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家族と米国で合流して約3ヶ月が経とうとしている。瞬く間に時間が経過していて振り返る暇もないほどだ。簡単ではあるが合流してからの3ヶ月を簡単に振り返りたい。到着後数日は日用品を買い揃えるために車を借りてIKEAとTARGETに何度も足を運んだ。物価高と円安の影響で日本で買うよりもお金がかかった気がする。敷布団やテーブル、食器類は知人から譲り受けることができて出費を抑えることができた。少しでも出費を抑えたい時に手を差し伸べてくれる友人がいることは非常に有り難かった。車がなく困っている時も近所の方々が何度もスーパーに連れて行ってくれた。引越しやローカルスクールの手続きなど苦労が多かった4月だが、人の温かみを感じる場面が多い4月でもあった。上の子どもは4月22日(月)から現地のローカルスクールに通い始めた。最初は不安も大きかったようだが、英語をサポートしてくださるフルタイムの先生のおかげで今では毎日楽しく学校に通っている。英語はまだ苦戦しているようだが、お風呂の時間になると「パパ“Don’t do that!”って何?」、「 “I see.”ってどうゆう意味?」とその日学校で聞いてきた英語について質問が飛んでくる。自分の周りで話されている英語を必死に理解しようとしているようだ。下の子供と狭いソファーを取り合っている際に上の子が突然下の子に向かって”This is my spot!”と言っていて大変驚いた。子供は耳から言語を覚えて自然と適した文脈でそのまま使えるようだ。 残り数ヶ月で上の子どもがどれほど言葉を吸収するのか記録しておこうと思う。学校は6月12日に終了して、現在は私が住んでいる学区が提供するlanguage programに月曜日から木曜日まで通っている。8月の上旬までサマースクールに通って、8月中旬からは1週間サッカー教室にも通う予定だ。下の子どもも英語に興味を持ち始めているようだ。上の子の真似をして「パパ…は英語でなんて言うの?」とよく質問をしてくる。どこで英語を覚えてきたのかわからないが、お菓子が欲しい時は英語で“Pass me! Pass me!”とよく叫んでいる。9月からは下の子どもも近所のPre-schoolに通う予定である。いきなり英語の環境に飛び込むことになり最初は苦労すると思うが、大変周りの子どもたちと遊ぶ中で社会性を身につけて欲しいと思う。4月当初は環境の変化に疲れが少しあった妻も少しずつこちらのコミュニティーに馴染んできているようだ。5月あたりから地域で開かれている無料の英語教室にも通い英語の勉強に勤しんでいる。夏休みに入ってからは私が通っている大学の博士課程にいる大学院生とLanguage exchangeを週に2回行っている。妻は日本語を教える代わりに英語を教えてもらい、相手は英語を教える代わりに日本語を妻から教わっている。1回1時間の短いセッションで終わるたびに「疲れた」と言いながら帰ってくるが、どこか表情が明るく大学院生との会話を楽しんでいるようだ。写真:上の子が学校の課題で仕上げたジオラマの作品簡単には文字化することができないほどたくさんの出来事が過去3ヶ月間起こった。良い経験もあれば苦い経験も数え出せば枚挙にいとまがない。家族が無事この旅を終えられることを願ってやまない。円安と物価高の影響で遠方への旅行は断念せざるを得ない。この夏は家族をワシントンDCに連れて行くことにした。近場の旅行だが、家族にとっては初めてのロードトリップになる。家族で過ごすアメリカの夏が楽しい思い出になったら嬉しい。「自由」を獲得する旅はまだ始まったばかりだ。つらつらと書いているとあっという間に授業の時間となってしまった。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.07.07
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この米国での貴重な時間を記録に残しておきたいと思いつつも目の前にある大学院での研究や家族との時間を大切にしていると更新がどうしても滞ってしまう。忙しさもあるのかもしれないが、6月に入ってから少しブログへのモチベーションがすっかり落ちてしまっている。2023年は更新率50%をずっと維持していたが、とうとう40%を下回ってしまった。そろそろ再開しなくてはと思いつつもどこか気持ちが乗らない自分がいる。ここにきてブログを続けることの難しさを痛感している。留学期間はできるだけポジティブ思考で弱音を吐かずに過ごそうと思ってきたのだが、どこか無理をしている自分がいることに気がづいた。吐き出すだけ吐き出して次の原動力にしたいと思う。不安に思っていることやうまくいかないことも赤裸々に綴ることで留学時の心境を正確に残せるはずである。キラキラした煌びやかな留学を想像される方もいるかもしれないが、留学(特に家族帯同の場合)は想像以上に苦労が多いような気がする。ブログの更新が止まってしまい6月はまだ2本〜3本しか記事を書けていない。記録に残さないと記憶は常に上書きされて忘れ去られてしまう。私にとってブログの更新は曖昧な記憶を呼び起こし、記憶の風化を防ぐ唯一の手段なのかもしれない。億劫になりつつあっても歩みを止めずに少しずつ更新していこうと思う。記録的な円安と物価高によって日本人が海外に飛び出すのは難しくなりつつある。長期化する円安のトレンドが続けば米国内の日本人留学生は減少していくだろう。ドルだけでなくポンドに対しても円の価値は棄損してしまっているため、米国のみならずイギリスにおいても同じような現象が起きつつある。慎ましい生活をしていても一部の人には海外留学が「贅沢品」のように扱われてしまうのは残念である。確かに30代で留学できること自体贅沢なことは確かだが、決して優雅な海外生活を海外で送っているわけではない。毎日がサバイバルゲームのようでギリギリの状態が続いているし、社会人の頃に貯めた預金は減り続けている。なんとか日本に帰国するまで持ち堪えてほしい。今はこの海外での経験が今後の人生の基盤になることを信じて歩み続けよう。ブログタイトルにもある通り、厳しい状況下でも海外で逞しく生き抜く家族の日常をこれからこのブログに書き記したい。子どもたちが公園で拾ってきたシロツメクサの花:Hope that I can see a light at the end of the tunnel. それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.06.29
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アサヒ飲料の機能子会社であるカルピス株式会社が製造する「カルピス」は長年日本の少年少女から愛されてきた乳飲料水である。私も濃縮還元のカルピスの原液を氷がたくさん入ったコップに注いで冷たいカルピスを夏場によく飲んでいたものだ。あの心地よい酸味と甘みは大人になっても時々恋しくなるのは私だけだろうか。友人が我が家に遊びに来る際に差し入れでカルピスのピーチ味を持ってきてくれた。30年以上慣れ親しんだ日本の飲料水を楽しみながら飲み物のラベルに目をやると「カルピス」ではなく「カルピコ」と書かれていることに気がついた。以前大学の授業で『「カルピス」を海外で売り始めた際、米国人が皆腹を抱えて笑い始めたがそれは何故か』というクイズを出されたことを思い出した。当時は全く答えが思い浮かばなかったが、解説を聞いて納得した。カルピスを英語らしく発音するとcow piss(うしのおしっこ)と聞こえてしまうらしい。白い白濁の液体をそのような商品名で売り出してしまったものだから笑い物にされてしまったのだ。そのような苦い教訓を得て、カルピス株式会社は名称を「カルピス」から「カルピコ」に変更をしたとのことらしい。アメリカでカルピスを飲みながら大学の授業で出されたクイズをふと思い出した。写真:アメリカで販売されているカルピコのラベルそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.06.10
