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今年は自分にとって、入院という初体験をした記念すべき年だった。5月頃から、足が浮腫み始め、腹がパンパンに膨らんで寝ていると呼吸も苦しいことがあった。この時、体重86kg。通常は70kgぐらいだったので16kgオーバーであった。仕事が落ち着いたので土曜日の朝に近くの医院で診てもらったら「こりゃ、大変だ!」と医師が驚いた。すぐに紹介状を書いてくれて、今すぐに市立病院へ行きなさいと言われ、その足で病院へ。土曜日の正午近くだったが、内科の女医さんが待っていてくれて検査の結果、2週間検査入院することになった。7月12日に入院し、調べた結果はHbA1c(ヘモグロビン・エー・ワン・シー)が10.7という高い数値、糖尿病だと診断された…。この辺の入院時の話しは、「入院時のこと」というカテゴリーに詳しく書いてありますので、興味がある人は読んでください。ちなみにHbA1cの正常値は5.8~4.4%なので、すごい数値だったのだ。これから書くことは、僕という個体の糖尿病治療ケースなので参考にしないほうが良いと思います。なぜなら人それぞれ持って生まれた細胞の強さや抵抗力は違うはずで、それに子供の頃からの食生活にも関係あると思うからです。でも将来、メタボリック・シンドロームから糖尿病へと診断される人には自分の意志を固めるための一つのヒントにはなるかも。検査入院し糖尿病と診断され、すぐに2種類の糖尿病内服薬を飲むことになった。ある日、回診で年配の地位の高い医師が僕の主治医である女医さんたちをゾロゾロ引き連れて病室にやって来た。これが大名行列というやつか。主治医の説明で、その年配の医師が言葉をかけてくれたのだが、それはインスリン注射をした方が良いという一言。「えっ?」とちょっと驚き、僕の主治医の女医さんの顔を見上げると、何か言いたそうな表情だった。その夜は、インスリン注射のことでじっくり考えた。偉い医師の言葉に素直に従うか、否か。あと思っていたのは、5月のゴールデンウイークまでの徹夜続きとストレス。そのための回復としての150mlのスポーツドリンクによる栄養補給などが原因で急に浮腫んでしまい急性の「糖尿症」になったのじゃないかと自分では考えていた。今年は早くから猛暑だったのでテレビは熱中症のことを毎日のように伝えていた。だから汗もかいていないのに普段よりも意識的に水分補給は多めにとっていたのだった。素人が勝手に判断するのは良くないが、ここまで急に悪化した原因を一番知っているのは自分だというのも確かである。それに、ストレスによる原因というのは、医師にとっては理解しにくいようだし…。他に原因としては、心臓につながる血管の1本がつまっていたことを循環器科の医師から聞いていて、カテーテル治療の予定が入っていた。翌日、主治医が往診に来た時に「入院して突然、II型糖尿病だと診断され、偉い先生に言われたからといってインスリン注射というのは納得がいかない。まずは栄養士の薦める食事や運動で血糖値を下げることが必要なんじゃないか?」と自分の意見を伝えた。さらに「インスリンを打ち始めたら、死ぬまで打ち続けるということじゃないのか?」。「そんなことはことはないけど…」と自信なさそうな返事だったが「じゃあ、薬替えてみる!?」と、明かるい表情で付け加えたのにはこちらも驚いた。自分の意見をはっきり伝えれば他にも方法があるじゃないか!という満足感だ。それと主治医の瞳が輝いたように見えたからだ。これは推測だが、主治医もインスリン注射まで考えていなかったのかもしれない。その日から糖尿病薬が変更されジャヌビアという薬になった。このジャヌビアという薬は、昨年やっと日本で承認された新薬で循環器科の看護師も知らなかったほど。従来の薬と違い、血糖値を上げるグルカゴンの放出を抑え、インクレチンの作用を強めるというもの。当然、薬=毒なので副作用はある。この薬にした理由のもう一つは、医療関係の仕事で治験のパンフレット・デザインなどもやっているので、モルモット代わりになるのも良いかという思いもあった。退院後も1カ月に1度、近くの医院へ行き検査をしてもらっている。問題のHbA1cの数値は、退院1カ月後=8.7%、2カ月後=7.3%、3カ月後=6.7%、そして昨日 4カ月後の検査結果が出て主治医を驚かせた。数値はHbA1c 5.6%(基準値5.8~4.4%)。また、血液検査による他の数値の結果も基準値になりました。え?体重。体重は67~68kg、身長は177.3cm、TG(中性脂肪)99mg/dl(基準値50~140mg/dl)。体型がわかっちゃうね^^;内服薬のほかに自分で考えた食事治療として退院後毎日 青汁を森永カルダスに混ぜて飲むようにしている。カルダス歴も、売り出してすぐだったからもう長い。栄養士が言う、毎日に必要な野菜量などは物理的に無理なので却下したのだ。でも毎日、ミズ菜、レタス、キュウリを混ぜたサラダを食べている。ドレッシングは、オリーブオイルを使った薄味のもの。コーヒーはブラック。甘い菓子は、今までもそんなに食べていないので、意識して食べるくらい。
Dec 23, 2010
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Oct 14, 2010
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Oct 4, 2010
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Sep 29, 2010
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Sep 24, 2010
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今、地元の御家人で坂東八平氏の一つ三浦一族のマークとキャラを作っているのだけれど、提出した案がなんとか通りそうなので一安心。入院時には、無地のA4レイアウトパッドと0.7ミリ芯のシャーペンを病室に持参して、このマークやキャラのデザインを考えていた。三浦一族といえば衣笠合戦で一人城に篭って闘ったと言う話しもある三浦大介義明がまず最初に頭に浮かんだので、なんとおじいちゃんキャラを作ろうとスケッチしていたのだった。衣笠城合戦の時、一族を安房へ逃がし一人で闘ったと言われる。その時大介はなんと89歳。元気なじいさんである。横須賀には木像が残っていたりするけれど、89歳という年齢をイメージすると白い髭ボウボウの目は少年のようにつぶらな瞳をイメージしてしまった。頭には兜用の烏帽子をかぶり腰には太刀を差した鎧姿の全身像をまずスケッチし、次に三浦氏の家紋「丸に三つ引両」が入った幕の前で槍を構える大介。もう一つは、大介の上半身を中心としたマークを描いた。