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じつは多い、定年後の人生で「大失敗する人」の意外な共通点2024.06.23※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。じつは多い、定年後の人生で「大失敗する人」の意外な共通なぜ悲劇が起きるのかなぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。そもそも「経営」とはなんだろうか。経済思想家の斎藤幸平氏が「資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集」と推薦する13万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が日常・人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語る。世界は経営でできている家には居場所がないし、健康のためにも通勤した方がいいから、定年後も再雇用で働いてるんだよね、というようなことを公言する人がいる。悪気はないのだが、放っておけば私も四十年後にそうなること間違いなしだ。四十年待たずとも家に居場所はなく、健康診断で通勤等でこまめに歩くようにと注意されているくらいだ。どこかでこの話が流行っているのだろうかというくらい、どんな会社でも、公営でも民営でも、営利・非営利どちらでも、同様の話をする人が存在するようだ。そうした人は、周囲に若手を見つけるや、相手がどんなに忙しかろうとお構いなしにしゃべり散らす。若手は「そんな理由で会社にきておいて、こっちの仕事の邪魔をしないでくれよ」と言いかけるのを何とか飲み込む。ギリギリ若手のはずの精神的老後状態の私も、同じ要領でつい職場でしゃべり散らして迷惑がられてしまう。この「家居場所無し健康通勤人」は、若手の意欲をひたすら削ぐのが生きがいなのだろうか、と周囲の顰蹙を買っていたりする。断っておくがこの章は高齢者批判の章ではない。やがて誰でも経験する老後を経営の失敗によって不幸なものにしないよう備えるための章だ。ほとんどの高齢者の方々はここでの事例に当てはまらないだろうし、当てはまらないことを願う。D+1坂の殺人事件:相互尊敬の欠如が老後に悲劇をもたらすさきほどの「家は居心地が悪いし、散歩代わりに会社にくる」というよく聞く話は、多くの場合は謙遜のつもりで発される言葉だろう(謙遜でないのは私くらいだろう)。本当は「俺たち/私たちがこの会社を支えてきたんだ。昔はメールもない時代で、営業は足で稼いだ。若手は俺たち/私たち頑張りズム世代を敬え」と主張したいのかもしれない。そしてその主張には一理ある。それどころか、私含め若手の側も会社を支えてきた大御所たちへの一定の敬意は持ち合わせている。もちろん家居場所無し健康通勤人が定年後も働き続ける理由には「年金だけでは生活費が心もとない」という不安もあるだろうが「会社のことは今でも自分たちが一番わかっている」という自負もあるはずだ。しかし自らを家居場所無し健康通勤人だとことさら強調したところで、若手の多くはそこに自虐と謙遜と自信が入り混じった心の機微を読み取ってはくれないし、それどころか若手の中にわずかに残っていた敬老の心さえも消し去ってしまう。このくらいのエピソードであれば、老後という心境にある方にとっても、まだまだ自分は現役だという意識の方にとっても、喜劇として楽しめる範囲であろう。実際のところ幸せな老後を過ごせる人は少ない。晩節を汚す人はあまりに多い。ときにはそれは悲劇をもたらす。若手のうちから嫌われ者の私もまた、老後に訪れかねない悲劇に今から恐れおののいている(顔つきと体形は仏みたいだと慕われているのだが)。まだ老後は先のことだという人も次のような事例を心しておくべきだろう。たとえば、介護施設の中で介護士に対して威張り散らす人がいる。まるで昭和の管理職の仕事風景を介護施設で再現しているかのようだ。そうした人は、昭和パワハラ的に、介護士をささいなことで叱責して人格否定にまで及ぶ。お世辞にも高給とはいえない待遇で身を粉にして日々働いていて精神的にも限界に近い状態にある人に、昭和の上司部下の関係の延長線上で暴言を吐くわけである。すると、この暴言がきっかけで介護士が「切れて」しまう。そうして介護士から高齢者へと殴る蹴るの暴力に発展する。しかも毎日のように人を抱えたり持ち上げたりしている筋骨隆々の介護士と、高度経済成長期に部下を抱えたり株価を持ち上げたりしてきた頑張りマンとはいえ全盛期にくらべて筋肉も骨も衰えた高齢者の対決だ。当然ながらこうした暴力で命を落とす人さえ出てくる。これに類似したニュースは毎年毎年量産されている。同じような事件が多すぎて、同じ事件の続報を一年中やっているのだろうかと思うほどだ。もちろん、介護従事者が特別怒りの感情を抑えられないわけでもなければ(正確な統計はないが、むしろ平均よりも優しい人が介護職を選ぶ場合が多いのではないだろうか)、暴言を吐いた高齢者が死に値するわけでもない。ここでは介護士と高齢者のどちらも非難の対象ではない。しかし確実にいえることは、老後をめぐる悲喜劇は人生経営の失敗によって生まれているということだ。これによって老後が台無しになるどころか、恐怖と痛みの中で撲殺されるほどの悲劇が我が身に降りかかってくることさえあったわけである。