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3月下旬から目まぐるしい日々を過ごしておりブログの更新がなおざりになってしまった。3月21日〜24日までフルブライトのエンリッチセミナーがジョージア州のアトランタで開催された。このセミナーについては時間が確保できたらゆっくり綴ることにしたい。アパートの退去日が3月29日(金)となっており、アトランタから戻ってきてそのまま引越しの準備に取り掛かった。引越しをしてから一週間後の4月5日(金)に家族と8か月ぶりの再会を果たした。税関でトラブルに巻き込まれないかずっと心配していたが、ゲートから笑顔で出てくる家族を確認できて今までの不安が一気に吹き飛んだ。きっとこれから数えきれないほどの苦労が待ち受けているだろうが、この笑顔を絶やさないようできる限りの努力をしようと心に誓った。アメリカで仕事の用事があった義父がわざわざスケジュールを調整してアメリカまで家族の付き添いをしてくれた。羽田空港には私の両親、義母も家族のお見送りに駆けつけてくれたという。改めてこの家族留学は多くの人々に支えられて成り立っているのだと痛感した。沢山の声援を力に変えてアメリカでの研究の原動力にしていきたい。4月5日〜7日まで車をレンタルして土日で必要なものをIKEAとTARGETで購入した。右側交通、左ハンドルということを除いて日本で毎週見ていた光景が蘇った。家族がいると常に会話が溢れている。上の子は入国初日に不安から「アメリカが嫌い」と言って泣き出してしまった。きっと本人なりに心労が蓄積していたのだろう。このマイナスの状態からどうプラスに持っていけるだろうか。言葉の壁よりも心の壁の方がもしかしたら厚いのかもしれない。週末家具を揃えていたら課題が山のように溜まってしまった。日曜日の夜にまとめて文献を読み込んだが、疲れと眠気で内容が全く頭に入ってこない。ページだけなんとなくめくっているような状態になり諦めて布団に入ることにした。そんなバタバタの日々を過ごして今日を迎えている。義父には別れ際に「まぁ長いアメリカでの家族旅行だと思って楽しんでください」と声をかけてもらった。義父は約30年ほど前に家族を連れて米国西海岸の大学院でMBAを取得された人生の先輩のような存在だ。家族留学の計画を打ち明けた際も「いいんじゃない?楽しみですね」と前向きなアドバイスをくれた。普通であれば「何を考えているんだ!家族の養育費は?働かないでどう生活するんだ?」とお叱りを受ける場面だろう。この年になっても挑戦を容認してくれる家族と両家の両親には感謝してもしきれない。何もない空白の家から我々の生活が始まった。ここから「自由」を獲得するために奔走する日々が幕を開けようとしている。歴史的な円安と物価高で家族留学を取り巻く環境は非常に厳しいものがある。けど、どんな厳しい場面に直面しても生き抜いてやろうじゃないか。この厳しいサバイバルゲームに生き残れることを身をもって証明したい。このブログはそんな旅を続ける家族の様子を書き記した記録である。ようやくタイトルである「家族留学奮闘記」に沿った内容を書けそうだ。写真:超大型スーパーのTARGET。かなり安く日用品を購入できる。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.04.10
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の視聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:映画オッペンハイマーのポスター画像引用元:オッペンハイマー公式ウェブサイト前回は映画オッペンハイマーのあらすじについて触れた。(前回の記事はこちら)今回は映画のレビューを書きたいと思う。私はこの映画は原子爆弾開発者の懺悔だと思っている。大量殺戮兵器を開発したOppenheimerだからこそその恐ろしさを熟知していたのだろう。映画の後半に進むにつれてmoral(道理), qualm, scruple(どちらも良心の呵責という意味)という単語がよく登場することからもそのことが伺える。広島と長崎に原爆を投下後に行われた祝賀パーティでOppenheimerの本音が溢れるシーンがある。“I just wish we had it in time to use against the Germans!” (ドイツ人に対してそれ(原子爆弾を)使えたらよかったのに!)つまり、原爆はそもそもナチスドイツをターゲットに作られていたのだ。アウシュビッツで多くのユダヤ人を殺されたことに対する憎悪を垣間見ることができる。しかし、原爆が投下時点ではドイツはすでに全面降伏しており、ターゲットは自然と当時まだ降伏していなかった日本に変更されたのだ。この映画では足音の重低音がOppenheimerの心的ストレスを表している。英雄視されると同時に彼は自分の手で多くの命を奪ってしまったことに対する途轍もない罪悪感に苛まれていたのだ。それはTruman大統領に“I feel that I have some blood on my hands”(私の両手は血で染まっている気がする)と告げていることからも想像できる。Gran Torino(2008)の主人公であるWalt Kowalskiも終盤に全く同じセリフを言うのである。彼もまた、ベトナム戦争で多くの兵士を殺してきた過去を持つ。また、ヒーローと称賛されながらもアフガン戦争帰還後酷いPTSDに悩まされた兵士を描くAmerican Sniper(2014)にもOppenheimerと通ずるものがある。第二次世界大戦、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争とアメリカが「世界の警察」として支払った見えざる大きな代償があることをこれらの映画は我々に教えてくれる。前回の記事でも書いたが、もし広島と長崎の原爆投下シーンが削除されて原爆による被害が適切に表現されていないと批判する日本人がいたら、この映画のテーマに立ち返えると溜飲が降りるのではないか。これは戦争に関わった人物の一人称の視点で語られる「伝記」であり、戦争の被害を描いたドキュメンタリーではない。勿論、Oppenheimerは広島、長崎の原爆投下時にはアメリカにいるためその様子を肉眼で確認する術はない。軍から原爆投下後の広島、長崎の様子についてブリーフィングが行われる場面があるが、ここでもあえてその様子は映されない。Oppenheimerも深刻な表情をして俯いており、現実を直視できずにいるようにも思える。Nolan監督は原爆を作っておきながら実際に起きた現実を直視できない人間の矛盾やエゴを忠実に表現したのかもしれない。広島、長崎の投下シーンを入れる入れないという議論をするとパールハーバーを入れる入れないという議論が必ず付きまとう。勿論今回の映画ではPearl Harborという言葉は劇中に登場するが、パールハーバーの戦艦が壊滅的ダメージを受けているシーンは一切入っていない。過去の人類の過ちに対する責任の所在を問う映画ではなくこれからの人類の核兵器との付き合い方を問う映画だと思って見るときっと納得できるのではないだろうか。それがChristopher Nolan監督がこの映画に込めたメッセージのような気がする。EinsteinがOppenheimerに最後伝えた言葉が今も心に突き刺さっている。「十分な罰を受けてようやく自らが成し遂げた偉業と向き合うことができる。メダルは自分のためでなく周囲の人のためなのだと。」つまり偉大な功績は自己顕示のためであってはならないとEinsteinは主張しているのだ。自国最優先で考えることと軋轢と分断を生む現代社会に対する警鐘のようにも思えてしまった。今回のアカデミー賞授賞式でのアジア人に対する差別が話題になっているが、これも現代社会が抱える分断の象徴ではないだろうか。Einsteinはまたclearanceが通らなかったOppenheimerにこうアドバイスもする。「私は祖国を捨てた。これがアメリカがあなたの功績に対する仕打ちなのであれば背を向けるべきだ。」このセリフからもChristopher Nolan監督が原爆投下成功と第二次世界大戦勝利を巧みに利用してアメリカの愛国心を聴衆に植え付けようとしているわけではないことがお分かりだろう。また、Los Alamosの原爆完成祝賀パーティーでOppenheimerは原爆の影響で肌がただれ落ちる女性の幻想を見るのだが、この女性はNolan監督の実の娘なのだという。Nolan監督は国の枠組みを超えて人類が抱える喫緊の課題を提示しようとしたのではないだろうか。主演俳優賞を受賞したCillian Murphyはアイルランド人初のアカデミー受賞者だそうだ。彼は授賞スピーチで「我々はオッペンハイマーが作り出した(核の)世界に住んでいる。このメダルは世界中のPeace Makers(平和を構築しようと尽力する人々)に捧げたい」と言葉した。まさにEinsteinがOppenheimerに告げた“It (the medal) is not for you. It is for them.”