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はい、Title通りですが11月19日は鉄道電化の日です。東海道本線東京~神戸間が最後に残った米原~京都間の電化完成を持って全区間架線が繋がり電気車の通し営業運転が可能になったことを記念するものですが、1956(昭和31)年と言いますから何と!今年で60周年!赤いちゃんちゃんこ着せて赤烏帽子被せてお祝いしないと…(え?)東京~大阪間、戦前既に丹那トンネル開業以前、現御殿場線経由時代に最速列車(超特急[燕])が8時間20分で走破し、その後丹那トンネル完成で8時間となりましたが第二次大戦で一旦途絶え戦後復興期当初9時間かかったものがその後8時間と戦前並のLevelに戻りましたが、この全線電化完成で一気に30分短縮され初めて同区間8時間の壁を破りました。尤も…その2年後1958(昭和33)年には電車特急[こだま]が登場。更にスピードアップ!同区間を6時間55分で結び両都市間日帰りが可能になりました。伝統の特急[つばめ][はと]も電車化され最大6時間30分まで短縮されます。しかし在来線のスピードアップッはここまで、1964(昭和39)年に東海道新幹線が開業すると更に両都市間は近くなりました。当初東京~新大阪間は[ひかり]で4時間かかっていましたが程なく3時間10分に短縮されました。国鉄時代は目立った速度向上所要時間短縮はありませんでしたがそれでも国鉄末期の確か1985(昭和60)年頃両都市間の所要時間が3時間08分というダイヤが組まれたことがあります。現在は両都市間は最速2時間25分ですが今後更なる時間短縮も行われることでしょう。(その頃にはしかし自分も[お星さま]になってるかも知れませんが…)
2016年11月19日
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はい、特に意味はありませんがこれまでに作ったgifなどを紹介します。かつて何往復も走っていた東京~九州間の夜行寝台特急(所謂ブルートレイン)。モータードライブで連続撮影したカットを繋ぎ合わせました。三脚が使えなかったのでブレが生じています(他のカットも同様で恐縮です)。これは最寄り駅を発車する貨物列車。この国鉄世代の標準型電気機関車は当地ではJR貨物所属期の姿は今では見ることができません(JR西日本所属の同系車は稀に見かけます)。山口線を走るSL列車。手持ち撮影の上追いピンもあって必ずしも均等なタイミングでは撮影できていません。これは自作Illustration(^^);昨2015(平成27)年はあの映画「Back to the Future」が公開されてちょうど30年、第2作で主人公がタイムトラベルした2015年になったということで、30年前の通学風景として作ったものです。より大きな画像。見えたらやばいモノは見えない様になっているので問題はないと存じますが…(^^;)その他各種落書き(楽描き?)はコチラに色々あります。お目汚しの段平にご容赦の程m(__)m
2016年08月01日
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はい、Title通りです。暑中お見舞い申し上げます。1年で最も暑い時期、体調管理も難しくなる今日この頃、どうぞ皆様ご自愛ください。
2016年07月27日
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はい、Title通りですが去る07月09日、久々土曜日に公休が取れたこともあって、山口線を走るSLやまぐち号の撮り鉄に行って来ました。徳佐~船平山間、51キロ地点付近、宇津根踏切の辺りで待ち構えます。おや?いつものC57の汽笛に続いて、電機やDL、そして寒冷地で御馴染のAW-2型警笛の音が聞こえます。え?まさか?C571不調なの?とその時は思ったのですが…何と!1両増結されていました。先頭の青い客車、スハフ1236。SLやまぐち号用客車(12系700番台)編成の電源車スハフ12702トラブル時の予備電源車です。若しかしたらスハフ12702のサービス電源供給用発電システムに何らかの異常かトラブルが生じたのでしょうか?通常の現車5両換算18両(180t)の編成ならC57単機牽引が可能ですが、おそらく山口線9521・9522レのスジではC57の牽引定数は20両(200t)程度、即ちあと1両増えると重量オーバーです(スハフですから換算4両、仮に乗客を乗せずに空車扱いだったとしても3.5両、21.5~22両では20両に収まりません)。そこでDD511043のアシストとなったのでしょう。こうやって、レトロ調客車が写らないアングルだと現役時代を彷彿とさせます(12系原型車の登場は1969/昭和44年、現役蒸機晩年期と僅か乍ら重なります。しかも波動輸送用、臨時列車主体でしたから予備役の蒸機牽引の機会も珍しくなく各地で蒸機にエスコートされたものでした)。駄菓子菓子…もとい!だが然し!この車体のやつれ様は…!まるで長く保留車扱いで第二種休車として車輛基地の側線で「窓際族」暮らしでいよいよ[定年退職(廃車回送)]される車輌と見紛うような姿です眼前を通過して行く列車。最後尾オハフ13701の展望デッキには楽しそうな乗客の笑顔が…ジョイフルトレインは手ぇ振るトレインって戯れ言葉がありますが、何故かSL列車だと乗客も沿線の見物客もついつい手を振ってしまいますね。この後折り返しの姿も撮りたかったのですが同行した老母の体調の都合もあってそれは断念。後ろ髪を引かれる思い出帰途につきました。
2016年07月13日
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どうしていきなり削除?
2015年09月16日
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何時の間にか09月30日!とうとう9月はロクに更新できないままに終わるところでした。(何分にも仕事が忙しくて…ただでさえ欠員が出ているのに退職者が出たり長期病欠者が出たり…偶の公休日も急な出勤要請で潰されたり…一昨日も公休日で油断していたら緊急出勤要請が入り急遽夜勤に入りました)そう言えば…このネタでUPするのは何年ぶりでしょう?(^^);先日帰省してきた従姉からお土産をもらいました。何と!ウチの「娘ども」のためにわざわざ手作りしてくれたネックレス!さあ、娘達の喜ぶの喜ばないのって…(^^);早速身に付けて記念撮影です。ウチの末娘(ボークススーパードルフィーピュアスキンのの)にピッタリサイズ!従姉さんありがとう!姉妹ツーショット(^^);折角なので目いっぱいオシャレしてフォーマルなドレスを纏いました(^^);(と言ってもデザインがディズニーアニメの白雪姫ッぽくなりましたが…)因みに…同じものは市場にはありません(何処のショップでも手に入りません)。何故なら…自作ですので(^^);ドレスのボリュームを出すために…って其処までやるか?(^^);カフェカーテンやまくらカバーも素材に使いました。でもリアルでこんなカッコさせたら腰痛になりそうですね。古の宮廷婦人達は案外丈夫だった?(^^);(コレ、人形相手だからノープロブレムですが生身の女性相手にこんな角度で写真撮ったら犯罪ですね)(^^);自作衣装のデザインは何時も悩みます。同じ着せるなら華やかなものを…と思うのですが…その分手間暇かかりますね。大きいサイズの静止画像はこちらへ…え?肝心なとこが見えない?いえこれ以上剥いだら年齢制限必須になってしまいますのでここまでです。どうしても!と仰る方にはこっそり教えましょう(爆)。ナイショですよ(^^);
2014年09月30日
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何かと気を揉まされた山口線の状況ですが、詳細は公式リリースに紹介されている通りで、昨15日よりC56160+DD511043で運転再開出来た由。丁度この日の日記で紹介した様な光景が展開されている事でしょう(ただ…天候不順は小賢しい人類の叡智如きでは抗う術がありません。もっともその遠因は人間の経済活動や血で血を洗う諍い事にあるとあっては何をかいわんや!ですが…)。さて、保存鉄道のパイオニア大井川鐵道では、何と!きかんしゃトーマスが走り始めた由。これがまた思いのほかリアルに出来ていて吃驚しました。走行映像(YouTubeより)そういえばC11227、これまでに幾度となく「コスプレ」していますね。一番最初は確か…まだ20世紀だった1990年代も押し迫った頃、故やなせたかし氏の不朽の名作アンパンマンに出て来るSLマンなるキャラクターを模した真っ赤な姿(各所にアンパンマン登場キャラのフィギュアを装飾)になりましたが、その後も何時だったか?数年前だったかと記憶していますが今度は真っ青なSLくん(でしたっけ?)なるキャラクターを演じています。同機は鉄道界のコスプレイヤーですね(爆)。そして今度はきかんしゃトーマス!ネット上で、報道でその姿に接した時は正直驚きました。其処までやるか?しかし裏を返せば、そこまで追い詰められている証でもあります。新金谷駅に隣接した車輛基地で顔を合わせた各車輌どの様な交流をしているでしょうか?おっと…これはやり過ぎ?(^^);ま、でも皆お子ちゃまではなくいい歳こいた高齢車輛達です(爆)。今回のイベントが起死回生につながることを祈ってやみません。(世の「硬派」鉄諸氏に置かれては苦言を呈したい向きもありましょうが、今の時代これもまた一つの蒸機保存の在り方です)
2014年08月16日
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先日の日記でこの件に触れました。そして本日8月9日は長崎市への原子爆弾投下が行われた日です。日本人として蔑にできない日の一つです。あれから69年経ちましたが未だ被爆者の傷は癒えたとは言えません。あの日失われた多くの命、あの日失われた多くの建物、品々、文化財…何と愚かしい事を人類はしてしまったのか?ちっとも反省の色を見せず尚更強力な核兵器の開発に血道をあげる始末。21世紀を迎えて10年以上経過しても、ちっとも賢明になれない人類…腹立たしいやら情けないやら悲しいやら…弊ブログでは基本的に時事ネタは扱いたくありません。徒な炎上を招きかねずそれは自分にとってもまた閲覧くださる各位にも不愉快な話になってしまうからです。しかしながら…昨今の集団自衛権問題、コレを即座に戦争に結び付けようとする怪しげな勢力の存在には少々腹にすえかねる思いがあるのもまた事実です。元より、誰が戦争など望みましょうか?持ちたくもない銃を持ち撃ちたくもない弾を撃ち、何の恨みつらみも無いもの同士が殺し合い、大切な人が、大切なものが、失われて誰が嬉しいでしょうか?現政権が集団的自衛権を行使すると言ったからとして直ちに我が国が戦争をおっ始める?有得ません!(大体そんなことして何のメリットがありましょう?最近のネットスラングでは「誰得?」に該当しましょうか?)しかし悲しいかな、我が国周辺には自国民すら平気で踏みにじるならず者国家が複数存在します。平和憲法?日本国憲法9条?屁の突っ張りにもなりません。現実にそいつらは我が国の領土を土足で踏みにじり不法占拠しています。竹島然り尖閣諸島然り。勿論、徒に武力に頼った実力行使は軽々に行ってはなりません。しかし残念ながらまだまだ国際社会は「野蛮人」の集まりでしかなく、「力が正義」な側面が強いのが実情です。少しでも隙があれば暴力沙汰も辞さない輩がうじゃうじゃいます。そんなならず者どもと対峙するには、悲しい事ですがこちらもそれなりの力を持たねばなりません。即ち…「やれるもんならやってみろ。その代わりオマエら国ごと消滅させてやるがそれでもいいか?」と思わせ思いとどまらせる必要があるのです。(客観的にも明らかに力の差がある相手なら問答無用で襲いかかる愚行を繰り返すバカ為政者を抱く国はいっぱいあります。)これまで69年間、幸いなことに我が国は戦争に巻き込まれる事も無く、自衛隊の隊員各位もただの一発も演習以外で実弾を撃つ機会も無く来ました。しかしその70年弱の間に国際情勢は大きく変わりました。今まで通りのやり方で良いのか?そろそろ再考の時期に来ているのかも知れません。
