように思える言葉。しかし、国・厚生労働省は、このような理念を掲げながら財政難の中、施設整備費をできるだけ削減する方向を打ち出しています。(さすがに「たまゆら火災事故」を受けて反省の言葉が出でいますが…)今の日本の高齢者福祉政策は本当にデタラメに思えます。従来の施設中心の福祉から地域福祉・在宅福祉へ!と言いながら、実際には施設待機者がどんどん増えています。施設から在宅へという転換はできていません。それは、在宅で安心して最後まで暮らせるというシステムができていないからだと思います。介護度が高くなると、どうしても施設でのケアや病院に頼らざるを得なくなります。しかし、特養はいっぱいでは入れない。老健(介護老人保健施設)には長くいることができない。病院でも、少し元気になると出て行かざるを得ない。最近注目されている地域密着型のサービス、小規模多機能の事業所はどうでしょうか。私は良く知りませんが、人員体制など問題・矛盾がたくさんあるのではないでしょうか。間違いの根本は、小泉構造改革の中で進められた規制緩和や市場経済至上主義が福祉分野にまで拡大されたことだと思います。このような状況の中で現場の真面目な介護スタッフは、とても大きな矛盾や葛藤の中にいると思います。それでもお年寄りに寄り添い、より良いケアをしようと懸命の努力を続けていると思います。それなのに、他方、このような状況を逆手にとって事業の「うまみ」だけを追求し福祉とは名ばかりの「貧困ビジネス」を行なっている人たちがいるのです。なんという人たちでしょうか。番組では、実際にこのような事業所で経理の仕事をしていた人物が露骨に証言をしていました。生活保護者は、毎月約10万円の生活保護費が確実に入る。でも本当の狙いは、この保護費ではなく介護保険の不正請求で得られるお金だと。要介護度5の人なら、満額のサービスを受けたとして不正請求すれば月額35万円が入ってくる。実際には、そのような介護サービスは一切受けていないのに。これがこのビジネスの「うまみ」だというのです。福祉事業をする気など毛頭ないのです。金儲けのためなのです。何故、このような不正を見抜けないのでしょうか。くだらない形式的な監査は、必要最小限にしてこのような大きな問題を見過ごすことなく対処して欲しいと思います。このような無届け施設を行政は指導しないばかりか違法ではないと認めているのにも驚きました。理事長は、この施設は、法で定める「老人介護施設」ではなく「在宅だ」(つまりアパートと同じだ)と言うのです。賃貸契約を結んだ入居者に、給食サービス、介護サービスを別個に提供しており違法ではないというのです。このような主張を県の担当課も認めているのですからあきれます。一度でも実態を見に行ったのでしょうか。(NHKの取材の後、行政は急遽この施設は「老人介護施設」にあたると見解を変更したようです。)これでは、悪徳事業者と行政がグルになって行き場のない生活保護者の「行き場作り」を進めていると言わざるを得ないのではないでしょうか。ある利用者の方は、NHKの取材に「ここは地獄だ」と告発していました。「貧困ビジネス」というおぞましい発想。「うまみ」という利益一辺倒の響き。聞いていて、ぞっとします。日本に、本当に温かい人間の血がかよった福祉サービスが実現するようほんの小さな力でも、精一杯努力したいと思いました。全国で、毎日ちからを振り絞り、歯をくいしばっている福祉職・介護職の皆さん。皆さんの努力がきっといつかは報われると信じ熱い想いを大切にして働いてください。そして、疲れた時は、十分にからだとこころを休めてください。ご自分をまず大切にしてください。まったくまとまらない文章になりましたが何かを発信しないことには今の怒りがおさまらないので書きました。
2009年04月25日
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2009年明けましておめでとうございます!半年ぶりに、このブログを更新しました。私は、本日、新年最初の個人カウンセリングがありとても感動しました。人が悩み、成長する姿。他者を想い、自己を見つめる姿。その姿に私のこころは震え、共感し、喜びに満たされていきます。昨年は、人との出会いに感謝した1年間でしたが、今年も年初から、感謝の気持ちで一杯になりました。人間が生きていく力強さを感じました。新しいこの1年。皆様の悩みや苦労が必ずや大きな実りとして貴重な人間的成長の糧となることをこころより願っています。私もこの1年、気持ちを新たにしてカウンセラー・セラピストとしての成長をめざし様々なことにチャレンジしていきます。富士山の写真は、富士五湖webインデックス・壁紙blogさん→ http://fujigoko.sblo.jp/よりお借り致しました。
2009年01月03日
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◇◆◇◆◇◆--------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード NO.75(2008/07/15)◆---------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 私は、先週の金・土・日の3日間 ハコミワークショップに参加してきました。 今回も、愛と優しさに包まれた雰囲気の中で たくさんのことを感じ、笑ったり泣いたりしてきました。 ハコミのことは → http://www.hakomi.net/ さて、ラルゲットのワークショップまで 一週間をきりました。 まだ、定員18人まであと6人です。 よろしくお願いします。 今日もたかいたかこさんの絵ことばを ご紹介します。 ■ 今日のキーワード ────────────────────────■ 「届けばいいな」 ■─────────────────────────────────■ たかいたかこさんの 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版)』26ページに 「届けばいいな」という絵ことばがあります。 そして、解説として 『この思い、届いてほしいなぁ。 この願い、届いてほしいなぁ。 この祈り、届いてほしいなぁ。 そのために いっぱいいっぱい、思い いっぱいいっぱい、願い いっぱいいっぱい、祈ります。 だから、どうかどうか 届きますように......。』 とあります。 今のわたしにぴったりです。 最近、いろいろな研修講師のお仕事を いただけるようになりました。 未熟で至らないところばかりですが なんとか自分の思い、願いをワークショップという形にして みなさんに届けたいと思っています。 今日は、障害者団体で、介護をしている方や 介護派遣のコーディネーターをしている方を対象に 『ケアする人の心のケア・ココロほぐしを体験してみませんか?』 を行ないます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆☆ 定員まであと6名です!お早めに! ☆☆☆☆ 「ケアをする人」の気持ちが軽くなるワークショップ2008 第1回『ココロほぐしの絵ことばづくり』------------------------- 講師 たかいたかこさん (イラストレーター、絵ことば作家) 看護・介護職の方、対人援助の仕事をされている方などを対象に墨あそびを通して「いま ここ」の自分の気持ちを見つめ感じるココロほぐしワークショップを開催します。少人数のワーショップで、グループセッションを取り入れながらあなただけの「作品」をつくります。(手法や技法を学ぶのではなく、自由に自分の「ココロ」を描くことを楽しみます)日時 7月20日(日) 午前10時~午後4時 場所 大阪市中央区民センター 第2会議室 (地下鉄堺筋本町下車 3番出口 東へ100m)参加費 5000円●参加費には、材料費(額・半紙・墨汁等)800円程度が含まれています。 材料はすべて主催者側で用意します。 B5の額に入ったオリジナルな素敵な「作品」をお持ち帰りください。 定員 18名(定員になり次第締め切ります)主催 「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット-※介護職、対人援助職の方でなくても、どなでも参加できます。お申込みは、こちらから→ http://www.larghetto.jp/◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ●講師紹介 たかいたかこ(イラストレーター・絵ことば作家) 1996年、イラストレーターとして活動を開始し 毎日新聞のさし絵、刊行物などのイラストを担当する。 1999年、絵ことば作家としても活動を開始する。 子育て中に、育児ストレスから産後うつに陥った経験を通し、 応援でも励ましでもない、しんどさが共有できるような 作品をつくり続けている。 朝日新聞「暮らしの風」巻頭ページ 「いのちの電話」会報誌などに掲載される。 また各地で、講演会やワークショップの講師なども務める。 著書:『ココロに種まき』(ウインかもがわ) 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版) 詳しくは、 サイト「種まき工房」をご覧下さい。 → http://homepage3.nifty.com/tanemaki/index.html◇◆-----------------------------------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 前回、新聞を切り抜くのは大好きだけど それを整理するのが苦手で、山のような切抜きがあり 困っている、と書いたら次のようなご意見をいただきました。 『新聞の切り抜き、 切り抜くのが楽しければそれでいいんじゃないですか? 無理に整理することないと思います。 (超いい加減な答えですね!私らしいです)』 無理に何かをしようとするより、楽しんでいれば それでいいんですね。 何か、とてもすっきりとした感じです。 ありがとうございます。 いつも、みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp まで、よろしくお願いします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web: http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年07月14日
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◇◆◇◆◇◆-------------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード NO.73(2008/07/01)◆-------------------------------------------------------------------◆ ┌┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 7月1日ですね。 今日もおひとりワークショップの申込みがありました。 ありがとうこざいます。 あと定員まで7人です。 昨日のメルマガの感想をいただきました。 『水曜日でないのにメルマガが来てびっくりしました! 毎日発行は20日までの限定ですか? 頑張りすぎないでくださいね(自戒の念も込めて) メルマガを読んで「無の用」という老子の言葉を 思い出しました。 器や部屋はからっぽ(無)の部分があるから器や部屋の 働きをする、といった意味だそうです。 「ひっくるめての自分」 あぁ、ほんとにそうだなあ。。と思います。 長所と短所は一つのことの裏表。 いいところも悪いところもあっての自分って人間らしくて 愛おしいと感じます。 』 感想ありがとうございます。 がんばり過ぎない程度にやっていきますね。 ■ 今週のキーワード ────────────────────────■ 「出来るからじゃないよ」 ■─────────────────────────────────■ たかいたかこさんの 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版)』22ページに 「出来るからじゃないよ」という絵ことばがあります。 そして、解説として 『あなたが、ここにいていいのは 何かが、できるからではありません。 勉強ができなくても、仕事ができなくても ここにいて、いいんです。 親孝行ができなくても 誰かの役に立たなくても ここにいて、いいんです。 この世に生まれてきてくれたことだけで ここにいて、いいんです。 だから、「自分は何もできないから...」 なんて思わないでくださいね。』 とあります。 人は、何者かになろうと努力し、もがき苦しみます。 男性(性)が求めるものは、立派な仕事、社会的地位や名誉。 女性(性)が求めるものは、深い愛情、愛する人を支え守ること。 でも、そんなことに縛られる必要なないのです。 あなたが、あなたらしく生きようとすること これこそが最も尊いものだと思います。 そして、そのようにひたむきに生きているあなたは 存在そのものが輝いているのです。 何かを無理に成し遂げようとしなくても きっとあなたの生き方はかたちになるでしょう。 必死に誰かを愛し、守ろうとしなくてもいいのです。 きっとあなたの存在と愛は、そのままで周りの人を幸せにしています。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆☆ 定員まであと7名です!お早めに! ☆☆☆☆ 「ケアをする人」の気持ちが軽くなるワークショップ2008 第1回『ココロほぐしの絵ことばづくり』------------------------- 講師 たかいたかこさん (イラストレーター、絵ことば作家) 看護・介護職の方、対人援助の仕事をされている方などを対象に墨あそびを通して「いま ここ」の自分の気持ちを見つめ感じるココロほぐしワークショップを開催します。少人数のワーショップで、グループセッションを取り入れながらあなただけの「作品」をつくります。(手法や技法を学ぶのではなく、自由に自分の「ココロ」を描くことを楽しみます)日時 7月20日(日) 午前10時~午後4時 場所 大阪市中央区民センター 第2会議室 (地下鉄堺筋本町下車 3番出口 東へ100m)参加費 5000円●参加費には、材料費(額・半紙・墨汁等)800円程度が含まれています。 材料はすべて主催者側で用意します。 B5の額に入ったオリジナルな素敵な「作品」をお持ち帰りください。 定員 18名(定員になり次第締め切ります)主催 「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット-※介護職、対人援助職の方でなくても、どなでも参加できます。お申込みは、こちらから→ http://www.larghetto.jp/workshop.php◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ●講師紹介 たかいたかこ(イラストレーター・絵ことば作家) 1996年、イラストレーターとして活動を開始し 毎日新聞のさし絵、刊行物などのイラストを担当する。 1999年、絵ことば作家としても活動を開始する。 子育て中に、育児ストレスから産後うつに陥った経験を通し、 応援でも励ましでもない、しんどさが共有できるような 作品をつくり続けている。 朝日新聞「暮らしの風」巻頭ページ 「いのちの電話」会報誌などに掲載される。 また各地で、講演会やワークショップの講師なども務める。 著書:『ココロに種まき』(ウインかもがわ) 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版) 詳しくは、 サイト「種まき工房」をご覧下さい。 → http://homepage3.nifty.com/tanemaki/◇◆---------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 6月27日~7月24日は、13の月の暦でみると 「宇宙の月」です。 このつきのメッセージは 「私の歓びと愛をどのように広げるのか?」です。 これが私が企画したワークショップの 私にとってのテーマです。 いつも、みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp まで、よろしくお願いします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web:http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年07月01日
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◇◆◇◆◇◆------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード NO.72(2008/06/30)◆------------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 私は、ワークショップの準備やら何やらで 慌しい毎日です。 毎週水曜日発行のメルマガにも影響がでてしまいました。 申し訳ありません。 しばらく、「毎週水曜日発行」の看板を下ろして 7月20日の『ココロほぐしの絵ことばづくり』の講師である たかいたかこさんの著作 『ココロに種まき』(ウインかもがわ) 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版社) から一つずつ言葉を選んでご紹介したいと思います。 ワークショップまであと20日。 今日は一年の半分の日。 毎日毎日を大切に過ごしたいと思います。 このメルマガもできるだけ、毎日発行したいと思っています。 読めるときにだけ、読んでいただれば幸いです。 ■ 今週のキーワード ────────────────────────■ 「ひっくるめての自分」 ■─────────────────────────────────■ 『ココロに種まき』56ページに 「ひっくるめての自分」という絵ことばがあります。 そして、57ページにたかいたかこさんの解説として 『好きなところは、受け入れて 嫌いなところは、受け入れたくない。 良いところは、残して 悪いところは、切り捨てたい。 私、ずっとそう思っていました。 でも、今は少し違います。 すべてが自分自身。 そんな風に思えないと本当の自分で 生きていけないような気がします。 ひっくるめての自分自身。 それを受け止めないとしんどい生き方を 続けていくことになるような気がします。』 とあります。 自分の光と影。 長所と短所。 得意と苦手。 自分の短所と思っている点が 他人から見ると、個性的なチャームポイントなんてことが よくあります。 でも、自分ではなかなか気づきません。気づけません。 こう考えると「自分らしさ」って何だろうと 分からなくなることもあります。 「僕ってどんな人?」「私の長所ってどんなところ?」 友人にこう質問してみるのもいいかもしれませんね。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆☆ 定員まであと8名です!お早めに! ☆☆☆☆ 「ケアをする人」の気持ちが軽くなるワークショップ2008 第1回『ココロほぐしの絵ことばづくり』------------------------- 講師 たかいたかこさん (イラストレーター、絵ことば作家) 看護・介護職の方、対人援助の仕事をされている方などを対象に墨あそびを通して「いま ここ」の自分の気持ちを見つめ感じるココロほぐしワークショップを開催します。少人数のワーショップで、グループセッションを取り入れながらあなただけの「作品」をつくります。(手法や技法を学ぶのではなく、自由に自分の「ココロ」を描くことを楽しみます)日時 7月20日(日) 午前10時~午後4時 場所 大阪市中央区民センター 第2会議室 (地下鉄堺筋本町下車 3番出口 東へ100m)参加費 5000円●参加費には、材料費(額・半紙・墨汁等)800円程度が含まれています。 材料はすべて主催者側で用意します。 B5の額に入ったオリジナルな素敵な「作品」をお持ち帰りください。 定員 18名(定員になり次第締め切ります)主催 「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット-※介護職、対人援助職の方でなくても、どなでも参加できます。お申込みは、こちらから→ http://www.larghetto.jp/workshop.php◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ●講師紹介 たかいたかこ(イラストレーター・絵ことば作家) 1996年、イラストレーターとして活動を開始し 毎日新聞のさし絵、刊行物などのイラストを担当する。 1999年、絵ことば作家としても活動を開始する。 子育て中に、育児ストレスから産後うつに陥った経験を通し、 応援でも励ましでもない、しんどさが共有できるような 作品をつくり続けている。 朝日新聞「暮らしの風」巻頭ページ 「いのちの電話」会報誌などに掲載される。 また各地で、講演会やワークショップの講師なども務める。 著書:『ココロに種まき』(ウインかもがわ) 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版) 詳しくは、 サイト「種まき工房」をご覧下さい。 → http://homepage3.nifty.com/tanemaki/◇◆---------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 一年の半分が経ち、大きな決断をしました。 すると素敵な話が舞い込んできました。 やはり、「決断したら、応援してくれる人が現れる」という 言葉は真実だと感じました。 正式に決まれば、またご報告させていただきます。 いつも、みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp まで、よろしくお願いします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web:http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年06月30日
