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カベルナリア吉田というかたによる3冊の本。 『沖縄の島へ全部行ってみたサー』東京書籍、2004年。『沖縄バカ一代』林檎プロモーション、2011年。『石垣宮古ぐだぐだ散歩』イカロス出版、2014年。 細部の観察にこだわった本。ツアー客の行動を面白く思わない。しかし、御自身も訪問者であることに思い至り、反省。旅先で出会った人々との接し方は極めて丁寧。作者御自身による写真が多数。眺めていて楽しい。ときどき現われるオヤジギャグは、照れ隠しなのだろう。
2026年03月23日
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ブリア・サヴァラン『美味礼讃』岩波文庫、1967年。 今までこの本を読まなかったのは、自分の誤解による。美食家が食材や調理法に関する蘊蓄を述べた(だけの)作品だと思っていたのだ。これは、間違いであった。「美味学の理論的基礎の確立」という目的のために、解剖学、生理学、化学その他の分野にも視野を広げて語った本。岩波文庫2冊(上下)で約560ページ。 知の集大成ともいうべき内容で、一人の手になるものだとは信じられない。 原題は『味覚の生理学』(1826年刊)。この題のまま日本語版が出版されると生理学の棚に置かれたかも知れない(文庫サイズではあり得ないか)。日本語訳『美味礼讃』のおかげで現代でも読み継がれているのだろう。訳者御二人(関根秀雄、戸部松実)の卓見。 なお、玉村豊男さんによる新訳版はまだ入手していない。
2026年02月22日
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カベルナリア吉田というかたによる2冊の本。楽しんで読んだ。ガイドブックに掲載された箇所を訪問するというのではなく、筆者自身が設定した行き先を巡る。 『沖縄自転車』東京書籍、2006年。体力に自信がなければ、企画すらしないだろう。『沖縄ディープインパクト食堂』アスペクト、2010年。 種々の沖縄料理を食する、というもの。イラブー料理の項、誇張もあるのかも知れないが、見かけによらずビビリなのかな。 お姿からは豪快であるようにも見えるが、旅先の人々との接し方は極めて丁寧。両作とも作者御自身による写真が多数。眺めていて楽しい。
2026年02月07日
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堪能した本を3点(4冊)。いずれも井上靖さんによるもの。 『遺跡の旅・シルクロード』新潮文庫、1982年。1965年から1980年にかけての複数回の訪問の際の紀行文。新潮社、毎日新聞社、日本放送出版協会の書籍に発表された文章を、新潮文庫がまとめてくれたもの。訪問先の歴史の概観をも含む、親切な構成。 『西域物語』新潮文庫、1987年。1968年と1971年の旅。この本でも、歴史の講義と訪問記とが渾然一体となっている。「講義」部分の割合が、前記の本よりもやや高いか。 『私の西域紀行(上下)』文春文庫、1987年。1977年から1980年の、計4回の訪問。航空機と列車だけでなく、長距離の車での移動をも含む過酷な旅。書名の通りに紀行が中心で(「講義」が少なく)、臨場感に富む。
2025年03月23日
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思いつき発言と回覧板の乱発を得意とする商売人が“WW3”を持ち出しておどしたため、結局、平和ではなくて資源が狙いだと、世界中にばれた。 ヨーロッパ各国は、海の向こうの、建国から300年にも満たない後進国がしゃしゃり出てくることには呆れていた筈だ。 だいたい、資源のことを持ち出したら、それが新たな紛争の火種となることは明らかだろう。妙な比較だが、「大セルビア主義」という言葉を持ち出して、資源への執着を隠そうとした(すぐにばれたが)、かの大統領のほうが、政治家としては、やや上か。いや、どっちもどっち、か。
2025年03月01日
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ワグラムを北に何ブロックか進んで、左手だったように記憶している。 漬物。おでん。熱燗。おにぎり。どれも旨かった。 「Zenzan」。
2024年11月10日
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シャーロット・ブロンテ(吉田健一訳)『ジェイン・エア』集英社文庫、1979年[単行本1968年]。主人公ジェインは、信念を持ち、自らの道を進んでゆく。長い物語だが、退屈しない。細部まで丁寧に綴られた作品である。登場する人びとが、生きた人間として立ち現れてくる。吉田さんの訳文が、評論や随筆での文章にみられる、あの独特の文体ではない点も、印象に残った。意図して、そのようにしたのだろうか。 吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』ちくま文庫、1995年。吉田健一『汽車旅の酒』中公文庫、2015年。話し言葉に近いとも思える文章は、読んでいて心地良い(苦手だというかたもいるかも知れない)。くだけているが、けっして下卑てはいない。
2024年11月03日