2014年08月09日
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今年もまたこの日がやってきました。そう、8月6日。日本人として決して蔑にしてはいけない日の一つです。朝方TV中継を見始めたら何時の間にか正座していてあの08時15分、思わず手を合わせ黙祷してしまいました。元より、当時の国際情勢を鑑みればどちらにも言い分はありましょうし、今更エノラ=ゲイの搭乗員に対して恨みつもりもありません。彼らとて星状旗に忠誠を誓い軍命に従ったまでのことです。しかしその結果引き起こされたものは…阿鼻叫喚の恐ろしい地獄絵図。何と人類は愚かなものを作り出してしまったのか?しかも1度ならずも2度までもこんな愚かしいものを使って多くの命を奪う愚行を繰り返したのです。どの様な大義名分があろうと、流血を伴えば全て瓦解しその意義は地に落ち泥にまみれます。そして如何なる高邁な理想も身勝手な我儘に成り下がります。武力で持って相手を威嚇睥睨する卑しい為政者…21世紀になってもまだこんな「バカ!」がいるのですから全くもってやり切れません。長い人類の歴史の中で戦場に消えた夥しい命は何だったの?彼らの無念は通じないの?それを授業料と呼ぶにはあまりにも高過ぎる代賞を払っても尚直らない人類の原罪…どうしてなのでしょうね?追記これから出勤します(今日は夜勤で明日の朝まで仕事です)。
2014年08月06日
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先日アップした拙日記で触れた山口線のSLやまぐち号関連でとんでもないニュースが飛び込んできました。牽引機C571に重篤な故障が生じた由。当面はディーゼル機関車DD511043が代役を勤めるとのことです。あ痛たたたた…なんでこんな時に…くぅ~動輪の軸受けが傷むと走れないわよ。弱ったわぁ~…先輩、もうトシなんですから無理しない無理しない。取り敢えずしばらくはあたしがこの娘達連れて走るから、早く治して下さいな。小母ちゃま…痛そう…大丈夫?おばちゃまが元気に引っ張ってくれないとあたしも存在意義が無くなっちゃうわ。と、これらの車輛達が言ったか否かは…ノーコメント(^^);出典はコチラ(^^);ある意味これはこれで貴重なシーンですがしかしSL目当てでやってくる遠来の観光客には「看板に偽りあり」ととられるかも知れません。そして折角全線復旧で地域経済にも追い風となるべきところに水を差してしまう形になりそうです。早急な復旧を祈るものです。
2014年07月26日
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昨年の豪雨禍で不通が続く山口線と山陰本線ですが、報道によると山口線は8月23日、山陰本線も8月10日に全面復旧の見込みとのこと。復旧に尽力された各位にはこの場を借りて御礼申し上げます。さて、地域観光の要にして文字通り牽引役であるSLやまぐち号、当面新山口~地福間で運転されていますが、7月からはC571が復活しています。去る7月12日、夜勤明けの公休日を利用して出掛けて来ました(何せこの日を逃すと当面土日祝日に重なる休暇がないのです)。この日やこの日のものと同工異曲ですが、例によって長門峡に出掛けて来ました。ここは至近の場所に道の駅に老母を休ませることが出来るからです。やがて長声汽笛一声、満を持して木立の間からC571が麗姿を現わしました。花道を行く大女優の貫録は聊かも衰えていません。おや?編成を見るとDD511043やDE10のサポートがありません。元よりC57なら単機牽引は可能ですが地福駅にはターンテーブルがありません。津和野のターンテーブル(2008/平成20年08月09日撮影)C57に限らずテンダー式SLはそのままバック運転すると時速45キロに速度制限を受けてしまいますからそれでは折返し列車がダイヤ通りに走れません。どうするのでしょう?しかしその疑問は程なく解消しました。昼食を摂りついでに折り返しも撮ろうとクルマを走らせていると丁度踏切の警報機が鳴り出し足止め。「堅気の衆」なら腹を立てるでしょうがそこは「鉄」もの、こんな時は何が来るのかつい気になってワクワクドキドキ(^^);やってきたのは…!単機回送のDD511043でした。成程、折返し列車は彼女が先導役を勤めれば所定ダイヤで十分走れますね。(もっとも、DD51にかかれば本来ならもっと速く走れるのですが…)颯爽と列車をエスコートするDD511043、元気な後輩に全てを任せて良いにもかかわらずC571もどうやら力行している模様でした。その様子を擬人化してみたものが↓です(^^);http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=44775467より大きな版は↑にあります(^^);お目汚しの段平にご容赦m(_ _)m
2014年07月18日
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Illustration Communication Social Network Service pixivご存知の方、ご参加の方も多くいらっしゃることと存じます。過日とある交流企画に参加したまでは良かったのですが、交流を意図した拙作が先様にとって受け容れ難い内容であったとのご指摘を主催(企画主)様より賜りました。元より先様を貶める意図など毛頭なかったのですが、如何に悪意は無かったと言ってもその企画内の空気感を読み取り理解出来ていなかった以上拙作を晒すのは非礼であること、また自分が参加していることで他の方に不快感を与えるとしたら誠に申し訳ないこと、そして自分のキャラの元々の世界観と、その交流企画における世界観が必ずしも一致しない事等々、逡巡したものの撤退することと相成りました。キャラシートや拙作にブックマークやコメントを下さった方には申し訳なく心苦しくはありますが、当該企画主催者・参加者各位にもご迷惑がかかっている以上、この様な決断に至りました。尚当該企画にUPした拙作は全て削除しました。Communicationとは難しいものですね
2014年06月30日
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聊か旧聞に属するネタで恐縮至極m(_ _)mこの日の日記で触れたネタですがこの時はあまりうまく撮れませんでした。そこで…捲土重来というかリベンジと言うか…再度赴きました。と言っても去る4月26日の事ですが…(^^);諸般の事情で出発に手間取り、ギリギリの時間になりました。長門峡駅傍の道の駅にクルマをとめ老母にはそこで待ってて貰いカメラ片手に全力疾走…って50の声を聞いたおやぢとなった今の自分には結構しんどい話ですが…(^^);本来のC571は只今「定期健診」中、ピンチヒッターとしてC56160が登板します。しかし小型機C56には客車5両180トンをエスコートして、途中の急坂を登り切る力はありません。そこで、超頼もしい助っ人DD51がサポートを勤めます。列車は本来なら津和野まで走るのですが生憎地福~津和野間は数か所に渡って橋梁が被災しその先に進めません。現在鋭意復旧工事中ですが進捗状況が良く当初予定の10月より2ヶ月前倒しの08月中の復旧目途が立った由。夏休みに間に合いそうです。地福駅停車中の普通列車。復興祈願のヘッドマークを付けていました。(キハ471507+キハ479。山口行き8562D)発車を待つ9522レの先頭に立つDD511043。ヘッドマークを付けた姿が凛々しく頼もしく見えます(^o^)/(このカットの撮影場所は私有地=民家の敷地内=です。お住まいの方に許可をいただいた上で撮影しました)かつてはSLを追い落とした最強「ヒール」として、その筋では嫌われものだったDD51、「赤豚」などと無礼極まりない呼ばれ方もしたりしましたが、今DD51が走れば彼女目当てでカメラの砲列…さぞかし面喰っている事でしょうね(^^);若しかしてこんな気分だったりして?(^^);尚大きめの画像はこちらにあります。
2014年05月30日
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さて、疲れ果てた話題ばかりでは面白くありませんしそもそも閲覧して下さる皆々様に申し訳ない話です。そこで…久々に桜花の話題でも…タイトルに2014(平成26)年とあるのは、前回以来久々であることも関係します(^^);(そう言えばこの日やこの日にも触れていましたが、今回はその後のものです)忙中閑あり。仕事で忙しい合間にも多少時間の取れる時がありました。折角近隣で桜花が満開となったのにそれを見に行かない手はありません。そこでその合間を利用して近隣のお花見スポットに出かけてきました。しかし生憎天候不順+カメラ忘れた!…写真が撮れませんでした。でもそれでは子供のお使い(^^);此処は過去のものからこちらでは未紹介のものを幾つか紹介します。まずは周南緑地公園撮影は2010(平成22)年04月03日です。続いて錦帯橋界隈。撮影は2010(平成22)年04月05日です。今年は一気に花が咲いてしまい、しかも週末はどちらも天候不順。お花見には最悪のコンディションだったようです(仕事柄土日祝日盆暮れ正月GWも当たり前に出勤がある代わりに平日にも休める時がある立場ですので何とか花見の真似ごとが出来ました)。
2014年04月04日