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本日のメルマガを転載します。◇◆◇◆◇◆--------------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード(毎週水曜日発行) NO.70(2008/06/11)◆--------------------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 前回、映画「再会の街で」について書きました。 主人公はチャーリー。 実は、私の友人にも「日本一の親切男・チャーリー」がいます。 → http://archive.mag2.com/0000221551/20071031141617000.html 先日、そのチャーリーに久しぶりに会い、 いろんなことを語り合いました。 今日は、その話の一部をお伝えします。 ■ 今週のキーワード ────────────────────────■ 「チャーリーからのメッセージ」 ■─────────────────────────────────■ 会ったその日に、秋葉原の事件がありました。 また、6月8日は「付属池田小学校事件」から7年目の日でした。 私たちの話は、自然にこの痛ましい事件に触れていました。 犯罪の性格とか、加害者の動機などより、 失われた命、家族の想い、それがふたりのこころにありました。 私が読んだ読売新聞には、当時の付属池田小に勤務していた 教師が、これまで語ることができなかった思いが記事に なっていました。 子どもを守れなかった痛恨の極み。 その記事は、読んでいる私に迫ってきました。 この話をしていると チャーリーは、ジョージ秋山氏の連載マンガ 「浮浪雲」に出てくる話を話し出しました。 11歳の息子・新之助が通う寺子屋のようなところで 事故が起こり、子どもが亡くなってしまいます。 新之助は叫びます。 「子どもは死んだらあかんのや」 「子どもは死んだらあかんのや」 『あの事件を聞くと、いつもこのシーンを思いだすんや』 そう言うチャーリーの目には、涙が滲んでいました。 離婚し、父子家庭で子どもを育ててきたチャーリーにとって 子どもを想う気持ちはいかばかりのものか。 私もまだ幼い子どもがいて、 子育てに悪戦苦闘しているからこそ 子どもの命のかけがえのなさを肌で感じています。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ケアをする人」の気持ちが軽くなるワークショップ2008 第1回『ココロほぐしの絵ことばづくり』 定員は18名です。すでに数名の応募があります。 お早めにお申込みください。 詳細・お申込みは、こちらから → http://www.larghetto.jp/workshop.php━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ チャーリーは、決してリッチと言えるような人ではないのですが ユニセフなどに毎月数万円の寄付をしているそうです。 (金額はちょっと伏せさせていただきます) 毎年ではなくて、毎月です。私は本当にびっくりしました。 チャーリーは言います。 「情けは人のためならず」 『自分の僅かな寄付が、ニュースレターの記事にあるような アフリカの学校建設や食糧援助につながり、 子どもたちに笑顔が戻ったら、こんな嬉しいことはない。』 「情けは人のためならず」というのは 情けをかけることは、その人にとって真の意味では為にならない、 ということではなくて 人に情けをかけると、回りまわって自分に戻ってくる という意味です。 いろんな成功法則の本には、寄付をする効用などが 出ています。 私もわずかですが、「国境なき医師団」に寄付をしていましたが 今はできていません。 チャーリーは、それを実践しています。 海外だけでなく、国内用として日本赤十字にも寄付と献血をしています。 「人のために、自分ができることを考えて行動する」 これがチャーリーに教えてもらったことです。◇◆-----------------------------------------------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 最近、よく物がなくなります。 先日も、妻からプレゼントしてもらった 結婚10周年記念のペンダントが、いつの間にか首から落ちて どこかへ行ってしましました。 多分、自転車を漕いでいるあいだにはずれてしまって 服の間を通って路上に落ちたのだと思います。 とてもショックでした。 友人は「なにかの身代わりになってくれたのよ」と言ってくれました。 それでも、まだ記念のペンダントを失った意味に こだわってしまう自分います。 みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web:http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年06月11日
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「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット-では 今年度も介護職・看護職・対人援助をされている方を主な対象にして ワークショップを開催します。 今年度第1回の内容が下記のとおり決定しましたので、ご案内します。 ----------------------------------------------------------- ●「ケアをする人」の気持ちが軽くなるワークショップ2008 第1回『ココロほぐしの絵ことばづくり』 講師 たかいたかこさん (イラストレーター、絵ことば作家) 今回のワークショップでは 看護・介護職の方、対人援助の仕事をされている方などを対象に 墨あそびを通して「いま ここ」の自分の気持ちを見つめ感じる ココロほぐしワークショップを開きたいと思います。 少人数のワーショップで、グループセッションを取り入れながら あなただけの「作品」をつくります。 (手法や技法を学ぶのではなく、自由に自分の「ココロ」を描くことを楽しみます) 日時 7月20日(日) 午前10時~午後4時 場所 大阪市中央区民センター 第2会議室 (地下鉄堺筋本町下車 3番出口 東へ100m) 参加費 5000円 ●参加費には材料費(額・半紙・墨汁等)800円程度が含まれています。材料はすべて主催者側で用意します。 定員 18名(定員になり次第締め切ります) 主催 「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット- ※介護職、対人援助職の方でなくても、どなたでも参加できます。 お申込みはこちらです。 → http://www.larghetto.jp/workshop.php ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ●講師紹介 たかいたかこ(イラストレーター・絵ことば作家) 1996年、イラストレーターとして活動を開始し 毎日新聞のさし絵、刊行物などのイラストを担当する。 1999年、絵ことば作家としても活動を開始する。 子育て中に、育児ストレスから産後うつに陥った経験を通し、 応援でも励ましでもない、しんどさが共有できるような 作品をつくり続けている。 朝日新聞「暮らしの風」巻頭ページ 「いのちの電話」会報誌などに掲載される。 また各地で、講演会やワークショップの講師なども務める。 著書:『ココロに種まき』(ウインかもがわ) 『もう一回ココロに種まき』(西日本出版) 詳しくは、 サイト「種まき工房」をご覧下さい。 → http://homepage3.nifty.com/tanemaki/
2008年05月09日
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今回もメルマガの転送です。お気に召された方は、是非メルマガのご登録を! → http://archive.mag2.com/0000221551/index.html よろしくお願いいたします。◇◆◇◆◇◆------------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード(毎週水曜日発行) NO.63(2008/04/23)◆------------------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、いかがお過ごしでしょう? 不思議なことが起こりました。 このメルマガで「ケアをする人に伝えたい7つの想い」 を連載し始めたら、友人からのご縁で 介護支援専門員(ケアマネジャー)の方に講演させていただくことになりました。 私の友人は、オーラソーマ(カラーセラピー)をしているのですが そのお客さんがケアマネジャーの方でした。 5月に行なう研修会の講師を探している、ということで、 友人が私を推薦してくれたのです。 翌日、その方と連絡を取り合い、とんとん拍子で 講師の件が正式に決定しました。 「対人援助職のこころのケア」というテーマで 精一杯、楽しくて実のある研修会にしようと思っています。 友人に感謝感謝です。■ 今週のキーワード ────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その3 「信頼と依存」 ■─────────────────────────────────■ 対人援助職をされている方にとって 信頼関係(ラポール)の形成というのが、まず重要であるということは 常識だと思います。 では、この信頼関係をどう構築するのか。 よく、傾聴ということが言われます。 「聴」という字は、「耳と十四のこころできく」 あるいは、 「耳と目と心を全部使ってきく」といわれます。 要するに、相手の言葉だけにとらわれず 表情やからだの動きにも注目し 相手のこころの実感がどのようなものかを あたかも、自分が体験したかのように聴くということだと思います。 心理療法のテクニックでは 話し手との信頼関係を築くために、以下のような方法が取られます。 相手の呼吸と自分の呼吸を合わせる 相手のしぐさに同調するしぐさを聴き手もしてみること(オーバーにならずに) あいづち、伝え返し、話を要約して返す これらは、割と簡単にできて 効果があるものばかりです。 ただ、このことは今回のテーマではありません。 今日は、このように形成され被援助者との信頼関係が いつのまにか依存関係になっていないか ということが主要なテーマです。 私たち「ケアをする人」、対人援助職は 相手の現状をとらえて、その人のために 相談にのり、真に求めているもの(ニーズ)を把握し 必要な情報やサービスについて説明し、提供する援助をします。 また、介助、介護、看護、保育、教育などの直接サービスを提供します。 そして、この関係の積み重ねの中で よく深く信頼関係が形成され、 その人の望む状態やその人の望む生活に少しでも近づいていくことが 私たちの喜びです。 しかし、ここで注意しなければならないことは、 援助を受ける側が、援助をする側に依存的なっていないかということです。 私たち対人援助職は、 「本当に助かりました」「ありがとうございました」 という言葉を聴けるときが、これまでの様々な苦労が吹っ飛び この仕事をやっていていて良かったと、思える瞬間です。 それでは、私たちのゴール(目標)は何でしょう。 このような感謝のことばを援助をしている人から受けることでしょうか。 私はそうではないと思います。 「これからは、(あなたの援助なしで) 私のちからでやっていけそうです。さようなら。」 こうやって、私たちが「お払い箱」になることが、 ゴールではないでしょうか。 私たちにとって最悪なのは 「あなたがいるから、私は生きていけるのです」と思われることです。 これは、その人自身がもっている可能性や力を奪っているということです。 これが依存関係です。エンパワメントの反対です。 もちろん、人は誰かと支えあってしか生きていけません。 これからは、一人で生きていきます、ということでありません。 援助を受けている人が、 専門職といわれる、私たち対人援助職との関係は一旦終了して、 その人のちからで、様々な社会的関係を取り結び 家族や友人との関係を大切にして生きていくということです。 私は、自分が知的障害を持つ人たちの施設で働いている時に このことに気づかされました。 まずは、「施設」という場が、その人たちにとって快適で、安心できて 通いたいと思えるという場になっているのか、 これが最初の課題でした。 一人ひとりにとって、この快適さや安心感は違います。 ある人は楽しく通所していても、 ある人は毎日来られなくなるときがあります。 ですから、その度に職員は話し合いを繰り返し、 試行錯誤の中から解決方法を見つけていきます。 こうやって、まずは安心して、自由に、自信をもって 過ごせるような援助をします。 しかし、子ども達が自分の夢を描き それに向かって自分で生き方選択して、それぞれの道を 歩んでいくことに比して 障害を持つ人が通う施設では、 なかなかそのような選択肢がありません。 施設に通うことが、その人の生活のすべてに なってしまいがちです。 施設職員や通っている障害を持つ仲間との関係だけが すべての人間関係になってしまうのです。 恋人がほしい、就職したい、 結婚したい、子育てをしたい このようなあたり前の欲求さえ、 押さえ込んでしまうことが起こります。 ですから、私たち援助職は 次の段階として、 今目の前にいるこの人たちにとって ここから飛び立っていくためには どのような援助が必要なのかを 考えなくてはなりません。 自分が、援助をしている人から 好かれているか、信頼されているか このようなことばかりを気にしていては だめなのです。 彼ら彼女から、普通の暮らしをするために 援助者として何ができるのか あるいは、 障害者として権利を主張したい 障害者として社会的役割を持ちたい このような当事者としての活動のために どんな援助ができるのかを考える必要があるのです。 そのために、様々な選択肢を用意して その人が、自分の選んだことにチャレンジしていくことを 支援していくことが大切です。 自分でチャレンジ、失敗も経験し 成功の喜びを実感する。 この時に、人は自分に自信を持ちます。 ◇◇◇◇◇ ここまで書いてきたことは 高齢者の福祉には、あてはまらないことも 多いと思います。 私の尊敬する高口光子さんは 「必要悪としての施設」を 次のような言葉で説明します。 「誰も好きこのんで施設に入る人はいない。 息子のため、嫁のために仕方なく、 施設に入る覚悟を決めてきた人たちと 私たちは向き合っている」と。 私は、施設といわれるところは 原則的には、緊急避難的に利用され 通過施設としての機能を果たすべきだと考えています。 施設というものは、終わりのない集団生活を 余儀なくさせられるという点で やはり個人の自由を抑圧せざるを得ません。 しかし、そのような理想論を振り回しても 現実は解決しません。 高齢者にとって、 「終の棲家」としての老人ホームの存在はとても重要だと 思います。 その人が、いかにその人らしく最後まで生きられるか、 施設という場では、矛盾するような問いかけに苦悩しながら 介護職が必死で利用者と向き合っています。 だからこそ、私は 介護を受ける立場の方たちの人間としての尊厳が大切にされ 援助者にすべての任せるのではなく、 援助を受ける側が、自分が本当に望んでいることを 援助者に伝えることができているのかどうかが重要だと思います。 ◇◇◇◇◇ いろいろと、生意気なことを書きました。 私たちが、いくら良い援助をしようと心がけ、実践したとしても 一人の人間が抱く深遠な孤独感や不安感には とうてい立ち向かえないと思います。 そのような孤独感や不安感と向き合い、乗り越えていくのは その人自身であり 人間はみな、そのような力をもって生まれてきたのだと 私は思っています。 わたしたちは、いつも側で見守ることしかできないのです。◇◆-------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 先日、Newsweek紙で「世界を変える社会企業家100人」にも選ばれた 川田利典さんという方が行なっている 「外国人サポート」という事業を特集するTV番組がありました。 日本で暮らす外国人留学生の一番の問題は、アパートが借りられないこと。 そこに目をつけ、外国人と不動産会社(大家)の間に立ち 双方が安心して物件を借りたり貸したりできる仕事を始めた模様が詳しく 放映されました。 若干23歳の川田さんは、 アルバイトで不動産会社で働いている時に 外国人のお客さんだと、なかなか契約ができない現実に直面し 「これは面白い」と感じたそうです。 人助けをビジネスにするこの事業には、 実際に自分も苦労した経験を持つ様々な外国人がボランティアで 活躍しています。 川田さんの柔軟な発想と行動力に、大いに学ばせてもらいました。 私も、「ケアをする人」のこころのケアという事業で いつかは、社会企業家として大きく成長・飛躍したいと願っています。 みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード★───────────────────────────────── 発行者:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto -ラルゲット- 代表 豆子ひさし(セラピスト・心理カウンセラー) Web:http://www.larghetto.jp/ ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/larghettoblog/ メール:info@larghetto.jp───────────────────────────────── ●今週号はいかがでしたでしょうか? ご意見・ご感想をお待ちしています。 ⇒ info@larghetto.jp ●転送・転載歓迎。ご自由にどうぞ。■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ Copyright (C)2007 Larghetto All rights reserved
2008年04月24日