そうやってラフスケッチを描いている時に、ある看護師さんが病室に来て「わぁー、すごい!」と驚いていた。こういう仕事もやっているんだと説明すると、「かわいい」と誉めてくれた。「かわいいかい?これ、じいちゃんキャラだよ」と訊くと、やはりカワイイと言ってくれた。20代女性のカワイイという言葉は、いろいろな意味があるようなので、さらに「このじいちゃんグッズがあったら、看護師さんも身につけてくれるかなぁ?」と訊くと、「欲しいです」と答えてくれたのだった。ということで、あまりにも簡単に自分のなかでは決定してしまったスケッチ案が今、世に一歩踏み出したのでした。絵というのはコミュニケーションにも一役かってくれるもので、他県から横須賀に来ているその看護師さんはそれ以来、病室に来ると長居をして、同郷の先輩看護師さんと横須賀や横浜に遊びに行ったことなど話してくれるようになった。最初は事務的な会話で、黒縁の眼鏡をかけていたので硬いイメージがあったのだけれど、スケッチしていたキャラ絵のおかげで壁がなくなったみたいだ。ここの市立病院は、市立といっても民間会社に経営をまかせているので、同じような他県の病院からの転勤もあるらしい。「地元で仕事をしたいだろうね?」と訊くと、まだこの市立病院で働きたいと言っていた。横須賀の花火大会はチケットをもらったので、特等席で見たらしい。「じゃあ、今度はカルフルニアに行ってみたら?」と言うとキョトンとしている。米軍基地はカルフォルニア州ということになっていて、ベース開きの時に行くと珍しい体験ができるかもよと説明。それは知らなかったようで、「行ってみたいな」と言っていた。そういえば横須賀の名所を巡る、観光バスって見かけないなあ。海上では、軍港めぐりの観光船が就航しけっこう話題になっているけれど…。
Sep 16, 2010
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病院はプロフェッショナルが集まっている所なので、興味津々で好きだし、僕にとっては安心できる場所。日常生活で欠かせない食事に関しても、栄養士という専門職の人がいるので心強い。僕が食事のことを教えてもらった栄養士さんは女性二人だったが、どちらも講義はおもしろかった。一人はマニュアルのように、一方的に塩分制限を唱える色白で薄い赤い唇が目立つ女性。この時は談話室で何人かまとめて講義してくれた。ペラペラとよくしゃべる人で、僕が「はい。質問でーす」と手を挙げなかったら、きっとしゃべり続けたと思うほど。それでも研究発表のように、カップラーメンやそばつゆ、そうめんなどを持ってきて、その塩分濃度を説明してくれたから熱心さは伝わってきた。ちょうどこの時、僕は検査の後で点滴をしながら車椅子に乗っていた。僕だけが看護師さんが付き添っている、特別待遇のような状態だった。そして、僕に最後にかけてくれた言葉はちょっといただけなかった。「看護師さんも一緒に塩分制限をやってくれるので、がんばりましょうねー^^」という言葉。なんか幼稚園児に思われているようで変な気分。車椅子を押してくれている看護師さんの顔を見て「そこまで言うと、なんかサクラっぽい構成だなあ^^;」と感想を言うと栄養士さんは苦笑していた。でも、そういう言葉をありがたく思う老人もいるだろうから悪いこと言っちゃったかな。この栄養士さんは、僕と同室になった元調理師の患者にも、イジメられたようで、牛肉、豚肉、鳥肉のどれが人間に近い温度かわかっちゃいないと専門的な感想を言っていた。僕と同じような、嫌な患者もいるものである。もう一人は、インド系のような顔立ちの女性で、たまたま他の患者の食事指導で病室に来た栄養士さんだった。退院日も決まった時なので、今用意されている食事メニューの疑問点を訊いてみた。入院時は尿に蛋白が多く出ていたので、蛋白を減らした食事で、その代わりに毎食フルーツゼリーやフルーツジュースが付いてくる。内科にいた時は、糖尿病と診断されて糖分制限も言われていた。なのに、なぜいつまでも毎食甘いゼリーや甘いジュースが付いてくるのか疑問だったのだ。それに、家に帰ったら朝食は簡単なサンドイッチ、牛乳、野菜サラダと決めていたので、パン食のメニュープランも訊きたかったのだ。その疑問と質問を彼女に言ったら、翌朝からパン食に変更してくれて、さらに親切に内科の主治医にも訊いてくれたのか、蛋白制限の食事ではなくなり普通のものになったのだった。栄養士さんの説明では、尿に出ていた蛋白も減って浮腫みがとれたので、普通のものに戻したらしい。尿に出てしまっていた蛋白を減らすために食事の蛋白質を半分にし、それを補うために糖分を高くして栄養バランスをとったメニューだったらしい。病院では、ちょっと脇役的な存在に感じる栄養士さんだけれど、やはりプロフェッショナルだなあ。思い切って質問してよかったと今でも思っている。
Sep 15, 2010
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駅の改札を出て、坂道を登ると上町に出る。この町は、ところどころに看板建築と呼ばれる店舗が残り、今でも懐かしい趣の商店街になっている。その長い商店街を真っ直ぐ歩いていくと、途中道が「への字」に曲がったところがあり、角には大きなコッペパンが名物のパン屋がある。その横の細い路地を入ったところに、その病院はあった。建物の外観は塗りなおされ比較的新しいものの見えるが、実は昭和40年代の建物らしい。それ以前は、近くに立っていた陸軍病院の別館だったようだ。だから今でも戦時中には遺体置き場があったなどという噂する患者もいた。院内に入ると、ロビーがあり左の廊下を行くと2階から病棟になっている。病棟は一直線の長い廊下になっていて、まるで艦船の廊下のように配管がむき出しになっていろ。硬直した蛇のように伸びる配管には、舵輪状の赤いハンドルまで付いている。病室の廊下側の窓は木枠で高い位置にある。そこについている鍵が小さなねじ込み式の昔のもので、これまた時代を感じる。左右非対称の面積を持つ両開きの重たいドアの上にも木枠の細長い窓があり、長い棒のようなもので開けるようになっている。こちらのロック方法は閂を凹部分に落とすことで鍵がかかる仕組みになっている。普段からこの細長い窓は開いた状態なので、注意して見ないと見落としてしまう。だが、さすがに外に面した窓はサッシになっている。ガラス窓の外側には網戸が張ってあり、サッシのガラス窓も少ししか開けることができないよう、固定されていた。これらの鍵などの仕掛けは年代を感じ、懐古的なものが好きな自分にとってはうれしいものだった。病室が左右に並ぶ長い廊下は、看護師さんに長さを訊いたらわからないと言う。ならばと自分で歩いてみると約110歩。100メートルくらいの長さだった。東西両端には非常階段があり、ナースセンターとエレベータは中心にある。