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って...タイトルだけで済んでしまいますが...(^^);弊ブログ休眠中に実は仕事を変わりました。今は介護士をしています(小規模多機能型居宅介護支援事業者勤務)。御多分にもれず、ウチの職場も慢性的な人手不足、そんな中で更に厄介なことが...主任職の女性職員が急病で入院してしまいました。そのため人員配置のやりくりが大変になってしまい、一部で勤務シフトの変更が生じました。その際、3月31日の勤務を当初の10時出勤から07時出勤への変更を打診されたのですが、生憎その日は老母の通院日、出勤前に病院に送り届けるつもりでした。しかし07時出勤ではそのための時間が取れません(自宅から職場までクルマで1時間弱かかります。途中の渋滞リスクを考えると出勤時刻の90分前には自宅を出る必要があり、07時出勤の時は05時30分には出発せねばなりません)。再調整を上申したところ、31日と翌4月1日にかけての夜勤への変更になりました。これなら出勤時刻は17時ですから15時30分までに自宅を出れば良く老母の通院を支援できます。勤務変更に同意しました。ただ…本来は夜勤があると夜勤入り(1日目17時~24時)・夜勤明け(2日目00時~09時)・公休日の3日間がセットになるのですが、元の勤務シフトでは4月2日と3日が夜勤でした。即ち1日夜勤明けになったらその翌日公休日なしでいきなり夜勤入りです。お世辞にも褒められた勤務シフトとは言えません。元より平時ならこんなシフトは有得ませんが、今は非常時、此処は踏ん張りどころと引き受けました。介護施設における夜勤者の職務はその施設・事業者ごとに其々のノウハウや服務規定が違いましょうが、原則として利用者様の介護(体位変換や排泄介助・服薬管理・体調管理等)を主体として付帯業務として事務作業や掃除・整理整頓その他の後方業務となります。利用者様が寝静まった間に書類等(介護の経過記録等)を処理するのですが… そういう時に限って利用者様からのNurseCallが…書類も掃除も食事休憩も一切合財中断してまずは利用者様のところへ駆けつけ応対せねばなりません。それでも、それが時折あるのなら想定内ですが、同じ人から5分と置かずにCallが繰り返されるとなると?それがおよそ2時間にわたって続くのです。書類や掃除などは後回しにするとしても…入居の利用者様はその方唯一人…ではありません。他の方の応対もせねばなりません。排泄介助の必要な方の処理をしている時にCallがあっても対応したくても出来ません。止むなくお待たせせざるを得なくなったこともしばしばでした。大概何処の施設でも夜勤者は1名かせいぜい1フロアに1人で施設全体で2、3人です。法律上の規定での最低人員数ですがその実それ以上の人員を配置する余裕はありません。(因みにウチの職場では、隣接する有料老人ホーム側にも夜勤者が1人常駐していますのでいざとなったら応援要請が可能ですが…)そんなこんなの連続夜勤が終わり3日正午前には帰宅しましたがその日は夕刻再度会社に赴きました。(何があった?実は労働組合側から団体交渉の結果報告会があったのです。僅かながら時給が上がるとのこと。有難い話です)しかし…流石に疲れました(^^);次は4月6日~7日が夜勤です。気を引き締めてまた頑張らねば…
2014年04月03日
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例によってUP日がずれてしまいますが…(職場で主任の女性職員が急病で10日前後入院加療を要すことになってしまい人員手配の都合で夜勤が連続した為UP出来ませんでした)。いよいよ卯月、4月になりました。4月1日といえば!JRグループ発足の日!あれから早27年!時の流れは残酷ですね…以前紹介した事があるかも知れませんが…当時住んでいた四国で、午前0時過ぎに終着駅到着の列車がありその到着を撮影したもので、予讃本線(今は予讃線?)伊予西条駅です。さて、4月から始まった厄介な制度それは…消費税8%!駆け込み需要で流通業界も大わらわだったようですが下手に買い溜めしても結局使えないままに終わることがままあった経験から必要最小限に抑えました(^^);モノの物価自体が上がった=事例も皆無ではないでしょうが=わけでは無く、また納税は国民の義務である以上、甘受するのも仕方のない事かも知れません。ただ…一番ショックだったのは高速道路の通行料。今までETC割引で区間や時間帯によっては半額になっていたものが、いきなり定価!それも8%の消費税加算価格!感覚的には200%以上の値上がりです 物価は上がる。税金も上がる。しまいにゃ干上がる、根を上げる…では下がるものはないの? あったあったよありましたよ…!収入(給料・年金)でしょ?成績(学業・仕事)でしょ?評判でしょ?それじゃどうすんのさ!…増税にはそれなりの止むにやまれぬ事情が様々あるでしょうが...貧乏人には懐を直撃するだけに嬉しくないのは偽らざるところです。これ以上上がって欲しくないものですが聞けば近々それが10%になる可能性が極めて大きいとのこと。これ以上に上がるとますます困ったことに…(え?これじゃ肝心なところが見えない!もっと上がれ?これはもっと上がった方が良い?この場合これ以上上がってしまうと周りはともかく本人には困ったことになります。また昨今のアニメではこれ以上は原則表現しないのが「自主規制」の様です)
2014年04月01日
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去る2013(平成25)年07月の集中豪雨で激甚災害を受けたJR山口線は数か所の橋梁が流され今も地福~津和野間が不通のままです。1日も早い全線復旧が待たれますが、橋梁再建を要すだけに時間も費用もかかる上に、県や国交省の河川改修計画との兼ね合いもあるならその調整にも手間取ることは想像に難くなく、遅々として進まなかったとしても強ち文句は言えません。ただ、山口線にSLが走ることは単なる「鉄」もの相手の商売にとどまりません。復活以来30年余、最早山口線の風物となり殊に地元観光産業には強力な集客アイテム(客寄せパンダ?)です。その復活は切望されます。そこで、新山口~地福間の区間運転ながら運転が再開される事になりました。昨年の運転時には往路のみ客扱い、復路は回送でしたが多くの要望があり今回は復路も営業運転される事になりました。しかし地福駅にはターンテーブルが無くSLの向きを変えることが出来ません。*何故SLは向きを変える必要があるのか?SLの運転台は片側にしかありません。後ろ向きに走れないわけではありませんが、乗務員は身をよじって後ろを向かねばならず運転し辛くなります。車輛基地や操車場での入換作業ならいざ知らず、本線路上を長時間運転するには不向きです。それ以上に厄介なのが、山口線で走っているSLはテンダ式の機関車で、これはバック運転するには速度制限があるのです(時速45キロ以下)。そうなると所定のダイヤでは走れません。ではどうするか?復路地福発新山口行きはディーゼル機関車を先頭にし、その次に逆向きのままのSLを繋いで客車を引っ張って走ることになりました。経緯がどうあれ久々にSLが走る。「鉄」ものとして見過ごすわけには行きません。おっとり刀ならぬおっとりカメラ(え?)で駆けつけました。何処で撮ろうか?と迷いましたが結局…長門峡~渡川間の超定番ポイントに赴きました。同行の老母は至近の場所にある道の駅長門峡に待たせいざ撮影ポイントへ。(上記道の駅は山口線長門峡駅に隣接しSLの雄姿が見られる事で人気です。お彼岸とはいえまだ肌寒い日に吹き曝しの撮影ポイントに齢80の老母を同行させる訳にも行きません)やがてC56160とDD511043の汽笛が相次いで聞こえました。長門峡駅を発車した模様です。意識はファインダーに集中させたのですが…いざ撮影して見れば?少々甘い仕上がりに終わってしまいました…orz復路も撮りたかったのですがその後の予定もあり後ろ髪を牽かれる思いで帰路に着きました。このままでは面白くありませんので、C57の擬人化ネタでも(^^);(C57とは言っても山口線で走っているC571では無く主に九州で見られた切り欠き式除煙板=デフレクタ―。はじめて施工したのが旧国鉄文字鉄道管理局小倉工場であることから小工式デフ・門鉄デフと呼ばれました。担当者の異動で後に鹿児島工場や鳥取県の後藤工場、長野工場でも採用例があります=を装備したものをイメージしました)こちらは旧作。Analog仕上げ(色鉛筆)です(^^);今見ると粗だらけですが…デビュー当時、若き日のC57の姿です。鹿鳴館風ドレスを纏っているのはC57の別名「貴婦人」からイメージしたものですが…「鉄」もの間ではあまりそういう表現はしませんでした。ただ、如何に勇壮に煙を吐いて走っても、SLに限らず鉄道車輛と言うものは、デリケートに扱わないとすぐに御機嫌斜めになってしまうところはある意味女性的です(なんて言ったら今の時代炎上してしまいそうですね…決して女性を貶める意図はありませんので誤解の無き様に…)。もっと言えば…ツンデレ! さて、今回SLが単独ではなくディーゼル機関車と一緒に客車を牽いているのは、このSL(C56)では山口線の条件(急勾配等)では5両の客車を牽いて所定のダイヤで走ることが出来ない為、アシスト役にディーゼル機関車が連結されたものです。もっとも、このディーゼル機関車(DD51)にとってはやまぐち号の5両編成(180トン)程度は荷物にならず1両で十分に牽引できます。おそらくこんな感じ?(^^);本来のC571は何処にいる?只今メンテナンス中で京都にいます(^^);
2014年03月21日
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選抜高校野球大会、第86回の今年は本日3月21日から始まるとのこと。我が県代表校はよりによって開会式直後第1試合だそうです。悔いのない試合をして下さい>選手諸君職場(小規模多機能介護支援事業所)で利用者様や職員皆で応援(代表校は同じ自治体です)しようとそれに因んだイラストを作ったまでは良かったのですが…敢無く却下されました…無理もないか…てへ(おい!)(UP出来るFileSizeの都合上止むなくjpg形式にしましたのでノイズが出ていますことお詫び申し上げます)ええ~い!この際だから動かしてしまえ!え?今時の女子高生はブルマーなんか穿いてない?でも…ここまでやったら顰蹙でしょうか?(一応アンダースコートですが…)こんな応援したから負けたのかな?
2014年03月21日
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今朝未明、異様な衝撃に驚きました。伊予灘沖を震源とする地震が発生したのです。報道では隣接する防府市で震度5強を観測した由。我が周南市の震度は報道では出てきませんでしたが我が家の揺れ具合と以前富山市で遭遇した地震の記憶からおそらく震度4乃至震度5弱程度では無かったか?と推測します。市内海岸部にある石油コンビナートでは激しい炎が上がったとのことでした。所謂フレアスタックと呼ばれるもので余剰となった可燃性ガスを燃やして処理するものですが、一時的に操業が止まって再稼働させる時などその量が多くなるため炎も大きくなるそうです。巷では不安視する声も上がったそうですが、思いのほか街の方は平静を保っていました。もしも何か異変や危険な状況になれば町中を叩き起こす様にけたたましいサイレン音が鳴り響き、赤色灯を点滅させた緊急車両が縦横無尽に走り回っていた事でしょうが素の様な様子は聞こえてきませんでした。ちなみに我が家の被害状況(笑)。
2014年03月14日
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若しかしたら春一番?何故か強風の吹き荒れる日でした…この時期はまだまだ天候不順な日が多いですね…(って年がら年中落ち着いているとは言い難いのがお天気と言うもの。21世紀の科学力と雖も、お天道様の御機嫌はとれません)(^^);
2014年03月13日
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毎年この時期となるとダイヤ改正が気になります。今年は3月16日、便利になる反面慣れ親しんだものが引退する…毎回繰り返されるドラマですね。初代0系を擬人化してみました(^^);今を去ること39年前!1975(昭和50)年03月10日、東海道・山陽新幹線はいよいよ博多まで足をのばしました。首都圏まで日帰り可能!となった華やかな一面がある一方で、それまで綺羅星の如く踵を接して雁行していた山陽本線の優等列車群が壊滅してしまう寂しさもありました。ただこの時はまだ東京~九州間、京阪神~九州間の夜行寝台特急は多くが存続しまた在来線の経営分離などと言う話もありませんでした。しかし40年近い年数が経ち、状況も環境も激変しました。生意気な田舎の中学生も下腹がたるみ白髪も隠せないロ―トルおやぢになり果てました(え?)東海道新幹線開業から今年で50年、そして来年は博多延伸40年…どの様な形でどこまで進化して行くのでしょう?
