全459件 (459件中 1-50件目)
子供はお母さんの歌を聞くのが大好きですよね。自慢じゃありませんがワタシだって母親のはしくれ、双子の「歌って」リクエストにはどんな曲でも応えています。「ザ・人間ジューク・ボックス」です。「ゾウさんの、うたって」 のような基本は♪ぞーさん ぞーさん お鼻が長いのね♪ と難なく対応。「リンゴの、うたって」や「青いの、うたって」と突然の思いつきで出てきたリクエストにも♪わったしは 真っ赤な りんごですぅ~♪♪青~い山脈~ ゆきわり桜~♪ と懐メロ・名曲集で対応。「ハッキョジョンの、うたって」などと韓国語童謡を要求されても♪ハッキョジョンイ~ テン、テン、テ~ン♪と意味は分からないけど、動揺せずに対応。「だいのそ(dinosaur)の、うたって」 のような変化球にも♪パンパーン、パンパーン、パララーン パパン パンパーン♪(ジュラシック・パークのあのテーマ)で柔軟に対応。「ベチュ ベチュ シャイローの、うたって」のような瞬時には翻訳不可能な言語にも ♪Itty bitty spider dancing on the web♪と母親の直感を駆使して対応。しかし、そんな「スーパー・ジューク・母ちゃん」の異名を欲しいがままにしていたワタシにも応えられなかったリクエストが2曲ありました。その1 「エルモの、うたって」と言われ「まっかせなさい」とセサミストリートの♪Elmo's world~♪を歌ってやったら猛烈にブーイング。セサミストリート シリーズであれこれ攻めてみたものの「ちがう!エルモっかな、ってうたうしょぉぉぉぉぉぉぉぉ(歌うでしょ)!!!」と双子のサラウンド・ヒステリーに降参した後、夫がポツリと「♪どうして おなかが エルモっかな?♪ ってやつじゃない?」と一言。なんと。。。正解! (外国人の耳にはそう聞こえてるのでしょうか?)♪どうして おなかが エルモっかな、 (正しくは ”減るのかな” です)♪ケンカをす~ると エルモっかな (正しくは ”減るのかな” です)♪仲良ししてても エルモんな~ (正しくは ”減るもんな~” です)と歌ってやったら双子、満足。。。その2 「明日ゴミ出すことの、うたって」は?3歳児が「ゴミ出しのうた」をリクエスト?しばし考えましたが「それはお母さんにも分からない」 と早々に降参。するといつもの大音響ステレオヒステリーで「だって、だって、おかしゃん(お母さん) しゃっき(さっき)明日ゴミ出すこ~としゃ~、って歌ってたにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ(のにぃ)!!!!」そのちょっと前に無意識にワタシが口ずさんでいたのは昭和の名曲♪分かりはじめたMy Revolution, 明日をみだす事さ~♪ by 渡辺美里この部分しか知らないので、きっとエンドレスに繰り返していたらしく、しかし、双子の耳には♪分かりはじめたMy Revolution♪あしたゴミ出すこ~とさ~♪ に聞こえていたらしく、さすがのワタシも悶絶するほど笑って歌にならず、双子さらに真顔でブーイング。
2009/05/17
「手紙 ~親愛なる子どもたちへ~」という 作者不明のポルトガル語の詩をもとにした 親から子達へ宛てたメッセージがあります。 樋口了一という人が曲をつけたり書籍化したりしたそうです。年老いた親が、何度も同じ話をする姿に嫌気がさした時は、自分が子どもの頃、何度も同じ絵本を読めとせがんだ自分に根気良く付き合ってくれたその親の姿を思いだすべきなんだ、という当然の事なのですが、それを改めて気付かされる詩です。 詩は、旅立ちの前の準備をしている年老いた親が一人称になっています。 「あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい」と恩着せがましい程ストレートな言葉を使っているのに、ダークなワタシでも、何故かすんなりココロに響きました。 最後は「私の子供たちへ愛する子供たちへ」で結ばれています。CDになった歌の詞でもあるため原文を紹介できませんが、 公式サイトでは全文が公開されており、その詩を読むことが出来ます。 旅立ちはある日突然やってくることもあり得るのです。 介護疲れで自殺しちゃった清水由貴子氏、欽ちゃん並みにワタシもショック。
2009/04/23
日本から戻ってきて3週間ちょっと経ちました。生活はすっかり日常に戻り、友人達と、食事に呼んだり、呼ばれたり、ラジバンダリ。雪かきしたり、忘れた頃に筋肉痛がやってきたり、ラジバンダリ。(↑日本で覚えて、ずっと使ってみたかったラジバンダリ)さて、2004年頃ワタシは、はたちで他界した母の兄(ワタシの伯父)の事をインターネットのチカラを借りて探っておりました。2005年に伯父の旧友3人(内2人はこのブログで紹介済み)と連絡を取ることが出来、ワタシの知らない時代の母や祖父母の話を聞かせてもらい、密かに大興奮していたのですが、2006年9月に我が家のPCが死んだ際伯父の旧友達の連絡先を全て失ってしまいました。その後「下らない事は覚えており、重要な事だけ忘れてしまう」というワタシのselective memory loss障害のため見事に旧友達のお名前を失念してしまいここ数年が過ぎておりました。ところが、今回母の葬式で帰省し母の遺品を片付けていたら、ワタシが母宛に出した手紙に伯父の旧友達の名前を3人とも発見!内1名の方は、伯父の墓参りに行ってくれた写真をメールしてくれていたため、メールアドレスも発見。その時、たまたま実家にあった「嫌われ松子の一生」という小説を読んでいたのですが、会った事の無い死んだ伯母松子を探る甥の笙と、会った事の無い死んだ伯父を探る自分とがシンクロしてゾ~ッとしてしまいました(笑)。そしたら数日前、「あなたのお母さんの幼馴染です」という某紳士から突然メールをもらいました(驚)。ひょんな事から母の死を知って、熊本にいる母の従兄弟に連絡先を聞いたそうです。「幼稚園から小学校3年生まで同じ学校に通っていた。家が隣で、夜遊びに行くと、おとうさん(ワタシの祖父)が映写機を回してくれた」なんて話を聞かせてくれました。ワタシの知らない、母の子供の頃の思い出話の中に懐かしいワタシの祖父母が居ました。もう顔にニヤけてしまって仕方ないです、うひひ。。。熊本の小学校入学時に一緒に玄関前で撮ったという貴重なセピア色の写真も送って下さいました。写真に写る母の目線の先には、若い頃の祖父母がいるのです。伯父の旧友達の名前や連絡先が出てきたり、ラジバンダリ、母の幼馴染氏から突然連絡をもらったり、ラジバンダリ、「嫌われ松子」をたまたま読んでしまったりラジバンダリ。特に「運命」などは信じていないワタシにはただの「偶然」の重なりでしかないのですがラジバンダリが重なると(←は?)「謎や不明点の多い」母や伯父や祖父母の熊本時代を今探ってみる時期なのかな?母がそれを望んでいるのかいな?などどいう気分になってしまいます。* 2005年5月23日の記事に「伯父探り」の経緯を書いています。****** 私信 **********************************メッセージを下さったばーちゃんと同じ61歳で、同じ病気で闘ってらして、お嬢さんが中国の方と結婚されてイギリス在住というイニシャルOSさん、すみません!メッセージに今気付きました。。。ありがとうございます!近日中にお返事させて下さい。kang***********************************************
2009/01/31
先月5日に、ばーちゃん(ワタシの母)が逝きました。享年61歳でした。癌と分かってから、なんと3年10ヶ月(Wow!)も、根性で長生きしました。「2年」と見積もっていたワタシの計算を見事に裏切り、命のおつりをたっぷりもらって逝きました。医師たちには「ばーちゃんは、がん患者の平均余後をグンと伸ばしましたよ」と言ってもらえました。ただ、最期だけはあっけなくワタシや孫達を待たずに逝ってしまいました。もう一日、頑張ってくれたら双子を触らせてやれたのですが「あと2~3日でしょう」と言われた後、ほんの数時間で逝ってしまいました。ワタシが、航空券の手配と荷造りを大慌てでしている最中にばーちゃんは息がとまりました。ばーちゃん、おそらく待ちくたびれたのでしょう。もしや、「10月に会いに行くから」という約束をはたせなかったワタシへの仕返しだった?病院で母についていた妹から「人工呼吸器をつけるかどうか決めて、わたしゃ決められん」と電話があり母の遺言通り「付けません」と断わったのは、このワタシです。でもあの時付けていたら、たとえ口は聞けなくても最期に、ぬくもりのある母に触ることが出来ていたかも。死ぬ半年前、普通の食事も、歩くことも出来ない身体で医師の反対を押し切って、診断書持参で車椅子に乗ってアメリカへやって来たあの時が生きたばーちゃんに会った最後になってしまいました。うーん、あの時もっともっと「双子とばーちゃん」の動画を沢山撮っておけばよかったかも。 ばーちゃんの声を最後に聞いたのは11月の終わり。3ヶ月振りに聞いた声でした。1週間の一時退院中、起き上がれる日に話しました。双子が歌う「ちゅーりっぷ」を聞かせてやれました。死ぬ前に、もう一目会うつもりでいたので、聞いておくべき大事な話も聞きそびれてしまい、言っておくべき大事な事も言いそびれてしまいましたががん発覚後、家族でハワイ旅行も出来たし、不妊治療が成功して孫を一度に二人も抱かせることが出来たし、孫二人の記念すべき「初歩き」を成功させたのもばーちゃんだったし、孫達に「ばーちゃん、ばーちゃん」と言われ甘えられる事も経験させられたし、遺言通り、出棺時に♪愛、さんさんとぉ~♪と♪私のお墓の前でぇ~泣かないで下さい~♪を流してやれたし、確かに、してやれなかった事の方が格段多いのですがこうして、してやれた事だけを考えて、心穏やかに「ばーちゃん、お疲れさん」と見送ってやれたと思います。と、いうよりは、何をしでかすか分からない、ウルトラ・ワイルドな双子が居たため遺族の者はハラハラドキドキ、テンションがあがったままで、誰一人として哀しみに浸る余裕がありませんでした。遺体と最後のお別れの際に双子の「ちゅーりっぷ完全音外しバージョン」が火葬場に響き渡った時には、お棺のばーちゃんも一瞬、薄目を開けたような気が。。。ばーちゃんの遺品を片付けているとワタシ、妹、父宛に、それぞれ小さなノートにメモが残されており印鑑証明の印はコレ、××銀行の口座番号はコレ、暗証番号はコレ、国民年金支払いはコレ、生命保険はいつにいくら支払って終わり、どこそこに置いてある花柄の袋にコレが入っている、などなど。。。随分前から準備万端だった様子。ワタシも自分が逝く時の参考にさせてもらいます、ばーちゃん。あ、ばーちゃん、仏壇の脇に、ビニール袋に入った「折鶴」を発見したよ。誰一人として「千羽鶴」など折ろうとしなかったドライな我が家。占い、おまじない、迷信の類には、一切興味の無かったばーちゃんがいったい、どんな思いで自分に千羽鶴を折っていたのでしょう。藁をもすがる思いで生きたかったつよねー。最期は、痛みが去って落ち着いた後付き添っていた妹が仮眠を取り始め、ナースも部屋を出たほんの10分の隙に一人でひっそり息を引き取ったらしいばーちゃん。何を考えていたのかなー、ばーちゃんらしいです。いつかワタシが逝く時は、ワタシの娘と息子はワタシの傍にいるのかな。
2009/01/11
我が家と一軒家を共有している階下に住むファミリーは大変「大らか」というのか。。。「だらしの無い」方々でズボラ夫婦のワタシ達はとても気が楽で助かっているのですが2ヶ月前から家の前に出しっぱなしのハロウィン用カボチャ、リスに食い散らかされ朽ち果てました。が、まだ放置。見かねて、思わず片付けてしまいました。10日程前、配達された電話帳、郵便受けに入らないため、ドライブウエイに置かれたまま放置。雨風にさらされ風化してきたので見かねて思わず片付けました。夏に、珍しくドアのペンキ塗り替えをしたと思ったらペイント、ブラシ、トレー、脚立、軍手、のセット一式玄関前に放置。恐ろしいことに、脚立以外は全て嵐でどこかへふっ飛んで行ってしまいました。ある日の散歩途中、3軒先のお宅の前で、ペイントブラシ発見。見かねて思わず持ち帰りました。クリスマス用のイルミネーションは3年前からずっと下げられたまま、放置。今年も電飾付くのでしょうか。。。トランポリン、自転車、アーチェリーのセット、チャージして動く(乗って運転出来る)オモチャの車などの高価な物も、使った後、片付けた試しが一度もなく、たいがい、錆びたり、壊れたり、風化したり、嵐でふっ飛ばされたり朽ちて土に返ったり。。。ワタシと夫の「自称ズボラ」など、口ほどにも無いようで思わず見かねて、掃除してみたり、片付けてみたりしてしまう私達夫婦は「とても几帳面な夫婦」と尊ばれています。
2008/11/25
娘、外出先で、さっそく挫折(やっぱり!)。余所ではエルモの補助便座が無いので「ダメ、怖い。。。。」だそうです。「おかひゃん、シーが出る」 ↓「ダメ、怖い。エルモ(の補助便座)でする」 ↓「オムツにシーしちゃったの」本日、外出した先々で、このパターンを3度繰り返し遂に不憫に思えて帰宅。実は、近所のお友達が乗り降りするスクールバスに強い憧れを抱いている娘に「おトイレでシー出来たらスクールバスに乗れるよぉ」などと言い聞かせていたのですが今日の失敗の後から、自ら「シクルバシュ(スクールバス)乗れないよ」を繰り返す娘。なぜか自慢気な口調なのが気になるものの。。。やはり不憫。エルモ氏、やはりアナタは偉大です。対策は、あえて無し(←あは!)。のんびりやります、やっぱり放置。ちなみに帰宅後は100%失敗無し!エライ!
2008/11/20
娘、2歳7ヶ月、オムツが外れました。。。(感涙)2歳になった時にはじめたトイレトレーニングは実は、親のワタシがたったの3日で音を上げて中止。あの時のすさまじい様子は書いていたら本が一冊書けてしまう程の量なので一言で書きますと「双子はトイレが大好きで、ハイパーでお互いの世話を焼くのも大好きでとても大変でした」その後、「トイレに誘う」などのトレーニングを全くせず、小児科医の「3歳からでいいわよ、大変でしょ、双子だし、性別違うし」の言葉に甘えて完全に放っておいたのですがある日(11月11日11時AM)、「ウンチくんしてるの、今」とふんばっている娘を、気まぐれに脱がせてトイレに座らせてみたら、あっさり成功。その後、自発的に「シーが出るよ」とトイレに行くようになり、11月17日朝から本日までずっとオムツを一度も濡らしていません!まぁ、まだ3日目だし、この先長時間の外出などしたら失敗があるとは思うけれど、母は嬉しい!息子もトレーニング無しで自発的に外れるまで放っておこーっと。。。オムツ代より、ココロの健康、いいの、コレがワタシ流。。。
2008/11/19
朝目覚めると「大きいパン食べる」「ヨーグルト食べる」と言いながら起き上がる双子。友人宅で普通サイズのおにぎりを5つ食べて「もっと」とせがみ、あきれられた娘。大人のカレーを普通に食べ終えて炭酸飲料を一気飲みし、驚かれた息子。ランチビュッフェで、大人並みに食べた為2歳半だというのに、大人料金の半額づつ請求されてしまったウチの双子。(請求されるほど食べさせていません!とはとても言えず、支払いました)いつも、目の前から食べるものが全て無くなるまで延々と食べ続ける、食に対して異常なほどに貪欲なウチの双子が、今日、スーパーの試食コーナーで「ひとつだけだよ、いいね?」とよーく言い聞かせてからクッキーを与えたら、なんと、二人揃って「おうち帰ってから食べるの」と言って買い物中も、レジの超蛇の列に並ぶ間も「おかーしゃん、おうち帰ってから食べるよ、コレ」とクッキーを食べずに、ずーっと手に持っている。帰路の車内で「ちょっとだけペロペロするよ」とクッキーをペロッと舐めて、まだ手に持っている。信号待ちの時「クッキー食べないの?」と聞くと「おうち帰ってから食べるの、うふっ!」スゴイ。。。育ちの良い子供みたい。。。(感涙)いつも意地汚い姿ばかり他人様に見られているのでこのセリフを記録に残したいと思い「今のもう一回言って!クッキー食べないの?」と思い切り「ヤラセ」で、カメラを回してしまいました。ウチの双子じゃないみたいな、ステキな動画が撮れました。母の一生の宝物。。。。信号はとっくに青。おうちに着いて、嬉しくて仕方ない母は運転席から飛び降り後部座席の双子を、それはそれは激しく褒めてやりました。いつもは自力で車外に出させるのに、本日は特別に「抱っこ」で車外に。。。。と、娘を抱っこしたら手に持っていたクッキーがワタシの体に当たり、折れて落下。本日雨天につき「3秒ルール」不適用、ああ、無情。。。ゴメン、娘!