に通ずるような気がしてならなかった。アメリカの視点から核兵器の誕生秘話を描いた“Oppenheimer”と日本の視点で核兵器の脅威を間接的に描いた“Godzilla Minus One”が同時に今年度のアカデミー賞を受賞したことが個人的には非常に嬉しい。山崎監督は「オッペンハイマー」に対するアンサーの映画を日本人として制作しなくてはならないと話されていたが、「ゴジラマイナスワン」のゴジラを通じてその問いの答えを提示しているようにも思えた。「オッペンハイマー」を視聴した後に「ゴジラマイナスワン」の焼け焦げて全てを失った日本がゴジラ(核兵器の象徴)襲来によってマイナスに突き落とされる様子を見たら見事に点が線で結ばれるのではないだろうか。戦後80年を迎えようとする中このような映画が出てきた意義は大きいと思う。1967年にOppenheimerはこの世を去っているが、彼は今世界で起こっている核競争の最初の預言者だったのかもしれない。もし今日Oppenheimerが生きていたらロシアとウクライナ間の戦争、パレスチナ・イスラエルの紛争をどう思うだろうか。核の脅威は間違いなく日に日に増している。3月29日にいよいよOppenheimerが日本に上陸する。アカデミー賞受賞者の壇上での炎上で意図せず話題性は十分だろう。アメリカの地からOppenheimerが賞賛されるのか、それともボロボロにこき下ろされるのか見届けたいと思う。 私の春休みもあっという間に終わろうとしている。またここからギアを上げて研究に励みたい。オッペンハイマーとレビューだけでなくゴジラマイナスワンのレビューも併せて参照していただきたい。(過去の記事はこちら)きたろう
2024.03.13
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。写真:オッペンハイマーアカデミー賞受賞を祝うイラスト画像引用元:アカデミーX公式アカウント(@TheAcademy)より借用前回のみどころに続き、今回はオッペンハイマーのあらすじについて書きたい。(過去の記事はこちら)3時間にも及ぶ長編映画をうまく纏められる自信がない。細かい部分は省き大きな枠組だけ説明することとする。このOppenheimerという映画はJ. Robert Oppenheimerが米国の安全保障に関わる聞き取り調査されている中で知られざるマンハッタン計画の事実が明らかになっていくストーリーだ。そこにLewis Strauss(Oppenheimerの上司)という別の人物の上院での国会聴取の回顧も含まれるため常に時系列が乱れる。最後にOppenheimerとStraussの回顧が重なり一致した時に視聴者は衝撃の事実にたどり着く。最初はOppenheimerと量子物力学との出会いつについて描かれている。ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得後、UCバークリーで研究室を持つとOppenheimerは共産主義の会合を開き始める。同僚に何度も会合の中止を促される場面があるがOppenheimerは全く気にする素振りを見せない。そこに米国の軍幹部であるGrovesがOppenheimerに近づきマンハッタン計画のディレクターの職を打診する。ナチスドイツによるユダヤ人弾圧が結果としてアメリカにいる物理学者を一致団結させることとなる。彼らは「ナチスドイツよりも早く大量破壊兵器を開発して戦争を終わらせる」という大義の元、New MexicoにあるLos Alamosという何もない荒野に研究施設と街丸ごとを作ってしまう。研究者とその家族をLos Alamosに閉じ込め(映画ではcompartmentalizationと呼んでいる)、極秘に兵器の開発に乗り出す。米国国民にも知らされず水面下で進められたマンハッタン計画の始まりである。ここで研究者たちは3年間、総額20億ドルという巨額の予算を投じて原子爆弾の開発に着手することになる。この映画では研究者のリクルートプロセスも緻密に描かれていて非常に面白いと感じた。ある研究者は「3百年にも及ぶ物理学の結集が大量破壊兵器になることを望まない」と吐露する。それに対してOppenheimerは「我々がやらなければナチスドイツに先を越されるだけだ」と言い放つ。このシーンはその数十年後に起こるロシアとの冷戦を予期しているようだ。広島と長崎に原爆が投下される前に米国で行われた原子爆弾の実験はTrinityと名付けられる。これは日本語では三位一体と訳されキリスト教の教義として知られている。父(Father)、息子(Son)、聖なる魂(Holy Spirit)のに支えられて神(God)が存在すると考えられている。実験を20マイル(約32キロ)離れたところから自らが作り出した兵器の閃光を見た瞬間にOppenheimerは言葉を失う。そして、目の前に広がる閃光と炎を目の当たりにしてインドの聖典に書かれた言葉が過ぎる。“And now I am become death. The destroyers of worlds.” (我は死なり、世界の破壊者なり)人類が自身の存在すら脅かす大量破壊兵器を生み出した瞬間である。原子爆弾の成功により、OppenheimerはLos Alamosの英雄となる。Oppenheimerが担がれた背後になびく星条旗は原爆実験成功を象徴するようなシーンである。しかしながら、原爆投下後のOppenheimerの表情は浮かない。広島に原爆が投下される8月5日(日本時間6日)、Oppenheimerは一人テーブルで考え事に耽っている。きっと自分が開発した兵器がもたらす結末(consequence)を知っている者のみが味わう罪悪感に駆られているのだろう。Truman大統領の原爆投下成功のラジオ放送でLos Alamosの住民は熱狂の渦になっているにも関わらず、Oppenheimerには笑顔が全くない。ホワイトハウスでTrumanに労いの言葉をかけられてもOppenheimerは表情ひとつ変えない。それどころか大統領に対してこのように言うのである。“I feel that I have blood on my hands.” (私の両手は血で染まっている気がする)この血はもちろん兵器で命を失った日本人の血である。大統領の決断を非難するような発言でTrumanは気分を害したようで、Oppenheimerが部屋を離れるされるに以下の捨て台詞を吐く。“Don’t let that crybaby back in here!”(あんな泣き虫を2度と招くな!)その後、水素爆弾の開発を推し進めようとするLewis Straussと何度もOppenheimerは衝突する羽目となる。OppenheimerはRoosevelt大統領が立ち上げた国際連合(The United Nations)による核縮小を支持していたが、彼の望みも虚しく1945年以降ロシアとの冷戦によって核は抑止するどころか拡大し続けた。欧州へのアイソトープの輸出をめぐりOppenheimerによって大勢の面前で恥をかいたStraussはOppenheimerが共産主義者と繋がりがある点に漬け込み、彼に関する機密書類をBordenに渡して起訴するように唆す。それによってOppenheimerは冒頭に出てきた安全保障に関する聴取に晒されるのだ。最後はOppenheimerとEinsteinがプリンストン大学で池の湖畔で談笑するシーンで映画が終わる。二人の会話の内容は是非映画かDVDでご確認いただきたい。次回はこの映画の評価について書く予定だ。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.12