2014年03月10日
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こちらでもUPしたネタですが…本日3月3日は桃の節句、雛祭りの日です。男兄弟で育った身には直接の縁は無かったイベントですが…職場で使えるか?と思ってこんなものが出来ました(^^);ご覧のとおりの塗り絵素材です。職場で何に使うのか?はい、介護施設で利用者さんのRehabilitationのためです。塗り絵或いは貼り絵の素材として活用して貰いました。因みにこれはColorVersion(^^);思いっきり単純な線画ですが、御高齢の利用者さんには却ってその方が扱い易い様です。もっとも…Realisticなものが描ける腕を持ち合わせていないという切実な理由もありますが…orzそう言えば3月3日は「耳の日」でもありましたね(^^);…ってこんな耳生えた少女が実在したら大騒ぎですが2次元世界では何でもアリです(爆)
2014年03月03日
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1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。いにしえより言い伝えられた言い回しですが未だに色褪せません。あっという間に3月になりました。そう言えば今日は県内の高校では卒業式です(小中学校はもう少し先)。え?高校生にしては幼い?かも知れません。概ね中学生位をイメージしていますので(^^);え?オマエの絵じゃそんなもん区別つかん?御尤もで…orz生徒さんは卒業・終業・春休みでほっと一息。でも学校は?受験・新入生受け入れ準備・人事異動・勤務評定…年中行事とは言え何かと大わらわ。学校に限らず数多の職場・業種業界で大忙しな昨今ですね。そろそろ桜便りが待ち遠しくなります。因みにこのカットはもう8年前、2005(平成17)年春、埼玉県草加市で撮影したものです。(当時の職場の所在地です)
2014年03月01日
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23日日曜日の朝でした。明け方TVをONにしたところ…一瞬白く光ったものの後はウンともスンとも…老母によれば既に購入して10年弱の代物だったとのこと。最早修理しようにも補修部品も無く、たとえ修理したところで10年前の機種(しかも聞いたところにおると配達した電器屋は設置すると使い方の説明もなくそそくさと立ち去って行ったとのこと。元々機械ものに明るくない老母。使い方もろくに判らないまま騙し騙し使っていたそうです)、早晩寿命なのは見えています。そこで買い替えることになりました。その日は仕事だったので一旦出勤し帰宅後まだ市内の行きつけの電器店の営業時間中だったので老母を伴い赴き品物を見比べます。概ね32型か40型クラスを…と思ったモノの果たしてこの狭苦しい「ウサギ小屋」に収まるのか?一抹の不安がよぎりました。そこでその日は一旦帰宅、そして今まで使っていたTVのサイズを見てみると?幅が70cmにも満たない事が判明しました。これでは幅1メートルの40型は入りません。そこで幅75cm程度の32型にするべく本日24日月曜日再度赴きました(月曜日ですが公休日ですので)。色々見比べましたが韓国メ―カ―のものは取り敢えずパス。日本企業のものを検討した結果、M社Pブランドのものに落ち着きました。配達費用と耐震Mat込みで66,800円、古いTVの引き取り費用を加えると概ね7万円の出費です。時給800円の非正規雇用の身では手痛い出費ですが止むを得ません配達は勤務の都合もあって木曜日の午後にお願いしました(その日は夜勤明けで午後は自宅にいる予定です)。この買い物が吉と出るか凶と出るか?(^^);
2014年02月24日
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昨日の日記で試したところgifAnimationは動くことが判りました。と言う事で少々頭に乗ったかも知れません(^^);とあるセレブ家庭に勤める極めて優秀有能なメイドさん。家事全般は勿論主家当主のSecretaryとして、また主家令嬢の教育係として持てる才能をいかんなく発揮し傍から見れば主家を取り仕切ってるかのように見える存在…と言う事で(^^);その主家令嬢…ってこれは聊か顰蹙でしょうか?(^^);
2014年02月22日
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これは2011(平成23)年09月25日に撮影したものです。元々は静止画像ですが、連写したモノを繋いでgif化してみました。貼れる画像形式はjpg、png、gifとありました。ただ、容量が500kbしかないので、前述のものは思いっきりResize縮小せざるを得ませんでしたさて、他の画像もUPしてみようと思ったのですが…FileSizeの上限に達してしまいましたので今回は断念また次の機会を探すとしましょう…
2014年02月21日
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しばらく前の事でした。新着メール(殆どはDMの類かさもなくばスパム、その間に僅かにメルマガがある程度ですが…)を整理=怪しげなものは問答無用で削除=していたところ、弊ブログを管理する企業からのメルマガがありました。それによると、Upload出来る画像の容量が増えていました。前回最終更新依頼4年以上未更新のまま推移(放置プレイ?)していて一部では「ブログ主死亡フラグ」が立てられていた(?)様ですが…画像容量の限界故に更新できないままだったのであり、私自身は世間様の御希望に反して今なお生き恥を晒し続けています(それでいいのか?>オレ)。この先どの様なネタをUP出来るか?現時点ではなお未知数ですが、どうぞ皆様倍旧の御指導御鞭撻のほどよろしくお願い申し上げますm(_ _)m
2014年02月14日
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発車時刻になりました。長めの汽笛を鳴らし、C571のエスコートする9522レは力強くその歩みを始めます。例によって過去画像再掲です。2008(平成20)年04月05日に撮影しました。同じく2008(平成20)年04月20日の撮影です。同じく2008(平成20)年07月20日の撮影です。9522レの行程中最大の見せ場とあって、沿線には多くのギャラリーが集い、この鉄路の名女優の渾身の演技をその目に、フィルムに、メディアに、焼き付けるべく構えます。「観客」に応えてベテラン大女優は花道で鍛え抜かれた決め台詞と決めポーズを見事に決めてくれます。その頃車内ではこの先に立ちはだかる25‰勾配に関してのレクチャーアナウンスがされていました。曰く…「1000分の25、1000メートル進む間に25メートル昇る急勾配…」すると向かい側のボックスにいた若いグループから声が上がりました。「そう言われてもピンと来ないわよぉ~」ごもっとも…1000分の25…水平距離1000メートルに対して25メートルの高低差が生じる勾配。三角関数で言えばタンジェントでしたっけ?生憎高校時代、これで躓いてそれ以降数学は赤点専門になってしまった私にはこのあたりは何とも言えません(^^);ただ…1000メートルで25メートルと言う事は、1メートルに対して2センチ5ミリの高低差。たとえて言えば会議室によくある長テーブルの、少しガタが来てちょっと傾いたヤツ程度でしょうか?1メートルで2.5センチですから、20メートルで50センチの高低差、即ちこの客車の前後で50センチの高低差が出来ると言う事です。(え?12系客車の全長は21.3メートル、客室長さは20.8メートルだ!ですって?正確にはそうなりますがそこは概数で良いです。「堅気の衆」への説明であるならば)なのでこのアナウンスの説明文を提案するとしたらこういう形でどうでしょうか?「この区間は1000分の25という、水平距離1000メートルに対し、25メートルの高低差が付く急な坂となっています。即ち、このやまぐち号の客車の前と後ろで50センチの高低差が付きます。5両編成ですから1両目の先頭から最後尾までの間だと2メートル50センチの高低差が生じます(いや寧ろこうしましょう=機関車の先端から最後尾の客車の展望室のところまでおよそ3メートルの高低差が付きます=と言う風に)。やまぐち号の客車は5両編成で180トンありますが、平坦な区間で機関車に必要とされる牽引力は1トン当たり約4キログラム、即ちこの列車だと約750キログラムです。ところが、1000分の25の勾配ですとこれが1トンあたり約25キログラムとなり、この列車を牽引するには機関車には約4トンの力がかかります。軽自動車がいきなりトラックに変わってしまうようなものです」こう案内すれば、「堅気の衆」にもイメージがわきやすく、見た目じゃ急坂に見えない25‰勾配の厳しさが通じるのではないかと考えます。(ではなぜその場で説明しなかったのか?ですって?暗算に少し自信がなかったのと、いきなり見知らぬ如何にも怪しげなおやぢが蘊蓄垂れたら鬱陶しがられるのがオチです。はい)往路の9521レがそうであったように、9522レもこの25‰勾配ではその歩みは遅く重苦しいものになります。しかし焦りは禁物、ここで下手に焦ると文字通り足元を掬われ=要は空転=てしまいます。一歩一歩それこそ踏みしめるようにC571は9522レをエスコートしていきます。田代トンネルを始め点在するトンネルを潜り、往路9521レでは停車した仁保駅を通過します。仁保駅を通過する9522レです。これは2008(平成20)年07月19日の撮影です。無事峠を制することが出来ました。後はもう難所はありません。本州の西端に位置しますので北海道・東北・関東地区に比べると日没の遅い山口県ですが、それでも秋の日はつるべ落としの喩の如く、17時近くなると日はかなり傾きます。山口駅・湯田温泉駅と連続停車して次はいよいよ終着駅の新山口駅です。矢原駅を通過する9522レです。西日が優しく列車を包み込み、旅のフィナーレを華やかに盛り上げます。このカットを撮影してほどなくでした。い!痛ててててて…目に激痛が走りました。シンダのかけらが目に飛び込んで来たのです。これは痛い!マジで痛い!…文字通り痛い目に遭いました…客扱い停車はこの後ない筈ですが、9522レは大歳駅に停車しました。対向のスーパーおき号と交換するためです(眼の中のゴミがまだ取れず激痛が残っていたので撮影は不可能でした)。いやいやいや…蒸機列車にはこういう落とし穴がある!迂闊にも失念していました。自戒自戒…まだまだ乗っていたい、御名残は尽きませんが、列車は定刻に新山口駅1番ホームに到着しました。往路2時間復路1時間40分、ちっとも退屈することなく、疲労感も覚えず堪能できました。新山口駅構内図です。1番ホームから4番ホームまで移動する必要があります。