2008/11/15
ワタシが8つの時に93歳で他界した曾祖母をワタシは「ひいちゃん」と呼んでおりました。年老いたひいちゃんしか知らないワタシにはにわかに信じがたいのですがひいちゃんはワタシの母がが幼少の頃の1950年代にすでに「ホワイトソース」や「パンケーキ」なる物をメリケン粉、バター、牛乳を使って料理していたようなハイカラな人でした。*ホワイトソース:今で言うクリームソースorベシャメルソースってやつですな。*メリケン粉:小麦粉の事ですな。元々料理の腕は玄人はだしだったひいちゃんはクリスチャンだったのですが、熊本に渡来してきた宣教師の奥さん達に西洋のハイカラ料理を教わったそうです。上京後のひいちゃんは、ワタシの祖父と千葉で暮らしており寝たきりになった晩年、祖父が自宅で介護をしておりました。柔らかく、のど越しの良い物しか食べられ無くなったひいちゃんに祖父は、好物の「卵豆腐」を作ってやるのですが何度も何度も失敗し、寝たきりとは言え頭のハッキリしているひいちゃんは「あはは、卵豆腐はもう良かよ、作らんで」と笑って言ったそうです。ある日、祖父はワタシの母に電話をよこして「ひいちゃんに、何んなら食わるかて尋んたらオートミールて言わしたとばってん、 オートミールて何んね?」 訳)「ひいちゃんに、何だったら食べられそうか聞いたら オートミールって言ったんだけど、それって何だ?」と訊ねたそうです。あいにく、母も当時(1982年)オートミールなる物を見たことも聞いたことも無く、商店街を端から端まで一軒一軒尋ねて回ってもオートミールを置いている店も無く、ひいちゃんは唯一「食べられそう」と思ったオートミールを食べる事無く、ある日、眠ったまま安らかに大往生したのでした。ワタシは「卵豆腐」「オートミール」と聞くとひいちゃん、祖父、母、のこの話を思い出すのです。さて、十数年前、留学生だったワタシは貯まったマイレージで母をアメリカに招待しました。大学内のカフェテリアで朝食を取った時「コレたい、ひいちゃんの食べたかったもんは」とメープルシロップをかけた、オートミールをよそってやりました。母は「はぁ、これがオートミールね?でも、ごめん、食べられん。。。」ひいちゃんを思い出し、胸が一杯なのかと思いきや、オートミールの「暖かさ」と「ビジュアル」がダメだったそうで。。。分かるよ、母。ワタシも全く同じ理由で食べきらんとよ(笑)。
2008/11/11
夕飯の後、洗い物をしている自分の姿がすぐ右手の窓ガラスに写ります。いつもながら、あまりの猫背に驚いて、横向き姿を窓ガラスに映しながら背筋を伸ばし、肩を後ろにそらせて、胸を張り、しばしその姿をイメージトレーニングのために眺めていたら、ふと、窓ガラスの向こうに裏のお宅のご主人の怪訝そうなお顔 発見。「うわ。。。ヤバイものを見た」とでも言いたげにそそくさと、部屋の奥へ姿を消されました。え?ワタシ、もしかして。。。裏のご主人に、一生懸命、無い胸を披露している卑猥なオンナだと思われたりしてます??違います、違います、誤解です!そんな事があったのが数週間前。そして先日、夕飯の後、洗い物をしていたら息子と娘が「おかーあしゃああーん!」とワタシの両足にしがみついてきて、履いていたズボンが膝まで脱げました。(ウエスト、ゴムなので)「わははー、ちょっと見て~。双子に脱がされた~」と夫に声を掛けて、ふと右手の窓の外を見ると、はっ!そこには裏のお宅のご主人が、また!手に泡が付いていたため、しゃがめずとっさに、中腰スクワット。うちの窓の高さはワタシの腰よりやや低いけど、我が家は2階、裏のご主人は一階。どうか死角でありますように。警察に通報されるんじゃないかとスリリングなエブリデイな今日この頃。。。
2008/11/08
うちの双子が、小鳥を見つけて「あ、ピッピよ、ピッピ」と言うと階下に住む子供達(6歳男、4歳女、2歳男)はPee-pee(オシッコの意)と勘違いするらしく「オシッコって言ってるよー」と2階のワタシのところへ駆け上がって知らせに来てくれいました、以前は。ところが、今年の夏あたり、真ん中の4歳女の子が小鳥を指差し「ピッピ」と言うようになったそうです。「スゴイね~、ナディン(女の子の名)」と話していたら。。。数ヶ月前、うちの双子と同い年の女の子(日本人)が虫を指差し「ケミ!」と言ったそうです。ちなみに「ケミ」は韓国語で「蟻」の意味。つい先日は、すぐご近所の3歳の男の子(日本人)が虫を見つけて「ママー、ケミ!」と言ったそうです。こうなると、スゴイのは、うちの双子の影響力?いやいや、あんたたちもたまには、余所から言葉を学んできなさいよ。by母
2008/11/03
2歳半の息子はビックリした時 「も(む)っこりした」 と言う。首飾りのことを 「キラキラもっこり」 と言う。注)韓国語で首飾りの事を本当に モッコリと言います (もっ=首。こり=掛け)ブロッコリーの事も 「もっこりー」と言う。「も(む)っこりしたねー」 訳)ビックリしたねー。「キラキラもっこりしたい」 訳)首飾りしたい。「もっこりー、たーたい」 訳)ブロッコリー食べたい。あえて訂正しないワタシ。いっぱいビデオに撮っておいていつか息子がガールフレンドを家に連れて来たら彼女に見せてあげるのです、ウッシッシ。。。
2008/10/23
運転中、後部座席から「おかしゃん、くつ はずった(外れた)ぁよー、落ったぁよー」(お母さん、靴が脱げて落ちたよ)と息子の声。食事中、「おかひゃん、とーふ 落ったよ、ここよ」(お母さん、豆腐が落ちたよ、ここよ)と娘。違う、違う、違うよ、わが子達。「靴が脱げて落ちた」んじゃなく 「靴を脱いで落としちゃった」んでしょう。「豆腐が落ちた」んじゃなく「豆腐を落としちゃった」んでしょう。「お母さんが子供の頃はねぇ、あんたたち、”鉛筆削りが落ちて壊れた”なんて言おうものなら”鉛筆削りは自分で勝手に落ちて勝手に壊れたりしない、お前が落として、壊したんだろう、鉛筆削りを落として壊しちゃった、と言い直しなさい”と訂正されたものです。さあ、あんたたちも、正しく言い直しなさい」と言い聞かせています。双子はポカーンと口開けて聞いていますが、怯え顔で聞いている夫がワタシのセリフを丸暗記する日は近いです。参照: 母ちゃんが子供の頃は(10/14の記事)
2008/10/19
日本にいる入院中のばーちゃん(ワタシの母)が痛み緩和の為に使っている麻薬のおかげでいよいよ訳が分からなくなってきたらしく「さて、それじゃ、介護のために帰国でもするか、訳が分かるうちに孫達を触らせてやるか」ということで話が進みました。「魔の二歳児×2人」を連れての「魔の14時間フライト」うぅぅ。。。でも、頑張るしかありません。出入国審査、手荷物検査の長蛇の列、はぁぁ。。。でも、頑張るしかありません。成田から実家までの道のりも、ふぅぅ。。。でも、頑張るしかありません。ドアノブ、引き出しなどのイタズラ防止ロック無しの実家、あぁぁ。。。でも、頑張るしかありません。覚悟は決まって航空券買いました。それより、ばーちゃん介護中、双子をどうする?実家のある市役所とメールをやりとりして調べてもらった結果、預かってもらえる制度も施設も豊富にあることが判明。問題はワタシも双子も市民ではないため住民税非課税世帯以外は利用料金3倍。一養育協力家庭につき一人づつ預けるため双子が離れ離れに。んー、困った。とアレコレ困っている間に、遂に ばーちゃん本格的に訳が分からなくなりました。OMG。。。「この状態で大変な思いをして帰ってきても、ただただ、大変なだけだ」という意見やその他諸々の事情もあり、今回は帰国を見合わせました。航空券まで買ったのに。キャンセル料、高かったです、痛かったです。くぅぅ。。。こればっかりは頑張っても戻ってこない!その後、ちょっと頭のハッキリしてる状態に戻る日も稀にあるようなので時期を見計らって近いうちに帰ります。「魔の14時間フライト」の洗礼を受ける日もすぐそこ。心の準備と、体の準備と、物理的な準備と、考えていただけで免疫力が低下し4年振り位に風邪をひきました。「それにしても、こういう境遇の人って他にも絶対いるはずよー、皆いったい、どうしてるのかしら?ねぇ、ねぇ、ねぇ?」と美川憲一ばりの風邪声で、夫に問いかけてみたところ「そりゃ、皆、頑張って帰国してるんだよ」ですよね、ですよね、ごもっとも。ばーちゃん、待ってろ、ワタシもがむばる。****** 私信 ********祐さん、メールどーも♪若返って見えるのは、白髪染めをはじめたから。かん**********************
2008/10/17
「こっち来なさい」「やめなさい」「○○しなさい」と言っても双子が言うことを聞かない時ワタシは「いーち、にーい、さーん」と10まで数えます。10まで数えても言うことを聞かないと尻叩きの刑になります。10まで待ってもらえてそれでも言うこと聞かないなんて、しかも刑罰が、たかだか「お尻ペン」だけだなんて。。。なんて甘やかされた双子なんでしょう。「お母さんが子供の頃はねぇ、3、までしか数えてもらえなかったよー。3まで数えて言うこと聞かない時はねぇ、あんた、髪の毛つかまれて、外に連れ出されて、庭の物置きに閉じ込められて、鍵掛けられて、ごめんなさーい、って中から叫んでも何がどうしてごめんなさいなのか説明できるまで出してもらえなかったんだよー」と毎回双子に話して聞かせていたら、物覚えの悪い夫が、ワタシのそのセリフをすっかり丸暗記して、言えるようになった。。。そして「怖い家庭だったんだね」と青い顔してボソッと言った。
2008/10/14
母「お母さんのこと、好き?」娘「んふっ。おかひゃん、ふき」母「・・・フキ?」母 「お母さんのこと、好き?」息子「うへっ。おかしゃん、ほき」母 「・・・ホキ?」母「すーき、って言ってごらん、すーき、って」娘「ふーっき!」母「・・・復帰?」母 「すーき、でしょ?すーき」息子「ほーっき」母 「・・・発起?」早く我が子に好かれたい。
2008/10/10
*** まずは私信で失礼します ***さとぼんさん、ぶぶきっちさん、メッセージありがとうございます!更新がんばりまっす! かん。*******************双子は2歳半です。先月、娘は「チューリップ」をフルコーラス通して歌えるようになりました。さすがワタシの子、音の外し方は天才的です。(←音痴という意味)時はややさかのぼって夏。スーパーの野菜売り場にて、ズッキーニを見るや「あっ、おかひゃん(お母さん)キュウリよぉ~!」いいえ、コレはズッキーニです。by 母。そして延々と♪きゅーりっぷぅの お花がー(←字余り)♪♪きゅーりっぷぅの お花がー(←字余り)♪♪きゅーりっぷぅの お花がー(←字余り)♪すごい音痴なんですけど、娘。しかも、正しくは「チューリップ」だし。良かった、日本じゃなくて。
2008/10/08
またしても長~い間放置しておりますがワタクシkangも、家族の者たちも、皆元気一杯過ごしております。放置期間中、長島の潮干狩りの問い合わせをして下さった「ちかママ」さん、在米&母の病気と似た境遇でメールを下さった「りえさん」、何度も安否メールを下さった「YUNAMOMさん」と「NEYANさん」さん、皆さんありがとうございます!そして今日(8/9)NJ州のMitsuwaで「長島便りのkangさんですか?」と声を掛けて下さった若い女性の方!ありがとうございます、スゴ~イ!双子の顔はもう1年以上載せていないのに、どうして分かったんだろー、本当にすご~い。気さくで、ものすごく優しい方で、「お母さんの事もあったからどうされてるかと。。。」と心配して下さっていたようで、「ばーちゃんに会えて良かったねぇ!」と息子の頭を撫でてくれたり(↑息子、もちろん大喜び)たまたま双子がお行儀良くしていた時だったため「落ち着いてきたみたいですねぇ」なんて言ってもらえたり(育児に自信の無い母親にはちょっとウレシイ一言です)あんな所で見ず知らずの方に「ブログ見てます」と声をかけられてワタクシ非常~に嬉しかったです!今日はそれだけ書きたくてアップしました。近況は。。。ばーちゃんは、長島滞在中に屍の如く弱りに弱って6/24に日本に帰国させました。直後に入院しましたが、今は自宅で寝て暮らしているようです。痛みが出てきたため、恐怖の日々を送っているようですが血圧が40/70と低く、「痛い痛い」とわめく元気すら無いのがかえって幸いしている(本人談)そうです。なんだかんだいって、まだ頑張って生きてます!ばーちゃん、エライ!双子は近所の子供達、特に階下に住む三人兄弟(6歳男、4歳女、2歳男)とよく遊ぶようになり、会話の節々に英語が登場。「ポロロ(韓国のです)」「アンパンマン」「となりのトトロ」が大変お気に入り。息子はそれらプラス「機関車トーマス」「ディズニーCars」も。あれほど信仰していた「ことみちゃん(いないいないばぁの)」や「エルモ(セサミストリートの)」は「別にぃ~」という扱いになりました。また2件隣りのマー女史が、時折、双子を誘拐してくれるようになりちょっと開放される時間が。マー女史は御年75歳ですが、ワタシよりずっと若々しく矍鑠としておられ数年前までは某日系企業の偉~い方だったというのにうちの双子ときたら。。。もう、それはそれは。。。ワタシも双子もすっかりご親切に甘えております。夫は釣りシーズンに入ってから再び「バカ」に火がつき今年はボートを購入。といっても「ゴムボート」。もちろん動力はエンジンではなく手漕ぎ。で沖に出て釣っています。(長島では船を所有している家庭は珍しくなく、うちのご近所も皆さんシーズンオフの間はガレージ横にそれはそれは立派な船をカバーかけて保管されています。ですので手漕ぎゴムボートは「は?ギャグですか?」というイメージで浜辺でも、ある意味とても目立ちます。)「要らん!」と言うのにワタシと子供達にも救命胴衣を買いギャグチックな手漕ぎゴムボートに乗せられ、船酔いしたり。。。漕いでも漕いでも、風に流されて沖に出られず、周りの立派な船の方々から「は?ギャグですか?」とか「まぁ、気の毒な工作船」という目で見られていたり(?)しているようです。その他、BBQや、プールや、海遊び、カニ取り、友人家族に親水公園に連れて行ってもらったり、などなど長島の短い夏を満喫しております。しばらく不調が続いたワタシ自身の体調もこの所、大分落ち着いて来てご飯が美味しくてたまりません。そして明日は、2年半前に日本に帰国してしまった友人が息子と再渡米。彼女のご主人は一足早く長島上陸をされており、ちょっとこれは近過ぎなんじゃ?という所に拠点を置かれたのでこれから数年の赴任期間、前回より更に蜜にお世話になりたいと思っています。楽しみです!