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今回も、メルマガを転載します。先週の水曜日に発行したものです。◇◆◇◆◇◆-------------------------------------------------◇ ゆっくりと豊かに生きたい人に贈る幸せのキーワード NO.62◆-----------------------------------------------------------◆ ┌ ┌┌ はじめに みなさん、お元気ですか? 4月も半ばになりました。 今日のオープニングは、私の友人が、奈良県の大神(おおみわ)神社の 宮司さんから伺ったというお話をお伝えします。 宮司さんのお話 「4月は新年度・新しい学年・新しい職場への移動等があり 自分の思い通りにいかない事もままあるかもしれません。 ただ、そういう時も落ち込まずに『ふきのとうの目覚めの苦味』を 味わう必要があったと思って、気持ちを前向きに切り替えましょう 」 それを聴いた友人の思い。 「熊も冬眠から目覚めてすぐに、 ふきのとうの苦味でシャキっとするんだそうです。 私も新たな目覚めへの苦味を味わってるんだなぁって感じました。 」 いいお話でしょう? もうひとつ付け加えると 「ふきのとうの苦味」の効果は、 からだのだるさ、疲労、健胃整腸の薬効もあるそうです。 「ふきのとう味噌」は、いかがですか? → http://cookpad.com/mykitchen/recipe/497330/ 大神神社はこちら → http://www.oomiwa.or.jp/index.html ■ 今週のキーワード ────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その2 「本当の想いを支援する」 ■─────────────────────────────────■ 今日は、「本当の想いを支援する」というテーマです。 私が関わっていた、知的障害を持つ人たちの多くは 親や教師、施設職員などの顔色を見ながら 本当の自分の気持ちをなかなか表に出せない方たちです。 それは、その人の「知的障害」の問題ではなく その人が一人の人間として、 何がしたいのか、どう生きたいのかを尊重されず、 親や専門家の言う通りにすることがよしとされてきたからです。 私たちは、子ども時代に、自分を承認してもらいたいがゆえに 親や教師にどのような態度を取れば、親や教師が喜ぶかを学んできました。 また、親や教師がどのような時に怒るのかも からだの感覚で身につけてきました。 そして、そのような周りの大人たちの顔色・感情を伺いながら 自分の行動を律することを学び成長してきました。 しかし、私たちは、反抗期や思春期などを通して、 親や周りの大人と激しく対立したり、自我を押し通したりして 自分というものを見つめ、形成していくというプロセスも 経験してきていると思います。 これに対して、 「障害」を持つ人たちの多くは、親や専門家の言うとおりに しなければならないと思いながら生きてきました。 本当に施設に入りたくなくても、入らざるを得ませんでした。 本当はきつい訓練ばかりの学生生活は嫌だったけど 従わなければなりませんでした。 自分の欲求を抑圧し、我慢しなければならない生活が続くと 自分自身でも、自分が本当はどうしたいか よく分からなくなることがあります。 私は、施設の問題点は、このように 当事者自身の意欲や意思が沈殿して、なかなか表面に 出てこないことだと思います。 そして、更に大きな問題は 施設の介護職たちが、このような当事者(利用者)の状況に 向き合い、なんとか一人ひとりの本当の気持ちを形にしようと 努力するのではなく、 毎日の業務をただこなすだけになってしまうことです。 たしかに、最近は 福祉施策は、福祉サービスという名前に変わり 福祉制度を使う人はサービス利用者と呼ばれ 利用者主体が大切だと強調されています。 ケアマネジメント、個別支援計画などたくさんの素晴らしい理念が 導入されました。 しかし、このようなこと自身が、人材不足と過重労働もあいまって 単なる業務になってしまっているのではないでしょうか。 高齢者、障害者、児童など福祉サービスの利用者は違っても 「ケアをする人」が、ひとりの人間を前にして 何を想い、何を実現しようとするのかは共通しているのでは でいでしょうか。 この人が、これまでどんなふうに生きてきたのか。 この人が、今なぜここにいるのか。 この人は、本当はどうしたいのか、どう生きたいのか。 そして、私は、「ケアをする人」として この人のために何ができるのか。 このようなことを思い悩み、 日常の関わりの積み重ねの中から、 一人ひとり全く違う、自分らしい生き方の支援を していくのだと思います。 利用者が本当の気持ちを表に出してもよいと安心し、 あなたのことを信頼して、夢や想いを語ってくれた時。 その時を逃してはいけません。 その夢や想いは、必ず実現できるよ、 私も手伝うよ、とあなたの気持ちを伝えてください。 あなたの支援を通して、 当事者が少しずつ想いを実現していくことが 「ケアをする人」にとっての何よりの喜びだと思います。 この様な実践は、まずはあなたの中に 情熱や夢がないと難しいかもしれません。 そして、あなたを支えてくれる仲間や組織が必要に なってくるでしょう。 このことは、またお伝えしたいと思います。 次回は、「信頼と依存」について書きたいと思います。 ◇◆-------------------------------◆◇ (編集後記) 今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。 息子と自転車で通う保育所。 この時期は、つばめに会えるのが毎日の楽しみです。 「きょうは、つばめおるかな?」 息子は、戸建ての軒下にある巣を見上げます。 「おらんな~。...あっ、とうちゃんチョット待って! 戻って。戻って」 遅刻ぎみなので早く保育所に行きたいのですが 戻らないわけにはいきません。 電線に止まっているつばめを発見したのでした。 「なぁ、おったやろ」嬉しそうに笑う息子。 こんな息子も、つばめのように いつか巣立ちの時期が来るのですね。 みなさまのご意見・ご感想お待ちしております。 → info@larghetto.jp☆このメルマガを登録して読者になってあげてもよいと思っていただける方は、こちらから登録よろしくお願いします!→ http://archive.mag2.com/0000221551/index.html
2008年04月22日
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最近、全く日記が書けないので、メルマガの連載内容をこちらでも載せたいと思います。メルマガ読者のみなさまには、重複内容でごめんなさい。■────────────────────────■ ケアをする人に伝えたい7つの想い その1 「自分の弱さを認める」 ■────────────────────────■ 今日から、「ケアをする人に伝えたい7つの想い」という連載をします。 介護職の方、対人援助職の方 そして、家族の介護をされている方に、 私がこれまで感じてきた事柄を、未熟ながらお伝えしたいと思います。 その1は、「自分の弱さを認める」です。 言うまでもなく、ケアというお仕事は 精神的にも肉体的にもとてもきついお仕事です。 精神的には、自分の関わりの不十分さに悩んだり、 深い孤独感を感じたり、責任の重さに押しつぶされそうになったり、と 大きなストレスがかかってきます。 肉体的には、人手不足による過重労働・長時間労働が常態化していいます。 からだとこころは繋がっているので、どんなに気持ちの面で前向きな方でも 持続的な過重労働は、精神面にもジワジワと影響を与えます。 ある日から、うつ病にかかるという方も少なくありません。 まず私は、介護の現場に身を置かれているすべての方に、 次の言葉を贈りたいと思います。 「毎日、大変な状況の中でよくやってこられましたね。 あなたのそのケアがあればこそ、今日までやってこられたのだと思います。 心からあなたの苦労をねぎらいたいと思います。」 そして、次に伝えたいのは 「あなたにできることをあなたは精一杯されていると思います。 でも、今のあなたに、できないこともあります。 そのことで自分自身を責めることはないのです。 それはあなたのせいでは、ありません。 今のあなたにできないことに、責任を取ろうとしないでください。 自分の弱さを認めていいのです。 もうこれ以上はできない自分を認めていいのです。 それは、すべてを放棄することではないのです。 あなたは自分の弱さを認めることで、 新しい段階に進むことができるのです。」 介護職や家族を介護されている方には、 頑張りやさんが多いと思います。 また、自分に厳しい方も多いのではないでしょうか。 このような人は、自分を責めることは得意でも なかなか自分の弱さを認められません。 もっと頑張ろう、もっと頑張ろうと思ってしまいがちです。 しかし、ケアや対人援助というお仕事は、 頑張ろうと思ってやる仕事ではないのです。 確かに、毎日が悩みの連続かもしれません。 いろんな問題が山積しているでしょう。 しかし、 「だから頑張ろう」ではなく、 「だから楽しい」にならなければ、長続きしません。 では、どうすれば「だから、楽しい」になれるのでしょうか。 その答えのひとつは、自分の弱さを認めることだと私は思います。 「ああ、今の私は折れそうなくらいに疲れている。 少し休まないと倒れそう。」 「ケアのこと、分かったつもりでいたけど、肝心なところが 全然分かっていなかった。今まで一体、何をやってきたのだろう」 「もう私一人では、持ちこたえられない。誰かに助けてもらわないと やっていけない。」 介護の現場にいる方たちは、 このようなことを真剣に同僚や上司に話したことがありますか。 家族の介護をされている方は、 誰でもいいですから、このような相談をされたことがありますか。 自分はなんて弱くて脆い存在なのだ。 そう気づくことが大切です。 ケアをする人も、一人の人間です。 人間としての弱さをあたり前に持っています。 人間の熱と光を大切にしながら、 自分の弱さにもしっかりと目をむけることが ケアの意味や重要性に対する新しい発見に繋がると思います。
2008年04月15日
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読売新聞3月16日付 「泉」欄に掲載された「地下鉄内の暴力」~悲しい「見て見ぬふり」~を読んで、いろいろと考えさせられました。記事の概要は以下のようなものです。◆◆◆◆◆◆◆◆電車内での迷惑行為が後を絶たない。マナー違反だけでなく暴力行為を振るうケースも出ている。被害にあった大阪府の女性(40歳)から<泣き寝入りするしかないのでしょうか>というメールが届いた。今年1月11日午前8時ごろ、地下鉄御堂筋線で起きた出来事がつづられていた。<前の優先座席が空いたので座ったところ、二人隣りに立っていた60歳位の男に両足をたたかれ、服を脱がさんばかりの勢いで引きずり立たされました>その、初老の男はそのまま空いた席に座り、寝たふりを決め込んだそうだ。記者が詳しい話をうかがおうと、女性と連絡をとり、待ち合わせしたカフェで彼女は地下鉄での出来事を話し始めた。言われるまで気づかなかったが、手首が曲がっている。「先天性多発性関節拘縮症」。関節の筋肉が収縮したまま伸びなくなる難病で、両手両足に生まれつき障害がある。(彼女の少女時代から就労までの状況が書かれているが、略彼女は電車内で立っているのも大変な状況の方。)事件が起きたのは、梅田駅到着時。電車はいつも優先座席の前で空くのを待っていて、そのときも、次の淀屋橋駅で降りるまで腰掛けるつもりだった。「オレが座ろうと思ってたのに座るな。どけ。お前の座るところやない」。近くにいた初老の男にいきなりどなられての暴力。「手も足も悪いんです」と訴えても態度を改めない。非常通報ボタンがあったが恐怖で動揺して鳴らせなかった。周りの乗客は「見て見ぬふり」だったそうだ。隣に座っていた男性は不審そうに男をみただけ。「相手にせん方がいい」と声をかける人こそいたが、誰も注意してくれない。淀屋橋駅で下車して駅員に助けを求め、男の暴力行為を伝えたが、電車はそのまま出発。「普通の人より早く筋力が衰えるから、楽しめるうちに色々挑戦したい」。そう思って音楽ライブやドライブによく出かけていた女性は、事件以来、満員電車が怖くなったという。地下鉄での通勤時は、すいた電車に乗り換え、非常通報ボタンの近くが定位置になった。勇気を振り絞って被害届も出した。大阪府警が捜査しているが、男の特定には至っていない。「身体障害者だと理解してもらえたら、対応も違ったのか」と女性は自問している。同様の事件を防ぐためにも、互いを思いやる気持ちをもっと大切にできないものかと思う。みなさんはどう考えるか。◆◆◆◆◆◆◆この記事を読んで、私がこの状況に遭遇した時果たして、「見て見ぬふり」ではなく、何らかの関わりができたのだろうか、と考えてみました。最初に、この男に暴力はやめなさい、と注意することを想像してみました。逆切れされたらどうしようと、ドキドキしてきます。私が注意したら周りの人の反応はどうなるのだろう。誰か加勢してくれるのか、やはり「見て見ぬふり」なのか…。いろいろと想像していて、私の中では、注意することではうまくいかないのではないかという思いに至りました。この男の蛮行は確かに読んでいても腹が立つし、許せないと感じます。しかし、この人にはこの人のなりの理由や原因もまたあるはずです。それを一切無視し、公衆の面前で注意するという行為はおそらく、男の乱暴な言動に拍車をかけるのではないかと思います。逆切れされて、注意した自分や周りの人にまで被害が及び、事態をより悪い方向に進めてしまうのではないかと危惧します。では、どうしたらよいのかというと、被害を受けた彼女に対する関わりを最優先するということではないでしょうか。記事の中では、「相手にせん方がいい」と声をかけた人のことが触れられていますが、彼女にとってそれはあまり助けるなる言葉ではなかったようです。今の私にできることがあるとするなら、被害を受けた彼女の恐怖や悲しみ、そして怒りをその場で聴いてあげ一緒に駅員に伝えることなのだろうと思いました。これなら、恐怖心に打ち勝って正義を通す、というような大変なことをしなくても、誰でもできることだと思います。時間も10分程度あれば良いのだと思います。このような人が一人ではなく、数人いたら彼女はなんと心強いと思うでしょう。暴力を働いたその男の問題は、今はとりあえず置いておくのです。その人の問題は「注意」することで解決する問題ではありませんし、話し合いができる状況でもないと思います。もちろん、暴力行為は犯罪ですから警察が逮捕する、というのも当然です。しかし、男が捕まれば女性の気持ちが癒えるかといえば、必ずしもそうとは言えません。おそらく、女性が体験した恐怖や屈辱感は消え去らないでしょう。だからこそ、私は少しでも有効な方法として、被害を受けた女性に寄り添うことが必要だと感じました。きっとこの現場に居合わせた人の中にも単に「見て見ぬふり」をしていたのではなくいろんな感情が沸き起こったのではないでしょうか。私は、この記者が彼女に直接会って、こうやって記事にされたことに敬意を表したいと思います。しかし、「見て見ぬふり」をせず、互いを思いやる気持ちをもっと大切にしよう、というような一般的なメッセージではなく、記者自身ならどうするか。誰もが注意をするのは怖いものだ、ということを認めたうえで何ができるかを具体的に提案するということが必要ではないかと思いました。そこで、私なりの具体的提案をしてみました。みなさんは、どのように感じますか?
2008年03月17日
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「名言セラピー」や「漢字セラピー」で、今乗りに乗っている天才コピーライターひすいこたろうさんの超人気メルマガ「3秒でHappy? 名言セラピーby天才コピーライター」に、またまた私の文章を取り上げていただきました。2008/02/22 ☆名言セラピー【ご恩送り】です。→ http://archive.mag2.com/0000145862/index.htmlひすいさん、大好きです!感謝感激です!こんなお礼のメールを送りました。-------------------------------------------------------ひすいこたろう 様豆子です。何の前触れも、その気配さえなく突然名言セラピーに自分の書いたものが載っている驚き、ひすいさん、分かりますか?いや、分からないでしょう。分かるのは、昨日の「大人の涙」の支店チョさんと私くらいでしょう。私も、名言セラピーのタイトル...そして内容を数行見て、「こら、えらいこっちゃ」と台所に立つカミサンを呼び行きました。「ちょ、ちょっときて!」カミサンは、息子と私のお弁当を作る手を止めてパソコンまで来てくれ「やったね!また載せてもらえたんや!」「僕のメルマガ、ホンマに読んでくれてるんやなぁ...」とつぶやく、僕。ひすいさん前回のひすいさんの「お助けメール」にはいい話が浮かばず締切日が来てしまい何のお役にも立てずごめんなさい、と思ってました。それなのに、それなのにこんなサプライズプレゼントがあるなんて。私は、最近、あることで自分の行動の動機が本心から「for me」でなく、「for you」であるのか、と問われることがありました。「for you」という行為は、回りまわって「for me」になることを計算している自分。無心の「for you」ではないなと感じました。ひすいさんの「for you」メールとっても温かいです。たくさんの思いを感じました。ありがとうございます。-------------------------------------------------------------この記事を読んでくださったみなさんが私のメルマガ「ゆっくりと豊かに幸せになりたい人に贈る幸せのキーワード」 → http://archive.mag2.com/0000221551/index.htmlにご登録して頂ければ、とっても嬉しいです。今年は、1000部になるのを目指したいので、よろしくお願いします。そして、ひすいこたろうさんの最新刊〓漢字本最新刊「漢字セラピー 五つ星のしあわせ」(ソニーマガジンズ)→ http://amazon.co.jp/o/ASIN/4789732703/nicecopy-22 よっちゃんの本 「Happy貯金箱」→ http://amazon.co.jp/o/ASIN/4837964141/nicecopy-22 もよろしくお願いします。
2008年02月22日
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我が家にハムスターが来たのは、もう1週間以上前です。ようやく、みなさんにご紹介することができました。かわいいでしょ?息子がディズニー映画「レミーのおいしいレストラン」を見てから、ハムスターを気に入ってました。いざ買おう&飼おうと思うとやはり、事前にいろいと調べないといけません。こんなサイトで調べました。 ハムエッグ → http://www.hamegg.jp/index.htmlハムスターには、ゴールデンとか、ジャンガリアンとかその他いろいろ種類があるのも初めて知りました。飼いやすそうで、値段も安かった(セールで950円)のでゴールデンにしました。名前は、息子が「チューチコ」とつけました。(保育所で読んだ絵本に「チューチュコ」というねずみがいたからだと、後で分かりました)でも、飼い出したら、チューチコよりも呼びやすい「ハムちゃん」になっていき、そのまま定着しました。飼い出してすぐに、両目が目やにでふさがってしまいかなり慌てました。どうしたらいいのかと、上記のサイトで調べたら人間用の目薬はささないほうがいい、とあり思わず笑ってしまいましたが、他人事ではありません。ハムちゃんを診てくれる病院に行くのが一番とありましたがお金もかかるし…。トイレ用の砂に含まれる化学薬品が良くない場合もあると書かれていたので、とりあえずトイレ砂を捨てました。そして、世話係をしてくれているカミサンがよく観察すると、どうも水を飲んでいないようだと分かりました。カミサンが、水を口に当ててあげ水の飲み方を教えてあげると、翌日片方の目が開きその次の日に、片方の目も無事に開き、元気いっぱいになりました。ストレスと栄養・水不足で、ハムちゃんも大変だったんですね。とにかく、安心しました。今の悩みは、お家の中でウンコをしてしまうことです。オシッコは、決まった場所でしますが、床材のチップをお家の中にぎゅうぎゅうづめにして寝ていますがそのチップの中に、いっぱい黒いウンコがあります。サイト情報では、オシッコのことは出てきますがウンコのことは何も書いてないので、多分気にしなくてもいいのでしょうが、ウンコと寝ている姿はかわいそうで何とかならないかな、と思ってしまいます。2年、3年と長生きしてほしいです。
2008年01月28日
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2008年が明け、10日間も過ぎましたがようやく、私のブログが始まりました。今年もこんな調子ですが、宜しくお願いします。昨夜、家族3人で今宮戎神社に「残り福」をいただきに参拝してきました。「残り福」って言葉が、ちょっといいと思いませんか?我先に福を求めて押し寄せる人の後に遠慮がちに、控えめに、それでもしたたかに「福」を求める、勝手にそんなイメージを作ってしまいました。雨降りだったからか、参拝者は以外に少なく感じました。露天街も神社内も人波が途絶えることもありました。まずは、腹ごしらえから。息子のためにベビーカステラを買って大人2人は、焼き鳥、やきそばと卵がせんべいにのったやつ、台湾のお好みみたいなものなどをほおばりながら露天街を見て回りました。テーブル席があるお店では、やきそば、どてやきなどを美味しそうですが、お客さんはまばら。というのも、値段表がないから、怖くて入れません。多分、やきそばが700円くらいするのでしょうね。子どものおめあては、「あてもの」と金魚すくいです。息子は、まずは少し離れて偵察。私が、よその子が買っているので見に行こうと誘っても、「まだ行かへん」と言います。私に似て、相当、用心深い性格です。おなかも、少し膨れたので参拝に行きました。お賽銭をして、3人で手を合わせました。セラピストが商売繁盛をお願いするのもいかがなものか、という感じですが「今年も、援助を求めている方にたくさん出会い精一杯、自分の力を発揮してがんばりたいのでよろしくお願いします」とえびす様に伝えました。笹をもらい、息子のリクエストで「金の俵」をつけました。1つでは寂しいので、「さらい」もつけました。1つ1500円。う~ん、2つが限界です。福娘じゃないおじさんが、「これもつけたるわ」とカラフルな紙(なんか呼び方があるのでしょうか?)をつけてくださりなかなかいい感じになりました。これで十分満足です。お参りのあと、息子は金魚すくいで、出目金ばかりを数匹すくうことができて得意げでした。そのあとは、偵察済みの「あてものや」さんへ。1回300円、2回で500円。店の棚には、人気キャラクターのぬいぐるみやおもちゃが並んでいますが、こんなの当たるはずかありません。前の子たちも、はずれのシールをもらっていました。50番以上の数字が出たらあたり。息子の引いた数字は43。(うまいことしてるなぁ~)息子は、「はずれても『あ~あ』言わんといてな」と私たちに言っていましたので、絶対それだけは言ってはいけません。はずれのシールでも「やった、シール当たったやん」と苦しい説明をしました。でも、そんな嘘はすぐにばれ、「あの箱に、ほんまに当たり入ってんの?」と聞く息子。…これ以上は、テキヤさんの営業妨害になるといけないので差し控えさせてもらいます。でも、テキヤさんが居てこそお祭りは楽しいんです。「寅さん」のような人より若い人が目立ちますが…。楽しませてもらうことにお金を使うのは、全然、もったいないことではないですよね。そんなこんだで、とっても楽しんで帰ってきました。この一年、本当に必要としている人たちに「残り福」がちゃんと届くことを信じています。