注文の多い小料理店:「ゆとりある老後」を阻害する「目的と手段の転倒」老後資金をめぐる悲劇もある。老後が不安だといって、四十歳五十歳を超えてから慣れない株投資やFX投資を始める人がいる。そうした人は、貯金をつぎ込むだけで飽き足らず、退職金を担保にして借り入れに手を付けたり、ようやくローンを払い終わったばかりの自宅を抵当に入れてしまうことさえある。もちろん短期的には積極的にリスクをとるこうした投資活動の成果が出ることもある。しかしパソコン画面上の金融資産の含み益は、利益を確定させて現金を手にするまでは単なるまやかし/まぼろしに過ぎない。慣れない投資が長期にわたって上手くいくほど世の中は甘くない。そうして、老後のために投資した資金が、予想外の株や為替の値動きによって生じた追加保証金(いわゆる追証)の連続で泡と消える。これでもまだ投資が成功する確率も(わずかながら)存在するという意味では良い方だ。ときには、老後の資金が心配だといって、ブラジルだとかカンボジアだとかの不動産や金融資産を仲介する怪しげな会社に投資してしまう人もいる。あるいは外国の宝くじをみんなで買うといった、胡散臭い話に乗ってしまう人がいる。こうした人たちは実際には詐欺に引っかかっているだけのことも多い。その場合、投資したお金が増える確率は0%でお金が奪われる確率は100%である。老後資金は溶けていく。こうした人が老後を不安がるのは当然だろう。なぜなら自分自身が不安を現実にすべく全力を出しているからだ。といって今度はお金を一切使わないという人もいる。投資なんかもってのほか、消費も最小限、ひたすらお金を貯めるというタイプの人だ。こうした人は悲劇は避けられるかもしれない。しかし喜劇を演じてしまっている。なぜなら、お金は使ってはじめて、製品やサービスと交換してはじめて、意味があるからだ。何にもお金を使わずに節約生活を続けて、ある日ぽっくり逝ってしまったらそれこそ一番の無駄遣いである。老後をめぐる悲喜劇の数々に共通する特徴の一つは、「目的と手段の不整合」「目的と手段の転倒」だ。これはまさに経営問題といえる。目的と手段の位置づけを誤って、自分に配慮して欲しくて自慢話をするが、そのせいでますます配慮を得られないような状況に陥る人はあまりに多い。今度は図書館における小競り合いを見てみよう。図書館の新聞コーナーは、カブトムシに対するクヌギの樹液のごとく/真夜中の電柱のごとく、高齢者および私を惹きつける。日本中の図書館で観察されていることなのだが、新聞コーナーでは人がひしめき、うごめいて、新聞を奪い合っている。ときどき「おいっ、新聞に折り目をつけるなよっ」などと怒号が飛ぶ。日本の高度経済成長を支えた、図書館に響き渡るほどの日米貿易摩擦的怒号だ。Z世代(2024年現在青春期にある若年層の世代)なんぞとは根性の入り具合/腰の捻り方から違う。この怒号の前に現代の若者など一目散に逃げだしてしまうほどだ。こうして、あっという間にこの「高度経済成長貢献怒鳴り人」は、図書館職員から要チェック対象としてマークされることになる。こうした小競り合いは自分の存在感を相手に認めさせたいがために引き起こされる。居場所を作るための闘いなのである。しかし居場所を確保するために揉め事のきっかけを作るようでは、結局は居場所を失う。同じ過ちは場末のスナックでも見られる。スナックは図書館の新聞コーナーに負けず劣らず高齢者の方々の集会場だ。そして夜も更けてくると、酒も進んで誰もが大声で話しだす。そんなとき突然に「おい、俺の歌を聞けよっ」と怒鳴る人が出てくる。深夜の店内が一瞬で、しん、とする。その高度経済成長貢献怒鳴り人は、不満げにマイクを握る。しかし他の客にしてみれば、無理やり聞かされる歌など仮に上手くても素直には聞けない。そのため曲が終わる前に他の客はぞろぞろと帰りだす。こうしてまた一つ怒鳴り人の出入り禁止場所リストが更新される。老後は家庭にも居場所がなくなるという人も多い。こうした人の多くは、家庭において企業のダメ管理職のようにふるまっている。家庭内ダメ管理職は配偶者や子の行動に対して命令はするが責任は取らない。明確な指針を示さずに、これがダメだ、あれがダメだと終わったことを責め続ける。当然ながら家族からは疎まれる。しかも現役のときほどの体力と気力はないから家族との力関係は徐々に逆転していく。その結果として家庭に居場所がなくなってしまうのである。失われた敬老を求めて:思いやりの強制という発想を抜け出す視点このように老後においてひとつずつ居場所をなくしていく人は多い。そうした人にとっての最後の駆け込み寺が役所と病院となる。役所と病院であればどんな人でも拒めない。そして役所で「お前たちは俺の税金で生活しているんだろうが(納税額よりも受給額の方が多かったりするのは秘密だ)」と因縁をつけてみたり、名前の間違いなどのちょっとした問題を責め続けたりする。ここでもう一度断っておくが、この章は高齢者批判の章ではない。というよりここでの事例がすべて当てはまる人などいないだろう。しかし一度こうして戯曲化すると「こんな馬鹿なことはしないでおこう」と思えるのも確かである。本題に戻る。役所と病院では一応は自分の話を聞いてくれる人を見つけられる(実際には、公務員や医師といえども、こういう人の話は聞き流しているのだが)。しかし一番欲しいはずの配慮/思いやりは得られないままだ。