2008/08/10
本来なら今生きている事自体が奇跡な母。その母が、5月10日に日本からやってきました。放射線治療の副作用で頭はツルツル。脳の膨張を抑えるステロイド薬の副作用で目から下がブクブクに浮腫んでおり、すっかり別人です。今回の渡米は医者からなかなか良い返事をもらえずかなり無理矢理だったのですが万が一のためにと、主治医が英文の診断書を持たせてくれ、出発直前に航空券を手に入れ、車椅子に乗っての渡米。 既に歩行すら困難になっているというのに、こちらにくる数日前に孫達にお土産を買おうと張り切って外出してしまい、外出先でまたしても転倒。今回は幸い骨折はしなかったものの顔から落下してしまったらしく、顔面に傷とアザ。眼鏡が壊れて、足にも腕にも肩にも怪我。 そんな傷だらけ&浮腫んだ顔、ツルツル頭の「別人28号」な母は、はたして入国審査を通過できるのかと懸念されていましたが、無事、孫達の元へやってきました。口が達者になった双子が「ばーちゃん、ここ、わって(座って)」「ばーちゃん、本、おんで(読んで)」「ばーちゃん、おはん(ご飯)、どーじょ」としきりに甘え、お構いなしに突進し、よじ登ってゆくので体力も無く、足元のおぼつかないばーちゃんがコテッと死んでしまうのではないかと見ているワタシはヒヤヒヤです、が、ばーちゃん、かろうじてまだ生きています。母が来てもうすぐ2週間が経ちようやくワタシも母の今の状況を受け入れられてきましたが、初めの4-5日程は、軽~くショック状態でした。 ワタシが日本に帰省していた4ヶ月前は「日中も横になっている事が多い」程度で骨折のギプスが取れた後は、孫達のオムツ替えや、着替えなど「ちょっとお願い」と頼める状態だったのですが今はそうそう気軽に頼める容態ではありません。食事もバナナや豆腐などの柔らかく喉越しの良いものしか食べらず、よくこの状態で飛行機乗ってアメリカまで来たものです。よほど、主治医の先生にわがままを言ったに違い無い。 こんな状態なので、人生最後のアメリカだからどこどこへ行こう!何々を食べよう!などと外へ連れ出す事も出来ず。かといって家に一人にしておくことも出来ず。今、ワタシに出来る最後の最大の母孝行は?と考えて思いついたのが「ワタシが幼かった頃の思い出話でも一緒に」だったのですが。。 なんと、母は記憶が無い!脳に癌が転移(5センチ大の腫瘍が確認できるだけでも5つ)して以来軽い認知症状が始まっており、本人曰く「アタマがちょっと可愛くなっている」そうです。 子供のオムツを外すトレーニングをいつ頃どんな方法で始めたかや、ワタシの指しゃぶりをピタッと止めさせた技など、ワタシの双子に応用するため聞き出そうとしても母の記憶は驚くほどあやふやになっており以前は「2歳でオムツが取れたけど、あの時代では遅い方だった」とか「歯科検診で歯並びの悪い写真見せたら指しゃぶりが終わった」など話してくれていたのが、今聞くと「全く覚えていない」やら「指しゃぶりしてたのはアナタの妹じゃなかったっけ?」やらで話になりません。 そして「活字中毒」「本の虫」の異名を持っていた母が活字も本も読めなくなっていました。「3行目を読む頃には1行目をもう忘れている」そう。文字を追っているだけで内容が頭に入ってこない状態だそうです。この状況は、実はワタシも留学生時代に経験しており教科書の1章20ページ程を読むのに、文字を追っているだけで内容が入らずものすごく苦しい思いをしたことがあります。ワタシの場合は英語の読解力が無かったのですが母の場合は母国語が頭に入らず苦しんでいます。以前の母は、急ぎの用で外出直前でも、食卓の上にチラシを一枚でも見つけるとその活字を読まずにはいられない、と言ういわゆる中毒症状があったのですが今は「混乱するので何も読まないようにしているし、読みたいとも思わない」そう。 そして、会話が成り立たない。「食欲はあるの?」の問いに「イエス」か「ノー」で答えれば良いものを、「家(日本の)に居ても、昼間は一人だけん朝起きてお茶一杯飲んで、横になってお昼もお茶漬けとか食べるけど、またずっと横になってるから結局アタシはもう寝たきりも同然たいね」という回答になります。頭の中にある情報を文章にしきれなくて結局質問の答えにもならず、といった所でしょうか。 又、語彙が著しく幼稚化しています。言いたい単語がなかなか出てこなかったりおかしな言い回しになってしまうようです。 以下、ワタシの笑いをとった「ばーちゃん語録」です。皆さんも、どうぞ一緒に笑って下さい。 「GW中は、アメリカの椅子、無いんじゃない?」アメリカの椅子とは。。。?真意→「GW中、アメリカ行きの飛行機の座席は空いて無い」 車をバックさせるワタシに「あ、左から女のお婆さんが来てるよ」真意→不明。。。男のお婆さんってのも居るのかも) 「動物売り場の前に。。。車を停めた所」動物売り場。。。??真意→「ペットショップの前の駐車場」 「ご主人が、旦那さんだから英語が上手いね」ご主人が旦那さんって。。。ご主人が奥さんな家庭もあるのでしょうか。。。?真意→「ご主人がアメリカ人だから(子供も)英語が上手」 などなど。アタマのちょっと可愛くなった61歳の母、最後のアメリカ訪問を満喫して欲しいものです。
2008/05/22
魔の二歳児双子と過ごす、ここ数日のヨレヨレな日々を書きます。パワフルでエネルギッシュな魔の二歳児を2人連れて韓国スーパーへ買出しに行っています。ショッピングカートなんぞに大人しく乗っているのはものの1分で「おんり!おんり!(降りるの意)たぁぁぁぁぁーっ!」と叫び出し「母ちゃん、オレ様にカートを押させろ」攻撃が始まります。カートの上に立ち上がり暴れるので、2人をカートから降ろしますが大人しくカート押しを手伝っているのはものの30秒で2人して店内を「うっひゃひゃ~っ」と下品な笑いを轟かせながら暴走。怪力の息子が、1ガロン入りのサラダ油を抱きかかえ余裕で走る姿を見た時には軽くめまいがしました。「日本人の子供は行儀が悪い」と思われては困るので知りうる限りの韓国語を駆使して双子を叱ります。息子は冷凍食品界隈を風を切って快走し聞く耳持たずなので、ワタシは、カートも貴重品も放置したまま、息子を抱え乾物売り場の通路に入り込んだ娘を捕まえに行くと陳列作業中のヒスパニックの兄ちゃんに乾燥シイタケを手渡しながら「イ~ッってやって?ね?ね?」兄ちゃん笑ってるけど困ってる。その隙に息子に脱走され、娘もシイタケを投げて反対方向へ走りだしやっとの思いで2人を捕まえ、抱えて無理やりカートに押し込めば未会計のバナナを「ばーなーな頂戴!ばーなーな!」と今食わせろコール。必要最小限の物だけしか買えず、顔見知りのレジのアジュンマ(おばさん)が呆れながらもブドウをくれて、親切にしてくれるのに恐縮し車に乗せるのも一苦労でヨレヨレになって帰宅します。冷蔵庫に買ったものを詰め、体力が有り余っている双子を連れて公園へ。はっきり言って、うちの子達は「放任主義家庭」の子としか遊ばせられません。5歳以上から遊べるロッククライミングなど平気で上までよじ登ったり地面に敷き詰められたウッドチップを頭の上から撒いて遊ぶため、一緒に遊ぶ子がマネをしても、放任主義家庭のお母さんだと「危ないから、ゆーっくり登ってごら~ん」「お友達のお顔にかからないように気をつけなさ~い」と一緒に見守ってくれて、うちの双子のようなワイルドな子供は思う存分遊べ、満足できるのですが。。。。心配性でキレイ好きなお母さんだと、子供が双子のマネでもしようものなら「No! No! No! No! No!」を連呼するハメに。そうなるとワタシも双子に「ダメ、お友達がマネするから止めなさい」と言わざるを得ず「なんでダメなんだ~?」と双子の癇癪が爆発。そうなるともう手がつけられず、それこそ危険になるのでわめき、暴れ、のけ反る双子を抱え、必死の思いで一人ひとりを車のカーシートに括りつけ、帰宅するハメに。体力があってあまり昼寝してくれない双子を、なんとか車内で昼寝させようと車を走らせます。いつの間にやら口が非常に達者になった双子がしきりにワタシに話しかけます。「飛行機だ」「花だ」「犬だ」「ピーポーだ」と逐一見えたものを報告してくれそれに対して復唱を求めるので、我慢弱いワタシは母親失格ですが「もう分かった、お母さんネンネするから(←運転中)しぃー」と黙らせる事に必死。しかし、娘に至っては、「あーやん、おっきいうーひぇん あか こっちあった!ね?あーやん!こっち!」(訳:お母さん、大きい風船の赤いのがそこにあるよ、ね、お母さん、見て!)などとワタシの視覚まで求めるため、幾度、停止サインを無視してしまったり青信号に変わったのに気づかず後続車にスゴまれた事か。。。「言葉が遅い」と気を揉んでいたあの頃が、ああ、夢のよう。カラダもヨレヨレです。数ヶ月前から、尋常でない腰痛が始まりました。原因は、中腰姿勢のまま重たいモノ(双子)を持つから。車のカーシートへ乗せたり降ろしたり×2人分、洗面所で手を洗わせる・うがいをさせる×2人分、食事の度に、食卓の椅子に座らせ、椅子を前に動かす×2人分、トイレトレーニングでトイレに座らせる&下ろす×2人分などなど、これらを一日に何度も何度も繰り返していたら遂に腰痛が慢性化してしまい、鎮痛剤&温湿布を使い始めました。腰痛ごときで鎮痛剤を服用するのはどうしても止めたいので運動も試していますが未だ効果無し。そして、昨年8月に患った胃潰瘍が未だ治らず。その後もずっと調子が悪く、今年1月には腸も痛み出し薬も効かず酷く痛む日が続いたため、再び医者に行きお尻からカメラを入れて検査してもらうと「腸炎も併発」とのこと。大人になってから医者知らずなのが自慢だったワタシも実は小学生時代、ずっと胃腸が弱く入院経験まであったのがこの歳になってハローアゲインでしょうか?医者曰く「このまま体重がドンドンと減っていくようなら△△△や、■■■や、胃がんの可能性もあるから精密検査しましょう」との事で「胃がん」と聞いて癌家系のワタシは若干不安になったもののその後体重が落ちる事も無く、胃腸薬を飲み飲み、だましだまし生活しております。胃腸炎の原因は、朝と昼の食事を座ってまともにとっていないから、に尽きます。双子に食事の支度をしていると、キッチンカウンターとワタシの間に入り込んでワタシを押し離し「今すぐ食べたいコール」。包丁や火に手を伸ばしてくるため、食卓に座らせて「戴きます」だけかろうじてさせ、これじゃいかんと思いつつも準備の出来たものから順に与えてしまいます。その間、ワタシはカウンターと食卓の間に立ちっぱなし。そして双子の食事中、ひたすら片付け時間になります。食事中の散らかりは食後にゆっくり片付ければ良い、と思われるかも知れませんが、うちの双子は食後 手と顔を洗うと我先にと床におちたご飯粒の上に寝転がったり、拾って食べたり。。。体についた食べ物はそのまま居間や寝室へ。その被害を最小限に留める為、双子の食事中は服や髪や床に落ちた食べ物をひたすら拭い、這いつくばって拾い集めています。気が付くと、自分の食事は準備中のつまみ食い程度で終わっています。空腹のまま、夕飯時になると、なぜか 辛~い、赤~い韓国食事がしたくなり、空きっ腹に刺激たっぷりの食事をしてしまうワタシ。夕飯時は、双子を見張る夫がいるため、食べるなら今!と張り切って食べてしまうのも一因。。。(反省)そして胃痛の悪循環。もっともっともっと「ヨレヨレ談」がありますが、書いていたらキリが無いので本日ここまで。もうヨレヨレです。
2008/04/28
受精卵の頃からずっと双子の成長を見守って下さる皆さん、いつもありがとうございます。おかげさまで我が家の双子は病気も怪我も無く↓4/2に無事2歳を迎えることが出来ました。「ペギル&お食い初め」と「トォルチャンチ&1歳誕生会」をそこそこ盛大に祝っていたので、2歳の誕生日は家族だけでシンプルに祝いました。でも誕生日前に日本の友からアンパンマンの絵本たちが届いたり、当日の朝も韓国から↓ポロログッズが山ほど届いたり。。。(恐縮ですNeyanさん)お祝いを贈ってくれた方々、本当にありがとう!↓こちらは、昨年、日本の友人宅で祝ってもらった際のお手製バナー。非常に感激したのでもらって帰ってきて再利用、さんきゅー♪そして、これらのカードやメール、E-cardを送って下さった皆さん、どうもありがとうございます!シンプルながらも母は作ったよシリーズ。↓ケーキ焼いたよ、今年だけだよ。↓韓国式だよ、誕生日の定番「ミョックク(わかめスープ)」。↓ちゅるちゅる好きの双子の為だよ「ちらし蕎麦」。↓誕生日限定だよ「アンパンマン&うーたん」夢のコラボレーション。ちなみに「じゃーん!コレな~んだ?」と見せたら嬉しそうに「あっ、おは~ん(ご飯)!」と目を輝かせた娘。木を見て森を見ず。。。誰に似たのよ?↓誕生日祝賀お膳の前で「ばんざーい!」大きな四角い物体はペギルとトォルチャンチの際にも登場しましたがペクサルギという韓国のお祝い用餅。「祝・生日(祝・誕生日)」と書かれています。切り分けて、夕方散歩がてらご近所に分けました。果物をむいたり切ったりせず大胆かつダイナミックに並べるのも韓国式。トォルの際、韓国の義理兄夫婦や、夫の友人知人達からハンボク(韓服、チョゴリのこと)を沢山もらっているので着られる今のうちに着せて記念撮影をすることに。↓息子用パジチョゴリ↓娘用チマチョゴリ ああでもない、こうでもないとコーディネートを悩んだ挙句選んだ一着づつをもって、写真館へ行き撮影してきました。馬子にも衣装効果とプロの腕前効果でどれもわが子とは思えぬような「立派な二歳児」に写り全部飾りたい!こちらでお見せ出来ないのが残念!1歳から2歳までの12ヶ月は瞬く間でした。その反面、友人達にも言ったのですがまだたったの2年しか共に過ごしていないとは思えません。もう10年位この子達に振り回されている気がします(笑)。既に「魔の二歳児」としての頭角を現す双子、DoubleでTerrible twoです。また育児ノイローゼになりそうなスリリングな毎日です。
2008/04/03
3年前の4月に「余命2~3年」と言われたワタシの母、頑張ってます、ちゃんとまだ生きてます。「短く見積もって2年、だからあと○ヶ月」と逆算していたワタシは、その2年を超えた昨年4月から「いのちのお釣り」として毎月「プラス○ヶ月」と足し算をはじめて、もう12ヶ月! 母、すごーい!(拍手~!)発病以来、心療内科にまでお世話になりながらも孫達の成長を見届けることだけを生き甲斐に淡々と日々を過ごしている母。昨年夏には「年を越せないかも」と医師に言われながらも抗がん剤が始めて効いて、転移した脳の腫瘍をやっつけてしっかり孫達と一緒に年を越してしまった母。孫達が帰ってしまうと、また廃人のように淡々と日々を過ごしていたらしいですが。。。春にまた孫の顔を見せてやるため帰省を考えていたけれど諸事情で叶わなくなってしまい、母を落ち込ませてしまったらしい娘のワタシ。もともと天然ボケ要素のある母は最近、電話での会話が要領を得なくなってきて自分でも混乱し「何が何だか分からんばってん、大丈夫たい」で締めくくる母。帰省できなくなったワタシに対して怒っているからわざと心配させようとしているのか?と昨今思っておりました。すると、今月始めに、再び脳への転移が確認されました。CTで確認できるだけでも5つ、どれも5センチ大の腫瘍。主治医曰く、脳を圧迫しており、既に意識障害が出ているそう。本人も「どうりで頭痛が痛い」らしい。ワタシも「どうりで話が噛み合わない」と納得。早速入院し、放射線治療の開始。放射線治療は一生に一度しか施せないハイリスクな治療なため「もう後が無い」らしい。でも、そんなリスキーな治療を受けられるだけ母に体力が残っている証拠なのでそれはそれで、スゴイこと。副作用として、脱毛などの他に「認知症」もあるそうで、認知症のお年寄り相手の仕事をしている妹の話によると、母に「お昼のおかずは何だった?」と聞くと「スイカ」と返事が返ってくる。でも実は「シャケ」だった。などなど「天然のボケなのか、放射線の副作用によるものなのか、微妙に判断しにくい症状」が日々みられるそう。ワタシも、入院中の母の携帯電話に毎日メールを送っています。最後を「孫息子、孫娘より」で締めくくるとメールが大の苦手なばーちゃんから、ちゃんと返事が返ってきます。「かわいい孫息子、孫娘、退院したら又デンワでお話しようね!じわまだ。」↑こんな風に。でも、「じはまだ」ってなんだろう?「癌(がん)にはなったけど、痔(じ)にはまだなってない」という意味なのか?難しいよ、ばーちゃん。ところで、いつから病人に対して「頑張って」が禁句になってしまったのでしょう。毎回、どう締めくくってよいものか、もうネタ切れで毎回ワタシはとてもツライ。母よ、あなたはこれから、どうなっていくのでしょうねぇ。「治療が終わったら、孫に会いにアメリカに行く」と言っているけれど、そろそろ娘は心配です。今、生きている事が奇跡なのに。そろそろ「本当の話」を受け入れられるようになってもらわないと。そろそろ「本当の話」を誰かがしなければねぇ。。。ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず澱みに浮かぶうたかたは、 かつ消え、かつ結びて久しく留まりたるためし無し鴨長明 「方丈記」おまけ↓「ランドセル姿が見られたら悔いは無い」と言うばーちゃんに、ランドセル姿を見せてやった1歳のボク、エライ? (昨年11月、日本のBOOKOFFにて)ちなみに、アメリカにはランドセルが無いんだ、ばーちゃん。。。 by双子
2008/03/30