さて、急げば5分の接続で白市行1586Mがありますが、階段の昇り降りを伴う乗り換えは、自分1人なら気にもしませんが齢76の老母が一緒です。その上1586Mは下関始発。座れないリスクも有得ます。ここは避け、1本後の新山口始発の岩国行558Mを待つこととしました。558Mは4連+2連の6両編成、と言っても後ろの2両は途中の徳山までです。下車駅は徳山ですから編成中何処に乗ろうと問題はありませんが、ここは岩国行編成の方に乗りました。558Mです。岩国行基本編成は転換シートの115系3000番台広セキN-09編成。一方の徳山までの付属編成は同じく広セキながらT-14編成。固定クロスです。居住性が違う上に、老母の場合トイレが近いと言う事もあって編成内にトイレがないのは危険なのです。(以前のT-01~04編成はトイレがなく、長時間乗車の必要のある時にはこの編成を使う列車は出来得る限り避けていました。しかしこのたび福知山支社から異動してきた編成はトイレが付いているようです。もっとも、共通運用なのでT編成運用の列車は今も原則避けています)平日なら下校時間・退勤時間と重なりかなりの乗車のある558Mですが、日曜日とあって乗客は少なめでした。防府でかなりの乗客が入れ替わり車内は更に空きます。この先日中であれば車窓右手に波穏やかな周防灘・瀬戸内海が広がりますが既に日は沈み夜の帳に包まれ、沖合を行く船舶の明かりが遠くに見えました。徳山駅に到着したのは18時16分、駅前のコンビニエンスストアでお弁当を買い、それが今夜の夕餉となりました。長々とお付き合い下さいまして有難うございますm(_ _)m(10月18日のネタの完成に何時までかかっているのだ?>ぢぶん)(殴)。追記、フォトアルバム容量が上限に達してしまいました。過去画像を一部削除する必要が生じました。つきましては過去の日記に画像の抜けたものが増える可能性が有ります事予めご了承くださいm(_ _)m(T-14編成の写真も撮影していますがそういった事情で今回は紹介出来ませんでした事申し添えます)
2009年10月27日
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徳佐駅を発車して一路新山口を目指す9522レ(2009=平成21=年09月05日の撮影)です。しばらくは長閑な里山風景の中を列車は快走します。この界隈はリンゴやナシの果樹園が広がります。ウィキペディアによれば、本邦におけるリンゴ栽培地の南限になるのがここ阿東町です。第一次産業が盛んな土地で豊富な農産物が生産されています。県内では屈指の豪雪地帯で冬場の気温も低く、別名「山口県の北海道」と呼ばれているとか…前記ウィキペディア情報より。往路の9521レは停車した地福駅は通過、快適な速度で列車は走り続けます。渡川駅を通過後、左カーブを切って鉄橋を渡る先では、山口線をオーバークロスする国道9号線脇に、数人の「ご同業」の姿が見えました。こんな感じのカットが撮れる場所です(これはこの日の日記で紹介したもので、撮影日は2007=平成19=年09月22日です)。ただ、御覧の通り煙はあまり吐かない場所です。短いトンネルをくぐると長門峡駅に到着です。ある程度の乗客の入れ替わりがあり9522レは発車します。ここは国道9号線と並行し、駅のすぐそばには道の駅「長門峡」があり、丁度良い蒸機ウォッチングポイントです。歴戦の「鉄」から通りすがりの「素人」さんまで、ギャラリーには事欠きません。大勢に見送られ列車は発車します。沿線からローアングルで撮影すると中々迫力のある写真が撮れます(これも既出画像=この日に紹介したもの=です)。この先篠目駅の手前まで山口線と国道9号線は並走します。おや?ここにも…列車の速度にぴったり合わせたハイデッカーの観光バスが車列の先頭を走っています。バスの乗客は力走するSLを間近に見ることが出来上機嫌ですが、センターラインの黄色い対面交通区間。お急ぎの後続車は追い越しも出来ずさぞかしイラついていたのでは?(^^);(品川530様も津和野での撮影後この辺りでの撮影を目論まれたようですが、この観光バスに行く手を阻まれ撮影できなかったとか…同じくアテの外れた各位にはお見舞い申し上げます)これはこの日に紹介したカットです。画面では判り辛いのですが、この日はマイテが増結され、C56160のアシストがありました。但し重連ではなく後部補機として最後尾にいたのでこの写真には写っていません。この辺りも特に9522レだと煙を吐きます。インカーブをローアングルで撮れるので迫力のあるカットがモノにできるとあって人気の高いポイントですが、交通量の多い幹線道路、しかも歩道がないので安全には十二分にご注意を(駐車スペースも殆どありませんので)…程なく列車は篠目駅に到着、この先に控える難所に備えて呼吸を整えます。区間最大の難所を前に、体調を整えるC571です。以下 次号(笑)
2009年10月26日
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津和野に来たからには、道端のお堀に泳ぐ鯉に挨拶しないのも画竜点睛を欠いた話です。今は亡き祖父(老母の父親)は地元で企業経営をする傍ら、庭の池に鯉を飼うのが趣味でした。今でも老母の実家(今では年老いた叔父夫婦が暮らしています)の庭の池には、その当時の鯉の子孫が泳いでいます。鯉の泳ぐお堀端は津和野駅から徒歩で10分余り。自分1人或いは足腰に何の衰えもない若い世代なら30分のインターバルで駅から往復するのに苦労はありませんが、齢76、喜寿の祝いもした老母にはこの距離を30分で往復するのは少々不安が拭えず、同行者としては気が気ではない部分が有りました。最後には年寄りをせかしながら、やっとことさ駅に戻って改札口をくぐったのは発車3分前。急いで階段を昇り降りして車内に落ち着きます。ー乗車前のホームでは撮影出来なかったので、前回紹介の写真を再掲します。定刻に列車は発車。落ち着いた山里に汽笛の咆哮が響きます。9522レは発車後ほどなく最初の難関に差し掛かります。津和野の街並みをパノラマ風に眺めながら一歩一歩、緩やかに確実に高度を稼ぎ県境の峠を目指します。ネット上で何かとお世話になっております品川530様も実はこの日ご出撃だった由。その時の様子がこの日の日記に紹介されていました。添付されているお写真、4号車の窓から腕を出してる怪しい人物…あれ?もしや?(爆)沿線から撮影するとこの辺りでしょうか?美祢線5990レの撮影組も9522レには間に合ったのか?往路と比べて明らかに沿線の「ご同業」の数が多くなっていました。白井トンネルへ向かう途中、並行道路を明らかに列車にスピードを合わせて走る観光バスを見かけました。2階建てならぬハイデッカーの「2階だけ」バス。観光バスの乗客が手を振ってくるので返礼代わりにこちらも手を振ります。これぞジョイフルトレインならぬ手ぇ振るトレイン旅先でのこういう出会いは良いものです。もっとも、「撮り」派は必ずしもいい顔しないとか…白井トンネルを抜け列車は山口県に入りました。しばらくは長閑な田園風景と果樹園と石州瓦が車窓を彩ります。以下 次号(笑)
2009年10月25日
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津和野駅前に保存展示してあるD51194号機。1974(昭和49)年の山口線SLさよなら列車をエスコートしたカマです。津和野駅で一旦下車。さて、復路の9522レの発車までのインターバルタイムはどう過ごそうか?、ここまで来て津和野太鼓谷稲荷神社に参拝しない手はないのですが、ここは今までに何度も参拝しています。実は今回の「乗り鉄」に利用したのは鉄道の日記念の乗り放題切符、JR西日本管内限定、普通列車限定ながら1枚3,000円のフリーキップです。徳山~津和野間往復するとお一人様3,780円、既に二人で1,560円分得していますが、折角何処までも乗れるキップなら行けるところまで行ってみようではないか?と、老母が提案しまして、駅に掲示されている時刻表を確認します。(ここ最近「倅の酔狂」に付き合わせているせいか?老母にも少しずつ「鉄」分が芽生え始めました。フリーキップの乗れるところまで行ってみようなどと言う発想は「鉄」そのものです)(^^);津和野駅13時04分発益田行2541Dはキハ402076以下の2連で到着しました。一路益田へ。中々山口線の津和野~益田間には乗る機会がありません。前回乗ったのは四半世紀以上前の大学生時代の話です。生意気で世間知らずの若造は下腹も弛み白髪も隠せないおやぢになり果てました(^^);2541Dの車内は空いていたのですが、思いのほか賑やか…否、誤解を恐れずに言えば五月蠅い騒がしい見ると、幼い子供とまだ若いその父親そして「お連れ様」の御一行様が何が嬉しいのか知る由もありませんがとにかくはしゃぎまわっているのです。子供が元気なのは良いのですが、列車内と言った「パブリックスペース」ではおとなしくするのがマナーでありエチケットの筈。親がた窘めて然るべき場面ですが…肝心の親が子供以上にはしゃいで騒いでいます。やれやれ…(^^);え?何故注意しなかったのかって?だってあの手の「御仁」は注意してもまず聞いてくれません。下手すりゃ逆切れして暴力をふるわれてしまう危険さえあります。触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず…です。ま、五月蠅いのが鬱陶しいもののそれ以上の被害はないので「スル―」しておきましょう(^^);石見横田駅でキハ187系の特急「スーパーおき」号と交換します。益田駅です。乗換で利用した経験はありますが下車したのは初めてです。益田の町でも散策したかったのですが接続の都合上14時03分発2546Dで早速折り返します。結局滞在時間は20分に満たない短時間でした。2546Dは先ほどの2541Dの編成がそのまま折り返します。再び津和野駅に降り立ったのは14時46分、9522レの発車時刻まではあと34分です。以下、第2部復路編に続きますm(_ _)m
2009年10月24日