廊下を挟んだ左右の病室は非対称で、北側の病室は4人部屋が並ぶが、南側は4人部屋の半分の床面積の個室などが並んでいた。ナースセンターの近くにある浴室内も配管がむき出しになっている。脱衣スペースには棚が並んでいて、マットが敷かれていて滑らないようになっている。床はタイル張りで、なだらかな斜面になっていて、浴槽の中もタイルで造られている。浴槽には手摺付きの梯子が設置されていて、安全性が考慮されていた。洗い場の壁には裏に塗った水銀が剥がれてしまった鏡もあり、透明なガラスになってしまっているものまである。壁のガッチリとした金属むき出しの配管と自由なカーブを描くシャワーのホースの対比がおもしろい。食事時間になると、廊下から動力の音が聞こえてくる。患者たちの食事を運ぶため電動式の車輪付きコンテナみたいなものが発する音だ。左右は透明アクリル製で、それが扉にもなっている。そのコンテナ車に患者の食事トレーが数段積まれている。トレーには各名前の書かれたカードが置かれているが、一度だけ僕の分が違う患者のテーブルに置かれてしまったことがあった。「JINさん、お食事です」と名前を言いながら、向かいの人に配膳したのだった。看護師さんはすぐに間違いに気が付いたが、やっぱり何か間違える時は人間の手によるものだなぁと改めて学習。この電動コンテナ車も興味があったので、廊下に出てしげしげと観察していたら、看護師さんが説明してくれたのだった。前後の人が一方向に同時に押したり引いたりすると、動力がかかり動くらしい。試しにちょっと押してみると動かない。安全性を考慮した優れものである。この電動コンテナを各階に運ぶために専用のエレベーターがあり、そこは立ち入り禁止区域になっていた。こうやって入院時に観察したことを書いていると、古い建物の病院はミステリっぽい雰囲気があり何か良い感じでしょ。それにミステリは怪しい雰囲気がなくちゃと思う自分にとっては、想像力を刺激してくれる。
Sep 14, 2010
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前にも書いたが、僕がいた病室はほとんどがカテーテル検査入院の人たちなので、1泊2日コースが多かった。知り合ってもすぐに退院してしまう。親しくなったTさんも入院は10日間で、看護師さんから退院日のことを知らせてもらって気持ちはウキウキしているようだった。僕のほうも主治医から退院日のことを聞いているので、そのことを部屋に来る看護師さんたちに言うと「聞いてないわ」という冷たい答えばかり。なかには「ふふふ」と、マスクの奥でいたずらっぽく笑う看護師までいる。おかしいなあと思ったが、どうやら主治医は忙しくて看護師さんたちに言うのを忘れているのだろうと自分なりに答えを出した。Tさんが退院した翌日は自分はカテーテル治療があり、あと数日間で退院が近づいているのを喜んでいた。カレンダーがあったら、X印をつけたい気分だ。ところが病室に診察に来た主治医の話だと、術後にレントゲンと採血検査をやるために1週間伸びたのだった。ウソだろーと思い、看護師さんに退院日が伸びちゃったよと嘆くと「きっと先生に気に入られたんでしょ^^」と冗談で励まされた。ところがこちらは仕事の打ち合わせの予定日が決まっていたのでかなり焦っている。金曜日にカテーテル治療が終わったが、主治医の新しい予定では土・日は病室でゴロゴロ。月曜日はレントゲン検査。火曜日もベッドでゴロゴロ。水曜日に採血。木曜日もベッドでゴロゴロ。金曜日に退院と変更していたらしい。これにはさすがに「ちょっと待ってくれよ」と困ってしまい、もうこうなったら脱走しかないと考えた。同室の、これまた親しくなっていたIさんに脱走計画を話すと、協力してくれるという。彼が、病院を抜け出して喫煙している者たちの脱出ルートや死角となる場所も教えてくれた。以前にこの病院の整形化に入院したことがあるから詳しいのだ。そこまでコソコソと隠れて脱出しなくても、他にも方法があるはずだ。うまい具合に、自分がいる病室は非常階段の横である。医師がこの非常階段を利用していることも確認済みなので、各階、外側から鍵がかかっている可能性は低い。それにナースセンターを通らずに、外へ逃げるにはここしかないと結論した。そして実行の日を木曜日とし、脱走し、クライアントと打ち合わせ後に仕事の仕上げを伸ばしてもらい、さりげなく病室に戻る計画を立てたのだった。ところが、看護師さんが病室に来た時に、Iさんが「JINさんは、脱走しようとしているから注意したほうがいい」とバラしてしまった。なんていう野郎だ。バラされたら、開き直るしかないので正直に仕事の予定が入っている事と、なぜベッドでゴロゴロしてなきゃいけない無駄な日があるんだと疑問を必死に訴えた。そんな僕の姿を見てIさんは「おかしい^^」と笑っていたが、脱走を本気で企てている同室者を心配したのかもしれないし、自分の責任を重く感じたのかもしれない。Iさんが検査で病室を出て行くと一人になった。静かな病室で、しばらくして気持ちが落ち着くと冒険心は徐々に失せていった。そして、退院時間はほとんどが午前中なので、クライアントとの打ち合わせ時間を夕方にズラしてもらえば良いと考えるようになった。でも、脱走しようとする冒険心がいくらか残っている。とりあえず外へ出ようと思い、マスクの奥で「ふふふ」と笑った看護師さんを廊下でつかまえた。そして、突然に外出許可をもらえるかどうか訊いてみた。すると驚いたことにすぐに手続きをしてくれたのだった。同室のIさんが検査でいなかったので、外出することは告げずに廊下を出ると、向こうから歩いてくるIさんとすれ違った。「まさか、これから脱走するのか!?」と驚いた顔のIさんに無言で手を振りエレベーターに乗り1Fへ。裏切り者は、ちょっと脅かしたほうが良いのである。玄関に停まっているタクシーに乗り込んで自宅へ戻った。タクシーで5分くらいの距離。さっそくクライアントに電話をかけて打ち合わせ時間の変更をお願いすると、しばらくしてから安心して病院に戻ったのだった。すると、朗報が待っていた。看護師さんが主治医に伝えてくれたのか、水曜日の採血検査が1日早い火曜日に変更されたのだった。「ああ、これで木曜日には退院できそうだ^^;」と喜ぶと、「退院日のことは、まだ聞いていません^^」と、またもや目で笑いながらからかうような言葉が返ってきたのだった。
Sep 12, 2010