我が家の4軒向こうに住む、リルおばあちゃんは84歳。ご主人を亡くしてからずっと一人暮らしをしています。2年前までは、毎朝お化粧をしてドレスを着て車を運転して、教会へ通うのを日課にしてました。が、ある朝、隣のテリーおばさん宅にリルおばあちゃんがやって来て「教会に行ったら戸が全部閉まっていた」と言ったそうです。時間は、なんと朝の6時でした。それからしばらくして、遠方に住むリルおばあちゃんの息子が、住み込みのメイドさんを雇いメイドさんとリルおばあちゃんは一緒に暮らすようになりました。リルおばあちゃんは、教会へ行く日は無くなりましたが毎日のお化粧を欠かす事はありませんでした。昨年の春~夏頃まで、うちの双子が家の前を通りかかる度に外へ出てきて双子の相手をしてくれておりました。特に娘のことがお気に入りで「ああ、食べちゃいたい」が口癖でした。昨年の初秋、いつものように双子がリルおばちゃんをみつけて突進してゆき、リルおばあちゃんもいつものように「ああ、食べちゃいたい」と双子の相手をしてくれました。でもリルおばあちゃんは、ワタシとワタシの夫が誰だか思い出せませんでした(涙)。秋も深まり、木枯らしが吹く頃にはリルおばあちゃんが外に出てくる事がなくなりました。今年の一月、帰省から戻ったワタシはテリーおばさんに「リルがホスピスに入った」と聞きました。双子を連れてはお見舞いに行かれずもうこのまま会えないのかと、もどかしい思いをしていたらリルおばあちゃんが、なんと、家に帰ってきました!双子を連れて、お宅へお見舞いに行って来ました。リルおばあちゃんは、マリア像やキリスト像に囲まれたベッドに背を起こしリビングに飾られた 自分や子供達の結婚式の写真をじーっと見つめていました。ベッドから起き上がることが出来なくなって髪染めも、お化粧もしなくなったリルおばあちゃんですが品のある美貌は相変わらずでした。メイドさんが双子を交互に抱っこしてリルおばあちゃんに顔を見せてくれました。ワタシのことも、双子のことも思い出せず、それでも「この可愛い子達はどこの子なの?ああ、食べちゃいたい」と言ったリルおばあちゃん、あっぱれ!「どんな姿になってもいい、生きていて欲しい」と勝手な事を思ってしまう自分を反省しつつ。。。献身的に介護するフィリピン人のメイドさんに感謝。メイドさんは出稼ぎで、フィリピンに残した夫と子供達とは3年以上会ってないそうです。これもまた、特筆に価するかと。。。
2008/03/24
高校時代の友人が「MONA」というペンネームで作詞家活動をしており、先日発売された彼女作詞のSAKURA~花霞~(さくら はながすみ)歌:中島美嘉ちゃんがあまりにも良かったので、ご紹介します。その前に、作詞家MONAこと諸岡なほ子ちゃんの話ですが彼女自身、高校時代「歌手」をしており専門的に歌のトレーニングを受けていたとはいえ学校でよく一緒にマドンナの歌をハモってくれた彼女は本当に歌が上手かった。現在、彼女は「世界ふしぎ発見」のミステリーハンターとしておなじみのようで、ワタシも日本に帰省中に2度彼女のリポートする番組を見る事ができました。元々勉強家な性分らしく、事前に深~く予習した知識を元に豊かな語彙で、かつ親しみやすくレポートしている彼女の姿を見て正直「敵わない」と感服したワタシ。彼女のブログも毎日読んでいますが、あの類稀なる文才にはつくづく「すっかり差が付いた」と思わされます。読んでいる本の量と、八方に巡らせたアンテナと、豊か過ぎる感受性と表現力。「万年思春期」を自称するだけあって、もう到底敵いません。聡明で可愛くて、本当に素敵な女性になってしまったワタシの旧友。高校時代のワタシは芸能界にはさっぱり疎かったため認識が浅かったのですが、当時の彼女は、歌だけでなくCM、ラジオのパーソナリティー、トレンディー・ドラマ等でも活躍しており多忙を極めていたようでした。当時、美容院でパラパラとめくった雑誌やヘアカタログにアイドル達と並んで彼女が出て来て「あらま」という事もしばしばでした。おそらく、学校の出席日数はギリギリだったのでは?でも、どんなに忙しくても、どんなに華やかな世界にいても見かけの麗々しさとは裏腹に、義理堅いというかズレていないというか、ワタシの母と祖父の言葉を借りれば「親御さんがしっかりした方なんだ」と思える人となりで、貸したCD等には必ずお礼が書かれたノートが一緒に挟まって返ってくるし、年賀状や、誕生日プレゼントにまでしっかり気が回るし、「女性の品格」が出版される10年以上前から女性の品格をしっかり備え持った女の子でした。映画の試写会などにも、何度か同伴させてくれた事がありましたがテレビの中で見かける人々と一緒に、公開前の新作映画をタダで見させてもらえ、彼女に仲良くしてもらったおかげで良い思いを沢山たくさんさせてもらいました。そんなワタシの自慢の旧友MONAこと諸岡なほ子女史が作詞した最新曲、先日発売された中島美嘉ちゃんの「SAKURA~花霞~」(さくら はながすみ)です。旅立ちの歌で、歌詞の中に出てくる「愛する人」「あの人」とは「お母さん」のことです。親元から巣立って幾年、海を越えた地で余命いくばくも無い母が再入院、という知らせを受けたばかりのワタシには、ワタシの旅立ちの日、ワタシの背中を見送ったであろう母のこと、自分が逝った後のワタシを心配しているであろう今の母のこと、などなど容易に曲の歌詞とシンクロ出来てしまう部分が多く「いいわコレ。。。」と是非ぜひ人に勧めたい1曲でした。「SAKURA」の季節にはズレてしまいますが母の日に贈ろうと思い、母用もamazonで購入。母よ、5月まで生きていておくれよ。ちなみに、作詞家MONAちゃんはクリスタル・ケイちゃんの「ESCALATOR」「Last Kiss」や光永泰一朗氏の「ひとつぼし」「僕はここにいるよ」アニメ『ときめきメモリアル-Only Love-』のエンディングテーマ曲とキャラクターソング3曲も作詞しているそうです。本人が歌手時代リリースしたCDの中にも自作の歌が何曲かあったはず。また「世界ふしぎ発見」でおとずれた国々で体験しテレビの前では伝え切れなかった感動の数々を彼女独特の慎ましくも端麗な文体で綴られた著書「地球のどこかの秘境から」もあります。ブログでも日々見られる流麗な文章が評価されているのでしょうか東京下町を紹介する「隅田川des pres」というメールマガジンのコラムも担当しているようです。毎回、あの情報量を一人で取材推敲しているのかと思うと、敬服です。なんだか、本当にスゴイ人になってしまったね、なほちゃん。もう絶対に越えられない、超・魅力的な女性です。遠くの地からいつも応援してるよ、頑張れよ~。中島美嘉ちゃんの「SAKURA~花霞~」(さくらはながすみ)切なくも温かい、ぐっと染み入る名歌です。ここ数年聴いたJ-popの中でダントツ一番。絶対おすすめデス!
2008/03/17
最近、双子を連れての外出が、さほど大変では無くなったので2月の頭から図書館の無料プログラムに参加させています。日本でいう「リトミック」のようなクラスです。↓これはクラス終了後のプレイタイム。息子は、クラスの進行に全く関係無くわが道をひた走ります。母は毎回、穴があったら入りたい気持ちです。先生が読み聞かせてくれる仕掛け絵本が触りたくて、触りたくて何度静止しても、引っ張りに行く。CDプレイヤーが気になって、気になって仕方がなく何度静止しても、いじりに行く。「色」を知らないので「赤を持ってるお友達はこっちにおいで~」の合図で、黄色を振りかざし自信満々に走って行き、肝心の黄色が呼ばれている時は知らん顔。娘は比較的、先生の指示に従えて読み聞かせ中も大人しくワタシの傍に座っていられるのですがやはり「色」と「数」を教えていなかったのでそれらが絡んだゲームになるとトンチンカンな事をします。歌と踊りになると異常に張り切り、先生のお手本とは全く異なる自作の歌と踊りを、自分の順番が回ってこないうちから踊り次の子の順番になってもお構いなしに踊り続けます。先生のタンバリンに合わせて行進し「ストップ」で静止する所をわざわざ頼んでもいないポーズをとって静止します、片足を上げていたり、ほっぺに両手をあてていたり、大胆にもスカートをおなかの上までまくり上げていたり。。。うちの他にもう一組双子ちゃんがいます。2ヶ月年上で、2歳になったばかりの女の子二人です。聞き分けが良く、クラスの再中はもちろん、終了後お母さんが「さぁ、おうちへ帰ってランチよ」と声をかけると遊んでいたオモチャをさっと手放し大人しく上着を着せてもらって、お母さんに手を引かれ駐車場へ歩いて行きます。うちの双子は「ゼッテェに帰らね~、オレ達はここに住む~!」と言わんばかりに反抗します。試しに「じゃ、お母さんは帰るよ、バイバイ~」とワタシだけ上着を着て帰ろうとしたらあっさりと「ばーいー」と手を振られ見送られました。荷物を持って実際に部屋の外へ出て行ってみましたが「普通~、に遊んでるよ」と他のお母さん方に言われました。。。そこで毎回、おびき寄せアイテムになる飴、ジュース、パン、などを持参し、それらを双子の鼻先にちらつかせながらワタシは中腰後ろ歩きで「はい、こっちこっち~」と駐車場まで誘導します、周りの冷笑に耐えながら。。。↓こちらもクラス終了後のプレイタイム。この後、家に帰らせるのに毎回一苦労です。
2008/02/25
暖冬の長島にも 先週、やっと雪が降りました。双子を防寒して外に出してやるや否や、まず試食。↓はむ。By娘↓もぐ。By息子そして、最近お気に入りの「お~っととととと!」を連発ししきりに転倒(故意に)を繰り返す双子。↓お~とと、なのん。By娘↓お~っと、だぜ。By息子ちなみに寝言でも「お~っととととと」と言いながら寝笑いします。双子怖いよ、母さんは。そしてひたすら雪を食し続ける双子。泥も、腐敗した落ち葉も一緒に、きっとワンコのオシッコなんかも。。。お腹を壊さないところがスゴイよ君達、本当に人間?↓雪、旨いっす。↓美味しいかもなのん。↓おかーさんも、ご賞味どうぞなのん、はい。結構です。。。by母
2008/02/17
今年の長島は暖冬のようで寒がりなワタシも大助かりですがアグレッシブな双子を持つ親としても外出がし易く非常に助かっております。実は、ここ一月ほどの間に双子が外出先でも結構大人しくしていられるよう成長している、ということを発見しました。日本帰省中、育児施設の充実した児童館やデパートなどに安心して通えたおかげで、ワタシに多少自信がついたのも要因かもしれません。プラス、双子がワタシの言うことを聞くようになりました。車から一人を降ろして、もう一人を降ろしている間「待ってなさい」でちゃんと待っている(感涙)。カフェのカウンターで注文している間も同じく(感涙)。ワタシが片手にコーヒーや大荷物を持っており二人の手を同時につなげない時、「手繋ぎなさい」で双子同士が手をつなぐようになったのでワタシは空いた片手でどちらかの手を引けばよい(感涙)。以前は親なんかそっちのけで暴走していたのが今では「こっちおいで」でついて来る(これは確立5割。。。)。最近ではワタシと双子の三人でスーパーで買い物は出来るわ、優雅にカフェでランチを食べられるわ、IKEAで家具を買って、更にコーヒーとケーキを楽しめるわ、となんだか普通の親子のように外出を満喫できる幸せをかみしめております。お母さんが安定していて、双子ちゃんも聞き分け良くて優雅に育児をされている双子のお母さん方も沢山おいででしょうが我が家には「絶対にあり得ない」と思っていたこんな日々。双子育児に行き詰まり、いっぱいいっぱいで先行き不安なお母さん方、大丈夫です、いつか必ずこんな小さな幸せを実感できる日が来ます。なんてったって、この我が家にですら来たのですから。ちなみに、双子の必須お出掛けアイテムは息子:ミニカーやミニ新幹線。娘:手のひらサイズの縫ぐるみ。これさえあれば、しばらくは大人しく遊んでおります。↓夢にまで見た親子三人平日カフェでランチ(涙)。↓アリガトウ、ぬいぐるみ様。↓アリガトウ、ミニカー様。↓母、幸せの「片手で双子連れ歩き」の図。今日も外出日和、そしてクジョン(旧正月)です。これから、お正月気分を味わいに双子と長島の韓国人街へ繰り出してきます。
2008/02/07
注)スミマセン、子供のオシッコの画像があります お食事中の方はご遠慮下さい。気まぐれに、おまるにまたがらせてみたその日、娘が、いとも呆気なく成功しました。「前からずっとコレでしてみたかったのん」と言わんばかりに。母の「はばかり」に毎度毎度同行させていたのが功を成したのでしょうか「拭き拭き」した「紙」もちゃんとおまるの中に「ぽい」しておりました。☆娘成功編☆↓いくわよ、なのん。↓あ~っ。おかーさん、あたし、シーが出てるの~ん♪↓拭き拭きなのん。↓こんなん出ましたけど~。(母、狂喜乱舞)↑ちなみにこの後、息子は 娘のコノ紙を素手でつまみ上げました。(母は娘と小躍り中でした)☆息子練習編☆↓オレも一応、座るっす。。。 ↓母ちゃん、出ないっす。。。↓一応、拭くっす。。。努力賞。By母トイレトレーニング、二人同時に、しかも性別違うし、ああ、大儀で煩わしい。。。と敬遠しておりましたがなんだかガムバレそうな気がしてきました。母はガムバル!お前たちもガムバレ。ヨシ、2歳になったら始めるぞ。(↑え?今日からじゃないのかい、母ちゃん? by双子)
2008/01/26
長~い帰省の旅を終えて、1/3に無事、長島へ帰還しました。日本で会って下さった皆さん、どうもありがとうございました。とっても、とっても、楽しかったです!放置し放題だったこのサイトにはいかがわしい書き込みがこれでもかという位、幅を利かせておりました。「おう上等じゃ、いくらでも削除したる~」と意気込んで削除しておりましたがホトホト疲れてしまったので、しばらく書き込み出来ない様に設定し直しました。常連の皆様、スミマセン。双子は長い日本滞在中、病気ひとつせず(韓国では二人ともヒドイ風邪をひきましたが)長島に帰還後も活力に満ち満ちており相変わらず騒擾の限りを尽くす毎日です。帰省の目的だった実家の母ですが孫たちと過ごした2ヶ月ちょっとの間は身体の調子はさておき、情操面が非常に元気だったせいか昨年夏には「危ういかも」といわれていた年越しをみごと生き抜きました。喪中はがきの気構えをしていた父、職場に休暇願いを思案していた妹、喪服になりそうな子供服を荷に詰めていたワタシ、こんな縁起でもない不謹慎な家族に囲まれながらもよくぞ頑張っています。えらいぞ、ばーちゃん。ちなみに、孫たちが帰ってしまった今は「若干廃人になった(妹談)」もののまだまだ持ちこたえているようです。恐るべし孫パワー。「病は気から」先人の金言万歳。さて、言葉が遅くて有名な現在1歳9ヶ月の我が家の双子は日本滞在中にお喋りが達者なお友達に刺激されたのかこちらに帰ってきてから急に、本当に急に、言葉がポンッポン出てくるようになりました。娘に至っては、それはそれは目覚しいスピードで遂に(というか今更ですが)待ちに待った「二語文」~!(母感涙)「まなまな、ばっと」訳→「飲み飲み、もっと」「っぱ、あっこ」訳→「アッパ(パパ)抱っこ」「でぃの~、てって~」訳→「でぃの(息子の名らしい)手つないで~」「でぃの~、つつ~」訳→「でぃの(息子の名らしい)靴下履きな~」「べいべー、ばーい」訳→「赤ちゃん、ばいばい」などなど!え?親にしか通じない(汗)??そして、息子は。。。まだまだ二語文は出てきませんが単語数はずいぶん増えてくれました(母感涙)。そして、なんと、数を数えられるようになりました!「1」まで!「い~ち、い~ち、い~ち(エンドレス)」え?「いち」と言えるようになっただけ。。。(汗)??亀の歩みで本年も頑張ります。↓息子:ブイブイだぜ。 娘:兄ちゃんカッコイイのん。今年も宜しくお願い致します。
2008/01/22
日本での生活も残りわずかになってきました。10月の終わりから日本におりますが、母の病気や怪我プラス手のかかる双子がいるために近所の児童館に双子を連れて行く以外は実家にこもりきりの生活でした。温泉旅行や観光はおろか、美味しいものを食べに行くことも夕飯の買い物以外、買い物らしい買い物すら行かれていませんでした。唯一の楽しみは、友人達が実家に訪ねて来てくれる事のみでした。陸の孤島にある我が家に来てくれる皆さん、本当にありがとう!でもさすがに、こんな毎日を過ごすだけで長島に戻ったら悔いが残るだろうと思っていた今日この頃ですが、先日ようやく帰国して初めての「電車」に乗りワタシ一人で出掛けることが出来ました(感涙)!しかも、小学生のころから大好きな某有名人(女性)に会いに。ナマのご本人に会うのは実に20年振り位でしたが子供の頃は本人を前にすると、お腹が痛くなってしまう程緊張してしまい「ガ、頑張って下さい」と噛みながら言うのが精一杯のワタシでした。しかし、三十を過ぎた今、怖いもの無しになったワタシは募る思いのたけをぶつけてきました。ワタシ、鬱陶しかったかもしれません。お互い趣味の家庭菜園の話を延々と出来たり双子の話を出来たり、サインをもらいながら「いつも本当に字がきれいですよねぇ」なんて余談を交えながら、こんなに沢山余裕をもって話を出来たのは初めて(感涙)。ワタシの母の病気の話をしたら、ワタシの母宛にも暖かくさりげないメッセージ入りのサインを書いてくれました。元旦の母の誕生日に、よいプレゼントが出来ました(ラッキー♪)子供の頃、いつも母に無理を言って、その人のミュージカルやミニ・ライブや、公開録画などに連れて行ってもらっていました。終了後は必ずその人が出てくるまで楽屋口で張っていたワタシ。小学生のワタシを置いて帰るわけにも行かずまだ小さかった妹を抱いてあやしながら一緒に何時間も炎天下や寒空の下、待ちぼうけしていたワタシの母。このプレゼントはきっと「意味あるモノ」になるはず。。。おこがましくも、長島と韓国からのお土産も受け取ってもらい一緒に写真も撮ってもらい(長年ファンやってますがコレも初めて)帰りがけには、見送るファン達の中から「あ、」とワタシを見つけ出しわざわざ足を止めて「気をつけて(長島に帰って)ね」と優しく声を掛けてもらい、ワタシは、今回の帰国の目的を十二分に果たすことが出来ました!ワタシ、もういつ死んでもいいです。その日の晩、某SNS上で彼女のご主人を介してお礼のメッセージを送ったらご主人がワタシのページに訪問してくれていました。もう充分です、ありがとうございます(合掌です)。もう、本当に死んでも悔いは無いかも、ワタシ。。。全く飾らず、超気さくで、それでいて超プロフェッショナル、でもそんな実力派な所はおくびにも出さない。とても理想です。ちなみに、ファンでは無いですが楠田枝里子氏や、清水ミチコ氏もワタシの理想です。悶々と過ごす日々の中、突然の嬉しい刺激に未だ興奮冷めやらぬ為、取り留めの無い日記で失礼しました。でも嬉しい!