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池上彰さんの本、次の三冊を読んだ。いずれも集英社文庫。『そうだったのか! 現代史』(文庫2007年刊)『そうだったのか! 現代史パート2』(文庫2008年刊)『そうだったのか! アメリカ』(文庫2009年刊) いずれの本も、複雑な状況を、丁寧に解説してくれている。三冊とも、単行本から文庫化するにあたって、加筆がされている。真摯な姿勢に敬服する。
2024年10月27日
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最近読んだ本のなかの二冊に、小説というものについて記した箇所があった。一つは、ジェローム・K・ジェロームの言として、以下の様に書いている:小説は煎じ詰めれば「先ず或る所に一人の男がありました。そうして彼を愛していた一人の女がありました」と、結局それだけのことじゃないか。もう一つは、そのかたが小説を読まない理由を以下の様に記している:(作中の男女が)なにをしてどうなった、というシチュエーションに、感覚的について行きにくい(中略)。誰がなにをしたって俺にはカンケイないじゃないか、と思う。 出典は、前者が、谷崎潤一郎「恋愛及び色情」。後者は、玉村豊男「「大コラム」ニスト宣言」。御二人の文の一部だけを切り取ってしまっていて恐縮だが、小説というものについて同様な考えを述べて、御一人(谷崎)は多くの小説を著わし、もう御一人は小説を読まない主義である点が、対照的だなと思えた。まとまりのない(いつものことだ)感想であるが。
2024年10月13日
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堀淳一『ケルトの島・アイルランド』ちくま文庫、1992年。 アイルランドの土地(地形)や遺跡を訪ねた旅。巻末の初出情報によれば、雑誌「地理」や新聞に(それぞれが独立して)掲載された文章を一冊にまとめたものである。この文庫での章の配列は旅程を忠実にたどった構成となっている。編集者の丁寧で親切な本作りが感じられる。著者ご自身による写真と地図が味わい深い。
2024年10月06日
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ロバート・ラドラム『シグマ最終指令』新潮文庫、2002年。 ラドラムの作品の特徴は、記述が映像のようであることだ。登場人物たちの行動や思いが、読み手のなかにすんなりと入ってくる。この晩年の作品『シグマ最終指令』でも、同様であった。 ただし、読み終えて思うのだが、この作品は、かなり荒唐無稽に感じられる。Big picture を追いすぎて、一般人が思うリアリティから離れてしまっている。作りものとしては楽しめたが。
2024年09月29日
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日高敏隆さんの本を読み終えた。『春の数えかた』、『人間はどこまで動物か』、『ネコはどうしてわがままか』、『セミたちと温暖化』。いずれも新潮文庫。四冊とも、『波』や『ゆたか』、『ヴァンテーヌ』に掲載された文章をまとめた単行本が元で、それら単行本の刊行は、2001年から2007年。 話題は、昆虫、植物、動物、人間社会、と多岐に亘る。月刊誌の読者を退屈させないように腐心されたのであろう。 以下は、自分のためのメモ(いつものことだが)。・生態系には「予定された調和はなく、絶えざる競争があるにすぎない」[『春の数えかた』「幻想の標語」]。・生物多様性は「生きものたちの果てしない競争とせめぎあいの結果としてできあがったもの」[『春の数えかた』「おいわあねっか屋久島」]。・洞窟昆虫は洞窟で進化したのではない[『春の数えかた』「洞窟昆虫はどこから来たか」]。・フィンランドは二つの公用語をもつ。フィン語(ウラル語族)とスウェーデン語(ゲルマン語族)。大学での講義・実習はすべて二つの言語で行われ、「先生も二通りいる」。「実習室も二通りある」[『人間はどこまで動物か』「紅葉と言語と」]。・タガメのメスによる「子殺し」。昆虫で見つかった世界で最初の例[『ネコはどうしてわがままか』「タガメの空中産卵」]。・「里山」はけっして「自然」ではない[『セミたちと温暖化』「里山物語」]。・日本の高山のチョウノスケソウは、氷河が北へ後退していくときに、置き去りにされた[『セミたちと温暖化』「北国の花たち」]。
2024年09月22日
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フランク・ウィルチェック(吉田三知世訳)『物質のすべては光』早川書房、2009年。 副題「現代物理学が明かす、力と質量の起源」が、本書の内容をよく語っている。原著者は、2004年ノーベル物理学賞の受賞者のお一人。たいへん読みやすい(わかりやすく書かれた)一冊であった。 ニュートン、マクスウェル、アインシュタインから書き起こし、標準模型、統一理論、ダーク・エネルギーへと話を進める。数式をただ提示するのではなく、ものごとの考え方を、筆者ご自身の経験を提示して、記してくれている。こうした本には珍しいほどの、親切な原注と訳注から、筆者が(もちろん訳者も)読者にわかってもらおうとして著わした一冊であることが伝わってくる。 原著は2008年刊。CERNによるヒッグス粒子発見は2012年なので、順序から言えば、本書『物質のすべては光』の後に、レーダーマンとヒルによる『量子物理学の発見』(原著2013年刊)を読むほうが良いかも知れない。小生は、読む順序が逆になってしまったが。