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アカデミー賞の候補に上がってからずっと映画Oppenheimerを観たいと思っていた。最近ようやくまとまった時間が確保できて映画を観ることができた。鬼才Christopher Nolan氏の最高傑作とも噂されるOppenheimerは期待を裏切らない作品に仕上がっていた。原爆被害の描写が現実と離れすぎているという批判がすでに出ているが、これは原爆の生みの親であるOppenheimerの半生に迫る作品である。マンハッタン計画(Manhattan Project)の舞台裏とその後の開発者たちを取り巻く人間模様が主に描かれているため、原爆被害に関する過度な演出をあえて避けたのではないかと思われる。私は地球上で唯一原爆の被害に遭っている「日本人」だからこそアメリカの視点でどのように原爆が作られて、どのような経緯で日本に投下されたのかその一端を知るべきだと思う。原爆被害を受けた日本の立場からすると勿論ショッキングなシーンも含まれているが、戦後80年が経ち戦争の記憶が薄れていく中でそこから目を背けてはいけないような気がする。Nolan監督が指揮を務めたInception(2010)、Instersteller(2014)といった作品は全てストーリープロットが複雑で非常に難解なイメージがある。今回も3時間近くの超大作ととなっていて正直1度見ただけでは何が起きているのか把握しきれなかった。日本公開が3月29日でまだ約三週間ほど時間がある。このブログでは「予習編」、「あらすじと個人的な評価」の2本だけでお届けしたい。ちなみに「あらすじと個人的な評価」はネタバレも含まれているため、是非映画を視聴するまではご覧いただかないようにしてほしい。オチを知ってしまうと当日の感動が半減してしまうからだ。まずこの映画はOppenheimerという物理化学者の伝記である。予めお伝えしておきたいのはこの映画は”Fission(分裂)”と”Fusion(融合)”という2部で構成されていることだ。Fissionではカラー映像で描かれ主人公Oppenheimerの一人称的な視点で描かれる。原爆開発後に浮上した共産主義思想に基づくスパイ疑惑に対する取り調べの様子が描かれる。それに対しFusionはLewis Strauss(原爆開発後のAtomic Energy Comissionの所長でOppenheimerをアドバイザーに任命する)の視点から上院での聴取の様子が描かれている。白黒映像とカラー映像で複雑に状況や時系列が変化するのでここについていかないと話についていけなくなってしまう。あと、もう一つ大前提として押さえておいてほしいのはこの主人公であるOppenheimerはユダヤ系アメリカ人であるということだ。そして第二次世界大戦中にユダヤ人を厳しく弾圧したナチス政権とその主導者であるヒトラーがアメリカの敵であったという構図である。Oppenheimerがハーバード大学、イギリスのケンブリッジ大学で学んだ後にドイツの大学で量子物理学を学んでいることもポイントだ。ドイツが最初から嫌いだったらわざわざ博士課程をドイツで取得しないだろう。第二次世界大戦とナチス政権による支配によってドイツや共産主義に対する考えが変化していったと思われる。第二次大戦時、日本は日独伊三国同盟を組んでいたため、Oppenheimerの視点からすれば日本もドイツ同様敵対国となる。常に居場所を追いやられ世界各地で弾圧され続けてきたユダヤ人の歴史を踏まえないとこの映画はいまいち理解できない。第二次世界大戦と資本主義と共産主義の対立構造、アインシュタインの相対性理論及び量子物理学がFusion(融合)した結果、宇宙を巻き込んだ壮大なスケールで描かれる究極の文理融合映画が誕生した。天才的科学者アルバートアインシュタインと映画中にも登場するサンスクリットで書かれたインドの聖典「バガバッド・ギーター」の一節も映画の鍵を握る。是非以下のリンクを一読の上で映画館に足を運んでほしい。映画に深みが出ることは間違いない。↓リンク↓American Center Japan: 核兵器のない世界ーはじめにこの映画は世界を滅ぼすほどの兵器を持った人類が核と今後どう向き合うべきか問い続けている。衝撃の話題作が3月29日以降日本でどう受け入れられるかが気になる。オッペンハイマーは第二次世界大戦をテーマにした映画部門、自伝映画部門で歴代最高興行収入を記録しているという。Christopher Nolan監督のファンであればきっと心に刺さるはずだ。大迫力のテクノミュージックと映像を劇場でご覧いただきたい。画像引用元:オッペンハイマーオフィシャルサイトそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.03.11
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写真:よく行くコーヒーショップの壁画(なぜか左上に日本が描かれている)ブログの更新がめっきり途絶えてしまった。ここ最近は大学院の課題が途轍もなく兎に角文献を読み漁ってレポートを書く作業を延々と繰り返していた。留学はどこかきらびやかなイメージがあるが、大学院留学は1年〜2年と非常にスパンが短いのでカリキュラムがパンパンに詰め込まれている印象だ。なんとか春休みに到達するまで集中を切らさずに走り切りたい。学業を続けながら常に気にしているのが円ードルの為替レートだ。2024年になってからさらに円安傾向が強まりとうとう先日150円の大台に乗ってしまった。2024年2月25日現在円ドルの為替は1ドル150.48円となっている。これが160円、170円と上がっていったら自分のアメリカ生活はどうなってしまうのだろう。ただでさえアメリカはインフレの状態が続いていて食品、ガソリン、家賃の値段が上がり続けている。以前にも円安について記事を書いた記憶があるが、その状況が改善しているようには思えない。(過去の記事はこちら)自分の大学院留学で子供達の将来の養育費を使い果たすわけにはいかない。自己投資をしつつも家族や老後のために貯蓄が求められるため、舵取りは正直非常に難しい。また、為替レートは私がコントロールできる部分ではないため現時点でできることは辛抱強く待つくらいだ。学部生で渡米しようとしている学生にとってもドル円の為替レートは死活問題であろう。なんとか財団や進学先の大学から給付型の奨学金を獲得して学業に専念できる環境を整えてほしい。コロナ以降日本人の留学生の人数は下降し続けている。海外観光客からすれば日本は商品が格安で購入できるバーゲンセール状態であるが、日本人からすれば海外への壁はこれまでにないほど高くなってしまった。私はこの日本の現状を「令和の鎖国状態」と名づけることにする。日本の若者が留学したくても経済的な事情で飛び立てなくなっている状況はなんとかならないものだろうか。優秀な人材が高待遇を求めて外資系企業に流れ、賃金が一切上昇せず円の価値すら下降の一途をたどる日本の産業がどんどん空洞化していかないか心配である。政治も党内の不祥事の火消しで精一杯で本来の政治が果たすべき責務を果たせていない印象を受ける。どうにかこの超円安の状況を是正していただきたいものだ。これからアメリカに留学する学生に向けておすすめの節約術をお伝えしたい。1.自炊するこれはもう節約の基本のキである。自炊に勝る節約術はない。アメリカではTrader Joe’s(通称トレジョー)というスーパーが安くて品質も良くおすすめである。2.固定費を抑える家賃、光熱費を抑えるのが次にできることであるが、注意も必要だ。家賃が異常に安い物件はなんらかの問題を抱えている可能性が非常に大きい。安全・安心はお金で買うのが資本主義アメリカという国である。ケチりすぎて痛い目に遭わないよう物件は下見をすることをお勧めする。(個人的にお勧めなのが大学のすぐ近くの物件を探すことである。大学の近くは大学の警備が行き届いており治安が良いことが多い。また図書館に夜遅くまでこもっていてもすぐ帰宅できるため利便性を考えてもお勧めだ。)3.大学の食事付きイベントに積極的に参加する大学が催すイベントには食事が付いてくることが多い。しかも食事が余ればこっそり持ち帰ることも可能だ。私の大学では頻繁にこのようなイベント(学会発表)があるのでなるべく足を運ぶようにしている。人との交流もできて人脈も広がるため一石二鳥だと言える。円安の影響で渡米してから一人でレストランやバーに行ったことはまだ一度もない。どうしても値段がちらついてしまいたとえ行ったとしても楽しめない自分がいるのである。旅行であれば奮発するのだろうけど、まだまだ長いアメリカ生活が残っているため不必要な場面で少ない預金残高のお金を使う気には全くなれない。美味しそうなレストランの横を通り過ぎても贅沢をするためにアメリカに来ているわけではないだろうと自分に言い聞かせている。この海外での厳しい生活が今後の人生の起爆剤になるような気がしている。海外で貧しい生活をしていると「生きる力」が研ぎ澄まされていく感覚を覚える。日本の会社人時代には絶対に感じることはなかっただろう。こんな海外での貧乏学生生活もいつかいい思い出になることを願っている。では課題に励むことにする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.25