2007/12/17
日本に来てから、実家のすぐ近くの児童館に足げく通っております。片腕ばーちゃんが家に居るので、毎回短時間の利用なのですが素晴らしく充実した施設が全くの無料なのでエネルギーに満ち満ちている双子の母親としては非常に有り難く帰り際にはつい、手を合わせて拝んでしまいます。さて先日、児童館の帰り道、ワタシの同級生のお母さんにバッタリ。孫(つまり、ワタシの同級生の子供)を抱っこしておられました。同級生は「出来ちゃった結婚」で、子供がうちの双子と同級生です。立ち話に花が咲いた頃、お母さんが、唐突に「こんな事聞いちゃナンなんだけど。。。薬、飲んだの?」とおっしゃるので、鈍感なワタシは思わず「何の?」と聞き返してしまいました。しかし、すぐに合点がいき「薬飲んだも何も、注射も打ちましたし、手術もしましたし、正真正銘の不妊治療、体外顕微授精なんですよ。」と説明。「あらぁ、そう~!」とひとしきり感心されて「うちの甥っ子の子供も云々云々」と身内の方の不妊治療話をされ会話の節々に「で、原因はご主人?それともアナタ?」と聞きたくて仕方が無い様子が受け取れたので「ワタシが原因なんです」のインフォメーションも差し上げて、お別れしました。ワタシは治療中から周りに「治療しています宣言」をしていたので今までは、こういう形で不躾に聞かれたことがなく「眠れないほど嫌な思いをしている」という不妊治療経験仲間達の気持ちが、そこまで共感出来なかったのですが、今回、初めて身にしみて分かりました。。。ワタシも、その晩 眠れませんでした。おばさん、なんでそんな事聞く必要があったのですか~?自然に出来た双子か、人工的に出来た双子かあらかじめ知っておく必要があるの~??単体の子を見ても同じ質問をするの~??そして、その「薬飲んだの?」という聞き方は遠回しで失礼の無いよう遠慮がちに聞いているようでいて、実の所、聞かれる側にしてみれば、至極ステレオタイプで意地悪~に聞こえるのをご存知でしょうか。それから「不妊」と聞くとすぐ「私も多分不妊だと思う、生理が軽いから云々」だとか「私の親戚も不妊で云々」だとか「即席不妊仲間(しかも間違った知識で)」になってくれる方がよく居らっしゃるのですが今までは「その気持ちは嬉しい」と受け取れていたのですが今回初めて「嫌悪感」を覚えました。「薬飲んだの?と聞かれて、うちの子は普通の子と違うんだ、と思い辛かった」なんて言う不妊治療仲間たちの話を聞くたび「なんでそういう歪んだ受け取り方をするの?」と仲間達の思想改革を試みていたのですがワタシも彼女達と全く同じ気持ちになりました。「自分の子は自然に出来た子と同じに見てもらえないのか?」遅ればせながら、あの日からワタシも考えちゃいます。今まで「そういう受け取り方が悪い、治療で出来た子も同じ。堂々と治療して何が悪いと言え」なんて偉そうな事を言って、彼女たちを更に傷つけていた自分が、とてもとても恥ずかしいです。あ~、ワタシってば、イヤだ、イヤだ。。。
2007/11/08
韓国の滞在を経て、日本へ到着し早2週間半が過ぎました。夫は一足先に長島へ戻りましたがワタシも双子も元気に過ごしております。ワタシ達が日本へ到着した2日後、ばーちゃん(ワタシの母)が転倒して右手首を二箇所も骨折しました。せっかく孫達が来たのに、抱っこも出来ないオムツ換えも出来ない、風呂にも入れてやれないと落ち込んでおりましたが、グッドニュースがありました。実は、今年7月の時点でばーちゃんの主治医から「もしかしたら年を越せないかも。。。」と言われておりました。それで、ワタシは今回の帰省を決めたのですが、10月末のMRI検査の結果、肺やリンパの癌に変化は無いけれど脳に転移していたがん細胞がほとんど消えておりました。医師たちも「これは奇跡ですねぇ!」との事。「この調子なら来年の桜も見られる、アメリカにも又行かれるかな」とまで言ってもらえました。抗がん剤の副作用で髪がほとんど抜けてしまったばーちゃんですが「無駄に禿げたわけでは無かった」と嬉しそうでした。日中も横になっている事が多くなったばーちゃんですがとてもとても「死に行く人」には見えません。ただ、利き腕がギプスで固定されているため孫の世話どころか、自分の身の回りのことすら満足に出来ない為ワタシが拘束されており、双子の世話と、家事と、母の世話。。。ま、親孝行しに帰って来たつもりなので今回は辛抱しようと思います。。。(涙)
2007/11/07
双子は10/2で生後一年と半年が経ちました。光陰矢のごとしです。久しく双子の成長に関して書いておりませんでしたがおかげさまで、相変わらず「亀の歩み」で前進しております。遅ればせながら、17ヶ月の後半あたりからようやく絵本を絵本らしく扱えるようになりました。今までは「絵本=食べ物」でしたが、やっとページをめくってあたかも読んでいるような素振りをするようになりました。娘は息子よりかは記憶力がよく、決ったページにくると、そこに書かれた一言を言ってみたり犬の絵には「wow-wow!(ワンワンのつもり)」猫の絵には「(消え入りそうな声で)にゃ~。。。」小鳥の絵には「(更に消え入りそうな声で)ぴっぴぃ~。。。」と指差して自画自賛の拍手。それにつられて息子も拍手。意味のある言葉もようやく少しづつですが、喋るようになり娘は「ワンワン、hi、bye、ないない、にゃー、ぴっぴぃ、やったー、オンマ、アッパ、バァ」等10単語ほど。息子は「ないない、ヒコーキ、コークーキ(航空機?)、hi、ねんね、ワンワン」等5単語ほど 意味を伴う言葉を言うようになりました。(出てくる頻度の高い順に書きました。)娘は16ヶ月と2週目に小鳥の絵を指差して「ぴっぴぃ(小鳥)」と言えるようになり、息子は16ヶ月の終わりに飛行機を指差して「こっきー、こっこー、くっきー」と言うようになり、二人ともそれを境に少しづつ、物に名前があることを理解している様子。しかし、まだまだ完璧ではありません、全然。。。サリバン先生、カモン・プリーズ。理解力も息子より娘のほうがマシで、16ヶ月になった日に「拭き拭き持ってきて」と言ったら、ちゃんとガーゼを持ってきました。それ以降、「飲み飲み(マグ)持ってきて」「オムツ持ってきて」「靴下持ってきて」などがすぐに使えるようになり、少しは役に立つ娘になりましたが、その頃は「こんなに理解しているのに、どうして喋らないんだろーね?」と夫と共に首をかしげるばかりでした。最近の得意芸は「歌って」とリクエストすると衣装ケースや階段など、一段高い所に上がり、カラダをゆすりながら「だぶだぶだ~、あ~おぅ。ぶじぶじ~、あ~おぅ」と節をつけて歌います。息子はまだ言葉と動作が連結しておらず、おかたづけ=「ないない」だけは得意なのですが、「行ってきます」で「戴きます」のポーズをしたり、「ゴシゴシ」で「もしもし」もポーズになったりと空耳アワー好きの母を笑わせる事に余念がありません。しかし、単発芸は相変わらず得意で、芸当の数は増加の一途です。つまりは、ワンちゃんやおサルさんに近い脳みそなのかもしれません。賢くなくとも面白い子に育って欲しいワタシとしては全く申し分ありません(←苦しい強がり・大粒涙)。また、娘は「お母さんは?アッパは?」の問いに対してその該当者を指差せるのに対し、息子はいまいち分かっておらず駄目。娘は「お前のホクロは?お母さんのホクロは?アッパのホクロは?兄ちゃんのホクロは?」と順に訊ねると、それぞれのホクロを探し出し指差します。息子はまだ「ホクロ」という言葉すら理解していません。娘も息子も、「バニーちゃん(ウサギぬいぐるみ)のお目目は?お口は?お鼻は?」の問いに対し、90%見当違いな所を指差しますが、娘だけ「ポンテギは?」と聞くと、なぜかそれだけはちゃんと場所を心得ており、バニーちゃんのスカートをめくってプライベートな部分を指差します。「女の子には無いんだ」と言いきかせても、ニヤケ顔をしております。(さすが変態)。手遊び・振りの類は「♪ぐるぐるどっかーん」に続き15ヶ月あたりから仕込み出した「♪大きな栗の木の下で」がほぼ完成に近づいてきました。同じく15ヶ月頃から特訓の「♪ぴっとんへべへべ」は難易度が高いためか、双子により非常に滑稽な振りに作り変えられています。単純な「♪Where is pumpkin」などもほぼ完成品となりましたがあやふやに誤魔化す悪い癖は、母親譲りでしょうか。。。?こんな様子で、少しは理解力もついた(←どこが?)ことなので躾を開始することに。1. 食べ物・飲み物を 投げた時。2. ストローで吸い込んだ麦茶をクチから出した時(息子の悪い癖)。3. たんすの引き出しを開けて中の物を出した時。4. コンセント・ガスレンジのつまみ をいじった時。5. 布団に寝て、足で壁をドンドンと蹴った時(双子の悪い癖)。この5項目に対しては、こちらに顔を向かせて「いけない!」とかな~り厳しく叱って、2~3度言って聞かない時は腕を取ってピシャリとかな~り強く叩くようにしました。肝心なのは現行犯で叱ること。時間が経ってからでは訳も分からず叩かれ、子供が理解できないと「子犬の躾」という本で読んだことがあるので。。。躾を開始して1週間が過ぎ、効果の無いまま2週間が過ぎた頃ようやく1.2.3.に関しては効果が。言えば止める→叩く振りをすれば止める→もうやらない、様に。やっと分かってくれたか双子よ(涙)。なんで、もっと早く叱らなかったんだろー、ワタシのばか。叩く母は辛かった、なにせ手が痛いのだ。しかし、4と5がどうしても駄目です。4は危険、5は階下のお宅に迷惑。今までは 壁を蹴っても、叱られずに抱き上げられて場所を移動されていたため「蹴れば蹴るほど抱っこをしてもらえる」と思うのか、叩いても叩いても一向に止めず、果ては叩かれ過ぎて痛くて泣き出し、夜中に余計にご迷惑という悪循環に陥っております。難しい。。。。叩いているのをご近所に見つかったら通報されそうだし。。。何事にも余所様より時間がかかる双子ですが「大器晩成の方がいいんだ」と言ってくれる友人達に励まされながら、のんびりな双子を見守ってゆきたいと思います。こんな双子を今後とも宜しくです。さて、今年は4月に帰省したばかりですがまたまた帰省することになりました。10/10出発、長島に戻るのは来年の年が明けてからです。往路は夫も一緒ですが、復路はワタシ一人で2匹のモンスターと13時間 密室で、沢山の罪の無い方々に多大なご迷惑をかけながら帰って参ります。考えただけで今から気を失いそうです(涙)。おまけ「迫られる息子」↓アンタ、アタシのタイプだわ(うっふん)。 by彼女。せ、積極的。。。(ハート)。 by息子。↓ワンダフル・スメルだワン。byジョーイオ、オスには興味ないんで。。。by息子↑兄ちゃん、メスなら犬でもいいのん? by娘。
2007/10/06
☆ 禁断のポーズ ☆韓国の学校では、長時間この姿勢↓をさせられる「体罰」があるそうです。トラウマなのか、夫は息子のこの格好を見ると、可哀想に涙目になります。↓でも、ボクこの姿勢大好き。いつでもどこでも体罰ポーズだぜ。☆ 禁断の遊び ☆↓今日は何して遊ぶ~?↓逆さ吊りごっごしよ~ぜ~。↓イヤなの~ん!by娘 助けてぇ。。。by息子☆ 禁断の実 ☆チューリップ、ひまわり、ガーベラ、ダリア、バラなど派手な西洋の花もゴージャスで好きなのですがワタシは柄に無く、野に咲く花や、和風の「可憐な花」に惹かれます。特にオクラ、紫蘇、ニラ、キュウリ、ナスなどの「野菜の花」がこの上なく好きです。年中花屋に売っていないのがとても残念です。↓夏の間、目を楽しませてくれた我が家の畑に咲くオクラの花です。↓花が落ちると実がなります。↓数日収穫を怠ると、巨大化してご覧の通り可憐な花だった姿は見る影も無くなります。。。(怖)(合成ではありません)
2007/09/26
アッという間に9月も後半に差し掛かりました。我が家のPCは又ウィルスにやられており絶不調ですが9月前半の出来事をUPします。☆ BBQ ☆9月頭のレイバーデイ・ウィークエンドは友人宅のBBQへ呼ばれました。ここへ来ると、息子は16歳年上の彼女とラブラブになります。↓愛のキャッチボールをしようぜ、ベイべー。↓アタシもねーちゃんの事が大好きなのん、がしっ。☆ 再会 ☆1年半前に日本へ帰国したCicciファミリーがしこたまお土産を持って、長島へ遊びに来てくれました。アイドル子役のような顔をしたCicci家の息子は童謡からインシンクまで何でも歌え、ちゃんと言葉で意思疎通をしており、Terrible twoとは程遠い2歳児でした。うちの双子も一年後、こんな手の掛からない2歳児になってくれるでしょうか。。。↓絶対ムリ。By双子双子はCicci夫婦に妙に懐いてしまい、常に膝の上に抱かれ、ご飯をもらい、ポッポ(チュー)の大安売りをしておりました。娘に至ってはCicci家の滞在中、母親のワタシには全く見向きもしませんでした。日ごろ抱っこ等、滅多にしてやらないせいでしょうか。。。近い再会を約束してCicci一家は日本へ帰ってゆきました。☆ ワイルド ☆アボジ(父)の元職場に用があって行ってきました。レセプションの後ろに入れてもらい、いたづらし放題の双子。↓るるんがるん、なの~ん♪↓経理のオフィスでも、やりたい放題だぜ~い。双子は、ここのクリニックで作ってもらったというのに、恩を仇で返すようなことばかりして、もう。。。皆さん、大変ご迷惑をお掛け致しました。顔で笑って、心では怒り心頭されていることと思います。☆ 釣り ☆双子が生まれてから釣りどころではなかった夫ですが先月あたりから釣りを再開しました。ボウズで帰ってくることも多いですが先日久々にお腹が満たされる量を釣って来ました。ポギーとスナッパーです。スナッパーは開いて塩焼き、ポギーは刺身と煮付け、アラはアラ汁に。刺身にする時、皮も残して湯引きにするとこの時期のポギーは脂が乗っていて本当に美味しいです。ワタ以外、余す所なく戴きました。↓良い写真が無いので、先月の手巻き寿司の写真です。 シメサバとシャケは夫の釣果ではありません、あしからず。☆ 脱、柵 ☆昨年の12月からずっと柵に囲われて生活していた双子ですが先月末に柵の一部を外し、家の中を往来できるようにしてやりました。寝室や洗面所を見て「ウチってこんな所があったんだ~」としきりに目を丸くする双子が愉快です。↓すげー。。。↓すっげぇ~。。。☆ Jeep ☆階下のアンソニーが愛車Jeepを貸してくれました。↓ラジャーだぜ。↓赤い服と黒い服の二人は5歳の双子君です。 以前も書きましたが、うちが住むブロックには双子が3組も住んでいます。☆ For Sale ☆↓WALMARTの陳列棚の商品を移動する双子。↓空きスペースに我が身を陳列しておりました。売れますかねぇ。。。 誰か買ってなのん。by娘こんな感じの初秋を過ごしております。夏の間、ワタシは次から次へと体の不調が続いたのですがここしばらくで非常に体調が良くなり、怖い位にご飯が美味しくなりました。ドサッと落ちた体重を一気に取り戻しつつあります。嬉しいような、悲しいような。。。おまけ日々、新たな遊びを開発中の双子。片方がステージ(衣装ケース)に上がり、ちゃんと節を付けて歌って踊りもう片方が観客らしく拍手を贈り、大爆笑。という遊びまで出てきました。そして夕べは、こんな怪しげな遊びが。。。↓祈りの儀式なのん。神妙な顔で片膝をついている息子の頭をこれまた神妙な顔つきでナデナデを繰り返す娘。終わると二人揃ってお決まりの大爆笑でした。ジェネレーション・ギャップでしょうか?母には理解できません。
2007/09/17
PCが不調なためしばらくUPしておりませんがkangは久々に体調も良く、懐かしい友人一家が泊まりに来てくれたりで気分も最高に良く、非常に元気に過ごしております。余所のサイトに書き込みも出来ないし、メールソフトもすぐにエラーになってしまい、頂いたメールの返信も滞っているのですがメールを下さった方、明日あたりお電話します!