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市立病院に入院していた時に同室になった患者の何人かは、何度か入院したことのある人たちで入院初体験の自分とは違っていた。その人たちは、なんたって横須賀の大きな総合病院に関してやたら詳しいのだ。ベテラン患者という感じで、なぜか親切すぎるほどに話してくれた。「あそこの病院は金もうけ主義」とか「あそこにはテレビにも出た神の手がいる」とか食事の良し悪しなど、どこから仕入れたのか情報量がすごかった。病院を渡り歩いている人もいるから驚いた。病院の診察券を何種類も見せてもらった。なかには「あそこに見える建物の辺りに、戦時中は死体置き場があったらしいなどという話しまでしてくれた。どこまで本当の事だかわからないけれど、横須賀ならありそうな話しだなと思わせるから憎い。横須賀の大きな総合病院は、東海岸側では横須賀中央周辺に元陸軍病院の「横須賀市立うわまち病院」、元海軍工廠の病院「横須賀共済病院」、カトリックの「聖ヨゼフ病院」の3カ所。そして田浦にはこれも海軍の病院だったらしい「横須賀北部共済病院」がある。それに比べて西海岸側では1カ所しかなく武山駐屯地の隣に「横須賀市立市民病院」。病院に関しても横須賀は昔から軍港だったので現在は人口41,9000人くらいの市だけれど恵まれているほうかもしれない。それでも運営が大変なので市立と名はついていても民間にまかせているそうだ。西海岸側にある「横須賀市立市民病院」のほうは、葉山町に住んでいる僕の叔父も入院したので、西海岸側の三浦市や葉山町の人たちも利用しているようだ。ブログで知り合った人たちと基地開放時や観艦式などで会うことが多かった頃、自分は地元組なので、もし誰かが大きな怪我や急病になった場合、どこの病院が良いかと真面目に考えたことがあった。地元なので、入院時の世話や見舞い、退院時には車で自宅まで送ることなども考えていたのだ。シミュレーションは描いておいたほうが、いざという時に慌てないで済むはず。だけれど、よく考えたら海自の横須賀総監部や米海軍基地の場合は横須賀中央周辺の4つの病院だろうし、船越の時は北部共済病院、武山駐屯地のイベント時には隣が病院なので心配することがなかったかもしれない。まさか救急車の中で、苦しみながら「元海軍病院へ入院させてくれー」などというワガママな人はいないと信じている。もしいたら思い切ってカトリックの病院に入れてしまうのも良さそうだ。昔、そこの病院案内パンフレットをデザインしたことがあるので、縁がないわけでもないし…。病院内でシスターを見かける病院も、軍事好きな人には良いかもしれない。
Sep 7, 2010
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今日、市立病院に入院するための紹介状を書いてくれた近所の医師のところに診てもらいに行った。入院時の様子を交えた問診が終わり、では検査はいつにしましょうか?と訊いてきた。自分は今日のつもりだったので、尿検査と血液検査を今やってもらっていいですか?と催促。クライアントの打ち合わせが終わってから来たので、おしっこも出さずに我慢していたのだ。紙コップをもらってトイレで尿を採り、検査してもらったら驚きの結果に医師が声をあげた。蛋白、糖など標準値で中にはマイナスのものまである。「朝食、食べてないの?」と訊かれたが、薬を飲むために朝食はしっかりととっている。体重も68.3kgであったことを伝えた。「きっと薬が効いているんですね」とこちらは一安心。あまりにも尿検査の結果が良いので「JINさんは、お酒は飲まないの?」と訊かれた、「あまり飲まないですね。退院してからもビール2回飲んだだけだから」と答えたら、どうやら飲酒量の多い人は退院1カ月でここまで良い結果はでないそうだ。それに僕の場合、納得がいったら素直に言うことを聞く性格なので、体のほうもそのようなタチなのかもしれない。結果が良いと医師も拍子抜けするのか「わたしたちは尿検査よりも、血液検査を重視しているから…」と何か望みをかけるような口ぶりなので、おかしくなった。採血も終わり、止血のために脱脂綿を指で押さえていたが、もう大丈夫だろうとはずして「もう、血が止まりました」と言ったら、「まだちゃんと押さえてないとダメだ」と注意されてしまった。で、もう一度素直に押さえることに。医師となんだかんだと入院時のことを話しはじめ、ふと脱脂綿を押さえている指を見たら、まったく違う場所を押さえていたのでした。「間違えて、違うところを押さえてました^^;」と告白すると、こいつはダメだと呆れたのか正方形のバンドエイドみたいなものを2枚も貼ってくれた。こういった採血後のバンソウコウも入院時には半日経つと自分ではずしていたが、本当はいけなかったらしい。横のベッドで点滴を受けているおばちゃんにまで「わたしなんか、3日間つけっぱなし」と注意されてしまったのだった。そのバンソウコウも、病院を出て帰宅したら汗でペロっと剥がれてしまいました。そういえば、カテーテル検査・治療の後の止血はガッチリと固定されるのでけっこう痛い。時間が経つと、徐々に緩めてくれるのだが、食事の時は箸が使いずらいので、フォークとスプーンをつけてくれた。
Sep 6, 2010
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「夏」イコール「病院の怪談」というわけじゃないけれど、「おお!やっと来たか!」という期待を持たせてくれたことが一度だけあった。僕のような人間は、たとえオバケなるものを見てしまっても、疲れた脳の回路が混線して姿が見えるのだろうとか、そういった人間の脳の不思議の方向に興味がいってしまう。これは昔読んだブルーバックスの「怪談の科学」を読んだことが影響している。といってすべてが科学的に解明されるのも、イマイチつまらないというか浪漫がないので、子供の頃、近所に住んでいたAさんという除霊を行うおばちゃんのことも信じている。子供の頃から怖い話しは好きで、テレビでも昔は夏といえば怪談というのが風物詩であった。そんな子供も成長していくと、怖いという感情から不思議という疑問に焦点が移り、これまた興味を持つにはおもしろいジャンルとなった。以前、「病院の怪談」みたいな本を読んでいて、そういった現象もあるだろうなと知識として脳には蓄えてある。さて、実際に自分が入院して間もない頃、夜中にトイレへ行った時の話である。時間にしたら、ちょうど夜中の2時頃で丑三つ時。普段は飲まない薬を何種類も飲まされていたので、利尿剤によって膀胱に尿が溜まっていたので夜中に目が覚めた。ベッドから起き上がると、目がチカチカしていて立ち上がるとちょっとフラフラしている。その時は顔もまだすさまじく浮腫んでいたので、横になって寝たため浮腫みが片寄り片目が開かない状態であった。病室を出て廊下に出ると廊下の照明が赤っぽく見えて、これは薬のせいなのだろうなと思った。フラフラしながらトイレに行き、医師から言われているように容器に尿を採り、それを自分の名前が書かれた大きな容器に溜めていく。棚の横には同じような容器が並べられていて、他人の容器に間違って入れたらヤバイなぁとしっかりと確認。トイレの洗面台で手を荒い、鏡を見ると、四谷怪談のお岩さんのように浮腫んで片目が細くなった自分の顔がちょっと変。それにまだ目がチカチカしていて、トイレ内も赤っぽい照明に照らされたように見える。