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徳佐駅に到着する9521レ(例によってこの日紹介した既出画像)です。田代トンネルをサミットとする第一の難所を越え、ここまでは比較的坦々と走ってきた9521レSLやまぐち号ですが、この先今度は白井トンネルをサミットとする県境の峠が控えています。上り列車と交換する都合もあって徳佐駅ではしばらく停車します。僅かな停車時間の間に呼吸を整え居住まいを正したC571は、いよいよ「最後の難関」に挑むべく力強く歩み始めます。これも同じくこの日紹介した既出画像です。まず大きく左にカーブ、然る後に右カーブを切るC571と9521レの姿はまるで花道で決めポーズと決め台詞をビシッと決めた大女優の貫録です。例によって過去画像の再掲ですが、幾つか紹介しましょう。ここも線路の両側にギャラリーの姿が多く見られました。流石に9月20日のそれには及びませんでしたが…(^^);S字カーブを抜けると、船平山駅まで一直線に走ります。ここで折角ですから最後尾オハフ13701の展望デッキに出てみました。平坦な直線区間、C57は軽やかに飛ばします。ほぼ同じ場所を行く9521レ。去る09月13日に撮影しました。船平山駅を出るといよいよ最後の難所、県境の峠に挑みます。白井トンネル(そのほぼ中央部が県境です)を筆頭に前後にいくつものトンネルがあり、出でては潜りの繰り返し。改造されたとはいえ9521レは12系客車ですから窓が閉めてあれば車内に煙が入ってくることは殆どありませんが、かつての在来一般型客車時代には難行苦行の区間だった事でしょう。(否、全国的に見ればもっともっと厳しい環境の路線が多々ありました)峠道を制した列車の左手にいよいよ津和野の町並みが見えて来ました。無事難所を越え心なしかほっとした様子で9521レは津和野駅に到着しました。新山口~津和野間、2時間の乗車時間でしたがちっとも退屈も疲労感も味わうことなく、あっという間でした。復路の9522レの津和野駅発車時刻は15時20分、約2時間20分のインターバルです。第1部終了。第2部復路編は改めて紹介します。
2009年10月23日
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長門峡駅では団体さんの乗車があり、それまで空席だった向かいの席も老夫婦が着席し埋まりました。添乗員さんの指示で各自が席に着くころ列車は発車します。この先は名うての「撮り鉄スポット」が続き沿線の「ご同業」の数が増えます。ですが今日は案外その数は多くないようです。老母が気付き指摘してきました(このところ「倅の酔狂」に随分と付き合わせていますから…)こんなシーンやこんなシーン(この日紹介した既出画像)が撮れる絶好の場所なのに人が少ないのは何故?この日=2009(平成21)年10月18日=はもう一つ「鉄」界で大きな歴史の変換点となる日でもありましたので、おそらくかなりの人々がそちらに行っていたことでしょう。え?歴史の変換点となったもの?はい、これです↓美祢線で長く運転されていた「赤ホキ」貨物列車が最終運行となった日でした。5990レの美祢駅発車時刻が10時00分で厚狭駅着が10時44分、そして山陽本線から宇部線へと走るこの列車を撮影していたら9521レと両立させるのは至難です(実際自分も挑戦しましたがかなり厳しかった経験が有ります)。9521レは快走します(これもこの日の既出画像で恐縮至極m(_ _)m)。この付近、国道9号線とも並行しますが、見ると向こうの道路、どうやら9521レにペースを合わせたと思しき車列が続いています。その先頭にいるのは2階建てならぬ2階だけバス。秋の行楽シーズンとあって「安近短」コースの観光ツアーのバスでしょうか?しかし幹線道路とは言いながら対面交通でセンターラインも黄色いこの辺り、中にはイラついている後続車もいたのでは?(^^);鍋倉駅に到着する9521レの姿。例によってこの日紹介した既出画像です。このあたりは長閑な里山に抱かれた田園風景が広がり、日本のふるさとそのものの穏やかで牧歌的な車窓が堪能できます。慌ただしい都会生活に疲れた旅人には良い目の保養になりましょう。しかしそこで暮らす地元民にしてみれば?都会的な便利さとは無縁の不自由さがあるわけでこれはこれで結構大変でもあります(^^);鍋倉駅周辺には果樹園が広がり、おそらく本邦におけるリンゴ栽培の南限地でありましょうが、リンゴ園・ナシ園が点在します。折しも絶好の果物狩りシーズンとあって、リンゴ狩り・ナシ狩りツアーと思しき子供たちの団体が下車して行きました。駅のすぐそばにも果樹園が有り、中には窓から手を伸ばせば届きそうな所に、おいしそうなリンゴが実った枝もありました。惜しいことに届きませんでしたが…(爆)(って、仮に届いても黙って採ったら犯罪です!)鍋倉駅を発車すると次は県内最後の停車駅徳佐駅です。以下 次号(笑)
2009年10月22日
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列車は仁保駅で8分停車します。上り列車と交換するとともにこの先沿線一の難所を控えているため調子を整える必要があるためです。交換する上り新山口行2542D。この日はキハ402122でした。10分間停車して9521レを待ち構え、入れ替わるように発車していきます。そういえばこのキハ402122、以前にも出会っています。この日に紹介したカットこの界隈を受け持ち担当として東奔西走していますのでご縁が深くなった模様です。発車時刻になりました。9521レは仁保駅を後にします(車内にいてはこんな写真は撮れません。過日の既出画像です。この写真では重連ですが、乗車日は単機牽引です)。駅を出るとすぐにトンネルに入り、そのトンネルを抜けるといよいよ山口線最大の難所に差し掛かります。平坦線でこそ俊足を誇るC57ですが、連続する25‰勾配を5両編成180トンの客車をエスコートして登ろうとすると渾身の力を振り絞ってもその歩みは遅く重くならざるを得ません。奮闘するC57を車内より。このあたり線路は山の中腹に張り付くように走っています。以前このあたりで沿線から撮影するべく訪ねたことが有りますが集落の付近からかなり高いところを走っているため見つけることが出来ず、逆にウリ坊=イノシシの子供=に出会って驚いた経験が有ります。それでも沿線でかなり線路に近いところから撮影している「ご同業」を見かけたのにはぶったまげました(^^);(一体どうやってアクセスしたのやら?)難所をやっと制して、9521レは篠目駅に着きました。まだ時計の針は12時の少しだけ手前ですが、そろそろ昼餉としましょう。乗車前新山口駅の売店で買った駅弁の包みを開けます。数多くの種類のおかずが少しずつ並べられた盛り付けも綺麗なお弁当でした。生憎中にはちょっとばかし苦手なものもありましたが(^^);そこは老母に手伝ってもらいました(いい年こいて好き嫌いは×!)篠目駅を発車した列車は次の長門峡駅を目指します(この写真もこの日紹介した既出画像です)以下 次号(笑)
2009年10月21日
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穏やかな秋の日差しの下、9521レは快調に走ります。新山口~宮野間にはさしたる勾配もありません。発車してほどなく車内放送がありました。客レのお約束、ハイケンスのセレナーデが流れますが、今やそれを聴ける列車は貴重な存在となりました。幾度となく利用した山口線ですが、しばらくぶりの利用なだけに、沿線の風景にも変化が見られます。かつてはだだっ広い田園風景だったところが新興住宅街になっていたり、見慣れない大規模小売店が出来ていたり、やはり町は生きています。湯田温泉・山口と連続停車しますが、山口駅で早くも向かい側の席の家族連れが下車し、入れ替わり別の乗客が乗って来ました。車内より撮影。このあたりはまだ平坦ですが、宮野駅を過ぎると明らかにペースが落ちました。その先に控える峠に向かって上り勾配にさしかかったためです。沿線の「撮り鉄」氏の姿も目立ち始めました。それにしても皆さん、どうやってそのポイントに辿り着いたのかしら?車内から見回してもそのポイントにアクセスできそうな道が見当たらない場所でカメラを構えている御仁も少なくありません。でもそれだけならまだいいのです。中には信じられないほど接近した場所で構えている人もいて正直ひやりとしました昔まだおおらかだった時代には犬走りで撮影しても大目に見られていましたが今では緊急停止されかねません。昔やってて定年を機に再開した…なんて人が得てしてそのあたりを読み間違えている事例が目立つように感じます。喘ぎながらも坂を登り切った9521レは仁保駅に到着しました。ここで呼吸を整えこの先の25ミリ勾配に備えます。以下 次号(笑)
2009年10月20日
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さて、9521レの発車まではしばらく時間が有ります。老母がWCに行っている間ただ待っているのも勿体ない(いくらなんでもWCの中までは付き合えませんもっとも、別の部屋に入ってもどうしても自分の方が早く済んでしまいますので時間が余ります)ので、C571と9521レ編成を撮り鉄します。お約束のアングル同列車を編成最後尾から界隈では希少なJR世代旅客車キハ187系の特急列車が到着しました。SLは大人気。ホームは記念撮影をする人々で大賑わいでした。9521レの津和野到着は12時42分、ランチタイムにかかります。折角だから車内で駅弁にしよう!ということで、駅売店で購入。列車に乗り込みます。2号車15番C・D席。欧風内装のオハ12701です。後ろ向きの席なのがちょっと残念(^^);10時41分、汽笛一声9521レは新山口駅を発車。一路津和野を目指します。以下 次号(笑)
2009年10月19日
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例によって今更ながらのお話で恐縮至極m(_ _)m。この日10月18日。SLやまぐち号に乗ってきました。同列車への乗車経験は実は今回が初めてではありません。この日よりの日記で紹介しておりますのが初回で、この日は2回目です。前回の時は津和野発の9522レのみの片道体験でしたが、生憎降雨が酷く、今ひとつ楽しめなかった部分もあり今回再チャレンジとなったものです。前回の天気が天気だっただけに今回も不安はありましたが、有難いことに好天に恵まれました。自宅最寄りのバス停を8時51分発のバスで徳山駅へ。徳山駅09時26分発625Mに乗車します。単に9521レに接続するだけなら、後続の09時52分発3331Mでもよいのですが、同行者(齢76の老母)には階段の昇り下りが楽ではなく、新山口駅での7分での乗り換えは慌ただしいと判断し、625Mにしました。転換シートのN編成かL編成を期待していたのですが、この日の625Mは広セキC-37編成、シートピッチの狭い300番台車です。未更新車ですが、それだけにシートモケットの柄が変わった以外は車内には原型を良く残しています。車内は結構の乗車率でしたが、幸いクロスシート部に進行方向を向いた席を得ることが出来ました。09時26分定刻に625Mは徳山駅を発車し、一路山陽本線を下関に向けて走ります。乗り慣れた区間ですが、コンビナート・内海・市街地・田園風景…僅か42分の間に結構車窓の変化があり、退屈はしません。新山口駅には10時08分、定刻に到着しました。目指す山口線の9521レの発車時刻は10時41分、約33分のインターバルです。6番ホームから1番ホームへ、階段の昇り降りを伴いますが老母にも十分な時間的余裕が有ります。1番ホームには既に9521レが据え付けられていて、乗客を待っていました。以下 次号(笑)
2009年10月18日