2008年01月12日
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12月4日の読売新聞に 「介護施設で虐待498件 自治体把握の10倍」 という見出しで、 全国の特別養護老人ホームと老人保健施設 計9082施設の現場責任者と介護職員に対して行なった 調査内容の報告記事が載りました。 詳しくは以下の、読売新聞のHPをご覧下さい。 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20071204-OYT8T00105.htm 有効回答率は約2割なので、498件というのは まさに、氷山の一角です。 昨年、「高齢者虐待防止法」という法律ができて 虐待の定義や職員の通報義務を定めていますが 介護職員の7割が内容を把握していなかったということです。 高齢者施設で働いている職員が、「高齢者虐待防止法」の内容を 知らない…これをどう考えたらいいのでしょうか。 私は、この記事を読んで、いろんなことを感じました。 まずは、施設のトップの怠慢です。 虐待という問題は、高齢者施設だけの問題ではなく 私の勤めていた知的障害を持つ人の施設でも どんな福祉施設にでも起こる「施設問題」だと思います。 だからこそ、経営・運営トップの人たちが 職員の研修・資質向上に努めるべきです。 私がいた知的障害を持つ人の通所施設では、 トップの意識が高く 職員の新人研修、部門別研修、管理職研修など さまざまな研修プログラムを策定し 外部研修・見学も積極的に行なっていました。 制度や法律のことも勉強しました。 障害を持つ当事者からの声に学びました。 それでも、当然職員の意識には幅があります。 同じ内容を見たり、聴いたりたりしても、 人の理解・受けとめ方は千差万別です。 その点は、現場単位のグループ・部門などで リーダーが部下の一人ひとりの性格や現状を しっかりと把握する必要があります。 ですから、リーダー(主任)というのは 大変な役割だと思います。 人は誰でも弱い面を持っているし、孤独になると どんなことが起こっても不思議ではありません。 どの施設でも、職員は権力を持っており 利用者は非常に弱い立場におかれています。 職員はそのことと、次のことを肝に銘じなければ ならないと思います。 自分の言葉、態度が利用者からは どのように見えているのか。 利用者は、本心では職員のことをどう思っているのかを。 これは、何もいつもガチガチに緊張して 利用者に気を遣う、ということではありません。 全く反対です。 自分と利用者のあり方を素直に見つめることです。 いつも、もう一人の自分が天井から見ているとすれば 今のあの言葉は、 さっきの介助仕方は どのように見えるのだろう。 リラックスした自然な態度で利用者と関わることで 自分の中にある利用者への愛情や想いが 介護や関わりという形になるということです。 介護技術や知識はもちろん重要です。 プロなのですから、たえず最新の技術や知識に敏感で 向上心を持つことが問われます。 しかし、対人援助職の人には 技術や知識以前の こころのあり方が一番大切だと、私は思います。 援助をしたいと思う人に対する想い それがなければ、対人援助職に就く資格はないはずです。 最初に戻りますが、だからこそ トップは、 「私は高齢者(障害を持つ人、子ども)が好きなんです」 という素朴な想いで出発する一人ひとりの職員が 施設勤務という経験の中で、どんな風に成長していくのか そのことに最大の関心を持つことが必要だと思います。 そして、それは当然のことなのですが 「職員に厳しい」ということなのです。 施設の職員は、すぐに職員同士がかばい合い、 それが結局、関わりや支援の問題をあいまいにしたり 隠蔽したりしてしまいます。 職員は未熟で、問題を起こすものです。 だから、ちゃんとした話し合いが必要です。 絶対にごまかしたりしてはいけません。 それが、その問題を起こした人を助ける 最良の方法なのですから。 そして、施設職員に届けたいのは 疲れたら、ちょっと休もうよ! あなたの本当の優しさ、 あなたの本当のつよさ あなたの本当の賢さ(ユニークさ) これが、なんかどこかに行っちゃって 自分でも、なぜ、こんなことをしているのか 分からなくなったら、ちょっと休みましょう。 こんな時は、良い援助、よい介護はできません。 リフレッシュしましょう。 思い切って、休みを取って旅行に行ったり なんでも聴いてくれる友だちと会ったりして 自分の良いところを 生きていることの素晴らしさを たくさん感じましょう。 そして、自分はなぜ、この仕事をしているのか 本当に続けたいのか その答えを見つけましょう。 私は施設職員の心のケアを もっともっと進めたいと思いました。
2007年12月05日
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大変、ご無沙汰です。この間、なかなか日記が書けませんでした。特に何かがあったわけではなく、さりとて、何もないというわけでもありません。微妙な心理的な揺れが、日記から自分を遠ざけていたのでしょう。まあ、そんなことは置いておいて今日は日曜大工の自慢です。毎年11月の末頃に、大きな公園で保育所関連の地域祭り「ファミリーフェスティバル」が開催されます。親は当番制で、イか焼きをしたり、雑用をしたりしなければなりません。このお祭りで、私が気に入ったことがあります。それは、無料で日曜大工ができることなのです。建設コープの方が無償で材木や釘、かなづち、のこぎりなどを用意してくれて、使い放題で自由に、イスやテーブルなどを作れるのです。昨年は、小さなテーブルを作りました。脚4本と板1枚という、味も素っ気もないものでした。でも、2回目の今年は、ちょっと本気になりました。そろそろ、幼児イスが小さくなってきた息子のためにイスを作ろうと決めていました。息子も、のこぎりやかなづちを試しながら楽しく一緒に作りました。「すげ~」となんでも喜んでくれるので、ついついハッスルしてしまいました。なかなか、いい感じに仕上がってたので今年は、ペンキで色を塗ることにしました。(これに、けっこうお金がかかりましたが)座面は何色? う~ん赤。背中は? 黄色。脚は? え~と、緑。裏は? オレンジ。と、息子に決めてもらいました。そして、できたのがコレです。↓ 息子が赤ちゃんの時に友人からもらった三輪車がこんなのでした。↓ なんか、おそろいみたいで、いいでしょ日曜大工、めちゃめちゃ楽しかったです。やっぱり、息子やパートナーから誉められたからかな。今度の目標はこのイスに合う机作りです
2007年12月03日
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しばらく、間があきましたが、 忙中閑画のシリーズを再開します。 今日は「祈り」の章から。 「 戦争で三年中国、そのときは毎日ロウソクもなく 夜は皿に油を入れて僅かな光で生活した。 復員船上で40Wの電灯の光にどれ程驚き喜んだことか。 時折、盲い人のことをこの記憶と共に想い起し光への感謝を 忘れてはならぬと自身を戒めている。 1981.10.26 名古屋にて 甲水之 」 と書かれています。 「 茨の冠をかむせしられし イエズス 苦しみに耐えたまう 」 この画集にはイエス・キリストの姿が たくさん描かれています。これはその一枚です。 父はカトリック教徒でした。 冒頭にもあるように、中国戦線から日本に戻ってきて 長い間、脊椎カリエスという病気で入院していました。 その時、神父さんと出会い、カトリック教徒になったと聞いています。 病院では、医療の不誠実な実態を知り、病院を糾弾する闘いをしたり 短歌を書いて新聞に投稿したりしていたという話も聴きました。 父の病院嫌いは、この時の経験からなのだと思います。 薬や外科的処置には強い拒否感を持っています。 膝が痛くなっても、決して病院には行かず、朝から自転車漕ぎをして 治したと自慢げに言っていました。 65歳は過ぎていたと思います。 数年前から糖尿病になりましたが 自分でインスリン注射をしながら、バリバリ働いています。 また、この病院には特別重要なことがあります。 父親の看病に来ていた若き日の母と出会い、結婚したのです。 父と母はひとまわり以上の歳の差があります。 若き日の母は、父の勇敢な姿や知性的な面、そして優しさに 惚れ込んだのだと私は理解しています。 キリスト教の話に戻ると 私も、幼児洗礼を受け、日曜日には教会にも行っていました。 日曜学校のようなところで、お芝居をやって 私がイエスの役をさせてもらったことが印象的なできごとでした。 でも、父や母の仕事が忙しく、日曜日も書道教室があり 家族全体がだんだんと教会に行かなくなりました。 ある時、家に来てくれた神父さんが、私たちのことを 「迷える子羊たち」と言ったことをおぼろげに覚えています。 私は今でも、自分の洗礼名を忘れてしまっているので まさに、迷える子羊なのかもしれません。 教会から遠ざかり、普段、父は、 子どもたちにキリスト教や信仰のことを ほとんど話したことがなかったと思います。 ですから、私がこの画集を始めて見たとき 父にとって、イエス・キリストの存在が こんなにも大きく深いものだったのかと改めて感じました。 父は、いつもイエスと共に歩んできたのだと思いました。 「 一日の悔いを のこすなかれ」(キリストと告悔の信者)」 このような想いを胸に刻み 父は一日一日を大切に生きてきたのだと思います。 私も、「もっと、ああしておけばよかった」という 後悔をせぬよう、自分の人生を全うしたいと思っています。
2007年11月13日
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今日も「忙中閑画」の「日々有情」からご紹介します。牛の画です。「風格堂々として 沈着 荘重 而して愛すべきは 身ににじむ 野趣也り」とあります。野趣とは、「ひなびた味わい。自然のままの素朴なおもむき。田野の風趣。」(広辞苑)こんな堂々として、素朴な姿に私もなれたらなぁと感じました。 次は、ちょっと哲学的な画です。「いつか 崩れるとわかっていても 石をつみたくなるのが 人間というもの 賽の河原とはこの地球のことだろう あの遥かえの旅立ちに何かを残しておきたい… それさえも空しいことなのだろうか」この積み上げられた石と蜻蛉がなんとも言えぬわびしさを表しているように感じます。三度目の流産の後妻は、初めて「水子供養」をすることができました。それまでの妻の心情は、私には推し量ることのできない苦しみに満ちたものだったと思います。水子地蔵さんの前で、たまごボーロをお供えし天国に旅立った小さな小さな命に手を合わせると一陣の風が吹いて、風車がくるくると回りました。妻も私も自然とあふれるように涙が流れ天から、赤ちゃんになれなかった命がこれからも私たちを見守ってくれていると感じました。その時に、和尚さんがお話してくださったのが「賽の河原」のお話でした。夫婦であっても、命の喪失に対する悲しみや苦しみのありようには大きな違いがあることも実感しました。妻はからだをとおして、リアルに感じる喪失感や罪悪感、そして自責の念があったと思います。私は、その妻を支えようとする想い新しい命の誕生に飛び上がらんばかりの躍動感それが、急転直下、すべて帳消しになったような空虚さ。そして、どうしても赤ちゃんとして対面したかった小さいいのちとの別れのつらさ。そんな、お互いになかなか向き合えない悲しみを抱えながら風車の回るお地蔵様を見和尚さんのお話を聴くという共通体験をすることで私たちは、悲しみに一区切りをつけまた新たに歩み始めました。父の言葉にもあるように、この地上の世界こそが、苦しみや試練の場であり崩れると分かっている石を何度も何度も積み上げる世界なのかもしれません。人間である限り、この苦しみからは抜け出せない。だからこそ、喘ぎながらもだえながら魂の成長のプロセスを辿っていくのだと思います。そこにこそ、大きな喜びと人間賛歌があるのだと思います。こんなことを書きとめながら今日もまた、一日が過ぎていきます。
2007年11月01日
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今日は「日々有情」の中から2枚ご紹介します。「日々有情」には「精一杯に人生を生きる ………………………。」とあります。最初は「井戸釣瓶(いどつるべ)」です。「井戸釣瓶 人間は智慧をもって生きてきた 智慧が智慧をうんで もうこれも不用になった 人間はそのうちに地球をも 壊して生きてゆくのだろう」使い古された井戸が何かを問いかけてくるような画です。井戸を作った人間の智慧は果たしてどんな形で、この物語の結末を描くのでしょうか。井戸の水が涸れるのが早いか人間の欲望が枯れるのが早いのかどちらかなんでしょう。もう、あまり時間がないように感じています。次は、ひょうきんな画です。「もうすぐおしまい 人生はたのしくいきましょうや」とあります。これはひよっとこ風の自画像なんでしょうね。でも、もちろんこんなハチマキを巻いた父を見たことはありません。これを画いたのは、およそ25年前、父が60歳になろうとする頃です。「もうすぐおしまい」と言いながら人生を楽しみ続け84歳の今も、第一線で頑張っている父。書道界の権威を嫌い非主流?の道を貫きながら書芸を追求してきた父。そんな硬派な面と孫を見ると相好を崩す好々爺の面。すごいなぁと思います。話はつながりませんが人生にはユーモア一番大切なのかもしれない、そう思いました。
2007年10月29日
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山河抄から二つの画を見てください。「日輪遍(あまね)し」お天道様は何一つ描かれていないけれど人々の暮らす家に、温かい陽光が燦燦と降り注いでいるように感じられます。「お天道様が見ているよ」こんな言葉がよく使われます。私は、5歳の息子にはお天道様の代わりに「ほら、サンタさんが見ているよ」と言います。喜びも苦しみも、愛も憎しみも、希望も挫折もすべてお天道様は、何も語らずただ見ていてくださります。それを十分に感じたとき、自分の内側から、あるいは天空から豊かなプレゼントがあるかも知れません。実直に生きる勤勉に働くこの画は、こういうことが尊い意味を持っていることを伝えてくれているようにも感じます。 「山と空はいつも人間のふるさとである。」山河は故郷であるという言葉によく耳にしますが空がふるさととはどういうことでしょうか。「人はどこから来て、どこへ行くのか」中学生か、高校生のころ父と話をしていて、こんな言葉を父が言ったことをかすかに記憶しています。人はふるさとである空に返っていくということでしょうか。あるいは、山も空も万物の現象すべては大河のながれの一瞬であって人もまたその大河の一滴として大いなる生命の神秘に包み込まれている、こんなメッセージにつながるのかも知れません。山を見ていると、空を見ているとなんだか寂しくなったり大きな力を感じたりこころもからだも溶けていくように感じたりそんなことはありませんか。山も空も(そして海も)私たち生命体のふるさとなんですね。墨の濃淡でしかない画からさまざまな色彩が浮かび上がってくるのも不思議な感覚です。
2007年10月25日
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父の水墨画集「忙中閑画」は4つのパートに分かれています。○山河抄○日々有情○祈り○韓国へこれから、しばらく山河抄の中の画をピックアップして、私の感想を綴っていきたいと思います。山河抄の最初の頁には「………至る處青山在り大自然は父であり母である。」とあります。今日の画は、これです。「富士は不二也」山河抄の画の中でも、圧倒的な迫力で迫ってくる画です。説明書きの不二の意味を念のために広辞苑で調べると1 二つとないこと。唯一。2 二つに見えて実は一つであること。3 書簡文の末尾に添える語。4 富士山2~4の意味があることは知りませんでした。また、不二を「ふに」と読むと、仏教用語で異ならないこと。差別のないこと。現象的に対立する二つのことが根本的には一体であること。という意味があるのも初めて知りました。こう調べてみるとこの墨で黒々と塗り込められた富士山から立ち上がってくるイメージは、ますます大いなる智慧を授けてくれているように感じます。父は、人生でどのような迷いにぶつかりいかにそれを乗り越えてきたのか、もしかすると、富士山から何かの精神性を感受したのかも知れないと思いました。広大な裾野と天に突き抜ける隆起。そこには物凄い地球のエネルギーが表出されている。揺るぎない信念、途方もない力強さ。父の偉大さ。同時に、大地も天地も雲も風も一つになりあらゆる生きとし生けるものの誕生の源でもある。対立する概念は融合し、存在の神秘に溶け込む。母の慈愛の深さ。私にとっての「富士は不二也」とはこんな気持ちです。
2007年10月19日
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「忙中閑画」は、私の父が1982年3月に発行した水墨画の画集です。父は、この画集のことを次のように説明しています。「私は書家なのに画をかくことが好きで、暇々に画いたものをまるで宝物のように箱に蓄めています。私は仕事で遠くへ出向きます、旅のつど、いつも画仙紙の小片と、矢立とを携えて、風物を画きとめてきました。書家という仕事上、画も墨だけで画きます。一つにはとても忙しいので彩色しておれませんし、第一、色をつける程のものでもありません。私の画は何しろ早や書きですが、時にはあくびをしながらのんびり画くときもあります。心しんみりと画くかと思うと、からからと笑い乍らのときもあります。即ち忙中閑画。たとえ技は拙くとも、画は私のこころの雫でもあります。ご覧頂いて些かでも心をお寄せ頂ければ幸いです。」父は、画家になりたいという夢を持ちながらも実生活のことを考えて、書家という道を選びました。(と、私は理解しています。)私は書の道を歩みませんでした。長い紆余曲折の果てに、ようやく心理学という人間存在のあり方を見つめる学問とセラピストとしての臨床現場が自分の進む道だと確信しました。今年84歳になった父は、現在も元気にたくさんの方々の師として働きつづけています。この画集には、様々な画とともに父の生き方が記されています。その一つひとつを皆さんに紹介しながら私の父に対する想いも伝えて行きたいと思っています。表紙の画 「花」です。 「あたたかい美しさ つめたい美しさ 見る人によってどのようにも見える この美しさは、決して人間のためだけではあるまい。 花はほんとうに美しい。 1981.5.11 」 5月に画かれた、この一輪挿しの花は なんの花だろう。椿だろうか。 花は人間に美しく思われたいから咲くのではない。 ただ花としての生命をまっとうしているだけだ。 だからこそ、人は時にその美しさにこころを奪われ いのちのちからに打たれるのだろう。 父の言う 「あたたかい美しさ、つめたい美しさ」とは、 そして「花はほんとうに美しい」とため息にも、歓喜にもとれる この言葉の向こうには、どんな心象風景があるのだろうか。 中国戦線で、戦争を体験した父、 脊椎カリエスで長期闘病をした父 母と恋愛して結婚した父 キリスト教と出会い、深い信仰を持っている父 4人の息子の父 書道界で活躍し、たくさんのお弟子さんに囲まれている父 そして、私の知らない父 そんな父と画を通じて会話してみたい。
2007年10月17日
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7月末で退職したカミサンと「落ち着いたら奈良などのパワースポットめぐりをしようね」と約束していました。それが、なんとなく(CMの影響?)高野山に行きたくなり、車で片道の2時間かけて行ってきました。カミサンは林間学校以来で私は初めてです。金剛峰寺の駐車場までくると、すでに空気が凛と澄んでいる感じがしました。朝6時から午後10時まで2時間おきになる「六時の鐘」を聞きながら、散策をすると途方もない時間が、人々の手から手へこころからこころへ繋がっていることの深遠さを感じずにはいられません。恥ずかしながら弘法大師(空海)さんや高野山の詳しい歴史はよく知りません。(父が書家なので、日本三筆に入る書を残した人ということは知っていました)金剛峰寺の中の説明を見ながら、教科書で習ったことを復習するように空海さんの歴史と偉業を学びました。 大きな新館では、お茶とお菓子をいだだきながら飾ってある絵を鑑賞しました。 曼荼羅もありました。日本で一番大きな石庭だそうです。大伽藍では大塔の朱色が青空の中に色鮮やかに屹立し、美しさと厳しさの両面を感じさせてくれました。霊宝館では、空海さんが使っていた密教の道具や様々な仏様の像があり「すごい、すごすぎる...」を連発して見入ってしまいました。自分へのおみやげに大日如来坐像のの写真はがき両界敷曼荼羅図のミラーを買いました。 これからは、大日如来坐像の写真を前にして瞑想をしようと思っています。カミサンと二人で特別な時間と場所を体験してとても嬉しかったです。おまけとして帰りの道をナビの通りに帰ったら通行止めの山道になり、迷ってしまい息子の迎えが大幅に遅れてしまいました。これは何を告げているのでしょうか?人の言う事ををむやみに信じては道に迷う、自分の直感こそ信じろということでしょうか...。 更に詳しい高野山のことは こちらまで→ http://www.koyasan.or.jp/