あるいは老後の居場所を創り出すために権力の座に固執する人もいる。社長を退いて会長になり、会長を退いて名誉会長になり、名誉会長を退いて相談役になり、相談役を退いて最高顧問になり、最高顧問を退いて名誉総裁になり……、突然社長に返り咲いたりする。相談役の人数が取締役の人数より多く、相談事が足りなくて取締役が困ったりする。こういった人たちは自らの居場所を保持するために後継者を育てない。もちろん形式的には次期社長を指名する。しかし後継者に肝心の事は教えないし株も渡さない。形式的な次期社長は常に相談役や名誉○○のお歴々の顔色をうかがうようになる。こうして大御所に対してはヒラメのように目を向けるが市場や社会に目を向けない、やがて衰退するジリ貧「ヒラメの大群型組織」の出来上がりだ。権力を手放さない人たちは権力を手にしているだけ恵まれていると思われるかもしれない。しかし意外とそうでもない。まず、後継者を育てられないと、そのうちに職務から降りたくなっても降りるに降りられなくなる。市場や社会を志向しない永続性が乏しい組織を作ってしまうことで、現役時代にせっかく築き上げた栄光が崩れ去るかもしれない。権力の座にあった人でなくても、老後の居場所を欲して本末転倒な行動をとることがあるだろう。たとえば退職金を浪費してしまうのはその代表である。退職金浪費型の人の典型的な行動は次のとおりだ。まず定年退職祝い続きで何とも高揚した気分になる。それからしばらくすると一度に何千万円もの退職金が振り込まれる。お祝いの気分も持続しているので、まるで宝くじが当たったかのように感じる。同時に定年退職によって居場所を喪失したという感覚も出てくる。そこで狂ったようにお金を使って居場所を作り出す。たとえば行きつけの居酒屋を作って毎日昼酒する。学生時代に聴いていた歌手の追っかけを始める。スポーツカーやキャンピングカーを買って全国をドライブしだす。親身になって話してくれるというだけで証券会社が勧める投資信託に手を出す、という具合だ。老後をめぐる人生経営の失敗に共通する特徴の二つ目は、思いやりと居場所とを「奪い取るもの」だと勘違いしていることである。思いやりと居場所とを闘争によって、権謀術数によって、浪費によって誰かから奪い取らないといけないと思い込んでいるからこそ衝突が起こる。こうした衝突の数々がときに喜劇をときに悲劇をもたらす。思いやりと居場所とが限りあるもので、誰からか奪うしかないならば、自分が奪われる側になることも当然ありうる。しかし、本当はそれらを創造することもできるはずだ。たとえば、目の前の人を自分から思いやることのお返しとして相手からも配慮してもらえるかもしれない。そこから互いに思いやりあって居心地のいい居場所へと発展していくこともありうる。本書の紙幅の関係と私の経験不足からこれ以上は述べられないが、具体的な「思いやりと居場所の創造法」は無限にありうる。人生を経営していく視点を持つことこそ、老後を幸せに過ごすための必須条件なのである。参考文献楠木新『定年後:50歳からの生き方、終わり方』、中央公論新社、二〇一七年。楠木新『定年準備:人生後半戦の助走と実践』、中央公論新社、二〇一八年。Rowe, J. W., & Kahn, R. L.(1997). Successful aging. The Gerontologist, 37(4), 433-440.坂本貴志『ほんとうの定年後:「小さな仕事」が日本社会を救う』、講談社、二〇二二年。つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。EOF : end of file
2024.06.26
じつは多い、定年後の人生で「大失敗する人」の意外な共通点2024.06.23※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。じつは多い、定年後の人生で「大失敗する人」の意外な共通点なぜ悲劇が起きるのかなぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。そもそも「経営」とはなんだろうか。経済思想家の斎藤幸平氏が「資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集」と推薦する13万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が日常・人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語る。世界は経営でできている家には居場所がないし、健康のためにも通勤した方がいいから、定年後も再雇用で働いてるんだよね、というようなことを公言する人がいる。悪気はないのだが、放っておけば私も四十年後にそうなること間違いなしだ。四十年待たずとも家に居場所はなく、健康診断で通勤等でこまめに歩くようにと注意されているくらいだ。どこかでこの話が流行っているのだろうかというくらい、どんな会社でも、公営でも民営でも、営利・非営利どちらでも、同様の話をする人が存在するようだ。そうした人は、周囲に若手を見つけるや、相手がどんなに忙しかろうとお構いなしにしゃべり散らす。若手は「そんな理由で会社にきておいて、こっちの仕事の邪魔をしないでくれよ」と言いかけるのを何とか飲み込む。ギリギリ若手のはずの精神的老後状態の私も、同じ要領でつい職場でしゃべり散らして迷惑がられてしまう。