部屋に戻ろうと廊下に出て、なんとなく後ろを振り返ったら、自分よりも背が高いひょろっとした男の姿が見えた。「ああ、自分と同じようにトイレに入っていたのかな…」と思い、挨拶しようと再び振り返ると姿はなかった。不思議と思ったが、「おお!もしかしたらこれが病院の怪談の正体かもしれない」と、しっかりとそのことは記憶したのだった。特に霊感というものがない自分がそういったモノを見るというのは、始めての入院生活に本人はリフレッシュ気分でいるが心のどこか不安があったのだろうということが原因の一つ。二つ目は慣れない薬による幻影。三つ目は左右バランスが崩れた視界による錯覚。などが原因ではないかと自分なりに謎解きしたのだった。その日から、特に確かめたいわけではないが真夜中の2時になるとトイレに行くのが習慣となってしまった。病院は9時消灯と早いので、タイミング的にもちょうど尿が膀胱に溜まる時間だからだ。あの時、赤っぽく見えた照明も普通に見え、廊下は明るく、当然トイレも明るくきれいであった。そしてトイレの鏡に映る自分の変な顔も普通に戻ってきたのだった。これには後日談があり、同じ内科病棟で隣の部屋へ移動することとなった。その病室で会った人が、あの時のひょろっとした男の姿そのもので、「なーんだ^^」というオチでした。ではなぜあの夜、その人は急に現れ、消えてしまったように思えたのか?それはたぶん、僕がトイレを出た時に廊下の左右を確かめずに病室へ向かい人の気配がして振り返ってその姿を見て、再び振り返った時にはその人はトイレに入ったのだろうと今では考えている。それにトイレの重い扉は音をたてずにスムーズに閉めることができるのだった。
Aug 31, 2010
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最初に入院した内科病棟の点滴用スタンドは、キャスター付の脚が5本や6本に分かれたものであった。脚には色が塗装されていていて、脚が多いので手で握って移動する時も安定性がよかった。ところが循環器科病棟へ移ると、そのスタンドは数が少なく、十字型の脚のものを多く見かけるようになった。十字脚のものは、塗装はなくいかにもスチールといった感じで、こちらは安定が悪くてスタンドを引っ張りながらトイレに行こうとすると、倒れそうになることもあった。十字型のほうは、昔から使っている年代ものだと思っていた。ある日、庶民派4人部屋組のTさんが検査前に点滴をやることになり、その時に看護師さんが引っ張ってきたスタンドはポール部分が2カ所ひしゃげていて、ポールが高く伸びないものだった。その背の低いいびつな姿を見て「すごいスタンドだなあ^^;ボコボコじゃん」と僕が大笑いすると、「これしかなかったのよ」と看護師さんは点滴の用意を始めた。点滴に神経質になっているTさんの腕に針を刺し、背が低いスタンドに点滴袋を吊るした姿を見ると何か変で、Tさんも「これでは、低くすぎて立ち歩くこともできない^^;」と嫌な顔をしている。すると、看護師さんが「そうだ!」と思いついた感じで、短い点滴スタンドを脚からはずしてベットのフレームの穴に差し込んだ。「こっちのほうが少し高くなったかな^^」。このアイデアにも「トイレに行く時はスタンドを手に持っていかなきゃ」と僕はまた大笑い。当然、Tさんは納得いかない様子。看護師が去っていった後も、点滴のチューブを手に持って高くかかげたり、早く点滴液を落とそうと試している。点滴といえばTさんがこの病室に入院して2回目に点滴をした時、液が落ちないで止まってしまうという災難にあったから神経質になっていたのだ。この時は気の毒に思い、僕が看護師さんを呼びに行き調べてもらうと、Tさんの腕がプクーと膨れたりして、うまく血管に刺さっていないことが判明した。連日、点滴をする場合は4日間くらいは点滴針を刺したままなので、寝ている間でもズレてしまうことがあるのだろう。Tさんの点滴が始まってしばらくすると、「見つけたよ^^」と看護師さんが脚が多く安定したきれいなスタンドを持ってきてくれたのでした。で、ここで謎が一つ残ったわけだが、なぜ、この循環器科の病棟には十字型の脚のスタンドが多いのかということ。その謎が解けたのはカテーテル治療の時だった。十字型の脚のスタンドは、車椅子に腰掛けた患者が点滴スタンドを持って移動する時に都合が良く作られていたのだった。車椅子で左右の足を乗せる部分の隙間に十字型の脚をはめて、顔の正面にスタンドを持つと移動時に安定感が出て、患者も安心、車椅子を押すほうも安心ということがわかったのだった。さらに、循環器科の患者は一泊コースのカテーテル検査の人が多い。検査室までは車椅子で移動するのでその十字型の脚を持つスタンドがたまっていき多かったのである。
Aug 30, 2010
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病棟には「特別療養環境室」簡単にいうと特別室というものがあって、その部屋は僕のいる病室の向かい側にあった。同室のTさんはすごく気になっていたらしい。入院のご案内パンフレットにも載っているが、室内レイアウト等の詳しい情報は書かれていない。特別室なんていうと、例えば品の良いおばあさまが入院していて息子、娘たちとお孫さんが大勢お見舞いに来るイメージと、悪さがバレてしまった政治家がたいした病気でもないのに隠れるために使っているといったイメージもある。部屋の大体の様子は、想像できるが実際に見ておいて損は無い。ということで、ある日、その特別室にいた人が退院した後、ドアが開いていたことがあった。すかさずTさんと目で合図して、その特別室なる部屋に忍び込むことにした。早くしないと清掃会社の人たちが来て、作業をし、ドアを閉めてしまうからだ。廊下に出ると看護師さんたちの姿も見えないので二人で忍び込む。部屋は南側で、広さは僕らがいる4人部屋と同じようだ。ドアの横には椅子と簡単な流しがあり、ここで家族などが花瓶に水を入れたり果物の皮をむくシーンを思い浮かべた。簡単なキッチンの奥にはソファ・セットが置かれていてリビング空間になっていた。ここでおばあさまを心配してお見舞いに来た家族の登場となる。「おばあさま、だいじょうぶ?」などと心配する孫のかわいい声まで聞こえてきそうだ。リビングの右にはベッドが置かれていて、僕らの4人部屋と同じテレビ付の背の高いキャビネットが傍に置いてあるが、違うのはその他にクローゼットが設置されていて、贅沢な雰囲気になっている。ここで品の良い白髪がきれいなおばあさまの登場となる。さらにベッドの足元の壁には洗面台があり、その横のドアを開けると浴室であった。おお!さすが特別室という感じである。あまり長くいてスタッフに見つかると、また怒られそうなので一通り調べた後は素早く自室へ退却した。この後、Tさんが部屋に来た看護師さんに特別室のことを話すと。「入っちゃったんですか?」