2007年10月15日
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石垣・西表島旅行・その5ですがだらだらと遅くなり、今日になってしまいました。この間、息子の運動会があったりカミサンと高野山へ行ったりと書きたいこともあったのですが、旅行記を終わらせないことには、先に進めません。と、いうことで旅行最終日は西表島のしいら(後良)川でカヌーです。朝から好天に恵まれました。私たち家族は3人乗りのカヌー。ガイドのマングローブ・ジャックの國分さんは一人乗りのカヌーで案内してくださいました。 マングローブ・ジャックの情報は → http://www.cosmos.ne.jp/~m-jack/マングローブの生い茂るジャングルの中でカニがたくさんで迎えてくれました。先頭に乗っている息子が「カニさんや」「あっちにもおる」とおおはしゃぎ。ガイドの國分さんによると、カニが手(ハサミ)をふってくれることがあるそうですよ。川は、海水が流れ込んでいるのである程度上流に行くまでは、海の魚がたくさん泳いでいます。魚の群れに遭遇するのも楽しかったです。カヌーは、すぐに漕ぎ方を覚えられるし、転覆する危険も少ないので、とても気軽に楽しめますよ。夏の観光シーズンも終わり、この日のツアーは私たちだけだったのでラッキーでした。2キロほど上流まで行って、帰ってきたら2時間。最後に、世界最大のしじみを探してくれました。これがしじみとは…。なんという大きさ。もちろん、食べられます。國分さんも食べたそうです。焼くと、案外、身が縮んで小さくなるそうです。飛行機に乗せてもって帰ってきましたがどうも死んでしまったようで、食べられませんでした。國分さんに、ありがとう! また来ますね!と挨拶して西表を離れました。 石垣島の公設市場でおみやげを買いレンタカーを返して石垣空港へ。初日会ったカミサンの友人が突然、空港に見送りに来てくれてびっくりしました。なんて、温かい心遣い。飛行機が飛び立つまで手を振ってくれる友人を機内の窓から見ていると、僕の目にもカミサン目にも涙が溢れてきました。自然と愛にあふれた2泊3日の旅行でした
2007年10月13日
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石垣・西表島旅行記その4は水中観光船・うみえーるです。 うみえーるのHPは→ http://www.painushima.com/こんな船に乗ってさんご礁まで20分くらい進むと船内の部分が海の中に沈んで 窓のすぐ外側がさんご礁と熱帯魚の世界に変わります。(上記3枚の写真はうみえーるのHPから拝借しました)私たちは、前日に白保でシュノーケリングをして直ににさんごや熱帯魚を見ていたのでさほど驚きませんでした。でも、周りのお客さんたちは大興奮。「きゃー、すごい!」「泳いでる、泳いでる!」「うわぁぁ」という声か船内に響き渡りました。ただ、私はこの時、ちょっとしたトラブルで落ち込んでいてとても海中の景色を楽しむ気分ではありませんでした。仲間川クルージングと水牛車昼食のレストラン、移動のバスのどこかでビデオカメラを紛失してしまい、そのイラダチをカミサンにぶつけてしまったりどうせ出てこないと悲観的になったりしてしていたのでした。このあと、本日のホテル「ラ・ティーダ西表」に向かい一人だけ、疲れたと寝てしまいました。ラ・ティーダはコテージがたくさんあるといも素敵なホテルです。 ラ・ティーダのHPはこちらです。 → http://www.lateada.co.jp/index.html私がふて寝している間カミサンと息子はホテルのプールでひと泳ぎ。ビデオカメラも無事にバスの中から発見され、戻ってきました。一眠りにして、私は自分の行動を反省してカミサンに謝りました。カミサンはすぐに許してくれて、また家族3人楽しい旅行を楽しみました。やっぱり、旅先でちょっとした、いざこざになったら素直に謝って、気分を切り替えて楽しむのが大切ですね。魚がメインのとびきり美味しい夕食をいただきました。その後は、十五夜の満月の月明かりの中ほたるの幼虫を探しにあたりを散歩しました。暗闇の草むらの中に浮き上がる2匹の幼虫を発見し、その淡いみどり色の光にしばし見とれました。翌朝は、朝食前に海岸で貝ひろい。こんなカニがいましたがいましたが死んでいました。(だから写真取れました…)生きているやどかりがたくさんいて、とても可愛かったです。息子はおおはしゃぎできれいな貝や石をたくさん拾ってもって帰りました。ラ・ティーダの豪華な朝食はすごかったです。 島の料理のバイキング。 こんなおしゃれな説明を見ながらハンバーガーやタコスを自分流に作って食べることができます。もう、お腹いっぱいになりました。さて、この後は最後の島遊び「カヌー」です。続きはまたあした。◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ここでちょっと、おしらせです。いよいよ開催間近!!もうすぐ締め切ります!☆☆第2回Larghetto-ラルゲット-ワークショップ☆☆ 『心理学を学びながら、自分をモット好きになる』 ■Larghettoでは、安心できる雰囲気の中で、 少人数のワークショップを開催しています。 今回のテーマは「自分を好きになる」です。 どなたでも参加できます。 ワークショップ(参加型学習)が苦手な方も、大丈夫ですよ♪ 現在私が最も好きな心理療法である ハコミ・セラピーの中心にある ノンバイオレンス・マインドフルネス・ラビングプレゼンスという メソッドも使いながら進めていきます。 【日時】 10月14日(日)10時~午後5時 【内容】 ●コミュニケーションを学ぼう ・受動的聴き方と能動的聴き方 ・ペーシングとラポール(信頼)形成 ・原因追求より解決志向で行こう ●自分を大切にしよう ・統合のワークで、本当の自分をイメージする ・ハコミセラピーの「ラビングプレゼンス」で 「存在の輝き」を知る ・自分の気持ちをI(アイ)メッセージで伝える ・相手の立場に立ってみると、見方が変わる ●毎日をハッピーに過ごそう ・自分に合ったアファメーション ・生活の中に取り入れる自己暗示 場所 東大阪市立男女共同参画センター(イコーラム) 参加費 5000円 募集定員 9人 ※定員になり次第締め切ります。 申込み・詳細は→ http://www.larghetto.jp/workshop.php 第1回ワークショップの感想は→ http://www.larghetto.jp/visitor.php
2007年10月08日
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その3は水牛車に乗って、由布島(ゆぶじま)に行きました。潮の干満で水位が変わる道を水牛車で渡っていきます。私たちが乗ったのは、ゴン太くんでした。 片道10分程度の時間です。えらいもので、ゴン太くんは御者のおじいの言葉だけて出発し、一生懸命引っ張ってくれて目的に到着します。全部覚えています。満員のお客さんに、おじいが一曲歌ってくれました。到着したら、由布島の植物園見学です。息子の機嫌もよくなく、ほんの入り口だけ見ました。こんな碑がありました。「由布島を繁栄せし大五郎 花子を始祖とする水牛一家に対し感謝の碑を建立する 2001年10月」帰りは、また別の水牛さんです。今度は真子(まこ)ちゃんでした。(残念ながら、写真はありません)女性の御者もいると聞いていたからか真子ちゃんの御者をしていた人を女性と思い込み「今度はおばあや」と息子に言っていたら実は、おじいでした。カミサンもおばあと思ってたみたいで二人でちょっと焦りながら、なんとか真子=おばあという苦しい言い逃れをしました。おじいに聞こえていたのか、いなかったのかおじいはその件については無視でした…。このおじいはテレビに紹介されたことがあるという自慢話を嬉しそうにしていました。そして一曲披露してくれました。おじいたち、そして水牛ちゃんたち、ありがとう由布島を後にして、バスでレストランに移動。ツアーについているお弁当はヘルシーで美味しかったです。次は、水中観光船・うみえーるです。またあしたね
2007年10月04日
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その2の前にその1の白保でのシュノーケリングの後石垣島に住むカミサンの友人が郷土料理のお店「魚礁(パラオ)」でごちそうしてくれました。魚のマース煮です。マースとは塩のこと。天然海塩だけで煮込んだこの魚のおいしさは最高です。石垣牛のにぎりです。写真はないけど、イカ墨の焼きそばも美味しかったです。息子は舌が真っ黒けになって、びっくりしてました。 海鮮居酒屋 魚礁(パヤオ)は → http://www17.ocn.ne.jp/~payao/index.htmlさて、ここからが、その2です。石垣島から西表島に移動して西表島観光センターが組んでいる「やまねこツアー」のGコースに参加しました。仲間川遊覧ボートに乗って、マングローブが茂る亜熱帯の川をクルージングしました。終点で、樹齢400年のサキシマスオウノキを見ました。巨大な根が板状になっています。巨大な2本の根が一体となっているところから別名めおとスオウとも呼ばれているそうです。残念ながら、囲いがあって直接触れることはできませんでした。このあと、水牛車・ゴン太に乗って、由布島に行くのですが今日はここまでです◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ここでちょっと、おしらせです。☆☆第2回Larghetto-ラルゲット-ワークショップ☆☆ 『心理学を学びながら、自分をモット好きになる』 ■Larghettoでは、安心できる雰囲気の中で、 少人数のワークショップを開催しています。 今回のテーマは「自分を好きになる」です。 どなたでも参加できます。 ワークショップ(参加型学習)が苦手な方も、大丈夫ですよ♪ 現在私が最も好きな心理療法である ハコミ・セラピーの中心にある ノンバイオレンス・マインドフルネス・ラビングプレゼンスという メソッドも使いながら進めていきます。 【日時】 10月14日(日)10時~午後5時 【内容】 ●コミュニケーションを学ぼう ・受動的聴き方と能動的聴き方 ・ペーシングとラポール(信頼)形成 ・原因追求より解決志向で行こう ●自分を大切にしよう ・統合のワークで、本当の自分をイメージする ・ハコミセラピーの「ラビングプレゼンス」で 「存在の輝き」を知る ・自分の気持ちをI(アイ)メッセージで伝える ・相手の立場に立ってみると、見方が変わる ●毎日をハッピーに過ごそう ・自分に合ったアファメーション ・生活の中に取り入れる自己暗示 場所 東大阪市立男女共同参画センター(イコーラム) 参加費 5000円 募集定員 9人 ※定員になり次第締め切ります。 申込み・詳細は→ http://www.larghetto.jp/workshop.php 第1回ワークショップの感想は→ http://www.larghetto.jp/visitor.php
2007年10月03日
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久しぶりの日記です。9月24日~26日、石垣・西表島に家族旅行に行きました。楽しいことがたくさんあったので、シリーズで報告します今日は初日の石垣・白保のシュノーケリングです。昨年、一人旅で石垣島と竹富島に行ってきたカミサンが、今回の旅行をしきってくれました。この旅行のメインのひとつは、なんと言っても白保のサンゴ礁と熱帯魚を見ることでした。カミサンはシュノーケリングをして大感激しました。それから我が家では、5歳の息子に「ニモを見にいこうね」という話になりました。今年の我が家の宝地図には八重山諸島の写真やシーサーの写真があり「八重山へようこそ」の文字。息子は夏のプールからどんどん成長しお風呂で水中メガネをつけて、もぐる練習。スイミングスクールにも通い出しました。その練習の成果があって見事にシュノーケリングができました。様々な色や形のサンゴの周りにはカクレクマノミやナンヨウハギなど映画の「ファインデイング・ニモ」に出てくる熱帯魚がたくさんいました。 その魚を見るたびに息子は「あっ、ニモや。あっドリーや」と大喜び。私はただただ神秘の海に感動しその美しさにこころを奪われました。この素晴らしい海と魚たちを子々孫々まで残しておきたいと強く感じました。(海中の写真は白保ではなく、 西表島の海中船うみえーるで撮った映像です。)
2007年10月02日
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ずいぶん、ご無沙汰しておりました。 いろんなセミナー、集会に参加して いっぱい感動して帰ってきました。 それを少し整理して、みなさんにシェアしたいと思っていたら ずるずると日にちが経っていました。 今日から、一つずつご紹介したいと思います。(ほんのさわりですか) 今日は、9月7日にキャンパスプラザ京都で行なわれた 吉福伸逸さん講演会のことについてお話したいと思います。 吉福さんは日本に初めてニューエイジ、ニューサイエンス、 トランスパーソナル心理学などの分野を体系的に紹介した、 著述家、翻訳家、セラピストです。 早稲田大学文学部を中退し、ボストンのバークレー音楽院へ留学。 ジャズ・ベーシストとして活躍後、カリフォルニア大学バークレー校にて 東洋思想やサンスクリットを学び、日本で(株)C+Fコミュニケーションズ、 (有)C+F研究所を創設されました。1989年以降、ハワイ在住。 今回の講演は「人生のターニングポイント」というテーマだったのですが、 ハワイから到着したばかりの吉福さんは、時差のためか、ものすごい眠気で、 なかなか集中できない状態でしたが、とても興味深いお話をしてくださいました。 「異文化に触れることは、それ自体でセラピーである」 というところから話が始まりました。 今回の講演会を主催した「イーストウエスト対話センター」の 村川治彦さんは、吉福さんにこうアドヴァイスされてアメリカに渡ったそうです。 イーストウエスト対話センターについて こちらをどうぞ → http://www.east-westdialogue.org/ 講演では、以下のようなトピックがありました。 (話はあちこちに飛んでいましたが、私なりにまとめました) ○日本の団塊世代とアメリカのベビーブーマー世代の違い ○現代の日本には、かつての元服式のような「通過儀礼」がないこと ○誰にでもある人生の転換点 ○変化について ○個人の自由の問題 ○許すということ ○統合失調症と人間存在 ○3つのパーソナリティー(胎児・生きている間・死後) ざっとこんな感じです。 私の感想としては、 すごく共感できるところと、なかなか理解できないところが 入り混じっていました。 でも、吉福さんの飾らず、嘘をつかない人間的な魅力を感じました。 いくつか印象に残った点をあげると ○変化についてのお話では 人には計り知れない保守性があること。 エッジ(限界)を超えようとするパーソナリティーの変革はとても難しい。 なぜなら、文化は人類に根本的な変化を求めていないから。 R.D.レインは「人は気づきが深まっていけばいくほど、 最も自らを愛する者が罰しに来る」と言っている。 ○個人の自由 種としての人類には種の保存という意識がある。 それは、ユングのいう、アーキタイプ 個人の根底にある集合意識 人間には、そのため根源的不安というものがあり これを利用した現代社会の文化装置がたくさんある。 ○統合失調症の人たちが、文化の中で生きていくことで 現代の停滞を超えていくことができるのではないか。 「病気」「障害」の定義がどんどん細かくなることで 「正常」との境界線が狭くなっていっている。 (会場からは最近の「アスペルガー」「ADHD」「学習障害」など 発達障害名が次々にでき、そういう子どもたちに精神薬が投与される ことを危惧する発言があった) 講演会の話はここまで。 「境界を越える対話」(日本トランスパーソナル学界講演集)という本の中で 吉福さんは、次のように話されています。 「個人にとってトランスパーソナルという意識、無意識の領域というものは 一種の倍音のような存在なのではないかと考えることができると思います。 もし、倍音のもととなる「C(ド)」というパーソナリティ、個人、私というものが しっかりと音を出していなければ、上の倍音は良い共鳴をしません。 ですから、いくらさまざまな倍音を体験したからといっても、その根の基音 というものに立ち返って、しっかり耳を傾けない限り、上の音は浮き草や 根無し草のように非常に虚しい存在になってしまう。 そういった意味で、トランスパーソナルは、まずパーソナルな事柄に始まり やはり、パーソナルな出来事として終わると、ぼくは理解しています。」 (以上150Pより引用) 吉福さんのお話は、類的存在としての人類が、 徹底的に個を見つめることから 新しい段階(トランスパーソナル)に入っていくことを 伝えてくれているように思います。 難解ですが、ケン・ウィルバーの本にも挑戦しようと思います
2007年09月20日
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7月15日書いた、朝顔の続報です。息子の保育所送迎の途中あるある機械会社のおばちゃんに道路の植え込みで色鮮やかに咲く朝顔のタネをいただきました。ベランダにおいてあるテラコッタの鉢にタネを植え、息子も(気が向いたら)せっせと水をやりました。すぐに葉っぱがたくさん拡がりつるは、どんどんと伸び続けました。それでも、なかなか花が咲いてくれませんでした。もしかしたら、ダメなのかな...私はこころの中で、そう思い始めました。ところが、です。9月に入ると急に花のつぼみができ次から次へと咲き出すではありませんか。 「遅咲き」という言葉があたまに浮かびました。人生の花も、人それぞれ咲き方も咲く時期も違います。一瞬でも、もうだめかな、と思ってしまった自分が恥ずかしいです。7月から咲き誇っていた朝顔は終わりをむかえ私たちの朝顔はこれからが、メインイベントです。そしてどちらも、また来年にむけてタネを残してくれます。私たちも、おばちゃんが丹精込めて育ててくれた朝顔のタネを受け継ぎ、新しいタネを残すことができると思うととても嬉しいです。息子と朝顔の2ショット写真を取っておばちゃんに報告と改めて感謝の気持ちを伝えようと思っています。この幸せのタネをまた、誰にかお裾分けできるのも最高です朝顔のタネ欲しい方はご連絡ください
2007年09月08日
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あるクライエントさんとの出会いからPet Lossについて考える機会に恵まれました。私自身は、小さい頃にうさぎを飼ったり、虫・金魚などを飼育したりするくらいで犬や猫と暮らし、死別した経験がありません。しかし、犬や猫を家族の一員のように可愛がっている方にとって、そのペットの死は「家族の死」と同様な悲しみ、喪失感、あるいは自責の念、後悔という感情に満たされることがあるだろうと思います。私には知識・経験が不足していることなのでネットで調べていたら、以下のような、素晴らしいサイトを見つけました。Pet Loss Support→ http://petloss.m78.com/index.htmlペットを亡くされたみなさんにとって少しずつ、事実を受け入れ深い深い悲しみを十分に感じ少しずつ癒され、回復しそのペットと暮らした思い出を大切にしながら新しい今日を歩んでいくこのような回復のプロセスが進むことをお祈りいたします
2007年09月06日
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この本の帯にはこんな文章が載っています。「本当は、どうなのだ!当代随一の名医に作家が本音で迫る。混乱する情報の中から、最良の道を選ぶには?」五木寛之さんが「私がもっとも信頼する医師であり、知識人」という帯津良一さんに、私が日常、疑問に思っていたことを単刀直入に聞いてくれます。例えば、Q4 牛乳を飲むのは、いいことか悪いことかQ9 コーヒーは、体にいいか悪いかQ13 体は温めたほうがいいかQ21 体の癖や歪みを正せば元気になるのかQ22 病気というものに完治はあるのかQ29 O-リングテスト診断は有効かQ41 サプリメントは、ほんとうに有効かなどなど、気になるクエスチョンばかりです。また、答えもユニークです。サプリメントのところでは、「人相の悪い人からは買うな」ですって私はなかなか朝型人間になれずに今でも悪戦苦闘しているのですが五木寛之さんの場合、徹底的な夜型人間です。朝6時ごろに寝て、午後1時起床というリズムで40年間生活してきたそうです。「朝を制するものは、人生を制する」なんて成功体験を聞くと、どうしても自分の生活習慣がダメな気がしてくるのですがやはり一番大切なのは、「自分にあったやり方」をするということですよね
2007年09月05日