この「家居場所無し健康通勤人」は、若手の意欲をひたすら削ぐのが生きがいなのだろうか、と周囲の顰蹙を買っていたりする。断っておくがこの章は高齢者批判の章ではない。やがて誰でも経験する老後を経営の失敗によって不幸なものにしないよう備えるための章だ。ほとんどの高齢者の方々はここでの事例に当てはまらないだろうし、当てはまらないことを願う。D+1坂の殺人事件:相互尊敬の欠如が老後に悲劇をもたらすさきほどの「家は居心地が悪いし、散歩代わりに会社にくる」というよく聞く話は、多くの場合は謙遜のつもりで発される言葉だろう(謙遜でないのは私くらいだろう)。本当は「俺たち/私たちがこの会社を支えてきたんだ。昔はメールもない時代で、営業は足で稼いだ。若手は俺たち/私たち頑張りズム世代を敬え」と主張したいのかもしれない。そしてその主張には一理ある。それどころか、私含め若手の側も会社を支えてきた大御所たちへの一定の敬意は持ち合わせている。もちろん家居場所無し健康通勤人が定年後も働き続ける理由には「年金だけでは生活費が心もとない」という不安もあるだろうが「会社のことは今でも自分たちが一番わかっている」という自負もあるはずだ。しかし自らを家居場所無し健康通勤人だとことさら強調したところで、若手の多くはそこに自虐と謙遜と自信が入り混じった心の機微を読み取ってはくれないし、それどころか若手の中にわずかに残っていた敬老の心さえも消し去ってしまう。このくらいのエピソードであれば、老後という心境にある方にとっても、まだまだ自分は現役だという意識の方にとっても、喜劇として楽しめる範囲であろう。実際のところ幸せな老後を過ごせる人は少ない。晩節を汚す人はあまりに多い。ときにはそれは悲劇をもたらす。若手のうちから嫌われ者の私もまた、老後に訪れかねない悲劇に今から恐れおののいている(顔つきと体形は仏みたいだと慕われているのだが)。まだ老後は先のことだという人も次のような事例を心しておくべきだろう。たとえば、介護施設の中で介護士に対して威張り散らす人がいる。まるで昭和の管理職の仕事風景を介護施設で再現しているかのようだ。そうした人は、昭和パワハラ的に、介護士をささいなことで叱責して人格否定にまで及ぶ。お世辞にも高給とはいえない待遇で身を粉にして日々働いていて精神的にも限界に近い状態にある人に、昭和の上司部下の関係の延長線上で暴言を吐くわけである。すると、この暴言がきっかけで介護士が「切れて」しまう。そうして介護士から高齢者へと殴る蹴るの暴力に発展する。しかも毎日のように人を抱えたり持ち上げたりしている筋骨隆々の介護士と、高度経済成長期に部下を抱えたり株価を持ち上げたりしてきた頑張りマンとはいえ全盛期にくらべて筋肉も骨も衰えた高齢者の対決だ。当然ながらこうした暴力で命を落とす人さえ出てくる。これに類似したニュースは毎年毎年量産されている。同じような事件が多すぎて、同じ事件の続報を一年中やっているのだろうかと思うほどだ。もちろん、介護従事者が特別怒りの感情を抑えられないわけでもなければ(正確な統計はないが、むしろ平均よりも優しい人が介護職を選ぶ場合が多いのではないだろうか)、暴言を吐いた高齢者が死に値するわけでもない。ここでは介護士と高齢者のどちらも非難の対象ではない。しかし確実にいえることは、老後をめぐる悲喜劇は人生経営の失敗によって生まれているということだ。これによって老後が台無しになるどころか、恐怖と痛みの中で撲殺されるほどの悲劇が我が身に降りかかってくることさえあったわけである。注文の多い小料理店:「ゆとりある老後」を阻害する「目的と手段の転倒」老後資金をめぐる悲劇もある。老後が不安だといって、四十歳五十歳を超えてから慣れない株投資やFX投資を始める人がいる。そうした人は、貯金をつぎ込むだけで飽き足らず、退職金を担保にして借り入れに手を付けたり、ようやくローンを払い終わったばかりの自宅を抵当に入れてしまうことさえある。もちろん短期的には積極的にリスクをとるこうした投資活動の成果が出ることもある。しかしパソコン画面上の金融資産の含み益は、利益を確定させて現金を手にするまでは単なるまやかし/まぼろしに過ぎない。慣れない投資が長期にわたって上手くいくほど世の中は甘くない。そうして、老後のために投資した資金が、予想外の株や為替の値動きによって生じた追加保証金(いわゆる追証)の連続で泡と消える。これでもまだ投資が成功する確率も(わずかながら)存在するという意味では良い方だ。ときには、老後の資金が心配だといって、ブラジルだとかカンボジアだとかの不動産や金融資産を仲介する怪しげな会社に投資してしまう人もいる。あるいは外国の宝くじをみんなで買うといった、胡散臭い話に乗ってしまう人がいる。こうした人たちは実際には詐欺に引っかかっているだけのことも多い。その場合、投資したお金が増える確率は0%でお金が奪われる確率は100%である。老後資金は溶けていく。こうした人が老後を不安がるのは当然だろう。なぜなら自分自身が不安を現実にすべく全力を出しているからだ。といって今度はお金を一切使わないという人もいる。投資なんかもってのほか、消費も最小限、ひたすらお金を貯めるというタイプの人だ。こうした人は悲劇は避けられるかもしれない。しかし喜劇を演じてしまっている。なぜなら、お金は使ってはじめて、製品やサービスと交換してはじめて、意味があるからだ。