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はい、タイトルどおりです。何時の間にか山口線詣でも相当な回数になってしまいました。蒸機の場合煙を無視できず、どうしても同じような場所から撮影する機会が多くなります。ふと見るとこの場所、鍋倉~地福間で、同じような構図で撮った写真が幾つかありました。2008(平成20)年08月01日。ミハサロことサロンカーなにわ編成が登板した時に撮影しました。2008(平成20)年08月23日。マイテが増結された時に撮影しました。そしてこれは去る2009(平成21)年09月20日、ゆうゆうサロン岡山編成登板時に撮影しました。一般に人気の高い撮影ポイントはもう少し地福駅寄りの場所で、新山口行きは順光線で正面がちに撮れることで著名なのですが、敢えて手前のこのあたりで撮影することが殆どです。理由1。ここだと撮影後直ちに撤収し次の撮影予定地への移動が容易(奥の撮影ポイントからだと道が狭く人やクルマ殺到すると身動きが取れなくなります)。理由2。ここだと後追いで編成を綺麗に収められるので、何時もと違う客車を使う時には撮りやすい(カマ以上に客車が気になるタチでして…)運転開始から何時の間にか30年、すっかり地元の風物になりました。クルマで押しかけて撮影するだけでは面白くない!ということで今月中旬久々に乗り鉄することにしています。
2009年10月05日
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そして列車は眼前を通過して行きました。例によっていつものように追っかけを開始しますが、あまりにも夥しい数の「御同業」諸氏が押しかけたため各所で渋滞が発生。いつものようにはスムーズに走れません。結局…篠目まで進んでも追いつけず、山口市内に入ったところで以降の追っかけを諦めました。帰路には2ヶ月近く不通だった国道262号線を通りました。勝坂トンネルを抜けて防府市内に入ると、そこには先日の豪雨禍の爪痕がまだ生々しく残っていました。本来ならあの日、本社出張でこの道を通る筈(本社側で停電が発生しパソコンが動かなくなったので事務処理ができず、その必要がなくなったためそれは中止になりました)でしたから、一歩間違えたら私も営業車ごと(軽ワゴン車ですから土石流など喰らった日にはひとったまりもありません)押し流され、今頃は閻魔さまに舌を抜かれていたことでしょう。改めて過日の豪雨禍の犠牲者に謹んで哀悼の意を表しますと共に、ご遺族にはお悔やみを、また被災者にはお見舞いを申し上げます。ここまで来ると今度はこの岡サロ編成の返却回送が気になるのですが…流石にそのスジまでは判らず、その撮影は出来ませんでした。一つのネタで長々とお付き合いいただきまして恐縮至極です。(21日にも岡サロ編成で運転されましたが、この日は仕事が入っていて撮影に行けませんでした…)
2009年09月25日
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取り敢えず、往路の津和野行き列車はもうこれ以上の撮影は無理です。後は15時20分津和野発の新山口行き上り列車を待つことにしましょう。折角ここまで来たのですから、津和野太鼓谷稲荷神社を参拝します。そうそう、今回も老母が同行しています。1人で留守番させるのも却って気兼ねですし、気晴らしにもなりますので…しかし、いつも以上の夥しくも凄まじい人出には改めて吃驚していました。津和野の街中も大勢の観光客がそぞろ歩いていました。そんな状況ではどこの食堂・レストランに入ってもまず待たされるのがオチです。そこで、国道9号線を少し北上し、道の駅シルクウエイにちはらに立寄り、鮎の唐揚げ定食で昼ごはんとしました。往路の「激パ」モードに加え、既に復路の列車を待つため沿線に集うギャラリー達の姿を見るにつけ、復路の複数個所撮影はほぼ絶望的だと悟りました。津和野~船平山間、まず津和野を発車して上りこう配をよじ登る姿を撮影して次の場所へ…普段の運転時なら不可能ではありませんが今回は無理そうです。そこでこの場所は諦め、鍋倉駅発車シーンを狙うことにしました。予定地に着いたのは列車の通過時刻の小一時間前でしたが、既にこの場所にもざっと見て50人ぐらいが待ち構えていました。15時07分、鍋倉駅をSLに先行する2546Dが発車して行きました。この列車からも何人もの「御同業」諸氏が下車してきて、田んぼの間の未舗装道路を歩いてきました。列車移動の「撮り鉄」、王道を行く人々ですねSL運転時には沿線に人が湧く。その騒ぎには慣れている筈の地元の人も、今回の人出は異常に思えたらしく一様に驚いていました。待つこと更にしばし…遠くで汽笛が聞こえてきました。いよいよお出ましです。今度はC56160が先頭に立っていました。
2009年09月24日
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地福駅発車のシーンを撮影後、直ちに次の撮影ポイントに向かいます。ただでさえ狭い道に夥しいクルマが集中するので少々もたつきましたが、それでも国道9号線は何とか流れていました。列車は鍋倉駅に停車しますのでその間に先行できました。リンゴ園の入り口近く、ちょっとした駐車スペースのある部分にも10台近くが集まりスタンバイ中でした。今思えばこの場所で妥協しておけば…(^^);その様子をしり目に、鍋倉駅を発車する汽笛を遠くに機器先を急ぎますが、少しずつ少しずつ流れは悪くなります。国道315号線へと左折する頃には恐ろしい状況に…この国道315号線は対面交通で、9号線との交差点からほどなくして山口線をオーバークロスするのですが、道の両側に路上駐車してカメラを構える「不届きもの」が続出!擦れ違うにも苦労するありさまでした。すぐそこにC571+C56160+岡サロ編成が迫っています。天空高く立ち昇る黒煙も間近に見えます。気ばかり焦りますが捗々しくありません。やっとこさ通り抜け、その先の信号を右折。徳佐駅に到着する列車を横目で気にしつつ、51キロ地点付近、宇津根踏切を目指しますが、想像を絶する人出と路上駐車に行く手を阻まれ中々進めません。路上駐車の列の切れ目を見つけて停めようとすると、崖の上に居並ぶ「御同業」諸氏から「どけ!」「邪魔だ!」の一大シュプレヒコール(^^);おっと…ここに止めたら彼らの画角を支障するようです。止むなく再発進(駐車を敢行したら袋叩きに遭いそうでした。いあ、マジで(^^);本当に目が血走っていましたよ…)とにかく、宇津根踏切の先へ…と思ったものの、狭い道の両側の駐車車両に阻まれ、先行車も立ち往生しているところで行く手を塞がれ、The End!流石に今回の様な条件で3か所で撮影と言うのは無謀だったようです。動けないクルマの窓から振り返りやっとこさ写したカットです。折角の重連も、後に従う岡サロも全て隠れてしまいました…
2009年09月23日
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時刻は12時13分になりました。まずC571が汽笛一声。一呼吸おいてC56160が応えます。勢いよく煙を吐いて、列車は加速します。今回はカマ以上に客車がメイン。編成全体が入るように退きをとって撮影してみたら?先客各位も写り込んでしまいました。(所謂ネタ列車、しかも並走しながら撮影ポイントを変えて狙う以上この程度人が入ることは覚悟の上です。)(^^);岡サロ編成の充当に関しては事前に公式リリースがなされていたせいか、沿線はもう夥しい数の人・人・人…(^^);見渡すとこれまた他府県ナンバーのオンパレード(笑)。皆さんおヒマねぇ~(爆)。次の撮影地に向け移動開始です。
2009年09月22日
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三谷~名草間で撮影後直ちに移動します。次のポイントは地福駅発車後のシーン。線路に並行した道路を進みますが各所で「御同業」諸氏に出会います。ただでさえ人気の高いSLが重連になりいつもと違う客車を牽くとあっては色めき立たない「鉄」はまずいません(^^);この道は丁度名草駅と地福駅の前を通ります。地福駅に差し掛かると、丁度列車が停車中でした。そういえばこの岡サロ、かつて旅先で出会ったことがあります。あれは確か、1988(昭和63)年の1月1日、西宮市に住んでいたころ、奈良県在住の友人N氏と共に、「エーデル丹後」(だったかな?キハ65改造の前面展望に優れたジョイフル気動車)を使った臨時列車があり連れだって乗車体験。伊勢市に行った時、JRの伊勢市駅だったかで出会いました。まだ茶色(赤7号)ベースの旧塗装時代でした。仔細に眺めると案外改造痕があちこちに見つかり、友人ともども…「模型作る時は仕上げあんまり気にしなくて良いな」(^^);編成はのちにリニューアルもされていますので案外その時そのあたりも改修されたのかも知れません。今回遠目ながら眺めた限りではそのような痕跡は見られませんでした。地福駅で一息入れる同列車です。停車時間を利用して次の撮影予定地に向かいます。
2009年09月21日
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今年は山口線のSL復活運転30周年の年ということで様々なイベントが行われていますが、その一環として、9月20日・21日は岡サロこと、ゆうゆうさろん岡山編成が充てられると聞き(公式サイトにもリリースされていました)、去る8月01日の原型12系充当列車が仕事の都合で「鉄」できなかったので今回こそは!と出掛けました。ただでさえ混みあう山口線沿線ですが、今回はきっと人出が多いだろうなぁ~と思いつつ、いつものように国道315号線を阿東町に抜け、国道9号線沿いに南下します。何処で撮るか?取り敢えず競争率の低そうな三谷~名草間を1回目の撮影ポイントに選び、細い道を進みました。前回(4月19日=未記入)訪れた時には「御同業」の姿は殆ど見かけなかったのですが、流石にこの日はあちこちに黒山の人だかり。道沿いにはこれまた多くの駐車車両がありました。狙った撮影ポイントにも既に先客があり、空きスペースに駐車しようとすると先客からクレームが…なんとその方の画角に影響するとのこと。仕方なく別の場所に移動して駐車しました。しばらくするとまた別のクルマが到着、数人の若者が降りてきました。そのうちの1人から…「隣、いいですか?」「あ、いいですよ。どうぞ」その青年と並んでカメラを構えます。時刻は正午を回ったぐらいでしょうか?C571のエスコート、C56160のアシストで、特製ヘッドマークを付けた列車がやって来ました。しかし、まさか重連だとは思っていなかった(定数の関係で減車してくるだろうと思っていたのですがフル編成だったため、定数確保を兼ねて重連になった模様です)ので、次位機が隠れてしまいました。撮影終了後直ちに移動します。
2009年09月20日
