電車やバスの優先席って、
ロゴがあってわかりやすいですよね。
今朝、
優先席の前に立ったので、
よくよくそのロゴを見て
思ったことがあります。
小さな子どもを膝に抱いたおとな、
おなかをちょっと強調した妊婦さん、
杖をもったお年より、
足を怪我した人
その4人を象徴したロゴが「優先席」を表すマークって、
なんとなく不公平じゃありません?
「その人たちだけに席を譲るなんて不公平」って意味じゃないですよ。
席を譲って当然な相手だってこと。
だって、傍から見てすぐわかるもの。
会社の上司で今年膀胱を全摘したおじさんがいます。
今は、おしっこをためるための袋を携帯して
一生懸命仕事に励んでいます。
コーヒーを飲みながら昨日はこんな話をしました。
「内的障害者に対してそれを示すための何かが欲しいよね~」って。
今は、妊婦さんに対して「おなかに赤ちゃんがいます」という
ストラップを行政は出しているでしょう?
それは、おなかが膨らんでくる前のもっともデリケートな時期に有効だと思います。
とくに切迫流産がもっとも起こりやすいといわれる4ヶ月~6ヶ月あたりは・・・。
それと同様に外からは障害があると見て取れない彼のようなケース、
又、うちのように先天的な脳機能の障害がある場合にも、
それをまわりの人にわかってもらえるような手帳以外のものがあったら
ものすごく助かります。
以前、市の障害者福祉課に提案したことがあります。
そしたら、「差別」になるから、それは出来ない」といわれました。
それって果たして「差別」でしょうか。
妊婦さんは、母子手帳を持っているけど「おなかに赤ちゃんがいます」の
ストラップもぶら下げているわけでしょう。
同じように必要だと判断した内的障害者が、障害者手帳以外にストラップを
提示しても決して「差別」なんかじゃないし、
周囲の人たちの理解を求めるにはもってこいだと思うんです。
脳に先天性の障害があるってことは、
五体満足な体をしていたって、
バスの揺れに対応するだけの平衡感覚もナイに等しかったりします。
今でこそ、つり革につかまって安定して立っていますが、
以前は、私が立っても腰掛けるように勧めました。
「幼児期の中2坊主が立ち、3つ年上の兄が座る」様子を
周囲の人達が興味深げにジロジロ見ていたこともあります。
また、ちょっと目を離した隙にしでかす数々の出来事にも、
本人の障害を示す何かを身に付けていて
なおかつ周囲の人たちがその意味を理解していたら、
接し方や、親に対する言葉言いももっと変わってくるんじゃないかと思います。
先日もスーパーを出たところで、
他のことに気をとられていた長男坊主が、
前から来る年配のおやじの肩にぶつかり、
くってかかられました。
「どこ見て歩いてるんだ!!ぶつかったら謝れよ、兄ちゃん!」って。
それはすごい剣幕なので、
長男坊主はびっくりして、謝るどころかポカ~ンとしちゃってる。
そこで、おやじ、ますます頭から湯気を出してしまう始末。
「すみません、この子、知的な障害があるので・・・」
そうやって、謝っても一度頭に血が上ると人間はなかなか優しくはなれないから、
一言、二言、保護者に文句を言って立ち去るわけです。
小さい頃は、「首にヒモをつけて歩けよ」って言われたことも・・・。
毎度のことなので、私はもう慣れてしまっているけれど
祖母や弟にはきつい現実だと思います。
でも、最初から、この子がそういう障害があるとひと目でわかれば、
あのおやじも、あそこまで怒らなかったかも・・・ですね。
仮に車イスに座っている人が、前方から来るおやじにぶつかったとしたら・・・て感じ。
ひと昔前に比べれば、障害者に対して理解度もグンとUPして、
優しい人たちも増え、望ましい社会へと変化はしてきているけれど、
社会的弱者への関わり、行政に求めること、 生きるためにどうしても必要なこと等は、
まさにその本人や本人を支えている人間の声を聞いてみないと
外からの視点だけでは、 妙な勘違いであらぬ方向へ進んでしまうこともあるんです。
こちらサイドも権利や主張だけでなく、当然、「感謝の気持ち」を忘れてはならないと
常日頃から、戒めの気持ちを持って暮らしていくように心がけています。
傍から見てわからない障害を持っている本人と援護する人間が、
周囲の人たちに手を貸していただく、
理解していただく、受け入れていただくためには、
「おなかに赤ちゃんがいます」のようなストラップ、
もしくは、それに替わるモノを公的に作成してもらいたいと
やはり、強く思う私なのです。