2024年09月15日
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吉田健一『書架記』中公文庫、1982年。 単に作品のことを解説したものではない。吉田さん御自身が所有していたけれど既に手元にはない本のことや、初めて読んだ際の記憶(出版元、体裁)等を含めてのご自身の読書遍歴、文学論(物語と小説の違い)等が語られた一冊。単行本刊行は1973年であるが、戦前のことが、ごくあたりまえのこととして現われる。大学での講義のような語り口であるが、縦横無尽に話が移る上に、著者の独特の文体もあいまって、この内容を耳だけで追うとなると、ついて行くのは難行だろう。反語のように見えるかも知れないが、それだけに、この本からは読む愉しみ(十分に咀嚼してはじめてわかる旨さ)がもらえる。
2024年09月08日
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イーデン・フィルポッツ(宇野利泰訳)『赤毛のレドメイン家』創元推理文庫、1970年(原著1922年)。 この本のことは前から知っていたが、ようやく読んだ。そして堪能した。ミステリとしてだけでなく、ひとつの物語として完成しており、読みごたえのある作品だ。
2024年09月01日
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高木正孝『パタゴニア探検記』岩波新書、1968年。1958年にチリと合同で行われた探検の記録。発端(計画立案、チリとの交渉)から、アレナーレス登頂までのことが、つとめて客観的に記されている。 黒田玲子『生命世界の非対称性』中公新書、1992年。親切(懇切丁寧)な記述がされている。高校生なら読み通せるだろう。 司馬遼太郎『手掘り日本史』文春文庫、1990年[単行本1972年刊]。司馬さんが、ご自身のことから始まり、歴史上の人物たちの評、南北朝時代の特徴(歴史としての面白みの無さ)、国というもの、等を語った記録。「聞き書き」であるが、聞き手の語りが見苦しい。まるで幇間である。文字にする必要はなかった。
2024年08月25日
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3枚組のDVD,“LA PLANETE BLEUE”。BBCの番組を収めたもの。ナレーションのイギリス語が耳に心地良い。海洋や深海の映像を眺めていると、時を忘れる。
2024年08月18日
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司馬遼太郎『歴史を紀行する』文春文庫、1976年。「文藝春秋」1968年1月号から12月号に掲載された紀行文(つまり、初出は56年前である)。それぞれの土地には風土というべきものがあり、それが人びとの行動や、集団としての挙動に影響を与え、ひいては(後の時代の眼からみると)歴史をかたち作ってゆく、という視点から書かれた紀行文。もちろん、土地や国の歴史は、それほど単純で一義的に定まるものではなく、筆者は、断定を避けた記述を選んでいる。 司馬遼太郎、陳舜臣、金達寿『歴史の交差路にて』講談社文庫、1991年[単行本1984年刊]。三氏が、三つの地域の過去と現在に関して語ったもの。読む側には、歴史に関する一定の知識は必要であるが、「編集ノート」という名前での、諸事項に関する注記がたいへん親切である。三人の作家が、ご自身の体験をも交えて語っている事項は、実に多岐に亘る。史実とされることがらだけではなく、随所にあらわれる「個人の見解」をも楽しめる。本書(本鼎談)は、史実の解釈や史観の統一を目的としたものではないが、結びの箇所で、歴史を相対的に見ることの重要性を提起している。2024年の現在、世界が置かれている状況を考えると、この「相対化」、言い換えると自己の客観化、の困難さは、世界のどこにおいても存在し続けている、と思える。
2024年08月11日
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司馬遼太郎、上田正昭、金達寿の三氏の編集になる、座談会の記録。中公文庫の四冊。『日本の朝鮮文化』、『古代日本と朝鮮』、『日本の渡来文化』、『朝鮮と古代日本文化』。鄭貴文氏、鄭詔文氏というご兄弟による「日本のなかの朝鮮文化」という雑誌に掲載された座談会を中心とするもので、四冊の単行本として、中央公論社により、1972年から1978年にかけて刊行されている(中公文庫は、四冊とも1982年刊)。座談会は、上記の編集者お三方が毎回参加というわけではなく、種々の分野の方々に参集頂いて、各地の遺跡巡り等も併せて実施されている。 多くの参加者各位からの発言は興味深い。現代の感覚では、国対国という見方をしてしまうが、「国」というものが完成する前の、地域間の交流という視点が重要である様だ。上田教授の解説は、同教授の著書『帰化人』、『日本神話』、『大和朝廷』等に述べられた内容の紹介ともなっている。対馬の海神神社には新羅仏や新羅鐘があるとのこと。神仏習合であり、おもしろい。金氏による、朝鮮語に関する解説が親切である(例えば、神社名にある「許曽」は「居世」で、朝鮮語での尊称とのこと。これが後に日本では神社、神宮の意味に転じた由)。 いずれの座談会も、結論をまとめることよりも、現状把握や将来に向けての方向設定を行うために開かれたという性格が強いように思える。
2024年08月04日
