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時刻は11時、もう沖永良部島で行きたい所は全てツーリングしました。今日は友人に30年ぶりに会うことになっています。ゆっくり会いたかったのですが、彼は偶然昨日今日と出張が入り、私は日程を変えることが出来なかったのでわずかな時間ですが会えることになりました。まだ時間はありますので、今日の午後フェリーに乗る和泊港を下見しておきましょう。昨日のように慌てることがないように・・・これが和泊港旅客ターミナルです(P)。今回の『南離島旅アイランドホッピング』は、日によって利用するフェリーが違ったり、フェリー会社が違ったりします(P)。だからここには2つのフェリー会社のチケット売り場が並んでいます。今回、3月8日(金)那覇港から「クイーンコーラルクロス」で与論港3月9日(土)与論港から「フェリー波之上」で和泊港3月10日(日)和泊港から「クイーンコーラルプラス」で亀徳港3月11日(月)亀徳港から「フェリーあけぼの」で名瀬港3月12日(火)名瀬港から「フェリーあまみ」で喜界港という計画です。5日間に5回乗船し、偶然ですが全て違うフェリーです。待合室から港や海が見えます(2P)。お土産にと黒糖焼酎が並んでいます(P)。海岸を見ると1人何かをしています(P)。行ってみましょう。年配の女性が青のりを採っていました(2P)。私も子どもの頃近くの老婆に教わって青のりを採ったことがありました。それを巻きすに干し食べました。潮の香りがして美味しかったのですが、採る時力を入れてかじると貝殻が混じったりしたこともありました。2,3回くらいしかしたことはないのですが、そんな子ども時代の経験を思い出しました。私は上り船に乗って徳之島に行くのですが、与論島に行く下り船がちょうど入港してきました(P)。和泊港旅客ターミナルの様子はわかりました。出発時刻を忘れ慌てて走った与論港のようなことはないでしょう。レンタルしたバイクにガソリンを入れて返却し、待ち合わせの47ホステルで待ちました。予定の時刻に彼は車でやってきて車に乗せていただき彼の家に向かいました。魚屋さんから仕入れた伊勢エビや刺身、奥さんの手作りの料理をいただきました。美味しく食べさせていただきました(写真を撮り忘れました)。短い時間でしたが、いろいろな話ができて良かったです。来年には退職するようですので、一緒に釣りなどしながらまたお世話になりたいと思いました。また、奥さんと共に静岡にも来てくれるようにお願いしました。彼に和泊港旅客ターミナルに送っていただき、「クイーンコーラルプラス」の出航を待ちます(P)。港に並んだコンテナを見るとその1つに牛が入っているものがありました(2P)。育てた牛を出荷するのでしょうか。私は沖永良部島を2日間バイクで走り、ヨロン島より観光には力を入れていませんが、農業はエラブユリを始めジャガイモなど工夫して換金植物を栽培していると思いました。それは、前にも書きましたが、港にあった「教育の町宣言」がお題目ではなく、島を発展させ島民が幸せに暮らすには教育が大事だと西郷隆盛を始めとする流人から学んできたことが今も根付いているのではないかと思いました。それはこの後の島々と比べても沖永良部島は秀でていると思いました。そんなことを考えていたら定刻14時40分になり、亀徳港に向けて岸壁を離れていきました。(クイーンコーラルプラスで亀徳港(徳之島)へ 続く)
2024.07.05
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沖永良部島バイクツーリング NO.7 です。「和泊町歴史民族資料館」からバイクで走ること5分、越山公園(標高189m)に来ました(3P)。昨日訪れた大山(標高246m)がこの沖永良部島の最高地点で、ここ越山が2番目なのでしょう(P)。方位盤には2つの山しか載っていません、自衛隊の基地のあった大山はなだらかな丘陵で展望台に上らないと展望は開けませんでしたが、ここは良い眺めが広がっています(P)。東シナ海や島の海岸線が見えます。三角点もあります(P)。「日本復帰記念碑」があります(P)。ヨロン島にもありましたが、ここも太平洋戦争で敗戦し、アメリカの統治下になり本土との渡航・交易が禁止されたのでした。本土復帰運動を展開し私が生まれた年度(1953年)に日本に復帰できたのでした(沖縄本島の復帰は1972年、私が初めて沖縄本島を訪問したのは1975年)。この日本復帰記念碑を見ると太平洋戦争、そしてその後の人々の苦労の歴史が見えてきます。付近にはツツジの花がたくさん咲いていました(3P)。温暖な静岡でもツツジが咲くのは4月中旬です。ここ沖永良部島では、季節が静岡より1ヶ月以上早い今3月10日に満開です。次は「ソテツジャングル」に行ってみましょう。バイクで走ること10分余、もう着きました(2P)。500mあり、コンクリートの遊歩道があります。ここにも観光客は誰もいません。そして、バイク進入止めの柵もないし、禁止とは書いてありません。バイクで行ってみましょう(P)。何とかゆっくり走ることができました(4P)。出ると北側に海が広がっていました(2P)。2枚目の港は伊延港です。その横には「西郷上陸の地」の碑がありました(P)。ここから島を4km歩いて横断して昨日訪れた「西郷南州記念館」まで行ったようです。ここは立派な史跡になっていました(4P)。(沖永良部島、ラスト 次号に続く)
2024.07.03
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沖永良部島、笠石海浜公園で行われる「沖えらぶジョギング大会」の駐車場にバイクを停めスタート地点に向かって歩いて行きます。ちょうど、スタートしたようです(P)。9時スタートだったようです(2P)。今のがハーフマラソン、次が5kmコースのようです(P)。すぐに出発でした(3P)。そして最後は3kmで、こちらは歩いている年配者や親子連れがいます(P)。それどころか、ベビーカーを押している方、歩くことのできない幼子を抱いて参加している方もいます(2P)。ジョギング大会と言うより、ハイキングの行楽といった感じです。島民にとってはみんなで交流できる良いイベントになっているのかもしれません。「沖えらぶジョギング大会」を見たら「和泊町歴史民族資料館」に行きましょう。9時半過ぎに資料館に入りました(P)。展示の中心は永良部ユリ(エラブユリ)でした(2P)。ここで初めて知ったのは「永良部ユリ」とは沖永良部島の固有種のユリではなく、私の家でも咲いているテッポウユリだということです。島の特産品としてみんなで栽培し換金植物として出荷しているのは素晴らしいことです。あとは昔の生活の道具が展示してありました(2P)。昔の家屋も外にありました(3P)。薩摩藩から米作りを禁止されサトウキビ栽培をしていた沖永良部島。NHK大河「西郷どん」の撮影で使われたサトウキビの絞り機「サタ車」も展示してありました(P)。厳しい気候の中で生きてきた歴史が想像できます。沖永良部島2つめの山「越山」に行ってみましょう。(続く)
2024.07.01
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