と、しかたがないなぁといった顔で言われたが、二人が忍び込んだことを楽しそうに話しているものだから、彼女も話しにのってくれて、料金などのことを説明してくれたのだった。開かずの扉の向こう側を見てしまった感じで、興奮気味の二人は清掃のおばちゃんが来た時も、忍び込んだことを得意げに話したのだった。特別室の清掃は、普段見かけない男5人くらいの業者が来て大掃除をして去っていくから、掃除のおばちゃんも入ることがないのだろう。僕ら庶民派4人部屋組としては、毎日ベッド回りを清掃してくれるおばちゃんに親しみ感謝を感じているから、おばちゃんが掃除中も毎日おしゃべりをしている。なんて言ってられるのは、循環器科フロアで僕らの部屋くらいなもので、他の病室の前には必ずポータブル・トイレが置かれていて、70~80代のご老人が入院していた。ある晩など、夜中にトイレから帰ってきてベッドの寝ころがったら、廊下からジャバジャバと水が垂れる音が聞こえてきて、しばらくして看護師さんの悲鳴が聞こえてきた。翌日そのことを看護師さんに話したら、想像したとおりご老人が廊下で小便をしてしまったらしい。そういったご老人の多いフロアなので、あまり世話のかからない僕らの部屋で、看護師さん、看護助手さん、清掃係さんがおしゃべりしてリラックスしていたのかもしれない。
Aug 29, 2010
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太い注射器で肺から溜まった水を抜いた経験のある人は少ないと思う。これは自分にとっても貴重な体験なので、どんなものか書いてみた。肺の中にあれだけの量の水が溜まっていたのは驚きだったが、それよりも輪切り写真の自分の肺を見て「肺は厚みもけっこうあるものだな」と認識したのが勉強になった。だから、肺の中にあんなに水が溜まっていても「なるほどなあ」という感想。最初、肺を正面から撮ったレントゲン写真をモニターで見せてもらったが下半分が白くなっていて、水が溜まっていることは確認していた。その時、主治医は利尿剤(薬)で水を抜くことを薦めてくれたが、「もっと手っ取り早く、注射を刺して抜くことはできないんですか?」と提案したのは実は僕であった。主治医の答えは、「なるべく体を傷つけないように抜きたい」というものだった。それを聞いて、内科というものはそういうものなのかなあと思ったが、結局は太い注射器で水を抜くこととなった。注射器を体のどこから刺して肺の水を抜くのか興味があったので、背中からとわかった時は、あの輪切り写真を頭に思い浮かべたのだった。水抜きはまさか病室でやるとは思っていなかった。つまりは、医師からしたら大したことではないようだ。ベットとセットになっているキャスター付の細長いテーブルに両腕を組み、そこにあごを乗せてリラックス体勢になると、主治医がベッドの上に乗って準備している。こちらは、その間、運ばれている医療器具を乗せたワゴンを観察すると、なんかいろいろと器具があり興味津々。ワゴンもスチール製といった感じで、医療器具との雰囲気がすごく良い。主治医の助手として看護師さんも二人、器具などを手渡す役で待機している。「じゃあ、麻酔注射いきます」と背中にプスリ。しばらくして、次は太い注射刺すからねと、グゥーと針が刺さってきて、この時は「うっ」という声を飲み込んだが体がビクッと反応した。刺してしまえばあとは、水を抜くだけなので痛くもない。看護師さんに「僕を実験台だと思って、勉強しておくといいよ」なんて冗談まで言える。マスクをしている看護師さんの目が笑っているので、「仕事で医療も関係してたんだよ」と言うと、「えっ、なんで?」と主治医が質問してきた。医療関係の組合や治験のパンフレットも作ったことがあることを話すと主治医が「なるほどね。そんな仕事までやってるんだ?」と水を抜きながら聞いてくるので、横須賀の某病院のパンフレットも僕がデザインしたんですと、ちょっと自慢。「あとで見ておこう」と主治医がうれしいことを言ってくれた。獣医が象用に使うような太い注射器と抜いた水を溜めてある大きな容器を見ると、「おお!透明感のある黄色だ!」とこれまた発見。「タバコを吸っているので、真っ黒い水かと思っていた」と感想を言うと「肺の中はわからないけどね」と主治医。肺から抜いた水は、途中何度かサンプルを採る作業を見て、子供の頃、理科の実験が好きだった自分もやってみたいなあとうらやましい。水を抜き終わると、急に咳が出てきた。「抜いた時は咳が出るけど、おさまるから」と経験豊富による言葉に、さすがプロだと安心する。それにしても「先生、かわいいのをポケットに入れてるなあ」と主治医のポケットのゆるキャラのフィギュア付筆記用具を見ながらからかうと「癒しが必要なのよ」という答え。そう、主治医は女優の萬田久子をスリムにした感じの女医さんだったのです。女医さんと助手の看護師二人が、働くプロの女性といった感じの絵画を見ているようで、とても雰囲気が良い。それにしても若い看護師さんたちも、かわいいキャラのグッズが好きなようで、ほとんどの人が何かしら白衣に着けている。大変な仕事だからやっぱり「癒し」が必要なんだろうな。
Aug 28, 2010
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今日、市立病院の紹介状を書いてくれた近所の医師に、お礼と退院の報告、私立病院の医師からあずかった手紙を渡すために行ってきた。僕の姿を一目見るなり「あなたは、こんなにスマートだったとは知らなかった!」と一言。スマートなどと言われるほどでもないので恥ずかしいが、あの浮腫んで変身した姿しか知らない人からしたら驚きの変化だろう。そういえば、入院始めの内科フロアの看護師さんたちも、退院前に挨拶に行ったら、「わあー!痩せましたねー」と驚いていた。痩せたという言葉は、今までは気にしてなかったが、言われると気分が良いものだ。それにしても、1カ月以上も食っちゃ寝生活だったので足の筋肉が弱っていて、階段を上がる時はちょっと辛い。横須賀は坂が多いので、散歩していれば自然と鍛えられるのだが、まだ水分制限があるので炎天下に散歩するのはひかえて、しばらくはホームセンターなどでウォーキング予定。入院の目的の一つであった読書も文庫本5冊を読み終わった。買っておいたが読まなかった本や途中まで読んだ本。歴史物では白石一郎「蒙古襲来」、スリラー物は小野不由美「魔性の子」、推理物は綾辻行人「黒猫館の殺人」、そして椎名誠の「新宿熱風どかどか団」。家から持っていったそれらの文庫を読みおわった後、病院の売店で買い読んだのは今野敏「海に消えた神々」という文庫本。あともう1冊、佐々木譲「笑う警官」を買ったのだが、病室が循環器科へ移ると、毎日、不安がっている同室者の話し相手になっていたので読書する楽しみはできなくなってしまった。その代わり、いろいろな職種の人たちの話が聞けて、これも楽しい時であった。妹にそのことを話すと「お兄ちゃんは、話しやすいんだよ」という一言。初対面で話しやすい人とそうではない人がいるが、聞き役もけっこう疲れるものだ。でも、その人たちの入院の不安を少しでも軽くさせてあげたと思うので、僕でも精神ケアのお役にたったと思うんだけどね。