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安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書、1979年。本書を読んで、明治政府というものは、綿密な設計により作られたものではなかったのだということがわかった。権威を、江戸幕府(徳川将軍)から天皇に移した後に、その補強をあわてて行ったもののように思える。新政府による神仏分離に係わる布告では、「廃仏」は明言されていないとのこと。神道側の行き過ぎた反応(抑えられていた側の反動)が、詳しく描かれている。 斎藤栄による二冊。『日本のハムレットの秘密』祥伝社ノン・ポシェット、1991年(原著1973年)。『Nの悲劇』中公文庫、1994年(原著1972年)。どちらも、非常によく練り上げられた、読みごたえのある作品である。前者の仏教教義に関する箇所は、ややくどいとも思えたが、筆者の生真面目さの現われなのだろう。
2024年07月28日
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井上靖『歴史の光と影』講談社文庫、1983年。1972年から1979年に種々の雑誌等に掲載された文をまとめたもの。単行本は1979年刊。中国、韓国、トルコ、ロシア、平泉、高野山と様々な土地を訪れた後に記されたエッセイ。それぞれの章で、歴史や地理の解説も提供してくれており、たいへん親切である。 海音寺潮五郎、司馬遼太郎『日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年。対談集。海音寺さんのほうが22歳上ということもあり、司馬さんが海音寺さんのお話しをかしこまって伺っているような雰囲気がある。本書を読み始めるにあたっては、幕末から明治にかけての時期の日本史をひととおり復習しておいたほうが良いかも知れない。 直木孝次郎『日本神話と古代国家』講談社学術文庫、1990年。「できごと」を解説した教科書というよりは、歴史、神話はどのようにして作られるかを記した本。初出時期は1965年から1988年に亘り、教科書のありかたや行政に対する、筆者の考えも含まれる。
2024年07月21日
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ポール・オースター(柴田元幸訳)『ガラスの街』新潮文庫、2013年。 不思議な小説。ミステリとも言えるが、謎解きは提示されない。物語には決着や結論があるものだ、という立場(主義?)で読むと、肩すかしだと感ずる。しかし、実生活とは、このようなものから成り立っているのだ、とも思える。原著で読み返すべきかもしれない。
2024年07月14日
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首記は、今週読んだ本のなかの三冊。いずれも、上田正昭 京大名誉教授による。 『帰化人』中公新書、1965年。先般読んだ、同題名の一冊、関晃『帰化人』講談社学術文庫(2009年)が硬めの講義風であったのに比べると、やや柔らかく読者に語りかけるような体裁の一冊である。筆者の提唱する「渡来の四段階」に沿って記述されており、たいへんわかりやすい。 『大和朝廷』講談社学術文庫、1995年。1967年に角川新書として出版された本に加筆訂正がされたもの。系図が複数示された、親切な作りである。いろいろと調べながら読むことが必要なので、通勤途上に手軽に電車で楽しめるという本ではない。 『新版 日本神話』角川文庫、2010年。1970年に出版された岩波新書の改訂版。神話の物語としての構造(解釈、由来)、各地に残る伝承や地名、日本人の心性、と内容が広範に亘り、熟読を要する本。
2024年07月07日
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ウェルナー・ハイゼンベルク(山崎和夫訳)『部分と全体』みすず書房、1974年[原著1971年]。 副題「私の生涯の偉大な出会いと対話」。副題の原題は“Gespraeche im Umkreis der Atomphysik”(「原子物理学の分野での対話」)。 自叙伝であるが、ハイゼンベルク自身に関することに限定した内容ではなく、物理学が形成されて来た過程を描いた一冊。原子物理学そのものを扱っただけの教科書ではなく、ハイゼンベルクと多くの科学者たちが、自然を(そして科学を)どのようにとらえ、解釈し、発展させて来たかを、多くの研究者たちとの対話を用いて記述した書物である。 「序」の冒頭の一文「科学は人間によってつくられるものであります。」が、本書を著わすにあたっての著者の意図を物語っている。
2024年06月30日
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斎藤清明『メタセコイア』中公新書、1995年。 極地探検から書き起こされ、三木茂教授の生涯と研究、中国奥地での「発見」、そして筆者自身の中国と北極への旅へと展開する。読みごたえがある。
2024年06月23日