2007/09/13
ヴァージニア州で大学生をしていた頃の話ですが大学のある小さな町から車でしばらく走った山の中にワイナリーを経営されている高馬さんという日本人のご夫婦がいらっしゃいました。お嬢さんがアメリカに嫁いだのを期に、引退されたご夫婦も渡米、永住を決めたのでした。遠い異国の地の、山しかない片田舎で留学生をしている私達を高馬さんご夫婦は、よくワイナリーのある自宅へ招いて心のこもった和食でもてなして下さいました。日本の新聞、本、座布団に、和食器、出汁のきいたお味噌汁、日本食レストランなど一軒も無いアメリカの片田舎で大学生をしていたワタシ達にとって高馬さんのお宅は「ふるさと」そのものでした。親元を離れているワタシ達の話に、優しく耳を傾けてくれる高馬さんご夫婦の暖かさに、ワタシ達はどれほど支えられていた事でしょう。卒業式には毎年参列して下さり、日本から親が来られない生徒もいるのですが彼女たちは皆、高馬さんご夫婦を両脇に記念写真を撮ったものです。両親が参列したこのワタシだって、高馬さんご夫婦との写真があります。6歳年下のワタシの妹も、同じ大学へ留学しました。ワタシは在学中、高馬さんのお宅へは一度しか伺ったことがなかったのですがワタシの妹は元来の甘えん坊も手伝ってか高馬さんご夫婦には、それはそれはお世話になり卒業後も日本から、頻繁に手紙のやり取りや電話までをもしておりました。それが昨年、いつもはご主人が手紙も電話も担当なのに最近は奥様が手紙を書いて、電話の対応もしてくれる、ご主人の身体の具合が良くないらしい、会いに行きたい。としきりに心配しておりました。ワタシ自身も心配で近況報告がてら手紙を出すと「双子の誕生を祝いにNYまで行きたいところですが夫婦共々80歳を迎えそれも叶いません」という内容のお返事がありました。日本に帰国した卒業生達に声を掛けると、中には「仕事の休暇をとってヴァージニアまで会いに行く」とまで言い出す子も数人いたのですが、高馬さんに連絡をとると「もう皆さんに会える状態ではないのでごめんなさい」というお返事だったそうです。そして、先日8/26(日)に高馬さんのご主人がお亡くなりになられました。こちらは高馬さんの訃報です。本来なら、大きなお葬式を出すべきような方なのですがひっそりと近親者だけで見送られたそうです。奥様は、ブドウ園に囲まれたあのお宅で今頃どうされているのかと思うと、なんとも胸が痛いです。お父さんのようだった高馬さん、お疲れ様でした。これからも奥様を見守ってあげてください。ご冥福をお祈りいたします。実は、高馬さんの訃報の丁度2週間前にはニュージャージーにあるレストラン松島のオーナー松島さんが亡くなられました。夫が15年以上お世話になっている方の知り合いで在日韓国人の松島さんはワタシの夫を可愛がってくれていました。20年前から、大腸がん→胃がん→肺がん→肝臓がんを患いご自身が闘病されていたのですが、ワタシの母の病気の話を聞きとある気孔の先生を紹介して下さったのでした。母が長島に滞在中、松島さんの計らいで、母はその先生に会いました。日本在住の先生なのですが、日本では多忙過ぎて新しい患者さんを診ることは出来ないため休暇で渡米している間に、松島さんや母に治療をしてくれたのです。藁にもすがる思いの母は、松島さんが20年頑張ってこられたなら自分ももしかしたらこの先生に診てもらえば延命できるかもと期待で一杯の様子でした。帰国後も松島さんとはファックスで連絡を取り合い互いの病状を報告し合うと言っておりました。そこへ突然の訃報。母は今、一時退院しており自宅にいるのですがこの訃報を知らせたら、弱った身体にとどめを刺してしまいそうでとてもとても、母に伝えることは出来ません。「連絡がつかない~」なんて言い出したらどうしようかとワタシは気が気ではありません。。。亡くなる丁度2ヶ月前にお会いした時はうちの重たい息子を抱っこ出来るほどだったのに。まさか、あの抱っこが身体に障ったのでは。。。松島さん、お疲れ様でした。今、松島さんは母の心の支えです、夫ともどもどうぞ見守ってやって下さい。ご冥福をお祈り致します。ああ~、はかないものですねぇ。しかし、こんな知らせが続くと、気も滅入るものですがハイパーな双子のおかげで、変わりなく日常を過ごしております。
2007/08/30
先週の長島は、長袖にチョッキを着るほど涼しい日が続きました。庭のホタルもいつの間にか姿を消し、秋の虫たちが鳴くようになりました。昼間の高い雲も、夜空の月も、随分秋めいてきました。家庭菜園に可憐な花をつけていたオクラは↓今月の頭にこんな実をつけて↓2週間後にはこの通り。(ピンボケで失礼)↓恵みの秋ですねぇ。↓「自給自足の食卓」が始まりました。↓こちらは散歩コースに咲くナス科の「ツルハナナス」でしょうかねぇ。 赤い実は「アカナス」に似ていますが。清楚で和風な花に心洗われている間もなく↓母ちゃん、これ食える? by息子 (母、涙。。。)長島の南にあるファイアー・アイランドヘ野生の鹿を見に行きました。鹿の親子はハイパーな双子に驚いて10秒ほどしか姿を現してくれず↓そのまま隣接する浜で遊ばせました。↓サリーをまとったインドの女の子達が波と戯れておりました。微笑ましく見ていると、↓ずぶぬれ&砂まみれ、になっていらっしゃいました、ワーオ。↓でも、ボクらのほうがワイルドだぜ。裸族なのん。by双子おまけボールが大好きで、よその子のボールまで追い掛け回す双子を見かねたご近所のおばさんが、ボールをプレゼントしてくれました。。。(恥)
2007/08/27
前回の日記に、沢山の暖かいコメントやメールを皆様どうもありがとうございます!只今、逃避していた現実にしっかり向き合って頑張っております!ところが先日、頑張っていた矢先に3日間ほどダウンしました。医者に行ったり、ERに行ったりと、夫は文字通り双子と妻を「抱えて」色々と良い経験が出来たようです。ワタシも胃の激痛に七転八倒した挙句、生まれて初めて麻酔ナシでunconsciousになるという貴重な経験が出来ました。検査結果は「問題ナシ」でしたので、どうやらただの「夏バテ」だったようです。今はすっかり元気になり、現実と相撲をとる毎日です!先々週の話になってしまうのですが階下の奥さん妹 ジャネットのサプライズ・ブライダル・シャワーに呼ばれました。↓我が家の庭でパティーでした、準備中の図。ワタシもそういえば、結婚が決った時にサプライズ・ブライダル・シャワーをしてもらいました。夫の職場に不自然に呼ばれたので、行きの車の中でソレと悟り、抜かりなくスピーチの準備をして行ったのでした(笑)。懐かしいのぅ。。。↓女性だけが招待されるのですが、娘もちゃっかり。腕にお花の飾りをつけてもらったのん♪↓あまりの暑さに皆室内に非難して、庭はガラガラでした。↓ヒスパニック系のパーティで、ご飯はもちろん肉と揚げプランテイン。この日は、あまりの暑さに、ワタシはそそくさとお暇して友人の新居に夕飯に呼ばれて行ってきました。↓ここんちのメシは旨い! by kang & 夫↓暑いよ~、プール入りたいよ~。By双子↓今日はコレで我慢しなさい。By父母 ザブザブby双子。でも先週は、お友達に水遊びに呼んでもらい、双子興奮の坩堝でした。☆お悔やみ☆この日チラッと登場したモンティー君が7月に天国へ行ってしまいました(涙)。うちのブロックは非常にご近所仲が良く、皆してそうとう落ち込みました。そこで皆のために、モンティー君の跡継ぎ登場!ジョーイ君で~す。早速、いい子いい子してあげるのん。by娘双子にいじくりまわされて、きっとモンティー君以上に強い子に育ってくれることでしょう。。。
2007/08/14
6月の半ばまで長島で孫達の相手をしていた母でしたが、日本に帰国後の検査で癌細胞がリンパや内臓器系だけではなく、脳にも複数転移していることが判りました。早々に入院した母本人も既に激しい頭痛や嘔吐などの自覚症状があったようで、長島滞在中、咳や息苦しさだけでも見るに堪えない状態だったというのに、今はいったいどれ程の苦痛なのだろうと思うとこちらが気の遠くなる思いでした。手術を受けた2005年4月に「余命2~3年」と宣告されてから2年3ヵ月後、私が「命のおつり」を数え始めてからプラス3ヶ月になった日、私たち家族は医師から遂に月単位での余命宣告を受けました。覚悟はしていたのでさほど動揺はありませんでしたが「遂にきたか」と思うと、これからやらねばならない事、今すぐやらねばならない事が全く頭に浮かばず、日常の雑用に逃げる毎日でした。母は肺がん発病後、鬱になり安定剤や睡眠剤を服用している事が考慮され、母本人には「○ヶ月」とは告げられませんでした。母は「あと5年生きられたらもう悔いは無い」と言っています。つまりは「あと5年は生きたい」と言っているのです。孫達が「ばーちゃん」と呼べるようになる日、七五三姿を見られる日、小学校に上がる日、そして願わくは次女(私の妹)の結婚を見届けようと頑張っています。鬱がひどかった頃の「どうせ私は苦しんで死ねばいい」と言っていた母に比べると非常に前向きで、これで免疫力も少しは上がるだろうと家族が安心できる精神状態になった直後の「あと○ヶ月宣告」でした。実は5月に父親も乳癌(男の癖に)が見つかり手術をしており、そちらの再発の心配もせねばならず、7月頭に母の○ヶ月余命宣告があり、年内に帰国するようにと言われ、なんだか考えねばならぬ事がいちいち重くて、7月中は現実逃避ばかりしておりました。ワイルドな双子との日常にかまけて、心ここにあらずな状態で過ごしたような気がします。双子が寝静まる夜になると、インターネットで癌患者の家族が集うコミュニティーを覗いては、勉強になったり、共感したり、羨ましかったり、気の毒に思ったり、今日も又一人亡くなったと落込んだり、壮絶な最期の様子を我が母に当てはめては先行き不安になったりと、過ごしておりました。こんな時に限ってリリー・フランキー氏の小説を読んでしまい、数ヵ月後にわが身に降りかかるであろう現実を見せ付けられ更に眠れなくなったりと。そんな夜更かしのせいか体調も優れず、まるで母と同じ症状なのが可笑しいのですが、頭痛と嘔吐に苦しんだ日が幾日かありました。それでも双子は容赦なくワイルドで。。。実は私は、不妊治療中に甲状腺異常を発病しました。母の余命の事があり、病気を治してから妊娠という時間の余裕が無く、医師の定期モニタリングの下、病気を抱えたまま双子を妊娠出産したというハイリスク妊婦でした。甲状腺異常の原因らしい疲れやストレスを、あの頃特に何も感じてはいなかったのですが、もしかしたら、不妊に関してあまり知識の無い人々が戯れついでにくれた夫婦生活をネタにした指摘やアドバイスなど、些細で何気ない一言が私の心の琴線に触れていたのかもしれません。「あと○ヶ月の命だって」と夫に話した時、「でも母はあと5年は生きるつもりなのよ」と告げると夫は「ははは~、それは困ったね~」と笑いました。いつもなら「そうよ、ホント困ってるのよ」と一緒に笑う私なのですが、この時ばかりは「あんた無神経だね、よく笑うね」と軽蔑しました。自分の余裕の無さに気付きましたが、逆にこれで良いのかもと思いました。今ここで小さなストレスを蓄積させ、甲状腺異常なんぞで倒れてしまってはならないような気がしたのです。何せ時間が無いのです。それにしても体調の優れない日が続きます。体重が一気に落ちたのは暑さのせいで、疲労感は寝不足のせいなのですが、不調だと気分も滅入ります。7/6付け母の主治医からの病状説明書によれば、イレッサ(癌患者が最後の最後に頼る薬)は母の場合肺炎も併発して患っているために使えない。もう施すすべが無いといった所見でした。それでも放置することなく、母に希望を持たせるために治療を続けてくれるようでした。私としては、抗がん剤の有用性が20%しかない肺腺癌を患っていて、更には脳や全身に転移している母の場合、苦しい副作用に耐える意味があるのか?ホスピスケアにすればよいのにという意見でした。しかし、モルヒネですっかり認知症のようになってしまった患者さんの話を読んだり、今、母本人が「あと5年生きたい」と目標を持って頑張っている様子を見ると、今はもう、ただ応援するしかありません。娘のズボンを見れば、母が糸と針でウエストを詰めた後があり、スーパーへ行けば母が「次に来た時はこれ買って食べてみるわ」と言っていた食材があり「見ているだけで楽しい」と言っていた台所用品が並び、ご近所さんに会えば「お母さん今度はいつ来られるの?」という話題になり。母は、少なくとももう一度来春に、孫たちを訪ねて渡米するつもりでした、今もするつもりでいます。母からのメールには「来春の渡米のために」が繰り返されています。「近所の○○さんが宜しくとの事」とメールすると「来春お会いしましょうと伝えて下さい」と返事が来るのですが、なんとも複雑です。私も実を言うと、もしかしたらもう一度位は来られるかも、と本気で思っており「次来たときに連れてこよう、食べさせよう」と先送りにしてしまった物事が沢山ありました。まさか前回が最後になるとは思っておらず、もっとこの狭い我が家を目に焼き付けておいて欲しかっただとか、もうこの車の後部座席にばーちゃんが座ることは無いのかだとか、何をしても何を見ても、同じ事を考えてしまいます。こんな事より、今せねばならないことが沢山あるのですが、それを行動に移してしまうと母の死期がさらに近くなるような気がしたり。今聞いておかねば一生謎のままであろう事柄たちも、今本当に聞いてしまったら母が不審に思うのではと躊躇してしまったり。その反面、不謹慎にも「母亡き後のこと」をしきりに想像し、本番慣らしをしている冷静な自分があったり。4月に帰省した際に、古新聞と一緒に束ねられた、母の小学校時代の文集、高校でテニスのインターハイに出場した際の冊子などなどを、私は母が眠った後に暗い玄関でこっそりとそれらを抜き取り自分の旅行かばんの底に隠さねばなりませんでした。私の居ぬ間にはもっと多くの、母の生きた証、思い出たちが破棄されてきた事でしょう。母は多少前向きになったとは言え、未だに病気を受け止めきれず、ちょっとしたことで激しく落ち込み、薬に頼ってなんとか立っている状態です。メディアや柳田邦男の本に紹介されるような立派な癌患者さん達のように、逆に自分の周囲を励ましたり出来るような悟りの境地には程遠い所におります。それでも、退院して家に帰れば家事をこなし、父と妹の目をはばかって身辺整理をしながら、日常を過ごしています、死を覚悟しながら。こちらは8/5に、入院中の母の携帯電話から届いたメールです。*********************今の化学療法は親切で、できるだけ苦痛を和らげてくれます。特に吐き気です。これは助かります。でも全然ない訳ではありません。母は今腰から下の関節痛と全体の脱力感と手先のしびれがあります。医師は「よく頑張っていますね、一緒にがんばりましょう!」と言ってくれます。関節痛以外は対したことなく過ごしています。今薬が身体の中を走り回っています。今回のは強いのでまた脱毛もはじまります。これがね一番いやかな。でも大丈夫。何か今回は乗り切れそう。あなた達のおかげです。*********************今年還暦を迎えた母「一巡りできた」と悔いなく満足して逝って欲しい、と願うのは酷でしょうが、どんなに励ましても「この病気はなってみた者にしか分からんよ」と言われてしまった一時期よりかは、母は悟っているようです。誰にでも限りある命、どれだけ生きたかではなく、どう生きたか、それを少しづつ自分の言葉にしていっているようです。孫達が「ばーちゃん」と呼ぶ日を待てないかもしれないけど、七五三姿も見られないけど、孫たちをこの腕に抱けて幸せだった、と感じながら逝って欲しいものです。その前に、どうか年が越せますように、少しでも良い状態で。それまでに、双子が「ばーちゃん」と言えるようになりますように。今日も「ばーちゃん」特訓ですがなにせうちのワイルドな双子ですので、手ごわいです、ああ。。。。↓そういや、ばーちゃんと海水浴してないな。。。by息子↓ばーちゃんに「おさげ」も見せなきゃなのん。By娘取り留めなく長く書いてしまいました、あ~疲れた。