Aug 21, 2010
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カテーテル検査の時に「点滴」の初体験をした。朝の6時から点滴が始まり、夜の11時まで1500mlの整理食塩水をたっぷり血管に注入してもらった。500mlの袋が3つである。水分制限をしていたので、カテーテルで使用した造影剤を血管から出してしまおうという意図だと思われる。1500mlの水分が体に入るのだから、尿もたくさん出る。利尿剤も服用しているので、トイレに行くたびに約350mlの尿が気持ちよく出る。1日の尿の量を測り記録するよう言われているので、目盛りが入ったプラスチックの容器に尿を出し、量を測ったら便器へ捨てるのが日課となっている。意外とこういったことも、自分は面倒がらずに、どちらかというとおもしろく感じるから不思議だ。やはり自分は実験などが好きなんだろうなという、昔の子供の頃の記憶までよみがえる。そのうち何日も続けていると、膀胱に溜まった尿が測る前からおおよその分量がわかるようになってきた。そうなるとまた別の意味でおもしろくなってくる。密かに楽しむ尿の分量当てクイズのようなものだ。初めての点滴の時は、点滴の針とチューブを付けたまま外出許可をもらい、自宅以外に本屋まで行ったのだから自分でも笑ってしまう。針とチューブは、伸縮性のあるネットで落ちないようになっているから安全なんだけれどね。点滴の器具も一度はいじくってみたかった。あのポタリポタリと落ちる点滴のスピードを変えてみたい衝動にかられて、二度目の点滴の時は密かに器具のギヤのような部分をいじくって試してみると、「おおー、早い早い!」。ポタリポタリがポタポタポタとスピードアップ。あまりにも早くて、これではいじくったのがバレバレで看護師に怒られると思い、またゆっくりペースに直した。が、予定よりも約1時間早く終わってしまった。予定時間前に看護師さんが来なかったのでバレなかったが、子供の悪戯のように自分でさわって試したことにすごく満足したのでした。ここでやらなきゃ、一生後悔するぞという強迫観念だろうか。
Aug 20, 2010
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自分は特に重病患者ではないから、僕がいた病室はスタッフ・センターから遠く離れた約50m先の端っこの部屋。8月7日の横須賀の花火大会は、この部屋から同室のおじさんと二人で眺めることができた。この市立病院は、元は横須賀の陸軍病院の分室だった場所が国立横須賀病院となり、今は市立うわまち病院と名前を変えている。家からは車で5分くらい、徒歩でも20分くらいという近さ。場所が横須賀中央駅横の平坂を登った高台にあるので、6階の北側病室から窓の外を眺めると、右は海からの朝日、左は山に沈む夕日に染まる空の色が美しい。朝からワクワクしながら待っていた花火は窓から見える文化会館・博物館・中央公園のある方向に上がり、打ち上げ地点2カ所の花火を贅沢にも眺めることができた。その日の病室は、年金生活のゲートボーラーのTさんと二人きりなので、二人で椅子を窓辺に並べ部屋を暗くして、さらに窓を開けて網戸にして音まで楽しもうと企画をたてたのでした。花火大会の日は、朝から米軍と海自の両基地は開放され、イベントが催されていたので、昨年までは師匠らとそちらへ見学に行っていた。昼間、艦艇見学をしてしまうと夕方は疲れてしまい、家から花火の音だけを聞くのが、ここ最近のことだった。だから、花火を見るのは4年ぶり。7時30分に花火大会が始まり、Tさんは花火を見ながら急いで家族へ携帯で実況し、写真も夢中になって撮っていた。涼しい病室から眺める花火。こんな経験は二度とないだろうなと思うと、入院のタイミングの良さに幸運さも感じたほど。約45分間の花火を特等席から十分に楽しみ、満足してぐっすりと眠れた花火大会の日でした。
Aug 20, 2010
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水分たっぷりの太い大根足を持ち、1リットル以上の水を肺に蓄えた深海生物のようで、雪だるまのような水分いっぱいの丸い腹を持った生物に変身してしまった自分だったが、もうひとつ、顔のほうも浮腫んでいたようだ。入院した初日は、横になって寝た後にトイレへ行くと片目は浮腫んで細くなり、「ごっつぁんです」と言いたくなるような関取顔になっていた。顔の片方に水分が溜まってしまったのが鏡で確認できたのだった。入院を始めた時から、利尿剤を渡され飲んでいたが、そんなに簡単に変身が解けるはずもなく、日が経つにつれ徐々に体重が減っていく。プロセミドという利尿剤の効果は文章で書くよりも、その時の体重データを公開したほうがわかりやすいと思い、懐かしい夏休みの自由研究みたいだと思って載せました。途中、利尿剤の量を20mgから40mgに増やしたが、それがいつだったのか忘れてしまった。あとは、身長178cmだと思っていたが、正確には毛髪も薄くなったためか177.3cmに縮んでしまった。水分制限は1日750ml。この数値は、自分から医師に伝えた分量で、これ以降ずーと750mlとなってしまったのでした。看護師さんたちや同室者が「少ないよねー」と哀れんでくれたが、自分で決めちゃった数値なので「失敗したよー、言わなきゃよかった」などと言いながらも、実はチャレンジ精神で燃えていたのでした。何か自主的に決めたことをしていないと、入院は受身ばかりで退屈しそうだから…。7月12日 86.00kg 内科に入院 浮腫をとるため利尿剤を服用開始16日 83.90kg19日 81.30kg21日 80.20kg22日 79.95kg24日 78.20kg25日 78.35kg26日 78.10kg27日 77.70kg28日 77.83kg29日 77.90kg 大きな注射器で肺から水を抜く 30日 76.25kg 内科から循環器科へ移動31日 74.75kg8月1日 74.10kg2日 73.10kg カテーテル検査・点滴初体験3日 72.65kg4日 71.20kg5日 71.80kg6日 71.55kg7日 70.80kg8日 71.35kg9日 72.20kg10日 71.80kg11日 71.95kg12日 72.30kg13日 72.50kg 経皮的冠動脈形成術(風船治療やステント移植術)
Aug 19, 2010