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今週読んだ本の内の四冊に関してメモ。 直木孝次郎『奈良 古代史への旅』岩波新書、1971年。各所を訪れて歴史を語る。記紀や説話をひきながら、なぜそのような記述が残されたのかを教えてくれる。 太田博太郎『奈良の寺々 古建築の見かた』岩波ジュニア新書、1982年。古建築の専門家による解説。平易な文による、建築様式の講義。 関晃『帰化人 古代の政治・経済・文化を語る』講談社学術文庫、2009年。1956年刊の著の増補版(1966年刊)が、本文庫の原本。確かなこと、誤りであることが確かなこと、を峻別して記述している。「それは明白に誤りである」、「なんの信頼性も持ち得ない」といった記述は、手厳しいが小気味よい。 上山春平『神々の体系 深層文化の試掘』中公新書、1972年。実に興味深い一冊。極上のミステリと言ってもよいだろう。本書で提示され、論ぜられている仮説は、「梅原猛氏との討論の過程で成熟した」とのこと。
2024年06月16日
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種村季弘『徘徊老人の夏』筑摩書房、1997年。 実は、この本のカバー写真と題名から勘違いをしていた。筆者の自己韜晦、自虐をこめたものかと思っていたのだが、そうではなかった。「徘徊老人」とは、知人の伯父さんとのこと。まあしかし、全部が作り話であっても、いっこうにかまわないのだが。 粋、軽妙、洒脱。 巻末の初出一覧を見ると、種々の新聞や雑誌に掲載されたものであることがわかる。つまり、そのままであれば保存はされなかった(読み終えたら捨てられた)であろう文章であったということだ。なんとももったいない(贅沢な)話だが、それらを丹念に集めて本に仕上げてくれた出版社と編集者の方々には、感謝したい(自分ごときが感謝してなんになるのか)。 [蛇足]二瓶正也さんのことを記した箇所に「ウマトラマン」とあるのは、誤植だろうか。あるいは意図してのことか。
2024年06月09日
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若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』集英社、2003年。 壮大で、かつ、緻密な物語。天正の少年使節と、彼らをとりまく時代背景を、丹念に描いている。史実とされている事柄は原典(先行研究)を批評をも加えて提示しており、一方で、筆者個人の考えについては、その旨を明記した上で述べている。 本書の執筆は、少年使節にかかわる原典(第一次資料)の、ヴァティカンでの精査という作業から始まっている。この、西洋美術史の研究者としての真摯さ、誠実さが、初めから最後まで保たれている。 本を読むということの愉しみを、しみじみと感じさせてくれる一冊。堪能した。
2024年06月02日
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青柳正規『皇帝たちの都ローマ』中公新書、1992年。本書刊行時、著者は東京大学文学部教授。美術史、古典考古学を御専門とするかた。 副題「都市に刻まれた権力者像」にあるとおり、建築物に即して、都市としてのローマの歴史を教えてくれる一冊。建造物が作られた背景、象徴する事象、表向きの意味、計画者の真の意図、等々、実に深く広く記述されている。編年形式で、新書としては大部(参考文献項まで含めると401ページ)であるが、まったく退屈しない。写真や図版も多く付されており、丁寧で親切な作りの本である。
2024年05月26日
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秀村欣二『ネロ』中公新書、1967年。 この本はこれまでに何度か読んでいる(最初は高校生になったばかりの時期だった)。既に複数の史書があり、さらに『クオ・ヴァディス』のようなフィクションがある場合には、後の人間が伝記を記すのは困難な作業だ。 筆者は、歴史学者として、先人の記述の性格を考慮しつつ、ネロの生涯を描いてくれている。ネロの母アグリッピナや、「哲人」セネカが、ずいぶん世俗的な人間として登場する。いくつもの場面を現在形で書いているのは、読者を退屈させないためなのだろう。
2024年05月19日
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平日の仕事の後、或いは週末の彷徨(古書店、寺社、建築物、商店街)の際に、外食(外飲)するのが楽しみである。通った店が、今ではなくなってしまっているということを知るのは、寂しい。 そうした店のことは、自分が食したものと一体となって記憶に残る。Berghoff。 ザウアークラウト。ステーキ。Yamase。 ソフトシェル。しゃぶしゃぶ。はしもと。 さかな。だだちゃ豆。かっぽうぎ。 カウンターの大皿料理。おでん。 橋の下を たくさんの水が 流れた のだな。
2024年05月12日
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『地図になかった世界』へのピューリッツァー賞。 自国の歴史に対する反省(自己批判)の表明、か。 エノラ・ゲイに関して著わした作品が書かれても、アメリカでは黙殺されるだろう。或いは、戦争を終結に導いた美談として評価されるか。
2024年05月05日