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学期が始まる前に米国人の恩師にカフェに連れて行ってもらう機会に恵まれた。久々の再会を楽しんでいるといつの間にか話題は仏教思想の話になっていた。彼女は中国に数年住んでいた経験があり、日本のみならずアジアの文化や風習に精通している。彼女は仏教の「諸行無常」の考え方がとても気に入っていると話してくれた。まさかアメリカのカフェで仏教思想について語り合うとは誰が想像できただろうか。仏教思想の話をしている時にどうしても聞き取れなかった単語があったので、帰り際に「さっき言っていた引用をここに書いてもらってもいいですか。あとでちょっと調べてみたいんです。」と打ち明けると彼女は快く私の手帳に綺麗な筆記体で書いてくれた。その手帳にはこう書かれていた。“Thanks to impermanence, everything is possible.”その時はimpermanenceの意味がど忘れで抜けており、何のおかげで全てが可能になっているのかわからなかった。3時間ほどみっちり会話をしてカフェを後にした。恩師との会話は非常に楽しく3時間英語で会話をしていても一瞬のように感じる。IELTSやTOEFLのような時間の制約もなく肩肘張らずありのまま思うことを英語で表現できる環境があるのは有難いことだ。心地よい夕日を浴びながら歩いてアパートに戻り、手帳に書かれた引用をインターネットで検索してみるとすぐに以下の引用がヒットした。“We are often sad and suffer a lot when things change, but change and impermanence have a positive side. Thanks to impermanence, everything is possible.” –Thick Nhat HanhThick Nhat Hanh???日本人の名前のようには思えないし、全くピンとこない。さらにネットで検索してみるとベトナム生まれの有名な仏教者であることがわかった。ダライ・ラマ14世と並んで20世紀から平和活動に従事する有名な平和活動家でもあるらしい。ティク・ナット・ハン(Thick Nhat Hanh)氏はベトナム戦争を経験後、渡米してマインドフルネスを西洋に持ち込んだ人物として知られているだ。プラムビレッジというサイトに彼の半生を紹介するページがあった。ご興味がある方はどうぞそちらを参照されたい。どうやら市民運動を指揮したキング牧師も交流があったらしい。↓リンク↓こちら先ほど登場したimpermanenceだが辞書によると"The state of fact of lasting for only a limited period of time”(Oxford Languages)と定義されていた。日本語に訳すと「儚さ」が一番近いだろうか。どこかで出会ったephemeralityは脳内に蓄えてあったが、impermanenceは抜け落ちてしまっていた。“Thanks to impermanence, everything is possible.”「儚いおかげで全てが可能となる」そう、我々は命を含め有限であるからこそそれらに有り難みを感じ愛おしく感じることができるのだ。恩師が”Nothing stays the same”と会話中に繰り返していたが、この引用は見事に諸行無常の概念をズバッと表現していたのだ。筆記体で美しく書かれた言の葉が胸に焼き付いてしばらく離れなかった。この手帳は一生捨てられる気がしない。アメリカに来てアメリカの言葉や文化を吸収しに来ているのに自分の日本の文化の無知さに気付かされる。長年日本でいながら自分は日本を知らなすぎである。いや、きっと長年住んでいて自分は日本のことを熟知していると思い込んでいたのだ。日本に興味があるアメリカ人に日本のことを質問されてうまく回答できていない自分がいる。英語力ではなく自分には日本に関する基本的な知識が不足しているのだ。日本で生まれ育って築かれてきた日本人としてのアイデンティティが揺らぎ始めていることを感じている。私は長年日本に住んできたことを根拠に日本人であることに一種の「奢(おご)り」があったのではないだろうか。アメリカから「日本」を見つめることで私の価値観に大きな変化が起きている気がする。さて、そろそろパソコンを閉じて明日の授業に備えたい。写真:恩師が書いてくれた言葉追伸、本記事が記念すべき100本目となる。心の中で静かな祝福を味わっている。まさか飽きやすく長続きしない自分がここまでブログを続けられていることに大変驚きを隠せない。日々の気づきや雑念を綴っているどうしようもない独り言のはけ口を読んでくださっている読者の方に感謝したい。気づけばカウンターも14000手前まで回っている。(2024年2月7日現在)インターネットを介して母国と唯一繋がっているのがこのブログである。私の留学の足跡が次に留学する人への道標や指標になれば幸いである。(お分かりの通り失敗だらけの道なので私を反面教師だと思っていただきたい。)※学期期間は研究に専念するため更新頻度を下げています。ご理解のほどお願いします。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.02.08
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写真:NYの安い宿の充電スペースにあった面白いメッセージ自分自身渡米してから半年が経過していることに驚いている。渡米してから二週間後に開設したこのブログの記事もいよいよその数が100に到達しようとしている。できればこの記事を記念すべき100回目の記事にしたかったが、大学院の課題の量が凄まじくその目標は叶いそうにない。ただこの日々足掻いている様子を気取ることなく記録に残せていけたらと思う。日々何かに追われていてこの半年を振り返る余裕もないというのが率直な感想だ。この留学が終わった時にブログの記事を読みながら日本でアメリカでの日々を振り返りたいと思う。今は自分を信じて前を歩み続けるしかない。留学が終わった時に家族と飛行機から見える光景を楽しみにがむしゃらに挑み続けよう。最近、感動した動画をこのブログで紹介したい。お勧めしたい動画はスコットランドでラグビー選手として活躍されている忽那健太選手のドキュメンタリー動画だ。彼の未知の世界に挑戦する姿勢にいつも刺激を受けている。面識は一切ないのだが、年齢が近く同じタイミングで海外挑戦している者同士非常に親近感が湧いている。2021年に癌を患い長らく入院生活を送られていたが、そこから癌を克服し現在はラグビー発祥の地イギリスでラグビーをしている。体格で勝る欧米の選手たちに恐れずことなく体をぶつけて、倒れても何度も立ち上がる忽那さんの姿に目頭が熱くなる。僕は動画に流れるキャプションがとても好きだ。----------僕はあの時「死」を覚悟した人はいつ死ぬかわからない当たり前の事実を目の当たりにしたとき僕は「死」が惜しくなったたった一度しかない人生「自分が本当に歩みたい道を進むんだ」----------忽那選手のYouTubeビデオ「スコットランドラクビー挑戦 2023年ダイジェスト」より一部抜粋↓忽那選手の2023年ドキュメンタリー動画↓こちら海外での生活は試練の連続だ。日常生活でさえ日本とは違う部分が多々ありうまくいかないことがある。相談できる友人も少なくマイノリティー集団の中で孤独を感じる場面すらある。そして大学院の研究もまた時に非常に孤独な作業だ。自分で選んだ道なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、自分で選んだ道だからといって全てが花道なわけではない。むしろ、自らイバラの道を選択したといっても過言ではないかもしれない。厳しい道を選択したのはそこから人生の糧となるものが得られると思ったからだ。現時点では自分が求めているものに近づいているのかさえもわからない。手応えはなく迷路の中を手探りで走り回っているようだ。不安は本当に尽きないが、今は自分を信じて歩みを進めたい。ふと立ち止まった時に何度も見たくなる動画である。何回見ても彼が人生をフルスイングしようとする姿勢が伝わってくる熱いドキュメンタリー映像だ。お時間がある時に是非ご視聴いただきたい。私はこの動画を見て留学する意義だったり、目標を持つ大切さを再認識することができた。海外生活をしているこの時期にこの動画に出会えたことに感謝したい。私も彼のように自分のやりたいことに素直になりたいし、一度きりの人生を「フルスイング」したいと思う。こんな記事を書いている間にも課題の締め切りが近づいている。筆を置いて文献を読むこととしたい。それでは良い1日を。きたろう
2024.02.01