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映画会社に勤める友人が、「セラピストが主人公の映画があるんだけどちょっと見て、感想くれないか?」と声をかけてくれたことがきっかけでこの映画の存在をしりました。「セックスという言語で人間関係を語りたかった」ジョン・キャメロン・ミッチェル監督のこの言葉がショートバスという映画の本質を言い切っていると思う。9.11のテロ被害にあったニューヨークを舞台に、恋愛セラピスト・ソフィアや本当の愛に悩むゲイの青年・ジェイムズなど7人の男女の魂の物語。ショートバスとは、アメリカの黄色いスクールバスの中でも、障害を持つ子どもたちが乗るバスのこと。また、NY、ブルックリンにあるどんな人もOKの愛に溢れるサロンのこと。過激でリアルなセックス描写は、確かに刺激的。でも、それよりもオープニングの心温まるアニメーションや音楽。そして、孤独と不安をやさしく包み込んでくれるショートバスという場所で展開される人間ドラマが私にたくさんの感動と愛、勇気をくれました。この映画では、様々なセクシャリティーの人が出てきますが、それぞれがある悩みを持ち、それに囚われ、そこからなんとか脱出(解決)しようと試みています。セクシャリティーは多様でも、人間として孤独や不安と向き合うのは皆な同じです。その象徴がソフィアが求めた「オーガズム」なのだと思いました。それは単に、性的な快感ということではなくて理解しあおうとしながらも、かなわない人間の深い孤独と不安そこからの解放なのではないでしょうか。それは、深く傷ついた自分を誰かに優しく包み込んでもらうこと。そして、自分を飾らず、ありのまますべて曝け出して生きる勇気を持つことなのかもしれません。この映画を見ることで自分が何を抑圧しているのか、感じるかもしれませんね。ここでやってます。 → http://www.cinemart.co.jp/theater/shinsaibashi/最後に、監督もインタビューで語っていますがこの映画は、フリーセックスに賛同している映画ではないことを付け加えておきたいと思います。セックスは、とてもプライベートなものです。そして、最も優しく、こころが豊かになれる関係のあり方のひとつだと思います
2007年09月04日
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ベストセラー『名言セラピー』シリーズで有名なひすいこたろうさんの超人気メルマガ「3秒でHappy? 名言セラピーby天才コピーライター」で、またまた私の投稿を取り上げて頂きました。 → http://blog.mag2.com/m/log/0000145862/108914054.htmlこんな内容です。◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎豆子です。 5歳になった、わが息子の最近の名言を 投稿しようと思っていたから 新連載・子どもの言葉が始まりました。 なんとラッキーな! 早速、送りますね! ★★★★★★ 4歳から5歳。 息子にとって、それは大きな転換期のようです。 プールで浮き輪なしで泳げるようになりました。 だから、髪の毛を洗う時に、立って頭からお湯を かけることができるようになりました。 (でも、水中めがね使用です♪) お母さんのお手伝いをしてくれるようになりました。 ご飯の前にはテーブルを拭く。 ご飯を食べたら、お皿を流しへ。 遊んだおもちゃはおもちゃ箱へ。 車での助手席で、CDをケースに入れる。 (でも、気が向かない時はしません♪) ようやく、紙おむつが取れて 毎日パンツで寝るようになりました。 でも、毎朝のように 「出ちゃった...」と言って悲しそうな顔をします。 「いいよ、いいよ」と母が慰めながら 毎日、シーツと掛け布団を洗います。 (でも、ベッドには防水シートが敷いてあるから大丈夫♪ そして、毎日、猛暑ですぐに乾くから大丈夫♪) こんな息子の最近の言葉と行動に思わず笑って、唸ったものがありますのでご紹介します。***息子は自分でトイレに行って、オシッコをしたり、ウンコをしたり することができるようになりました。 でも、ウンコの後のおしりふきには母を呼びます。 「ちゃあちゃん」 ↑ これは、「かあさん」のことですが、なかなか変わりません。 「おわった~」 母がおしりを拭いてあげると 息子は、うんこに向かって 「ごちそうさまでした」 と言います。母「なんで、ごちそうさまやの?」 息子「ウンコはおしりのえさやから」最初は、訳が分からない感じでしたが 母が突っ込んで、いろいろ聞いたところ 「お腹がおいしい、おいしい、ってご飯食べたから うんこがでてきてん せやから、ごちそうさまやねん」 私は、いつもウンコが出たら 「あ~、今日もすっきり、ウンコが出てくれた。 ありがとう」 と感謝してました。 でも、息子のような 「ごちそうさま」という発想は出てきませんでした。 でも 普通は、口から食べて「ごちそうさま」だけど 本当は、からだが栄養を吸収してはじめて 「ごちそうさま」かも知れませんね。 良いウンコが出て、 食べ物さんに「ごちそうさま!」◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ちょっと、うんこに「ごちそうさま」なんてやばいかなって思いましたが、ひいすさんに取り上げて頂きました。この場を借りて、改めて感謝いたします。ひすいこたろうさん、大好きで~す
2007年09月03日
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先程、書きかけていた楽天日記がすべて消えてしまいました相当時間がかかっていたので腹が立つやら、情けないやらで、カミさんに愚痴りました。すると、「いったい、何を伝えてくれてるのやろね~」という返事。全くもって、その通り、と思い気分を取り直して、以前、友人のまるさんに教えてもらったようにフリーソフトの日記帳にまず日記を書いてから楽天やmixiに貼り付けることにした。そして、やり直したのが今日の日記です。このお馬さん、8年前にスウェーデンで買ってきたものです。ダーラナホースというそうです。ダーラナ地方で作られるお人形で400年の歴史があり、今では、スウェーデン土産の代表格です。スウェーデンでは、馬は幸せを運んでくれる動物だそうです。 詳しくはこちらを→ http://www.aterior.com/sweden.htm実は、子馬さんもいたのですが、子どもが1歳前後のなんでもお触りざかりにどこかへ消えてしまって以来、会っていません。このブログを機会にどこからか出てきてまた会えたらいいなさて、8年前に何のためにスウェーデンに行ったのかというと、知的障害を持つ人たちの活動を学ぶためでした。ストックホルムに次ぐ、第2の都市イェテボリ(ヨーテボリ)に「グルンデン協会」という団体があります。ここでは、知的障害を持つ当事者の方たちが法人組織の理事長や理事を務めています。作業所のような場所だけではなく自分たちがどんな仕事をしたいのか意見を出しあい、喫茶店、犬の保育園、ラジオ局(メディア)など多様な生活・就労の場がありました。私が9年間働いていた、東大阪にある知的障害を持つ人たちが通う「パンジー」という施設では、当事者の自立生活と自己決定を支援しています。 「ピープルファースト」=私たちは障害者である前に人間だという知的障害者の運動を日本でも広げてきました。でもまだまだ、当事者主体の運営になっていないという課題があり、他の団体の方と一緒にグルンデン協会の視察旅行に行ったのでした。もちろん、職員(支援者)だけでなくパンジーの当事者の人たちと一緒です。グルンデン協会の当事者の姿や活動を見てきたパンジーの当事者の人たちは「かっこいい。僕もやってみたい」と言いました。そして、パンジーをかえる、日本をかえるという意味で作った「かえる会」でどんどんいろんな話が進んでいきました。当事者の気持ちは「職員だけで決めるな!」ということでした。それから、いんろん改革が進められました。施設の運営、職員の採用、お金の流れなど重要なことは、すべて「かえる会」の承認を得るようになりました。「こんな難しいことは分からない」と決め付けるのではなく、当事者の人に分かりやすく説明し当事者の人が選択や決定をしやすい支援を行なうことが支援者の仕事であること改めて学びました。とても面白い取り組みとして職員面接があります。当事者リーダー数人の前で、職員が一人ひとり呼び出され面接を受けことになりました。当事者から「働いていて、どんなときが楽しい?」「どんなときがしんどい?」「当事者の活動をどう思ってる?」という質問が投げかけられます。さすがに職員は緊張します。そして、自分なりに一生懸命答えます。この場においては、職員-利用者という関係から雇用者-被雇用者という立場の逆転が行なわれます。その緊張感の中から当事者は職員の実態を知り職員は当事者主体の意味を考え相互理解が進んでいきます。スウェーデンに一緒に行った当事者の人たちは法人の理事として活躍しています。私は、退職後も法人の役員として関わらせていただいています。パンジーの当事者の活動が日本中に広まり、障害のある人もない人も誰もが自分らしく生きることができる社会になればと願っています。社会福祉法人 創思苑・クリエイティブハウス「パンジー」のことは、こちら。→ http://soshien.com/みんなで応援してくださいね
2007年08月29日
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今日も引き続きの猛暑ちょっとでも涼しい気分を味わってもらうためにいつもお世話になっている富士五湖住人さん→ http://fujigoko.sblo.jp/ から冬の富士山の写真をお借りしました。さて、今日は私にとって、パートナーとの関係を振り返る必要がある日のようです。そこで、カリール・ジブラン「預言者」(ポケット版)至光社刊より「結婚」についての部分を引用します。 「あなたがた二人は一緒に生まれた。 それで、いつまでも一緒なのです。 共に過ごした月日を死の白い翼が散らしても、 あなたがたは一緒なのです。 まことに、神の静かな追憶のうちでさえも、 あなたがた二人は一緒なのです。 しかし、それほど一緒の二人のあいだにも、 自由な空間を置きなさい。 愛し合っていなさい。しかし、愛が足枷にならないように。 むしろ、二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、動く波があるよう。 おたがいの杯を満たし合いなさい。 しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。 おたがいにパンを分け合いなさい。 しかし、同じひとつの塊を食べないように。 一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。 しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。 ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、 同じ楽の音を奏でるように。 おたがいに心を与え合いなさい。 しかし、自分をあずけきってしまわないように。 なぜなら、心というものは、あの生命の手だけがつかむもの。 一緒に立っていなさい。 しかし、近づき過ぎないように。 なぜなら、神殿の柱はそれぞれ離れて立ち、 樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。」 (佐久間 彪 訳) カリール・ジブランは「子ども」の詩でそうでしたが 「魂の独立性」「魂の尊重」ということを主題にしているように感じます。 このことと、結びつくかどうか分かりませんが 岡部明美さんはコラムで次のように述べています。 「生きることは、依存期、自立期を経て、相互依存期(相互補完関係・互恵)を 学ぶプロセスでもあるし、自我の確立から、自我を超えた世界に進んでいく プロセスでもある。 そして、それは、自然、宇宙と同期(シンク)して生きていく生き方を学ぶ プロセスでもあるのだろう」 (SQLife http://blog.sq-life.jp/okabe/ より引用) じっくり感じ、考えてみたい言葉です お知らせ 私のパートナーも、彼女のジュエリーの魅せられました。 ↓ 福岡でジュエリーセラピストをしているマキ姉さんが 9/7(金)8(土)9(日) 東京銀座にて、展示会を行います。 詳細はこちら http://homepage3.nifty.com/poh-pohlly/jewelrytherapy%20tenjikaitokyo.htm
2007年08月21日
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昨日まで、夏休み気分が抜けず、ブログもお休みしてました。今日から再開しますさて、この猫をご存知ですか?今日の朝日新聞の科学欄に「天使?死に神?ベッドに上ると数時間後に患者死亡米の『最期予言する猫』話題」という見出しの記事が掲載されました。その記事によると(以下、要約引用)この猫はオスカーという名前で2歳の雄猫。米ロードアイランド州の病院の3階をすみかにしており、日によっては突然、患者のベッドに上がり込み、鼻やのどを鳴らした後そのまま丸くなって居ついてしまうことがある。すると、その患者は必ず数時間後に亡くなるという。オスカーはこの方法でこれまでに25人以上の患者の最期を「予言」。地元のホスピス団体から表彰され、記念碑もあるという。ドーザ准教授は「予言のおかげで、最期に立ち会えた家族も多い。オスカーは温かく見守られています」(引用ここまで)私がこの記事を気に入ったのは「天使?死に神?」という言葉も入っていますがこのような人の死を感じ取れる鋭敏さを肯定的に捉えてオスカーを温かく見守っているというところです。天使かどうかは分かりませんが決して死に神ではないと思います。以前に書いたように、私の義理の祖母も病院で亡くなりました。大勢の家族・親類が見守る中で、あちらの世界に行くその瞬間を見せてくれました。残される私たちにとっても、こんなに大切な瞬間はありません。オスカーの活躍で、この瞬間に立ち会える家族たちの喜びはどれほどのものでしょう。人が生まれてくる時は、本人は泣きながら、家族は喜びに満ちてやってくる。人が死んでいく時は、本人は笑いながら、家族は悲しみに涙しながら去っていく。誰かに教えてもらったこの台詞、素敵だと思います。
2007年08月20日
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昨日は、快晴の空の下ひらかたパークのプール「ザ・ブーン」に行って来ました。宣伝ではないのですが、「朝日友の会」に、年会費1000円程度で入会すると「朝日メイト」というカードがもらえます。このカードがあると、いろんな公園・美術館の入園料が無料や割引になります。(他の新聞社でもあるのかな?)ひらかたパークの入園料は家族も含めて無料になるのでプール代金ひとり500円で入れました。車で行ったので(駐車場代1500円は惜しいけど)水着を着たまま車に乗り込み、到着したら、そのまますぐプールへ。これが楽でいいんですよねプールの中は、人…人…人…とにかく座るところがないくらいの多さ。それでも、プールサイドになんとか空間を見つけさっと、シートで場所とりして、まずは腹ごしらえからさあ、人だらのプールへ。泳げるようになったことを元気いっぱいに教えてくれる息子。人と人の間にできた、わずかな空間を見つけて思い切りジャブ~ンと泳ぎます。本当に、水が全然怖くなくなったようで水の中で回転したり、背泳ぎをしたりと両親を驚かせっぱなししっかり、4時間楽しんで、さあ、帰ろう!シャーワールームに列ができていたので、もういいや、とシャーワーなしで水着を拭いて、Tシャツを着てそのまま帰ることに。(これで、大人2人ロッカー代800円+温水シャワー100円節約しました)母の着替えを待ちながら階段の上から、今しがた出てきたプールを見ていて、息子が「あっ!あのごろごろ転がるところ行きたかった!」見ると、そこは行く前にチェックしていた子ども用の滑り台。小さい子が、水の流れる滑り台で頭からごろごろと落ちています。泳ぐことに夢中で、すっかり滑り台の存在を忘れていました。父:「今度行こな」息子:「今度って、いつ?」「あした?」というお決まりの会話を交わし「うん、そうやね」と適当に誤魔化しつつ、その場を切り抜けました。(でも、息子はしっかり覚えていて、今日もプールに行こうと…)息子は帰りの車で、コンビニで買った甘いワッフルを食べたら「即寝」。最高に幸せプールの様子は、ビデオに撮ってばあぁばやじぃじにも見せてあげました
2007年08月13日
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昨日は、私の45歳の誕生日でした。お祝いのメールくださった方々、ありがとうございます我が家でも、連れ合いと息子がお祝いしてくれました。左側が、5歳の息子が書いてくれた「とうちゃん」です。右側は、連れ合いが買ってくれたケーキです。わたしたち夫婦は、結婚して9年間、お互いの誕生日には必ず手紙を渡してきました。日頃は、ちょっとしたことで喧嘩や気まずい関係になったりすることもありますが、一年に一回は、今、パートナーのことをどう思っているのかどう感じているのかを文章にして相手に渡します。そして、その度にパートナーとして歩んできた道を振り返るとあらためて、現在の自分たちの状況に深い感謝の想いが湧いてきます。「あなたがいたから、今のわたしがいる」この一言に尽きます。私の今年の目標は「Larghetto-ラルゲット-が軌道にのり、家族と幸せな時間を楽しむこと」です。そして、15年計画を立てようと思います。15年後は60歳です。今の息子は20歳です。なにものも恐れず、流れのまま自分の使命を果たしたいと思います
2007年08月11日
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昨日、韓国から来ている劇団「シンミョン」のマダン劇を見てきました。上の左側の写真は、まだ会場設営の途中に写した写真です。右側の字は韓国語で「マダンの光」※マダンというのは、「広場」「庭」という意味ですが、「状況」というような意味もあるそうです。左側の字は「立ち上がる人々」という意味で、今回のお芝居のテーマです。右の写真は、今回の公演のチラシです。1980年5月、韓国では、権力内クーデターにより朴正煕大統領が射殺され、光州市では、市民による民主化の闘いが拡がります。しかし、政権についた全斗煥大統領は国軍をもってこの闘いを鎮圧しようとしました。光州の市民たちは道庁に集まり、銃で武装して国軍と最後まで闘いますが、圧倒的な軍事力の前に大勢の市民軍が殺されました。この闘いを「光州(クァンジュ)民衆化抗争(闘争)」と呼びます。私が大学に入学したのは、この闘いの翌年でした。入学したての私にはよく分かりませんでしたが「光州民主化闘争1周年連帯」と書かれたビラや立て看板を見て隣の韓国では、人々が自由のために命を賭けて闘ったんだ、とすごい衝撃を受けたことを今でも覚えています。「日本人である自分に、一体何ができるのか」当時の私には、この問いがとてもリアルで切実な問いでした。自分自身の生きる意味を探していたからかも知れません。そして私は、日本の学生運動・社会変革の闘いの中に身を投じることで、自分なりの連帯の行動をしたいと思いました。日本の学生運動は、もうほとんど終焉しており私のような学生は極めて少数派でしたが韓国では、ここからの数年間が大きな時代の変革期になり、87年民主化宣言、88年ソウルオリンピックなど民主化闘争が最高潮に達し、近代化が一挙に進んでいきます。私が、所属していた運動の過激さや組織の独善性をどこかで感じていながらも、信念を貫いて闘うことを選んだのは韓国の民衆の命がけの闘いがあったからだと思います。「のうのうと生きてちゃいけないんだ!」と強く思っていました。 ↑ この表現自体がなんと傲慢なことか…。 人間だれしも精一杯生きているのだから…。 しかし、その後の時代の流れの中で、日本の運動も韓国の運動も様々な困難を抱えながら進んでいかざるを得なかったと思います。こうやって、もう20年以上前のことを思い出したのはきのう観た、シンミョンの「マダン劇」がこの光州の5月の闘いにいのちを賭けそして、散っていった人々の魂を引き継ぎ、今に再現していたからです。「マダン劇」は、野外に円形のかたちに観客が座り、楽師たちが目の前で音楽を奏で、俳優たちが登場します。俳優たちの汗とつばが飛び散り、時に観客と会話を交わしながら観客と俳優たちが一体となってお芝居が進んでいきます。日常の猥雑な生活、性と生のエネルギーや銃を取り、戒厳軍と闘う時のすさまじい緊張感や敵の銃弾に倒れた息子の姿に号泣するアボジ・オモニの悲しみと怒りなどを見事な踊りと伝統音楽で表現していました。私がその中でも最も感動したのは銃弾に斃れた死者たちの魂が、アボジ・オモニの弔いの儀式の中で現在に甦り、生き生きと激しく太鼓を打ち鳴らすラストシーンでした。こうやって歴史は継承され、死者の魂はいつでも復活するものだと熱いものがこみ上げてきました。現在の私は、政治や社会変革の運動からは離れて自分らしい生き方の中から、人々とつながりそれが新しい社会の創造につながればいいなと思っているのですが、連綿とつながる運動の歴史の中に身をおきながら闘いを継続している人たちとの新たな出会いがあるのかもしれないと感じました。今回、私にシンミョンの公演のことを教えてさった私の韓国・朝鮮語の先生であり劇団「タルオルム」の代表・金民樹さんにお礼を申し上げます 劇団タルオルムのHPは ↓ http://www.office-wink.com/tal-orum/index.htmlタルオルムのお芝居もすごいですよ。第3回公演「ライン」12月上演決定です。是非ご覧下さい。マダン劇・シンミョンのことは ↓ http://madang07.jpn.org/contents/