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エドワード・P・ジョーンズ(小澤英実訳)『地図になかった世界』白水社、2011年。 歴史を題材にした小説。史書ではない。もっとも、(史実に基づく)史書と言われる著作物でも、創作物である。それを言い出したら、話はややこしいことになる。やめよう。 淡々と、多くのひとびとの日々が描かれる。「起こったこと」に対する判断を、作者は記さない。判断は、読み手の役割として残される。 この作品に対してネット上には、かなり好意的な評があるが、私の、今回―初めて―読んだ後の感想は、「ふつう(五段階評価の三)」である。ピューリッツァー賞受賞という評判(情報)があったから入手したのであったが、期待外れであった。 なお、本書とは関係ない話であるが、かの『ジミーの世界』が、フィクションとして公刊されていたならば、賞の返上という事態にはならなかったのではないかな、とも思った。
2024年05月05日
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北杜夫『親不孝旅日記 天才について』角川文庫、1983年。 私は北杜夫さんの作品が好きで、これまでに数多く読んできており、現在、約90冊を保有している。 『親不孝旅日記 天才について』は、未読であったので、今般入手した。1980年、ご母堂と夫人との三人でのフランス旅行記。躁状態で(と御自身が記している)旅をしつつ、書き上げた一冊。 北さんの作品の中では、もっとも良くない本である、と思えた。ファンである私でも、他の方々に推奨したいとは思えない。より正確に言えば、読まないことをお薦めしたい。
2024年04月28日
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ずいぶん前に手に入れたCD、まだ聴いていなかったので、本を読みながら聴き始めた。 Frederick Delius, “Fennimore and Gerda”. Danish National Radio Choir, Danish National Radio Symphony Orchestra. Richard Hickox. [CHANDOS Chan 9589.] まったく、言葉が頭に入って来ない。気付いた。歌詞がドイツ語であることに。 英語表記の題名と、作曲者がディーリアスであることから、英語での演奏だと思い込んでいた。しかも、物語もまったく知らずに(調べずに)聴き始めた。誠に無謀な行いであった。出直します。
2024年04月21日
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梅原猛『黄泉の王 私見・高松塚』新潮文庫、1990年[単行本1973年刊]。 この著者による、古代の日本に関する他の著作(『隠された十字架』、『神々の流竄』、『水底の歌』、『赤人の諦観』など)と同様に、休むことが出来ずに最後まで読み通した。 本書は、高松塚の被葬者に関する考察を綴ったものである。結論の提示に際しては、「可能性が高いとしかいえない」という、(梅原さんにしては)控えめな表現がされている。
2024年04月14日
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遠藤周作『切支丹の里』人文書院、1971年。 八つの作品が収められた一冊。『沈黙』が執筆された背景、作家の思いがよくわかる。八つの内、「父の宗教・母の宗教」は、作者の隠れ切支丹に関する考えを記したもので、残る七つは、実際に長崎を訪問しての紀行文。なお、七つの内の「雲仙」は、能勢という人物による紀行文という形をとった小説と言うほうが正確か。よく読むと、『沈黙』執筆の準備のための旅に関して記した作品と、この小説が刊行された後の再訪を記述したものとがあることがわかる。しかし、七つの作品の初出情報が記されていない(付記)。担当編集者の、本作りに対する姿勢(志の低さ)には呆れる。 [付記]「雲仙」に関しては、「雑誌『新潮』に発表された」との註がある(おそらく人文書院が付記したものだろう)。しかし、長濱拓磨「遠藤周作論―「弱者」の形象―」(Kyoto University of Foreign Studies, Kyoto Junior College of Foreign Languages (88):2016,63-77. “core.ac.uk”に公開されている。)には、「雲仙」については“「世界」1965・1”とある。人文書院は初出情報すら誤記したのだろうか。[さらに付記]国立国会図書館のデータベースで調べると、「雲仙」は「世界」誌1965年1月号に掲載されていることが判った。やはり人文書院の「註」は、誤りであろう。
2024年04月07日
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梅原猛『赤人の諦観』集英社文庫、1987年。 『隠された十字架』や『水底の歌』と同様に、「定説」や「常識」を疑うことから出発する論考。冒頭から読者の心をつかみ、最後まで一気に読み通させる本である。古代の人々の自然観は、現代人のそれとは異なるのだということを、改めて教えてくれる。
2024年03月31日
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ネット上の、某「留学研究所」のサイトに、エヴァンストンのことが書かれていた。「シカゴまで車で10分ほど」と。小生、前世紀に1年間、エヴァンストンに住んでいたことがある。 両都市間の距離は一般道だと約14マイルあるから、平均時速84mph(134km/h)、I94を使ったら19マイルだから、114mph(182km/h)で移動する、ということだろう。 上記サイトの管理人さんは、一般道の制限速度(30mph)や高速道の制限速度(55mph)を気にせずに暮らしていたかたなのだろう。 素晴らしい。