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皆さんにご心配をかけてしまい、どうもすみませんでした。本人は、初めての入院生活と、ものめずらしい病院の内部を見学することができ、好奇心いっぱいの日々でした。そして、とうとう本日、退院することができました。7月12日に市立病院の内科に入院し、30日に循環器科病棟へ移り、1カ月以上の入院でした。足の浮腫が激しく、お腹がパンパンに張ってしまい、そのうち呼吸が苦しくなり絶体絶命状態の時は、体重のことを正直に書くと86kg。通常が73kgくらいだったので、それはもう体が重くて、つらい状態でした。急に13kgも体に水が溜まってしまったので、重くてあたりまえ。あの辛さは、二度と味わいたくない。手術前までは、1日の水分制限750mlを貫き、体重は70kgまで落ちたが、退院した今は、通常と同じくらいの体重になりました。入院した結果わかったのは、糖尿病と心不全。糖尿病のほうは、血糖値を下げる薬をもらい、心不全のほうは血管が柔らかかったということで手術も特に問題なく成功し、3カ月後に術後の検査ということになりました。足の浮腫は、まだ少し残っているので40mgの利尿剤を飲んでスッキリさせることになりました。1カ月も入院していると、お世話になった看護士さんや同室の患者さんのことで小説が書けるほど話題が多くなり、今は入院時のそれらの思い出で脳がパンクしそうです。入院すると、その患者さんの性格も意外とモロに出るようで、笑ってしまう男たちの姿を何人も観察できました。病院は人間観察に適しているかもしれないですね。男は今からでも遅くないから、度胸とユーモアを身に着けておかないと、年取って入院した時に醜態さらすことになるので注意したほうが良いなあ。
Aug 19, 2010
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検査入院の2週間が終わったので、とりあえず退院かなと思っていたら、循環器のほうで問題が見つかり、カテーテル検査もやることに。結果、心臓につながる血管が1本つまっていたことが判明。ということで、今までの内科から循環器科に引き継がれ、つまった血管を小さな風船で広げる治療をすることになり、あと2週間入院することになりました。浮腫みのほうは、おかげさまでだいぶスッキリし、体重もマイナス10Kgを達成し、いつもの体重に戻りました。それにしても同じ病棟で、浮腫みで入院している患者さんの多いこと。朝から受付に並ぶ外来の患者の多さにも驚き、こんなにも病人が多いものなのかと、いろいろ考えさせられることも…。今まではまったく縁が無かった病院という世界は、自分にとっては新発見の数々で、夜中に病室から聞こえてくる苦痛の悲鳴や叫び声にも慣れ、最近はぐっすりとよく眠れます。
Jul 30, 2010
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3連休なので外出許可をもらって、一時帰宅しました。何から話したらよいのか迷うほど、体のそこらじゅうがボロボロの状態になっていたようです。全身の浮腫みが激しいので、ネフローゼ症候群疑惑もありましたが、精密検査の結果、糖尿病だということがわかりました。尿の蛋白も1日尿を溜め検査した結果、入院当日と違いそんなに激しく出ていたわけではないこともわかりました。肺、腹、足などの浮腫みはまだ完全にとれませんが、今は毎朝利尿薬を飲み、体に溜まった水分を尿によりとり除く治療法を続けています。また、精密検査の結果、心臓も肥大はしていないがポンプ機能が弱っているらしく、来週は循環器系の検査も追加するようです。ここは特にひどい!という状態でもないらしく、体中のあらゆる部分が弱っていたのが重なり、近所の医師を驚かすことになっていたようです。7階の病室から眺めは良くて、朝は海から昇る朝日がまぶしく、夕方は夕日が美しい。ベッドに寝転んで見る雲の流れもダイナミックで心のリフレッシュを毎日しています。先日、看護士さんに「ここからなら8月の花火大会も見れますねー」と言ったら、7月4日のアメリカ独立記念日の花火はきれいだったことを離してくれました。そういえば、同室の方に元護衛艦乗りがいるというのも、ヨコスカっぽいなあ^^
Jul 17, 2010
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長い時間、徹夜連続で座ってPCをやっていたら足がパンパンに腫れあがり、むくみがひどくなった。体重も急に増え続け軽く10kgオーバー。急に体重が増えたから体も重く、腹もビール腹になり膨らんでしまった。そのうえ、パンパンに腫れた足を普通に戻そうと、足を高くして横になると呼吸が苦しくなり、まともに眠ることもできない。というわけで、「これは、かなりヤバイぞ」と思い、仕事が落ち着いたのでやっと近所の病院へ行った。医師にそれらの症状を話すと、ズボンを脱いでパンパンに腫れ上がった自慢?の足を見せようとしたが脱がないで良いと言う。次にシャツをめくり、膨れ上がった自慢?のビール腹状態を見せると、そんなたいしたことじゃないとあっさり言われてしまった。「そうなんですか?」と訊くと、もっとすごい人たちがいるらしい。それでも「ベルトの穴が2つズレたから、すごいと思いますよ」とせっかくだから訴えた。尿検査をすると尿に多くのタンパク質が出てしまい、医師が驚いている。血圧を測ったら、こちらは正常だったが、急を要するということで市立病院の紹介状を書いてくれて、今すぐに市立病院へ向かえと言われた。市立病院は土曜日は午前中だけだが、紹介状を渡して特別に検査をしてもらこととなった。血液検査、尿検査、肺と腹部のレントゲン、血圧検査など。しばらくすると医師に呼ばれ、検査結果とレントゲン写真を見ながら説明を受けた。レントゲン写真は、肺の下部が白く写っていて水が溜まっていたことが判明。だから呼吸が苦しかったのかと納得した。体を横にすると、溜まった水も肺で横に広がるため呼吸困難になることが理解できたのだ。尿検査では、やはりタンパク質が出てしまっていたが、そんなに激しいほどでもないが、それが原因で足がむくんでしまったようだ。腎臓、肝臓は異常はないようだが、腎臓の網目状の部分から比較的大きなタンパク質が出てしまうのが謎のようで、腎臓の細胞を採取するかもしれないと説明を受けた。今日の検査では、この程度のことしかわからないので2週間の検査入院を勧められた。「ならば、月曜からOKですよ」と伝えると、うまいぐあいに病室が空いていたようで12日(月)から2週間、検査入院することになりました。子供の頃から大病はしたことがないし、病院とはほとんど縁がなかったが、とうとう入院する日が来たようだ。入院手続きの説明で、看護士さんに病室のテレビ利用のことを話してくれたが、のんびり読書したいからと断った。2週間、のんびりと病院で読書しますので、ブログはお休みさせていただきます。
Jul 10, 2010
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