2007年08月10日
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今日も富士五湖住人さんの写真を使わせていただきました。こちらのブログです。→ http://fujigoko.sblo.jp/ところで、富士山と言えば、この方です。ロッキー田中さんです。是非HPをご覧下さい。→ http://www.rocky-fuji.com/私は、ひすいこたろうさんに、ロッキー田中さんのことを教えていただきました。今日は、そのひすいこたろうさんの話題です。ひすいさんの超人気メルマガ「3秒でHappy? 名言セラピーby天才コピーライター」の本日号に【新連載「大人のお呪い」】というタイトルで心理療法家・鈴木健二さんとの新プロジェクトが発表されています。 → http://blog.mag2.com/m/log/0000145862/鈴木健二さんと言えば、私の先生である矢野惣一さんのセラピスト養成講座を受講した時アシスタントとして活躍されていた方です。自ら、ADD(注意欠陥障害)であることをカミングアウトされADHD(注意欠陥多動性障害)やアスペルガー症候群、学習障害などと呼ばれる方たちの援助をされています。鈴木さんのHPはこちらから→ http://www.happygenius.jp/shiawase276/index.html今日から始まった「大人の呪い」は心理学で言えば自己暗示文のことなのですが、そのことを鈴木さんがとても明快に説明されているので、上記の「名言セラピー」から引用させていただきます。ここから引用です。 ◎素敵な彼氏(彼女)ができやすくなる魔法のお呪い +++++++++++++++++++++++++++ 「気持ちよく散歩すると、理想の彼氏(彼女)がやって来る」+++++++++++++++++++++++++++この文章の中に彼氏(彼女)ができやすくなるよう潜在意識が働きだしてくれる「構造」が隠されてます。では、このおまじないの心理学的メカニズムを明かします。鈴木先生どうぞ!~~~~~鈴木です。これは、潜在意識(よっちゃん風に言えば「潜ちゃん」)を上手に利用しています。簡単に言っちゃうと、潜在意識は、"まぎれもない事実"に続けて "得たい結果"を言うと、 "得たい結果も事実"だと受け止めてしまうのです。この場合の"まぎれもない事実"は、「気持ちよく散歩をする」という部分です。そして、"得たい結果"は、「理想の彼氏(彼女)がやってくる」という部分です。では、なぜいとも簡単に、"得たい結果"を"事実"だと受け止めてしまうのでしょう?これは、日本語の規則性に関係があります。私たちは「○○すると△△になる」という言葉をごく自然に使いますよね。例えば、「ご飯を食べ過ぎると、お腹が苦しくなる」←当たり前ですね(^^;)「好きな人を思い浮かべると、胸が暖かくなる」←うらやましい(笑)これらは、"まぎれもない事実"と、それによって得られる"当たり前の結果"という文章です。"まぎれもない事実"の後に続く言葉は、"当たり前の結果"・・・。潜在意識は、こういう規則性にとっても素直な反応をします。ですから、"まぎれもない事実"の後に、全然当たり前でない"得たい結果"を言ったとしても、潜在意識は、それすらも"当たり前の結果"として受け入れてくれるのです。さらに、今回のおまじないには、カラクリがあります。それは、"まぎれもない事実"と"得たい結果"に微妙な関連性を持たせているのです。ではもう一度、「気持ちよく散歩すると、理想の彼氏(彼女)がやって来る」というおまじないを見てみましょう。この言葉は一見すると、前後の言葉には全く関連性が無いように思えます。しかし、よ~く見ると微妙に関連性があるのです。その説明の前にまず、あなたがが散歩をしている時のことを思い出してみてください。散歩をしている時って、目の前の風景が次々に変わりますね?つまり散歩をすると、風景が自分の方に"やってくる"のです。そうです。"散歩をする"と"やってくる"のです!つまり、今回のおまじないは、「散歩」と「やってくる」が関連しているのです☆さて、潜在意識が素直に受け入れてくれるっていうことはわかりましたか?潜在意識が素直に言葉を受け入れると、あなたの心のブロックが外れます。心のブロックとは、「私に、理想の彼氏(彼女)なんてできっこない!」という思い込みです。この思い込みが外れると、↓あなた自身の在り方が変わります!「私は、理想の彼氏(彼女)ができる人なんだっ☆彡」すると、あなたの言動が以前と変わり、異性に対する印象も変わってゆきます☆彡だから、彼氏(彼女)ができちゃうのです☆彡そして、これが「大人のお呪い」の効果なのです☆彡では、あなただけのお呪いも作ってみましょう。 大人のお呪いの作り方講座 ★子供にも効果バッチリの「大人のおまじない」を作ろう★ 今回の「大人のおまじない」を作る上で、大切なポイントは4つだけ!!1."まぎれもない事実"+"接続詞"+"得たい結果"という文章にする。2."まぎれもない事実"と"得たい結果"は微妙な関連性を持たせる。3.否定語を使わない(例:「緊張しなくなる」ではなく「リラックスする」)4.言葉を繰り返せば、繰り返すほど効果が高くなるので、使う機会が多いものを!では、今日の最後に鈴木からもうひとつお呪いをプレゼントします☆彡 ◎幸せになるための大人のお呪い ++++++++++++++++++++++++++++++ 「海を見ていると、幸せが満ちてくる」++++++++++++++++++++++++++++++ ↑「海」と「満ちてくる」が関連性があるんですね。 特に干潮から満潮にかけての満ち潮が効果的!! 引き潮の時に言っちゃダメですよ(笑) 【お話】鈴木健二先生 http://www.happygenius.jp/shiawase276/以上、引用おわりです。どうですか?すごい分かりやすいでしょ。私もワークショップで「自己暗示文」を作ろう!という内容を入れました。それにしても「海を見ていると、幸せが満ちてくる」いいですね~
2007年08月09日
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ものすごく美しい写真でしょ。ブログに載せる写真を探していたら富士五湖住人さんのこんなブログに辿り着きました。写真をつかせていただきたいと申し出たら快く許可してくださいました。ありがとうございます これからちょくちょく使わせていただきます → こちらのブログです。http://fujigoko.sblo.jp/ ★★おすすめのセミナーのお知らせ★★わたしが心理療法を学んだ矢野惣一先生と同じ講座の仲間である あづまやすし さん が、【幸せな恋愛と結婚】のためのセミナーをやります。このセミナーDVDにするそうです。この二人が、DVDにするほど自信があるって、どんだけスゴイんだろ!?しかも、無料のメールセミナーまで申し込めちゃうんですって。↓ ↓ ↓*********************************** 男と女の愛と絆 ~コミュニケーションテクニックから愛を育てる潜在意識の使い方まで~ 日時:8月25日日曜日 午後1時40分~午後3時10分場所:渋谷シダックスホール(渋谷駅 徒歩6分) ↓ 恋愛成功無料メールセミナー ↓ http://www.556health.com/archives/2007/07/post_218.html ----------------------------------------------------------------------今日、たまたま読売テレビの「ミヤネ屋」見ていたらエンパワメント・センターを主宰する森田ゆりさんがゲスト・コメンテーターとして出演されていて、びっくりしました。このブログを書く前に、HPで確認したところ今年の5月頃から月に2~3回のペースで出演されておられるとのこと。本日は、「性教育」の話題で、コメントされていました。 先日は、テレビ朝日の朝の番組のコメンテーターとして落合恵子さんが出演されているのを見て、驚きました。 そのずーっと前には、石田衣良さんが読売テレビの「ザ・ワイド」に常連的にコメンテーターとして出演されていて、録画したこともありました。森田ゆりさん、落合恵子さん、石田衣良さん私が尊敬している方たちが、「ワイドショー」のコメンテーターとして出演されているのを見ると、なんとなく落ち着きません。番組の「狙い」「枠組み」はまってしまうのではないかとドキドキしたり、短い時間で、明快にコメントできるのだろうかとハラハラしたり私の(勝ってに作り上げた)イメージが壊れてしまうじゃないかとちょっとイライラしたりしてしまうのです。そもそも、ワイドショーのコメンテーターというのは、何者なのでしょうか。特に、朝日テレビの「ムーブ」などで鋭いコメントをされている宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さん、橋下徹さんたちを見ているとなんとなく、こころがざわざわします。おっしゃってることの多くに賛同したり、共感したりすることもあるのですが最近の自信満々の態度、得意げな態度を見ると「何でもズバスバ斬って、本当にいいの?」と思ってしまいます。だから、大好きで尊敬する石田衣良さん、落合恵子さん、森田ゆりさんにはTV慣れしてほしくないなぁという気持ちが湧いてきます。もちろん、様々な問題に優しくて鋭い感性で、的確なコメントされることが社会に与える影響も大きいのだろうと思いますが極々短時間で、本当にみなさんの素晴らしいが伝わるのか心配です。と、一体自分でも、何がいいたいのか少々混乱しておりますが冒頭の富士山のような泰然として、凛とした雰囲気をお持ちの石田衣良さん、落合恵子さん、森田ゆりさんの大ファンです ★★おすすめのセミナーのお知らせ2★★わたしも受講して人生が変わったセミナーです。このセミナーで苦しかった問題が解決し自分の人生を自分で決める決断ができました。そして、素敵な人々との出会いまでプレゼントしてもらいました。 ↓ ↓ ↓************************************************** 問題解決セラピスト養成講座 2007年9月生 募集中 東京(土日コース)/新大阪(土日コース) 問題解決セラピスト養成講座 2007年10月生 募集中 東京(水曜日コース) http://www.counseling-school.jp/ 悪くなった原因を探ったり、問題を分析したりするのではなく、 問題を解決する方法、 変化する方法、 人間的に成長する方法、 あなたらしく幸せになる方法に特化した心理療法のセミナーです。
2007年08月08日
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ちょっと遅い報告なりましたが、8月4日 グループ・くりあ主催の「岡部明美さん講演会」に参加しました。友人のまる♪♪♪さん(http://plaza.rakuten.co.jp/marunaotta/)のマイミクさんである、グループ・くりあの山口加代子さんに、この様な場を提供していただいたことを心より感謝します。岡部さんのことは、こちらをご覧下さい。→ 公式ホームページ アテナース http://anatase.net/→ 素敵なコラム http://blog.sq-life.jp/okabe/8月4日と言えば、私が主催したワークショップの前日です。準備で忙しいのに、どうしても岡部さんの講演会に行きたくて京都まで行きました。そしたら、素敵なことがたくさん起きました。まずは、新大阪駅に行く地下鉄の中で4人組の韓国人旅行者と思われる方々が地図を広げてお話しています。「あ~韓国の人だな。ちょっとお話したいな」と思いつつ、自分のセミナーの準備のために本を読んでいました。すると、その中のリーダーの方が、私に質問してきたのです。「新大阪駅はどごて降りたらいいですか?」と。私は、嬉しくてすぐに韓国語で答えました。驚いた旅行者の人たちに、韓国で半年語学留学して覚えたことを伝えリーダーの方といろいろと韓国語で話しました。彼らは翌日、東京行きの新幹線に乗るため切符を買いに行くところでした。私も新大阪で乗り換えて、京都駅に行くところだったので、一緒に切符売り場と新幹線の乗り口まで案内しました。リーダーの人は、ソウルに近い都市で、四国からくる日本人学生のホームステイを受け入れる仕事をしている方でした。別れ際に名刺をいただき、今度韓国に来るときには是非遊びに来てと言ってくださいました。本当に、家族で遊びに行こうと思いました。素敵な出会いでした。さて、会場に入ると、凛とした空気で自分の身体が包まれたような気がしました。入場者の半数以上の方はガンの患者さんや快復された方たちです。初めてお会いする岡部さんは、自然体の優しさと包容力が漂い美しく輝いていました。私は、すぐに岡部さんの話に引き込まれ、ノートいっぱいメモを取っていました。素晴らしいお話ばかりでしたが命を使うと書いて「使命」自分の命をどう使うか、自分がどう輝くかを知ってるのは自分だけ私にはこの言葉がつよく心に残りました。そして、驚いたのは、ハコミセラピーで私と岡部さんは繋がっていたことでした。講演の後、自己紹介とハコミのことなどを少しだけお話できでとても嬉しかったです現在、セラピストとしてご活躍の岡部さん。私も岡部さんのような優しいオーラに溢れ、みなさんに勇気と自信を取り戻す援助を続けられるセラピストになりたいと思います
2007年08月07日
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ワークショップの準備やら本番やらで、日記がかけませんでした前回の「教室の悪魔」の日記を恭史7777さんがとりあげてくれました。ありがとうございます。→ http://plaza.rakuten.co.jp/tyamashi/今日は、そのつづきです。『第4章「いじめ」を解決するための実践ルール親にできること、すべきこと、してはならないこと』の二つめ◎いじめをなくす、という根本解決の視点です。ここでは、次のことが重要な点として書かれています。●学校との話し合いは、校長、副校長に同席してもらう。→いじめというのは、担任個人、ひとりの教師が解決できる問題ではない。●話し合いは「相談」ではなく、事実を伝える場→事実は被害者のみが知っている。学校に調査をしてもらう必要はない。 親は「いじめがあったという事実を伝えにきた」という立場をとる。●いじめの解決と責任追及は別々に行なう→責任追及を始めてしまえば、学校と親は敵対関係になってしまい 解決にむけての建設的な話し合いはできなくなる。●解決を学校に委ねない→いじめの問題は学校だけでは解決できない。 学校と親、保護者全体で取り組んでいくべき問題である。●加害者に伝える→現代のいじめの加害者は特定個人ではなく、被害者以外は全員加害者。 しかし、中心的人物が存在するならば、その加害者・加害者の親、被害者の親 で話し合いを持つことは必要。 重要なのは親同士で直接話し合わないこと。学校という場で、校長、担任、その他 複数の教師とで話し合いを持つ。●クラス全体への周知→加害者にいじめの事実を伝えならば、タイムラグをおかずに、 クラス全体に事実を伝える必要がある。 「学校としていじめの事実はあったと判断している。被害者以外は、程度の差はあれ 全員が何らかの形でいじめに関与、加担したと考えている。今後は被害者が安心して 登校できるよう、いじめの問題に取り組むと同時に、次の被害者が出ないように 学校と保護者全体で取り組んでいく」ということを伝える。●学校全体への周知→いじめが発覚したクラス全体に知らせるだけでなく、学校全体の親と子どもに 周知することも必要。●いじめ再発防止への取り組み→起こっていたいじめの問題が解決しても安心してはいけない。 いじめは循環し、繰り返される。再発防止への取り組みも重要。 「いじめをなくす委員会」のようなものを立ち上げ、中心的加害者が その委員になるのも、ひとつの方法。●転校という手段→被害者は転校を選択するのもひとつの手段。 しかし、転校を選択するのではあれば、学校にいじめ根絶に取り組んで もらう要求はできなくなる。 加えて、子どもにとっていじめは強烈な外傷体験であり、心のケアが必要だが 転校するなら、いじめ集団による外傷記録を修正できない。 もし、いじめが解決されて再度登校できれば、それ自体が治療的な意味を持つが 転校してしまえば、いじめ被害はこころに残り続ける。 最後の章には「いじめに気づくチェックリスト」が載っています。□ 最近、よくものをなくすようになった□ 学校のノートや教科書を見せたがらない□ 親の前で宿題をやろうとしない□ お金の要求が増えた。あるいは親の財布からお金を持ち出す□ 学校行事にこないで欲しいと言う□ すぐに自分の非を認め、謝るようになった□ 学校のプリント、連絡帳などを出さなくなった□ ぼーっとしていることが増えた。何もしていない時間が多い□ 無理に明るく振舞っているように見える□ 学校のことを尋ねると「別に」「ふつう」など、具体的に答えない□ 学校のことを詳しく具体的に聞こうとすると、怒る□ 話題に友達の名前が出てこない□ 学校に関する愚痴や不満を言わない□ 保護者会、個人面談で何を話したかを過剰に気にする□ 寝つきが悪い。悪夢を見ているようで夜中に起きる□ 倦怠感、疲労、意欲の低下□ 原因不明の頭痛、腹痛、吐き気、食欲低下、痩せなどの身体症状□ 何に対しても投げやり□ 以前は夢中で楽しんでいたゲームなどをあまりやらなくなった□ 理由のないイライラ□ ちょっとした音に敏感になった□ 身体を見せたがらない。一緒に入浴したがらない□ 衣服、制服、靴などを、親の知らないところで自分で洗う□ 友人からの電話に「どきっ」とした様子を見せる□ 急に今までと違う子とつきあうようになった(不自然な友人関係)□ 以前では考えられないような非行行動の出現(万引きなど)□ 外に出たがらない。外に出た時に周囲を気にしている□ 金遣いが荒くなった□ 成績の低下□ もの忘れがひどくなった□ 自傷行為(リストカットなど)□ 「死」をほのめかすようなメモ、日記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━私の姪に小学校6年生の女の子がいます。この「教室の悪魔」の話をしたら「わたしやったら、ぜったいやりかえしてやる!」と鼻息荒く、答えてくれました。母子家庭で育った彼女には、これまでにも悔しいこと、苦しいことがいっぱいあったのだと思います。こんなところで、負けてなんていられない、という切迫した気持ちがあるのかも知れません。以前に紹介した、ひいお祖母ちゃんのお葬式のときにとても優しくて温かい手紙を書いた彼女は「人を刃物のように傷つけるいじめ」を十分に実感してるからこそ「やりかえしてやる!」という激しい言葉が出たのだと思います。彼女が本当に苦しくて苦しくて、誰かに助けて欲しい時自然に、そばにいてあげられれば…と感じています
2007年08月06日
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最初に失敗の報告です。昨夜、ブログを更新していてフォトのアップロードがうまくいかず容量オーバーかなと勝手に判断して、保存していたフォトを全部削除しちゃいました。そしたら、日記に使った写真やプロフィールの写真まですべて「No Image」になってしまいました。よく考えたら、そうなるのは分かるのですが、その時は頭が良く回らず「どうせなら、きれいにしちゃえ」と一気に削除してしまいました。後でページを確認して呆然となりました…。少しだけ、保存し直しましたが、面倒くさいので古い日記などの写真は無いままです。ご勘弁ください。また暇な時に、アップロードします。さて、今日は「教室の悪魔」という本のことを書きます。山脇由貴子 著 ポプラ社 刊東京都の児童相談センターで児童心理士として働く山脇由貴子さんが現在の学校の実態をリアルに記述しています。よく言われるように、いじめは誰もが加害者になり、被害者になります。「クラス全体」対「ターゲットになった1人」という構図で、すさまじいいじめが行なわれます。誰もが、次は自分がターゲットにされるのではないかという恐怖でいじめに加担し、いじめられた子は「いつかターゲットが変わるはず…」という見えない希望にしがみつきながら、その時を待つしかないのです。親や教師といった大人に分からないように巧妙にいじめます。「もしばれたらおまえのせいだからな。その時はわかっているな」「おまえにいじめられる責任があるのだからな」という逆転の構造を作ることでいじめられる子の側も絶対に親や教師に言いません。『第2章大人に見えない残酷な「いじめ」』では具体的なケースが9つ紹介されています。もちろんプラバシー保護の観点から、実際の事例ではなく複数の事例を組み合わせて再構成しているのですが、読んでいて、鳥肌が立つほど残酷です。今の子どもたちがこんな辛い状況の中で生活しているのかと思うと、胸がつまり涙が出そうになりました。・メールで「援交」していると嘘の内容を流す・メールで母親が主婦売春している、家は借金だらけと嘘の内容を流す・突然始まったいじめが、ある日突然終わったと思ったら一日だけ故意に いじめない日を作って遊んでいるだけだった・「いじめられないように遊んでやってる」という名目を作り、毎日お金をせびる・女の子同士で徹底的にいじめる。水泳の時間のあとに下着を隠し、水着の上に 服を着るしかないようにする。その下着を廊下に張り出す。・徹底して「汚い」「臭い」もの扱いし、ゴミ箱のごみを机の中や机の上に捨てる。 給食の中に ゴミやゴキブリを入れる。 自分は本当に汚くて臭いのではないかと思わせ、「自己臭恐怖症」、「醜形恐怖症」 になる子どももいるという。・発覚しない小さな暴力(コンパスで背中を刺すなど)を繰り返す・「あんたさあ、なんで生きてんの?」「いつ死ぬの?」と言われる。・奴隷にされ、万引きや売春を強要されるまさに、行くも地獄、休むも地獄の世界であり、「教室の悪魔」そのものです。『第4章「いじめ」を解決するための実践ルール親にできること、すべきこと、してはならないこと』では明確に以下のことを提示しています。◎被害者を守る、という保護の視点・学校を休ませる・親として子どもに「最も大事なのは子どもの安全」「学校が安全な場所になるまで 学校に行かなくてよい」というメッセージを伝える・子どもをひとりで外出させない・いじめに関して無理に聞き出さない・家の中では明るく、楽しく過ごす・子どもの話をまるごと真実として扱う (いじめに関して「客観的事実」などはない。被害者の「いじめられた事実」と 加害者の「いじめた事実」は永遠にくい違う)・いじめられる側にも原因がある、とは絶対に考えない・いじめに立ち向かわせない。耐えさせない(殺されそうになったら誰でも逃げるもの)・子どもの許可無く、学校に相談に行かない………★………………★………………★………ちょっと書き出したら、相当長くなりそうなので◎いじめをなくす、という根本的解決の視点からは、明日書きます。
