今年も残すところ僅かになりました。
来年は自分にとって、どんな年になるのか...
繰り返し浮かぶ文字は「脱皮」(笑)
なんじゃい、それ!
と突っ込みたくなるところですが、
ここ数年の準備期間を経て、本来の自分が表面化されるのではないかと思っています。
遡り記事になりますが、11月22日は 「第27年度 みんな幸せ・共生社会 県民のつどい」
という埼玉県、埼玉県教育委員会主催のイベントが開かれておりまして、
手をつなぐ親の会、聴覚障害者団体、長男坊主がお世話になっているNPO法人さんから
情報を頂いたので参加してきました。
会場内を一巡していたら、市の聴覚障害者団体のろう者さんが通訳者が立つ真ん前の席に
連れて行ってくれました。優しい...![]()
すると聞こえるサークルの会長が「通訳者を見てしっかり勉強すんだよっ!」と(苦笑)
障がいの種別に縛られず、垣根を越えて広く見聞を深めることが私たちに求められる時代だと思います。
11月18日に開かれた茨城県の総合教育会議で、県の元教育委員(24日付辞職)が、
障がい児などが通う特別支援学校を視察した経験を話しながら、
「教職員もすごい数が従事していて、大変な予算だろう」
「生まれてきてからでは本当に大変」などと発言したニュースを見聞きして、涙がこぼれました。
一番最初に浮かんだのは、悪しき時代の「優生保護思想」です。
戦時中、障がいのある方たちがどのような扱われ方をされていたのか、
歴史を振り返るとただただ恐ろしく思います。
ましてやわが子が同じ目に合う危険もあるのですから、無関心ではいられません。
今まで流してきた涙を力に替えて、経験を活かしていかなければ。
そもそも、社会に対し、ちゃんと目を見開き、耳を傾ければわかると思うのですが、
身体的にハンディを持たずこの世に生まれても、
他の人の心や手を借りることなく、一生を終えられる人がいるのでしょうか。
しかも、障がいのある人たちは、身体のどこかが不自由な分、
他の人が持ちあわせていないセンシティブな才能を持っているのです。
盲者の手の触感、ろう者の視野範囲の広さ、知的障がいを持った子たちの魂の感度、
もっともっと驚くことが沢山あります。
日常の生活に追いかけられることなく、
自分がどう生きていきたいと思っているのか、
内なる自分に問いかけ、
空や大地、自然のエネルギーに助けられながら、
人生の終演までに使命を成し遂げなければ。