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日本から戻ってきて3週間ちょっと経ちました。生活はすっかり日常に戻り、友人達と、食事に呼んだり、呼ばれたり、ラジバンダリ。雪かきしたり、忘れた頃に筋肉痛がやってきたり、ラジバンダリ。(↑日本で覚えて、ずっと使ってみたかったラジバンダリ)さて、2004年頃ワタシは、はたちで他界した母の兄(ワタシの伯父)の事をインターネットのチカラを借りて探っておりました。2005年に伯父の旧友3人(内2人はこのブログで紹介済み)と連絡を取ることが出来、ワタシの知らない時代の母や祖父母の話を聞かせてもらい、密かに大興奮していたのですが、2006年9月に我が家のPCが死んだ際伯父の旧友達の連絡先を全て失ってしまいました。その後「下らない事は覚えており、重要な事だけ忘れてしまう」というワタシのselective memory loss障害のため見事に旧友達のお名前を失念してしまいここ数年が過ぎておりました。ところが、今回母の葬式で帰省し母の遺品を片付けていたら、ワタシが母宛に出した手紙に伯父の旧友達の名前を3人とも発見!内1名の方は、伯父の墓参りに行ってくれた写真をメールしてくれていたため、メールアドレスも発見。その時、たまたま実家にあった「嫌われ松子の一生」という小説を読んでいたのですが、会った事の無い死んだ伯母松子を探る甥の笙と、会った事の無い死んだ伯父を探る自分とがシンクロしてゾ~ッとしてしまいました(笑)。そしたら数日前、「あなたのお母さんの幼馴染です」という某紳士から突然メールをもらいました(驚)。ひょんな事から母の死を知って、熊本にいる母の従兄弟に連絡先を聞いたそうです。「幼稚園から小学校3年生まで同じ学校に通っていた。家が隣で、夜遊びに行くと、おとうさん(ワタシの祖父)が映写機を回してくれた」なんて話を聞かせてくれました。ワタシの知らない、母の子供の頃の思い出話の中に懐かしいワタシの祖父母が居ました。もう顔にニヤけてしまって仕方ないです、うひひ。。。熊本の小学校入学時に一緒に玄関前で撮ったという貴重なセピア色の写真も送って下さいました。写真に写る母の目線の先には、若い頃の祖父母がいるのです。伯父の旧友達の名前や連絡先が出てきたり、ラジバンダリ、母の幼馴染氏から突然連絡をもらったり、ラジバンダリ、「嫌われ松子」をたまたま読んでしまったりラジバンダリ。特に「運命」などは信じていないワタシにはただの「偶然」の重なりでしかないのですがラジバンダリが重なると(←は?)「謎や不明点の多い」母や伯父や祖父母の熊本時代を今探ってみる時期なのかな?母がそれを望んでいるのかいな?などどいう気分になってしまいます。* 2005年5月23日の記事に「伯父探り」の経緯を書いています。****** 私信 **********************************メッセージを下さったばーちゃんと同じ61歳で、同じ病気で闘ってらして、お嬢さんが中国の方と結婚されてイギリス在住というイニシャルOSさん、すみません!メッセージに今気付きました。。。ありがとうございます!近日中にお返事させて下さい。kang***********************************************
2009/01/31
先月5日に、ばーちゃん(ワタシの母)が逝きました。享年61歳でした。癌と分かってから、なんと3年10ヶ月(Wow!)も、根性で長生きしました。「2年」と見積もっていたワタシの計算を見事に裏切り、命のおつりをたっぷりもらって逝きました。医師たちには「ばーちゃんは、がん患者の平均余後をグンと伸ばしましたよ」と言ってもらえました。ただ、最期だけはあっけなくワタシや孫達を待たずに逝ってしまいました。もう一日、頑張ってくれたら双子を触らせてやれたのですが「あと2~3日でしょう」と言われた後、ほんの数時間で逝ってしまいました。ワタシが、航空券の手配と荷造りを大慌てでしている最中にばーちゃんは息がとまりました。ばーちゃん、おそらく待ちくたびれたのでしょう。もしや、「10月に会いに行くから」という約束をはたせなかったワタシへの仕返しだった?病院で母についていた妹から「人工呼吸器をつけるかどうか決めて、わたしゃ決められん」と電話があり母の遺言通り「付けません」と断わったのは、このワタシです。でもあの時付けていたら、たとえ口は聞けなくても最期に、ぬくもりのある母に触ることが出来ていたかも。死ぬ半年前、普通の食事も、歩くことも出来ない身体で医師の反対を押し切って、診断書持参で車椅子に乗ってアメリカへやって来たあの時が生きたばーちゃんに会った最後になってしまいました。うーん、あの時もっともっと「双子とばーちゃん」の動画を沢山撮っておけばよかったかも。 ばーちゃんの声を最後に聞いたのは11月の終わり。3ヶ月振りに聞いた声でした。1週間の一時退院中、起き上がれる日に話しました。双子が歌う「ちゅーりっぷ」を聞かせてやれました。死ぬ前に、もう一目会うつもりでいたので、聞いておくべき大事な話も聞きそびれてしまい、言っておくべき大事な事も言いそびれてしまいましたががん発覚後、家族でハワイ旅行も出来たし、不妊治療が成功して孫を一度に二人も抱かせることが出来たし、孫二人の記念すべき「初歩き」を成功させたのもばーちゃんだったし、孫達に「ばーちゃん、ばーちゃん」と言われ甘えられる事も経験させられたし、遺言通り、出棺時に♪愛、さんさんとぉ~♪と♪私のお墓の前でぇ~泣かないで下さい~♪を流してやれたし、確かに、してやれなかった事の方が格段多いのですがこうして、してやれた事だけを考えて、心穏やかに「ばーちゃん、お疲れさん」と見送ってやれたと思います。と、いうよりは、何をしでかすか分からない、ウルトラ・ワイルドな双子が居たため遺族の者はハラハラドキドキ、テンションがあがったままで、誰一人として哀しみに浸る余裕がありませんでした。遺体と最後のお別れの際に双子の「ちゅーりっぷ完全音外しバージョン」が火葬場に響き渡った時には、お棺のばーちゃんも一瞬、薄目を開けたような気が。。。ばーちゃんの遺品を片付けているとワタシ、妹、父宛に、それぞれ小さなノートにメモが残されており印鑑証明の印はコレ、××銀行の口座番号はコレ、暗証番号はコレ、国民年金支払いはコレ、生命保険はいつにいくら支払って終わり、どこそこに置いてある花柄の袋にコレが入っている、などなど。。。随分前から準備万端だった様子。ワタシも自分が逝く時の参考にさせてもらいます、ばーちゃん。あ、ばーちゃん、仏壇の脇に、ビニール袋に入った「折鶴」を発見したよ。誰一人として「千羽鶴」など折ろうとしなかったドライな我が家。占い、おまじない、迷信の類には、一切興味の無かったばーちゃんがいったい、どんな思いで自分に千羽鶴を折っていたのでしょう。藁をもすがる思いで生きたかったつよねー。最期は、痛みが去って落ち着いた後付き添っていた妹が仮眠を取り始め、ナースも部屋を出たほんの10分の隙に一人でひっそり息を引き取ったらしいばーちゃん。何を考えていたのかなー、ばーちゃんらしいです。いつかワタシが逝く時は、ワタシの娘と息子はワタシの傍にいるのかな。
2009/01/11
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