2007年08月03日
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久々に早起き(午前3時半)←早すぎるちゅーうの!したので、日の出を撮影しました。素晴らしい陽光でしょ。選べなくて4枚ともアップしちゃいました。 そして、今日は以前に紹介した韓国映画「私たちの幸せな時間」を妻と一緒に見に行きました。 → http://www.shiawasenajikan.jp/なんと、毎週木曜日は1000円デーで、2人で1600円安くなりました。たまたま選んだ日が木曜日、ラッキー映画の感想は…ここからちょっと文体が変わります。 カン・ドンウォン、イ・ナヨンの演技、特に死刑囚を演じたカン・ドンウォンの演技は迫真に迫るものだった。安全で、安心できる家族を喪失した2人にとって、生きることは苦難の連続だった。ユンスは殺人事件で死刑囚となり、ユジョンは3度の自殺未遂をした。「似たもの同士」の2人が巡り合うことで、誰にも言えなかった真実を語ることができ、これからは、死ぬことにではなく、生きることに意味を見出したユンスとユジョン。でも、現実はそんな2人を引き離していく…。この映画では、2人の奇跡の愛を軸にしながら、「家族と孤独」「生と死」「罪と赦し」「死刑と贖罪」という問題が目の前に置かれる。流れる涙が止まらず、ユンスとユジョン、そして周りの人たちの愛に感動し震えた… 私は、心理カウンセラーとして人のこころ、記憶に触れる仕事をしていることについて改めて、「何かわかったつもり」になってはいけないと思いました。たくさんの方に見てもらいたい映画です。孔枝永(コン・ジヨン)の原作を蓮池薫さんが翻訳して、出版されています。こちもオススメです。
2007年08月02日
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7月31日で、私のパートナーは14年4ヶ月勤めた職場(知的障害を持つ人たちが通う施設)を退職しました。私も同じ職場を1年半前に退職しています。そうなんです。私たちは職場恋愛・結婚でした。私のパートナーは、福祉系の4年生大学を出てすぐ、この施設ができる前身の無認可作業所に就職したので通算すると15年以上に勤めていたことになります。退職の決断は、一度しかない人生の「今」を大切にするためのぎりぎりの選択だったと思います。私は、彼女の横にいて、彼女自身が自分の人生を選択することを支え、見守ろうとしてきたつもりですが、いらだったり、怒ったりしてしまったことも、たくさんありました「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」というのは心理学の常識ですが自分自身のことになると、なかなかうまくいきません。ついつい、「もっと○○になってほしい」という自分の想いを押しつけようとしているのに気が付きます。そんな私ですが、退職のお祝いに彼女にお花をプレゼントしようと思いましたカウンセリング・ルームでクライエントさんが帰った後、こんなことを考えていました。保育所に子どもを迎えに行き、帰ってくるパートナーに玄関で、「15年間お疲れ様」と言ってお花を渡そう…でも、それは私の夢想に終わりました仕事の最終日。彼女はやり終えないと帰られない仕事があると連絡してきました。私が慌てて子どもの迎えに行きました。お花を買う時間的余裕もなくなりました。こんな風に「すれ違う」ことがよくあります。こんな時、また「彼女のせい」にしてしまうことも、よくあります。私が本当に彼女の退職をお祝いしたいならいつだって、お花を贈ることはできるのに…。そしたら、なんと今日、綺麗なお花が届きました。彼女の職場の同僚の男性からでした。私も大好きな人です。こころのこもったメッセージも添えられています。「長い間、お疲れ様でした。いつも笑顔で接してくれてありがとう。…感謝を込めて」彼は、自分がしんどい時も、元気な時も彼女が変わらぬ笑顔で接してくれたことに助けられてきたと伝えてくれたそうです。今回のメッセージにもその想いが込められていました。退職のお祝いだけでなく、二人の絆を取り持ってくれたような素敵なプレゼントでした
2007年08月01日
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この写真は、今日の記事とは全然関係ありません。息子と飼っているカブト虫です。写真には写っていませんが、土の中にいるメスのカブト虫をめぐる激しい闘いが連日連夜繰り広げられています。これも、写真には写ってませんが、かわいい小さなクワガタちゃんも、マイペースで生活しています。昨年は、大きな幼虫を途中で死なせてしまったので、今年はなんとしても卵から幼虫、そして、さなぎ→成虫まで育てたいです。(虫ぎらいの方、ごめんなさいね!)こんな素敵な講座が東京で開催されます!↓↓↓↓↓↓↓8/25(土)に渋谷で【恋愛心理学講座】を行います。 【男と女の愛と絆】 ~コミュニケションテクニックから 愛を育てる潜在意識の使い方まで~ http://www.556health.com/archives/2007/07/post_218.html キャンペーンの【無料メール講座】開講中です♪◎私の心理療法の先生・矢野惣一さんと、矢野先生のセラピスト養成講座卒業生の中でも 最も才能にあふれ、成功されている恋愛セラピスト・あづまやすしさんのコラボレーション 講座です。 恋愛のこと、夫婦関係のことなら、まずはあづまさんに聞きましょう! なんと無料メール講座がついているそうなので、是非、セラピストあづまさんの素晴らしさ を体験してみてください。私のワークショップにも来てくださいね!↓↓↓↓↓↓★★★残席まだあります!!★★★--------------------------------------------------------------- 【こんな方々にオススメです!】 ○職場・家族・友人との人間関係・コミュニケーションに悩んでいる方 ○人前で発言したり、意見を発表するのが苦手な方 ○ワークショップが初めての方 ○福祉職場で、利用者の方との関わりに悩んでいる方 【こんなことが得られます!】 ☆様々な心理療法(カウンセリング、NLP、ハコミ、解決志向ブリーフセラピー) のエッセンスを体験できます。 ☆物事のとらえ方、考え方が変わり、ポジィティブ思考で過ごしていけます。 ☆利用者との信頼関係(ラポール)が形成できるようになります。 ☆自分を大切にし、相手も大切にできます。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓----------------------------------------------------- ★ケアする人が元気になるワークショップ★ ~いっぱい感じて、エンパワメントしよう♪~ ※一般の方でも参加できます。----------------------------------------------------- ◆ラポール(信頼関係)を築くワーク ◆コミュニケーション力をアップするワーク ◆自尊感情を育むワーク ◆人に愛を感じ大切にするワーク ◆原因追求より解決志向で取り組むワーク など 日時:2007年8月5日(日)午前10時~午後5時 場所:東大阪市立男女共同参画センター(イコーラム) 近鉄奈良線 若江岩田駅 北側すぐ 希来里施設棟6F 参加費:5000円 定員:10名限定・先着順 もうすぐ締め切りですよ、お早めに♪ 主催:「ケアをする人」のメンタル・サポート Larghetto-ラルゲット-───────────────────────────── お申込みは、お名前、住所、電話番号を明記の上、 →FAX 072-962-9998 →E-mail info@larghetto.jp ※HPからもお申込みできます。 → http://www.larghetto.jp/workshop.php ※心理療法ワークの効果は人によって個人差があります。 上記の全てを保障するものではございません。 予めご了承の上、ご参加下さい。最後は、私も執筆者のひとりである、こんな本が増刷されます。↓↓↓↓↓↓知っていますか?障害者の人権 一問一答 解放出版社 楠敏雄・姜博久編著私は問16知的障害者の地域生活を支援するために何が必要ですか?というところで執筆しています。これまで、執筆者の肩書きが「社会福祉法人創思苑 クリエイティブハウスパンジー施設長」となっていたままだったので増刷本からは今のLarghetto-ラルゲット-代表になります。障害者問題を考えるなら、是非この本から始めてみてください。楠敏雄さんも、姜博久さんの私がよく存知でいる障害当事者の方で、鋭い理論と社会を変える実践で有名です。以上、3つのお知らせでした。よろしくお願いしま~す
2007年07月31日
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これは何だと思いますか?私のカウンセリング・ルームの棚においてあるアフリカで作られた石の置物です。よく見ると、おとうさん、おかあさん子どもたち二人が仲良くつながっている姿です。素朴で、真っ黒なのになんとなく温かい感じがとっても気に入ってます。
2007年07月30日
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7月27日(金)~29日2泊3日のフォーカンシング・ワークショップに初めて参加してきました。フォーカシング(Focusing)というのは、ユージン・ジェンドリンという人が考えた心理療法です。自分にとっての気がかりや問題と向き合う時に、頭で考えるのではなく(思考・論理を優先するのではなく)体の内側に意識をむけ、まだ言葉にならないような「からだの違和感」に気づき、十分に感じることで、その感じが変化(促進)し、気がかりの真の意味、問題の解決などを教えてくれます。フォーカシングは一人でもできますが、安心できる場で、信頼できる聴き手(リスナーとかガイドと呼びます。心理療法ではカウンセラー、セラピスト)がいることで、上に書いたようなプロセスが進みやすくなります。私は、3日間のワークショップで、とてもたくさんの出会い(他者と自分自身の両方)と学びがありました。この場を借りて、改めて素晴らしいワークショップの場を提供してくださったスタッフの皆様に感謝いたしますまた、自宅から車での20分ほどの場所が会場であり、そこにわざわざ2泊もすることを怒りもせず、快く送り出してくれたパートナーに感謝していますこのワークショップでは、20数年の歴史の中で、「出店方式」という面白いやり方が定着してきたそうです。出店方式というのは、担当スタッフ7~8人の方々が、参加者全体に対してそれぞれ趣向を凝らしたワークショップの内容を発表します。担当者は、あらかじめ内容を考えている場合もあれば、その場の雰囲気でひらめくときもあります。その発表を聞いて、参加者は毎回、行きたいワークショップを選び、そこに参加するのです。この2時間のセッションが5回あります。私は、この方式がとても気に入り、毎回わくわくしました。そして、どのワークショップに出るかは、頭で考えすぎずに直感で選ぶことにしたのです。すると、1回目から、「大当たり」という感じでした。素晴らしい体験をしました。結局、すへでのセッションで、ここを選んでよかったという満足感を得ました。実は、私は、4回目のセッションで、あまりにもたくさんのことを学べたのですっかり「お腹いっぱい」になり、もうこれ以上何もいれなくてもいい」というからだの感じに気づきました。5万円分のもとを取ろうと、いつもノートを持ち歩き、こまめにメモをしていた私でしたが、そのような「執着」はすっかり手放し夜7時からの5回目のセッションはさぼり、一人で温泉にゆっくり入り、談話会にも出ず誰よりも先に寝かせてもらいました。お陰で、最終日の朝もすっきり目覚めることができました今日のブログで、3日間の私の感想をすべて書ききることは、とてもでないので、最も印象的な第4セッションのことを書きます。関西大学の池見陽先生がリスナーになり、参加者の中から、フォーカサー(自分の問題に取り組むために、フォーカシングをする人)を募集し、みんなの前でデモンストレーション(略称デモ)をすることになりました。10数人の参加者が、少し沈黙した後、私は手をあげました。このセッションに出ようと決めたときには、自分がフォーカサーになろう、今抱えているこの問題をなんとか解決したい、というような気持ちは特にありませんでした。池見先生のリスナーを見て、学びたいと思っていただけでした。では、何故、手をあげてデモをすることになったのか…。それは、その時に、不意に自分がこの場でみんなの前でやることが、何かいい流れの中に身をおくことではないか、という感じが湧いたからです。このことは、また後で述べます。また、それと池見先生のリスニングを以前にも見たことがあり、自分の求めているものとピッタリくる感じがしていたからかも知れません。池見先生のスタイルは、とても砕けた、打ち解けた雰囲気の中、フォーカサーの言葉やからだの感じを優しく受けとめながら池見先生ご自身が自分のからだに取り入れその感じやイメージを確認しながら、進めていきます。池見先生がしっくりと感じられない言葉やイメージについては、もう一度フォーカサーに投げ返されます。フォーカサーは再度、自分の感じをより正確に伝えようとする動きの中で新しい展開に進むことがよく起こります。そのやり取りは、見ていてとても自然で、深いやりとりです。大きな信頼と安心感、そして包容力を感じさせてくれました。ですから、自分が手をあげて、みんなの前でデモをすることになってもさほど緊張することも無く、自然体で臨むことができました。池見先生のいつものやり方で、二人座る位置関係などを最初にやりとりするのです。一旦座った場所を入れ替えたり、右にいたのを、左にしたりして二人にとってしっくりくる向かい合い方を決めます。私は、仕事の上のある問題を取り上げました。その問題に触れようとすると、からだ全体がぞくぞくし背中から肩にかけてこわばった感じになります。また、心臓もどきどきしてきます。言葉にあらわすと、不安や怖さという表現になりました。この前のセッションで行なったワークで、この気がかりな問題を、「その仕事が行なわれる会場の中の金庫」において置くということをしていました。その時は、とりあえず、その気がかりを自分のからだから離して、その問題にふさわしい場所に置くことで、いったん気持ちを落ち着けたのでした。(ここの意味は、少し分かりにくいと思いますが、フォーカシングの中にクリアリング・ア・スペースというやり方があり、こころに浮かぶ気がかりを一つひとつ置いていくという作業をします。この作業をすることで、こころの余裕ができたり、必要な問題に取り組むためのこころのスペースができたりするのです)その問題に、今の私が向き合うにはかなり、エネルギーが必要な気がしていました。それが、自分が手を上げて、デモに出ることを通して池見先生のいう信頼し、安心できるリスナーのちからを借りたら、向き合える気がしたのかもしれません。私は、その問題と再び対する時に、会場の金庫から、それを取り出して自分の目の前に突きつけないといけない、と最初感じました。そして、それを池見先生に伝えました。しかし、池見先生は、これまでの豊かな経験からその不安や怖さの感じに触れる時に、少し距離を取っておいた方がよいのではと感じられ、私にも「金庫の中においたもも」感じてみてはどうかとガイドされました。このガイドは、後から振り返っても、とても大切なポイントのひとつで強い感情、それが不安や恐怖、あるいは悲しさや怒りなどどんな感情であれそれを直接感じようとすると、そこに飲み込まれ、他の大切な要素が感じられなくなっていくのです。私の場合も、その怖さと距離をおきながら、怖いという表現がほんとうに私のこころの実感なのか確かめていきました。すると、そこから「黒い沼を見るようなこわさ」というぴったりな表現が出てきました。さらに、その「黒い沼を見るようなこわさ」とはどういうことですか?というような質問に対して、「表面は真っ黒な沼の中が、下のほうまで黒いかどうかは分からない。 表面は黒いが、中は綺麗な透明な水かもしれない。でも、その沼をのぞいてみることがとても、こわい…」こんなことを話していると、私の中に、不意に悲しい感情が湧き起こり涙が流れ出しました「黒い沼の中が、本当は透明な水かもしれないと思いながらもそれを見れない自分が、まるで自分で自分を信用できないようで悲しかったんです…」私は、そんな説明をしていたと思います。「自分の顔を見れない悲しさ」この表現は池見先生のこころの実感にはフィットしませんでした。それで、池見先生は、その悲しさについて、さらに確かめるような質問をされました。そして、私は黒いその沼をのぞいてみることにしたのです。私がそのように、沼をのぞく場面でガイドの池見先生のからだも自然に背もたれから離れ前かがみで覗き込む姿勢になったと言われいました。私が黒い沼を覗き込んだ瞬間から不思議なことが起こりました。私の顔のあたりから、その黒いの色が円を拡大するように透明な水に変わっていくイメージが出てきました。そして、それを伝えると、池見先生も同じようにそのイメージを受けとめてくれました。そして、それを表現するものとして「勇気」というキーワードが出てきました。「不安もあるが、勇気もある」この場面で、私の先程の悲しさ、情けないような感情から力強い勇気というものが見えてきて、からだにエネルギーを感じました。ここで、更に池見先生が、ご自身の中の感じに照合するように「不安もあるけど、勇気がある」という言葉を繰り返してくれました。すると、勇気という言葉は、益々鮮明になり、「そうだ!私はその仕事に対して、うまくいくかどうか結果を気にして不安になったりするけど、それをやるんだと決めた、その勇気を持っているだ。結果がどうあれ、それをやろうとする勇気を信じ、大切にしてあげればいいんだ」と、スッキリとした「答え」が出てきたのです。私は、からだもこころもすっきりとし、新しいパワーが沸き起こってくるようなとてもいい感じになりました。池見先生は、ここでセッションを終了してよいかをからだに聞いてみてくださいという、フォーカシングの定番の終わりの質問をされました。私は、自分のからだが、このスッキリした、そして力強い感じをとても喜んでいると分かり、ここで終了してもいいという返事をもらった気がして、セッションを終了しました。5分休憩のあと、全体でこのデモを振り返りました。私にとって、この振り返りが更に、私に大きなものをプレゼントしてくれました。このデモを見ていた多くの人の中にも、感動や共感の感情が湧き「とってもいいデモだった」「感動した」「(私が)とても自分の感じを丁寧に丁寧に扱い、なんども確かめながら進んでいくのがよかった」「(池見先生との)関係にゆったりと心を開いて応答している『関係の自由さ』を感じた」ある人は、私の体験・プロセスを見ながら自分自身の状況と重なり部分を感じ、共感し溢れる涙を流しながら、このデモが自分に与えたものを感動的に話してくださりました。私は、自分から手をあげて、前に進み出た意味がここにもあったのだと感じました。私たちは、どこか無意識の部分で繋がりながら何かを与え受け取りあう、そのような相互関係を求めておりその流れの中に入ると、とても響きあい、感じあうことができるのだということ。ちょっと大げさに言えば、あの場で、私にはデモをやる役割や使命のようなものがあり、それを直感的に感じて、それを信じて前に出ることで大いなるちからに導かれながら、プロセスが進んでいったのだという感じです。私は、求めるめるものがすべて与えられた充実感と達成感を感じそして同時に、心地よい疲労感に襲われました。そして、冒頭に書いたように、ゆっくりと眠ることにしたのでした
2007年07月29日
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