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82年前の12月7日早朝(日本時間では8日)、突然旧日本海軍がハワイオワフ島の米軍太平洋艦隊の拠点に奇襲攻撃を仕掛けた。その攻撃によって米軍は壊滅的な被害を受けた。アメリカの主力戦艦とされる「アリゾナ」と「オクラホマ」がこの攻撃によって海底に沈んだ。早朝の奇襲攻撃をアメリカは想定しておらず、戦艦4隻と航空機180機以上が一瞬にして破壊され、兵士民間人含め多くの死者数を出した。この出来事が引き金となって日本とアメリカは戦争状態に陥り、他国も巻き込みながら第二次世界大戦が始まった。アメリカは”Remember Pearl Harbor”を合言葉に国民が一致団結し、ムードは戦争一色となる。日本軍による奇襲攻撃は壊滅的なダメージを与えたが、結果的には武器の製造力、資源、兵士の数でも圧倒的に上回る米国を本気にさせてしまったのだ。アメリカで購入した手帳にはしっかり以下の文言が7日の欄に刻まれていた。"National Pearl Harbor Remembrance Day"日本の歴史の教科書では真珠湾攻撃は12月8日に行われたと記載されている。たかが数十時間の時差による違いかもしれないが、そこには埋めようとしても埋められない溝が存在する。どちらが正しいかはさておき歴史はいつも我々が生まれ育った国の視点で描かれるのが常である。グローバルな時代で生きる我々には偏りが生じないよう片側の視点だけでなく、両サイドの視点から客観的に史実を眺める必要があると感じる。我々が玉音放送が流れた8月15日に黙祷を捧げるようにアメリカの人々は12月7日にパールハーバーでの出来事に思いを馳せる。(日本が正式に連合軍に敗戦を宣言したのは1945年9月2日、米国戦艦ミズーリの船上で調印式とされる。)ウクライナやガザ地区で起きている状況を目の当たりにすると平和は尊く、そして脆いように思えてしまう。先人が紡いできた平和をこれからも大事にしたいものだ。写真:海底に沈む戦艦アリゾナ真珠湾には今も燃料タンクから漏れた重油が浮いている。戦争の生々しい傷跡だ。きたろう
2023.12.08
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まず最初に本ブログは映画の内容に深く踏み込むため映画の試聴を予定している方は読まれないことを強くお勧めする。是非映画を観た後にお読みいただければと思う。友人7人と試聴した映画は日本を代表する映画制作会社東宝が配給元である「ゴジラマイナスワン(Godzilla Minus One)」である。ゴジラが誕生してから70周年、そして記念すべき30作目となる節目の作品だという。それだけに東宝の気合いを感じた。監督はALWAYS 三丁目の夕日(2005-2012)、永遠のゼロ(2013)、STAND BY ME ドラえもん(2014)を手がけた山崎貴監督。主演はNHKの朝ドラも務めた神木隆之介、浜辺美波の磐石のキャスティングである。妖怪大戦争(2005)を映画館で観た者としてはあどけなさが残る神木君(もはや君付けでは失礼)が大物俳優になっていて時間の経過を感じずにはいられない。幼少期からゴジラを見て育った自分にとってアメリカで日本の映画を見ることはなんとも不思議な経験であった。原子力核兵器の実験で生まれたゴジラは人間の生活圏に侵入し破壊を繰り返す。世界の征服を試みる絶対的権力者が作り出したメカキングギドラとメカゴジラさえ生身のゴジラには敵わない。ゴジラの前では人間は無力であり、ゴジラは生態系のトップに君臨する神のような存在なのだ。それはゴジラの英語表記からもお分かりだろう。ゴジラをGOJIRAではなく”GOD”ZILLAでなのだ。決して人間や他の怪物たちと手を組むわけでもなく、敵を倒すと深い海の中に戻っていく。まさに孤高の生物界の王者と呼ぶべきだろうか。今回の映画では初期のゴジラのオマージュとも言える作品だろう。時代背景の設定も私が観てきた映画の中で最も古く、「特撮の神様」とも呼ばれた円谷英二が編み出したミニチュア模型を用いた撮影技法(電車が行き来する場面等)がふんだんに用いられている。また、昭和の景色が特殊映像技術で美しく表現されていると思いきやALWAYS三丁目を手がけた山崎貴監督が指揮を取っていると知り合点がいった。つまり、この映画は日本の強みとされるミニチュア模型を用いた特撮手法と最新のVFX技術が融合した前代未聞の映画作品と言えるのではないだろうか。内容は勿論だが映像だけでも十分に楽しめる作品となっているのだ。初期のゴジラのモチーフを踏襲していると思える箇所はゴジラと核兵器との関係性である。大学生の頃一般教養(通称パンキョー)で履修した社会科学の授業でゴジラの初期の映画を視聴した。試聴後に教授が学生にこう言い放った。「ゴジラは原子爆弾だ。そう考えるとゴジラは単なる怪獣映画ではなくなる。」幼少期からゴジラのファンであった私にとってそれは衝撃の事実であった。ゴジラは自然界に元々いた生き物ではなく核兵器の実験によって誕生した怪物であり、人間が生み出す核兵器の象徴でもあるのだ。ゴジラの破壊は核兵器の破壊をほのめかしていて、ゴジラへの恐怖は我々が作り出した核兵器への恐怖を意味しているのだ。実際にゴジラマイナスワンでもビキニ沖の水爆実験の描写があり、ゴジラの誕生背景が忠実に再現されている。また、ゴジラが登場する前に深海生物が浮きだすという現象も水爆実験による被害を暗示していると思えば、説明がつく。このような細かい設定からも山崎監督のゴジラの原点へのこだわりが感じられる。時代が第二次大戦直後の日本(1940年後半)で主人公が特攻隊にも関わらず戦禍を生き延びた兵士という設定はかなり大胆だ。戦争は様々な人の思いが交錯し、場合によっては制作者側が意図しない感情を生み出す可能性が大いにある。ましては第二次世界大戦中日本はアメリカと戦っており、当時のアメリカからしたら日本は敵対国である。米軍の船に飛行機ごと突撃することを命じられた特攻隊(Kamikaze Pilot)が私の隣に座っている友人にどう映るのか正直想像がつかなかった。また、戦後の貧しい昭和の時代背景も事前の情報が必要なはずである。戦争というセンシティブな内容、そして戦後の時代背景は非常に複雑ですんなり受け入れられるとは言い難い。北米での上映決定は少なからずリスクがあり、大きな賭けだったに違いない。最後に主人公である敷島がゴジラに突撃する場面がある。私はこのシーンがある映画の場面と重なって見えた。ずっと気になっていたが最後のエンドロールで「永遠のゼロ」を撮影した山崎貴監督の名前を見つけてすべての謎が解けた。「永遠のゼロ」では米国の戦艦に突撃する宮部久蔵(岡田准一)するシーンがある。パイロットの宮部の表情には曇りがなく、ただ一点だけを見つめている。余計なBGMはなく画面に映し出された顔を観客は見つめる。映画館の静寂に包まれた暗闇の中、映画の登場人物と見つめ合う演出は今まで経験したことがなく脳裏に焼き付いていた。「永遠のゼロ」と「ゴジラマイナスワン」の唯一の違いはその後のストーリーの有無である。「永遠のゼロ」では特攻隊が戦艦に向かう途中で幕を閉じるのに対し、「ゴジラマイナスワン」はその後が描かれる。絶望の中(マイナスワン)の中でもあがき、もがく中で命の尊さや生きることの大切さを山崎監督はゴジラに込めたのかもしれない。ゴジラ映画なのにエンディングで泣きそうになるのは監督がゴジラとヒューマンドラマという通常決して相容れない2つを一つの映画に凝縮したからかもしれない。ゴジラが破壊を繰り返すだけの映画であればゴジラの人気はとっくに衰えていただろう。怪獣であるにも関わらずどこか人間らしく人情深い部分がゴジラにはあるのだ。ゴジラには少年の心を鷲掴みにして離さない魅力があるような気がしてならない。今回ゴジラマイナスワンが公開されてゴジラの人気は日本を超えてアメリカに到達していることを肌で実感した。「ゴジラマイナスワン」がアメリカでどのように受け取られるのか非常に楽しみだ。映画を視聴した後もゴジラの咆哮とゴジラのテーマソングが脳内でループしている。留学のブログなのに映画のレビューを書いてしまい大変恐縮である。ゴジラ愛に免じてお許しいただきたい。「ゴジラマイナスワン」公式ホームページより引用きたろう
2023.12.07