2007/08/06
我が家の住んでいるブロックには12軒家がありそのうち小さな子供のいる家庭が4世帯あるのですがなんと、その4世帯中3世帯に双子が住んでいます。よく考えたら、とても稀なことだと思ったので、書いてみました。↓こちらはそのうちの1軒、我が家と同じく 男×女の双子(7歳)と。ちなみにもう1軒は5歳の男×男の双子くん達です。もちろん、我が家の双子が最年少ですが、一番ワイルドで有名です。。。(涙)うちの双子は本が大好きです。↓いえ、正しくは「本を食べるのが大好き」です。ヤギだってここまで食べんだろうと思う位本という本の角っこを食べ尽してしまいます。「1日15分、本を読み聞かせて育てましょう」と言われているのですが本を見せると狂ったように食べ始めるので生後3ヶ月以降は、本を読んで聞かせたことがありません。どうしてこんなにワイルドなのでしょう。。。↓こちらは日本から持ってきた、ワタシが子供の頃に読んだ 「日本昔話シリーズ」です。双子に読み聞かせてやりたいのですが見せたら最後、狂喜乱舞して食い尽くされてしまいそうで未だに見せられません。実家の母によると、どうやらワタシも赤ん坊の頃は本が大好き、いえ、本の角を食べるのが大好き、だったそうです。おそるべしDNA。。。↓こちらは4月に帰省した際の写真ですがワタシが子供の頃に遊んだ「いろは積み木」です。双子は、なんとこの積み木の角にも必死に歯を立て、更には積み木を人や物に打ち付けて大はしゃぎするので長島に持ってくることを断念しました。。。どうして、こんなにワイルドなのでしょう。。。。↓こちらは、我が家の家庭菜園のインゲンを収穫している図ですが双子は(とくに娘)もぎたてインゲンを生のまま食べます。収穫したては、スーパーで売っているインゲンとは違いフサフサと毛が生えているのですが、お構いなしでかじります。たくましいです。。。おまけ↓今日はプールで遊ぶのん、ガー子ちゃんにポッポなのん。↓立ち泳ぎの練習してます、ボク。↓また海に来ちゃったのん。↓今日は水着持ってきてないから水に入ったら駄目らしいぞ。 By息子↓We don’t care なの~ん。らりほ~だぜ! (父母、涙。。。)↓おかーさん、アタシのこと「野生児」って呼んだ??↓母ちゃん「野生児」ってソーセージより旨い??親譲りと言われればそれまでですが、もう少し、おとなしく品のある子供に育てたい。
2007/08/03
☆逆さまつ毛☆娘は、いつも瞳がウルウルしており「可愛い」「色っぽい」「反則~」とまで言ってもらえるのですが、実はウルウルお目目の訳は「逆さまつ毛」です。↓両目とも、下瞼のまつ毛が全部 目の中に入っており眼球の部分を触っています。そのためにいつも涙目になっています。「視力が落ちるのでは」と心配してくれる方が多いので念のため、眼科に診せることにしました。結果「今の所、赤みもないので、このまま様子見」になりました。今後、目が赤くなったり、目やにが出るようなら「まつ毛を抜く」そうです(驚)!痛そ~!!!ちなみに上瞼の逆さまつ毛は、プチ整形で二重にして治すそうです。下瞼の逆さまつ毛は厄介だそうです。余談ですが「逆さまつ毛ingrown eyelashes」を医学用語では「睫毛乱生症(しょうもうらんせいしょう)trichiasis」と言うそうです。☆息子とガー子ちゃん☆息子は怖いもの知らずです。公園の水鳥親子に近づくと、親鳥に「シャーッ」と威嚇され時に攻撃もされるのですが、息子はそれが愉快でたまらないらしく、↓雁の皆さん、こんちわーっす、マイ・フレンドのガー子ちゃん見ませんでした?↓お、ガー子ちゃんだ、待て~!↓ああ~、行かないでぇ、マイ・フレンド。。。☆この夏注目の。。。☆↓夏は甚平さんなのん。↓そうさ、これに限るぜ。前回の日記でも着せておりましたが最近は、普段着でフツーに着せています。☆ そして今日も海。。。☆↓今日はワカメ取りの日なのん。↓アボジ、深い所へ連れて行ってなのん。↓深海(?)のワカメもGetなのん♪また別の日↓今日は石集めなのん。↓よし、兄ちゃんが深海(?)の石を取ってきてやる。↓アボジ、ココ深すぎます。。。↓危なかったぜ。。。↓お弁当タイムなのん。↓今度は貝集めするのん。
2007/07/31
先週の話ですが、階下の末っ子君の1歳誕生会がありました。庭でプール・パーティーだったのですが↓プールで遊ぶ子供はまばら。↓理由は、ピエロのPeeWee君が来たからです。 オカマちゃんキャラですが、イケメンです(ハート)by母。↓スペシャル・ゲストはエルモ氏でした。 エルモファンの我が家の息子が大興奮だったのは言うまでもありません。↓PeeWeeのフェイス・ペインティング。↓ユーモアたっぷりPeeWeeのマジック・ショー。生きたハトも出てきます。↓PeeWeeの風船細工、リクエスト通りに何でも作ってくれます。↓PeeWeeに作ってもらった綿菓子。「色がカラダに悪そ~だ」と母ちゃんに取り上げられて泣きました。By息子↓ケーキに群がる老若男女の図。↓食事タイムもワイルドな双子を見張っていなければならず、ツライです。。。↓ピニャータ(中にキャンディーか仕組まれたくす玉人形)もエルモ氏。 割られた後の無残なお姿に、息子は「いい子いい子」してあげてました。↓喋れないくせに中に入ってゆき会話をしようとする息子。意気込みに乾杯。↓娘も同じく。。。誰に似たんだ、この子達。。。
2007/07/29
☆ 寝言 ☆生後15ヶ月と3週目の夜、息子が寝言で「ないない!」と言いました。手は、なにやら怪しい動きで片付け物をしている様子でした。「何 ないないしたの?」とワタシが尋ねると「ずほー、ずはー」と再びイビキをかいておりました。その翌日には、同じく息子が、夜中に目覚め自分の「寝んね毛布」が手元(正しくは口元)に無い事に気付き情けない高い声で「ねんねんね~」と言いながら寝んね毛布の所へ行き、毛布を舐め舐めしながら再びイビキで深い眠りへ。数少ない発語のレパートリーを駆使して 寝ぼけてみせる息子、「お馬鹿さんでもいいから、面白い子に育って欲しい。どんなに賢くても、笑いの無い人生では無価値」と思うワタシの願いが通じているようで、嬉しかった出来事でした。☆ ミラー現象 ☆一卵性双生児の「ミラー現象」というのをご存知でしょうか?一人が右利きで、もう一人が左利き。ホクロの位置が両者、左右対称の場所にある。八重歯の位置が両者で左右対称。つむじの巻きが両者で左右対称。一人は右目だけ二重で、もう一人は左目だけ。などなど。。。ひとつの受精卵が二分割される時期が遅ければ遅いほどミラー現象が起こる確率が高いらしいです。うちの双子は性別も違うので明らかに二卵性なのですが娘は物をつまんで食べる時は左手を使うのに対し、息子は右手です。そして、二人の寝相が 気付くと左右対称になっていることが多々あります。見るたびに「いよっ、お見事!さすが双子!」と我が子ながら感心してしまいます。↓撮影直前に息子の足が大幅に動いてしまったのですが。。。↓双子はこうでなくっちゃなのん、むにゃ。。。(生後11ヶ月頃)☆ 高所 ☆「鳶とナントカは高い所が好き」だからかどうかは分かりませんが双子はとにかく高い所へ登りたがります。公園の遊具は勿論のこと、グラ付いた足場のものでもお構いなしによじ上り、そして落下。今に、骨折や脳挫傷で病院へお世話になる日がやってきそうで大変スリリングな毎日です。↓スイングのてっぺんまで上ってみせるのん! By娘。☆ お金が無いよ、毎日海だよ ☆毎年「夏のご予定は?」と聞かれるのが怖い貧乏な我が家。今年は特に、日本&韓国へ帰省したため余裕がありません。良いのです、長島こそがリゾート地。↓兄ちゃん、また今日も海だねぇ。By娘↓アボジ(父):海好きでしょ? 娘:ぅ。。。。。↓アボジ:海好きって言わないとポッポ(チュー)するぞ。 娘:ぃゃ~。。。↓娘:お~、危なかったのん。。。 息子:いつも大変だな、おまえ。↓アボジ、たまには違う所に連れてって。By母&双子
2007/07/26
生後10ヶ月辺りから3~4ヶ月続いた双子の癇癪がここしばらくすっかり姿を消しました。このワタシを育児ノイローゼの引きこもりにまでしたあの激しい泣きと、叫びと、大暴れの世にも恐ろしい地獄変相のような日々はいったい何だったのでしょう。。。?余所のかわいい1歳児ちゃん達と比べると相変わらずワイルドで、文字通り片時も目が離せない我が家の双子ではありますが、ご機嫌は非常によろしく、なにより母親のワタシが嫉妬を覚えるほど二人の仲がよろしいのです。洗うのが面倒なので、ひとつのストローマグで二人交互に水を飲ませているのですがマグをもった方が、もう片方のクチにストローを向けてやって水を飲ませてやっていたり。全裸で放置しておくと、二人仲良く息子の大事な部分を突つき合って、顔を見合わせ爆笑していたり。。。(変態か)風呂場で水遊び中に、突然、チューをしだしたり。(偶然、ビデオ撮影に成功、見たい方メール下さい)車内で片方が愚図ると、もう片方が手を伸ばしてやっていたり。息子に至っては、娘がゴロンと横になると自分の大事なネンネ毛布を娘に掛けてやっていたり、などなど。。。先日、インターネットで、双子が集うコミュニティーを色々覗いており「相方の結婚」というトピックを読んでいたら想像するだけで泣ける、だとかお色直しには呼ばれて一緒に退場した、だとか両親への手紙に並び、相方へも感謝の手紙を読んだ、だとか相方の結婚相手にちょっと嫉妬してしまう、だとか普段仲良しという訳では無いのに、双子の兄は終始号泣だった、とかカメラマンをしたが、後半は涙でシャッターが切れなかった、なんて話ばかりでした。うちの双子にも、いつかこんな日がやってくるのでしょうか。どのトピックを見ても「双子に生まれて本当に良かった」で締め括られており、ワタシが生んだ双子もいつか「母ちゃん、双子に生んでくれてありがとう」なんて思う日がくるのだろうかと想像し一人にやけてしまいました、むふふ。。。☆おまけ☆それはデンワじゃ。。。。↓お、これはもしかして。。。アレだな。↓もしもし?↓あれ?ばーちゃん、聞こえる?↓お~い、もしも~し?↓なんだよ、故障か~。↓ふふん、オトコって馬鹿ねなのん。↓最初にダイアルしなきゃダメなのん。ピコピコ。。。
2007/07/16
銭湯の裏側をご存知ですか?ワタシの親戚は東京のど真ん中で銭湯を営んでいます。子供の頃は、正月や休みの日に、よく家族で訪れました。ワタシの渡米後は数年に一度の挨拶のみになってしまいましたがこの4月に帰省した際に、夫と双子を連れて挨拶に行って来ました。銭湯を営むこの親戚宅は、訪れるたびに、懐かしい昭和のにおいと自分の子供時代の記憶がどんどん蘇ってくるワタシにとって、とても特別で不思議な空間なのです。今は亡き先代と、同じく他界した私の最愛の祖父は親友でした。(この祖父のことです。)先代と祖父は、第二次大戦中 東京が焼け野原だった頃に知り合い祖父は先代の妹をお嫁さんにもらい、故郷の熊本へ連れて帰りました。そのお嫁さんが、23年前に62歳という若さで他界したワタシの祖母になります。つまり、ここはワタシの祖母の実家になります。(この祖母のことです。)先代が元気だった頃は、毎年正月に ご近所や常連のお客さんを集めて「餅つき大会」をしていました。当時のマラソンランナー、瀬古選手も常連さんでした。ワタシは、蒸篭(せいろ)で湯気を上げるアツアツ蒸したてのもち米をオカカと醤油でギュッと握ってもらったおにぎりを食べるのが大好きで、「おめぇが飯のまま食っちまうと、餅がつけねぇだろうよ、オイ」と目じりを下げた 江戸弁丸出しの先代によく頭をクシャクシャにされたものです。ここへ来ると、今でも「明けましておめでとうございます」の声と、お年玉、杵と臼、「あいよっ」「それ、どっこい」と合いの手を打つ声、大根おろしや、柚子、きな粉に、白菜の塩漬け、鍋の中で煮えるアンコ、そして つきたて餅と、蒸篭から上がる湯気の香りがよみがえるのです。先代はちょっと変わり者で、猿が好きな人でした。銭湯の湯を沸かす燃料「薪」が置いてある小屋に、ニホンザルを一匹飼っておりました。ワタシは5つか6つの頃、お猿と遊ぶために一人で薪小屋に入るとその日は小さな檻の中に入っていたお猿がワタシが顔を近づけるや否や、檻の隙間から手を伸ばしワタシの頭の毛をワッシと掴んで大暴れをはじめたのです。ワタシの悲鳴で駆けつけた大人達数人掛りでやっとこさ手を放させたという逸話が、今日もこの銭湯で語り継がれております。先代の奥さんにあたる、ここの銭湯のおばあちゃんは今年米寿を迎えますが、今でも現役で番台に上がっています。この家に嫁いで来た人なので、ワタシとは血のつながりが無いのですが私のことを、実の孫のように、それはそれは可愛がってくれます。ワタシが成人してからも、行くたびにお小遣いをくれます。今回夫と双子を連れて行った時には、双子にお小遣いをくれました。この封筒は一生大事に取っておきます。