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はい、タイトルどおりです。懲りもせず再び美祢線5990レの撮影に出かけました。国道2号線から徳山西インターより山陽自動車道に入ってみると?なんと!大渋滞中。流れが時速40キロ以下とあっては高速道路を使う意味がありません(一般道路の方が寧ろ時速60キロで流れる分速く走れます)。早速次の防府東インターで降ります(500円=通行料=捨ててしまいました)。今回の撮影場所はこの日の場所より少し北に位置する場所で、厚保~四郎ヶ原間です。並行する国道316号線の歩道から撮影しました。この日のエスコート役はDD51852号機でした。このところしばしば出会うカマです。このまま急げば或いは山口線も狙えたのでしょうが、それは翌日に行うことにしました。
2009年09月19日
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ブログネタにしたいような「撮り」ネタは幾つか仕入れたのですが、フォトアルバム容量の関係で中々アップできずにいました。698件目の発言後699件目まで4ヶ月空いてしまったのにはそのことも影響しています。今回のネタは9月13日に撮影した美祢線5686レを紹介します。通称「岡見貨物」。山陰本線岡見駅まで走る列車で、新山口~岡見間は重連運転で走る由。生憎岡見行きはその区間は早朝、返空回送は夜間の運転とあっては重連運転のカットは撮れずに終わってしまいました(行くとしたら来年夏?しかし日の出とともに出発しないと厳しい場所です)。しかし美祢線内、美祢~厚狭間なら?美祢発17時台ですので、もうしばらくは撮影が可能です。例によってロードマップを頼りに並行道路を進み、ぶっつけ本番で狙ったのがこの場所、厚狭起点14キロ838メートル地点、四郎ヶ原~南大嶺間にある大沖第二踏切付近です。この日のエスコート役はDD51852でした。この後別カットを撮るべく、「追いかけっこ」をしてみたのですが…思ったより列車の速度が遅く、先回り自体は不可能でもなかったのですが、生憎撮影に失敗してしまいました。満足に撮れたのはここに紹介したこのカットぐらいです。またいつか、再挑戦しないとなりませんね(^^);追記おかげさまでこの発言で700件目となりました。ともすれば挫けてしまって更新が滞ったり、時には削除してしまおうかと思うことも有りました。何とかここまで来ることができたのは応援して下さる皆様のおかげと感謝しております。しかしながらこれ以上続けるには、フォトアルバム容量の上限値に逼迫してしまい、新たな画像を貼るには過去に紹介した画像を削除せざるを得ない状況と相成りました(以前もフォトアルバム容量ねん出のため過去画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再アップしたりしましたが、それもそろそろ限界です。有料でフォトアルバム容量を20倍に増やせるサービスがあるそうですが、その金銭的負担が正直苦しいのです)。場合によっては過去発言の中に画像が消えたものが増える可能性がありますこと、ここに上申いたします。
2009年09月13日
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さて、投稿順が前後しますが、この日お出かけのついでに撮影したこのカマを紹介しましょう。ネット上で何かとお世話になっております品川530様のブログページのこの日の発言で触れられていた、ドイツのクラウス=マッファイ社製蒸機の保存車です。元はこの地を走っていた防石鉄道の2号機です。社名から察すると防府を起点に島根県(石見地方)まで延伸する予定だった模様ですが、元々然程沿線人口があるわけでもなく、農産物等貨物輸送もたかが知れていて、開業当初からその経営は捗々しくなかった由。営業不振→減量経営(減便)→更なる利用客減→営業不振→…という「負のスパイラル」に陥ってしまい1964(昭和39)年、鉄道は使命を終えたとして廃止。会社はバス事業者として営業を続けましたが、その営業エリアを完全に内包する形の防長交通に吸収合併される形で会社は消滅、梅鉢の真ん中にレールの断面を配した社紋も過去のものになりました。残念ながら私にはこの鉄道の現役時代の記憶がありません。物心つくかつかないかの頃に消えてしまいましたので…ただ、まだ防府駅が地平だった頃、駅前(現在の天神口側)に防石鉄道バスの乗り場があり、キップ売り場を兼ねた建物はどうやら鉄道時代の駅舎をそのまま流用していたと見え、その姿に鉄道現役時代への思いを馳せたものでした。このカマを含め、「失業」した鉄道車輛達はしばらく元中間駅跡にそのまま忘れ去られていましたがその後このカマは市内の佐波中学校脇に移設・静態保存されていたとのことです(生憎私の出身中学ではなく当時の行動範囲外の場所でした)。現在の姿です。防府駅の少し大道寄りの、上り線の北側に鎮座ましましています。この保存機に関して、製造元のクラウス=マッファイ社から防府市に感謝状が送られているそうです。1894(明治27)年の製造当時の雰囲気を残したまま文化遺産として保存されていることを嬉しく・誇りに思うとのことで、日独友好にも一役買っているようです。末永く大切にされて欲しいものです。(同じ保存機ながら市内の児童公園に設置されたD51463はしかし、あまり顧みられることなくうち捨てられ朽ち果てるに任されるまま荒れ果て、遂には解体処分されてしまった由。その轍を踏まないように願うばかりです)
2009年09月06日
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はい、久々に、本当に久々のブログ更新です。もしかしてブログ主の死亡フラグを立てられた方も或いはいらっしゃったかも知れません。あながち外れとも言えません。半ば生きる気力を無くしかけています。はい。(非正規雇用から正規雇用に抜擢されたまでは良かったものの格段に増えた業務・格段に重くなった責務・格段に早く厳しくなった達成基準にとうとうオーバーヒートしてしまい、再び非正規雇用に戻り、後任が決まり次第離職することと相成りました。罹病歴=鬱病=を採用時申告していなかったことも経歴詐称に当たるのでしょうか?)紆余曲折はともかくとして、少なくとも職場に居場所を失った男に果たして生きる資格はあるのか?自問自答の結果は「否」としか出てきません。百歩譲って、人の居場所は職場のみに非ずとしても、世のため人のため働くことができない=たとえ当の本人は世のため人のためと思って一生懸命働いていてもその結果が周囲の期待に添うどころ憂鬱と不快と損害のタネを撒き散らすだけでしかない=ような「クズ」に対して世間様がどう評価するか?間違っても良い評価は得られないのは自明の理です。そんなここんなでいつしかブログ更新の余裕も滞りがちとなってしまい、数ヶ月間更新出来ずにいました(もっとも、ブログ更新が滞った最大の理由はフォトアルバム容量逼迫という切実な事情もありました)。閑話休題。今回のお題は美祢線の貨物列車5990レです。かつては何往復もの列車が踵を接して雁行していました。旅客列車は忘れた頃にしかやって来ないのに貨物列車は頻繁に走り、それがまた列車密度の高い山陽本線の宇部~厚狭間に乗り入れるとあって、同区間は山陽上下本線にもう一本、短絡線が併設され、しばしば本線列車と並走していました。あまりにも当たり前の光景と思っていたのですが、諸般の事情により運転本数が激減し、遂には廃止との報を受け、重い腰を上げて?撮影に赴いたものです。(同じ県内とはいえ、美祢線沿線に赴く機会が中々無く、尚且つ近いとも言い辛い位置関係もあって、「乗り」の経験はあっても「撮り」の機会には中々恵まれませんでした。昨年9月の前回以来2度目の「撮り鉄」行です)8月30日朝8時過ぎに出発。徳山西インターから山陽自動車道に入り山口南インターで降り嘉川バイパスへ。山陽小野田市で国道2号線から国道316号線へ。現地の事情が判らなかったのでロードマップで適当に辺りを付けた湯ノ峠~厚狭間、川沿いの場所を撮影ポイントに選びました。およそ午前10時35分ごろ、DD51881のエスコートで5990レはやってきました。
2009年08月30日
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何時までも幻影に捉われてもいられません。とはいえこの喪失感は生半可では埋まりそうに無いのもまた事実です。さて、03月28日より、今年もSLやまぐち号の運転が始まりました。28日は生憎仕事でしたので、本日29日、丁度別件で出かける用事があったことでもあり、「撮り」に赴きました。途中国道9号線の峠道で、時速60キロ走行が許容されているにも拘らず、時速40キロ弱で走るクルマに行く手を阻まれ気をもみました(^^);が…(見通しの悪い連続Sカーブの対面交通区間、センターラインも黄色とあっては追い越すわけにも行きません。後続車もずら~っと数珠繋ぎでした…)何とか間に合いました。当初は長門峡付近で撮影しようか?と思っていたのですが到着した時には既にクルマを停めるスペースは無く、その先に向かいました。そして、川沿いに走っている区間を見つけそこで撮影する事にしました。狙いは悪くなかった筈ですが…いざ列車がやって来たら手前の道を丁度列車と並走してきたクルマが画面に入ってしまいました…あやや…撮影を終え国道9号線をそのまま進みます。その先にも山口線と並走している区間があるのですがおや?何時の間にかSLを追い越していました(いえ、間違っても法令違反はしていません。ちゃんと法定速度で走行しています。はい)(^^);とういうことで再び撮影。もっともこの場所、新山口行9522レなら鍋倉駅発車直後でもあり煙を吐くのですが、9521レは絶気運転でやって来ました。さて、列車はこの後徳佐駅にも停車します。もしかしたら?間に合うか?再びクルマを走らせます。阿東町徳佐地区、国道9号線から国道315線へ左折しました。すぐの陸橋で山口線をオーバークロスするのですが、対面交通の車線幅分しかない橋の上に次々路上駐車が…危ないなぁ~(そら確かに、すぐそこに9521レが迫ってますから、撮りたいって気持ちは判らなくはないですけどね…でも交通の妨げになるような行為は…支持できません)そしてこれが、徳佐~船平山間を行く9521レの姿です。今年も休暇の度に追っかけることになりそうです(^^);
2009年03月29日
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はい、しつこくもまたこのネタです。もう2度と走ってこないと判っていてもやっぱりその幻を追っかけてしまいます。まるで死んだ子の年を数えるような話ですが…未だに心の整理は付いていません。自分でも意外でしたが、心の中の空虚感は思いのほか大きいようです。
2009年03月28日
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