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出国前は140円だった円は現在150円前後をうろうろしている。このまま160円170円を突破するのではないかと主張する専門家もいるほどだ。異次元の金融緩和政策と低金利によって米ドルとの格差がどんどん開いてしまっているらしい。輸出業者はドル高円安の恩恵を受けるのだろうが、国外から輸入して商売をする企業は大打撃であろう。ガソリンなど完全に輸入に頼らざるを得ない商品は値上げが相次いでおりリッターあたり180円を超えるガソリンスタンドもあるという。日本の経済は成長しておらず賃金は上がらないのに物価だけ高騰していくのは家計への負担は増すばかりであろう。私は現在アメリカにいて思うことは日本の存在感がこのアメリカの地でも薄れていることだ。コロナ禍で日本からの留学生は元々激減していた。そこに拍車をかけたのがドル高円安である。1ドルが150円を超えてしまっては年間40,000ドルの学費を支払える家庭は限られる。学部生に至っては4年間学費を納入しなければならないため4年間の学費で家が購入できてしまうほどの金額である。英語力と専門知識がたとえあったとしても経済的な理由で留学を諦めなければならない状況が続いているのである。コロナによる渡航規制期間を含めれば約4年間留学のチャンスの芽が摘まれてしまっている。私が通っている大学でも留学生はほとんど中国からの留学生で日本からの留学生をキャンパスで見かけることはほぼない。私のキャンパスでは日本人は絶滅危惧種のような存在なのである。10数年前アメリカの西部に留学した時はオイルマネーで潤ったサウジアラビアの学生が目立っていた。政府から全額給付型の奨学金が出ているようで真っ赤な高級車を乗り回しているサウジアラビアの学生をよく目にした。勿論今通っている大学でも中東の学生を見かけるが、現在の中東の不安定な政治状況も相まって昔のような煌びやかな印象はあまり受けない。改めて国の経済力と留学生の割合は相関関係にあるのだと思う。アメリカでのインフレ、そして記録的な円安によって日本の学生は海外で学びたくても学べない状況に陥っている。それはまさに日本は気付かぬうちに数百年前の鎖国のような状態になっていることを意味しているように思える。志ある学生が日本に閉じ込められている状況が長引けば長期的に見て日本の損失は非常に大きいし、世界と日本の距離は離されていく一方である。留学者数減少に伴う損失を防ぐための妙案がないものだろうか。やはり色々策を練る前にまずはこの歴史的円安の是正が最優先事項のような気がしてならない。きたろう
2023.11.21
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前回掲載しようと思って載せ忘れてしまった写真があったので続編としてこの記事を書きたい。以下の写真をどのように英語で表現するだろうか。There are some snacks.でも問題ないのだが、ハロウィーンの時期になるとなぜかcandiesが好まれる傾向にある。大学院でも教授がハロウィーンの日にお菓子を用意してくれたのだが、その時もsnackは使われず"take some candies!!"であった。しかし袋の中にあるのはチョコレートやキャラメルでコーティングされたお菓子ばかりでキャンディ(飴)は見つからない。こういう時に大変役立つのが、学習英和辞典である。日本の学習者に対象を絞って編纂されているため日本語を母語とする英語学習者がよく陥る思わぬ落とし穴について丁寧な解説がついている。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「《日本語の「キャンディー」があめを指すのに対して、あめだけでなく、砂糖、チョコレートやフルーツなどを使った甘いお菓子全般をいう」と書かれていた。同様にスーパーアンカー英和辞典第3版(小学館)にも「キャラメル・チョコレート・ドロップなど砂糖菓子一般をさす」と書かれている。ここからは辞書には書かれていない個人的な考察になるが、お祝い事やイベント時に配布されるお菓子はcandyが使われることが多いような気がする。アメリカの小学校にはお菓子の持ち込みが可能で、お菓子を食べる休憩時間まで設けられていることがある。その時間のことをsnack timeと呼ばれることが多い。今までそれをcandy timeと呼ぶ学校を私は聞いたことがない。そして、ハロウィーンで配られるお菓子をsnackと呼ぶアメリカ人もいない気がする。アメリカ人も無意識の内にsnackとcandyを使い分けていて、実はcandyはお祭りや行事といった文脈で使われる傾向があるのではないかというのが私の仮説だ。実際に調査をしたわけではないし、アメリカの友人に聞き取り調査もしていないのであくまで私の憶測だと思っていただきたい。ちなみにハロウィーン前にスーパーに買い物に行くとハロウィーン売り場ができている。子供たちはそれぞれお気に入りのキャラクターになりすまして近所を練り歩き"Trick or treat!!"と言いながらお菓子をもらうのがアメリカのハロウィーンだ。前回留学した時は一軒家に住んでいて近所の子供達が何人も遊びに来たのが今も記憶に残っている。子供達を家に誘導するためにたくさん飾り付けをつけたり、イルミネーションを飾ったりするのだ。ハロウィーンやクリスマス前は夜に住宅街をドライブするだけでも各家庭の飾り付けを眺めることができ日本とは一味違ったハロウィーンを満喫できるだろう。非常にレベルの高い装飾もあり地域によってはどちらの飾り付けが優れているか競い合っているようにも思えてしまう。ハロウィーンが終わり、次は11月下旬のサンクスギビング休暇である。何をしようか計画を練っている。きたろう
2023.11.05
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アメリカ東部は秋が深まり気温も華氏50度ほどまで落ちてきた。朝晩は冷え込みが激しく厚めのジャケットがないと寒さをしのげなくなってきた。先日は日本にいる家族からスーツケースに収まらなかった冬服一式と手紙が届いた。暫く会っていない息子の手紙を読むと体だけでなく心も温かくなる。これから秋学期は佳境に入り、期末の試験やレポート提出が待ち受けている。日本から届いた冬服を着て体調だけは崩さないようにしたい。先週は10数年ぶりにアメリカでハロウィーンを迎えた。学生だった頃はショッピングモールでゾンビの衣装を着てパーティをしたりしたが、30半ばになって学生のハロウィーンパーティに行く意欲も全く湧かず、仮装姿の若者に脇目も振らずに図書館でゆっくりと研究に勤しんだ。こども達がいたらきっと近所を練り歩いてハロウィーンのイルミネーションを楽しんだり、パンプキンを彫ってJack-o’-lanternを作っていたかもしれない。こうして静かなハロウィーンを過ごしたわけだが、街を歩いているとハロウィーンの装飾が沢山あり、街全体がハロウィーン一色で活気に満ちているのを見ているだけも楽しめる。これからアメリカはサンクスギビング、クリスマスと年末に向けてイベントが続いていく。課題やレポートに追われずゆっくりできる年末が今から待ち遠しい。キャンパス内の至る所にハロウィーンの装飾があった。この建物は大学院生専用の勉強スペースで3種類のコーヒーが無料で飲むことができる。きたろう
2023.11.04
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アメリカに来たら是非試してもらいたいのがルートビア(Root Beer)だ。日本では絶対に味わうことができない飲み物だからだ。正直に申し上げてかなり癖のある味なので日本人の舌には合わないかもしれない。実際私もミントのような独特の風味が苦手で10数年前に渡米した時は一口飲んでそれ以上は飲む気が全く起きなかった。ひと昔の少し独特の匂いがする湿布を液体化したような飲み物だった。一部の海外の旅行客が納豆の匂いや食感を嫌うように私もアメリカ人はこんな変な味がする飲み物をわざわざ購入して飲むのか理解に苦しんだ。この間学内のちょっとしたパーティーがあり何気なく手に取った缶がルートビアだったのだ。しかし、気づいた時にはすでに缶を開いてしまっており戻すわけにもいかない。10数年前の苦い記憶が蘇ってきたが仕方なく飲むことにした。飲んでみて自分でも大変驚いた。自分の舌が10数年の時を経ておかしくなったのか?ミントのような爽やかな口当たりで清涼飲料水にしては甘すぎず苦すぎもしない。最初はビールが苦く感じたが時が経つにつれてその苦味と喉越しの良さに虜になるあの感覚に近いだろうか。10代の自分にはルートビアを味わうには少し若すぎたのかもしれない。こんな飲み物を買う人の気が知れないと思ったことを深く反省したい。これがパッケージである。ROOT BEERの下には"ARTIFICIALLY FLAVORED"つまり「人工的に味付けされている(人工甘味料入)」と書かれている。こんなことを隠すことなく表のラベルにしっかり書かれているのがアメリカらしい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)でroot beerを調べてみると「《主に米》ルートビア《sassafrasなどの根の汁に甘みをつけたノンアルコール炭酸飲料》」と記載があった。名の通り植物の根から作られた飲み物らしい。出身国は忘れたが、昔外国出身の人と料理の話題になりゴボウ(burdock)を家庭料理に使うと話したら「日本人は植物の根を食べるのか」と驚かれた記憶があるが、アメリカでも植物の根から飲料水を製造していることがわかった。日米以外でも植物の根を食べる(飲む)習慣がある地域はあるだろうし冷静に考えるとそれほど驚くようなことでもないような気がする。それよりもルートビアは人間の飲み物ではないと思っていた自分が10数年の時を経てすんなり受け入れていることが自分にとっては衝撃であった。自分の味覚もそうだし、自分の判断基準や価値観もきっと大学4年間、10年ほどの社会人経験を経て変わったのだろう。思わぬ形でルートビアに再会できたことを嬉しく思う。きたろう