先代も、ワタシの祖父も、祖母も、皆他界してしまいましたがこの家(銭湯)に来ると、彼らが生きていた頃と何も変わらぬ黒電話や、柱時計が迎えてくれるのです。「じいちゃんが生きているうちにこれを聞きたかった」と思う事もここにいるおばあちゃんに聞けば良いのです。「焼け野原だった東京に、ポツンと残った銭湯の煙突、遠くからでも良く見えた」それを実際見た人がまだここに居てくれるのです。祖父や祖母と同じ時間を共有して、私の知らない彼らの話を嬉しそうに話してくれる人が、まだここにいる、ありがたいことです。この家の仏間には、子供の頃は見知らぬ顔ばかりだったご先祖達の写真にならんで見慣れた先代の顔がニヤッと笑って「おう、来たか?」とワタシを見下ろしています。あと何十年もすれば、ワタシと時間を共にしたこの家の人達の顔も並ぶのだろうなぁ。それまで銭湯が続くといいなぁ。仏壇には、ワタシの祖父母の位牌もありました。位牌の前には銘々に、おちょこのお水が供えてありました。あの世の祖父母に代わって、おばあちゃんに「いつもありがとうね」と言わずにはいられませんでした。この日ワタシは、何年ぶりかに、祖父母に線香を焚いてやりました。ところで、都内の銭湯を経営するのは新潟出身者が多いのをご存知でしょうか?ワタシの親戚も、新潟から上京して銭湯を始めた一家です。ワタシの祖母の実家と前述しましたが、祖母は新潟の女学校を卒業しているので、故郷は新潟になります。この銭湯の屋号「鶴の湯」は、新潟から出てきてこの地に風呂屋を始めた初代の奥さんである「お鶴さん」つまりはワタシの祖母の母(曾祖母)の名前が由来しています。先代の後を継いだ長男、現在の鶴の湯の主人は、ワタシの母の従兄弟になります。もうとっくに還暦を過ぎています。おじさんが若い頃、額に汗をにじませて、白い息を吐きながら「そぉれっ!そぉれっ!」と杵を振り下ろして餅をついていた姿を今でも鮮明に覚えています。「おめぇが旦那と子供連れて挨拶に来るようになるとはよう」と先代と同じように、目じりを思いっきり下げて、江戸弁で喜んでくれました。孫に恵まれないおじさんは、ワタシの双子をずっと傍らに抱いて子供の髪の毛をクシャクシャしていました。先代がワタシにそうしていたように。その奥さんも、おばあちゃん同様、血もつながっていないワタシの訪問を喜んで、よくお小遣いをくれていました。いつも決まって「アタシが嫁いで来た頃、あなたのお祖母ちゃんにこうしていつもお小遣いをもらってさ、ホント良くしてもらったから、だから、取っといてよ」とワタシにお金を握らせ、お勝手の奥に入って鼻をかんでいます。「銭湯の写真、撮ってもいいですか?」と聞く夫に「おう、いいよ、いいよ、どこでも撮っていきなよ、釜見るか?」とおじさん。その写真をいくつかご紹介します。「ザ・銭湯の裏側」です!↓玄関脇の黒電話、昔のままで今も現役です。↓この玄関をワタシはハイハイで上り下りしていたのです。当時のままです。↓お昼にお蕎麦をとってもらいました。↓子供の頃、この急な階段は、手をついて後ろ向きで降りていました。↓1歳になったばかりの息子は、当時のワタシより勇敢でした。↓人の手垢で黒光りする木造の手すりには、ワタシの祖父母の手垢もしみついているのです。皆が生きていた証です。↓電気スイッチですら、子供だったワタシを覚えていてくれるようです。↓家の中(住居側)から見た女湯です。もちろん開店前。↓逆に銭湯から見た、住居スペース。 ちなみに、銭湯のペンキ絵を描く専門の職人さんは3人ほどしかいないそうです。↓薪を焚く釜のひとつです。この部屋にお猿がいました。↓昔も今も、分からない機器たち。。。↓番台の横で。銭湯もまだ木造のままです。↓番台から見た脱衣所です。↓「武田工務店」の柱時計、年代物です。↓このレトロな按摩機は、使用料金20円だったかな。 同じくレトロな「森永の横型冷蔵庫」には、定番の瓶入りコーヒー牛乳等。↓男湯側には涼める庭があります。金魚もいます。↓庭から外へ出る木戸も昔のままです。↓こちらは下駄箱。↓下駄箱の鍵も「木」でございます。↓外に出て、銭湯の正面。開店前なのでまだ暖簾(のれん)が出ていません。↓煙突と瓦屋根です。↓住居側の門には、赤い郵便受けです。↓さて、開店時間になりました。浴室内だけはリフォームされて近代的なのがちょっと寂しいワタシ。「うち風呂」が一般化した現代では、一部の「銭湯愛好家たち」を除いて銭湯に通う人が激減しました。温泉施設は大流行らしいですが。都内現存の銭湯は、900店舗余りと何かで読んだ記憶があります。ワタシの子供の頃の思い出が沢山つまったこの銭湯4代目、5代目と、後を継いで生き残って欲しいものです。「おめぇ、自分はアメリカに行っちまったくせに、ナニ勝手な事言ってんでぃ、ばかやろう」と目じりを下げて笑っている先代の声が聞こえてきそうですが。。。
2007/07/11
言葉が遅い事を指摘されるような気がして予約を取るのをためらっていた15ヶ月検診に勇気を出して行って来ました。エライ?ドクターに、正直な現状報告をしたところ、なんと「ここに相談するように」と専門家を紹介されてしまいました(驚)!そ、そんなに深刻なのでしょうか、うちの双子?!「日本語&韓国語&英語の環境に 混乱しているのかもしれないので家庭内では言語を統一するように」とも言われたのですが家ではほとんど日本語オンリーなのですが。。。階下に住むキャロルは、3人子持ちでワタシと同い年です。彼女は英語とスペイン語で育児をしています。そこで彼女に相談してみたところ、「うちの長男は9ヶ月で喋るようになったけどねぇ」とのこと。確かに、9ヶ月のチビが「No~」なんて言っていたのをワタシも覚えています。5歳になる彼は今、器用に2ヶ国語を使い分ける、立派なバイリンガルです。混乱している様子など全くナシです。お~い、うちの双子~、しっかりしておくれよ~。息子は、おかたづけの「ないない」が5回に1回位の確率で、言えるようになりました。娘は絵本を指差すと「めんめ」と言うので、それを活かして「目」を指差し「めんめ」「耳」を指差し「みんみ」と言わせることに成功しました。強引?が、これも確立は低いです。。。まぁ、そのうち喋るでしょう、クチから生まれてきたような夫の遺伝子を受け継いでいれば。と、あまり深刻に考えていないワタシなのですがやはり、専門家に相談すべきなのでしょうか、う~ん。。。以下おまけ↓外食先にて。ボクらが食べこぼした床をご覧下さい。By双子母は毎回、床に這いつくばって、この食べこぼしを拾い集めています。そして夫は、そんなワタシの姿を写真に収めております。双子よ、グレたらその写真見せるぞ、イッヒッヒ。。。↓公園にて。ウッドチップを頭からかけ合って遊ぶのがマイブーム。By双子 やめてぇ~っ!by母。↓スーパーではこのクルマ付きカートがあれば、ご機嫌だぜ。By 双子↓図書館にて。たまには大人しく読書なのん。↓アタシのお気に入りの熊吉だけど、貸してあげるのん。by娘 公共物ですから。。。by母。↓兄さん、図書館でネットゲーム?かっこいいッス。。。↓冷房付けると電気代がかかるので、暑い日はプールなのん。 うちって地球に優しいのん(?)。。。↓独立記念日に呼んで頂いたご近所の友人宅にて。日本式焼肉!↓うちはサザエの和え物を持参。↓近所の浜にて。兄ちゃん、今日もワカメ大漁だね。By娘↓息子:オレ、夕日に向かって叫ぼっかな。。。 娘:がんばれ、兄ちゃん。
2007/07/09
双子は7/2で生後15ヶ月を迎えますがなんと、未だに、意味のある言葉を一っ言も発しません。二人揃って見事に親譲り!(←ワタシは言葉の遅い子でした)その代わり、意味の無い言葉は「りろりろ、だりりょ~ん、いぱっ!てぃこてぃこ、でぇががが、あっぱ!」↑こんな感じで、朝から晩まで延々と喋り続けています。特に娘が。あまりに良く喋るので、毎日ビデオカメラで記録しています。また「双子語」での会話も始まり、片方が「ふん、ふん」と相槌を打っていたり二人同時に「うっへっへ!」と大爆笑をしたり、双子間ではバッチリ通じ合えている様子が、なんとも羨ましいです。「双子語」を話せない親のワタシとは全く通じ合えない哀れな双子は意思疎通が出来ず、もどかしい思いをしていることでしょう。早く辞書にも載っている「言葉」を覚えて欲しい~!はっきり言って、ワタシが「ゆっくりと語りかけ」をせずに育児をしてきたのが大きな原因だと思うので、今更ながら馬の絵を指差しては「うま、うま」と教え込んでみたりしていますが「めんめ、めんめ」や「うぇんうぇ」とそれらしい言葉をクチにはするものの、その後は、どの絵を見ても同様に「めんめ」と「うぇんうぇ」になります(涙)。芸当の数はかなりの物なのでこちらの言っている事は随分理解しているとは思うのですが「パパ、ママ」はおろか、一番簡単そうな「まんま(ごはん)」すら出てきません。ちなみに、以下は双子が習得した芸当、すぐ思いつく物だけを掻い摘んで。(コマンド → 動作)です。「チャッチャックン」と言うと → 両手でパチパチする。「ジェムジェムジェム」 → にぎにぎする。「ドリドリ」 → 首をイヤイヤする。「パンチャク、パンチャク」 → キラキラする。「ポッポ」→ 「チュパッ」と音を立ててチューをする。エルモの「That tickles」を聞くと → 「たってぃこ」と言う、息子だけ。「ばいばい」 → 手を振る。双子のフルネームに「さん」付けで呼ぶと → は~いと手を挙げる。「Hi」 → 「Hi」と言って手を挙げて答える、娘だけ。物を拾って口に入れた時「べぇ、しなさい」→ 舌を出す。「待てぇ」と言うと → 逃げる、息子だけ。「もぐもぐ」 → ままごと(指で食べるまね)をする。「あ~ん、頂戴」→ こちらのクチに食べ物を入れてくれる真似をする。「おいしい、おいしい」 → ほっぺ(時に後頭部)を手のひらで叩く。「ごちそうさま」 → 両手を合わせる。「こんにちは」 → ひざを曲げてお辞儀する。「アンニョンハセヨ」 → ひざを曲げてお辞儀する。「ありがとう」 → ひざを曲げてお辞儀する。「ばんざ~い!」 → 両手を挙げる、息子だけ。「まんせ~!」 → 両手を挙げる、息子だけ。「Thank you~」→ 投げキッスする。「High five !」→ high five する、息子だけ。「頂戴」 → 「てっ!」と舌を鳴らして物をくれる。「いないいない、ばぁ」 → 両手で顔(時に口だけ)を隠して、ばぁ!をする。NHKの「ぐるぐるどっか~ん」を見せると → 「ぐるぐる」「ハイハイだよ~」 「ごろん」「今度はかけっこだ~」「まわれ、まわれ」 「おっととっと」の部分だけ踊れる、娘だけ。「とんとんとんとん、ひげじいさん」 → あやふやに出来る、息子だけ。風呂場でお股にお湯をかけてやりながら「シー」と言うと → シーを出す。「ポンテギ、ポンテギ」→ プライベートな部分を人差し指でつつく、息子だけ。「ないない」→ おもちゃを籠に入れる。「いい子、いい子」 → なでなでする。「Nice, nice」 → なでなでする。「よし、ごはん食べよ」→ 我先にと、両手を上げて走り寄ってくる。「ねんね、ねんね」 → 毛布を舐めに行く、息子。「ねんね、ねんね」 → 枕に突進して行く、娘。「ウィンク、ウィンク」 → 片目をつぶる、息子。「ウィンク、ウィンク」 → 両目をしばしばさせる、娘。「ぶりっこ!」→ グーの両手をあごの下へ、娘だけ。最新芸。他にも、細かな「踊り」や、下賤過ぎて記述を自主規制した芸なども数えると、書ききれないほどの芸達者ぶりなのですが、悲しいかな「言葉」は出てきません。おまけに「○○は?」と聞いても、○○を指差すことも無し。見事です。生後15ヶ月は「5語」が目安と聞いたのですが、確かに「パパ・ママ」「抱っこ」「痛い」「まんま」「お水」だけでも言葉で意思疎通が出来たら、癇癪も減って親のワタシも双子本人達もラクになるでしょう。小児科の12ヶ月検診の際「そろそろ言葉を」と言われたのに全く進歩が無いので、今月の15ヶ月検診に行くのが躊躇われ実は、未だ予約を入れられないチキンなワタシです。。。これは、そろそろスパルタ特訓すべきでしょうか?そんなワタシに向かって、真横で娘が「ぶじぶじ、てぃよっ、ぱ~り!」と訴えています。どなたか、翻訳を。。。おまけ↓真夏日が続いた先週は、プールに入って見たのん♪ by娘↓泳いだ後はジュースが旨いぜ。by息子↓友人の子、美人三姉妹の子守をすると もれなく、双子の子守をしてもらえます。ラッキー♪↓相変わらず他人様にご迷惑を掛けてばかりの双子。得意技、図書館のPCいじりなのん♪↓なんで二人乗りさせられてるんだべなのん。 by娘ガラガラなのに。。。 by息子
2007/07/01
双子(特に息子)は、余所の子が遊んでいるボールを奪って離さない事が多々あるため、先日ボールを買い与えました。↓やったね。↓アタシも買ってもらっちゃったもんねん♪↓でもホントは危険物のほうが魅力的なのん。↓兄ちゃ~ん、ボール取り替えよ~。↓息子:嫌だ、ボクは赤がいいんだ。。。 娘:マジ?☆ 公園にて、非常に迷惑な双子 ☆↓娘:今日も誰かにちょっかい出すのん♪ 息子:ボール無いかな?ボール。。。今日のターゲット、金髪美少女。↓息子:ちょっとバケツの中を拝見させてもらえます? 娘:兄ちゃんの言う通りにしといた方がいいわよなのん。↓息子:どれどれ。。。砂、ですか? 娘:兄ちゃん、それ食べられる??怖くて声も無い気の毒な金髪美少女。。。ごめんね。おまけ☆ 公園にてSOS ☆↓トンネルから出られないのん、誰か助けてなのん!↓滑り台の先端が股の間に挟まって抜けません、誰か助けて。。。ぉ~ぃ。☆ 蚊 ☆近所の港へちょっと立ち寄った際に、家族全員が蚊に刺され、現在 大変なことになっています。↓ここです。危険です。
2007/06/30
長島は真夏日が続いています。↓夕方、家の前を散歩すると、ご近所の小母様方が出てきてくれるようになりました。↓(昔ピチピチ)ギャル(だった人)たちの黄色い悲鳴に応えて↓ちょっと近寄ってあげてみたり↓サービス精神旺盛なボク。ちょっとコーヒー・ブレイクです。↓兄さん達とサッカーです。ギャルたちの黄色い悲鳴が聞こえます。↓転んで怪我しても、ギャルの前では泣きません。↓散歩中、どうしても余所のお宅へ不法侵入してしまうボクら。↓今日はヤマダさんちに侵入してみるのん♪↓見かねたアボジ(父ちゃん)がワゴンを買いました。↓ギャル達にもなかなか好評。(そりゃ庭を荒らされないからさ、by母)↓近所の友達、モンティー君です。↓いい子いい子してあげるのん。皆に温かく見守られて、たいへん幸せ者です。
2007/06/28
全459件 (459件中 1-50件目)