2024年03月24日
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武田泰淳『新・東海道五十三次』中公文庫、1977年。 百合子夫人の運転する車に乗っての、東京から京都への旅。一気に走り抜けたものではなく、何度も東京に戻っては「出直す」ということを繰り返して達成したもののようである。「いつ(何月何日)」が書かれている箇所が少ない。ただし、その一方で、「イナリズシ四コ(五十円)」などの、妙に細かな記載もあり、不思議な本である(なお、もともとは毎日新聞に、1969年1月から6月に連載された文とのこと)。途中、三つの企業の自動車工場、武田氏の父の故郷、川崎大師や三井寺などに立ち寄っているが、観光や見学が主たる内容でもない。武田氏も解説者(車に同乗していた毎日新聞社員)も本作品を「小説」と表しているが、様々な事柄を思い浮かべながらの随想と言ったほうが適当だろう。筆者は運転をせずに、気ままに酒を飲んだりしながら、夫人に運ばれている身であるから、軍隊にいた時代のことや、他の作家諸氏とクルマのことなど、もの思いにふけるのも自由である。読み終えた後、不思議な印象が残った一冊であった。
2024年03月17日
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柴田元幸『生半可な學者』白水社、1992年。 一篇が4ページから5ページほどの文章が収められている。言葉を対象とする学者(本書刊行時は東大教養学部の助教授)による愉しい一冊。 以下は、自分のためのメモ。「スカーレット・オハラる」(p.66)、言い得て妙。『不思議の国のアリス』に帽子屋というキャラクターが設定された理由(p.92)。子供を食す(p.116)。「ベライズム」(p.151)。スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』。入手すること。
2024年03月10日
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ヴェルコール(河野與一訳)「海の沈黙」岩波文庫、1973年。語り手(「私」)とその姪、そして将校。緊張した関係にはあるが、直接の「敵と味方」として描かれてはいない。争いは国と国が行っている。それぞれの国の住民(個人)にとっての敵は、相手国であり、相手国の個々人ではない。その状況に、どう対応するか。ドーデの「最後の授業」のような、一国の立場が善で相手国は悪、という単純な設定による作品ではない。[追記]「海の沈黙」と「最後の授業」とでは、作品の意図が全く異なる。前者は戦争否定(反戦)であり、後者は国威鼓舞である。舞台となっている時代も、七十年ほど違う。
2024年03月03日
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YouTubeで表示されたため観てみた。「木綿のハンカチーフ(山形弁)」。 笑いがこみあげる。滑稽というのではない。観ていて楽しいのだ。原曲を茶化したものではなく、より親しみやすい形にして提示してくれたものと言ったらよいだろうか。 朝倉さやというひとの歌のうまさと明るさがいい。
2024年02月25日
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ヘッセ(高橋健二訳)『知と愛』新潮文庫、2004年改版。初めて読んだ。幼年時代。成長。遍歴。芸術。思索。旅の終わり。長い物語。退屈はしなかったが。本書末尾の解説に、ヘッセが少年時代に新島襄に会っていた、とあった。人と人との出会いとは実に不思議なものである(月並みな感想で気恥ずかしいが)。 バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん』岩波文庫、1997年。巧みな人物造形。主人公ゴリオの、度を過ぎたとも感じられた自己犠牲は哀れである。ゴリオ以外の人物たちは、人間の好ましからざる面を強調するために描かれたのであろう。露悪趣味と言ってよいか。
2024年02月18日
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スタンダール(桑原武夫訳)『カストロの尼』岩波文庫、1956年。この小説は初めて読んだ。冒頭から最後まで緊張が続く作品で、途中で止めることができなかった。併収されている二作品(『箱と亡霊』『ほれぐすり』)も読みごたえがある。ただし、いずれも、カタルシスが得られる物語ではない。 トルストイ(中村白葉訳)『イワンのばか』岩波文庫、1966年改版。表題作を含めて九つの民話が収められた一冊。冒頭に聖書の言葉が記されている物語もあるが、宗教の教えを押し付けた本ではない。国や宗教という条件に制限されたものではなく、「人間」という存在の普遍的な姿を描こうとした作品だと感じられる。 ジル・ボルト・テイラー(竹内薫訳)『奇跡の脳』新潮文庫、2012年。脳卒中に襲われた脳解剖学者による本。御自身の体験を描いたものなのだが、発症から治療、さらに回復に至った過程が、鮮明かつ克明に記されている。脳の機能が時々刻々と失われてゆくという事象を自覚している状態にある中で、自らの意志によって記憶を残し、さらに、その記憶を後に呼び出し、この本を著わすことが出来たという点は、驚異的である。