何にもお金を使わずに節約生活を続けて、ある日ぽっくり逝ってしまったらそれこそ一番の無駄遣いである。老後をめぐる悲喜劇の数々に共通する特徴の一つは、「目的と手段の不整合」「目的と手段の転倒」だ。これはまさに経営問題といえる。目的と手段の位置づけを誤って、自分に配慮して欲しくて自慢話をするが、そのせいでますます配慮を得られないような状況に陥る人はあまりに多い。今度は図書館における小競り合いを見てみよう。図書館の新聞コーナーは、カブトムシに対するクヌギの樹液のごとく/真夜中の電柱のごとく、高齢者および私を惹きつける。日本中の図書館で観察されていることなのだが、新聞コーナーでは人がひしめき、うごめいて、新聞を奪い合っている。ときどき「おいっ、新聞に折り目をつけるなよっ」などと怒号が飛ぶ。日本の高度経済成長を支えた、図書館に響き渡るほどの日米貿易摩擦的怒号だ。Z世代(2024年現在青春期にある若年層の世代)なんぞとは根性の入り具合/腰の捻り方から違う。この怒号の前に現代の若者など一目散に逃げだしてしまうほどだ。こうして、あっという間にこの「高度経済成長貢献怒鳴り人」は、図書館職員から要チェック対象としてマークされることになる。こうした小競り合いは自分の存在感を相手に認めさせたいがために引き起こされる。居場所を作るための闘いなのである。しかし居場所を確保するために揉め事のきっかけを作るようでは、結局は居場所を失う。同じ過ちは場末のスナックでも見られる。スナックは図書館の新聞コーナーに負けず劣らず高齢者の方々の集会場だ。そして夜も更けてくると、酒も進んで誰もが大声で話しだす。そんなとき突然に「おい、俺の歌を聞けよっ」と怒鳴る人が出てくる。深夜の店内が一瞬で、しん、とする。その高度経済成長貢献怒鳴り人は、不満げにマイクを握る。しかし他の客にしてみれば、無理やり聞かされる歌など仮に上手くても素直には聞けない。そのため曲が終わる前に他の客はぞろぞろと帰りだす。こうしてまた一つ怒鳴り人の出入り禁止場所リストが更新される。老後は家庭にも居場所がなくなるという人も多い。こうした人の多くは、家庭において企業のダメ管理職のようにふるまっている。家庭内ダメ管理職は配偶者や子の行動に対して命令はするが責任は取らない。明確な指針を示さずに、これがダメだ、あれがダメだと終わったことを責め続ける。当然ながら家族からは疎まれる。しかも現役のときほどの体力と気力はないから家族との力関係は徐々に逆転していく。その結果として家庭に居場所がなくなってしまうのである。失われた敬老を求めて:思いやりの強制という発想を抜け出す視点このように老後においてひとつずつ居場所をなくしていく人は多い。そうした人にとっての最後の駆け込み寺が役所と病院となる。役所と病院であればどんな人でも拒めない。そして役所で「お前たちは俺の税金で生活しているんだろうが(納税額よりも受給額の方が多かったりするのは秘密だ)」と因縁をつけてみたり、名前の間違いなどのちょっとした問題を責め続けたりする。ここでもう一度断っておくが、この章は高齢者批判の章ではない。というよりここでの事例がすべて当てはまる人などいないだろう。しかし一度こうして戯曲化すると「こんな馬鹿なことはしないでおこう」と思えるのも確かである。本題に戻る。役所と病院では一応は自分の話を聞いてくれる人を見つけられる(実際には、公務員や医師といえども、こういう人の話は聞き流しているのだが)。しかし一番欲しいはずの配慮/思いやりは得られないままだ。あるいは老後の居場所を創り出すために権力の座に固執する人もいる。社長を退いて会長になり、会長を退いて名誉会長になり、名誉会長を退いて相談役になり、相談役を退いて最高顧問になり、最高顧問を退いて名誉総裁になり……、突然社長に返り咲いたりする。相談役の人数が取締役の人数より多く、相談事が足りなくて取締役が困ったりする。こういった人たちは自らの居場所を保持するために後継者を育てない。もちろん形式的には次期社長を指名する。しかし後継者に肝心の事は教えないし株も渡さない。形式的な次期社長は常に相談役や名誉○○のお歴々の顔色をうかがうようになる。こうして大御所に対してはヒラメのように目を向けるが市場や社会に目を向けない、やがて衰退するジリ貧「ヒラメの大群型組織」の出来上がりだ。権力を手放さない人たちは権力を手にしているだけ恵まれていると思われるかもしれない。しかし意外とそうでもない。まず、後継者を育てられないと、そのうちに職務から降りたくなっても降りるに降りられなくなる。市場や社会を志向しない永続性が乏しい組織を作ってしまうことで、現役時代にせっかく築き上げた栄光が崩れ去るかもしれない。権力の座にあった人でなくても、老後の居場所を欲して本末転倒な行動をとることがあるだろう。たとえば退職金を浪費してしまうのはその代表である。退職金浪費型の人の典型的な行動は次のとおりだ。まず定年退職祝い続きで何とも高揚した気分になる。それからしばらくすると一度に何千万円もの退職金が振り込まれる。お祝いの気分も持続しているので、まるで宝くじが当たったかのように感じる。同時に定年退職によって居場所を喪失したという感覚も出てくる。そこで狂ったようにお金を使って居場所を作り出す。たとえば行きつけの居酒屋を作って毎日昼酒する。学生時代に聴いていた歌手の追っかけを始める。スポーツカーやキャンピングカーを買って全国をドライブしだす。