2023.10.13
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アメリカでの生活がスタートしてから約二ヶ月が経過した。特に秋学期が始まってからは毎日課題に追われていて一週間が瞬く間に過ぎていく。30歳を過ぎてからの留学で若い20代の学生に比べると体力面で劣るかもしれないが、そこは社会に出てから得た経験でカバーしていきたい。大学卒業後に社会経験を積んだ後にアカデミックな世界に戻ってくると大学卒業後そのまま院に進んだ人とは違う新鮮さを味わうことができる。大学4年間の後に過ごす延長期間ではなく、私にとってこの2年間は自分の今までの経験とこれからの人生を見据えるための検証期間だと捉えている。社会人の頃はただただがむしゃらに前だけを向いて頑張ってきた。定年までずっと働くだろうと思っていた会社を辞めて、転職を経験した。社会人5年目で結婚をして2人のこどもを授かった。家族を養っていくことの喜びと責任の大きさを痛感した。帰宅時の「ガチャ」という扉を開く音と共にこども達が大きな足音が聞こえてきて元気に迎えてくれる。こどもとのお風呂は騒がしいがこどもと一緒に過ごせる大事な時間だ。寝かしつけてこどもの寝顔を見ると静かな幸せと共にその日の疲れがどっと押し寄せて私もそのまま寝てしまう。しかし、私は今「日本の日常」を捨ててアメリカにいる。こどもと妻は渡米予定だが、今はまだ日本に住んでいて離れ離れの状態だ。離れて暮らすことで自分の中で家族がいかに大きな存在であったか気付かされた。アパートに戻ってきて扉を開けても部屋は暗闇に包まれていて無音の世界が広がっている。料理は得意ではないが、生活費節約のためになるべく自炊をするようにしている。妻に下手くそな料理を笑われるような気がしてならない。この間は野菜が足りていないと思ってスーパーでアボカドを買ったのだが、全然熟しておらず硬過ぎて食べることすらできなかった。自分一人の力ではアボカドサラダも作れないのかと落ち込むと同時にこども達の面倒を見ながら料理をしてくれている妻への感謝の念が込み上げてきた。日本にいた頃は週末にこども達を連れて車で外出することが多く、研究に打ち込めていない自分をどこか責めてしまう節があった。しかしながら、アメリカに来て週末もずっと図書館でこもって研究に励んでいるとこども達と公園で遊んでいた頃がふと恋しく思うことがある。こども達のために公園に行って昆虫探しやサッカーをしていたつもりだったが、今思うと実は外気を吸ってリフレッシュできるいい気分転換になっていた。こども達が仕事から離れる機会を週末に作ってくれていたことにもアメリカに来てから気づいた。今となっては尊い時間だったと思うのだが、当時の自分は当たり前すぎてその尊さにも気付いていなかった。「人間は失ってようやく気づく」とよく聞くが、想像力に乏しい私の場合「失わなければ気づくことができない」と表現した方が正しいのかもしれない。週末のこども達とのビデオ電話が一週間の終わりを告げる合図であり、私のアメリカでの質素な研究生活を彩るささやかな楽しみだ。最近は定期的に手書きの手紙を書くように心がけている。アメリカから日本まで空輸で約10日間かかる分言葉選びは慎重になる。投函してからも到着するまで10日間かかるので相手の反応を想像しながら過ごす日々が生活に潤いを与えてくれる。電子メールの普及によって世界中どこにいても我々はコミュニケーションを取れるようになった。テクノロジーの発展により東京ーアメリカ間にある約10900キロ(6778マイル)の物理的距離は一気に縮まった。ただしテクノロジーによって国境の境目がなくなっても心理的距離な溝を完全に埋めることはできない。当たり前だが私はスクリーンに向かって話しかけているだけであり、ドライブやサッカーはできないしお風呂や寝かしつけも当然できない。自分が思いを込めて綴った手紙を10日後こどもが自らの手で開いた時にようやく10900キロの距離を飛び越えて家族と細い糸で繋がれた気持ちになる。きっと完璧な生活など最初から存在しなくて何かを得ようとしたら何かを犠牲にしなくてはならなくて、我々は犠牲とその犠牲から得られるであろう成果を天秤にかけながら生活をしているのだと思う。惰性の生活を送っていたらきっと自分は家族の存在の大きさや国際郵便手紙のありがたみも気づくことなく日本でごく普通の会社員生活を送り当たり前のように電子メールやLINEに依存していただろう。社会人での留学は人生のどこかで落として忘れ去られた大事な落とし物に遭遇するようである。勇気を出して惰性を壊して再構築(reframe)することも時には必要なのかもしれない。きたろう
2023.10.11
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アメリカは非常に多様性を重んじる国だと思う。宗教、人種、言語が異なる人々が世界中から集まるからであろうか。この他者を認めようとする姿勢は性的マイノリティに対しても一緒だ。以前オリエンテーションの記事でgender pronoun(s)を自己紹介の時に述べることがマナーになりつつあると書いた。違ったpronounを使いことで意図せず相手を傷つけてしまうことを防ぐための措置である。自己紹介で聞きそびれてしまった場合は面倒くさがらずに"Could I ask your pronouns?"と相手に聞いてほしい。友人に「初対面の相手にpronounを質問するのは失礼か?」と聞いてみたところ、「むしろ聞かないことが失礼だ」と答えてくれた。日本ではgender pronoun(性別を指す代名詞)を訊く文化が存在しないため驚かれるかもしれないが、pronounを聞くことはアメリカではごく自然なことらしい。見た目だけで勝手に判断するのが一番リスクがあり大惨事に繋がりかねないので避けた方がいいだろう。また、私が通っている大学では各建物の中に必ず一つall gender restroomを設けることがルールになっている。実際にキャンパス内を歩いているとよくall gender restroomを見かける。しかも下の写真からもわかる通り、一つだけでなく同一建物内に複数のall gender restroomがあるのだ。アメリカは私が思っている以上にジェンダーのバリアフリー化が進んでいた。また、lactation room(授乳室)もキャンパスの至る所に用意されている。幼い子供がいる学生に対する配慮を感じることができるだろう。繰り返しになるがアメリカは学びたいと思う者を両手を広げて温かく迎えてくれる。日本の大学はどうだろうか。10年前に私が通っていた日本の大学には授乳室やオムツを換えるスペースはなかったような気がする。そもそも家庭を持っている学生が大学に通うことを大学はあまり想定していないような気もする。日本でも性的マイノリティに配慮した動きが見られ始めているが、ハード面はまだまだ進んでいないような気がする。アンケートに答える際、大体性別欄は「男性」もしくは「女性」の2択であることがほとんどである。アメリカの場合は必ずといっていいほどprefer not to declare(申告することを望まない)といった第三の選択肢が用意されている。二者択一を迫ることで苦しむ人がいるをアメリカは知っているのだ。アメリカのいい加減すぎるところにたまに辟易することもあるが、おおらかで多様性を重んじる姿勢は見習いたいと思う。きたろう
2023.09.19
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