2024年02月11日
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P. C. W. デイヴィス(戸田盛和訳)『宇宙はなぜあるのか』岩波現代選書、1985年(原著1983年)。 理論物理学者が著わした一冊。副題「新しい物理学と神」が内容を示している。各章の分け方(それぞれが扱っているトピックス)のおかげで、わかりやすい構成になっている。ただし、訳文がこの上なく拙劣である。例えば「宗教の初期の試みは科学者の社会に深い不信の念をいだかせた」。これは、「科学者が作る社会というものに対する不信」なのか、「科学者が作っている社会の中に生じさせた不信」なのか。また、多数の物理学者の名前の日本語表記がひどい。「ステフェン・ホーキング」だと。StephenがStevenと同じ発音だということも知らなかったのだろう。ほかにも「ルードヴィッヒ・ボルツマン」、「アーウィン・シュレーディンガー」、「ヒューグ・エヴェレット」、「ムレイ・ゲルマン」等々。外国語を読み/書く道具として習得したが、話し/聴くものとして学ぶことがなかった世代(訳者は1917年生まれ)だから、か。或いは学生に訳させたのか。そもそも、この訳書の担当編集者は、なにをしていたのだろうか。
2024年02月04日
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池内紀 編訳『ウィーン世紀末文学選』岩波文庫、1989年。 16人の文筆家による作品を収めた一冊。シュニッツラー、ホフマンスタール、ツヴァイクについては、小説を読んだことがあるが、他のかたがたは、これまで名前も知らなかった。 特に気に入ったのは、ヘヴェジー『地獄のジュール・ヴェルヌ/天国のジュール・ヴェルヌ』と、アルテンベルク『小品六つ』。 本書末尾の解説で、池内さんは「これだけの仕事に、まる二年かかった。」と書いている。たいへんな労作である。また、この一冊の題名、「文学選」となっている点が、いい。「傑作選」では安物風になってしまう。
2024年01月28日
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エリザベート・ハイゼンベルク(山崎和夫訳)『ハイゼンベルクの追憶』みすず書房、1984年。 この邦訳判では副題となっている「非政治的人間の政治的生涯」が原著の主題(ただし不定冠詞が使われている)。「ハイゼンベルクの追憶」は原著では副題。 賛成と反対しかない二分法での思考が支配している世界では、無言(どちらであるとの積極的発言が無い場合)は中立ではなく、どちらか一方であるとされてしまう。第二次世界大戦下でのハイゼンベルクは、ドイツ国内では「白いユダヤ人」とされ、アメリカに逃れたユダヤ系物理学者たちからは「ナチの同調者」とされた。本書は、その苦境を、努めて客観化して描いている。 原子爆弾の開発がどのような結果を生むかを、人類の誰よりも理解していたであろうボーアが、次の様に語ったという。「戦争においては、人は自国のためにすべての能力とエネルギーを投入するのも止むを得ない」。積極的肯定ではないが、占領された国の人間という立場では、そうなるのであろう。
2024年01月21日
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ゴットフリート・ケラー(伊藤武雄訳)『緑のハインリヒ』岩波文庫(全四巻)、1969-1970年改訳版。 自身の体験を基にした小説。生いたち、就学、宗教、政治、画家としての修行。舞台は今からちょうど二百年ほど前のスイス。人間はかくのごとく成長すべきだというような、人生訓や道徳を押し付けたものではない。多くの知人の死や、学校を追われ苦境に立つという事件もあるが、作者は極端な悲愴感を交えて語っているわけではない。言葉やエピソードが注意深く配置された作品である。
2024年01月14日
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レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル(青木薫訳)『量子物理学の発見』文藝春秋、2016年(原著2013年)。 物理学の発展の歴史を、デモクリトスから書き起こし、数々の物理学者の業績を紹介しながら、ヒッグス粒子発見に至る物語を丁寧に解説してくれている一冊。原著が2013年刊であるためか、ニュートリノ振動に触れた箇所では、研究者(2015年度のノーベル物理学賞受賞者)の御名前は記されていない。この本の冒頭、アメリカでのSSCプロジェクトの中止の経緯を詳細に延べて、「科学―あらゆる科学―にとって、またアメリカの経済成長と繁栄にとって、SSCの打ち切りは災難以外のなにものでもなかった」としている。第九章で、先端科学を報じるマスコミの姿勢に対する批判を記すための前置きだったのだろう。 [付記1]著者のひとり、レオン・レーダーマン博士ご自身も、1988年のノーベル物理学賞の受賞者である。受賞時はコロンビア大学教授。[付記2]2015年のノーベル物理学賞受賞者は、梶田隆章 東京大学宇宙線研究所長(ノーベル財団の受賞者発表時点)と Arthur B. McDonald 教授(Queen’s University at Kingston)であった。
2024年01月07日
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