親身になって話してくれるというだけで証券会社が勧める投資信託に手を出す、という具合だ。老後をめぐる人生経営の失敗に共通する特徴の二つ目は、思いやりと居場所とを「奪い取るもの」だと勘違いしていることである。思いやりと居場所とを闘争によって、権謀術数によって、浪費によって誰かから奪い取らないといけないと思い込んでいるからこそ衝突が起こる。こうした衝突の数々がときに喜劇をときに悲劇をもたらす。思いやりと居場所とが限りあるもので、誰からか奪うしかないならば、自分が奪われる側になることも当然ありうる。しかし、本当はそれらを創造することもできるはずだ。たとえば、目の前の人を自分から思いやることのお返しとして相手からも配慮してもらえるかもしれない。そこから互いに思いやりあって居心地のいい居場所へと発展していくこともありうる。本書の紙幅の関係と私の経験不足からこれ以上は述べられないが、具体的な「思いやりと居場所の創造法」は無限にありうる。人生を経営していく視点を持つことこそ、老後を幸せに過ごすための必須条件なのである。参考文献楠木新『定年後:50歳からの生き方、終わり方』、中央公論新社、二〇一七年。楠木新『定年準備:人生後半戦の助走と実践』、中央公論新社、二〇一八年。Rowe, J. W., & Kahn, R. L.(1997). Successful aging. The Gerontologist, 37(4), 433-440.坂本貴志『ほんとうの定年後:「小さな仕事」が日本社会を救う』、講談社、二〇二二年。つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
2024.06.26
有名人かたるSNS投資詐欺の相談件数9.6倍に急増…国民生活センター注意喚起 池上彰さんや森永卓郎さんの名前勝手に京師美佳 15時間前防犯アドバイザー/犯罪予知アナリスト見解Facebookやインスタに流れる投資広告の6割は詐欺広告となっています。また高い広告料を支払う広告の方が優先表示される為、実際には優良広告より詐欺広告を見ている方が多く、体感では9割は詐欺広告を見ている様な状況です。AIを使用して本人になりすましたディープフェイクの動画をUPし、投資を誘導する様な悪質なものもあります。先ずは全て詐欺だと疑った方が安全です。どうしても投資指導を受けたい場合は著名人の公式HPなどで案内しているセミナーなどを受講するようにしてください。投資詐欺の場合、多くはLINEグループに誘導してサクラが主催者をほめたたえ、詐欺ではないと信じ込ませるなどの洗脳をします。LINEグループへの誘導があった場合も詐欺だと疑ってください。>私的な見解・インスタに流れる投資広告の10割が詐欺・「自分の証券口座に振り込む」以外は詐欺
2024.05.30
今さら聞けない定額減税 手取りはいくら増える? #くらしと経済 ビジュアルで知る 2024/05/28(火) 15:00 配信
2024.05.29
★QRコード被害
2024.05.16
認知症は一気に進行する!?タイプ別進行速度と母の介護から学んだ4つの対策
2024.05.14
「+」マーク付き着信番号には要注意 増える架空料金請求詐欺 「会社の名称を公式HPで調べて」と専門家
2024.04.19
高齢者講習を間近で見ると「危険な運転」だらけ! 元教習所教官が提言する「本当に必要な」免許返納制度とは
2024.04.08
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2024.03.26
不動産サイト「おとり物件」に注意 激減したはずが、なぜ遭遇?
2024.03.19
各業界で人手不足が深刻になっているが、特に高いスキルを持つ人材の不足が企業にとって大きな課題となっている。日本では「経験」と「勘」に基づく言語化できないスキルが多くの仕事で重用されており、断絶の危機にひんしているものも少なくない。そこで人工知能(AI)などを活用してベテランのスキルを再現したり、若手に伝承したりする取り組みが進んでいる。昔ながらのアナログなスキルをデジタル技術が支える時代が到来しつつある。 ⇒マグロ、ワイン、日本酒…AIが目利き 「10年以上かかる」職人スキルを深層学習で再現産昭和の仕事 49:11 再生中 荷役はかわる 通運のパレット作業(1958)|物流アーカイブズ|日本通運昭和のベテランドライバー 0:45 / 2:55 「アクセルとブレーキ間違えた」72歳女の車が暴走 19歳男子大学生死亡、10代女性重傷【news23】|TBS NEWS DIG
2024.02.16
⇒【年金】次回は2024年2月15日に支給!「厚生年金・国民年金」で気をつけたい落とし穴
2024.02.13
⇒米国人好みの「罪」トップ3、「やるべきことを先送りする」 CNN
2024.01.31
野菜を買うのは感動的⇒【朗報】33年間ひきこもった男性が外に出ることができた理由は4000円で買ったものがきっかけだったww【2ch面白いスレ】
2024.01.29
→【定年後の歩き方】「会社を辞めたら誰も連絡してこない…」65歳の富裕層男性が、1日1回コンビニに行く悲しい理由~その2~フェラーリ買ってしまった〇〇、寄付ということは考えない〇〇、自炊出来ない〇〇、生活する事を知らない〇〇の〇〇〇〇
2023.12.27
⇒50代でカバン持ちができるか…定年後に新しい仕事に就き90歳になっても活躍する人が50歳で始めた"準備"
2023.12.19
スプレーだけで洗濯完了? シニアの生活を便利にする「目からウロコのアイデア商品」
2023.12.04
高齢で認知機能下がる人と下がらない人…なぜ?「前向き思考が大事」生涯健脳検定 認知症は、予防できる。
2023.12.04
記事⇒シングル高齢者が増加 「未婚男性」「離婚した女性」は経済リスクが高まる可能性と専門家
2023.12.01
記事⇒アクセルとブレーキ、なぜ踏み間違う? 脳の「運動前野」に秘密
2023.11.22
記事⇒音を聴くだけ、副作用なしで「認知症」が予防できる…人気沸騰中の「スピーカー」の性能を徹底検証
2023.11.22
ショッピング : 『イトーヨーカドー』 ハツピーデーほとんど全品5%OFF 8・18・28日 シニアナナコデーほとんど全品5%OFF 15・25日【シニアナナコ】カード 小銭いらずでとっても便利♪ nanakoカードのシニア版(60歳以上)です。 通常のnanakoのサービスに加え、シニアナナコ(カード)限定の特典 15日・25日のシニアナナコデーは5%割引 例 :『クーポーン』の15%割引と『シニアナナコ』5%割引で20%割引 &購入後、現金化できるnanakoポイントが付きます 11/22追加:間違っていたら修正します。 注:クーポンの種類により15%・10% ・5%等 色々あります。 初回カード発行手数料300円かかります。 ⇒シニアナナコ カード【nanako(ナナコ)】カード ・事前にチャージ(入金)しておけばレジにかざすだけで買い物できる ・nanakoを使って買い物をすると、nanakoポイントがたまる nanakoポント1ポイント⇒1円2023.11.21追加 22更新・【nanako(ナナコ)】と【シニアnanako(ナナコ)】の カードが2枚所有していて、【シニアnanako(ナナコ)】1枚だけ使う場合 《特に決まりはありません、2枚持ちでも可能です。》 【nanako(ナナコ)】の ポイント残りは現金にチャージ(現金化)し、 《例 残り70ポイント ⇒ チャージ ⇒nanakoカードに70円入る》 【nanako(ナナコ)】を全額を使いきります。 ⇒【シニアnanako(ナナコ)】の使用を開始します。・Webで【シニアnanako(ナナコ)】をユーザ登録する場合 【シニアnanako(ナナコ)】を登録するだけです。 ※【nanako(ナナコ)】との紐付け(連携)はありません。ROOM ⇒ https://room.rakuten.co.jp/room_e4aaabd8e3/items
2023.11.20
動画後半、踏み間違えはなぜ起きる「股」間接の可動域 が 動かない セルフチェック方法 動画後半 4:40辺りから↓←足があがって無い ↓ 記事・動画⇒ 75歳男 小学生複数はねる 登下校の道で「ドカン!」 高齢ドライバー踏み間違いなぜ起きるEnd Of File
2023.10.30
『老後』の節約生活しても 1億4千万円の支出はいたい ↓【速報】池袋暴走事故で受刑者の元院長側に約1億4000万円の賠償命令 東京地裁
2023.10.27
あれぇ?記事⇒★ 高齢者が暴走する実際のドライブレコーダー動画を北海道警察が公開→ うわあああ!
2023.10.26
今日 買い物帰り近所のアパート前の段差の有る所でxj400が倒れていた段差にミスって倒したのだろうライダーのお兄さんが助けを求たので起こすのを手伝う400ccでも2人がかりでも重い起こしたら変な液体がこぼれてた車しか免許の無い輩には原付もハーレーも一緒に見ているのだろうな高速とかでバイク倒したら怖いな、変な液体が人の汁だったら.〇▲※次の免許更新でゴールドになったら返納しよう次の次かなEnd Of File
2023.10.21
なぜ?高齢ドライバーは事故後もアクセルを踏み続けるのか パニック時に脳内で何が起きているか臨床心理士が解説繰り返される高齢ドライバーによる暴走事故。1度事故を起こした車が再び急加速し、そのまま別の事故を起こすことも少なくない。こうした「再加速後の2度目の事故」はなぜ起るのか臨床心理士で明星大学心理学部の藤井靖教授に、高齢ドライバー特有の傾向について聞いた。馴染みの行動を繰り返す「動因理論」>>高齢者による事故の特徴は?高齢者が事故を起こした場合、ブレーキを踏まずに再度アクセルを踏んで次の事故を起こしてしまうことがよくあります。心理学では「動因理論」と言いますが、人はパニックになると身についている“馴染みの行動”を取りやすくなります。つまり、1回事故を起こしてプレッシャーや強いストレス、不安や緊張を感じた時、一番多くとっている行動をまたとってしまうのです。車の運転の場合、馴染みの行動というのは、やはり“アクセルを踏ん”で前に進むことです。よって動因理論では、1回事故を起こしてパニックを感じると、もう一度アクセルを無意識に踏んでさらなる事故を引き起こしてしまうのです。>>「動因理論」は高齢者に多い?高齢者に多いです。我々は常に脳で客観的な判断をして、感情を統制しつつ取るべき行動を判断することが必要です。 しかし高齢になると、いわゆる「メタ認知能力」といって、自分が今どういう状況に置かれているのかということを客観的に把握する能力が落ちてきます。それに加えて、感情というのは、脳の中の「扁桃体」という部位が活発になりますが、それを制御するのが額の辺りにある「前頭葉」です。前頭葉の機能は、疲れていたり、加齢によって低下することが知られています。「メタ認知能力」の低下によって、感情の統制が加齢とともに難しくなり、客観的に自分の置かれている状況を判断することが困難になると、余計に動因理論の影響を受けやすくなり、普段一番取り慣れている行動を取ってしまうのです。これが運転の場合だと、“アクセルを踏む”ことに繋がります。「エイジングパラドックス」も要因に加齢により客観的な判断能力が低下する一方、経験値による“自尊心”は反対に増す高齢ドライバー。この「エイジングパラドックス」と呼ばれる現象も事故の背景にあると藤井教授は指摘する。>>若い人は動因理論の影響が少ない?少ないです。若年層の場合、仮にパニックになったとしても、感情を抑える力や客観的に状況を把握するメタ認知能力が高いので、取るべき行動をしっかり論理的に考えられます。高齢者にとってもう1つの問題は、高齢になればなるほど知識や経験が重なり、自分の体や行動に対するコントロールが上がっているように本人は認識します。それはいわゆる「有能感」とか「自尊心」みたいなものが高い状態ですが、一方で、運動能力や空間認識能力は下がっています。これを「エイジングパラドックス」と言いますが、認知能力が低下する一方で、自分自身に対する認識はどんどん向上していくというギャップです。それが、疲れていたり、身体の調子が悪くても運転したり、スピードを出し過ぎてしまうことにつながって、ミスをしやすくなり事故を起こしてしまう。そして「まずい」となった時に、今自分がとった行動とは違う行動に置き換えることが難しくなり、最初にとっていた行動をそのまま繰り返して行ってしまうのです。>>「有能感」は自分に対する自信?そうです。自分は何でもできちゃうと思うことです。高齢になると知識や経験を積み重ねている状態ですから、有能感は一般的に上がりやすいです。そうすると何でも自分の物差しで判断し、行動して、それが正しいというふうに考えがちになります。なので、事故を起こした時も一貫した行動をとってしまう。アクセルを踏んで前に進むという一貫した行動を続けてしまい、その結果、複数回の事故を引き起こす可能性があります。事故を起こした場合の「イメージリハーサル」では、高齢ドライバーの動因理論を抑制し、意識を“ブレーキ”に切り替える方法はあるのか。藤井教授は、事前のシミュレーションが助けになるかもしれないと話す>>事故を起こした後、ブレーキを踏めるようにする方法は?1つできるのは「イメージリハーサル」、事前のシミュレーションです。事故を起こしてしまった時は予想外の出来事なので、事前に「もし事故を起こしたらどうするか」をシミュレーションして対策をとっておけるといいと思います。具体的には、事故を起こしてしまったら、「アクセルを踏んでいる右足を膝から曲げる」みたいな感じで、自分の中でシミュレーションして準備をしておきます。それをいつも考えておくことで、実際に事故が起こった時にその行動が少し取りやすくなることがあると思います。運転に限界設定をする「補償運転」一方、高齢ドライバーによる事故を減らすにはどうしたら良いのか。まずは高齢者自身が自分の運転技術の特徴や危険性について理解し、納得することが一番大事だと藤井教授は語る。>>高齢者の事故を減らす改善点は?高齢者自身が自分の運転の危険性について改めて考え、見直すことだと思います。周りの人や家族が心配して説得しようとすると、なかなかうまくいかないことが多くて、高齢者自身が納得することが大事です。例えば、ドライブレコーダーで自分の運転や車内の様子を録画して家族で一緒に見てみるとか、家族が同乗して気付いたことを伝えてあげるなど、高齢者の運転を他者の目からはどう見えるのかを確認する必要があります。自分自身で運転や危険性について理解して、納得感を持って自分の運転に限界設定をする「補償運転」に切り替えるのも良いと思います。夜は危険だから昼だけにしようとか、雨の日は視界が悪いから晴れの日だけにする。長い距離はやめて近所のスーパーや病院だけにするといった「補償運転」にすれば、事故率は低くなっていくと思います。>>自分が納得することが大事?家族が説得しようとしてもうまくいかないので、自分自身で納得して、自分の運転を改めたり、見つめ直すことが大事で、そうするために何をすればいいかを考える必要があります。人は誰しも、自分自身で自分の行動を振り返ることは必ずしもできるわけではなく、高齢者のように運転歴があって、知識や経験があれば、尚更のことです。ですから、家族や友人など信頼できる誰かの力を借りて、自分の運転について人からの評価で考えてみることがスタートになると考えます。⇒なぜ?高齢ドライバーは事故後もアクセルを踏み続けるのか パニック時に脳内で何が起きているか臨床心理士が解説年取る前に免許証を返納し自転車に切り替える自転車に乗ると体力不足などが分かる車の維持費がかからない⇒カマンベールチーズを食べ 認知症が起こらないように予防する 炭水化物ばかり食べ、植物繊維を取らず、 野菜ジュース (野菜味のジュース)を飲み 体形が崩れた生活してると恐ろしい結果になる End Of File
2023.10.18
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